ジョルジュ・ブラック
2024年01月29日
キュビスム展 美の革命 その3
「大きな裸婦」を描いて、3度の食事が麻クズとパラフィンでもいいと腹をくくった?ブラックはピカソと意気投合し、お互いのアトリエを行き来しながらキュビスム作品の制作を進めていく。
ピカソ 「裸婦」 1909年
ピカソ 「肘掛け椅子に座る女性」 1910年
ピカソ 「ギター奏者」 1910年
ジョルジュ・ブラック 「レスタックのリオ・ティントの工場」 1910年
ジョルジュ・ブラック 「円卓」 1911年
ジョルジュ・ブラック 「ヴァイオリンのある静物」 1913年
どちらがピカソでどちらがブラックかわからないほど似通っている。
この頃はキュビスムの
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
の2つの特徴のうち後者が強く表れている。前回にキュビスムとの名前は特徴のひとつにしか焦点が当たっていないから不満と書いた。言葉が生まれたのはブラックが「レスタックの高架橋」を発表した1908年で、それが広まったのはフィガロ誌が記事に使い始めた1909年からとされている。当時はこんな作品が中心だった状況を考えれば立方体主義のキュビスムと呼ばれても仕方ないか。
目に見えているものを解体・単純化して幾何形態に置き換えるとは、言い換えればその裏側あるいは「形」の本質を見極めようとすることなのだろうか? よくわからないけれど、この頃のキュビスムは「分析的キュビスム」と名付けられている。形以外は重要じゃないからか色彩も控えめ。ちなみに前回までに紹介した作品は「セザンヌ的キュビスム」という。
ピカソの3作品を見ると「裸婦」は単にヘンな絵にしか見えなくても、「肘掛け椅子に座る女性」は表現のコツをつかんだ感じでけっこうサマになっている。ただし「ギター奏者」は対象と背景が渾然として、それはそういう狙いかも知れないが見ている側としては訳がわからない。たぶん本人もわかっていないのじゃないか? ブラックの3作品はいかにも暗中模索で過渡期的な印象。
いずれにしてもヘンな「絵」であるのに変わりなく、それは今までいだいていた認識と変わらない。しかし展覧会でこれらがまとまって並んでいるのを眺めると「模様」としては意外と面白く、しゃれた雰囲気もあると感じたのが新たな発見。もしそんな感想をピカソやブラックに言ったらパレットでシバかれるな(^^ゞ
そしてピカソとブラックのキュビスムは、
少しずつ親しみやすい画風に変わっていく。
ジョルジュ・ブラック 「果物皿とトランプ」 1913年
ジョルジュ・ブラック 「ギターを持つ男性」 1914年
ピカソ 「ヴァイオリン」 1914年
親しみやすい画風に変化したのは理由がある。対象を解体・単純化して幾何形態に置き換えるとピカソの「ギター奏者」やブラックの「レスタックのリオ・ティントの工場」のように対象からかけ離れすぎて抽象画のようになってしまう。彼らが目指していたのは対象の新たな表現方法の開発。言い換えればあくまで具象画であって抽象画ではない。
そこで現実から遊離した絵を、再び現実に引き戻す作業がおこなわれる。行ったり来たりご苦労様である(^^ゞ それらの作品は先ほど書いた「分析的キュビスム」に対して「総合的キュビズム」と呼ぶ。総合と言うよりは統合の法がニュアンスが正確かな。
具体的にはコラージュで何か貼り付けたりあるいはコラージュ風に描く、また文字を描いたり、記号的なモチーフを入れたりが試みられた。「果物皿とトランプ」ではブドウとトランプは現実世界を表す記号としてごく普通に形を崩さず描かれているし、「ギターを持つ男性」のギターも同様。「ヴァイオリン」のヴァイオリンはけっこうバラバラに分解されていても、文字を入れることによって観念的になりすぎるのを引き留めている。
ところで BASS は低音でヴァイオリンに似合っていないし JOU は辞書にはなかった。どうでのいいけれど、おそらくヴァイオリンの弦と思われるラインが上側で1本多いのが不思議(ヴァイオリンは4本源の楽器)。
「総合的キュビズム」は確かに絵としてはまとまりを取り戻してはいるものの、「分析的キュビスム」が持っていたある種の凄みが消えて、「肘掛け椅子に座る女性」のようにゾクッとさせてくれないのがつまらない。
さて1907年にピカソが「アヴィニョンの娘たち」ブラックが「大きな裸婦」を描き、お互いに影響を与えながら発展させてきた彼らのキュビスム。しかし1914年に第1次世界大戦が始まりブラックが出征することで、その共同作業とでもいうべき制作は終了する。
