ゴーギャン

2024年01月26日

キュビスム展 美の革命

国立西洋美術館で1月28日まで開催されているキュビスム展。
鑑賞してきたのは昨年の11月29日。
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ブログに書くのがずいぶんと遅くなってしまった。
訪れたときに国立西洋美術館がある上野公園のイエローオータムが予想以上に素晴らしくて、それでスイッチが入ってしまい、例年のもみじ狩りが3カ所くらいなのに昨年は13カ所も出かけたのが遅れた理由のひとつ。
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そろそろ思い出しながら書いていきましょう。

ポスター

展覧会の正式タイトルは

   パリ ポンピドゥーセンター 
   キュビスム展 美の革命 
   ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ

とやたら長い。

パリの総合文化施設であるポンピドゥーセンター所蔵の、キュビスム絵画作品の展覧会がアウトライン。そのキュビスムとは美の革命であるとタイトルで強調している。

ただし英文では THE CUBIST REVOLUTION (キュビスム画家の革命)。キュビスムは確かに絵画表現における革命であったとしても、美について革命したわけじゃない。だから英文の「キュビスム画家の革命」のほうがしっくりくる。しかしそれではキャッチーでないとマーケティング担当者は考えたのに違いない。映画のタイトルなどでよくある話。

もっとも「An Officer and a Gentleman」→ これは「Conduct unbecoming an officer and a gentleman」という軍隊用語の略。軍法会議などで使われ、直訳すれば「将校および紳士に相応しくない行為」。その原題に「愛と青春の旅だち」と邦題をつけたレベルに「美の革命」はまったく及んでいないけれど。

名前が挙げられているピカソとブラックはキュビスムの創始者である画家。ドローネーはキュビスムを発展させた画家のひとり。シャガールはキュビスムの影響を受けた画家ではあるとしても、それは彼のメインストリームではないし、一般にキュビスム画家には分類しない。でもキュビスムは超巨匠のピカソを除けばあまりネームバリューが高くない画家が多いから、客寄せパンダ的に引っ張り出されたのかも知れない。



さてキュビスムとは何かについては追々書くとして、実はキュビスムはまったく趣味じゃない。キュビスムでこれは素晴らしい・欲しいと思った作品もないし、難解にこねくり回したようなその画風や世界観は「酔えるものこそがアート」との私の考えにも反する。

ではなぜ展覧会を見に出かけたかといえば半分はお勉強のため。過去の展覧会で藤田嗣治やパスキンなど意外な画家がキュビスム的な作品を残しているのを目にしてきた。だからキュビスムのイロハ程度は知っておいて損はしない、食わず嫌いはよくないぞとの意識が頭のどこかにあったから。

聞けば日本でキュビスムをテーマにした展覧会はおよそ50年ぶりとのこと。そして今回はピカソとブラックを含む主要作家約40人・約140点(うち50点以上が日本初出品)が出展され、いわばキュビスムの回顧展のような内容。だったら行ってみようかと。

そして残り半分はキュビスムが趣味じゃないといっても、そんなにたくさんの作品、特にピカソとブラック以外の作品を見たわけじゃないから。キュビスムといってもいろいろあるだろうし、ひょっとしたら好きな画家や作品が見つかるかもとのスケベ心(^^ゞ



初期のキュビスムはセザンヌの画風が影響した、あるいはそれを発展させたとものとよくいわれる。それで最初に展示されているのがセザンヌの作品。

セザンヌ 「ラム酒の瓶のある静物」 1890年頃
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タケノコみたいに見えるのがラム酒ね。セザンヌの影響とは彼の多角度からの視点なのだけれど、この絵ではわかりにくいので、この展覧会に出展されていない「果物籠のある静物」というもっと端的な作品を紹介しておこう 。
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ごく普通の静物画に思えるものの、よく見ると大きな瓶(かめ)はやや上からの視点で描かれているのに対して、ティーポットは真横から見ている。また果物かごは垂直に置かれているのに、それが置かれているテーブルは手前に傾斜している、つまり斜め上から見ている。このように多角度の視点を1枚の絵に混在させるのがセザンヌの静物画の特徴。それによって独特の空間表現とリズム感が生み出されてハマる人にはハマる。

