オリンピック
2024年08月22日
手話通訳が目障りだったオリンピック閉会式 その2
NHKは閉会式を
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
で放送する予定だった。しかし閉会式のあった8月11日に台風5号が東北地方に接近したので、総合テレビは閉会式の放送を開始直後にキャンセルして台風情報番組に変更。防災情報を優先して放送するのは法律で定められているNHKに課せられた役割。
実際は総合テレビのサブチャンネルで閉会式放送は継続されていたのだが、テレビの(リモコンで呼び出せる)番組表にはそここまで細かくは表示されず、私が閉会式を録画しようと思った10日の夜に、既に閉会式の放送予定が番組表に載っていたのはEテレだけだった。それがEテレで録画した理由。
自宅のテレビは個別の番組録画とは別に、6チャンネル分(NHK総合、日テレ、TBS、朝日、フジ、テレ東に設定している)を24時間自動録画する機能が付いている。それを使って閉会式開始前後の時間帯の総合テレビを確認してみるとと、サブチャンネルへの切り替え方法が案内されていた。画像はテレビ画面の撮影、以下同様
そういえばサブチャンネルとは、そんな機能があるとは知っていたものの、今まで見た経験はないな。とりあえず24時間自動録画にサブチャンネルも録画されていないかと、案内されていた方法を試してみたがテレビは反応せず。やはりサブチャンネルまでは録画されていないみたい。ネットで調べるとテレビの設定を変えれば録画も可能なようである。ただしだいたい何が放送されているのかもよく知らないので今のところ試していない。それとサブチャンネルは画質が落ちるらしい。
というわけで朝の4時から始まる閉会式を録画で見た人は多かったと思われるが、実質的にそれはEテレ一択=手話がメインで、閉会式の中継は縮小されてしか写っていない映像で見る以外になかったのである。
つまりこの手話通訳者が主役の画像。
右側を空けてわざわざ中継映像に被る位置に立つのは未だにナゾ
もっとも総合テレビで閉会式の放送を続けたとしても、今回は台風が接近していわゆるL字型画面での放送になってしまっているため、本来のサイズでは見られなかった。
サブチャンネルがL字なしのフル画面で見られたかどうかは知らない。
この画像はL字部分をトリミングして作成。
やはりこうやって較べるとフル画面が断然いいね。
以前にL字型画面を選択可能にして欲しい、録画ではデフォルトで消しておいて欲しいなんて話を書いたけれど、まだまだ道は遠いようでーーー
さてどうしてNHKは
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
と2本立てで放送していたのか。
調べてみるとどうやらそれは前回の2020東京オリンピック(コロナで延期になって開催されたのは2021年)に遡る。
ポイントだけを書くと、東京オリンピックでNHKは
開会式を手話通訳者なしで放送した
↓
その直後に、全日本ろうあ連盟などの団体が手話を付けるよう要求
↓
それを受け後日のオリンピック閉会式とパラリンピック開会閉会式で
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
で放送したとのいきさつ。
この総合テレビとEテレで放送を分ける方針は今回も踏襲され、またパリオリンピックでは開会式も同様の措置がとられている。
全日本ろうあ連盟とは15,803名(2024年3月31日現在)の会員がいる聴覚障害者の団体。ホームページによると基本的な取り組みとして、手話通訳の拡大が最初に掲げられている。
1.手話通訳の認知・手話通訳事業の制度化
2.聴覚障害を理由とする差別的な処遇の撤廃
3.聴覚障害者の社会参加と自立の推進
ちなみに「聾(ろう)」は耳が聞こえない、「唖(あ)」は声をうまく出せない・話せないを意味する。昔は「聾唖(ろうあ)の人」と呼んだが、今は「ろう者」が標準みたい。この団体も名前は「ろうあ連盟」なのに「ろう者の当事者団体」と説明している。
なお聴覚障害者=ろう者(まったく聞こえない)+難聴者がその定義で、手話を使うには主にろう者。しかしろう者は聞き慣れなくてイメージが湧かないので、今回は聴覚障害者の用語を使う。
さてNHKは抗議を受けて、東京オリンピック閉会式とパラリンピック開会閉会式を「総合テレビでは手話なし」「Eテレでは手話付き」で放送し、しかもその手話付きとは前回に一般的な手話付き放送と比較したように、聴覚障害者のために手話も付けたというより、手話通訳者を最大限に大きく写し、聴覚障害者向け専用の番組を用意したといえる配慮をした。
だからこれで丸く収まり一件落着かと思ったら、
全日本ろうあ連盟は不満たらたらだったのである。
連盟のホームページに掲載されている資料を読むと、まず彼らは東京オリンピックの開会式で手話が付けられなかったことに対して
「差別であると考えます」
と表明している。
そしてNHKが「総合テレビでは手話なし・Eテレでは手話付き」の対応を発表すると、
「総合テレビで手話言語通訳付き放送を実現していただきたく」
と再度要望を出している。
その理由として、資料に書かれた文章はやや論旨が一定していないものの
「わが国の視聴者の中には、『多様性と調和』への理解がなく手話言語通訳が
目障りだとの意見が残念ながら一定数存在します」
「多様性と調和を掲げるオリンピックだからこそ、NHK総合やEテレの
それぞれとも閉会式を放映するにあたり、手話言語通訳を付与することが
多様性と調和がなされた放送・サービスであると考えます」
とあり、多くの人が見る総合テレビでの手話つき放送が、国民への教育につながると考えているように思える。また「国連が定めたSDGsの『誰一人取り残さない』という理念」なども持ち出して自らの意見の正当性を主張している。
とにかく全日本ろうあ連盟にとって、
手話付き放送は聴覚障害者への利便性向上の実現よりも、
健常者へ手話を見せつけるのが目的だったようで、
総合テレビで手話が付かないのが我慢ならなかった様子がうかがえる。
ーーー続く
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
で放送する予定だった。しかし閉会式のあった8月11日に台風5号が東北地方に接近したので、総合テレビは閉会式の放送を開始直後にキャンセルして台風情報番組に変更。防災情報を優先して放送するのは法律で定められているNHKに課せられた役割。
実際は総合テレビのサブチャンネルで閉会式放送は継続されていたのだが、テレビの(リモコンで呼び出せる)番組表にはそここまで細かくは表示されず、私が閉会式を録画しようと思った10日の夜に、既に閉会式の放送予定が番組表に載っていたのはEテレだけだった。それがEテレで録画した理由。
自宅のテレビは個別の番組録画とは別に、6チャンネル分(NHK総合、日テレ、TBS、朝日、フジ、テレ東に設定している)を24時間自動録画する機能が付いている。それを使って閉会式開始前後の時間帯の総合テレビを確認してみるとと、サブチャンネルへの切り替え方法が案内されていた。画像はテレビ画面の撮影、以下同様
そういえばサブチャンネルとは、そんな機能があるとは知っていたものの、今まで見た経験はないな。とりあえず24時間自動録画にサブチャンネルも録画されていないかと、案内されていた方法を試してみたがテレビは反応せず。やはりサブチャンネルまでは録画されていないみたい。ネットで調べるとテレビの設定を変えれば録画も可能なようである。ただしだいたい何が放送されているのかもよく知らないので今のところ試していない。それとサブチャンネルは画質が落ちるらしい。
というわけで朝の4時から始まる閉会式を録画で見た人は多かったと思われるが、実質的にそれはEテレ一択=手話がメインで、閉会式の中継は縮小されてしか写っていない映像で見る以外になかったのである。
つまりこの手話通訳者が主役の画像。
右側を空けてわざわざ中継映像に被る位置に立つのは未だにナゾ
もっとも総合テレビで閉会式の放送を続けたとしても、今回は台風が接近していわゆるL字型画面での放送になってしまっているため、本来のサイズでは見られなかった。
サブチャンネルがL字なしのフル画面で見られたかどうかは知らない。
この画像はL字部分をトリミングして作成。
やはりこうやって較べるとフル画面が断然いいね。
以前にL字型画面を選択可能にして欲しい、録画ではデフォルトで消しておいて欲しいなんて話を書いたけれど、まだまだ道は遠いようでーーー
さてどうしてNHKは
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
と2本立てで放送していたのか。
調べてみるとどうやらそれは前回の2020東京オリンピック(コロナで延期になって開催されたのは2021年)に遡る。
ポイントだけを書くと、東京オリンピックでNHKは
開会式を手話通訳者なしで放送した
↓
その直後に、全日本ろうあ連盟などの団体が手話を付けるよう要求
↓
それを受け後日のオリンピック閉会式とパラリンピック開会閉会式で
総合テレビでは手話なし
Eテレでは手話付き
で放送したとのいきさつ。
この総合テレビとEテレで放送を分ける方針は今回も踏襲され、またパリオリンピックでは開会式も同様の措置がとられている。
全日本ろうあ連盟とは15,803名(2024年3月31日現在)の会員がいる聴覚障害者の団体。ホームページによると基本的な取り組みとして、手話通訳の拡大が最初に掲げられている。
1.手話通訳の認知・手話通訳事業の制度化
2.聴覚障害を理由とする差別的な処遇の撤廃
3.聴覚障害者の社会参加と自立の推進
ちなみに「聾(ろう)」は耳が聞こえない、「唖(あ)」は声をうまく出せない・話せないを意味する。昔は「聾唖(ろうあ)の人」と呼んだが、今は「ろう者」が標準みたい。この団体も名前は「ろうあ連盟」なのに「ろう者の当事者団体」と説明している。
なお聴覚障害者=ろう者(まったく聞こえない)+難聴者がその定義で、手話を使うには主にろう者。しかしろう者は聞き慣れなくてイメージが湧かないので、今回は聴覚障害者の用語を使う。
さてNHKは抗議を受けて、東京オリンピック閉会式とパラリンピック開会閉会式を「総合テレビでは手話なし」「Eテレでは手話付き」で放送し、しかもその手話付きとは前回に一般的な手話付き放送と比較したように、聴覚障害者のために手話も付けたというより、手話通訳者を最大限に大きく写し、聴覚障害者向け専用の番組を用意したといえる配慮をした。
だからこれで丸く収まり一件落着かと思ったら、
全日本ろうあ連盟は不満たらたらだったのである。
連盟のホームページに掲載されている資料を読むと、まず彼らは東京オリンピックの開会式で手話が付けられなかったことに対して
「差別であると考えます」
と表明している。
そしてNHKが「総合テレビでは手話なし・Eテレでは手話付き」の対応を発表すると、
「総合テレビで手話言語通訳付き放送を実現していただきたく」
と再度要望を出している。
その理由として、資料に書かれた文章はやや論旨が一定していないものの
「わが国の視聴者の中には、『多様性と調和』への理解がなく手話言語通訳が
目障りだとの意見が残念ながら一定数存在します」
「多様性と調和を掲げるオリンピックだからこそ、NHK総合やEテレの
それぞれとも閉会式を放映するにあたり、手話言語通訳を付与することが
多様性と調和がなされた放送・サービスであると考えます」
とあり、多くの人が見る総合テレビでの手話つき放送が、国民への教育につながると考えているように思える。また「国連が定めたSDGsの『誰一人取り残さない』という理念」なども持ち出して自らの意見の正当性を主張している。
とにかく全日本ろうあ連盟にとって、
手話付き放送は聴覚障害者への利便性向上の実現よりも、
健常者へ手話を見せつけるのが目的だったようで、
総合テレビで手話が付かないのが我慢ならなかった様子がうかがえる。
ーーー続く
wassho at 21:24|Permalink│Comments(0)│
2024年08月21日
手話通訳が目障りだったオリンピック閉会式
8月11日に終了したパリ2024オリンピック。
遅ればせながら録画してあった閉会式を数日前に観た。
すると画面にやたら大きく映っている手話通訳者。
しかも閉会式の映像に少し被っている。
ナンジャコレ?
しばらくして手話通訳者が退場。
最初だけだったのかと思ったら、次の手話通訳者が登場でガッカリ。
このあと何度も手話通訳者が順番に交代して、いつも最初は下を向いて入ってくるから、立ち位置を示すマークが床に貼ってあるのだろう。業界用語でいうバミる。つまり閉会式中継映像に被る位置に立つのは確信犯。じゃまだからもっと右に寄れや\(`0´)/
こちらは前回のパラリンピック閉会式の映像。同じような位置に立っているので、それがNHKの演出スタイルとわかる。画像はhttps://tokolabo.jp/tp_detail.php?id=2330から引用
それにしてもどうしてこんなに手話通訳者を大きく写すのだ?
下は先日の南海トラフ臨時情報を呼びかけた気象庁記者会見の動画と、その終了を伝えるテレビニュース映像。一般的に手話通訳者の大きさはニュース映像程度のはず。画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=J15ActtBdTgとhttps://www.youtube.com/watch?v=_-IC_6vLDdQから引用
参考までに画面全体に占める手話通訳者の大きさ割合を、画像ソフトで画面を選択したときに表示されるピクセル数で測ってみると
臨時情報呼びかけの動画 4.1%
臨時情報終了のニュース 1.6%
オリンピック閉会式 13.1%
計測は手話通訳者がワイプされている枠ではなく、手話通訳者そのものをを四角く切り取ったサイズで計算している。それにしても閉会式の通訳者は異常に大きい。
後で調べたらNHKは閉会式を総合テレビでは手話なしで、Eテレでは手話付きで放送していたとわかった。私が録画したのはEテレで、そしてこれは「手話も付いた放送」ではなく「手話がメインの放送」との位置づけ。
どうしてそんなことになっているのかを調べると、ポリコレ的な昨今のいろいろと複雑な社会事情が反映しているようである。
その話は後で書くとして、
まずは閉会式の手話が目障りハラダチ編を。
放送に手話が付くケースはたまにあるが、今まで特に注意して見てこなかった。でも今回は手話通訳者がやたら大きいのでイヤでも目に入る。すると手話とは手や腕で言葉を表現しているとの認識だったものの、どうやら表情も重要な要素のようで、手話通訳者は手腕を動かしているときにとても表情が豊かである。
ただ表情が手話においてどれだけ重要なのかはさておいて、手話が必要なく理解もできない私にとっては妙な「顔芸」にしか見えず、閉会式の映像に集中できなくて困った(^^ゞ たまに笑えもするが長く続くと不愉快でもある。
そしてどうしても手話通訳者の存在感と大きさが目障り。
せっかくキレイなアンジェルちゃんが歌っているのに台無しヤ(/o\)
五輪旗を振る主役のロサンゼルス市長やバッハ会長より大きな手話通訳者。
それはまだ我慢できるとして、
大写しになったトム・クルーズと、オマエが同じ大きさでいいわけないだろうガッ!
この録画は残しておくつもりだったのに、このシーンで削除決定(涙)
せっかく50インチのテレビを持っているのに、できるだけ手話通訳者を見ないようにするから30インチサイズの画面でしか楽しめなかったーーー
それはそうとして、
トム・クルーズがバンジージャンプで降りてきて、
ロサンゼルス市長から五輪旗を受け取ったと思ったら、
それを持ってバイクに乗り、
エッフェル塔を背景に疾走するシーンは痺れたね。
その後はどうなるかと思っていたら、
バイクごと輸送機に飛び込んで、
今度はロサンゼルス上空でスカイダイビング。
地上に降りて何をしているのかと思いきや、
実はこれが工事作業中で
徐々に画面が引いていくと、
なんとあの有名なハリウッドサインがオリンピックロゴに!
輸送機が登場した時点でスカイダイビングは予想できたけれど、
この結末はまったく意外でとても素晴らしい演出だった。
その後も五輪旗はいろんな人に引き継がれて、
ロサンゼルスの街に向かう格好いい映像が続く。
こんな風に手話通訳者なしで観たかったゼ!
ーーー続く
なお注釈を付けた以外の画像はテレビ画面の撮影
遅ればせながら録画してあった閉会式を数日前に観た。
すると画面にやたら大きく映っている手話通訳者。
しかも閉会式の映像に少し被っている。
ナンジャコレ?
しばらくして手話通訳者が退場。
最初だけだったのかと思ったら、次の手話通訳者が登場でガッカリ。
このあと何度も手話通訳者が順番に交代して、いつも最初は下を向いて入ってくるから、立ち位置を示すマークが床に貼ってあるのだろう。業界用語でいうバミる。つまり閉会式中継映像に被る位置に立つのは確信犯。じゃまだからもっと右に寄れや\(`0´)/
こちらは前回のパラリンピック閉会式の映像。同じような位置に立っているので、それがNHKの演出スタイルとわかる。画像はhttps://tokolabo.jp/tp_detail.php?id=2330から引用
それにしてもどうしてこんなに手話通訳者を大きく写すのだ?
下は先日の南海トラフ臨時情報を呼びかけた気象庁記者会見の動画と、その終了を伝えるテレビニュース映像。一般的に手話通訳者の大きさはニュース映像程度のはず。画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=J15ActtBdTgとhttps://www.youtube.com/watch?v=_-IC_6vLDdQから引用
参考までに画面全体に占める手話通訳者の大きさ割合を、画像ソフトで画面を選択したときに表示されるピクセル数で測ってみると
臨時情報呼びかけの動画 4.1%
臨時情報終了のニュース 1.6%
オリンピック閉会式 13.1%
計測は手話通訳者がワイプされている枠ではなく、手話通訳者そのものをを四角く切り取ったサイズで計算している。それにしても閉会式の通訳者は異常に大きい。
後で調べたらNHKは閉会式を総合テレビでは手話なしで、Eテレでは手話付きで放送していたとわかった。私が録画したのはEテレで、そしてこれは「手話も付いた放送」ではなく「手話がメインの放送」との位置づけ。
どうしてそんなことになっているのかを調べると、ポリコレ的な昨今のいろいろと複雑な社会事情が反映しているようである。
その話は後で書くとして、
まずは閉会式の手話が目障りハラダチ編を。
放送に手話が付くケースはたまにあるが、今まで特に注意して見てこなかった。でも今回は手話通訳者がやたら大きいのでイヤでも目に入る。すると手話とは手や腕で言葉を表現しているとの認識だったものの、どうやら表情も重要な要素のようで、手話通訳者は手腕を動かしているときにとても表情が豊かである。
ただ表情が手話においてどれだけ重要なのかはさておいて、手話が必要なく理解もできない私にとっては妙な「顔芸」にしか見えず、閉会式の映像に集中できなくて困った(^^ゞ たまに笑えもするが長く続くと不愉快でもある。
そしてどうしても手話通訳者の存在感と大きさが目障り。
せっかくキレイなアンジェルちゃんが歌っているのに台無しヤ(/o\)
五輪旗を振る主役のロサンゼルス市長やバッハ会長より大きな手話通訳者。
それはまだ我慢できるとして、
大写しになったトム・クルーズと、オマエが同じ大きさでいいわけないだろうガッ!
