クルマ

2015年09月15日

山口組分裂に見る?クルマ・マーケットの変化

報道されているように山口組が、山口組と神戸山口組に分裂して揉めている。
その関連で山口組本部の映像をテレビでよく見るこの頃である。


話はいきなり変わるが、大学生のときのバイト先にAさんというバイトの管理者のような人がいた。年齢は35歳くらいで、50名程いたバイトに的確に指示を出す有能な人だった。しかし独特のオーラがあり何かと正体不明なところがあった。古参バイト達の噂では「その筋の有力者の息子」ともいわれていた。そして家は山口組の近所らしかった。

ある時、休憩時間に誰かが好奇心を抑えきれず「Aさんのお宅はどこなんですか?」と本人に尋ねた。Aさんは駅からの道順を答えた。質問した奴は、その住所を知っていたのか噂を元に適当にいったのかわからないが「じゃ山口組の裏じゃないですか」といった。するとAさんは


  「近所なのは確かだけれど、
   なぜ山口組が『表』で、ウチの家が『裏』になる?」

といった。Aさんは優しい人だったが、その時の言葉はものすごく「ドスが効いて」いてバイト全員で震え上がった。ドスが効いた言葉というのを実際に耳にしたのは、今のところあれが最初で最後である。とにもかくにも「その筋の有力者の息子」という噂は、その時から真実と確定され、それ以降は仕事をさぼるバイトはいなくなった(^^ゞ 何か事件があって、テレビで山口組本部が写るたびに毎度よみがえる懐かしい思い出である。そしてAさんは本当は何者だったのだろう?



さて話は戻って山口組分裂騒動。
テレビに映るのは会議?のために集まった各組の親分や幹部が、山口組本部にクルマで出入りするシーン。今まではそういう連中が乗るクルマは黒塗りのベンツ、たまにセンチュリーというのが通り相場だった。つまり大型の最高級セダン。

しかし今回出入りしているクルマは、ニュースを見る2回に1回はミニバンである。ほとんどは黒色だが、たまに白のミニバンも写っている。車種はトヨタのアルファードまたはヴェルファイヤ(トヨタの中では一番大きいミニバン)がほとんどのようである。


  ヤクザがミニバン?
  なんかイメージ狂うなあ。

機能面から見た選択としては間違っていない。
親分や幹部が乗るのは後席だから、アルファードクラスのミニバンなら一番大きなベンツよりも座席は広々としている。ヤクザの世界も高齢化が進んでいると思うが、セダンよりもミニバンのほうが乗り降りは楽である。車高が高くて見晴らしがセダンよりもいいので、襲撃してくるヒットマンを早く見つけられるかも(^^ゞ

走行性能や乗り心地はセダンのほうが上回る。しかし日本で使っている限り、しかも後席ならもうほとんど差は感じられないかも知れない。実際、大型ミニバンはセダンに代わって企業VIPの送迎車としても数を増やしつつある。価格は300万円から600万円ほどであるが、トヨタも日産も200万円ほど価格が高くて内装が豪華なエグゼクティブ仕様をラインナップに揃えている。

セダンと較べてかなり差があると思われるのは安全性。親分を乗せて無茶な運転はしないだろうけど、運転手は技量のある組員を選んだほうがいいかも。またミニバンは構造的に重心も高い。ぶつかり合いながら走るカーチェイスをやるときは不利だが、そんなのは映画の中だけの話かな。


というわけで親分や幹部の送迎に大型ミニバンを選ぶことは理にかなっている。しかしクルマは合理性だけで選ばれるものではない。ベンツなどの大型高級セダンと大型ミニバンとの一番の違いはステイタス、つまりどれだけイバリが効くかどうか。世間一般ではクルマにステイタスを求める意識が希薄になって、一昔前ならマークIIやクラウンを買っていた人たちが、ファミリーカーとしての実用性が圧倒的に高いミニバンを買うようになってセダンマーケットは廃れた。


  しかしヤクザは見栄張ってナンボの世界


と思っていたから、今回の騒動でのクルマの出入りシーンに「えっ、もうヤクザもそんな時代?」と驚いたのである。


もっとも海外のマフィアはかなり前から、大型セダンから大型SUVに乗り換えている。アメリカならシボレー・サバーバンやキャデラック・エスカレード、ヨーロッパやロシアではレンジローバーが多い。もちろん映画での話ではあるが、それなりに事実を反映しているはず。だから日本のヤクザもようやくグローバルスタンダードに追いついたのかも知れない。(ちなみにミニバンがこんなにたくさん走っている国は日本だけで、ガラパゴスなジャンルといえる)


あるいは今回の分裂騒動も、その遠因は暴力団対策法による締め上げで経済的に苦しくなったからといわれている。国産大型ミニバンがベンツの大型セダンに対して圧倒的に優位なのは価格。だいたい1/4から1/3の価格で買える。たぶん燃費も数割はいいはず。

 子分「親分、もう大きなベンツを買うお金がありません!
    小さいベンツでもいいですか?」

 親分「そんなみっともないことできるか、ボケ!」

 子分「だったらミニバンどうですか? 国産ですけど室内はメチャ広いので
    親分も楽ですよ」

ーーーというような会話が交わされたのかな?


ヤクザが何に乗ろうがマーケットに影響はないが、もっともクルマに対して保守的と思われるゾーンでの変化ということで関心を持った次第。ベンツ本社もニュースに釘付けになっていたりして。

wassho at 08:37|PermalinkComments(0)

2011年12月06日

東京モーターショー2011

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久しぶりに行ってきた。
平日の午前中だというのに、かなりの混雑。
あまりパッとしない自動車業界にとってはご同慶の至り。
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なんだけど、
人が多く賑わってはいても内容的には淋しい印象を受けたのも事実。


☆展示車両が少なく感じた。
これは、会場が幕張メッセから東京ビッグサイトに移って狭くなったせいか?


☆コンセプトカーの類があまり出展されていない。
ほとんどが市販車ばかりで巨大なショールームのようなモーターショー。モーターショーでしか見られないようなヘンチクリンなクルマが減って華やかさがない。


☆ブースにも派手さがなく、いかにも経費削減しましたの苦労がにじみ出てしまっている。とくにトヨタのブースが殺風景なのにはちょっと驚いた。またダンスやイベントなどのショーアップもあまり見られず、お祭り気分が足りない。



金がかかっていないからショボイのか。
それは事実だとして、それだけでもないはず。

クルマに夢見る時代はとっくに過ぎたが、自動車メーカーやタッグを組む広告代理店など出店側の熱意も下がってきたのかも。お金がなくてもサプライズな仕掛けはできるはずだし、以前はもっとおもしろい展示も多かったように思う。展示全般に「お約束感」が漂っているのは否めない。もっともほとんどのことはやり尽くしたから、知恵を貸せと言われても即答はできないが。



ところで私が入場したときには既に受け付けが終了だったが、東京モーターショーでは試乗会もやっているようである。そんなこと今までやっていたっけ? どんなクルマに乗れるのかにもよるが、おもしろい試みだと思う。お祭りは見学するだけより、やっぱり自分で御輿を担いだ方が楽しいに決まっている。

ついでに言えば、お祭り企画もブースで開発者も交えたミニトークショーをするとか、このクルマ離れの時代にモーターショーに来る人の特性をもう少し考えるべきだとも思う。2年後に備えて、司会を務める家電芸人ならぬクルマ芸人の育成も急務かも。


逆の観点からは、もっと新しい入場者層を開拓しないとますますスケールダウンが進む。せっかくお台場という多く人が集まるエリアに移ったのに、そこに買い物や遊びに来ている人をかき集めようという工夫も見られない。

アニメ、オタク、痛車?とか、そういう集客力のある要素を取り組むことも必要。本物のオタクが来なくても、そういう世界をのぞいてみたいという気持ちは多かれ少なかれ多くの人にある。コンパニオンのコスチュームもメイドやAKBみたいなのが見たかった(^^ゞ 



何となく否定的なことばかり書いたが、それでも世界最高水準にある日本の自動車産業のモーターショーである。周辺メーカーの展示も含めて情報・体験としては充実している。じっくり時間があるなら1日1500円の入場料の元は十二分に取れる。クルマに関心がなくても社会勉強として楽しめると思う。もっとも全部回ったらクタクタになるけど。


