ウメ

2025年03月19日

三分咲きから満開になった林試の森の河津桜

昨年の2月は暖かくて、自宅近くの林試の森で河津桜は2月20日に満開となった。寒かった今年の2月は、2月24日に偵察した時点でまだ三分咲き。しかし急激に気温が上昇する週間予報だったので、そのときのブログに満開は次の週末だろうと書いた。

さてどうなっているか。
3月2日に林試の森で答え合わせ。


西側より河津桜のある芝生広場に近づく。
今までにも書いているけれど、この広場に芝生はない。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

遠くからでも満開とわかる\(^o^)/
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東側に植えられている河津桜。
この木だけロープが張られて保護されている。
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そしてメインの北側(つまり南向き)はご覧の通り。
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参考までにこれが2月24日の写真。
そのわずか6日後だから満開になるまで早いものだね。
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1週間前と違ってお花見する人多数。
とはいってもほとんど地元民しか来ないのでそれほど混雑はしていない。
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林試の森に河津桜があると知ったのは2019年の3月末。もちろんその時期では見頃はとっくに終了。満開になる来年の2月には見に来るぞと当時のブログにも書いたのに、翌年になってコロッと忘れてしまい(/o\) 、2021年からは2月になったら「林試の森・河津桜」とパソコンに表示されるようにスケジュールソフトをセットしてある。

それ以来は毎年。
今年で5回目の満開を見られて幸せ。
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少し見上げて、
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もっと急角度で見上げて。
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たくさんの花に、
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近づきましょう。
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やはりサクラはピンクでないとね。


お約束の逆光写真も忘れずに。
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3月15日付けのブログに河津桜が植えられている場所は少ないと書いた。
しかし調べてみると河津桜の歴史は以外と浅いとわかった。

 1955年(昭和30年)、伊豆の河津町で、
 草むらで芽吹いていた1メートルほどの苗木が偶然発見される。
 発見者が自宅の庭に植えて育てたところ11年後の1966年に開花。

 調査の結果、オオシマザクラとカンヒザクラの交配種に、
 さらにカンヒザクラが交雑した新種と判明する。
 1974年に河津桜と命名され、翌年には河津町の木に指定。

 その頃より河津町では、河津川や河津駅周辺に200本あまりの植栽を始める。

 それらが成長した1991年(平成3年)に第1回河津桜まつりを開催。
 集まった観光客はわずか3000人(>_<)

 しかしその後、1997年に10万人、1999年には100万人を突破!
 現在は河津川沿いに850本、河津町内で8000本の規模!


私が河津桜をいつ知ったかもう記憶がないが、おそらく河津桜まつりが有名になった1997年から1999年頃だろう。伊豆にはこんなキレイな色のサクラがあるんだと興味を持ったのは覚えているものの、その歴史背景までは知らず、昔からあるサクラの品種だとばかり思っていた。

河津桜の名前が全国区になって約25年。それだけの年数で現在の状況は、よく広まったのかそうでないのかはなんとも言えないものの、とにかくもっと河津桜が見られる場所が増えて欲しいもの。50〜100本ほどの河津桜を眺めて身も心もピンクに染まりたい(^^ゞ



<おまけ>
芝生のない芝生広場(2回目)の外れにウメも少しだけある。
紅梅もあるのだがもう散ってしまった。
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2025年03月17日

代々木公園のウメとイベント

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河津桜を見た後は、
代々木公園にも少しだけウメがあるのでそちらに向かう。

クネクネとしていて暗闇で見たら恐ろしそうな木。
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ツバキが咲いていた。
花数は多かったのに状態のいい花が少なく残念。
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最初に歩いたソメイヨシノゾーンに戻る。
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舞い上がる落ち葉。
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これは何かというと代々木公園の下には地下鉄千代田線が走っていて、公園内にいくつも通風口がある。落ち葉のシーズンはそれを投げて舞い上がらせるのが、この公園での定番の遊び。私もやりたかったのに、この親子がなかなかどいてくれずガマン(^^ゞ



木立の下からウメがチラッと見えた。
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代々木公園の梅園はここ。
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もっとも梅園というほどの規模でもない。
代々木公園の広さを考えれば申し訳程度の本数。
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植えられているのは、白とやや濃いめのピンクの2種類。
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ところで写真には向かない逆光であるが、こうやって光が透けた状態を好んでときどき撮っている。(この写真は以前に別の場所で撮影したもの)
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そして、この色のウメは逆光だとネオンのように光って見えるのを発見。
写真左は順光で右は45度程度の斜め逆光(木の影を見て)。
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ウ〜ン写真ではわかりづらいかなあ。
肉眼でははっきり光って見えるのだけれど。逆光だけの写真でもう一枚。
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最後に一番賑やかに咲いているウメを眺めて(これは順光)、
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梅園を後にする。
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わざわざこれを目当てに来るレベルの梅園ではないとしても、
河津桜を見に来たらついでに立ち寄ってもいいでしょう。



南門から歩道橋で競技場エリアへ。
正面に見えているビルはNHK。
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井の頭通りの渋谷方向。
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原宿方向は気まぐれで、
ズームレンズの広角側:35mm換算で27mm、画角76.5度。
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ズームレンズの望遠側:35mm換算で206mm、画角12度。
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35mm換算の説明は長くなるので省略。
その次の数字が小さければ広く写り、大きければ遠くが大きく写る。

こうやって見較べるとまずまずの望遠性能。でも花が少し遠くに咲いていると、この程度じゃ足りないケースがほとんど。広角側にも望遠側にももう少し伸びたズームレンズが欲しい。


競技場は工事中。もうトラックは取り除かれていた。なおすぐ隣にある「国立代々木競技場」と「代々木公園の陸上競技場」で名前が紛らわしい。間違ってやって来た選手もいるんじゃない?(^^ゞ
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歩道橋を降りたところはバスケットコート。
写真左に少し見えているのがサッカーやラグビーのためのグランド。
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グランドの横を通り過ぎて原宿側に移るとイベント広場がある。
何やら開催中。
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しかし出店テントにはナゾの表示がーーー
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このイベント広場は去年の夏に「原宿スーパーよさこい2024」を見たところ。
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そのステージ横断幕で何のイベントかを理解。
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公式ホームページによると「日本のプロ農業者が集い“子どもと農業をつなぐ架け橋”として都会の子どもたちに元気なニッポン農業を発信するイベントです」とのこと。ところで「プロ」っていう必要ある?


少しだけ会場を見て回る。
でもキッズじゃないので参加は無理だね(^^ゞ
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この日は最高気温が19.7度。代々木公園を歩き回り、このウシさん店舗のジェラートに心引かれたものの長い行列で断念。
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ケヤキ並木に出る。
よさこいのパレード会場だった場所。
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丹下健三作の代々木体育館を眺めながら、
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ケヤキ並木は終了。
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ここは公園通りの最頂部。写真右側の縦長の窓がある建物は渋谷公会堂。代々木公園につながっていて公園通りなのだけれど、渋谷で遊んだり買い物したりでここまで上がってくることはないから、公園通りと代々木公園が結びついていない人は多い。

この後は久しぶりに公園通りを一番上から渋谷駅まで降りて、
本日の河津桜&ウメのお花見は終了。
メジロもたくさん見られてよき一日でした。




おしまい

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2025年03月10日

浜離宮でウメ

内容にあわせてタイトルを微妙に変更して、
2月27日に訪れた浜離宮の続き。


菜の花畑を奥まで進み振り返る。
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途中からは菜の花畑に沿ってウメが並ぶ。
手前にあるのはまだ成長途中で花をつけていない菜の花。
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ウメの木側に移動。
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でもこちらだと逆光になってしまう。
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少し斜めから撮ったりレタッチ(画像修正)でごまかしながら。
ウメは花はもちろんとして、木の形も面白いというか味がある。
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逆光で花びらを透かすのは嫌いじゃない。
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少し菜の花畑側に回り込んで。
やはりしっかりと光が当たっているほうがキレイ。
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淡いピンクのウメ。
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こちらは白。
しかしーーー
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近づくとツボミの色合いがタコを連想させる(^^ゞ
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タコっぽくないところをアップにしましょう。
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これが浜離宮で最も美しかった。
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どうよ、このピンク!
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少し離れたところの紅梅は見頃をとっくに過ぎていたものの、
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目を皿のようにしてキレイなところを見つけた。
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前回、浜離宮に来たのはロウバイ目当てだった2020年の1月20日。そのときにビックリするほどたくさん咲いていたサザンカも、シーズン終わりの今回はこの程度。アップで撮れる状態の花もなかった。それでもここのサザンカの大きさはわかってもらえるかな。
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あのときに見たサザンカのインパクトは強烈で、それまでは生け垣でよく見かける程度の認識だったのに、すっかりサザンカがお気に入りの花になった。せっかくなので前回の写真を再掲載。冬の太陽をしっかり受けたサザンカは、まるで南国植物のように輝いている。
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菜の花畑を過ぎてもウメの並木は続く。
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これはモモではよく見かけるけれど、
ウメには珍しい同じ木に紅白の花が混じる源平咲き。
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と思ったら、
ウメ並木の最後は源平咲きだらけだった。
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2色で咲いていて何となくメデタイ(^^ゞ
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ーーー続く

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2025年02月09日

中川八幡山公園でロウバイ

今年のロウバイツアーは3箇所。1月18日に訪れた東京町田市の忠生(ただお)公園に続いて、2月6日に横浜市都筑区の中川八幡山公園と港北区にある西方寺を巡ってきた。中川八幡山公園は港北ニュータウン、西方寺はニュータウンをわずかに離れた位置にある。

ニュータウン内にある中川八幡山公園が都筑区なのは、1994年(平成6年)に横浜市が港北区と緑区の一部を分割して都筑区を新設したから。1983年(昭和58年)より入居が始まった港北ニュータウンは現在、港北区ではなく都筑区にあるというややこしい状況。

参考までに港北ニュータウンと、東京近郊のもうひとつの大きなニュータウンである多摩ニュータウンの位置図。
01ニュータウン位置


東横線を日吉で横浜市営地下鉄に乗り換える。

横浜市営地下鉄には2系統あってブルーラインとグリーンラインの愛称が付けられている。ブルーラインは1972年(昭和47年)に 伊勢佐木長者町駅 と上大岡駅間で開業。1976年には横浜駅までつながり、その後5回の延伸を経て1999年(平成11年)に現在の規模に。グリーンラインは2008年(平成20年)開業と新しい路線。主に港北ニュータウンの各地を結んでいる。
02地下鉄

正式名称はブルーラインが横浜市営地下鉄の1号線と3号線。1号線が湘南台←→関内、3号線が関内←→あざみ野と区別されているが、湘南台←→あざみ野の直通運転なので実質的には同じ路線である。2号線は計画されたものの建設されずに欠番扱いで、そしてグリーンラインが4号線。4号線開業時にグリーンラインの愛称を設け、それに併せて1&3号線もブルーラインと名付けられた。

でもブルーラインとグリーンラインってややこしくない? 横浜市営地下鉄には滅多に乗らないので、その度にどっちがブルーでグリーンだったかわからずイラッとする。銀座線と丸ノ内線なら間違いようがないのに、ここのように似通ってかつ中身のないネーミングにするなんてアホとしか思えない。

また横浜市営地下鉄は1993年に開業した新横浜北駅を、1999年に北新横浜駅に変更している。新横浜駅と間違える乗客が多かったのがその理由。紛らわしいネーミングは使ってはいけないと、そのとき充分に学ばなかったらしい(/o\)



センター北駅で下車。このあたりは港北ニュータウンのタウンセンターと呼ばれており、その北側だからセンター北。
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でも港北ニュータウンは大きく第1地区、第2地区、中央地区、その他に分かれている。そしてセンターとは中央なのに、タウンセンターは中央地区以外にも広がっていて、これまたややこしいネーミング。画像はhttps://tamaplaza.news/yokohama-kohoku-new-townから引用
03センター

関係ないけれどセンター南駅付近の住所は何と都筑区茅ケ崎!
もちろん茅ヶ崎といえば湘南しか思い浮かばない。東京に住み始めた頃、このあたりを初めてクルマで走っていて「茅ヶ崎コッチ」の道路標識を見て、いつの間にそんなところまで?、ひょっとして宇宙人のイタズラでワープした?とあせった経験がある(^^ゞ

なお湘南は茅ヶ崎、都筑区は茅ケ崎と微妙に書き方が異なる。


駅を降りるとキレイに整備された光景。
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観覧車があってビックリした。
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駅から出たところは2階部分。
ロータリーを見下ろしながら、
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ペデストリアンデッキ(大型の歩行者通路、公共歩廊)を東に進む。
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地上に降りて、
この先のコーナーを
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曲がると、小高い丘となっている中川八幡山公園が見えてきた。
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脇道で公園に入り丘を登っていく。
ここまで駅から徒歩10分。
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あっドングリ、久しぶりと思って写真を撮った後、
よく見たら辺り一面ドングリだらけだった(^^ゞ
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ススキを眺めながら、
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さらに登る。
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かすかにロウバイの香りを感じて、
見上げると視界の先に黄色い花が。
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しかし階段は徐々にロウバイから離れて左にそれていき、
斜面を上がった場所にはウメが咲いていた。
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めでたく今年の初ウメ!
ロウバイしか頭になかったので想定外の出来事にテンション上昇。

青空を背景に白梅が映える。
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まだ咲き始めでツボミもたくさん。
ただウメは数本でそれほど多くなかった。
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ーーー続く

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2024年05月27日

再訪:和田堀公園

5月5日に大田黒公園でミドリのもみじ狩りをして〜その後に善福寺川緑地を歩き〜杉並児童交通公園を見た続き。


交通公園を出たあたりでここはまだ善福寺緑地。
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この付近はカワセミが飛んで来ることもある。
写っているのはカワセミ待ちの皆さん。
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たぶんこの日この時にカワセミは姿を現していない。飛んでいたらもっと緊張感がある、あるいはザワザワしている。この公園も3回目なので何となく空気を読めるようになってきた。


川にいたのはアオサギとカモ。
どちらもお食事中。アオサギは口に魚をくわえている。
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こんなオブジェも見られた(^^ゞ
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ところでアオサギは青い部分はまったくなく灰色をしているのに、なぜかアオサギと呼ばれる。学術名はラテン語で Ardea cinerea 。Ardea はサギ、cinerea が灰色を意味する。英語でも Grey heron とグレーが使われグローバル的には灰色が標準。

それがなぜ日本ではアオサギなのかその理由を調べてみるとーーー

古代(だいたい古墳時代から奈良時代頃:上代ともいう)の日本語で、色を示す言葉あるいは概念は赤・黒・白・青しかなく、赤と黒で明るさと暗さを、白と青でハッキリとボンヤリを表していたとされる。極論すると赤・黒・白以外はすべて青! だからアオサギのようなボンヤリしたグレーも青になる。それで奈良時代にはこの鳥に名前が付いていたのでアオサギになったと。

話がそれるけれど、青信号・青リンゴ・青汁など緑色をしたものを青と呼ぶのも、この青と緑の区別がなかったことが今でも影響していると言われる。

理屈としてはわかる。
言葉や名前なんて区別の必要があって生まれるもの。例えば日本ではすべての魚に名前がある。しかしどこか砂漠の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。サンマもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に名前はいらないのだ。逆に昔は遊牧民だったどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬だけで用が足りても彼らには不足なんだろう。

色に話を戻すと今はあらゆる色を作り出せるから、サーモンピンクとローズピンクは名前を変えて区別する必要がある。同じ黄色でもパステルカラーの黄色とビビッドな黄色とは別の色扱い。

だとしてもである。
紫のように自然界にあまりない色ならともかく、空や海の青と植物の緑、この2大天然色を古代の日本人は同じ色として扱っていたとは信じがたい。頭が混乱しなかったのかな。まあ緑のランプを見て青信号と思うから慣れの問題なのか。それでもグレーまで青とはちょっとその認識状況が想像できない。青春も暗く憂鬱な日々になってしまうゾ。


ついでに余談。
アオサギの体はグレーでも卵の色は青い!画像はhttp://www.omnh.net/aquapia/2013/03/post_727.htmlから引用
203アオサギの卵



さて白山前橋を渡ると和田堀公園に入る。
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食堂&釣り堀の武蔵園、和田堀、大きなゴリラのぬいぐるみのあるお店を、この日は素通り。
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そして川縁(かわべり)で見つけたのがこの鳥。
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ハッキリとした羽の縁取りと大きな水かき。
これはカワウだと思う。ちなみに鮎を捕まえる鵜飼いに使うのはウミウ。
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野球場を過ぎ、公園より立派なサクラがある民家の横を通って、ワンパク広場に出る。
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この先には初めて来た1月27日に満開だったウメの木があり、
それがサクラ花見で訪れた4月7日には小さな実をつけていた。
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約1ヶ月経って、それがどうなっているか楽しみにしていたのに、
ない、ない、ウメの実がまったくない!
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なぜならこのオッサンがウメの実を棒ですべてたたき落としていたから。
私が着いたとき「もうこれで全部落ちたな」なんて言っていた。
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大量のウメの実。
手に握っている棒はこの辺に落ちていたものだろうが、
用意周到に袋まで準備して白昼堂々の計画的犯行。
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この場合、ここは都立公園でウメの木や実は東京都の財産なので、刑法235条の窃盗罪が成立する。10年以下の懲役又は50万円以下の罰金。落ちている実を拾っても他人の財産には変わりなく遺失物横領罪。またこの棒でウメの木にダメージを与えていたら器物損壊罪。他にも軽犯罪法や条例での処罰規定がある。

とりあえず公園になっている実を採れば犯罪である。どんぐりや松ぼっくりを拾って問題にならないのは、それらが財産的価値を持っていないとの社会的通念があるから。ウメの実やギンナンはそうじゃない。レジ袋一杯に詰められたウメの実は、スーパーで買えば1万円以上する。

もっともこの場に警官が通りかかったとしても、注意くらいはするかも知れないが現行犯として逮捕されることはない。私がこのウメの実泥棒の証拠写真と共に警察に告発してもおそらく受理されない。理由は微罪過ぎるから。

というわけでウメの実泥棒をしてもコイツらには何のお咎めもなし。
これでいいのか日本の社会正義!
ウメの実がなっているところを見たかったのに。

どうかウメの実のバチが当たって、この家族に不幸が訪れますように。



気を取り直してお散歩続行。
いいねやっぱり新緑は。
奈良時代の人はこれも新青といっていた?
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済美(せいび)橋で和田堀公園は終了。
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そして橋の袂(たもと)にあるのは済美公園。
公園のメインは上の広場で、段々畑のようなのは親水公園的なしつらえ。
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水に頭を突っ込んでお食事中。
カモは二羽が一緒にいるケースが多いからカップルで行動しているのかな。
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これはコサギ。頭の後ろのは冠羽(かんう)と呼ばれる。2本あるはずだが水に濡れてひっついているように思える。これを振って他のコサギと合図を交わすらしい。
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あっ、魚を捕まえた!
こんなのも泳いでいるんだ。
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すぐに上を向いて丸呑みしたのでその姿の撮影は間に合わず。
ならば連続写真で狙おうとシャッターの設定を変えてカメラを向けると、
もう満腹になったのか飛び去ってしまった(/o\)
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先ほどアオサギの話をしたので、ついでにシラサギも。実はシラサギという鳥はいない。これは白いサギの総称。だからコサギもシラサギ。日本にいるのは主にダイサギ・チュウサギ・コサギつまり大中小の白いサギ。ほかにはカラシラサギなど。

ちなみに鳥ではなく犯罪の世界では

   白詐欺:個人を騙す詐欺師
   赤詐欺:結婚詐欺、ロマンス詐欺
   青詐欺:企業を騙す詐欺師
   黒詐欺:詐欺師を騙す詐欺師

と分類されている(^^ゞ 元々は警察の隠語とされるものの、黒詐欺が映画やドラマ以外で実際に存在しているかは知らない。


済美橋から2つ下流にある熊野橋。
その先の紅葉橋との間に鯉のぼりがかけられている。
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善福寺公園(善福寺川緑地とは別の公園ね)で鯉のぼりを見たときに書いた、武者幟(絵のぼり)も手すりに吊されている。向きが横になっているのは仕方ないか。
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5月3日の善福寺公園のときと違って、この日は風もそこそこあって、気持ちよさそうに鯉のぼりが舞っていた。
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紅葉橋の下にミニサイズの鯉のぼりも。
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ただし大きい方もそうなのだが、ちょっと色があせているのが残念。特に黒鯉の退色が目立つ。子供が成長して、もう用済みになった鯉のぼりを持っている人がいれば寄付してあげて。



この後は駅まで歩いて5月5日のお散歩は終了。
こどもの日の当日にもまた鯉のぼりを見られて、子供じゃなくてもうれしい。


おしまい

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2024年03月02日

ウメよりも歴史の勉強になった?赤塚梅まつり

タイトルを微妙に変えて前回からの続き。


和太鼓のリズム、低音、爆音を楽しんでいて、
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ふと振り返ると、
いつの間にか武者行列の参加者が待機中。
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正式タイトルは「赤塚城 戦国絵巻 武者行列」。
前回に書いた記念撮影の様子でもわかるようにメンバーの多くは子供。
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メガネを掛けているお姫様の二人は姉妹かな。
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小さな武者姿が可愛い。
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この鎧や兜はボンテックスという樹脂をしみこませた紙で作られていて軽いらしい。各地の武者行列などではよく使われている素材のようだ。本物と並べれば違うとしても、見た目には紙製とはまったく思えず特に違和感もなし。もっとも本物を見慣れていないせいもあるが。


そろそろ始まりそう。
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赤塚城本丸跡の石碑と説明看板。
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武蔵千葉氏? 誰それ?
とりあえず最後の文節「正確はことはまだ明らかに〜」が「正確な」の書き間違いなのはわかった。この看板が立てられたのは平成13年3月。つまり約22年前。その間に誰も注意する人いなかったの? 何をしている板橋区教育委員会(/o\)

さて調べてみると武蔵千葉氏とは平氏をルーツとする一門。そうと書くと、アレッ?平家は壇ノ浦で滅亡したのでは?それがいつかはよく覚えていないけれどイイクニツクロウの前なのは確か。なのにここには1400年から1500年代の話が書いているじゃないかーーーと思われるかも知れない。(参考までに平家が滅亡した壇ノ浦の戦いは1185年)