ーーー続く
ピカソ 「裸婦」 1909年
ピカソ 「肘掛け椅子に座る女性」 1910年
ピカソ 「ギター奏者」 1910年
ジョルジュ・ブラック 「レスタックのリオ・ティントの工場」 1910年
ジョルジュ・ブラック 「円卓」 1911年
ジョルジュ・ブラック 「ヴァイオリンのある静物」 1913年
どちらがピカソでどちらがブラックかわからないほど似通っている。
この頃はキュビスムの
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
の2つの特徴のうち後者が強く表れている。前回にキュビスムとの名前は特徴のひとつにしか焦点が当たっていないから不満と書いた。言葉が生まれたのはブラックが「レスタックの高架橋」を発表した1908年で、それが広まったのはフィガロ誌が記事に使い始めた1909年からとされている。当時はこんな作品が中心だった状況を考えれば立方体主義のキュビスムと呼ばれても仕方ないか。
目に見えているものを解体・単純化して幾何形態に置き換えるとは、言い換えればその裏側あるいは「形」の本質を見極めようとすることなのだろうか? よくわからないけれど、この頃のキュビスムは「分析的キュビスム」と名付けられている。形以外は重要じゃないからか色彩も控えめ。ちなみに前回までに紹介した作品は「セザンヌ的キュビスム」という。
ピカソの3作品を見ると「裸婦」は単にヘンな絵にしか見えなくても、「肘掛け椅子に座る女性」は表現のコツをつかんだ感じでけっこうサマになっている。ただし「ギター奏者」は対象と背景が渾然として、それはそういう狙いかも知れないが見ている側としては訳がわからない。たぶん本人もわかっていないのじゃないか? ブラックの3作品はいかにも暗中模索で過渡期的な印象。
いずれにしてもヘンな「絵」であるのに変わりなく、それは今までいだいていた認識と変わらない。しかし展覧会でこれらがまとまって並んでいるのを眺めると「模様」としては意外と面白く、しゃれた雰囲気もあると感じたのが新たな発見。もしそんな感想をピカソやブラックに言ったらパレットでシバかれるな(^^ゞ
そしてピカソとブラックのキュビスムは、
少しずつ親しみやすい画風に変わっていく。
ジョルジュ・ブラック 「果物皿とトランプ」 1913年
ジョルジュ・ブラック 「ギターを持つ男性」 1914年
ピカソ 「ヴァイオリン」 1914年
親しみやすい画風に変化したのは理由がある。対象を解体・単純化して幾何形態に置き換えるとピカソの「ギター奏者」やブラックの「レスタックのリオ・ティントの工場」のように対象からかけ離れすぎて抽象画のようになってしまう。彼らが目指していたのは対象の新たな表現方法の開発。言い換えればあくまで具象画であって抽象画ではない。
そこで現実から遊離した絵を、再び現実に引き戻す作業がおこなわれる。行ったり来たりご苦労様である(^^ゞ それらの作品は先ほど書いた「分析的キュビスム」に対して「総合的キュビズム」と呼ぶ。総合と言うよりは統合の法がニュアンスが正確かな。
具体的にはコラージュで何か貼り付けたりあるいはコラージュ風に描く、また文字を描いたり、記号的なモチーフを入れたりが試みられた。「果物皿とトランプ」ではブドウとトランプは現実世界を表す記号としてごく普通に形を崩さず描かれているし、「ギターを持つ男性」のギターも同様。「ヴァイオリン」のヴァイオリンはけっこうバラバラに分解されていても、文字を入れることによって観念的になりすぎるのを引き留めている。
ところで BASS は低音でヴァイオリンに似合っていないし JOU は辞書にはなかった。どうでのいいけれど、おそらくヴァイオリンの弦と思われるラインが上側で1本多いのが不思議(ヴァイオリンは4本源の楽器)。
「総合的キュビズム」は確かに絵としてはまとまりを取り戻してはいるものの、「分析的キュビスム」が持っていたある種の凄みが消えて、「肘掛け椅子に座る女性」のようにゾクッとさせてくれないのがつまらない。
さて1907年にピカソが「アヴィニョンの娘たち」ブラックが「大きな裸婦」を描き、お互いに影響を与えながら発展させてきた彼らのキュビスム。しかし1914年に第1次世界大戦が始まりブラックが出征することで、その共同作業とでもいうべき制作は終了する。
ーーー続く
wassho at 20:14|Permalink│Comments(0)│