私にもそんな時期があった。でも多角度の視点なんて気付かずに、セザンヌの静物画は他の画家とはどこか違うなあと思っていただけ。おそらくセザンヌのこのトリックは実際に絵を描く人ならすぐに見抜くものだと思う。そして、そんな手があったのかと取り入れたくなるのだろう。


展示会にあった他のセザンヌ作品。

セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年頃
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これとキュビスムの関わりはよくわからない。ひょっとしたら解説に書かれていたかも知れないが、基本そういうのは読まないタイプなのでm(_ _)m でもキュビスムの特徴は、西洋絵画の伝統であった遠近法や陰影法による空間表現の否定でもあるから、その参考例なのかと思っている。


セザンヌはキュビスムの関わりでよく取り上げられるが、
この展覧会にはこんな画家の作品もあった。

ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」 1889年
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ルソー 「熱帯風景、オレンジの森の猿たち」 1910年頃
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マリー・ローランサン 「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」 1909年
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「ポントワーズの橋と堰」以上にキュビスムとの関連はよくわからないものの、それぞれいい絵だったので単純に満足。特にこの年代のマリー・ローランサンの、例のパステルカラー的な画風を確立する前の作品は久しぶりに見た感じ。


これらはアフリカの仮面や小像。

制作者不詳 「ダンの競争用の仮面(コートジボワール)」 1850〜1900年頃
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制作者不詳 「バンバラの小像(マリ)」 1850〜1900年頃
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制作者不詳 「ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ)」 制作時期不詳
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印象派の時代はその第1回展が開かれた1874年(明治7年)から。当時の画家たちは浮世絵に興味を持ちジャポニスム、いわゆる日本ブームが起きたのはよく知られている。そして1920年(大正9年)頃から始まったエコール・ド・パリ時代の少し前から、今度はアフリカブームが訪れる。

これはモディリアーニの彫刻。
アフリカの匂いはしなくとも明らかに影響が感じられる。

モディリアーニ 「女性の頭部」 1912年
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ところで印象派の画家が浮世絵を取り上げたのをもって「浮世絵は素晴らしい、日本美術が西洋に評価された」とやたら持ち上げる向きもあるが、その後のアフリカブームを考えると、半分は単に物珍しかっただけじゃないかと私は冷めた目で見ている。



それはさておき、
セザンヌの多角度の視点、遠近法や陰影法の否定に影響を受け、そしてアフリカの仮面や小像にインスピレーションを得てピカソが1907年に描いたのが「アヴィニョンの娘たち」。この展覧会の作品ではないが参考までに。どこが多角度の視点がわかりづらいが、右下の女性は背中を向けているのに顔がこちら向きになっている。
Les Demoiselles d'Avignon

これがキュビスムの始まりで、
近代絵画史上で最も重要な作品と評されている。
私がキュビスムはまったく趣味じゃない理由がわかったでしょ(^^ゞ


さてピカソの自信作であったこの絵を見たジョルジュ・ブラックは「3度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われるようなものだ」と酷評。ピカソと共にエコール・ド・パリのツートップと目されていたマティスは、これを一目見るなり激怒。あまりの貶(けな)されように友人たちはピカソが首を吊らないか心配したと伝わっている。

それにしても「3度の食事が麻クズとパラフィン〜」なんて、文句の付け方がお洒落なジョルジュ・ブラック。さすがはフランスのエスプリ。

しかしジョルジュ・ブラックはしばらくして考えを改め、
ピカソの革新性に気がついて、こんな作品を描く。

ジョルジュ・ブラック 「大きな裸婦」 1907〜1908年
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芸術のためなら3度の食事が麻クズとパラフィンでもいいと腹をくくったみたい(^^ゞ
これ以降ピカソとブラックの間でキュビスムが形作られていく。