個人的に関心を持っていたクルマの感想

レンジローバー・イヴォーク

 シビれた!
 誰かクリスマスにプレゼントして!
 残念ながら、順番待ちだったので室内には乗り込めず。


新型ポルシェ911

 だいたい予想通り。
 子供の頃のあこがれだったカレラ6顔に近づいたのがうれしい。
              ↑
    マニアックすぎるので解説は控えます(^^ゞ


職業的に関心を持っていたクルマの感想

トヨタ86

 人がいっぱいでよく見られなかった。
 兄弟車種のスバルのクルマのことはすっかり忘れてた(^^ゞ

 さて、これで40年前に若者だった人たちに受けるのか?
 こんなチャレンジができるのはさすがトヨタ


★そのほかは企業秘密m(_ _)m




もちろんバイクも見た。
バイクはクルマ以上に若者離れ。しかし展示車にまたがっているのは意外と20代の若者が多かった。まあ、オッサンが多く来る時間帯ではなかったが。なお外国バイクメーカーはKTM(オランダのバイクメーカー)以外は出展していなかったみたい。


これはヤマハのコンセプト・モデル。
自転車みたいだけれどバイク。
やっぱりクルマもバイクもこういう意欲作がバンバン展示されていないと淋しい。
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ところで、もし私がこのバイクを買うなら、このバイクに似合う服装は自分で何とかするけど、このバイクに似合うヘルメットはヤマハが一緒に発売してくれないと、何をかぶればいいのか思い浮かばない。


追伸
写真はiPhoneで撮った。
ブログに載せる程度なら充分キレイだと思う。


東京モーターショーをネタにした過去のエントリーはこちらからどうそ。

2007年10月26日
2009年10月22日
2009年11月10日

wassho at 23:24|PermalinkComments(0)

2010年12月28日

押してもダメよ

今朝、マンションを出ると少し向こうの方から「セーノ!」と威勢のいいかけ声。バッテリーが上がったらしきクルマを数人で押しがけしていた。押しているのは近くの住宅建設現場のアンちゃんたち。クルマはヴィッツのように思えた。建設現場の向かいの家のクルマかな?


結果を見届けていないが、たぶんエンジンはかからなかっただろう。今はほとんどのクルマが押しがけできないようになっている。ちなみに「押しがけ」とは、クルマやバイクはエンジンが回って、それがギヤやシャフトを通じタイヤを回して走っているが、エンジンがかからない時に、逆の順番で車を押してタイヤを回すことによってエンジンを回して、エンジンをかけようとすること。


押しがけできない理由はーーーーマニュアルではなくオートマなら押しがけ程度のスピードではエンジンは「かかる」ほどには回らないし(CVTの場合は構造をよく知らない)、キャブレターではなくインジェクション方式なら、エンジンを回してピストンが下がってもガソリンを吸い込まないし、点火系統も今は発電した電気を直接プラグに送っていないしーーーー説明すれば長くなるし、やさしく説明するほど知識もないので省略。


考えてみれば(考えてみなくてもそうだけれど)、身の回りにあるのもはどんどん高度なテクノロジーに置き換わっている。このブログを書いている・読んでいるパソコンやインターネットの仕組みも、ぼんやりとあらすじのような理屈を知っているだけである。昔テレビが普及しだした頃、テレビの中にはコビトが住んでいて、それがブラウン管の向こう側で演技しているという冗談があったらしいが、今やそんな冗談をいう暇もなく、次々と登場するテクノロジーをひたすら受け入れ消費するだけである。気がつけばシャツだって発熱している。


テクノロジーによって便利になったし、びっくりするようなことが簡単にできる。いまや徳川家康もうらやむような暮らしである。「テクノロジーによって失われたものもある」ーーーなんてジジ臭いことを私はいわない。得たもののほうがはるかに多くて帳尻はプラスだし、それにテクノロジーによって失われたものがあるとすれば、それはその程度の価値しかなかったのだと思っている。


とはいえ、何となく昔っぽい風習の匂いも感じられる正月ももちろん嫌いじゃない。まったく古式ゆかしい過ごし方はしないとしても「あけましておめでとうございます」と口にしながらお辞儀をするだけで、多少は日本人としてのDNAが刺激される。 ♪も~いくつ寝るとお正月。そろそろ年末年始の準備をしなければと焦っています。

wassho at 19:07|PermalinkComments(0)

2010年04月26日

革シートの話3

今日は革シートとは何の関係もない話であるが、革の匂いのことを前回書いたついでに。


新車には新車独特の匂いがある。
新車らしい新しい感じがして好きという人もいれば、あの匂いを嗅ぐと酔うとか頭が痛くなるという人もいる。


あの匂いの主役は内装に使われている接着剤の匂い。また車内のシートやダッシュボードその他のプラスティックあるいはビニール類からでている匂いである。化学的には揮発性有機化合物といわれるホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、トルエンなどで、まあ簡単にいえば有害物質の匂いである。だから、あの匂いを嗅ぐと酔うとか頭が痛くなるという人の方が正しい。


建材の揮発性有機化合物が原因のシックハウスというのが問題になっているが、新車車内の揮発性有機化合物濃度は住宅より高いという話も聞く。また揮発性の物質だから、炎天下に駐車して車内の温度が高温になると濃度は一層高くなる。もっともクルマの場合は住宅と違って、走っているときに少し窓を開ければ充分に換気されるから、それを心がけていれば大きな問題になることは少ない。


ところで、クルマを製造するときにどんな接着剤を使うかの技術は日本が一番進んでいる(と思う)。接着剤が変われば同じ揮発性有機化合物でも多少は匂いが変わる。それで外車の新車に乗ると、ちょっと懐かしい新車の匂いがする(ような気がする)。古いタイプの接着剤を使っているんだと密かに思っているけれど、あまり確信はない。


ちなみに新車の香りがする香料スプレーというものはカー用品店に行けば売られている。業務用の商品もあって、それを使っているのは中古車屋。目隠しテストをして、あの匂いを嗅がせればいい匂いだという人はあまりいないはずだが、新車という記憶と結びついているから、いい匂いに感じるのだろう。人間の感覚は不思議である。

wassho at 21:26|PermalinkComments(0)

2010年04月23日

革シートの話2

クルマの革シートに限らず革には独特の匂いがある。
好きな人もいるし、あの匂いがダメで革ジャンを着られない人もいる。
本革なのかビニール製の合成皮革なのかを確かめるためにクンクンしたりもする。


ところであの匂いは革に染みこんだ匂いではあっても、革そのものの匂いではない。正確に言うならば革の匂いといってもいいかもしれないが、革の原料である動物の皮の匂いではない。牛や馬に鼻を押しつけてクンクンしたとしてもあんな匂いはしない。


皮から革になる加工には、いくつかの段階ある。

  洗う:皮に着いている毛や血や肉を落とす作業

  鞣す(なめす):草や樹木の液に浸す。柔らかくするためかな?

  オイルに浸す、あるいは塗る:何という呼び名かは知らない。


もちろん実際の行程はもっと複雑に分かれている。乾燥させたり揉み込んだりもするし、色もつける。草や樹木の液に浸すと書いたけれど、それは古典的な手法で今はいろいろな薬品を使う。


それでオイルの行程。昔は魚から採ったオイルを使っていて、革のあの独特の匂いは、実は魚オイル(が中心成分の)匂いらしい。動物の皮の匂いだと思っていたものが、魚の匂いだと知ったときはちょっとびっくりした。そして現在、魚のオイルはほとんど使われなくなったが、あの革の匂いを出すために成分を調節しているらしい。香料でも入れているのかな? 

