コブシ
2023年03月30日
今年こそ六義園でしだれ桜 その4
少しうっそうとしたところを歩いて、
また池の畔に出る。
吹上茶屋のあたりに、
今が盛りのユキヤナギや、
咲き始めたソメイヨシノがあった。
ところで、
かつてソメイヨシノは、六義園もある駒込一帯が染井村と呼ばれていた江戸時代に、この地の植木職人が交配させて生み出したとするのが定説だった。染井村は植木職人が多く住む園芸が盛んな地域だったらしい。サクラの代名詞だった奈良の吉野山に咲くサクラ(山桜)とは明らかに違うので、区別するために染井吉野と名付けたとされる。
そして全国にあるソメイヨシノはすべて接ぎ木で増やされている。つまり同じ遺伝子を持つクローン。だから各地(同じ気象条件エリア)で一斉に咲く。
しかし何年か前にDNA解析の結果、今も上野公園に存在している1本のソメイヨシノがその原木との研究結果(仮説)が発表された。上野公園と駒込とは4キロほど離れている。染井村が本家と名乗れるかどうかには実に微妙な距離。染井村の植木職人が上野公園(当時は寛永寺の境内)で栽培したとの説もあるものの、原木とされた上野公園のソメイヨシノの樹齢は推定で70〜100年。だとすれば明治生まれだから江戸時代の染井村で誕生したとの説は捏造だったことになる。ただし正確な樹齢は切り倒して年輪を数えないと分からないようだ。
なので今もソメイヨシノのルーツについて確定的な結論には至っておらず、さらに研究が進められている。ロマンがあるような別にどうでもいいような(^^ゞ
池の向こうに白い花を咲かせている木が見える。
枝垂れてはいないがあれもサクラ? ここからではよく分からない。
池を回り込んで吹上茶屋の対岸。
近づいてみると、この白い花はコブシのようだ。
真逆光で霞んだ写真をフォトショで補正したら、
ラスボスみたいな姿になってしまった。
道を少し引き返して滝見茶屋。
しかし滝などどこにもない。
どうやらこの落差10センチほどの水流ふたつを滝に見立てているみたいだ(>_<)
引き返したのは滝見茶屋が目的ではなく、この尋芳径に入るため。
尋芳は「はなとふ」ではなく一般的には「じんほう」と読む。芳は香りでそれを尋ねる。香り=花だから花を尋ねる・探すなどの意味。いい匂いのするオネエチャン(遊女)を求める暗喩とする説もある(^^ゞ
季節的にまだ花は何もなく、この変わった新芽が目立った程度。
これはアオキという植物だと思う。
尋ねていたものが見えてきた!
これは六義園の第2のしだれ桜と呼ばれている。
ということは前回に書いたメインのしだれ桜の隣にあるしだれ桜は、
モノの数にも入っていないのか? ますますオキノドク(/o\)
その「名もなきしだれ桜」と同じように、枝はあまり横に張らずに背丈だけが伸びたような姿。しかし花数はこちらのほうが断然多い。
メインのしだれ桜と較べれば、あちらが圧倒的に素晴らしいので見劣りするのは確か。枝が短いというか枝垂れ度合いが少ないというか。でもこれが単独で存在していたなら、それなりに評されるのではないか。
それにしても、ここまで来る人はメインを見ている人の数十分の一ほどか。
(1)第2のしだれ桜を知らない
(2)ここまで歩いてくるのが面倒
(3)メインのしだれ桜だけで充分
園内を散策している人と較べても、この周りは人が少ないから(2)はないように思う。それと合わせて考えると(散策するなら、ここには来ない理由はないから)、やはり(1)が正解かな。もう少しアピールしてあげましょう。
さらに散策。
これは以前に紅葉を見に来たときにも書いた、周りにツツジの木があるからではなく、材木としてのツツジで建てられているつつじ茶屋。
その時に「ツツジって建材になるほど大きくなるのか?」と疑問に思ったが、その後は何も調べずじまい。今回もこのブログをアップしたらコロッと忘れてしまうに違いない(^^ゞ
なおつつじ茶屋や滝見茶屋は、吹上茶屋と違って飲食は提供しておらず東屋があるだけ。
流れそのそばを歩いたり、
クマザサの間を抜けたりして、
最初の地点に戻ってくる。
芝生の色が鮮やかな時期にも来たいもの。