意外と知られていないというか意識されていないものの、
平氏と平家は同じではない。記号で示せば平氏 > 平家となる。

桓武天皇

平氏は都をナクヨウグイスで平安京に遷都した桓武天皇(737年〜806年)の、孫の代の何名かが臣籍降下して平(たいら)の姓を与えられたのがその始まり。第1陣は825年から840年頃の話。平の文字にしたのは、おジイちゃんが造った平安京にちなんだもの。

古代の決まりでは天皇から直系の4世までが皇族。普通は2世と言えば子供を意味する。しかし皇族関連では親等と同じく子供を1世と数えるようで4世は玄孫(やしゃご)。当然ながら膨大な人数になる。例えば桓武天皇には側室を含めて5人の夫人との間に20人以上の子供がいた。男子はその半分で、成人できたのがさらに半分としても5人。それを当てはめて4世まで数えると5×5×5×5=625人になる。もちろんそれ以前の天皇の子孫もいるわけで。

朝廷としてはそんな人数を財政的に抱えきれないし、そのほとんどに皇位継承の可能性もない。それで皇族の身分を外し臣下として独り立ちさせたのが臣籍降下。その制度は古代からあり、特に桓武天皇(在位781〜806年)の時代から多くなったとされる。


さて50代天皇・桓武天皇の孫から始まった平氏を桓武平氏と呼ぶ。桓武と頭につけるのは他にも54代仁明天皇、55代文徳天皇、58代光孝天皇の子孫から平姓へ臣籍降下したグループがあるから。ただし桓武以外の天皇の平氏はほとんどが数代ほどで途絶えたので、平氏と言えば実質的に桓武平氏を示す。

最初の825年に臣籍降下したのは平高棟(たかむね)で、この系統は公家(貴族)として発展していく。平氏といえば武家としか学校では習わないけれど、そうでもないのだ。有名な「平家にあらずんば人にあらず」は、この系統で高棟(たかむね)より10代後となる平時忠(ときただ)の言葉。

そして桓武天皇の孫(ひ孫説もあり)の高望王(たかもちおう:生没年不明)が、桓武天皇の9代後の宇多天皇から臣籍降下で平の姓を与えられ平高望となったのが889年。この系統が後に平氏の最大勢力になる。

平氏となった平高望(たかもち)は898年に上総国(かずさのくに:今の千葉県中央部)に行政長官として赴任する。この時点では公家。しかし任期が過ぎても帰京せず、その地に土着して豪族となり武士団を形成して勢力を周辺に伸ばす。理由は京都に戻っても藤原一族が要職を独占しているから。この平高望が武家としての平氏の始まり。

平高望の孫の平将門(まさかど)の代になると関東ほぼ全域を支配。東国(関東)を意味する坂東平氏の名で呼ばれた。(その時代にそう呼ばれていたかは知らない)

そうして勢力を拡大していた平氏であるが、時代が下って1028年に起きた平忠常の乱(ただつね:平高望のひ孫、母方の祖父として平将門にもつながる)が起き、朝廷から派遣された源頼信(頼朝の6代前の祖先)により平定され、坂東平氏は源氏の支配下に入る。源氏と平氏が一緒になってややこしいからか、この頃になると坂東平氏ではなく、坂東武者や坂東武士と呼び変えられるみたい。

939年に起きた平将門の乱と較べると日本史的にはマイナーな存在とはいえ、この平忠常の乱はその後の歴史に影響を与えるいろいろな要素を持っていたと思う。坂東平氏と源氏とのつながりができた以外にも、例えば源頼信の息子の頼義が後に鎌倉の領地を手に入れ、それで頼朝にとって鎌倉が先祖伝来の土地になった。逆に将門の乱はもともと平氏一族の内乱で関東の政治に大きな影響は与えていない。将門の首が京都から東京まで飛んでいかなければ、今ほど有名にはならなかったかも。

いずれにせよ源頼朝が幽閉されていた伊豆から抜け出して挙兵し、鎌倉幕府を樹立できたのはこの坂東平氏、すなわち平氏の協力があったから。話は逸れるが、源頼義は妻を平氏からもらっており(当時の感覚だと婿に入る)、だからその子孫の頼朝は平氏の血も流れていることになる。



話は変わって、平忠常(ただつね)と同じく平高望(たかもち)のひ孫の代にあたる平維衡(これひら)は、関東を離れて伊勢に地盤を築き伊勢平氏と呼ばれる系統となる。やがてその子孫は京都に戻り朝廷や貴族に仕える軍事貴族としての道を歩む。

その平維衡(これひら)の5代後に平清盛が出る。清盛は初代の平高望(たかもち)から数えれば平氏9代目となる世代。そして清盛が都で権力者として上り詰めると、平氏の中で清盛の近親者およびその周辺が平家と呼ばれるようになる。だから平氏 > 平家。平氏の中でもセレブな存在が平家ファミリー。「平家にあらずんば人にあらず」の平時忠は平高棟(たかむね)の子孫でまったく別系列だが、姉が清盛の後妻になったので義理の親戚として平家一門に加わった。それが嬉しくての発言?

この流れを考えると源平の戦いは源氏 vs 平家であるけれど、頼朝には坂東平氏が多く加担していたから平氏 vs 平家の戦いの側面も持つ。もっとも同じ平氏とはいえ、その頃になれば9代前のヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイじいちゃんが共通というだけなので、同じ一族としての感覚や連帯感は既になかったと思う。まさに坂東平氏ではなく坂東武者がそのアイデンティティだったのかも知れない。

ついでに計算すると平高望(たかもち)が千葉に来たのが898年で、頼朝の挙兵が1180年だから282年の年月が流れている。現在に置き換えれば2024 − 282 = 1742年で徳川吉宗の時代まで遡る。平家と坂東平氏はそれだけ遠い親戚。


ところで坂東平氏側はこの少し前の世代から、後述する千葉氏・上総氏・三浦氏などに名前を変えている。どうして桓武天皇につながる平の姓を捨てて千葉や上総などに変更するのだろう。少し調べたがヒントは見つけられず。この頃になれば一族の数は先ほどの掛け算のように加速度的に増えて「平さん」だらけになって区別が付かなくなるから? もう都から離れて長いので「平」の名前にステイタスを感じなくなったから? あるいは平忠常の乱以降の源氏の支配がさらに進んで、平姓では何かと不都合があって名前を変えたのか?そのうち調べましょう。

ただ清盛ほか平家側はすべて平姓。もし坂東平氏が名前を変えずに平姓のままだったら、平氏同士の戦いはどうにもやりづらく、頼朝の元にそんなに多く集まっていなかった可能性もある。そう考えると名前を変えてなければ歴史も違っていた? 別の表現をすれば名前が歴史を変えた? そんなことをあれこれモーソー中である。



平氏と平家の話が長くなった。
ようやく武者行列の武蔵千葉氏。
でもそろそろ飽きてきたから簡潔に(^^ゞ

まず千葉氏は先ほどの平忠常(ただつね)の家系から出た一族。忠常のひ孫の平常兼(つねかね)が初代とされ、その孫の常胤(つねたね)から平ではなく千葉常胤と名乗っている(諸説あり)。

ならば千葉とはこの一族の名前だったのかと思ってしまうが実際は逆。奈良時代の万葉集には既に「知波乃奴」=「千葉の野」とあり千葉の地名が確立していた。つまり地名を家の名前としたパターン。

そして千葉氏は坂東平氏の中でも中心的な坂東八平氏に名を連ねる。坂東八平氏とは千葉氏・上総氏・三浦氏・土肥氏・秩父氏・大庭氏・梶原氏・長尾氏の8部族。千葉氏3代目となる千葉常胤(つねたね)は頼朝挙兵にいち早く協力し、鎌倉幕府成立後に有力御家人となる。

これは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で岡本信人が演じた千葉常胤。
千葉常胤


しかし鎌倉時代以前から一族内部での争いが絶えず(他の一族もほとんど同じだが)、とうとう室町時代中期の1455年に、16代当主を中心とする家族が拠点の千葉城を追放され、千葉北東部に逃れる。そこも攻撃されて一緒にいた16代当主の弟の息子兄弟だけが市川まで逃げ延びた。

1456年になるとそこも襲われて、当地まで逃げてきたのが看板に書いてあった内容。これにより千葉氏は、武蔵(東京)に逃げてきた武蔵千葉氏と、千葉に残った下総(しもふさ)千葉氏に区別される。まあ本家と元祖の対立のようなもの。

下総の位置。画像はhttps://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/2-1-2-53.htmlから引用
葛飾郡の位置

下総と上総(かずさ)の位置が地図では上下逆なのがややこしい。また地図の上部に上野国(こうずけのくに)と下野国(しもつけのくに)もある。これらの上・下は京の都に近い方が「上」を名乗ると考えられている。


やがて(小田原の)北条氏の配下に入るのも看板に書かれている。皮肉なことに武蔵千葉氏を追い出した下総千葉氏も戦国時代には自力で立ちゆかず、同じく北条氏の勢力下になり豊臣秀吉による小田原征伐を迎える。

これにより武蔵と下総の両千葉氏は滅亡した。滅亡と聞くと戦死や捉えられての処刑ですべて死んだような語感だが、戦国大名としての地位を失った、そして歴史の表舞台から姿を消したとの意味。壇ノ浦の戦いで滅亡した平家だって主要メンバーは戦死や入水自殺で死んだが、生き残って後世に子孫を残したものはいる。古代ローマ帝国の滅亡でローマ人全員が死んだのではないのと同じ。



入場していく武者行列。
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千葉氏は初代の平常兼が1045年生まれで、小田原征伐が1590年だからその歴史は545年。坂東八平氏の中でも一時は最大勢力で房総平氏ともいわれたので、千葉県や千葉市は千葉氏へのリスペクトが高い。千葉市の市章は千葉氏の家紋をベースにしてるほど。
マーク

一方の武蔵千葉氏が赤塚城にやってきたのは1456年で、小田原征伐までこの地での歴史は134年。それほど長くないし、千葉氏から追われて落ち延びてきた以外に歴史上の存在感もない。それなのに21世紀の地元住民がこんなイベントをしてくれているなんて、感激あるいはビックリしているんじゃないかな。


武者行列の様子を少し見物して、
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隣の梅林に戻る。
50〜60本くらいに思う。
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何となくフワーッと天に伸びていく感じ。
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梅林のほとんどは白梅。
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奥の出入り口近くに少しピンクのもあった。
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密集している部分を逆光で眺めると輝いて見えて幻想的。
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観梅終了して城址地区から溜池に降りる。
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赤塚溜池公園&赤塚公園の城址地区のウメは「質より量」でちょっと残念だったのは確か。しかし和太鼓や武者行列などイベントはとても楽しめた。梅祭り開催中で人出も多かったものの、何となく地元中心でアットホームな雰囲気が感じられたのも好印象だった。



おしまい

でもウメ以外の初めての板橋区散歩はまだ続く。

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2024年02月28日

ウメよりも和太鼓がよかった赤塚梅まつり

タイトルは違うが前回からの続き。


高島平駅から赤塚公園を歩き、
新大宮バイパスを渡って到着した赤塚溜池公園。
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赤塚梅まつり開催中とあって園内はかなりの賑わい。
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入り口のすぐそばにあった溜池。公園の名前の由来となっているから、相当に大きな池を想像していたのに、それほどでもなかった(^^ゞ
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板橋区のホームページによるとウメの木は約150本。
この日で6〜7分咲きといったところ。
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写真では少し寂しくもあるが、人間の目は見たいものを見る=咲いているところを無意識に集中して眺めるから、花数に不足感はなかった。

ただし品種が少ないし剪定の仕方もワンパターン。しだれのウメもなかった。あちこちの名所を訪ね歩いてきた目には、たくさん咲いてはいても「いいウメを見たなあ」との満足感は得られずやや残念。

それでも現地では天気もよかったし、梅まつりの雰囲気もあって楽しく過ごせた。しかし自宅に戻って写真を整理してビックリ。普段より大幅に撮影枚数が少ない。まあ「写真は正直」である。


ここのウメは花のサイズが小さい。
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花色が重なるように撮りましょう。
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アップも少しだけ。
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羽根木公園に続いてメジロの撮影に成功。
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これは枝が緑色で伸びるタイプで私の好み。
肉眼ではそれが影響して花も少し緑がかった白に見える。
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屋台をブラブラ。
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昨今の物価高ではステーキで1000円しないなんて安く思えてしまう。
それにしてもビフテキなんて言葉は久しぶりに聞いた。
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公園の奥で人だかりができていたので覗いてみると。
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とても前まで出られそうになかったのでカメラを頭の上に持ち上げて撮影。
最前列右から4人目は板橋区長。
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私が来てすぐに撮影タイム終了。
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お祭りのイベントとして武者行列があるとは事前に知っていた。一般的に記念撮影は最後に行うから、この時点ではそれが終わったのだと認識。



園内マップ。
前回に書いたように赤塚溜池公園(図の右上ウグイス色部分)は赤塚公園の一角にある。このエリアでウメがあるのはここと、隣接する赤塚公園の城址地区にある梅林。
マップ3


城址地区に向けて丘を登る。そこそこ急勾配だったのと、前日はたまに雪も混じる雨が降り続いていたので、土と落ち葉の階段がぬかるんで滑りやすかった。
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上がってみると城址(じょうし)地区=城跡とはいえ遺構的なものはなく広場があるだけ。もっともここにあった赤塚城は戦国時代の少し前に築城され、秀吉の頃には廃止されている。だから一般にイメージする天守閣があるような城ではなく、館(やかた)がいくつかある砦(とりで)のような姿だったはず。


多くの人が何かを待っている。
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どう見ても武者っぽい雰囲気。
まだ何かイベントがあるのかな?
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ところで床几(しょうぎ:折りたたみ式の椅子)の後ろに並んでいるのは盾(たて)。飛んでくる弓矢から身を守るために合戦で使われた。ここのは描かれている図柄(家紋)が丸いので、まるで弓の的のように見えるが、

こうやって使うやつね。
101置き盾

盾にはいろいろ種類があって大別すると、この会場にあった地面に置いて使う「置盾 おきだて」と、手で持って使う「持盾 もちだて」に分かれる。

ただし持盾は古代ローマ兵や騎士など西洋のイメージが強い。
日本刀は両手で持つからあまり使われなかったのだろうか。
102持ち盾


しかし武士=刀とは江戸時代になってからのイメージで、それ以前の戦(いくさ)において、指揮官である武将は別として戦闘の主力となる歩兵の武器は槍(やり)である。

これは関ヶ原合戦図屏風の一部。
槍で戦っている兵士は盾を持っていない。
103関ヶ原合戦図屏風


こちらは古代ローマ兵の再現イベント。
槍が武器の兵士は盾も持っている。
104ローマ兵

このあたりは文化の違いや体格の差、あるいは兵士の安全や生命に対する価値観の反映なのかなどと想像を膨らませると何かと興味深い。


話を置盾に戻すと、それを地面に並べるのは戦闘開始の準備である。そこから生まれたのが相手に反対する・逆らうを意味する「盾突く」の言葉。この場合の「突く」は槍などで突くのではなく「地面に突き立てる」の意味。

また置盾は板につっかい棒を組み合わせた簡単な構造。移動の際には手で持って運搬する。持盾はもちろん手で操る道具。それで両者を手盾(てだて)とも呼んだ。盾がないと防御ができず戦えないから、そこから策がない状態を「手立てがない」と表現するようになったとの説もある。

他にも図星、手の内、はず(当然そうなること)、裏をかく、身から出たサビ、駆け引き、出張、折り紙付き、切羽詰まる、反りが合わない、抜き打ちーーーなど武器や戦から生まれた言葉は多い。興味があればお調べを。



広場には和太鼓も置かれていた。
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そしてこの立て看板で、先ほど見た記念撮影でイベントが終わったのではなく、和太鼓演奏や武者行列などはこれから始まると知る。
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開示予定時刻までまだ10分少々あったので、
広場に続いている城址地区の梅林エリアに入る。
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見たところ同じ品種の白梅ばかりのようだ。
またウメの背丈が下の溜池公園と較べてずいぶんと低い。


さてもっと奥まで見に行くかと思ったとき、銃声のような大きな音が聞こえて身体がビクッと反応する。私は「ワッ!」と大声で驚かされるととてもビックリするタイプ(^^ゞ

もちろん音の正体は銃声ではなく和太鼓の最初の一拍。


梅林から広場に戻って和太鼓見物。
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この大きさの太鼓だけで15台ほどあった。
最も近い太鼓までの距離は5メートルもない。
音とは空気の振動だと実感できるド迫力の大音響がこちらに向かってくる。


演奏は2チームの合奏。
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左側のチームはメンバーが若い。
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また曲ごとにメンバーが入れ替わり、
子供が太鼓を打つときもある。
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逆に右側のチームはメンバーが固定だから体力的には大変だったかも知れない。
演奏は30分ほど続いた。


真横からバチさばきを観察。
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腕の動きが速いので、シャッタースピード1/1000秒に設定して高速撮影。
一人だけタイミングがずれているのを発見(>_<)
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大太鼓。
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小太鼓。
ドラムのタムタムのように並んでいるが、それとは違って口径はどれも同じように見える。
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後ろ姿。こういうファッションを見るとどうしても「夜露死苦」「愛羅武勇」「仏恥義理」などヤンキー漢字を思い浮かべてしまう(^^ゞ  法被に書かれた文字をヒントに検索すると、このチームの名前は鼓粋若衆 板橋 轟太鼓とわかった。
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こちらのチーム名は不明。バチをクルクル回したり轟太鼓とは叩き方が違うから、そのジュニアチームではないと思う。
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前から見ていると太鼓があって気付きにくいものの、和太鼓はかなり大股開きの体勢で叩いている。それにしても彼らの和柄のシャツはちょっといいね。私が着たら「その筋」の人に見える危険性があるからビミョーかもーーー


ウメはあまり見応えがなかったけれど、
和太鼓のリズムを全身に浴びて身体が活性化したような気がする。



ーーー続く

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2024年02月26日

赤塚公園を歩く

天皇誕生日の三連休で唯一晴れた2月24日に、
赤塚公園と赤塚溜池公園にウメを見に行ってきた。


公園があるのはは板橋区(地図がやや白くなっているエリア)。東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない。赤塚公園は地図に示したように2つの地区を線で結んだような形をしている。
マップ1


こちらは全体が赤塚公園で、青く塗ったのが赤塚溜池公園。赤塚公園は都立、赤塚溜池公園は板橋区立の公園。それぞれ管轄の違う独立した公園とはいえ、地理感覚的には赤塚公園の一角に赤塚溜池公園があるイメージ。全部まとめて赤塚公園で利用者に不都合はないし、その方が運営的にも効率的なはず。そのあたりは何かと行政的なあれやこれやがあって無駄を生んでいるのだろう。
マップ2

ウメは赤塚溜池公園と隣接する赤塚公園の城址地区の梅林にある。だから26ヘクタールある赤塚公園で用があるのは一番西側の城址地区だけ。でもこのあたりへは滅多に来ることもないので、赤塚公園の中央地区から溜池公園・城址地区まで歩いて向かうとした。



都営三田線の高島平(たかしまだいら)駅で下車。
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都営とは都営地下鉄の略。東京の地下鉄は東京都が経営する都営地下鉄と、東京メトロ(正式名は東京地下鉄株式会社)の2つに分かれている。東京メトロは政府と東京都が出資していた帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が民営化して2004年にできた会社。

規模的には

   都営地下鉄:4路線:総延長距離109km:利用者数1日あたり200万人
   東京メトロ:9路線:総延長距離195km:利用者数1日あたり740万人

東京メトロは民営化したとはいえ、株主は営団地下鉄時代と同じく政府と東京都のみの特殊会社。なのに私鉄と見なされている不思議な存在。旧国鉄であるJR鉄道7社のうちJR東日本・東海・西日本・九州は完全民営化して国の資本は入っていない(残り3つはJR北海道・四国・貨物)。上場しているから誰でも株主になれる。でも私鉄には分類されない。ちょっと不思議な鉄道の世界。



都営三田線は高島平の4つ手前の志村坂上から地上に出て高架線路を走っている。なので改札からまっすぐ外に出ると歩道橋階段の途中。
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歩道橋の上から東側の光景。
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高島平といえば日本で一番大きな高島平団地。
右側に並んでいるのがそれ。

入居開始は1972年(昭和47年)で、敷地面積36.5ヘクタールにに1万170戸(賃貸8,287戸、分譲1,883戸)の住まいが供給され、東洋一のマンモス団地と唄われた。

話は逸れるが、昭和の中頃過ぎまで「東洋一」のキャッチフレーズがよく使われた。戦後の焼け野原からの復興を果たした自負心の表れだったのかな。もっとも当時はちょっと頑張れば東洋一になれたし、というか日本一になればほぼ自動的に東洋一が確定した時代。現在の日本で東洋一はどれくらいあるのか知りたいもの。


これは入居開始当時のパンフレット。
ほとんど何もないところに巨大団地が出現した様子がうかがえる。
高島平1


現在の航空写真。
もう空き地はないものの、14階建てが並ぶ団地の存在感は今も大きい。
高島平2

ただし人口減少や高齢化の波は高島平にも押し寄せ、入居開始当時は3万人を超えていた団地人口は現在半数近くに減少。高齢者比率も40%を超えている(日本全体では28.4%)。もちろんそれは全国各地のマンモス団地やニュータウンに共通の現象ではある。少し郊外に出ると、だんだんと日本がアカン国になっていくのを実感する(/o\)