この録画は残しておくつもりだったのに、このシーンで削除決定(涙)
せっかく50インチのテレビを持っているのに、できるだけ手話通訳者を見ないようにするから30インチサイズの画面でしか楽しめなかったーーー
それはそうとして、
トム・クルーズがバンジージャンプで降りてきて、
ロサンゼルス市長から五輪旗を受け取ったと思ったら、
それを持ってバイクに乗り、
エッフェル塔を背景に疾走するシーンは痺れたね。
その後はどうなるかと思っていたら、
バイクごと輸送機に飛び込んで、
今度はロサンゼルス上空でスカイダイビング。
地上に降りて何をしているのかと思いきや、
実はこれが工事作業中で
徐々に画面が引いていくと、
なんとあの有名なハリウッドサインがオリンピックロゴに!
輸送機が登場した時点でスカイダイビングは予想できたけれど、
この結末はまったく意外でとても素晴らしい演出だった。
その後も五輪旗はいろんな人に引き継がれて、
ロサンゼルスの街に向かう格好いい映像が続く。
こんな風に手話通訳者なしで観たかったゼ!
ーーー続く
なお注釈を付けた以外の画像はテレビ画面の撮影
wassho at 23:31|Permalink│Comments(0)│
2021年09月26日
東京オリンピック開会式あれこれ その7
開会式での日本選手のユニフォーム。
これが毎度毎度かわり映えしないというのが前回に書いた話。
どの程度かわり映えしないかについて詳しくは前回を参照して欲しいが、
日本が戦後に参加した17の大会において、
上下で色違いのブレザー&ボトムのユニフォームだったのが13回
そのうち赤と白の日の丸カラー配色が9回
とマンネリを競うオリンピックなら金メダルを取れるレベル。
それでも1992年のバルセロナから2004年のアテネまでの4大会では、著名デザイナーを起用したり、かなりアバンギャルドに攻めたり(裏目に出たけど)した時期もあった。しかし今回に至るその後の4大会ではまたブレザースタイルに戻っている。
なぜそうなったのか、その背景までは知らない。
でも邪推するとーーー
8月8日の閉会式では、次の開催国であるフランスへの引き継ぎセレモニーが行われた。その時にパリからの中継映像が流れたのをご覧になっただろうか。イベントに集まった人々があまりマスクをしていないのにも驚いたけれど(ワクチン接種有無やPCR検査陰性など厳格に管理されていたらしい)、やたらカッコイイ映像が流れて彼我のセンスや演出力の差を見せつけられた思いになった(/o\)
残念ながら資料はあまりなく、
これはそのカッコイイ映像ではなく、現地パブリックビューイングの風景。
ところで中継の最後のほうにカメラのレンズに向かって、マジックで「パリ 2024」と落書きしたちょっとイケてる男性がいたのを覚えているかな?
この人物はトニー・エスタンゲ。3度も金メダルを取ったカヌーの元選手であり、43歳と若いが現在はフランスのオリンピック大会組織委員会の会長を務めている。つまり彼がパリのオリンピックを仕切る。
同じく大会組織委員会の会長として東京のオリンピックを牛耳っていたのは84歳のこのご老人。女性は話が長いと発言して辞任に追い込まれはしたが。
そりゃトップのセンスが違えば、あれこれ変わってくるよね。
それはユニフォームに限った話ではもちろんない。
改めるなら、そういうところからだぞ日本。
前置きが長くて話もそれたが、
日本には優秀なファッションデザイナーはたくさんいるのだから、次のパリ大会ではぜひそういった人を起用して腕を振るわせてほしいもの。
さてユニフォームのデザインが大切なのは、それによって注目を集める=日本のPRにつながるからであるが、その実現については少し違ったアプローチの方法もある。それが今回のメインテーマ。
今回の開会式で、最も注目を浴びネットでバズったのは、カザフスタンの旗手を務めたこの人のユニフォームというかコスチューム。まあマスクで少し得した面もあるが(^^ゞ
マッチョな上半身を披露したトンガのこの選手も人気が高かった。
バヌアツやツバルも負けじと。
日本にも相撲という裸の伝統があるのだが(^^ゞ
ちょっと事例が偏ってしまったが、ここで注目すべきなのは旗手や一部の選手に、選手団のユニフォームとは別のコスチュームを用意するという手もあるということである。
そしてもうひとつの観点は、こういった世界各国から人々が集まる場において、民族衣装あるいはそれをベースにしたものはインパクトがあるし「バエる」ということ。
そこから導かれるのは、
日本の旗手あるいは少数の先頭集団には
他の選手達とは別に
和装をベースとしたコスチュームを採用すべし
ということ。
やはり着物のインパクトは強力である。
百合子だっていい女に見える(^^ゞ
もちろん本物の着物では、行進には向かないし真夏には暑いから、あくまで和装をモチーフにしたコスチュームデザインということ。価格や着る手間も考える必要がある。参考として上で紹介した民族衣装の選手だって、民族衣装そのものを着ているわけじゃない。
逆に旗手あるいは少数の先頭集団以外の選手はジャージでいいんじゃないかな。今回のブレザー&ボトムを制作したのは「紳士服のAOKI」で、オリパラ総勢1600人を採寸してジャストフィットのものを提供したそうである。その労はねぎらわれるべきではあるが、オリンピック全体の戦略としては努力の方向が間違っている気がしなくもない。
カザフスタンの女神とトンガの戦士の写真は世界中に拡散した。それはそのコスチュームが人々の心をつかんだから。その結果としてそれぞれの国へなにがしかの貢献になったはず。一方で同じレベルで日本の選手を紹介した海外の人はほとんどいないだろう。たかが服のデザインの話と捉えるべきではないのだ。
次はがんばろうね。
おしまい
これが毎度毎度かわり映えしないというのが前回に書いた話。
どの程度かわり映えしないかについて詳しくは前回を参照して欲しいが、
日本が戦後に参加した17の大会において、
上下で色違いのブレザー&ボトムのユニフォームだったのが13回
そのうち赤と白の日の丸カラー配色が9回
とマンネリを競うオリンピックなら金メダルを取れるレベル。
それでも1992年のバルセロナから2004年のアテネまでの4大会では、著名デザイナーを起用したり、かなりアバンギャルドに攻めたり(裏目に出たけど)した時期もあった。しかし今回に至るその後の4大会ではまたブレザースタイルに戻っている。
なぜそうなったのか、その背景までは知らない。
でも邪推するとーーー
8月8日の閉会式では、次の開催国であるフランスへの引き継ぎセレモニーが行われた。その時にパリからの中継映像が流れたのをご覧になっただろうか。イベントに集まった人々があまりマスクをしていないのにも驚いたけれど(ワクチン接種有無やPCR検査陰性など厳格に管理されていたらしい)、やたらカッコイイ映像が流れて彼我のセンスや演出力の差を見せつけられた思いになった(/o\)
残念ながら資料はあまりなく、
これはそのカッコイイ映像ではなく、現地パブリックビューイングの風景。
ところで中継の最後のほうにカメラのレンズに向かって、マジックで「パリ 2024」と落書きしたちょっとイケてる男性がいたのを覚えているかな?
この人物はトニー・エスタンゲ。3度も金メダルを取ったカヌーの元選手であり、43歳と若いが現在はフランスのオリンピック大会組織委員会の会長を務めている。つまり彼がパリのオリンピックを仕切る。
同じく大会組織委員会の会長として東京のオリンピックを牛耳っていたのは84歳のこのご老人。女性は話が長いと発言して辞任に追い込まれはしたが。
そりゃトップのセンスが違えば、あれこれ変わってくるよね。
それはユニフォームに限った話ではもちろんない。
改めるなら、そういうところからだぞ日本。
前置きが長くて話もそれたが、
日本には優秀なファッションデザイナーはたくさんいるのだから、次のパリ大会ではぜひそういった人を起用して腕を振るわせてほしいもの。
さてユニフォームのデザインが大切なのは、それによって注目を集める=日本のPRにつながるからであるが、その実現については少し違ったアプローチの方法もある。それが今回のメインテーマ。
今回の開会式で、最も注目を浴びネットでバズったのは、カザフスタンの旗手を務めたこの人のユニフォームというかコスチューム。まあマスクで少し得した面もあるが(^^ゞ
マッチョな上半身を披露したトンガのこの選手も人気が高かった。
バヌアツやツバルも負けじと。
日本にも相撲という裸の伝統があるのだが(^^ゞ
ちょっと事例が偏ってしまったが、ここで注目すべきなのは旗手や一部の選手に、選手団のユニフォームとは別のコスチュームを用意するという手もあるということである。
そしてもうひとつの観点は、こういった世界各国から人々が集まる場において、民族衣装あるいはそれをベースにしたものはインパクトがあるし「バエる」ということ。
そこから導かれるのは、
日本の旗手あるいは少数の先頭集団には
他の選手達とは別に
和装をベースとしたコスチュームを採用すべし
ということ。
やはり着物のインパクトは強力である。
百合子だっていい女に見える(^^ゞ
もちろん本物の着物では、行進には向かないし真夏には暑いから、あくまで和装をモチーフにしたコスチュームデザインということ。価格や着る手間も考える必要がある。参考として上で紹介した民族衣装の選手だって、民族衣装そのものを着ているわけじゃない。
逆に旗手あるいは少数の先頭集団以外の選手はジャージでいいんじゃないかな。今回のブレザー&ボトムを制作したのは「紳士服のAOKI」で、オリパラ総勢1600人を採寸してジャストフィットのものを提供したそうである。その労はねぎらわれるべきではあるが、オリンピック全体の戦略としては努力の方向が間違っている気がしなくもない。
カザフスタンの女神とトンガの戦士の写真は世界中に拡散した。それはそのコスチュームが人々の心をつかんだから。その結果としてそれぞれの国へなにがしかの貢献になったはず。一方で同じレベルで日本の選手を紹介した海外の人はほとんどいないだろう。たかが服のデザインの話と捉えるべきではないのだ。
次はがんばろうね。
おしまい
wassho at 18:09|Permalink│Comments(0)│
2021年09月24日
東京オリンピック開会式あれこれ その6
開会式は既に2ヶ月も前のことになってしまったが、
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
wassho at 23:27|Permalink│Comments(0)│
2021年09月20日
東京オリンピック開会式あれこれ その5
前回に予告したのは、開会式を誰が企画演出したとしても、おそらく私は満足しなかっただろうという話。それは「その2」で書いた内容と少し被る。
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
wassho at 16:38|Permalink│Comments(0)│
2021年09月18日
東京オリンピック開会式あれこれ その4
パラリンピックも終わって既に2週間ほどが経ち、
もうオリ・パラの話題はほとんど聞かなくなってきた。
では、そろそろオリンピック開会式の話の続きでも書きますか(^^ゞ
何を今さら感あるあるだけれど、文末に「ーーー続く」と書いてそのままになっていたし。
それらのエントリーはこちらから。
東京オリンピック開会式あれこれ その1 一番よかったこと 一番残念だったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その2 一番惜しかったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その3 一番改善して欲しいこと
当初の予定では「その4」から開会式の個別的な事柄について書くつもりだった。自国開催という意味では滅多にないイベントである。だからあれこれと書き残しておきたい気持ちは強い。しかし、さすがに7月23日の話を今からはちょっとアレなので(ドレ?)、少し視点を変えた開会式に対する感想を2つほど。
開会式については評価するより批判する意見のほうが圧倒的に多かった。そんな中で飛び出したのが文春砲による「幻のオリジナル開会式企画は素晴らしかった」というスクープ。
それによると、
開会式の企画はMIKIKO(ミキコ:本名は水野幹子)という人物(Wikipediaに
よれば振付師、演出家)が担当し、骨格はほぼ固まっていた。
しかしオリンピックが1年延期された際に電通の意向によってMIKIKO氏は降板させ
られ、代わりに起用されたのが電通出身のクリエイティブ・ディレクターである
佐々木宏。クリエイティブ・ディレクターの説明は難しいが、広告などの制作に
おける監督みたいなもの。
この佐々木氏によってオリジナル企画がズタズタにコピペされたのが、開会式が
ダメダメになった原因。
などと解説されていた。
もっともらしいストーリーで、あり得そうな話ではある。
今は文春オンラインの有料会員でないと閲覧できないが、スクープされた当時はMIKIKO企画のあらすじや絵コンテ(主要場面をスケッチで表現したもの)のようなものを無料で見ることができた。もちろん私も見た。「あの開会式よりは全体的にまとまっている気はするが、このレベルの資料だけじゃ善し悪しはわからないな」というのがその感想だった。
しかしネットでの反応を見ると大絶賛の嵐。「鳥肌が立った!」「これぞクールジャパン!」「脳内にある開会式の記憶をこれと置き換えたい!」「この開会式を別途実現するクラウドファンディングがあれば絶対に出資する!」などなど。
それらのコメントを読んで思ったのは、言っちゃ悪いが「大衆って操作されやすいな」ということ。大衆という言葉がキツいなら世間と置き換えてもいい。
そう思ったのは、まず文春砲の資料だけで素人に全貌が掴めるはずがないこと。別に私がわからなかったから、そう言っているのではないよ(一応これでも多少はクリエイティブ関連の仕事経験はある)。次に、あのスクープは「MIKIKO氏=善、電通や組織委員会=悪」の設定でストーリーが煽られていたこと。
私も7月23日の開会式は落第だと思っているから、いろいろと批判したくなる気持ちはわかる。それでもまんまと文春砲の印象操作に乗せられて、MIKIKO企画をまるで神のように完璧なものとして崇めるのはどうかなという気がする。
それとこれは確信しているけれど、もしMIKIKO企画で開会式が行われたとしても、やはり多くの批判が起きただろうということ。こういった企画で万人を満足させることはできないし、ネット時代になって大衆は「権威」を批判する味を覚えた。あら探しをすれば批判はいくらでも可能で、何たって悪口を言うのは楽しいもの(^^ゞ
また佐々木氏を始め過去の発言を問われて辞職あるいは解任された関係者数名と同じように、もしMIKIKO氏がそのまま責任者のポジションにいたら、あることないこと色々と書き立てられたはず。
話はそれるが、開会式がチグハグな演出になった理由の一因として、政治家がコイツを出せアイツを出せとネジ込んできたからともいわれている。前述の大絶賛されたMIKIKO企画は、まだそれらが反映される前の内容。だからそこは割り引いて評価する必要がある。もちろん彼女がどう反映させたかは未知数であるが。
なお政治家の横やりをケシカランと思う向きもあるだろうが、まあ古今東西、世の中とはそういうものだと飲み込むしかない。優秀なクリエイターというのは、それらの口出しを上手にさばき取り入れ昇華させる能力を持った人。ミケランジェロだって注文主のリクエストを無碍(むげ)には断らない。
さて感想の2つ目は、
今まで書いたのとは違う意味で、仮にMIKIKO企画が実現しても開会式には不満を持っただろうなということ。それは開会式とは?というソモソモ論が関わってくる。
ーーー続く
ところでブログに何もビジュアルがないのも寂しいから、
開会式で最もなごめたシーンと腹立ったシーンでも貼っておこう。
もうオリ・パラの話題はほとんど聞かなくなってきた。
では、そろそろオリンピック開会式の話の続きでも書きますか(^^ゞ
何を今さら感あるあるだけれど、文末に「ーーー続く」と書いてそのままになっていたし。
それらのエントリーはこちらから。
東京オリンピック開会式あれこれ その1 一番よかったこと 一番残念だったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その2 一番惜しかったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その3 一番改善して欲しいこと
当初の予定では「その4」から開会式の個別的な事柄について書くつもりだった。自国開催という意味では滅多にないイベントである。だからあれこれと書き残しておきたい気持ちは強い。しかし、さすがに7月23日の話を今からはちょっとアレなので(ドレ?)、少し視点を変えた開会式に対する感想を2つほど。
開会式については評価するより批判する意見のほうが圧倒的に多かった。そんな中で飛び出したのが文春砲による「幻のオリジナル開会式企画は素晴らしかった」というスクープ。
それによると、
開会式の企画はMIKIKO(ミキコ:本名は水野幹子)という人物(Wikipediaに
よれば振付師、演出家)が担当し、骨格はほぼ固まっていた。
しかしオリンピックが1年延期された際に電通の意向によってMIKIKO氏は降板させ
られ、代わりに起用されたのが電通出身のクリエイティブ・ディレクターである
佐々木宏。クリエイティブ・ディレクターの説明は難しいが、広告などの制作に
おける監督みたいなもの。
この佐々木氏によってオリジナル企画がズタズタにコピペされたのが、開会式が
ダメダメになった原因。
などと解説されていた。
もっともらしいストーリーで、あり得そうな話ではある。
今は文春オンラインの有料会員でないと閲覧できないが、スクープされた当時はMIKIKO企画のあらすじや絵コンテ(主要場面をスケッチで表現したもの)のようなものを無料で見ることができた。もちろん私も見た。「あの開会式よりは全体的にまとまっている気はするが、このレベルの資料だけじゃ善し悪しはわからないな」というのがその感想だった。
しかしネットでの反応を見ると大絶賛の嵐。「鳥肌が立った!」「これぞクールジャパン!」「脳内にある開会式の記憶をこれと置き換えたい!」「この開会式を別途実現するクラウドファンディングがあれば絶対に出資する!」などなど。
それらのコメントを読んで思ったのは、言っちゃ悪いが「大衆って操作されやすいな」ということ。大衆という言葉がキツいなら世間と置き換えてもいい。
そう思ったのは、まず文春砲の資料だけで素人に全貌が掴めるはずがないこと。別に私がわからなかったから、そう言っているのではないよ(一応これでも多少はクリエイティブ関連の仕事経験はある)。次に、あのスクープは「MIKIKO氏=善、電通や組織委員会=悪」の設定でストーリーが煽られていたこと。
私も7月23日の開会式は落第だと思っているから、いろいろと批判したくなる気持ちはわかる。それでもまんまと文春砲の印象操作に乗せられて、MIKIKO企画をまるで神のように完璧なものとして崇めるのはどうかなという気がする。
それとこれは確信しているけれど、もしMIKIKO企画で開会式が行われたとしても、やはり多くの批判が起きただろうということ。こういった企画で万人を満足させることはできないし、ネット時代になって大衆は「権威」を批判する味を覚えた。あら探しをすれば批判はいくらでも可能で、何たって悪口を言うのは楽しいもの(^^ゞ
また佐々木氏を始め過去の発言を問われて辞職あるいは解任された関係者数名と同じように、もしMIKIKO氏がそのまま責任者のポジションにいたら、あることないこと色々と書き立てられたはず。
話はそれるが、開会式がチグハグな演出になった理由の一因として、政治家がコイツを出せアイツを出せとネジ込んできたからともいわれている。前述の大絶賛されたMIKIKO企画は、まだそれらが反映される前の内容。だからそこは割り引いて評価する必要がある。もちろん彼女がどう反映させたかは未知数であるが。
なお政治家の横やりをケシカランと思う向きもあるだろうが、まあ古今東西、世の中とはそういうものだと飲み込むしかない。優秀なクリエイターというのは、それらの口出しを上手にさばき取り入れ昇華させる能力を持った人。ミケランジェロだって注文主のリクエストを無碍(むげ)には断らない。
さて感想の2つ目は、
今まで書いたのとは違う意味で、仮にMIKIKO企画が実現しても開会式には不満を持っただろうなということ。それは開会式とは?というソモソモ論が関わってくる。
ーーー続く
ところでブログに何もビジュアルがないのも寂しいから、
開会式で最もなごめたシーンと腹立ったシーンでも貼っておこう。
wassho at 16:12|Permalink│Comments(0)│
2021年08月12日
メダルランキング3位の考察
7月28日に投稿したのは「メダル大国を目指すための国家戦略」という話。その時点で日本のメダルランキングはまだトップで「できれば過去最高となる3位または4位で踏みとどまって欲しいな」と願望を書いたら、なんと最終結果は3位と大健闘でメデタシ!