他に展示されていたのは「アヴィニョンの娘たち」の習作であったとされる作品。

ピカソ 「女性の胸像」 1907年
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なお館内は多くの作品が撮影可能だったので展示の雰囲気を。
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そして、
ここからがキュビスムのディープな世界の始まり始まり。



ーーー続く

wassho at 21:36|PermalinkComments(0)

2016年12月17日

ゴッホとゴーギャン展 その3

ゴッホ:モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏 1887年
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ずっと見たいと思っていたルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を、今年の夏に目にすることができたのはいい思い出である。それでゴッホのこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」という作品が、ルノワールのそれとあまりに違うのに驚いた。ルノワールは店の中、ゴッホは外という違いはあるが、もしゴッホの描いた情景が正しいとすればムーラン・ド・ラ・ギャレットはずいぶんと田舎の畑の中にポツンとあることになる。しかもルノワールが描いたのはゴッホの11年も前。こんなところにルノワールが描いたような人々がダンスを楽しむ場所があったとは信じがたい。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットのあるモンマルトルはシャンゼリゼ通りから3〜4キロ。印象派の時代にはパリのど真ん中より家賃が安いので芸術家が多く住んでいたといわれる。ブドウ畑もあったらしい。明治の初め頃まで青山なんて東京の町外れといわれていたのと同じようなものか。

それにしてもあまりに田舎の風景。ところで、よく見ると遠くに山並みが描かれている。パリから山が見えるか? ということでゴッホは自然豊かな情景を描くのが好きだから、この絵はモンマルトルから見える風景に、彼のイマジネーションを重ねて描いたというのが私の推測。当たっているかな?



ゴーギャン:マルティニク島の風景 1887年
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ゴーギャンはパリ生まれのフランス人。でもあまりパリに馴染めなかったのか、画家になってからは他の地域にいることが多かった。この絵は中米のドミニカ近くのマルティニク島に半年ほど住んでいた時に描かれたもの。ちなみにマルティニク島は今でも海外県と呼ばれるフランスの植民地である。



ゴッホは1888年の2月に南仏のアルルに移り、
10月にゴーギャンが合流して共同生活が始まる。


ゴッホ:グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝 1888年
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何となく日本的な雰囲気を感じないだろうか。実はアーモンドの花はサクラにそっくりなのである。植物学的にも同じバラ科で品種としても近い。もっともアーモンドを食べながらサクラを連想することは難しいかも。かねてよりアーモンドの花見をしたいと思っているのだけれど、まとまって植えられているのは神戸、浜松、岡山あたりで関東に見あたらないのが残念。



ゴッホ:収穫 1888年
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ゴッホは黄色が好きだから畑を黄色く塗ったのかと思ったが、これは麦の穂が実っている表現みたいだ。日本で収穫というタイトルなら稲刈りをしている人をたくさん描きそうなものだが。画像で見ると平凡にしか見えないが、実物を見るとジワーッとよさの伝わる絵である。



ゴッホ:ゴーギャンの椅子 1888年
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ゴッホは自分用には質素な椅子を使っていたけれど、ゴーギャンのために肘掛け付きのいい椅子を用意してアルルに迎えたとされる。それにしても椅子の座面にロウソクを置くなんて、ちょっと不安定そうで心配になる。


ゴーギャン:アリスカンの並木路、アルル 1888年
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ゴーギャン:ブドウの収穫、人間の悲惨 1888年
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ブドウといわれなければブドウ畑を描いているとはわからない。そこに悲惨というテーマを被せる意味も、説明も読んでみたがよくわからない。ストレートなゴッホの絵と違ってゴーギャンは難解なメッセージを絵に込めるタイプ。


ゴーギャン:アルルの洗濯女 1888年
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この絵は特にメッセージ性はないと思うが、画面右上の炎のようなものは何を描いているのか不明。空間構成はかなり歪んでいるというか現実を無視した描き方。だから描いている内容は具体的なのに、何となく抽象画を眺めているような気分になる。



