シャクナゲ
2024年05月14日
善福寺公園で鯉のぼり
5月3日にツツジがまったく終了していた練馬の平成つつじ公園を10分ほど見て回ってから、次にやってきたのは善福寺公園。開園は1961年(昭和36年)。同じく善福寺川沿いにある善福寺川緑地や和田堀公園が1964年だから少し早い。
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
wassho at 21:18|Permalink│Comments(0)│
2023年05月07日
春バラはアメリカ山公園から その2
バラはこの広場の反対側、
すなわちカメラを構えている背後に主に植えられている。
ベイブリッジやマリンタワーと一緒に。
壁やアーチやフェンスなどいろいろな背景のバラを楽しめる。
フェンスの上にいたカラス。
カラスをじっくり眺めたことはあまりないが、日光を浴びていると意外とキレイ。
あれこれアップで。
バラ以外もたくさんの花が咲いていた。
写真を撮ったのはごく一部。
ラベンダーもあった。通常は7月頃に咲く花なので、これは早咲きの品種なのだろう。そっと握りしめて手のひらをクンクン(^^ゞ バラとラベンダーの香りを同時に楽しめるなんてシアワセ。
メインの芝生広場とは別の小さな芝生。
ここは何となく建物の屋上感がある。
やはりこちらのほうが圧倒的に素晴らしい。
新緑もキレイ。
こんな寄せ植えの後ろにあったのは、
人の頭ほどもある大きなシャクナゲ。
写真じゃサイズ感は伝わらないけれど。
ひときわ目立っていたのがベニバナトチノキ。
これは初めて見た。普通のトチノキは白い花がニョキニョキ伸びるように咲いて、ちょっと気持ち悪いのだけれど、色が違うだけでこうも印象が変わるのかと驚く。
花自体も美しい。
芝生広場の中段から。
アメリカ山の由来。
幕末はアメリカ公使館の予定地だったり、戦後は米軍住宅が建ったりしてアメリカに縁が深かったから、公園を整備したときにアメリカ山と名付けたみたい。横浜にはフランス山、イギリス山、イタリア山が昔からあるので、新たにアメリカ山ができても違和感はない。
駅から上がってくるエスカレーターとは反対側の出入り口から。
門柱のフォントがおしゃれ。
港の見える丘公園に行く前に、軽く前菜のつもりで訪れたアメリカ山公園。
思いのほかボリュームのある前菜で満足感高し。
ーーー続く
wassho at 22:24|Permalink│Comments(0)│
2023年04月17日
お台場シンボルプロムナード公園でチューリップとガンダムとサクラ その3
セントラル広場から東に向かうと、最初にあるのがこの出合い橋。
橋といっても下は道路。広場周辺と違って人通りは少なく、出会いは期待できないね。
モモ発見。
ピンクと白のモモを一緒に植えているのもある。
近づいてみると私の好きな源平咲き(白とピンクのミックス)だったのに、
見頃過ぎでかなり傷んでいた。
出合い橋は緩やかなアーチ状になっており、これは後半の下り。
橋の長さは100mほどある。
出合い橋を降りると通路が二手に分かれ、左側はガーデン風。
そして右側は桜並木になっていた。
右側をチョイス。
最初にあったのはアーコレードというサクラ。
大山桜と彼岸桜(=小彼岸桜)の交配種。イギリスで作出されたとは、先日のおかめ桜と同じ。おかめ桜はコリングウッド・イングラムが開発したものだったが、アーコレードについては誰の手によるのか分からなかった。イギリスにサクラが咲いているイメージは思い浮かばないものの、ガーデニングの本場だから品種改良なども盛んなのだろう。チェリーパイはイギリスにもあるし。
Accolade とは「称賛、絶賛、賛美、栄誉、褒め言葉、表彰式」などの意味。サクラでアーコレードなんて英語の名前はめずらしいから、何となく名前だけは知っていても見るのは初めて。これがなかなかよかった。
このアーコレードは秋にも咲くらしい。
今年は秋にも花見をしようか。
紅笠、紅豊、紅華。
こんなに名前が似ていては覚えられない!
サクラの木はまだ小さい。
これが巨木になってサクラのアーチができるのは25年後くらいだろうか。
シャクナゲとツツジも咲いていた。
この紅葉しているような木はフラミンゴ。
まさにフラミンゴの羽を思わせる。
念のため触ってみたら羽ではなく、きっちり葉っぱだった(^^ゞ
たくさんの品種のサクラがあって、そのすべてをしっかり眺めたわけではないが(わりと似ているものが多いし)、この白妙は目を引いた。
白とピンクの2色咲きがキレイ。
しかし白妙を調べると、どの情報も真っ白な花の画像である。そもそも白妙とは白い色のこと。品種のプレートを見間違えたのかな? それを確かめるために来年また訪れるのも面倒な話。とりあえずキレイだったからヨシとしよう。
ーーー続く
wassho at 09:18|Permalink│Comments(0)│
2023年04月09日
目黒川のサクラを眺めて中目黒から大崎まで その3
目黒通りの目黒新橋の上から下流方向。
目立っているビルはアルコタワーで目黒雅叙園の敷地内にあるオフィスビル。Amazonなどの外資系企業が多く入っている。奥に並んで立っている高さ1/3ほどの建物がホテル棟。雅叙園といえば昭和初期に建てられて文化財になっている和風建築ばかりが紹介されるけれど、それは全体の一部。
なお現在の名称はホテル雅叙園東京。でも目黒雅叙園か単に雅叙園以外の名前で呼ばれることはあまりないかな。雅叙園(がじょえん)はもともと芝浦にあった料亭で、1931年(昭和6年)にこの地に移って料亭&日本で最初の総合結婚式場を開業したのが始まり。中華料理の回転テーブルも創業者の発案だとされる。
その後いろいろあって、現在の経営としてはワタベウェディングの100%子会社となっている。しかし土地や建物は外資系ファンドが所有しているとややこしい構成。そのワタベウェディングも商社である興和の100%子会社だし。まあでも目白の椿山荘とともに日本的な趣を感じさせてくれるホテルが残っているのはいいよね。
今までは左岸を歩いてきて、ここからは右岸。
そびえ立っているお城は、
1970年代に日本中にその名をとどろかせた目黒エンペラー!
ラブホテルで全国的な知名度を得たのは、後にも先にもここくらいじゃない?
現在も営業中。
そして平日の午後4時に満室!
たまにこの前を通るが満室は初めて見た。
サクラを見るとムラムラするのかな(^^ゞ
ところで普段の目黒川は、処理された下水が流れている程度で水位も低い。しかし豪雨となれば大量の雨水も流れ込むわけで。この近くに住んでいる人に、たま〜に洪水警報のサイレンが鳴ると以前に聞いたことがある。2022年9月の台風15号の時は氾濫危険水位に到達して、避難が必要な警戒レベル4相当だとニュースが伝えていた。
江戸の昔から頻繁に氾濫していたのが目黒川である。それで護岸工事をし、川を真っ直ぐに改修し、そして堤防にサクラが植えられた。だから今こうやってサクラを眺められるのも、ある意味では氾濫のおかげともいえる。物事は巡り回るものだね。写真は太鼓橋から。
アルコタワーの下に、私が知る限り目黒川で唯一のしだれ桜がある。
もちろんソメイヨシノのシーズンに花は終わっている。
半月ほど前に撮った写真。
この時は左岸が工事中通行止めでしだれ桜に近づけなかった。
来年は間近で眺めましょう。
このあたりから高層のマンションが多くなる。
亀の甲橋から。
なぜか15メートルほど先に市場橋と、ここには2本の橋が並んで架かっている。
歩道が川から離れて水面が見られなくなる。
八重桜が咲き始めていた。
中原街道を横断する。
橋の名前としては谷山橋。谷山は「ややま」と読む。
国道1号線手前の本村橋から上流方向。
これも「ほんむら」と素直に読ませてくれない。
ちょっと左上を眺めるとタワマン建築中。こんな光景はめずらしくもないが、実はここ、世間を騒がせたある事件の舞台となった場所である。
それは今から6年前の2017年。積水ハウスが、この土地の所有者になりすました地面師から55億5000万円を騙し取られた事件。地面師とは不動産を専門とする詐欺師。
そういう詐欺があるのは知っていたとはいえ、金額が巨額だったし、そして積水ハウスといえば業界を代表するような大企業なのに、それがまんまと詐欺に引っ掛かったのにはビックリした。やればできないことってないんだね(^^ゞ
ここには海喜館(うみきかん)という古ぼけた旅館があった。かつてこの周辺は花街だったらしい。オフィスビルが建ち並ぶエリアとしては別世界な光景。2015年までは営業していたようだ。営業していた頃も何度か前を通ったことはあって、人気(ひとけ)のしない静まりかえった場所だった。五反田駅から徒歩3分で、広さは約600坪。
ちなみに地面師達は捕まって有罪になったものの、積水ハウスにお金は戻ってはいない。出所したら隠していたお金で悠々自適? それを資金にしてこの犯罪をドキュメンタリー風にした映画を作って欲しいな。
現在の建て主は旭化成のようだ。そういえば旭化成には杭打ち手抜き工事・マンション傾く・データ偽装発覚300件!の事件があった。あれは2015年。もう喉元は過ぎたか。
国道1号線は五反田大橋。
高架線路の右側が五反田駅。
ここでややこしい話をしよう。
それは道路の名前。
国道1号線は、ご存じのように東京・日本橋から大阪・梅田まで続くが、
横浜駅の少し手前までは第二京浜と呼ばれる。
そして通称は「にこく」。
フルネームは第二京浜国道だから、その「に」と「こく」だと思う。
第一京浜は国道15号線のことで、日本橋から品川を経て、
横浜駅の少し手前で第二京浜京浜の西端につながっている。
通称は「いちこく」
国道1号線が「にこく」で「いちこく」が国道15号線なんて混乱しない?
まあ(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
「にこく」の国道1号線を渡り(蒸し返した)大崎橋、ふれあいK字橋を越える。写真は撮っていないのでサクラはなかったのだと思う。目の前の橋はJRの山手線、埼京線 湘南新宿ラインが通る鉄道橋。
そこを過ぎるとまた桜並木が始まる。
左岸の五反田ふれあい水辺広場にもサクラ多数。
このあたりはタワマンも多い。
見えてきたのは山本橋。
橋の上から上流と下流。
少し遠目から。
さらにサクラアーチの下をくぐりながら、
ちょっと派手な御成橋。
ここはもう大崎エリア。
昔の大崎といえば工場地帯のイメージだったのに、再開発ですっかり生まれ変わった。
上流を見て下流を見て。
ブルーのアーチは鈴懸(すずかけ)歩道橋。
その次にあるのが小関橋。これは下流方向。
ここは大崎駅から歩いて2〜3分のところ。
小関橋に着いたのが午後5時。
そろそろ暗くなり始めるし、ちょっとサクラも見飽きたから(^^ゞ 目黒川終点の天王洲まで行くのは諦めて、ここでサクラ探索は終了とした。スタートが遅くなってしまったし、ここまで4kmちょっとの割りには、写真を撮りながらなので思ったより時間が掛かってしまった。この先は来年以降のお楽しみということで。
左岸を少し戻る。
大崎ブライトタワーの前には、
しだれ桜が咲いていた。
最後にうれしいサプライズ。
先ほどアルコタワー下のしだれ桜を「目黒川で唯一」と書いたのを訂正するかどうか。これはブライトタワー敷地内で、堤防からは微妙な位置にある。
やはりサクラはこれくらいはピンクでないとと、
またソメイヨシノをDisる(^^ゞ
シャクナゲも。今年見たのはこれが初めて。
しだれ桜とツーショットで。
こんな遊覧船もあるんだ。イヤホンで音楽を聴きながら歩いていて、近づいてきたのに気がつかなかったから、あわてて撮って写真がブレブレ。
調べてみると天王洲から雅叙園前、つまり目黒通り手前までを往復するボートが何社かあるようだ。目黒通りを越えたところが一番キレイなんだけどなあ。まあ水深の問題とかあるのかも知れない。次はこれもいいな。
おしまい
<おまけ>
3月30日から10日経った本日の撮れたて!
ほとんど散ってしまった目黒川のサクラをどうぞ(^^ゞ
場所は第1回目の投稿で最初に紹介した宿山橋。
目立っているビルはアルコタワーで目黒雅叙園の敷地内にあるオフィスビル。Amazonなどの外資系企業が多く入っている。奥に並んで立っている高さ1/3ほどの建物がホテル棟。雅叙園といえば昭和初期に建てられて文化財になっている和風建築ばかりが紹介されるけれど、それは全体の一部。
なお現在の名称はホテル雅叙園東京。でも目黒雅叙園か単に雅叙園以外の名前で呼ばれることはあまりないかな。雅叙園(がじょえん)はもともと芝浦にあった料亭で、1931年(昭和6年)にこの地に移って料亭&日本で最初の総合結婚式場を開業したのが始まり。中華料理の回転テーブルも創業者の発案だとされる。
その後いろいろあって、現在の経営としてはワタベウェディングの100%子会社となっている。しかし土地や建物は外資系ファンドが所有しているとややこしい構成。そのワタベウェディングも商社である興和の100%子会社だし。まあでも目白の椿山荘とともに日本的な趣を感じさせてくれるホテルが残っているのはいいよね。
今までは左岸を歩いてきて、ここからは右岸。
そびえ立っているお城は、
1970年代に日本中にその名をとどろかせた目黒エンペラー!
