ジョン・エヴァレット・ミレイ
2016年01月16日
英国の夢 ラファエル前派展
2014年3月に展覧会が開かれた時は、ラファエロじゃなくてラファエルって何?というレベルで、まったく存在すら知らなかったラファエル前派。しかし絵を見終えた時には、その濃密な描写に圧倒されたことを今でもよく覚えている。
すっかり気に入ってラファエル前派の作品をもっと見たいと思った。しかし、たぶんマイナーな分野だろう。森アーツセンターギャラリーでの展覧会もガラガラだったし、まとまって作品を見る機会はそうそうないだろうと諦めていた。しかし予想に反して2年弱で新たな展覧会の開催。私にしては珍しく会期の早い段階、しかも休日に見に行ってきた。
ラファエル前派についてはあれこれと前回に書いたから、
興味があればそちらを参照して欲しい。
前回の展覧会その1
前回の展覧会その2
前回の展覧会その3
開催されているのは渋谷にある東急Bunkamura。渋谷駅から徒歩10分ほど離れたところにある東急百貨店の本店隣りに併設された文化施設。展覧会会場だけでなく音楽ホールや劇場、映画館などが入っている。
2本の巨大な柱に挟まれたのが東急Bunkamura。右隣は東急百貨店本店。道路に面している部分は狭いが内部で広がっている構造。
展覧会入り口で記念撮影。
「春(林檎の花咲く頃)」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
ラファエル前派らしい細密な描写を堪能できる。パッと見は若い女性がピクニックを楽しんでいる風景。しかし右下の黄色いドレスを着て横たわっている女性の上には大きな鎌が描かれている。それが何を意味しているのかは不明だが、いったんそれに気がつくと絵の右下が気になって仕方がなくなる。まあそういう心理効果を狙ったのかな。この女性だけ服の色が他の人とかけ離れているし、目線もこっちをにらんでいる。ひょっとして地縛霊とか?
「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
タイトルは兵士になっていても、これは女性が着ているドレスの光沢と質感をひらすら楽しむべき作品。ドレスはたぶんシルク・サテンの生地。でもアルミ箔のようにも見える(本物はこの写真よりもっとアルミ箔に見える)。ある意味ちょっとやり過ぎともいえる。しかし、このテクニックを見たら、そんな批評は忘れて脱帽せざるを得ない。ミレイのドヤ顔が目に浮かぶような作品。
「シビラ・パルミフェラ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
ロセッティといえば前回の展覧会その3で紹介した「プロセルピナ」が強烈な印象として残っている。あの目ヂカラ女性はジェイン・モリスという彼の不倫相手。この作品は彼女の優しい顔バージョンかと思ったらアレクサ・ワイデルリングという別のモデルらしい。私には同じ女性にしか見えないんだけれど、ロセッティは意外と芸風が狭い?
シビラとは巫女でパルミフェラは勝利を意味する椰子の葉。画面左側には目隠しされたキューピッドとバラ、右側にはドクロとポピーの花が描かれている。それぞれ愛と死を象徴しているらしい。蝶々も舞っている。西洋文化に詳しければ、それらを見ただけで意味することがわかり、もっとこの絵のテーマを理解できるのかも知れない(たとえば義経と弁慶が戦っていれば、それは彼らが最初に出会った時だとわかるように)。残念ながら、そういう知識はないので単純にビジュアルで楽しむだけ。それでも柔和な女性像というだけでなく、何となくいわくありげな雰囲気は伝わってくる。
「祈りの後のマデライン」
ダニエル・マクリース
僅かに差し込む光で陰影を描き分けた作品。それはよくあるテクニックでも、ラファエル前派だから暗い部分を黒塗りにせずに、これでもかというくらい描き込んでいる。
「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