さて歩道橋の上から西側の光景。
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高島団地の前、都営三田線と平行しているのは高島通り。
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道路は片側3車線で広いうえに、
歩道とは別に遊歩道まである。
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歩道橋をおり遊歩道を西向きに歩いてひとつ目の交差点。
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赤塚公園は左折の標識。
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高島通り沿いの遊歩道はまだ続いており、こちらにも興味はあったのだが、
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当初の予定通りに左折して、赤塚公園の中央広場に向かう。
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両サイドに団地が並んでいる。
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駅を出てから10分ほどで、
赤塚公園の中央地区に到着。
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公園内のメインストリート。
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左右にウメの木が少しあったがチラ見した程度。
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ここの噴水はジャブジャブ池を兼ねた夏休み限定の設備らしい。
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周りからも噴水がプールに注がれるなんて珍しいと思ったけれど、
どうやらこれは照明装置みたい。
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噴水の上空に珍しい雲を発見。
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噴水を過ぎて競技場グラウンドまで南下したら、
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回れ右して、
再び西向きに進む。
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高架が見えているのは首都高5号池袋線。
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このまま真っ直ぐかと思いきや、
首都高をくぐって左側に出なければならなかった。
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赤塚溜池公園までの細長いエリアが続く。
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もっと中央へ。
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この左側の小高くなった茂みの奥が気になったものの、
この日は探検せず。
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二つ目の信号。
ここで信号待ちをしていると何やらいい匂いがしてきた。
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周りを見回すと首都高の向こうに焼き肉屋。この距離でこれだけの匂いなら、近所の人は公害に近い匂いの強さのはずだがどうなんだろう。
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現在位置。
この地図は上が南を向いている。
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いい感じの道が続くとはいえ、
首都高のすぐそばだからうるさい。
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どうしても左側が気になる(だから写真を撮っている)。
やはり探検してくればよかったと今更ながら後悔(/o\)
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通路沿いにあったあれこれ。
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このウッドデッキを越えると、
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少しだけ高台になっている広場に出て、
土の地面は終了。
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道案内は見当たらなかったけれど、とりあえずこちらに進む。
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ここは新大宮バイパス(国道17号)と首都高5号線が合流するところ。合流といっても首都高が上、バイパスが下と同じ土地の立体利用。
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これは首都高の高架。
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新大宮バイパスの上を仮設か工事中かよくわからない橋で渡って、
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階段を降りると、
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赤塚溜池公園が見えてきた。
ピンクの色彩にテンションが上がる。
ここまで赤塚公園に入ってから約30分。
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ーーー続く

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2024年02月21日

羽根木公園までウメ散歩 その2

晴れてはいるが空に雲多し。
青空はキレイでも太陽が雲に隠れている時間が長かった。
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気象分類では空全体の雲の量が

  1割以下:快晴
  2割から8割:晴れ
  9割以上:曇り

となる。天気予報もこの日は晴れマーク。
しかし感覚的には5割以上だったら「やや曇り」かな。


だから写真的には明るさが足りないものの、
これはこれで優しい雰囲気で素敵だと思うようにしよう。
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ところでウメの花色は大別すれば白梅と紅梅に分けられる。しかし真っ赤なウメもあるもののほとんどはピンク系である。 紅(くれない べに)色とは濃い赤、鮮やかな赤、紫がかった赤ーーーなど定義は辞書によって様々。私は「赤より濃くて、その分だけ鮮やかさは控えめ」との感覚を持っている。

画面に色を表示する場合は光の三原色であるRGB数値を使う(説明は長くなるので省略)。パソコンやスマホでどれだけ正確に再現できるかはわからないけれど、参考までに赤と紅の色を設定してみた。色情報の提供先によってRGB数値が異なるので、とりあえず2つ。
赤と紅色

いずれにせよ梅の花の色は紅色ではなく明らかにピンク系である。ピンクは日本語にすれば桃色。だから色の付いたウメは紅梅ではなく桃梅と呼ぶのが妥当。しかしそれだとモモとウメが混ざって、言葉としてややこしいから紅の単語を使ったのかなどと、いつもながらのどうでもいい話(^^ゞ



太陽はこのように雲に隠れている。
それでも、たまに雲の切れ目から顔を出す。
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そうすると色彩が輝き始める。
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アップで撮るにはやはり光量が必要。
肉眼で見ても断然キレイ。
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メジロも見つけられた。
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前回に代田富士見橋について書いたが、この羽根木公園でも富士山が眺められる。
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もちろんこの日は雲だらけ(/o\)
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太陽がずっと隠れだしたので梅林をブラブラしながら、
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売店の出ている広場へ戻る。
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行列ができているのは、
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無料のゲームコーナー。
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大型のスマートボールのようなものを子供がやっていた。(これは別イベントでの画像)画像はhttps://www.kouseihogo-net.jp/hogo/hogoshi/hogoshi_support/view/1593から引用
スマートボール

ところでこの「社会を明るくする運動」って何だ?
ざっと調べたところ、それは国民が

  犯罪や非行の防止と、
  犯罪や非行をした人たちの更生について理解を深め,
  それぞれの立場において力を合わせて、

  犯罪や非行のない安全で安心な明るい地域社会を築くための全国的な運動

ーーーとあった。

1951年から始まり今年で74年目で法務省が主唱している。主唱とは聞き慣れない言葉だが、もちろん唱えるだけでなく所管業務として予算が付いている。法務省の令和2年度行政事業レビューシートによれば予算規模は7億800万円のようだ(注:検索でヒットしたのがこれだけだったので、この理解であっているのかどうかは自信がない)。またそれとは別に、現場の活動費として住民から自治会費として徴収したり、それを地方自治体が助成したり、あるいは直接的に予算措置を執っている。

その趣旨には賛同するとして、この運動を74年間も続けてどれだけの成果があったのだろうね。小中学生を対象とした作文コンテストが有名らしいけれど。

私が子供の頃は交通事故で死亡する人が毎年1万5000人前後いて、それが日清戦争での戦死者数(2年間で1万7282人)より多いことから「交通戦争」なんて呼ばれた時代。そのせいか学校では交通標語をよく作らされた。あれも「社会を明るくする運動」の交通版のような運動の一環だったのかも知れない。

また道路のあちこちに交通標語のノボリが立ち、歩道橋には標語の横断幕が張られていた。「あんな文字を読みながら運転したら事故するよな」とよく冗談を言っていたものである。 とにかく街には交通標語があふれていた。「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などは第二次大戦中の国策標語。どうやら戦争になると世の中には標語が増えるようだ。


さて交通事故の死亡者数が最も多かったのは1970年(昭和45年)の1万6765人。2023年は2678人で約16%に減少している。

これは交通事故の発生件数と死亡者数を重ねたグラフで、興味深い現象が起きている。画像はhttps://news.yahoo.co.jp/articles/a5aa92c85ca11312736a61f8c44931d59aa347c5から引用
交通事故グラフ

1990年頃まで発生件数と死亡者数は相関している。しかしそれ以降2005年あたりまでは発生件数は増えているのに死亡者数は減っている。また2000年前後の事故発生件数は死亡者数のピーク時より多く、にもかかわらず死亡者数はピーク時の半分ほどである。

これらから考えられる交通事故死亡者数が大幅に減少した大きな要因は2つ。それはクルマの安全性能向上と救命医療技術の進歩だろう。少なくとも交通標語で人々が心を入れ替えたからでは決してない。

まあそういうことなのである。「犯罪や非行」の「理解を深め」たからといって、それが減るものでもない。交通事故と犯罪・非行を同じフレームでは捉えられないとしても、行政や政治の頭のいいリーダーの人たちには、社会を明るくするためのもう少しまともな対策を考えて欲しいもの。現状はおそらく運動すること自体に意義がある状態で、運動の継続=予算付けが目的となっているように思える。



さて
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

これは白牡丹というモフモフした印象のウメで可愛かった。
シロではなくハクと読む。
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混ざり合った色を楽しみましょう。
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育成中の苗木。
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もっと日が射さないかとの期待とは裏腹に、
こんな状況になってきたので撤収とした。
写真ではまるで夕方に見えても、まだ午後3時前。
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おしまい

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2024年02月20日

羽根木公園までウメ散歩

大きな梅林のある世田谷区立の羽根木公園。2021年に訪れてブログも書いた。いろいろなところへ行きたい=同じ場所へはあまり行きたくないのであるが、少し遠いものの散歩圏内なので、これは名所巡りではなく散歩なのだと思うことにして2月18日にウメを見てきた。


自宅からの方角だけを頭に入れて、適当に歩くと小田急線の世田谷代田(だいた)駅に出た。羽根木公園の最寄り駅はひとつ先の梅ヶ丘。
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公園はこの先。
この橋の下は、
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環七通り。
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橋の名前は代田富士見橋。
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山梨日日新聞社の富士山NETによると、東京には富士見と付く地名が72カ所もあるらしい。これは47都道府県でトップ。うち町名になっているのは6カ所。富士見坂と名付けられた道路が23カ所。駅名が3カ所。ウィキペディア調べで富士見橋は8カ所だったが、この橋は含まれていなかったので少なくとも9カ所はある。

静岡や山梨はどこからでも富士山が見えるのだから、そんな地名はつけないかと思いきや、富士見の町名が静岡で4カ所、山梨で2カ所あった。

代田富士見橋に話を戻すと、富士見の地名であってもビルが建ったりしてもう富士山が見えないところが多い。しかしここは今でも空気が澄んでいる日には富士山が見える。そして駅とこの橋は一直線上にある。というわけで世田谷代田駅は改札から富士山を望めるのがチョコッと有名。

   その写真はここをクリック



代田富士見橋を渡って直進。
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左に見えているのは東京農大の世田谷代田キャンパス。キャンパスといっても1階に農大のアンテナショップなどの店舗が入り、2階が市民向けのオープンカレッジと呼ぶセミナー室となっている建物だけ。キャンパスと聞けば寺社の境内と同じで広い敷地をイメージしてしまう。なおここの敷地は667平米、建物の延べ床面積は420平米。

まあ大学も新しい試みにチャレンジしないと生き残れない時代。ところで東京農大(東京農業大学)と東京農工大がややこしいけれど、前者が私立で後者が国立。大根踊りをやるのは東京農大ね。


キャンパスの先に広場がある。これは世田谷区立の代田富士356(みごろ)広場。
名前が3と数字だから富士見地名にカウントはビミョー。面積は640平米。
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広場とは都市公園法に基づく公園の分類のひとつみたい。公園との具体的な違いはよくわからず。またここは小田急線のトンネルの上部に造られている。


したがってフェンスの向こうは線路。ここ世田谷代田駅の手前〜下北沢駅〜東北沢駅の先まで小田急線は地下を通っている。
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当然ながら、ここでは条件がよければ富士山を背景に電車が走るわけで、
それを狙って鉄ちゃんは写真を撮りにに来るのかな。


東京農大のキャンパスの前は広い歩道だったのに、代田富士356広場を出るといきなり左側に路肩すらなくてビックリする。けっこうクルマが通るのでなかなか右側に渡りにくい。
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5分ほど進むと、
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羽根木公園に到着。
ここは一番南東の出入り口。
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中に入る。
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坂を少し上った右側に羽根木プレーパーク。
プレーパークって何?という人は、それをテーマに書いた以前のブログを読んでみて。
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子供たちが生き生きと遊んでいてその元気な熱量に圧倒される。よきことかな。
公園の中で火をおこせるのはプレーパークならでは。
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ガンバレ!
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ウメを見に行きましょう。
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でも園芸店の出店があったのでウロウロジロジロ。
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ルピナスは5月頃に咲く花なのに、
どうやって育てたのだろう。
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♪♪キンカン塗って また塗って〜とよくCMが流れていたので、子供の頃はキンカンは薬の名前だと思っていた。皮ごと生で食べられるらしいけれど、甘露煮以外は食べたことがない。そのうちトライしよう。
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サボテンと多肉植物。サボテンはトゲがある、多肉植物にはトゲがないとの分類は不正確。しかし眺めている程度ならその分類で充分。
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盆栽も少し興味がある。しかし水やりが毎日必要で、さらに夏は1日2回!
私には無理と諦めている。
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黄梅(おうばい)はジャスミンの仲間。これはモクセイ科ソケイ属で、バラ科サクラ属のウメとは全くの別物。しかしウメに黄色はないので各梅園は黄梅もたくさん植えて欲しい。
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福寿草も春の訪れを感じさせる花。
黄色い花を見るとそう思うのは、子供の頃のタンポポの影響か?
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少し離れたところに別の出店。
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こちらはわりと普通の品揃え。
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せたがや梅まつり開催中なので公園上部の広場は屋台も出て大賑わい。
ちなみに2021年に訪れときはコロナでイベントは中止だった(/o\)
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このエリアにも何本か梅があるものの、
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メインはこの下の傾斜地。
ただこの日は雲が多くーーー
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航空写真




ーーー続く

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2024年02月15日

善福寺川緑地&和田堀公園 その2

善福寺川緑地のヒコーキ広場を過ぎたあたり。
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標識等はなかったものの、
既に境界線を越えて和田堀公園側にいると思われる。
2-1公園マップ


しばらく進むと手作り感があふれ出ているお店が並んでいた。
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その近くにこの公園の名前の由来である和田堀池がある。
落ち葉が水面を覆っていて景観ワルし。
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水面が見えるところでもバエない風景(/o\)
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元々この池は昭和30年代中頃(1960年頃)に善福寺川の氾濫対策の調節池として人工的に掘られたもの。その後に周辺を整備し1964年(昭和39年)に都立公園として開園。また同じく都立公園である善福寺川緑地の開園も同時期。つまり両者は一体として開発され、場所も同じ杉並区内にある。なのにどうして別々の公園としたのだろうか。ネットで少し調べた程度では手がかりすら得られず。



和田堀池を過ぎたところにもお店があった。
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なにゆえ巨大なゴリラ?
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善福寺川の左岸沿いに出る。
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この写真の少し上流側に大きな望遠レンズでカメラを構えている人が数名いた。和田堀公園はバードウォッチングができる場所として有名で、この時はどうやらカワセミがいたみたい。
カワセミ

「オスのカワセミが飛んでいる」なんて声を掛け合っている。しかし私のズームレンズなんて肉眼とたいして変わらないのでまったく見つけられず。

それで諦めて歩き出したら、この場所で下流から水面近くをカワセミが飛んできた。

    生まれて初めてカワセミを目撃!!!

ものすごいスピードだったのでカメラを向ける余裕もなし。向けたところでおそらくピンボケになったと思う。でも小さな鳥だが確かに青い姿をこの目で見た。一瞬のことで水辺の宝石と呼ばれるその美しさまではわからなかったとはいえ、この1月27日は私のカワセミ記念日になったのだ\(^o^)/


カワセミは撮れなかったので、じっとしているカモでも(^^ゞ
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この野球場は洪水対策の調節池を兼ねている。
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和田堀池はもう調節池として使われていないようで、この6号以外に現在2号と3号の調節池がある。1号が和田堀池だったとして、どうして4と5号がないのだ?

なお洪水対策の似たような設備として調整池がある。さらにそれぞれ池の読み方が、各地の施設によって「いけ」「ち」と異なりややこしい。

  調節池:川からあふれる水を一時的に貯める。遊水池ともいう。
  調整池:川に流れ込む水を一時的に貯める。こちらは調整「地」ともいう。

行政と土木業界はもっとわかりやすいネーミングを考えるべき。


この野球場で気になったのは洪水対策機能よりも、梅里中央公園のブログでも書いたタワーではなく電柱型で、しかも白く塗られている高圧送電線。
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このタイプはこの日に初めて見た。調べてみるとこれは景観に配慮した「美化鉄柱」あるいは「モノポール鉄塔」と呼ばれる種類らしい。送電線もいろいろと進化しているんだね。この日はカワセミに美化鉄柱と、2つも初物を見られてメデタイ?


さらに進んでサザンカを発見。
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その先にはウメが咲いていた。
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同じ場所、同じ時刻に撮っているのに背景の空色が異なるのが不思議。
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下の青が濃い方が写真としてキレイではある。しかし実際は上の水色よりもっと空の色は薄いわけでーーー。他の景色は見た目通りなのに、デジカメはどうして空だけを色濃く写すのだろう。青空を背景に花を撮るのは好きだけれど、最近はちょっとこの色を不自然に感じる。


川沿いを歩けない区間が少しあって、
住宅地を通り抜けた後に、
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再び左岸沿いへ。
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この付近は和田堀公園の東の外れ。
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2-2航空写真



そして、たぶんこの武蔵野橋が終端。
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善福寺川緑地のスタート地点からここまで、つまり善福寺川緑地の端から和田堀公園の端まで歩いて1時間半ほどだった。


武蔵野橋の先に謎の構造物。
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上流側と下流側をズームすると。
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魚道のようにも見えるが、魚道は川を堰き止めた場所の横をサカナがすり抜けられるようにした設計。この上流側と下流側の間には何もない。言ってみれば川幅を柵で区切っただけ。その機能や目的がよくわからず。


次の紅葉橋で左岸は行き止まりになっていた。
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橋の上から上流方向を振り返って。
奥に見えているのは武蔵野橋との間にある熊野橋。
もう周りに公園の雰囲気はなく川沿いの住宅街。
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紅葉橋の少し先で善福寺川とお別れ。
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そしてこんな路地に入り、
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花の咲いていないフラワージャングル(^^ゞ を横目で見ながら、
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坂を上り、
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この先の信号を右折。
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今度は坂を下って、
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やってきたのは神田川。
近くを流れているから、ついでに見ておこうかと。
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2つの川の位置関係。
ピンクの破線が善福寺川から離れて神田川へ向かった道順。
2-3神田川&善福寺川

善福寺川はこの先で神田川と合流する全長10.5kmの短い川。そのうち4.2kmが善福寺川緑地と和田堀公園の中を流れている。


神田川は井の頭公園が源流。
善福寺川の次は新宿区で妙正寺川と合流し、高田馬場、早稲田、飯田橋と流れ、小石川で日本橋川に分流。その後はお茶の水、秋葉原を通って両国橋で隅田川に注いでいる。
2-4神田川

ちなみに南こうせつが ♪♪あなたはもう忘れたかしら〜 と唄ったのは、
早稲田あたりの神田川の情景らしい。


神田川を少し歩いたら、
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環七に出る。
ここで本日の川沿い散歩は終了。
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2つの公園を較べると歩いて楽しいのは善福寺川緑地。公式ホームページによればサクラも和田堀公園の280本に対して善福寺川緑地が400本と多い。でももし春になってサクラを見に来たら、カワセミも期待して和田堀公園まで歩くんだろうな(^^ゞ



おしまい

wassho at 19:47|PermalinkComments(0)

2024年02月05日

梅里中央公園のロウバイ その2

公園西側のロウバイを見たあとは滑り台の右奥にある通路へ。
建物が迫っていて日当たりが悪いけれど、ここが公園南側。
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上の写真にもロウバイの木が数本ほど写っているものの、
ロウバイの黄色くて小さい花は地面と同系色になって目立たない。
アップで撮ってあげましょう。
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通路の突き当たりにはウメが咲いていた。
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なかなかの見応え。
ウメが咲いているのを見るとなぜか元気が出る。
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他にごく薄いピンクと白で3種類。
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白とピンクのツーショット。
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白とロウバイ。
でもやっぱりロウバイが控えめになってしまう。
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東側通路は片側がロウバイ並木。
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振り返ってウメの咲いている方向。
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ロウバイ並木の中心を「抜いて」、
ロウバイが咲きあふれている写真にしたかったのだがーーー
もっと倍率の高いズームレンズで遠くから撮らないと無理みたい。
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それは諦めて、
クンクンしながら青空背景のロウバイを満喫する。
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何度も書くけれど、
こういうアングルだとロウバイはまったく冴えない。
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サザンカも見落とさずに。
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ロウバイ並木の先にあったのは区立の集会所。
よく見ると杉並の「杉」が自販機で隠れている。
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これで北西南東の順に公園をぐるっと回ったことになる。
見逃したロウバイはないかともう1周。
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こんな小さなロウバイを見つけた。
背は低いが幹はけっこう太い。おそらく台木に接ぎ木する育て方。
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「梅里中央公園は隠れたロウバイの名所」とネットで探し当ててやってきたわけだが、基本的に普通の公園で名所というような風情はない。しかしロウバイの数はそこそこあって巡り歩く楽しさはある。数えはしなかったが40〜50本といったところ。

ただロウバイの木はどれもそれほど大きくない。まだ植え始めてから日が浅いのかな。あと10年ほどすれば東側通路なんかは、こんもりとしたロウバイ並木になりそうな気がする。ただ問題は、長生きしてその姿を見られるかどうか(^^ゞ


最後にロウバイをバエさせてくれた青空を見上る。
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そして梅里中央公園を後にして、
この近くの前から訪れたかった場所に向かう。
その話はいずれまた。
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おしまい

wassho at 20:23|PermalinkComments(0)

2024年01月20日

二番ウメは芝公園の銀世界で

観梅の季節はもう少し先。でも先週は駒沢公園を歩いていたら、思いもかけず今年の初ウメを見られた。そこで1月17には芝公園近くに出かけたついでに、芝公園の梅園である銀世界でも少しは咲いているかなと立ち寄ってみた。


梅林は1号地と呼ばれる芝公園南側のエリアにある。
マップ


ここが入り口。
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中に入るとまだ花を咲かせていないウメの木がたくさんあった(>_<)
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この梅園が「銀世界」と呼ばれているのは江戸時代の新宿に「梅屋敷銀世界」と呼ばれているところがあって、そこのウメを明治になって芝公園に移設したから。でもまあヘンな名前である。
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白とピンクが少しだけ咲いているのを見つけた。
高い位置に咲いいてデジカメではなくiPhoneだったので、これくらいが精一杯。
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でも展望台の横にそこそこ花をつけているウメがあった。
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まずは下から眺め、
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展望台を上がって真横から。
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見下ろせるのは展望台ならでは。
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そして手を伸ばしてマクロモードで接写。
ウメの花を見ると寒さを忘れるね。
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花は咲いていないけれど、
ウメの木と東京タワーのツーショットも。
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わずかとはいえウメの花が見られてハッピーな気分。ついでに立ち寄っただけとはいえ、まったく咲いていなければ落ち込んじゃうからね(^^ゞ

wassho at 15:19|PermalinkComments(0)

2024年01月12日

2024年の初ウメは駒沢公園

散歩がてらに駒沢公園を歩いていたらウメが咲いていた。
そんなことはまったく予想していなかったのでラッキー。

ピンクと白。
かなり小ぶりなウメ。
香りもよかった。
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まさに冬来たりなば春遠からじである。

冬来たりなば〜は文字通り季節の移り変わりの意味でも、またつらい時期を乗り越えれば幸せな時期は必ずやってくるとの例えとしても使われる。何となく古文調なので昔からあることわざのように思えてしまうが、実はイギリスの詩人パーシー・ビッシ・シェリーの長詩「西風に寄せる歌」の一節。存命していたのは1792年〜1822年なので江戸時代後期。

原文は

   If Winter comes, can Spring be far behind ?

