ミケル・バルセロ
2022年02月05日
ミケル・バルセロ展 その4
一番最初の投稿でミケル・バルセロの略歴を公式ページから引用したとき、アフリカにもアトリエを構えていると書いた。それはマリ共和国のこと。
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
wassho at 22:49|Permalink│Comments(0)│
2022年02月01日
ミケル・バルセロ展 その3
次に紹介するのは海関連の作品。ーーーのつもりだったが、
改めてタイトルを確認するとそうじゃないものが混ざっていた(^^ゞ
それがこの
「午後の最初の一頭」 2016年
あまり興味を引かなかったのでサラッと見ただけで、会場ではタイトルも読まなかった。青いし、水しぶきのようなものが表現されているからてっきり海がテーマかと。しかし前回で紹介した「とどめの一突き」と同じく小さく闘牛士と牛が描かれている。
「とどめの一突き」もかなり抽象的だったが、さらに色彩まで超越して紺色と白のモノトーンで仕上げた作品ともいえる。改めて眺めれば宇宙空間のようでもある。まあ闘牛士と牛がいなくても、そんなに変わりがないと思うがねーーーと負け惜しみ。
「サドルド・シーブリーム」 2015年
この聞き慣れないサドルド・シーブリーム saddled seabream という魚は、シーブリームが鯛(たい)だから、その一種みたい。日本の海では獲れず、よって日本名もないようだ。
サドルは馬に乗るときの鞍(くら)で saddled は鞍がついたというような意味かな。尾びれの手前にある黒い丸模様のことを指していると思われるが、ミケル・バルセロはどうして一番の特徴部分を描かなかったのだろう。
「漂流物」 2020年
最初はクジラの大群と思ったが、よく見るとそれぞれに何か文字が書いてある。浮かんでいるのは転覆したボートなんだろう。
「飽くなき厳格」 2018年
これはかなり深みを感じさせる絵。砕ける大波のようにも、あるいは氷山のようにも見える。しかしタイトルに海関連の文字がないからあまり自信なし(トラウマ)。
「下は熱い」 2019年
これが展覧会で一番印象に残った作品。
おそらくブログに載せた画像を見て「適当に水色に塗ってサカナを描いているだけじゃないか」「前回に紹介した“銛の刺さった雄牛”の迫力較べたら、まったく物足りない」と思われるかも知れない。私も最初はそんな印象だった。
展示会場はところどころに間仕切り壁があって、私はこの写真の奥の方から、係員が座っているところの隙間を通ってこちら側の展示スペースに入った。つまり「下は熱い」に最初は至近距離で遭遇したことになる。
この写真では分かりにくいが、間近で見ると、サカナは絵の具を厚塗りして5センチくらいの半立体的に描かれている。当然ながらモダンアート嫌いとしては「また小賢しいことを」という反応になるわけで。
それでほとんどチラ見をしただけで、隣にあるタコの絵を見に行った。その後にもう一度この「下は熱い」を眺めると、その時は絵から少し距離が取れていたのだが、まるでサカナが水面で跳ね回っているように見えたのである。ピチャピチャという音まで聞こえた。本当だってば!
その後はもうこの絵に釘付けである。接近するとそんなに面白くないが、少し離れて眺めると凄く動的に見える。絵に近づいたり離れたりを繰り返していたから、係員におかしな奴と思われていたかも知れない(^^ゞ
少し離れて撮影した写真を。
まあこれを見ても私が受けた印象は伝わらないな。
是非、展覧会に出かけてピチャピチャを体験してちょうだい。
「恐れと震え」 2018年
これは厚塗りではなくキャンバスを波打たせて半立体にしてあった作品。けっこう面白かった。しかしそのウネウネしたところの写真を撮り忘れるという失態を犯す(/o\)
次のレントゲン写真のようなものはブリーチ・ペインティングという手法で描かれたもの。全部で10作品ほどあり、モデルはミケル・バルセロの知り合いみたい。小林康夫という名前もあって、調べてみると彼に関する本を書いたり対談もしている大学教授だった。
「J.L.ナンシー」 2012年
「ドリー」 2013年
ブリーチ・ペインティングとは絵の具を塗ったキャンバスに、漂白剤液で絵を描く手法とのこと。すぐには下地が脱色しないから、描いているときはもちろん、しばらく経ってからでないとどんな作品が出来上がるか分からないらしい。
そうやって描くことは楽しそうに思えるが、出来上がった作品を見ても「だから何?」という感想しか出てこないのが正直なところ。「下は熱い」でノックアウトされそうになったが、まだまだモダンアート・アンチの精神は健在(^^ゞ
