ベニバナトチノキ
2024年06月13日
山手イタリア山庭園で春バラ その2
(5月10日の横浜バラツアーその7)
山手イタリア山庭園のほぼ中央にある通路。
背が高く茂っている木はメタセコイヤ。
和名ではアケボノスギ。以前は化石でしか見つからず絶滅種と考えられていたが、1946年(昭和21年)に中国・四川省で現存種が発見される。それで「生きた化石」と呼ばれることも。今は各地に多く植えられている。オレンジ色の紅葉が特徴。
外交官の家を横目に見て、
山手イタリア山庭園の奥にあるのが、
本日の山手西洋館巡りで7軒目のブラフ18番館。
「5月10日の横浜バラツアーその2」で書いたようブラフとは山手を意味している。
1993年(平成5年)にここに移築され公開。
外交官の家の移築は1997年(平成9年)。
なお山手イタリア山庭園の開園は1998年(平成10年)と移築より後。山手イタリア山庭園に移築したというより、移築した先を山手イタリア山庭園として整備したとの順番。ここは山手地区の大きな公園の中では最も新しい公園になる。面積は1.3ヘクタール。
このあたりが山手イタリア山庭園となる前は未利用の国有地だったようだ。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、山手イタリア山庭園と名付けられたが、庭園を造る以前からイタリア山と呼ばれていたのかは知らない。港の見える丘公園のイギリス山とフランス山は昔からそう呼ばれているものの、アメリカ山は2009年(平成21年)に元町・中華街駅ビルの屋上を立体都市公園とした際に、無理矢理こじつけたネーミングなので何となくここもそんな気がする。
ついでに横浜市が所有している山手にある7つの西洋館の一般公開時期をまとめると
ブラフ18番館 移築1991年 公開1993
外交官の家 移築・公開1997年
(山手イタリア山庭園開園 1998年)
山手111番館 公開1999年
山手234番館 公開1999年
エリスマン邸 移築1990年 公開1999年
横浜市イギリス館 公開2002年(ホールや集会室の利用は1970年)
べーリック・ホール 公開2002年
ほとんどが2000年(平成12年)前後と意外に最近。神戸北野の異人館がブームになったのは1970年代の中頃だからずいぶんと差がある。てっきり同じ頃から観光スポットになっているものだと思っていた。公開年代的にはここイタリア山庭園が山手西洋館巡りの発祥ともいえる。
ブラフ18番館は中に入らず外から眺めただけ。
延べ床面積264平米。
北東角にある展望コーナー。
山手が高い位置にあるとわかる景色。
この地点の標高は34m(山手地区全体では10〜40m)
ベイブリッジ中央までの距離は3.3km
さてブラフ18番館から離れて、
外交官の家の裏側にやってくると、
そこにあるのは整形花壇と呼ばれる幾何学的に剪定されたゾーン。
公式ホームページによれば「イタリアで多く見られる庭園様式を模し」とある。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているガーデンベアというゆるキャラ。熊なのに緑なのは体が苔に覆われているとの設定。
キンギョソウに囲まれてガーデンベアも楽しそう。
ところでヨーロッパの庭園造りにはイギリス式、フランス式、イタリア式がある。もっと他の国の様式もあるだろうが日本ではあまり有名じゃない。イギリス式は自然の形や姿を生かす作庭。フランス式は正反対に幾何学的に人の手を入れた美しさを追求する。よって全体の構成としてイギリス式は左右非対称、フランス式は左右対称である。
フランス式とイタリア式は整形・幾何学的な所は同じで、フランスの庭園は平面な土地に、イタリアの庭園は傾斜地や階段状の土地に作るのが違いらしい。
上の写真でわかるようにここはキレイに刈り込まれた生け垣で、幾何学的な造園がなされているけれど、平面だけだからフランス式じゃないのかな。逆に山手は起伏の多い地形で、実際ここでもブラフ18番館は外交官の家より低い位置にあるのに、どうしてそれを利用したイタリア式庭園にしなかったのか。あくまで「イタリアでござい」と謳いたければだけど。
