エドワード・バーン=ジョーンズ

2019年06月25日

ラファエル前派の軌跡 その5

「母と子(サクランボ)」 フレデリック・レイトン 1864-65年頃

幸せそうで、かつ美しい作品。この時代は良妻賢母像が求められていて、こういう構図は珍しいそうだ。おそらくは日本画と思われる背後に置かれたツルの屏風にも目がいくが、なぜか彼女たちの着ているものが気になる。部屋着?寝間着?下着? 立ち上がってよく見せて欲しい(^^ゞ
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フレデリック・レイトンはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)の会長を20年近く務め、また画家として最初に貴族に列せられるなど英国美術界の頂点に君臨したといってもいい人物。ラファエル前派の立ち上げメンバー3名は1827〜29年生まれでレイトンは1830年。彼らと違ってロイヤル・アカデミー付属の美術学校には行っていないから先輩後輩の関係じゃない。しかしグループとしてのラファエル前派が解散した後だが、メンバーとは交流があったようだ。

ちなみにフレデリック・レイトンの邸宅は贅を尽くしたもので、レイトンハウスと呼ばれており現在は美術館になっている。ある年代以上の日本人ならレイトンハウスと聞くと別のものを思い出すはず。なお、あのレイトンハウスと、このレイトンハウスはまったく関係ない。



さて「ラファエロ前派周縁」の次は「バーン=ジョーンズ」というコーナー。エドワード・バーン=ジョーンズのこと。

この展覧会では「ラファエル前派第二世代」という分類があって、その代表格のエドワード・バーン=ジョーンズには1コーナーを与えたということらしい。しかし彼は1833年生まれ。ロセッティらと5歳くらいしか違わない。だから活動時期はほとんど変わらないわけで、第二世代というにはまったく無理がある。

展示されている作品数は27点。これは展覧会の冠になっているラスキンの40作品を除けば一番多い。作品を集め出したらエドワード・バーン=ジョーンズのものが多くなってしまい、ラファエル前派第二世代なんて理屈をひねり出したんだろう。

最初から最後まで、この展覧会の構成には納得がいかない。


「金魚の池」 1861-62年

バーン=ジョーンズの絵は独特の癖があるのだけれど、これはバーン=ジョーンズらしくない珍しい作品。誰にでも描けそうというと身も蓋もなくなってしまうが。でもいい味出ていると思う。そして何故かこの時代ではなくて、今の時代に描かれたような雰囲気を感じる。
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「慈悲深き騎士」 1863年

初期の傑作とされている作品。ぜんぜん好みじゃないが、すごく存在感があって長い時間見入ってしまった。画像じゃそのオーラみたいなものが伝わらないのが残念。

左側の人物は、頭に被っているいばらの冠と、足が杭で打ち付けられているからキリストだということはすぐにわかる。でもどうして屋根付き?十字架は?
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実はこれはある伝説のワンシーンを描いたもの。右側で跪いているのは騎士。仇討ちに出かけたのだが慈悲の心で相手を許してしまう。その後に「木彫りのキリスト像」の前で祈りを捧げていると、その慈悲の心を祝福した「木彫りのキリスト像」が身をかがめて彼を抱擁したというもの。

まさか「木彫りのキリスト像」だったとは! そんな奇跡が起こせるなら足の杭も抜いて、もっと近づけばというツッコミはナシということで(^^ゞ



「嘆きの歌」 1865-66年
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「フローラ(春の女神)」 1868-84年
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「赦しの樹」 1881-82年
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女神のフローラと、「赦しの樹」の男性の顔が同じ。画家でも漫画家でも「持ち顔」のバリエーションには限りがあるものだけれど、男と女は別にして欲しいかな。

さて「赦しの樹」のような裸の男女を見ると、ついアダムとイヴかなと思ってしまう。でもこれは別の物語。人物が描かれていると顔を中心に見てしまうもの。ハイ、女性の脚に注目。木の中からメリメリッと出てきている。そんな話はエデンの園になかった。それにリンゴも描かれていない。

この物語は

  トラキアの王女ピュリスがアテネの王デーモポーンという男性と結ばれる。
  色々と事情があってデーモポーンがピュリスを捨てる。
  ピュリスは自殺を図るが、哀れに思った神々によってアーモンドの木に変えられる。
  後悔したデーモポーンがその木を抱きしめると、幹からピュリスが現れた。

というもの。物語だけだと王子にキスされた白雪姫のようなハッピーエンド。しかしバーン=ジョーンズの絵では、どうみてもデーモポーンは厭がっているし、ピュリスは恨めしや〜な表情である。

よく調べてみると、この物語はピュリスとデーモポーンのギリシャ神話をベースにバーン=ジョーンズが創作したものらしい。オリジナルではピュリスが蘇ったりしない。

実は彼はマリア・ザンバコという女性と不倫関係になり、そのことで世間から批判され、またマリア・ザンバコとの仲がもつれると、彼女に公衆の面前で運河に飛び込むという自殺未遂を起こされたりと色々とツライ目にあっている(/o\)

そういうことが、芸の肥やしとなって絵に現れているのかな。



いい作品も見られたが、何かと不満の多い展覧会だった。ところでほぼ同じ時代の印象派なら年中といっていいほど、どこかで展覧会が開かれている。それと較べてラファエル前派は2〜3年おきくらいなのが残念。是非とも、次の展覧会は素敵な内容でありますように。


おしまい

wassho at 20:02|PermalinkComments(0)