WinterとSpringが大文字になっているのは擬人化されているかららしい。その意味がよくわからないので、擬人化はとりあえず無視して直訳すると

   冬が来るなら、春がはるかに遠いのはあり得るか?

あたりだろうか。原文は疑問文なのに翻訳では「春遠からじ」と肯定文になっている。誰がいつ翻訳したのかははっきりしない。しかし漢文調だから遅くても昭和の初期だと思う。

そして漢文調であっても平易な文章だし、また漢文調の格式の高さゆえに格言的に捉えられたのもこの一節が広まった理由に違いない。「冬が来たなら春はそう遠くない」じゃシェリーの詩を読んだ人だけにとどまっていたと思う。


さて(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
iPhoneでマクロ撮影。
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白梅は高い位置に咲いていたので1枚だけ。
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白とピンクのツーショットを狙ったものの、
花が小さいので思ったような写真にならず。
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咲いていたのはピンクと白の2本だけで、
他のウメはまだこんな状態。
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ウメだけだと駒沢公園だとわからないので、
最後にこういうのも載せておきましょう。
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2023年03月22日

芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜

昨年、散歩がてらにたまたま立ち寄って、時期的に満開のはずがない桜にビックリしたら、それはソメイヨシノではなくヒガンザクラだった芦花公園。それで今年は彼岸桜を眺めにどこかへ出かけようと思ったものの、どうにも名所らしき所を見つけられず。じゃあもう一度行くかと3月16日に訪れた。


この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。

蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。

左が蘆花で、右が蘇峰。
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その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。

そして名前については

  この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
  ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている

のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?

駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。

また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。

まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。

なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。



これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
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文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
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案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
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Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ

なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。


園内の雰囲気。
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当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。


規模は小さいものの竹林もある。
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母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
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秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
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ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。

ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。

  モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
  ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。

もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として

   ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
   コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。

とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。

それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
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狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
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なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
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共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
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徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ

なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。


徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
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コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
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そしてツバキやマツを眺めつつ、
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やって来ました花の丘。
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丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
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ーーー続く

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2023年03月18日

日比谷公園でリバティベルと菜の花と残り梅

前回に書いたオオカンザクラを見下ろせなかった三笠山を、
サクラとは反対方向に降りる。
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このあたりはマツが多い。
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少し進むと何やら奇妙なものが。
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自由の鐘と名付けられた鐘だった。
先ほどは自由の女神像を見つけたし、この日はなぜか自由に縁がある。
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後で調べた情報を付け加えて説明すると、

  オリジナルはアメリカのフィラデルフィアにある鐘。
  1776年の独立宣言公布の際に鳴らされたアメリカ独立の象徴的存在。
  全米各地にレプリカが設置されている。

  海外には日本、ドイツ、ベルギー、イスラエルにレプリカがある。
  日本へは昭和27(1952)年4月、マッカーサーの提案により贈られた。
  この年はサンフランシスコ平和条約が発効した年であり、
  占領下からの独立との意味があったのかも知れない。

  その後に壊れてしまったものを修復したというのが、
  写真のパネルに書かれている内容。
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  日付は平成24年だから2012年。
  「昨年10月」「60年ぶりに鐘が打ち鳴らされた」と書かれているから
  2011-60=1953 あれっ?????

たった1年で壊れたのかとか、それを60年も放置していたのかとかナゾが多いが、調べてもよく分からなかった。なおパネルに書かれている「辞達」とは弁論のことで、中央大学の弁論部のみが使っている言葉のようだ。「言葉が相手に伝わる」との意味。また「辞達学会」となっているのは、学者の集まる学会ではなく「弁論部」を指している。それにしても「辞達学会」なんて言われても何も伝わらないぞ(^^ゞ また1000万円も寄付した林勇二氏については検索してもそれらしき人物にはヒットしなかった。ChatGPTに尋ねても例によって自信たっぷりにウソばかり答えるし(/o\)


日本の鐘は外から突くのに対して、これは西洋式だから鐘を振って、中の振り子が鐘を叩く仕組み。振り子に勢いがつくまでなかなか鳴らないみたい。

パネルを読むと、鐘を振るにはリニアモーターが使われている。リニアモーターといえばリニア新幹線しか思い浮かばないが、いろいろなところで実用化されているものだ。

なおこの鐘は毎日正午に鳴っているらしい。道路を挟んで法務省があるけれど、お昼休みのチャイム代わりに聴いているのかな。


ところで自由の鐘は英語でLiberty Bell。そしてリバティベルといえば、私が大学生の頃にモンクレーと並んでオシャレダウンジャケットとして双璧だった存在で懐かしい。10年ほど前からモンクレーは20万円以上する高級ダウンとしてドヤ顔で着ている人をよく見かけるようになった。だったらリバティベルは?と久しぶりに思い出して調べてみたら、とっくの昔に消滅した模様(>_<) そういえば80年代の中頃過ぎには、もう着ている人を見かけなくなったように記憶している。

クラウドファンディングで復刻版などもあるようだ。ただしちょっと雰囲気が違う。当時のリバティベルはエナメルホワイトと呼ばれていた光沢のある素材だった。
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これは当時のものらしく、かなりくたびれているものの光沢感は残っている。まあこれが街中やゲレンデやディスコで眩しかったわけよ(^^ゞ また襟や袖にあしらわれたトリコロールカラーもリバティベルの特徴で遠くからでも一目で分かった。
LB2

画像はhttps://www.makuake.com/project/libertybell-2020とhttps://la.readyrspt.cyou/index.php?main_page=product_info&products_id=6056から引用


さて、
テニスコートの南側に来ると菜の花が咲いていた。
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菜の花を、野菜として育てたのが菜花だとずっと思っていたのに、どうも微妙に違うと最近に知った。だいたい菜の花という品種は存在しないらしい。参考までに農水省のページをリンクしておく。

だからこれの正体は不明なわけだが、
とりあえずは菜の花として黄色を楽しみましょう。
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春にウメやサクラのピンクを見ると心がなごむけれど、黄色は元気になるね。ただし写真でアップ気味に撮ると、画像全体が黄色味がかってシャキッとしないのがいつも不満。


第1花壇の南側にもカンヒザクラがあった。
まだ若い木みたい。
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やはりサクラで思い浮かべるものとは少しイメージが違う。
でもこれはこれで趣のある姿。
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ウメが3色。
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もう3月9日とウメのシーズンは終わりなので、
少し離れたら咲いているようには見えない。
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最後に雲形池で鶴の噴水を眺めて、この日は終了。
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それにしても、まさか日比谷公園に来て、
リバティベルのダウンジャケットなんて昭和の思い出話をするとは思わなかったゼ(^^ゞ


おしまい

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2023年03月12日

隅田公園なのに墨田公園?

向島百花園でウメを眺めて、スカイツリーで高いものを見上げる訓練(前回のブログ参照)をした後は隅田公園に立ち寄ってきた。


江戸時代から隅田川の川沿いはサクラの名所として親しまれた場所であるが、1923年(大正12年)の関東大震災の後に、東京の防災都市化&復興事業として浜町公園、錦糸町公園とともに整備されたのが隅田公園。隅田川を挟んで西側が台東区、東側が墨田区であり、それぞれの区立公園として管理されている。こういう自治体をまたぐ公園はめずらしいのでは。
地図

サクラで有名なのはもちろん、隅田川花火大会の花火もこのあたりから打ち上げられる。面積はどの資料でも台東区側10ヘクタール、墨田区側8ヘクタールと書かれている。しかし敷地を色づけしてみると台東区側が墨田区側の3倍近くありそうに見える。ちょっとナゾ


台東区側の隅田公園は、その中にある「梅めぐり散歩道」を2021年に歩いたので、今回は墨田区側を訪れた。スカイツリーからは徒歩10分ほどの距離。


公園の入口。
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ブログのタイトルがおかしな文章になっているのは、
この標識が原因。
25DSCF2607のコピー

隅田公園は台東区側が「隅田」公園、墨田区側が「墨田」公園ではなく、どちらも「隅田」公園である。なのにここには墨田公園広場一帯と「墨田」の文字が使われている。どうして? 標識の下の石垣にはしっかり「隅田」公園と彫られているのに。

ひょっとして「墨田公園広場」とは、隅田公園内の広場につけられた固有名詞かと思い検索してみたが、そんな名前では1件もヒットせず。なおかつ公園内の広場(最初の写真の奥のほう)は「そよ風ひろば」との名前だと判明! よってますます意味不明(/o\)

では他の標識はどうなっているか。実はブログを書くため写真を整理しているときに「墨田公園広場」の文字を見つけた。だから現地で疑問に思っていたわけではない。私がまたこの公園に行く機会は当分ないだろうから、誰か真相を解明してちょうだい。


サクラがメインの公園なのでウメは数えるほどだけ。
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ちょっと雰囲気がよさそうな場所があったけれど、
工事中で近づけず。
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池を改修しているようだ。この池の周りは日本庭園としての造りになっているようなのだが、工事中で立ち入れなかった。
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それと庭園の風景そのものは変わっていないはずなのに、ブルーシートが見えるだけで趣きがほとんど感じられなくなるものだと妙なところに目がいく。


公園内にある牛嶋神社。
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この神社について検索すると、すべての情報で「牛嶋」神社と表記されている。なのに境内にあるこの石碑は「牛島」神社。隅田公園は漢字の使い方がちょっと変わっている?
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よく見ると「島」の下のほうは「山」だけではなく「ヒ」みたいなものが書かれている。こんな漢字は初めて見た。

境内の河津桜は満開。
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そろそろ帰ろうかと、
また工事中の池のそばを歩いていたときに見つけたのが、この烈公梅。
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案内板に書かれていた「水戸にしかない品種とされる」の表現。まあ言いたい意味は分かるとしても、現にここ東京都墨田区で咲いているのだから、ちょっと違和感を覚えたり。また大輪と書かれているものの、ごく普通サイズの花だった。なお墨田区側の隅田公園は水戸藩の屋敷があった場所。
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案内板にあるように烈公とは幕末の水戸藩主である徳川斉昭(なりあき:最後の将軍である徳川慶喜よしのぶのお父さんね)の諡号(しごう)である。諡号とは身分の高い人が死んだときに贈られる名前。

烈(れつ)とは激しいや厳しいなどの意味で強烈や激烈などの単語が思い浮かぶ。徳川斉昭は気性の荒い人物だったため、この諡号が贈られたとされる。しかし死者を敬うための名前としてはちょっとヘン。彼は徳川御三家の当主だから、幕府としても無下(むげ)には扱えない人物。ただし最後は井伊直弼との政治闘争に敗れて謹慎処分となり、それが解けぬうちに病死している。諡号を贈るのは権力側だろうから「ああ、うるさい奴だった」という意味が込められていたのかも(^^ゞ

でも烈公梅と名付けられたウメは、その名に反してとても可憐で美しい。
この姿に似合う名前にしてあげて欲しかったな。
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向島百花園でウメを眺めて、スカイツリーを見上げた後は、
この烈公ちゃんで見納めして終了。

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2023年03月09日

向島百花園でウメとスカイツリー その2

白梅と濃さの違うピンク梅3本。
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前回でも紅梅の色について書いた。白でなければすべて紅梅とする考えもあるし、そこまで極端でなくても上のピンクの1枚目くらいに色が濃ければ紅梅と呼ぶことも多い。しかし紅とは赤より鮮やかで深い色だと捉えているので、やはり下の写真くらい赤純度が高くなければ紅梅ではないというのが私の感覚。写真は2015年に神代植物園で撮ったもの。
紅梅DSC02277


同じ順番でアップを。
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白梅と紅梅あるいはピンク梅が重なっている風景は美しい。
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グリーンとの組み合わせも生命感があって悪くない。
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先日の新宿御苑で初めて見たフクジュソウと、
サンシュユも向島百花園に咲いていた。
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その時も書いたように、サンシュユの黄色はウメの花を引き立てるので一緒に植えて欲しい。この写真も神代植物園。
サンシュDSC02183



ウメ以外いろいろ。
フヨウは枯れた姿がドライフラワーみたいで印象的。
咲いている様子はここをクリック
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侘助(わびすけ)はツバキの一種。
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木五倍子と書いてキブシと読む植物の実。
漢字を分解すれば五倍が「ブ」に当たるけれど、まあ読めないわな。
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キブシの実からは黒色の染料が取れ、お歯黒の材料として利用されたそうだ。それにしても昔は歯が黒いのが美しいとされたのだから、美の感覚って変わるものだ。
お歯黒

     画像はhttps://www.pinterest.jp/pin/820358888356471403/から引用


例によって逆光のスケスケ写真を撮る。
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園内のウメ風景いろいろ。
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昨年に訪れた京王百草園と名前が似ているから、何となく同じような雰囲気を想像していたものの、広さや品種数はかなり違って、向島百花園はコンパクトな梅園だった。園内を何度も回ったが、それでも滞在時間は45分ほど。ちょっと物足りない。

そういえばシダレのウメがなかったなと思っていたら、
入口に鉢植えで出迎えてくれていたのを帰るときに気づく(^^ゞ
こんなのがベランダに欲しいね。
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おしまい

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2023年03月08日

向島百花園でウメとスカイツリー

先日に訪れた新宿御苑は、広くて美しい庭園を歩けて満足度は高かったものの、よく考えたらウメの種類は少なかった。そこでもうひとつくらい梅園を見に行くかと。


訪れたのは2月28日で墨田区にある向島(むこうじま)百花園。

隅田川と荒川に挟まれたエリアのだいたい上1/3くらいが墨田区である。その下が江東区。墨田区が「隅田区」じゃないのは、江戸時代から隅田川の堤は「墨堤(ぼくてい)」と呼ばれており、そちらの名前(というか漢字)に馴染みがあったからとされる。
地図

では本来なら「隅田堤(すみだつつみ)」のはずが、なぜ「墨堤(ぼくてい)」と読み替えられたのか。江戸時代から隅田川の堤は桜の名所。当時流行った漢詩でここを詠むときに「隅」を音読みして「墨」にしたようだ。つまり中国風の当て字みたいなものかな。

ところで江東区(こうとうく)は江戸の東側だから江東区かと思っていたが、「江」とは大きな川の意味で隅田川の東側だから江東区。日本で江=川のイメージはないから、中国の揚子江の江を思い出して。中国語では川の大きさの順で江>河>川なんだそうだ。そういえば黄河というのも教科書に載っていた。


東武スカイツリー線の東向島駅で下車。スカイツリーの開業(2012年)にあわせて東武伊勢崎線の一部区間に東武スカイツリー線の愛称が使われるようになった。
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線路の高架沿いにレトロな列車が置かれているのは、
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高架下を利用した東武博物館があるから。
いわゆる鉄道博物館。
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この標識に沿って真っ直ぐ進めばいい。
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こういう町並みを通り抜けると、
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百花園入口の交差点がある。
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道路の風景を撮り忘れたが、交差しているのは明治通り。
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明治通りといえば渋谷〜原宿あたりのイメージが強いものの、
環状5号線でもあるので、実はグルッと東京を回っている。
明治通り



明治通りを渡るとすぐに向島百花園が見えてくる。
ただし入口は写真左側の先。
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壁が途切れたところを入ってみると児童公園になっていて、
アレッ?という感じ。
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向島百花園の入口は児童公園を突っ切った先にあった。
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入園料は150円。
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この門をくぐれば、
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ウメワールドが広がっている。
23区内だし駅近だし、高い建物に取り囲まれているのは仕方ないところ。
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白いウメは白加賀。
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こちらは紅千鳥。
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ウメの色は白かピンクか赤である。言い換えれば白から赤までの範囲がある。しかし言葉としては白梅と紅梅のふたつだけ。写真のウメの名前は紅千鳥。しかし赤でも紅(べに または くれない:濃い赤を意味する)でもなく濃いめのピンクである。どこまでを紅梅と呼ぶのかといつも思う。いっそ桃梅という単語を作ればとも考えるが、そうするとそれがモモなのかウメなのかわからなくなる新たな問題が(^^ゞ

なお分類学的?に白梅と紅梅の違いとは花の色ではなく、枝や幹を切ったときの断面の色で区別されるらしい。そして白い梅の木から赤い花が咲くこともあれば、その逆も。つまり真っ白な紅梅もあり得るわけで、ウメの色は何かとややこしい。
33断面

      画像はhttps://note.com/ladylike/n/n42b7965f769cから引用


(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
紅白のウメを楽しみましょう。
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ウメとスカイツリーの組み合わせもオツなもの。
スカイツリーまでの距離は約1.5キロ。
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池を渡る石の上から、
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右見て左見て。
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上の写真とこの園内マップと照らし合わせれば、どれくらいの広さなのかイメージできると思う。敷地面積は約8800平米だからあまり広くない。
園内マップ


東京の雪吊りに実用性はなく、単に冬の風情を演出するためのもの。
もう春なんだからとっとと撤去して欲しいな。
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新宿御苑で立派な松をたくさん見てきたばかりだからーーー
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わずかだけれど竹林もある。
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園内にはこんな石碑がそこら中に建っていて全部で29基もある。
ちょっと多すぎて目にウルサイ。
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これは幕末から明治中期にかけての浮世絵師、月岡芳年(つきおか よしとし)の記念碑。彼の生涯が記されているようだ。もちろんまったく読み取れず(>_<)


はぎのトンネル。萩が咲くのは秋なので今はただの竹細工。
秋の様子はここをクリック
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竹格子から眺めるウメもまたよし。
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ーーー続く

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2023年02月26日

新宿御苑で梅と福寿草

上野公園の五條天神でウメ、品川の荏原神社でカンヒザクラを眺めたものの、どちらもスケール的に物足りず欲求不満な感覚が残った。それで本日の朝から晴れ上がった青空を見ていると、どこかたくさんウメが咲いているところへ出かけたくなり。

ただもうウメの名所はそこそこ巡ったし、これといって新たにすぐ思いつくところがなかった。出かけようと思い立ったのが昼前なので、ネットで調べたりする余裕もあまりなく。というわけで「新宿御苑ならきっとウメもあるだろう」との安易な発想で(^^ゞ 場所を決定。


いつものように新宿三丁目駅で降りて新宿門へ。
何となく工事中の雰囲気。
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えっ!ひょっとして休園中?と一瞬あせったが、
どうやら出入り口の改修をしていただけのようで、少し迂回するだけで苑内に入れた。
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券売機前はそこそこの混雑。
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でもPASMOやSuicaなどの交通系ICカードを持っていれば、
チケットを買わずに入場できる。
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その割に並んでいる人が多いのは、気づいていないのかな。もともと新宿御苑は入場チケットにQRコードが印刷されていて、それを駅の改札に似たゲートにかざすという謎システムだった。それはこのICカードでの入場に備えてのことだったのだろうか。去年の春に八重桜を見に来たときにICカードはまだ使えなかった。とにかく便利だから、あらゆる入場チケットを買わなければいけない施設に早く普及して欲しいもの。



ゲートをくぐってすぐの所にあるロウバイは既にご臨終状態。
今シーズンはどこにもロウバイを見に行かず、あの香りをクンクンできなかった。
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入場者のだいたい3/4位の人はゲートから真っ直ぐ芝生広場の方に進んでいく。
私は右折して日本庭園方向へ。
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遠くにウメが見え始めてテンションが上がる。
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ウメや池を見下ろす位置から日本庭園に近づく。
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これこれ、こういうボリュームでウメを見たかったのよ。
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意図的にボカしたのではなく、手前の枝にオートフォーカスが合ってしまったピンボケ写真なのだけれど、とても柔らかい印象になって結果オーライ(^^ゞ
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ウメの右隣にあるのは、
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満開状態で葉が出ているからヤマザクラの一種だろう。
ヤマザクラにも早咲きがあると知る。
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ヤマザクラは茶色の葉を出すのであまり好きではなかったが、
これはけっこう可愛かった。品種名は表示されていなかった。
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でもやはり葉桜なので、離れて眺めれば地味な印象は否めない。
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私が見て回った範囲で新宿御苑にあったウメはこのピンクと白の2種類だけ。65品種が植えられているサクラと較べると、あまり重視していない模様。またここは品種表示が充実していないので、このウメの品種は分からなかった。
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ウメは縦に延びるので、小さく可憐な花なのに力強さを感じる。
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不思議と立体的に撮れた1枚。
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ウメと月!
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ピンクと白のミックスで。
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空を背景にするのと、周りの景色一緒に撮るのとでは印象が変わる。
ただし肉眼では脳が花に集中するのか、写真ほどの違いを感じない。
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豆粒のようになっているツボミを眺めるのも面白い。
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ウメの木の下に福寿草が咲いている場所があった。春の訪れを告げる花としてよく取り上げられるのに、今まで見たことがなかった。名前も縁起よさそうだし初対面できてうれしい。
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葉は少しヨモギに似ている。
ただしこんなにカワイイ花なのに福寿草は毒草(>_<)
かなり強い毒性を持っているらしい。
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ーーー続く

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2023年02月22日

五條天神(上野公園)のウメ

昨日、東京都美術館でエゴン・シーレ展を見てきた。美術館は上野公園にある。上野公園といえばサクラが有名だけれど、あれだけ広いのだから、どこかにウメもあるだろうと調べてみると、1件だけヒットしたのが五條天神という神社。とりあえず美術館を訪れる前に立ち寄ってみた。


西郷銅像の近くの出入り口からさくら通りを歩く。
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右側に京都の清水寺を模した清水観音堂。
朱色に塗られている部分がいわゆる清水の舞台になっている。
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左側には不忍池(しのばずのいけ)が見下ろせる。
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この場所から斜め左にそれたところに、
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鳥居が連なった入口がある。
めずらしい光景なので、ここは外国人に人気の場所。
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五條天神社と花園稲荷神社の2つの名前。
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赤鳥居をくぐり抜け、
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階段の下にもまた赤鳥居。
全部で30本くらいだったかな。
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最初に現れるのは花園稲荷神社。
このお堂があるだけのこぢんまりとした規模。
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その下に五條天神。
こちらはまあ普通サイズ。
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そんなことよりもウメが5本ほどしかない。
かなり期待外れ(/o\)
上野公園のウメ情報を検索してもほとんどなかった理由が分かった。

一般に天神あるいは天満と名のつく神社は菅原道真を祀っている。それは彼を神格化したときに「天満大自在天神」との呼び名(戒名みたいなもの?)を用いたから。そしてウメ好きだった菅原道真にちなんで、天神あるいは天満宮にはたくさんのウメがつきもの。

しかしもともと天神とは、天にいる様々な神々を意味している。菅原道真が有名で彼の代名詞のようになっているが天神=菅原道真じゃない。ここ五條天神が祀っているのは大己貴命(おおなむじのみこと 別名おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。ただし神社界にも天神=菅原道真の雰囲気があるらしく、後に「社名に天神がつくのだから」との理由で菅原道真も合祀されている。

というわけで菅原道真メインじゃないから、ここはウメが少ないのかな?