なおブリーチ・ペインティング作品は、
これまでに紹介したものと違って普通サイズだった。
集められた画像から何となく似たようなものをグルーピングしてきたが、次の3つはどこにも入らなかったいわば「その他」のグループ。
「開いたメロン」 2019年
たぶんスペインでもメロンはこんな姿をしていないと思う。もちろんそこは重要じゃなくて、この絵を見てどう思う、何を感じるかなのだけれどーーーウ〜ン。それなのにどこか引っ掛かるものがあって、かなり長く眺めていた作品。
「曇った太陽ー海」 2019年
これはタイトルに海の文字があるし、サカナも描かれているから(立って歩いているけど)海がテーマなのは確実。しかし黄色がメインだから前半に紹介したグループとは一緒にしなかった
それはともかく、
サカナを縦に描くだけで、何となく楽しい絵になるというのが小さな発見。
「良き知らせ」 1982年
これは紙をコラージュのように重ね合わせてある作品。無意識にバスキアを連想してしまうのは顔の描き方のせいだろうか。ちなみにバスキアは27歳で夭折したけれど、彼は1960年生まれで、ミケル・バルセロが1957年生まれだから同世代の画家である。
この作品は、最初の回で紹介した1982年の「ドクメンタ7」という展覧会に出品が決まったことの喜びを描いているとのこと。だからそれを知らせる手紙を持っている。今ならスマホを握っている姿になるのかな。それにしてもそんな背景を知らなかったら、イヤ知った上でも、怒っているようにしか見えないが。
それではこのシチュエーションを想像してみましょう。
浮気をして、赤ん坊を残して逃げたヨメから手紙が来た。
そこにはこう書かれていた。
ごめんなさい、その子の父親はあなたではありません。
最悪の知らせにタイトルを変更しなくちゃ(^^ゞ
ーーー続く
改めてタイトルを確認するとそうじゃないものが混ざっていた(^^ゞ
それがこの
「午後の最初の一頭」 2016年
あまり興味を引かなかったのでサラッと見ただけで、会場ではタイトルも読まなかった。青いし、水しぶきのようなものが表現されているからてっきり海がテーマかと。しかし前回で紹介した「とどめの一突き」と同じく小さく闘牛士と牛が描かれている。
「とどめの一突き」もかなり抽象的だったが、さらに色彩まで超越して紺色と白のモノトーンで仕上げた作品ともいえる。改めて眺めれば宇宙空間のようでもある。まあ闘牛士と牛がいなくても、そんなに変わりがないと思うがねーーーと負け惜しみ。
「サドルド・シーブリーム」 2015年
この聞き慣れないサドルド・シーブリーム saddled seabream という魚は、シーブリームが鯛(たい)だから、その一種みたい。日本の海では獲れず、よって日本名もないようだ。
サドルは馬に乗るときの鞍(くら)で saddled は鞍がついたというような意味かな。尾びれの手前にある黒い丸模様のことを指していると思われるが、ミケル・バルセロはどうして一番の特徴部分を描かなかったのだろう。
「漂流物」 2020年
最初はクジラの大群と思ったが、よく見るとそれぞれに何か文字が書いてある。浮かんでいるのは転覆したボートなんだろう。
「飽くなき厳格」 2018年
これはかなり深みを感じさせる絵。砕ける大波のようにも、あるいは氷山のようにも見える。しかしタイトルに海関連の文字がないからあまり自信なし(トラウマ)。
「下は熱い」 2019年
これが展覧会で一番印象に残った作品。
おそらくブログに載せた画像を見て「適当に水色に塗ってサカナを描いているだけじゃないか」「前回に紹介した“銛の刺さった雄牛”の迫力較べたら、まったく物足りない」と思われるかも知れない。私も最初はそんな印象だった。
展示会場はところどころに間仕切り壁があって、私はこの写真の奥の方から、係員が座っているところの隙間を通ってこちら側の展示スペースに入った。つまり「下は熱い」に最初は至近距離で遭遇したことになる。
この写真では分かりにくいが、間近で見ると、サカナは絵の具を厚塗りして5センチくらいの半立体的に描かれている。当然ながらモダンアート嫌いとしては「また小賢しいことを」という反応になるわけで。
それでほとんどチラ見をしただけで、隣にあるタコの絵を見に行った。その後にもう一度この「下は熱い」を眺めると、その時は絵から少し距離が取れていたのだが、まるでサカナが水面で跳ね回っているように見えたのである。ピチャピチャという音まで聞こえた。本当だってば!
