キショウブ

2026年05月18日

ボタン空振り日記 薬王院編

4月25日にダメモトで出かけた豪徳寺で咲いていたボタンはわずかに2輪。出かけなければ今年に見られたボタンはゼロだから肯定的に捉えたいところでも、やはりあまりも数が少ない。それに花は小さくて花びらも少なかった。もうちょっとボタンらしいボタンを見たいな〜でももう咲いていないだろうな〜と思い悩む。

それで結局、さらにダメダメモトを承知で3輪見られたらいいや&満開の時期に行くべき名所なのか雰囲気チェックを兼ねてーーーなんて都合のいい理屈をこねて4月28日に訪れたのが薬王院。当初はここが今年のボタン鑑賞第1候補だったけれど、時期を逃したので4月25日に近所の豪徳寺にしたのに。

薬王院といえば高尾山にある寺が有名で検索してもそちらが先に出てくる。訪れたのは新宿の下落合にある薬王院。23区内では足立区の西新井大師、上野公園の東照宮とここがボタンの3大名所とされる。地図でピンク色で囲っているのが下落合で高田馬場の北側に位置する。新宿区ではあるもののどちらかといえば池袋圏内。
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高田馬場駅で下車。
この駅で降りたのは25年振りくらいだと思う。
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駅前商店街の入り口。
東京富士大学入り口を書かれている。商店街にこんな表示は珍しいのでは?
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5分ほど歩いてこれが東京富士大学。初めて名前を聞いた。略称は「とうふ」になるのかな。豆腐大学だと職人さんの学校みたいだ(^^ゞ 建物の隣を流れているのは神田川。
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西武新宿線の踏切を渡ると、
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新目白通りに出る。
新目白通りはこの先で目白通りに合流して、目白通りは関越自動車道まで延びている。
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新目白通りを300mほど進むと薬王院の標柱。
ボタンの名所とアピールしている。
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標柱のところで曲がるともう山門が見える。
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山門到着。
ここまで駅から10分くらい。
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山門をくぐるとーーー
来なかったことにしようか(^^ゞ
半月前にはこの両サイドにたくさんのボタンが咲いていたんだろうな。
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それでもきれいに咲いているのを見つけた。
この大きさ、風が吹けばユサユサと揺れそうなボリューム感がボタンの魅力。
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傾斜地の上にある本堂を見上げて。
ベストシーズンに来れば、この写真の下の方にボタンが咲き並ぶ。
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ボタンの花の残骸(>_<)
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傾斜地を本堂を過ぎて上まで行くと、
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墓地だった。
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その先にボタンはないと考え下るとする。
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六地蔵にボタンが満開のときに来られますようにとお願い。
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この階段の左右にもボタンが咲いていたはず。
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これは庫裏(くり)のようだ。
庫裏とは住職とその家族の住居。
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下まで降りてきて再び本堂を見上げると黄色いボタンがあった。先ほどはなかったのに(最初の写真参照)。六地蔵が私を哀れんで咲かせてくれたのか!?
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境内ウロウロ。
とはいっても境内は縦長で幅の狭い形なので見回れる範囲は限られている。
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写真はマキと新緑がきれいだったセダム(たぶん)。
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退散しましょう。
滞在時間は10分弱。ここまで来るのに電車を乗り継いで1時間ほどかかったのに(/o\)
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とはいえボタンを3色、合計で5輪ほど見られたから目標はクリア。それにボタンが満開なら薬王院は美しい場所なことも確認できてヨシ。