甘美なる無為=何もしないけれど甘美ということだから、この絵はテーマや主張があるのではなく、ただただ美しい情景を追い求めた作品。そういう耽美主義的な作品を私は好きみたい。少し大げさだが、この絵の前で魂を抜かれたような感覚を覚えた。
写真に近いような綿密な描写である。でもやっぱりこの佇まいと雰囲気は絵画でないと表せないと思う。単にシャッターを切っただけでなく、時間をかけて描き込んだ美への執念のようなものが伝わってくる。
「シャクヤクの花」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
魂を抜かれた次はヨダレを垂らしていたかも知れない。モデルもシャクヤクもいうことなし。ラファエル前派の流儀に従って、ドレスの布地は触った感触がわかるくらいの細密さ。ラファエル前派を好きなのはこのリアリティ、情報量の多さによってわかりやすいからかも知れない。この絵は何を意味しているんだろうかと迷うことがない。
「夏の夜」
アルバート・ジョゼフ・ムーア
そして腰が抜けた(^^ゞ 描かれている女性はちょっとギリシャ風。モデルが4人いるのではなく、連続写真のように1名のいろいろなポーズを描いたという説もある作品。
幻想的そのものの女性に対して、背景の海はかなり写実的に描かれている。突き出している半島はなんとなく油壺の風景に似ているし、左側水平線に街の明かりがあるのが妙にリアル。女性を見て次に海を見ると、想像と現実の世界を行き来するようで、心地よいクラクラ感を味わえる。
ーーー続く
すっかり気に入ってラファエル前派の作品をもっと見たいと思った。しかし、たぶんマイナーな分野だろう。森アーツセンターギャラリーでの展覧会もガラガラだったし、まとまって作品を見る機会はそうそうないだろうと諦めていた。しかし予想に反して2年弱で新たな展覧会の開催。私にしては珍しく会期の早い段階、しかも休日に見に行ってきた。
ラファエル前派についてはあれこれと前回に書いたから、
興味があればそちらを参照して欲しい。
前回の展覧会その1
前回の展覧会その2
前回の展覧会その3
開催されているのは渋谷にある東急Bunkamura。渋谷駅から徒歩10分ほど離れたところにある東急百貨店の本店隣りに併設された文化施設。展覧会会場だけでなく音楽ホールや劇場、映画館などが入っている。
2本の巨大な柱に挟まれたのが東急Bunkamura。右隣は東急百貨店本店。道路に面している部分は狭いが内部で広がっている構造。
展覧会入り口で記念撮影。
「春(林檎の花咲く頃)」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
ラファエル前派らしい細密な描写を堪能できる。パッと見は若い女性がピクニックを楽しんでいる風景。しかし右下の黄色いドレスを着て横たわっている女性の上には大きな鎌が描かれている。それが何を意味しているのかは不明だが、いったんそれに気がつくと絵の右下が気になって仕方がなくなる。まあそういう心理効果を狙ったのかな。この女性だけ服の色が他の人とかけ離れているし、目線もこっちをにらんでいる。ひょっとして地縛霊とか?
「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
タイトルは兵士になっていても、これは女性が着ているドレスの光沢と質感をひらすら楽しむべき作品。ドレスはたぶんシルク・サテンの生地。でもアルミ箔のようにも見える(本物はこの写真よりもっとアルミ箔に見える)。ある意味ちょっとやり過ぎともいえる。しかし、このテクニックを見たら、そんな批評は忘れて脱帽せざるを得ない。ミレイのドヤ顔が目に浮かぶような作品。
「シビラ・パルミフェラ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
ロセッティといえば前回の展覧会その3で紹介した「プロセルピナ」が強烈な印象として残っている。あの目ヂカラ女性はジェイン・モリスという彼の不倫相手。この作品は彼女の優しい顔バージョンかと思ったらアレクサ・ワイデルリングという別のモデルらしい。私には同じ女性にしか見えないんだけれど、ロセッティは意外と芸風が狭い?
