エリー・ドローネ
2014年10月26日
オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由
こういう角度だと正体不明だが、
六本木にある国立新美術館。
訪れたのは2週間ほど前。その時はオルセー美術館展とチューリヒ美術館展が同時開催中。両方まとめて見る時間はなく、チューリヒ展は12月までやっているのでオルセー展に。
オルセー美術館といえば印象派の作品で有名。印象派を集めているというより、この美術館は19世紀中頃から20世紀中頃までが守備範囲なので結果的に印象派が多いらしい。
絵に興味を持つきっかけとなったのはルノワールだった(ような気がする)から、印象派の絵はなじみ深い。でも最近はあまり印象派が好きじゃない。クラシック音楽にも似たような傾向があって、例えばモーツアルトなら「こんなに美しくて楽しい音楽はない」と心酔している時期と「ワンパターンでお約束だらけの音楽」と敬遠する時期がある。今の印象派は後者の時期。しかし自由にCDを掛け替えられる音楽と違って、絵の場合は開催されている展示会から選ぶしかない。でもまあ敬遠気味の印象派でも見れば見たで楽しいのである。
この展示会のセールポイントは2つ。
マネの作品が多いこととモネの大作があること。
それにしてもマネとモネ
どちらも印象派だし実にややこしい(>_<)
モネはいろいろな絵を描いているが睡蓮のシリーズが有名。だから私は睡蓮がモネ、そうでないほうがマネと覚えている。なぜかモネはクロード・モネとフルネームを言えるが、マネがエドゥアール・マネであることはすぐに忘れるのが不思議。
「笛を吹く少年」 エドゥアール・マネ
ポスターにも使用されているし、今回の目玉作品であることは間違いない。誰もがどこかで目にしたことがある絵。
でも本物を前にしても特に何も感じない絵だった。この絵が発表された時、背景を何も描かず塗りつぶしていあるからトランプの絵と批判されたらしい。それは従来の伝統との対立した観点からの意見で、私にそんなことは関係ない。ビジュアル的には少年がポッと浮いているようでインパクトがある。しかし、それだけという感じがする。ある意味、不思議な絵だった。
「晩鐘」 ミレー
ミレーといえば「落ち穂拾い」。でもヨーロッパではこの「晩鐘」の方が評価が高いらしい。晩鐘は夕方に鳴らされる教会の鐘で、農作業の手を止めてお祈りしているところ。ミレーは印象派ではなくバルビゾン派に属する。バルビゾンという村に住み農民画や風景画を描いたグループ。
どこから見てもミレーの絵。素朴さ、勤勉さ、人間らしさが溢れている。何か忘れてしまったようなものばかりで心を打たれる(^^ゞ
話は変わるが、先日の三浦半島にツーリングして畑の中で写真を撮った時のこと。バイクを停めた近くには農家の人もいた。その人達が写り混まないように撮ったのだけれど、どこを撮ろうかとアングルを考えている時、逆光で黒いシルエットになった人たちが中腰で農作業している姿は、まるでミレーの絵みたいだった。こちらの都合のいい構図にならなかったので写真は撮らなかったが、そのうちそういう写真にも挑戦してみようかと思う。
「干し草」 ジュール・バスティアン=ルパージュ
これもミレーと同じく写実主義的な作品。絵が気に入ったというより、描かれている女性が日本人というか縄文人みたいな顔なのがやたら印象に残ったので紹介。
「ローマのペスト」 エリー・ドローネ
羽根をはやしているのはもちろん天使。ナゼか黒い服を着た悪魔を連れており、天使が命令して悪魔が杖で扉を叩くと、叩いた数だけその家から死人が出るというよく理解できないシチュエーションが描かれている。
ダイナミックな構図で絵としても興味深い。それよりも展示会でこの絵を見たほとんどの人がエボラ熱のことを連想したんじゃないかな。いずれ日本にも入ってくることは避けられないと思うが、こんな光景にならないことを願う。
「フランス遠征、1814年」 エルネスト・メッソニエ
説明なしでも先頭の人物はナポレオンとわかる。しかしナポレオンはフランス人なのにフランス遠征とは?である。ナポレオンの時代はフランスvsその他の国々という対決構図。この絵の背景を超簡単に書くと、ロシアに攻め込んで帰る途中に他国がフランスに侵攻。それでフランスが戦場となるわけだが、なぜか歴史ではそれがナポレオンのフランス遠征と呼ばれている。
