ジュール・ブルトン

2016年05月31日

黒田清輝展 生誕150年 日本近代絵画の巨匠

たぶん私にとって黒田清輝は、画家の名前と作品を一致して覚えた最初の日本人画家である。それは彼の代表作の「湖畔」という絵が子供の頃に記念切手になったから。私の世代で切手集めは一種の通過儀礼みたいなもので、私もそれなりに熱中していた。もっともすぐに飽きてしまったが、隣に住んでいた1歳年上のケンちゃんから教えてもらった、切手にまつわるエピソードは今でもよく覚えている。それは

   世界に2枚しかないという貴重な切手があった。
   あるコレクターが大金をはたいて、その切手を2枚とも購入した。
   彼は切手の価値をさらに上げるために、そのうちの1枚を皆の前で燃やした。

というもの。まだ小学校低学年だったと思うが、教科書では教えてくれない世の中の本当の仕組みを学んだのは、これが最初だったかもしれない。

話を「湖畔」に戻すと、それが印象的だったのは、当時の記念切手では着物の女性がデザインされている場合、芸者や舞妓をモデルにしたような古典的な日本画が一般的だった。でも湖畔はごく日常的なの光景が描かれている。子供心に「普通の絵のくせに切手になっている」というのが意外だったのだろう。
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その時は黒田清輝も湖畔も名前を知っていたわけではない。単に水色の浴衣の切手という認識。そして後に教科書的なもので「湖畔」を見て「あの切手の絵だ!」と再会。幼い時のいきさつがあったから、他の画家は忘れても彼と湖畔のことはしっかりと記憶に刻み込まれたというわけ。

それから月日が流れること30〜40年。ある時「智・感・情」という作品を知り、その作者が黒田清輝だった。「湖畔」の地味なイメージしかなかった黒田清輝だが「智・感・情」のような強烈な絵も描くんだと興味を持った。ところで黒田清輝の代表作の多くは、今回の展覧会を開催している、東京国立博物館の付属施設である黒田記念館に収められている。年に数回の一般公開があり、つまり期間は限定されるがいつでも見られる。いつでも見られると思うと不思議なことになかなか行かない。今回は記念館収蔵の作品も含めた大回顧展ということで、幼なじみの黒田清輝(^^ゞをじっくり見ようと訪れてみた。


黒田清輝は本名が「きよてる」で画家としてのペンネーム(筆ネーム?)が「せいき」。幕末の1866年に薩摩藩に生まれ(明治維新が1868年)。現在の東京外国語大学に進んで1884年から1893年までフランスに留学する。本当は法律を学びに行ったはずが、なぜか留学3年目の1886年から絵の勉強を始める。子供の頃にも絵は習っていたようだが、画家の道を歩み始めたのは二十歳頃ということになる。
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まずはフランス留学時代の作品から。

祈祷  1889年(明治22)
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針仕事  1890年(明治23) 
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マンドリンを持てる女  1891年(明治24)
 
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ちょっと日本的な雰囲気があって、この時期の作品としては異色。タイトルにマンドリンとなかったら琵琶と思ってしまいそう。絵に入れる署名が漢字でかなり大きく書かれているのは、コンクールで日本人が描いたということをアピールする狙いがあったらしい。



読書  1891年(明治24)
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初期の代表作とされる作品。生まれた時はチョンマゲの時代だった青年が、本格的に絵を描き始めて5年でここまでの「西洋画」を残せるのだから、黒田に持って生まれた才能があったことは間違いない。ただ、まだ勉強中の時代とはいうものの、マンドリンを除けばどれも教科書的な正統派というか、上手ではあってもグッと来るものがないなあというのが正直なところ。それと彼の絵は淡泊で、この日はカラヴァッジョ展も見てきたから余計にそう思うのかもしれないが、とても草食系な印象を受ける。

ついでに、
この頃の作品には両手を顔もしくは胸の前に持ってきているものが多い。勘ぐりすぎかもしれないが、そういうポーズは「絵になりやすい」。ズルイぞ清輝!


婦人像(厨房)  1892年(明治25) 
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モデルは読書と同じで黒田の恋人だったらしい。黒田の絵は草食系なのに、彼女は肉屋の娘だったのがおもしろい(^^ゞ



赤髪の少女  1892年(明治25) 
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菊花と西洋夫人  1892年(明治25)
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黒田がフランス留学していたのは印象派の画家が活躍していた時期。グループとしての印象派の活動は終わりかけていたが、その人気がうなぎ登りだった頃である。でも彼が師事したのは革新的な印象派ではなく、どちらかというとオーソドックスな画風の画家。印象派の画家はいわば反体制派のロックミュージシャンのようなものだから、絵を教えるというようなことはしていなかったのかもしれない。また当時は田舎者の日本人に、印象派の絵はぶっ飛びすぎて性に合わなかった気もする。

先生の名前はラファエル・コラン。オーソドックスな画風と書くとつまらなさそうだが、このコランの絵がすごかった。


フロレアル(花月)  ラファエル・コラン:1886年
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この絵の何がすごかったと問われると困るのだけれど、ラファエル前派(ラファエル・コランと名前が同じだからややこしい)のオフィーリアと通ずるところもある。草むらに裸で寝転がっているだけで神秘的な要素は何も描いていないのに、なぜかとにかく神秘的に感じる絵。初めて見る作品で、久し振りに絵の前で一瞬立ち尽くす経験をした。

横幅185センチとかなり大きなサイズ。細密に描かれた女性とボカした草の描き方との対比で、その実物サイズで見ると女性が3D画像のように浮かび上がって見えるようにも感じる。クラシックな西洋絵画では「女性の裸体は自然の一部」という考えがあるらしいが、初めてその意味がわかったような気がする。



ブロンドー夫人の肖像  ラファエル・コラン:1891年
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コランは従来の画風に印象派の影響を取り入れたもので外光派と呼ばれ、弟子の黒田もそう分類される。ただし黒田が日本近代絵画の父的な存在でも、フランスで外光派は中途半端な作風とされてコランはまったく人気がないらしい。私は好きだけどなあ。


他にもいろいろと黒田と同世代の画家の作品が参考として展示されていた。有名どころではミレー、モネ、ピサロなど。おもしろかったのは黒田が模写したレンブラントやミレーの作品があったこと。作品の下絵や練習用のデッサンはどの展覧会でもあるが、模写の展示は珍しいと思う。


朝  ジュール・ブルトン:1888年
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羊飼いの少女  ジャン=フランソワ・ミレー:1863年
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これは典型的なミレー作品。何の変哲もない絵といえばそうなのだが、彼のこのタイプの農民風景画は「シミジミといいなあ」と思えるから不思議。

あっ! ミレーも胸の前に手をやるポーズをw(゚o゚)w


ーーー続く

wassho at 08:44|PermalinkComments(0)