きわめて現代的な製法で革を加工すると、あの匂いはほとんどしなくなる。某有名ブランドは伝統的な製法から現代的な製法に変えたとき、店頭でお客がクンクンしてこれは本当の革かと怪しんだので、伝統的な製法の革に戻したという話もある。革製品を扱うお店では革の匂いの香料が入ったスプレーを撒いているところもある。ウナギの匂いで客を誘い込むのと一緒ね。



日本とヨーロッパを較べれば、革についての歴史や経験はやはり差がある。

そういうのは言葉にも表れていて、日本語なら革と一言だけれど、英語ならレザー以外にカーフとかコードバンとか牛の年齢や部位によって10種類以上の単語がある。日本語だとハマチとかマグロとか魚には当然それぞれの名前がついている。どこか内陸部の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。ハマチもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に困らないのだ。逆に昔は遊牧民だった民族のどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬という言葉だけで用が足りるが彼らには不足なんだろう。



いつものことであるが脱線した。

国産車でも革シートだったり、革シートをオプションで装着できるクルマは増えてきた。すべてのクルマを知っているわけではないが、同クラスの欧州車と比べると国産の革シートは明らかに劣る。特に、そこそこの高級車で標準じゃなくてオプションの革シートの場合、これは革だといわれなければビニールだと信じて疑わないようなものも多い。私の文章で想像するのは難しいかも知れないが、見較べれば誰でもイッパツでわかる。コストの問題というより、文化に根ざした感性の問題のように思う。


脱亜入欧して100ウン十年。
たいていのことは追いついたけれど、
文化は時間がかかるね。

wassho at 20:11|PermalinkComments(0)

2010年04月22日

革シートの話

先日、友人の車に乗って出かけた。
最近買った新車である。
革のシートが自慢らしい。


布のシートと革のシート。高級車なら標準で革のシートだし、あまりそうでないクルマならオプションで注文することになる。安いクルマなら革シートのオプションはない。つまりどちらが高級かといえば、もちろん革のシートである。私の意見は少数意見の場合が多いけれど、これには賛同いただけるはず。


しかし昔は革シートの方が安物だったというと驚くかもしれない。昔といっても、いつ頃の頃か定かではないが、自動車の歴史は100年ちょっとだから、そんなに大昔ではない。馬車から自動車の時代になってしばらくの間までと思う。


当時クルマはもちろん上流階級のもの。運転手が運転し、金持ちが後ろに座る。そして運転席は革シートで、後ろの座席は布のシートであった。座り心地を重視する後ろの座席は布製で、運転手が座る運転席は耐久性さえあればいいので革シートというのが当時の考え方。

たぶん、当時の革は今より固く厚くゴワゴワしていたのだと思う。ひょっとしたら乗馬のサドルのような代物だったかもしれない。そして布は、今のような耐久性がなく、また当時のクルマは今ならリアカー程度の乗り心地だからとっても揺れた=服と擦れてシートが破れてすぐ張り替えなければならなかったーーーのだと想像する。


さて、久しぶりのフレーズ。
本日は “今の常識も、昔は逆だったこともある。未来にはまた入れ替わるかも” の下書きでした。


もちろんこの話は、革シートが自慢の友人にはしなかった(^^ゞ




追伸
4月も22日だというのに、本日はまたまたコートを着て出勤。
現在気温8度。冷春という言葉が必要かな。

wassho at 17:24|PermalinkComments(0)

2010年03月11日

アクセルとブレーキ(前振り)

ほとんどの自転車の前輪ブレーキは、ゴムパッドでホイールの縁(へり)を挟み込むような仕組みになっている。ペダルを握るとワイヤーが引っ張られてゴムパッドが動く。小学校3年生以上なら観察すれば誰でもわかる仕組みである。


自動車のブレーキも大昔はこれと同じ仕組みだった。しかし自動車は自転車より重く高速で走るので、より大きなブレーキで強く挟み込まなければいけない。つまり力がいる。だからワイヤーで引っ張っているのではなく、油圧で作動させている。油圧のことを説明すると長くなるので省略するけれど、ブレーキを踏むというのは油圧ポンプを踏み込んでいると考えていい。いっぱい踏めば多くの油が押し込まれてブレーキは強くかかる。少ししか踏まなければその逆である。ブレーキの手応え(足応え)は油圧ポンプで油を押し込むときの抵抗である。


最近のブレーキはもっと複雑である。

  ブレーキを踏む
   ↓
  踏み込んだ量や踏み込むスピードをセンサーが計測する
   ↓
  センサーの情報はコンピューターに送られ、
  現在の走行状況(スピードとか)と照らし合わせて、
  どの程度のブレーキ量が必要かを計算する
   ↓
  その計算に基づき油圧ポンプをモーターで動かし、ブレーキに油圧を送る
   ↓
  ブレーキが作動する


つまりブレーキペダルは、ブレーキに油圧を介して足の力を伝えているのではなく、単なる押し込み調整式のスイッチに過ぎない。もっともブレーキの手応え(足応え)は以前と変わらないのは、人間の感覚を損なわないために、別の油圧を使ってブレーキペダルに「偽の抵抗感」を作り出しているからである。機能だけを考えればブレーキペダルは羽のように軽くてもかまわない。


アクセルも同様に今ではスイッチになっている。以前はアクセルペダルを踏むと、それにつながっているワイヤーが引っ張られて、そのワイヤーの先にあるキャブレター(ガソリンをエンジンに吹き込む装置)の弁が開く仕組みだった。アクセルを踏む右足とエンジンはワイヤーで具体的につながっていた。電子制御のアクセルはブレーキと同じように、アクセルペダルの動きをセンサーが計測し、コンピューターが計算して、ガソリンを送る弁をモーターで開け閉めしている。アクセルもブレーキと同様に、以前と手応え(足応え)が変わらないのは「偽の抵抗感」を与えられているからである。

ついでに書くとブレーキの「偽の抵抗感」は複雑な仕組みだけれど、アクセルのそれはバネなどを利用した簡単な仕掛け。トヨタのアクセルペダルのリコールは、バネをきちんと動くように取り付けなかったから、バネの力が逆向きに働いてアクセルが開きクルマが暴走したというもの。


ゲームセンターで画面を見ながら運転するレーシングカーも、アクセルやブレーキの動きをセンサーが読み取ってコンピューターに送っている。ゲームセンターではコンピューターが画面の映像や効果音をコントロールしている。本物のクルマでコンピューターがコントロールしているのはエンジンやブレーキだが、操作の仕組みとしては本物もゲームセンターも変わらない。


踏み込んだペダルは、エンジンやブレーキを操作しているのではなく、ドライバーの意志をコンピューターに伝えているに過ぎないのが今のクルマ。それを判断して実際にどう操作するかを決めるのは、クルマに積まれている制御用のコンピューターである。自分の運転でクルマを走らせていると思っていても、運転というのはけっこうバーチャルな行為なのである。


続くーーーーーー続かないこともよくあります(^^ゞ

wassho at 21:24|PermalinkComments(0)

2009年11月10日

スルーされるニッポン

東京モーターショーの来場者数は、結局61万4400人と目標を大きく下回り、32年ぶりに100万人を割り込んだ。メーカーは「エコカーやハイブリッドカーなどで特徴を打ち出せた」としているが、エコカーを「ショー」に出かけてまで見てみたいと思う人が多いとは思えない。もし次回も海外メーカーが出展しないとなれば、来場者はさらに半減するだろう。エコカーが重要であっても「ショー」とは夢を見るところであり、主役にはなりづらい。


リーマンショック以降の世界不況、最近は100年に一度のという枕詞はさすがに使われなくなったが、実感として感じている人はそう多くはないような気がする。私の仕事でも国内クライアントに限っていえば、特に大きな変化はない。


先日、ヨーロッパで30年以上も暮らしている(日本人)ビジネスマンと話をする機会があった。あの有名な会社の、あんな有望なプロジェクトが中止になったとか、どこそこの有名会社では、あの部署ごとリストラされたとか、そんな話のオンパレード。日本やアジアの国と較べて、欧米ではリーマンショックは深刻である。


もっとも、その人に言われなくても欧米の状況は理解できていた。えっ?さすが世界を股にかけて仕事をしているって? う〜ん、実際はそんなかっこいいものじゃない。理解できていたのは、海外クライアントからの仕事が激減したからである(涙) 東京モーターショーじゃないけれど、特に国際比較のリサーチプロジェクトで、日本だけが対象から外されることがとても多くなった。東京モーターショーの時に「デジャブの反対」と書いたが、それはもうすでに始まっている。



以上、国際ビジネス最前線からのレポートでした。
でも、細々と仕事しているだけだから、情報的には偏っているかも。

wassho at 16:59|PermalinkComments(0)

2009年10月22日

デジャヴの反対

   【デジャヴ】  フランス語 deja-vu
           日本語では既視感(きしかん)
           どこかで見たような気がすること



東京モータショーが開幕された。

報道されているように、今回のモーターショーは規模的に「淋しい」内容になっている。海外主要自動車メーカーは、揃ってすべて不参加。ざっと検索したところ「海外からはロータスなど3社のみ」とあった。ロータスみたいなマイナーなメーカーが、その代表としてあげられているのだから、後の2社はどこなんだろう? 