ラブホテルで全国的な知名度を得たのは、後にも先にもここくらいじゃない?
現在も営業中。
そして平日の午後4時に満室!
たまにこの前を通るが満室は初めて見た。
サクラを見るとムラムラするのかな(^^ゞ
ところで普段の目黒川は、処理された下水が流れている程度で水位も低い。しかし豪雨となれば大量の雨水も流れ込むわけで。この近くに住んでいる人に、たま〜に洪水警報のサイレンが鳴ると以前に聞いたことがある。2022年9月の台風15号の時は氾濫危険水位に到達して、避難が必要な警戒レベル4相当だとニュースが伝えていた。
江戸の昔から頻繁に氾濫していたのが目黒川である。それで護岸工事をし、川を真っ直ぐに改修し、そして堤防にサクラが植えられた。だから今こうやってサクラを眺められるのも、ある意味では氾濫のおかげともいえる。物事は巡り回るものだね。写真は太鼓橋から。
アルコタワーの下に、私が知る限り目黒川で唯一のしだれ桜がある。
もちろんソメイヨシノのシーズンに花は終わっている。
半月ほど前に撮った写真。
この時は左岸が工事中通行止めでしだれ桜に近づけなかった。
来年は間近で眺めましょう。
このあたりから高層のマンションが多くなる。
亀の甲橋から。
なぜか15メートルほど先に市場橋と、ここには2本の橋が並んで架かっている。
歩道が川から離れて水面が見られなくなる。
八重桜が咲き始めていた。
中原街道を横断する。
橋の名前としては谷山橋。谷山は「ややま」と読む。
国道1号線手前の本村橋から上流方向。
これも「ほんむら」と素直に読ませてくれない。
ちょっと左上を眺めるとタワマン建築中。こんな光景はめずらしくもないが、実はここ、世間を騒がせたある事件の舞台となった場所である。
それは今から6年前の2017年。積水ハウスが、この土地の所有者になりすました地面師から55億5000万円を騙し取られた事件。地面師とは不動産を専門とする詐欺師。
そういう詐欺があるのは知っていたとはいえ、金額が巨額だったし、そして積水ハウスといえば業界を代表するような大企業なのに、それがまんまと詐欺に引っ掛かったのにはビックリした。やればできないことってないんだね(^^ゞ
ここには海喜館(うみきかん)という古ぼけた旅館があった。かつてこの周辺は花街だったらしい。オフィスビルが建ち並ぶエリアとしては別世界な光景。2015年までは営業していたようだ。営業していた頃も何度か前を通ったことはあって、人気(ひとけ)のしない静まりかえった場所だった。五反田駅から徒歩3分で、広さは約600坪。
ちなみに地面師達は捕まって有罪になったものの、積水ハウスにお金は戻ってはいない。出所したら隠していたお金で悠々自適? それを資金にしてこの犯罪をドキュメンタリー風にした映画を作って欲しいな。
現在の建て主は旭化成のようだ。そういえば旭化成には杭打ち手抜き工事・マンション傾く・データ偽装発覚300件!の事件があった。あれは2015年。もう喉元は過ぎたか。
国道1号線は五反田大橋。
高架線路の右側が五反田駅。
ここでややこしい話をしよう。
それは道路の名前。
国道1号線は、ご存じのように東京・日本橋から大阪・梅田まで続くが、
横浜駅の少し手前までは第二京浜と呼ばれる。
そして通称は「にこく」。
フルネームは第二京浜国道だから、その「に」と「こく」だと思う。
第一京浜は国道15号線のことで、日本橋から品川を経て、
横浜駅の少し手前で第二京浜京浜の西端につながっている。
通称は「いちこく」
国道1号線が「にこく」で「いちこく」が国道15号線なんて混乱しない?
まあ(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
「にこく」の国道1号線を渡り(蒸し返した)大崎橋、ふれあいK字橋を越える。写真は撮っていないのでサクラはなかったのだと思う。目の前の橋はJRの山手線、埼京線 湘南新宿ラインが通る鉄道橋。
そこを過ぎるとまた桜並木が始まる。
左岸の五反田ふれあい水辺広場にもサクラ多数。
このあたりはタワマンも多い。
見えてきたのは山本橋。
橋の上から上流と下流。
少し遠目から。
さらにサクラアーチの下をくぐりながら、
ちょっと派手な御成橋。
ここはもう大崎エリア。
昔の大崎といえば工場地帯のイメージだったのに、再開発ですっかり生まれ変わった。
上流を見て下流を見て。
ブルーのアーチは鈴懸(すずかけ)歩道橋。
その次にあるのが小関橋。これは下流方向。
ここは大崎駅から歩いて2〜3分のところ。
小関橋に着いたのが午後5時。
そろそろ暗くなり始めるし、ちょっとサクラも見飽きたから(^^ゞ 目黒川終点の天王洲まで行くのは諦めて、ここでサクラ探索は終了とした。スタートが遅くなってしまったし、ここまで4kmちょっとの割りには、写真を撮りながらなので思ったより時間が掛かってしまった。この先は来年以降のお楽しみということで。
左岸を少し戻る。
大崎ブライトタワーの前には、
しだれ桜が咲いていた。
最後にうれしいサプライズ。
先ほどアルコタワー下のしだれ桜を「目黒川で唯一」と書いたのを訂正するかどうか。これはブライトタワー敷地内で、堤防からは微妙な位置にある。
やはりサクラはこれくらいはピンクでないとと、
またソメイヨシノをDisる(^^ゞ
シャクナゲも。今年見たのはこれが初めて。
しだれ桜とツーショットで。
こんな遊覧船もあるんだ。イヤホンで音楽を聴きながら歩いていて、近づいてきたのに気がつかなかったから、あわてて撮って写真がブレブレ。
調べてみると天王洲から雅叙園前、つまり目黒通り手前までを往復するボートが何社かあるようだ。目黒通りを越えたところが一番キレイなんだけどなあ。まあ水深の問題とかあるのかも知れない。次はこれもいいな。
おしまい
<おまけ>
3月30日から10日経った本日の撮れたて!
ほとんど散ってしまった目黒川のサクラをどうぞ(^^ゞ
場所は第1回目の投稿で最初に紹介した宿山橋。
wassho at 20:04|Permalink│Comments(0)│
2020年05月04日
洗足池公園を経由して3区巡りの散歩 その2
頼朝の愛馬「池月」の銅像があるのは、池の西側中程にある千束八幡神社の境内。千束と書いて「せんぞく」であり、こちらのほうが平安時代からある地名。後に日蓮(鎌倉時代)がこの池で足を洗ったという言い伝えができて「洗足」の漢字も使われるようになった。現在は大田区と目黒区に「せんぞく」の地名があるが、大田区は北千束と南千束であり目黒区は洗足。でも大田区にあるこの池が洗足池だからややこしい。
千束八幡は平安時代初期の860年の創建とされる。でもひっそり・こぢんまりとした神社である。逆光が強くて本殿をiPhoneでは正面から撮影できなかった。
それにしても区立公園の敷地に神社があるのは政教分離的にどうなんだろう? 神社が先にあったのは確かだけれど。少し調べてみたがよく分からなかった。
池月橋の名前を付けられている太鼓橋。
橋の上から弁財天に向かって。弁財天のある出島はツツジが水面近くで咲いていてイイ感じである。ただし出島の中から、それは見えないのだが。
池の神様?
写真ではわからないが、すごく大きくて黄金色に輝いていた。
池月橋を渡ったところにシャクナゲが咲いていた。
色や形はツツジと同じでも大きくて派手。
少し進んだところにジャーマン・アイリス。残念ながら盛り過ぎ。
もう一面あったがなぜかこの色の品種だけ。
公園の南側まで来て、いったん外に出る。
道路は中原街道。バイクで千葉からアクアラインを通って帰ってくる時は、環八から中原街道に入り、洗足池をチラッと眺めるのがツーリングの締めくくりみたいなものだった。
やむを得ぬ事情でバイクを降りて約2年。また乗れる日は来るのかな。ところでフルフェイスのヘルメットならコロナウイルスに対して最強だよね(^^ゞ
公園正面から。
この浮世絵は歌川広重が晩年に制作した名所江戸百景にある洗足池。
タイトルは「千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ・けさがけのまつ)」。日蓮がここで足を洗った時に、袈裟(けさ:僧侶の服)を松に掛けたという伝承がある。今でも袈裟懸けの松と呼ばれるものはあるのだが、それは日蓮の時から数えて3代目だという。それって関係ない別の木やろ(^^ゞ
名所江戸百景は1856〜1858年の制作。
黒船来航が1853年、明治維新が1868年だから江戸の最後期。
位置的には上の写真と同じだと思うが、当然ながら160年前はずいぶんと雰囲気が違う。もっとも広重は見下ろすような視点で描いており、この付近にそんな小高い場所はないから、全体的にあれこれ創作が入っているのだろうが。
洗足池の由緒をいろいろと解説した看板。今年の3月に建てられたばかりのピカピカなので、自分の姿が映り込まないように斜めから撮影。
これで勝海舟の墓があることを知り、それを見に行くことに。場所は最初に訪れた桜広場のあたり。逆戻りすることになるが、散歩=歩くことが目的なんだからまあいいかと。
途中で横にそれる道があったので入ってみる。
特に何もなかったがモミジの種が見られた。
ピンクのプロペラみたいなのが種。
もう少し朽ちてきたら、これが切り離されて風に乗って遠くまで種を運ぶという仕掛け。この種は何度か見たことがあるが、花はまだない。
お約束のモミジ日の光透け。
池を2/3周ほど戻って勝海舟の墓所へ。彼が盟友となった西郷隆盛の死を悼んで建てた記念碑などが同じ区画にあった。
西郷隆盛留魂詩碑(りゅうこんしひ)。西郷の詠んだ漢詩が刻まれているとのことだが、字は読み取れなかった。
勝海舟夫妻のお墓。右が勝海舟で左が民子夫人。
これを見ると仲睦まじい夫婦だったように思える。しかし民子夫人は勝海舟と同じ墓に入るのはイヤだと遺言していたらしい。理由は勝海舟が妾4人と妾腹の子供5人を自宅に同居させるなどのトンデモ亭主だったから。当時は妾がいるのは珍しくないとしても、正妻と同居するのは常軌を逸している。明治維新の立役者も、今はこの墓の中で奥さんにシバかれているのかも(^^ゞ
墓所のあたりから公園の外に出て、中原街道に向かって歩いていると勝海舟記念館というのがあった。もっとも今はコロナウイルス自粛で閉館中だったが。次に洗足池まで散歩する時には見学できますように。
このあたりに勝海舟関連のものが多いのは、彼が洗足池の景観を気に入って別宅を建てたから。晩年は本宅になっていたようである。墓をこの場所にするのも彼の遺言による。西郷隆盛も勝海舟の家によく遊びに来ていたようで、二人で池の周りを散策したのかな。
ちなみに勝海舟が洗足池を見たのは、戊辰戦争で江戸に攻め上がってきた西郷隆盛と池上本門寺(ここから約3キロ)で、いわゆる江戸城無血開城の交渉に向かう道中だったと言われている。ということは1868年。歌川広重の浮世絵はその10年ほど前に描かれているから、彼が見た洗足池はあんな景色だったのだろう。
中原街道を少し歩いて品川区に入り、立会道路という変わった名前の道を北上。ここは桜の木が多くて、後で調べたら2kmほど桜並木が続いているとのこと。来年は花見に来よう。西小山の駅前に出て隣の武蔵小山駅まで歩く。駅ビルに入っている無印良品で買いたいものがあったから寄り道したのだけれど、コロナウイルスで駅ビルの店舗はほとんど休業中(>_<) 諦めて自宅に向かう。武蔵小山の先からは目黒区。
3時間半ほどの散歩だったかな。iPhoneのヘルスケアアプリで確認すると、1万5326歩で9.2kmという記録だった。公園で写真を撮っていたりしたので、時間の割に距離が少なかった。でも心地よく疲れたし、源頼朝や勝海舟、西郷隆盛など歴史上の人物とシンクロした気分になれていい散歩だった。
おしまい
千束八幡は平安時代初期の860年の創建とされる。でもひっそり・こぢんまりとした神社である。逆光が強くて本殿をiPhoneでは正面から撮影できなかった。
それにしても区立公園の敷地に神社があるのは政教分離的にどうなんだろう? 神社が先にあったのは確かだけれど。少し調べてみたがよく分からなかった。
池月橋の名前を付けられている太鼓橋。
橋の上から弁財天に向かって。弁財天のある出島はツツジが水面近くで咲いていてイイ感じである。ただし出島の中から、それは見えないのだが。
池の神様?