時間が余ったので近くの「おとめ山公園」へ。
薬王院から10分ほどの距離。
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おとめ山というだけあって少し坂道。「おとめ」は乙女ではなく、このあたりは江戸時代に将軍家の狩猟地となり立ち入り禁止を意味する「御留山」が由来みたい。
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坂の途中に出入り口があった。
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入ったところは池。
ここから湧き出しているらしい。
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少し進むと傾斜地。
薬王院と同じ崖線(がいせん)地形に公園はある。
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傾斜地を下から見上げるとなかなかの眺めだったのだが、
1分ほどで登り切ってしまった。
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引き返す。
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傾斜地の途中で下を眺めて。
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これはヒトツバタゴ(一つ葉タゴ)。
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同じモクセイ科のトネリコの別名がタゴ。トネリコが複葉なのに対して、これは単葉なので「一つ葉タゴ」となった。でも単葉と複葉の見分け方はややこしい。まあ植物を眺めている分には見分ける必要もないが。

それよりもヒトツバタゴは別名がナンジャモンジャあるいはナンジャモンジャの木。なんじゃそれ(^^ゞ 一説によると水戸光圀がこの木を見て名前がわからず「この木は何というもんじゃろか」と述べたのが始まりとされるが諸説多数あり。


ツツジとキショウブ。
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キショウブはハナショウブの黄色版ではなく、主にヨーロッパ原産の外来植物。ハナショウブに黄色系がなかったため明治時代に輸入された。しかし繁殖力が強く現在は環境省の重点対策外来種に指定されているお気の毒な存在。なおキショウブとハナショウブを掛け合わせたキハナショウブというのもある。キショウブとキハナショウブを素人が見分けるのは困難。でもキハナショウブは栽培されているところが少ないので、黄色だったらたいていはキショウブ。


さらに下る。
公園に入ってきたのはここより上側。
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一番下の出入り口にある案内地図を見てびっくり。おとめ山公園は道路を挟んで反対側にもあって、そちらの方が広い。また見晴台や林間デッキなどもあって面白そう。
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どうしようかなあと考えたものの、もう気分が公園を出るになってしまっていたので、そこはいつかまた「ボタンが満開」の薬王院を見に訪れた際に探検するとした。


今年のボタン鑑賞は豪徳寺と薬王院を併せて7輪。
何度も書くが、それでも見られなかったのよりはマシ。
でも来年はしっかり予定を立てて満開のボタンを楽しみたいもの。

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2024年05月14日

善福寺公園で鯉のぼり

5月3日にツツジがまったく終了していた練馬の平成つつじ公園を10分ほど見て回ってから、次にやってきたのは善福寺公園。開園は1961年(昭和36年)。同じく善福寺川沿いにある善福寺川緑地や和田堀公園が1964年だから少し早い。

面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。

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現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。

上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?


現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
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善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
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鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ


川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
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平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
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鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
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少しだけ風が吹いてきた。
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でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
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たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
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アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
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原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。


ボート乗り場があって、
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ここが上の池の最も南側あたり。
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内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
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右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
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気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
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鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
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ところで誰でも知っているこの歌。

   やねより たかい こいのぼり
   おおきい まごいは おとうさん
   ちいさい ひごいは こどもたち
   おもしろそうに およいでる

子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?

これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。

幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
100幟

101合戦

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平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)

この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
103歌川広重

なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。

今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
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武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。

そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
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童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。



公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。

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ーーー下の池へ続く

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2020年05月03日

洗足池公園を経由して3区巡りの散歩

自宅のある目黒区から大田区に少し入ったところにある洗足池公園まで行き、帰りは品川区もかすめながら歩いたというルート。区境に近い場所が目的地だったので、たまたま3区をまたいだお散歩になった。
マップ

ゴールデンウィーク5連休初日の昨日は、最高気温25度で快晴と絶好のお出かけ日和。コロナウイルスで Stay at home なんだけれど、散歩は「密」な状態にはならないので。ついでに言うと、この日は暑かったのでマスクもしなかった。もちろん公園がやたら混雑している場合に備えて持っては出かけたが。道路で人がたくさんいた場合は? ルート的にその可能性はほぼないし、もし突然瞬間的にそういう状況になったら息を止めればいいかと(^^ゞ