アメリカ山公園、ブラフ99ガーデンに続いて、
本日3本目のベニバナトチノキ。
新緑の3色違い。
そして整形花壇一番のバエポイントはこの水路。
実は水路の両サイドにある低い木も高い木もバラ。咲いていればこんな感じだけれど、この日はまだ未開花。ツボミもごく小さかったからかなり遅咲きの品種。咲いていないのは事前にSNS情報で確認済みだったものの、やはり見たかったな。
おそらくこの水路のバラが咲く頃には前庭のバラは見頃を過ぎていると思う。
いつかこれだけを見に来ましょう。
ちなみに水路のバラが満開になったのは5月の後半に入ってからみたい。
整形花壇の端にあった水盤。
水があれば高速シャッターで水しぶきの時間を止めるのがお約束。
水路も噴水が吹き出してきた。
でも水量がちょっとショボい(^^ゞ
それでもこれでバラが咲いていれば最高なのに。
八角形の塔屋があって、外交官の家はこちらから見たほうが面白い。
前回に紹介した八角形のサンルームはこの塔の1階部分。
外交官の家の横を通り抜けて、
バラアーチのあった前庭に戻る。
バラのバラエティとボリュームをもう一度楽しんで、
山手イタリア山庭園を後にする。
ーーーまだ続く
山手イタリア山庭園のほぼ中央にある通路。
背が高く茂っている木はメタセコイヤ。
和名ではアケボノスギ。以前は化石でしか見つからず絶滅種と考えられていたが、1946年(昭和21年)に中国・四川省で現存種が発見される。それで「生きた化石」と呼ばれることも。今は各地に多く植えられている。オレンジ色の紅葉が特徴。
外交官の家を横目に見て、
山手イタリア山庭園の奥にあるのが、
本日の山手西洋館巡りで7軒目のブラフ18番館。
「5月10日の横浜バラツアーその2」で書いたようブラフとは山手を意味している。
1993年(平成5年)にここに移築され公開。
外交官の家の移築は1997年(平成9年)。
なお山手イタリア山庭園の開園は1998年(平成10年)と移築より後。山手イタリア山庭園に移築したというより、移築した先を山手イタリア山庭園として整備したとの順番。ここは山手地区の大きな公園の中では最も新しい公園になる。面積は1.3ヘクタール。
このあたりが山手イタリア山庭園となる前は未利用の国有地だったようだ。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、山手イタリア山庭園と名付けられたが、庭園を造る以前からイタリア山と呼ばれていたのかは知らない。港の見える丘公園のイギリス山とフランス山は昔からそう呼ばれているものの、アメリカ山は2009年(平成21年)に元町・中華街駅ビルの屋上を立体都市公園とした際に、無理矢理こじつけたネーミングなので何となくここもそんな気がする。
ついでに横浜市が所有している山手にある7つの西洋館の一般公開時期をまとめると
ブラフ18番館 移築1991年 公開1993
外交官の家 移築・公開1997年
(山手イタリア山庭園開園 1998年)
山手111番館 公開1999年
山手234番館 公開1999年
エリスマン邸 移築1990年 公開1999年
横浜市イギリス館 公開2002年(ホールや集会室の利用は1970年)
べーリック・ホール 公開2002年
ほとんどが2000年(平成12年)前後と意外に最近。神戸北野の異人館がブームになったのは1970年代の中頃だからずいぶんと差がある。てっきり同じ頃から観光スポットになっているものだと思っていた。公開年代的にはここイタリア山庭園が山手西洋館巡りの発祥ともいえる。
ブラフ18番館は中に入らず外から眺めただけ。
延べ床面積264平米。
北東角にある展望コーナー。
山手が高い位置にあるとわかる景色。
この地点の標高は34m(山手地区全体では10〜40m)
ベイブリッジ中央までの距離は3.3km
さてブラフ18番館から離れて、
外交官の家の裏側にやってくると、