写真ではわからないが、すごく大きくて黄金色に輝いていた。
池月橋を渡ったところにシャクナゲが咲いていた。
色や形はツツジと同じでも大きくて派手。
少し進んだところにジャーマン・アイリス。残念ながら盛り過ぎ。
もう一面あったがなぜかこの色の品種だけ。
公園の南側まで来て、いったん外に出る。
道路は中原街道。バイクで千葉からアクアラインを通って帰ってくる時は、環八から中原街道に入り、洗足池をチラッと眺めるのがツーリングの締めくくりみたいなものだった。
やむを得ぬ事情でバイクを降りて約2年。また乗れる日は来るのかな。ところでフルフェイスのヘルメットならコロナウイルスに対して最強だよね(^^ゞ
公園正面から。
この浮世絵は歌川広重が晩年に制作した名所江戸百景にある洗足池。
タイトルは「千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ・けさがけのまつ)」。日蓮がここで足を洗った時に、袈裟(けさ:僧侶の服)を松に掛けたという伝承がある。今でも袈裟懸けの松と呼ばれるものはあるのだが、それは日蓮の時から数えて3代目だという。それって関係ない別の木やろ(^^ゞ
名所江戸百景は1856〜1858年の制作。
黒船来航が1853年、明治維新が1868年だから江戸の最後期。
位置的には上の写真と同じだと思うが、当然ながら160年前はずいぶんと雰囲気が違う。もっとも広重は見下ろすような視点で描いており、この付近にそんな小高い場所はないから、全体的にあれこれ創作が入っているのだろうが。
洗足池の由緒をいろいろと解説した看板。今年の3月に建てられたばかりのピカピカなので、自分の姿が映り込まないように斜めから撮影。
これで勝海舟の墓があることを知り、それを見に行くことに。場所は最初に訪れた桜広場のあたり。逆戻りすることになるが、散歩=歩くことが目的なんだからまあいいかと。
途中で横にそれる道があったので入ってみる。
特に何もなかったがモミジの種が見られた。
ピンクのプロペラみたいなのが種。
もう少し朽ちてきたら、これが切り離されて風に乗って遠くまで種を運ぶという仕掛け。この種は何度か見たことがあるが、花はまだない。
お約束のモミジ日の光透け。
池を2/3周ほど戻って勝海舟の墓所へ。彼が盟友となった西郷隆盛の死を悼んで建てた記念碑などが同じ区画にあった。
西郷隆盛留魂詩碑(りゅうこんしひ)。西郷の詠んだ漢詩が刻まれているとのことだが、字は読み取れなかった。
勝海舟夫妻のお墓。右が勝海舟で左が民子夫人。
これを見ると仲睦まじい夫婦だったように思える。しかし民子夫人は勝海舟と同じ墓に入るのはイヤだと遺言していたらしい。理由は勝海舟が妾4人と妾腹の子供5人を自宅に同居させるなどのトンデモ亭主だったから。当時は妾がいるのは珍しくないとしても、正妻と同居するのは常軌を逸している。明治維新の立役者も、今はこの墓の中で奥さんにシバかれているのかも(^^ゞ
墓所のあたりから公園の外に出て、中原街道に向かって歩いていると勝海舟記念館というのがあった。もっとも今はコロナウイルス自粛で閉館中だったが。次に洗足池まで散歩する時には見学できますように。
このあたりに勝海舟関連のものが多いのは、彼が洗足池の景観を気に入って別宅を建てたから。晩年は本宅になっていたようである。墓をこの場所にするのも彼の遺言による。西郷隆盛も勝海舟の家によく遊びに来ていたようで、二人で池の周りを散策したのかな。
ちなみに勝海舟が洗足池を見たのは、戊辰戦争で江戸に攻め上がってきた西郷隆盛と池上本門寺(ここから約3キロ)で、いわゆる江戸城無血開城の交渉に向かう道中だったと言われている。ということは1868年。歌川広重の浮世絵はその10年ほど前に描かれているから、彼が見た洗足池はあんな景色だったのだろう。
中原街道を少し歩いて品川区に入り、立会道路という変わった名前の道を北上。ここは桜の木が多くて、後で調べたら2kmほど桜並木が続いているとのこと。来年は花見に来よう。西小山の駅前に出て隣の武蔵小山駅まで歩く。駅ビルに入っている無印良品で買いたいものがあったから寄り道したのだけれど、コロナウイルスで駅ビルの店舗はほとんど休業中(>_<) 諦めて自宅に向かう。武蔵小山の先からは目黒区。
3時間半ほどの散歩だったかな。iPhoneのヘルスケアアプリで確認すると、1万5326歩で9.2kmという記録だった。公園で写真を撮っていたりしたので、時間の割に距離が少なかった。でも心地よく疲れたし、源頼朝や勝海舟、西郷隆盛など歴史上の人物とシンクロした気分になれていい散歩だった。
おしまい
wassho at 20:51|Permalink│Comments(0)│
2020年03月25日
しだれ桜を眺めに小石川後楽園 その4
シャクナゲの咲いている道があったので登ってみる。
シャクナゲはツツジと同じくゴールデンウィーク頃に咲く花のはず。これは早咲きの品種なのかもしれない。もっともこの日は最高気温21度と5月並みの気温だったけれど。まあとにかくサクラと一緒に見られて得した気分。
花菖蒲やカキツバタの畑、藤棚のあったあたりを見下ろす。
いったん下に降りて道を進むと円月橋という石橋があった。
説明を読むと江戸時代には高度な土木技術だったみたい。
しかし石をアーチ状に積む技術なんてローマ時代からあった。ピラミッドですら整然と積まれているのに、日本の城の石垣はどうしてガタガタなのだといつも憤慨しているが、もともと石を扱う文化がないから相当遅れていたんだろうなあ。
円月橋の脇から伸びる道を登る。
今度はピンクのシャクナゲ。
白よりは開花が遅いようで、また高い場所にあったので間近で見られず。
シャクナゲ多いなと思いながら歩いていると先ほどの白いシャクナゲのところに出た。同じ道だったみたい。
このあたりは道が入り組んでいて、この後も同じところをグルグル回ることが何度かあった。小石川後楽園で遭難したらシャレにならない(^^ゞ
しかし、こんな風に木を見上げながら歩くのは楽しくて大好き。
もっとも上ばかり見ているから道に迷うのかも知れないけど。
2本目に見たしだれ桜が見えた。
私が通った時よりかなり人の列が伸びている。
川縁に出る。
清水寺の音羽の滝になぞらえたとある。
それにしても、どれだけ京都ラブやねん。
もっとも説明にあるように滝はなく水が流れているだけ。
小石川後楽園には、もうひとつ白糸の滝もあるのだが修復工事中で近づけず。
そちらは高さ1メートルほどの滝があるみたいだ。
下流に見えるのは最初に渡った渡月橋。
ということはこれは大堰川だから、清水寺の音羽の滝にはかなり無理のある設定。
川沿いを歩いて渡月橋を渡り、4本目に見た一番ピンク色の濃いしだれ桜をもう一度。
2本目のしだれ桜を写真に撮ろうとする人々。
馬場桜の近くに戻ってきて、立派なマツを眺める。
昔はやった「命!」というギャグのポーズに似ているかも。
この説明によると池は琵琶湖を模していて、このマツも唐崎の一本松に見立てているらしい。唐崎は近江八景のひとつでマツが有名なところ。京都をはじめ各地の景勝地になぞらえた造園が大名庭園の特徴のひとつ。
これはソメイヨシノ。内庭のと違ってこの周りのはすべてまだ3分咲き程度。
ソメイヨシノはソメイヨシノ同士で交配できず、接ぎ木でしか増やすことができない。だからすべてのソメイヨシノは同じ遺伝子を持っているので、同じ条件のエリアなら同じ時期に咲くというのが通説。もちろん多少の個体差はあるとしても3分咲きと満開では違いすぎる。内庭のはソメイヨシノと何かの混合品種じゃないかというのが私の推測。それが正しいという自信はまったくないが。
メインの池から張り出している小さな池が蓮池と呼ばれていて、そこにもしだれ桜がある。これはまだ若木でかなり小さい。
本日5本目で、これが最後のしだれ桜。
他のしだれ桜と較べてかなり色が白い。
最近よくやる逆光での花の撮影。もっともカメラの設定で何か工夫をしているわけではなく、キレイに撮れますようにと願いながらシャッターを押しているだけ。
というわけでしだれ桜花見は終了。思っていたより花数が少なく、有名どころのしだれ桜のように豪華絢爛という感じではなかったが、それなりに楽しめた1日だった。
西門に向かうと売店は行列でふさがれて、何を売っているのかも分からず。
午後1時頃に来た時は入場券を買うのに10人ほどが並んでいる程度だったが、帰りの3時過ぎには敷地の外までの行列。
これなら最後尾のプラカードも活躍。
コロナの影響でお花見を取りやめた人が多く、でもあまりのいい天気に我慢できなくなり、この時間になってやってくる人が増えたのだろうか。
今年はほとんどのところでお花見宴会が禁止らしい。
静かに楽しみましょう。
おしまい
シャクナゲはツツジと同じくゴールデンウィーク頃に咲く花のはず。これは早咲きの品種なのかもしれない。もっともこの日は最高気温21度と5月並みの気温だったけれど。まあとにかくサクラと一緒に見られて得した気分。
花菖蒲やカキツバタの畑、藤棚のあったあたりを見下ろす。
いったん下に降りて道を進むと円月橋という石橋があった。
説明を読むと江戸時代には高度な土木技術だったみたい。
しかし石をアーチ状に積む技術なんてローマ時代からあった。ピラミッドですら整然と積まれているのに、日本の城の石垣はどうしてガタガタなのだといつも憤慨しているが、もともと石を扱う文化がないから相当遅れていたんだろうなあ。
円月橋の脇から伸びる道を登る。
今度はピンクのシャクナゲ。
白よりは開花が遅いようで、また高い場所にあったので間近で見られず。
シャクナゲ多いなと思いながら歩いていると先ほどの白いシャクナゲのところに出た。同じ道だったみたい。
このあたりは道が入り組んでいて、この後も同じところをグルグル回ることが何度かあった。小石川後楽園で遭難したらシャレにならない(^^ゞ
しかし、こんな風に木を見上げながら歩くのは楽しくて大好き。
もっとも上ばかり見ているから道に迷うのかも知れないけど。
2本目に見たしだれ桜が見えた。
私が通った時よりかなり人の列が伸びている。
川縁に出る。
清水寺の音羽の滝になぞらえたとある。
それにしても、どれだけ京都ラブやねん。
もっとも説明にあるように滝はなく水が流れているだけ。
小石川後楽園には、もうひとつ白糸の滝もあるのだが修復工事中で近づけず。
そちらは高さ1メートルほどの滝があるみたいだ。
下流に見えるのは最初に渡った渡月橋。
ということはこれは大堰川だから、清水寺の音羽の滝にはかなり無理のある設定。
川沿いを歩いて渡月橋を渡り、4本目に見た一番ピンク色の濃いしだれ桜をもう一度。
2本目のしだれ桜を写真に撮ろうとする人々。
馬場桜の近くに戻ってきて、立派なマツを眺める。
昔はやった「命!」というギャグのポーズに似ているかも。
この説明によると池は琵琶湖を模していて、このマツも唐崎の一本松に見立てているらしい。唐崎は近江八景のひとつでマツが有名なところ。京都をはじめ各地の景勝地になぞらえた造園が大名庭園の特徴のひとつ。
これはソメイヨシノ。内庭のと違ってこの周りのはすべてまだ3分咲き程度。
ソメイヨシノはソメイヨシノ同士で交配できず、接ぎ木でしか増やすことができない。だからすべてのソメイヨシノは同じ遺伝子を持っているので、同じ条件のエリアなら同じ時期に咲くというのが通説。もちろん多少の個体差はあるとしても3分咲きと満開では違いすぎる。内庭のはソメイヨシノと何かの混合品種じゃないかというのが私の推測。それが正しいという自信はまったくないが。
メインの池から張り出している小さな池が蓮池と呼ばれていて、そこにもしだれ桜がある。これはまだ若木でかなり小さい。
本日5本目で、これが最後のしだれ桜。
他のしだれ桜と較べてかなり色が白い。
最近よくやる逆光での花の撮影。もっともカメラの設定で何か工夫をしているわけではなく、キレイに撮れますようにと願いながらシャッターを押しているだけ。
というわけでしだれ桜花見は終了。思っていたより花数が少なく、有名どころのしだれ桜のように豪華絢爛という感じではなかったが、それなりに楽しめた1日だった。
西門に向かうと売店は行列でふさがれて、何を売っているのかも分からず。
午後1時頃に来た時は入場券を買うのに10人ほどが並んでいる程度だったが、帰りの3時過ぎには敷地の外までの行列。
これなら最後尾のプラカードも活躍。
コロナの影響でお花見を取りやめた人が多く、でもあまりのいい天気に我慢できなくなり、この時間になってやってくる人が増えたのだろうか。
今年はほとんどのところでお花見宴会が禁止らしい。
静かに楽しみましょう。
おしまい
wassho at 09:18|Permalink│Comments(0)│
2017年05月22日
箱根 山のホテルでツツジとシャクナゲ その2
しゃくなげ園を見に行く。
ところで前回のエントリーに載せた園内の案内看板では「しゃくなげ庭園」である。けっこう不統一。ホテルのホームページの庭園散策マップでは「しゃくなげ園」となっている。ただし案内看板にあった「つつじ庭園」あるいは「つつじ園」という区分はホームページにはない。おそらく庭園とは基本的にツツジであり、ツツジ以外の場所には個別に名前をつけるという構成。ブランディングの仕事などやっているとこういうことが目についてノンビリ散策できない(^^ゞ
ちなみにこのブログでは植物の名前は基本的に片仮名表記にしている。何となく新聞などでも片仮名のようであるし、平仮名と続けた時にわかりやすいから。例えば
いつつつじが咲く?