そして、しだれ桜エリアに再び。
2回目は写真は撮らず、ひたすらサクラを眺めていた。
その甲斐あって、10日間たった今でもその光景が目に焼きついている。シアワセ
最後に正門に抜ける途中にある内庭大門からのぞき込んで。
何も知らず門を開けて、このしだれ桜があったらひっくり返るね。
正門エリアにあったバエ撮影用スポット。
あれっ?以前バイクに乗っている頃、
六義園は駐輪場がないから来るのを諦めたことがあるのに。
改めて公式ホームページをチェックしたら「駐車場はない」と書いてあるだけだった。バイクは自転車と一緒に駐輪場に駐められると書いてくれていたら、もっと何度も来ていたのに。不親切な表示である。
正門も染井門以上に大混雑。
この人たちは駒込駅ではなく、都営三田線の千石駅から来ているのだろうな。
最初の投稿で書いた染井門と同じよう、事前に入場券を買っていれば待ち時間ゼロで入れるのに、ほとんどの人が30分ほど並んでここで入場券を買っている。さてこの経験から学んで、次からは要領よく行動できる人がどれくらいいるかな? 入場券の必要な施設に出かけるなら、(混雑度合いにもよるが)事前購入できるかどうかはチェックしておくべき。スマホがあればこの門の前で「事前購入」もできるから、そういうITスキルを身につけましょう。
昨年は見損ねた六義園のしだれ桜。今年はベストなタイミングで訪れることができて、その素晴らしさを十二分に堪能した。江戸の二大庭園として何かとライバル視される小石川後楽園と較べて、小声で言うけれど(^^ゞ しだれ桜に限れば六義園が数倍以上に素晴らしいよ。是非とも見ておくべき東京のサクラ名所。
実はこの後、近くにある隠れたしだれ桜の名所も訪問した。
その話はいずれまた。
とりあえずおしまい
また池の畔に出る。
吹上茶屋のあたりに、
今が盛りのユキヤナギや、
咲き始めたソメイヨシノがあった。
ところで、
かつてソメイヨシノは、六義園もある駒込一帯が染井村と呼ばれていた江戸時代に、この地の植木職人が交配させて生み出したとするのが定説だった。染井村は植木職人が多く住む園芸が盛んな地域だったらしい。サクラの代名詞だった奈良の吉野山に咲くサクラ(山桜)とは明らかに違うので、区別するために染井吉野と名付けたとされる。
そして全国にあるソメイヨシノはすべて接ぎ木で増やされている。つまり同じ遺伝子を持つクローン。だから各地(同じ気象条件エリア)で一斉に咲く。
しかし何年か前にDNA解析の結果、今も上野公園に存在している1本のソメイヨシノがその原木との研究結果(仮説)が発表された。上野公園と駒込とは4キロほど離れている。染井村が本家と名乗れるかどうかには実に微妙な距離。染井村の植木職人が上野公園(当時は寛永寺の境内)で栽培したとの説もあるものの、原木とされた上野公園のソメイヨシノの樹齢は推定で70〜100年。だとすれば明治生まれだから江戸時代の染井村で誕生したとの説は捏造だったことになる。ただし正確な樹齢は切り倒して年輪を数えないと分からないようだ。
なので今もソメイヨシノのルーツについて確定的な結論には至っておらず、さらに研究が進められている。ロマンがあるような別にどうでもいいような(^^ゞ
池の向こうに白い花を咲かせている木が見える。
枝垂れてはいないがあれもサクラ? ここからではよく分からない。
池を回り込んで吹上茶屋の対岸。
近づいてみると、この白い花はコブシのようだ。
真逆光で霞んだ写真をフォトショで補正したら、
ラスボスみたいな姿になってしまった。
道を少し引き返して滝見茶屋。
しかし滝などどこにもない。
どうやらこの落差10センチほどの水流ふたつを滝に見立てているみたいだ(>_<)
引き返したのは滝見茶屋が目的ではなく、この尋芳径に入るため。
尋芳は「はなとふ」ではなく一般的には「じんほう」と読む。芳は香りでそれを尋ねる。香り=花だから花を尋ねる・探すなどの意味。いい匂いのするオネエチャン(遊女)を求める暗喩とする説もある(^^ゞ
季節的にまだ花は何もなく、この変わった新芽が目立った程度。
これはアオキという植物だと思う。
尋ねていたものが見えてきた!
