マネ
2014年10月29日
オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由 その2
展示会の構成は
1:マネ、新しい絵画
2:レアリスムの諸相
3:歴史画
4:裸体
5:印象派の風景
6:静物
7:肖像
8:近代生活
9:円熟期のマネ
と細かく分かれている。マネで前後を挟んで印象派、アカデミスム、レアリスムと当時の流派の作品をまんべんなく見せる企画。印象派の作品が登場するのは第5コーナーから。
「かささぎ」 モネ
雪景色を描いた絵だから画面はほとんど白で埋められている。こういうのはパソコンの画面で見るのと、実際に目にする違いは大きい。この絵は光りに満ちあふれていた。大雪が降った後やスキー場などでピーカン晴れの時、冬でもまるで夏のように明るい日差しの時があるが、それと同じような雰囲気を感じる。
これは1868〜69年に描かれたモネがメジャーデビューした頃の作品。印象派が始まったとされる第1回印象派展が1874年。後に光りの画家と呼ばれるモネは、そのキャリアの早い時期から光りの描き分けにセンスがあったことがわかる。ちなみに明治維新が1868年ね。
タイトルの「かささぎ」とは鳥の名前。左側の橋に黒い鳥が留まっている。
「トルーヴィルの海岸」 ウジューヌ・ブーダン
どこか見覚えのある絵だと思ったら、ポーラ美術館のモネ展で見たのと同じ画家の同じテーマの絵だった。タッチはこちらの方がラフで印象派的。
改めて調べてみると、ウジューヌ・ブーダンは海の絵を多く描いている。海の風景を描いたものを海景画というらしい。彼は海景画のスペシャリストといってもいいと思うが、海よりも空が画面の多くを占めているのが特徴。その空の描き方にファンが多く「空の王者」とも呼ばれているらしい。海と空の二冠達成?
「アルジャントゥイユのレガッタ」 モネ
水面に映り混んでいる帆や家が途切れ途切れに描かれているのが、この絵のハイライト。現実の姿を観察的に写し取るのではなく、自分が感じた印象をキャンバスに再構成するのが印象派の印象派たるゆえん。感じたままに描くということだからデフォルメや強調あるいは省略が不可欠のテクニックとなる。この絵はたぶん、水面に映っている帆や家が水面で「揺れている」ということを表現したかったんじゃないかな。そのための途切れ途切れな描写だと思う。
レガッタというのはオールで漕ぐボートのことだと思っていたから、ついでに調べてみた。通常は漕ぐボートを指すが帆船やヨットも含まれるとのこと。また原動機なしの船が原則だが、そうでない場合もレガッタと呼ばれる場合もあるらしい。ナンデモエエンカイ! しかしレガッタはそれらの船を使った競技のことである。この絵を見て競技のスピード感を感じることは難しい。どう見たってのどかな風景だしヨットは停泊中に見える。モネに「はい、描き直し」といってみたいなあ。
「家族の集い」 フレデリック・バジール
「テーブルの片隅」 アンリ・ファンタン=ラトゥール
どちらも大勢の人物が描かれた集合写真のような肖像画。両方の絵で合計19名が描かれているが、そろいも揃って全員無表情である。この頃はそういう流儀だったのかな。少しぐらい微笑んでもよさそうなものなのに。絵というか場面としてどこか不気味である。
1人だけが描かれている普通の肖像画なら無表情でもまったく気にならない。集合肖像画だと不気味に感じるのは、やはり人間関係には笑顔が必要ということなのかも。皆さん、笑顔を心掛けましょう。口角(口の端っこ)を上げるようにすると感じのいい微笑みになるといわれている。しかし口角を上げると鼻の穴が膨らむんだよなあ(^^ゞ
「手袋の婦人」 カロリュス=デュラン
右手の手袋が床に落ちているのをのぞけば、時に凝ったところもないごくごく普通の肖像画。もっとも印象派的なデフォルメをするなら別だが、写実的な肖像画ならあまり変わったことはできない。それでもいいなと思える肖像画と、そうでない肖像画に好みが分かれるのが絵のおもしろいところ。この絵は心軽やかでで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
印象派が誕生した19世紀中頃、フランスでは肖像画の需要がものすごく高かったらしい。サロン(国が開く大規模なコンクール)に出品される作品の1/4位が肖像画で占められていた。台頭してきたブルジョア階級がその発注主とされる。このブルジョアというのも知っているようでよく理解していない言葉。今風にいうなら富裕層とかセレブというような意味かな。フランスの場合、18世紀後半にフランス革命によって貴族から市民が主役になった。それからいろいろあったけれど、50〜60年経って市民に金持ち層が増えてきたということだろう。産業革命もほぼ同時期に進行した出来事である。
「死の床のカミーユ」 モネ
これが肖像画に分類されるのかどうかはわからない。モネの妻であり、しばしば絵のモデルとしても描かれていたカミーユの亡骸。いわゆる産後の肥立ちの悪さが原因で次男を生んだ半年後に他界。享年32才。
妻の遺体をモデルにするなんて反則技とも思うが、モネは彼女の死を看取った後、反射的に筆をとり絵を描き始めたと後に述懐している。愛する人の最後の姿を絵に残しておきたいというのは画家としての本能というか画家バカというか。しかも普段とは違う顔色の変化(死んでいるからね)を懸命に追っていたともいっているからなおさらである。
カミーユを失った哀しみがあらわれているのか、あるいはモネの筆が確かなのか、ラフなタッチで描かれているのにこの絵は結構リアルである。死んだ人の顔を見た経験があるなら、タイトルを読まなくても何が描かれているかは瞬時にわかる。心に何かが突き刺さるような感覚を覚える、ある意味、絵というものの凄さを教えてくれる作品でもある。
「草上の昼食」 モネ
おかしな形になっているのは傷んだ部分が切り落とされているから。これを描き上げた当時、モネは家賃が払えなくて絵を大家さんに差し出したか差し押さえられたかした。20年近く経って買い戻したが、保管状態がかなり悪かったらしい。切り落としたのは仕方ないとして2分割しなくてもよかったとも思うが。オリジナルのサイズは縦4メートル横6メートルと巨大な作品。
この絵は1つ前のエントリーで紹介したマネの「笛を吹く少年」とともに、この展示会の目玉作品ツートップである。ほとんどフランス国外に貸し出されたことがなく、またモネにとっても記念碑的な作品らしい。
でも私の目はおかしいのかなあ?