そこにあるのは整形花壇と呼ばれる幾何学的に剪定されたゾーン。
公式ホームページによれば「イタリアで多く見られる庭園様式を模し」とある。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているガーデンベアというゆるキャラ。熊なのに緑なのは体が苔に覆われているとの設定。
キンギョソウに囲まれてガーデンベアも楽しそう。
ところでヨーロッパの庭園造りにはイギリス式、フランス式、イタリア式がある。もっと他の国の様式もあるだろうが日本ではあまり有名じゃない。イギリス式は自然の形や姿を生かす作庭。フランス式は正反対に幾何学的に人の手を入れた美しさを追求する。よって全体の構成としてイギリス式は左右非対称、フランス式は左右対称である。
フランス式とイタリア式は整形・幾何学的な所は同じで、フランスの庭園は平面な土地に、イタリアの庭園は傾斜地や階段状の土地に作るのが違いらしい。
上の写真でわかるようにここはキレイに刈り込まれた生け垣で、幾何学的な造園がなされているけれど、平面だけだからフランス式じゃないのかな。逆に山手は起伏の多い地形で、実際ここでもブラフ18番館は外交官の家より低い位置にあるのに、どうしてそれを利用したイタリア式庭園にしなかったのか。あくまで「イタリアでござい」と謳いたければだけど。
アメリカ山公園、ブラフ99ガーデンに続いて、
本日3本目のベニバナトチノキ。
新緑の3色違い。
そして整形花壇一番のバエポイントはこの水路。
実は水路の両サイドにある低い木も高い木もバラ。咲いていればこんな感じだけれど、この日はまだ未開花。ツボミもごく小さかったからかなり遅咲きの品種。咲いていないのは事前にSNS情報で確認済みだったものの、やはり見たかったな。
おそらくこの水路のバラが咲く頃には前庭のバラは見頃を過ぎていると思う。
いつかこれだけを見に来ましょう。
ちなみに水路のバラが満開になったのは5月の後半に入ってからみたい。
整形花壇の端にあった水盤。
水があれば高速シャッターで水しぶきの時間を止めるのがお約束。
水路も噴水が吹き出してきた。
でも水量がちょっとショボい(^^ゞ
それでもこれでバラが咲いていれば最高なのに。
八角形の塔屋があって、外交官の家はこちらから見たほうが面白い。
前回に紹介した八角形のサンルームはこの塔の1階部分。
外交官の家の横を通り抜けて、
バラアーチのあった前庭に戻る。
バラのバラエティとボリュームをもう一度楽しんで、
山手イタリア山庭園を後にする。
ーーーまだ続く
wassho at 22:07|Permalink│Comments(0)│
2024年06月06日
ブラフ99ガーデン&外国人墓地
(5月10日の横浜バラツアーその2)
アメリカ山公園の駅とは反対側の出入り口。
こちら側が正門でエントランスと名付けられている。
180度向きを変えた光景。
右側に樹木が茂っているのは外国人墓地。
フェンスの隙間からお墓が見える。
しばらく進むと左手側に横浜地方気象台。
写真右側にある建物は日差しを浴びて真新しそうに見えるけれど1927年(昭和2年)の竣工。アールデコの建築様式で横浜市の有形文化財に指定されている。内部がけっこうレトロでいい感じらしい。一般公開されているからそのうち見に行きましょう。
気象台を過ぎると山手本通りに出る。写真右側から中央に延びているのはアメリカ山公園から歩いてきた道路。公園にもあったベニバナトチノキはこちらの方がきれいに咲いていた。
ところで上の写真を撮ったのは、写真を見てわかるように道路から少し高くなった場所で、そこが小さな公園のようになっている。
山手本通りはその昔にクルマでよく通った場所。
こんな公園があったっけ?と思って調べると、これは
2014年4月に
横浜税関の山手プール跡地に造られた
ブラフ99ガーデンという公園で
敷地は約1000平米
港の見える丘公園の「飛び地」扱いで横浜市営公園
山手の洋館の前庭をイメージして設計された
とわかった。
それはそうだとして何だその「横浜税関の山手プール」って?