それはさておき、
今年初めて見る満開の白梅。
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白とピンクのツーショットで。
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ピンクのしだれウメ。
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もうひとつツーショットとアップ。
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大きな鳥居(こちらが正門)の横にもピンクの花が。
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河津桜だと思うが、見慣れた河津桜とはちょっと雰囲気が違ってどこかウメっぽい。
サブ扱いされたミチザネの祟りか(^^ゞ
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神社らしい雰囲気を眺めて、
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赤鳥居をまた登って神社を出ると、お地蔵さんの向こうに変わった形のものが。
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これはパゴダ様式(ミャンマー様式)で建てられた仏塔。
祀られているのは薬師如来。
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合格祈願の絵馬がたくさん。
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それはここに上野大仏があるから。
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上野には江戸時代から大仏が3回作られ、地震や火災によって失われている。3つめの大仏が作られたのは江戸時代後期の1843年(明治維新が1868年)。1855年の安政地震によって頭部が破損し修復される。しかし大正12年(1923年)の関東大震災によって再び頭部が落下。

頭部が落ちた大仏(>_<)
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大仏は解体して保管されていたが、顔面以外の部分は戦時中に軍需金属資源として供出させられてしまう。昭和47年(1972年)に残っていた顔面部をレリーフとして大仏があったこの場所に安置。パゴダ様式の仏塔は、その5年前に建てられた大仏再建を願う祈願塔。

何度も頭部が落ちた大仏であるが(初代も地震により頭部落下)、顔面だけのレリーフとなったことで「もう落ちない」だろうと受験生が験担ぎに訪れるのだそう(^^ゞ



さくら通りを進んで中央の広場。正面に見えるのは東京国立博物館。
青空に雲の模様がバエてるね。
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上の写真から90度回れ左をして進むと上野動物園。
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いみじくもこの日はパンダのシャンシャンが中国に送り返された日。観覧最終日となった19日には多くのファンが動物園を訪れていた。それはまあ分かるとして、ニュースを見たらなんと本日も上野動物園を出発するパンダを見送りに来た人が150人、成田空港にも300人が詰めかけたそうだ。もちろんシャンシャンはトラックや飛行機に乗っているので姿は見えない。それでも最後の挨拶をしたかったということなのだろう。おそるべしパンダ愛(^^ゞ
上野

成田

    写真はhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF210AH0R20C23A
    2000000/とhttps://mainichi.jp/articles/20230221/k00/00m/040/121000c
    から引用


動物園前の郵便ポストはパンダのデザインでかわいい。シャンシャン返還が大騒ぎになったので勘違いしている人もいるけれど、上野動物園にはまだ4頭のパンダがいるよ。
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動物園入り口から斜めに進んだところにレンガ造り建物の東京都美術館がある。
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エゴン・シーレ展についてはまた後日。
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2022年03月21日

京王百草園で傾斜地ならではのウメを楽しむ その3

この池は心字池(しんじいけ)と名付けられている。
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心という漢字を模しているから心字池なのだが、以前に書いたように文字の形を無視している心字池がほとんど。つまり池につけられがちなネーミングでしかない。この写真を見ればここもそうなのは明らか。

でも雰囲気がいいからヨシ!!


それはさておき、
この池の周りは適当にシャッターを切っても、
それなりにサマになるので助かる(^^ゞ
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こういう雰囲気の中でウメを眺めると幸せな気分になるね。

ところで、この日(3月12日)はポカポカ陽気で東京の最高気温は21.3度を記録。前日からそういう予報だったので、半袖ポロシャツ&スウェットの上着という服装で出かけた。最初に書いた急坂もあったし、園内も坂だらけで暑くなって上着はすぐに脱いだ。まさか半袖でウメを鑑賞するとはビックリである。


座って抹茶でもいただきたいところであるが、
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ここは撮影用に設けられた席だった。
バエる写真を撮れるようにこういう気配りも必要な時代である。
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百草園の歴史。
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ここから5キロほどしか離れていない府中市は、律令時代に国府(その地方を統括する役所)が置かれていた。現在は東京郊外であるこの地域は、江戸時代になるまでは関東の中心地。だから看板に大寺院と書かれている真慈悲寺(しんじひじ)はそれなりの規模だったはず。またこの説明にはないが、江戸時代に建立された松連寺(しょうれんじ)の庭の一部としてとして百草園が作られたみたいだ。


これはその松連寺を創建した寿昌院(じゅしょういん)という尼僧が、自ら植えたと伝えられている寿昌梅。寺が建てられたのは享保年間(1716〜1736)のこととされているから、事実だとすれば樹齢は少なくとも286年で、日本でも有数の古木ということになる。そのせいか花数は少なかった。
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出口に向かう下りの途中に、本日4つ目となる黄色い花を発見。
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ミツマタだった。
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ミツマタは枝が3つに分かれるから三つ叉。でもよく見ると枝先では花も3つに分かれて咲いている。ということは3×3でココノツマタ?
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最初のエリアにまた戻って、斜面で密集した(ように見える)ウメの姿を楽しむ。
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百草園は園内の半分しかウメは植えられていないし、全体的にも思っていたより規模は小さかった。しかし庭園風な造りがウメを引き立ていていて、満足度は期待値以上。なんたって斜面のウメは最高! 脚の悪い人以外には自信を持ってお勧めできる。


ところで、
百草園の手前は心臓破りの急坂だと一番最初の投稿で書いた。しかし園内で配布されていた京王電鉄ではなく、日野市発行の散歩の達人というリーフレットによると、そこを避けるルートもある模様。
散歩の達人

どれくらい楽になるのか、またどれくらい余分に時間が掛かるのかは不明だが、百草園のホームページにもこの情報が欲しかったな。



おしまい

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2022年03月20日

京王百草園で傾斜地ならではのウメを楽しむ その2

百草園は丘の斜面を利用して作られており、そのいわば中腹あたりに休憩所が設けられている。そこから眺めるウメも見事である。
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さらに上を目指す。
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謎の洞窟?
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上にあったのは展望台らしきスペース。
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写真が貼り付けてあるだけで何も説明はなかったが、
ここから富士山が見えるということなのだろう。方角は南西。
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見えたのは団地だけ(/o\)
前回に書いた筑波山と違って、富士山が見えないとチェッという気持ちになる。
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でも満開の梅を見下ろすことができたので満足。2枚目の写真中央にあるのは巨大なイチョウ。紅葉シーズンにも来てみようかな。
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斜面の上にウメは植えられていない。
竹を見たり木の根っこを見たりして、山歩き気分を味わう。
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少し下まで降りてくると池が見えた。
ここは休憩所の奥に広がっているエリア。
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池の畔にあった松尾芭蕉の句碑。
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石碑の文字は達筆すぎて読めないが、隣に普通の文字で書いた看板がある。

   志ばらくは
   花の上なる
   月夜かな

「志ばらく」はおそらく「しばらく」のことだと思うが、ネットで検索しても蕎麦屋の店名しかヒットしなかった(^^ゞ

松尾芭蕉が生きたのは大規模な照明のない江戸時代。だから、月明かりが出たので夜でも花見ができるぞと喜んでいる、そしてそれはわずかな時間でしかないと惜しんでいるような意味だと思う。

しかしこの花とはサクラのことだろう。奈良時代までは花見といえばウメだったが、それ以降はサクラに変わっている。百草園はサクラも多少は植えられているが別に名所でもない。それなのになにゆえこの句を選んだ? 付け加えると百草園は江戸時代から続いているものの、造られたのは松尾芭蕉が亡くなってから後のことであり、彼がここに来たわけでもない。


ところで
入口近くの庭園でロウバイが、傷みながらもまだ咲いていたことは前回に書いた。また黄色い花が見えて何となく元気そうだったので、こちらのロウバイは遅咲きの品種かと思って近づいてみると、
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サンシュユという木だった。
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花の大きさはウメと同じくらいだし、上に伸びる咲き方も似ている。もちろんウメに黄色はないから、各地の梅園はもっとサンシュユとウメを一緒に植えて欲しいな。ウメと一緒に写っている写真キレイでしょ。


池の周りをウロウロ。
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藁葺きの家屋。
中に上がることはできないが、縁側は自由に座れて座布団まで置いてある。
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そのそばに咲いていた黄色い花はマンサク。
この花には割りと馴染みがあるが、いつも錦糸卵を連想してしまう(^^ゞ
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ーーー続く

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2022年03月19日

京王百草園で傾斜地ならではのウメを楽しむ

3月12日は今シーズンの観梅ハイライトとして京王百草園へ出かけてきた。ここはウメの名所として名高く、バイクで観梅ツーリングをしていた頃から気になっていた場所。ただしバイクを駐める場所がないので訪れていなかった。

京王というのは京王電鉄が経営しているから。百草園は「もぐさえん」と読む。百草はこのあたりの地名である。元から植物の多いところだったのだろうか。

場所は東京の西にある日野市(地図では少し色が薄くなっている)。決してメジャーとはいえないが、八王子の手前といえばイメージできる人は増えるかも知れない。東京駅からだとJR日野駅までの直線距離は約34キロ。ちなみに東京23区という呼称はよく知られているが、東京にはそれ以外の自治体として26の市、4つの町、9つの村がある。
地図



京王線の百草園駅。1つ手前の聖蹟桜ヶ丘駅周辺はかなり賑やかなのに、いきなりローカルな感じになる。京王線はこのパターンが多いような。
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まずはこの道路を200メートルほど。
おそらく百草園目当てだろうという人々が歩いていたのでついていった。
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この看板で脇道に入る。
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登り坂。百草園のホームページには「途中急坂がある」と注意書きがある。そこそこの勾配だが、それほどでもない。ーーーこのあたりまでは
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次の看板。
「あとひといき」なんて気が利いている。
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その看板の隣に湧き水?のようなものがあった。
ただし飲んでいいとも、いけないとも書かれていない。
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その次の看板。
たった130メートルかと安心したら、
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ここからがキツかった。
写真じゃそれほどの急勾配には見えないかも知れないが。
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道路に手すりがついている場所なんて見たことある?
それくらいの急坂。
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下り側にはこんな標識まで。
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130メートルが斜面の距離なのか、平面上での直線距離なのかは分からないが、たかが130メートルである。それでもかなりキツかった。コロナ対策のマスクを鼻の下まで降ろし、それでも息苦しくて顎の下まで。



息絶え絶えで(>_<) 百草園に到着。
入口の先が階段になっているのが見えたから、しばらく入らずに息を整えたほど。
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敷地の外からでも名所だと分かる。
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いざ参る。
券売所の上のウメもいい感じ。
入園料は300円。
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階段を上って、
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最初に入ったのは案内図で4のところ。
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間近で見るウメはもちろん美しいけれど、
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このコンモリと密集したした咲き方がたまらない。
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これは傾斜地ならではの光景。ずいぶんと規模は違うが、こういう眺めは2014年に訪れた木下沢(こげさわ)梅林以来だと思う。心臓破りの坂道を登ってきた甲斐があったというもの。


茅葺きの東屋(あずまや)などもあって雰囲気もいい。
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なんとロウバイがまだ咲いていた。とっくにシーズンオフなのに、ここは郊外で都心より多少は気温も低いから、まだ持ちこたえているのだろうか。
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でもまあ花はかなり痛んでおり、この程度の距離からの写真が精一杯。
残念ながらほとんど香りもしなかった。
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さらに階段を上っていく。
足腰が悪くなったら、ここへは来られないね。
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見下ろしてウメいっぱいの景色。
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こんな感じに木々が植えられている場所で、
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スプリンクラーを発見。
公園や庭園で見かけるのは珍しい気がする。
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この茶色いのはカサカサになったカエデの葉。
意外と落ちないものなんだ。
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さらに高いところから、これは北東方向の眺め。
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2本のビルが並んでいる後ろに筑波山が見えるらしい。
この日は見えなかったが、筑波山なら見えなくても別にいいか(^^ゞ
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ーーー続く

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2022年03月16日

芝公園のウメ 銀世界 その2

銀世界の梅林をブラブラ。
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これはミモザで元気いっぱいの黄色い花。
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アカシアの仲間で黄色い花を咲かせる木の総称がミモザ。
ミモザサラダは、これが入っているのではなく黄色いのはゆで卵ね。

ところでこのミモザは、
なぜか芝公園・梅林の中に一軒家の料亭風の飲食店がありがあり、そこの敷地から公園側にはみ出していたもの。東京都が経営しているわけでもないのに、どうして都立公園の中に店を建てられるのかが不思議。土地の権利関係がいろいろ複雑なんだろうか?


少し高い場所から見下ろして。
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上の写真の紅白部分を、
ズームレンズで寄ってみたらまた違う表情に。
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逆光でほんわかした雰囲気もいいもの。
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色違いをアップであれこれ。
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せっかくの芝公園なのだからウメと東京タワーを一緒に収めたいと、梅林内をあちこち探したのだが、これといった場所が見つからず。それで一番マシだったのがここからの光景。もう少しウメがたくさん密集して咲いている感じで撮りたかったな。
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実は芝公園には河津桜が1本だけあって、
そこからは景色の抜けもよく東京タワーがよく見えるらしい。
後で行くつもりだったのに、ウメを見終わったらすっかり忘れてしまい(^^ゞ

まあ楽しみは来年に取っておきましょう。


おしまい

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2022年03月15日

芝公園のウメ 銀世界

先週、芝公園の近くまで出かけたので、ついでに公園の一角にある梅園を見てきた。サクラとイチョウやカエデに続いて、芝公園で花見というか植物を楽しむのはこれで4度目。


毎度おなじみの位置から東京タワー。
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上の写真を撮った場所のすぐそばは、芝公園で一番イエローオータムが多いエリア。私がゴッホのイチョウと名付けている燃え上がるようなイチョウの葉を落とした姿。
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後ろにそびえ立っているのは「ザ・プリンス パークタワー東京」。数あるプリンスホテルの中でも高級ブランドに属するホテルだが、他の30ほどのホテルや施設と一緒にシンガポールの政府系投資ファンドに売却されるという報道が2月にあった。かつては経済ニュースで話題の絶えなかった西武鉄道グループとセゾングループも、最近はこんな話しかーーー(/o\)


300メートルほど歩いて梅林のあるエリアへ到着。
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ここから見えている範囲で全体の2/3くらい。
それほど広くはない。
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こういうふうに違う色のウメが重なって見えるのが好き。しかしどこの梅林でもそういうところは少ない。見た目にはイイ感じだと思っても写真に撮るとそうでもなかったり。これもそういった1枚。
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上へ上へと伸びていくような力強さもウメの魅力。
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このウメには鳥が止まっていた。
定番のメジロじゃないのは確かでも、それ以上のことは分からず。
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芝公園の梅林は銀世界という名前がついている。
江戸時代に新宿にあった、そう呼ばれていた梅園を明治の終わりに移設したようだ。
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でも銀世界というと雪景色のことを連想してしまうから、何となくウメとはマッチしていないような。ところでよく考えると雪は白いのにどうして銀世界なのだ。白銀ともいうが白だけでいいのになぜわざわざ銀を足す必要がある?

一説によると昔の日本語では(いつ頃かは不明)白というのは光沢のない白い状態を指し、そして光沢のある白は、例えば白い絹織物なども銀と呼ばれていたらしい。それで雪は太陽を反射して光るから銀と表現されたと。

とりあえずそれはいいとして、
しかしウメは光らないぞ。ナゾ



ーーー続く

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2022年03月12日

湯島天神でウメとメジロと猿 その3

湯島天神は梅まつり開催中で、境内にはいくつかの出店があった。しかし訪れたのが平日だったせいか2つ前のブログに書いた甘酒以外は営業しておらず。

でも猿回しをやっていた。


ウメを背景にした華やかな舞台で出番待ちの猿回しとお猿さん。
のぼりを見ると日光さる軍団の所属。
お兄さんはずっとスマホをいじっているのが今っぽい光景。
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お猿さんは手持ち無沙汰で退屈そう。
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この猿はなごみちゃんというメス猿。
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注意書きに「お猿さんの世界では目が合うとケンカの合図」と書かれている。
ヤンキーの語源はモンキーだったのか(^^ゞ


さて始まり始まりーーー
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タンバリンを叩いたり竹馬で歩いたり。
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転んでみせるのも芸のうち。
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ハードル3つ越えで大拍手。
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次は高さにチャレンジ。
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飛ぶと見せかけて下をくぐったり、
お兄さんにキックを入れたりはお約束(^^ゞ
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そして見事にハイジャンプをクリア!
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先ほどのもけっこうな高さだったが、
今度は上に棒を1本加え、下は台でかさ上げ。
お兄さんの身長と見較べると2メートルほどの高さ。
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さすがにこれはジャンプだけではクリアできないので、
お兄さんの肩まで駆け上がって飛ぶとのこと。
今までなかった着地用のマットも敷かれた。
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ヤンヤの大喝采!
ステージと観客が一体になる感覚があって盛り上がった。
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ただ何となく猿がお兄さんの肩からジャンプする瞬間に、彼も立ち上がったような気もしたけれど。それとセッティングの写真を見ると「付け足した棒と下の台の高さ」から「かがんだお兄さんの高さ」を引くと、ハードルの実質的な高さは1つ前のハイジャンプと変わらないことが分かる。

そんなことを考えると楽しめないから、気づかなかったことにしよう(^^ゞ

最後に逆立ちをしてくれたなごみちゃん。
袴から尻尾がでているのがカワイイね。
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まったく話は変わって、
サクラは枝じゃなくて幹に直接花が咲いている胴咲きをよく見る。
今まで見過ごしていたがウメにもあるみたい。
サクラと違って多少は枝が伸びるようだ。
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そろそろ帰ろうかと、
最後にまたウメを見上げていたら、
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メジロがいるのを発見!
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先日、西郷山公園で寒桜の枝に野生化した緑色のインコがいるのを見たが、ウメやサクラの写真によくあるメジロを見たのは初めて。いやあ風流ですなあ。ただ光量不足でメジロの色が冴えないのが残念。


今回のブログが「ウメとメジロと猿」と変わったタイトルなのは、こういう理由から。湯島天神のウメは「まあ普通」だったが、猿回しとメジロで楽しめたひとときだった。


おしまい

wassho at 20:43|PermalinkComments(0)

2022年03月11日

湯島天神でウメとメジロと猿 その2

訪れたのは3月7日。この日は晴れてはいたものの極薄の雲が空に広がっている感じで、鮮やかな青空を背景にできなかったのが残念。またそういう光量があまり十分でない場合は、ピントも甘くなることが多い気がする。いろいろとカメラの設定をいじればいいのだろうけど。


薄めのピンクのウメ。
こういうのが一番なごむ気がする。
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枝とガク(花びらを支えている部分)がグリーンなので、
花びらは白いのに何となくグリーンぽさを感じるウメ。
爽やかな感じがしてこれもよし。
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湯島天神で一番色の濃いのがこの木。
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白梅なのに、数本だけピンクの花が咲いていたウメ。
突然変異みたいなものか。
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ピンと立った雄しべと、しなっとした雄しべ。
これは品種の違いなのか、開花からの経過時間の差なのか?
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あれこれ。
いわゆる深紅の紅梅がなかったのが残念。
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天満宮なので狛犬の台座にもウメ。
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境内にはいくつもの石碑があって、これには「講談高座 発祥の地」と書かれている。いわゆる一段高い場所で喋る高座はここから始まったらしい。その理由を読めば聴衆目線での配慮ではなかったようだ。落語の高座は講談とはまた別なのかな。
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これはガス灯。
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こちらがその解説なのだが異議あり!
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ここには「これは都内で屋外のガス灯としては唯一のもの」とあるが、私の知る限り少なくとも銀座にもガス灯はある。調べてみたら銀座のガス灯が復元されたのは昭和60年(1985年)。だからこの看板が制作された当時の解説としては正しいが、それをそのまま37年間も放置ってどうよ(/o\)

   厳格なエリート官僚だったミチザネが草葉の陰でーーー


ガス灯は単にガスの炎で照らしていると思っていたら、アップで撮るとメッシュの繊維状のカバーが被せてあった。もっともその部分は小さいし、昼間だったせいもありガス感はまったくなく電球が光っているように見える。
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湯島天神にはいくつかの出入り口があって、
これは東側にある男坂と呼ばれる急階段。
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男坂と直行して南北に延びているのが緩やかな女坂。
今じゃこんなネーミングはつけられないね(^^ゞ
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女坂の横の斜面にもたくさんのウメが植えられているが、
少し日当たりが悪いのか、まばらな咲き具合だった。
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ーーー続く

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2022年03月10日

湯島天神でウメとメジロと猿

ロウバイは見頃過ぎでウメは見頃かなり前だった池上梅園、散歩がてらに訪れたらウメが咲いていた菅刈公園駒沢公園に続いて、今年の本格的な観梅の第1弾は湯島天神。


神話においては天にいる神々が天津神(あまつかみ)で、略して天神。それに対して地上にいる神々が国津神(くにつかみ)。略すととなぜか漢字が変わり地祇(ちぎ)と呼ばれる。というわけで天神とはいわば神々の総称なわけであるが、いつの頃からか一般的には神として祀られている菅原道真(みちざね)のことを指すようになった。

その菅原道真を祭神とするのが天満宮。全国各地に〇〇天満宮があって、通称として〇〇天神と呼ばれることが多い。そして道真がウメの花を好んだことから、ほとんどの天満宮にはウメが植えられていて名所となっている。一番有名なのは京都の北野天満宮だろう。

