ターナー
2019年06月20日
ラスキン生誕200年記念 ラファエル前派の軌跡
5月のゴールデンウィークにラ・フォル・ジュルネ(クラシックの音楽祭)の公演の合間を縫って見に行った展覧会。他にいろいろブログにすることが多かったのでようやくの投稿。
ラファエル前派については過去に2回の展覧会を見に行き、それを5回のブログにしている。
あれこれ読みたければそちらをどうぞ。
ラファエル前派その1
ラファエル前派その2
ラファエル前派その3
英国の夢 ラファエル前派展その1
英国の夢 ラファエル前派展その2
ラファエル前派って何?ラファエロの間違いじゃないかと思ったくらい、最初の展覧会に行くまで、このカテゴリーのことは知らなかった。ごくかいつまんで書くと、
19世紀中頃のイギリスではルネサンス期、特にラファエロを手本にした
権威主義的な絵画が主流だった。
↓
それに反発した3名の美術学校の学生が、1848年にラファエロ以前に戻ろうと
結成したグループがラファエル前派。
※ラファエルはイタリア語のラファエロの英語読み
↓
こういう動きは当然として美術界から反感を買う。その彼らを擁護し支援したのが
ジョン・ラスキンという大物の美術評論家。
↓
ラファエロ前派のグループ自体は1853年には事実上解散したが、その考え方は
その後も広がりを見せる。ほぼ同じ時代の象徴派と並ぶ影響があったという説もある。
イギリス、若者、反抗という点から、ラファエル前派は何となくビートルズとイメージが重なる。さしずめジョン・ラスキンがビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティン。
それはともかくラファエル前派の絵画を私はたいへん気に入った。どこがどうよかったのかは過去のブログを読んでほしい。だからこの展覧会も楽しみにしていた。
しかし最初に書いておくと、期待値が高かったからかもしれないが、この展覧会はイマイチの感が否めず。これが初めて見るラファエル前派だったら、ラファエル前派は私のお気に入りのカテゴリーになっていなかったかもしれない。
その要因の1つは展覧会のタイトルに「ラスキン生誕200年記念」とあるように、ラスキンに重きを置いたコンセプトや構成にある。
全展示152点のうちラスキンが40作品、つまり1/4を占める。しかも展覧会のほぼ出だしからである。そして、そのほとんどがツマラナイ(/o\)
ラスキンが当時の美術評論家としてかなりの地位と名声を得ていたことは間違いない。しかし画家としては40作品も展示するレベルにはまったく達していない。ジョージ・マーティンだってピアノを弾いたし、ひょっとしたら歌も歌ったかもしれない。でもそれをレコーディングするなんてことはしなかった。三菱1号館美術館にはラスキンの熱烈なファンでもいるのだろうか。
ところでラスキンはラファエロ前派より1世代ほど前のイギリス屈指の風景画家であるターナーとも親しかったことで有名。そういうことから展覧会はターナー作品から始まる。しかしラファエロ前派の画家たちは当然ターナーの絵を見ているはずだが、彼らがターナーから直接的な影響を受けた形跡はない。「ラスキン生誕200年記念」だから仕方ないが、ラファエル前派的にはターナーを一緒に並べる意味はないし雰囲気的にも合っていない。
まあ数年ぶりにターナーの絵を何点か見られたのはよしとするが。
「エーレンブライトシュタイン 破壊される要塞」 ターナー 1819-20年
「エーレンブライトシュタイン」 ターナー 1832年頃
「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」 ターナー 1830年
仕方ないので、ラスキンの作品も紹介。
「モンブランの雪―サン・ジェルヴェ・レ・バンで」 ジョン・ラスキン 1849年
「ストラスブール大聖堂の塔」 ジョン・ラスキン 1842年
「高脚アーキヴォールト:カ・フォスカリ川岸、ビザンツ帝国期の廃墟−ヴェネツィア」
ジョン・ラスキン 1849年
