フアン・グリス

2024年01月31日

キュビスム展 美の革命 その5

ピカソとブラックがパリで1907年に始め、数年後にサロン・キュビストと呼ばれるフォロワーを生み出したキュビスムは、フランス以外の国にも広まっていく。


シャガールはベラルーシ出身でその頃の区分ではロシア人。キュビスムが当時のロシア画壇でも広まっていたかは知らないが、彼は1910年から5年ほどパリに住んでいるから、その時にキュビスムのハシカを患った。

ただしシャガールは一目見たら彼の作品とわかる独特の世界観を持っている。だからどうしてもシャガールの個性 > キュビスムになってしまう。「キュビスムの風景」はさすがにタイトルのキュビスムが入っているから万華鏡感があるけれど、「ロシアとロバとその他のものに」はキュビスムよりフォービスムを感じるかな。(長くなるのでフォービスムについては割愛)

シャガール 「ロシアとロバとその他のものに」 1911年
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タイトルはロバなのに、赤く大きく描かれているのは角が生えている牛。乳を飲んでいるのがロバなのか。右側は人間のようにも見えるけど。シャガールはユダヤ人で、ユダヤ人にとってロバは宗教的に特別な存在らしい。そのようなことがタイトルに関係しているみたいだが、ざっと調べた程度ではよくわからず。


シャガール 「墓地」 1917年
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シャガール 「キュビスムの風景」 1919〜1920年
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モディリアーニがなぜこの並びに展示されていたかはよくわからない。まあモディリアーニもイタリア人だが。でもそんなことをいったらピカソはスペイン人。

モディリアーニ 「カリアティード」 制作時期不明
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カリアティードは「重荷を支える女」の意味のギリシャ語で、
主に女性像の形をした柱を指す。
カリアティード

それを知らなかったから会場では、水浴びでもしているポーズかと思っていた(^^ゞ おそらくこれは重い水瓶かなんかを支えているポーズで、ロダンも「カリアティード」のタイトルでそういう彫刻を作っている。

それにしても、こんなに白く塗られたモディリアーニは初めて見る。調べるとどうやらこれは絵画作品ではなく、彫刻のための下絵のようなものらしい。モディリアーニは彫刻家志望の時期があった。しかし貧乏暮らしで素材の石を買えない(/o\) & 病弱で石を彫る体力がない(>_<) ので断念した経緯がある。彼にお金と体力があったならと思っているモディリアーニファンは多い。私もそう。

これは未完成作品のようにも思えるーーー
モディリアーニ 「赤い頭部」 1915年
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その他の作品いろいろ。シュルヴァージュ、ラリオーノフ、ゴンチャローワはロシア人。グリスとブランシャールはスペイン人。ただし全員とも多かれ少なかれパリ在住の時期はある。


レオポルド・シュルヴァージュ 「エッティンゲン男爵夫人」 1917年   ロシア
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ミハイル・ラリオーノフ 「散歩:大通りのヴィーナス」 1912〜1913年   ロシア
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ナターリヤ・ゴンチャローワ 「電気ランプ」 1913年   ロシア
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フアン・グリス 「朝の食卓」 1915年   スペイン
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マリア・ブランシャール 「輪を持つ子供」 1917年   スペイン
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ピカソとブラックの「分析的キュビスム」「総合的キュビズム」の時代にキュビスムは、

  多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
  対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える

との明確な方向性を持っていた。しかしサロン・キュビストが登場して、つまりたった二人ではなく多くの画家が様々な考えでキュビスムを手がけるようになって、当然ながらその内容も多様化する。このコーナーもサロン・キュビストと同時期で、キュビスムの方向性を多少は保持していても、作品によってはキュビスム展でなければそうだと気付かないかも知れない。もうキュビスムとはほとんど何でもありの状態になっている。

でも考えてみると、この1900年代の初頭は絵画が何でもありになった時代なのだ。ピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」でキュビスムが生まれた。そしてその2年前の1905年のサロン・ドートンヌ展覧会で、原色を多用した色彩と激しいタッチの筆使いのフォービスムが始まっている。

印象派がその名前で呼ばれるようになったのはそれより30年ほど前の1874年。それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにロックを持ち込んだのが印象派と以前に書いた。あるいはファッションでならスーツではなくカジュアルウエアの誕生。

その印象派ロックは初期のビートルズのようなロックンロールみたいなものかな。それによって今までの伝統様式の殻を破った絵画はだんだんと過激に何でもありとなる。フォービスムはハードロック、キュビスムはプログレッシブロックといったところだろうか。

やがてロックはグラムロック、パンク、ヘビメタ、グランジなど様々に派生し、よほどのロックマニアでなければ、その違いを体系だって説明するのは不可能。共通点はエレキギターがメインの楽器なことくらい。でも楽しめればそれでよし。

音楽や絵画に限らず芸術や文化は、そうやって新しいムーブメントが次々と生まれてくるもの。ずっと同じ中身を続けているだけなら伝統芸能。キュビスムにはシミュルタネイスム、オルフィスム、イタリアの未来派、クボ=フトゥリズム、デ・ステイル、ヴォーティシズム、ピュリスムなど様々な言葉も出てくるが、別にそれらの分類はどうでもよくて、ビビッとくるかどうかが大事。残念ながら私にはビビッときたのはごく僅かだったけれど(/o\)



ピカソ 「輪を持つ少女」 1919年
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子供の頃はピカソのこんな絵を見て「ナンジャこれ?」と思ったのに、もうすっかり見慣れて先に紹介した絵の後に見ると、安心感さえ覚えるのが不思議。

ピカソはこの少し後から、キュビスムを離れて新古典主義と呼ばれる画風に転換する。それが影響したのかどうかは知らないが、まるで麻疹(はしか)に罹るように当時の画家が次々に影響を受けたキュビスムも下火に。

ピカソとブラックが始めたのが1907年で、それが広まってサロン・キュビストと呼ばれる画家が出てきたのが1910年前後。だからキュビスムに勢いのあった時代は約10年間ほどと短い。ブームとはそういうものともいえるし、また短いからインパクトがないわけでもない。ビートルズだって結成から10年、レコードデビューからだと7年半で解散している。


これはキュビスム以降の、
ピュリスム(純粋主義)作品として展示されていたもの。

ル・コルビュジエ 「静物」 1922年
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ル・コルビュジエ 「水差しとコップ―空間の新しい世界」 1922年
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建築家そして家具デザイナーとしてのコルビュジエは有名なものの、絵も描いていたなんて恥ずかしながら知らなかった。でも彼の建築はシンプルなのに絵は考えすぎな印象。なのに退屈で訴えてくるものもない。建築家になってよかったね(^^ゞ

実はル・コルビュジエとは、彼が発行していた文化雑誌に執筆するときに使っていたペンネーム。いつの間にかそれがビジネスネームになった模様。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリと長い。

ただし名前が長いといえばパブロ・ピカソが圧勝。
そのフルネームは、

  パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・
  シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ

そして微妙に異なる洗礼名もある。

  パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・
  マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシ

まるで落語の寿限無・寿限無みたい。

そんな話題になったところで、
お後がよろしいようで(^^ゞ



おしまい

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wassho at 20:37|PermalinkComments(0)