ダニエル・マクリース
2016年01月16日
英国の夢 ラファエル前派展
2014年3月に展覧会が開かれた時は、ラファエロじゃなくてラファエルって何?というレベルで、まったく存在すら知らなかったラファエル前派。しかし絵を見終えた時には、その濃密な描写に圧倒されたことを今でもよく覚えている。
すっかり気に入ってラファエル前派の作品をもっと見たいと思った。しかし、たぶんマイナーな分野だろう。森アーツセンターギャラリーでの展覧会もガラガラだったし、まとまって作品を見る機会はそうそうないだろうと諦めていた。しかし予想に反して2年弱で新たな展覧会の開催。私にしては珍しく会期の早い段階、しかも休日に見に行ってきた。
ラファエル前派についてはあれこれと前回に書いたから、
興味があればそちらを参照して欲しい。
前回の展覧会その1
前回の展覧会その2
前回の展覧会その3
開催されているのは渋谷にある東急Bunkamura。渋谷駅から徒歩10分ほど離れたところにある東急百貨店の本店隣りに併設された文化施設。展覧会会場だけでなく音楽ホールや劇場、映画館などが入っている。
2本の巨大な柱に挟まれたのが東急Bunkamura。右隣は東急百貨店本店。道路に面している部分は狭いが内部で広がっている構造。
展覧会入り口で記念撮影。
「春(林檎の花咲く頃)」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
ラファエル前派らしい細密な描写を堪能できる。パッと見は若い女性がピクニックを楽しんでいる風景。しかし右下の黄色いドレスを着て横たわっている女性の上には大きな鎌が描かれている。それが何を意味しているのかは不明だが、いったんそれに気がつくと絵の右下が気になって仕方がなくなる。まあそういう心理効果を狙ったのかな。この女性だけ服の色が他の人とかけ離れているし、目線もこっちをにらんでいる。ひょっとして地縛霊とか?
「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
タイトルは兵士になっていても、これは女性が着ているドレスの光沢と質感をひらすら楽しむべき作品。ドレスはたぶんシルク・サテンの生地。でもアルミ箔のようにも見える(本物はこの写真よりもっとアルミ箔に見える)。ある意味ちょっとやり過ぎともいえる。しかし、このテクニックを見たら、そんな批評は忘れて脱帽せざるを得ない。ミレイのドヤ顔が目に浮かぶような作品。
「シビラ・パルミフェラ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
ロセッティといえば前回の展覧会その3で紹介した「プロセルピナ」が強烈な印象として残っている。あの目ヂカラ女性はジェイン・モリスという彼の不倫相手。この作品は彼女の優しい顔バージョンかと思ったらアレクサ・ワイデルリングという別のモデルらしい。私には同じ女性にしか見えないんだけれど、ロセッティは意外と芸風が狭い?
シビラとは巫女でパルミフェラは勝利を意味する椰子の葉。画面左側には目隠しされたキューピッドとバラ、右側にはドクロとポピーの花が描かれている。それぞれ愛と死を象徴しているらしい。蝶々も舞っている。西洋文化に詳しければ、それらを見ただけで意味することがわかり、もっとこの絵のテーマを理解できるのかも知れない(たとえば義経と弁慶が戦っていれば、それは彼らが最初に出会った時だとわかるように)。残念ながら、そういう知識はないので単純にビジュアルで楽しむだけ。それでも柔和な女性像というだけでなく、何となくいわくありげな雰囲気は伝わってくる。
「祈りの後のマデライン」
ダニエル・マクリース
僅かに差し込む光で陰影を描き分けた作品。それはよくあるテクニックでも、ラファエル前派だから暗い部分を黒塗りにせずに、これでもかというくらい描き込んでいる。
「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
甘美なる無為=何もしないけれど甘美ということだから、この絵はテーマや主張があるのではなく、ただただ美しい情景を追い求めた作品。そういう耽美主義的な作品を私は好きみたい。少し大げさだが、この絵の前で魂を抜かれたような感覚を覚えた。
写真に近いような綿密な描写である。でもやっぱりこの佇まいと雰囲気は絵画でないと表せないと思う。単にシャッターを切っただけでなく、時間をかけて描き込んだ美への執念のようなものが伝わってくる。
「シャクヤクの花」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
魂を抜かれた次はヨダレを垂らしていたかも知れない。モデルもシャクヤクもいうことなし。ラファエル前派の流儀に従って、ドレスの布地は触った感触がわかるくらいの細密さ。ラファエル前派を好きなのはこのリアリティ、情報量の多さによってわかりやすいからかも知れない。この絵は何を意味しているんだろうかと迷うことがない。
「夏の夜」
アルバート・ジョゼフ・ムーア
そして腰が抜けた(^^ゞ 描かれている女性はちょっとギリシャ風。モデルが4人いるのではなく、連続写真のように1名のいろいろなポーズを描いたという説もある作品。