湯島天満宮は、亀戸天神社・谷保天満宮と並んで関東三大天神と称される。ただしウメに関してはガッカリ名所だともよく聞く。でも有名どころだし一度は訪れておくかと。なお亀戸天神社谷保天満宮は訪問済みなので、これで関東三大天神をコンプリート。


湯島は「湯島の聖堂」なんて教科書で習うから、それなりに知名度は高い場所。でも湯島がどこにあるかを把握している人は意外と少ない気がする。ご覧のように湯島天神は上野公園のすぐそばで、地図で白抜きになっているエリアが文京区湯島。ちなみに湯島聖堂は江戸時代初期に建てられた学問所で、日本の学校教育発祥の地ともいわれている。
地図1


ついでにもう少し広いエリアで示した湯島天神。
地図2



最寄り駅は地下鉄千代田線の湯島。
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春日通りを数分ほど歩くと、
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湯島天神に到着。
春日通りをそのまま進むと後楽園だから、何となく江戸時代的な場所にいる気分。
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梅祭り開催中。
一番下の提灯が写ってない(>_<)
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ここは裏口で、境内案内図だと一番上の夫婦坂と書かれている場所。
案内図


というわけで本殿を裏手から。
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菅原道真は学問の神様とされる。さすがにすごい数の合格祈願だなと感心していると、これらは合格したお礼参りのものだった。ここで祈るとよく効くみたいだ(^^ゞ
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子供の頃に甘酒を飲んで酔っ払った記憶がある。受験生=ほとんどが未成年に酒を売ってもいいのかと思ったが、甘酒は原料の違いによってアルコールを含むものと含まないものがあるとのこと。含んでいても1%未満らしいが。
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本殿は建て替えられたのだろうか、まだ新しい印象で何となく有り難みが薄い。
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菅原道真は牛とも縁が深く「使いの牛」と呼ばれる牛の像がどこの天満宮にもある。その牛をナゼナゼしてお願い事をするのが習わしだが、
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なんと使いの牛には近づけない!
これも接触を防ぐコロナ対策だろう(/o\)
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境内の一画に設けられた梅園は、
広くはないもののウメの花は賑やか。
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写真に周りのビルが写ってしまうのは街中にある神社だから仕方ないところ。
でも見て回っている分には、それほど気にならない。

ただし仮にビルがなかったとしても風情のある美しい梅園かというと、ウメの木がそこそこ多いという程度。ガッカリ名所とはいわないが、印象としてはかなり微妙なところ。


でもここのウメを眺めれば、きっと菅原道真のご利益もあるに違いない(^^ゞ
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2枚目の巨大な石碑は1902年(明治35年)に営まれた彼の千年忌のときに建てられたもの。亡くなったのは903年だが法事だから1年前倒しなのだろう。



ところで梅園の一部は庭園風でイイ感じなのに、
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なぜか立ち入り禁止。
どうしてこんなことするかな。
湯島天神にミチザネの神罰が下りますように(^^ゞ
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そこにあった初めて見る作り物。
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画像検索してみたが似たようなものにはヒットせず。
植物の防寒対策である「ワラぼっち」とも違うし、何かを保護しているようにも見えない。ボサボサ頭のてるてる坊主でもないだろうしナゾ



ーーー続く

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2022年02月27日

駒沢公園のウメは5分咲き

1月16日から始めた週に3回、合計3万歩以上の散歩は、今のところクジけることなく続いている。ただし体調・体型に特に効果は認められず(^^ゞ

本日は駒沢公園を含むコースで散歩してきた。東京は最高気温18.5度。また昨日も14.7度あった。この2日間のポカポカ陽気で、例年より開花が遅れているウメがどの程度まで咲いたかを確かめるのも目的のひとつ。


西口から入る。
駒沢公園は大小合わせてたくさんの出入り口があるが、ここが正門ぽい雰囲気。
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入ってすぐのところ。
左側に白く見えているのは建物は駒澤大学の校舎。
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進んでいくとジョギングとサイクリングのための周回路に当たる。
写真左に白やピンクが見えているのがウメの植えられている場所。
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公園案内図。
地図

駒沢公園は多くの樹木に覆われていて、その中にはウメやサクラもある。しかし植物や花を楽しむための公園ではないので、どちらもけっこうショボイ。だから本日は観梅ではなく、あくまで散歩の一環。


これがウメゾーンのほぼ全景。
レジャーシートを広げてお花見をしている人もチラホラいた。
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ピンクの垂れ(しだれ)。
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白梅。
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淡いピンク。
これはキレイだった。
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濃いピンクは高い位置で咲いていたので、
iPhoneのカメラでは花の姿を捉えられず。
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公園の中に鉄塔があって、その高圧電線がちょうどウメゾーンを横切っている。
それで電線が写りがちなのだが、
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電線が写らないように木の周りを回っていたら、意外と面白い構図で撮れた。いつも適当に撮っているけれど、これからは被写体を360度から観察することを心掛けよう。
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ウメゾーンの中の様子。
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ウメは上品な姿の花であるが、
垂直にグングン伸びていく力強さもいいんだよなあ。
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ウメゾーンの外側から。
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植えられているのは20本ほど。まだほとんど咲いていないものもあって、この日トータルの開花率は50%ほど。もう少し咲いているかと思っていたが、たった2日間暖かくなっただけでは、この冬の冷えから抜け出せていないみたいだ。


いつも使っているデジカメと違ってiPhoneだとマクロ(接写)機能が使える。
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ただし高い位置で咲くウメに腕を伸ばしてスマホを近づけるので、身体がプルプルするし、風で花も揺れるのでピントがあるのは10枚に1枚あればいいほう。本当はもっと接写したかった。これじゃトリミングと大差ない(/o\)


ウメゾーンから少し奥に進むと両サイドにサクラが植えられた場所がある。
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でもたったこれだけ。先に書いたようにやっぱりショボイでしょ。それでもお花見シーズンはここに人が溢れかえる。とても広い公園で場所はいくらでもあるのだから、もうちょっと増やして欲しいもの。


明日、明後日も15度以上の気温になりそうだから、
いよいよ次の週末はウメや河津桜が満開になるかな。

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2022年02月06日

ロウバイは見頃過ぎで、ウメは見頃かなり前の池上梅園

もうすぐ「気象庁がサクラの開花を宣言!」というニュースをイヤというほど耳にすることになるが、同庁がウメの開花も観測していることはあまり知られていない。これは生物季節観測と呼ばれ、かつては植物34種目、動物23種目が観測されていた。しかし2020年に

   アジサイ(開花)
   イチョウ(黄葉・落葉)
   ウメ(開花)
   カエデ(紅葉・落葉)
   サクラ(開花・満開)
   ススキ(開花)

の6種目9現象だけの観測へと大幅に縮小することを発表。ただし様々な学会や団体からの反対を受けて、現在調整中らしい。

   気象庁の 生物季節観測のページはこちらから


それで2月1日に、たまたま「気象庁が東京でウメ開花を発表」というニュースを知った。サクラ以外で開花発表のニュースに接したのは初めてのような気がする。いつも報道されているのかな?

ちなみに東京での過去3年のウメの開花は

   2020年 1月27日
   2021年 1月18日
   2022年 2月1日

だから、今年の冬はやはり寒い。

さて、そのニュースを見て思ったのは、もちろんウメはもう少し咲き揃ったらどこかに見に行くとして

  今年はロウバイを見に行きそびれたなあ。
  ロウバイは例年なら1月中旬で終わりだけれど、
  今年は寒いから、ひょっとしたらまだ残っているかも?

ということ。

ロウバイを植えているところは少ない。ネットで調べて2020年にウメを見に行った大田区の池上梅園に少しあることを知る。ただ現在も咲いているかどうかの確実な情報は得られず。でもまあ近くだからいいかと。

2月4日(金)、朝一で行くつもりだったが、天候が曇りでくじける(/o\) どんな花でも青空の下で見たほうが美しいが、特にロウバイは小さな黄色の花なので青空必須なのである。

5日の土曜日は所用があって向かえず。それで本日は金曜日よりは多少はマシという程度の曇り空だったが、これ以上引き延ばすのもと思い出かけてきた。まあ結果はタイトル通りなのであるが。


昼過ぎに池上梅園に到着。
前回に来たとき、手持ち無沙汰にしていた警備員は体温測定を担当していた。
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ハイ、承知の上です。
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ウメの一分咲きより、この曇天に心が折れる。
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まずは前庭部分でウメの樹皮を眺めながら、
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少しだけ咲いているウメを探す。
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前庭を抜けたところにロウバイ発見。
花が小さくてピントが合っていないのはご愛敬。
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ロウバイの咲きかけから散りかけまでの3態。
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コロナ対策のマスクを外して、ロウバイの甘い香りを吸い込む。見頃過ぎだし、青空背景じゃないから写真も地味である。それでも今年もロウバイをクンクンできたことを喜ぼう。


園内の案内図。
ロウバイがあったところに星印を着けた。最初の木は中央の星印。
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所々に少しだけ咲いているウメを見ながら奥に進む。
案内図なら右方向。
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雪吊り。
都内にある雪吊りは豪雪対策ではなく冬景色の演出。
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あまり撮るものがないので下から煽ってみる(^^ゞ
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2本目は「もう見ないで!」というロウバイの声が聞こえてきたので、
あまり近づかず(^^ゞ
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みかんがおいしそうに実っていた。
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この程度の大きさの枝を地面に挿しただけでもウメは咲くことを知る。
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3本目のロウバイ。
案内図で一番右の星印。
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ロウバイは5種類ほどあるらしいが、一般に見られるのは満月ロウバイと素心(そしん)ロウバイの2種類。満月ロウバイは花の中心部が赤紫色で、素心ロウバイはすべて黄色。赤紫色が混じらないから「素」。

池上梅園にあるのはすべて素心ロウバイのようだ。
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園内ブラブラ。
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「和室」という芸のない名前をつけられた建物前の池とコイを眺める。
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座論梅という池上梅園名物のウメはまだ咲いていなかった。
2020年に来たときはもう散っていたから、未だ座論梅を拝めず。
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かなり濃い紅梅のようだ。
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庭園エリアを抜けて傾斜地の下に戻ってくる。
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上にあがってもたくさんウメが咲いているわけじゃないが、
とりあえず登ることに。
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それでも途中で咲いていたこれが本日一番の美人だった。
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これは冬至という名前だからかなり早咲きの品種なんだろう。
参考までに今シーズンの冬至は昨年の12月22日。
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見晴台という名前がついている展望台。
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下を覗くと寒々とした光景が広がっていた(^^ゞ
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斜面上部を進み、
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下っていく。
ここがウメ満開になっている光景を想像しましょう。
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階段の下のほうにロウバイ発見!
でもこの写真じゃ分からないでしょう。
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ズームアップして。
ロウバイはあんなにいい香りがするのに、花が小さいから地面と同化してしまう地味な花なのである。(それがよく分かる過去のブログはここから
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案内図で一番左に星印をつけた、このロウバイが一番元気よく咲いていた。
しかし柵があって近づけず、よってクンクンもかなわず。残念。
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最後に、この日一番賑やかに咲いていたウメの姿を。
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そろそろ今年の観梅プランを立てなくちゃ。

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2021年04月03日

芝公園 その2 丸山古墳のサクラ

17号地から丸山古墳のある1号地へ向かう。
距離は300メートルほど。

ホテルの入り口前を通る。
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パークタワー東京というのがホテル名。その上に書かれているザ・プリンスはホテルのブランド名。プリンスホテル系列には5つのブランドがあり、ザ・プリンスは上から2番目のグレード。

さてブランド名の上にあるのはロゴマークで、プリンスのPを表しているらしいが、これでPをイメージできる人はほとんどいないだろう。理解されなければ記憶もされない。ということはプリンスホテルも想起されないからマーケティング的にどうかと思う。


1号地に到着。このエリアに来るのは初めて。
芝公園に梅園があるのは何となく知っていたが、ここだったのか。
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小高くなっているところにサクラが見える。
この盛り上がりが古墳らしい。
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梅のシーズンはとっくに終わっているが、この紅梅だけが咲いていた。
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隣にサクラも咲いていて、
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白、緑、紅ついでに青空の組み合わせが美しい。
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坂を上る。
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サクラが5〜6本植えられている場所があった。立ち入り禁止のテープは、ここで何か事件があったのじゃなくて、コロナだから宴会するなという意味ね。
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同じ場所を別角度から。思っていたのと違って、かなりショボイ場所だった。
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古墳の案内。
この東京都教育委員会の表示では芝丸山古墳となっているが、港区区役所のホームページでは「芝」がつかずに単に丸山古墳である。
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丸い山があれば、そこは丸山という地名になることが多い。古墳はこんもり盛り上がっているから丸山と呼ばれやすく、それが古墳だとわかると丸山古墳と名付けられる。そんな理屈で丸山古墳というのは全国各地にある。それじゃ区別がつかないから頭に地名を着けるのだろう。

ここにいても古墳感はまったくないが、測量図では一部が欠けてはいるものの、確かに前方後円墳の形をしている。
測量図


広場の背後に小さな祠(ほこら)があった。
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こちらは丸山じゃなくて円山という表記。随身はこの日の午前中に大國魂神社で見た「随神」と同じく警護の意味合い。
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ところでこの祠は増上寺の裏鬼門に位置すると書かれているが、その増上寺は江戸城の裏鬼門を封じるために置かれたもの。ということはこの稲荷大明神こそがラスボスか(^^ゞ



さらに上を目指す。
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これは大野伴睦(ばんぼく)という昭和中期の大物政治家の句碑。
俳人でもあったらしい。
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東京都公園協会のホームページによれば「昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです」と書かれている。

どうしてそれが芝公園にあるのかわからないが、誰かが忖度したのだろう(^^ゞ


最上部の広場。
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このモニュメントは伊能忠敬・測地遺功表という名前。
伊能忠敬が全国を測量した起点がこの近くだったらしい。
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ここにはサクラは咲いていないし、下を眺めてもツマラナイし、
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増上寺は中途半端に見えるだけだし、
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撤収!
サクラのレベルでいえば17号地と較べてかなり劣る。ここは古墳の上で花見をすることに喜びを感じる考古学オタク以外にはお勧めできないかな。
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遠くに赤く見えているのが最初に見た紅梅。でもこのあたりが梅林のメインのようだ。
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たいした規模じゃないけれど、次の梅のシーズンには見に来ましょう。
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17号地の方向に戻る。
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葉をすっかり落としているのは、私がゴッホのイチョウと名付けている木。
生命力に溢れるイエローオータムを毎年楽しみにしている。
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ハナショウブが咲いていた。
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当然こういうことを企む。
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結局のところサクラと東京タワーのツーショットは上手に撮れなかった。それは花数が少なかったり枝が目立ったりするから。しかし写真ではそうであっても、人間の目というか脳は「見たいと思ったように変換して見る」もの。だからブログに載せた写真のイメージよりは遙かに東京タワー花見を楽しめたのである。
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来年もどこか別の場所でツーショットにトライしたい。


おしまい


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2021年03月17日

亀戸天神で2021年のラスト観梅

2月20日から23日にかけて、
アチコチに出かけてきた「早春の花見6連発」。
途中で6.5連発になり、そして最終目的地としてたどり着いた亀戸天神。訪れた2月23日からもう3週間が経って、早春からそろそろ春本番の季節になってしまったが。


3月13日のブログに書いたように、
コチフカバの天神様なので、思った通りにウメはたくさん咲いていた。
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菅原道真(みちざね)が秀才だったことから天神や天満宮は学問の神様とされている。というわけで合格祈願の絵馬がたくさん。受験生らしい人は見かけなかったから、もう入試は終わったのかな。そのあたりのスケジュール感覚はすっかり抜け落ちてしまった。
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ロケーション的に亀戸天神はスカイツリーもよく見える神社である。
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ところで天神や天満宮といえばウメと同様に牛もつきもの。道真が丑年(うしどし)生まれだったからとか、彼がテロリストに襲われた時に牛に助けてもらったとか、亡くなった後に棺を牛車にひかせていたら、あるところで牛が動かなくなり、それを「ここに葬れ」という啓示と考えて墓を建てたとかーーー何かと牛にまつわるエピソードが多いのがその理由。

棺を運んだ牛が動かなくなった=牛が座り込んだという故事から、臥牛(がぎゅう)と呼ばれる座った姿勢で表現されるのがお約束。臥とは横になる・伏せるという意味ね。
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天神信仰で牛は道真=神の使いとされる。だから、その神聖なポジションはヒンズー教と同じ。でもここの神主や氏子はきっと牛肉食べるよね(^^ゞ


ガイドブックには載らないアングルで。
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話はそれるが、株式相場では牛が株価上昇、熊が下落のシンボルとされる。
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もちろん人気があるのは株価が上がる牛。ニューヨーク証券取引所があるウォール街には、こんな大きな牛の銅像があって人気スポットになっている。
bull

せっかく牛と縁があるのだから、学問の神様だけじゃなく、相場にも御利益があるとアピールすれば参拝客増えるかもよ。しかも受験と違って通年で(^^ゞ


亀戸天神には2017年5月に藤の花を見に来た。もちろんこの季節の藤棚は枯れ木みたいになっている。それにしても、あと2ヶ月ほどであのムラサキがこぼれる藤棚の姿になるのが想像しづらい。
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ここの太鼓橋はわりと有名。
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太鼓橋の上から。
ウメより藤がメインなことがわかる。
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公式ホームページによると境内には300本を超えるウメが植えられているとのこと。しかし「早春の花見6連発」の最初に訪れた羽根木公園は650本あるいは700本とされているが、その半分もあるとは思えなかった。もっとも境内に広く分散しいて、つまりまとまって植えられている場所がないから、そう感じたのかも知れない。

それよりも難点はワーキレイ!とかオミゴト!と言えるウメがないこと。それなりのウメばかりである。やはり亀戸天神はウメより藤の花を見に来るところなのだろう。ライバルが多いウメより、藤の花でブランディングするほうがマーケティング的に正解なのは確か。


とは言いつつ、このウメはなかなかよかった。
日の高さの関係でスポットライトが当たったように浮かんで見える。
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同じウメを反対側から。
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その近くにあったシダレウメ。
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各色のウメ。
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池とウメ。
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普段より写真が少ないことでお察しを。

ーーー続く


wassho at 23:44|PermalinkComments(0)

2021年03月13日

旧中川から、亀戸中央公園経由で亀戸天神へ

2月20日から23日にかけて、
アチコチに出かけてきた「早春の花見6連発」。
いよいよ最終の第6弾ーーーの、つもりだったのだが。


総武線の鉄橋越しに河津桜の名残を惜しむ。
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1つ上流にある江東新橋。この橋を左に渡って向かうのは亀戸天神。
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なぜか亀戸と書いて「かめいど」と読む。漫画「こち亀」の舞台である亀有とつい混同してしまうが、あれは葛飾区で亀戸は江東区。

その亀戸天神にはウメを見に行くわけだが、ウメの名所として調べて選んだわけではない。せっかくこのあたりまで来て、河津桜だけを見て帰るのはもったいないので、近くにどこかないかと地図を見たら亀戸天神を見つけたしだい。天神というのは菅原道真を祀っている神社。その菅原道真はウメ好きだったので、天神や天満宮と名の付くところは、そこそこウメが咲いていることになっている。


写真ではわかりにくいが、対岸にピンク色の花が咲いているのが見えた。
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江東新橋の上に出る。
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江東新橋から鉄橋方向。
川のある風景っていいね。
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ピンク色の花が見えたあたりは公園になっていた。
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とりあえず寄り道してみる。
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ピンク色の正体はウメ。だいたい想像は付いていたけれど。
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なぜか同じ品種しか植えられていない。また植えられているエリアの中にはまったく入れないし、観梅のためというより、ここでウメを育てて増やしているのかな?
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なかなか姿形のいいウメだった。
特に雄しべがきれい。
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というわけで「早春の花見6連発」のつもりが1ヶ所増えた。まあ規模的には6.5連発というところかな。後で調べたらここは亀戸中央公園。3月9日に書いたサザンカの咲いていた場所もこの公園の一部にあたる。


江東新橋に戻る。
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歩行者は側道で下に降りなければならない。方向としてはこの道沿いであるが、降りてみるとまた上りになっていたので、それを避けて1本離れた道を選ぶ。それで亀戸天神まで少し遠回りになってしまった。


2日前に乗った東武亀戸線の踏切を渡り、
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こんなところを通って、
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亀戸中央公園を出てから20分後に亀戸天神に到着。
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公園に寄り道しなかったとすれば河津桜から25分の距離。ちょっと遠かった。もっとも電車を使ったとしても平井駅に戻るのに10分ちょっと、隣駅の亀戸駅まで行き、そこから神社までまた10分ちょっとだから、時間的には変わりなかったが。


思っていた通り境内にはたくさんのウメが。
まさにコチフカバ〜の世界。
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コチフカバというのは

    東風(こち)吹かば 

    匂ひおこせよ 
    梅の花 

    あるじなしとて 
    春な忘れそ

という菅原道真(みちざね)の歌。ウメオタクの道真が太宰府への左遷が決まった時に、自宅のウメに向かって詠んだとされる。「春風が吹いたなら、梅の花よ、その香りを届けておくれ。私がいなくなっても、春を忘れちゃダメだよ」というような意味合い。ただし道真がいなくてもウメが咲くことは明白なので、ウメが咲いたら私を思い出してねと周りにアピールしている趣旨にも思える。

いずれにせよ、これはウメを詠んだ和歌の中ではおそらく最も有名。ネットで検索すればいくらでも解説があるので興味があれば。

ところで「東風(こち)吹かば」の部分は「こち」の語感が珍しいのもあって覚えやすいが、この歌全部の丸暗記はたいへん。しかしウメを眺めながら「まさにミチザネのコチフカバですなあ、ははは」とでもかましておけば、ちょっと教養があるように見られるから試してみて(^^ゞ

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ーーー続く

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2021年03月01日

香取神社の香梅園は日本で一番小さな梅園? その2

香梅園の入り口。
この密集度合いにテンションが上がる。
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ところで右下に写っている看板はもちろんコロナ対策。
しかし三三五五(さんさんごご)を書き言葉で使うのは初めて見た気がする。


写真をクリックで拡大して、この門の先の広さを確認して欲しい。
ほとんど民家の庭レベル。
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10人も中に入ればいっぱいになる。
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香梅園のウメは85品種、120本と紹介されている。
色とりどりの花を楽しめた。
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この2つは香梅園と参道を挟んで向かい側に植えられていた梅。
モフモフとバラみたいなウメ。
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お約束の逆光写真。
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いわゆる前ボケの入った「あざとい」写真(^^ゞ 別に狙ってるのではなく、花数の多い場所で撮ると手前に被さって勝手にこうなる。
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香梅園で一番気に入ったウメ。
花びらの先端が薄くピンクになって超絶に可憐。
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そしてこのウメのいいところは雄しべが控えめなところ。品種によっては雄しべが長くボウボウで、バカボンのパパの鼻毛を連想させるものも多いから(^^ゞ

内裏という品種だった。
全国の梅林の皆さん、このウメをたくさん植えましょう!
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香梅園は門の内側が約80平米、それ以外を含めて約200平米くらいの広さ。
これは参道側から撮ったもの。まさにウメのジャングルなことがわかってもらえるかな。
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ピンク、白、紅ーーー
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モヒカン咲き?
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隅田公園にもあった白とピンクが同じ木に咲いているウメ。珍しい品種だと思っていたが、この日は2カ所で見た。東京の東側エリアでは多いのかな?
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けっこうな巨木もある。
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香梅園は個性的な梅園である。狭い敷地に、こんなに密集させて大丈夫かと思うくらいに梅が植えられている。だからその咲きっぷりにはちょっと圧倒される。圧倒なんて言葉はウメには似つかわしくない気もするが。また品種も多い。それも間違い探し的じゃなくて、色々な種類があるなとはっきりわかる違いだから見ていて楽しい。

とにかく狭い敷地しかなくても、ヤル気があれば素晴らしい梅園ができる見本のような存在である。全国16万2000の寺社仏閣はこの香取神社を見習いましょう。とりあえず東京都内では必見の梅園と言っていい。



おしまい

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2021年02月28日

香取神社の香梅園は日本で一番小さな梅園?