2024年01月27日
キュビスム展 美の革命 その2
印象派がその名前で呼ばれるようになったのは、ある評論家がモネの「印象・日の出」という作品を、そのタイトルをもじって「印象しか描いていない」と酷評したのがきっかけ。印象しか描いていないとは、構図がおおざっぱだとか、絵が描き込まれていないとか、内面的な深いテーマがないとか、そういう意味だと思う。
それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにいきなりロックを持ち込んだのが印象派。いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶されるもの。もっとも世間は印象派の絵と印象派とのレッテルも好意的に受け止めて、そのネーミングが広まっていったのだから面白い。
これがそのモネの「印象・日の出」(この展覧会とは無関係)
制作は1872年で展覧会で酷評されたのが1874年(明治7年)。
さてキュビスム Cubisme とはフランス語で、英語にすれば Cubism。これは CUBE(キューブ:立方体)と ISM(イズム:主義)が組み合わさった言葉。ほとんど使われないものの和訳として立体主義や立体派が当てられる。ただし正確に訳すなら立体ではなく立方体。ずっと昔は「キュビズム」と英語読みが一般的だったような気がするが、いつのまにかキュビスムとフランス語読みするようになった。パリで始まった絵画様式だからオリジナルが尊重されたのか。
そして実はキュビスムのネーミングも印象派と似たような成り立ちを持っている。
きっかけとなったのはこの作品。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年
遠くから見ればセザンヌの絵が掛かっているのかと思うほど。それもそのはずブラックはセザンヌLOVEな人で、セザンヌが1870〜80年代に掛けてしばらく住んでいたレスタックに、1906年〜1910年頃に合計で何ヶ月か滞在している。レスタックは南仏マルセイユ近郊で、またセザンヌの生まれ故郷の近く。いわゆるアニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
参考までにセザンヌの描いた「レスタックの赤屋根の家」も載せておく(この展覧会とは無関係)。同じ地域の風景なので色合いが似ているとしても、これだけ色数の少ない景色なんてあり得ないから、やはりブラックはセザンヌに相当寄せている。全体的に平板なところや、筆を一定方向に動かす描き方にも影響がありあり。
前回のブログでセザンヌが用いたの多角度の視点について書いた。加えて彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」との言葉も残している。もっともセザンヌ作品を見て円筒、球、円錐が目立っているわけではないし、残念ながら勉強不足でその意味をよく理解していない。しかし文字を追えば丸いものばかりで三角形や四角形は含まれていないのは明確。
しか〜し、
ブラックの「レスタックの高架橋」は見事なまでに三角形と四角形が山盛り。遠近法も完全無視。お前、セザンヌ先生の話を聞いていたのかと突っ込みたくなるレベル(^^ゞ まあ建物は四角いから仕方ないのだけれど。
そして案の定、この絵が発表されたときに「ブラックは形態を軽んじており、景色も人物も家も、全てが幾何学的形状やキューブ(立方体)に還元している」と批判を受ける。そしてこれがキュビスムのネーミングへとつながっていく。モネが「印象しか描いていない」と評されてから34年後の1908年(明治41年)に歴史は繰り返したわけだ。
ただしキュビスムの特徴を因数分解すれば
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
となる。そしてキュビスム=立方体主義が言い表しているのは後者だけ。どちらかといえば私は多角度の視点のほうがより革新的で重要な要素だと思うので、このキュビスムとしたネーミングには少し不満を持っている。
ところでキュビスムは印象派が終わる頃から始まるわけだけれど、年表で見ると1850年から1950年くらいまでの約100年間は、他にも象徴主義、写実主義、フォーヴィスム、ナビ派など次々と新し絵画のムーブメントが生まれている。この頃に生まれていたら楽しかっただろなと思ったり。図はhttps://tabiparislax.com/western-art/から引用加筆