これは六義園の第2のしだれ桜と呼ばれている。
ということは前回に書いたメインのしだれ桜の隣にあるしだれ桜は、
モノの数にも入っていないのか? ますますオキノドク(/o\)
その「名もなきしだれ桜」と同じように、枝はあまり横に張らずに背丈だけが伸びたような姿。しかし花数はこちらのほうが断然多い。
メインのしだれ桜と較べれば、あちらが圧倒的に素晴らしいので見劣りするのは確か。枝が短いというか枝垂れ度合いが少ないというか。でもこれが単独で存在していたなら、それなりに評されるのではないか。
それにしても、ここまで来る人はメインを見ている人の数十分の一ほどか。
(1)第2のしだれ桜を知らない
(2)ここまで歩いてくるのが面倒
(3)メインのしだれ桜だけで充分
園内を散策している人と較べても、この周りは人が少ないから(2)はないように思う。それと合わせて考えると(散策するなら、ここには来ない理由はないから)、やはり(1)が正解かな。もう少しアピールしてあげましょう。
さらに散策。
これは以前に紅葉を見に来たときにも書いた、周りにツツジの木があるからではなく、材木としてのツツジで建てられているつつじ茶屋。
その時に「ツツジって建材になるほど大きくなるのか?」と疑問に思ったが、その後は何も調べずじまい。今回もこのブログをアップしたらコロッと忘れてしまうに違いない(^^ゞ
なおつつじ茶屋や滝見茶屋は、吹上茶屋と違って飲食は提供しておらず東屋があるだけ。
流れそのそばを歩いたり、
クマザサの間を抜けたりして、
最初の地点に戻ってくる。
芝生の色が鮮やかな時期にも来たいもの。
そして、しだれ桜エリアに再び。
2回目は写真は撮らず、ひたすらサクラを眺めていた。
その甲斐あって、10日間たった今でもその光景が目に焼きついている。シアワセ
最後に正門に抜ける途中にある内庭大門からのぞき込んで。
何も知らず門を開けて、このしだれ桜があったらひっくり返るね。
正門エリアにあったバエ撮影用スポット。
あれっ?以前バイクに乗っている頃、
六義園は駐輪場がないから来るのを諦めたことがあるのに。
改めて公式ホームページをチェックしたら「駐車場はない」と書いてあるだけだった。バイクは自転車と一緒に駐輪場に駐められると書いてくれていたら、もっと何度も来ていたのに。不親切な表示である。
正門も染井門以上に大混雑。
この人たちは駒込駅ではなく、都営三田線の千石駅から来ているのだろうな。
最初の投稿で書いた染井門と同じよう、事前に入場券を買っていれば待ち時間ゼロで入れるのに、ほとんどの人が30分ほど並んでここで入場券を買っている。さてこの経験から学んで、次からは要領よく行動できる人がどれくらいいるかな? 入場券の必要な施設に出かけるなら、(混雑度合いにもよるが)事前購入できるかどうかはチェックしておくべき。スマホがあればこの門の前で「事前購入」もできるから、そういうITスキルを身につけましょう。
昨年は見損ねた六義園のしだれ桜。今年はベストなタイミングで訪れることができて、その素晴らしさを十二分に堪能した。江戸の二大庭園として何かとライバル視される小石川後楽園と較べて、小声で言うけれど(^^ゞ しだれ桜に限れば六義園が数倍以上に素晴らしいよ。是非とも見ておくべき東京のサクラ名所。
実はこの後、近くにある隠れたしだれ桜の名所も訪問した。
その話はいずれまた。
とりあえずおしまい
wassho at 23:12|Permalink│Comments(0)│
2023年03月24日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜とルピナス
菜の花とのツーショット。