これが調べてもなかなかわからない。プールとは泳ぐプールなのか。またプール pool には貯める蓄えるの意味もある。なら保税倉庫か。でも保税倉庫の英訳でプールを使った単語はない。
するとあるサイトに税関宿舎プール跡地との記述があった。プール付きの公務員官舎だったとしたら、どんだけ贅沢? またあるサイトには税関職員に向けた訓練用施設と書いてある。しかし横浜市公園緑地事業課のホームページに、ブラフ99ガーデンは旧横浜税関山手宿舎跡地とあるから訓練施設ではなかったと思われる。それに税関職員の訓練にどうしてプールが必要なのだ。密輸犯が船から飛び降りて泳いで逃げるのを捕まえるため? どうにもナゾ
ちなみに公園名のブラフ Bluff とはハッタリや脅しではもちろんなく、同じスペルでも絶壁や切り立った崖との意味。明治時代に居留地に住んでいた外国人が、小高い地形の山手地区をブラフと呼んでいたとのこと。そしてここが山手町99番地なのでブラフ99。
それはさておき、ここにもバラがきれいに植えられている。
アメリカ山公園にはなかった色も。
さてここから山手本通りを、
山手イタリア山庭園まで下っていく。
右側に広がるのは外国人墓地で、
ここがメインゲートの山手門。
入れるのは門の先の写真で見えているところまで。
土日祝日なら500円ほどの寄付金を払えば墓地内の一部を散策できる。
中には入らなくても山手本通りを歩けば、
チラチラとその雰囲気を眺められる。
最初はペリーが2度目に来航した1854年に、マストから転落死した水兵を埋葬したのが始まり。当時このあたりは寺の境内だった。それからも外国人死者がその近くに埋葬されたので、日本人の墓を移転して1861年に外国人専用の墓地となる。横浜が開港して居留地が出来たのは1859年なので墓地の開園は驚くほど早い。
そんなにすぐ死ぬ健康状態の人が、はるばる日本に多くやって来たのかと最初は疑問だった。しかし攘夷派の武士によって殺害された外国人も多く、幕府としてはその賠償の意味もあって墓地の整備に力を貸す必要があったのだろう。徐々に拡大して現在の規模になったのは1880年(明治13年)。
広さは約1.85ヘクタール。Wikipediaによれば「19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている」とある。もう少し詳しい資料によると2009年の段階で埋葬されているのは約4870人。そのうち縁故者に連絡が付かず無縁仏状態になっているのは8割以上にのぼる。まあ江戸や明治時代の昔に遠い外国の日本で死んだ人たちの墓だから仕方ないか。
ただし現在でも墓地の購入は可能。
購入するのに国籍宗教は問われないものの、埋蔵されるには
生前外国籍である
死亡した時の戸籍が神奈川県内
の条件が付く。また中国籍の場合は、中国人専用の外国人墓地があるのでここでは受け入れていない。生前外国籍で神奈川県内に戸籍が持つの意味がよくわからないが、ここに私の墓を建てる予定はないので詳しく調べていない(^^ゞ
ーーー続く
アメリカ山公園の駅とは反対側の出入り口。
こちら側が正門でエントランスと名付けられている。
180度向きを変えた光景。
右側に樹木が茂っているのは外国人墓地。
フェンスの隙間からお墓が見える。
しばらく進むと左手側に横浜地方気象台。
写真右側にある建物は日差しを浴びて真新しそうに見えるけれど1927年(昭和2年)の竣工。アールデコの建築様式で横浜市の有形文化財に指定されている。内部がけっこうレトロでいい感じらしい。一般公開されているからそのうち見に行きましょう。
気象台を過ぎると山手本通りに出る。写真右側から中央に延びているのはアメリカ山公園から歩いてきた道路。公園にもあったベニバナトチノキはこちらの方がきれいに咲いていた。
ところで上の写真を撮ったのは、写真を見てわかるように道路から少し高くなった場所で、そこが小さな公園のようになっている。
山手本通りはその昔にクルマでよく通った場所。
こんな公園があったっけ?と思って調べると、これは
2014年4月に
横浜税関の山手プール跡地に造られた
ブラフ99ガーデンという公園で
敷地は約1000平米
港の見える丘公園の「飛び地」扱いで横浜市営公園
山手の洋館の前庭をイメージして設計された
とわかった。
それはそうだとして何だその「横浜税関の山手プール」って?