まずは円融寺通りを南下していく。すると15分ほど歩いた頃に敷地の周りがツツジで囲まれた大規模なマンションがあった。最初はきれいにツツジが咲いているなと思って足を踏み入れたのだが、
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角を曲がっても、その次の角を曲がっても延々と。
どんだけツツジ好きやねん(^^ゞ
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咲いていたのは3色。
これだけ植えるなら、もっと種類を増やせばいいのに。
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ツツジマンションを後にして先に進む。環七を渡ると大田区である。そこからさらに南下。自宅から洗足池(せんぞくいけ)まではほぼ一本道。中原街道まで出て洗足池に向かう予定だったが、途中でこんな標識を発見。ここを曲がって公園の裏側から入ることにした。
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洗足池公園に到着。ここまでで約40分の散歩。
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現在位置は洗足池案内図の「案」の字の下あたり。
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地図に公園面積は7.7ヘクタールで池の面積が4ヘクタールとあるが、公園面積は道路を挟んだ子供広場や桜山、松山を含んだ面積であり、現地感覚的にはほとんどを池が占めている公園である。



まず地図で水生植物園と記されているところへ。

アヤメが数本あった。先日の散歩で近くのマンションの植え込みにアヤメがあってビックリしたが、今年はアヤメに縁があるのか? ちなみにアヤメ、カキツバタ、ハナショウブは似たような品種だが、大規模に栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多い(気がする)。
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ピントが後ろの看板に(>_<)
この日は身軽に散歩したかったのでデジカメを持たずiPhoneでの撮影。


キショウブはたくさん咲いていた。
これは「黄色のハナショウブ」ではなく独立した品種。
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ジグザグ橋で池を渡る。
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これで池の2/3くらいが見えているかな。
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鯉と亀。
亀が泳いでいるのを見るのは久しぶり。たいていは甲羅干しの姿だから。
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桜広場と呼ばれるエリア。
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ブランコやジャングルジムがあったが、先日の林試の森公園と違って使用禁止になっていなかった。あちらは東京都立、こちらは大田区立。行政の対応がバラバラなのは好ましくないが、こんな遊具までコロナ対象にしなくていいと思う。
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フジが咲いていた。
想定していなかったのでラッキー\(^o^)/
ただしもう終盤なのか香りはほとんどなかった。ザンネン。
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ところで日本でフジは藤棚にしているところがほとんど。しかしヨーロッパではそうでもないみたい。下のリンクは東松山ぼたん園の駐車場から見えたフジ。圧巻の藤棚もいいけれど、こういうナチュラルなものも見たいな。

     https://livedoor.blogimg.jp/wassho/imgs/d/e/deecec83.jpg


池の東側沿いに歩いて正面(南側)に向かうが、
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途中で行き止まりになっていた。
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というわけでジグザグ橋を戻って、池の北から西側沿いに進むことに。
それにしてもいい天気で初夏を満喫。
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池の北側に小島が突き出したような神社エリアがある。
弁財天とのこと。
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池月(いけづき)は源頼朝の愛馬とされる。
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頼朝は流刑地であった伊豆半島の付け根中央部の韮山付近で挙兵→次に湯河原付近を目指すが、そこでの平家との戦いで敗北→真鶴から海路で房総半島に逃走→勢力を盛り返して陸路で鎌倉を目指す→その途中に洗足池で宿営する。ここまでは史実。

そして「するとどこからともなく天地を震わす嘶き(いななき)と共に野飼いの馬が現れ、これが名馬だったので捕らえて頼朝の馬とした」というお約束の伝説が語られる。しかし、それは馬泥棒やろ(^^ゞ 池月というのは、その姿が池に映る月影のようだったかららしい。

それはともかく洗足池の周りを頼朝も歩いたのかと思うと何となくワクワクする。しかし、この馬の銅像は、もうちょっと上手な彫刻家を起用できなかったの?と思う。絵の上手な小学生レベルである(>_<)
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ーーー続く

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