過去に3位(金メダルの数でカウント)となったのは、1964年の前回東京大会と1968年のメキシコ大会。あの頃の日本は高度成長時代で勢いがあったのだろう。メダルの枚数はメダルを競う種目の数が変化するから比較しても意味は無いが、とりあえず金メダルも金銀銅の総数も過去最高を記録。
金メダル:16枚(1964年東京、2004年アテネ)→今回は27枚
総数: 41枚(2016年リオデジャネイロ)→今回は58枚
新たに採用された競技のうち野球&ソフトボール、空手のメダル獲得は固かったが、スケボー、スポーツクライミング、サーフィンでもメダルを獲れたのが大きかったと思う。この5競技で獲得した金メダルは6枚で全体の1/4近くを占める。特にスケボーで金メダル3枚は予想外の成果だったのではないか。
仮にこの5競技が採用されていなかったら、日本の金メダルは21枚となり22枚のイギリスに3位の座を奪われていた(イギリスはこの5競技での金メダルはない)。そういう意味ではいろいろと不祥事・不手際が目立った大会関係者の唯一の功績が、この5競技をブッ込んだことといえばシバかれるかな(^^ゞ
もっとも3位に入れた最大の要因はロシアが振るわなかったことに助けられた面も大きい。今回はドーピング問題でROCという訳のわからない形での参加であるが、有力選手で出場できなかった人もいるのだろうか。
また7月28日に書いたようにアメリカ、ロシア、中国が強いのは別格として、イギリス、ドイツ、オーストラリア、フランス、イタリアの5カ国も過去20年で一度もベスト10入りを逃していない。そして今大会でもキッチリとベスト10にランクイン。つまりオリンピックは3超大国プラス5強の構図である。
メダルランキングの上位に入る=幅広い競技で強い選手を育成しなくてはならないから、それは国力の反映みたいなもの。国力って何だ?というと漠然としてしまうが、オリンピックのメダルランキングでトップ10に入るのは強国を推定するひとつの目安とも思える。そう考えるとオーストラリアは意外とポテンシャル高いのかも。日本は今回を含めた過去6大会で4回のトップ10入りで、いってみればトップ10の常連国。そのポジションをキープし、願わくば6強にのし上がらんことを。
ところで開催国が強いのはいわゆる(ホームとアウェーの)ホーム効果だと思っていた。今回のように無観客でもホームは有利なのだろうか? それとも海外まで遠征しなくていいのが体力や気分的に楽なのか。まあ通訳がいても言葉が通じないと思うだけで肩が凝るもんな。
過去に3位(金メダルの数でカウント)となったのは、1964年の前回東京大会と1968年のメキシコ大会。あの頃の日本は高度成長時代で勢いがあったのだろう。メダルの枚数はメダルを競う種目の数が変化するから比較しても意味は無いが、とりあえず金メダルも金銀銅の総数も過去最高を記録。
金メダル:16枚(1964年東京、2004年アテネ)→今回は27枚
総数: 41枚(2016年リオデジャネイロ)→今回は58枚
新たに採用された競技のうち野球&ソフトボール、空手のメダル獲得は固かったが、スケボー、スポーツクライミング、サーフィンでもメダルを獲れたのが大きかったと思う。この5競技で獲得した金メダルは6枚で全体の1/4近くを占める。特にスケボーで金メダル3枚は予想外の成果だったのではないか。
仮にこの5競技が採用されていなかったら、日本の金メダルは21枚となり22枚のイギリスに3位の座を奪われていた(イギリスはこの5競技での金メダルはない)。そういう意味ではいろいろと不祥事・不手際が目立った大会関係者の唯一の功績が、この5競技をブッ込んだことといえばシバかれるかな(^^ゞ
もっとも3位に入れた最大の要因はロシアが振るわなかったことに助けられた面も大きい。今回はドーピング問題でROCという訳のわからない形での参加であるが、有力選手で出場できなかった人もいるのだろうか。
また7月28日に書いたようにアメリカ、ロシア、中国が強いのは別格として、イギリス、ドイツ、オーストラリア、フランス、イタリアの5カ国も過去20年で一度もベスト10入りを逃していない。そして今大会でもキッチリとベスト10にランクイン。つまりオリンピックは3超大国プラス5強の構図である。
メダルランキングの上位に入る=幅広い競技で強い選手を育成しなくてはならないから、それは国力の反映みたいなもの。国力って何だ?というと漠然としてしまうが、オリンピックのメダルランキングでトップ10に入るのは強国を推定するひとつの目安とも思える。そう考えるとオーストラリアは意外とポテンシャル高いのかも。日本は今回を含めた過去6大会で4回のトップ10入りで、いってみればトップ10の常連国。そのポジションをキープし、願わくば6強にのし上がらんことを。
ところで開催国が強いのはいわゆる(ホームとアウェーの)ホーム効果だと思っていた。今回のように無観客でもホームは有利なのだろうか? それとも海外まで遠征しなくていいのが体力や気分的に楽なのか。まあ通訳がいても言葉が通じないと思うだけで肩が凝るもんな。
wassho at 07:50|Permalink│Comments(0)│
2021年08月09日
8位入賞だとは
昨日で閉会した東京オリンピック。
試合を観戦するのはもちろん、オリンピックが開かれる街の雰囲気を肌で感じて、
冥途の土産話にするつもりだったのに(^^ゞ
コロナのせいでそれらがかなわずに残念。
テレビでしか見られないのだから、どこで開催されているか関係ないようなものだが、それでもコロナで家にいる時間が長いし、もちろん時差もないから、今まででは最も長い時間オリンピックを見たかな。ついでに言うとテレビより gorin.jp でライブや録画動画を見ることのほうが多かった。
そうすると今まで気づかなかったことがあれこれ出てくる。
恥を忍んで書くが
8位までが入賞になるとは知らなかった(/o\)
以前は6位までが入賞だったはず。
いつから変わったのだ?と調べてみたら、何と1984年のロサンゼルス大会から!
世間知らずにもほどがあるゼ w(゚o゚)w
もう37年も続いていることに今さら文句を言っても仕方ないが、何となくこの8位までが入賞というのに違和感がある。それは陸上の短距離や水泳では決勝に8人または8組しか出場しないから。つまり決勝に出た時点で(失格しなければ)入賞は確定している。だから決勝でビリでも入賞であり、それってドウヨと思ってしまう。逆にマラソンなんてたくさんの選手が走るのだから15位くらいまで入賞にしてあげればいいのに。
オリンピックで入賞が6位から8位に変更されたのは1984年であるが、おそらくその頃にいろいろな大会でもそうなったのだと思う。ただし入賞枠が2つ増えた理由はネットで探しても見当たらなかった。
それとオリンピックなど国際レベルの大会が開かれる陸上競技場は9レーン、プールは10レーンあるのが標準。なのにどうして決勝に8人または8組しか出場させないのかもナゾ
一説によると陸上では準決勝で同タイムで8位が2人になった場合に備え、9名出場できるように1レーン空けてあるらしい。しかしタイムは1000分の1秒単位で計測するのに(記録として残すのは100分の1秒まで)、そんな配慮が必要なほど同着ってよく起きるのかな。さらに短距離以外のレースでは皆が最も内側のレーンを走るので、そのレーンの摩耗が進んでおり不公平を避けるために使わないという説も。
水泳の場合はプールサイドに近いレーンは波の影響を受けるから、両端のレーンは使わないともいわれる。しかし今のプールは波の反射も計算して設計されているはず。いずれにせよ陸上短距離、水泳ともに決勝に8人または8組しか出場させない明確な理由はわからず。
さらに恥を忍ぶとブログではレーンと書いているが、心の中ではついコースと呼んでしまう昭和な人間である。これもどこかで名称に関する規約の変更があったのだろう。またゼッケンはナンバーカード、ゴールはフィニッシュというのが現在のスタンダードらしい。
いくつになっても勉強できてうれしいな(^^ゞ
試合を観戦するのはもちろん、オリンピックが開かれる街の雰囲気を肌で感じて、
冥途の土産話にするつもりだったのに(^^ゞ
コロナのせいでそれらがかなわずに残念。
テレビでしか見られないのだから、どこで開催されているか関係ないようなものだが、それでもコロナで家にいる時間が長いし、もちろん時差もないから、今まででは最も長い時間オリンピックを見たかな。ついでに言うとテレビより gorin.jp でライブや録画動画を見ることのほうが多かった。
そうすると今まで気づかなかったことがあれこれ出てくる。
恥を忍んで書くが
8位までが入賞になるとは知らなかった(/o\)
以前は6位までが入賞だったはず。
いつから変わったのだ?と調べてみたら、何と1984年のロサンゼルス大会から!
世間知らずにもほどがあるゼ w(゚o゚)w
もう37年も続いていることに今さら文句を言っても仕方ないが、何となくこの8位までが入賞というのに違和感がある。それは陸上の短距離や水泳では決勝に8人または8組しか出場しないから。つまり決勝に出た時点で(失格しなければ)入賞は確定している。だから決勝でビリでも入賞であり、それってドウヨと思ってしまう。逆にマラソンなんてたくさんの選手が走るのだから15位くらいまで入賞にしてあげればいいのに。
オリンピックで入賞が6位から8位に変更されたのは1984年であるが、おそらくその頃にいろいろな大会でもそうなったのだと思う。ただし入賞枠が2つ増えた理由はネットで探しても見当たらなかった。
それとオリンピックなど国際レベルの大会が開かれる陸上競技場は9レーン、プールは10レーンあるのが標準。なのにどうして決勝に8人または8組しか出場させないのかもナゾ
一説によると陸上では準決勝で同タイムで8位が2人になった場合に備え、9名出場できるように1レーン空けてあるらしい。しかしタイムは1000分の1秒単位で計測するのに(記録として残すのは100分の1秒まで)、そんな配慮が必要なほど同着ってよく起きるのかな。さらに短距離以外のレースでは皆が最も内側のレーンを走るので、そのレーンの摩耗が進んでおり不公平を避けるために使わないという説も。
水泳の場合はプールサイドに近いレーンは波の影響を受けるから、両端のレーンは使わないともいわれる。しかし今のプールは波の反射も計算して設計されているはず。いずれにせよ陸上短距離、水泳ともに決勝に8人または8組しか出場させない明確な理由はわからず。
さらに恥を忍ぶとブログではレーンと書いているが、心の中ではついコースと呼んでしまう昭和な人間である。これもどこかで名称に関する規約の変更があったのだろう。またゼッケンはナンバーカード、ゴールはフィニッシュというのが現在のスタンダードらしい。
いくつになっても勉強できてうれしいな(^^ゞ
wassho at 23:17|Permalink│Comments(0)│
2021年07月28日
オリンピックでメダル大国を目指すための国家戦略
下の表は過去5大会の国別メダル獲得数である。
ランキングは金メダルが基準になっている。
日本がベスト10に入ったのは3回。最高はアテネ大会の5位。200ほどの国が参加するのだからこれは立派な成績ではあるが、もう少しがんばりたいところ。アメリカ、ロシア、中国が強いのはまあそうだとして、イギリス、ドイツ、オーストラリア、フランス、イタリアの5カ国だって一度もベスト10入りを逃していない。まずはそのレベルに上がりたいもの。
オリンピックでそれぞれのスポーツは競技>種別>種目という3つのヒエラルキーで区分されている。まずは大分類である「競技」というレベルで33区分。これは陸上やサッカーといったスポーツの種類そのもの。
そして、いくつかの「競技」は中分類の「種別」を持っている。
<水泳の種別>
競泳、マラソンスイミング、飛び込み、水球、
アーティスティックスイミング※2017年にシンクロナイズドスイミングから名称変更
<バレーボールの種別>
バレーボール、ビーチバレーボール
<体操の種別>
体操、新体操、トランポリン
<バスケットボールの種別>
バスケットボール、3x3
<レスリングの種別>
フリースタイル、グレコローマンスタイル
<自転車の種別>
トラック、ロード、マウンテンバイク、BMXレーシング、BMXフリースタイル
<馬術の種別>
障害馬術、馬場馬術、総合馬術
<射撃の種別>
ライフル射撃、クレー射撃
<カヌーの種別>
スプリント、スラローム
<空手の種別>
形、組み手
種別を持つ競技は10で、種別の合計は28となる。
競技と種別までがスポーツのジャンル分けだと考えると、
競技33+種別28−競技と種別の重複10=51
だからオリンピックは51種類のスポーツが集まった大会といえる。もっとも陸上競技には種別がなく100m走もマラソンもハンマー投げも種目なのに、なぜレスリングはフリーとグレコローマンで種別に分けられているのかなど、この区分けには多少の疑問もあるが。
例によって前振りが長かったけれど(^^ゞ
ここからが本題。
競技または種別の下位にくるのが「種目」。
陸上競技を例に列挙すると
100m 走高跳
200m 棒高跳
400m 走幅跳
800m 三段跳
1,500m 砲丸投
5,000m 円盤投
10,000m ハンマー投
マラソン やり投げ
10種/7種
110mハードル/100mハードル
400mハードル
3,000m障害
20km競歩
50km競歩
4×100mリレー
4×400mリレー
ここに上げたのは24項目であるが、それぞれに男女があり、ただし女子には50km競歩が無く、また4×400mリレーは男女混合もあるので24×2−1+1=48が陸上競技の種目である。
そして33競技すべての種目を合計すると339種目になる。つまり東京オリンピックは339枚の金メダルを目指して争っている大会。もちろん団体競技があるから金メダリストの人数はそれ以上になる。
さて種目の多い競技ベスト10を上げると、
水泳 49種目
陸上 48種目
自転車 22種目
体操 18種目
レスリング 18種目
カヌー 16種目
柔道 15種目
射撃 15種目
ボート 14種目
重量挙げ 14種目
と水泳と陸上が断トツに多いことがわかる。だからこの2つの競技を強化することがメダル獲得競争のポイントである。また日本が発祥の柔道も種目が多いから、これは日本のメダル獲得に有利に働いている。
そしてマイナー競技である自転車、カヌー、射撃、ボートの種目数が多いことに着目すべき。すなわちこれらの競技を国内でもっと盛んにする=強い選手を育成することが、国家としてメダル獲得競争への戦略的対応となる。あくまで比較として書いておくと、例えばサッカーなら団体競技で男子・女子の2種目なので、メダルは最大で金銀銅のどれか2枚しか取れない。
メダルを取れる可能性がとても高い野球とソフトボールが、次のオリンピックから外れてしまうのは日本にとって痛手。関係者は今後も日本が強い競技が採用されるよう、あるいは日本が強い競技の種目が増えるように画策すべき。あるいは逆に日本がほとんど勝てない競技、例えば射撃なら「銃被害社会を助長する」とかナンクセをつけて、オリンピックから排除できればメダル獲得競争で日本には有利に働く。えっ、そんなのはスポーツマンシップにもとるって? いやこれは政治マターだからキタナイこと何でもありなのよ(^^ゞ
それは冗談としてガンバレ・ガンバレだけではメダル大国になれないので、スポーツ行政関係者はそのあたりのところをよろしく。
ところで本日は大会5日目、つまりは会期の1/3ほどが経過した時点であるが、
出だし順調な日本は国別ランキングでなんとトップ\(^o^)/
できれば過去最高となる3位または4位で踏みとどまって欲しいな。
各国のメダル獲得数
7月28日午後8時30分現在
ランキングは金メダルが基準になっている。
日本がベスト10に入ったのは3回。最高はアテネ大会の5位。200ほどの国が参加するのだからこれは立派な成績ではあるが、もう少しがんばりたいところ。アメリカ、ロシア、中国が強いのはまあそうだとして、イギリス、ドイツ、オーストラリア、フランス、イタリアの5カ国だって一度もベスト10入りを逃していない。まずはそのレベルに上がりたいもの。
オリンピックでそれぞれのスポーツは競技>種別>種目という3つのヒエラルキーで区分されている。まずは大分類である「競技」というレベルで33区分。これは陸上やサッカーといったスポーツの種類そのもの。
そして、いくつかの「競技」は中分類の「種別」を持っている。
<水泳の種別>
競泳、マラソンスイミング、飛び込み、水球、
アーティスティックスイミング※2017年にシンクロナイズドスイミングから名称変更
<バレーボールの種別>
バレーボール、ビーチバレーボール
<体操の種別>
体操、新体操、トランポリン
<バスケットボールの種別>
バスケットボール、3x3
<レスリングの種別>
フリースタイル、グレコローマンスタイル
<自転車の種別>
トラック、ロード、マウンテンバイク、BMXレーシング、BMXフリースタイル
<馬術の種別>
障害馬術、馬場馬術、総合馬術
<射撃の種別>
ライフル射撃、クレー射撃
<カヌーの種別>
スプリント、スラローム
<空手の種別>
形、組み手
種別を持つ競技は10で、種別の合計は28となる。
競技と種別までがスポーツのジャンル分けだと考えると、
競技33+種別28−競技と種別の重複10=51
だからオリンピックは51種類のスポーツが集まった大会といえる。もっとも陸上競技には種別がなく100m走もマラソンもハンマー投げも種目なのに、なぜレスリングはフリーとグレコローマンで種別に分けられているのかなど、この区分けには多少の疑問もあるが。
例によって前振りが長かったけれど(^^ゞ
ここからが本題。
競技または種別の下位にくるのが「種目」。
陸上競技を例に列挙すると
100m 走高跳
200m 棒高跳
400m 走幅跳
800m 三段跳
1,500m 砲丸投
5,000m 円盤投
10,000m ハンマー投
マラソン やり投げ
10種/7種
110mハードル/100mハードル
400mハードル
3,000m障害
20km競歩
50km競歩
4×100mリレー
4×400mリレー