2月21日に隅田公園の梅めぐり散歩道の次に向かったのは、隅田川を渡って墨田区の文花(ぶんか)というところにある香取神社。

まずは浅草駅から東武スカイツリーラインの愛称がつけられた東武伊勢崎線に乗り曳舟(ひきふね)駅へ。そこで東武亀戸(かめいど)線に乗り換えて小村井駅まで。乗り換えを含めて15分くらいの所要時間。

地図



小村井駅に到着。
小村井はこのあたりの昔の地名のようである。
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「こ」ではなく「お」である。でも知らなかったら読めないかな。
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東武亀戸線は全長3.4キロで、駅が5つしかない都内のローカル線。列車も2両編成で車掌のいないワンマン電車。
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駅の周りに商店街とかはなかった。
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神社までは歩いて10分ほど。
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梅まつりの提灯は下げられていたものの、特に祭りらしいことは何もしていない。
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細長い敷地の神社である。
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この神社は「小村井にある香取神社」なのか「小村井香取神社という名前」なのか、少し調べたけれどはっきりしなかった。
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香取神社は関東地方に多い神社。もっともその数は400社ほどとされるから、約2万社の稲荷神社や約1万5000社の八幡神社などと較べればマイナーな部類。

ちなみに宗教法人の届け出のある神社は約8万5000社。これはコンビニの約5万6000店舗より多い。ついでに寺の数は約7万7000寺。神社と併せれば16万2000とコンビニの3倍近くにもなる。そんなに多いという実感が湧かないのは信心が足らないからかな(^^ゞ


社殿から入り口方向を見て。
入り口の鳥居の左側にあるのが香梅園という梅園。
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江戸時代には神社に隣接して3000坪(約1ヘクタール)の梅園があり、将軍が毎年観梅に訪れるほどの名所だったらしい。しかし明治43年(1910年)に起きた大水害の影響で、ウメが枯れてしまい廃園になったとのこと。

その大水害の様子。
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両国の国技館が避難所になっている。
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それで現在の香梅園は1994年(平成6年)に神社の境内に造園されたもの。江戸時代のと違ってかなり狭い。ウメもある庭じゃなくて、梅園としてのジャンルでは日本で一番小さいかも知れない。もっとも私の見聞の範囲内ではあるが。

ただし梅が植えられている密度がハンパないので、
他の梅園とはずいぶんと違う体験ができる。



ーーー続く

wassho at 22:54|PermalinkComments(0)

2021年02月25日

隅田公園の梅めぐり散歩道 その2

歩き回っているうちに暑くなってきたので薄いショートコートの上着を脱ぐ。結局この日は、夕方に自宅の最寄り駅に戻るまで上着を着なかった。2月にシャツ1枚で出歩けるってどういうこと? それと体内時計ならぬ体内温度計が影響するのか、この気温でウメを眺めることに少し違和感がある。


梅めぐり散歩道は「桜の広場」の奥、野球グランドの手前にあった。
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一番見事だったのはこのピンクのしだれウメ。
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このウメは1本の木で白とピンクの両方の花が咲いている。モモでは割と見かけるが、ウメは珍しいかな。もともとは色つきのウメだったのが、色を合成する酵素が上手く働かなくなって一部が白く咲くらしい。
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梅の花を手前にボカして野球をしている子供を撮ったつもりが、フェンスやネットにピントが合ってしまった写真をご査収下さい(^^ゞ
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梅めぐり散歩道に来たのは、スカイツリーと一緒にウメを眺めて写真に収めたかったから。
しかしネット越しじゃ(/o\)
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ネットのない場所のウメは貧弱(>_<)
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もう諦めましょう(^^ゞ
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ここのウメが満開だったら、ちょっとはサマになったかも。
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これはしだれ桜。花が咲いたらいいツーショットになると思う。
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濃いピンクのウメは痛みかけているが、とりあえず三色のアップ。
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台東区のパンフレットによると隅田公園台東区側のウメは150本で、うち100本がこの梅めぐり散歩道に植えられているという。しかし100本もある感じはしなかった。何となく見頃過ぎ感もあったので、ここは早咲きの梅が多いのかも知れない。また小さな木も多かったから、また成長途中の梅園というべきか。

いずれにせよ、あまり見応えがなかったというのが正直なところ。浅草やスカイツリー見物のついでならいいと思うが、ウメだけを見にここに来るのはお勧めできない。

いうわけで早々に退散。
この風景を見ると、やはり隅田公園はサクラかな。
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工事の防護壁に小学生の絵が。
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自画像なんて描いたことないなあ。
なぜかモディリアーニ風の絵が多かった。
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小学1年生がこのテーマを与えられただけで、これだけ描けるとは思えないから、何かお手本的なものがあったのかな。それにしてもしっかりした絵で感心する。
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次の目的地へは東武線で移動する。
駅の場所はわかっていたけれど、商店の建物にこんな案内が。
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その通りに進むとまた案内があって迷うことなし。東武鉄道ってドンダケ親切と思ったが、浅草見物に来た観光客をスカイツリーに誘導したいんだろうな。
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逆光で人もクルマもいなくて、ちょっとシュールに撮れた駅ビル。
2階がホームになっていて電車が少しだけ見えている。
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ひとまずおしまい。

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2021年02月24日

隅田公園の梅めぐり散歩道

早春花見の第2弾は隅田公園の梅めぐり散歩道。隅田公園は隅田川のほとりにあって、隅田川といえばサクラであるがウメも少しだけ植えられている。

訪れたのは2月21日。この日の東京は最高気温が20.9度とゴールデンウイーク並みの暖かさ。前日と違って風もほとんどない。当然ダウンジャケットでは暑すぎるわけで、肌着+シャツの上はウインドブレーカー的な薄い素材のショートコート。温度調整としてはピッタリだったが、秋冬物の色なのがコーディネート的には残念な雰囲気。おっとまだ2月だった! それを忘れるくらいの陽気な1日。


吾妻(あずま)橋の交差点から北方向。
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中央の建物は東武線と東京メトロ(地下鉄)の浅草駅。駅ビルはレトロな雰囲気。実際に1931年(昭和6年)に建てられているが、1970年代にモダンなデザインに改装されたのを、2012年に再リフォームして開業当時のアールデコ調に戻したもの。そういう事例は珍しいのじゃないかな。
駅ビル2


西方向は浅草のメインストリートである雷門通り。
右手前のビルはデンキブラン(カクテル)で有名な神谷バー。一度は飲んでみようと思ってから、もう30年以上は過ぎたかも(^^ゞ
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雷門通りから隅田川を渡るのが吾妻橋。
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橋の向こうに見えるのがスカイツリーと、アサヒビールの「う〇こビル」。この建物はイベント施設で正式名称は「スーパードライホール」。隣のビールジョッキの形をしているのがアサヒビールの本社。
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どちらも斬新なデザインだから新しく思えるけれど、完成したのは1989年だから、もう30年以上も経っている。なおスカイツリーの左側にあるタワーは墨田区の区役所。


吾妻橋の上から北側・上流方向。
左側に泊まっているのは観光クルーズの水上バス。
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なぜか宇宙船のようなデザイン。
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乗船待ちの人々。
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川岸を上流に向かって歩いて行く。
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水上バスの乗り場を過ぎるとこんな風景になる。
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対岸に水門が見えた。源森川水門と書かれている。洪水や高潮の際に、川に流れる水量を調節するために開閉するらしいが、水門のことはよく知らない。
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この地点からスカイツリーまで、Googleマップの計測によると1.07キロメートル。手前の橋は東武伊勢崎線。昨年から橋の下部を歩いて渡れるようになった。写真にも人が写っている。
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花が植えられている一角があった。
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そろそろ目的地の近くなので堤に上がる。
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堤の下側は児童公園になっていた。
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言問(こととい)橋をくぐると、
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桜の広場があって、
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その奥に梅めぐり散歩道が設けられている。
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浅草やスカイツリーなどとの位置関係。
隅田川の両岸で緑色に塗られているのが隅田公園。
地図

この公園は区立だけれど、隅田川を挟んで左が台東区で右が墨田区だから、2つの区が同じ名前の公園を持っているということになる。関東大震災の復興事業として造られた公園だから、当初の管轄は東京都(東京市)だったのだろう。



ーーー続く

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2021年02月23日

羽根木公園でウメを見る その2

そこそこ近寄った写真を。
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入り口から梅林の斜面を上がってきて、ここがいわば頂上部分。この写真の右側にも何本かウメがあるが、それぞれ一本ずつ柵で囲われていた。高級品種?
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シダレ系はこのエリアに集中して植えられているようで、白いシダレはまだほとんど開花していなかったが、
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こちらは今が盛りのピンクのシダレ。
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ずっと眺めていられるくらい美しい。
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ところでこの頂上エリアには、名前はわからなかったがこんな木が生えていて、
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それを背景にウメを撮ると面白いことを発見。
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背景をボカすと不思議な光景に。
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梅林の斜面中程にある、このウメの周りで立ち止まっている人が多い。
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これがその理由。
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残念ながら、その方角には何も見えず(/o\)
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この写真はとても霞んでいるように撮れているが実際は快晴だったのに。それにしても本当にこんなところから見えるのかとネットで調べると、何枚か富士山を捉えた写真があった。逆にいうと何枚かしかなかったので、よほど空気が澄んだ日でないと無理みたいだ。


斜面を行ったり来たりして梅林をブラブラ。
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これは茶室。
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中にも入れるらしいが、触りだけ見学してきた。
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梅林から少し離れた位置で。
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最後にアップの写真を。
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思っていた以上に満足度の高い梅林だった。それは斜面を生かした造園に負うところが多いのかも知れない。ただの平地より変化に富んでいるので、ブラブラと歩いて見て回るのが楽しい。自宅からも近いし観梅の定番コースに加えましょう。来年は梅まつりが開催されますように。


おしまい


ところで2月20日から本日の天皇誕生日23日までは、22日も休みにしてウメと河津桜を見まくる休日にしようと前から決めていた。訪れたのはこの羽根木公園を含めて6カ所。しばらくはウメと河津桜ばかりのブログになる予感(^^ゞ

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2021年02月22日

羽根木公園でウメを見る

昨年末に府中市にある郷土の森博物館の梅林にロウバイを見に行った。ウメのシーズンになったらまた訪れようかとも考えていたが、見るものは違っても、やはり続けて同じ場所じゃツマラナイと思い直す。それで今年最初の観梅は世田谷区にある羽根木公園へ。23区内としてはそこそこ広い梅園がある。

訪れたのは2月20日。東京の最高気温は18.1度と高かったが、風がとても強かったので肌着+シャツ+ダウンジャケットの服装でちょうどよかった。


最寄り駅は小田急線の梅ヶ丘。
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そこまでウメで有名か?と思い調べたら、駅名や町名にウメが付くのは羽根木公園の梅林とは関係はないらしい。 

  1934年(昭和9年)  梅ヶ丘駅開業  
  1964年(昭和39年) 世田谷(町名)から分離して梅ヶ丘の町名ができる 
  1967年(昭和42年) 羽根木公園にウメが植えられ始める 

なぜか駅名が梅ヶ丘になり、それに併せて町名も梅ヶ丘になり、だったらということで公園に植樹する木がウメになったという順番。


駅前のロータリーを抜けて、ウメ見物に来たであろう人達の後をついていくと、
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すぐに羽根木(はねぎ)公園に到着。
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ズームレンズを望遠にして撮ってはいるものの、振り返ればまだ駅が見えるくらいの距離。
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羽根木公園の面積は約8ヘクタール。梅林は赤く囲ったあたりで、傾斜地になっているので広さを感覚的につかみにくいが1ヘクタール強くらいと思う。
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なお看板に書かれているように、羽根木公園があるのは世田谷区代田4丁目で梅ヶ丘ではない。なにかとややこしいウメの名前問題(^^ゞ


区議会議員の記念植樹から始まった梅林というのは珍しいのでは? ここには700本と書かれているが、世田谷区のホームページだと650本となっている。
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梅まつりは中止ーーー。
ちなみにウメの名所も数多い東京都立の庭園は現在ほとんど閉鎖されている(>_<)
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公園に入ったところ。梅林は駅から一番近い入り口になる。献血車が来ており5〜6名がテントの下で順番待ちをしていた。
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ところでワクチンの予防接種をすると一定期間は献血できない。インフルエンザだと24時間であるが、半年とか1年間はダメといったワクチンもある。

コロナワクチンの献血禁止期間はまだ決まっていないようだけれど、これから多くの人が接種して、もし禁止期間が長くなるのなら輸血には相当の影響があると思われる。あまり報道されていないがコロナの隠れた脅威である。私はもう献血できないポンコツな身体になってしまっているが。



この階段を上ってウメ花見のスタート。
見上げるだけでワクワクするね。
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写真はもちろん満開なウメを中心に撮っている。実際にも早咲きのウメが満開あるいは散り始め、中咲きはほぼ満開といったところで、充分に満足できる咲きっぷりであった。
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ブログでは色のバランスを考えて写真を選んでいるが、実際には3/4以上が白梅だった。もう少し赤やピンクが多いほうが華やかでいいかな。もっとも比率が逆だと、もっと白梅が見たいとワガママなことをいうのだが(^^ゞ


メインの通路と、
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梅林の中を縫って歩くような細い通路もあって変化に富んでいる。
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ーーー続く

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2020年12月29日

ロウバイ 府中市 郷土の森博物館 その2

スカイブルーとロウバイイエローの対比を満喫する。またロウバイは、木に咲くものとしてはキンモクセイに次ぐレベルで香りの強い花である。このエリアには濃厚な甘い香りが漂っていた。
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逆光のスケスケ写真で遊んでみる。
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ロウバイは5つほどの品種があり、この郷土の森博物館では3種類が植えられている。

これがソシンロウバイ。漢字でなら素心。花びら全体が黄色で丸みを帯びた形。
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こちらはマンゲツロウバイ。マンゲツとは満月のこと。花の中心部に赤紫のラインが細く丸く入っており、それが満月に見立てられている。なおマンゲツロウバイはソシンロウバイからの派生品種。
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それと名前の最初に何もつかないロウバイも植えられている。ワ(和)ロウバイとも言われる品種で花の中心部が赤紫色をしている。この日はまだ咲いていなかった。


ところで今回、初めて感じたのが色の濃淡の違い。
このロウバイは右と左で色の濃さがかなり違う。
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左はソシンロウバイで間違いない。
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右は花の中心部に色もラインもないから、それだけを考えればソシンロウバイなんだけれど、花の形が丸みを帯びておらず、花びらの形はロウバイのように細身。それに花びらがかなり透けている。
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ということで、この色の薄いほうの品種はよくわからず。



ロウバイの小径を後にして梅園の中を散策。
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ごくわずかにウメが咲いていた。
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八重寒紅(やえかんこう)という品種。
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されに散策。今年のウメはここに見にこようかなあ、でもロウバイに続けて同じ場所じゃ芸がないかなあなどと思案する。
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東屋から眺める寒々しい景色(^^ゞ
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ツタに寄生されているのはサクラだと思う。
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またウメ発見。例え一輪でもウメが咲いていればうれしいもの。
こちらには標識がなかったが、先ほどと同じ八重寒紅だと思う。
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全国の都道府県の木が植えられているエリア。そういえば皇居の東御苑にも同じコンセプトのものがあった。こういう展示の方法は一般的なんだろうか。
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長野県の木は白樺なんだ。
白樺&ユリのメルヘンな光景をまた見たいもの。
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池があって、
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水辺を進んでいくと、
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長屋門が移築されていた。
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この建物は現代のものだろう。
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お約束の展示風景。
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工作教室でもやっているのかな。
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こんな冬景色の中を歩いて行くと、
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「まいまいず井戸」というのが表れた。
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らせん状に掘り下げた井戸で、その形が「まいまい=カタツムリ」に似ているからという説明はよくわかる。しかし「ず」は何なのだ? まさか「まいまい 's」(^^ゞ



建物移築ゾーンに戻って本日の散策は終了。現地滞在は1時間半ほど。
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冬だから午後3時を過ぎると日の傾きは早いね。
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ロウバイを植えている庭園などは多いけれど、数本だけのところがほとんど。どうしてもっとたくさん植えないのか不思議。今回は久しぶりに数多くのロウバイを見ることができて満足できた。
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2020年03月24日

しだれ桜を眺めに小石川後楽園 その3

小石川後楽園は築山泉水回遊式の日本庭園。もっとも昨年の秋から今年にかけて訪れた六義園浜離宮庭園など、大名家の屋敷に造られた大名庭園は基本的に築山泉水回遊式である。

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その築山・泉水・回遊式だが、まず築山(つきやま)とは、土を盛ったり岩を積み上げたりして造った山に見立てた場所。

泉水(せんすい)は池のこと。日本庭園では池をお上品に泉水と呼ぶみたい。別に泉が湧いて池になっているという意味ではない。大きさを誇って大泉水という名前になっていることも多い。泉水ではなく池泉(ちせん)という言葉が使われる場合もある。

造園において土木工事レベルが必要になるのが築山と泉水。だからそれが2つ揃っていれば、それなりのスケールの庭園ということになる。

回遊式はその名前の通り庭を歩いて鑑賞すること。反対語は(言葉がヘンだが)鑑賞式で、室内やある定められた場所から眺める庭。大きな庭園は必然的に回遊式になる。お寺の枯山水なんかは特定の位置から眺めることが多い。

以上が言葉の説明だが、築山泉水回遊式なんて一言で定義できるくらいで、どの庭園も似たり寄ったりなのが難点。もっとも西洋式庭園だって、いろいろと様式に縛られているが。



園内マップでシダレザクラと書いてあるところから、
右下の内庭というところへ向かって池沿いに進む。
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少し離れたところから望む馬場桜。
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池から離れて木立の間をつかの間の森林浴。回遊式の場合は、こういうエリアを設けるのがお約束。限られた敷地の中で、シーンの切り替え効果を狙ってのことと思う。
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私の好きな「緑のモミジ日の光透け」。
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内庭に到着。
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カメ発見。
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庭園を反時計回りに進んだのは、
この内庭のソメイヨシノが満開だとホームページに載っていたから。
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まさに満開。
どうしてこの場所のソメイヨシノだけが先に咲くのかが不思議。
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キレイだけれど、やはりソメイヨシノはほとんど真っ白だからツマラナイ。昨年はピンク色のサクラを見たくて、国立劇場にジンダイアケボノやコマツオトメを見に出かけた。しかし、たくさんサクラが咲いている圧巻の風景を眺めたいとなると、必然的にソメイヨシノになるのが悩ましいところ。



サクラを背景に入れながら、花より団子のバエる写真を撮ろうとする人(^^ゞ
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これは東門。出入り口としては使われていない。江戸時代はこの門の向こうに藩邸が並んでいて、それに近い庭だからここが内庭と呼ばれていたらしい。
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サムライが向こうから歩いてきそうだ。
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内庭からメインの池に戻って。正面が馬場桜。
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マツがたくさん植えられている広場に出る。
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そこに1つだけ咲いていた白い花。
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形だけ見ると八重咲きのウメのようにも見えるーーー。しかし今から咲き始めるのは季節的に合わないし、花の直径も5〜6センチあった。玉牡丹というウメに似ている気もするが、正体はよく分からず。
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マツの広場を抜けたところにあったのは、水戸光圀が息子の嫁に農民の苦労を分からせようと作ったとされる田んぼ。美談のように聞こえるが、こんなわずかの面積で体験できることなんて、農民の苦労とはかけ離れていると思うな。
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なお田んぼは手前の茶色い部分だけね。刈り取った稲を残しているのは、ここが田んぼだとわかりやすくするためなのかな。

名前の分からない木が2本。
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これはアセビ(馬酔木)。
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風景を楽しみながら進む。
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シャガが咲いていた。アヤメの仲間のきれいな花。
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これは藤棚だけれど低すぎないか? 特に手前のやつ。
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低い藤棚のおかげで、フジの木を初めてマジマジと眺めることができた。
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それにしても、まだまったく芽吹いていないが、これがあと1ヶ月ほどであのフジの花になるのか? それともこれは枯れているの?