これが調べてもなかなかわからない。プールとは泳ぐプールなのか。またプール pool には貯める蓄えるの意味もある。なら保税倉庫か。でも保税倉庫の英訳でプールを使った単語はない。
するとあるサイトに税関宿舎プール跡地との記述があった。プール付きの公務員官舎だったとしたら、どんだけ贅沢? またあるサイトには税関職員に向けた訓練用施設と書いてある。しかし横浜市公園緑地事業課のホームページに、ブラフ99ガーデンは旧横浜税関山手宿舎跡地とあるから訓練施設ではなかったと思われる。それに税関職員の訓練にどうしてプールが必要なのだ。密輸犯が船から飛び降りて泳いで逃げるのを捕まえるため? どうにもナゾ
ちなみに公園名のブラフ Bluff とはハッタリや脅しではもちろんなく、同じスペルでも絶壁や切り立った崖との意味。明治時代に居留地に住んでいた外国人が、小高い地形の山手地区をブラフと呼んでいたとのこと。そしてここが山手町99番地なのでブラフ99。
それはさておき、ここにもバラがきれいに植えられている。
アメリカ山公園にはなかった色も。
さてここから山手本通りを、
山手イタリア山庭園まで下っていく。
右側に広がるのは外国人墓地で、
ここがメインゲートの山手門。
入れるのは門の先の写真で見えているところまで。
土日祝日なら500円ほどの寄付金を払えば墓地内の一部を散策できる。
中には入らなくても山手本通りを歩けば、
チラチラとその雰囲気を眺められる。
最初はペリーが2度目に来航した1854年に、マストから転落死した水兵を埋葬したのが始まり。当時このあたりは寺の境内だった。それからも外国人死者がその近くに埋葬されたので、日本人の墓を移転して1861年に外国人専用の墓地となる。横浜が開港して居留地が出来たのは1859年なので墓地の開園は驚くほど早い。
そんなにすぐ死ぬ健康状態の人が、はるばる日本に多くやって来たのかと最初は疑問だった。しかし攘夷派の武士によって殺害された外国人も多く、幕府としてはその賠償の意味もあって墓地の整備に力を貸す必要があったのだろう。徐々に拡大して現在の規模になったのは1880年(明治13年)。
広さは約1.85ヘクタール。Wikipediaによれば「19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている」とある。もう少し詳しい資料によると2009年の段階で埋葬されているのは約4870人。そのうち縁故者に連絡が付かず無縁仏状態になっているのは8割以上にのぼる。まあ江戸や明治時代の昔に遠い外国の日本で死んだ人たちの墓だから仕方ないか。
ただし現在でも墓地の購入は可能。
購入するのに国籍宗教は問われないものの、埋蔵されるには
生前外国籍である
死亡した時の戸籍が神奈川県内
の条件が付く。また中国籍の場合は、中国人専用の外国人墓地があるのでここでは受け入れていない。生前外国籍で神奈川県内に戸籍が持つの意味がよくわからないが、ここに私の墓を建てる予定はないので詳しく調べていない(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 23:13|Permalink│Comments(0)│
2024年06月04日
春バラはアメリカ山公園から 2024
昨年は「春バラはアメリカ山公園から」とのタイトルで、
横浜での春バラ鑑賞のブログを書いた。
予定では
前菜はアメリカ山公園
メインディッシュに港の見える丘公園
余裕があればデザートとして山手資料館とイタリア山庭園
だったものの、港の見える丘公園でお腹いっぱいになって終了。
そこで今年は昨年に訪れなかった山手資料館やイタリア山庭園などをまず見て、その後に山下公園のバラ園とのプラン。山下公園の春バラは2018年にも見ている。同じ場所は避ける主義だけれど、山手資料館やイタリア山庭園だけではボリューム的に物足りないし、山下公園も5年前だからまあいいかとの考え。
訪れたのは5月10日。今年もスタートがアメリカ山なのは、ここが元町・中華街駅の屋上に設置された立体都市公園で、小高い丘となっている山手エリアの最も標高の高い部分とつながっているから。つまりアメリカ山を経由すれば山手エリアの坂を登らなくて済む。また昨年に訪れてここをかなり気に入ったのも理由のひとつ。立体都市公園やアメリカ山についてはこのブログ1行目に埋め込んだリンクから昨年の記事を読んでちょうだい。
東横線は横浜駅から先が「みなとみらい線」となり終点が元町・中華街駅。
電車が着くのは地下4階のホーム。
そこから地上4階の屋上までだから、合計9階分をエスカレーターで上がる。
エレベーターを利用したほうがよかったかも。
エスカレーターを何度も乗り継ぎ、
屋上塔屋を抜けて、
いきなり広がるアメリカ山公園。
このダイナミックな展開は2度目でもちょっと感激する。
公園中程まで進んだ位置から屋上に出たところを振り返って。
バラが植えられているのは、
最初に公園を撮った写真の左右画角の外側と、撮影位置より後ろの部分。
なかなかベストなタイミングで来られたと思う。
芝生広場では保育園児がお遊び中。
ナスカの地上絵?