ここに上げたのは24項目であるが、それぞれに男女があり、ただし女子には50km競歩が無く、また4×400mリレーは男女混合もあるので24×2−1+1=48が陸上競技の種目である。
そして33競技すべての種目を合計すると339種目になる。つまり東京オリンピックは339枚の金メダルを目指して争っている大会。もちろん団体競技があるから金メダリストの人数はそれ以上になる。
さて種目の多い競技ベスト10を上げると、
水泳 49種目
陸上 48種目
自転車 22種目
体操 18種目
レスリング 18種目
カヌー 16種目
柔道 15種目
射撃 15種目
ボート 14種目
重量挙げ 14種目
と水泳と陸上が断トツに多いことがわかる。だからこの2つの競技を強化することがメダル獲得競争のポイントである。また日本が発祥の柔道も種目が多いから、これは日本のメダル獲得に有利に働いている。
そしてマイナー競技である自転車、カヌー、射撃、ボートの種目数が多いことに着目すべき。すなわちこれらの競技を国内でもっと盛んにする=強い選手を育成することが、国家としてメダル獲得競争への戦略的対応となる。あくまで比較として書いておくと、例えばサッカーなら団体競技で男子・女子の2種目なので、メダルは最大で金銀銅のどれか2枚しか取れない。
メダルを取れる可能性がとても高い野球とソフトボールが、次のオリンピックから外れてしまうのは日本にとって痛手。関係者は今後も日本が強い競技が採用されるよう、あるいは日本が強い競技の種目が増えるように画策すべき。あるいは逆に日本がほとんど勝てない競技、例えば射撃なら「銃被害社会を助長する」とかナンクセをつけて、オリンピックから排除できればメダル獲得競争で日本には有利に働く。えっ、そんなのはスポーツマンシップにもとるって? いやこれは政治マターだからキタナイこと何でもありなのよ(^^ゞ
それは冗談としてガンバレ・ガンバレだけではメダル大国になれないので、スポーツ行政関係者はそのあたりのところをよろしく。
ところで本日は大会5日目、つまりは会期の1/3ほどが経過した時点であるが、
出だし順調な日本は国別ランキングでなんとトップ\(^o^)/
できれば過去最高となる3位または4位で踏みとどまって欲しいな。
各国のメダル獲得数
7月28日午後8時30分現在
wassho at 20:39|Permalink│Comments(0)│
2021年07月27日
マイナー競技は gorin.jp で
テレビでは毎日かなりのオリンピック中継がなされているものの、やはりメジャーな競技が中心。ワールドカップや世界大会があるようなスポーツはその時にも見られるから、オリンピックではオリンピックでしか見る機会のないマイナーな競技を見たいのだが。しかしマイナーな競技=人気が無い=視聴率が稼げない=放送されないという宿命からは逃れられずーーー
でも gorin.jp というサイトをたまたま見つけた。「民放テレビ局によるインターネットでのオリンピック公式競技動画配信サイト」ということらしい。
「Live」と「動画」のメニューがありマイナーなものまでカバーしている。マウンテンバイクの競技なんて生まれて初めて見てかな。
お勧めはLiveで、何がいいかというと(マイナースポーツなら)実況や解説の音声がほとんど入っていないこと。私はスポーツ中継で解説者の押しつけがましい話を聞かされるのが嫌いなので助かる。またこのLive中継は試合と試合の間の何もないところでも映像を流しぱなしで、なんとなく現地に出かけた感を味わえる。
難点は画質があまりよくないこと。21インチのパソコンディスプレイで全面表示にするとちょっと厳しい。だからテレビには接続していない。ただし試合会場によってかなり差があるようにも思う。
ゴチャゴチャ説明するよりアクセスしてもらえればわかると思うので。
マイナー競技を見たい人は是非に。
https://www.gorin.jp/
7月30日追伸
動画はページ最後の「もっと見る」をクリックすると過去のものに遡れるが、日付が古くなるほどクリックの反応が遅くなる。次の動画一覧が表示されるまで3秒近くかかることがあるから「もうこれより古い動画は削除された」と思わないように。今のところ開会式前のソフトやサッカーの予選の動画も見られる。
でも gorin.jp というサイトをたまたま見つけた。「民放テレビ局によるインターネットでのオリンピック公式競技動画配信サイト」ということらしい。
「Live」と「動画」のメニューがありマイナーなものまでカバーしている。マウンテンバイクの競技なんて生まれて初めて見てかな。
お勧めはLiveで、何がいいかというと(マイナースポーツなら)実況や解説の音声がほとんど入っていないこと。私はスポーツ中継で解説者の押しつけがましい話を聞かされるのが嫌いなので助かる。またこのLive中継は試合と試合の間の何もないところでも映像を流しぱなしで、なんとなく現地に出かけた感を味わえる。
難点は画質があまりよくないこと。21インチのパソコンディスプレイで全面表示にするとちょっと厳しい。だからテレビには接続していない。ただし試合会場によってかなり差があるようにも思う。
ゴチャゴチャ説明するよりアクセスしてもらえればわかると思うので。
マイナー競技を見たい人は是非に。
https://www.gorin.jp/
7月30日追伸
動画はページ最後の「もっと見る」をクリックすると過去のものに遡れるが、日付が古くなるほどクリックの反応が遅くなる。次の動画一覧が表示されるまで3秒近くかかることがあるから「もうこれより古い動画は削除された」と思わないように。今のところ開会式前のソフトやサッカーの予選の動画も見られる。
wassho at 21:13|Permalink│Comments(0)│
2021年07月26日
東京オリンピック開会式あれこれ その3
スケートボードで堀米雄斗と西矢椛の両選手が金メダルを獲得!
誠にメデタシ。ただし、このストリートという種目は階段の手すりにスケボーで飛び乗って滑り降りたりするもの。それが難しいことは想像できるとしても「決まったー!」とアナウンサーが叫ぶシーンでも「どこがすごかった」のかよくわからず。ということで必然的にまったく感動・感激できなくてーーー
でも「ケッ! 昭和生まれが」と言われたくないから、
そんな気持ちは胸にしまっておくことにしよう(^^ゞ
さて開会式について
一番よかったこと
一番残念だったこと
一番惜しかったこと
を書いてきたが、今回は一番改善して欲しいことについて。
前回に書いたようにオリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
23日に行われた開会式については批判的な意見が多いように思えるが、それでも開会式を観た人はそれなりに楽しめたと思う。なぜなら開会式で一番長い時間を占めるのは2の選手の入場行進であり、それが持っている本質的な価値や楽しさが、他のメニューにマイナスがあっても、かなりの部分を帳消しにしてくれるから。
逆にいえば4だけのイベントだったら暴動が起きていたかもね(^^ゞ
開会式の放送が始まって40分ほどが経ち、イマイチ盛り上がらないショーの内容に退屈しだした頃、選手の入場行進が始まった。
先頭は伝統にしたがってオリンピック発祥国のギリシャ。その次が難民選手団だった。このカテゴリーができたのは前回のリオデジャネイロから。会場ではスタンディングオベーションで彼らを迎え入れたと記憶する。今回は無観客となって声援すらないのが残念。
その後は国名のアイウエオ順でアイスランド、アイルランド、アゼルバイジャン、アフガニスタン、アメリカ領サモア、アメリカ領ヴァージン諸島、アラブ首長国連邦、アルジェリアと続く。
国名は知っていてもほとんど馴染みのない国々の人達である。彼らの姿を見ているうちに、コロナのことはちょっと脇に置いておいて、とりあえず世界中から集まれてよかったよなあという気分になってきた。それにオリンピック出場を勝ち取った選手の晴れ姿を見ていると、こちらまでうれしくなってくる
ちなみにアンティグア・バーブーダとかギニアビサウなどの知らない国名を聞くのもオリンピック開会式の楽しみのひとつ。全部で10カ国ほどあった。多分これまでのオリンピックで聞いているはずだけれど忘れちゃっている(^^ゞ
というわけで選手が歩いているだけなのに、
下手なショーよりはるかに満足度の高いのが入場行進。ただしーーー
やっぱり長い、長すぎる
なんたって出場する国や団体は205もある。開催国としてトリを務めた日本の選手団が入場し終えたのが放送開始から2時間40分後。つまり入場行進に要した時間は2時間。いくら楽しくてもさすがに後半は飽きてくる。
先に入場し終えた選手も座り込んだり寝転がったり。
選手団が入場する間隔は基本が30秒で、大人数の選手団の場合は1分ほどを取っているようだった。仮にすべてが30秒間隔でも205選手団あるから1時間43分かかる。
入場行進の時間を短縮するには理論的に3つしか方法がない。
1)入場行進に参加できる人数を減らす。
→君は開会式に参加できませんとオニのような宣告はできない。
2)アスリートなんだから走って入場させる。
→理屈としては成立するが、どう考えても無理がある。
というわけで残る方法は1つだけ。
ほとんどの国の入場行進のスタイルはこんな感じ。
つまり隊列は縦長に伸びている。
ただし横長に隊列を組んでいる国もある。
この場合は12列縦隊くらい。(横に長いのは横隊で数えるべきだが比較のため縦隊で)
3)つまりこのように隊列を横長にすれば短い間隔で入場させられる。
日本選手団は大人数で5列縦隊なので超縦長。これは選手間で2メートルの間隔を取るというコロナ対策ルールも影響していると思われる。
アメリカと中国はともに12〜14列縦隊。
コロナルールはあまり気にしていないみたい。
アメリカなどの写真を見ると、既にかなり横長の隊列を組んでいるようにも思えるが、
それでも会場の広さを考えれば、もっと横長に展開できる。
中央に設けられたグレー色のゾーンのうち上下を人で囲まれた内側が選手が行進するところ。それを例えばグレゾーンのすべてを使うようにすれば、今の倍の25列縦隊くらいで行進できるはず。
日本の選手団は582人(競技日程の都合で開会式に参加しない選手もいるし、入場行進に加わる関係者もいるけれど、とりあえずの数字として)。これで5列縦隊だと長さは116列になるが、25列縦隊なら23列で済む。こういうふうにしてどんどんと間隔を詰めて入場行進に要する時間を短縮すべき。ほとんどの国は1列で足りるんじゃないかな。またもっと少人数で参加している国なら3〜4カ国を同時に入場させればいい。
とりあえず「目指せ、入場行進1時間以内!」で、お願いしたいかな。
ーーー続く
誠にメデタシ。ただし、このストリートという種目は階段の手すりにスケボーで飛び乗って滑り降りたりするもの。それが難しいことは想像できるとしても「決まったー!」とアナウンサーが叫ぶシーンでも「どこがすごかった」のかよくわからず。ということで必然的にまったく感動・感激できなくてーーー
でも「ケッ! 昭和生まれが」と言われたくないから、
そんな気持ちは胸にしまっておくことにしよう(^^ゞ
さて開会式について
一番よかったこと
一番残念だったこと
一番惜しかったこと
を書いてきたが、今回は一番改善して欲しいことについて。
前回に書いたようにオリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
23日に行われた開会式については批判的な意見が多いように思えるが、それでも開会式を観た人はそれなりに楽しめたと思う。なぜなら開会式で一番長い時間を占めるのは2の選手の入場行進であり、それが持っている本質的な価値や楽しさが、他のメニューにマイナスがあっても、かなりの部分を帳消しにしてくれるから。
逆にいえば4だけのイベントだったら暴動が起きていたかもね(^^ゞ
開会式の放送が始まって40分ほどが経ち、イマイチ盛り上がらないショーの内容に退屈しだした頃、選手の入場行進が始まった。
先頭は伝統にしたがってオリンピック発祥国のギリシャ。その次が難民選手団だった。このカテゴリーができたのは前回のリオデジャネイロから。会場ではスタンディングオベーションで彼らを迎え入れたと記憶する。今回は無観客となって声援すらないのが残念。
その後は国名のアイウエオ順でアイスランド、アイルランド、アゼルバイジャン、アフガニスタン、アメリカ領サモア、アメリカ領ヴァージン諸島、アラブ首長国連邦、アルジェリアと続く。
国名は知っていてもほとんど馴染みのない国々の人達である。彼らの姿を見ているうちに、コロナのことはちょっと脇に置いておいて、とりあえず世界中から集まれてよかったよなあという気分になってきた。それにオリンピック出場を勝ち取った選手の晴れ姿を見ていると、こちらまでうれしくなってくる
ちなみにアンティグア・バーブーダとかギニアビサウなどの知らない国名を聞くのもオリンピック開会式の楽しみのひとつ。全部で10カ国ほどあった。多分これまでのオリンピックで聞いているはずだけれど忘れちゃっている(^^ゞ
というわけで選手が歩いているだけなのに、
下手なショーよりはるかに満足度の高いのが入場行進。ただしーーー
やっぱり長い、長すぎる
なんたって出場する国や団体は205もある。開催国としてトリを務めた日本の選手団が入場し終えたのが放送開始から2時間40分後。つまり入場行進に要した時間は2時間。いくら楽しくてもさすがに後半は飽きてくる。
先に入場し終えた選手も座り込んだり寝転がったり。
選手団が入場する間隔は基本が30秒で、大人数の選手団の場合は1分ほどを取っているようだった。仮にすべてが30秒間隔でも205選手団あるから1時間43分かかる。
入場行進の時間を短縮するには理論的に3つしか方法がない。
1)入場行進に参加できる人数を減らす。
→君は開会式に参加できませんとオニのような宣告はできない。
2)アスリートなんだから走って入場させる。
→理屈としては成立するが、どう考えても無理がある。
というわけで残る方法は1つだけ。
ほとんどの国の入場行進のスタイルはこんな感じ。
つまり隊列は縦長に伸びている。
ただし横長に隊列を組んでいる国もある。
この場合は12列縦隊くらい。(横に長いのは横隊で数えるべきだが比較のため縦隊で)
3)つまりこのように隊列を横長にすれば短い間隔で入場させられる。
日本選手団は大人数で5列縦隊なので超縦長。これは選手間で2メートルの間隔を取るというコロナ対策ルールも影響していると思われる。
アメリカと中国はともに12〜14列縦隊。
コロナルールはあまり気にしていないみたい。
アメリカなどの写真を見ると、既にかなり横長の隊列を組んでいるようにも思えるが、
それでも会場の広さを考えれば、もっと横長に展開できる。
中央に設けられたグレー色のゾーンのうち上下を人で囲まれた内側が選手が行進するところ。それを例えばグレゾーンのすべてを使うようにすれば、今の倍の25列縦隊くらいで行進できるはず。
日本の選手団は582人(競技日程の都合で開会式に参加しない選手もいるし、入場行進に加わる関係者もいるけれど、とりあえずの数字として)。これで5列縦隊だと長さは116列になるが、25列縦隊なら23列で済む。こういうふうにしてどんどんと間隔を詰めて入場行進に要する時間を短縮すべき。ほとんどの国は1列で足りるんじゃないかな。またもっと少人数で参加している国なら3〜4カ国を同時に入場させればいい。
とりあえず「目指せ、入場行進1時間以内!」で、お願いしたいかな。
ーーー続く
wassho at 23:42|Permalink│Comments(0)│
2021年07月25日
東京オリンピック開会式あれこれ その2
前回は開会式で一番よかったことと一番残念だったことを書いたが、
今回は一番惜しかったことについて。
さて
どのオリンピックの開会式が記憶に残っているかについては、もちろん世代によるけれど、ある年齢以上なら次の2つが断トツに票を集めるだろう。というかこの2つ以外をしっかりと覚えている人はあまりいないはず。
空飛ぶロケットマンに度肝を抜かれた
1984年のロサンゼルスオリンピック。
火がついたアーチェリーでの点火に感動した
1992年のバルセロナオリンピック。
オリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
1と2はあまりイジりようがないから、記憶に残る、言い換えれば評価される開会式とは3と4でレベルの高いサプライズを打ち出せるかにかかっている(ちょっとロジックが強引なのは承知の上)。
聖火の点火という狭い行為の範囲で、バルセロナ以上のサプライズを演出するのは相当に難しいかも知れない。しかしショーの内容・構成なら可能性は無限にあるわけで、37年も昔のロサンゼルスを未だに超えられないのはおかしなこと。
それはおそらくショーの企画において、いつの頃からか、サプライズよりもアーティスティックな表現だったり、あるいは問題提起を投げかけるような演出に重きをおきだしたからのように思える。クリエーターというのは観客のニーズに応えるよりも自分のやりたいことを優先しがち。それをディレクションするのがディレクターなりプロデューサーの仕事であるが、往々にしてそういう人もクリエーター上がりな訳で。そういう構造はマーケティングもエンタテイメントも同じである。
だから開会式について述べるならば、個々の演目のアーダコーダよりも、まず全体としてピントがずれていたという感想が先に出てしまう。
しかしそれでも今回は、その大切なサプライズに関して惜しいところもあったのである。
それは国立競技場の上空に浮かんだこの球体。もうほとんどの人は、これが多数のドローンに搭載されたライトによるものだと知っているだろう。その数なんと1842台
かなりの大きさである。
少し調べたが直径などの情報は得られなかった。
最初はこういう形というか光り方から変形していったのであるが、アナウンサーから解説があるまでドローンだとは思っていなかった。気球をプロジェクションマッピングのように照らしているのかなと。
なんたって1週間ほど前には、こんな巨大な顔アートがオリンピックの前座として登場していたわけで(^^ゞ ところでこの企画はおもしろかったのに単発で終わったのかな?