1枚目は観光地でキャンバスを立てて写生しているオッサン・オバハンの絵と変わらない。2〜3枚目は描写が細かいので小さな画像だと多少はマシに見える。残りの作品のほとんどはこの3枚以下のレベル。もっともラスキンの立場に立って考えると、彼はよく旅行をしている。この時代にカメラは発明されていたが、持ち運んで風景を撮るレベルの実用性はなかったはず。美術評論家として興味を持った風景の記録用、研究用に描いたものなんじゃないかな。まさか生誕200年の展覧会が外国で開かれるなんて予想だにしていなかったと思うけれど。
ラスキンの絵をさんざん見せられた後に、ようやくラファエル前派の作品になる。
しかし、そこでもいろいろ問題が。
ーーー続く
wassho at 08:28|Permalink│Comments(0)│
2013年12月18日
ターナー展
この秋に始まった絵の展示会で見に行きたかったのは、横浜美術館の横山大観展と、この東京都美術館のターナー展。興味を持った理由はどちらも同じで、横山大観もターナーも何となく知ってはいるけれど、まとまった数の作品を見たことがなかったから。残念ながら横山大観展は見に行けずじまい。まあ日本の画家だから今後も機会はいくらでもあるだろう。
一方のターナーの大規模な展示会は日本で過去2回しか行われておらず、今回を見逃すと次はいつになるかわからない。というわけで、気がつけば会期終了まで残すところ1週間ほどとなった先週に慌てて出かけてきた次第。
ターナーはイギリスを代表する画家で風景画を専門とする。1775年生まれ1851年没だから、日本では江戸時代後期の人(明治維新が1868年)。美術史的には印象派の前のロマン主義という時代に属する。ロマン主義についてはあまり詳しくないので説明はやめておく。
ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルノワール、ゴッホなど、しょっちゅう展示会が開催されている画家と較べたらターナーの知名度は低いと思う。でもなぜか昔からその存在だけは知っていた。しかし「イギリス人の風景画家」なんてのにはまったく興味が湧かず。これはある種のブランドイメージの影響。イギリスという国にはあまり美術系のイメージがない。それに風景画というのも何となくそそらない。
とはいえイギリスでは序列第1位の画家(たぶん)だから、たまに何かで紹介される。いつ頃からかは忘れたが、やがて多少は気になる存在に。そして1年前の同じく東京都美術館で開催されたメトロポリタン美術館展。そこで見たターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」という作品にけっこうグラッと来た。というわけで、今回の展示会はかなり楽しみにしていたのである。その割に訪れたのは会期終了間際になってしまったが。
イチョウがきれいな上野公園。
ここでポスターを撮るのは毎回のお約束。
ターナー展なんてコケてるんじゃないかと心配していたが、平日の昼間に行ったのにけっこうな混雑。かつて私が食わず嫌いだっただけで、ターナーは日本でも人気があるみたい。
今回の展示会は「英国最高の巨匠、待望の大回顧展!」というキャッチフレーズがついている。回顧展というのは画家の生涯にわたる作品傾向を追っていくような構成の展示会。つまりターナーとはどんな画家かを理解するには便利な展示会。
なんだけどーーー
ある程度予想していたとはいえ初期の風景画はつまらなかった。
「ダーウェントウォーターとロウドアの滝、バロウデイル渓谷をカーフクローズ湾の岬より望む」
事細かに場所を説明したタイトルであるが、どこのことかさっぱり? 絵の横に地図も必要かな。玄人ならいろいろ鑑賞のポイントがあるのだろうが、私にはごくごくフツーの絵にしか見えなかった。でも細部まで丁寧に描いてあることに驚く。
「ディドとアエネアス」
これは現実の風景ではなく、古代ローマの詩人ウェルギリウスの作品をモチーフに描かれている。カルタゴの女王とトロイの王子の悲恋の物語。この絵もホテルならロビー正面ではなく、エレベーターホール当たりに飾られていそうな地味な絵である。
しかし細部の描き込みは非常に細かく、遠くの建物のディティールまでしっかり描かれている。ターナーはかなり几帳面な人だったように思える。一瞥しただけでは何とも思わない作品なのに、細部を観察しているうちに、だんだんといい絵に思えてくるから不思議。