1888年の12月23日にゴッホは錯乱して耳切り事件を起こす。共同生活は解消となり25日にゴーギャンはパリに戻る。ゴッホの代表作の多くはアルルで描かれたもので、ゴーギャンとの共同生活が終わってから、風景画にはうねるような筆遣いが見られるようになる。


ゴッホ:タマネギの皿のある静物 1889年
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ゴッホ:オリーブ園 1889年
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ゴッホ:刈り入れをする人のいる麦畑 1889年
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ゴッホ:渓谷(レ・ペイルレ) 1889年
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ゴーギャンの絵はあまり変化していない。かなり風景をデフォルメした画風。

ゴーギャン:家畜番の少女 1889年
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1891年にゴーギャンはタヒチに渡る。誰でも名前はよく知っているだろうが、念のためにタヒチの場所はココね。現在もフランス領。リゾートとしてのタヒチで思い浮かぶのは水上コテージのあるこんなイメージかな。


ゴーギャン:タヒチの3人 1899年
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ゴーギャン:タヒチの牧歌 1901年
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最初のエントリーに書いたようにゴーギャンといえばタヒチ時代のものしか知らなかった。そしてゴーギャンのタヒチ絵は大好きなのだけれど、同時にやや複雑な気分にもなるのである。

ゴーギャンがなぜタヒチに住んだのかはよく調べていない。一度パリに戻ってきたが合計8年位をタヒチで過ごしている。タヒチの次はそこから1500キロほど離れたマルキーズ諸島に移り、2年後にそこで亡くなっている。先にも書いたようにアルル以前もあまりパリにはいなかったから、基本的に田舎が好きで、かつ非文明的なところを礼賛しているように思える。

そしてゴーギャンのタヒチ絵を見ると、うまく表現できないが人間の生命力、地に足が付いた生活感のようなものを感じる。そんな絵は他の画家にはない彼の魅力。でもーーー

かなり昔に、普通に生活を送り仕事もしているが、少し知恵遅れという設定の男性が主人公のドラマを見た。その彼がヒロインに恋をして、その気持ちがとてもピュアなものとして伝わってくるのである。そして少し知恵遅れという設定じゃなければ、そんなピュアな想いはドラマとして成立しないと思った。普通の人間じゃピュアになれないのもナンダカナ〜というのと、同時に知恵遅れならピュアということがすんなり腑に落ちるのは、ある種の差別意識が反映しているような気持ちにもなった。

10月に沖縄で警官が基地反対派に対して「土人」といって問題になった。タヒチ絵に描かれているのは、ゴーギャン当時の感覚ではまさに土人である。未開な土人だから感じる逞しい生命力と、知恵遅れなら恋もピュアだろうというのは同じような思考回路かと思う。

別に罪悪感を感じながらゴーギャンのタヒチ絵を見ているわけでは決してない。でも何となく無意識に上から目線になっているようで、そこのところがいつも少し引っかかる。



ゴーギャン:肘掛け椅子のヒマワリ 1901年
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ゴッホが自分の耳を切って終わったゴーギャンとの共同生活であるが(最初はゴーギャンの耳を切りにきたらしい)、その事件がなくても、性格がぶつかったり芸術上の意見が合わなかったりして関係はかなり悪化していたとのこと。しかし二人はその後に会うことはなかったが、手紙のやりとりなどは続いていたとされる。

ゴッホが自殺したのは耳切り事件の2年後の1890年。それから11年後、ゴーギャンのタヒチ時代の最後に描かれたこの絵は、もちろんアルルでヒマワリの絵をたくさん描いていたゴッホへのオマージュだろう。ゴーギャンを迎える時にゴッホは自分は粗末な椅子を使っていても、彼のために肘掛けのついた椅子を用意した。今度はゴーギャンがゴッホのアイコンであるヒマワリを肘掛け椅子にのせて描く。タイトルにわざわざ肘掛け椅子と書かれているから、この絵はアルルでのエピソードを踏まえていると思われる。ちょっといい話。