シビラとは巫女でパルミフェラは勝利を意味する椰子の葉。画面左側には目隠しされたキューピッドとバラ、右側にはドクロとポピーの花が描かれている。それぞれ愛と死を象徴しているらしい。蝶々も舞っている。西洋文化に詳しければ、それらを見ただけで意味することがわかり、もっとこの絵のテーマを理解できるのかも知れない(たとえば義経と弁慶が戦っていれば、それは彼らが最初に出会った時だとわかるように)。残念ながら、そういう知識はないので単純にビジュアルで楽しむだけ。それでも柔和な女性像というだけでなく、何となくいわくありげな雰囲気は伝わってくる。
「祈りの後のマデライン」
ダニエル・マクリース
僅かに差し込む光で陰影を描き分けた作品。それはよくあるテクニックでも、ラファエル前派だから暗い部分を黒塗りにせずに、これでもかというくらい描き込んでいる。
「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
甘美なる無為=何もしないけれど甘美ということだから、この絵はテーマや主張があるのではなく、ただただ美しい情景を追い求めた作品。そういう耽美主義的な作品を私は好きみたい。少し大げさだが、この絵の前で魂を抜かれたような感覚を覚えた。
写真に近いような綿密な描写である。でもやっぱりこの佇まいと雰囲気は絵画でないと表せないと思う。単にシャッターを切っただけでなく、時間をかけて描き込んだ美への執念のようなものが伝わってくる。
「シャクヤクの花」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
魂を抜かれた次はヨダレを垂らしていたかも知れない。モデルもシャクヤクもいうことなし。ラファエル前派の流儀に従って、ドレスの布地は触った感触がわかるくらいの細密さ。ラファエル前派を好きなのはこのリアリティ、情報量の多さによってわかりやすいからかも知れない。この絵は何を意味しているんだろうかと迷うことがない。
「夏の夜」
アルバート・ジョゼフ・ムーア
そして腰が抜けた(^^ゞ 描かれている女性はちょっとギリシャ風。モデルが4人いるのではなく、連続写真のように1名のいろいろなポーズを描いたという説もある作品。
幻想的そのものの女性に対して、背景の海はかなり写実的に描かれている。突き出している半島はなんとなく油壺の風景に似ているし、左側水平線に街の明かりがあるのが妙にリアル。女性を見て次に海を見ると、想像と現実の世界を行き来するようで、心地よいクラクラ感を味わえる。
ーーー続く
wassho at 22:54|Permalink│Comments(0)│
2014年04月04日
ラファエル前派展 テート美術館の至宝 その3
「マリアナ」
ジョン・エヴァレット・ミレー
「ああ〜しんど」というため息が聞こえてきそう。女性の前のテーブルには刺繍を施している生地がおいてあり、その制作途中にひと休みという設定。
マリアナというのはアルフレッド・テニスンというラファエル前派と同時代の詩人の作品名であり、その詩の主人公の女性。その一節は
乙女はただこう言った「わたしの人生は侘しいのです――
あの方がいらっしゃらないから」と。
彼女は言う「わたしはほとほと疲れました――
いっそ死んでしまいたい」と。
マリアナの詩は、シェイクスピアの作品に登場する人物を引用して作られているもので、この絵の背景を理解するにはそれなりの文学的素養が必要。詩に書いてあるように彼女は身体だけでなく心も「しんどい」状況にある。刺繍じゃ暇はつぶせても心は晴れないのが表情から読み取れる。実は彼女は婚約者に逃げられたのだ。でも心配ご無用。そんなことは知らなくても「よう描けてんなあ」「ええ女やなあ」と眺めているだけでこの絵は充分に堪能できる。
例によってラファエル前派ワールド全開で描写は細かい。椅子の脚の光り具合やクッションの皺、極めつけは窓の外の風景。でも床になぜ葉っぱが散らかっているのだろう。刺繍の模様も植物だけれど床の葉っぱとは違う形だからデザインサンプルでもなさそう。この葉っぱだけは状況描写じゃなく心象風景? ところで部屋の壁紙も豪華だし窓にはステンドグラスまであって(受胎告知のシーンだと思うが何か意味があるのかな)、ドレスの生地はたぶんベルベッドとリッチな暮らしぶりのように思えるが床にはネズミが這っている。江戸時代の終わりならそれで普通? それともこれも心象風景なのかな。