東京モーターショーはドイツのフランクフルト、米国のデトロイトモーターショーと並んで、世界3大モーターショーと呼ばれてきた。しかし日本車しか出展されていないのなら、とても世界的なモーターショーとはいえない。


出展企業113社、出展車両261台、展示面積2万1000平方メートルは、それぞれ前回の2007年に較べて約半分らしい。入場者数も前回の143万人から100万人に減る予定(ただし開催期間も15日間から11日間に縮小している/もっとも100万人は公称予測値で主催者側はインフルエンザの消毒液を80万人分しか用意していないとの噂もある)。 昨日はプレスデイ(一般公開に先立ち、報道陣だけに事前公開される)の模様をニュースで見たが、なんかガラ〜ンとした感じだった。まあ外車のほとんどないモーターショーなんて、一般のマスコミならネタにならないだろう。



こんなにガタガタになったのは、長年まともな展示の努力をせず、コンパニオンを揃えることしかやってこなかったからーーーではなく(^^ゞ いわゆるリーマンショックを契機とした世界的な不況の影響である。つまり海外の主要自動車メーカーは、東京モーターショーに出展する経費を切り詰めた。


ところがである。
同じリーマンショック後の今年4月に開催された上海モーターショーには、世界の主要自動車メーカーがすべて参加し、出展企業は1500社に達している。(ただし出展企業数はキーホルダーのメーカーが出展しても1社とカウントされるから単純な比較はできない)

リーマンショックは去年の9月だから、時期的に出展を取り消したくても取り消せなかった可能性もある。それでもマスコミがいう「海外の自動車メーカーは日本より中国を優先した」という論評は外れていないだろう。


考えるまでもなく、人口は中国の13億人に対して日本は1億人。中国が豊かになれば、どっちの商売に力を入れた方が儲かるかはサルでもわかる。為替相場とか物価水準とかを考慮して計算すると、現在、日本人と同程度の生活水準にある中国人は約1億人といわれる。そして15年以内に、それが2億人に達するともいわれている。日本の自動車メーカーだって、東京モーターショーに参加せず、それで浮くお金を上海モーターショーにつぎ込みたかったかも知れない。

注)ただし中国人と日本人の生活水準を比較した、この手の話はよく聞くけれど、
  はっきりした統計的な根拠は見たことがない。


かつて世界のナンバーワン自動車メーカーだったGMを、アメリカはいったん倒産させる形で再建することを決断した。日本政府は、まともな経営のできないJALをダラダラと税金をつぎ込みながら、問題解決の先送りをする模様である。一事が万事。こんな事では、対中国だけでなく、世界の中での日本の地盤沈下は続くだろう。


   海外からの参加のない東京モーターショー。
   これと似たような光景を、これからいろいろ見そうな気がする。 

   だから、デジャヴの反対。


ついでに、長年の疑問はまだ解決していません。

wassho at 15:36|PermalinkComments(0)

2009年06月22日

刑事一代

土曜日曜と放送されていた渡辺謙主演のテレビドラマ「刑事一代」を見た。テレビ朝日開局50周年記念ドラマということで気合いの入った力作。サブタイトルが「平塚八兵衛の昭和事件史」とあるように舞台は昭和。ドラマは戦後すぐから昭和50年頃までの主人公の活躍を追っていく。戦後すぐのことはもちろん知らないけれど、昭和って、こんな時代だったんだなあと思い出させてくれるドラマであった。生まれた年代、育った地域や環境によって感じ方は様々だろうが、私の感覚では昭和50年頃を境に、日本の景色や人の印象も含めた「風土」感は変化してくる。すでに平成も21年と半分が過ぎた。昭和は遠くになりにけりである。


ラストシーンで渡辺謙演ずる主人公は、かって彼が逮捕し、後に死刑となった犯人のお墓を尋ねる。その場面では移動の手段としてトヨタの初代マークIIが登場する。お墓は福島の田舎にある設定。その田舎、つまり日本の原風景のような景色と初代マークIIは実にマッチしている。あの当時はクルマのデザインも日本的であったなと改めて感じる。

たとえば(国産の)古いクルマと今のクルマを、古い街並みあるいは寺社仏閣の前に並べて、頭の中で駐めてみる。やはり古いクルマのほうが似合う。もっとイマジネーションをふくらませて、ヨーロッパの今のクルマをヨーロッパの古い街並みや、たとえばローマ遺跡の前に頭の中で駐めてみる。(私の感覚では)違和感は感じない。ここでデザインの本質とは何かについて述べる気はないが、生活がどんどん欧米スタイルになるにつれて、日本人の感性は何か失ったものもあるような気もする。


ちなみに主人公の平塚八兵衛は1975年(昭和50年)に退官し、ドラマでは、その後に犯人のお墓を尋ねたことになっている。ドラマを観ていて、チョット違和感を覚えたので調べてみると、初代マークIIが売られていたのは1972年まで。もちろん初代マークIIが走っていても間違いじゃないけれど、詰めが甘かったねテレビ朝日さん(^^ゞ


ところで、このドラマを観たのは渡辺謙が出ていたからである。
えっ、ファンなのかって?
いや、嫌いじゃないけど特には。


実は渡辺謙とケビン・コスナーは私にとって気になる役者である。両者の共通点、それは「おでこが広いのにカッコイイ」。だからドラマは渡辺謙の演技より、おでこを中心に鑑賞した(^^ゞ 観察の結果、私より彼のほうが、おでこは「イッテル」。でもカッコイイよなあ。つまりは眉毛からアゴにかけての造りのレベルが、かなり違うから当然かという結論に至る。トホホ(^_^)

wassho at 10:43|PermalinkComments(0)

2009年06月17日

パトカーへの希望と不満

bce9bafa.jpgプリウスの受注は14万台を越えたそうで、今月中に予約しないと、すでに年内の納車は難しいらしい。前にも書いたけれど、たぶんギネス級の記録だし、おそらくは次に普及価格帯の電気自動車でも発売されない限り、この記録は破られないだろう。一方で、ご存じのようにアメリカではGMとクライスラーが破綻。再建計画もパッとした内容でなく、おそらくもうひと山ある。エコなハイブリッドvsでっかいアメ車ーーー象徴的な対比にも思える。自動車業界にとって、2009年はいつまでも語り継がれる年になるだろう。


お先真っ暗なアメリカ自動車業界だが、こんな勢いのあるニュースも飛び込んできた。やっぱり底力はあるのかな。


   パトカー専用車、E7…予約1万台突破


最初、写真を見たときはプラモデルかと思ったけれど、どうも実車らしい(CGかも知れないけど)。詳しくは記事を読んでいただくとして、ボディはともかくエンジンも専用に新開発したのかはちょっと疑問。でも、もしそうだとしたらアメリカ自動車産業の裾野がそれだけ広いということでもある。


市販車の改造ではなく、本当に使い勝手のいい専用車を開発して、少々高くついても、それだけの価値を顧客に認めてもらうというマーケティング戦略というかビジネスモデルはたいへん興味深い。パトカーだけではなく、タクシーとか宅配便のクルマ、救急車や現金輸送車などいろいろ考えられそうである。クルマだけではなく、他の産業分野でも、その発想は応用できるはずだ。


とにかく、こんな格好いいパトカーなら、
私も一度くらいなら「乗せられて」みたい(^^ゞ


ついでに
テレビのニュース番組でも何回か取り上げられていた、テスラという電気自動車。


   米国セレブに大人気の電気自動車テスラ・モーターズ


こちらも、アメリカのベンチャースピリット(そういや、最近日本ではベンチャーという言葉すら聞かなくなった気もするが)と、電気自動車なのにスポーツカーからスタートするというマーケティングセンスの良さにたいへん興味を引かれる。

電気自動車のキモは、もちろんバッテリー。電気自動車がまだほとんど世の中に出回らないのは、クルマ用の高性能なバッテリーが存在しないからである。それならというのでテスラは、パソコン用の高性能なバッテリーを何と7000個近く搭載している。その発想の柔軟さも素晴らしい。


話がそれたけれど、今日の本題はパトカー。


東京で見るパトカーはほとんどがクラウンである。
パトカーは、各メーカーの販売シェアに応じて発注されるという話も聞いたことがあるが、現在あのクラスではクラウンが圧倒的なシェア。日産のセドリックは既になく、後継車にフーガというクルマがあるけれど、あまり売れていない。というわけで必然的にクラウン、そしてなぜか目につく新型クラウンのパトカーばかりを見ることになる。


   素朴な疑問。
   パトカーにクラウンのような高級車が必要か?


