フェルナン・レジェ

2024年01月30日

キュビスム展 美の革命 その4

1914年に始まった第1次世界大戦にジョルジュ・ブラックが出征してしまい、1907年から続いた彼とピカソのチームワークによるキュビスム開拓は終わってしまった。しかし彼らから影響を受けた画家が、その少し前からいろいろなキュビスム作品を発表し始めている。


キュビスムとは対象を解体・単純化して幾何形態に置き換え、また多角度の視点を平面であるキャンバスに落とし込んで、有史以来人類が実践してきた「見えているとおりに描く」から脱却しようとするもの。言ってみれば最初に方法論ありきである。

どうしてそんなことするの、必要があるの?と一般人なら思ってしまうものの、絵を描く人間にはその世界は抗しがたい魅力があったようで、いわゆるキュビスムに分類されない画家たちまでも、いくつかキュビスム的な作品を残しているのを今までの展覧会で目にしてきた。当時の画家たちが次々と影響を受ける様子は「まるで麻疹(はしか)に罹るようなもの」とも表現されている。



そんな非キュビスム画家の作品も展示して欲しかったな。
展覧会にあるのは当然ながらキュビスムで有名になった画家の作品である。

フェルナン・レジェ 「婚礼」 1911〜1912年
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アルベール・グレーズ 「収穫物の脱穀」 1912年
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ロベール・ドローネー 「都市 no. 2」 1910年
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皆さん、ずいぶんと麻疹をコジらせているようで(^^ゞ

「婚礼」はめでたさやお祝い感がゼロだし、「収穫物の脱穀」には穀物がどこにも見当たらない。おそらくキュビスムとしての絵画表現だけでなく、それぞれの出来事に対する画家なりの解釈やメッセージが込められているのだろう。そういうものが混じると面倒くさい絵になる。

わけのわからない現代アートで「これにはアーティストの〇〇〇とのメッセージが込められている」なんて解説がついている場合がよくある。ほとんどがくだらないのは、そのメッセージの底が浅いから。アーティストは表現を磨いてきたプロであっても、思考を鍛えてきたプロじゃない。そちら方面の刺激が欲しければ哲学者や(一流の)評論家の著作に求めるから、君らは表現に専念してよと、そんな現代アートを見るたびに思う。


久しぶりにもっと現代アートの悪口を書きたいけれど(^^ゞ
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

なおキュビスムは現代アートのひとつ手前のモダンアートね。
日本語では現代(コンテンポラリー)と近代(モダン)のニュアンスが曖昧なので、
現代アートをモダンアートと呼ぶ場合も多い気がする。
(/_')/ソレモコッチニオイトイテ


ロベール・ドローネー 「パリ市」 1910〜1912年
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この絵は文句なしに素晴らしかった。

描かれているのはギリシア神話に登場する三美神で、それぞれ魅力、美貌、創造力を司っている。西洋絵画の伝統的なモチーフであり、代表例をあげるならルネサス期の巨匠、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」。
Botticelli-primavera

その三美神をアンチ伝統様式のキュビスムに持ってきたのがまず冴えている。またパッと見ではわかりにくいが、くすんだ赤色で描かれているのはエッフェル塔。だから舞台は当時=近代のパリ。それを神話の世界と組み合わせているのも面白い。

それよりも何よりもである。
引き込まれたのはキュビスムによって分割された面が生み出す、
まるで万華鏡のような描写。

   そうかキュビスムは万華鏡だったのか!

とまったく勘違いな解釈を思いつき展覧会場で叫びそうになっていた(^^ゞ でも3D万華鏡のようなものがあれば、あながち間違っていない気もする。そして実際に万華鏡をのぞき込んでいるような楽しさがあり、また万華鏡と同じように見飽きなかった。

「パリ市」は幅4m6cm、縦2m67cmの大きな作品。サイズ的な迫力もあったし、ピカソ&ブラックのキュビスムがモノトーンでそろそろ色彩に飢えてきたタイミングもよかったのかも知れない。そして両隣の面倒くさい絵がより一層これを引き立てている?
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私が見上げたのと同じ角度で撮った写真で。とにかくまさかキュビスムの展覧会でこんなに「酔えるアート」に出会えるとは思っていなかったね。ただ三美神の顔をピカソの「アヴィニョンの娘たち」に寄せなくてもよかったのに。
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フランティシェク・クプカ 「色面の構成」 1910〜1911年
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タイトルは難解でも絵はわかりやすい。
そしてイメージがあれこれ膨らむ作品である。
これは連続写真にヒントを得て描いたとされる。
そう言われると、女性の姿に動きを感じるから人間なんて単純なもの。