「プロセルピナ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
展覧会のポスターにもなった作品。強烈な存在感とハンパない目ヂカラ。肩幅も広い体格。こんな女性がいたら後ずさりしてしまいそう。右肩が髪で隠れてしまっているせいか、首のあたりだけに目をやれば何となくロクロ首のようにみえなくもない。
プロセルピナはローマやギリシャの神話に登場する女神で、こんな生い立ち。
春の女神で、春になると魔法の絵の具で春の花に色をつける。(メルヘンですね)
その美しい姿を見そめた冥界(あの世)の神プルートーに連れ去られる。
拉致されたプロセルピナは冥界でハンストをおこなう。
その後色々あって(省略)プロセルピナは地上に戻れることになる。
地上に戻る日、ハンストでお腹が空いていたのでプルートーに差し出された
ザクロ12粒のうち6粒を食べてしまう。
冥界のものを食べたたら冥界に属するというルールがあったので、
プロセルピナは1年の半分を冥界でプルートーの妻として過ごすことになる。
とまあ、プロセルピナは何かとややこしい人生を送る羽目になってしまった女神である。絵のテーマは囚われの美女といったところかな。でもプロセルピナは冥界で女王としてかなり怖い女神だったらしいから、そんな雰囲気もでているような気がする。ちなみに冥界と地獄とは別の概念だから女閻魔様をやっていたわけじゃないよ。
この絵のモデルはジェイン・モリスという女性で、ラファエル前派の一員であるウィリアム・モリスの奥さん。でもってロセッティの愛人でもあり、しかもモリス(夫)はロセッティ(仲間)とジェイン(妻)のために別荘を借りたりと、いくつもあるラファエル前派ドロ沼物語でも重要な?存在となっている。
なおロセッティはプロセルピナを同じ構図で7年間で8点も描いている。構図の違うバージョンも含めれば18点あるという説も。そんなにたくさん同じ構図のある作品は珍しいと。よほどプロセルピナに関心があったのか、あるいはジェインにゾッコンだったのかな。
展覧会に出品されているのと違うバージョンを2つ。
髪が赤いのは少し優しい表情に見える。
ところでウィリアム・モリスってどこかで聞いた名前だと思ったら、あの壁紙やカーテンのプリントで有名なデザイナーだった。ウィリアム・モリスはあまり絵は描かなかったようだが、意外なところで今の時代とラファエル前派がつながっていてビックリである。
「オフィーリア」
ジョン・エヴァレット・ミレー
この展示会があるまでラファエル前派って何?というレベルだったが、この絵だけは何となく知っていた。雑誌か何かで観たのかもしれない。
オフィーリアはシェイクスピアのハムレットに登場するハムレットの恋人。訳あってハムレットに冷たくされたと勘違いし、またハムレットが誤って(人違いで)オフィーリアの父親を殺してしまう。彼女はそんなこんなの哀しみのあまりやがて発狂し、自殺だったのか事故で落ちたのか川で溺死する。映画のハムレットならオフィーリアが溺死するシーンが撮られることもあるが、劇中では「こういう事だったのよ」と語られるだけで、そのシーンが演じられることはない(らしい)。だからこそ、いろんな画家がオフィーリアの溺死にインスピレーションをかき立てられて絵を描いてきた。その中でもオフィーリアの最高傑作との名声を得ているのが、このミレーのオフィーリアである。
状況を描写するなら「溺死体の美女」。何とも不思議な美しさにあふれる絵である。間違っても「水深浅そう」とか「流れも穏やかなのに」と突っ込んではいけない(^^ゞ 他の画家のオフィーリアもネットでいろいろ見たが、ほとんどが肖像画か川の側にいる生前の姿。オフィーリアをドザエモンに仕立てたミレーの着想は群を抜いている。
例によって人物はもちろん背景の描写に一切の手抜きなし。日の当たらない葉っぱの緑と木の茶色が画面の多くを占めていて暗いイメージが支配的だが、赤や黄色の鮮やかな数輪の花が強烈なアクセントとなっている。ただし小さな花なのでブログに貼ったサイズではそれを感じ取れないかもしれない(クリックして拡大しても)。