なかなか展覧会作品に話が進まないが(^^ゞ
ーーー続く
それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにいきなりロックを持ち込んだのが印象派。いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶されるもの。もっとも世間は印象派の絵と印象派とのレッテルも好意的に受け止めて、そのネーミングが広まっていったのだから面白い。
これがそのモネの「印象・日の出」(この展覧会とは無関係)
制作は1872年で展覧会で酷評されたのが1874年(明治7年)。
さてキュビスム Cubisme とはフランス語で、英語にすれば Cubism。これは CUBE(キューブ:立方体)と ISM(イズム:主義)が組み合わさった言葉。ほとんど使われないものの和訳として立体主義や立体派が当てられる。ただし正確に訳すなら立体ではなく立方体。ずっと昔は「キュビズム」と英語読みが一般的だったような気がするが、いつのまにかキュビスムとフランス語読みするようになった。パリで始まった絵画様式だからオリジナルが尊重されたのか。
そして実はキュビスムのネーミングも印象派と似たような成り立ちを持っている。
きっかけとなったのはこの作品。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年
遠くから見ればセザンヌの絵が掛かっているのかと思うほど。それもそのはずブラックはセザンヌLOVEな人で、セザンヌが1870〜80年代に掛けてしばらく住んでいたレスタックに、1906年〜1910年頃に合計で何ヶ月か滞在している。レスタックは南仏マルセイユ近郊で、またセザンヌの生まれ故郷の近く。いわゆるアニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
参考までにセザンヌの描いた「レスタックの赤屋根の家」も載せておく(この展覧会とは無関係)。同じ地域の風景なので色合いが似ているとしても、これだけ色数の少ない景色なんてあり得ないから、やはりブラックはセザンヌに相当寄せている。全体的に平板なところや、筆を一定方向に動かす描き方にも影響がありあり。
前回のブログでセザンヌが用いたの多角度の視点について書いた。加えて彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」との言葉も残している。もっともセザンヌ作品を見て円筒、球、円錐が目立っているわけではないし、残念ながら勉強不足でその意味をよく理解していない。しかし文字を追えば丸いものばかりで三角形や四角形は含まれていないのは明確。
しか〜し、
ブラックの「レスタックの高架橋」は見事なまでに三角形と四角形が山盛り。遠近法も完全無視。お前、セザンヌ先生の話を聞いていたのかと突っ込みたくなるレベル(^^ゞ まあ建物は四角いから仕方ないのだけれど。
そして案の定、この絵が発表されたときに「ブラックは形態を軽んじており、景色も人物も家も、全てが幾何学的形状やキューブ(立方体)に還元している」と批判を受ける。そしてこれがキュビスムのネーミングへとつながっていく。モネが「印象しか描いていない」と評されてから34年後の1908年(明治41年)に歴史は繰り返したわけだ。
ただしキュビスムの特徴を因数分解すれば
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
となる。そしてキュビスム=立方体主義が言い表しているのは後者だけ。どちらかといえば私は多角度の視点のほうがより革新的で重要な要素だと思うので、このキュビスムとしたネーミングには少し不満を持っている。
ところでキュビスムは印象派が終わる頃から始まるわけだけれど、年表で見ると1850年から1950年くらいまでの約100年間は、他にも象徴主義、写実主義、フォーヴィスム、ナビ派など次々と新し絵画のムーブメントが生まれている。この頃に生まれていたら楽しかっただろなと思ったり。図はhttps://tabiparislax.com/western-art/から引用加筆
なかなか展覧会作品に話が進まないが(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 09:56|Permalink│Comments(0)│