幻想的そのものの女性に対して、背景の海はかなり写実的に描かれている。突き出している半島はなんとなく油壺の風景に似ているし、左側水平線に街の明かりがあるのが妙にリアル。女性を見て次に海を見ると、想像と現実の世界を行き来するようで、心地よいクラクラ感を味わえる。
ーーー続く
すっかり気に入ってラファエル前派の作品をもっと見たいと思った。しかし、たぶんマイナーな分野だろう。森アーツセンターギャラリーでの展覧会もガラガラだったし、まとまって作品を見る機会はそうそうないだろうと諦めていた。しかし予想に反して2年弱で新たな展覧会の開催。私にしては珍しく会期の早い段階、しかも休日に見に行ってきた。
ラファエル前派についてはあれこれと前回に書いたから、
興味があればそちらを参照して欲しい。
前回の展覧会その1
前回の展覧会その2
前回の展覧会その3
開催されているのは渋谷にある東急Bunkamura。渋谷駅から徒歩10分ほど離れたところにある東急百貨店の本店隣りに併設された文化施設。展覧会会場だけでなく音楽ホールや劇場、映画館などが入っている。
2本の巨大な柱に挟まれたのが東急Bunkamura。右隣は東急百貨店本店。道路に面している部分は狭いが内部で広がっている構造。
展覧会入り口で記念撮影。
「春(林檎の花咲く頃)」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
ラファエル前派らしい細密な描写を堪能できる。パッと見は若い女性がピクニックを楽しんでいる風景。しかし右下の黄色いドレスを着て横たわっている女性の上には大きな鎌が描かれている。それが何を意味しているのかは不明だが、いったんそれに気がつくと絵の右下が気になって仕方がなくなる。まあそういう心理効果を狙ったのかな。この女性だけ服の色が他の人とかけ離れているし、目線もこっちをにらんでいる。ひょっとして地縛霊とか?
「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
タイトルは兵士になっていても、これは女性が着ているドレスの光沢と質感をひらすら楽しむべき作品。ドレスはたぶんシルク・サテンの生地。でもアルミ箔のようにも見える(本物はこの写真よりもっとアルミ箔に見える)。ある意味ちょっとやり過ぎともいえる。しかし、このテクニックを見たら、そんな批評は忘れて脱帽せざるを得ない。ミレイのドヤ顔が目に浮かぶような作品。
「シビラ・パルミフェラ」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
ロセッティといえば前回の展覧会その3で紹介した「プロセルピナ」が強烈な印象として残っている。あの目ヂカラ女性はジェイン・モリスという彼の不倫相手。この作品は彼女の優しい顔バージョンかと思ったらアレクサ・ワイデルリングという別のモデルらしい。私には同じ女性にしか見えないんだけれど、ロセッティは意外と芸風が狭い?
シビラとは巫女でパルミフェラは勝利を意味する椰子の葉。画面左側には目隠しされたキューピッドとバラ、右側にはドクロとポピーの花が描かれている。それぞれ愛と死を象徴しているらしい。蝶々も舞っている。西洋文化に詳しければ、それらを見ただけで意味することがわかり、もっとこの絵のテーマを理解できるのかも知れない(たとえば義経と弁慶が戦っていれば、それは彼らが最初に出会った時だとわかるように)。残念ながら、そういう知識はないので単純にビジュアルで楽しむだけ。それでも柔和な女性像というだけでなく、何となくいわくありげな雰囲気は伝わってくる。
「祈りの後のマデライン」
ダニエル・マクリース
僅かに差し込む光で陰影を描き分けた作品。それはよくあるテクニックでも、ラファエル前派だから暗い部分を黒塗りにせずに、これでもかというくらい描き込んでいる。
「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
甘美なる無為=何もしないけれど甘美ということだから、この絵はテーマや主張があるのではなく、ただただ美しい情景を追い求めた作品。そういう耽美主義的な作品を私は好きみたい。少し大げさだが、この絵の前で魂を抜かれたような感覚を覚えた。
写真に近いような綿密な描写である。でもやっぱりこの佇まいと雰囲気は絵画でないと表せないと思う。単にシャッターを切っただけでなく、時間をかけて描き込んだ美への執念のようなものが伝わってくる。
「シャクヤクの花」
チャールズ・エドワード・ベルジーニ
魂を抜かれた次はヨダレを垂らしていたかも知れない。モデルもシャクヤクもいうことなし。ラファエル前派の流儀に従って、ドレスの布地は触った感触がわかるくらいの細密さ。ラファエル前派を好きなのはこのリアリティ、情報量の多さによってわかりやすいからかも知れない。この絵は何を意味しているんだろうかと迷うことがない。
「夏の夜」
アルバート・ジョゼフ・ムーア
そして腰が抜けた(^^ゞ 描かれている女性はちょっとギリシャ風。モデルが4人いるのではなく、連続写真のように1名のいろいろなポーズを描いたという説もある作品。
幻想的そのものの女性に対して、背景の海はかなり写実的に描かれている。突き出している半島はなんとなく油壺の風景に似ているし、左側水平線に街の明かりがあるのが妙にリアル。女性を見て次に海を見ると、想像と現実の世界を行き来するようで、心地よいクラクラ感を味わえる。
ーーー続く
wassho at 22:54|Permalink│Comments(0)│