その鮮やかな花はオフィーリアが川に落ちる前に摘んでいたもの。溺死体と、その傍らにある生命力をイヤでも感じさせる鮮やかな花の色。この対比がちょっとゾクッとするくらい見事なアイデアである。
ところで溺死体の美女と書いてきたが、この時点のオフィーリアはまだ死んでいないとする解釈もある。気が触れていたオフィーリアは、川に落ちた状況も理解できず歌を口ずさんでいたというのがハムレットでのストーリー。開いた口はそういう風にも見える。そういえば肌の色にもまだ少し精気がある。
やっぱりシェイクスピアのハムレットを絵にしているから、
「生きているのか、死んでいるのか、それが問題だ」(^^ゞ
「破られた誓い」
フィリップ・ハーモジニーズ・コールデロン(ハモジェニーズ・コールドロン)
展覧会で私はまず全体をザッと回って、気に入った絵のところにまた戻るというスタイルで鑑賞する。この絵にはとても気を引かれたのであるが、最初はタイトルの意味がわからなかった。二度目にじっくり観た時も「なぜ破られた誓い?」と思って眺めていて、ようやく壁越しに男女が描かれていると気がついた。彼氏が他の女といるところに遭遇した場面の絵である。モデルは高校生くらいの年代かな。
先に取り上げた3点と較べれば芸術性のレベルは劣る。芸術性の違いって何かといえば売りに出されたとしたら値段がかなり違うということである(^^ゞ それはともかくドーンと迫ってくるものはないが、何か妙に引っかかる絵なのである。
ラファエル前派だから細かく描き込まれている。しかし他の画家とは技法がかなり違う。ほとんど筆のタッチを感じさせないCG的というか塗り絵的というか。実はそういうのはあまり好みじゃない。でもテクニックは神業的。特にスカートはプリント模様の生地で、フワッとしてヒダがいくつも入っている様子が見事に表現されている。それと袖から覗いているブラウスは、まるで指でつまめそうだった。これだけ丁寧に描くのに、どの程度の時間がかかるのだろう。どうしてもそういうところに目が行くから、壁の後ろにいる男女に気がつかなかったのかもしれない。
表情がなかなか微妙である。一般的には悲しみの場面ということになるのだろうが、それだけには見えなかった。彼女は何となく気が強そうである。泣き出しそうというより「ケッ、こんな男に惚れていた自分が情けないわ」と悲しみ半分嫌悪感半分の表情に思える。どうでもいいけれど、壁の向こうの女性は鼻の一部と唇くらいしか見えないが、あまり美人とは思えない。横顔がわずかに見える男性もアホっぽそうである。「破られた誓い」ということは婚約でもしていたんだろうか。まあ結婚する前につまらない男ということがわかってよかったんじゃないか。以上、私の勝手なモーソーでした(^^ゞ
ミレーのオフィーリアを除いて、初めて観る絵ばかりのラファエル前派はとてもおもしろかった。ディティールに手を抜かない描き方は見応えがあるし、それぞれの絵にテーマや主張があるものが多く、ある意味わかりやすくてのめり込みやすい。そんなに長く展覧会にいなかったのに濃厚な時間を過ごした気がする。彼らがアンチ・ラファエロを旗印にあげていても、もちろん私はラファエロはラファエロで好き。でも次にラファエロの絵を観る時には、今までと違った見方ができそうで楽しみである。ラファエル前派の絵ももっと観たい。
おしまい
ジョン・エヴァレット・ミレー
「ああ〜しんど」というため息が聞こえてきそう。女性の前のテーブルには刺繍を施している生地がおいてあり、その制作途中にひと休みという設定。
マリアナというのはアルフレッド・テニスンというラファエル前派と同時代の詩人の作品名であり、その詩の主人公の女性。その一節は
乙女はただこう言った「わたしの人生は侘しいのです――
あの方がいらっしゃらないから」と。
彼女は言う「わたしはほとほと疲れました――
いっそ死んでしまいたい」と。
マリアナの詩は、シェイクスピアの作品に登場する人物を引用して作られているもので、この絵の背景を理解するにはそれなりの文学的素養が必要。詩に書いてあるように彼女は身体だけでなく心も「しんどい」状況にある。刺繍じゃ暇はつぶせても心は晴れないのが表情から読み取れる。実は彼女は婚約者に逃げられたのだ。でも心配ご無用。そんなことは知らなくても「よう描けてんなあ」「ええ女やなあ」と眺めているだけでこの絵は充分に堪能できる。
