ザオ・ウーキー
2016年04月11日
杉山美術館 J.トレンツ・リャド
話は1年少し前と、25年以上前に遡る。
去年の1月にブリヂストン美術館で開催されていたデ・クーニングの展覧会を見て、その後に常設展も見て回った。美術館の展覧会には2種類あって、あるテーマに沿ってあちこちから作品を借りてきて展示する企画展と、自前のコレクションだけで構成している常設展がある。たいていの場合は企画展のチケットを買うと常設展も見られる。
その時に初めて見たのがザオ・ウーキーという画家の絵。5〜6点が展示されていたように記憶しているが、一目見てグッと感じるものがあった。それは「今までに見たことがない素晴らしいもの」だけがもたらす感動であり興奮のようなもの。「今までに見たことがない」と「素晴らしいもの」が両立しているのが大事で、素晴らしくないものにはもちろん感動しないし、素晴らしいものでも今までに(本物じゃなくても)見たことがあったりする場合は、あるいは初めてでも何かに似ている作風なら、満足感はあっても感動するまでにはなかなかいたらない。
その時に見た1つはこの絵で、その他にザオ・ウーキーの作品はここでもいろいろ見られる。でも抽象画なのでパソコン画面の小さなサイズではまったくそのよさが伝わらない。ブリヂストン美術館で「ウ〜ン、ウ〜ン」と声にならない呻き声を出しながら、しばらく作品の前から離れられなかったのだけれど、この写真を見ても何も甦ってこないのが残念なところ。
ところで当時のブログを読み返してみると、不思議なことにザオ・ウーキーについて何も触れていない。あまりの感激に文章にできなかったーーーのではなくて、おそらくデ・クーニングとは別のエントリーにしようと思って、そのまま書くのを忘れてしまったような気がする(^^ゞ
さてザオ・ウーキーで「今までに見たことがない・素晴らしいもの」を見る喜びを感じながら、同時に、ずっと昔にも絵を見て同じような気持ちになった記憶がよみがえっていた。
それはバブル真っ盛りの1990年前後に見た画家の作品。どこかのギャラリーが、その作家のシルクスクリーンやリトグラフ(ちょっと手間のかかる印刷で作られた高級なポスター:印刷とはいえ100万円以上)を新聞チラシでよく宣伝していた。チラシといってもスーパーのチラシなどとは違い、しっかりした用紙で作られたパンフレットのようなもので雑誌レベルのクオリティはあった。
それを見て感動した気持ちと、それがどんな絵だったかはすぐに思い出せた。
しかし肝心の画家の名前がまったく思い出せなかった(/o\)
考えても考えても思い出せない。たいていの情報はネットで調べられるものの、何のキーワードもないのだから検索のしようもない。
それから数ヶ月。その画家のこともすっかり意識から消えていた。なにせザオ・ウーキーをブログに書き忘れるくらいである(^^ゞ しかしある時ふと「そうだ、あれはスペインの画家だった」と思い出す。なぜ意識もしていないことを突然に思い出すのか、いつもながら脳の働きはまことに不思議である。
1つでもキーワードがあればネット検索で何とかなる。
その画家の名前は
Joaquin Torrents Llado ホアキン・トレンツ・リャド
(ホアキンが名前でトレンツ・リャドが名字のようである)
画像検索で懐かしいトレンツ・リャドの絵を眺めながら「そうそう、この絵だ」とニヤニヤ。しかし、あれこれ調べていると1993年に亡くなっていると判明。名前も忘れていたくせに大きなショックを受ける。トレンツ・リャドは1946年生まれで47歳の時に心臓病で急死したようだ。私が彼の絵を知って「今までに見たことがない・素晴らしいもの」と感動してから、しばらく後に亡くなったことになる。
杉山美術館は江戸川区にあるトレンツ・リャドを常設で展示している美術館。といっても自分のコレクションを公開するために個人で運営されている小さな美術館で、週末は隔週でしかオープンしていない。トレンツ・リャドの名前を検索できた時にこの美術館も知ったが、なかなかタイミングが合わずに訪れる機会を持てずにいた。念願かなってようやく4月9日(土)に訪問。
