ツバキ
2026年04月05日
新宿御苑でサクラ巡り その4
中の池南側にある子供広場の横を通って、
外周通路に入る。次に向かうのは日本庭園ゾーンでこれだと遠回りになるけれど、ちょっと人混みに疲れたので静かなところを歩こうかと。
そのおかげで、
たくさんのツバキが咲いているのが見られた。
それがサクラとコラボレーション。
このサクラは満開なのに茶色い葉桜だからヤマザクラ。
そのヤマザクラの根元に落ちたツバキの花が重なって!
誰かが並べて置いたのかな。でも木の後ろにも花がたくさん落ちているから、まれに見る偶然に遭遇したと思うとする。
外周通路を途中で右折。
枯れているのに落ちずに元気いっぱいな葉。
見習おう(^^ゞ
日本庭園に到着。
この池は上の池。もっとも名前は上の池〜中の池〜下の池と変わっても、すべてつながっているひとつの細長い池。
このヤナギは毎回撮っているように思う。
今はまだ色がちょっと浅い。
上の池の南側に回り込んで対岸の風景。
ところで日本庭園ゾーンの通路は砂利道。前日まではかなりの降水量でこの日も朝まで雨は残っていて、このように水たまりがいっぱい。どうして舗装しない? アスファルトじゃ雰囲気が壊れるなら石畳でもいいはず。
これはボケの花。
奥に色の濃いのも咲いていたが状態があまりよろしくなく。
きれいな花なのだけれど名前がなあ(^^ゞ 関西弁ではボケ=アホ=カスでバカを意味する。この不名誉な名前の由来はボケの実が瓜(ウリ)に似ており、木になる瓜で木瓜(モッカあるいはモッコウ)だったのがモケ→ボケに転訛したとされる。なおボケの漢字は今も木瓜。ただし瓜に似た実もあるが、ネットで画像検索すると丸い実の方が多い。
名前がボケに変わったのは江戸時代中期が定説。ちなみに関西弁のボケは、「惚ける」から派生した軽いニュアンスの用法は江戸時代後期には見られ、罵り言葉として使われだしたのは昭和になってかららしい。よく関西弁のアホ・ボケはそんなにキツい意味合いはないと言われるものの、言葉そのものより前後の文脈や口調しだい。それは標準語のバカだって同じ。ただカスはちょっと攻撃的。
話を植物のボケに戻すとボケの花は家紋によく用いられ、藤、桐、鷹の羽、片喰(かたばみ)と並んで5大家紋に数えられる。変形バージョンは織田信長も使っていて織田木瓜として有名。もっとも彼は7つもの家紋を用途ごとに使い分けていたが。家紋としての木瓜の読みはモッコウ(家紋の始まりは平安時代後期で、まだボケの名称になっていなかった)。
それほど昔から日本人に馴染みの深い伝統花木のボケなのに、あまり見かけないように思う。これといった名所もほとんどない。低木なので公園や庭園のメインになりづらいせいかも知れない。
いい花なんだけどな。
ツツジのように道路脇の植え込みで見られるようになるとうれしい。
しだれ桜と、
ソメイヨシノが並んで。
その前でツボミをつけているのはハナカイドウ。
ソメイヨシノが終わる頃にサクラに似た花を咲かせる。
ハナカイドウはバラ科リンゴ属で、サクラはバラ科サクラ属と遠い親戚。
ところでハナカイドウって花街道?と連想してしまうが漢字は花海棠。原産は中国で中国語読みのハイタンが日本語読みのカイドウになった。海棠は桜や梅と同じように名称であり、その単語自体に意味はない。花とついているのは実がなる海棠もありハナカイドウとミカイドウで区別するため。ミカイドウの果実は食用にもなるが、どちらかといえばこれも実を観賞する花木でナンテンみたいな存在。実の直径は1〜2cm。
ーーー続く
外周通路に入る。次に向かうのは日本庭園ゾーンでこれだと遠回りになるけれど、ちょっと人混みに疲れたので静かなところを歩こうかと。
そのおかげで、
たくさんのツバキが咲いているのが見られた。
それがサクラとコラボレーション。
このサクラは満開なのに茶色い葉桜だからヤマザクラ。
そのヤマザクラの根元に落ちたツバキの花が重なって!
誰かが並べて置いたのかな。でも木の後ろにも花がたくさん落ちているから、まれに見る偶然に遭遇したと思うとする。
外周通路を途中で右折。
枯れているのに落ちずに元気いっぱいな葉。
見習おう(^^ゞ
日本庭園に到着。
この池は上の池。もっとも名前は上の池〜中の池〜下の池と変わっても、すべてつながっているひとつの細長い池。
このヤナギは毎回撮っているように思う。
今はまだ色がちょっと浅い。
上の池の南側に回り込んで対岸の風景。
ところで日本庭園ゾーンの通路は砂利道。前日まではかなりの降水量でこの日も朝まで雨は残っていて、このように水たまりがいっぱい。どうして舗装しない? アスファルトじゃ雰囲気が壊れるなら石畳でもいいはず。
これはボケの花。
奥に色の濃いのも咲いていたが状態があまりよろしくなく。
きれいな花なのだけれど名前がなあ(^^ゞ 関西弁ではボケ=アホ=カスでバカを意味する。この不名誉な名前の由来はボケの実が瓜(ウリ)に似ており、木になる瓜で木瓜(モッカあるいはモッコウ)だったのがモケ→ボケに転訛したとされる。なおボケの漢字は今も木瓜。ただし瓜に似た実もあるが、ネットで画像検索すると丸い実の方が多い。
名前がボケに変わったのは江戸時代中期が定説。ちなみに関西弁のボケは、「惚ける」から派生した軽いニュアンスの用法は江戸時代後期には見られ、罵り言葉として使われだしたのは昭和になってかららしい。よく関西弁のアホ・ボケはそんなにキツい意味合いはないと言われるものの、言葉そのものより前後の文脈や口調しだい。それは標準語のバカだって同じ。ただカスはちょっと攻撃的。
話を植物のボケに戻すとボケの花は家紋によく用いられ、藤、桐、鷹の羽、片喰(かたばみ)と並んで5大家紋に数えられる。変形バージョンは織田信長も使っていて織田木瓜として有名。もっとも彼は7つもの家紋を用途ごとに使い分けていたが。家紋としての木瓜の読みはモッコウ(家紋の始まりは平安時代後期で、まだボケの名称になっていなかった)。
それほど昔から日本人に馴染みの深い伝統花木のボケなのに、あまり見かけないように思う。これといった名所もほとんどない。低木なので公園や庭園のメインになりづらいせいかも知れない。
いい花なんだけどな。
ツツジのように道路脇の植え込みで見られるようになるとうれしい。
しだれ桜と、
ソメイヨシノが並んで。
その前でツボミをつけているのはハナカイドウ。
ソメイヨシノが終わる頃にサクラに似た花を咲かせる。
ハナカイドウはバラ科リンゴ属で、サクラはバラ科サクラ属と遠い親戚。
ところでハナカイドウって花街道?と連想してしまうが漢字は花海棠。原産は中国で中国語読みのハイタンが日本語読みのカイドウになった。海棠は桜や梅と同じように名称であり、その単語自体に意味はない。花とついているのは実がなる海棠もありハナカイドウとミカイドウで区別するため。ミカイドウの果実は食用にもなるが、どちらかといえばこれも実を観賞する花木でナンテンみたいな存在。実の直径は1〜2cm。
ーーー続く
wassho at 23:46|Permalink│Comments(0)│
2026年04月02日
新宿御苑でサクラ巡り その2
温室を出た横の通路。
これが東方向で、
こちらが西方向。
天気は西から変わるというが、温室にいた30分ほどでわずかながら晴れ間が増えてきた。もっとも気象庁の定義では全天に占める雲の割合が0〜1割なら快晴、2〜8割で晴れなので天気予報にはこれでも晴れマークがつく。一般的な感覚だと本日は半曇りかな。
向こうに見えるのが大木戸門の出入り口。
新宿門と較べると混雑は少ない。
大木戸門から延びる通路にあるサクラとツバキのコラボレーション。
左側が前回でも紹介したオトメツバキ。
右側が普通の赤いツバキ。
赤いツバキのほうは葉が黄色くなって色が賑やか。
ところでツバキの一般的な開花時期は12月〜4月と長い。でも私はツバキは冬に咲く花との先入観があり、ウメと一緒ならまだしもサクラと並んでいると違和感を感じてしまう。
その原因ははっきりしていて、小学校の頃に雪の上に落ちているツバキの花を見た経験。ツバキは花びらがバラバラになって散るのではなく、まだ花びらがそれほど傷んでいないうちに花の形を保ったまま丸ごとストンと落ちる。そんな花は初めて見たし、白い雪の上に真っ赤な散っていない花の姿が強烈に印象的で「あれ何〜?」「ツバキ」と教えてもらって、それ以来ツバキ=冬となってしまった。
でも何年か前に、ツバキとサザンカは日が強く照っている明るい場所だと、その派手な色と形で何となく南国植物のようにも見えるとわかり、どうにも脳内が困っている(^^ゞ
玉藻池に向かう途中の色違いのサクラの競演。
このピンクは河津桜に似ているものの、
河津桜の時期は終わっているのでヨウコウ(陽光)という品種だと思う。
その近くに植えられていたヨウコウより色の濃い横浜緋桜はまだ幼木。
これはジャノメエリカ。アップを撮り忘れたが紫色をした草ではなく、色が付いている部分は小さな花の集まり。
タカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸・桜)が見えてきた。
しかしその手前にあって無視して素通りできないのがこれ。
幹や枝を白くした盆栽のようだし流木のようでもある。
これも作庭要素?ナゾの配置。
新宿御苑に4つある池のひとつ玉藻池(たまもいけ)。
ここにある灯籠はデカい!
玉藻池は江戸時代に信州の高遠藩・内藤家の屋敷に造られた庭園の一部。そして内藤家の屋敷がどうしてここにあったのかのエピソードが興味深い。
三河岡崎に生まれ徳川家康の小姓(世話係)をしていたのが内藤清成。つまり最古参の家来。江戸時代的な歴史用語でなら譜代の家臣。家康と苦楽を共にし多くの戦を勝ち抜き、家康が秀吉に関東への国替えを命じられた際には鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣も務めた。
それまでの功績が認められ内藤清成は家康より「馬を走らせて回った範囲すべての土地を与える」と破格の褒美をもらう。内藤は「東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保」まで白馬で駆け回ったと伝わる。
その地名が付いた駅を直線で結んだのがこの地図。
皇居=江戸城より大きいやないかい(^^ゞ
そしてこの広い敷地の玉藻池当たりに内藤は屋敷を構えた。
上の地図は現在の駅と駅を単純に結んだだけなので相当に広くなっているが、資料によると内藤清成が拝領したのは20万余坪となっている。仮にマックスで23万坪だとすると、17.8万坪ある新宿御苑より2回り大きい程度で、駅を直線で結んだ面積の半分弱くらいか。江戸城=皇居の宮殿部分と外苑部分の総面積は230ヘクタール=70万坪。まあ家康も江戸城より広い土地は与えないだろうし。
それでも家康が住み江戸城の中心であった江戸城本丸(現在の皇居東御苑:21ヘクタール:6.35万坪)よりはるかに広い敷地。さすが家康は太っ腹とみるか、内藤清成が白馬を走らせたときにそこは何もない荒れ地だったはずで「この欲張り者に土地を整備させよう」と考えていたのか。
ただしどの資料にも内藤清成が20万余坪を拝領と書かれているものの、それについてはちょっと疑いも持っている。ネットで得られる情報はコピペにコピペを重ねたものが多く、最初が間違っている場合もあるから鵜呑みにできないとはいつも書いているところ。20万余坪の出所はネット以前の資料のようだが、それでも同じことがいえる。
そう考える理由は江戸時代の面積単位。
歩(ぶ)=坪
畝(せ)=30坪
反(たん)=300坪
町(ちょう)=3000坪
今と違って面積を示すのは坪だけではなく、坪は面積の中で最も小さな単位。こんな江戸城並みに広い面積を記すのに坪を使うか?との疑問。別に内藤清成が手にした正確な面積や地図を知りたいと思っているわけじゃないにせよ、ちょっと気になる。誰かが町で記されていた資料を現代人にわかりやすいよう坪に換算した可能性はあるが。
それはさておき、
その後、清成より5代後の内藤清枚が現在の伊那市にあった高遠(たかとう)藩の城主となる。徳川家直属の家臣から城持ちの大名への出世。なお一般に高遠藩内藤家と記されるのは城主(=藩主)が保科家〜鳥居家〜内藤家と変遷したのを区別するため。
とはいっても石高はわずかに3万3000石。家康から拝領した土地の広さと身分がまったく釣り合っていない。そこで時代が下るにつれても徐々に土地を幕府に返納していく。
それでも明治になった時点でまだ10万坪ほどを所有しており、それに元は内藤家の土地だった隣接地を合わせた17万8000坪(58.3ヘクタール)で誕生したのが、新宿御苑の前身である近代農業振興を目的とした内藤新宿試験場。内藤の名前は現在も新宿区に町名として残っていて新宿御苑も新宿区内藤町11番地。とはいっても内藤町の8割ほどは新宿御苑が占めている。
さて本日の第一目的であるタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸桜)。このサクラを初めて知ったのは芦花公園。ソメイヨシノの開花宣言が出る頃に満開を迎える。花の咲き方はソメイヨシノに似ているが、ソメイヨシノと違って淡いピンクすなわち桜色なのでお気に入り。
遠目ではそこそこキレイだったとはいえ、この日は既にソメイヨシノの満開宣言日。近づくと見頃過ぎな感はやはり否めない。
隣のソメイヨシノとの色の違いを楽しみましょう。
ところでこのタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸桜)はその名前の通り高遠(現在の長野県伊那市)地方の固有種。分類的には江戸彼岸と近畿豆桜の自然交雑種と見られている。ちなみにソメイヨシノは同じく江戸彼岸と大島桜の人工交配(自然交雑説もあり)。
そして高遠藩の時代からかどうかは不明なものの、なぜか現在でも門外不出の桜とされている。都内で植えられているのは新宿御苑と新宿周辺に数カ所、世田谷区の芦花公園のみ。そのうち御苑を含む新宿区内については、前述した高遠藩が幕府に返還した土地が「内藤新宿」という甲州街道で日本橋から最初の宿場町となり、それが現在の新宿や新宿区につながったので高遠の「門内」であるとの笑える理由。芦花公園については最初は門外不出を理由に当時の高遠町(現在は合併して伊那市)から断られたものを、東京都知事が直談判して移植したとか。
いいサクラなんだから高遠の人たちにはもっと心を広く持って、
このサクラを日本中に広めてもらいたいね。
玉藻池を離れて第二目的であるプラタナスのある整形式庭園に向かう。
これはアオキの新芽とつぼみ(たぶん)。
苑内のそこら中で芽吹いていた。
あと少し。
ツバキや高いところにある夏みかん?を眺めて、
やって来ましたプラタナス並木!