いつツツジが咲く?
あしかがフラワーパークもそうだけれど施設の地名部分を平仮名にすることが多くなっている。さいたま市など自治体の名前にも使うことが平成の大合併で増えた。親しみやすい印象にするなど理由はわからなくもないが、文章の中では使いにくいから私はこのネーミング手法には反対。
話を戻して「しゃくなげ園」。
やっぱり平仮名だと「」をつけたくなる。
ここのシャクナゲは背の高いものが多く、低木の「つつじ園」の開放的な雰囲気と違って木々の下をくぐり歩いて花を眺める感じ。
小振りのシャクナゲが多かった。
花はきれいだったのだが写真に撮るとパッとせず。センスのなさを痛感(/o\)
だったら企画モノで勝負。シャクナゲの一生!
ところで「企画」に「モノ」をつけると、とたんに安直なイメージが生まれる(^^ゞ
こいつは違う人生パターンみたい。
ツツジのある場所からは芦ノ湖があまりよく見えないが、ここは少し高い位置にあるので湖面がよく見えた。
つつじ園に戻って
再びツツジを堪能。
赤の手前にある濃いピンクのツツジと紫のツツジは他の色のツツジとは違い、まるで花びらが光を反射しているように鮮やかな発色だった。見つめていると目が痛いくらい。
輝いているイメージが撮れているかな?
ーーー続く
ところで前回のエントリーに載せた園内の案内看板では「しゃくなげ庭園」である。けっこう不統一。ホテルのホームページの庭園散策マップでは「しゃくなげ園」となっている。ただし案内看板にあった「つつじ庭園」あるいは「つつじ園」という区分はホームページにはない。おそらく庭園とは基本的にツツジであり、ツツジ以外の場所には個別に名前をつけるという構成。ブランディングの仕事などやっているとこういうことが目についてノンビリ散策できない(^^ゞ
ちなみにこのブログでは植物の名前は基本的に片仮名表記にしている。何となく新聞などでも片仮名のようであるし、平仮名と続けた時にわかりやすいから。例えば
いつつつじが咲く?
いつツツジが咲く?
あしかがフラワーパークもそうだけれど施設の地名部分を平仮名にすることが多くなっている。さいたま市など自治体の名前にも使うことが平成の大合併で増えた。親しみやすい印象にするなど理由はわからなくもないが、文章の中では使いにくいから私はこのネーミング手法には反対。
話を戻して「しゃくなげ園」。
やっぱり平仮名だと「」をつけたくなる。
ここのシャクナゲは背の高いものが多く、低木の「つつじ園」の開放的な雰囲気と違って木々の下をくぐり歩いて花を眺める感じ。
小振りのシャクナゲが多かった。
花はきれいだったのだが写真に撮るとパッとせず。センスのなさを痛感(/o\)
だったら企画モノで勝負。シャクナゲの一生!
ところで「企画」に「モノ」をつけると、とたんに安直なイメージが生まれる(^^ゞ
こいつは違う人生パターンみたい。
ツツジのある場所からは芦ノ湖があまりよく見えないが、ここは少し高い位置にあるので湖面がよく見えた。
つつじ園に戻って
再びツツジを堪能。
赤の手前にある濃いピンクのツツジと紫のツツジは他の色のツツジとは違い、まるで花びらが光を反射しているように鮮やかな発色だった。見つめていると目が痛いくらい。
輝いているイメージが撮れているかな?
ーーー続く
wassho at 23:01|Permalink│Comments(0)│
2017年05月20日
箱根 山のホテルでツツジとシャクナゲ
何度かこのブログでも書いているが、3年前にあしかがフラワーパークへ藤を見に行った。そして藤も素晴らしかったが、ツツジの美しさに圧倒された。ツツジは道路の街路樹によく使われている。照り返しによる高温や乾燥に強く、また排気ガスの浄化作用にも優れているらしい。そんなわけでよく見かける花だが、頭の中では道路沿いの風景と一体化していて鑑賞する花という意識はまったくなかった。街路樹だから汚れていることも多く、それもツツジに気を留めなかった理由かもしれない。
しかし、あしかがフラワーパークでそんな印象も一変。それから毎年のようにツツジの名所に出かけている。またそんなことをしなくても、そこら中に咲いているわけで、汚れる前は大変にキレイだからツツジの季節になると道路を歩いているだけで楽しい。ほとんどの人は街路樹のツツジになんて以前の私と同じように目もくれないから、実にもったいないと思ったりしている。
芦ノ湖のほとりにある「山のホテル」にある庭園はツツジとシャクナゲで有名。ずっと訪れたかったが何かとタイミングが合わず。ようやく見頃の時期にツーリングできることになった。ただし庭園を見るだけでは時間が余る。そこで箱根周辺をあちこち走り回るがむしゃらコースも考えたが、結局はポーラ美術館で開催中の「ピカソとシャガール展」を見て、その後は温泉に浸かるというノンビリコースでツーリングしてきた。
出発は午前7時半。往きのルートは東名を厚木インターで降りて小田原厚木道路に。ここは覆面パトカーが多いので常に緊張を強いられる。小田原厚木道路から箱根へは箱根新道で登った。クルマは多かったがそこそこのペースで快走。芦ノ湖の遊覧船発着場あたりに出て、そこからホテルまでは湖畔沿いに5分くらいの距離である。
山のホテル到着は9時半過ぎ。それにしてもヘンな名前のホテルである。箱根の山にあるから「山のホテル」という名前になったらしい。
つつじ・しゃくなげフェア開催中で、ホテル前の道路沿いには係員がたくさんいる。バイクは道路に面したこの場所に駐めるように指示された。ホテルはもう少し上の方にあるのだが、文句を垂れるほどの距離じゃなかった。
一段上の第2駐車場まで上がると庭園への案内看板。
この風景だけでも期待が高まってくる。
壁沿いに進んで、この角を曲がると、
声を上げずにはいられない光景が飛び込んでくる。
全体のレイアウトはこんな感じ。
ホテルの庭園のほとんどがツツジとシャクナゲで占められていることがわかる。
山のホテルのツツジの特徴は丸く刈られていること。そういえば同じく丸いツツジで有名な塩船観音寺には見頃が終わってから訪れて悲しい思いをした(^^ゞ
この日は富士山もよく見えた。
それでは丸ツツジのボンボンをお楽しみあれ。
ここはツツジ園とシャクナゲ園の中間にある広場。
シャクナゲは写真右側のもう一段高いところにある。
白い藤。ほのかに甘い香りがしていた。
ツツジ園の下にある売店コーナー。
花が売られていたのはシャクナゲだけ。
ツツジ園の隣にあるチャペル。
チャペル前庭にドーム。
周りにはバラが植えられている。そろそろ春バラが見頃のシーズンだが、標高の高い箱根ではまだツボミもなし。
なおチャペルの中はショボかった(^^ゞ
ーーー続く
しかし、あしかがフラワーパークでそんな印象も一変。それから毎年のようにツツジの名所に出かけている。またそんなことをしなくても、そこら中に咲いているわけで、汚れる前は大変にキレイだからツツジの季節になると道路を歩いているだけで楽しい。ほとんどの人は街路樹のツツジになんて以前の私と同じように目もくれないから、実にもったいないと思ったりしている。
芦ノ湖のほとりにある「山のホテル」にある庭園はツツジとシャクナゲで有名。ずっと訪れたかったが何かとタイミングが合わず。ようやく見頃の時期にツーリングできることになった。ただし庭園を見るだけでは時間が余る。そこで箱根周辺をあちこち走り回るがむしゃらコースも考えたが、結局はポーラ美術館で開催中の「ピカソとシャガール展」を見て、その後は温泉に浸かるというノンビリコースでツーリングしてきた。
出発は午前7時半。往きのルートは東名を厚木インターで降りて小田原厚木道路に。ここは覆面パトカーが多いので常に緊張を強いられる。小田原厚木道路から箱根へは箱根新道で登った。クルマは多かったがそこそこのペースで快走。芦ノ湖の遊覧船発着場あたりに出て、そこからホテルまでは湖畔沿いに5分くらいの距離である。
山のホテル到着は9時半過ぎ。それにしてもヘンな名前のホテルである。箱根の山にあるから「山のホテル」という名前になったらしい。
つつじ・しゃくなげフェア開催中で、ホテル前の道路沿いには係員がたくさんいる。バイクは道路に面したこの場所に駐めるように指示された。ホテルはもう少し上の方にあるのだが、文句を垂れるほどの距離じゃなかった。
一段上の第2駐車場まで上がると庭園への案内看板。
この風景だけでも期待が高まってくる。
壁沿いに進んで、この角を曲がると、
声を上げずにはいられない光景が飛び込んでくる。
全体のレイアウトはこんな感じ。
ホテルの庭園のほとんどがツツジとシャクナゲで占められていることがわかる。
山のホテルのツツジの特徴は丸く刈られていること。そういえば同じく丸いツツジで有名な塩船観音寺には見頃が終わってから訪れて悲しい思いをした(^^ゞ
この日は富士山もよく見えた。
それでは丸ツツジのボンボンをお楽しみあれ。
ここはツツジ園とシャクナゲ園の中間にある広場。
シャクナゲは写真右側のもう一段高いところにある。
白い藤。ほのかに甘い香りがしていた。
ツツジ園の下にある売店コーナー。
花が売られていたのはシャクナゲだけ。
ツツジ園の隣にあるチャペル。
チャペル前庭にドーム。
周りにはバラが植えられている。そろそろ春バラが見頃のシーズンだが、標高の高い箱根ではまだツボミもなし。
なおチャペルの中はショボかった(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 23:02|Permalink│Comments(0)│
2016年05月21日
石橋あやめ園でジャーマンアイリス
アヤメ、ハナショウブ、カキツバターーーこの3つは似たような花。何度か見に行っているし、それほど大規模でなければあちこちの公園でも植えられている。去年は横須賀しょうぶ園を訪れた。その西洋品種にあたるのがジャーマンアイリス。こちらは花屋や生け花以外では見た記憶がない。というわけでジャーマンアイリス鑑賞が本日の第1目的。
和種のアヤメ類を植えている公園はたくさんあるが、ジャーマンアイリスとなると数は少ない。それなりの規模で、かつ日帰りツーリングの範囲内にあるのは3カ所しか見つけられなかった。今回はその中で一番近い栃木県の宇都宮近郊にある石橋あやめ園。残り2つは軽井沢の近くと福島県の白河。千葉にもいくつかあるようだが規模は小さいみたい。
ツーリングでこんなに広い範囲の地図を載せるのは久し振りかな。
石橋あやめ園までのルートはシンプルで、首都高で都心部を抜け東北自動車道に入り北上、栃木都賀ジャンクションで北関東自動車道に乗り換えて東に進む。そこから2つめの壬生(みぶ)インターで降りて7〜8キロ。壬生インターを降りた先の地名は「おもちゃのまち」。ニックネームではなくそれが正式な地名。おもちゃ工場が多いらしくバンダイの博物館もある。その住所は「栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20」と楽しそう。
午前10時前に出発。このところの暑さはひと休みで、気温は20度とやや低めだった。北に向かうともっと寒くなるのかと心配したが、時間と共に26度くらいまで上昇。渋滞もなく12時前に石橋あやめ園到着。
駐車場の先の池を越えたところが石橋あやめ園。
のどかでいい光景。ただし写真にじゃまな電線あり(/o\)
入口で売られていたメダカ。
5匹入りで500円。高っ!