ピンクと黄色の組み合わせがきれいなので、早咲きのサクラの近くには菜の花がよく植えられる。でも彼岸桜は早咲きのサクラの中では遅い方なので、菜の花は既に盛りを過ぎた様子。
それと菜の花を植える間隔が広すぎる。上の写真はいわゆる望遠レンズの圧縮効果で何とかたくさん咲いているように見えているが、肉眼に近いのはこちらの写真。これじゃテンションが上がらない(/o\) 菜の花はもっと密集して植えましょう、芦花公園関係者の皆さん。
チューリップも植えられていたが背丈低っ!
ベランダでチューリップを育てていると、暖冬のときは背丈が低いまま花を咲かせることがある。今年の冬は暖冬ではなかったが、3月に入る少し前から急に気温が上がったので、そのせいなのかなあ。
♪並んだ並んだ赤・白・黄色〜と写真に収めたかったのに、赤チューリップは黄色や白と離れたところで、まだポツンポツンと咲いているだけだった。
2〜3頭身のズングリムックリな姿でも、できるだけカッコよく撮ってあげました。
そして、そして、
ルピナスが咲いていたのがうれしいサプライズ!
写真中央のカラフルなトウモロコシのような花がルピナスね。
しばらくルピナスを見ていなかったので、この宇宙植物のような姿をじっくりと眺める。ところでこの日は3月16日。ソメイヨシノならまだ満開になっていない時期。ルピナスは4月の終わりからツツジなどと同じ頃に咲く花なのに、どうしてもう咲いている?
ひょっとしてルピナスにも早咲き品種があるのか。もしそうだとして、それを早咲きの彼岸桜に合わせて咲かせたのならーーーグッドジョブ!です、芦花公園関係者の皆さん。
それにしてもルピナスとサクラを同時に眺められるなんて思ってもみなかった。
もっとも組み合わせ的に似合っているかどうかはビミョーだけれど(^^ゞ
おそらく芦花公園でしか見られない光景だから、もう1枚いっておきましょう。
これは紅白桃色のウメをカラフルにするために、
梅林に植えて欲しいといつも主張しているサンシュユ。
園内の数カ所にあって、どれも大きなサンシュユだった。発音しにくい名前なのは中国名の山茱萸をそのまま音読みしたから。中国語だと「シァン ヂゥー ユ」らしい。
この季節は真っ白な花を咲かせて、公園や道路沿いでよく目立つユキヤナギ。私が噴水を見つけたときのお約束、高速シャッタースピードで水しぶきが静止したような写真と同じような姿に撮れた。
ユキヤナギは白い花が雪が積もったように見えるからユキである。しかし分類学的にヤナギとはまったく関係ない。ヤナギと葉の形が似ている、ヤナギのように枝が垂れるからその名前がついている。
高遠小彼岸桜を今までとは違った方向から。
どちらもユキヤナギと、前回に書いたコブシが一緒に写っている。
芦花公園のサクラはそれほど知られていない。東京でサクラ(ソメイヨシノ)の開花宣言があれば、満開になるのはその1週間から10日後。でもその開花宣言の時に彼岸桜はもう満開になっているから、一足早くお花見ができるよ。ほんのりとピンク色で、ほとんど真っ白なソメイヨシノよりサクラらしくて美しい。
来年は開花宣言のニュースを見たら、
ソッコーで芦花公園に是非。
おしまい
ピンクと黄色の組み合わせがきれいなので、早咲きのサクラの近くには菜の花がよく植えられる。でも彼岸桜は早咲きのサクラの中では遅い方なので、菜の花は既に盛りを過ぎた様子。
それと菜の花を植える間隔が広すぎる。上の写真はいわゆる望遠レンズの圧縮効果で何とかたくさん咲いているように見えているが、肉眼に近いのはこちらの写真。これじゃテンションが上がらない(/o\) 菜の花はもっと密集して植えましょう、芦花公園関係者の皆さん。
チューリップも植えられていたが背丈低っ!