たまりませんな(^^ゞ このゴツゴツ感。
以前に書いた「プラタナスのゴツゴツ問題」について、その後は特に調べていないけれど、おそらくは剪定で枝が短く切られる→でもパワーが有り余ってゴツゴツ変形しているのだと想像している。
プラタナス並木は東西に延びていて先ほどの写真は一番北側。
その隣に中央の木を共有した少し幅の狭い並木がある。
その並木を少し外側で眺める。
もうちょっと離れて。
もっと離れて。
自分でも笑うほど、この時期の葉がなくてゴツゴツむき出しのプラタナスが好き。
プラタナス並木は南側にもあって、その間に挟まれているのが整形式庭園。整形式とはフランス発祥で幾何学模様的に木々を配置するのが特徴。ある意味人工的な造園美。しかし新宿御苑のはごく普通に植え込みがあるだけで、この程度で整形式と呼ぶのは間違いだと思っている。
(参考写真↓ ベルサイユ宮殿のオレンジ庭園)
南側のプラタナス並木。
北側と変わりはないのに毎回必ず4列すべて見て帰る(^^ゞ
お気づきのように中央の植え込みを挟んでプラタナス並木は左右対称。整形式の造園作法には幾何学模様だけでなく左右対称も含まれる。だから正確にはプラタナス並木を含めた全体が新宿御苑の整形式庭園な訳だけれど、このプラタナス並木が素晴らしいがゆえに、中央の植え込み部分をもっと頑張って欲しいと願っている。
最後にまたゴツゴツを眺めましょう。
中央部の周辺にはバラが植えられている。新宿御苑はバラの名所に名を連ねているとはいえ、写真で見える細長い花壇が周りを囲んでいるだけの規模で、なおかつ植え方にも芸がないので今までバラを目当てに見に来たことはない。関係者の皆さん、幾何学的にバラを配置した超エキセントリックな整形式庭園を!
ーーー続く
これが東方向で、
こちらが西方向。
天気は西から変わるというが、温室にいた30分ほどでわずかながら晴れ間が増えてきた。もっとも気象庁の定義では全天に占める雲の割合が0〜1割なら快晴、2〜8割で晴れなので天気予報にはこれでも晴れマークがつく。一般的な感覚だと本日は半曇りかな。
向こうに見えるのが大木戸門の出入り口。
新宿門と較べると混雑は少ない。
大木戸門から延びる通路にあるサクラとツバキのコラボレーション。
左側が前回でも紹介したオトメツバキ。
右側が普通の赤いツバキ。
赤いツバキのほうは葉が黄色くなって色が賑やか。
ところでツバキの一般的な開花時期は12月〜4月と長い。でも私はツバキは冬に咲く花との先入観があり、ウメと一緒ならまだしもサクラと並んでいると違和感を感じてしまう。
その原因ははっきりしていて、小学校の頃に雪の上に落ちているツバキの花を見た経験。ツバキは花びらがバラバラになって散るのではなく、まだ花びらがそれほど傷んでいないうちに花の形を保ったまま丸ごとストンと落ちる。そんな花は初めて見たし、白い雪の上に真っ赤な散っていない花の姿が強烈に印象的で「あれ何〜?」「ツバキ」と教えてもらって、それ以来ツバキ=冬となってしまった。
でも何年か前に、ツバキとサザンカは日が強く照っている明るい場所だと、その派手な色と形で何となく南国植物のようにも見えるとわかり、どうにも脳内が困っている(^^ゞ
玉藻池に向かう途中の色違いのサクラの競演。
このピンクは河津桜に似ているものの、
河津桜の時期は終わっているのでヨウコウ(陽光)という品種だと思う。
その近くに植えられていたヨウコウより色の濃い横浜緋桜はまだ幼木。
これはジャノメエリカ。アップを撮り忘れたが紫色をした草ではなく、色が付いている部分は小さな花の集まり。
タカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸・桜)が見えてきた。
しかしその手前にあって無視して素通りできないのがこれ。
幹や枝を白くした盆栽のようだし流木のようでもある。
これも作庭要素?ナゾの配置。
新宿御苑に4つある池のひとつ玉藻池(たまもいけ)。
ここにある灯籠はデカい!
玉藻池は江戸時代に信州の高遠藩・内藤家の屋敷に造られた庭園の一部。そして内藤家の屋敷がどうしてここにあったのかのエピソードが興味深い。
三河岡崎に生まれ徳川家康の小姓(世話係)をしていたのが内藤清成。つまり最古参の家来。江戸時代的な歴史用語でなら譜代の家臣。家康と苦楽を共にし多くの戦を勝ち抜き、家康が秀吉に関東への国替えを命じられた際には鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣も務めた。
それまでの功績が認められ内藤清成は家康より「馬を走らせて回った範囲すべての土地を与える」と破格の褒美をもらう。内藤は「東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保」まで白馬で駆け回ったと伝わる。
その地名が付いた駅を直線で結んだのがこの地図。
皇居=江戸城より大きいやないかい(^^ゞ
そしてこの広い敷地の玉藻池当たりに内藤は屋敷を構えた。
上の地図は現在の駅と駅を単純に結んだだけなので相当に広くなっているが、資料によると内藤清成が拝領したのは20万余坪となっている。仮にマックスで23万坪だとすると、17.8万坪ある新宿御苑より2回り大きい程度で、駅を直線で結んだ面積の半分弱くらいか。江戸城=皇居の宮殿部分と外苑部分の総面積は230ヘクタール=70万坪。まあ家康も江戸城より広い土地は与えないだろうし。
それでも家康が住み江戸城の中心であった江戸城本丸(現在の皇居東御苑:21ヘクタール:6.35万坪)よりはるかに広い敷地。さすが家康は太っ腹とみるか、内藤清成が白馬を走らせたときにそこは何もない荒れ地だったはずで「この欲張り者に土地を整備させよう」と考えていたのか。
ただしどの資料にも内藤清成が20万余坪を拝領と書かれているものの、それについてはちょっと疑いも持っている。ネットで得られる情報はコピペにコピペを重ねたものが多く、最初が間違っている場合もあるから鵜呑みにできないとはいつも書いているところ。20万余坪の出所はネット以前の資料のようだが、それでも同じことがいえる。
そう考える理由は江戸時代の面積単位。
歩(ぶ)=坪
畝(せ)=30坪
反(たん)=300坪
町(ちょう)=3000坪
今と違って面積を示すのは坪だけではなく、坪は面積の中で最も小さな単位。こんな江戸城並みに広い面積を記すのに坪を使うか?との疑問。別に内藤清成が手にした正確な面積や地図を知りたいと思っているわけじゃないにせよ、ちょっと気になる。誰かが町で記されていた資料を現代人にわかりやすいよう坪に換算した可能性はあるが。
それはさておき、
その後、清成より5代後の内藤清枚が現在の伊那市にあった高遠(たかとう)藩の城主となる。徳川家直属の家臣から城持ちの大名への出世。なお一般に高遠藩内藤家と記されるのは城主(=藩主)が保科家〜鳥居家〜内藤家と変遷したのを区別するため。
とはいっても石高はわずかに3万3000石。家康から拝領した土地の広さと身分がまったく釣り合っていない。そこで時代が下るにつれても徐々に土地を幕府に返納していく。
それでも明治になった時点でまだ10万坪ほどを所有しており、それに元は内藤家の土地だった隣接地を合わせた17万8000坪(58.3ヘクタール)で誕生したのが、新宿御苑の前身である近代農業振興を目的とした内藤新宿試験場。内藤の名前は現在も新宿区に町名として残っていて新宿御苑も新宿区内藤町11番地。とはいっても内藤町の8割ほどは新宿御苑が占めている。
さて本日の第一目的であるタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸桜)。このサクラを初めて知ったのは芦花公園。ソメイヨシノの開花宣言が出る頃に満開を迎える。花の咲き方はソメイヨシノに似ているが、ソメイヨシノと違って淡いピンクすなわち桜色なのでお気に入り。
遠目ではそこそこキレイだったとはいえ、この日は既にソメイヨシノの満開宣言日。近づくと見頃過ぎな感はやはり否めない。
隣のソメイヨシノとの色の違いを楽しみましょう。
ところでこのタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸桜)はその名前の通り高遠(現在の長野県伊那市)地方の固有種。分類的には江戸彼岸と近畿豆桜の自然交雑種と見られている。ちなみにソメイヨシノは同じく江戸彼岸と大島桜の人工交配(自然交雑説もあり)。
そして高遠藩の時代からかどうかは不明なものの、なぜか現在でも門外不出の桜とされている。都内で植えられているのは新宿御苑と新宿周辺に数カ所、世田谷区の芦花公園のみ。そのうち御苑を含む新宿区内については、前述した高遠藩が幕府に返還した土地が「内藤新宿」という甲州街道で日本橋から最初の宿場町となり、それが現在の新宿や新宿区につながったので高遠の「門内」であるとの笑える理由。芦花公園については最初は門外不出を理由に当時の高遠町(現在は合併して伊那市)から断られたものを、東京都知事が直談判して移植したとか。
いいサクラなんだから高遠の人たちにはもっと心を広く持って、
このサクラを日本中に広めてもらいたいね。
玉藻池を離れて第二目的であるプラタナスのある整形式庭園に向かう。
これはアオキの新芽とつぼみ(たぶん)。
苑内のそこら中で芽吹いていた。
あと少し。
ツバキや高いところにある夏みかん?を眺めて、
やって来ましたプラタナス並木!
たまりませんな(^^ゞ このゴツゴツ感。
以前に書いた「プラタナスのゴツゴツ問題」について、その後は特に調べていないけれど、おそらくは剪定で枝が短く切られる→でもパワーが有り余ってゴツゴツ変形しているのだと想像している。
プラタナス並木は東西に延びていて先ほどの写真は一番北側。
その隣に中央の木を共有した少し幅の狭い並木がある。
その並木を少し外側で眺める。
もうちょっと離れて。
もっと離れて。
自分でも笑うほど、この時期の葉がなくてゴツゴツむき出しのプラタナスが好き。
プラタナス並木は南側にもあって、その間に挟まれているのが整形式庭園。整形式とはフランス発祥で幾何学模様的に木々を配置するのが特徴。ある意味人工的な造園美。しかし新宿御苑のはごく普通に植え込みがあるだけで、この程度で整形式と呼ぶのは間違いだと思っている。
(参考写真↓ ベルサイユ宮殿のオレンジ庭園)
南側のプラタナス並木。
北側と変わりはないのに毎回必ず4列すべて見て帰る(^^ゞ
お気づきのように中央の植え込みを挟んでプラタナス並木は左右対称。整形式の造園作法には幾何学模様だけでなく左右対称も含まれる。だから正確にはプラタナス並木を含めた全体が新宿御苑の整形式庭園な訳だけれど、このプラタナス並木が素晴らしいがゆえに、中央の植え込み部分をもっと頑張って欲しいと願っている。
最後にまたゴツゴツを眺めましょう。
中央部の周辺にはバラが植えられている。新宿御苑はバラの名所に名を連ねているとはいえ、写真で見える細長い花壇が周りを囲んでいるだけの規模で、なおかつ植え方にも芸がないので今までバラを目当てに見に来たことはない。関係者の皆さん、幾何学的にバラを配置した超エキセントリックな整形式庭園を!