2024年01月26日
キュビスム展 美の革命
国立西洋美術館で1月28日まで開催されているキュビスム展。
鑑賞してきたのは昨年の11月29日。
ブログに書くのがずいぶんと遅くなってしまった。
訪れたときに国立西洋美術館がある上野公園のイエローオータムが予想以上に素晴らしくて、それでスイッチが入ってしまい、例年のもみじ狩りが3カ所くらいなのに昨年は13カ所も出かけたのが遅れた理由のひとつ。
そろそろ思い出しながら書いていきましょう。
展覧会の正式タイトルは
パリ ポンピドゥーセンター
キュビスム展 美の革命
ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
とやたら長い。
パリの総合文化施設であるポンピドゥーセンター所蔵の、キュビスム絵画作品の展覧会がアウトライン。そのキュビスムとは美の革命であるとタイトルで強調している。
ただし英文では THE CUBIST REVOLUTION (キュビスム画家の革命)。キュビスムは確かに絵画表現における革命であったとしても、美について革命したわけじゃない。だから英文の「キュビスム画家の革命」のほうがしっくりくる。しかしそれではキャッチーでないとマーケティング担当者は考えたのに違いない。映画のタイトルなどでよくある話。
もっとも「An Officer and a Gentleman」→ これは「Conduct unbecoming an officer and a gentleman」という軍隊用語の略。軍法会議などで使われ、直訳すれば「将校および紳士に相応しくない行為」。その原題に「愛と青春の旅だち」と邦題をつけたレベルに「美の革命」はまったく及んでいないけれど。
名前が挙げられているピカソとブラックはキュビスムの創始者である画家。ドローネーはキュビスムを発展させた画家のひとり。シャガールはキュビスムの影響を受けた画家ではあるとしても、それは彼のメインストリームではないし、一般にキュビスム画家には分類しない。でもキュビスムは超巨匠のピカソを除けばあまりネームバリューが高くない画家が多いから、客寄せパンダ的に引っ張り出されたのかも知れない。
さてキュビスムとは何かについては追々書くとして、実はキュビスムはまったく趣味じゃない。キュビスムでこれは素晴らしい・欲しいと思った作品もないし、難解にこねくり回したようなその画風や世界観は「酔えるものこそがアート」との私の考えにも反する。
ではなぜ展覧会を見に出かけたかといえば半分はお勉強のため。過去の展覧会で藤田嗣治やパスキンなど意外な画家がキュビスム的な作品を残しているのを目にしてきた。だからキュビスムのイロハ程度は知っておいて損はしない、食わず嫌いはよくないぞとの意識が頭のどこかにあったから。
聞けば日本でキュビスムをテーマにした展覧会はおよそ50年ぶりとのこと。そして今回はピカソとブラックを含む主要作家約40人・約140点(うち50点以上が日本初出品)が出展され、いわばキュビスムの回顧展のような内容。だったら行ってみようかと。
そして残り半分はキュビスムが趣味じゃないといっても、そんなにたくさんの作品、特にピカソとブラック以外の作品を見たわけじゃないから。キュビスムといってもいろいろあるだろうし、ひょっとしたら好きな画家や作品が見つかるかもとのスケベ心(^^ゞ
初期のキュビスムはセザンヌの画風が影響した、あるいはそれを発展させたとものとよくいわれる。それで最初に展示されているのがセザンヌの作品。
セザンヌ 「ラム酒の瓶のある静物」 1890年頃
タケノコみたいに見えるのがラム酒ね。セザンヌの影響とは彼の多角度からの視点なのだけれど、この絵ではわかりにくいので、この展覧会に出展されていない「果物籠のある静物」というもっと端的な作品を紹介しておこう 。
ごく普通の静物画に思えるものの、よく見ると大きな瓶(かめ)はやや上からの視点で描かれているのに対して、ティーポットは真横から見ている。また果物かごは垂直に置かれているのに、それが置かれているテーブルは手前に傾斜している、つまり斜め上から見ている。このように多角度の視点を1枚の絵に混在させるのがセザンヌの静物画の特徴。それによって独特の空間表現とリズム感が生み出されてハマる人にはハマる。