いかにも威風堂々とした行進風景。でも、この頃のナポレオンは絶不調の下り坂である。ロシア侵攻で壊滅的に兵力を失ったし、その後に再建した軍団も連敗続き。だからフランス遠征はまさに背水の陣。実際、この年にナポレオンは皇帝を退位させられエルバ島に追放されている。
30才くらいの頃、ナポレオンの3冊ほどにわたる長い伝記を読んだ。残念ながら内容つまり彼の生涯の細かなことはほとんど覚えていない。でも魅力的な人物や行動だったことは印象に残っている。時代も生い立ちも違うが信長に似たワクワク感があった。エルネスト・メッソニエはフランス人の画家だから、ナポレオンに対する贔屓目が絵にでてるように思う。ドラマなどで信長の最後が堂々とした立ち振る舞いになるのと同じ。でも気合いたっぷりなナポレオンの表情に較べて、後ろに続く将軍?達が少し元気なさそうに思えるのは私の気のせいか、あるいはこの後のナポレオンの運命を暗示しているのか。
「ベリュスの婚約者」 アンリ・ポール・モット
裸の女性が神を模したような像の真ん中に置かれ、下にはライオンがいて逃げ出せない。画面右側には引き揚げていく司祭のような謎の集団。生け贄?わーっ残酷!と思ってしまうが、解説によると女性は1日ここにいるだけで次の日には別の女性と交代するシステム。このよくわからない儀式は古代バビロニア(今のイラクあたり)の風習らしい。そんな伝説にヒントを得て目立つ絵を描いてやろうと思ったのがこの作品だろう。
まんまと罠にはまってしまった(^^ゞ
「ダンテとウェルギリウス」 ウイリアム・ブグロー
何が描かれているかは一目瞭然。小さな子供が見たらトラウマになりそうな絵である。これはダンテの神曲の一節を絵にしたもの。
ダンテの神曲ーーー名前はよく聞くが中身はまったく知らない。調べてみると1265年生まれのイタリアの詩人ダンテの代表作であり、イタリアで不動の地位を占める古典。日本の源氏物語みたいな位置づけか。もっともラブストーリーの源氏物語と違って、神曲は地獄、煉獄、天国を旅するというもの。ウェルギリウスは紀元前70年の古代ローマの詩人。神曲ではウェルギリウスがダンテを地獄と煉獄に案内するという筋立てになっている。ちなみに煉獄(れんごく)とは天国と地獄の中間だが厳しいところらしい。
この絵はタイトルがおかしい。争っているのはダンテとウェルギリウスではなく地獄に堕ちている罪人同士。その後ろにいて背中を見せているのがウェルギリウスでその隣がダンテである。罪人は噛みついているのがスキッキで劣勢なのがカポッキオという名前。この戦いの背景までは調べていないが、タイトルは絵の中心である「スキッキとカポッキオ」であるべきでしょ。
これは作者のウイリアム・ブグローが人間の身体を正確に、つまり解剖学的に正しいデッサンができる能力があることを示すために描いたらしい。目的に対して実に適切な課題の選び方である。ブグローをプレゼンテーション・テクニックの元祖と呼ぶことにしよう。「スキッキとカポッキオ」ではなく「ダンテとウェルギリウス」をタイトルにしたのは展覧会の書類審査に通るためだったりして。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル
怖い怖い絵の後は打って変わって天上界の美しさ。印象派とは対極にある古典的な作品はアカデミスムと総称される。当時のフランスで主流だったアカデミスムに対抗したのが印象派でありレアリスム(写実主義)である。
いろんな主義主張があって対立したんだろうけれど、その切磋琢磨があってたくさんの名作が生まれたことは喜ばしい限り。やはり進歩の源泉は競争かな。
アカデミスムを旧守派として批判したのが印象派。印象派が成功したからアカデミスムは古くさい絵という位置づけになっている。でもアカデミスムに限らず、こういう古典的な絵はけっこう好き。それはたぶん印象派な絵は日本人でも描けるが、アカデミスムは西洋的な価値観や歴史を反映しているから。つまり日本人である私にとっては見ていて非日常的な感覚を味わえる。そしてこの絵もそうだが極上に美しいものが多い。
ところで、ご存じヴィーナスは愛と美の女神。でも彼女は母親の命令によって息子が切り落として海に投げ捨てた父親(この家族は全員神様ね)のオチンチンから生まれたって知ってた? だからヴィーナスは海にいたり貝殻の上に立っている絵が多い。
「真理」 ジュール・ルフェーブル
シンプルな絵ではある、ズシンと響いてくるようなインパクトがあった。「ヴィーナスの誕生」が空想的に美しいとすれば、こちらは生身の美しさ。高く掲げているのは鏡かな。単に抜群のプロポーションに目を奪われたのではなく、美の真理を感じとったと信じたい(^^ゞ