「笛を吹く少年」もそうだったが、いい絵と思わなかったのは趣味の問題として、この絵のどこがそんなにすごいのかさっぱりわからなかった。日差しが明るくて気持ちよさそうと思った程度。人物も風景も描き方が中途半端。写実的でもなく印象派的な省略形でもなく、漫画っぽいというか挿絵みたいというか。まっ、世間と意見が合わないのは珍しいことじゃないけど。
「サン=ラザール駅」 モネ
タイトル通り駅の風景を描いた絵。サン=ラザール駅はパリの主要駅のひとつ。ヨーロッパの昔の駅は線路より高くなったプラットフォームがないところが多い。この駅は1837年開業。モネやマネ、セザンヌ、ルノワールといった印象派の画家達と同世代。駅や列車が絵に描かれていると、それほど遠い昔の絵じゃないとわかる。
蒸気機関車の煙突から出る煙や、車輪のあたりから吹き出される蒸気が駅舎の中に漂っていて、それがモヤーッと視界を遮っていい雰囲気。まさに絵になる光景。パッと見ではモネらしい光りの描き分けは感じないが、よく見れば煙や蒸気に反射させたりしている。もう普通に光りを描くだけじゃ飽き足らなくなったのかも。後にモネはモヤばかりで何を描いているのかわからないような絵を描き出す時期がある。それらは名作とされているが例によって私には理解不能。モネはシリーズものの多い画家でこの駅をテーマに12作品を描いている。サン=ラザール駅が最初のシリーズものらしいが、12枚もモヤモヤを描いているうちにモヤに取り憑かれたのかもしれない。
「婦人と団扇」 マネ
寝そべって頬杖をすると顔がちょっと歪む。そこはそんなに写実的に描かなくてもいいのにとか、後頭部を支えるようにポーズをさせればいいのにとか思うが、目のあたりが少しムギュとなってしまったところがこの絵のアイキャッチでもある。
後ろの壁に見えるのは屏風(びょうぶ)で鶴が描かれている。その屏風には貼り付けられた団扇(うちわ)が何枚か。笠をかぶった江戸時代っぽい女性が描かれた団扇もある。どこかの女性大臣の辞任の原因となったウチワとはずいぶん違う(^^ゞ
日本風のインテリアなのは、当時のフランスではジャポニスムが流行っていたから。直訳すれば日本主義とか日本趣味というような意味。あるいは日本かぶれ。ペリーの黒船来港が1853年。その頃から徐々に日本の美術品、工芸品はては着物や日用品までがヨーロッパにも知られるようになった。フランスでは印象派の画家達が台頭してきた時代で、特に浮世絵は彼らの画風に影響を与えたといわれている。もっともアカデミスムやレアリスムの画家達は浮世絵を気に入ったとしても、西洋画とはまったく違う様式の絵だから、自分たちの絵に取り入れることはできなかっただろうけど。
ジャポニスムが美術界だけの現象だったのが、もう少し世間一般にも広まっていたのかはよく知らない。浮世絵が印象派に影響を与えたとはよくいわれるが、単に物珍しかった、東洋的なものにエキゾチズムを感じただけかも知れない。文明開化の日本人が「ハイカラ」なものを好んだのと同じ。浮世絵が印象派に影響を与えた=日本は優れていたと、ことさらに自慢する論法を私は好まない。でも印象派の巨匠達の多くの作品に日本的なものが描かれていたり、浮世絵に似たような部分を見つけるのは素直にうれしいものである。
モデルになっているのはサロンを主催していた女性。ここでいうサロンはコンクールの展示会ではなく、画家や詩人などの文化人の交流の場のこと。彼女の家に集まって議論したりバカ騒ぎしていたんだろう。彼女はくたびれた感じはするが、人がよさそうである。もっと昔、サロンは貴族や上流階級の社交界を意味した。こんなオバチャンがサロンの女主人というのも時代が近代になったということである。
最初のエントリーに書いたように今の私は印象派敬遠期。セザンヌやルノワールもたくさん展示されていたが、あまり気が乗らず。特にセザンヌがいけない。風景画や肖像画は手抜きのやっつけ仕事にしか見えなかった。ただし彼の静物画はやはりおもしろい。1周回って、またそのうちファンになるだろう。マネをまとめてみたのはたぶん初めて。まあ普通かな。展示会ではどうしてもガツンとくる絵に目がいってしまう。マネは毎日眺めている分には意外といいかもしれない。買えないけど(^^ゞ
国立新美術館内部の様子。
ガラスの壁を内側から撮ると夜みたいになってしまった。
おしまい。
1:マネ、新しい絵画
2:レアリスムの諸相
3:歴史画
4:裸体
5:印象派の風景
6:静物
7:肖像
8:近代生活
9:円熟期のマネ
と細かく分かれている。マネで前後を挟んで印象派、アカデミスム、レアリスムと当時の流派の作品をまんべんなく見せる企画。印象派の作品が登場するのは第5コーナーから。
「かささぎ」 モネ