私にもそんな時期があった。でも多角度の視点なんて気付かずに、セザンヌの静物画は他の画家とはどこか違うなあと思っていただけ。おそらくセザンヌのこのトリックは実際に絵を描く人ならすぐに見抜くものだと思う。そして、そんな手があったのかと取り入れたくなるのだろう。
展示会にあった他のセザンヌ作品。
セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年頃
これとキュビスムの関わりはよくわからない。ひょっとしたら解説に書かれていたかも知れないが、基本そういうのは読まないタイプなのでm(_ _)m でもキュビスムの特徴は、西洋絵画の伝統であった遠近法や陰影法による空間表現の否定でもあるから、その参考例なのかと思っている。
セザンヌはキュビスムの関わりでよく取り上げられるが、
この展覧会にはこんな画家の作品もあった。
ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」 1889年
ルソー 「熱帯風景、オレンジの森の猿たち」 1910年頃
マリー・ローランサン 「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」 1909年
「ポントワーズの橋と堰」以上にキュビスムとの関連はよくわからないものの、それぞれいい絵だったので単純に満足。特にこの年代のマリー・ローランサンの、例のパステルカラー的な画風を確立する前の作品は久しぶりに見た感じ。
これらはアフリカの仮面や小像。
制作者不詳 「ダンの競争用の仮面(コートジボワール)」 1850〜1900年頃
制作者不詳 「バンバラの小像(マリ)」 1850〜1900年頃
制作者不詳 「ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ)」 制作時期不詳
印象派の時代はその第1回展が開かれた1874年(明治7年)から。当時の画家たちは浮世絵に興味を持ちジャポニスム、いわゆる日本ブームが起きたのはよく知られている。そして1920年(大正9年)頃から始まったエコール・ド・パリ時代の少し前から、今度はアフリカブームが訪れる。
これはモディリアーニの彫刻。
アフリカの匂いはしなくとも明らかに影響が感じられる。
モディリアーニ 「女性の頭部」 1912年
ところで印象派の画家が浮世絵を取り上げたのをもって「浮世絵は素晴らしい、日本美術が西洋に評価された」とやたら持ち上げる向きもあるが、その後のアフリカブームを考えると、半分は単に物珍しかっただけじゃないかと私は冷めた目で見ている。
それはさておき、
セザンヌの多角度の視点、遠近法や陰影法の否定に影響を受け、そしてアフリカの仮面や小像にインスピレーションを得てピカソが1907年に描いたのが「アヴィニョンの娘たち」。この展覧会の作品ではないが参考までに。どこが多角度の視点がわかりづらいが、右下の女性は背中を向けているのに顔がこちら向きになっている。
これがキュビスムの始まりで、
近代絵画史上で最も重要な作品と評されている。
私がキュビスムはまったく趣味じゃない理由がわかったでしょ(^^ゞ
さてピカソの自信作であったこの絵を見たジョルジュ・ブラックは「3度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われるようなものだ」と酷評。ピカソと共にエコール・ド・パリのツートップと目されていたマティスは、これを一目見るなり激怒。あまりの貶(けな)されように友人たちはピカソが首を吊らないか心配したと伝わっている。
それにしても「3度の食事が麻クズとパラフィン〜」なんて、文句の付け方がお洒落なジョルジュ・ブラック。さすがはフランスのエスプリ。
しかしジョルジュ・ブラックはしばらくして考えを改め、
ピカソの革新性に気がついて、こんな作品を描く。
ジョルジュ・ブラック 「大きな裸婦」 1907〜1908年
芸術のためなら3度の食事が麻クズとパラフィンでもいいと腹をくくったみたい(^^ゞ
これ以降ピカソとブラックの間でキュビスムが形作られていく。
他に展示されていたのは「アヴィニョンの娘たち」の習作であったとされる作品。
ピカソ 「女性の胸像」 1907年
なお館内は多くの作品が撮影可能だったので展示の雰囲気を。
そして、
ここからがキュビスムのディープな世界の始まり始まり。
ーーー続く
鑑賞してきたのは昨年の11月29日。
ブログに書くのがずいぶんと遅くなってしまった。