ーーー続く
六本木にある国立新美術館。
訪れたのは2週間ほど前。その時はオルセー美術館展とチューリヒ美術館展が同時開催中。両方まとめて見る時間はなく、チューリヒ展は12月までやっているのでオルセー展に。
オルセー美術館といえば印象派の作品で有名。印象派を集めているというより、この美術館は19世紀中頃から20世紀中頃までが守備範囲なので結果的に印象派が多いらしい。
絵に興味を持つきっかけとなったのはルノワールだった(ような気がする)から、印象派の絵はなじみ深い。でも最近はあまり印象派が好きじゃない。クラシック音楽にも似たような傾向があって、例えばモーツアルトなら「こんなに美しくて楽しい音楽はない」と心酔している時期と「ワンパターンでお約束だらけの音楽」と敬遠する時期がある。今の印象派は後者の時期。しかし自由にCDを掛け替えられる音楽と違って、絵の場合は開催されている展示会から選ぶしかない。でもまあ敬遠気味の印象派でも見れば見たで楽しいのである。
この展示会のセールポイントは2つ。
マネの作品が多いこととモネの大作があること。
それにしてもマネとモネ
どちらも印象派だし実にややこしい(>_<)
モネはいろいろな絵を描いているが睡蓮のシリーズが有名。だから私は睡蓮がモネ、そうでないほうがマネと覚えている。なぜかモネはクロード・モネとフルネームを言えるが、マネがエドゥアール・マネであることはすぐに忘れるのが不思議。
「笛を吹く少年」 エドゥアール・マネ
ポスターにも使用されているし、今回の目玉作品であることは間違いない。誰もがどこかで目にしたことがある絵。
でも本物を前にしても特に何も感じない絵だった。この絵が発表された時、背景を何も描かず塗りつぶしていあるからトランプの絵と批判されたらしい。それは従来の伝統との対立した観点からの意見で、私にそんなことは関係ない。ビジュアル的には少年がポッと浮いているようでインパクトがある。しかし、それだけという感じがする。ある意味、不思議な絵だった。
「晩鐘」 ミレー
ミレーといえば「落ち穂拾い」。でもヨーロッパではこの「晩鐘」の方が評価が高いらしい。晩鐘は夕方に鳴らされる教会の鐘で、農作業の手を止めてお祈りしているところ。ミレーは印象派ではなくバルビゾン派に属する。バルビゾンという村に住み農民画や風景画を描いたグループ。
どこから見てもミレーの絵。素朴さ、勤勉さ、人間らしさが溢れている。何か忘れてしまったようなものばかりで心を打たれる(^^ゞ
話は変わるが、先日の三浦半島にツーリングして畑の中で写真を撮った時のこと。バイクを停めた近くには農家の人もいた。その人達が写り混まないように撮ったのだけれど、どこを撮ろうかとアングルを考えている時、逆光で黒いシルエットになった人たちが中腰で農作業している姿は、まるでミレーの絵みたいだった。こちらの都合のいい構図にならなかったので写真は撮らなかったが、そのうちそういう写真にも挑戦してみようかと思う。
「干し草」 ジュール・バスティアン=ルパージュ
これもミレーと同じく写実主義的な作品。絵が気に入ったというより、描かれている女性が日本人というか縄文人みたいな顔なのがやたら印象に残ったので紹介。
「ローマのペスト」 エリー・ドローネ
羽根をはやしているのはもちろん天使。ナゼか黒い服を着た悪魔を連れており、天使が命令して悪魔が杖で扉を叩くと、叩いた数だけその家から死人が出るというよく理解できないシチュエーションが描かれている。
ダイナミックな構図で絵としても興味深い。それよりも展示会でこの絵を見たほとんどの人がエボラ熱のことを連想したんじゃないかな。いずれ日本にも入ってくることは避けられないと思うが、こんな光景にならないことを願う。
「フランス遠征、1814年」 エルネスト・メッソニエ
説明なしでも先頭の人物はナポレオンとわかる。しかしナポレオンはフランス人なのにフランス遠征とは?である。ナポレオンの時代はフランスvsその他の国々という対決構図。この絵の背景を超簡単に書くと、ロシアに攻め込んで帰る途中に他国がフランスに侵攻。それでフランスが戦場となるわけだが、なぜか歴史ではそれがナポレオンのフランス遠征と呼ばれている。
いかにも威風堂々とした行進風景。でも、この頃のナポレオンは絶不調の下り坂である。ロシア侵攻で壊滅的に兵力を失ったし、その後に再建した軍団も連敗続き。だからフランス遠征はまさに背水の陣。実際、この年にナポレオンは皇帝を退位させられエルバ島に追放されている。