ちなみに連続写真は1878年(明治11年)、
映画は1895年(明治28年)から実用化が始まっている。


ところで写真の発明は1827年に、フランス人発明家ニセフォール・ニエプスによる。そして1840年頃から普及した。ちょうど産業革命が終わって社会が近代化した頃である。

見たのものを記録するという役割で写真と絵画はバッティングし、絵画の価値は揺らぎ始める。1800年代中頃に入ると肖像画の代わりに肖像写真の依頼が多くなったらしい。また当然ながら記録の正確さでは写真が圧倒的に有利である。

西洋絵画が生み出してきた遠近法や陰影法などは、平面であるキャンバスに奥行き=本物らしさ=記録の正確さをもたらすための技法である。画家たちがキュビスムに走ったのは写真と張り合うのではなく、写真にはできない表現を追求したからともいわれる。

ただし、それは納得できる解説であるとしても、
当時の画家たちが写真について語った言葉をあまり読んだ記憶がない。
どうしてなんだろう。


やがて時代は下り写真の次にCG(コンピューターグラフィック)も生まれた。今まではどちらもセンスと共に機材を操るスキルが必要だった。しかしここに来てAI(人工知能)の時代。CGを描くのに手でマウスや電子ペンを動かす必要はなくなり、対話型となって文章や口頭で命令できる。

センスだってAIが無限にアシストしてくれるから、よほどの表現音痴でない限りあまり問われないかも知れない。モニターで見るだけでなく、プリントアウトも3Dプリンターによって、絵の具の盛りや筆の動かし方まで表現できるようになるはず。もちろん彫刻も制作可能。

いったいAI時代のアートシーンは何が起きるのかな。


<モーソー>
  渋谷のスクランブル交差点の風景をルノアール70%、モネ30%、
  アクセントにところどころゴッホの厚塗りも交えて描いてみようか。
  季節は冬でお願いね。

  時代はバブルの頃で社会の勢いをだそう。
  いや、ここにジュリアナのおネエちゃんはおかしいって(^^ゞ

  通行人はキュビスムで半分はヌードに。
  あっ、ピカソのキュビスムじゃなくダ・ヴィンチが描いた感じで。

  ちょっと雰囲気が暗いから、モーツァルトを15%くらい掛けて幸せ感を。
  それとスターウォーズ的なSF要素も部分的に欲しいな。

  マルキューをダリ風にしてインパクトを狙ってみるか。
  あるいはいっそ葛飾北斎でも面白いかも知れない。
  ねえ、過去にどの画家も描いていない画風も出せる?



さてピカソとブラック以外のキュビスム画家はサロン・キュビストと呼ばれている。ピカソとブラックが画廊で作品を公開したのに対して、彼らはサロン(展覧会・公募展の意味)での発表が中心だったから。多くの人の目に触れた=キュビスムを広めた観点では彼らのほうがその役割が大きかったみたいだ。

フランティシェク・クプカ 「挨拶」 1912年
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フランシス・ピカビア 「赤い木」 1912年頃
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ロベール・ドローネー 「円形、太陽 no.2」 1912〜1913年
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クプカの「挨拶」は「色面の構成」と同じような発想に思えるが、数学と関連している内容なんだって。ホンマカイナ? ドローネーはこのページで紹介した「都市 no. 2」「パリ市」「円形、太陽 no.2」のすべてで画風がまったく違う。そして彼はこの後に抽象画の先駆者となる。

ところで抽象画を昔からあったジャンルと思っている人は多い。しかし写真との関わりで書いたように絵は「見たものの記録」だったので、抽象画が生まれたのは記録から脱却したキュビスムの後になる。つまり絵画の歴史を考えると割と最近の出来事。

いずれにしてもサロン・キュビストの作品は、ピカソとブラックが始めたキュビスムとはずいぶん違う。もう私にはキュビスムとは何か定義ができないレベル。彼らによってキュビスムの理論化もさらに深掘りされたらしいが、特に興味もないので調べていないm(_ _)m



ーーー続く

wassho at 21:42|PermalinkComments(0)