それはさておき、この演出はテレビで見る限りは立体感やサイズなどが把握できない。だから日本を含めて世界中のほとんどの人にとって、ドローンによるものだという解説がなければ、ミラーボールのようなものが光っている程度にしか認識されなかったと思う。そしてこの正体がドローンだと知らされてビックリしたはず。
何を言いたいかというと、どうして最初からもっとドローンだということを強調しなかったのかということ。グランドから1824台のドローンが次々と飛び立って、競技場の中でも球体だけではなく様々なトランスフォーメーションを披露して、最後に上空で地球の姿にでもなればよかったのに。ひょっとしたらロサンゼルスオリンピックのロケットマンと並ぶサプライズを演出できた可能性もあったと思う。(ロケットマンと違ってドローンショーは史上初じゃないから、その意味で「超えられない」けど)
実際はどうだったかというと、地球の模様になったドローンは特にフィナーレも無くフェードアウトして、その後は唐突にジョン・レノンのイマジンが流れて、連帯のようなものを訴える陳腐な演出。
そして、これら4人のドアップ映像が延々と流れる。
もちろんそれなりに有名な人達で、たとえば左下の男性はジョン・レジェンドといいグラミー賞を11回も獲り、また2019年の米ピープル誌で「世界で最もセクシーな男性」に選ばれたらしい。しかし「わっ、ジョン・レジェンドだ!東京オリンピックすげえ」と思った人は世界にどれくらいいたんだろうね。
ついでに書くと、残念ながらドローンや飛行制御のシステムは日本製ではなくアメリカのインテルのもの。そしてドローン自体はかなりコンパクトなサイズ。
やっぱり見たかったよね、
これが1842台も飛び上がって乱舞しながらマス・パフォーマンスする光景を。
ーーー続く
今回は一番惜しかったことについて。
さて
どのオリンピックの開会式が記憶に残っているかについては、もちろん世代によるけれど、ある年齢以上なら次の2つが断トツに票を集めるだろう。というかこの2つ以外をしっかりと覚えている人はあまりいないはず。
空飛ぶロケットマンに度肝を抜かれた
1984年のロサンゼルスオリンピック。
火がついたアーチェリーでの点火に感動した
1992年のバルセロナオリンピック。
オリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
1と2はあまりイジりようがないから、記憶に残る、言い換えれば評価される開会式とは3と4でレベルの高いサプライズを打ち出せるかにかかっている(ちょっとロジックが強引なのは承知の上)。
聖火の点火という狭い行為の範囲で、バルセロナ以上のサプライズを演出するのは相当に難しいかも知れない。しかしショーの内容・構成なら可能性は無限にあるわけで、37年も昔のロサンゼルスを未だに超えられないのはおかしなこと。
それはおそらくショーの企画において、いつの頃からか、サプライズよりもアーティスティックな表現だったり、あるいは問題提起を投げかけるような演出に重きをおきだしたからのように思える。クリエーターというのは観客のニーズに応えるよりも自分のやりたいことを優先しがち。それをディレクションするのがディレクターなりプロデューサーの仕事であるが、往々にしてそういう人もクリエーター上がりな訳で。そういう構造はマーケティングもエンタテイメントも同じである。
だから開会式について述べるならば、個々の演目のアーダコーダよりも、まず全体としてピントがずれていたという感想が先に出てしまう。
しかしそれでも今回は、その大切なサプライズに関して惜しいところもあったのである。
それは国立競技場の上空に浮かんだこの球体。もうほとんどの人は、これが多数のドローンに搭載されたライトによるものだと知っているだろう。その数なんと1842台
かなりの大きさである。
少し調べたが直径などの情報は得られなかった。
最初はこういう形というか光り方から変形していったのであるが、アナウンサーから解説があるまでドローンだとは思っていなかった。気球をプロジェクションマッピングのように照らしているのかなと。
なんたって1週間ほど前には、こんな巨大な顔アートがオリンピックの前座として登場していたわけで(^^ゞ ところでこの企画はおもしろかったのに単発で終わったのかな?
それはさておき、この演出はテレビで見る限りは立体感やサイズなどが把握できない。だから日本を含めて世界中のほとんどの人にとって、ドローンによるものだという解説がなければ、ミラーボールのようなものが光っている程度にしか認識されなかったと思う。そしてこの正体がドローンだと知らされてビックリしたはず。
何を言いたいかというと、どうして最初からもっとドローンだということを強調しなかったのかということ。グランドから1824台のドローンが次々と飛び立って、競技場の中でも球体だけではなく様々なトランスフォーメーションを披露して、最後に上空で地球の姿にでもなればよかったのに。ひょっとしたらロサンゼルスオリンピックのロケットマンと並ぶサプライズを演出できた可能性もあったと思う。(ロケットマンと違ってドローンショーは史上初じゃないから、その意味で「超えられない」けど)
実際はどうだったかというと、地球の模様になったドローンは特にフィナーレも無くフェードアウトして、その後は唐突にジョン・レノンのイマジンが流れて、連帯のようなものを訴える陳腐な演出。
そして、これら4人のドアップ映像が延々と流れる。
もちろんそれなりに有名な人達で、たとえば左下の男性はジョン・レジェンドといいグラミー賞を11回も獲り、また2019年の米ピープル誌で「世界で最もセクシーな男性」に選ばれたらしい。しかし「わっ、ジョン・レジェンドだ!東京オリンピックすげえ」と思った人は世界にどれくらいいたんだろうね。
ついでに書くと、残念ながらドローンや飛行制御のシステムは日本製ではなくアメリカのインテルのもの。そしてドローン自体はかなりコンパクトなサイズ。
やっぱり見たかったよね、
これが1842台も飛び上がって乱舞しながらマス・パフォーマンスする光景を。
ーーー続く
wassho at 22:04|Permalink│Comments(0)│
2021年07月24日
東京オリンピック開会式あれこれ
せっかく東京でオリンピックが開催されるのに、コロナのせいで無観客になって相当にガッカリである。だって次の機会がいずれまた訪れるとしても、年齢的に私はもう(^^ゞ もっともチケットは、あまりオリンピックらしさを味わえないマイナーな競技しか当選していなかったのであるが。(でもダフ屋を使えばと小声で)
昨日は20秒ほど時間をロスしているうちにブルーインパルスのスモークが消えてしまい悔しい思いをしたが、開会式はしっかりとテレビで観た。
とりあえず一番よかったことと、
一番残念だったことの2つから書いておきたい。
一番よかったというかポイントが高かったのは座席の色である。開会式を観た人なら納得してもらえるだろうし、観ていない人は「何を言い出すのか」と思うかも知れない。
無観客のサッカーや野球の試合は(テレビで)観たことはあるが、開会式という一種の祭りみたいなものを無観客で行うとどうなるのだろう、ガラガラのスタンドを写さないようにカメラはできるだけ寄り気味で撮影するのだろうかーーーなどと心配半分・興味半分だったのだが、
えっ、満席やん!
上の写真はクリックで拡大してもパッと見には無観客に見えない。
もう少し近づいた写真ではこうなっている。
座席に何色かの色が付けられ、それがモザイクのような視覚的効果を生んで空席には見えにくい仕掛けになっている。
なるほど上手く考えたものだ、布か紙で座席を覆ったのだな。辞任や解任続きの開会式制作チームもやるときはやるじゃないかとテレビを観ている時は思っていたがーーー
実は新しい国立競技場の座席はもともとこういう色で作られている。
目的はまさに空席を目立たないようにするためで、海外のスタジアムではよく使われる手法らしい。東京ドームなどの座席は単色だけれど、日本で他に導入しているところはあるのかな。スポーツもそうだがコンサートなんかでも観客が少なければテンションが下がるから、これは文武両方にプレーヤーファーストな配慮かも知れない。なおかつコスト的には単色とほとんど変わらないと思われるから実に素晴らしいアイデアである。
さらに
モザイク効果に加えて色つきのライティングで見事に無観客ぽさが消し去られていた。
ここまで来ると詐欺レベル?
もちろん歓声や声援のなさまでは隠せないが。
しかし会場の一部にモザイクではなく赤い色をしている場所もあった。
どうしてここだけ?空席が目立つじゃない?と思ったが、写真をよく見るとこのエリアにはけっこう人がいる。調べてみたら記者席らしい。赤いのはテーブルが設置されているのだろうか(写真を拡大しても不鮮明でよくわからない)。
それにしても記者席がこんなに広いエリアだとは思っていなかった。マスコミのためのオリンピックかよと思わなくもないが、このおかげで全世界の人がオリンピックを楽しめるのだから仕方ないか。
まあとにかくガラーンとした会場で寂しい開会式になるのではと心配していたが、モザイク座席のおかげでそんな雰囲気を感じることはなくてメデタシめでたし。
開会式で一番よかったのが座席の色だったということは、
式典そのものには相当批判的なのか?
まあそれは何ともいえないところではあるのだが、
次は「あくまで個人の感想です」と言い訳を付けて一番残念だったことを。
開会式ではもちろん各国選手団の入場行進がある。その先頭には国名を記したプラカードを掲げた若いオネエちゃんがーーーいると思っていたら。
さすがに一番最初に入場してくるギリシャではそれなりの人選だったが、
それ以外ではメンズだったり、
オバチャンだったりすることも。
テレビの解説では「この時代は多様性が大事なので云々〜」つまり若いオネエちゃん、キレイなオネエちゃん以外の人もプラカードを持って行進に参加していますというようなことを言っていた。
多様性あるいはダイバーシティとは最近よく聞くキーワードである。もちろん大切なことは百も承知しているが、それがプラカードを持つ人にまで反映される社会はイヤや(^^ゞ というのが正直な気持ち。さらに言えば今回はマスクで顔が隠れていて助かったかな。何でもかんでも平等にすればいいってものじゃない。
ところで今回の開会式はゲーム、アニメ、漫画といった日本のサブカルチャーをかなりフューチャーした演出となっている。それでプラカードだって漫画の吹き出しを模したデザインになっているくらい。日本の売りはサブカルしかないのかと少し寂しくも思うが、
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
そこまでサブカル推しならばアイドルをプラカード担当にすればよかったのに。こんな雰囲気の人がいっぱいいて(参加している=プラカードが必要なのは205の国や団体)プラカードを掲げるだけでなく何かパフォーマンスもすれば楽しかったと思うけど。
もっとも日本的なアイドルがワールドワイドに受け入れられる・理解されるかというと、ちょっと疑問なところもあるから、やっぱりここはコスプレーヤーに登場願おうか。コスプレなら意味はわからなくてもインパクトは抜群だし楽しさも伝わる。付け加えれば老若男女のキャラクターがあってダイバーシティだし。
もちろん権利関係の調整はたいへんかも知れないが、7年間も準備期間があったし開会式だけで165億円の予算なのだから金がなくてできないということはなかったはず(←いろいろと含むところがある表現となっています)。次のオリンピックを企画する人は参考にしてね。
ちなみに前回の東京オリンピックは1964年だったから、2020年計算で今回は56年ぶり。いっぽう冬季オリンピックは札幌が1972年で1998年なので26年後ということになる。そのペースで次回がやってくれば何とか観られるかも知れない。いや、やはり諦めてパリかロサンゼルスに行くべきかだろうな。
ーーー続く
オリンピック期間中に開会式のネタが終わるか心配である(^^ゞ
昨日は20秒ほど時間をロスしているうちにブルーインパルスのスモークが消えてしまい悔しい思いをしたが、開会式はしっかりとテレビで観た。
とりあえず一番よかったことと、
一番残念だったことの2つから書いておきたい。
一番よかったというかポイントが高かったのは座席の色である。開会式を観た人なら納得してもらえるだろうし、観ていない人は「何を言い出すのか」と思うかも知れない。
無観客のサッカーや野球の試合は(テレビで)観たことはあるが、開会式という一種の祭りみたいなものを無観客で行うとどうなるのだろう、ガラガラのスタンドを写さないようにカメラはできるだけ寄り気味で撮影するのだろうかーーーなどと心配半分・興味半分だったのだが、
えっ、満席やん!
上の写真はクリックで拡大してもパッと見には無観客に見えない。
もう少し近づいた写真ではこうなっている。
座席に何色かの色が付けられ、それがモザイクのような視覚的効果を生んで空席には見えにくい仕掛けになっている。
なるほど上手く考えたものだ、布か紙で座席を覆ったのだな。辞任や解任続きの開会式制作チームもやるときはやるじゃないかとテレビを観ている時は思っていたがーーー
実は新しい国立競技場の座席はもともとこういう色で作られている。
目的はまさに空席を目立たないようにするためで、海外のスタジアムではよく使われる手法らしい。東京ドームなどの座席は単色だけれど、日本で他に導入しているところはあるのかな。スポーツもそうだがコンサートなんかでも観客が少なければテンションが下がるから、これは文武両方にプレーヤーファーストな配慮かも知れない。なおかつコスト的には単色とほとんど変わらないと思われるから実に素晴らしいアイデアである。
さらに
モザイク効果に加えて色つきのライティングで見事に無観客ぽさが消し去られていた。
ここまで来ると詐欺レベル?
もちろん歓声や声援のなさまでは隠せないが。
しかし会場の一部にモザイクではなく赤い色をしている場所もあった。
どうしてここだけ?空席が目立つじゃない?と思ったが、写真をよく見るとこのエリアにはけっこう人がいる。調べてみたら記者席らしい。赤いのはテーブルが設置されているのだろうか(写真を拡大しても不鮮明でよくわからない)。
それにしても記者席がこんなに広いエリアだとは思っていなかった。マスコミのためのオリンピックかよと思わなくもないが、このおかげで全世界の人がオリンピックを楽しめるのだから仕方ないか。
まあとにかくガラーンとした会場で寂しい開会式になるのではと心配していたが、モザイク座席のおかげでそんな雰囲気を感じることはなくてメデタシめでたし。
開会式で一番よかったのが座席の色だったということは、
式典そのものには相当批判的なのか?
まあそれは何ともいえないところではあるのだが、
次は「あくまで個人の感想です」と言い訳を付けて一番残念だったことを。
開会式ではもちろん各国選手団の入場行進がある。その先頭には国名を記したプラカードを掲げた若いオネエちゃんがーーーいると思っていたら。
さすがに一番最初に入場してくるギリシャではそれなりの人選だったが、
それ以外ではメンズだったり、
オバチャンだったりすることも。
テレビの解説では「この時代は多様性が大事なので云々〜」つまり若いオネエちゃん、キレイなオネエちゃん以外の人もプラカードを持って行進に参加していますというようなことを言っていた。
多様性あるいはダイバーシティとは最近よく聞くキーワードである。もちろん大切なことは百も承知しているが、それがプラカードを持つ人にまで反映される社会はイヤや(^^ゞ というのが正直な気持ち。さらに言えば今回はマスクで顔が隠れていて助かったかな。何でもかんでも平等にすればいいってものじゃない。
ところで今回の開会式はゲーム、アニメ、漫画といった日本のサブカルチャーをかなりフューチャーした演出となっている。それでプラカードだって漫画の吹き出しを模したデザインになっているくらい。日本の売りはサブカルしかないのかと少し寂しくも思うが、
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
そこまでサブカル推しならばアイドルをプラカード担当にすればよかったのに。こんな雰囲気の人がいっぱいいて(参加している=プラカードが必要なのは205の国や団体)プラカードを掲げるだけでなく何かパフォーマンスもすれば楽しかったと思うけど。
もっとも日本的なアイドルがワールドワイドに受け入れられる・理解されるかというと、ちょっと疑問なところもあるから、やっぱりここはコスプレーヤーに登場願おうか。コスプレなら意味はわからなくてもインパクトは抜群だし楽しさも伝わる。付け加えれば老若男女のキャラクターがあってダイバーシティだし。
もちろん権利関係の調整はたいへんかも知れないが、7年間も準備期間があったし開会式だけで165億円の予算なのだから金がなくてできないということはなかったはず(←いろいろと含むところがある表現となっています)。次のオリンピックを企画する人は参考にしてね。
ちなみに前回の東京オリンピックは1964年だったから、2020年計算で今回は56年ぶり。いっぽう冬季オリンピックは札幌が1972年で1998年なので26年後ということになる。そのペースで次回がやってくれば何とか観られるかも知れない。いや、やはり諦めてパリかロサンゼルスに行くべきかだろうな。
ーーー続く
オリンピック期間中に開会式のネタが終わるか心配である(^^ゞ
wassho at 22:55|Permalink│Comments(0)│
2021年07月23日
幻のブルーインパルス(涙)
先ほど部屋の中にいたらゴーッという爆音が聞こえたので「まさか、ひょっとしてブルーインパルス?」と思ってベランダに飛び出すと、隣のマンションにほとんどを遮られてはいたものの、白と青とピンクの飛行機雲(正しくはスモーク)が見えた。
すぐに部屋に戻りデジカメの電源を入れる。
しかしメモリーカードが入っていないとの表示が(>_<)
慌ててカードを差し込みベランダへ。
その間、長く見積もってもおそらく20秒ほど。
なのになのに再びベランダに出た時には飛行機雲は跡形もなくなっていた(/o\)
そんなに早く消えるものなの?
ではご覧ください、ベランダから見上げる飛行機雲のないただの空(^^ゞ
写真中央にある大きな雲の前に白と青とピンクのラインが縦に伸びていたのにーーー
こちらは航空自衛隊が事前に公表していた飛行ルート。
私の自宅は都心部での飛行を終えた帰り道より約2キロほど南側に位置する。予定よりコースを外れて飛行したのだろうか。それに点線で示されているのはスモークを炊かないという意味だと思うがスモークが余っていたのかな。どちらも考えづらいが、でも私は確かにベランダからスモークを見たからそういうことなんだろう。
さて
コロナのせいですっかりケチがついた東京オリンピックはいよいよ本日から開幕。あれこれ思うところはたくさんあるけれど、とりあえずはテレビ観戦で楽しみたい。
参考までに都庁上空を飛ぶブルーインパルス。
こういうのを見たかったなあ。
写真はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/118592から引用
ところで政府はオリンピックのお祭り気分で政権の人気上昇を狙っているらしいが、無観客の開催なんてよその国でやっているオリンピックと変わらないわけだから、東京での開催を唯一実感できるブルーインパルスの飛行を全国で展開すればいいのに。東京では三日おきぐらいに飛んでね(^^ゞ
すぐに部屋に戻りデジカメの電源を入れる。
しかしメモリーカードが入っていないとの表示が(>_<)
慌ててカードを差し込みベランダへ。
その間、長く見積もってもおそらく20秒ほど。
なのになのに再びベランダに出た時には飛行機雲は跡形もなくなっていた(/o\)
そんなに早く消えるものなの?