雪景色を描いた絵だから画面はほとんど白で埋められている。こういうのはパソコンの画面で見るのと、実際に目にする違いは大きい。この絵は光りに満ちあふれていた。大雪が降った後やスキー場などでピーカン晴れの時、冬でもまるで夏のように明るい日差しの時があるが、それと同じような雰囲気を感じる。
これは1868〜69年に描かれたモネがメジャーデビューした頃の作品。印象派が始まったとされる第1回印象派展が1874年。後に光りの画家と呼ばれるモネは、そのキャリアの早い時期から光りの描き分けにセンスがあったことがわかる。ちなみに明治維新が1868年ね。
タイトルの「かささぎ」とは鳥の名前。左側の橋に黒い鳥が留まっている。
「トルーヴィルの海岸」 ウジューヌ・ブーダン
どこか見覚えのある絵だと思ったら、ポーラ美術館のモネ展で見たのと同じ画家の同じテーマの絵だった。タッチはこちらの方がラフで印象派的。
改めて調べてみると、ウジューヌ・ブーダンは海の絵を多く描いている。海の風景を描いたものを海景画というらしい。彼は海景画のスペシャリストといってもいいと思うが、海よりも空が画面の多くを占めているのが特徴。その空の描き方にファンが多く「空の王者」とも呼ばれているらしい。海と空の二冠達成?
「アルジャントゥイユのレガッタ」 モネ
水面に映り混んでいる帆や家が途切れ途切れに描かれているのが、この絵のハイライト。現実の姿を観察的に写し取るのではなく、自分が感じた印象をキャンバスに再構成するのが印象派の印象派たるゆえん。感じたままに描くということだからデフォルメや強調あるいは省略が不可欠のテクニックとなる。この絵はたぶん、水面に映っている帆や家が水面で「揺れている」ということを表現したかったんじゃないかな。そのための途切れ途切れな描写だと思う。
レガッタというのはオールで漕ぐボートのことだと思っていたから、ついでに調べてみた。通常は漕ぐボートを指すが帆船やヨットも含まれるとのこと。また原動機なしの船が原則だが、そうでない場合もレガッタと呼ばれる場合もあるらしい。ナンデモエエンカイ! しかしレガッタはそれらの船を使った競技のことである。この絵を見て競技のスピード感を感じることは難しい。どう見たってのどかな風景だしヨットは停泊中に見える。モネに「はい、描き直し」といってみたいなあ。
「家族の集い」 フレデリック・バジール
「テーブルの片隅」 アンリ・ファンタン=ラトゥール
どちらも大勢の人物が描かれた集合写真のような肖像画。両方の絵で合計19名が描かれているが、そろいも揃って全員無表情である。この頃はそういう流儀だったのかな。少しぐらい微笑んでもよさそうなものなのに。絵というか場面としてどこか不気味である。
1人だけが描かれている普通の肖像画なら無表情でもまったく気にならない。集合肖像画だと不気味に感じるのは、やはり人間関係には笑顔が必要ということなのかも。皆さん、笑顔を心掛けましょう。口角(口の端っこ)を上げるようにすると感じのいい微笑みになるといわれている。しかし口角を上げると鼻の穴が膨らむんだよなあ(^^ゞ
「手袋の婦人」 カロリュス=デュラン
右手の手袋が床に落ちているのをのぞけば、時に凝ったところもないごくごく普通の肖像画。もっとも印象派的なデフォルメをするなら別だが、写実的な肖像画ならあまり変わったことはできない。それでもいいなと思える肖像画と、そうでない肖像画に好みが分かれるのが絵のおもしろいところ。この絵は心軽やかでで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
印象派が誕生した19世紀中頃、フランスでは肖像画の需要がものすごく高かったらしい。サロン(国が開く大規模なコンクール)に出品される作品の1/4位が肖像画で占められていた。台頭してきたブルジョア階級がその発注主とされる。このブルジョアというのも知っているようでよく理解していない言葉。今風にいうなら富裕層とかセレブというような意味かな。フランスの場合、18世紀後半にフランス革命によって貴族から市民が主役になった。それからいろいろあったけれど、50〜60年経って市民に金持ち層が増えてきたということだろう。産業革命もほぼ同時期に進行した出来事である。
「死の床のカミーユ」 モネ
これが肖像画に分類されるのかどうかはわからない。モネの妻であり、しばしば絵のモデルとしても描かれていたカミーユの亡骸。いわゆる産後の肥立ちの悪さが原因で次男を生んだ半年後に他界。享年32才。
妻の遺体をモデルにするなんて反則技とも思うが、モネは彼女の死を看取った後、反射的に筆をとり絵を描き始めたと後に述懐している。愛する人の最後の姿を絵に残しておきたいというのは画家としての本能というか画家バカというか。しかも普段とは違う顔色の変化(死んでいるからね)を懸命に追っていたともいっているからなおさらである。