隣の1000円の楊貴妃というのはメダカを観賞用に品種改良したものらしい。まったく知らなかったが、この専門店ページには57種類の観賞用メダカが載っている。
石橋あやめ園は公園ではなくジャーマンアイリスの生産と販売をしている農園。シーズン中はこのビニールハウスにあるものを選んで買うことができる。入園料はなく見るだけなら無料である。
ジャーマンアイリスはヨーロッパ産のアヤメ類を観賞用に品種改良したもの。ただしジャーマンアイリスあるいはドイツアヤメと、ドイツをつけた名前で呼ぶのは日本だけらしい。ベースとなったのはゲルマニカという品種でドイツやフランスで品種改良が始まったが、その後に多くの品種が開発されたのはアメリカとのこと。
一目見ればアヤメの仲間だとわかるが、
和種のものよりゴージャスな印象で花のサイズも大きい。
6枚ある花びらは、3枚が上に立ち上がり3枚が横に広がる。下の花びらには毛虫みたいなものが乗っかっているのが特徴。この毛虫も花びらの一部らしい。知らなかったらドッキリするね。
色数が豊富なのもジャーマンアイリスの特徴。
この2つは色は同じだが花びらの模様が微妙に異なる。
フリンジといって花びらの縁がギザギザになったジャーマンアイリス。チューリップでもそうだが、なぜかフリンジのあるものが好き。いろんな花をフリンジに品種改良して欲しい。
フリンジだけエコヒイキしてツボミも撮影。
すべての品種の名前が表示されているが、数が多いので名前までは写真には撮らなかった。石橋あやめ園では200種類くらいのジャーマンアイリスを栽培しているらしい。
石橋あやめ園は線路沿いにある立地。高架の上が東北新幹線で下に在来線が走っている。電車が通ると少しうるさいが、そんなに頻繁には来ない。
基本的にはハウス栽培のようだが、ハウスの外にも少し植えられていた。
時期的には1週間ほど遅かったかな。花が終わったジャーマンアイリスはこんな感じになる。不思議なことに花の色にかかわらず、花殻(はながら:咲き終わった花のこと)はすべてこの色に変色するようだ。
だから「いかにも枯れた」という色ではないので、花と花殻が混ざっていてもあまり気にならない。もっと多く花の種類があったのかもしれないが、こんなにたくさんのジャーマンアイリスを見たのは初めてなので充分に満足した。
こちらはツートンのジャーマンアイリス。
紫色系のツートンは色の対比が鮮やかできれい。
こんな色の組み合わせがあるのもジャーマンアイリスならでは。
ジャーマンアイリスのビニールハウスは10棟ほどで丸屋根。こちらは平たい屋根のビニールハウスで別の花が育てられている。
ジャーマンアイリスばかり見ていると飽きてくるのでいい箸休め。これはアルストロメリアという花。日本名は百合水仙。見た目にユリとの共通性はあってもスイセンには似ていないと思うけれど。
ここは夜に暖房を入れているのか少し石油の匂いがした。それと壁部分が取り払われて屋根だけになっているジャーマンアイリスのハウスと違って、壁も少し残されているので暑かった。
全体の色にかかわらず、短い筋模様が出る部分は花びらが黄色になるようである。ピンクの花の筋模様を見ているとキツネに見えてくる(^^ゞ
ハウス内で鉢植えも売られているし、メダカの横で切り花も売られていた。
アルストロメリアのハウスはそのまま売店につながっている。
日陰になっているベンチで休憩。お客さんは私以外に6〜7組程度。最盛期を過ぎているのでノンビリしたムード。ゆっくりと花を見て回ることができた。ハウス内で花の列の間の通路は狭いので、混んでいたらけっこう大変かも。
駐車場に戻る途中にもいくつか植物が植えられている。
ポピー。
シャクナゲ。
4月終わりに見てきた高蔵寺のシャクナゲより勢いがあったかも。
津久井湖城山公園で先週見たルピナスも少しだけ。
石橋あやめ園で1時間少々過ごした後、次の目的地へ向かう。
ーーー続く
和種のアヤメ類を植えている公園はたくさんあるが、ジャーマンアイリスとなると数は少ない。それなりの規模で、かつ日帰りツーリングの範囲内にあるのは3カ所しか見つけられなかった。今回はその中で一番近い栃木県の宇都宮近郊にある石橋あやめ園。残り2つは軽井沢の近くと福島県の白河。千葉にもいくつかあるようだが規模は小さいみたい。
ツーリングでこんなに広い範囲の地図を載せるのは久し振りかな。
石橋あやめ園までのルートはシンプルで、首都高で都心部を抜け東北自動車道に入り北上、栃木都賀ジャンクションで北関東自動車道に乗り換えて東に進む。そこから2つめの壬生(みぶ)インターで降りて7〜8キロ。壬生インターを降りた先の地名は「おもちゃのまち」。ニックネームではなくそれが正式な地名。おもちゃ工場が多いらしくバンダイの博物館もある。その住所は「栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20」と楽しそう。
午前10時前に出発。このところの暑さはひと休みで、気温は20度とやや低めだった。北に向かうともっと寒くなるのかと心配したが、時間と共に26度くらいまで上昇。渋滞もなく12時前に石橋あやめ園到着。
駐車場の先の池を越えたところが石橋あやめ園。
のどかでいい光景。ただし写真にじゃまな電線あり(/o\)
入口で売られていたメダカ。
5匹入りで500円。高っ!
隣の1000円の楊貴妃というのはメダカを観賞用に品種改良したものらしい。まったく知らなかったが、この専門店ページには57種類の観賞用メダカが載っている。
石橋あやめ園は公園ではなくジャーマンアイリスの生産と販売をしている農園。シーズン中はこのビニールハウスにあるものを選んで買うことができる。入園料はなく見るだけなら無料である。
ジャーマンアイリスはヨーロッパ産のアヤメ類を観賞用に品種改良したもの。ただしジャーマンアイリスあるいはドイツアヤメと、ドイツをつけた名前で呼ぶのは日本だけらしい。ベースとなったのはゲルマニカという品種でドイツやフランスで品種改良が始まったが、その後に多くの品種が開発されたのはアメリカとのこと。
一目見ればアヤメの仲間だとわかるが、
和種のものよりゴージャスな印象で花のサイズも大きい。
6枚ある花びらは、3枚が上に立ち上がり3枚が横に広がる。下の花びらには毛虫みたいなものが乗っかっているのが特徴。この毛虫も花びらの一部らしい。知らなかったらドッキリするね。
色数が豊富なのもジャーマンアイリスの特徴。
この2つは色は同じだが花びらの模様が微妙に異なる。
フリンジといって花びらの縁がギザギザになったジャーマンアイリス。チューリップでもそうだが、なぜかフリンジのあるものが好き。いろんな花をフリンジに品種改良して欲しい。
フリンジだけエコヒイキしてツボミも撮影。
すべての品種の名前が表示されているが、数が多いので名前までは写真には撮らなかった。石橋あやめ園では200種類くらいのジャーマンアイリスを栽培しているらしい。
石橋あやめ園は線路沿いにある立地。高架の上が東北新幹線で下に在来線が走っている。電車が通ると少しうるさいが、そんなに頻繁には来ない。
基本的にはハウス栽培のようだが、ハウスの外にも少し植えられていた。
時期的には1週間ほど遅かったかな。花が終わったジャーマンアイリスはこんな感じになる。不思議なことに花の色にかかわらず、花殻(はながら:咲き終わった花のこと)はすべてこの色に変色するようだ。
だから「いかにも枯れた」という色ではないので、花と花殻が混ざっていてもあまり気にならない。もっと多く花の種類があったのかもしれないが、こんなにたくさんのジャーマンアイリスを見たのは初めてなので充分に満足した。
こちらはツートンのジャーマンアイリス。
紫色系のツートンは色の対比が鮮やかできれい。
こんな色の組み合わせがあるのもジャーマンアイリスならでは。
ジャーマンアイリスのビニールハウスは10棟ほどで丸屋根。こちらは平たい屋根のビニールハウスで別の花が育てられている。
ジャーマンアイリスばかり見ていると飽きてくるのでいい箸休め。これはアルストロメリアという花。日本名は百合水仙。見た目にユリとの共通性はあってもスイセンには似ていないと思うけれど。
ここは夜に暖房を入れているのか少し石油の匂いがした。それと壁部分が取り払われて屋根だけになっているジャーマンアイリスのハウスと違って、壁も少し残されているので暑かった。
全体の色にかかわらず、短い筋模様が出る部分は花びらが黄色になるようである。ピンクの花の筋模様を見ているとキツネに見えてくる(^^ゞ
ハウス内で鉢植えも売られているし、メダカの横で切り花も売られていた。
アルストロメリアのハウスはそのまま売店につながっている。
日陰になっているベンチで休憩。お客さんは私以外に6〜7組程度。最盛期を過ぎているのでノンビリしたムード。ゆっくりと花を見て回ることができた。ハウス内で花の列の間の通路は狭いので、混んでいたらけっこう大変かも。
駐車場に戻る途中にもいくつか植物が植えられている。
ポピー。
シャクナゲ。
4月終わりに見てきた高蔵寺のシャクナゲより勢いがあったかも。
津久井湖城山公園で先週見たルピナスも少しだけ。
石橋あやめ園で1時間少々過ごした後、次の目的地へ向かう。
ーーー続く
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2016年04月30日
高蔵寺のシャクナゲ
ゴールデンウイークのツーリングは今のところノープラン。渋滞するからあまり遠くに出かけるつもりもない。それで本日は突然思いついて東京都町田市にある高蔵寺(こうぞうじ)にシャクナゲを見に行ってきた。
今年は冬の前半がとても暖冬だったので、春の花はどれも10日から半月くらい早くピークを迎えているようだ。例年ならツツジはゴールデンウイークが最盛期のはずが、東京近郊はもう見頃過ぎの模様。シャクナゲはツツジの仲間であるが、ツツジより咲くのがワンテンポ遅れるからそれに期待して。
ところでツツジと違ってシャクナゲの名所というのはあまり多くない。近場だと神代植物園と高蔵寺しか見つけられなかった。それでたまにはお寺参りもよかろうと高蔵寺に出かけてきた。別名シャクナゲ寺と呼ばれているらしい。
高蔵寺は東京都道3号線、通称世田谷通りと呼ばれる道路の小田急線・鶴川駅付近から少し南に下がったあたりにある。自宅からは環七〜世田谷通りと走ったほうが距離は短いが、世田谷通りはよく渋滞するので、環七〜国道246号〜神奈川県道12号というルートで向かった。これが正解で12号線は周りに高い建物がない開放感抜群の道路だった。246号とは田園都市線あざみ野駅の先あたりで分離する。こんな場所にこんな田舎っぽいエリアが残っていたのかと驚いた。
高蔵寺に隣接する葬儀会館の駐車場にバイクを駐める。
山門(入口)。右側にシャクナゲが咲いている。一番多く咲いていたのがこの場所だった。
真言宗のお寺。
足利将軍家ゆかりの寺で650年ほどの歴史があるらしい。
短い階段を上ると、口を開いた阿形(あぎょう)と口を結んだ吽形(うんぎょう)がお出迎え? 金剛力士像はたいてい山門の中に設置されている。こういうオープンエアな銅像タイプは珍しいと思う。
こちらは真言宗開祖の空海・弘法大師。
他にもいくつかの銅像があり、高蔵寺は銅像が好きみたいだ。
本堂の横に分かれ道。
ふしぎな場所というのに好奇心をそそられたが、まずはシャクナゲ苑を目指す。
周りは普通の住宅街なのに、
まるで別世界のように鬱蒼(うっそう)と木々が生い茂っている。
とはいってもこぢんまりとしたお寺。
30秒で目的地到着。
やっぱりもう最盛期は過ぎたみたい(/o\)
ある程度まとまって花が残っているところもあったが、痛んだモノも多いのでキレイな花を選んでアップで撮影。シャクナゲは大きな花で、その大きさに元気を感じられて好きなのだが、ここのはそれほど大きくなかった。
シャクナゲはツボミも迫力がある。
これは白いシャクナゲのつぼみで、白はまだこれからも咲くみたいだ。
こちらはボタン。
これもボタンだと思うが、真ん中まで花びらで埋まっているから違うのかな。
正体不明なれど何かの花が咲き終わった形跡。これはかなりたくさんあった。
春なのに紅葉しているモミジ。
青いモミジをみるのがけっこう好き。高蔵寺は秋には紅葉でも有名らしい。
シャクナゲ苑を見終えて、
興味津々のふしぎな場所へ向かう。
ふしぎ・その1は樫と椿の木が絡まったもの。
看板に書かれていた通り、これに足を載せて、
これを握ってみた。
ビビッと身体に何か流れるかと期待したが特に何も起こらず(^^ゞ
この仏具と木はヒモで結ばれている。やっぱり電線のほうがいいんじゃない?