ではご覧ください、ベランダから見上げる飛行機雲のないただの空(^^ゞ
写真中央にある大きな雲の前に白と青とピンクのラインが縦に伸びていたのにーーー
こちらは航空自衛隊が事前に公表していた飛行ルート。
私の自宅は都心部での飛行を終えた帰り道より約2キロほど南側に位置する。予定よりコースを外れて飛行したのだろうか。それに点線で示されているのはスモークを炊かないという意味だと思うがスモークが余っていたのかな。どちらも考えづらいが、でも私は確かにベランダからスモークを見たからそういうことなんだろう。
さて
コロナのせいですっかりケチがついた東京オリンピックはいよいよ本日から開幕。あれこれ思うところはたくさんあるけれど、とりあえずはテレビ観戦で楽しみたい。
参考までに都庁上空を飛ぶブルーインパルス。
こういうのを見たかったなあ。
写真はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/118592から引用
ところで政府はオリンピックのお祭り気分で政権の人気上昇を狙っているらしいが、無観客の開催なんてよその国でやっているオリンピックと変わらないわけだから、東京での開催を唯一実感できるブルーインパルスの飛行を全国で展開すればいいのに。東京では三日おきぐらいに飛んでね(^^ゞ
wassho at 14:17|Permalink│Comments(0)│
2012年08月02日
オリンピックの審判〜権威と真実
ロンドン・オリンピックは寝不足にならない程度に、それなりに楽しんでいる。北京オリンピックの時の男子400メートルリレーのような感激をまた味わいたいものだ。
誰でも知っているようにオリンピックは4年に1度。ということは、あれから4つ歳をとったわけだ。トホホーーーと思いかけて、ふと考える。4年前と較べて、何か歳をとったといえることはあるだろうか? 冷静に、努めて客観的に考えてみる。結論は「何一つない」。ヤッター!とうれしいのが歳をとった証拠か(^^ゞ もっとも成長期の子供じゃないから4年くらいじゃ特に変化がなくても当たり前かもしれない。
誰が考えたか4年に1度というのは絶妙のタイミングである。だからオリンピックの時に、4年に1度の自己診断をしてみるのも悪くない。この4年間に何か進歩したことはあっただろうか? 商売に響くといけないから自己診断結果は非公開。
4年前の8月のブログを読み直してみると、すっかり忘れていたけれど当時は福田内閣だったのね。この4年で日本はーーー。もちろん大震災があったりしたが、仮にそれがなかったとしても、徐々にジリ貧になっているように思えるのが気がかり。
さて、今回のオリンピック。
何かと審判の問題が騒がれている。
柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ(韓国)戦では、主審副審併せて3名がチョ・ジュンホの判定勝ちとしていたのが、ジュリーと呼ばれる審判委員の指摘を受け、3名とも海老沼匡の判定勝ちに判断を変えた。男子体操団体で日本は最初4位だったが、日本側の抗議によってビデオ判定となり、その再審の結果、得点がアップして銀メダルを獲得した。
どちらも日本側に有利な結果となったから何となくスルーできたものの、逆の立場だったら釈然としないだろう。チョ・ジュンホ選手や、日本が銀メダルに繰り上がったため銅メダルから4位とメダル圏外なったウクライナの体操選手には気の毒に思う。韓国やウクライナの人々がブチ切れる気持ちも理解できる。立場が逆なら私も暴れてる(^^ゞ
最初は、こんなにコロコロ審判の結果が変わるなんて、
このオリンピックはどこかおかしいと思っていた。
ところが柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ戦で、
判定が覆ったことに対する大会審判関係者のコメント。
だいたいの趣旨はーーー
審判は一瞬の間にとても難しい判断をしなければならない。
だからミスもする。
そのミスをリカバリーするためにジュリーの制度を導入し
ビデオも撮影して、より正しく判定できるようにした。
今回は、この新しいシステムが正しく機能したのだ。
ちょっとうなったね。
まったくおっしゃる通り。
柔道と体操以外にもいろいろあったらしく、このオリンピックでは審判に威厳がないという論調もある。しかし審判とはミスなく正しく判定することがすべてであって、審判(員)の威厳のために競技が存在しているわけではないのだ。そしてミスがあることを前提に審判システムを構築するのは、まったくもって理にかなっている。「俺がルールブックだ」とかいっている審判は石器時代で審判をやっていればいい。
とはいうものの、頭では理解できても身体がついていかないというか、審判の判断は後で覆る可能性があるという前提で観戦するのは違和感がある。「物言い」というジュリー制度が確立している相撲のある国に住んでいるのにである。
大げさにいうなら権威と真実の駆け引き。今まで審判はミスをしない=だから権威があるという構図を作り上げて、その権威のもと真実=判定の精度に多少目をつむっても丸く収めるという流儀に長く慣れてきた。
物事は丸く収めなければ次に進めないわけで、これはこれで別の観点で合理的である。それに大衆心理的には、ある程度権威に迎合した方が何かと楽でもある。真実の追求が常に絶対的な正義というわけでもないというのが世の中の難しいところ。
正しいのはどっち?
それは夏休みの宿題にでも。
ころっと話は変わるが、間違ったことを権威のない連中がやろうとしているから、多くの人が政治に怒ったり、あきれたりしているんだろうね。
誰でも知っているようにオリンピックは4年に1度。ということは、あれから4つ歳をとったわけだ。トホホーーーと思いかけて、ふと考える。4年前と較べて、何か歳をとったといえることはあるだろうか? 冷静に、努めて客観的に考えてみる。結論は「何一つない」。ヤッター!とうれしいのが歳をとった証拠か(^^ゞ もっとも成長期の子供じゃないから4年くらいじゃ特に変化がなくても当たり前かもしれない。
誰が考えたか4年に1度というのは絶妙のタイミングである。だからオリンピックの時に、4年に1度の自己診断をしてみるのも悪くない。この4年間に何か進歩したことはあっただろうか? 商売に響くといけないから自己診断結果は非公開。
4年前の8月のブログを読み直してみると、すっかり忘れていたけれど当時は福田内閣だったのね。この4年で日本はーーー。もちろん大震災があったりしたが、仮にそれがなかったとしても、徐々にジリ貧になっているように思えるのが気がかり。
さて、今回のオリンピック。
何かと審判の問題が騒がれている。
柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ(韓国)戦では、主審副審併せて3名がチョ・ジュンホの判定勝ちとしていたのが、ジュリーと呼ばれる審判委員の指摘を受け、3名とも海老沼匡の判定勝ちに判断を変えた。男子体操団体で日本は最初4位だったが、日本側の抗議によってビデオ判定となり、その再審の結果、得点がアップして銀メダルを獲得した。
どちらも日本側に有利な結果となったから何となくスルーできたものの、逆の立場だったら釈然としないだろう。チョ・ジュンホ選手や、日本が銀メダルに繰り上がったため銅メダルから4位とメダル圏外なったウクライナの体操選手には気の毒に思う。韓国やウクライナの人々がブチ切れる気持ちも理解できる。立場が逆なら私も暴れてる(^^ゞ
最初は、こんなにコロコロ審判の結果が変わるなんて、
このオリンピックはどこかおかしいと思っていた。
ところが柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ戦で、
判定が覆ったことに対する大会審判関係者のコメント。
だいたいの趣旨はーーー
審判は一瞬の間にとても難しい判断をしなければならない。
だからミスもする。
そのミスをリカバリーするためにジュリーの制度を導入し
ビデオも撮影して、より正しく判定できるようにした。
今回は、この新しいシステムが正しく機能したのだ。
ちょっとうなったね。
まったくおっしゃる通り。
柔道と体操以外にもいろいろあったらしく、このオリンピックでは審判に威厳がないという論調もある。しかし審判とはミスなく正しく判定することがすべてであって、審判(員)の威厳のために競技が存在しているわけではないのだ。そしてミスがあることを前提に審判システムを構築するのは、まったくもって理にかなっている。「俺がルールブックだ」とかいっている審判は石器時代で審判をやっていればいい。
とはいうものの、頭では理解できても身体がついていかないというか、審判の判断は後で覆る可能性があるという前提で観戦するのは違和感がある。「物言い」というジュリー制度が確立している相撲のある国に住んでいるのにである。
大げさにいうなら権威と真実の駆け引き。今まで審判はミスをしない=だから権威があるという構図を作り上げて、その権威のもと真実=判定の精度に多少目をつむっても丸く収めるという流儀に長く慣れてきた。
物事は丸く収めなければ次に進めないわけで、これはこれで別の観点で合理的である。それに大衆心理的には、ある程度権威に迎合した方が何かと楽でもある。真実の追求が常に絶対的な正義というわけでもないというのが世の中の難しいところ。
正しいのはどっち?
それは夏休みの宿題にでも。
ころっと話は変わるが、間違ったことを権威のない連中がやろうとしているから、多くの人が政治に怒ったり、あきれたりしているんだろうね。
wassho at 09:09|Permalink│Comments(0)│
2008年08月26日
監督
メダルに手の届かなかった野球。帰国後の会見で星野監督は「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いという五輪の難しさをしみじみと感じた」と述べたらしい。なんだかわかったような、わからないようなセリフである。正解はひとつだけ「弱いから負けた」。
チームの戦力のうち、監督の占める割合がどれくらいなのかは難しいテーマである。それをアーダコーダというのもスポーツの楽しみのひとつかも知れない。シーズンを通じてのリーグ戦なら試合の采配以外に、選手の起用の方針やモチベーションアップも影響するし、あるいは選手補強にも口をはさんだりするから、監督が戦力に占める割合は無視できないレベルにはなると思う。しかし予選や合宿があるとはいえ、4年に1回集まるチームで短期決戦のオリンピックなどでは、監督は象徴程度の意味合いしかないのかも知れない。
それでも「勝てば選手のおかげ、負ければ監督の責任」なのが監督業。それをわかって引き受けるんだから、監督になる人にはやはり魅力的な人物が多い気がする。
プロ野球はニュース番組のスポーツコーナーを見ていれば見る程度。つまりほとんど見ていない。そんな私のプロ野球視聴時間で多くを占めるのが、今や名物コーナーになっている野村監督のインタビュー。監督のくせに他人事のようにボヤいているだけのように思えるし、私がオーナーなら頭にきて解任すると思うけれど、世間ではああいうボヤキが受けるんだろうか?
今は「マーくん神の子、不思議な子」などと訳のわからないボヤキを言っている彼だが、かっては「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」という名言を吐いた。論理的には矛盾しているはずだが、妙に思い当たる節のある言葉である。たぶん負けたときは、認めたくはなくても実力が足りなかったり準備が不足していたことを自分が一番知っているからだ。勝ちの不思議とは相手がそういう状態だったのだろう。
人間はモノゴトの悪い方に目が向きがちだとは以前に書いた。しかし、きっちりとした敗因分析まで掘り下げて考えることも苦手である。スポーツでもマーケティングでも人生でも、それができていないと強くなれない。同じような原因でまた負ける。敗因分析なんて気分的にノラない仕事で、次の勝ち方を考えるほうが楽しいのだが「苦あって楽あり」なのである。その辺のところ、岡田監督よろしく(岡チャンのほうね)
チームの戦力のうち、監督の占める割合がどれくらいなのかは難しいテーマである。それをアーダコーダというのもスポーツの楽しみのひとつかも知れない。シーズンを通じてのリーグ戦なら試合の采配以外に、選手の起用の方針やモチベーションアップも影響するし、あるいは選手補強にも口をはさんだりするから、監督が戦力に占める割合は無視できないレベルにはなると思う。しかし予選や合宿があるとはいえ、4年に1回集まるチームで短期決戦のオリンピックなどでは、監督は象徴程度の意味合いしかないのかも知れない。
それでも「勝てば選手のおかげ、負ければ監督の責任」なのが監督業。それをわかって引き受けるんだから、監督になる人にはやはり魅力的な人物が多い気がする。
プロ野球はニュース番組のスポーツコーナーを見ていれば見る程度。つまりほとんど見ていない。そんな私のプロ野球視聴時間で多くを占めるのが、今や名物コーナーになっている野村監督のインタビュー。監督のくせに他人事のようにボヤいているだけのように思えるし、私がオーナーなら頭にきて解任すると思うけれど、世間ではああいうボヤキが受けるんだろうか?
今は「マーくん神の子、不思議な子」などと訳のわからないボヤキを言っている彼だが、かっては「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」という名言を吐いた。論理的には矛盾しているはずだが、妙に思い当たる節のある言葉である。たぶん負けたときは、認めたくはなくても実力が足りなかったり準備が不足していたことを自分が一番知っているからだ。勝ちの不思議とは相手がそういう状態だったのだろう。
人間はモノゴトの悪い方に目が向きがちだとは以前に書いた。しかし、きっちりとした敗因分析まで掘り下げて考えることも苦手である。スポーツでもマーケティングでも人生でも、それができていないと強くなれない。同じような原因でまた負ける。敗因分析なんて気分的にノラない仕事で、次の勝ち方を考えるほうが楽しいのだが「苦あって楽あり」なのである。その辺のところ、岡田監督よろしく(岡チャンのほうね)
wassho at 17:30|Permalink│Comments(1)│
2008年08月24日
北京オリンピック雑感
金曜日から東京は涼しい。本日もまだ8月というのに冷たい雨が降り、エアコンはオフである。突然涼しくなると、夏に忘れ物をしたような気分で少し寂しい。
先ほど終了した今回の北京オリンピック。ずいぶんとよく見た。時差がほとんどない中国なので、起きている時間にテレビでやっているからと前に書いたが、韓国の時も長野の時でもオリンピックはニュース番組で見る程度だったから、放映時間のせいだけではなさそうである。ずいぶん前からであるがテレビはますますツマラナイ番組が多くなり、オリンピックを見ていた方がましーーーだったような気がする。
野口みずきの欠場は予想外だったにしても、そのほかの日本選手の成績はだいたい落ち着くべきところに落ち着いたような気がする。室伏広治にはメダルを期待していたけれど、上位選手の実力は拮抗しているから、メダルを取れるかどうかは時の運でもる。そして、それがスポーツの魅力。そういう意味で陸上男子400メートルリレーの銅メダルは今回のオリンピックで一番ガッツポーズに気合いが入った。
男子サッカーは相変わらず弱かった。だいたい日本の(男子)サッカーはワールドカップやオリンピックに出場できるかできないかぎりぎりのレベルの実力だと思っているが、マスコミは過熱報道しすぎである。もっとも「勝てる!」と言わなければ番組的には盛り上がらないのだろうけれど。
サッカーの選手、監督、解説者は「日本のサッカーをすれば、自分たちのサッカーをすれば勝てる」という言葉をよく使う。おそらく「日本のサッカー」の具体的な定義はないだろう。各人は何となくイメージを持っているかもしれないが、そのイメージはバラバラなはず。日本のサッカーをすれば勝てるという論理的な根拠はもちろんない。
ビジネスの世界でもそうだけれど、こういう「言語明快・意味不明」な言葉は危険である。具体策がなく精神論だけ。でも何となく逆らいがたい言葉の響きを持っているのがやっかい。日本のサッカーを作り上げるのは世界の一流入りをしてからでいいので、(具体的に)世界に追いつくサッカーを目指して欲しい。
ところで陸上選手は黒人が多いが水泳には少ない。昔、アメリカなどでは黒人は差別されていてプールには入れないという話も聞いたけれど、今はそんなことはないはず。だいたいアフリカ諸国の水泳選手も思い浮かばない。男子100メートル走を欽ちゃん走りで世界記録を出したボルト選手なんかを見ていると、黒人が水泳を始めれば世界記録もあっという間に塗り替えられる気がするのに、なぜ黒人水泳選手はいないんだろう。ナゾ
そういえば水泳の北島康介に国民栄誉賞が検討されているらしい。彼の実績は高く評価されるべきだとしても、なぜ彼だけがという印象は否めない。そんなことよりも何よりも国民栄誉賞を授与すべきは赤塚不二雄が先だと私は思うぞ。
スポーツをテレビで見るときはいつも音声はオフにして音楽を流しながら見る。特に野球とサッカーは必ずそうする。理由は前にも書いた気もするが、押しつけがましい解説がうっとうしいから。テレビ局やテレビメーカーには
1:会場の音声だけ、つまり会場にいるのと同じ状態
2:それプラス実況アナウンサーの音声付き
3:それプラス解説付きの音声付き
の3パターンが選べる放送方式を実現してもらいたい。
もちろん松岡修造も不要である(^^ゞ
乗馬の法華津(ほけつ)選手は御年67歳でオリンピック出場を果たした。東京オリンピックにも出場していたというからスゴイ。他に年齢にかかわらずオリンピック出場をねらえる種目にはアーチェリーと射撃がある。オリンピックの最年長メダリストは72歳の射撃選手らしい。ナンカ目指したくなってきたな。
さて、この夏はオリンピックの放送をよく見た。つまり北京からの放送をよく見たことになる。残念なのは、だからといって北京や中国のことをよく知れたかというと、そうではないこと。もっともスタジアムからの中継というのは、世界のどこで行われていようと、その国の特色があらわれるわけではない。今回は加油(ジャーヨ)という中国語を覚えられた程度かな。
中国はオリンピックを通じて近代化を果たした国の姿を世界中にアピールしたかったはず。だったら、もう少し工夫があってもよかった。長いこと見ていないが、NHKの大河ドラマでは放送の終わりに、そのドラマゆかりの旧跡を紹介するコーナーがある。そんな感じで中国の今を紹介する1分番組を多数作って、各国のマスコミに配ればよかった。たぶん競技の合間の箸休めに放送してくれただろうに。石原さん、もし東京オリンピックが実現したら、是非私をコミュニケーション・ディレクターに。
もっとも今回の放送でもっとも残念だったのは、メダル授与式の時に白いロングドレスで脇に控えている長身の美女。その彼女たちのアップが一度もなかったことである(^^ゞ
先ほど終了した今回の北京オリンピック。ずいぶんとよく見た。時差がほとんどない中国なので、起きている時間にテレビでやっているからと前に書いたが、韓国の時も長野の時でもオリンピックはニュース番組で見る程度だったから、放映時間のせいだけではなさそうである。ずいぶん前からであるがテレビはますますツマラナイ番組が多くなり、オリンピックを見ていた方がましーーーだったような気がする。
野口みずきの欠場は予想外だったにしても、そのほかの日本選手の成績はだいたい落ち着くべきところに落ち着いたような気がする。室伏広治にはメダルを期待していたけれど、上位選手の実力は拮抗しているから、メダルを取れるかどうかは時の運でもる。そして、それがスポーツの魅力。そういう意味で陸上男子400メートルリレーの銅メダルは今回のオリンピックで一番ガッツポーズに気合いが入った。
男子サッカーは相変わらず弱かった。だいたい日本の(男子)サッカーはワールドカップやオリンピックに出場できるかできないかぎりぎりのレベルの実力だと思っているが、マスコミは過熱報道しすぎである。もっとも「勝てる!」と言わなければ番組的には盛り上がらないのだろうけれど。
サッカーの選手、監督、解説者は「日本のサッカーをすれば、自分たちのサッカーをすれば勝てる」という言葉をよく使う。おそらく「日本のサッカー」の具体的な定義はないだろう。各人は何となくイメージを持っているかもしれないが、そのイメージはバラバラなはず。日本のサッカーをすれば勝てるという論理的な根拠はもちろんない。
ビジネスの世界でもそうだけれど、こういう「言語明快・意味不明」な言葉は危険である。具体策がなく精神論だけ。でも何となく逆らいがたい言葉の響きを持っているのがやっかい。日本のサッカーを作り上げるのは世界の一流入りをしてからでいいので、(具体的に)世界に追いつくサッカーを目指して欲しい。
ところで陸上選手は黒人が多いが水泳には少ない。昔、アメリカなどでは黒人は差別されていてプールには入れないという話も聞いたけれど、今はそんなことはないはず。だいたいアフリカ諸国の水泳選手も思い浮かばない。男子100メートル走を欽ちゃん走りで世界記録を出したボルト選手なんかを見ていると、黒人が水泳を始めれば世界記録もあっという間に塗り替えられる気がするのに、なぜ黒人水泳選手はいないんだろう。ナゾ
そういえば水泳の北島康介に国民栄誉賞が検討されているらしい。彼の実績は高く評価されるべきだとしても、なぜ彼だけがという印象は否めない。そんなことよりも何よりも国民栄誉賞を授与すべきは赤塚不二雄が先だと私は思うぞ。
スポーツをテレビで見るときはいつも音声はオフにして音楽を流しながら見る。特に野球とサッカーは必ずそうする。理由は前にも書いた気もするが、押しつけがましい解説がうっとうしいから。テレビ局やテレビメーカーには
1:会場の音声だけ、つまり会場にいるのと同じ状態
2:それプラス実況アナウンサーの音声付き
3:それプラス解説付きの音声付き
の3パターンが選べる放送方式を実現してもらいたい。
もちろん松岡修造も不要である(^^ゞ
乗馬の法華津(ほけつ)選手は御年67歳でオリンピック出場を果たした。東京オリンピックにも出場していたというからスゴイ。他に年齢にかかわらずオリンピック出場をねらえる種目にはアーチェリーと射撃がある。オリンピックの最年長メダリストは72歳の射撃選手らしい。ナンカ目指したくなってきたな。
さて、この夏はオリンピックの放送をよく見た。つまり北京からの放送をよく見たことになる。残念なのは、だからといって北京や中国のことをよく知れたかというと、そうではないこと。もっともスタジアムからの中継というのは、世界のどこで行われていようと、その国の特色があらわれるわけではない。今回は加油(ジャーヨ)という中国語を覚えられた程度かな。
中国はオリンピックを通じて近代化を果たした国の姿を世界中にアピールしたかったはず。だったら、もう少し工夫があってもよかった。長いこと見ていないが、NHKの大河ドラマでは放送の終わりに、そのドラマゆかりの旧跡を紹介するコーナーがある。そんな感じで中国の今を紹介する1分番組を多数作って、各国のマスコミに配ればよかった。たぶん競技の合間の箸休めに放送してくれただろうに。石原さん、もし東京オリンピックが実現したら、是非私をコミュニケーション・ディレクターに。
もっとも今回の放送でもっとも残念だったのは、メダル授与式の時に白いロングドレスで脇に控えている長身の美女。その彼女たちのアップが一度もなかったことである(^^ゞ
wassho at 23:56|Permalink│Comments(0)│
2008年08月11日
残暑お見舞い日記
●8日 金曜日
テレビで北京オリンピック開会式を見る。(たぶん)オリンピックに限らず人類史上最大規模の開会式。超大国の一歩手前まで来ているチャイナ・パワーに圧倒された。いろんな演出は歴史の長さ・国の大きさを感じさせる見事なできばえだったし、9万人収容という国立競技場もすごかった。神宮の国立競技場と比較して、チョット引け目を感じる。
●9日 土曜日
この夏はできるだけ泳ぐことにした。もちろんメタボ対策である。
実は、夏の屋外での水泳は、ここしばらく自分で禁止してきた。小学生の時は水泳学校、中学生では水泳部、大学生と社会人になってしばらくまではサーフィンと、私は普通の人の百倍くらいは過去に日焼けしている。別に紫外線を極度に怖れている訳じゃないけれど、世間の風潮に流され何となく体に悪いかもーーーという気持ちで。
しかしメタボここにいたって、体に悪いのはメタボ>紫外線なのは明らかである。というわけで水泳解禁。屋内プールでもいいのだが、引っ越してからは自転車で行くにはちょっと遠くなってしまった。それにやっぱり夏は屋内で泳ぐ気がしない。
できるだけ日焼けしないように夕方プールに出かける準備をする。水泳道具一式が入っているリュックをクロゼットの奥から引っ張り出す。あれっ? ゴーグルのめがねの部分と、ゴーグルを頭に留めるゴムバンドの部分が外れている。外した記憶はないのに?