カミーユを失った哀しみがあらわれているのか、あるいはモネの筆が確かなのか、ラフなタッチで描かれているのにこの絵は結構リアルである。死んだ人の顔を見た経験があるなら、タイトルを読まなくても何が描かれているかは瞬時にわかる。心に何かが突き刺さるような感覚を覚える、ある意味、絵というものの凄さを教えてくれる作品でもある。
「草上の昼食」 モネ
おかしな形になっているのは傷んだ部分が切り落とされているから。これを描き上げた当時、モネは家賃が払えなくて絵を大家さんに差し出したか差し押さえられたかした。20年近く経って買い戻したが、保管状態がかなり悪かったらしい。切り落としたのは仕方ないとして2分割しなくてもよかったとも思うが。オリジナルのサイズは縦4メートル横6メートルと巨大な作品。
この絵は1つ前のエントリーで紹介したマネの「笛を吹く少年」とともに、この展示会の目玉作品ツートップである。ほとんどフランス国外に貸し出されたことがなく、またモネにとっても記念碑的な作品らしい。
でも私の目はおかしいのかなあ?
「笛を吹く少年」もそうだったが、いい絵と思わなかったのは趣味の問題として、この絵のどこがそんなにすごいのかさっぱりわからなかった。日差しが明るくて気持ちよさそうと思った程度。人物も風景も描き方が中途半端。写実的でもなく印象派的な省略形でもなく、漫画っぽいというか挿絵みたいというか。まっ、世間と意見が合わないのは珍しいことじゃないけど。
「サン=ラザール駅」 モネ
タイトル通り駅の風景を描いた絵。サン=ラザール駅はパリの主要駅のひとつ。ヨーロッパの昔の駅は線路より高くなったプラットフォームがないところが多い。この駅は1837年開業。モネやマネ、セザンヌ、ルノワールといった印象派の画家達と同世代。駅や列車が絵に描かれていると、それほど遠い昔の絵じゃないとわかる。
蒸気機関車の煙突から出る煙や、車輪のあたりから吹き出される蒸気が駅舎の中に漂っていて、それがモヤーッと視界を遮っていい雰囲気。まさに絵になる光景。パッと見ではモネらしい光りの描き分けは感じないが、よく見れば煙や蒸気に反射させたりしている。もう普通に光りを描くだけじゃ飽き足らなくなったのかも。後にモネはモヤばかりで何を描いているのかわからないような絵を描き出す時期がある。それらは名作とされているが例によって私には理解不能。モネはシリーズものの多い画家でこの駅をテーマに12作品を描いている。サン=ラザール駅が最初のシリーズものらしいが、12枚もモヤモヤを描いているうちにモヤに取り憑かれたのかもしれない。
「婦人と団扇」 マネ
寝そべって頬杖をすると顔がちょっと歪む。そこはそんなに写実的に描かなくてもいいのにとか、後頭部を支えるようにポーズをさせればいいのにとか思うが、目のあたりが少しムギュとなってしまったところがこの絵のアイキャッチでもある。
後ろの壁に見えるのは屏風(びょうぶ)で鶴が描かれている。その屏風には貼り付けられた団扇(うちわ)が何枚か。笠をかぶった江戸時代っぽい女性が描かれた団扇もある。どこかの女性大臣の辞任の原因となったウチワとはずいぶん違う(^^ゞ
日本風のインテリアなのは、当時のフランスではジャポニスムが流行っていたから。直訳すれば日本主義とか日本趣味というような意味。あるいは日本かぶれ。ペリーの黒船来港が1853年。その頃から徐々に日本の美術品、工芸品はては着物や日用品までがヨーロッパにも知られるようになった。フランスでは印象派の画家達が台頭してきた時代で、特に浮世絵は彼らの画風に影響を与えたといわれている。もっともアカデミスムやレアリスムの画家達は浮世絵を気に入ったとしても、西洋画とはまったく違う様式の絵だから、自分たちの絵に取り入れることはできなかっただろうけど。
ジャポニスムが美術界だけの現象だったのが、もう少し世間一般にも広まっていたのかはよく知らない。浮世絵が印象派に影響を与えたとはよくいわれるが、単に物珍しかった、東洋的なものにエキゾチズムを感じただけかも知れない。文明開化の日本人が「ハイカラ」なものを好んだのと同じ。浮世絵が印象派に影響を与えた=日本は優れていたと、ことさらに自慢する論法を私は好まない。でも印象派の巨匠達の多くの作品に日本的なものが描かれていたり、浮世絵に似たような部分を見つけるのは素直にうれしいものである。
モデルになっているのはサロンを主催していた女性。ここでいうサロンはコンクールの展示会ではなく、画家や詩人などの文化人の交流の場のこと。彼女の家に集まって議論したりバカ騒ぎしていたんだろう。彼女はくたびれた感じはするが、人がよさそうである。もっと昔、サロンは貴族や上流階級の社交界を意味した。こんなオバチャンがサロンの女主人というのも時代が近代になったということである。