「スカボロー:色彩の習作」
透明感というキーワードが頭に浮かんだ印象的な作品。スカボローというのはイギリスの地名。こういった習作(練習のために描いたもの)はたくさん展示されていたが、そのほとんどがA4サイズくらいの小さなもの。列に並ばない私の鑑賞方法では並んでいる人の頭に遮られ、じっくり見られなかったのが残念。
ターナーは44歳の時に最初のイタリア旅行をしている。それは彼の画風に大きな影響を与えたようで、俄然として絵がおもしろくなってくる。
「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
ターナーの几帳面さはタイトルの長さにも表れているのか? 300年前の画家であるラファエロまで登場させて「イタリア、よかったで〜」という感激があらわれているような作品。イギリスの風景と違って空もスカッと水色である。
「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」
イギリスの詩人バイロンの作品をモチーフにした絵。私はこの風景を見てイタリアらしさを感じることはできないが(ヨーロッパ人なら見分けがつくのかな?)、目を引いたのは画面に大きく描かれている木。どうやら松らしいのだが、こんなキノコみたいな形の樹木は見たことがない。こんな松がイタリアにはあるのか、あるいはこれはターナーの創作なのか。それがやたら気になった作品。
「レグルス」
この絵には見入ってしまった。見てわかるとおり遠くの方から強烈な光が差し込んでいる。その光景の不思議さ、そして明るい方を見てしまうという動物としての習性もこの絵のインパクトに一役買っていると思うが、それにしてもオーラのある絵である。
いちおう解説しておくとレグルスというのは古代ローマの将軍。敵国カルタゴに捕らえられ罰として瞼(まぶた)を切り取られ暗い牢獄に閉じ込められる(眠らさないということだと思う)。そしてある時、牢から出され太陽を見て失明する。この絵はレグルスが見た最後の光景を描いたらしい。
レグルス将軍のエピソード抜きでも、この絵の素晴らしさは変わらない。ブログに貼った写真ではわからないが、強烈な日差しのところは白い絵の具が幾重にも塗り重ねられていて、それがとても「いい感じの表現」になっている。それと200年近く前の絵画だから、その絵の具が少し汚れていたり黄ばんでいたり、さらにはひび割れたりしているのもいい雰囲気に一役買っている。
この絵は評判がよかったらしい。後で述べるが、それでどうもターナーは白い絵の具を塗り重ねる表現に味を占めたらしいのである?(←学説ではありません)
「ヴェネツィア、嘆きの橋」
タイトルにベネチアとなくとも、ベネチアなんだろうなと想像できるわかりやすい作品。ただし左側のゴンドラは普通だが、右側の船のようなものは水面に映る影を一体にして表現しているのか、何が描かれているかがどうもよくわからない。船の上に小人が集まっているようにも見える。背景の建物はまだ細かく描かれているが、作風がだんだんとラフなタッチに変わっていることを感じる。昔なら橋の奥にある建物もしっかり描き込んだはずだ。
そして晩年のターナーは風景を描いてはいても、
ほとんど抽象画みたいな作風に変貌する。
「ヴェネツィア―総督と海との結婚の儀式、サン・マルコ小広場」
これがあの描写の細かな風景画を描いていた同じ人物の作品とは思えない。でも配色がキレイでいい感じ。ラフなタッチによる幻想的さもちょうどいいくらい。レグルスはちょっとヘヴィー過ぎるから部屋のインテリアに1枚くれるなら、この絵がいいかも。
「フランス国王ルイ=フィリップのポーツマス到着、1844年10月8日」
だんだんと過激になってくる。
もはやタイトルなしに理解不能。
やっぱり白い絵の具を塗り重ねるのに味を占めたか(^^ゞ
「湖に沈む太陽」
そして極めつけがこれ。
もっともこの絵は貼り付けた写真から想像するのは難しいかも知れないが、会場ではレグルス以上に存在感があって、じっくり眺めている人が多かった作品。