断じて必要はない。


ヨーロッパが舞台の映画を観ればわかるが、パトカーはすべて小さな大衆車である。アメリカのパトカーはデカイが、それは別に高級車じゃなくでアメ車だからデカイのである。私が子供の頃のクラウンは今のコロナやブルーバード(名前は違うが)くらいの大きさである。ヴィッツしろとはいわないとしても、税金の無駄使いとエコの観点から、せめてそのクラスのクルマを採用すべきである。あるいは今も生産されているタクシー用の5ナンバーのクラウンやセドリックは、格安なのでそちらにすべきである。


残念だけれど本日は “もし日本の警察がE7を採用したら、納税者一揆を起こそう” の下書きでした。

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2009年04月17日

ハイブリッドカーのエコとエコ

先月プリウスの価格についての、こんなブログを書いて、その続きを書くのをさぼっているうちに、新型プリウスの価格が引き下げられるということがあった。


新型プリウスはまだ発売されていないが、数日前、すでに予約が4万台入っていると報じられた。4万台といわれても、それがどの程度の意味を持つのかピンとこない人のほうが多いかもしれない。月間販売台数の目安は


   1万台   よく売れている
   5千台   売れている
   3千台   少し売れている

もちろんコンパクトカーとスポーツカーを一緒に較べることは無理があるし、自動車メーカーによる規模の違いも無視できないが、普通のクルマ(定義が難しけれど)なら、これくらいが基準。詳しく知りたければ、こっちで。


だから発売前に4万台の予約が入っているというのは、すごいことなのである。たぶんギネス級の記録のはず。プリウスの値下げに出鼻をくじかれたとはいえホンダのインサイトもよく売れている。発売直後に1万8千台を受注したと聞く。


というわけでハイブリッドカーに対する消費者の関心は高い。それはもちろんエコ=燃費がいい(エコノミー)であり、それはエコ=地球に優しい(エコロジー)と思われているからである。


     本当にそうか?


まずエコノミー。
前のブログに書いたように、ホンダは技術で、トヨタは販売戦略でと違いはあるが、とにかくハイブリッドと同クラスの普通のガソリン車との価格差は現在50万円となった。メーカーが国交省に届け出ている燃費は

新型プリウス:38キロ/リッター
カローラ:  18キロ/リッター


つまりプリウスはほぼ同じ大きさのカローラより
50万円高いが、燃費は2倍いい。


年間1万キロ走るとする。(自家用車の平均がこれくらいといわれている)

新型プリウス:1万キロ÷38キロ=263リッターのガソリンが必要
カローラ  :1万キロ÷18キロ=556リッターのガソリンが必要


だからカローラは556ー263=333リッター余分にガソリンが必要。

ガソリン価格をリッター120円とすると

120円×333リッター =3万9960円

そして50万円の元を取るには 
50万円÷3万9960円=12年と半年!!

ちなみに去年の今頃は、ガソリン価格が200円になるのではないかという勢いだった。その200円で計算しても、50万円の元を取るには7年半かかる。プリウスより小さいトヨタのヴィッツなら価格は130万円で燃費は20キロ/リッターである。ヴィッツではなくプリウスを買って元を取るのに何年かかるかは自分で計算してみて。もし暇なら、実用燃費で比較するとか、エコカー減税の費用も計算するとかも。それでも、どう計算したって元は取れないから。


結論:ハイブリッドカーは、別にエコノミーなクルマではないのである。
5年で考えるならば、3万9960円×5年=約20万円。これくらいの価格差になればガソリン代で元が取れる。下取りはハイブリッドカーのほうが高いからその差額がエコになる。エコ重視の人はご参考に。



次にエコロジー。
燃費がいいということは、ガソリンの消費が少ないわけだから、ガソリンを燃やして出る排気ガスも少ない。排気ガスには、今や地球温暖化の代名詞となったCO2(二酸化炭素)も含まれている。


「CO2削減」という言葉を聞かない日はない。たぶんほとんどの人はCO2を削減できれば地球温暖化を防げると考えているはず。世の中、そんな論調である。


ところで、地球にはどれだけのCO2があるのか。
温暖化キャンペーンではちっとも話題にならないが、空気のほとんどは約8割の窒素と、約2割の酸素で組成されていて、CO2は濃度にして0.037%しかない。1万分の3.7である。人間の生産活動によってCO2が増加したといわれるが、産業革命以前、つまり工業化社会でなかった時代のCO2濃度は0.028%だとされている。産業革命は1760年代から。工業化が増やしたCO2濃度は250年間で0.009%でしかない。


地球温暖化の原因がCO2なのか、そもそも本当に地球は温暖化の方向に進んでいるのかについては諸説ある。なかには「トンデモ・マユツバ」な理論もあるけれど、信頼できそうな人の「CO2が原因で地球が温暖化している」あるいは「CO2は原因ではない」または「地球は温暖化していない」という理論を読んでも、こっちの知識が追いつかないから、どっちが本当なのかはさっぱりわからない。いえることは、マスコミが騒ぎ立てていることは鵜呑みにするなということくらいである。


1760年代といえば江戸時代の中頃。その頃から較べて世界がどれだけ近代化、工業化したか。それだけの生産活動をしてCO2濃度の上昇は0.009%である。つまりCO2は、もともととても少ないし、人間が発生させるCO2は誤差レベルの分量でしかない。(ほとんどのCO2は自然界で発生する)


だからハイブリッドカーなら地球に優しいと思うのは、単なる自己満足、またはメーカーのマーケティングにノセられているだけと考えたほうがいいかもしれない。ノセるのが仕事の私がいうのも気が引けるけれど。


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2009年04月15日

カルマン (ギア)

ff2d4977.jpgページをパラパラめくるーーーという表現がある。そのように特に目的もなく読んでいるような読んでいないような状況を、ネットに当てはめると何といえばいいのだろう。ポチポチクリックするだろうか、チョコチョコジャンプするだろうか? どうもしっくりこない。作家や国語関係の皆様、何かよい表現を発明してください。


まあとにかく、そんなことをしていた時に残念なニュースを見つけてしまった。カルマンといってもほとんどの人は「?」だろうけれど、カルマンギアといえば数%の人は「あのクルマの?」と思い出すかもしれない。


多少説明すると、カルマンギアとは昔「カブトムシ」と呼ばれたフォルクスワーゲン・ビートルというクルマをベースにした派生車。イタリアのギアという会社が外観をデザインして、そのボディをドイツのカルマン社が製造して、ビートルの車体にドッキングさせたクルマ。つまりフォルクスワーゲンは自社の特別仕様車に、下請け会社の名前をつけていたことになる。それも2社とは太っ腹!


「カルマン」が破産のニュース記事にあるように、ベルトーネやピニンファリーナなどの有名どころがどんどん倒産している。それらはカロッツェリアとかコーチビルダーといわれる業態で、主に特別仕様車の架装(ボディの組み立て)を請け負う会社。元をたどれば馬車を作っていた会社で、自動車が発明され馬車が売れなくなったときに、そのボディ製造能力を転用して生き残った会社である。カルマンは架装だけだったと記憶するが、ベルトーネやピニンファリーナはデザインでも有名 (というか、デザイン会社が架装会社を吸収合併して大きくなった会社)。


さて
今の経済危機がもちろん影響しているだろうが、カロッツェリアが傾いた一番の原因は、彼らが自動車メーカーから架装を請け負うのは、クーペとかオープンカーとかスポーティーなクルマが多かったからである。つまり昔はリッチになったら高級スポーティーカーを買ったけれど、今は高級SUVを買う。(SUVとは、こんなクルマね) 当然自動車メーカーはスポーティーなクルマの開発や生産を縮小する。だからカロッツェリアが軒並み倒産するというのは、時代の流れやクルマへの価値観の変遷を象徴するニュースでもある。


ところで
この前、久しぶりに自動車雑誌を立ち読みしたら「若者が買える価格のスポーティーカー」を某社と某社が開発しているそうだ。


   正気ですか?


高級オーディオじゃなくて、iPodみたいなクルマを開発してくれたら、
私も何色かまとめて買うよ(^^ゞ

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2009年03月13日

(続き)工業製品とファッションと

タイトルは変えたけれど、2つ前のブログの続き。
トヨタは販売の都合を考えて、プリウスとハリアーは新旧モデルを併売していくという話。


あれっ?
新車が発売されて、その後、そのクルマの欠点を改良したり、新しく開発された技術を取り入れたりしてモデルチェンジをするんじゃなかったっけ? だから旧モデルは新モデルより劣っているハズじゃなかったっけ?