訪れたときに国立西洋美術館がある上野公園のイエローオータムが予想以上に素晴らしくて、それでスイッチが入ってしまい、例年のもみじ狩りが3カ所くらいなのに昨年は13カ所も出かけたのが遅れた理由のひとつ。
そろそろ思い出しながら書いていきましょう。
展覧会の正式タイトルは
パリ ポンピドゥーセンター
キュビスム展 美の革命
ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
とやたら長い。
パリの総合文化施設であるポンピドゥーセンター所蔵の、キュビスム絵画作品の展覧会がアウトライン。そのキュビスムとは美の革命であるとタイトルで強調している。
ただし英文では THE CUBIST REVOLUTION (キュビスム画家の革命)。キュビスムは確かに絵画表現における革命であったとしても、美について革命したわけじゃない。だから英文の「キュビスム画家の革命」のほうがしっくりくる。しかしそれではキャッチーでないとマーケティング担当者は考えたのに違いない。映画のタイトルなどでよくある話。
もっとも「An Officer and a Gentleman」→ これは「Conduct unbecoming an officer and a gentleman」という軍隊用語の略。軍法会議などで使われ、直訳すれば「将校および紳士に相応しくない行為」。その原題に「愛と青春の旅だち」と邦題をつけたレベルに「美の革命」はまったく及んでいないけれど。
名前が挙げられているピカソとブラックはキュビスムの創始者である画家。ドローネーはキュビスムを発展させた画家のひとり。シャガールはキュビスムの影響を受けた画家ではあるとしても、それは彼のメインストリームではないし、一般にキュビスム画家には分類しない。でもキュビスムは超巨匠のピカソを除けばあまりネームバリューが高くない画家が多いから、客寄せパンダ的に引っ張り出されたのかも知れない。
さてキュビスムとは何かについては追々書くとして、実はキュビスムはまったく趣味じゃない。キュビスムでこれは素晴らしい・欲しいと思った作品もないし、難解にこねくり回したようなその画風や世界観は「酔えるものこそがアート」との私の考えにも反する。
ではなぜ展覧会を見に出かけたかといえば半分はお勉強のため。過去の展覧会で藤田嗣治やパスキンなど意外な画家がキュビスム的な作品を残しているのを目にしてきた。だからキュビスムのイロハ程度は知っておいて損はしない、食わず嫌いはよくないぞとの意識が頭のどこかにあったから。
聞けば日本でキュビスムをテーマにした展覧会はおよそ50年ぶりとのこと。そして今回はピカソとブラックを含む主要作家約40人・約140点(うち50点以上が日本初出品)が出展され、いわばキュビスムの回顧展のような内容。だったら行ってみようかと。
そして残り半分はキュビスムが趣味じゃないといっても、そんなにたくさんの作品、特にピカソとブラック以外の作品を見たわけじゃないから。キュビスムといってもいろいろあるだろうし、ひょっとしたら好きな画家や作品が見つかるかもとのスケベ心(^^ゞ
初期のキュビスムはセザンヌの画風が影響した、あるいはそれを発展させたとものとよくいわれる。それで最初に展示されているのがセザンヌの作品。
セザンヌ 「ラム酒の瓶のある静物」 1890年頃
タケノコみたいに見えるのがラム酒ね。セザンヌの影響とは彼の多角度からの視点なのだけれど、この絵ではわかりにくいので、この展覧会に出展されていない「果物籠のある静物」というもっと端的な作品を紹介しておこう 。
ごく普通の静物画に思えるものの、よく見ると大きな瓶(かめ)はやや上からの視点で描かれているのに対して、ティーポットは真横から見ている。また果物かごは垂直に置かれているのに、それが置かれているテーブルは手前に傾斜している、つまり斜め上から見ている。このように多角度の視点を1枚の絵に混在させるのがセザンヌの静物画の特徴。それによって独特の空間表現とリズム感が生み出されてハマる人にはハマる。
私にもそんな時期があった。でも多角度の視点なんて気付かずに、セザンヌの静物画は他の画家とはどこか違うなあと思っていただけ。おそらくセザンヌのこのトリックは実際に絵を描く人ならすぐに見抜くものだと思う。そして、そんな手があったのかと取り入れたくなるのだろう。
展示会にあった他のセザンヌ作品。
セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年頃
