スーラ
2021年10月11日
ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント その3
展覧会の構成は
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 21:38|Permalink│Comments(0)│
2013年11月02日
モネ 風景を見る眼 19世紀フランス風景画の革新
前2回で書いた箱根ツーリングの目的はススキと、
このクロード・モネ展である。
この展覧会は企画の成り立ちが変わっている。モネを19作品と日本で一番コレクションしているポーラ美術館と、ほぼ同規模の17作品を持っている上野の国立西洋美術館が、お互いの作品を貸し出し合って、つまり19+16(なぜか国立西洋美術館は出展が1作品少ない)=35作品のモネを集めた規模にして展覧会を実施。ポーラ美術館は11月24日まで。その後、国立西洋美術館で12月7日から来年3月9日まで開催される。
ちなみに入場料は国立西洋美術館の1200円に対して、ポーラ美術館は1800円と観光地価格。でもポーラ美術館はガラガラと言っていいほど空いている。5つのコーナーに分かれているが、私が訪れた日曜の昼過ぎで、各コーナーにいたのは10名くらい。こんなことは国立西洋美術館ではあり得ない。どれだけじっくり鑑賞できたかの価値を国立西洋美術館の1200円を基準に考えると、最低でも10万円くらいになるかな。
といいつつ、前回訪れた時にもらったスタンプカードを提示して、ちゃっかり200円引きの1600円で入場(^^ゞ なお初めて行く人もホームページのインターネット割引券を使えば100円引きの1700円になる。
第1展示室の入り口。
グローバルスタンダードでは美術館で写真を撮ることは自由だが、ここ日本では禁止なのが残念。どうしてこんな風習になったのだろう。
入り口を入ってすぐ、いきなりドカーンと現れるのがこの2作品。どちらもポスターやチケットに使われている、いってみれば今回の目玉作品。そういう作品は、たいてい展示構成の中頃過ぎにあることが多いのでサプライズ感あり。
「舟遊び」 モネ
「バラ色のボート」 モネ
舟遊びは(タテヨコ)145.5センチ×133.5センチ、バラ色のボートは135.3×176.5センチとどちらも大きな作品。いきなり145.5センチといわれてもピンとこないかもしれないが、人の身長を基準に思い浮かべると絵の大きさをイメージしやすいかも。
モネといえば睡蓮で水辺を連想するが、そういう意味では、どちらもモネ・ワールド全開。「舟遊び」のほうがなんとなく見慣れたモネの色使い。
「雪のアルジャントゥイユ」 モネ
アルジャントゥイユとは地名。パリから北に15キロ程離れたところ。
雪景色の感じがよくでているなあと思って眺める。たぶん空を白っぽく塗ったのが、そのトリックかもしれない。感じたままに表現するのが印象派である。
「ジヴェルニーの積みわら」 モネ
ジヴェルニーも地名である。
積みわらを見るとミレーを思い出す。絵のタッチは少しゴッホにも似ている。それでいてモネらしさはもちろんある。つまり一粒で三回おいしいお得な作品。
「花咲く堤、アルジャントゥイユ」 モネ
いい絵である。間違いなく。でも煙突から出ている煙の描き方は手を抜きすぎやろと、モネに突っ込んでみる(^^ゞ
「波立つプールヴィルの海」 モネ
こっちはもっと突っ込みどころ満載。まずどんなに海が荒れても海面は、こんな沖まで真っ白にはならない。百歩譲って真っ白な状態になるほどの大嵐だとしたら、描かれているほど波打ち際に近づけば確実に波にさらわれる。あれこれ突っ込みを入れて画家とコミュニケーションしながら絵を見るのも楽しいよ。
モネ=睡蓮。そんな意識があるからか、この絵を見た時は「あ、出た出た」と思ってしまったが、これはゴッホの描いたバラだった(>_<)
「ばら」 ゴッホ
花のところは確かにバラなんだけれど、バラの茎があって地面から伸びて生えているようには見えないんだけどなあ。
「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」 ゴッホ
これもゴッホ。運河の左側にたぶん洗濯をしている女性が3人並んでいる。少しわかりづらいが一番手前の人物の上半身と一番奥の人物の下半身は、赤い輪郭線が描かれているだけである。つまり川面や土手の地面が透けているというか何も描かれていない。表現手法?それともオチャメ?