最初のエントリーに書いたように今の私は印象派敬遠期。セザンヌやルノワールもたくさん展示されていたが、あまり気が乗らず。特にセザンヌがいけない。風景画や肖像画は手抜きのやっつけ仕事にしか見えなかった。ただし彼の静物画はやはりおもしろい。1周回って、またそのうちファンになるだろう。マネをまとめてみたのはたぶん初めて。まあ普通かな。展示会ではどうしてもガツンとくる絵に目がいってしまう。マネは毎日眺めている分には意外といいかもしれない。買えないけど(^^ゞ
国立新美術館内部の様子。
ガラスの壁を内側から撮ると夜みたいになってしまった。
おしまい。
wassho at 23:19|Permalink│Comments(0)│
2014年10月26日
オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由
こういう角度だと正体不明だが、
六本木にある国立新美術館。
訪れたのは2週間ほど前。その時はオルセー美術館展とチューリヒ美術館展が同時開催中。両方まとめて見る時間はなく、チューリヒ展は12月までやっているのでオルセー展に。
オルセー美術館といえば印象派の作品で有名。印象派を集めているというより、この美術館は19世紀中頃から20世紀中頃までが守備範囲なので結果的に印象派が多いらしい。
絵に興味を持つきっかけとなったのはルノワールだった(ような気がする)から、印象派の絵はなじみ深い。でも最近はあまり印象派が好きじゃない。クラシック音楽にも似たような傾向があって、例えばモーツアルトなら「こんなに美しくて楽しい音楽はない」と心酔している時期と「ワンパターンでお約束だらけの音楽」と敬遠する時期がある。今の印象派は後者の時期。しかし自由にCDを掛け替えられる音楽と違って、絵の場合は開催されている展示会から選ぶしかない。でもまあ敬遠気味の印象派でも見れば見たで楽しいのである。
この展示会のセールポイントは2つ。
マネの作品が多いこととモネの大作があること。
それにしてもマネとモネ
どちらも印象派だし実にややこしい(>_<)
モネはいろいろな絵を描いているが睡蓮のシリーズが有名。だから私は睡蓮がモネ、そうでないほうがマネと覚えている。なぜかモネはクロード・モネとフルネームを言えるが、マネがエドゥアール・マネであることはすぐに忘れるのが不思議。
「笛を吹く少年」 エドゥアール・マネ
ポスターにも使用されているし、今回の目玉作品であることは間違いない。誰もがどこかで目にしたことがある絵。
でも本物を前にしても特に何も感じない絵だった。この絵が発表された時、背景を何も描かず塗りつぶしていあるからトランプの絵と批判されたらしい。それは従来の伝統との対立した観点からの意見で、私にそんなことは関係ない。ビジュアル的には少年がポッと浮いているようでインパクトがある。しかし、それだけという感じがする。ある意味、不思議な絵だった。
「晩鐘」 ミレー
ミレーといえば「落ち穂拾い」。でもヨーロッパではこの「晩鐘」の方が評価が高いらしい。晩鐘は夕方に鳴らされる教会の鐘で、農作業の手を止めてお祈りしているところ。ミレーは印象派ではなくバルビゾン派に属する。バルビゾンという村に住み農民画や風景画を描いたグループ。
どこから見てもミレーの絵。素朴さ、勤勉さ、人間らしさが溢れている。何か忘れてしまったようなものばかりで心を打たれる(^^ゞ
話は変わるが、先日の三浦半島にツーリングして畑の中で写真を撮った時のこと。バイクを停めた近くには農家の人もいた。その人達が写り混まないように撮ったのだけれど、どこを撮ろうかとアングルを考えている時、逆光で黒いシルエットになった人たちが中腰で農作業している姿は、まるでミレーの絵みたいだった。こちらの都合のいい構図にならなかったので写真は撮らなかったが、そのうちそういう写真にも挑戦してみようかと思う。
「干し草」 ジュール・バスティアン=ルパージュ
これもミレーと同じく写実主義的な作品。絵が気に入ったというより、描かれている女性が日本人というか縄文人みたいな顔なのがやたら印象に残ったので紹介。
「ローマのペスト」 エリー・ドローネ
羽根をはやしているのはもちろん天使。ナゼか黒い服を着た悪魔を連れており、天使が命令して悪魔が杖で扉を叩くと、叩いた数だけその家から死人が出るというよく理解できないシチュエーションが描かれている。
ダイナミックな構図で絵としても興味深い。それよりも展示会でこの絵を見たほとんどの人がエボラ熱のことを連想したんじゃないかな。いずれ日本にも入ってくることは避けられないと思うが、こんな光景にならないことを願う。