遅咲きのウメが残っていた。ただしアップには耐えられない状態。八重咲きでかなり大きな花。サクラも八重桜は咲くのが遅いから、八重咲きは遅咲きと思っている。その解釈で正しいのかな?
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わずかに残っていた白いウメ。
白いソメイヨシノが好きじゃなくても白梅は美しいと感じる矛盾(^^ゞ
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このあたりは花菖蒲やカキツバタの畑。
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久しぶりに見た気がするタンポポ。
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ーーー続く

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2020年03月17日

池上梅園で遅咲きのウメ その3

斜面から降りて、前庭の先ほどは見ていなかったエリアへ。


例のナゾの工作物があった。
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しかし今度はよく見ると寒牡丹の文字が。
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寒牡丹の文字があったのは1つだけで、
その株を見落としたらナゾの工作物のままで終わっているところだった。
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寒ボタンや冬ボタンは開花時期にワラ傘を被せて寒さ対策をする。ここではグルグル巻きにしてあるから、もう花は終わってしまったのだろう。咲き終わった後にまでそんなことをするとは知らなかった。それにしても今年は初めて冬ボタンを見に上野の東照宮へ出かけたし、ボタンに縁があるのかも。春ボタンもどこかへ見に行きたいものだ。


ハナショウブもあるみたい。
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マツ好きだけれどマキも嫌いじゃない。こういう形に剪定してあるのがマキね。正確にはイヌマキという品種。コウヤマキというのもあって、それはクリスマスツリーのような三角錐の形をしている。
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斜面の下側は中に入れるようになっている。
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よく見るとウメの木の下はツツジじゃないか。そこそこの株数はありそうだ。
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今年のウメはこれで見納め。
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1時間半ほどで退出。
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コンパクトな梅園だけれども、斜面のウメを下からも横からも上からも眺められるから、スケールの割に見応えがある。品種もそこそこ豊富。それに自宅から割と近いから、ご近所お気に入りスポットに認定。とりあえずツツジが咲いたらまた来よう。


おしまい

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2020年03月16日

池上梅園で遅咲きのウメ その2

前庭から茶室などのあるエリアに移動。

茶室の門。
上部に2本の垂直に立っている棒状のものがある。竹でできている部分と屋根の勾配をつないでいるのだと思うが、どうしてこんなに長い? 何か意味があるのかな。まさかWi-Fiのアンテナじゃないよね(^^ゞ
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これは清月庵という茶室。
建て主の川尻善治の説明に「伊藤深水のアトリエを設計した設計家」とあるのは、伊藤深水が著名な日本画家だから、そのネームバリューを借りたということもあるのだろうけれど、もとはこの土地に伊東深水の自宅やアトリエがあったから(戦争で焼失)。伊東深水の娘が朝丘雪路ね。
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見る人が見れば銘木を使った建築と分かるらしいのだがーーー。
パンフレットによれば中に5.5畳と9畳の茶室があって茶会用途なら借りることができる。ただし現在はコロナウイルスのために閉鎖中。こんなところにまで影響が(/o\)
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奥に見えるのはもうひとつの茶室である聴雨庵。
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ウロウロしていると座論梅コッチという標識。
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行ってみると絶賛終了中(>_<)
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それにしてもこのウメだけ別格扱いで紹介されているので調べてみると、座論梅は日本に4本しかない貴重品種とのこと。ネットでは「日本に4本ということだけ」をコピペした情報がほとんどだった。さらに調べると、大田区在住の梅愛好家の野々村という人物が中国から持ち帰ったものを株分けして、池上梅園・水戸偕楽園・ 深大寺植物園に寄贈したらしいことが分かった(本人が持っているのを含めて4本)。読み方は「ざろんばい」。

ネットの写真を見ると花の付き方が変わっているようだが、私レベルでは濃いピンクの八重咲きの梅にしか見えない。貴重品種ではあるが、ビックリするほど変わった姿のものではないようだ。その違いがわかって座論梅をめでられる日はーーー多分来ないな(^^ゞ

なお座論梅で検索すると、ほとんどが宮崎県新富町にあるウメがヒットする。しかしそれと野々村氏の座論梅とは違う品種みたいだ。どうして同じ名前を付けたのだろう。あちらは樹齢600年の国の天然記念物。梅の愛好家なら当然知っていただろうに。ナゾ

ついでに宮崎の座論梅は樹齢600年なのに、神武天皇ゆかりの梅だとされているのがおかしい。もちろん彼は架空の人物だけれど、いちおう設定では即位したのが紀元前660年ということになっている。


座論梅の近くで咲いていたウメ。
最近トライしている逆光での撮影。
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さらにウロウロ。
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先ほどの聴雨庵を正面から。こちらは政治家・藤山愛一郎の茶室を移築したもの。戦時中はいろいろと密談が行われた場所らしい。
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石塔。説明とかはなかった。
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甘酒などを売っている売店エリア。
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和室と呼ばれている建物。まともな名前を付けようという考えはなかったのか?
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その和室の屋根に留まっていたアオサギ。こいつがピクリとも動かない。まるで置物レベル。ハシビロコウという鳥が動かないと有名だが、サギも同じ習性らしい。池の魚をじっと狙っているのかも。脚が一本しかないのは写真の角度のせいかもしれない。
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青空に映えてキレイだった雪吊り。
東京の雪吊りは雪害対策じゃなくて季節感を演出する飾り。
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入り口のほうに戻って斜面を登る。
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梅園の隣にあるスゴイ家が見えた。それでもアルミサッシ(^^ゞ
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階段の途中から眺められるこの光景が池上梅園の魅力。これを見られただけで今年のウメ花見はヨシとする気分になる。
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さらに登る。
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前庭のほうを見下ろして。池上梅園の面積は1ヘクタール弱。ここで見えているのは、その1/3くらいかな。ウメは白梅150本、紅梅220本の全部で370本ある。
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最上部の展望デッキ。
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変わった形のウメがあった。まるで打ち上げ花火が開いたみたいだ。
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東屋があって、
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その奥には池上本門寺の墓地が見える。
たしか力道山の墓もあったはず。
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ウメの花のミニパノラマを堪能して展望台を降りる。
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線路が見えた。
えっ? えっ? えっ?
こんなところに電車は走っていないはず!
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調べてみると近くに馬込車両検修場という都営地下鉄の車両基地があることが分かった。終点の西馬込駅の先で地上に出てここまで走り、バックして基地に入るらしい。
馬込車両検修場

大昔に「地下鉄の電車はどこから入るの?」という漫才のネタがあった。
ここからだったんだね(^^ゞ


ーーー続く

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2020年03月15日

池上梅園で遅咲きのウメ

訪れたのは2月27日なので2週間と半分ほど前。

今年は浜離宮庭園や上野東照宮などで少しはウメを見られたものの、たくさんの数のウメが咲いているのは眺めていないなあと不完全燃焼な気持ちがーーー。しかしただでさえ暖冬なのに既に2月末とタイミングを逸してしまい。それで遠くの梅園まで出かけて残念な開花状況だったらイヤだし、近所に適当なところはないかと選んだのが大田区にある池上梅園。


池上梅園はそこそこ有名で存在は知っていたが訪れるのは初めて。日蓮宗の主要寺院である池上本門寺に隣接している。何となく寺の境内の一部を梅園にしたようなイメージもあるが、元々は個人の邸宅・庭園があったところで寺とは無関係。現在は区立公園になっている。

大田区のホームページをチェックすると、前日付で「散り始めが目立ってきたが、遅咲きは見頃」との情報だった。散り始めが目立つとは、傷んだ汚い花も一緒に目に入ってしまうということである。まあ仕方がない。

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自宅からは直線距離なら約5キロとそれほど離れていない。しかし沿線が違うため電車を3本乗り継いで向かう。乗り換えも含めて電車に乗っている時間が30分ほど。

最寄り駅は都営地下鉄浅草線の西馬込(にしまごめ)駅。浅草線がこんなところまで延びているなんて思ってなかった。
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目の前は国道1号線。このまま進めば大阪の梅田まで続いている。
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7〜8分歩くと池上梅園コッチの標識。左斜め前方に進むような矢印になっているが、実際はそんな道路はなく、Uターン的に曲がるのでちょっと紛らわしい表示。
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でも曲がってすぐこの標識があって、
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池上梅園に到着。
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傾斜地に植えられたウメがここの特徴。
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傾斜地を左側から登って右側に降り、敷地右側の庭園部分を見て、また入り口に戻ってくるのが、おそらく一般的な見学コース。
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でも私が着いた時にちょうど団体さんが傾斜地を登っていったので、前庭部分から先に見ることにした。写真の右側が傾斜地で左側が前庭。
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ウメというのは花を付ける枝が急角度でグングンと上に伸びていくもの。でもこの梅園では途中でカットして先端を揃えているみたい。そうじゃないのもあったから、品種で剪定の方法を変えているのかも知れない。
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あれこれキレイどころを。
池上梅園には30品種ほどのウメがあるとのこと。
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この日は快晴で花見日和。
バックが青空だと写真のレベルは自動的にワンランク向上して助かる。

前庭内部の様子。
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謎の工作物?
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前庭の中から斜面を眺める。最初の国道1号線の写真で分かるように、このあたりは丘陵地帯じゃなくて平らな地形。よくこんな段差があったものだ。
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ーーー続く

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2020年02月16日

上野・東照宮ぼたん苑で冬ボタン その4

ウメの花あれこれ。
最初は淡いピンクのしだれウメ。
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白梅。
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濃いピンク。
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ピンクのしだれウメ。
これは出口のところにあって、もう撮り飽きたのかアップの写真がなかった。
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こちらは河津桜。名所では三浦海岸のを見たことがあるけれど、いつか本家である伊豆の河津にも行ってみたい。
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見たことのない姿の木があった。
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これはミツマタ。
和紙の原料になるのは「コウゾ、ミツマタ」と習ったミツマタ。和紙としてコウゾのほうが高級品だけど、ミツマタは丈夫なのでお札に使われているらしい。
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ミツマタの名前の通り、枝先が3つに分かれている。でもそれぞれがさらに2つに分かれているからフタツマタとかムツマタでもよかったんじゃないかと思ったり。
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変わった構造の花。
調べてみるとヒマワリの種のような部分も順に咲くとわかった。
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出口付近にある休憩所。
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火鉢を久々に見たし、火鉢の炭の暖かさを感じたのは、幼い頃に祖父さん祖母さんの家で体験して以来だ。それにしても大昔は部屋の空気を暖めるものが火鉢しかなかったのだから、さぞ寒かったんだろうな。
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お約束の演出。
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こんな手があるのかと、少し感激した松葉とボタンの組み合わせ。
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お庭風の造作。
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枯山水がコンセプチュアルじゃなくてイイ感じ。
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滞在時間は1時間15分くらい。
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入場料は700円で、最初は広さの割に高いなと思っていたのだが、ボタン以外にロウバイ、ウメ、河津桜なども見られたから、ぼたん苑を出る頃には納得していた。東照宮の冬ボタンは例年1月1日からの開園。見に来るならウメが咲いてからの訪問をお勧めする。

冬ボタンや寒ボタンを見たのは初めて。春ボタンとはかなり雰囲気が違う。春バラと秋バラより断然違う。それは季節の空気感であったり、雪ぼっちで覆われていたり、背丈も低いなどが影響している。さらに冬でもボタンの花を咲かせたいという園芸文化の精神みたいなものが伝わってくるからかも知れない。


最後に横顔美人の冬ボタンを。
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この日(2月12日)は上野でもうひと遊び。
その話はいずれ。


おしまい

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2020年02月15日

上野・東照宮ぼたん苑で冬ボタン その3

これは冬ボタンではなく、1株だけあった寒ボタン。
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春に咲くボタンを温室などで育てて冬に開花させたのが冬ボタン。それに対して春と冬の二期咲きなのが寒ボタン。いってみれば天然物。ただし開花率は2割程度と低いらしい。それで人工的に咲かせる冬ボタンを開発したというのが園芸の歴史。

寒ボタンは冬の厳しい環境で育つせいか、少なくともこのぼたん苑で見たものは花が小さかった。また葉の数がとても少ないし萎れている。何となく痛々しいし、冬ボタンのほうがきれいであるが、レアもの寒ボタンを見てワビ・サビの境地に浸るのも一興。

こっちが冬ボタンね。
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キャベツみたいなのは葉ボタン。花のボタンとはまったく関係なくキャベツやケールの仲間を観賞用に品種改良したもの。葉の形がボタンの花びらと似ているから葉ボタン。
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葉ボタンはキャベツの遠縁なので食べられるとのこと。マズイらしいけど。ちなみにぼたん鍋はイノシシの肉をお皿にボタンの花のように盛り付けるから、その名前がついた。1度だけ食べたが、やたら脂ぽかった記憶しかない。



篝火花(かがりびばな)。
シクラメンにそっくりだなあと思ったら、プレートにCyclamenと書いてあった(^^ゞ
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他にもいろいろ。
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これはプレートがなかった。葉ボタンの変形なのかな。
とりあえずサンゴ葉ボタンと名付けよう。
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苑内の様子。
これが1ブロックで、奥まで進んで左に曲がると、
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次のブロックに入る。
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各ブロックは塀で区切られている。たいして広くない敷地だけれど、ジグザグに進むし、塀で視界が遮られて全体を見渡せないので意外と狭く感じない。なかなかのグッドアイデア。



所々に飾り付け。
ここは和傘が好きみたい。何かいわれがあるのかな。
またあちこちに俳句が書かれた立て札がある。
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塀の前で咲いている黄色い花はロウバイ。ロウバイは痛んだ花が少し残っている程度だったが、この丸いソシンロウバイはまだきれいだった。香りも堪能。
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チューリップや紅葉は逆光で日光を透けさせるとキレイな写真が撮れる。
それでロウバイでも試してみたが企画倒れに終わった(^^ゞ
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こちらは白梅。やっぱりウメはいいなあ。
暖冬なので今年は開花が早い。
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ところで先日、テレビでこんなことをいっていた。
ウメは小さな花をたくさん咲かせるが、

  それは賑やかに見せて虫や鳥をおびき寄せるウメの作戦
  ただしたくさんの花を咲かせると体力を消耗するので
  実は雌しべのない偽の花でごまかしている

この枝では7つの花のうち2つに雌しべがないように見える。
その程度じゃ体力温存にあまり関係ないように思えるが。
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ネットで調べると雌しべのない花もあるが、それがウメの作戦というのは論理の飛躍という説もあった。別にどちらでもいいのだが、その番組を見て以来、ウメを見るとやたら雌しべが気になるのが困りもの。



苑内は俳句の立て札だらけといってもいいくらい。
来園者も一句浮かんだら、ここに掲示できるようになっている。
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これは中国人が書いたのだろう。右側は「初めて来てキレイなお花が一杯でチョー感激した」という意味だと思う(^^ゞ なかなかの達筆。こんな風にスラスラ書けるようになりたいものだ。
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「香港人加油!」の中国語はわかる。加油(ジャーヨウ)は頑張れという意味だと北京オリンピックの時に覚えた。だけどボタンはどこにいった?
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そういえば香港のデモの話はまったく聞かなくなったけれど、どうなったのだろう。もっとも今はコロナウイルス騒ぎでそれどころじゃないか。この日は上野公園でほとんど中国語を聞かなかった。

コロナウイルスがどの程度の脅威なのか、冷静なところが見えてこないが、とにかく早く終焉することを願おう。


ーーー続く

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2020年02月13日

上野・東照宮ぼたん苑で冬ボタン

徳川家康が死後に神格化されて付けられた名前が東照大権現。それを祀っている神社が東照宮。日光が一番有名だけれど全国各地に130社ほどあるらしい。家光の時代には約700社が造られたという説も。

それら東照宮の中でも遺体が葬られた静岡県の久能山東照宮と、総本山に位置づけられる日光東照宮の2つは別格的存在。面白いのは各地の東照宮は、久能山と日光に自社を加えて日本三大東照宮と勝手に名乗っていいらしい(^^ゞ

東京にも東照宮は5つあって、上野公園にあるのが上野東照宮。もともと上野公園は寛永寺という徳川家の菩提寺だった場所だから、神仏習合の時代に、境内に東照宮が建てられたのは当然の成り行き。


その上野東照宮には「ぼたん苑」が併設されている。ボタンが咲くのは春であるが、温室で冬に咲かせて、鉢ごと地植えしたのが冬ボタン。今回はそれを見に来た。アイスチューリップも植物に季節を勘違いさせて咲かせる手法。ボタンとチューリップ以外にもそんな手法で咲かせる花はあるのかな。



上野公園は出入り口に名前がないが(たぶん)、
ここは西郷像に一番近い出入り口。
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もうひとつ階段を上って、
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西郷隆盛の銅像。
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上半身が大きくて下半身とのバランスが取れていないのは、真下から見上げた時にちょうどいいバランスに見えるための工夫。ただ世の中の他の銅像は、そんな手法は使っていないし、だからといって不自然に見えることもないので、そのやり方が正解だったのかは疑問。銅像は四方八方からも見えるわけだし。この位置からの姿はどう見ても異様。


西郷像の隣では白リーマンがパフォーマンス中。
本当にピクリとも動かない。
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京都の清水寺を模した清水観音堂。
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手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)の水盤の上に金網。ひしゃくを載せるためと思えるが、普通はひしゃくを水盤の上に渡すように置くだけ。ひしゃくにチェーンも付けられているし、何となくセキュリティ対策のような雰囲気も漂う。
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絵馬に外国語多し。
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それにしてもコロナウイルスが早く終結しないとインバウンド業界は大変だな。東京オリンピックでウハウハのはずが帳消しになるかも。

ここが「清水の舞台」の設定。
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観音堂は道路から少し高い位置にある。
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色のついているのが「願い玉」という布にくるまれた重り。白い石が敷かれているのは月に見立てた設定。そこに清水の舞台から願い玉を投げ入れられると願いが叶うという、玉5つで500円の宗教マーケティング。100円硬貨なら投げないけれど、願いだ玉と意味づけされるとやってしまうのが人間の心理。
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月の周りに落ちている玉を見ると、かなり難易度が高そう。ところで以前は真ん中のお皿はなかったように思うが。お皿に載せたら1万円進呈にでもすれば、ギャンブルマーケティングでもっと売り上げが増えるよ(^^ゞ


清水観音堂から上野公園のメインストリートである「さくら通り」へ降りる。ここが有名な上野公園の花見場所。道路がやたら白いのは舗装をやり直したのかな。
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上野東照宮に向かう途中にウメが咲いていた。
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鳥居をくぐり、
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この門は水舎門(みずやもん)。元は手水舎の上屋根だったものらしい。
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今年の初詣で円融寺に行き、なぜ日立の名前を記した立て看板があるのかと思ったが、上野東照宮にも同じものがあった。
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調べてみると日立は寺社仏閣の防火設備を販売しており、それで企業メセナ(もう死語かも?)の一環として重要文化財の周辺に設置しているらしい。だからこの立て看板の趣旨は「火気厳禁」にある。それにしては控えめな表記なのは全体のデザインを考えてのことかな。

しかし重要文化財でなくても寺社仏閣で普通の人は火を使わないし、使う奴は放火犯だから(^^ゞ、この立て看板に実効性はあるのだろうか。



社殿まで続く参道(当たり前か)。その両サイドにある石灯籠は200基以上。ほとんどが社殿が建てられた1651年に諸大名から奉納されたものとのこと。まあ家康に恨みをいだいていた大名も多かったと思うよ(^^ゞ
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ぼたん苑は水舎門をくぐってすぐの所にある。
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いよいよ冬ボタン鑑賞の始まり。
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ーーー続く

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2020年01月28日

浜離宮庭園でロウバイと菜の花 その3

梅林を抜けて進むと園内マップで「お花畑」と記されているところに出る。そこには菜の花が。そしてその手前に早咲きの梅が開花していた。
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キレイなピンク色。
梅の花の前に立つとホーホケキョと心の中で鳴いてしまう。
前世はホトトギスかも(^^ゞ
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桜と菜の花のツーショットはよく見るが梅は珍しいかも。
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そして菜の花ドーン!
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菜の花ってカメラの向きを少し変えただけで、葉や茎の緑が花の黄色と同化してしまうのがいつも不思議。どういう現象が起きているのだろう?
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梅が咲くと「春ですなあ」となるけれど、それは風流的心理における春。菜の花の黄色を見ると皮膚感覚的に春を感じる。実際の春はまだ先だけど。
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「お花畑」の隣の「花木園」にあったロウバイ。
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丸いソシンロウバイと違ってロウバイは花びらが細くて、また下を向いて花が咲く。
もうかなり痛んだ花がほとんどだったのが残念。
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ロウバイは青空が必須という私の主張をわかってもらえるかな。
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立ち去ろうとした時、後ろの巨木の下の方にもロウバイが咲いているのに気がついた。こんな大きな木もあるのか? どうして一番下の枝にしか花がない? なにかとナゾ
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ナゾついでにロウバイの隣にあった綿のような実がなっていた木。
少し調べたが正体を特定できず。
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大手門出入り口近くにあるのが「三百年の松」。
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松好きなのはブログに何度か書いてきた。松は葉の生え方と光の当たり具合によって、こういう風に乱反射の光?を感じられるのもその魅力のひとつ。
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それにしても御年300歳とは思えない生命力みなぎるお姿。
私も目指そう300歳!
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晴天の日を待っているうちにロウバイの最盛期を逃してしまったのは残念。それでもロウバイと菜の花でイエロースプリングを満喫できた。

あっ!ロウバイは冬の花だ(^^ゞ


おしまい

<後日追記>
ロウバイの隣にあった綿のような実がなっていた木は「スイフヨウ(酔芙蓉)」

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2019年02月19日

ご近所の梅

駅までの道沿いで梅が咲いていたので昨日にiPhoneで撮影。

「春」という言葉は守備範囲が広い。冬が終わって暖かくなってからが本当の春。だけれども正月のことを新春や初春といったりする。そしてまだ冬でも、梅などが咲いていると「もう春ですね」などと本来の季節を無視した表現も使われる。やっぱり春が待ち遠しいからかな。ちょっと冬がかわいそう。

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先日の新宿御苑でオートフォーカスが機能しなくなったデジカメ。後日に別のレンズをつけても症状は同じだったからカメラ本体の故障のようだ。もう7年前の機種だから修理ではなく買い換えることにした。現在あれこれ検討中。どれも帯に短したすきに長しで悩ましいがど、そろそろ決断しないと。

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