最初のエントリーに書いたように、タヒチ以前のゴーギャンはどんなだろうという興味で展覧会を見に来た。結論としてはビミョー。少なくとも特に欲しいと思う絵はなかった。やっぱりゴーギャンはタヒチ絵あってのゴーギャンかな。


おしまい

wassho at 19:24|PermalinkComments(0)

2016年12月15日

ゴッホとゴーギャン展 その2

どんな巨匠でも駆け出しの頃の作品はあまりたいしたことはない。中には「エッ、こんなレベルだったの?」とビックリする画家もいる。でもゴッホとゴーギャンの初期の作品は、オリジナリティは感じられないが、それなりに完成度が高いというか鑑賞できるレベルの作品だった。何を偉そうにと書きながら思うけれど。


ゴッホ:古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地) 1885年
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ゴーギャン:夢を見る子供(習作) 1881年
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展覧会はゴッホとゴーギャンだけではなく、同時期の画家の作品も何点か出展されており、なかなかおもしろいものが多かった。


ミレー:鵞鳥番の少女  1866年
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鵞鳥は「がちょう」。実際はどうだったかはわからないが、水の中に入ってやや低い視点から見た構図に思える。海に行けばローアングルで必ず写真を撮る私の趣味に合う(^^ゞ



ピサロ:ヴェルサイユへの道、ロカンクール 1871年
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広々した印象を受けるのは典型的な遠近法で描かれているからだろうけど、これもカメラでいえば腰あたりで構えた時の写り方に近い気がする。もっとももし座って写生をしたなら、自然とその位置になるのだが。



ピサロ:エラニーの牧場 1885年
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ピサロは印象派の中ではトップスターじゃないけれど、なかなかいいじゃんと改めて思った。ゴッホとゴーギャンという派手目な画風の展覧会で、地味なピサロの絵に惹かれたのが意外。



シャルル・アングラン:セーヌ川、朝(サン=トゥアン) 1886年
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ゴッホといえば自画像が多い画家の印象がある。でもそれはモデルを雇うお金がなかったというトホホな理由らしい。彼の画家としてのキャリアは10年ほどだが、その前半に自画像がないのは鏡すら買うお金もなかったからでとことん貧乏生活。バブルの頃、大昭和製紙の会長が当時の絵画界では最高額となる125億円でゴッホの絵を競り落としたが、ゴッホが生きているうちに売れた絵は1枚だけだといわれている。

ゴッホ:パイプをくわえた自画像 1886年
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ゴッホ:自画像 1887年
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ゴッホ:パイプと麦わら帽子の自画像 1887年
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こちらはゴーギャンの自画像。彼はアマチュアからプロに転向した画家で、この絵を描いた1885年頃に画家が本業になったといわれている。

ゴーギャン:自画像 1885年
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ゴッホの自画像の変遷を見ると1887年に彼は、今の我々がゴッホと聞いて思い浮かべる画風になったようである。一方のゴーギャンは、まだその頃にはどこにでもありそうな絵という感じ。でもゴッホがゴーギャンを誘って共同生活を始めるのは1888年だから、天才ゴッホの目はゴーギャンの才能を見抜いていたのだろう。


ーーー続く

wassho at 23:51|PermalinkComments(0)

2016年12月14日

ゴッホとゴーギャン展

9月の終わりか10月の初めに見たダリ展をブログに書いたのが11月20日だったが、このゴッホとゴーギャン展も訪れたのは11月18日と1ヶ月近く前である。

ダリ展と違って訪れた日が明確なのは、東京都立美術館がある上野公園で写真を撮ってデータとして日付が残っているから。もし写真に撮りたいようなものがなくても、どこかに出かけた時はスマホで何か撮っておくのがいいかもしれない。30年前のことはよく覚えていても3日前の記憶は曖昧になってきているから(^^ゞ