「フランス遠征、1814年」 エルネスト・メッソニエ
説明なしでも先頭の人物はナポレオンとわかる。しかしナポレオンはフランス人なのにフランス遠征とは?である。ナポレオンの時代はフランスvsその他の国々という対決構図。この絵の背景を超簡単に書くと、ロシアに攻め込んで帰る途中に他国がフランスに侵攻。それでフランスが戦場となるわけだが、なぜか歴史ではそれがナポレオンのフランス遠征と呼ばれている。
いかにも威風堂々とした行進風景。でも、この頃のナポレオンは絶不調の下り坂である。ロシア侵攻で壊滅的に兵力を失ったし、その後に再建した軍団も連敗続き。だからフランス遠征はまさに背水の陣。実際、この年にナポレオンは皇帝を退位させられエルバ島に追放されている。
30才くらいの頃、ナポレオンの3冊ほどにわたる長い伝記を読んだ。残念ながら内容つまり彼の生涯の細かなことはほとんど覚えていない。でも魅力的な人物や行動だったことは印象に残っている。時代も生い立ちも違うが信長に似たワクワク感があった。エルネスト・メッソニエはフランス人の画家だから、ナポレオンに対する贔屓目が絵にでてるように思う。ドラマなどで信長の最後が堂々とした立ち振る舞いになるのと同じ。でも気合いたっぷりなナポレオンの表情に較べて、後ろに続く将軍?達が少し元気なさそうに思えるのは私の気のせいか、あるいはこの後のナポレオンの運命を暗示しているのか。
「ベリュスの婚約者」 アンリ・ポール・モット
裸の女性が神を模したような像の真ん中に置かれ、下にはライオンがいて逃げ出せない。画面右側には引き揚げていく司祭のような謎の集団。生け贄?わーっ残酷!と思ってしまうが、解説によると女性は1日ここにいるだけで次の日には別の女性と交代するシステム。このよくわからない儀式は古代バビロニア(今のイラクあたり)の風習らしい。そんな伝説にヒントを得て目立つ絵を描いてやろうと思ったのがこの作品だろう。
まんまと罠にはまってしまった(^^ゞ
「ダンテとウェルギリウス」 ウイリアム・ブグロー
何が描かれているかは一目瞭然。小さな子供が見たらトラウマになりそうな絵である。これはダンテの神曲の一節を絵にしたもの。
ダンテの神曲ーーー名前はよく聞くが中身はまったく知らない。調べてみると1265年生まれのイタリアの詩人ダンテの代表作であり、イタリアで不動の地位を占める古典。日本の源氏物語みたいな位置づけか。もっともラブストーリーの源氏物語と違って、神曲は地獄、煉獄、天国を旅するというもの。ウェルギリウスは紀元前70年の古代ローマの詩人。神曲ではウェルギリウスがダンテを地獄と煉獄に案内するという筋立てになっている。ちなみに煉獄(れんごく)とは天国と地獄の中間だが厳しいところらしい。
この絵はタイトルがおかしい。争っているのはダンテとウェルギリウスではなく地獄に堕ちている罪人同士。その後ろにいて背中を見せているのがウェルギリウスでその隣がダンテである。罪人は噛みついているのがスキッキで劣勢なのがカポッキオという名前。この戦いの背景までは調べていないが、タイトルは絵の中心である「スキッキとカポッキオ」であるべきでしょ。
これは作者のウイリアム・ブグローが人間の身体を正確に、つまり解剖学的に正しいデッサンができる能力があることを示すために描いたらしい。目的に対して実に適切な課題の選び方である。ブグローをプレゼンテーション・テクニックの元祖と呼ぶことにしよう。「スキッキとカポッキオ」ではなく「ダンテとウェルギリウス」をタイトルにしたのは展覧会の書類審査に通るためだったりして。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル
怖い怖い絵の後は打って変わって天上界の美しさ。印象派とは対極にある古典的な作品はアカデミスムと総称される。当時のフランスで主流だったアカデミスムに対抗したのが印象派でありレアリスム(写実主義)である。
いろんな主義主張があって対立したんだろうけれど、その切磋琢磨があってたくさんの名作が生まれたことは喜ばしい限り。やはり進歩の源泉は競争かな。
アカデミスムを旧守派として批判したのが印象派。印象派が成功したからアカデミスムは古くさい絵という位置づけになっている。でもアカデミスムに限らず、こういう古典的な絵はけっこう好き。それはたぶん印象派な絵は日本人でも描けるが、アカデミスムは西洋的な価値観や歴史を反映しているから。つまり日本人である私にとっては見ていて非日常的な感覚を味わえる。そしてこの絵もそうだが極上に美しいものが多い。
ところで、ご存じヴィーナスは愛と美の女神。でも彼女は母親の命令によって息子が切り落として海に投げ捨てた父親(この家族は全員神様ね)のオチンチンから生まれたって知ってた? だからヴィーナスは海にいたり貝殻の上に立っている絵が多い。