お幸せに!
今回は昨年も来たアメリカ山は通り抜けのつもりだったのに、
やはりあれこれとバラ以外も見てしまう(^^ゞ
タチアオイの別名をハナアオイとも言うが、
ラバテラは別の品種みたいだ。
デイジーとマーガレットは明確な見分けポイントがなく、名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットとするのが私のナゾ基準。ここでは品種名が書かれていた。
ユーフォルビアは草と木それに多肉植物までバラエティが広くて覚えきれない品種。これは草のタイプでよく見る形。
昨年はバラ以上に目立っていたベニバナトチノキ。
今年は少し成長が遅いようだ。
よく見るのより色の薄いミヤコワスレ。
この変わった名前は、鎌倉時代に承久の乱で北条氏に敗れて佐渡に流された順徳天皇が、当地でこの花を見つけ和歌に詠んだのに由来するとされる。しかしミヤコワスレはミヤマヨメナという野菊の園芸改良種。そしてそれが作られたのは江戸時代なので、ミヤコワスレ順徳天皇説はイイカゲンな話。
サルビアは赤いがネモローサ・カラドンナは紫。
まるでネギ坊主(ネギの花)みたいだが、それもそのはずアリウムとはネギ属の意味で、このアリウムもネギやニンニクの仲間。
近づくとちりめんじゃこだった(^^ゞ
紫のアリウムもあった。
この早咲きのラベンダーは香りが弱い。
でも花の部分をそっと握りしめてから手のひらをクンクンするといい匂いがする。
昨年は花の塊が人の頭ほどあったシャクナゲ。
今年はかなり小さい。
保育園児が帰ったので公園が静かになった。
アップで眺めましょう。
駅とは反対側の出入り口へ。
門の外から見た公園。
敷地面積は0.55ヘクタールで狭すぎず広すぎずで手頃なサイズ。そして何より美しい。この季節にしか訪れた経験はないけれど、もし東横線沿線に住んでいるなら元町・中華街駅まで来て屋上に上がり、しばらく公園を楽しんでそのまま電車に乗って帰ってもいい一日になる。
アメリカ山公園を出て外国人墓地の横を進むと山手本通りに出る。
それをイタリア山庭園まで下っていく途中に洋館が点在している。
ーーー続く
横浜での春バラ鑑賞のブログを書いた。
予定では
前菜はアメリカ山公園
メインディッシュに港の見える丘公園
余裕があればデザートとして山手資料館とイタリア山庭園
だったものの、港の見える丘公園でお腹いっぱいになって終了。
そこで今年は昨年に訪れなかった山手資料館やイタリア山庭園などをまず見て、その後に山下公園のバラ園とのプラン。山下公園の春バラは2018年にも見ている。同じ場所は避ける主義だけれど、山手資料館やイタリア山庭園だけではボリューム的に物足りないし、山下公園も5年前だからまあいいかとの考え。
訪れたのは5月10日。今年もスタートがアメリカ山なのは、ここが元町・中華街駅の屋上に設置された立体都市公園で、小高い丘となっている山手エリアの最も標高の高い部分とつながっているから。つまりアメリカ山を経由すれば山手エリアの坂を登らなくて済む。また昨年に訪れてここをかなり気に入ったのも理由のひとつ。立体都市公園やアメリカ山についてはこのブログ1行目に埋め込んだリンクから昨年の記事を読んでちょうだい。
東横線は横浜駅から先が「みなとみらい線」となり終点が元町・中華街駅。
電車が着くのは地下4階のホーム。
そこから地上4階の屋上までだから、合計9階分をエスカレーターで上がる。
エレベーターを利用したほうがよかったかも。
エスカレーターを何度も乗り継ぎ、
屋上塔屋を抜けて、
いきなり広がるアメリカ山公園。
このダイナミックな展開は2度目でもちょっと感激する。
公園中程まで進んだ位置から屋上に出たところを振り返って。
バラが植えられているのは、
最初に公園を撮った写真の左右画角の外側と、撮影位置より後ろの部分。
なかなかベストなタイミングで来られたと思う。
芝生広場では保育園児がお遊び中。
ナスカの地上絵?
お幸せに!