でも冷静に考えれば、ターナーの作品を初期のものから順番に鑑賞して、そして湖に沈む太陽というタイトルがあったからこそ理解できたというか納得感があった絵のようにも思える。ある日突然この1枚だけを見せられたら「こんな絵の具を塗っただけの絵なら私でも描ける」と思ったかも知れない。イギリスの宝とも呼ばれる巨匠の作品を鑑賞しながら、プレゼン・テクニックのヒントを得てメモメモしていたのは内緒である(^^ゞ
ターナーの作風の変遷が勉強にもなったし、かなり作風が変化していった画家だからバラエティに富んだ展示で楽しかった。ただしターナーは風景の中でも海あるいは船を描いた作品が多いことで知られるが、今回は海や船の絵でいいものがなかったのが少し残念。東京は本日までで、来年は神戸で開催される。
美術館を出て上野公園のイエローオータム。
写真の左上は私の指m(_ _)m iPhoneはレンズがボディの隅にあるのでつい。
公園の地図と美術館・博物館の案内看板。
上野公園は文化の森である。
先日、箱根のポーラ美術館で見てきたモネ展が国立西洋美術館で開催中。ポーラ美術館と違って大混雑だと思う。
一方のターナーの大規模な展示会は日本で過去2回しか行われておらず、今回を見逃すと次はいつになるかわからない。というわけで、気がつけば会期終了まで残すところ1週間ほどとなった先週に慌てて出かけてきた次第。
ターナーはイギリスを代表する画家で風景画を専門とする。1775年生まれ1851年没だから、日本では江戸時代後期の人(明治維新が1868年)。美術史的には印象派の前のロマン主義という時代に属する。ロマン主義についてはあまり詳しくないので説明はやめておく。
ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルノワール、ゴッホなど、しょっちゅう展示会が開催されている画家と較べたらターナーの知名度は低いと思う。でもなぜか昔からその存在だけは知っていた。しかし「イギリス人の風景画家」なんてのにはまったく興味が湧かず。これはある種のブランドイメージの影響。イギリスという国にはあまり美術系のイメージがない。それに風景画というのも何となくそそらない。
とはいえイギリスでは序列第1位の画家(たぶん)だから、たまに何かで紹介される。いつ頃からかは忘れたが、やがて多少は気になる存在に。そして1年前の同じく東京都美術館で開催されたメトロポリタン美術館展。そこで見たターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」という作品にけっこうグラッと来た。というわけで、今回の展示会はかなり楽しみにしていたのである。その割に訪れたのは会期終了間際になってしまったが。
イチョウがきれいな上野公園。
ここでポスターを撮るのは毎回のお約束。
ターナー展なんてコケてるんじゃないかと心配していたが、平日の昼間に行ったのにけっこうな混雑。かつて私が食わず嫌いだっただけで、ターナーは日本でも人気があるみたい。
今回の展示会は「英国最高の巨匠、待望の大回顧展!」というキャッチフレーズがついている。回顧展というのは画家の生涯にわたる作品傾向を追っていくような構成の展示会。つまりターナーとはどんな画家かを理解するには便利な展示会。
なんだけどーーー
ある程度予想していたとはいえ初期の風景画はつまらなかった。
「ダーウェントウォーターとロウドアの滝、バロウデイル渓谷をカーフクローズ湾の岬より望む」
事細かに場所を説明したタイトルであるが、どこのことかさっぱり? 絵の横に地図も必要かな。玄人ならいろいろ鑑賞のポイントがあるのだろうが、私にはごくごくフツーの絵にしか見えなかった。でも細部まで丁寧に描いてあることに驚く。
「ディドとアエネアス」
これは現実の風景ではなく、古代ローマの詩人ウェルギリウスの作品をモチーフに描かれている。カルタゴの女王とトロイの王子の悲恋の物語。この絵もホテルならロビー正面ではなく、エレベーターホール当たりに飾られていそうな地味な絵である。
しかし細部の描き込みは非常に細かく、遠くの建物のディティールまでしっかり描かれている。ターナーはかなり几帳面な人だったように思える。一瞥しただけでは何とも思わない作品なのに、細部を観察しているうちに、だんだんといい絵に思えてくるから不思議。
「スカボロー:色彩の習作」