ーーー続く
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2026年03月31日
新宿御苑でサクラ巡り(まずは温室から)
今年のしだれ桜は新宿御苑に見に行こうと割と早くに決めていた。そして公式SNSで3月22日にしだれ桜が見頃になったとの報告。しかし翌日からは曇ったり雨が降ったりが多く。早く行かないと見頃が過ぎるし、またソメイヨシノが満開になって混雑するのにと気を揉むものの天候には勝てない。結局は出遅れて、東京でサクラ(ソメイヨシノ)の満開宣言が出た3月28日に出かけてきた。
ついでに書くと見頃になったの前に、いつ頃に見頃になりそうかの報告が欲しいな。それがあれば事前に都合を立てやすい。23日はそこそこいい天気だったが、そんなに急には出かけられない。
新宿御苑ではお花見シーズンの3/28(土)・3/29(日)・4/4(土)・4/5(日)は入場予約制になっていて、事前にネットで電子チケットを購入しなければならない。そのQRコードをスマホに表示し、駅の改札のようなゲートで読み込ませて通る仕組み。普段は入場口でチケットを買うこともできるが、この4日間は電子チケットのみ。もうスマホがないと花見すらできない時代になっている。
前日に午前10時からのチケットを買って、
10時ちょっと過ぎに新宿御苑の新宿門に到着。
改札ゲートまでの間をジグザグに何度も何度も歩かされる。
ようやく改札ゲート。
この人数ならジグザグの回数は半分程度でよかったはず。
おそらく最混雑時に備えて通路を設定したのだろうが、もっと臨機応変に対応して欲しい。
敷地の北西にある新宿門から東に進む。
本日の第1目的地は玉藻池にあるタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸)、第2目的地が大好物の整形式庭園のプラタナス並木。第3目的地が下の池にあるしだれ桜。それ以外は適当にブラブラしながらとのプラン。タカトオコヒガンザクラも公式SNSでしだれ桜より先に見頃とあったので、もう期待薄なのは承知の上。
最初に迎えてくれたのはオトメツバキ。
ツバキといえば花の中心に黄色い雄しべが集まっているのが特徴で、これがオトメツバキと知らなければバラに見えなくもない。この花の中心部が見えない咲き方が「宝珠(ほうじゅ)咲き」。珠とは丸いものを示す。真珠や数珠(じゅず)など。
花びらが多い咲き方をよく八重咲きというが、あれは花びらが8枚ではなく八重=重なっているとの意味。例えば八重歯。花の場合は花びらがだいたい6枚以上を八重咲きと呼ぶみたい。そしてこのオトメツバキのように枚数の多いのは千重(せんえ)咲きとオーバーな表現になる。千重咲きは花びらが密集するので必然的に宝珠咲き。
オトメツバキは江戸時代にいわゆる品種改良によって生まれた園芸種。可憐な姿だから乙女かと思いきや、これを栽培している藩が他藩への流出を禁止し、それで「お止め椿」になったとの説もある。
通路沿いのソメイヨシノ。
気象庁はこの日に東京で満開宣言を出した。
でもここ新宿御苑ではまだ6.5分咲きくらいな印象。
なお気象庁の満開の定義は靖国神社にある標本木の8割が開花している状態。いわゆる八分咲き。最初に咲いた花から順に散っていくので花芽のすべてが開花している10分咲きはあり得ない。
このソメイヨシノの下は以前に見に来たスイセン。
ここにあったのはたぶん花の中心部まで白いペーパーホワイトというスイセン。スイセンの花は終わって今はニラにしか見えない。なおかつその下にたくさん咲いている小さな白い花がハナニラとややこしい状態である。
スイセンはニラと似ており間違えて食べて中毒を起こしたニュースが毎年報じられる。また野菜のニラの花(花ニラ)は食べられるけれど、このハナニラも有毒で要注意植物。名前の由来は葉を傷つけるとニラのような匂いがするのでハナニラ。ここでは傷ついていないのでこのあたり一帯がニラ臭いなんてことはもちろんない。
ソメイヨシノと通路を挟んだ反対側にもハナニラが咲いていた。
中央のピンクがかったサクラはジュウガツザクラ。
旧暦の10月(現在の11月)にも花を開く二季咲き。
以前に新宿御苑は品種の表示が不足していると書いた。
それが一気にQRコードで音声案内付きの表示をするようだ。
しかし、この花見シーズンに準備中とは。
そういうとこやぞ新宿御苑。
やはりサクラはほんのり桜色をしていないと。
こちらは隣のサクラで、こんなに白くちゃつまらないと、
いつものようにソメイヨシノをディスる(^^ゞ
少し先にあった桜色のサクラ。
実に美しい。
ただし品種名の表示はなかった。
そういうとこやぞ新宿御苑(2回目)。
芝生広場を右手に見ながら、
左手側に見えてきたのは温室。
上の写真の左側に芝生が少し盛り上がっている部分がある。高いところは登る、突き出しているところは先端まで行くのが子供の頃から変わらない行動パターン。
温室での展示とは別に植物を育てているようなバックヤードが見えた。
温室入り口近くにあった説明看板。
大正時代のものを「遺構」で「発掘」とは表現が大げさ過ぎないかい?
温室は少し高台にあり周りの景色がよく見える。
そしてここで予定にはなかった温室を見学すると決定。その理由は本日は午後になると晴れ間が広がるとの予報で、写真のようにこの時点ではまだ雲が多かった。つまり晴れるまでの時間稼ぎ。青空が背景でないと肉眼でも写真でも花の美しさは半減する。もちろん温室の中の展示にも興味があった。入館は今回が初めて。
温室の入り口。
別途料金は不要。
中に入って緊急事態発生!
ものすごい湿度でカメラのレンズが曇る。
レンズを拭いても拭いても瞬時にまた曇る(/o\)
もちろん曇っているのはレンズだけで肉眼では別にモヤが掛かっているわけではない。
画像ソフトの「かすみ除去」のコマンドを実行してみたら曇りが取れた。
以降の写真は「かすみ除去」済み。
ジャングルっぽい雰囲気は大好き。
変わった花を期待していたのに花はあまり多くなかった。
通路の最後は行き止まりで、
引き返してここが分岐点。
この写真は「かすみ除去」なし。
レンズはこれだけ曇っている。
それが不思議なことにこの扉をくぐると、
レンズの曇りが取れた。
この写真も「かすみ除去」をしていないのにクリア。
いくつかにゾーニングされている別の場所へと移動したとはいえ、天井部分は共通でつながっているし、体感的に湿度が下がったとも思えないのに不思議。
クリアなレンズで花もきれいに撮れてよし。
新宿御苑のホームページにはなぜか温室の案内マップが掲載されていない。そういうとこやぞ新宿御苑(3回目)。これはネットで見つけた2012年のこの温室竣工当時の平面図。おそらく大きくは変わっていないだろう。画像はhttps://xtech.nikkei.com/kn/article/building/news/20121127/593210/から引用
レンズが曇ったのはピンクで塗ったエリア。
現在位置は青い星印。
でも少し先でまた曇ってきた。
温室の中より眺めるサクラ。
これは「かすみ除去」あり。
サボテンがあるからここは乾燥地コーナー。
でも曇ったので「かすみ除去」あり。
メキシコ原産のセドゥム・モルガニアヌム。
長くて覚えられないが、和名は「玉つづり」とわかりやすい。
絶滅危惧種のキンシャチ。
でもお店ではたくさん売っている。
これは以前に育てていた緋牡丹の台木の三角柱というサボテンに似ている。サイズはまったく違うが。
サボテンコーナーを離れてしばらく進むと、またレンズはまったく曇らなくなった。
アロカシア・グリーンベルベット。葉がベルベットの質感らしいが触ってくるのを忘れた。それよりもこんな模様をした宇宙怪獣がいたような気がして、それを思い出せなくてずっと気になっている(^^ゞ
ランのコーナー。
水もしたたるいいお花。
1度見たら忘れられない形のアンスリウム。
赤いのは花ではなく葉が変化した苞(ほう)。
黄色い突起が肉穂花序(にくすい かじょ)と呼ばれ、その表面にあるツブツブが花。
池にはスイレンが3つだけ。
温室とはいえまだ季節じゃないからか。
唐突にレモンが出現。
インド東北部と書かれているのはヒマラヤ山脈のこと。
意外にもヒマラヤの麓(ふもと)は亜熱帯気候。ネパールは冬でも20度はある。
このレモンは手のひらを広げたくらいのビッグサイズ。
でも、できれば実になる前の花を見たかったな。
最近は園芸店でよく見かける人気のビカクシダ。麋角(びかく)とはヘラジカの角。コウモリランとも呼ばれるがランとは関係なくシダ植物。
ざっと回って30分弱。
本当はもう1周したかったのだけれど暑くて断念。
そこそこ汗ばんだ。
でも楽しかったので、これから新宿御苑に来たら毎回訪れましょう。
ーーー続く
ついでに書くと見頃になったの前に、いつ頃に見頃になりそうかの報告が欲しいな。それがあれば事前に都合を立てやすい。23日はそこそこいい天気だったが、そんなに急には出かけられない。
新宿御苑ではお花見シーズンの3/28(土)・3/29(日)・4/4(土)・4/5(日)は入場予約制になっていて、事前にネットで電子チケットを購入しなければならない。そのQRコードをスマホに表示し、駅の改札のようなゲートで読み込ませて通る仕組み。普段は入場口でチケットを買うこともできるが、この4日間は電子チケットのみ。もうスマホがないと花見すらできない時代になっている。
前日に午前10時からのチケットを買って、
10時ちょっと過ぎに新宿御苑の新宿門に到着。
改札ゲートまでの間をジグザグに何度も何度も歩かされる。
ようやく改札ゲート。
この人数ならジグザグの回数は半分程度でよかったはず。
おそらく最混雑時に備えて通路を設定したのだろうが、もっと臨機応変に対応して欲しい。
敷地の北西にある新宿門から東に進む。
本日の第1目的地は玉藻池にあるタカトオコヒガンザクラ(高遠・小・彼岸)、第2目的地が大好物の整形式庭園のプラタナス並木。第3目的地が下の池にあるしだれ桜。それ以外は適当にブラブラしながらとのプラン。タカトオコヒガンザクラも公式SNSでしだれ桜より先に見頃とあったので、もう期待薄なのは承知の上。
最初に迎えてくれたのはオトメツバキ。
ツバキといえば花の中心に黄色い雄しべが集まっているのが特徴で、これがオトメツバキと知らなければバラに見えなくもない。この花の中心部が見えない咲き方が「宝珠(ほうじゅ)咲き」。珠とは丸いものを示す。真珠や数珠(じゅず)など。
花びらが多い咲き方をよく八重咲きというが、あれは花びらが8枚ではなく八重=重なっているとの意味。例えば八重歯。花の場合は花びらがだいたい6枚以上を八重咲きと呼ぶみたい。そしてこのオトメツバキのように枚数の多いのは千重(せんえ)咲きとオーバーな表現になる。千重咲きは花びらが密集するので必然的に宝珠咲き。
オトメツバキは江戸時代にいわゆる品種改良によって生まれた園芸種。可憐な姿だから乙女かと思いきや、これを栽培している藩が他藩への流出を禁止し、それで「お止め椿」になったとの説もある。
通路沿いのソメイヨシノ。
気象庁はこの日に東京で満開宣言を出した。
でもここ新宿御苑ではまだ6.5分咲きくらいな印象。
なお気象庁の満開の定義は靖国神社にある標本木の8割が開花している状態。いわゆる八分咲き。最初に咲いた花から順に散っていくので花芽のすべてが開花している10分咲きはあり得ない。
このソメイヨシノの下は以前に見に来たスイセン。
ここにあったのはたぶん花の中心部まで白いペーパーホワイトというスイセン。スイセンの花は終わって今はニラにしか見えない。なおかつその下にたくさん咲いている小さな白い花がハナニラとややこしい状態である。
スイセンはニラと似ており間違えて食べて中毒を起こしたニュースが毎年報じられる。また野菜のニラの花(花ニラ)は食べられるけれど、このハナニラも有毒で要注意植物。名前の由来は葉を傷つけるとニラのような匂いがするのでハナニラ。ここでは傷ついていないのでこのあたり一帯がニラ臭いなんてことはもちろんない。
ソメイヨシノと通路を挟んだ反対側にもハナニラが咲いていた。
中央のピンクがかったサクラはジュウガツザクラ。
旧暦の10月(現在の11月)にも花を開く二季咲き。
以前に新宿御苑は品種の表示が不足していると書いた。
それが一気にQRコードで音声案内付きの表示をするようだ。
しかし、この花見シーズンに準備中とは。
そういうとこやぞ新宿御苑。
やはりサクラはほんのり桜色をしていないと。
こちらは隣のサクラで、こんなに白くちゃつまらないと、
いつものようにソメイヨシノをディスる(^^ゞ
少し先にあった桜色のサクラ。
実に美しい。
ただし品種名の表示はなかった。
そういうとこやぞ新宿御苑(2回目)。
芝生広場を右手に見ながら、
左手側に見えてきたのは温室。
上の写真の左側に芝生が少し盛り上がっている部分がある。高いところは登る、突き出しているところは先端まで行くのが子供の頃から変わらない行動パターン。
温室での展示とは別に植物を育てているようなバックヤードが見えた。
温室入り口近くにあった説明看板。
大正時代のものを「遺構」で「発掘」とは表現が大げさ過ぎないかい?