今回は昨年も来たアメリカ山は通り抜けのつもりだったのに、
やはりあれこれとバラ以外も見てしまう(^^ゞ
タチアオイの別名をハナアオイとも言うが、
ラバテラは別の品種みたいだ。
デイジーとマーガレットは明確な見分けポイントがなく、名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットとするのが私のナゾ基準。ここでは品種名が書かれていた。
ユーフォルビアは草と木それに多肉植物までバラエティが広くて覚えきれない品種。これは草のタイプでよく見る形。
昨年はバラ以上に目立っていたベニバナトチノキ。
今年は少し成長が遅いようだ。
よく見るのより色の薄いミヤコワスレ。
この変わった名前は、鎌倉時代に承久の乱で北条氏に敗れて佐渡に流された順徳天皇が、当地でこの花を見つけ和歌に詠んだのに由来するとされる。しかしミヤコワスレはミヤマヨメナという野菊の園芸改良種。そしてそれが作られたのは江戸時代なので、ミヤコワスレ順徳天皇説はイイカゲンな話。
サルビアは赤いがネモローサ・カラドンナは紫。
まるでネギ坊主(ネギの花)みたいだが、それもそのはずアリウムとはネギ属の意味で、このアリウムもネギやニンニクの仲間。
近づくとちりめんじゃこだった(^^ゞ
紫のアリウムもあった。
この早咲きのラベンダーは香りが弱い。
でも花の部分をそっと握りしめてから手のひらをクンクンするといい匂いがする。
昨年は花の塊が人の頭ほどあったシャクナゲ。
今年はかなり小さい。
保育園児が帰ったので公園が静かになった。
アップで眺めましょう。
駅とは反対側の出入り口へ。
門の外から見た公園。
敷地面積は0.55ヘクタールで狭すぎず広すぎずで手頃なサイズ。そして何より美しい。この季節にしか訪れた経験はないけれど、もし東横線沿線に住んでいるなら元町・中華街駅まで来て屋上に上がり、しばらく公園を楽しんでそのまま電車に乗って帰ってもいい一日になる。
アメリカ山公園を出て外国人墓地の横を進むと山手本通りに出る。
それをイタリア山庭園まで下っていく途中に洋館が点在している。
ーーー続く
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2023年05月07日
春バラはアメリカ山公園から その2
バラはこの広場の反対側、
すなわちカメラを構えている背後に主に植えられている。
ベイブリッジやマリンタワーと一緒に。
壁やアーチやフェンスなどいろいろな背景のバラを楽しめる。
フェンスの上にいたカラス。
カラスをじっくり眺めたことはあまりないが、日光を浴びていると意外とキレイ。
あれこれアップで。
バラ以外もたくさんの花が咲いていた。
写真を撮ったのはごく一部。
ラベンダーもあった。通常は7月頃に咲く花なので、これは早咲きの品種なのだろう。そっと握りしめて手のひらをクンクン(^^ゞ バラとラベンダーの香りを同時に楽しめるなんてシアワセ。
メインの芝生広場とは別の小さな芝生。
ここは何となく建物の屋上感がある。
やはりこちらのほうが圧倒的に素晴らしい。
新緑もキレイ。
こんな寄せ植えの後ろにあったのは、
人の頭ほどもある大きなシャクナゲ。
写真じゃサイズ感は伝わらないけれど。
ひときわ目立っていたのがベニバナトチノキ。
これは初めて見た。普通のトチノキは白い花がニョキニョキ伸びるように咲いて、ちょっと気持ち悪いのだけれど、色が違うだけでこうも印象が変わるのかと驚く。
花自体も美しい。
芝生広場の中段から。
アメリカ山の由来。
幕末はアメリカ公使館の予定地だったり、戦後は米軍住宅が建ったりしてアメリカに縁が深かったから、公園を整備したときにアメリカ山と名付けたみたい。横浜にはフランス山、イギリス山、イタリア山が昔からあるので、新たにアメリカ山ができても違和感はない。
駅から上がってくるエスカレーターとは反対側の出入り口から。
門柱のフォントがおしゃれ。
港の見える丘公園に行く前に、軽く前菜のつもりで訪れたアメリカ山公園。
思いのほかボリュームのある前菜で満足感高し。
ーーー続く
wassho at 22:24|Permalink│Comments(0)│