例によってラファエル前派ワールド全開で描写は細かい。椅子の脚の光り具合やクッションの皺、極めつけは窓の外の風景。でも床になぜ葉っぱが散らかっているのだろう。刺繍の模様も植物だけれど床の葉っぱとは違う形だからデザインサンプルでもなさそう。この葉っぱだけは状況描写じゃなく心象風景? ところで部屋の壁紙も豪華だし窓にはステンドグラスまであって(受胎告知のシーンだと思うが何か意味があるのかな)、ドレスの生地はたぶんベルベッドとリッチな暮らしぶりのように思えるが床にはネズミが這っている。江戸時代の終わりならそれで普通? それともこれも心象風景なのかな。
「プロセルピナ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
展覧会のポスターにもなった作品。強烈な存在感とハンパない目ヂカラ。肩幅も広い体格。こんな女性がいたら後ずさりしてしまいそう。右肩が髪で隠れてしまっているせいか、首のあたりだけに目をやれば何となくロクロ首のようにみえなくもない。
プロセルピナはローマやギリシャの神話に登場する女神で、こんな生い立ち。
春の女神で、春になると魔法の絵の具で春の花に色をつける。(メルヘンですね)
その美しい姿を見そめた冥界(あの世)の神プルートーに連れ去られる。
拉致されたプロセルピナは冥界でハンストをおこなう。
その後色々あって(省略)プロセルピナは地上に戻れることになる。
地上に戻る日、ハンストでお腹が空いていたのでプルートーに差し出された
ザクロ12粒のうち6粒を食べてしまう。
冥界のものを食べたたら冥界に属するというルールがあったので、
プロセルピナは1年の半分を冥界でプルートーの妻として過ごすことになる。
とまあ、プロセルピナは何かとややこしい人生を送る羽目になってしまった女神である。絵のテーマは囚われの美女といったところかな。でもプロセルピナは冥界で女王としてかなり怖い女神だったらしいから、そんな雰囲気もでているような気がする。ちなみに冥界と地獄とは別の概念だから女閻魔様をやっていたわけじゃないよ。
この絵のモデルはジェイン・モリスという女性で、ラファエル前派の一員であるウィリアム・モリスの奥さん。でもってロセッティの愛人でもあり、しかもモリス(夫)はロセッティ(仲間)とジェイン(妻)のために別荘を借りたりと、いくつもあるラファエル前派ドロ沼物語でも重要な?存在となっている。
なおロセッティはプロセルピナを同じ構図で7年間で8点も描いている。構図の違うバージョンも含めれば18点あるという説も。そんなにたくさん同じ構図のある作品は珍しいと。よほどプロセルピナに関心があったのか、あるいはジェインにゾッコンだったのかな。
展覧会に出品されているのと違うバージョンを2つ。
髪が赤いのは少し優しい表情に見える。
ところでウィリアム・モリスってどこかで聞いた名前だと思ったら、あの壁紙やカーテンのプリントで有名なデザイナーだった。ウィリアム・モリスはあまり絵は描かなかったようだが、意外なところで今の時代とラファエル前派がつながっていてビックリである。
「オフィーリア」
ジョン・エヴァレット・ミレー
この展示会があるまでラファエル前派って何?というレベルだったが、この絵だけは何となく知っていた。雑誌か何かで観たのかもしれない。
オフィーリアはシェイクスピアのハムレットに登場するハムレットの恋人。訳あってハムレットに冷たくされたと勘違いし、またハムレットが誤って(人違いで)オフィーリアの父親を殺してしまう。彼女はそんなこんなの哀しみのあまりやがて発狂し、自殺だったのか事故で落ちたのか川で溺死する。映画のハムレットならオフィーリアが溺死するシーンが撮られることもあるが、劇中では「こういう事だったのよ」と語られるだけで、そのシーンが演じられることはない(らしい)。だからこそ、いろんな画家がオフィーリアの溺死にインスピレーションをかき立てられて絵を描いてきた。その中でもオフィーリアの最高傑作との名声を得ているのが、このミレーのオフィーリアである。