ふしぎ・その2は龍の形をした流木。目のところに入れてあるのはミカンじゃなくて金属製のもの。龍の姿は何となくお茶目(^^ゞ
本堂に戻る。
改修工事中ということで閉鎖されていた。
隣にある仮本堂は扉が少し開いて仏像が見えるようになっている。
心の中で南無阿弥陀仏と唱えるが、あっ!ここは真言宗。
本堂の横にも庭というか散策コースのようなものがある。
滝があったり水車が回っていたり。
そこで本日の大発見! 青いモミジの葉の下に、赤い花のようなものがたくさんぶら下がっている。雄しべや雌しべはないから花ではないようだが。
後で調べてみると、これは花が咲いた後にできるモミジの種。ずいぶんと薄っぺらいが、これが茎から離れてクルクルとプロペラのように回って遠くまで飛んでいくらしい。植物だから花を咲かせて種を作っても不思議ではないが、今までモミジにそんなイメージを持っていなかったのですごく意外だった
この可憐な花はたぶん「みやこわすれ」。
鎌倉幕府と朝廷が対立した承久の乱で、敗れて佐渡に流された順徳上皇が「この花を見ると都のことを忘れられる」といったのでその名前がついたとか。ところでこの「みやこわすれ」のエピソードに最近(たぶん3ヶ月以内)どこかで接した記憶があるのだけれど、それが何だったかまったく思い出せない。昔のことはよく覚えているのに(/o\)
築山のようなところが散策路になっている。
大きなボタンがいくつか残っていた。
これはたぶん「ケマンソウ」。鯛が釣り竿にぶら下がっているみたいだから別名「タイツリソウ(鯛釣り草)」とも呼ばれる。華鬘(けまん)は仏教の装飾品だからお寺に植えてあるのかも。
他には塔やお地蔵さんをみたりして高蔵寺を後にする。
広くはないが見所たくさんなお寺だった。
もう1週間早く来たら咲き乱れるシャクナゲを見られたかも。
世田谷通りは東京方向が超渋滞していたので、往きと同じく246号で帰ってきた。午後1時に出発して帰宅が4時半のお手軽ツーリング。走行は55キロ。近場で楽しめるところをもっと探そうかな。
今年は冬の前半がとても暖冬だったので、春の花はどれも10日から半月くらい早くピークを迎えているようだ。例年ならツツジはゴールデンウイークが最盛期のはずが、東京近郊はもう見頃過ぎの模様。シャクナゲはツツジの仲間であるが、ツツジより咲くのがワンテンポ遅れるからそれに期待して。
ところでツツジと違ってシャクナゲの名所というのはあまり多くない。近場だと神代植物園と高蔵寺しか見つけられなかった。それでたまにはお寺参りもよかろうと高蔵寺に出かけてきた。別名シャクナゲ寺と呼ばれているらしい。
高蔵寺は東京都道3号線、通称世田谷通りと呼ばれる道路の小田急線・鶴川駅付近から少し南に下がったあたりにある。自宅からは環七〜世田谷通りと走ったほうが距離は短いが、世田谷通りはよく渋滞するので、環七〜国道246号〜神奈川県道12号というルートで向かった。これが正解で12号線は周りに高い建物がない開放感抜群の道路だった。246号とは田園都市線あざみ野駅の先あたりで分離する。こんな場所にこんな田舎っぽいエリアが残っていたのかと驚いた。
高蔵寺に隣接する葬儀会館の駐車場にバイクを駐める。
山門(入口)。右側にシャクナゲが咲いている。一番多く咲いていたのがこの場所だった。
真言宗のお寺。
足利将軍家ゆかりの寺で650年ほどの歴史があるらしい。
短い階段を上ると、口を開いた阿形(あぎょう)と口を結んだ吽形(うんぎょう)がお出迎え? 金剛力士像はたいてい山門の中に設置されている。こういうオープンエアな銅像タイプは珍しいと思う。
こちらは真言宗開祖の空海・弘法大師。
他にもいくつかの銅像があり、高蔵寺は銅像が好きみたいだ。
本堂の横に分かれ道。
ふしぎな場所というのに好奇心をそそられたが、まずはシャクナゲ苑を目指す。
周りは普通の住宅街なのに、
まるで別世界のように鬱蒼(うっそう)と木々が生い茂っている。
とはいってもこぢんまりとしたお寺。
30秒で目的地到着。
やっぱりもう最盛期は過ぎたみたい(/o\)
ある程度まとまって花が残っているところもあったが、痛んだモノも多いのでキレイな花を選んでアップで撮影。シャクナゲは大きな花で、その大きさに元気を感じられて好きなのだが、ここのはそれほど大きくなかった。
シャクナゲはツボミも迫力がある。
これは白いシャクナゲのつぼみで、白はまだこれからも咲くみたいだ。
こちらはボタン。
これもボタンだと思うが、真ん中まで花びらで埋まっているから違うのかな。
正体不明なれど何かの花が咲き終わった形跡。これはかなりたくさんあった。
春なのに紅葉しているモミジ。
青いモミジをみるのがけっこう好き。高蔵寺は秋には紅葉でも有名らしい。
シャクナゲ苑を見終えて、
興味津々のふしぎな場所へ向かう。
ふしぎ・その1は樫と椿の木が絡まったもの。
看板に書かれていた通り、これに足を載せて、
これを握ってみた。
ビビッと身体に何か流れるかと期待したが特に何も起こらず(^^ゞ
この仏具と木はヒモで結ばれている。やっぱり電線のほうがいいんじゃない?
ふしぎ・その2は龍の形をした流木。目のところに入れてあるのはミカンじゃなくて金属製のもの。龍の姿は何となくお茶目(^^ゞ
本堂に戻る。
改修工事中ということで閉鎖されていた。
隣にある仮本堂は扉が少し開いて仏像が見えるようになっている。
心の中で南無阿弥陀仏と唱えるが、あっ!ここは真言宗。
本堂の横にも庭というか散策コースのようなものがある。
滝があったり水車が回っていたり。
そこで本日の大発見! 青いモミジの葉の下に、赤い花のようなものがたくさんぶら下がっている。雄しべや雌しべはないから花ではないようだが。
後で調べてみると、これは花が咲いた後にできるモミジの種。ずいぶんと薄っぺらいが、これが茎から離れてクルクルとプロペラのように回って遠くまで飛んでいくらしい。植物だから花を咲かせて種を作っても不思議ではないが、今までモミジにそんなイメージを持っていなかったのですごく意外だった
この可憐な花はたぶん「みやこわすれ」。
鎌倉幕府と朝廷が対立した承久の乱で、敗れて佐渡に流された順徳上皇が「この花を見ると都のことを忘れられる」といったのでその名前がついたとか。ところでこの「みやこわすれ」のエピソードに最近(たぶん3ヶ月以内)どこかで接した記憶があるのだけれど、それが何だったかまったく思い出せない。昔のことはよく覚えているのに(/o\)
築山のようなところが散策路になっている。
大きなボタンがいくつか残っていた。
これはたぶん「ケマンソウ」。鯛が釣り竿にぶら下がっているみたいだから別名「タイツリソウ(鯛釣り草)」とも呼ばれる。華鬘(けまん)は仏教の装飾品だからお寺に植えてあるのかも。
他には塔やお地蔵さんをみたりして高蔵寺を後にする。
広くはないが見所たくさんなお寺だった。
もう1週間早く来たら咲き乱れるシャクナゲを見られたかも。
世田谷通りは東京方向が超渋滞していたので、往きと同じく246号で帰ってきた。午後1時に出発して帰宅が4時半のお手軽ツーリング。走行は55キロ。近場で楽しめるところをもっと探そうかな。
wassho at 23:17|Permalink│Comments(0)│
2014年05月02日
あしかがフラワーパークで藤とツツジと
金曜日だけれどゴールデンウイーク休みにしてバイクツーリング。栃木県足利市にある「あしかがフラワーパーク」に行き、その後は赤城山まで走ってきた。何度も書くがネーミングが平仮名だと文章の中で紛らわしく括弧とかが必要で面倒。ここの話じゃないが、なんとなく関西は平仮名のネーミングが多いように思う。
去年は埼玉県春日部市にある牛島の藤(うしじまのふじ)を訪れ巨大な藤棚にビックリした。牛島の藤を何で知ったかは思い出せないのだが、足利フラワーパークについては牛島の藤で知った。
ベンチで休憩していた時に聞こえてきた女性二人の会話。
女A「奥さん、ここ素晴らしいわ、連れてきてくれてありがとう」
女B「ここより足利フラワーパークはもっとすごいのよ。今度行きましょうね」
その後にネットで調べてウアォ!と思い、今年のシーズンを楽しみにしていたのが、このツーリングのいきさつ。
実は先日「おおた芝桜まつり」の駐車場で話を交わしたライダーが、そこに来る前に足利フラワーパークに寄ってきたと言っていた。その時はハシゴが好きな人だなあと思っていた程度だったが、本日のために場所を調べてビックリ。あしかがフラワーパークはおおた芝桜まつりが開催されている太田市北部運動公園と直線距離で15キロ程度しか離れていない。似たような場所にあるとは何となくわかっていたものの、こんなに近いとは。しかし彼は「白い藤はまだあまり咲いていない」といっていたから1週間たった今日でよかったかも。
ゴールデンウイークだから何となく遠くに行ってきた感を味わいたくて、やたら広い範囲の地図を載せてみる。第2目的地の赤城山は日本海までの中間当たりである。往きのルートは先日とほぼ同じ。首都高山手トンネル経由で、東北自動車道に乗り佐野藤岡インターで降りる。出発は午前7時で今回は渋滞皆無。
インターを降りて国道50号線で足利パークに向かう。これが相当にいい道。道路の両サイドに高い建物がなくスパーンと開放感たっぷり。まあ地元の人はそんなこと思わずに毎日走っているのだろうが。それと水田も多くて緑がまぶしい。??? まだ田植え前のシーズンだぞ。バイクを降りて確かめたわけじゃないものの、どうやら麦を育ているみたい。麦畑は初めて見た気がする。
50号線から県道に入り、さらに足利フラワーパーク近くまで来ると、まだ朝早いのにかなりの渋滞。それとパークのずいぶんと手前から臨時駐車場が設けられている。そこからだと歩いて20〜30分くらいかかるように思える距離。クルマの横をすり抜けて先に進む。
バイクや自転車の駐車場(というかただの路肩)は正面入り口近くで便利。クルマだと裏門の西口から入ることになる。誘導の係員が自転車を写真の右の奥に押しやって、ここに駐めろと言うからビックリしたが、この周りに置いてあるのはほとんど従業員の自転車らしい。係員は仕事も的確で親切な人が多かった。なお地面が柔らかいから、バイクのスタンドの下に敷く板などを持っていったほうがいい。ここが無料なのは当然としてクルマも無料。
ゲートは門ではなく建物で中に入ると売店になっている。つまり売店を通らずには帰さない仕組みである。なお手前に写っている藤は造花。
入場は午前9時5分。
園内に出たところ。(日本語的におかしい?)