価値の劣ったものを安くして売るなら理屈に合っている。しかしプリウスは装備の簡略化による値下げだし、ハリアーにいたっては定価の改定はない。新旧モデルの併売というのは、この不景気にそんなことかまっちゃいられないのだとしても、「モデルチェンジして、よりいいクルマになりました。だから、買い換えてね」という長年のお約束というか建前をひっくり返す、マーケティング的には一大事な出来事なのである。つまり「技術者を遊ばせておくわけにもいかないからモデルチェンジはしましたが、旧モデルでも充分ですよ」と客にいっているに等しい。極論すれば買い換えなくてもいいですよ、という理屈になる。



「走り曲がり止まる」というのがクルマの基本性能。ぶっちゃけていえば、普通に使っている限りクルマの基本性能は20年前から、それほど進化していない。ちなみに20年前の1989年は、初代セルシオやホンダNS−Xが発売され、日本の自動車産業が最盛期を迎えたとか、世界に並んだとかいわれた年である。

もちろん20年間で進化した部分もある。燃費や環境対応は格段に進化したし、90年代半ばからはエアバッグも普及したから安全性も向上した。もっとも100キロで事故を起こせば今も昔もタダじゃすまない。全般的にサイズアップしたり、室内スペースの稼ぎ方(設計)がうまくなったので、広く快適にもなっている。ミニバンという広さ優先のクルマも登場した。クルマ屋の仕事じゃないがナビもついた。

しかし、基本性能は変わっていないから、今、20年前のクルマに乗ったとしても、それほど不都合はないはず。(20年落ちのポンコツ中古車じゃなくて、あくまで新車での話ね)


話は変わるけれど
ファッションの世界では毎シーズンごとに新作が発売される。洋服の場合、新作は「進化」ではなく「変化」。新作だからといって別に性能が向上するわけじゃない。


さて
顧客のニーズをくみ取り、製品やサービスに反映させるのがマーケティングの文法。それには「進化」するという概念が前提としてある。しかし、最近は「変化」ということにマーケティングはもっと真正面から取り組むべきだという気がしている。


世の中の多くの製品やサービスは、すでに充分に基本性能が高く、それを進化させたからといって売り上げ向上に寄与する割合は、それほど高くはならない。まあ、そんなことは私がこの世界に足を踏み入れた昔から議論されてはいたけれど、結局、細かなニーズまで掘り起こそうとか、心理の奥にあるニーズを呼び覚まそうとか、マーケティングの文法から脱却できない結論が多い。進化の努力は必要だとしても、変化は必須とか、常にファッション性を追求しなければならないとか、マーケティングの文法も少し書き換える必要があるのかも知れない。


ここでいう変化や、ファッション性というのはーーーー
ーーーー長くなるので、いずれそのうち


ところでブログの続きをさぼっていた昨日、
プリウスは旧型を安く併売するのではなく、新型の価格をドカンと下げて、インサイトと並ぶ205万円にするという記事があった。当初の予定価格からは50万円以上の値引き(という表現もヘンだが)になる計算。さらに加えて旧型は、200円万以下で法人向けに併売するらしい。


モデルチェンジの建前をひっくり返すことはせず、法人向けという新たな建前まで作ってーーー。トヨタ恐るべしと思うべきか、よっぽどせっぱ詰まっていると思うべきか。

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2009年03月09日

モデルチェンジの自己矛盾

今が本当に100年に1度の経済危機なのかどうかはわからないが、
もし本当だとしたら、それはそれで貴重な経験?かも知れないけれど、
不景気なニュースにも慣れてきたというか飽きてきたというか。


しかしまあ、世の中不景気なことは事実である。
クルマは実に35年前の販売水準まで落ち込んだというニュースもあった。
35年前? 私はまだ免許も持っていない(^^ゞ


そんなクルマ氷河期の中でスマッシュヒットなのが、ホンダのインサイト。
トヨタのプリウス対抗のハイブリッドカーである。
その最大のセールスポイントは「ハイブリッドなのに低価格」。
中心グレードの価格は205万円。同じくプリウスの中心グレードは250〜270万円である。ボディはプリウスのほうが少し大きいが、この価格差は大きい。エコ志向でプリウスが欲しいと思っていても、プリウスは高すぎる、ハイブリッドだから割高と思っていた人は多い。

  プリウス:250〜270万円
  同じくらいの大きさのカローラ:150万円
  ハイブリッド代(コストとブランド):100万円以上


  インサイト:205万円
  ベースとなったフィット:150万円
  ハイブリッド代:50万円未満


ちょっと強引な計算になるが、プリウスに較べてインサイトはハイブリッドにするためのコストが半分以下で収まっている。インサイトのハイブリッドシステムは、やや簡略な仕組みなので、燃費性能はサイズの大きなプリウスのほうが優れている。それでも、この価格差は大きい。ホンダの開発陣も鼻が高いはず。


実はプリウスはもうすぐモデルチェンジを迎える。ボディもエンジンも少し大きくなる。つまりさらに価格が高くなる。インサイトの売れ行き好調に危機感をいだいたトヨタは

  ●新型プリウス発売後も、旧型(現行)プリウスを併売する。
  ●旧型プリウスは装備を簡略化して200万円程度と
   インサイトと勝負できる価格にする


ーーーーらしい。


トヨタにはハリアーというクルマがある。このクルマはアメリカではレクサスというトヨタとは別系列のブランド(レクサスとは何かを簡単に説明するとかえってややこしいので、?な人は自分で調べてください)で売られていた。それで、このハリアーの新モデルが開発されたんだけれど、それは日本でもレクサスRXと名前を変えてレクサスのディーラーで売られている。旧型となったハリアーは(今でもよく売れているので)、そのままトヨタのディーラーで売られている。つまり新型と旧型が併売されている。


   レクサスRX    ハリアー

ほら、同じクルマの新旧でしょ。


ーーー続く(しばらく先になるかも知れません)

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2008年10月09日

盗難防止のアラームは音声にしたら?

前回はヘビーな内容だったので、今回は軽めに。


最近の高級車には盗難防止装置がついている。
鍵を壊してドアを開けたりするとアラームが鳴る。たぶん振動にも反応するし音にも反応する。以前にアメリカのどこかで、通りで悪ガキが爆竹を鳴らし(アメリカの爆竹は日本のよりかなりデカイ)周りのクルマのアラームが一斉に鳴ったのを目撃(耳撃?)したことがある。アメリカではずいぶん昔から盗難防止装置は普及していたみたいだ。


先日、アラームが鳴っているクルマの側を通りかかった。誤動作かどうか不明だが、運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人がいた。


さてアラームは盗難防止に役立つのか?
そのクルマが止まっていたのは人通りの多い商店街だったのに、誰一人アラームの鳴っているクルマのことなんか気にせず通り過ぎていく。前に住んでいたマンションは向かいが駐車場だったので、ときどきアラームが鳴っているのが聞こえた。でもクルマ泥棒かなと思って窓から覗いたことは一度もない。


素人の泥棒ならアラームが鳴ったらビックリして逃げるかも知れないし、アラームが装着されているクルマは、運転席あたりに小さな点滅でアラーム作動中を知らせているから敬遠するだろう。でも経験を積んだプロならアラームが鳴っても誰も気にしないことはわかっているはず。運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人が、クルマの持ち主かどうかわからないし問いただす人が現れる確率は低い。


本日は “やっぱり安全は地域のコミュニティがしっかりしていてはじめて成り立つものでーーー” なんて正論を吐くつもりはない。


アラームの「音」のかわりに

「クルマが盗まれようとしています! 助けてください!」あるいは「アラームを解除しようとしているのはクルマ泥棒です! 警察を呼んでください!」とかクルマが「喋ったら」おもしろいだろうなあとチョット思った。「麻生太郎のクルマが盗まれようとしています!」と、そのアラームの喋りをカスタマイズできれば、駐車場からアラームが聞こえたときに自分の車かどうかわかって便利かも。


子供に防犯ブザーを持たせる親が増えている。それもアラーム音よりは「子供が襲われています。誰か助けに来てください」という音声が聞こえた方が注意を引くと思う。そういう製品もあるのかな? ネットで調べたら(この前引退した)清原の声で「コラ!なにすんねん!」と鳴るものがあるらしい。でも彼の顔が見えないと効果半減かも(^^ゞ

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2008年04月18日

しつこくクルマの音の話(2)