透明感というキーワードが頭に浮かんだ印象的な作品。スカボローというのはイギリスの地名。こういった習作(練習のために描いたもの)はたくさん展示されていたが、そのほとんどがA4サイズくらいの小さなもの。列に並ばない私の鑑賞方法では並んでいる人の頭に遮られ、じっくり見られなかったのが残念。
ターナーは44歳の時に最初のイタリア旅行をしている。それは彼の画風に大きな影響を与えたようで、俄然として絵がおもしろくなってくる。
「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
ターナーの几帳面さはタイトルの長さにも表れているのか? 300年前の画家であるラファエロまで登場させて「イタリア、よかったで〜」という感激があらわれているような作品。イギリスの風景と違って空もスカッと水色である。
「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」
イギリスの詩人バイロンの作品をモチーフにした絵。私はこの風景を見てイタリアらしさを感じることはできないが(ヨーロッパ人なら見分けがつくのかな?)、目を引いたのは画面に大きく描かれている木。どうやら松らしいのだが、こんなキノコみたいな形の樹木は見たことがない。こんな松がイタリアにはあるのか、あるいはこれはターナーの創作なのか。それがやたら気になった作品。
「レグルス」
この絵には見入ってしまった。見てわかるとおり遠くの方から強烈な光が差し込んでいる。その光景の不思議さ、そして明るい方を見てしまうという動物としての習性もこの絵のインパクトに一役買っていると思うが、それにしてもオーラのある絵である。
いちおう解説しておくとレグルスというのは古代ローマの将軍。敵国カルタゴに捕らえられ罰として瞼(まぶた)を切り取られ暗い牢獄に閉じ込められる(眠らさないということだと思う)。そしてある時、牢から出され太陽を見て失明する。この絵はレグルスが見た最後の光景を描いたらしい。
レグルス将軍のエピソード抜きでも、この絵の素晴らしさは変わらない。ブログに貼った写真ではわからないが、強烈な日差しのところは白い絵の具が幾重にも塗り重ねられていて、それがとても「いい感じの表現」になっている。それと200年近く前の絵画だから、その絵の具が少し汚れていたり黄ばんでいたり、さらにはひび割れたりしているのもいい雰囲気に一役買っている。
この絵は評判がよかったらしい。後で述べるが、それでどうもターナーは白い絵の具を塗り重ねる表現に味を占めたらしいのである?(←学説ではありません)
「ヴェネツィア、嘆きの橋」
タイトルにベネチアとなくとも、ベネチアなんだろうなと想像できるわかりやすい作品。ただし左側のゴンドラは普通だが、右側の船のようなものは水面に映る影を一体にして表現しているのか、何が描かれているかがどうもよくわからない。船の上に小人が集まっているようにも見える。背景の建物はまだ細かく描かれているが、作風がだんだんとラフなタッチに変わっていることを感じる。昔なら橋の奥にある建物もしっかり描き込んだはずだ。
そして晩年のターナーは風景を描いてはいても、
ほとんど抽象画みたいな作風に変貌する。
「ヴェネツィア―総督と海との結婚の儀式、サン・マルコ小広場」
これがあの描写の細かな風景画を描いていた同じ人物の作品とは思えない。でも配色がキレイでいい感じ。ラフなタッチによる幻想的さもちょうどいいくらい。レグルスはちょっとヘヴィー過ぎるから部屋のインテリアに1枚くれるなら、この絵がいいかも。
「フランス国王ルイ=フィリップのポーツマス到着、1844年10月8日」
だんだんと過激になってくる。
もはやタイトルなしに理解不能。
やっぱり白い絵の具を塗り重ねるのに味を占めたか(^^ゞ
「湖に沈む太陽」
そして極めつけがこれ。
もっともこの絵は貼り付けた写真から想像するのは難しいかも知れないが、会場ではレグルス以上に存在感があって、じっくり眺めている人が多かった作品。
でも冷静に考えれば、ターナーの作品を初期のものから順番に鑑賞して、そして湖に沈む太陽というタイトルがあったからこそ理解できたというか納得感があった絵のようにも思える。ある日突然この1枚だけを見せられたら「こんな絵の具を塗っただけの絵なら私でも描ける」と思ったかも知れない。イギリスの宝とも呼ばれる巨匠の作品を鑑賞しながら、プレゼン・テクニックのヒントを得てメモメモしていたのは内緒である(^^ゞ