これとキュビスムの関わりはよくわからない。ひょっとしたら解説に書かれていたかも知れないが、基本そういうのは読まないタイプなのでm(_ _)m でもキュビスムの特徴は、西洋絵画の伝統であった遠近法や陰影法による空間表現の否定でもあるから、その参考例なのかと思っている。
セザンヌはキュビスムの関わりでよく取り上げられるが、
この展覧会にはこんな画家の作品もあった。
ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」 1889年
ルソー 「熱帯風景、オレンジの森の猿たち」 1910年頃
マリー・ローランサン 「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」 1909年
「ポントワーズの橋と堰」以上にキュビスムとの関連はよくわからないものの、それぞれいい絵だったので単純に満足。特にこの年代のマリー・ローランサンの、例のパステルカラー的な画風を確立する前の作品は久しぶりに見た感じ。
これらはアフリカの仮面や小像。
制作者不詳 「ダンの競争用の仮面(コートジボワール)」 1850〜1900年頃
制作者不詳 「バンバラの小像(マリ)」 1850〜1900年頃
制作者不詳 「ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ)」 制作時期不詳
印象派の時代はその第1回展が開かれた1874年(明治7年)から。当時の画家たちは浮世絵に興味を持ちジャポニスム、いわゆる日本ブームが起きたのはよく知られている。そして1920年(大正9年)頃から始まったエコール・ド・パリ時代の少し前から、今度はアフリカブームが訪れる。
これはモディリアーニの彫刻。
アフリカの匂いはしなくとも明らかに影響が感じられる。
モディリアーニ 「女性の頭部」 1912年
ところで印象派の画家が浮世絵を取り上げたのをもって「浮世絵は素晴らしい、日本美術が西洋に評価された」とやたら持ち上げる向きもあるが、その後のアフリカブームを考えると、半分は単に物珍しかっただけじゃないかと私は冷めた目で見ている。
それはさておき、
セザンヌの多角度の視点、遠近法や陰影法の否定に影響を受け、そしてアフリカの仮面や小像にインスピレーションを得てピカソが1907年に描いたのが「アヴィニョンの娘たち」。この展覧会の作品ではないが参考までに。どこが多角度の視点がわかりづらいが、右下の女性は背中を向けているのに顔がこちら向きになっている。
これがキュビスムの始まりで、
近代絵画史上で最も重要な作品と評されている。
私がキュビスムはまったく趣味じゃない理由がわかったでしょ(^^ゞ
さてピカソの自信作であったこの絵を見たジョルジュ・ブラックは「3度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われるようなものだ」と酷評。ピカソと共にエコール・ド・パリのツートップと目されていたマティスは、これを一目見るなり激怒。あまりの貶(けな)されように友人たちはピカソが首を吊らないか心配したと伝わっている。
それにしても「3度の食事が麻クズとパラフィン〜」なんて、文句の付け方がお洒落なジョルジュ・ブラック。さすがはフランスのエスプリ。
しかしジョルジュ・ブラックはしばらくして考えを改め、
ピカソの革新性に気がついて、こんな作品を描く。
ジョルジュ・ブラック 「大きな裸婦」 1907〜1908年
芸術のためなら3度の食事が麻クズとパラフィンでもいいと腹をくくったみたい(^^ゞ
これ以降ピカソとブラックの間でキュビスムが形作られていく。
他に展示されていたのは「アヴィニョンの娘たち」の習作であったとされる作品。
ピカソ 「女性の胸像」 1907年
なお館内は多くの作品が撮影可能だったので展示の雰囲気を。
そして、
ここからがキュビスムのディープな世界の始まり始まり。
ーーー続く
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2021年10月11日
ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント その3
展覧会の構成は
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
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