無料写真サービスをやっていた。その場でプリントしてくれる。
ゆるキャラ。
足利学校とは室町時代あたりにできた日本で最初の大学みたいなものだったっけ? このゆるキャラのかぶり物は外が見えないようで、付き添いの係員に「そこを右」とか「10歩まっすぐ」とかアシストされていた。
なぜかここではトイレの表示にすべて水洗トイレと明記されている。
水洗以外のトイレの看板はなかったから、なぜわざわざ水洗と書き加えるのかナゾ。
園内マップ。広さは9.2ヘクタールとそこそこの規模。
書き忘れたが入園料は1700円もする。メールマガジン登録をすると100円割引券のページにアクセスできるので持っていった。ただしプリントアウトが必要。
とりあえず藤の木。
白い藤も満開。
藤を見に行ったのに「とりあえず」とはーーー。
ここの前身は藤を育てる農園だったらしくメインはもちろん藤の花。しかし1997年にこの地に移ってからはフラワーパークと名乗っているだけあって、園内には様々な花が咲いている。藤の花しか頭になく来てみたら、他の花の美しさにも感激して、でも花の写真の最初はやっぱり藤でしょとこだわったのが「とりあえず」の理由。
咲き誇るーーーの表現がまさにふさわしかったのがツツジ。
これだけを見たとしても、ここに来る価値がある。
ツツジの仲間であるシャクナゲもたくさん咲いていた。
大きくてド派手。これだけを見たとしても、ここに来る価値がある(^^ゞ
これが
こうなって、その後に花になる。
ツボミの段階で貫禄の存在感。
ちなみに日本美人の様を表すのは「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」で、名前は似ていてもシャクナゲではないので要注意。老夫婦のご主人が「さすがにキレイだな。立てばシャクナゲというだけある」とつぶやいて奥さんに「あなた、違うでしょ」と叱られているのを目撃(^^ゞ
それでこのツツジやシャクナゲが藤の花と一緒になって、
気絶しそうなくらいの光景なのである。
写真でどれだけ伝わったかは自信がないけれど、
まだしばらくは咲いていると思うから気絶したくなったら現地に行ってください。
藤といえば藤棚がお約束。
足利フラワーパークには大小あわせて10カ所の藤棚がある。
これは淡いピンク色の藤棚で池のまわりのテラス席のようになっている。
藤棚の下に入って。
足利フラワーパークのトレードマークである樹齢145年の大藤。
1000平米で600畳の広さを誇る。写真に収まったのは1/2で程度で右側に残り半分が広がっている。移転当時の約20年前はわずか72平米だったというから驚く。ちなみに牛島の藤は約500平米で樹齢は自称?1200年。
ところで上の写真の右の方でモデル立ちポーズをとっている、赤い服を着た女性は中国人の観光客。中国人はそこそこいて、あまり年齢に関係なく女性が写真に撮られる時は、ちょっと気取ったポーズをする人が多いのを発見した。逆にピースサインをする人は見なかった。
72平米といえば家一軒分くらいの広さだから、
それを移転移植したとはすごいね。
真ん中にいる人はボランティア?の説明員さん。自分と同じようにこの藤は老木なので肥料を与えすぎてはいけないとジョークを言っていた。
藤棚の下はいい香りが漂っている。大きなクマバチ(クマンバチ)がたくさん飛んでいてビビる。でも花の蜜に夢中で刺される心配はない。
上の2枚の写真は地面近くからあおって撮っている=藤棚の上から差し込む太陽で逆光になるというかハレーションを起こすというか、結果としてキラキラと幻想的に写っている。下の写真は目の高さ当たりからの撮影で、実際の見た目はこんな感じ。
うす紅橋と名付けられた藤棚。奥の白い藤が、池に写って「逆さ藤」になっている。
ツツジの多いエリアにある「むらさき藤棚」と名付けられた小振りの藤棚。
足利フラワーパークの藤棚で唯一残念なのは、藤棚が鉄パイプで組まれていること。牛島の藤は竹製だった。現地にいると藤の花に目がいってあまり気にならないとはいえ、写真で見るとなんとなく興醒め。改善を望みたい。
きばな藤のトンネル。
藤はピンク→紫→白→黄色の順で咲く。なのでまだトンネルには至らず。
もっとも黄花藤はキングサリとよばれる植物で藤とは別物。
これは別のところにあった一本立ちのきばな藤。
まるでブドウのように見えるのは八重藤の棚。
これは今まで見たことがなかった。
ご覧のように八重藤の花の房は短い。
ただし香りは断トツに濃厚。
白藤の滝と名付けられたフェンス。
いいアイデアなのだが密度が不足気味。手前の一本立ちの白藤と較べれば違いが一目瞭然。まだ育成途中なのかな。このフェンスの紫藤版もあったが写真を撮り忘れた。
大長藤の藤棚。
花房の長さが1.8メートルとの説明だが、それほど長いとは感じなかった。牛島の藤は最長2.7メートルといわれる。その藤棚の下では腰をかがめなければならなかったのに、足利フラワーパークでは普通に歩ける。もっともそれは枝の高さが関係してくるけれど、どの程度だったかは記憶がない。
それはともかく青空と藤の花の対比が美しい。
白藤のトンネル。
全長約80メートル。紫の藤は幻想的で白い藤はすがすがしい印象。そのせいか香りも甘さ控えめできりっとしているように思える。
藤の花のアップ。上から垂れ下がっているので花が揺れるし、
サイズも小さいからピントがなかなか合わない。
ピンク。もう少し白に近いピンクもあった。
白。ピンぼけだからクリックで拡大しないで(^^ゞ
紫&薄紫。紫一色もあったが撮り忘れる。
黄色。藤じゃないから、よく見ると花の形が違うね。
ーーー当分続く
去年は埼玉県春日部市にある牛島の藤(うしじまのふじ)を訪れ巨大な藤棚にビックリした。牛島の藤を何で知ったかは思い出せないのだが、足利フラワーパークについては牛島の藤で知った。
ベンチで休憩していた時に聞こえてきた女性二人の会話。
女A「奥さん、ここ素晴らしいわ、連れてきてくれてありがとう」
女B「ここより足利フラワーパークはもっとすごいのよ。今度行きましょうね」
その後にネットで調べてウアォ!と思い、今年のシーズンを楽しみにしていたのが、このツーリングのいきさつ。
実は先日「おおた芝桜まつり」の駐車場で話を交わしたライダーが、そこに来る前に足利フラワーパークに寄ってきたと言っていた。その時はハシゴが好きな人だなあと思っていた程度だったが、本日のために場所を調べてビックリ。あしかがフラワーパークはおおた芝桜まつりが開催されている太田市北部運動公園と直線距離で15キロ程度しか離れていない。似たような場所にあるとは何となくわかっていたものの、こんなに近いとは。しかし彼は「白い藤はまだあまり咲いていない」といっていたから1週間たった今日でよかったかも。
ゴールデンウイークだから何となく遠くに行ってきた感を味わいたくて、やたら広い範囲の地図を載せてみる。第2目的地の赤城山は日本海までの中間当たりである。往きのルートは先日とほぼ同じ。首都高山手トンネル経由で、東北自動車道に乗り佐野藤岡インターで降りる。出発は午前7時で今回は渋滞皆無。
インターを降りて国道50号線で足利パークに向かう。これが相当にいい道。道路の両サイドに高い建物がなくスパーンと開放感たっぷり。まあ地元の人はそんなこと思わずに毎日走っているのだろうが。それと水田も多くて緑がまぶしい。??? まだ田植え前のシーズンだぞ。バイクを降りて確かめたわけじゃないものの、どうやら麦を育ているみたい。麦畑は初めて見た気がする。
50号線から県道に入り、さらに足利フラワーパーク近くまで来ると、まだ朝早いのにかなりの渋滞。それとパークのずいぶんと手前から臨時駐車場が設けられている。そこからだと歩いて20〜30分くらいかかるように思える距離。クルマの横をすり抜けて先に進む。
バイクや自転車の駐車場(というかただの路肩)は正面入り口近くで便利。クルマだと裏門の西口から入ることになる。誘導の係員が自転車を写真の右の奥に押しやって、ここに駐めろと言うからビックリしたが、この周りに置いてあるのはほとんど従業員の自転車らしい。係員は仕事も的確で親切な人が多かった。なお地面が柔らかいから、バイクのスタンドの下に敷く板などを持っていったほうがいい。ここが無料なのは当然としてクルマも無料。
ゲートは門ではなく建物で中に入ると売店になっている。つまり売店を通らずには帰さない仕組みである。なお手前に写っている藤は造花。
入場は午前9時5分。
園内に出たところ。(日本語的におかしい?)
無料写真サービスをやっていた。その場でプリントしてくれる。
ゆるキャラ。
足利学校とは室町時代あたりにできた日本で最初の大学みたいなものだったっけ? このゆるキャラのかぶり物は外が見えないようで、付き添いの係員に「そこを右」とか「10歩まっすぐ」とかアシストされていた。
なぜかここではトイレの表示にすべて水洗トイレと明記されている。
水洗以外のトイレの看板はなかったから、なぜわざわざ水洗と書き加えるのかナゾ。
園内マップ。広さは9.2ヘクタールとそこそこの規模。
書き忘れたが入園料は1700円もする。メールマガジン登録をすると100円割引券のページにアクセスできるので持っていった。ただしプリントアウトが必要。
とりあえず藤の木。
白い藤も満開。
藤を見に行ったのに「とりあえず」とはーーー。
ここの前身は藤を育てる農園だったらしくメインはもちろん藤の花。しかし1997年にこの地に移ってからはフラワーパークと名乗っているだけあって、園内には様々な花が咲いている。藤の花しか頭になく来てみたら、他の花の美しさにも感激して、でも花の写真の最初はやっぱり藤でしょとこだわったのが「とりあえず」の理由。
咲き誇るーーーの表現がまさにふさわしかったのがツツジ。
これだけを見たとしても、ここに来る価値がある。
ツツジの仲間であるシャクナゲもたくさん咲いていた。
大きくてド派手。これだけを見たとしても、ここに来る価値がある(^^ゞ
これが
こうなって、その後に花になる。
ツボミの段階で貫禄の存在感。
ちなみに日本美人の様を表すのは「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」で、名前は似ていてもシャクナゲではないので要注意。老夫婦のご主人が「さすがにキレイだな。立てばシャクナゲというだけある」とつぶやいて奥さんに「あなた、違うでしょ」と叱られているのを目撃(^^ゞ
それでこのツツジやシャクナゲが藤の花と一緒になって、
気絶しそうなくらいの光景なのである。
写真でどれだけ伝わったかは自信がないけれど、
まだしばらくは咲いていると思うから気絶したくなったら現地に行ってください。
藤といえば藤棚がお約束。
足利フラワーパークには大小あわせて10カ所の藤棚がある。
これは淡いピンク色の藤棚で池のまわりのテラス席のようになっている。
藤棚の下に入って。
足利フラワーパークのトレードマークである樹齢145年の大藤。
1000平米で600畳の広さを誇る。写真に収まったのは1/2で程度で右側に残り半分が広がっている。移転当時の約20年前はわずか72平米だったというから驚く。ちなみに牛島の藤は約500平米で樹齢は自称?1200年。
ところで上の写真の右の方でモデル立ちポーズをとっている、赤い服を着た女性は中国人の観光客。中国人はそこそこいて、あまり年齢に関係なく女性が写真に撮られる時は、ちょっと気取ったポーズをする人が多いのを発見した。逆にピースサインをする人は見なかった。
72平米といえば家一軒分くらいの広さだから、
それを移転移植したとはすごいね。
真ん中にいる人はボランティア?の説明員さん。自分と同じようにこの藤は老木なので肥料を与えすぎてはいけないとジョークを言っていた。
藤棚の下はいい香りが漂っている。大きなクマバチ(クマンバチ)がたくさん飛んでいてビビる。でも花の蜜に夢中で刺される心配はない。
上の2枚の写真は地面近くからあおって撮っている=藤棚の上から差し込む太陽で逆光になるというかハレーションを起こすというか、結果としてキラキラと幻想的に写っている。下の写真は目の高さ当たりからの撮影で、実際の見た目はこんな感じ。
うす紅橋と名付けられた藤棚。奥の白い藤が、池に写って「逆さ藤」になっている。
ツツジの多いエリアにある「むらさき藤棚」と名付けられた小振りの藤棚。
足利フラワーパークの藤棚で唯一残念なのは、藤棚が鉄パイプで組まれていること。牛島の藤は竹製だった。現地にいると藤の花に目がいってあまり気にならないとはいえ、写真で見るとなんとなく興醒め。改善を望みたい。
きばな藤のトンネル。
藤はピンク→紫→白→黄色の順で咲く。なのでまだトンネルには至らず。
もっとも黄花藤はキングサリとよばれる植物で藤とは別物。
これは別のところにあった一本立ちのきばな藤。
まるでブドウのように見えるのは八重藤の棚。
これは今まで見たことがなかった。
ご覧のように八重藤の花の房は短い。
ただし香りは断トツに濃厚。
白藤の滝と名付けられたフェンス。
いいアイデアなのだが密度が不足気味。手前の一本立ちの白藤と較べれば違いが一目瞭然。まだ育成途中なのかな。このフェンスの紫藤版もあったが写真を撮り忘れた。
大長藤の藤棚。
花房の長さが1.8メートルとの説明だが、それほど長いとは感じなかった。牛島の藤は最長2.7メートルといわれる。その藤棚の下では腰をかがめなければならなかったのに、足利フラワーパークでは普通に歩ける。もっともそれは枝の高さが関係してくるけれど、どの程度だったかは記憶がない。
それはともかく青空と藤の花の対比が美しい。
白藤のトンネル。
全長約80メートル。紫の藤は幻想的で白い藤はすがすがしい印象。そのせいか香りも甘さ控えめできりっとしているように思える。
藤の花のアップ。上から垂れ下がっているので花が揺れるし、
サイズも小さいからピントがなかなか合わない。
ピンク。もう少し白に近いピンクもあった。
白。ピンぼけだからクリックで拡大しないで(^^ゞ
紫&薄紫。紫一色もあったが撮り忘れる。
黄色。藤じゃないから、よく見ると花の形が違うね。
ーーー当分続く
wassho at 23:06|Permalink│Comments(0)│
2013年05月03日
牛島の藤
ゴールデンウイークお花見ツーリング第2弾は藤棚を見てきた。牛島とは藤棚の所在地である埼玉県春日部市にある地名。だから牛島にある藤という意味なのだが、国の特別天然記念物に指定されている有名な藤だから、牛島の藤と固有名詞扱いで呼ばれている。ちなみに最寄り駅はその藤に敬意を表してか「藤の牛島駅」と言葉の順序が逆さまになっている。
実を言うと、この日は牛島の藤を見に行くつもりではなかった。ゴールデンウイークに見頃を迎える花が3つあると前に書いたが、優先順位1位が先日のネモフィラで牛島の藤は3位だった。天候のこともあるし計画的に連休を過ごしているわけでもないから、行ける時に優先順位の高いものから見に行く作戦。でもーー
午前6時前起床。
優先順位第2位の花はちょっと遠方にあるから早起き。でも6時半頃ニュースで渋滞情報が流れる。この時点で既に40キロの報道。ぎっしりクルマが詰まった渋滞の生中継映像を見て戦意喪失(>_<) それで牛島の藤が繰り上げ当選。
地図はグーグルマップ。
牛島の藤も自宅から約60キロとそれなりに遠い。地図で「往き」と書いてある右側あたりは首都高中央環状線である。3年ほど前に渋谷・新宿間が開通して東京の西側から東北道や常磐道など東京の北側に入り口のある高速を利用する時は、混雑する都心中心部を避けられるようになって便利になった。来年には渋谷・品川間も開通して首都高湾岸線とも接続する。
でもバイクではほとんど利用したことがない。なぜかというと渋谷から新宿を超えて池袋の先まで、この区間の首都高中央環状線は地下トンネルだから。一度だけ試しに入ったがメチャクチャ暑い。しかしこの日は最低気温11度と真冬の冷え込み。それにネットで調べたらこの区間は渋滞なし。
というわけで首都高中央環状線地下トンネルに挑戦。雲が取れて日が差すのを待って午前8時45分出発。バイクの温度計は12.5度。首都高には富ヶ谷という入り口から入る。やっぱり暑い。しばらくして気温計は29.5度になった! もう少し暖かい日で渋滞していたら、やっぱりバイクでの利用は無理。
牛島の藤の最寄りインターチェンジは東北道の岩槻。中央環状線からは板橋ジャンクションで東に進んで首都高川口線に入るのが普通。でも板橋から先はいつも渋滞している。この日もジャンクションの分岐手前から渋滞していた。それでそのまま直進して首都高池袋線を走り美女木(びじょき)ジャンクションで東京外環状線を回るルートを選択。少し大回りになるが渋滞の中をすり抜けて走るのが面倒だった。
ジャンクションというのは高速道路同士が接続する場所。それで美女木ジャンクションにはなんと高速道路のくせに信号がある。普通は立体交差でぐるぐる回りながら接続する高速道路に乗り入れるものだが、そういう構造にするだけの土地がなかったらしい(>_<)
東北道に入ってからの渋滞は覚悟の上。でもすり抜け走行がイヤになって1つ手前の浦和インターで降りる。高速道路と並行して走る国道122号線はソコソコ空いていて得した気分。その後国道16号にでてからはかなりの渋滞で牛島の藤に着いたのは10時半頃。
正式名は藤花園というのかな。
それでパーラーサクランボというのはサクランボパフェとかを食べられるところではなくてパチンコ屋。藤棚とパチンコ屋の不思議な組み合わせ。
パーラーサクランボとBMW F800R。
パチンコ屋の駐車場って何となく治安的に心配だったけれど、戻ってきた時にイタズラとかの形跡はなし。
これが牛島の藤の入り口。駐車場のすぐ先にある。
ちなみに入園料は1000円とちょっと高い。
もうちょっと字の上手な人はいなかったの?