「トルーヴィルの浜」 ウジューヌ・ブーダン
すごく印象に残った作品。
それは絵そのものとはほとんど関係なくて、着飾った男女というか紳士淑女がビーチにいるから。スーツやドレスを着て砂浜に行ったことってないでしょ? この絵が描かれた1867年(明治元年が1868年)頃のヨーロッパは砂浜も社交の場だったのかな。それにしてもたくさん集まって何をしているんだろう。飲んだり食べたりはしていないみたいだし。
「グランカンの干潮」 ジョルジュ・スーラ
のどかなのどかな作品。
こんな光景を眺めながら夏休みを過ごしたい。
「睡蓮」 モネ
「睡蓮の池」 モネ
絵にある池はモネの自宅の庭にあり、彼は睡蓮(すいれん)の絵を200点以上も制作している。だから今まであちこちでモネの睡蓮は目にしてきた。でも見慣れているとはいえやっぱりモネは睡蓮である。モネの展示会で睡蓮の絵がなかったらガッカリする。サザンのライブを聴きに行って「勝手にシンドバッド」が演奏されないようなものである。そして最初にも触れたようにポーラ美術館は都内の美術館のように混雑していない。近づいたり離れたり、真正面でも斜め横からでも好きなように見ることができる。たっぷり堪能できて「絵を見たぞ〜モネを見たぞ〜」と満腹気分を味わえた。
ーーー続く
このクロード・モネ展である。
この展覧会は企画の成り立ちが変わっている。モネを19作品と日本で一番コレクションしているポーラ美術館と、ほぼ同規模の17作品を持っている上野の国立西洋美術館が、お互いの作品を貸し出し合って、つまり19+16(なぜか国立西洋美術館は出展が1作品少ない)=35作品のモネを集めた規模にして展覧会を実施。ポーラ美術館は11月24日まで。その後、国立西洋美術館で12月7日から来年3月9日まで開催される。
ちなみに入場料は国立西洋美術館の1200円に対して、ポーラ美術館は1800円と観光地価格。でもポーラ美術館はガラガラと言っていいほど空いている。5つのコーナーに分かれているが、私が訪れた日曜の昼過ぎで、各コーナーにいたのは10名くらい。こんなことは国立西洋美術館ではあり得ない。どれだけじっくり鑑賞できたかの価値を国立西洋美術館の1200円を基準に考えると、最低でも10万円くらいになるかな。
といいつつ、前回訪れた時にもらったスタンプカードを提示して、ちゃっかり200円引きの1600円で入場(^^ゞ なお初めて行く人もホームページのインターネット割引券を使えば100円引きの1700円になる。
第1展示室の入り口。
グローバルスタンダードでは美術館で写真を撮ることは自由だが、ここ日本では禁止なのが残念。どうしてこんな風習になったのだろう。
入り口を入ってすぐ、いきなりドカーンと現れるのがこの2作品。どちらもポスターやチケットに使われている、いってみれば今回の目玉作品。そういう作品は、たいてい展示構成の中頃過ぎにあることが多いのでサプライズ感あり。
「舟遊び」 モネ
「バラ色のボート」 モネ
舟遊びは(タテヨコ)145.5センチ×133.5センチ、バラ色のボートは135.3×176.5センチとどちらも大きな作品。いきなり145.5センチといわれてもピンとこないかもしれないが、人の身長を基準に思い浮かべると絵の大きさをイメージしやすいかも。
モネといえば睡蓮で水辺を連想するが、そういう意味では、どちらもモネ・ワールド全開。「舟遊び」のほうがなんとなく見慣れたモネの色使い。
「雪のアルジャントゥイユ」 モネ
アルジャントゥイユとは地名。パリから北に15キロ程離れたところ。
雪景色の感じがよくでているなあと思って眺める。たぶん空を白っぽく塗ったのが、そのトリックかもしれない。感じたままに表現するのが印象派である。
「ジヴェルニーの積みわら」 モネ
ジヴェルニーも地名である。
積みわらを見るとミレーを思い出す。絵のタッチは少しゴッホにも似ている。それでいてモネらしさはもちろんある。つまり一粒で三回おいしいお得な作品。
「花咲く堤、アルジャントゥイユ」 モネ
いい絵である。間違いなく。でも煙突から出ている煙の描き方は手を抜きすぎやろと、モネに突っ込んでみる(^^ゞ
「波立つプールヴィルの海」 モネ
こっちはもっと突っ込みどころ満載。まずどんなに海が荒れても海面は、こんな沖まで真っ白にはならない。百歩譲って真っ白な状態になるほどの大嵐だとしたら、描かれているほど波打ち際に近づけば確実に波にさらわれる。あれこれ突っ込みを入れて画家とコミュニケーションしながら絵を見るのも楽しいよ。
モネ=睡蓮。そんな意識があるからか、この絵を見た時は「あ、出た出た」と思ってしまったが、これはゴッホの描いたバラだった(>_<)
「ばら」 ゴッホ
花のところは確かにバラなんだけれど、バラの茎があって地面から伸びて生えているようには見えないんだけどなあ。
「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」 ゴッホ
これもゴッホ。運河の左側にたぶん洗濯をしている女性が3人並んでいる。少しわかりづらいが一番手前の人物の上半身と一番奥の人物の下半身は、赤い輪郭線が描かれているだけである。つまり川面や土手の地面が透けているというか何も描かれていない。表現手法?それともオチャメ?
「トルーヴィルの浜」 ウジューヌ・ブーダン
すごく印象に残った作品。
それは絵そのものとはほとんど関係なくて、着飾った男女というか紳士淑女がビーチにいるから。スーツやドレスを着て砂浜に行ったことってないでしょ? この絵が描かれた1867年(明治元年が1868年)頃のヨーロッパは砂浜も社交の場だったのかな。それにしてもたくさん集まって何をしているんだろう。飲んだり食べたりはしていないみたいだし。
「グランカンの干潮」 ジョルジュ・スーラ
のどかなのどかな作品。
こんな光景を眺めながら夏休みを過ごしたい。
「睡蓮」 モネ
「睡蓮の池」 モネ
絵にある池はモネの自宅の庭にあり、彼は睡蓮(すいれん)の絵を200点以上も制作している。だから今まであちこちでモネの睡蓮は目にしてきた。でも見慣れているとはいえやっぱりモネは睡蓮である。モネの展示会で睡蓮の絵がなかったらガッカリする。サザンのライブを聴きに行って「勝手にシンドバッド」が演奏されないようなものである。そして最初にも触れたようにポーラ美術館は都内の美術館のように混雑していない。近づいたり離れたり、真正面でも斜め横からでも好きなように見ることができる。たっぷり堪能できて「絵を見たぞ〜モネを見たぞ〜」と満腹気分を味わえた。
ーーー続く
wassho at 15:43|Permalink│Comments(0)│