30才くらいの頃、ナポレオンの3冊ほどにわたる長い伝記を読んだ。残念ながら内容つまり彼の生涯の細かなことはほとんど覚えていない。でも魅力的な人物や行動だったことは印象に残っている。時代も生い立ちも違うが信長に似たワクワク感があった。エルネスト・メッソニエはフランス人の画家だから、ナポレオンに対する贔屓目が絵にでてるように思う。ドラマなどで信長の最後が堂々とした立ち振る舞いになるのと同じ。でも気合いたっぷりなナポレオンの表情に較べて、後ろに続く将軍?達が少し元気なさそうに思えるのは私の気のせいか、あるいはこの後のナポレオンの運命を暗示しているのか。
「ベリュスの婚約者」 アンリ・ポール・モット
裸の女性が神を模したような像の真ん中に置かれ、下にはライオンがいて逃げ出せない。画面右側には引き揚げていく司祭のような謎の集団。生け贄?わーっ残酷!と思ってしまうが、解説によると女性は1日ここにいるだけで次の日には別の女性と交代するシステム。このよくわからない儀式は古代バビロニア(今のイラクあたり)の風習らしい。そんな伝説にヒントを得て目立つ絵を描いてやろうと思ったのがこの作品だろう。
まんまと罠にはまってしまった(^^ゞ
「ダンテとウェルギリウス」 ウイリアム・ブグロー
何が描かれているかは一目瞭然。小さな子供が見たらトラウマになりそうな絵である。これはダンテの神曲の一節を絵にしたもの。
ダンテの神曲ーーー名前はよく聞くが中身はまったく知らない。調べてみると1265年生まれのイタリアの詩人ダンテの代表作であり、イタリアで不動の地位を占める古典。日本の源氏物語みたいな位置づけか。もっともラブストーリーの源氏物語と違って、神曲は地獄、煉獄、天国を旅するというもの。ウェルギリウスは紀元前70年の古代ローマの詩人。神曲ではウェルギリウスがダンテを地獄と煉獄に案内するという筋立てになっている。ちなみに煉獄(れんごく)とは天国と地獄の中間だが厳しいところらしい。
この絵はタイトルがおかしい。争っているのはダンテとウェルギリウスではなく地獄に堕ちている罪人同士。その後ろにいて背中を見せているのがウェルギリウスでその隣がダンテである。罪人は噛みついているのがスキッキで劣勢なのがカポッキオという名前。この戦いの背景までは調べていないが、タイトルは絵の中心である「スキッキとカポッキオ」であるべきでしょ。
これは作者のウイリアム・ブグローが人間の身体を正確に、つまり解剖学的に正しいデッサンができる能力があることを示すために描いたらしい。目的に対して実に適切な課題の選び方である。ブグローをプレゼンテーション・テクニックの元祖と呼ぶことにしよう。「スキッキとカポッキオ」ではなく「ダンテとウェルギリウス」をタイトルにしたのは展覧会の書類審査に通るためだったりして。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル
怖い怖い絵の後は打って変わって天上界の美しさ。印象派とは対極にある古典的な作品はアカデミスムと総称される。当時のフランスで主流だったアカデミスムに対抗したのが印象派でありレアリスム(写実主義)である。
いろんな主義主張があって対立したんだろうけれど、その切磋琢磨があってたくさんの名作が生まれたことは喜ばしい限り。やはり進歩の源泉は競争かな。
アカデミスムを旧守派として批判したのが印象派。印象派が成功したからアカデミスムは古くさい絵という位置づけになっている。でもアカデミスムに限らず、こういう古典的な絵はけっこう好き。それはたぶん印象派な絵は日本人でも描けるが、アカデミスムは西洋的な価値観や歴史を反映しているから。つまり日本人である私にとっては見ていて非日常的な感覚を味わえる。そしてこの絵もそうだが極上に美しいものが多い。
ところで、ご存じヴィーナスは愛と美の女神。でも彼女は母親の命令によって息子が切り落として海に投げ捨てた父親(この家族は全員神様ね)のオチンチンから生まれたって知ってた? だからヴィーナスは海にいたり貝殻の上に立っている絵が多い。
「真理」 ジュール・ルフェーブル
シンプルな絵ではある、ズシンと響いてくるようなインパクトがあった。「ヴィーナスの誕生」が空想的に美しいとすれば、こちらは生身の美しさ。高く掲げているのは鏡かな。単に抜群のプロポーションに目を奪われたのではなく、美の真理を感じとったと信じたい(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 15:02|Permalink│Comments(0)│