ゴムバンドをめがねの部分につけるには左右2つの留め具が必要である。なぜか留め具は1つしかリュックに入っていない。隅々まで探したけれど入っていない。つまりこのゴーグルは使えない。
くじけて泳ぎに行かず(/o\)
その後、ゴーグルを買いに行く。
ついでに前から欲しかったジョギングの時にペットボトルをさしておけるウエストポーチ(ページにジャンプしたら少し下までスクロールしてください)を買う。
何となくついでに水泳パンツも買う。
●10日 日曜日
曇りだったので日焼けしないと思い、3時頃プールに行く。
ジョギングしているのと同じ公園にあるこのプールは、50メータープールで9つあるコースの内3コース分を泳ぐ人向けに仕切ってある。残り6コース分は、いわゆるプール遊びのためのプールになっている。都立なので2時間300円と格安。
昨日買った水泳パンツをはく。生まれて初めてはく膝の少し上までピチッと覆うスパッツタイプの水泳パンツ。脚を動かしにくいかとも思ったけれど、まったく違和感なし。泳ぎだして5秒後には水泳パンツの丈が長いことは忘れていた。
ところで以前の私の水泳パンツは、あの「スピード社」製の水泳パンツである。もっとも、競泳用でもオリンピックで話題になったあの素材ではなく、ごく普通の水泳パンツ。「スピード社」製の水着が話題になった頃、なぜかマスコミはほとんど解説しなかったが、英国のスピード社は去年までミズノと提携していて、ミズノの1ブランドとして販売されていた。だから私が持っている「スピード社」製の水泳パンツもミズノの水泳パンツ。なぜ提携が解消されたのかは知らないけれど、惜しいことしたねミズノの皆さん。
このプールには時々いかにも「水泳やっています」みたいな体型の人も来るが、この日はへっぽこスイマーばかり。ジョギングの時は周りのランナーに抜かれっぱなしで悔しいので、本日はここぞとばかりに飛ばしまくって優越感に浸る。クロールで泳ぎ始めた人を20メーターくらい先行させておいて平泳ぎでぶち抜く。私の前世はきっと北島康介にちがいない(^^ゞ
●11日 月曜日
朝起きると、うっ、腕が上がらない。体中のあちこちが痛い。
しまった、昨日プールで調子に乗ってはしゃぎすぎた(>_<)
しばらくしたら腕は上がるようになったものの、泳ぐ力が出そうになかったので本日はジョギングすることにした。夕方5時頃出かける。公園までは自転車で行くんだけれど自転車に乗ってすぐ、脚にも「きてる」ことがわかった。とりあえず5キロ走ろうと思ったが2キロでバテる。残りは歩きを挟んで1キロずつ走る。
ランナーはそんなに多くなかったが、このくそ暑い日に走っているのは、それなりに走り込んだ人がほとんど。老若男女を問わず抜かれまくって劣等感にさいなまれる(/o\) 昨日とは大違いである。
ところで昨日買ったウエストポーチだけれど、ペットボトルをさしておくところがペットボトルよりかなり太くブカブカなので、ペットボトルがとても揺れて走りにくい。公園でおなじようなウエストポーチをしている人を見ると、皆ペットボトルではなくもう少し太い給水ボトルを入れている。一緒に並べて売っておいてくれよ〜ダイエー碑文谷店の別館のスポーツ売り場!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
北京オリンピックは、いつものオリンピックよりよく見ている気がする。
その理由は、時差がほとんどない(1時間)ので、放送が午前3時や4時じゃないからだ。それでも、このあと楽しみにしているオグシオの試合は午後10時からというスポーツの試合とは思えない時間から始まる。たぶん欧米でのテレビ放映時間を考慮して試合時間が設定されているのだろう。テレビの世界はとっくに「ワンワールド」である。
オリンピックは古代ギリシャで、たまには戦争をやめて友好を計り相互理解を深める場を設けようよというところから始まったと習った気がする。残念なことにオリンピックが始まったとたんロシアとグルジアがドンパチ始めた。報道で見る限りロシアが仕掛けたようにも思えるが、オリンピック精神に反すること甚だしい。
選手には気の毒だが、中国はけんか両成敗でロシアとグルジアを中国オリンピックから追放すべきである。あるいはオリンピック開催国の権限と責任のもとに、全世界のオリンピック視聴者にも訴えかけつつ、中国が停戦調停を率先すべきである。あの開会式を見たら、それくらいの力はあると思うけれど、胡錦涛さん、御家宝さん、北京オリンピックにもう一花添えるチャンスですぞ。
テレビで北京オリンピック開会式を見る。(たぶん)オリンピックに限らず人類史上最大規模の開会式。超大国の一歩手前まで来ているチャイナ・パワーに圧倒された。いろんな演出は歴史の長さ・国の大きさを感じさせる見事なできばえだったし、9万人収容という国立競技場もすごかった。神宮の国立競技場と比較して、チョット引け目を感じる。
●9日 土曜日
この夏はできるだけ泳ぐことにした。もちろんメタボ対策である。
実は、夏の屋外での水泳は、ここしばらく自分で禁止してきた。小学生の時は水泳学校、中学生では水泳部、大学生と社会人になってしばらくまではサーフィンと、私は普通の人の百倍くらいは過去に日焼けしている。別に紫外線を極度に怖れている訳じゃないけれど、世間の風潮に流され何となく体に悪いかもーーーという気持ちで。
しかしメタボここにいたって、体に悪いのはメタボ>紫外線なのは明らかである。というわけで水泳解禁。屋内プールでもいいのだが、引っ越してからは自転車で行くにはちょっと遠くなってしまった。それにやっぱり夏は屋内で泳ぐ気がしない。
できるだけ日焼けしないように夕方プールに出かける準備をする。水泳道具一式が入っているリュックをクロゼットの奥から引っ張り出す。あれっ? ゴーグルのめがねの部分と、ゴーグルを頭に留めるゴムバンドの部分が外れている。外した記憶はないのに?
ゴムバンドをめがねの部分につけるには左右2つの留め具が必要である。なぜか留め具は1つしかリュックに入っていない。隅々まで探したけれど入っていない。つまりこのゴーグルは使えない。
くじけて泳ぎに行かず(/o\)
その後、ゴーグルを買いに行く。
ついでに前から欲しかったジョギングの時にペットボトルをさしておけるウエストポーチ(ページにジャンプしたら少し下までスクロールしてください)を買う。
何となくついでに水泳パンツも買う。
●10日 日曜日
曇りだったので日焼けしないと思い、3時頃プールに行く。
ジョギングしているのと同じ公園にあるこのプールは、50メータープールで9つあるコースの内3コース分を泳ぐ人向けに仕切ってある。残り6コース分は、いわゆるプール遊びのためのプールになっている。都立なので2時間300円と格安。
昨日買った水泳パンツをはく。生まれて初めてはく膝の少し上までピチッと覆うスパッツタイプの水泳パンツ。脚を動かしにくいかとも思ったけれど、まったく違和感なし。泳ぎだして5秒後には水泳パンツの丈が長いことは忘れていた。
ところで以前の私の水泳パンツは、あの「スピード社」製の水泳パンツである。もっとも、競泳用でもオリンピックで話題になったあの素材ではなく、ごく普通の水泳パンツ。「スピード社」製の水着が話題になった頃、なぜかマスコミはほとんど解説しなかったが、英国のスピード社は去年までミズノと提携していて、ミズノの1ブランドとして販売されていた。だから私が持っている「スピード社」製の水泳パンツもミズノの水泳パンツ。なぜ提携が解消されたのかは知らないけれど、惜しいことしたねミズノの皆さん。
このプールには時々いかにも「水泳やっています」みたいな体型の人も来るが、この日はへっぽこスイマーばかり。ジョギングの時は周りのランナーに抜かれっぱなしで悔しいので、本日はここぞとばかりに飛ばしまくって優越感に浸る。クロールで泳ぎ始めた人を20メーターくらい先行させておいて平泳ぎでぶち抜く。私の前世はきっと北島康介にちがいない(^^ゞ
●11日 月曜日
朝起きると、うっ、腕が上がらない。体中のあちこちが痛い。
しまった、昨日プールで調子に乗ってはしゃぎすぎた(>_<)
しばらくしたら腕は上がるようになったものの、泳ぐ力が出そうになかったので本日はジョギングすることにした。夕方5時頃出かける。公園までは自転車で行くんだけれど自転車に乗ってすぐ、脚にも「きてる」ことがわかった。とりあえず5キロ走ろうと思ったが2キロでバテる。残りは歩きを挟んで1キロずつ走る。
ランナーはそんなに多くなかったが、このくそ暑い日に走っているのは、それなりに走り込んだ人がほとんど。老若男女を問わず抜かれまくって劣等感にさいなまれる(/o\) 昨日とは大違いである。
ところで昨日買ったウエストポーチだけれど、ペットボトルをさしておくところがペットボトルよりかなり太くブカブカなので、ペットボトルがとても揺れて走りにくい。公園でおなじようなウエストポーチをしている人を見ると、皆ペットボトルではなくもう少し太い給水ボトルを入れている。一緒に並べて売っておいてくれよ〜ダイエー碑文谷店の別館のスポーツ売り場!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
北京オリンピックは、いつものオリンピックよりよく見ている気がする。
その理由は、時差がほとんどない(1時間)ので、放送が午前3時や4時じゃないからだ。それでも、このあと楽しみにしているオグシオの試合は午後10時からというスポーツの試合とは思えない時間から始まる。たぶん欧米でのテレビ放映時間を考慮して試合時間が設定されているのだろう。テレビの世界はとっくに「ワンワールド」である。
オリンピックは古代ギリシャで、たまには戦争をやめて友好を計り相互理解を深める場を設けようよというところから始まったと習った気がする。残念なことにオリンピックが始まったとたんロシアとグルジアがドンパチ始めた。報道で見る限りロシアが仕掛けたようにも思えるが、オリンピック精神に反すること甚だしい。
選手には気の毒だが、中国はけんか両成敗でロシアとグルジアを中国オリンピックから追放すべきである。あるいはオリンピック開催国の権限と責任のもとに、全世界のオリンピック視聴者にも訴えかけつつ、中国が停戦調停を率先すべきである。あの開会式を見たら、それくらいの力はあると思うけれど、胡錦涛さん、御家宝さん、北京オリンピックにもう一花添えるチャンスですぞ。
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2008年06月16日
メキシコ・オリンピックの思ひ出
東京オリンピックの次がメキシコ・オリンピック。
この思い出は私にとっては強烈なのであるが文章にするのは難しい。
それを承知で読んでね。
東京オリンピックの時に幼稚園だった私は、メキシコオリンピックの時には小学生。小学校になると運動会がある(幼稚園の時にもあったはずだが、あまり覚えていない)。
運動会は10月だったと思う。それで二学期になってしばらくすると、朝礼の時に入場行進の練習をさせられる。私の記憶はたぶん拡張されているかも知れないが、1ヶ月くらい毎日毎日、行進の練習をしていたような気がする。手足が揃う、隊列の間隔が揃う、号令に応じて進んだり曲がったり止まったりするための訓練。その時にそんな言葉は知らなかったけれど、いわゆる軍隊式の行進練習。そして入場行進というのは、そういうものだと疑いもしていなかった。
疑いもしていなかったのは東京オリンピックの時の入場行進が各国とも一糸乱れぬ軍隊式の入場行進だったから。ちなみに閉会式ではもっと気楽にバラバラと入場することも幼稚園の頃から理解していた気がする。
さてメキシコ・オリンピックの開会式。
各国選手団はなんと気楽に観客に手など振りつつ入場して来るではないか!まるで閉会式のような雰囲気。もっとも国によって入場の仕方は差があり、私の記憶では日本選手団は軍隊行進だった。アジア各国もだいたい同じだったが、欧米の選手はリラックスムード、南米の選手は飛び跳ねてはしゃいでいたような気がする。
入場行進とは一糸乱れぬ軍隊式と疑いもしていなかった私は、目の前で繰り広げられている運動会の最高峰?であるオリンピックの光景に、得も言われぬ衝撃を受けた。
エッ? ナンノコッチャわからないって?
だから文章にするのは難しいんだってばぁ(^^ゞ
軍隊式で行進入場するか、自由な歩き方で入場するかは開会式の単なるルールの違いではなくて、そのルールを支えている価値観の違いだということを、たぶん子供心に感じていたのだと思う。来る日も来る日もの入場行進練習にうんざりしていた私にとっては「型に押しつけられない自由」や「自分の周りとは異なる価値観も世の中には存在する」ということの発見だったのかも知れない。
文章でいくら説明しても、私の受けた衝撃を表現するのは無理だからやめておく。とにかく私は物心が付いたときから、そしてメキシコ・オリンピックの時からは明確な意識として「団体行動は苦手で大嫌い」なのである。
この思い出は私にとっては強烈なのであるが文章にするのは難しい。
それを承知で読んでね。
東京オリンピックの時に幼稚園だった私は、メキシコオリンピックの時には小学生。小学校になると運動会がある(幼稚園の時にもあったはずだが、あまり覚えていない)。
運動会は10月だったと思う。それで二学期になってしばらくすると、朝礼の時に入場行進の練習をさせられる。私の記憶はたぶん拡張されているかも知れないが、1ヶ月くらい毎日毎日、行進の練習をしていたような気がする。手足が揃う、隊列の間隔が揃う、号令に応じて進んだり曲がったり止まったりするための訓練。その時にそんな言葉は知らなかったけれど、いわゆる軍隊式の行進練習。そして入場行進というのは、そういうものだと疑いもしていなかった。
疑いもしていなかったのは東京オリンピックの時の入場行進が各国とも一糸乱れぬ軍隊式の入場行進だったから。ちなみに閉会式ではもっと気楽にバラバラと入場することも幼稚園の頃から理解していた気がする。
さてメキシコ・オリンピックの開会式。
各国選手団はなんと気楽に観客に手など振りつつ入場して来るではないか!まるで閉会式のような雰囲気。もっとも国によって入場の仕方は差があり、私の記憶では日本選手団は軍隊行進だった。アジア各国もだいたい同じだったが、欧米の選手はリラックスムード、南米の選手は飛び跳ねてはしゃいでいたような気がする。
入場行進とは一糸乱れぬ軍隊式と疑いもしていなかった私は、目の前で繰り広げられている運動会の最高峰?であるオリンピックの光景に、得も言われぬ衝撃を受けた。
エッ? ナンノコッチャわからないって?