「真理」 ジュール・ルフェーブル
シンプルな絵ではある、ズシンと響いてくるようなインパクトがあった。「ヴィーナスの誕生」が空想的に美しいとすれば、こちらは生身の美しさ。高く掲げているのは鏡かな。単に抜群のプロポーションに目を奪われたのではなく、美の真理を感じとったと信じたい(^^ゞ
ーーー続く
六本木にある国立新美術館。
訪れたのは2週間ほど前。その時はオルセー美術館展とチューリヒ美術館展が同時開催中。両方まとめて見る時間はなく、チューリヒ展は12月までやっているのでオルセー展に。
オルセー美術館といえば印象派の作品で有名。印象派を集めているというより、この美術館は19世紀中頃から20世紀中頃までが守備範囲なので結果的に印象派が多いらしい。
絵に興味を持つきっかけとなったのはルノワールだった(ような気がする)から、印象派の絵はなじみ深い。でも最近はあまり印象派が好きじゃない。クラシック音楽にも似たような傾向があって、例えばモーツアルトなら「こんなに美しくて楽しい音楽はない」と心酔している時期と「ワンパターンでお約束だらけの音楽」と敬遠する時期がある。今の印象派は後者の時期。しかし自由にCDを掛け替えられる音楽と違って、絵の場合は開催されている展示会から選ぶしかない。でもまあ敬遠気味の印象派でも見れば見たで楽しいのである。
この展示会のセールポイントは2つ。
マネの作品が多いこととモネの大作があること。
それにしてもマネとモネ
どちらも印象派だし実にややこしい(>_<)
モネはいろいろな絵を描いているが睡蓮のシリーズが有名。だから私は睡蓮がモネ、そうでないほうがマネと覚えている。なぜかモネはクロード・モネとフルネームを言えるが、マネがエドゥアール・マネであることはすぐに忘れるのが不思議。
「笛を吹く少年」 エドゥアール・マネ
ポスターにも使用されているし、今回の目玉作品であることは間違いない。誰もがどこかで目にしたことがある絵。
でも本物を前にしても特に何も感じない絵だった。この絵が発表された時、背景を何も描かず塗りつぶしていあるからトランプの絵と批判されたらしい。それは従来の伝統との対立した観点からの意見で、私にそんなことは関係ない。ビジュアル的には少年がポッと浮いているようでインパクトがある。しかし、それだけという感じがする。ある意味、不思議な絵だった。
「晩鐘」 ミレー
ミレーといえば「落ち穂拾い」。でもヨーロッパではこの「晩鐘」の方が評価が高いらしい。晩鐘は夕方に鳴らされる教会の鐘で、農作業の手を止めてお祈りしているところ。ミレーは印象派ではなくバルビゾン派に属する。バルビゾンという村に住み農民画や風景画を描いたグループ。
どこから見てもミレーの絵。素朴さ、勤勉さ、人間らしさが溢れている。何か忘れてしまったようなものばかりで心を打たれる(^^ゞ
話は変わるが、先日の三浦半島にツーリングして畑の中で写真を撮った時のこと。バイクを停めた近くには農家の人もいた。その人達が写り混まないように撮ったのだけれど、どこを撮ろうかとアングルを考えている時、逆光で黒いシルエットになった人たちが中腰で農作業している姿は、まるでミレーの絵みたいだった。こちらの都合のいい構図にならなかったので写真は撮らなかったが、そのうちそういう写真にも挑戦してみようかと思う。
「干し草」 ジュール・バスティアン=ルパージュ
これもミレーと同じく写実主義的な作品。絵が気に入ったというより、描かれている女性が日本人というか縄文人みたいな顔なのがやたら印象に残ったので紹介。
「ローマのペスト」 エリー・ドローネ
羽根をはやしているのはもちろん天使。ナゼか黒い服を着た悪魔を連れており、天使が命令して悪魔が杖で扉を叩くと、叩いた数だけその家から死人が出るというよく理解できないシチュエーションが描かれている。
ダイナミックな構図で絵としても興味深い。それよりも展示会でこの絵を見たほとんどの人がエボラ熱のことを連想したんじゃないかな。いずれ日本にも入ってくることは避けられないと思うが、こんな光景にならないことを願う。
「フランス遠征、1814年」 エルネスト・メッソニエ
説明なしでも先頭の人物はナポレオンとわかる。しかしナポレオンはフランス人なのにフランス遠征とは?である。ナポレオンの時代はフランスvsその他の国々という対決構図。この絵の背景を超簡単に書くと、ロシアに攻め込んで帰る途中に他国がフランスに侵攻。それでフランスが戦場となるわけだが、なぜか歴史ではそれがナポレオンのフランス遠征と呼ばれている。