昨日
>さて、クルマの基本性能には差がないのだから、
>用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、
>デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。

と、うっかり書いてしまったけれど。


実はクルマの「静かさ」には大きな差がある。
街中を走るスピードでは同じクラス(価格帯)の車同士でそれほど差はないが、高速ではかなり違う。仮に試乗してクルマを選ぶとしても、高速で試乗することはなかなかできないからデタトコ勝負になってしまう。一般にセダンより表面積の大きなミニバンのほうがウルサイし、凹凸のあるタイヤをはく四駆タイプはさらにウルサイ。


業界的には100キロで60デジベルの音量なら静かなクルマといわれるが、そんな数字はカタログのどこにも載っていない。それに同じ音量でも音質や、いわゆる「音のこもり具合」によって耳に感じる静かさはかなり違う。またクルマによっては前席は静かでも後席はやたらうるさかったりする。さらに少し窓を開けても静かなクルマと、とたんにうるさくなるクルマがある。


クルマの開発では必ず車内音量を測定する。そこで本日は “クルマメーカーにお願い。60キロと100キロの前席と後席の音量をカタログに載せて。できたら窓を閉めた状態と半分開けた状態で。そして、規制はあまり好きじゃないけれど国交省はそれを義務づけさせて” の下書きでした。


数字を目標とすると、むやみなスペック競争にも陥る反面、必ず技術が進歩するというのが私の考えである。0.1デジベルでも競合他車に負けていたら売り上げに響くからね。音質なんかも指標化できればなおさらよろしい。

クルマの静かさ競争が始まれば、タイヤメーカーもクルマメーカーのプレッシャーを受けて本格的に静かなタイヤの開発に取り得かかるはず。もちろんクルマメーカーは空気の音を小さくする。それは車外騒音=道路の静かさにも貢献するはずである。


おしまい

wassho at 17:19|PermalinkComments(0)

2008年04月17日

しつこくクルマの音の話

音の話の前に。

走る、曲がる、止まるというクルマの基本性能については、よほどマニアックなことをいわない限り、今はどのメーカー、どの車種を選ぼうと差はない。100万円のクルマなら100万円なりの、500万円なら500万円なりの基本性能を得ることができる。私が学生の頃は、同じクラスのクルマでも基本性能に多少の差はあった。エンジンはいいけれど足回りがよくないとか、その逆とか、あるいは基本性能は高いのにデザインがイマイチとかーーーそういう意味ではクルマの選び甲斐があった。


どのクルマを選んでも(価格なりに)基本性能に差がなくなったと言い切れるようになったのは15年くらい前からか。それは自動車の進歩であり成熟なのだけれど、選び甲斐がなくなれば、クルマに関心を持つ人も減る。それはどの産業にとっても進化に伴う悩みのタネ。ビックカメラに行くと大型テレビの画質をいろいろ見較べている人が一杯いる。大型テレビの画質はメーカーや方式によってかなり違う。つまり選び甲斐がある。でもブラウン管時代の後半期、人々は売り場でブランド名と値札しか見ていなかったはずである。


選び甲斐の話は、マーケティング的にきわめて重要なテーマなので、いずれじっくり。まあ、そういって書いたためしがないけれど(^^ゞ


さて、クルマの基本性能には差がないのだから、用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。クルマのリサーチをすると、車内の小物入れやカップホルダーなどがクルマ選びの重要な要素となっていることがわかる。売れるクルマを開発するには優秀なエンジニアだけではなく優秀なインテリアプランナーが必要な時代である。(続く)

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2008年04月11日

舗装工事

昨日、書きながら思いだしていたこと。


玉川通りに面したマンションは、当然、道路の騒音がそれなりにあった。
ある時、そのマンション近辺の玉川通りでは大規模な舗装工事があって、道路すべての舗装が新しくなった。雨水を浸透させるタイプの舗装に張り替えたということであった。工事が終わると今までのアスファルトより、少し黒いアスファルトに変わっていたことを覚えている。


雨水の浸透のことは別として、この工事が終わったあと、道路の騒音がはっきりと少なくなった。感覚的には2割近く静かになった。雨水が浸透するということは、アスファルトがミッチリ詰まっているのではなく、雨水が通る隙間があるのだろうから、ロードノイズも多少はその隙間へ吸収されているのか? 理屈はわからないが、とにかく静かになった。


昨日は

>道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。
>タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないけれど、
>空気の音のような気もする。

と書いたけれど、舗装で静かになるということはタイヤの音のほうがうるさいのかも知れない。


もっとも音というのは

   エンジン:5
   タイヤ:6
   空気:7

で音を出していたら、トータルでは18のうるささを感じていても、聞き取れるのは一番大きな空気の音になる。


本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーだけでなく舗装工事の会社にも低騒音化推進に加わって下さい” そして “59兆円は無駄な道路ではなく地下鉄と、こっちに回しましょう” の下書きでした。

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2008年04月10日

クルマ&タイヤメーカーと国交省にお願い

あと何回かはマンションネタというか、マンション前振りの話が続きます。


早いもので、そろそろ引っ越して2年になる今のマンション。フローリングが軟らかかったり換気の音がこもったりするけれど、満足度はまあ70点くらいかなあ。欲をいえばキリがなくても、払える家賃にはキリがあるので(^^ゞ、今回は更新することになると思う。


このマンションは目黒通りという幹線道路から数ブロックほど奥まったところにある。目黒通りの騒音は全く聞こえない。夜になると静まりかえったと表現してもいいくらい。前のマンションは目黒通りと同じような幹線道路である玉川通りに面していて、かなりうるさかったので、その点はとても満足している。もっともそのおかげで駅まではちょっと遠いんだけれど。


さてクルマが走る音を擬音語で表現するならブーンとかブォーンとなる。エンジンの音のイメージである。しかし実際道路を走っているクルマからは(信号待ちから発進加速する時を除いて)こんな音はしていない。表現するなら「シャー」という音。


クルマが発生するノイズは大きく分けると3つある。

 エンジン音
 ロードノイズ
 空気を切り裂く音


ロードノイズというのはタイヤが地面と接することで生じる音である。人でいうならコツコツという足音。なぜかタイヤノイズとは呼ばずロードノイズと称される。またクルマが走ると高速で周りの空気を押しのけるから、空気が震えて音が出る。空気の音ってイメージしづらいけれど、手のひらに強く息を吹きかければわかってもらえると思う。クルマが空気を切り裂く音には特に名前がない(と思う)。なお風切り音というのは高速でクルマの周りの気流の一部が乱れて笛のようになる音なので別物。


道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないが、空気の音のような気もする。


さて、クルマにはマフラーが付いているし、エンジンの音量には規制がある。大型のトラックやバスはまだまだ改善の余地があるだろうが、今のクルマのエンジン音は充分に静かである。また、そう遠くない将来に電気自動車も普及しそうだけれど、そうなれば無音。


しかし、もうおわかりだと思うがタイヤと空気の音を小さくしなければクルマ騒音はなくならない。そして技術開発的にこの分野はほとんど手つかずだと思う。一部に静粛性を謳う高級タイヤがあるが、それとてメインは車内騒音低減の気がする。空気の音には名前すらない(少なくとも一般に知られていない)。


エンジンの音量や排気ガス二は一定の基準が設けられている。法律でも業界の自主基準でもいいけれど、タイヤの音と空気の音にもそんな基準=低騒音化への目標設定が必要だと思う。本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーと国交省の皆さん、その辺のところよく話し合ってね” の下書きでした。静かな環境を少しでも取り戻しましょう。

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2007年10月26日

東京モーターショーだけれど誰か日本史に詳しい人いる?

c1e4f7c9.jpg明日27日から開催。報道陣にはもう公開されたので、いろいろとニュースで取り上げられている。それを見て、すっかり行った気分になるというのが毎回のパターン。仕事の関係でどうしても顔を出さなければならないとき以外は行ったことがない。遠いし、混んでるし、コンパニオンを撮っている連中がじゃまだし。


華やかなモーターショーだが、いろいろと報じられているとおり国内ではクルマが売れていない。新車販売台数は2年連続の前年割れ〜ピーク時の90年/590万台から昨年は何と360万台と4割減!〜現在の販売台数は30年前と同じ水準〜今までよく売れていた軽自動車も4年ぶりにマイナスーーーーなどなど、お先真っ暗な状況である。

