ピサロ

2021年10月11日

ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント その3

展覧会の構成は

  ・ヘレーネ関連

  ・ゴッホ以外の作品

  (以下はすべてゴッホで)
  ・オランダ時代の素描
  ・オランダ時代の油絵

  ・パリ時代
  ・アルル時代
  ・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代

となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。


ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。


「それは遠くからやって来る」 
 パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年

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この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。

考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。

ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。

印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。



「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
 アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年

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こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。

でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。

ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。



「カフェにて」 ルノワール 1877年

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見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。

ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ



次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。

「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年

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「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年

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「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年

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「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー

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アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。



「キュクロプス」 ルドン 1914年

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私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。

いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。

ウー

今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ


さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい

よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。



次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。

ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。

「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年

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「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年

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「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年

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このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。

「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
 モンドリアン 1919年

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ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ


ーーー続く

wassho at 21:38|PermalinkComments(0)

2016年12月15日

ゴッホとゴーギャン展 その2

どんな巨匠でも駆け出しの頃の作品はあまりたいしたことはない。中には「エッ、こんなレベルだったの?」とビックリする画家もいる。でもゴッホとゴーギャンの初期の作品は、オリジナリティは感じられないが、それなりに完成度が高いというか鑑賞できるレベルの作品だった。何を偉そうにと書きながら思うけれど。


ゴッホ:古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地) 1885年
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ゴーギャン:夢を見る子供(習作) 1881年
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展覧会はゴッホとゴーギャンだけではなく、同時期の画家の作品も何点か出展されており、なかなかおもしろいものが多かった。


ミレー:鵞鳥番の少女  1866年
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鵞鳥は「がちょう」。実際はどうだったかはわからないが、水の中に入ってやや低い視点から見た構図に思える。海に行けばローアングルで必ず写真を撮る私の趣味に合う(^^ゞ



ピサロ:ヴェルサイユへの道、ロカンクール 1871年
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広々した印象を受けるのは典型的な遠近法で描かれているからだろうけど、これもカメラでいえば腰あたりで構えた時の写り方に近い気がする。もっとももし座って写生をしたなら、自然とその位置になるのだが。



ピサロ:エラニーの牧場 1885年
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ピサロは印象派の中ではトップスターじゃないけれど、なかなかいいじゃんと改めて思った。ゴッホとゴーギャンという派手目な画風の展覧会で、地味なピサロの絵に惹かれたのが意外。



シャルル・アングラン:セーヌ川、朝(サン=トゥアン) 1886年
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ゴッホといえば自画像が多い画家の印象がある。でもそれはモデルを雇うお金がなかったというトホホな理由らしい。彼の画家としてのキャリアは10年ほどだが、その前半に自画像がないのは鏡すら買うお金もなかったからでとことん貧乏生活。バブルの頃、大昭和製紙の会長が当時の絵画界では最高額となる125億円でゴッホの絵を競り落としたが、ゴッホが生きているうちに売れた絵は1枚だけだといわれている。

ゴッホ:パイプをくわえた自画像 1886年
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ゴッホ:自画像 1887年
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ゴッホ:パイプと麦わら帽子の自画像 1887年
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こちらはゴーギャンの自画像。彼はアマチュアからプロに転向した画家で、この絵を描いた1885年頃に画家が本業になったといわれている。

ゴーギャン:自画像 1885年
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ゴッホの自画像の変遷を見ると1887年に彼は、今の我々がゴッホと聞いて思い浮かべる画風になったようである。一方のゴーギャンは、まだその頃にはどこにでもありそうな絵という感じ。でもゴッホがゴーギャンを誘って共同生活を始めるのは1888年だから、天才ゴッホの目はゴーギャンの才能を見抜いていたのだろう。


ーーー続く

wassho at 23:51|PermalinkComments(0)