いかにも威風堂々とした行進風景。でも、この頃のナポレオンは絶不調の下り坂である。ロシア侵攻で壊滅的に兵力を失ったし、その後に再建した軍団も連敗続き。だからフランス遠征はまさに背水の陣。実際、この年にナポレオンは皇帝を退位させられエルバ島に追放されている。
30才くらいの頃、ナポレオンの3冊ほどにわたる長い伝記を読んだ。残念ながら内容つまり彼の生涯の細かなことはほとんど覚えていない。でも魅力的な人物や行動だったことは印象に残っている。時代も生い立ちも違うが信長に似たワクワク感があった。エルネスト・メッソニエはフランス人の画家だから、ナポレオンに対する贔屓目が絵にでてるように思う。ドラマなどで信長の最後が堂々とした立ち振る舞いになるのと同じ。でも気合いたっぷりなナポレオンの表情に較べて、後ろに続く将軍?達が少し元気なさそうに思えるのは私の気のせいか、あるいはこの後のナポレオンの運命を暗示しているのか。
「ベリュスの婚約者」 アンリ・ポール・モット
裸の女性が神を模したような像の真ん中に置かれ、下にはライオンがいて逃げ出せない。画面右側には引き揚げていく司祭のような謎の集団。生け贄?わーっ残酷!と思ってしまうが、解説によると女性は1日ここにいるだけで次の日には別の女性と交代するシステム。このよくわからない儀式は古代バビロニア(今のイラクあたり)の風習らしい。そんな伝説にヒントを得て目立つ絵を描いてやろうと思ったのがこの作品だろう。
まんまと罠にはまってしまった(^^ゞ
「ダンテとウェルギリウス」 ウイリアム・ブグロー
何が描かれているかは一目瞭然。小さな子供が見たらトラウマになりそうな絵である。これはダンテの神曲の一節を絵にしたもの。
ダンテの神曲ーーー名前はよく聞くが中身はまったく知らない。調べてみると1265年生まれのイタリアの詩人ダンテの代表作であり、イタリアで不動の地位を占める古典。日本の源氏物語みたいな位置づけか。もっともラブストーリーの源氏物語と違って、神曲は地獄、煉獄、天国を旅するというもの。ウェルギリウスは紀元前70年の古代ローマの詩人。神曲ではウェルギリウスがダンテを地獄と煉獄に案内するという筋立てになっている。ちなみに煉獄(れんごく)とは天国と地獄の中間だが厳しいところらしい。
この絵はタイトルがおかしい。争っているのはダンテとウェルギリウスではなく地獄に堕ちている罪人同士。その後ろにいて背中を見せているのがウェルギリウスでその隣がダンテである。罪人は噛みついているのがスキッキで劣勢なのがカポッキオという名前。この戦いの背景までは調べていないが、タイトルは絵の中心である「スキッキとカポッキオ」であるべきでしょ。
これは作者のウイリアム・ブグローが人間の身体を正確に、つまり解剖学的に正しいデッサンができる能力があることを示すために描いたらしい。目的に対して実に適切な課題の選び方である。ブグローをプレゼンテーション・テクニックの元祖と呼ぶことにしよう。「スキッキとカポッキオ」ではなく「ダンテとウェルギリウス」をタイトルにしたのは展覧会の書類審査に通るためだったりして。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル
怖い怖い絵の後は打って変わって天上界の美しさ。印象派とは対極にある古典的な作品はアカデミスムと総称される。当時のフランスで主流だったアカデミスムに対抗したのが印象派でありレアリスム(写実主義)である。
いろんな主義主張があって対立したんだろうけれど、その切磋琢磨があってたくさんの名作が生まれたことは喜ばしい限り。やはり進歩の源泉は競争かな。
アカデミスムを旧守派として批判したのが印象派。印象派が成功したからアカデミスムは古くさい絵という位置づけになっている。でもアカデミスムに限らず、こういう古典的な絵はけっこう好き。それはたぶん印象派な絵は日本人でも描けるが、アカデミスムは西洋的な価値観や歴史を反映しているから。つまり日本人である私にとっては見ていて非日常的な感覚を味わえる。そしてこの絵もそうだが極上に美しいものが多い。
ところで、ご存じヴィーナスは愛と美の女神。でも彼女は母親の命令によって息子が切り落として海に投げ捨てた父親(この家族は全員神様ね)のオチンチンから生まれたって知ってた? だからヴィーナスは海にいたり貝殻の上に立っている絵が多い。
「真理」 ジュール・ルフェーブル
シンプルな絵ではある、ズシンと響いてくるようなインパクトがあった。「ヴィーナスの誕生」が空想的に美しいとすれば、こちらは生身の美しさ。高く掲げているのは鏡かな。単に抜群のプロポーションに目を奪われたのではなく、美の真理を感じとったと信じたい(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 15:02|Permalink│Comments(0)│