ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ
2016年01月19日
英国の夢 ラファエル前派展 その2
「ペラジアとフィラモン」
アーサー・ハッカー
フード付きのマントをまとった男が怪しげ。横たわっている女性の頭に天使の輪がなければ、ヘンタイ的なシーンを連想したかも知れない。
当時の小説から題材を取った作品で、宗教的な罪をあがなうために荒野に向かった妹のベラジアを、修道士である兄のフィラモンが見つけ出した時は死にかけていたという設定。キリスト教では臨終の前から祈りを捧げるからそういうシーンかと思う。フィラモンの横にあるお盆は葬式セットで、杯には赤ワインが入っておりその横の小さなものはパンだろう。ワインは仏教でいう「死に水を取る」というのと同じことをする。ところで死に水は最後に水を飲ませてあげることなのに「取る」と表現するのが不思議。
描かれているシーンに反して「死や哀しみ」のイメージは希薄だし「聖なる」印象もあまりない。ペラジアはほぼ裸だけれど「官能的」でもない。たぶんベースとなった小説の内容を知らないと、この情景描写を理解できない気がする。それでもわからないなりに、あるいはわからないからこそ、この静かな静かな光景に目を奪われてしまう不思議な作品。なかなか奥が深いラファエル前派である。
「十字架下のマグダラのマリア」
ジョージ・フレデリック・ワッツ
マグダラのマリアはキリスト教をテーマにした絵画でよく登場する女性。「十字架下の〜」というタイトルがなくても、柱の下で彼女が悲しみに暮れていたら、それはイエスが磔にされた十字架ということになる。聖書を読んだことはないが、いろんな絵を見ることでそういうことを何となく覚えた。
この絵も「ペラジアとフィラモン」と同じく静かな絵である。静かで深い悲しみ。それは良く表現されていると思うが、西洋人ではないのでイエスが磔にされた哀しみというものが今ひとつ共有できない。だから心にグッと来るまでには至らない。そんなカルチャーギャップはいかんともしがたい。
「楽園追放」
ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ
アダムとイブがエデンの園で、禁断の林檎を食べて追放される有名なシーン。アダムは顔を手で覆ってお先真っ暗な感じなのに対して、イブは困惑しながらも次の一手を思案しているように見えるのがおもしろい。やはり人類創世の時代から女性のほうが逆境に強いのかもしれない(^^ゞ
良くいえばメルヘンチック、悪くいえば幼稚な作風ではある。でも肩の力を抜いてみられるこんな絵も嫌いじゃない。ヨーロッパのリンゴは日本と較べると小振りなものが多いが、それにしても絵に描かれているリンゴが小さいね。
「デカメロン」
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
リンゴの次はメロンーーーではない。デカメロンとは大きなメロンではなく、イタリアの古典文学。14世紀のフィレンツェでペストの流行を避けて郊外に疎開した男女10人が、それぞれ10話づつ合計100のお話をするという物語。ギリシャ語で10日を意味するdeka hemeraiに由来したタイトル。読んだことはないし映画化されたものを見てもいないが、なんとなく言葉に聞き覚えがあるのは「デカいメロン」を連想させてインパクトがあるからだろう。
屈託のない絵である。ミレイの「春(林檎の花咲く頃)」のような謎めいたメッセージもなし。中世イタリアの若者はこんなファッションで「すべらない話」をしていたのかなどと想像するのが楽しい。
2014年の展覧会の時に、ラファエル前派はビートルズみたいだと書いた。彼らの出身はイギリスのリバプール。それで今回の展覧会はリバプール国立美術館所蔵の作品で構成されている。出身地まで共通点があったのか?とびっくりしたが、どうもそうではなさそう。
ラファエル前派が結成されたのは1848年、つまり産業革命のその頃にリバプールは繊維産業と貿易で栄えていて、ロンドンについでイギリス第2の都市だった。それで裕福だったので当時の絵画のコレクションを増やし、それが今に残っているといういきさつ。ラファエル前派が活躍したのはロンドンで、リバプールがその舞台だったわけじゃない。ちなみに両者は直線距離で320キロほど離れている。(東京から琵琶湖くらいの距離)
リバプールは20世紀中頃からは衰退してスラムも多かったらしいが、今は観光都市となっている模様。衰退→観光都市というパターンは北海道の小樽に似ているのかも知れない。リバプールについてもう少し調べようと思ったが、検索するとサッカーチームのリバプールFC関連ばかりヒットするので面倒になってやめた。
展覧会が始まってから半月少々の土曜日の昼過ぎに訪れたのに、会場はガラガラだった。やっぱりラファエル前派は人気がないのかなあ? キレイだし楽しめるし画家のテクニックも確かなのに。空いていると見やすくて助かるが、集客が見込めないと次の展覧会が来ないんじゃないかと気掛かり。