11月18日の上野公園入口。
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銀杏のイエローオータムはなかなか見応えがあった。
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噴水前の広場で忍者フェスタなるものが。
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でも食べ物屋台ばっかり。
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忍者の里の伊賀牛らしい。
忍者のいた江戸時代に日本人は牛を食べていないけど(^^ゞ
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平日の夕方なのにけっこう賑わっていた。
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こんな人もいたが、あまり注目を浴びているとはいえず。
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やっぱり食べ物メインのイベントみたい。ここでは10種類のうち2つに「チーズ忍者まん」「黒忍者まん」と、とってつけたような名前がついていた。
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一番忍者を感じたのがこれという、よくわからないイベントだったーーー。
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そしてやって来たのが「ゴッホとゴーギャン展」。
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実はこの展覧会は目玉となるような超有名作品はない。それでも見に来たお目当てはゴーギャン。

ゴッホとゴーギャンは1888年(明治21年)に南仏のアルルというところで共同生活を送る。でもその年の暮れにゴッホは精神障害から有名な「耳切り事件」を起こし共同生活は崩壊。そして1890年に自殺。一方のゴーギャンは1891年にタヒチに移り住む。一般にゴーギャンと聞いて思い浮かぶイメージはタヒチ以降のもの。私もそれしか見たことがない。だからもっと以前はどんな絵を描いていたのか、ゴッホと一緒の時はどうだったのかということに何となく興味を持って。

結論を先に書くと、タヒチ以前のゴーギャンはそれほどでもなかったのだが、それは次回以降に。


ーーー続く

wassho at 08:35|PermalinkComments(0)

2012年12月29日

メトロポリタン美術館展

もっと早く見に行くつもりだったが、12月になると何かと忙しく、年明けは1月4日までしか開催していないし。ということで年末休みに入った本日に上野まで。私と同じようにグズグズしていた人が多いのか、あるいは年末は暇な人が多いのか美術館はかなりの混雑。


地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
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アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。


一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
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重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
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公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
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東京都美術館に到着。
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iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
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入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
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「糸杉」  ゴッホ
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この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。


「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
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これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。

「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。

これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
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「麦穂の山:秋」 ミレー
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これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。



ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、

   理想化された自然
   自然のなかの人々
   大地と空
   水の世界

など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。





「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
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「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。


「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
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頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。



「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
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キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック


「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
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どう見てもゴーギャン。


「浜辺の人物」 ルノワール
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どう見てもルノワール(^^ゞ

この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。


「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
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どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。



「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
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99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。


「夏」 バルテュス
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没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!


「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン
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シャルダン展で初めて知ったルドンの作品が展示されていた。
でも先日の「グラン・ブーケ(大きな花束)」のような華やかさ、アバンギャルドさはなく地味な絵。





それでは今回の展示会ベスト3。

「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
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ターナーはイギリスの風景画家。この絵のどこが気に入ったかを答えるのは難しい。しいていえば「この風景をこの目で見たい」と強く思ったことか。分析的に考えれば、透明感があってとても水々しいタッチ。それと変に小細工していない真っ当な絵なことを好感したのだと思う。


「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
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チャイルド・ハッサムはフランスで印象派の技法を学んだアメリカの画家。ヴィリエ=ル=ベルはパリ郊外の地名。この絵が描かれた1889年にはかなり田舎だったと思われる。

やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。


「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
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ホッパーはアメリカの画家。トゥー・ライツとは2ライト、つまり2灯という意味だが絵を見る限り灯台の電球は1つ。

ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた? 

それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。



アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。




美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。

上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
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不忍池は蓮(はす)池、鵜(う)の池、ボート池の3つに別れている。公園のために作ったようにも思えるが自然にできた池である。周囲約2キロ。
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蓮池は蓮が枯れていて、この季節はあまり美しくない。鵜の池も似た感じ。


鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
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こっちはボート池。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
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ボートは休業中。
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ところで上野公園といえば西郷隆盛。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
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遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。

wassho at 20:38|PermalinkComments(0)