ベランダでチューリップを育てていると、暖冬のときは背丈が低いまま花を咲かせることがある。今年の冬は暖冬ではなかったが、3月に入る少し前から急に気温が上がったので、そのせいなのかなあ。
♪並んだ並んだ赤・白・黄色〜と写真に収めたかったのに、赤チューリップは黄色や白と離れたところで、まだポツンポツンと咲いているだけだった。
2〜3頭身のズングリムックリな姿でも、できるだけカッコよく撮ってあげました。
そして、そして、
ルピナスが咲いていたのがうれしいサプライズ!
写真中央のカラフルなトウモロコシのような花がルピナスね。
しばらくルピナスを見ていなかったので、この宇宙植物のような姿をじっくりと眺める。ところでこの日は3月16日。ソメイヨシノならまだ満開になっていない時期。ルピナスは4月の終わりからツツジなどと同じ頃に咲く花なのに、どうしてもう咲いている?
ひょっとしてルピナスにも早咲き品種があるのか。もしそうだとして、それを早咲きの彼岸桜に合わせて咲かせたのならーーーグッドジョブ!です、芦花公園関係者の皆さん。
それにしてもルピナスとサクラを同時に眺められるなんて思ってもみなかった。
もっとも組み合わせ的に似合っているかどうかはビミョーだけれど(^^ゞ
おそらく芦花公園でしか見られない光景だから、もう1枚いっておきましょう。
これは紅白桃色のウメをカラフルにするために、
梅林に植えて欲しいといつも主張しているサンシュユ。
園内の数カ所にあって、どれも大きなサンシュユだった。発音しにくい名前なのは中国名の山茱萸をそのまま音読みしたから。中国語だと「シァン ヂゥー ユ」らしい。
この季節は真っ白な花を咲かせて、公園や道路沿いでよく目立つユキヤナギ。私が噴水を見つけたときのお約束、高速シャッタースピードで水しぶきが静止したような写真と同じような姿に撮れた。
ユキヤナギは白い花が雪が積もったように見えるからユキである。しかし分類学的にヤナギとはまったく関係ない。ヤナギと葉の形が似ている、ヤナギのように枝が垂れるからその名前がついている。
高遠小彼岸桜を今までとは違った方向から。
どちらもユキヤナギと、前回に書いたコブシが一緒に写っている。
芦花公園のサクラはそれほど知られていない。東京でサクラ(ソメイヨシノ)の開花宣言があれば、満開になるのはその1週間から10日後。でもその開花宣言の時に彼岸桜はもう満開になっているから、一足早くお花見ができるよ。ほんのりとピンク色で、ほとんど真っ白なソメイヨシノよりサクラらしくて美しい。
来年は開花宣言のニュースを見たら、
ソッコーで芦花公園に是非。
おしまい
wassho at 20:25|Permalink│Comments(0)│
2023年03月22日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜
昨年、散歩がてらにたまたま立ち寄って、時期的に満開のはずがない桜にビックリしたら、それはソメイヨシノではなくヒガンザクラだった芦花公園。それで今年は彼岸桜を眺めにどこかへ出かけようと思ったものの、どうにも名所らしき所を見つけられず。じゃあもう一度行くかと3月16日に訪れた。
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
wassho at 22:16|Permalink│Comments(0)│