温室は少し高台にあり周りの景色がよく見える。
そしてここで予定にはなかった温室を見学すると決定。その理由は本日は午後になると晴れ間が広がるとの予報で、写真のようにこの時点ではまだ雲が多かった。つまり晴れるまでの時間稼ぎ。青空が背景でないと肉眼でも写真でも花の美しさは半減する。もちろん温室の中の展示にも興味があった。入館は今回が初めて。
温室の入り口。
別途料金は不要。
中に入って緊急事態発生!
ものすごい湿度でカメラのレンズが曇る。
レンズを拭いても拭いても瞬時にまた曇る(/o\)
もちろん曇っているのはレンズだけで肉眼では別にモヤが掛かっているわけではない。
画像ソフトの「かすみ除去」のコマンドを実行してみたら曇りが取れた。
以降の写真は「かすみ除去」済み。
ジャングルっぽい雰囲気は大好き。
変わった花を期待していたのに花はあまり多くなかった。
通路の最後は行き止まりで、
引き返してここが分岐点。
この写真は「かすみ除去」なし。
レンズはこれだけ曇っている。
それが不思議なことにこの扉をくぐると、
レンズの曇りが取れた。
この写真も「かすみ除去」をしていないのにクリア。
いくつかにゾーニングされている別の場所へと移動したとはいえ、天井部分は共通でつながっているし、体感的に湿度が下がったとも思えないのに不思議。
クリアなレンズで花もきれいに撮れてよし。
新宿御苑のホームページにはなぜか温室の案内マップが掲載されていない。そういうとこやぞ新宿御苑(3回目)。これはネットで見つけた2012年のこの温室竣工当時の平面図。おそらく大きくは変わっていないだろう。画像はhttps://xtech.nikkei.com/kn/article/building/news/20121127/593210/から引用
レンズが曇ったのはピンクで塗ったエリア。
現在位置は青い星印。
でも少し先でまた曇ってきた。
温室の中より眺めるサクラ。
これは「かすみ除去」あり。
サボテンがあるからここは乾燥地コーナー。
でも曇ったので「かすみ除去」あり。
メキシコ原産のセドゥム・モルガニアヌム。
長くて覚えられないが、和名は「玉つづり」とわかりやすい。
絶滅危惧種のキンシャチ。
でもお店ではたくさん売っている。
これは以前に育てていた緋牡丹の台木の三角柱というサボテンに似ている。サイズはまったく違うが。
サボテンコーナーを離れてしばらく進むと、またレンズはまったく曇らなくなった。
アロカシア・グリーンベルベット。葉がベルベットの質感らしいが触ってくるのを忘れた。それよりもこんな模様をした宇宙怪獣がいたような気がして、それを思い出せなくてずっと気になっている(^^ゞ
ランのコーナー。
水もしたたるいいお花。
1度見たら忘れられない形のアンスリウム。
赤いのは花ではなく葉が変化した苞(ほう)。
黄色い突起が肉穂花序(にくすい かじょ)と呼ばれ、その表面にあるツブツブが花。
池にはスイレンが3つだけ。
温室とはいえまだ季節じゃないからか。
唐突にレモンが出現。
インド東北部と書かれているのはヒマラヤ山脈のこと。
意外にもヒマラヤの麓(ふもと)は亜熱帯気候。ネパールは冬でも20度はある。
このレモンは手のひらを広げたくらいのビッグサイズ。
でも、できれば実になる前の花を見たかったな。
最近は園芸店でよく見かける人気のビカクシダ。麋角(びかく)とはヘラジカの角。コウモリランとも呼ばれるがランとは関係なくシダ植物。
ざっと回って30分弱。
本当はもう1周したかったのだけれど暑くて断念。
そこそこ汗ばんだ。
でも楽しかったので、これから新宿御苑に来たら毎回訪れましょう。
ーーー続く
wassho at 19:40|Permalink│Comments(0)│
2024年04月06日
妙見坂のしだれ桜は1本だけだった
東京のサクラ開花宣言はここ数年と較べて2週間ほど遅い3月29日。最初の日曜日である最高気温28.1度となった3月31日には当然ながらまだ一分咲き以下。でも準備の都合でその日に開催された(せざるを得なかった)サクラ祭りを「サクラの咲いていないサクラ祭りなんて、めったに経験できる機会はない」とヘソ曲がりな動機で自宅近くの2会場をハシゴしてきたのは前回までに書いた通り。
3月29日に開花すれば満開になるのは4月4日か5日当たりになる。しかし4月1日の夜に天気予報を見ると、どうも今年のサクラは天候に恵まれないようだ。晴れマークが付いているのは4月2日と6日しかなく傘マークのほうが多い(>_<)
本当は6日と7日の土日にのんびりとサクラ三昧をしたかったが、この時点で週末6日の晴れマークも当てにできないし、とりあえず雨の降らない2日にも見ておくかと外出の途中に時間をやりくりして訪れたのが妙見坂のしだれ桜。
ちなみに6日&7日には某所と某所にあるしだれ桜2カ所と、某所の川沿いのサクラを見に出かけるつもりだった。だから妙見坂は今年のメインイベントに入っていなかった補欠候補。しだれ桜があるところをあれこれ探していて見つけた。
そしてこのブログを書いている本日4月6日は晴れマークが消えたこんな天候で、
2日にサクラを見てきたのは正解。
場所は2021年にサクラを見に訪れた大田区にある池上本門寺の隣。本門寺の塔頭(たっちゅう)である昭栄院の境内に妙見堂というお堂があり、そのお堂に至る坂が妙見坂。
なお塔頭(たっちゅう)とは本来は大きな寺の高僧のお墓。その高僧を慕ったり墓を守るために弟子が墓の周りに住むようになり、それが転じて大きな寺の敷地内や近くにある付属の小さな寺を意味するようになる。
五反田から池上線に乗って20分ほどで池上駅に到着。
駅ビルは2021年にオープンしたエトモ池上。
前回に来たときから、駅名の隣に池上本門寺の表示があるのはいかなる理由・いきさつなのか気になっている。池上は単に地名だが、同じ東急線で九品仏駅なんてお寺の名前が駅名なっているのにこんな表示はない。
駅から100メートルほど離れた交差点は五叉路。そのひとつがこの本門寺通りで商店街にもなっている。もっとも地元の人が日常的に買い物をするようなお店はあまりなく、参拝客向けにお店が並んだ成り立ちのように思う。
いくつかあるレトロな雰囲気のお店は前回来たときからまったく変わっていない。
おそらくこれからも変わらないはず。
写真奥の突き当たりを右に曲がると本門寺に至る道路に出るのだが、
その手前で「参道はこっち」と主張している路地があったので、
そちらを進む。
路地を抜けて左を向き正面に見えているのが池上本門寺。
世田谷区内が源流で、目黒区から大田区と流れる呑川(のみがわ)を渡る。
池上本門寺の総門。
総門とは寺の正面玄関のような存在。大門あるいは南側に造られるから南大門ともいう。対して山門はここから先は神聖なエリアだと示す門。金剛力士像が置かれていれば仁王門と呼ばれる。小さい寺だと総門と山門は共通。
池上本門寺には入らず右に進む。
朗子(ろうし)会館、池上会館と会館の多い通り。
人名で朗子だと「さえこ」「あきこ」「ときこ」などになる。
この朗子会館の名前由来を示した資料は見当たらなかったが、「朗」には「朗(ほが)らか、明るい」の意味がある。池上本門寺は合唱団、鼓笛隊、ボーイスカウト、体操クラブなど青少年向けの活動を「朗子クラブ」と名付けており、「ほがらか、明るい」子供に育って欲しいとの意味が込められているのかと思う。
池上会館の横を抜けると昭栄院が見えてきた。
正面は呑川沿い。
実は先ほどの呑川の写真にも昭栄院は写っていた。
昭栄院は小寺院だから総門を兼ねた山門。
説明が充実。
こぢんまりとした佇まい。
庭の手入れはとても行き届いている印象を受けた。
山門をくぐって左にはベニハナトキワマンサク。
花色がマンサクは黄色、トキワマンサクは白、ベニハナトキワマンサクは濃いピンクであるが、白のトキワマンサクはあまり見かけない。ベニハナトキワマンサクが紅花を省略してトキワマンサクと記される場合も多い。
右にあったのは印象的にはツバキに思えるものの、
花の形が丸くて初めて見るタイプ。
調べてみるとこれはカイドウツバキ(海棠椿)というベトナム原産の品種。ツバキは冬に咲くから南国ベトナムは想像しづらいね。別名はベトナム椿ともいい、かつてはベトナム王家が門外不出としていた幻の花なんだそう。日本に入ってきたのは1990年代といわれる。
そして昭栄院の横の路地にありました!しだれ桜。
奥の階段が妙見坂。
そこそこのサイズで期待通りに満開。
(しだれ桜はソメイヨシノより早く咲く品種が多い)
電信柱を避けて撮りましょう。
かなり高い位置で咲いており私の持っているレンズではこれで精一杯。
お寺の屋根と一緒に。
ふと振り返ると昭栄院の庭からいろいろ突き出している。
こちらは花の形が普通でも、とてもビビッドな色のツバキ。
ベニハナトキワマンサクは実をつけていた。
これはハナズオウ。
まだほとんどツボミでも色は濃い。
しだれ桜の淡いピンクとフワフワ感を背景に眺めるとキレイだった。
もう一度しだれ桜を仰ぎ見て、
さて登りますか。
1/3のところにある踊り場から見下ろす。
同じく見上げる。
それにしても階段途中の広くなったところがなぜ踊り場の名前なのだろう?
2/3を登った踊り場から。
登り切った。全部で111段!
ところで路地に入ったときから気付いていたけれど、妙見坂のしだれ桜は昭栄院の敷地にある1本だけだった(/o\) ネットで見つけたサイトで何枚かの写真を見たのは、しだれ桜が何本かあるのではなく、1本の桜の別カットだったとのオチ(^^ゞ
気を取り直して妙見堂。
樹老人は七福神のひとつ。一般的には寿老人と書く方が多い。
ひょっとしたら樹老人はここだけかも知れない。
七福神は弁財天、恵比寿、大黒天、毘沙門天、布袋、寿老人、福禄寿。しかし寿老人と福禄寿は知名度が低いかな。ましてや樹老人は超マイナーな存在。
これは第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーで開かれた軍事裁判でBC級戦犯として処刑された人の慰霊碑。昭栄院の以前の住職が処刑に立ち会った縁でここに建立されたみたい。
ところで戦争犯罪人と聞くと東条英機ら28人が裁かれ、うち7名が死刑となった極東国際軍事裁判(通称は東京裁判)が有名。A級戦犯との言葉もよく聞くから、BC級戦犯はそれより軽い罪に思えるがそうではない。
BC級戦犯はA級戦犯よりはるかに多い約5700名が起訴され、そのうち約1000名に死刑判決が下されている。起訴されて死刑になった率は東京裁判が25%で、BC級戦犯が18%だからそれほど大きな違いはない。なおBC級戦犯は横浜とマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。チャンギーもそのひとつで処刑者数は129名。
さてABC級戦犯とは連合国によって布告された戦争犯罪類型の区分である
A項:平和に対する罪
B項:通例の戦争犯罪
C項:人道に対する罪
のどれで有罪になったかを意味している。
区分としてはABCと「項」なのに、戦犯すなわち人物を示すときにABCの「級」に言い換えられる理由はよくわからない。どちらも死刑があるから量刑に差はないのに「級」と書くとレベルの違いのように思えてしまう。
裁判の根拠法となった国際軍事裁判所憲章(Charter of the International Military Tribunal)を読むと「項」については (a) (b) (c) と括弧付きで書かれているだけ。戦犯をどう表現してるかはよくわからなかった。英和辞書でA級戦犯を引くと class-A war criminal が出てくるが、国際軍事裁判所憲章にその表現はなく、これは日本語表現のA級を英訳したような気もする。
もっとも第二次世界大戦がかつてないほど大規模熾烈なものであったため、戦場における「B項:通例の戦争犯罪」だけではさばききれず、戦争指導者に対する罪として「A項:平和に対する罪」が設けられたので、A級戦犯のほうがより罪が重いとの見方は必ずしも間違いではない。またA級戦犯として処刑された7名はB項でも有罪になっている。
裁判で有罪となった戦犯が「殉難」かどうかは素直に受け入れられない部分もあるものの、もはや戦後79年、ここは素直に合掌。
そこそこ大きな木。
幹はこんな感じ。そして黙ってこれにしばらく抱きついているオバチャンを二人見た。
何かスピリチュアルな儀式なんだろうか? ひょっとしてこれは「樹」老人の化身?