ーーー続く
去年の1月にブリヂストン美術館で開催されていたデ・クーニングの展覧会を見て、その後に常設展も見て回った。美術館の展覧会には2種類あって、あるテーマに沿ってあちこちから作品を借りてきて展示する企画展と、自前のコレクションだけで構成している常設展がある。たいていの場合は企画展のチケットを買うと常設展も見られる。
その時に初めて見たのがザオ・ウーキーという画家の絵。5〜6点が展示されていたように記憶しているが、一目見てグッと感じるものがあった。それは「今までに見たことがない素晴らしいもの」だけがもたらす感動であり興奮のようなもの。「今までに見たことがない」と「素晴らしいもの」が両立しているのが大事で、素晴らしくないものにはもちろん感動しないし、素晴らしいものでも今までに(本物じゃなくても)見たことがあったりする場合は、あるいは初めてでも何かに似ている作風なら、満足感はあっても感動するまでにはなかなかいたらない。
その時に見た1つはこの絵で、その他にザオ・ウーキーの作品はここでもいろいろ見られる。でも抽象画なのでパソコン画面の小さなサイズではまったくそのよさが伝わらない。ブリヂストン美術館で「ウ〜ン、ウ〜ン」と声にならない呻き声を出しながら、しばらく作品の前から離れられなかったのだけれど、この写真を見ても何も甦ってこないのが残念なところ。
ところで当時のブログを読み返してみると、不思議なことにザオ・ウーキーについて何も触れていない。あまりの感激に文章にできなかったーーーのではなくて、おそらくデ・クーニングとは別のエントリーにしようと思って、そのまま書くのを忘れてしまったような気がする(^^ゞ
さてザオ・ウーキーで「今までに見たことがない・素晴らしいもの」を見る喜びを感じながら、同時に、ずっと昔にも絵を見て同じような気持ちになった記憶がよみがえっていた。
それはバブル真っ盛りの1990年前後に見た画家の作品。どこかのギャラリーが、その作家のシルクスクリーンやリトグラフ(ちょっと手間のかかる印刷で作られた高級なポスター:印刷とはいえ100万円以上)を新聞チラシでよく宣伝していた。チラシといってもスーパーのチラシなどとは違い、しっかりした用紙で作られたパンフレットのようなもので雑誌レベルのクオリティはあった。
それを見て感動した気持ちと、それがどんな絵だったかはすぐに思い出せた。
しかし肝心の画家の名前がまったく思い出せなかった(/o\)
考えても考えても思い出せない。たいていの情報はネットで調べられるものの、何のキーワードもないのだから検索のしようもない。
それから数ヶ月。その画家のこともすっかり意識から消えていた。なにせザオ・ウーキーをブログに書き忘れるくらいである(^^ゞ しかしある時ふと「そうだ、あれはスペインの画家だった」と思い出す。なぜ意識もしていないことを突然に思い出すのか、いつもながら脳の働きはまことに不思議である。
1つでもキーワードがあればネット検索で何とかなる。
その画家の名前は
Joaquin Torrents Llado ホアキン・トレンツ・リャド
(ホアキンが名前でトレンツ・リャドが名字のようである)
画像検索で懐かしいトレンツ・リャドの絵を眺めながら「そうそう、この絵だ」とニヤニヤ。しかし、あれこれ調べていると1993年に亡くなっていると判明。名前も忘れていたくせに大きなショックを受ける。トレンツ・リャドは1946年生まれで47歳の時に心臓病で急死したようだ。私が彼の絵を知って「今までに見たことがない・素晴らしいもの」と感動してから、しばらく後に亡くなったことになる。
杉山美術館は江戸川区にあるトレンツ・リャドを常設で展示している美術館。といっても自分のコレクションを公開するために個人で運営されている小さな美術館で、週末は隔週でしかオープンしていない。トレンツ・リャドの名前を検索できた時にこの美術館も知ったが、なかなかタイミングが合わずに訪れる機会を持てずにいた。念願かなってようやく4月9日(土)に訪問。
ーーー続く
wassho at 09:36|Permalink│Comments(0)│