東京では3月6日までやっているので、ブリティッシュ・ビューティーに浸りたければ是非。
おしまい
アーサー・ハッカー
フード付きのマントをまとった男が怪しげ。横たわっている女性の頭に天使の輪がなければ、ヘンタイ的なシーンを連想したかも知れない。
当時の小説から題材を取った作品で、宗教的な罪をあがなうために荒野に向かった妹のベラジアを、修道士である兄のフィラモンが見つけ出した時は死にかけていたという設定。キリスト教では臨終の前から祈りを捧げるからそういうシーンかと思う。フィラモンの横にあるお盆は葬式セットで、杯には赤ワインが入っておりその横の小さなものはパンだろう。ワインは仏教でいう「死に水を取る」というのと同じことをする。ところで死に水は最後に水を飲ませてあげることなのに「取る」と表現するのが不思議。
描かれているシーンに反して「死や哀しみ」のイメージは希薄だし「聖なる」印象もあまりない。ペラジアはほぼ裸だけれど「官能的」でもない。たぶんベースとなった小説の内容を知らないと、この情景描写を理解できない気がする。それでもわからないなりに、あるいはわからないからこそ、この静かな静かな光景に目を奪われてしまう不思議な作品。なかなか奥が深いラファエル前派である。
「十字架下のマグダラのマリア」
ジョージ・フレデリック・ワッツ
マグダラのマリアはキリスト教をテーマにした絵画でよく登場する女性。「十字架下の〜」というタイトルがなくても、柱の下で彼女が悲しみに暮れていたら、それはイエスが磔にされた十字架ということになる。聖書を読んだことはないが、いろんな絵を見ることでそういうことを何となく覚えた。
この絵も「ペラジアとフィラモン」と同じく静かな絵である。静かで深い悲しみ。それは良く表現されていると思うが、西洋人ではないのでイエスが磔にされた哀しみというものが今ひとつ共有できない。だから心にグッと来るまでには至らない。そんなカルチャーギャップはいかんともしがたい。
「楽園追放」
ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ
アダムとイブがエデンの園で、禁断の林檎を食べて追放される有名なシーン。アダムは顔を手で覆ってお先真っ暗な感じなのに対して、イブは困惑しながらも次の一手を思案しているように見えるのがおもしろい。やはり人類創世の時代から女性のほうが逆境に強いのかもしれない(^^ゞ
良くいえばメルヘンチック、悪くいえば幼稚な作風ではある。でも肩の力を抜いてみられるこんな絵も嫌いじゃない。ヨーロッパのリンゴは日本と較べると小振りなものが多いが、それにしても絵に描かれているリンゴが小さいね。
「デカメロン」
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
リンゴの次はメロンーーーではない。デカメロンとは大きなメロンではなく、イタリアの古典文学。14世紀のフィレンツェでペストの流行を避けて郊外に疎開した男女10人が、それぞれ10話づつ合計100のお話をするという物語。ギリシャ語で10日を意味するdeka hemeraiに由来したタイトル。読んだことはないし映画化されたものを見てもいないが、なんとなく言葉に聞き覚えがあるのは「デカいメロン」を連想させてインパクトがあるからだろう。
屈託のない絵である。ミレイの「春(林檎の花咲く頃)」のような謎めいたメッセージもなし。中世イタリアの若者はこんなファッションで「すべらない話」をしていたのかなどと想像するのが楽しい。
2014年の展覧会の時に、ラファエル前派はビートルズみたいだと書いた。彼らの出身はイギリスのリバプール。それで今回の展覧会はリバプール国立美術館所蔵の作品で構成されている。出身地まで共通点があったのか?とびっくりしたが、どうもそうではなさそう。
ラファエル前派が結成されたのは1848年、つまり産業革命のその頃にリバプールは繊維産業と貿易で栄えていて、ロンドンについでイギリス第2の都市だった。それで裕福だったので当時の絵画のコレクションを増やし、それが今に残っているといういきさつ。ラファエル前派が活躍したのはロンドンで、リバプールがその舞台だったわけじゃない。ちなみに両者は直線距離で320キロほど離れている。(東京から琵琶湖くらいの距離)
リバプールは20世紀中頃からは衰退してスラムも多かったらしいが、今は観光都市となっている模様。衰退→観光都市というパターンは北海道の小樽に似ているのかも知れない。リバプールについてもう少し調べようと思ったが、検索するとサッカーチームのリバプールFC関連ばかりヒットするので面倒になってやめた。
展覧会が始まってから半月少々の土曜日の昼過ぎに訪れたのに、会場はガラガラだった。やっぱりラファエル前派は人気がないのかなあ? キレイだし楽しめるし画家のテクニックも確かなのに。空いていると見やすくて助かるが、集客が見込めないと次の展覧会が来ないんじゃないかと気掛かり。
東京では3月6日までやっているので、ブリティッシュ・ビューティーに浸りたければ是非。
おしまい
wassho at 08:44|Permalink│Comments(0)│