他には特に撮る風景もないので妙見堂の窓ガラスでも(^^ゞ
妙見堂まで階段を上がって、ここが池上本門寺の墓地エリアとつながっているとわかった。それで予定には入っていなかったが、このあと本門寺も少しブラブラ。
3月29日に開花すれば満開になるのは4月4日か5日当たりになる。しかし4月1日の夜に天気予報を見ると、どうも今年のサクラは天候に恵まれないようだ。晴れマークが付いているのは4月2日と6日しかなく傘マークのほうが多い(>_<)
本当は6日と7日の土日にのんびりとサクラ三昧をしたかったが、この時点で週末6日の晴れマークも当てにできないし、とりあえず雨の降らない2日にも見ておくかと外出の途中に時間をやりくりして訪れたのが妙見坂のしだれ桜。
ちなみに6日&7日には某所と某所にあるしだれ桜2カ所と、某所の川沿いのサクラを見に出かけるつもりだった。だから妙見坂は今年のメインイベントに入っていなかった補欠候補。しだれ桜があるところをあれこれ探していて見つけた。
そしてこのブログを書いている本日4月6日は晴れマークが消えたこんな天候で、
2日にサクラを見てきたのは正解。
場所は2021年にサクラを見に訪れた大田区にある池上本門寺の隣。本門寺の塔頭(たっちゅう)である昭栄院の境内に妙見堂というお堂があり、そのお堂に至る坂が妙見坂。
なお塔頭(たっちゅう)とは本来は大きな寺の高僧のお墓。その高僧を慕ったり墓を守るために弟子が墓の周りに住むようになり、それが転じて大きな寺の敷地内や近くにある付属の小さな寺を意味するようになる。
五反田から池上線に乗って20分ほどで池上駅に到着。
駅ビルは2021年にオープンしたエトモ池上。
前回に来たときから、駅名の隣に池上本門寺の表示があるのはいかなる理由・いきさつなのか気になっている。池上は単に地名だが、同じ東急線で九品仏駅なんてお寺の名前が駅名なっているのにこんな表示はない。
駅から100メートルほど離れた交差点は五叉路。そのひとつがこの本門寺通りで商店街にもなっている。もっとも地元の人が日常的に買い物をするようなお店はあまりなく、参拝客向けにお店が並んだ成り立ちのように思う。
いくつかあるレトロな雰囲気のお店は前回来たときからまったく変わっていない。
おそらくこれからも変わらないはず。
写真奥の突き当たりを右に曲がると本門寺に至る道路に出るのだが、
その手前で「参道はこっち」と主張している路地があったので、
そちらを進む。
路地を抜けて左を向き正面に見えているのが池上本門寺。
世田谷区内が源流で、目黒区から大田区と流れる呑川(のみがわ)を渡る。
池上本門寺の総門。
総門とは寺の正面玄関のような存在。大門あるいは南側に造られるから南大門ともいう。対して山門はここから先は神聖なエリアだと示す門。金剛力士像が置かれていれば仁王門と呼ばれる。小さい寺だと総門と山門は共通。
池上本門寺には入らず右に進む。
朗子(ろうし)会館、池上会館と会館の多い通り。
人名で朗子だと「さえこ」「あきこ」「ときこ」などになる。
この朗子会館の名前由来を示した資料は見当たらなかったが、「朗」には「朗(ほが)らか、明るい」の意味がある。池上本門寺は合唱団、鼓笛隊、ボーイスカウト、体操クラブなど青少年向けの活動を「朗子クラブ」と名付けており、「ほがらか、明るい」子供に育って欲しいとの意味が込められているのかと思う。
池上会館の横を抜けると昭栄院が見えてきた。
正面は呑川沿い。
実は先ほどの呑川の写真にも昭栄院は写っていた。
昭栄院は小寺院だから総門を兼ねた山門。
説明が充実。
こぢんまりとした佇まい。
庭の手入れはとても行き届いている印象を受けた。
山門をくぐって左にはベニハナトキワマンサク。
花色がマンサクは黄色、トキワマンサクは白、ベニハナトキワマンサクは濃いピンクであるが、白のトキワマンサクはあまり見かけない。ベニハナトキワマンサクが紅花を省略してトキワマンサクと記される場合も多い。
右にあったのは印象的にはツバキに思えるものの、
花の形が丸くて初めて見るタイプ。
調べてみるとこれはカイドウツバキ(海棠椿)というベトナム原産の品種。ツバキは冬に咲くから南国ベトナムは想像しづらいね。別名はベトナム椿ともいい、かつてはベトナム王家が門外不出としていた幻の花なんだそう。日本に入ってきたのは1990年代といわれる。
そして昭栄院の横の路地にありました!しだれ桜。
奥の階段が妙見坂。
そこそこのサイズで期待通りに満開。
(しだれ桜はソメイヨシノより早く咲く品種が多い)
電信柱を避けて撮りましょう。
かなり高い位置で咲いており私の持っているレンズではこれで精一杯。
お寺の屋根と一緒に。
ふと振り返ると昭栄院の庭からいろいろ突き出している。
こちらは花の形が普通でも、とてもビビッドな色のツバキ。
ベニハナトキワマンサクは実をつけていた。
これはハナズオウ。
まだほとんどツボミでも色は濃い。
しだれ桜の淡いピンクとフワフワ感を背景に眺めるとキレイだった。
もう一度しだれ桜を仰ぎ見て、
さて登りますか。
1/3のところにある踊り場から見下ろす。
同じく見上げる。
それにしても階段途中の広くなったところがなぜ踊り場の名前なのだろう?
2/3を登った踊り場から。
登り切った。全部で111段!
ところで路地に入ったときから気付いていたけれど、妙見坂のしだれ桜は昭栄院の敷地にある1本だけだった(/o\) ネットで見つけたサイトで何枚かの写真を見たのは、しだれ桜が何本かあるのではなく、1本の桜の別カットだったとのオチ(^^ゞ
気を取り直して妙見堂。
樹老人は七福神のひとつ。一般的には寿老人と書く方が多い。
ひょっとしたら樹老人はここだけかも知れない。
七福神は弁財天、恵比寿、大黒天、毘沙門天、布袋、寿老人、福禄寿。しかし寿老人と福禄寿は知名度が低いかな。ましてや樹老人は超マイナーな存在。
これは第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーで開かれた軍事裁判でBC級戦犯として処刑された人の慰霊碑。昭栄院の以前の住職が処刑に立ち会った縁でここに建立されたみたい。
ところで戦争犯罪人と聞くと東条英機ら28人が裁かれ、うち7名が死刑となった極東国際軍事裁判(通称は東京裁判)が有名。A級戦犯との言葉もよく聞くから、BC級戦犯はそれより軽い罪に思えるがそうではない。
BC級戦犯はA級戦犯よりはるかに多い約5700名が起訴され、そのうち約1000名に死刑判決が下されている。起訴されて死刑になった率は東京裁判が25%で、BC級戦犯が18%だからそれほど大きな違いはない。なおBC級戦犯は横浜とマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。チャンギーもそのひとつで処刑者数は129名。
さてABC級戦犯とは連合国によって布告された戦争犯罪類型の区分である
A項:平和に対する罪
B項:通例の戦争犯罪
C項:人道に対する罪
のどれで有罪になったかを意味している。
区分としてはABCと「項」なのに、戦犯すなわち人物を示すときにABCの「級」に言い換えられる理由はよくわからない。どちらも死刑があるから量刑に差はないのに「級」と書くとレベルの違いのように思えてしまう。
裁判の根拠法となった国際軍事裁判所憲章(Charter of the International Military Tribunal)を読むと「項」については (a) (b) (c) と括弧付きで書かれているだけ。戦犯をどう表現してるかはよくわからなかった。英和辞書でA級戦犯を引くと class-A war criminal が出てくるが、国際軍事裁判所憲章にその表現はなく、これは日本語表現のA級を英訳したような気もする。
もっとも第二次世界大戦がかつてないほど大規模熾烈なものであったため、戦場における「B項:通例の戦争犯罪」だけではさばききれず、戦争指導者に対する罪として「A項:平和に対する罪」が設けられたので、A級戦犯のほうがより罪が重いとの見方は必ずしも間違いではない。またA級戦犯として処刑された7名はB項でも有罪になっている。
裁判で有罪となった戦犯が「殉難」かどうかは素直に受け入れられない部分もあるものの、もはや戦後79年、ここは素直に合掌。
そこそこ大きな木。
幹はこんな感じ。そして黙ってこれにしばらく抱きついているオバチャンを二人見た。
何かスピリチュアルな儀式なんだろうか? ひょっとしてこれは「樹」老人の化身?
他には特に撮る風景もないので妙見堂の窓ガラスでも(^^ゞ
妙見堂まで階段を上がって、ここが池上本門寺の墓地エリアとつながっているとわかった。それで予定には入っていなかったが、このあと本門寺も少しブラブラ。
wassho at 19:24|Permalink│Comments(0)│
2023年03月27日
今年こそ六義園でしだれ桜
東京で最も美しくて、かつサイズ的にも見応えのあるしだれ桜は、文京区は駒込にある六義園のものではないかとしばらく前に知る。それなら是非にともと思ったものの、昨年はコロナ規制で都立庭園は3月21日まで閉鎖。その規制解除は突然だったので、スケジュールの調整ができたときには既に散り始めだった(/o\)
ならば今年こそはと六義園の公式Twitterをフォロー。
3月14日(火) 3分咲き
3月15日(水) 5分咲き(5分より咲いているかも)
3月16日(木) 見ごろです!
の情報をキャッチする。
それにしても3分咲きから見頃まで2日間と早くない? 営業促進ツイートの疑いあり?
しかし翌日17日(金)にSNSをあれこれチェックして満開であるのを確信。
ただし天気予報は
18日(土) 雨のち曇り
19日(日) 晴れ
20日(月) 晴れ
21日(春分の日) 曇り時々晴れ
だった。これではただでさえ混雑するのに、19日の日曜日は激混みが予想される。21日も祝日とはいえ、やはりサクラは青空の下で見たい。え〜い、3連休にしちゃえ(^^ゞ ということで3月20日に六義園を訪問。この日は天気がいいばかりではなく、最高気温19.2度のポカポカ陽気にも恵まれた。
皇居のある千代田区の北隣が文京区。
六義園(りくぎえん)は文京区でも一番北側にある。
山手線の駒込駅で下車。
隣駅はオバアチャンの原宿として有名な巣鴨。
なお駒込は豊島区になる。六義園の所在は正確には文京区本駒込。
駅を出るともう六義園が見えている。信号の向こうにあるのは染井門という出入り口。普段はこの道路(本郷通り)をもう少し進んだ正門しか開いていないが、しだれ桜の時期は駅近の染井門も開放される。ありがたやーーーと思っていたのだが(後述)。
平日なのになかなかの人出。
写真では見えない右側の道路の奥まで行列は延びている。
この不思議な光景な何かというと、事前に入場券を買っている人は真ん中の通路から中に入れる。並んでいるのは入場券を買うための行列で、門のところで折り返しているからこちらを向いている人がいる。
図で説明すると
私は事前にオンラインで購入していたので真ん中の通路からスイスイ入場。公式Twitterによると入場券購入は30分ほどの待ち時間だったようだ。
上の写真で真ん中の通路がガラ空きなので分かるように、事前に入場券を買っていない人のほうが圧倒的に多い。オンライン購入なら2分ほどの手間、行列は30分。この違いは大きい。またオンラインがいやならコンビニでも入場券は買える。こんなことはちょっと調べれば分かるのに、どうして現地窓口で買おうとするかな。情弱という言葉は嫌いで使いたくないものの、もっと要領よく行動しましょう皆さん。
赤と青のテープの間が、事実上VIP待遇になっている事前購入者用の入場レーン。
オンライン購入はメールで送られてきたQRコードをスマホで見せる方式。
染井門を入ってすぐの所に、しだれ桜への道案内はなかったように思う。
多くの人が向かっているので、それについていく。
途中でたくさん咲いているツバキなど見ながら、
道は続く。
ここでふと気づいた。
染井門、正門、しだれ桜の位置関係は下のようになっている。
正門から入ったほうが近いやん(^^ゞ
染井門を開いたのは、入場者を正門と二分して混雑を捌きたかったのね。
まあそれも親切と言えなくはないか。
少しわかりにくいが、前日の雨でぬかるんでいたのでシートが敷かれていた。
いよいよしだれ桜が見えてきた。
ーーー続く
ならば今年こそはと六義園の公式Twitterをフォロー。
3月14日(火) 3分咲き
3月15日(水) 5分咲き(5分より咲いているかも)
3月16日(木) 見ごろです!