だから文章にするのは難しいんだってばぁ(^^ゞ
軍隊式で行進入場するか、自由な歩き方で入場するかは開会式の単なるルールの違いではなくて、そのルールを支えている価値観の違いだということを、たぶん子供心に感じていたのだと思う。来る日も来る日もの入場行進練習にうんざりしていた私にとっては「型に押しつけられない自由」や「自分の周りとは異なる価値観も世の中には存在する」ということの発見だったのかも知れない。
文章でいくら説明しても、私の受けた衝撃を表現するのは無理だからやめておく。とにかく私は物心が付いたときから、そしてメキシコ・オリンピックの時からは明確な意識として「団体行動は苦手で大嫌い」なのである。
wassho at 19:38|Permalink│Comments(0)│
2008年06月12日
オリンピックの思ひ出
もうすぐ北京オリンピック。海パンの話で盛り上がっているけれど、チベット弾圧抗議〜聖火リレーの話は大地震の陰に隠れてサッパリ聞かれなくなった。チベットってどうなったんだっけ?
先週(だったと思うが)、東京が2016年のオリンピック候補地の1つに選ばれたというニュースが流れた。他の候補地はシカゴ、リオデジャネイロ、マドリッド。候補地が決まるのは来年の秋。これから調略と陰謀渦巻く招致合戦が繰り広げられるはず。
まあ東京にオリンピックが来れば何か見に行くだろうし、それなりに楽しいイベントを経験できると思うけれど、別に来なきゃ来ないで構わないというか、それほど関心は持っていない。だいぶ先の話だし、今から盛り上がれってのは無理な話。それにオリンピックを過去に行った東京も長野も東日本だから、どうせなら西日本で招致すればよかったのにと思う。たとえば彼ならIOC委員会に焼き鳥をもっていってプレゼンテーションするだろうに(^^ゞ
前の東京オリンピックの時はまだ幼稚園だったので、あまりよく覚えていなくて思い出は3つしかない。
(1)チャフラフスカというチェコスロバキアの体操選手(女性)が活躍して、テレビでよく見た記憶があること。何となく記憶の中に白黒イメージの映像がぼんやりと残っている。(当時テレビはまだ白黒だったと思う)
もっともチャフラフスカとかチェコスロバキアという聞いたことのないような言葉の響きが幼稚園児にはおもしろかったので、よく覚えているのかも知れない。ブログを書きながらチャフラフスカという名前をはっきり覚えていたのには自分でもビックリした。
(2)幼稚園の送迎バスの中で友達と東京オリンピックについて何か話をしたことを覚えている。誰と何を話したのかは全く覚えていないが、とにかくバスの中で、そのバスがどこを通っているときに話したのかだけは、はっきり覚えている。それで、なぜかその記憶には黄色い色のイメージがついて回る。それはたぶん幼稚園の制服のカバンの色だ。人間の脳の構造ってつくづく不思議である。3日前のことは忘れているのに。
(3)その幼稚園では三波春男の「東京オリンピック音頭」という歌に併せて踊り?の練習をしたのを覚えている。盆踊りというものに参加したことがない私は、音頭で踊ったのはあれが最初で、今のところ最後である。
あっ、東京オリンピックではなく
てメキシコ・オリンピックのことを書こうと思っていたんだった。
ーーーーあざとく続く
先週(だったと思うが)、東京が2016年のオリンピック候補地の1つに選ばれたというニュースが流れた。他の候補地はシカゴ、リオデジャネイロ、マドリッド。候補地が決まるのは来年の秋。これから調略と陰謀渦巻く招致合戦が繰り広げられるはず。
まあ東京にオリンピックが来れば何か見に行くだろうし、それなりに楽しいイベントを経験できると思うけれど、別に来なきゃ来ないで構わないというか、それほど関心は持っていない。だいぶ先の話だし、今から盛り上がれってのは無理な話。それにオリンピックを過去に行った東京も長野も東日本だから、どうせなら西日本で招致すればよかったのにと思う。たとえば彼ならIOC委員会に焼き鳥をもっていってプレゼンテーションするだろうに(^^ゞ
前の東京オリンピックの時はまだ幼稚園だったので、あまりよく覚えていなくて思い出は3つしかない。
(1)チャフラフスカというチェコスロバキアの体操選手(女性)が活躍して、テレビでよく見た記憶があること。何となく記憶の中に白黒イメージの映像がぼんやりと残っている。(当時テレビはまだ白黒だったと思う)
もっともチャフラフスカとかチェコスロバキアという聞いたことのないような言葉の響きが幼稚園児にはおもしろかったので、よく覚えているのかも知れない。ブログを書きながらチャフラフスカという名前をはっきり覚えていたのには自分でもビックリした。
(2)幼稚園の送迎バスの中で友達と東京オリンピックについて何か話をしたことを覚えている。誰と何を話したのかは全く覚えていないが、とにかくバスの中で、そのバスがどこを通っているときに話したのかだけは、はっきり覚えている。それで、なぜかその記憶には黄色い色のイメージがついて回る。それはたぶん幼稚園の制服のカバンの色だ。人間の脳の構造ってつくづく不思議である。3日前のことは忘れているのに。
(3)その幼稚園では三波春男の「東京オリンピック音頭」という歌に併せて踊り?の練習をしたのを覚えている。盆踊りというものに参加したことがない私は、音頭で踊ったのはあれが最初で、今のところ最後である。
あっ、東京オリンピックではなく
てメキシコ・オリンピックのことを書こうと思っていたんだった。
ーーーーあざとく続く
wassho at 19:06|Permalink│Comments(0)│
2008年04月25日
チベット・タイミング
もっと先かと思っていたら聖火リレーは明日だそうである。
例の青ジャージ軍団を断ったし、警察は威信をかけた警備体制で臨むと思う。残念ながら平和の祭典のイベントとはかけ離れた聖火リレーになりそうである。さらに本当かどうかわからないけれど、一部の報道によれば在日チベット人とそれを支援するグループが長野に集まるので、それに対抗して中国人の活動家グループも在日中国人を動員して長野に集まり(動員がかかっていることは、その誘いを受けた知り合いの中国人留学生から直接聞いたので事実)、またなぜか右翼団体も反中国活動を予定しているらしい。明日の長野は緊張感のある1日になるかも知れない。
チベットは中国の奥地にあること以外はほとんど知らない。最近はいわなくなったが、昔は「とても田舎だ」とか「すごい秘境だ」ということを「日本のチベットだ」というような表現があったくらいだから、かなり距離感を感じる場所である。私は今でもチベットとモンゴルの区別があまりついていない。
チベット問題は勉強していないが、いわゆる植民地侵略〜少数民族の独立に分類される問題だと思う。でもまあ「田舎のこと」すぎて、それほど注目を浴びていなかったように思う。
それが今回の騒動である。全世界にチベット問題の存在を知らしめるのに成功したと言っていいだろう。チベットで暴動を起こした側は中国のオリンピック開催のタイミングをもちろん狙っていたはず。例え10年前に暴動したくなるくらい抑圧されていたとしても、このタイミングまで我慢したほうがもちろん「世界に与えるインパクト」は圧倒的に強い。10年前の暴動ならニュースで流れても、ありがちな少数民族問題にしかすぎず、世界各地での反中国デモを引き起こすパワーはない。
本日は “人を動かすのには中身だけじゃなくてタイミング” というシマリのない下書きになりそうなんだけれど、“チベット暴動だけじゃニュースにしかならなくても、中国オリンピック直前の暴動なら反中国デモにまで発展するというメカニズムは、何かマーケティングにも活かせそうな原理が潜んでいそうな気がする” の下書きでした。
ところでチベットといえばダライ・ラマ。
チベット仏教の偉いお坊さんで観音菩薩の生まれ変わりとされる。ダライ・ラマが亡くなると、観音菩薩はまた誰かに生まれ変わるから、チベット中を探して、その生まれ変わりを見つけ、新たなダライ・ラマに指名される。現在のダライ・ラマはそうして見つけられた第14世である。生まれ変わりであると信じるかどうかは別として、実に神秘的な存在。
最初に生まれ変わりの話を知った時、子供心にキリストのようなイメージをいだいた。でも初めてダライ・ラマ14世の顔を見たときはビックリした記憶がある。たぶん私と同じイメージを持っている人は多いと思うんだけれど、仏のバチが当たるから黙っているのかなあ?
私は
「エ〜!、これがダライ・ラマ! どう見たって下町の気前のよさそうな
オッサンとか、親戚に1人はいそうな世話好きのオッサンにしか
見えないじゃん」
と思ってしまったのだ(^^ゞ
チベットの皆さんに仏のご加護があらんことを。
例の青ジャージ軍団を断ったし、警察は威信をかけた警備体制で臨むと思う。残念ながら平和の祭典のイベントとはかけ離れた聖火リレーになりそうである。さらに本当かどうかわからないけれど、一部の報道によれば在日チベット人とそれを支援するグループが長野に集まるので、それに対抗して中国人の活動家グループも在日中国人を動員して長野に集まり(動員がかかっていることは、その誘いを受けた知り合いの中国人留学生から直接聞いたので事実)、またなぜか右翼団体も反中国活動を予定しているらしい。明日の長野は緊張感のある1日になるかも知れない。
チベットは中国の奥地にあること以外はほとんど知らない。最近はいわなくなったが、昔は「とても田舎だ」とか「すごい秘境だ」ということを「日本のチベットだ」というような表現があったくらいだから、かなり距離感を感じる場所である。私は今でもチベットとモンゴルの区別があまりついていない。
チベット問題は勉強していないが、いわゆる植民地侵略〜少数民族の独立に分類される問題だと思う。でもまあ「田舎のこと」すぎて、それほど注目を浴びていなかったように思う。
それが今回の騒動である。全世界にチベット問題の存在を知らしめるのに成功したと言っていいだろう。チベットで暴動を起こした側は中国のオリンピック開催のタイミングをもちろん狙っていたはず。例え10年前に暴動したくなるくらい抑圧されていたとしても、このタイミングまで我慢したほうがもちろん「世界に与えるインパクト」は圧倒的に強い。10年前の暴動ならニュースで流れても、ありがちな少数民族問題にしかすぎず、世界各地での反中国デモを引き起こすパワーはない。
本日は “人を動かすのには中身だけじゃなくてタイミング” というシマリのない下書きになりそうなんだけれど、“チベット暴動だけじゃニュースにしかならなくても、中国オリンピック直前の暴動なら反中国デモにまで発展するというメカニズムは、何かマーケティングにも活かせそうな原理が潜んでいそうな気がする” の下書きでした。
ところでチベットといえばダライ・ラマ。
チベット仏教の偉いお坊さんで観音菩薩の生まれ変わりとされる。ダライ・ラマが亡くなると、観音菩薩はまた誰かに生まれ変わるから、チベット中を探して、その生まれ変わりを見つけ、新たなダライ・ラマに指名される。現在のダライ・ラマはそうして見つけられた第14世である。生まれ変わりであると信じるかどうかは別として、実に神秘的な存在。
最初に生まれ変わりの話を知った時、子供心にキリストのようなイメージをいだいた。でも初めてダライ・ラマ14世の顔を見たときはビックリした記憶がある。たぶん私と同じイメージを持っている人は多いと思うんだけれど、仏のバチが当たるから黙っているのかなあ?
私は
「エ〜!、これがダライ・ラマ! どう見たって下町の気前のよさそうな
オッサンとか、親戚に1人はいそうな世話好きのオッサンにしか
見えないじゃん」
と思ってしまったのだ(^^ゞ
チベットの皆さんに仏のご加護があらんことを。
wassho at 18:40|Permalink│Comments(1)│
2008年04月23日
聖火リレー
全世界的に盛り上がっているようで、聖火リレー(^^ゞ
ニュースで見る世界各国の抗議行動と較べると、日本人は人権とかに鈍感な国なのかなあと思ってしまう。過激な抗議行動のあった国が人権を尊重している、国として抗議の声が大きいとは限らない。ごく一部の活動家の行動がテレビに映っただけかも知れない。しかし違いを感じるのは大臣や首相クラスの政治家の態度。欧米各国では、それなりの発言や行動が見られる。それに較べて日本はという気もする。もっとも我が国の総理は、毎週毎週を乗り切るのに精一杯で、夏のオリンピックのような「遠い将来」のことまで頭が回らないのかも知れない。
長野の善光寺が聖火リレーのスタート地点を辞退した。チベット=仏教=同じ仏教徒としての抗議の意志を示したというより、面倒なことに関わり合いたくないという態度が見え見えである。比叡山も高野山もその他有名寺院も、同じ仏教僧侶への弾圧には無関心である。もっとも日本の仏教は宗教ではなく葬式と法事のイベント産業、有名寺院ならそれプラス観光産業でしかないから期待もしていない。
じゃあ、お前はどうなんだと問われれば、餃子の時に較べればあまり関心を持てないというのが正直なところ。人権意識が希薄な(たぶん大勢の)日本人の1人である。
アメリカは民主主義とか人権とか、彼らが理想とするものを広めるのに熱心というか正義と考えているフシがある。もちろんそれは経済や軍事的な覇権とも表裏一体な行動でもあるかも知れない。「悪い国」だからといって、すぐ攻め込むのには賛成しない。それでも経済としてのつながりしか求めない日本と較べれば、その正義漢ぶりはどこかまぶしい。
本日は “聖火リレーのニュースを見ながら改めて感じる島国根性、でも、だからといってどうこうしたいという気持ちも特におきてこない、やっぱり島国根性” の下書きでした。
ニュースで見る世界各国の抗議行動と較べると、日本人は人権とかに鈍感な国なのかなあと思ってしまう。過激な抗議行動のあった国が人権を尊重している、国として抗議の声が大きいとは限らない。ごく一部の活動家の行動がテレビに映っただけかも知れない。しかし違いを感じるのは大臣や首相クラスの政治家の態度。欧米各国では、それなりの発言や行動が見られる。それに較べて日本はという気もする。もっとも我が国の総理は、毎週毎週を乗り切るのに精一杯で、夏のオリンピックのような「遠い将来」のことまで頭が回らないのかも知れない。
長野の善光寺が聖火リレーのスタート地点を辞退した。チベット=仏教=同じ仏教徒としての抗議の意志を示したというより、面倒なことに関わり合いたくないという態度が見え見えである。比叡山も高野山もその他有名寺院も、同じ仏教僧侶への弾圧には無関心である。もっとも日本の仏教は宗教ではなく葬式と法事のイベント産業、有名寺院ならそれプラス観光産業でしかないから期待もしていない。
じゃあ、お前はどうなんだと問われれば、餃子の時に較べればあまり関心を持てないというのが正直なところ。人権意識が希薄な(たぶん大勢の)日本人の1人である。
アメリカは民主主義とか人権とか、彼らが理想とするものを広めるのに熱心というか正義と考えているフシがある。もちろんそれは経済や軍事的な覇権とも表裏一体な行動でもあるかも知れない。「悪い国」だからといって、すぐ攻め込むのには賛成しない。それでも経済としてのつながりしか求めない日本と較べれば、その正義漢ぶりはどこかまぶしい。
本日は “聖火リレーのニュースを見ながら改めて感じる島国根性、でも、だからといってどうこうしたいという気持ちも特におきてこない、やっぱり島国根性” の下書きでした。
wassho at 20:07|Permalink│Comments(0)│
2006年02月20日
熱中できないと、つまらなくなる
オリンピックで日本勢が不調のようである。メダルが取れないと盛り上がりに欠ける。調べてないけれど、テレビの視聴率も苦戦しているんじゃないかな? 関係者の皆様にはご愁傷様である。
時差があるので中継はみていない。スポーツニュースでちらっと見るくらい。勝っていないから新聞も読む気がしない。今のところ楽しめておりません。
もともとスポーツはヒイキの選手なりチームがいないと楽しめないもの。Jリーグが始まったとき、ほとんどの日本人と同じように初めてみるサッカー中継に熱中した。飲み会で集まったにわかサッカーファン4人でオフサイドの定義がバラバラだったのは懐かしい想い出(^_^) そのときはなぜかアントラーズが好きだった。何となくジーコとアルシンド(いまはいずこ?)が面白かったから。しばらくしてワールドカップの予選が始まる。ドーハの悲劇と呼ばれる試合のあった大会。そりゃ熱中してみた。
で、ワールドカップに行けずにJリーグが再会。すると困ったことが起こった。日本代表として心から応援していた選手が、敵味方に分かれて戦っているではないか(当たり前だが)。アントラーズの対戦相手にも、予選の時にヒイキにしていた選手がいる。そうすると何となくアントラーズへの肩入れの気持ちが揺らぐ。スポーツというのはヒイキのヒキたおしくらいしないと熱中できないのだ。
こうして私の短いJリーグファン時代は終わった。
本日はスポーツ観戦(/_')/ソレハコッチニオイトイテ “どんなに好きなことも職業にすると楽しくなくなるけれど、それでも熱中できるのも才能のうちかも” の下書きでした。
時差があるので中継はみていない。スポーツニュースでちらっと見るくらい。勝っていないから新聞も読む気がしない。今のところ楽しめておりません。
もともとスポーツはヒイキの選手なりチームがいないと楽しめないもの。Jリーグが始まったとき、ほとんどの日本人と同じように初めてみるサッカー中継に熱中した。飲み会で集まったにわかサッカーファン4人でオフサイドの定義がバラバラだったのは懐かしい想い出(^_^) そのときはなぜかアントラーズが好きだった。何となくジーコとアルシンド(いまはいずこ?)が面白かったから。しばらくしてワールドカップの予選が始まる。ドーハの悲劇と呼ばれる試合のあった大会。そりゃ熱中してみた。
で、ワールドカップに行けずにJリーグが再会。すると困ったことが起こった。日本代表として心から応援していた選手が、敵味方に分かれて戦っているではないか(当たり前だが)。アントラーズの対戦相手にも、予選の時にヒイキにしていた選手がいる。そうすると何となくアントラーズへの肩入れの気持ちが揺らぐ。スポーツというのはヒイキのヒキたおしくらいしないと熱中できないのだ。
こうして私の短いJリーグファン時代は終わった。
本日はスポーツ観戦(/_')/ソレハコッチニオイトイテ “どんなに好きなことも職業にすると楽しくなくなるけれど、それでも熱中できるのも才能のうちかも” の下書きでした。
wassho at 19:41|Permalink│Comments(0)│