※ニュースなんかでクルマの販売台数をいう場合、軽自動車を除くとか、普通車と軽自動車を分けて発表される場合が多いけれど、「まず」は普通車も軽四も商用車もトラックも、ついでに外車も併せた全体の数字で発表して欲しい。少なくとも一般市民向けのニュースで普通車と軽四を分ける必要はないと常々思っている。


さて、なぜ景気が回復しても売れていないのかとか、最近顕著な若者層のクルマへの関心の低下とか、もうじきドサーッと引退する団塊世代はこれからどんなクルマを望むのかーーーなどが業界での挨拶代わりの話題ーーーというか課題。


そういう私の仕事とも絡むテーマは
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ



ところで、クルマが発明されたのは19世紀後半のヨーロッパ。(発明したのはあのベンツの創業者ベンツさん) やがてクルマはだんだんと馬車に取って代わるようになる。ちなみに初期の車のボディは馬車メーカーが製造していた。イメージとしてはシャーロックホームズが乗っていそうな馬車。クルマのエンジン出力を馬力というのもたぶん馬車と関係がある。


  その【馬車】。
  それが私の長年の疑問(そんなに調べてもいないが)。
  日本にはなぜか馬車が生まれなかった。


平安時代に牛車はあったから、車輪とボディと動物に引かせるという発想はあったはず。義経のひよどり越えとか武田騎馬軍団とか昔から馬も使っていた。でもなぜか馬車は生まれなかった。ヨーロッパでは古代ローマの時代から馬車があったのにナゾ。ナゼにカゴ? 私にとっての日本史ミステリーのひとつ。引退でもしたら調べようと思っているけれど、知っている人がいたら教えて欲しい。



ついでに
wassho的日本史ミステリーその2
(こっちはクルマほど詳しくないから勘違いかも知れない)

  なぜ日本にはフライパンが生まれなかったのか。
  なぜ日本料理には炒め物がなかったのか。


よかったら秋の夜長に馬車とフライパンの推論でも(^^ゞ

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2006年10月18日

縦列駐車の達人揃い

a31ad448.JPG市内のスナップ。

ミラノ(たぶんイタリア全体も)には小さなクルマが多い。日本ならヴィッツ位の大きさ。カローラクラスになると、こちらではかなり大きなサイズになる。別に貧乏人が多いからではなくて、ミラネーゼは小さなクルマが便利と考えていて、たいていの金持ちも小さなクルマである。


いつかはクラウンーーーというアップグレード、ステイタス志向は日本でも薄れてきたが、こっちに来てみると、日本人はまだまだクルマに金をかけすぎという気がしてくる。クルマなんてママチャリ感覚でいいのだ。


さて日本と同じように駐禁のところもあるけれど、路駐できるところも多い。写真でわかるようにクルマとクルマの間はきっちり詰まっている。

でも不思議なことにミラノのクルマのバンパーはへこんでいないのである。つまりパリのようにクルマをゆっくりぶつけながら、スペースを作るということはしていない。(いまのパリは知らないが、20年前に訪れたパリでは確かに街のあちらこちらでゴツンゴツンやっていた)。

どうやって停めているのか不思議であるが、残念ながら今回の滞在中に狭いスペースに駐車したり、そこから発車するシーンを見ることはできなかった。ひょっとしてミラネーゼは縦列駐車の達人揃い?

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2004年11月20日

セダン復権?

クルマのネタが続くが。理由は、18日にカー・オブ・ザ・イヤーのブログを書きながら思いついたので忘れないうちにと。


今年のカー・オブ・ザ・イヤー(本家・分家)は2台ともセダンだった。他にもクラウン、マークXなど大物車種の発売も相次いだ。ここ数年、セダンの新車が発表されれると「セダンの復権か?」などという文脈で語られることが多い。まあマスコミが深く考えて、この言葉を使っているとは思わないが、「セダンの復権を果たしたい」とインタビューで答えた自動車メーカー社長もいる。


前から少し不思議だったのである。セダンの復権とはミニバン(オデッセイとか)やSUV(ハリヤーとか)に押されて縮小したセダンマーケットの再拡大を意味する。ちなみに、今や乗用車の25%はミニバンである。

じゃ、メーカーはミニバンが売れちゃイヤなのか?

クルマのプロジェクトをしたときに、メーカーの人と雑談で、そんな話をしたこともあるが、ちょっとじっくり考えてみた。


今、一番売れているのはコンパクトカーといわれるジャンル。サイズが小さいのでスペース効率では分の悪いセダンが、このクラスで復権することはあり得ない。ハッチバックやミニ・ミニバンのようなクルマが今後も主流だろう。

ミニバンのキーワードは“子育て”だ。チャイルドシートの使いやすさに始まり、じっとしていない子供と一緒にドライブするにはミニバンの広さは代え難い。家族旅行やアウトドアレジャーをもっとも楽しんでいるのも、このライフステージ。ミニバンの優位は動くまい。

セダンを買っているのは年配層。先日マークIIがモデルチェンジしたがユーザーの平均年齢は58歳。中央値で見ればもっと高いだろう。


さて。他にもいろいろと考慮すべき背景はある。いろいろなストーリーを推測したが長くなるし、仕事で得た情報からは書けないので、ひとつだけ書こう。


子育てはやがて終わる。家族一緒に行動する機会が多いのは中学生くらいまでだ。ミニバンブームを引き起こしたのは先々代のオデッセイだから、10年近く立っている。つまり今後、広いミニバンを必要としなくなったユーザーが続々と増えてくる。そして、その人たちががコンパクトカーに流れては困るのである。価格も安いし利益率も低い。なにとぞ引き続き高い価格のクルマをお買い求めいただきたいという、メーカーとしての本心が、セダンの復権を目指すマーケティングに反映されてると考えるのは「わたしだけ?」(だいたひかる風に)


本日は“敵は本能寺にあり”の下書きでした。続きを読む

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2004年11月18日

カー・オブ・ザ・イヤー

カー・オブ・ザ・イヤーに日産フーガが選ばれたという記事を読んだ。あれ?確かホンダのレジェンドが−−−と思って、思い出した。そうカー・オブ・ザ・イヤーって、いろんなところが主催しているのだ。一応本家はレジェンドを選んだ「日本カー・オブ・ザ・イヤー」。フーガを選んだのはそこから分裂した「RJCカー・オブ・ザ・イヤー」。この2つがメジャーだが他にもいろいろある。グーグルで“カーオブザイヤー”と検索するとトップに「日本自動車殿堂」という団体の紹介記事がトップに表示された。そこが選んだ今年のカー・オブ・ザ・イヤーはクラウンだ。


カー・オブ・ザ・イヤーが発表されると新聞にも必ず記事になる。世間でカー・オブ・ザ・イヤーなる賞があることを知っている人は少なくない。しかし規模と比較してこれほど世の中に影響を与えない賞も珍しい。カー・オブ・ザ・イヤー受賞をクルマ選びの基準にする人はまずいまい。去年のカー・オブ・ザ・イヤーを覚えていたら業界関係者か、よほどのクルママニアだ。


直木賞芥川賞、アカデミー賞などは作品のセールスに直結する。また受賞した作家や俳優、監督などは、その後光にあやかり、しばらくは食いっぱぐれない。カー・オブ・ザ・イヤーは、運良く商談中に受賞したら、セールスマンの最後の一押しになる程度か。


もったいないなと思うのである。必ず新聞が取り上げるほどの権威を持ちながら、世の中に影響を与えないことを続けるのは。
本家カー・オブ・ザ・イヤーが始まったのは1980年。そろそろ日本車の性能が欧州車に追いついてきた頃だ。その時代、このクルマが年間でもっとも優秀ですと選ぶことは、バイヤーズガイドにもなっただろうし、メーカーの励みにもなったと思う。あれから四半世紀、クルマは格段に進化し、今や“総合的優秀性”に情報価値はない。


カー・オブ・ザ・イヤーが選ぶ今年の「エコ・ランキングトップ5」。あるいは安全性でもリサイクル性の配慮度でもバリアフリー度合いでも何でもいい。今の時点で、価値のある情報を提供すればと思う。もっと大げさにいえば、メーカとは少し違う見地、見識から、メーカを競わせるような指標を示せれば、カー・オブ・ザ・イヤーの社会的存在感は高まる。



本日はちょっと強引だけど“時代に合わせて、立ち位置変えないと。カー・オブ・ザ・イヤーに学ぶ時代遅れの教訓”の下書きでした。続きを読む

wassho at 22:25|PermalinkComments(1)TrackBack(0)