の情報をキャッチする。
それにしても3分咲きから見頃まで2日間と早くない? 営業促進ツイートの疑いあり?
しかし翌日17日(金)にSNSをあれこれチェックして満開であるのを確信。
ただし天気予報は
18日(土) 雨のち曇り
19日(日) 晴れ
20日(月) 晴れ
21日(春分の日) 曇り時々晴れ
だった。これではただでさえ混雑するのに、19日の日曜日は激混みが予想される。21日も祝日とはいえ、やはりサクラは青空の下で見たい。え〜い、3連休にしちゃえ(^^ゞ ということで3月20日に六義園を訪問。この日は天気がいいばかりではなく、最高気温19.2度のポカポカ陽気にも恵まれた。
皇居のある千代田区の北隣が文京区。
六義園(りくぎえん)は文京区でも一番北側にある。
山手線の駒込駅で下車。
隣駅はオバアチャンの原宿として有名な巣鴨。
なお駒込は豊島区になる。六義園の所在は正確には文京区本駒込。
駅を出るともう六義園が見えている。信号の向こうにあるのは染井門という出入り口。普段はこの道路(本郷通り)をもう少し進んだ正門しか開いていないが、しだれ桜の時期は駅近の染井門も開放される。ありがたやーーーと思っていたのだが(後述)。
平日なのになかなかの人出。
写真では見えない右側の道路の奥まで行列は延びている。
この不思議な光景な何かというと、事前に入場券を買っている人は真ん中の通路から中に入れる。並んでいるのは入場券を買うための行列で、門のところで折り返しているからこちらを向いている人がいる。
図で説明すると
私は事前にオンラインで購入していたので真ん中の通路からスイスイ入場。公式Twitterによると入場券購入は30分ほどの待ち時間だったようだ。
上の写真で真ん中の通路がガラ空きなので分かるように、事前に入場券を買っていない人のほうが圧倒的に多い。オンライン購入なら2分ほどの手間、行列は30分。この違いは大きい。またオンラインがいやならコンビニでも入場券は買える。こんなことはちょっと調べれば分かるのに、どうして現地窓口で買おうとするかな。情弱という言葉は嫌いで使いたくないものの、もっと要領よく行動しましょう皆さん。
赤と青のテープの間が、事実上VIP待遇になっている事前購入者用の入場レーン。
オンライン購入はメールで送られてきたQRコードをスマホで見せる方式。
染井門を入ってすぐの所に、しだれ桜への道案内はなかったように思う。
多くの人が向かっているので、それについていく。
途中でたくさん咲いているツバキなど見ながら、
道は続く。
ここでふと気づいた。
染井門、正門、しだれ桜の位置関係は下のようになっている。
正門から入ったほうが近いやん(^^ゞ
染井門を開いたのは、入場者を正門と二分して混雑を捌きたかったのね。
まあそれも親切と言えなくはないか。
少しわかりにくいが、前日の雨でぬかるんでいたのでシートが敷かれていた。
いよいよしだれ桜が見えてきた。
ーーー続く
wassho at 20:48|Permalink│Comments(0)│
2023年03月14日
林試の森で河津桜 2023
東京では本日、サクラ(ソメイヨシノ)の開花が気象庁から発表された。統計を取り始めてからは最も早く、平年より10日早く、また全国で最も早い開花発表だそうだ。とはいっても2020年、2021年も開花発表は3月14日であり、この4年間で3回が本日なのだから、それほど早いとは感じない。昨年は3月20日だった。
参考までに平年値とは過去30年間の平均値。ただし平均値がアップデートされるのは10年に1度で、西暦年4桁の「1の位」が「1」のときに実施される。だから直近で改訂されたのは2021年。
ちょっとややこしいが
2011年から2020年の平年値=1981年から2010年までの平均値
2021年から2030年の平年値=1991年から2020年までの平均値
となる。つまり2020年に平年値というと、39年前の1981年から10年前の2010年の平均値なのに対し、翌2021年に平年値といえば、30年前の1991年から1年前の2020年の平均値となる。対象となる期間の古さがけっこう違うのだ。
どうして毎年アップデートして、
単純な過去30年の平均値にしないのかは知らない。
そのうち調べましょう。
さて東京でメジャーなサクラ品種の咲く順番はおおよそ、
↓カンヒザクラ 寒緋桜
カワヅザクラ 河津桜
ヒガンザクラ 彼岸桜
シダレザクラ
ソメイヨシノ 染井吉野
オオシマザクラ 大島桜
ヤエザクラ 八重桜
ヤマザクラ 山桜
となる(と思う)。
ソメイヨシノがサクラの代表品種だから、それを基準に早咲き、遅咲きにも分けられる。早咲きでもっともポピュラーなのは河津桜だろう。
発祥の地である伊豆の河津町を訪れたことはないものの、それでも各地の河津桜名所はいろいろと巡り歩いてきた。ところが2019年に自宅近くの林試の森公園に河津桜があるのを発見。まさに灯台もと暗し。それ以来は毎年ここで河津桜を眺めるのを楽しみにしている。
このブログでは何度も登場している元林業試験場の林試の森公園。
今回訪れたのは3月4日。
公園に隣接していた団地が取り壊されて更地になっている。
相当に広い敷地だからタワマンでも建つのかな。
西門から入ってすぐの所。
何気なく見上げたら、
この木はサクラだった。
河津桜でもソメイヨシノでもないのは明らかだが、品種名の表示はなかった。
その先にあるのは「大きな広場」と芸のない名前をつけられた場所。
写真左側に植えられているのはソメイヨシノ。
満開の様子はここをクリック。
広場の右側にはプラタナス並木がある。
ここのは新宿御苑のゴツゴツしたプラタナスとはずいぶんと姿が違う。
いつもの橋を渡って、
いつものように池を眺めて、
少し進むと河津桜が見えてくる。
河津桜が植えられているのは芝生広場と呼ばれる場所。とはいっても、夏になればごく薄〜く芝が生えている程度で、現状はほとんど土。
芝生広場の南側の河津桜。
北側。
メインの西側。
なぜか真ん中の木だけがやや葉桜状態。
何度も来て、いつも同じような写真だけれど、
とりあえず満開のお花見気分を味わってちょうだい。
お約束の逆光写真。
これは逆光ぽくないけれど、
逆光じゃなければ花びらに大の字のような模様は浮き上がらない。
ピンクの花が咲いてこそのサクラで、
だからソメイヨシノがあまり好きじゃない私の気持ちを分かってもらえるかな。
南側の河津桜を背にして芝生広場の全景。
ツバキとサザンカは花の形では見分けが難しいが散り方が違う。花ごとポトンと落ちればツバキで、花びらがバラバラに散ればサザンカ。
まだ何も落ちていないぢゃないか(^^ゞ
でもツバキだと思う。
ツバキは何となく冬の花のイメージがあるものの、品種によって咲く時期にかなりの開きがある。ツバキの開花時期として「11月〜12月」または「2月〜4月」と記している園芸本もあるくらい。
これは春咲きのツバキのようだ。
満開の河津桜を楽しんで10日経った本日の帰りに、
また林試の森公園に立ち寄ってみた。
花のまま落ちているからやはりツバキ。
そして満開!
河津桜はというと10日ですっかりーーー
まさに花の命は短くてである。
しかし今年もしっかり満開の姿を見られたのだからシアワセ。
参考までに平年値とは過去30年間の平均値。ただし平均値がアップデートされるのは10年に1度で、西暦年4桁の「1の位」が「1」のときに実施される。だから直近で改訂されたのは2021年。
ちょっとややこしいが
2011年から2020年の平年値=1981年から2010年までの平均値
2021年から2030年の平年値=1991年から2020年までの平均値
となる。つまり2020年に平年値というと、39年前の1981年から10年前の2010年の平均値なのに対し、翌2021年に平年値といえば、30年前の1991年から1年前の2020年の平均値となる。対象となる期間の古さがけっこう違うのだ。
どうして毎年アップデートして、
単純な過去30年の平均値にしないのかは知らない。
そのうち調べましょう。
さて東京でメジャーなサクラ品種の咲く順番はおおよそ、
↓カンヒザクラ 寒緋桜
カワヅザクラ 河津桜
ヒガンザクラ 彼岸桜
シダレザクラ
ソメイヨシノ 染井吉野
オオシマザクラ 大島桜
ヤエザクラ 八重桜
ヤマザクラ 山桜
となる(と思う)。
ソメイヨシノがサクラの代表品種だから、それを基準に早咲き、遅咲きにも分けられる。早咲きでもっともポピュラーなのは河津桜だろう。
発祥の地である伊豆の河津町を訪れたことはないものの、それでも各地の河津桜名所はいろいろと巡り歩いてきた。ところが2019年に自宅近くの林試の森公園に河津桜があるのを発見。まさに灯台もと暗し。それ以来は毎年ここで河津桜を眺めるのを楽しみにしている。
このブログでは何度も登場している元林業試験場の林試の森公園。
今回訪れたのは3月4日。
公園に隣接していた団地が取り壊されて更地になっている。
相当に広い敷地だからタワマンでも建つのかな。
西門から入ってすぐの所。
何気なく見上げたら、
この木はサクラだった。
河津桜でもソメイヨシノでもないのは明らかだが、品種名の表示はなかった。
その先にあるのは「大きな広場」と芸のない名前をつけられた場所。
写真左側に植えられているのはソメイヨシノ。
満開の様子はここをクリック。
広場の右側にはプラタナス並木がある。
ここのは新宿御苑のゴツゴツしたプラタナスとはずいぶんと姿が違う。
いつもの橋を渡って、
いつものように池を眺めて、
少し進むと河津桜が見えてくる。
河津桜が植えられているのは芝生広場と呼ばれる場所。とはいっても、夏になればごく薄〜く芝が生えている程度で、現状はほとんど土。
芝生広場の南側の河津桜。
北側。
メインの西側。
なぜか真ん中の木だけがやや葉桜状態。
何度も来て、いつも同じような写真だけれど、
とりあえず満開のお花見気分を味わってちょうだい。
お約束の逆光写真。
これは逆光ぽくないけれど、
逆光じゃなければ花びらに大の字のような模様は浮き上がらない。
ピンクの花が咲いてこそのサクラで、
だからソメイヨシノがあまり好きじゃない私の気持ちを分かってもらえるかな。
南側の河津桜を背にして芝生広場の全景。
ツバキとサザンカは花の形では見分けが難しいが散り方が違う。花ごとポトンと落ちればツバキで、花びらがバラバラに散ればサザンカ。
まだ何も落ちていないぢゃないか(^^ゞ
でもツバキだと思う。
ツバキは何となく冬の花のイメージがあるものの、品種によって咲く時期にかなりの開きがある。ツバキの開花時期として「11月〜12月」または「2月〜4月」と記している園芸本もあるくらい。
これは春咲きのツバキのようだ。
満開の河津桜を楽しんで10日経った本日の帰りに、
また林試の森公園に立ち寄ってみた。
花のまま落ちているからやはりツバキ。
そして満開!