ターナーの作風の変遷が勉強にもなったし、かなり作風が変化していった画家だからバラエティに富んだ展示で楽しかった。ただしターナーは風景の中でも海あるいは船を描いた作品が多いことで知られるが、今回は海や船の絵でいいものがなかったのが少し残念。東京は本日までで、来年は神戸で開催される。
美術館を出て上野公園のイエローオータム。
写真の左上は私の指m(_ _)m iPhoneはレンズがボディの隅にあるのでつい。
公園の地図と美術館・博物館の案内看板。
上野公園は文化の森である。
先日、箱根のポーラ美術館で見てきたモネ展が国立西洋美術館で開催中。ポーラ美術館と違って大混雑だと思う。
wassho at 07:24|Permalink│Comments(0)│
2012年12月29日
メトロポリタン美術館展
もっと早く見に行くつもりだったが、12月になると何かと忙しく、年明けは1月4日までしか開催していないし。ということで年末休みに入った本日に上野まで。私と同じようにグズグズしていた人が多いのか、あるいは年末は暇な人が多いのか美術館はかなりの混雑。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン
遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン
それでは今回の展示会ベスト3。
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
ターナーはイギリスの風景画家。この絵のどこが気に入ったかを答えるのは難しい。しいていえば「この風景をこの目で見たい」と強く思ったことか。分析的に考えれば、透明感があってとても水々しいタッチ。それと変に小細工していない真っ当な絵なことを好感したのだと思う。
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
チャイルド・ハッサムはフランスで印象派の技法を学んだアメリカの画家。ヴィリエ=ル=ベルはパリ郊外の地名。この絵が描かれた1889年にはかなり田舎だったと思われる。
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
ホッパーはアメリカの画家。トゥー・ライツとは2ライト、つまり2灯という意味だが絵を見る限り灯台の電球は1つ。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
不忍池は蓮(はす)池、鵜(う)の池、ボート池の3つに別れている。公園のために作ったようにも思えるが自然にできた池である。周囲約2キロ。
蓮池は蓮が枯れていて、この季節はあまり美しくない。鵜の池も似た感じ。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
こっちはボート池。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
ボートは休業中。
ところで上野公園といえば西郷隆盛。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
wassho at 20:38|Permalink│Comments(0)│
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マーケティング戦略や商品開発、リサーチなどを中心業務としている、キャリアだけは四半世紀以上と長いコンサルタントです。
開設当初は『マーケティングを中心に社会や生活のことを。そのうち仕事に使えそうなネタを下書きにするblogです』というコンセプトでしたが、2011年頃から雑記帖的なblogになっています。
匿名は心苦しいので
関係各位にわからぬよう
今とは似ても似つかぬ
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