状況を描写するなら「溺死体の美女」。何とも不思議な美しさにあふれる絵である。間違っても「水深浅そう」とか「流れも穏やかなのに」と突っ込んではいけない(^^ゞ 他の画家のオフィーリアもネットでいろいろ見たが、ほとんどが肖像画か川の側にいる生前の姿。オフィーリアをドザエモンに仕立てたミレーの着想は群を抜いている。
例によって人物はもちろん背景の描写に一切の手抜きなし。日の当たらない葉っぱの緑と木の茶色が画面の多くを占めていて暗いイメージが支配的だが、赤や黄色の鮮やかな数輪の花が強烈なアクセントとなっている。ただし小さな花なのでブログに貼ったサイズではそれを感じ取れないかもしれない(クリックして拡大しても)。
その鮮やかな花はオフィーリアが川に落ちる前に摘んでいたもの。溺死体と、その傍らにある生命力をイヤでも感じさせる鮮やかな花の色。この対比がちょっとゾクッとするくらい見事なアイデアである。
ところで溺死体の美女と書いてきたが、この時点のオフィーリアはまだ死んでいないとする解釈もある。気が触れていたオフィーリアは、川に落ちた状況も理解できず歌を口ずさんでいたというのがハムレットでのストーリー。開いた口はそういう風にも見える。そういえば肌の色にもまだ少し精気がある。
やっぱりシェイクスピアのハムレットを絵にしているから、
「生きているのか、死んでいるのか、それが問題だ」(^^ゞ
「破られた誓い」
フィリップ・ハーモジニーズ・コールデロン(ハモジェニーズ・コールドロン)
展覧会で私はまず全体をザッと回って、気に入った絵のところにまた戻るというスタイルで鑑賞する。この絵にはとても気を引かれたのであるが、最初はタイトルの意味がわからなかった。二度目にじっくり観た時も「なぜ破られた誓い?」と思って眺めていて、ようやく壁越しに男女が描かれていると気がついた。彼氏が他の女といるところに遭遇した場面の絵である。モデルは高校生くらいの年代かな。
先に取り上げた3点と較べれば芸術性のレベルは劣る。芸術性の違いって何かといえば売りに出されたとしたら値段がかなり違うということである(^^ゞ それはともかくドーンと迫ってくるものはないが、何か妙に引っかかる絵なのである。
ラファエル前派だから細かく描き込まれている。しかし他の画家とは技法がかなり違う。ほとんど筆のタッチを感じさせないCG的というか塗り絵的というか。実はそういうのはあまり好みじゃない。でもテクニックは神業的。特にスカートはプリント模様の生地で、フワッとしてヒダがいくつも入っている様子が見事に表現されている。それと袖から覗いているブラウスは、まるで指でつまめそうだった。これだけ丁寧に描くのに、どの程度の時間がかかるのだろう。どうしてもそういうところに目が行くから、壁の後ろにいる男女に気がつかなかったのかもしれない。
表情がなかなか微妙である。一般的には悲しみの場面ということになるのだろうが、それだけには見えなかった。彼女は何となく気が強そうである。泣き出しそうというより「ケッ、こんな男に惚れていた自分が情けないわ」と悲しみ半分嫌悪感半分の表情に思える。どうでもいいけれど、壁の向こうの女性は鼻の一部と唇くらいしか見えないが、あまり美人とは思えない。横顔がわずかに見える男性もアホっぽそうである。「破られた誓い」ということは婚約でもしていたんだろうか。まあ結婚する前につまらない男ということがわかってよかったんじゃないか。以上、私の勝手なモーソーでした(^^ゞ
ミレーのオフィーリアを除いて、初めて観る絵ばかりのラファエル前派はとてもおもしろかった。ディティールに手を抜かない描き方は見応えがあるし、それぞれの絵にテーマや主張があるものが多く、ある意味わかりやすくてのめり込みやすい。そんなに長く展覧会にいなかったのに濃厚な時間を過ごした気がする。彼らがアンチ・ラファエロを旗印にあげていても、もちろん私はラファエロはラファエロで好き。でも次にラファエロの絵を観る時には、今までと違った見方ができそうで楽しみである。ラファエル前派の絵ももっと観たい。
おしまい
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