河津桜はというと10日ですっかりーーー
まさに花の命は短くてである。
しかし今年もしっかり満開の姿を見られたのだからシアワセ。
wassho at 22:09|Permalink│Comments(0)│
2021年04月17日
日比谷公園でネモフィラとチューリップ
銀座方面へ出かけたついでに日比谷公園でネモフィラとチューリップを見てきた。ちなみに地下鉄で日比谷は銀座の隣駅。訪れたのは4月7日である。
日比谷の交差点。
丸の内方向に見る皇居のお堀。
この光景は東京の中でも抜群に美しい。
霞ヶ関方向。
お堀の主みたいなヤツがいた。
こちらが日比谷公園。
銀座方面を眺めながら交差点を渡る。
この場所が国道1号線という認識はあまりないなあ。
日比谷公園に入る。
皇居と日比谷公園の位置関係ね。
入ったのは案内図の右上・現在地にある有楽門。有楽町に一番近いからその名前なのだろう。ネモフィラとチューリップは公園のほぼ中央、第二花壇の左側にある。
有楽門を入ってすぐのところにある小径。昨年の12月にはここで紅葉を見た。
右側の石垣で高くなっているところを登ると、
心字池を上から眺められる。
心字池とは「心」の文字を形取った池で日本庭園でよく見られる。しかし以前にその形を調べたら驚愕の事実を発見した(ちょっと大げさ)。
奥に進んで石垣から降りるとツバキが咲いていた。
ツバキって冬のイメージがあるが、品種によっては春遅くまで咲いている。
でもこんな明るい雰囲気はあまりに合わないかも。
噴水広場に到着。
噴水があればシャッタースピードを速めて、しぶきの一瞬を捉えないと気が済まない。
噴水の右側に建っているのが帝国ホテル本館で、
その後ろの少し背の高いビルがタワー館。
タワー館を2024〜30年、本館は2031〜36年の予定で建て替えることが3月25日に発表された。本館の竣工は1970年、タワー館は1983年である。それぞれ51年と35年前。このクラスのホテルでさえそうなんだから、日本の建築物の寿命って本当に短いね。
噴水のすぐ隣にネモフィラ。
ネモフィラを見るのは2年ぶりかな。可憐を絵に描いたような姿をしている。ここの規模はたいしたことないけれど、都心で見られるだけで儲けものと考えましょう。
雄しべの先が黒い点になっていて、風に揺れるとそれが目や口に見えて、ネモフィラが喋ったり笑っているように思える時がある。長く見つめていると危険な花(^^ゞ
ネモフィラの隣にチューリップが続いている。
ーーー続く
日比谷の交差点。
丸の内方向に見る皇居のお堀。
この光景は東京の中でも抜群に美しい。
霞ヶ関方向。
お堀の主みたいなヤツがいた。
こちらが日比谷公園。
銀座方面を眺めながら交差点を渡る。
この場所が国道1号線という認識はあまりないなあ。
日比谷公園に入る。
皇居と日比谷公園の位置関係ね。
入ったのは案内図の右上・現在地にある有楽門。有楽町に一番近いからその名前なのだろう。ネモフィラとチューリップは公園のほぼ中央、第二花壇の左側にある。
有楽門を入ってすぐのところにある小径。昨年の12月にはここで紅葉を見た。
右側の石垣で高くなっているところを登ると、
心字池を上から眺められる。
心字池とは「心」の文字を形取った池で日本庭園でよく見られる。しかし以前にその形を調べたら驚愕の事実を発見した(ちょっと大げさ)。
奥に進んで石垣から降りるとツバキが咲いていた。
ツバキって冬のイメージがあるが、品種によっては春遅くまで咲いている。
でもこんな明るい雰囲気はあまりに合わないかも。
噴水広場に到着。
噴水があればシャッタースピードを速めて、しぶきの一瞬を捉えないと気が済まない。
噴水の右側に建っているのが帝国ホテル本館で、
その後ろの少し背の高いビルがタワー館。
タワー館を2024〜30年、本館は2031〜36年の予定で建て替えることが3月25日に発表された。本館の竣工は1970年、タワー館は1983年である。それぞれ51年と35年前。このクラスのホテルでさえそうなんだから、日本の建築物の寿命って本当に短いね。
噴水のすぐ隣にネモフィラ。
ネモフィラを見るのは2年ぶりかな。可憐を絵に描いたような姿をしている。ここの規模はたいしたことないけれど、都心で見られるだけで儲けものと考えましょう。
雄しべの先が黒い点になっていて、風に揺れるとそれが目や口に見えて、ネモフィラが喋ったり笑っているように思える時がある。長く見つめていると危険な花(^^ゞ
ネモフィラの隣にチューリップが続いている。
ーーー続く
wassho at 23:35|Permalink│Comments(0)│
2015年03月18日
神代植物公園で梅
谷保天満宮の梅園はなかなか良かったが量的に物足りなかったので、
梅の名所をもうひとつハシゴすることにした。
この近辺で思い浮かぶのは、
昭和記念公園
府中市郷土の森博物館
神代植物公園

府中市郷土の森博物館の梅は見たことがあるので今回はパス。
iPhoneを使ってネットで調べると
昭和記念公園:300本
神代植物公園:214本で、うち梅園内に180本
という情報。本数は昭和記念公園が多いが、神代植物公園のほうが一箇所にまとまって植えられているみたいだ。あの広大な昭和記念公園を歩き回るにはもう遅かったので、神代植物公園に行くことにした。こちらもかなり敷地は広いが。
谷保天満宮をでたのが午後2時頃。45分くらいで神代植物公園についた。
ところがバイクを駐めてヘルメットを脱いだまさにその時、パラパラと雨が降り出した。雨粒はとても小さくごくごく弱い雨。iPhoneで雨雲レーダーを確認すると神代植物公園上空には雨雲の表示なし。でも西の方は雨が降っている模様。まだ少し離れていたから梅を見ている間は降ったとしても弱い雨だろう。バイクのジャケットは防水だし帽子も持ってきているので傘はなくても大丈夫。でも帰りに本降りになったらイヤだ。
少し考えたが、もし本降りになりそうなら、梅園に着く途中でも(入場口は梅園からいちばん離れた場所にある)引き返すことにして公園に入る。途中で引き返せば入場料500円が無駄になるが、谷保天満宮はもちろん無料だったので、2箇所で割ればたった250円だと訳のわからない理屈で自分を納得させる。
梅園に行く前にバラ園に寄り道する。
その中心にある噴水。
もちろん今頃にバラは咲いていないが、
この季節のバラがどんな状態になっているのかに興味があったから。
枝はかなり刈り込んである。
柵に這わされているツルバラにはほとんど枝なし。
バラを見に来る時は花にしか目がいかないけれど、
引っかけたら痛そうなトゲがしっかり。
噴水の向かいにある温室は来年の春まで大規模改装工事中。
バラ園でブラブラしているうちに雨はとりあえず上がった。
梅園へ向かう途中の風景。
まだまだ冬の景色である。
やがて冬景色の先に、そこだけが春のような梅園が見えてくる。
黄色い花の木が1本あって、いい色のバランス。
サンシュユと発音しにくい木だった。
階段を降りて梅園の中に入る。谷保天満宮は落ち着いた感じの梅園。こちらはワーッと元気よく咲いている感じ。どちらがいい悪いということはないにしても、神代植物公園の方がテンションは上がる。
谷保天満宮と較べると花数が多いのが、元気よく感じる理由かも知れない。
特に構図などは考えず目に写るものを撮っているだけだが、谷保天満宮との雰囲気の違いは意外と写真にあらわれるものだと感心する。やっぱりビジュアルの情報量は大きい。文章だけで両者の梅の違いを説明するなんて無理。
梅園の奥にも別の黄色の花が咲いていた。
梅の木とは少し離れていて一緒に眺められないのが残念。
マンサクの仲間でアーノルド・プロミスという名前がついている。
でも錦糸卵にしか見えない(^^ゞ
道を挟んで右側が梅園で、左側がツバキ・サザンカ園。
境目に植えられている白い木はサルスベリ。
本当に猿も滑るくらいツルツルだった。
ツバキというとこういう赤い花しか思い浮かばないが、
黙って見せられたらバラと思ってしまうような花もあった。
まだら模様のツバキ。
こちらは葉っぱが斑入り(ふいり)=まだら模様。
もっといろいろな種類のツバキがあったが、
きれいな状態で咲いているものが少なく写真に撮ったのも少なめ。
上に貼った花は葉っぱのギザギザが小さいからツバキのはず。サザンカはもうシーズンオフかな。でも両者はとても似ているからネームプレートには名前だけでなく、ツバキかサザンカのどちらなのかの区別も書いておいて欲しいな。
ーーー続く。
梅の名所をもうひとつハシゴすることにした。
この近辺で思い浮かぶのは、
昭和記念公園
府中市郷土の森博物館
神代植物公園

府中市郷土の森博物館の梅は見たことがあるので今回はパス。
iPhoneを使ってネットで調べると
昭和記念公園:300本
神代植物公園:214本で、うち梅園内に180本
という情報。本数は昭和記念公園が多いが、神代植物公園のほうが一箇所にまとまって植えられているみたいだ。あの広大な昭和記念公園を歩き回るにはもう遅かったので、神代植物公園に行くことにした。こちらもかなり敷地は広いが。
谷保天満宮をでたのが午後2時頃。45分くらいで神代植物公園についた。
ところがバイクを駐めてヘルメットを脱いだまさにその時、パラパラと雨が降り出した。雨粒はとても小さくごくごく弱い雨。iPhoneで雨雲レーダーを確認すると神代植物公園上空には雨雲の表示なし。でも西の方は雨が降っている模様。まだ少し離れていたから梅を見ている間は降ったとしても弱い雨だろう。バイクのジャケットは防水だし帽子も持ってきているので傘はなくても大丈夫。でも帰りに本降りになったらイヤだ。
少し考えたが、もし本降りになりそうなら、梅園に着く途中でも(入場口は梅園からいちばん離れた場所にある)引き返すことにして公園に入る。途中で引き返せば入場料500円が無駄になるが、谷保天満宮はもちろん無料だったので、2箇所で割ればたった250円だと訳のわからない理屈で自分を納得させる。
梅園に行く前にバラ園に寄り道する。
その中心にある噴水。
もちろん今頃にバラは咲いていないが、
この季節のバラがどんな状態になっているのかに興味があったから。
枝はかなり刈り込んである。
柵に這わされているツルバラにはほとんど枝なし。
バラを見に来る時は花にしか目がいかないけれど、
引っかけたら痛そうなトゲがしっかり。
噴水の向かいにある温室は来年の春まで大規模改装工事中。
バラ園でブラブラしているうちに雨はとりあえず上がった。
梅園へ向かう途中の風景。
まだまだ冬の景色である。
やがて冬景色の先に、そこだけが春のような梅園が見えてくる。
黄色い花の木が1本あって、いい色のバランス。
サンシュユと発音しにくい木だった。
階段を降りて梅園の中に入る。谷保天満宮は落ち着いた感じの梅園。こちらはワーッと元気よく咲いている感じ。どちらがいい悪いということはないにしても、神代植物公園の方がテンションは上がる。
谷保天満宮と較べると花数が多いのが、元気よく感じる理由かも知れない。
特に構図などは考えず目に写るものを撮っているだけだが、谷保天満宮との雰囲気の違いは意外と写真にあらわれるものだと感心する。やっぱりビジュアルの情報量は大きい。文章だけで両者の梅の違いを説明するなんて無理。
梅園の奥にも別の黄色の花が咲いていた。
梅の木とは少し離れていて一緒に眺められないのが残念。
マンサクの仲間でアーノルド・プロミスという名前がついている。
でも錦糸卵にしか見えない(^^ゞ
道を挟んで右側が梅園で、左側がツバキ・サザンカ園。
境目に植えられている白い木はサルスベリ。
本当に猿も滑るくらいツルツルだった。
ツバキというとこういう赤い花しか思い浮かばないが、
黙って見せられたらバラと思ってしまうような花もあった。
まだら模様のツバキ。
こちらは葉っぱが斑入り(ふいり)=まだら模様。
もっといろいろな種類のツバキがあったが、
きれいな状態で咲いているものが少なく写真に撮ったのも少なめ。
上に貼った花は葉っぱのギザギザが小さいからツバキのはず。サザンカはもうシーズンオフかな。でも両者はとても似ているからネームプレートには名前だけでなく、ツバキかサザンカのどちらなのかの区別も書いておいて欲しいな。
ーーー続く。
wassho at 08:41|Permalink│Comments(0)│
2014年12月06日
三渓園の紅葉
12月に入ったこの最初の週末は真冬並みの寒さ。遠出しなくてどこかいいところはないかと考えて、思いついたのが横浜は本牧にある三渓園(さんけいえん)。
ここはちょっとユニークな日本庭園。簡単にまとめると
明治時代の実業家である原富太郎の自宅跡。
日本各地から古い建物が移築・保存されている。
全部で17ある建築物のうち9つが国の重要文化財に指定されている。
原富太郎は生糸貿易で財をなした人物。先日、世界遺産になった富岡製糸場のオーナーだった時代もある。ここの地名が三之谷で三渓と名付けたらしい。彼自身も号(ペンネームみたいなもの)として原三渓とも名乗っている。