樹齢1200年。
2013年ー1200年=813年。鳴くよウグイス平安京(794年)だから、ここの藤は平安時代初期からあることになる。クレヨンしんちゃんの春日部が平安時代ってほとんど未開の荒野だったはずだから、まあ古い木だということは確かだとしても1200年というのはちょっとオーバーというか「言ったもの勝ち」な気がする。
それと牛島の藤は弘法大師が自ら植えたと伝えられている。もっとも弘法大師が杖で地面を叩いたら温泉が湧きでてきたとかいうアヤカリ伝説は全国に5000以上あるらしい。
こんな看板に園主として個人名が書いてあるのは珍しいし、すい子という名前も珍しい。
これが特別天然記念物の藤。
34メーター×14メーター。スイングパノラマでぎりぎり収まった。ちなみに植物で特別天然記念物に指定されているのは全国で30件。
こんな大きな藤を見るのは初めて。
園内には甘い香りが漂っている。同じ紫色が連想させるのかラベンダーの香りに近いような気がした。
藤棚の構造。
藤は一本立ちでもたくさん花をつけるが、こうして棚をつけると枝が横に延びて広がる。最初に誰が考えたんだろうね。
内部の様子。
古木だから根元は相当グルグル巻きになっている。この広い藤棚は2本の藤の木でできていた。
長い房が垂れ下がり、藤棚の内部は甘い香りが充満していてちょっと幻想的。
ただし中腰での見学が疲れる。
カメラのオートフォーカスは、レンズを動かしてコントラスト(色の濃淡)が一番ハッキリしたところをピントがあったと判断する。だから単色の白い花とかはピントが合いにくい。こういう同じような模様の繰り返しの場合も苦手みたいだ。液晶画面にはピントがあったマークが表示されていたのに、本日撮った写真のほとんどがピンぼけでちょっとガッカリ。
竹の棚と枝だと花。
この天然記念物の藤は紫と白のミックスの花だった。
これは別の藤棚。構造はこっちのほうがわかりやすい。
できるだけピントの合っているものを選んでアップの写真。
こういう大きな蜂が一杯いて、ちょっとビビる。
他の花いろいろ。
アヤメはかなり盛りを過ぎた感じ。アヤメとカキツバタとショウブはよく似た花。アヤメは花びらに虎のような模様がある。網目(あみめ)→アヤメと連想すると覚えやすい。カキツバタとショウブは花びらに、どっちかが白で、どっちかが黄色の模様がある。どっちがどっちか忘れた。
これはたぶんシャクナゲ。
これはたぶんツツジ。
なぜか白いツツジにピントがよく合っている。本日のメインじゃないのに。
ツツジとサツキもよく似ている。葉っぱがテカっているのがサツキだったように思うがあまり自信なし。ちなみにシャクナゲ、ツツジ、サツキは植物学的には近い品種。
マーガレット。
たぶん芝桜の1種。
以下は不明。
ところどころ小さな植え込みがあって他にもいろんな花が咲いていた。
敷地の一角に植えられていた竹。
藤棚を作るのに使うためかな。
かなり大きなタケノコ。
もう食べられない(^^ゞ
とっても大きなタケノコ!
相当に古そうな松。
松藤。
藤松。
これは天然記念物とは別の藤棚。
むこうは白×紫で、こっちは薄紫×紫。
牛島にはなかったが、もっとピンクがかった紫の藤もあったと思う。
こっちは白い藤。
これもなかなかきれい。
というわけで藤という渋めの花見。それほど広くない園内をぐるぐる回りながら2時間ほど目の保養。ここに付いた頃は気温も18度くらいに上がり、快晴で日差しもたっぷりでなかなか爽快な天候。
帰りは高速を使わず国道4号線でノンビリと郊外ツーリング。まだ埼玉の越谷や草加からもスカイツリーが見えた。上野、日本橋、新橋、品川と通って特に渋滞もなく自宅に戻ってきたのは午後3時前。やっぱり近場のツーリングにしてよかった。さて優先順位第2位をどうしようか?
実を言うと、この日は牛島の藤を見に行くつもりではなかった。ゴールデンウイークに見頃を迎える花が3つあると前に書いたが、優先順位1位が先日のネモフィラで牛島の藤は3位だった。天候のこともあるし計画的に連休を過ごしているわけでもないから、行ける時に優先順位の高いものから見に行く作戦。でもーー
午前6時前起床。
優先順位第2位の花はちょっと遠方にあるから早起き。でも6時半頃ニュースで渋滞情報が流れる。この時点で既に40キロの報道。ぎっしりクルマが詰まった渋滞の生中継映像を見て戦意喪失(>_<) それで牛島の藤が繰り上げ当選。
地図はグーグルマップ。
牛島の藤も自宅から約60キロとそれなりに遠い。地図で「往き」と書いてある右側あたりは首都高中央環状線である。3年ほど前に渋谷・新宿間が開通して東京の西側から東北道や常磐道など東京の北側に入り口のある高速を利用する時は、混雑する都心中心部を避けられるようになって便利になった。来年には渋谷・品川間も開通して首都高湾岸線とも接続する。
でもバイクではほとんど利用したことがない。なぜかというと渋谷から新宿を超えて池袋の先まで、この区間の首都高中央環状線は地下トンネルだから。一度だけ試しに入ったがメチャクチャ暑い。しかしこの日は最低気温11度と真冬の冷え込み。それにネットで調べたらこの区間は渋滞なし。
というわけで首都高中央環状線地下トンネルに挑戦。雲が取れて日が差すのを待って午前8時45分出発。バイクの温度計は12.5度。首都高には富ヶ谷という入り口から入る。やっぱり暑い。しばらくして気温計は29.5度になった! もう少し暖かい日で渋滞していたら、やっぱりバイクでの利用は無理。
牛島の藤の最寄りインターチェンジは東北道の岩槻。中央環状線からは板橋ジャンクションで東に進んで首都高川口線に入るのが普通。でも板橋から先はいつも渋滞している。この日もジャンクションの分岐手前から渋滞していた。それでそのまま直進して首都高池袋線を走り美女木(びじょき)ジャンクションで東京外環状線を回るルートを選択。少し大回りになるが渋滞の中をすり抜けて走るのが面倒だった。
ジャンクションというのは高速道路同士が接続する場所。それで美女木ジャンクションにはなんと高速道路のくせに信号がある。普通は立体交差でぐるぐる回りながら接続する高速道路に乗り入れるものだが、そういう構造にするだけの土地がなかったらしい(>_<)
東北道に入ってからの渋滞は覚悟の上。でもすり抜け走行がイヤになって1つ手前の浦和インターで降りる。高速道路と並行して走る国道122号線はソコソコ空いていて得した気分。その後国道16号にでてからはかなりの渋滞で牛島の藤に着いたのは10時半頃。
正式名は藤花園というのかな。
それでパーラーサクランボというのはサクランボパフェとかを食べられるところではなくてパチンコ屋。藤棚とパチンコ屋の不思議な組み合わせ。
パーラーサクランボとBMW F800R。
パチンコ屋の駐車場って何となく治安的に心配だったけれど、戻ってきた時にイタズラとかの形跡はなし。
これが牛島の藤の入り口。駐車場のすぐ先にある。
ちなみに入園料は1000円とちょっと高い。
もうちょっと字の上手な人はいなかったの?
樹齢1200年。
2013年ー1200年=813年。鳴くよウグイス平安京(794年)だから、ここの藤は平安時代初期からあることになる。クレヨンしんちゃんの春日部が平安時代ってほとんど未開の荒野だったはずだから、まあ古い木だということは確かだとしても1200年というのはちょっとオーバーというか「言ったもの勝ち」な気がする。
それと牛島の藤は弘法大師が自ら植えたと伝えられている。もっとも弘法大師が杖で地面を叩いたら温泉が湧きでてきたとかいうアヤカリ伝説は全国に5000以上あるらしい。
こんな看板に園主として個人名が書いてあるのは珍しいし、すい子という名前も珍しい。
これが特別天然記念物の藤。
34メーター×14メーター。スイングパノラマでぎりぎり収まった。ちなみに植物で特別天然記念物に指定されているのは全国で30件。
こんな大きな藤を見るのは初めて。
園内には甘い香りが漂っている。同じ紫色が連想させるのかラベンダーの香りに近いような気がした。
藤棚の構造。
藤は一本立ちでもたくさん花をつけるが、こうして棚をつけると枝が横に延びて広がる。最初に誰が考えたんだろうね。
内部の様子。
古木だから根元は相当グルグル巻きになっている。この広い藤棚は2本の藤の木でできていた。
長い房が垂れ下がり、藤棚の内部は甘い香りが充満していてちょっと幻想的。
ただし中腰での見学が疲れる。
カメラのオートフォーカスは、レンズを動かしてコントラスト(色の濃淡)が一番ハッキリしたところをピントがあったと判断する。だから単色の白い花とかはピントが合いにくい。こういう同じような模様の繰り返しの場合も苦手みたいだ。液晶画面にはピントがあったマークが表示されていたのに、本日撮った写真のほとんどがピンぼけでちょっとガッカリ。
竹の棚と枝だと花。
この天然記念物の藤は紫と白のミックスの花だった。
これは別の藤棚。構造はこっちのほうがわかりやすい。
できるだけピントの合っているものを選んでアップの写真。
こういう大きな蜂が一杯いて、ちょっとビビる。
他の花いろいろ。
アヤメはかなり盛りを過ぎた感じ。アヤメとカキツバタとショウブはよく似た花。アヤメは花びらに虎のような模様がある。網目(あみめ)→アヤメと連想すると覚えやすい。カキツバタとショウブは花びらに、どっちかが白で、どっちかが黄色の模様がある。どっちがどっちか忘れた。
これはたぶんシャクナゲ。
これはたぶんツツジ。
なぜか白いツツジにピントがよく合っている。本日のメインじゃないのに。
ツツジとサツキもよく似ている。葉っぱがテカっているのがサツキだったように思うがあまり自信なし。ちなみにシャクナゲ、ツツジ、サツキは植物学的には近い品種。
マーガレット。
たぶん芝桜の1種。
以下は不明。
ところどころ小さな植え込みがあって他にもいろんな花が咲いていた。
敷地の一角に植えられていた竹。
藤棚を作るのに使うためかな。
かなり大きなタケノコ。
もう食べられない(^^ゞ
とっても大きなタケノコ!
相当に古そうな松。
松藤。
藤松。
これは天然記念物とは別の藤棚。
むこうは白×紫で、こっちは薄紫×紫。
牛島にはなかったが、もっとピンクがかった紫の藤もあったと思う。
こっちは白い藤。
これもなかなかきれい。
というわけで藤という渋めの花見。それほど広くない園内をぐるぐる回りながら2時間ほど目の保養。ここに付いた頃は気温も18度くらいに上がり、快晴で日差しもたっぷりでなかなか爽快な天候。
帰りは高速を使わず国道4号線でノンビリと郊外ツーリング。まだ埼玉の越谷や草加からもスカイツリーが見えた。上野、日本橋、新橋、品川と通って特に渋滞もなく自宅に戻ってきたのは午後3時前。やっぱり近場のツーリングにしてよかった。さて優先順位第2位をどうしようか?
wassho at 17:22|Permalink│Comments(0)│