広さは17.5ヘクタール。日本じゃ面積の単位として使われる東京ドームが4.7ヘクタールだからドーム3.8個分。坪に直せば5万3000坪。ちなみに彼の養祖父(富太郎は養子だった)である原善三郎の自宅は9.1ヘクタールあり、その跡地は横浜の代表的な公園のひとつである野毛山公園になっている。ジイちゃんと孫で併せて横浜に26.6ヘクタール!こういうのを華麗なる一族というんだろうな。
財閥としての原家はその後衰退していったようだが、関東大震災後の復興事業であったホテルニューグランド創設にも原富太郎は主導的な役割を果たし、現在のホテル会長は原富太郎から数えて3代目の原家当主がつとめている。ちなみにホテルニューグランドは山下公園に面していて、その山下公園も関東大震災で出たガレキで海を埋め立てた造成地=復興事業だった。
朝は寒いし、そんなに遠くないから出発は12時頃。
第三京浜〜首都高で新山下まで行き1時間ほどで三渓園到着。
三渓園の駐車場はあまり広くない。クルマが数台順番待ちをしていた。
駐車場の中にある数台のバイク置き場は埋まっていたので、ガードマンにどうすればいいか尋ねると、ここに駐めろと入り口のそばにカラーコーン(赤いやつね)を置いて場所を作ってくれた。そこで革ジャンを脱いだりしてしていると公園の中から職員がやってきて「お客さん、ここはーーー」と困った口ぶり。ガードマンに指示されたというと、ああそうですかという返事。三渓園では職員よりガードマンの方がエラいみたい。
入ったところにある案内地図。
方位は右に90度回転していて左側が南。三渓園は大きく3つのブロックに別れている。まず池の周り。それからちょうど地図で影になっている敷地の上側が内苑と呼ばれる。ここは自宅として使われていた時代は原家のプライベートゾーンだったエリア。それ以外が外苑。三渓園はいわゆる公園になってから一般に解放されたのではなく、自宅であった当初から横浜市民に楽しんでもらおうと作られた、いってみれば自宅兼日本の伝統建築のテーマパークみたいな存在。原富太郎は関東大震災後の横浜復興にかなりの私財を投じたことでも知れられる篤志家。孫さんや三木谷さんもこういうスケールの大きな人物になって欲しいね。
大池と呼ばれるまさに大きな池。
背後に三渓園のシンボルである三重の塔が見える。
松とツバキ。
気温9度くらいでバイクで高速を走っている時は寒かったが、快晴で日差しがあって三渓園では寒さを感じず。
園内では結婚の記念写真を撮っているカップルが多かった。10組近くはいたように思う。しゃがんでいるのがカメラマンでその隣が助手。打ち掛け姿の女性がいると周りの雰囲気がとても華やぐ。
大池の横を歩いて最初にある建物のほうに行くと残念ながら
入れなかったのは鶴翔閣(かくしょうかく)という原富太郎の自宅だった建物。床面積950平米の大豪邸。
茅葺き屋根の昔っぽい作りなのに、入り口のところは上部がせり出しているから車寄せになっているのだろうか。いわゆる普通の古民家では見たことがない建築デザイン。
鶴翔閣と大池の間には睡蓮池という池が設けられている。全景は見えなかったが大きな家だというのは遠目にもわかる。ちなみに当時は女中が50名ほどいたらしい。
鶴翔閣は内苑とは独立した分類らしく、
鶴翔閣から離れてしばらくすると内苑の入り口がある。
御門という立派な門構えをくぐる。
くぐったところから紅葉越しに三重の塔が見えた。
池と芝生の前庭付きの建物は臨春閣。3つの建物が雁行して並んでいる。臨春閣は桂離宮と並ぶ数寄屋風書院造りの名作といわれている。もっとも数寄屋風書院造りという言葉はよく聞くが、どういうデザインを指しているのか具体的には知らない。でも美しい建築だということは見ればわかる。
横に回って臨春閣を眺める。
この臨春閣は大阪から運ばれてきたものだが、
秀吉が京都に建てた聚楽第の一部
紀州徳川家の別荘だった建物
という2つの説がある。どちらがオリジナルにせよ原富太郎が購入した時は、大阪の此花区で会所(集会所みたいなもの)として使われていた建物。昔のいい建物はあちこちに移築して使い回すということをしていたのかな。
建物の中には入れなかったが、外から部屋の一部を見ることはできた。
臨春閣を過ぎると少し坂を上っていく。階段の上にあるのが月華殿。伏見城にあった大名達の控え室として使われていた建物。
関係ないけど紅葉を見に行くと、
緑のもみじもキレイだなと見とれてしまうのは私だけかな?
とはいいつつ紅葉もしっかり堪能。
聴秋閣(ちょうしゅうかく)
家光が二条城内に建て、後に春日局が譲り受けたとされる建物。この建物も京都の二条城から春日局の孫に当たる人物の江戸屋敷、明治にになってからは新宿にある公爵邸と、三渓園に来るまで3回も移築されている。
四角ではなく斜めのラインがある珍しいデザイン。
聴秋閣の先は、小さな渓谷を登って降りる遊歩道となっており紅葉がキレイだった。
できるだけ人が入らないように写真は撮っているが、実際には紅葉の見物客が多い。ここは渓谷を登ってUターンする場所の橋。
流れているのは小さな水の流れで、その左岸右岸では多少見える景色が違って楽しめる。これは下り方向の左岸から撮った聴秋閣。
聴秋閣の周りはレッドオータムだが、次の春草廬(しゅんそうろ)に近づくとイエローオータムに景色が変わる。
春草廬は信長の弟である織田有楽(うらく)が建てた茶室ともいわれている。
天井の照明は後で付けたと思うけど(^^ゞ
これは茶室に入る順番を待つためのものかな。
屋根に積もったイチョウの葉っぱを撮ってみる。
春草廬の後は再び赤、黄色、緑のミックスオータムな紅葉を眺め、ついでに竹林を見て、秀吉が母親のために建てたお堂の横を通り、海岸門という門をくぐって内苑見学が終了。
ーーー続く
ここはちょっとユニークな日本庭園。簡単にまとめると
明治時代の実業家である原富太郎の自宅跡。
日本各地から古い建物が移築・保存されている。
全部で17ある建築物のうち9つが国の重要文化財に指定されている。
原富太郎は生糸貿易で財をなした人物。先日、世界遺産になった富岡製糸場のオーナーだった時代もある。ここの地名が三之谷で三渓と名付けたらしい。彼自身も号(ペンネームみたいなもの)として原三渓とも名乗っている。
広さは17.5ヘクタール。日本じゃ面積の単位として使われる東京ドームが4.7ヘクタールだからドーム3.8個分。坪に直せば5万3000坪。ちなみに彼の養祖父(富太郎は養子だった)である原善三郎の自宅は9.1ヘクタールあり、その跡地は横浜の代表的な公園のひとつである野毛山公園になっている。ジイちゃんと孫で併せて横浜に26.6ヘクタール!こういうのを華麗なる一族というんだろうな。
財閥としての原家はその後衰退していったようだが、関東大震災後の復興事業であったホテルニューグランド創設にも原富太郎は主導的な役割を果たし、現在のホテル会長は原富太郎から数えて3代目の原家当主がつとめている。ちなみにホテルニューグランドは山下公園に面していて、その山下公園も関東大震災で出たガレキで海を埋め立てた造成地=復興事業だった。
朝は寒いし、そんなに遠くないから出発は12時頃。
第三京浜〜首都高で新山下まで行き1時間ほどで三渓園到着。
三渓園の駐車場はあまり広くない。クルマが数台順番待ちをしていた。
駐車場の中にある数台のバイク置き場は埋まっていたので、ガードマンにどうすればいいか尋ねると、ここに駐めろと入り口のそばにカラーコーン(赤いやつね)を置いて場所を作ってくれた。そこで革ジャンを脱いだりしてしていると公園の中から職員がやってきて「お客さん、ここはーーー」と困った口ぶり。ガードマンに指示されたというと、ああそうですかという返事。三渓園では職員よりガードマンの方がエラいみたい。
入ったところにある案内地図。
方位は右に90度回転していて左側が南。三渓園は大きく3つのブロックに別れている。まず池の周り。それからちょうど地図で影になっている敷地の上側が内苑と呼ばれる。ここは自宅として使われていた時代は原家のプライベートゾーンだったエリア。それ以外が外苑。三渓園はいわゆる公園になってから一般に解放されたのではなく、自宅であった当初から横浜市民に楽しんでもらおうと作られた、いってみれば自宅兼日本の伝統建築のテーマパークみたいな存在。原富太郎は関東大震災後の横浜復興にかなりの私財を投じたことでも知れられる篤志家。孫さんや三木谷さんもこういうスケールの大きな人物になって欲しいね。
大池と呼ばれるまさに大きな池。
背後に三渓園のシンボルである三重の塔が見える。
松とツバキ。
気温9度くらいでバイクで高速を走っている時は寒かったが、快晴で日差しがあって三渓園では寒さを感じず。
園内では結婚の記念写真を撮っているカップルが多かった。10組近くはいたように思う。しゃがんでいるのがカメラマンでその隣が助手。打ち掛け姿の女性がいると周りの雰囲気がとても華やぐ。
大池の横を歩いて最初にある建物のほうに行くと残念ながら
入れなかったのは鶴翔閣(かくしょうかく)という原富太郎の自宅だった建物。床面積950平米の大豪邸。
茅葺き屋根の昔っぽい作りなのに、入り口のところは上部がせり出しているから車寄せになっているのだろうか。いわゆる普通の古民家では見たことがない建築デザイン。
鶴翔閣と大池の間には睡蓮池という池が設けられている。全景は見えなかったが大きな家だというのは遠目にもわかる。ちなみに当時は女中が50名ほどいたらしい。
鶴翔閣は内苑とは独立した分類らしく、
鶴翔閣から離れてしばらくすると内苑の入り口がある。
御門という立派な門構えをくぐる。
くぐったところから紅葉越しに三重の塔が見えた。
池と芝生の前庭付きの建物は臨春閣。3つの建物が雁行して並んでいる。臨春閣は桂離宮と並ぶ数寄屋風書院造りの名作といわれている。もっとも数寄屋風書院造りという言葉はよく聞くが、どういうデザインを指しているのか具体的には知らない。でも美しい建築だということは見ればわかる。
横に回って臨春閣を眺める。
この臨春閣は大阪から運ばれてきたものだが、
秀吉が京都に建てた聚楽第の一部
紀州徳川家の別荘だった建物
という2つの説がある。どちらがオリジナルにせよ原富太郎が購入した時は、大阪の此花区で会所(集会所みたいなもの)として使われていた建物。昔のいい建物はあちこちに移築して使い回すということをしていたのかな。
建物の中には入れなかったが、外から部屋の一部を見ることはできた。
臨春閣を過ぎると少し坂を上っていく。階段の上にあるのが月華殿。伏見城にあった大名達の控え室として使われていた建物。
関係ないけど紅葉を見に行くと、
緑のもみじもキレイだなと見とれてしまうのは私だけかな?
とはいいつつ紅葉もしっかり堪能。
聴秋閣(ちょうしゅうかく)
家光が二条城内に建て、後に春日局が譲り受けたとされる建物。この建物も京都の二条城から春日局の孫に当たる人物の江戸屋敷、明治にになってからは新宿にある公爵邸と、三渓園に来るまで3回も移築されている。
四角ではなく斜めのラインがある珍しいデザイン。
聴秋閣の先は、小さな渓谷を登って降りる遊歩道となっており紅葉がキレイだった。
できるだけ人が入らないように写真は撮っているが、実際には紅葉の見物客が多い。ここは渓谷を登ってUターンする場所の橋。
流れているのは小さな水の流れで、その左岸右岸では多少見える景色が違って楽しめる。これは下り方向の左岸から撮った聴秋閣。
聴秋閣の周りはレッドオータムだが、次の春草廬(しゅんそうろ)に近づくとイエローオータムに景色が変わる。
春草廬は信長の弟である織田有楽(うらく)が建てた茶室ともいわれている。
天井の照明は後で付けたと思うけど(^^ゞ
これは茶室に入る順番を待つためのものかな。
屋根に積もったイチョウの葉っぱを撮ってみる。
春草廬の後は再び赤、黄色、緑のミックスオータムな紅葉を眺め、ついでに竹林を見て、秀吉が母親のために建てたお堂の横を通り、海岸門という門をくぐって内苑見学が終了。
ーーー続く
wassho at 22:04|Permalink│Comments(0)│












































































































































































































































































































