その後はもうこの絵に釘付けである。接近するとそんなに面白くないが、少し離れて眺めると凄く動的に見える。絵に近づいたり離れたりを繰り返していたから、係員におかしな奴と思われていたかも知れない(^^ゞ
少し離れて撮影した写真を。
まあこれを見ても私が受けた印象は伝わらないな。
是非、展覧会に出かけてピチャピチャを体験してちょうだい。
「恐れと震え」 2018年
これは厚塗りではなくキャンバスを波打たせて半立体にしてあった作品。けっこう面白かった。しかしそのウネウネしたところの写真を撮り忘れるという失態を犯す(/o\)
次のレントゲン写真のようなものはブリーチ・ペインティングという手法で描かれたもの。全部で10作品ほどあり、モデルはミケル・バルセロの知り合いみたい。小林康夫という名前もあって、調べてみると彼に関する本を書いたり対談もしている大学教授だった。
「J.L.ナンシー」 2012年
「ドリー」 2013年
ブリーチ・ペインティングとは絵の具を塗ったキャンバスに、漂白剤液で絵を描く手法とのこと。すぐには下地が脱色しないから、描いているときはもちろん、しばらく経ってからでないとどんな作品が出来上がるか分からないらしい。
そうやって描くことは楽しそうに思えるが、出来上がった作品を見ても「だから何?」という感想しか出てこないのが正直なところ。「下は熱い」でノックアウトされそうになったが、まだまだモダンアート・アンチの精神は健在(^^ゞ
なおブリーチ・ペインティング作品は、
これまでに紹介したものと違って普通サイズだった。
集められた画像から何となく似たようなものをグルーピングしてきたが、次の3つはどこにも入らなかったいわば「その他」のグループ。
「開いたメロン」 2019年
たぶんスペインでもメロンはこんな姿をしていないと思う。もちろんそこは重要じゃなくて、この絵を見てどう思う、何を感じるかなのだけれどーーーウ〜ン。それなのにどこか引っ掛かるものがあって、かなり長く眺めていた作品。
「曇った太陽ー海」 2019年
これはタイトルに海の文字があるし、サカナも描かれているから(立って歩いているけど)海がテーマなのは確実。しかし黄色がメインだから前半に紹介したグループとは一緒にしなかった
それはともかく、
サカナを縦に描くだけで、何となく楽しい絵になるというのが小さな発見。
「良き知らせ」 1982年
これは紙をコラージュのように重ね合わせてある作品。無意識にバスキアを連想してしまうのは顔の描き方のせいだろうか。ちなみにバスキアは27歳で夭折したけれど、彼は1960年生まれで、ミケル・バルセロが1957年生まれだから同世代の画家である。
この作品は、最初の回で紹介した1982年の「ドクメンタ7」という展覧会に出品が決まったことの喜びを描いているとのこと。だからそれを知らせる手紙を持っている。今ならスマホを握っている姿になるのかな。それにしてもそんな背景を知らなかったら、イヤ知った上でも、怒っているようにしか見えないが。
それではこのシチュエーションを想像してみましょう。
浮気をして、赤ん坊を残して逃げたヨメから手紙が来た。
そこにはこう書かれていた。
ごめんなさい、その子の父親はあなたではありません。
最悪の知らせにタイトルを変更しなくちゃ(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 23:08|Permalink│Comments(0)│
2022年01月30日
ミケル・バルセロ展 その2
「海のスープ」 1984年
赤い棒はスーパーリアリズムで描かれているのではなく、実際に画面に突き刺さっている。前回に載せた展示風景の写真なら、横から撮っているのでわかりやすいと思う。この絵は幅が3.2メートルあるので、この赤い棒もかなりの大きさ。棒というより細めの丸太といったところ。
サイズが大きいこともあって、ものすごくインパクトはあるけれど「こういうことやりがちよね」とモダンアート・アンチの私は思ってしまう(^^ゞ
「ファラニチのジョルジョーネ」 1984年
ファラニチはマヨルカ島にある地名でミケル・バルセロはそこで生まれた。ジョルジョーネさんが誰だか分からないが、なぜか下半身はギリシャ神話のケンタウロスのように馬になっている。絵を描いている姿だから、ひょっとしたら自画像的な作品かも知れない。
キャンバスの上にはなぜかメロン。
それはいいとしてどうして伊勢エビが跳ねている?しかもこれだけ線画で。
もちろん画家が思いつきで描いていることだから、読みときは不可能だし理解する必要もない。そういうところがモダンアート嫌いの一因でもある。しかしそういうことを超えてミケル・バルセロの絵にはどこか惹かれるものがある。上手く表現できないが、私の中の何かと波長が合うというか、得(え)も言われぬ趣きというか。
「細長い図書室」 1984年
「ルーヴル」 1985年
ルーヴルとはもちろんルーヴル美術館のこと。ご存じクラシック絵画の殿堂である。その展示室とそこにある作品を黒く塗りつぶしたように描くのは挑戦?それとも皮肉? 正解はミケル・バルセロに尋ねないと分からないが、どこかユーモアが溢れているようにも思える。
ついでに書くと、この作品が発表された1985年はミケル・バルセロがまだ駆け出しの頃。そして名声を得た後の2004年には、彼はちゃっかりルーヴルで展覧会を開いている。
「亜鉛の白、弾丸の白」 1992年
キリストの磔(はりつけ)をミケル・バルセロが描くとこうなるみたい。でも磔ではなく逆さ吊りだし、ぶら下がっているのは動物だし(ヤギかな?かなり細いけど)。股間に白く描かれているのはタコらしい。タイトルも意味不明。深く考えちゃいけない作品。
ところでモダンアートの中でも、キャンパス全体を同じように塗ったものは私がもっとも苦手にするというか、この程度のものなら高校の美術部の連中でも描いていたわと思ってしまう作品。ミケル・バルセロの絵がそういうジャンルのものばかりじゃなくてよかった。
「小波のうねり」 2002年
彼の作品は厚塗りのものが多い。厚塗りというより、それを通り越して3次元的に絵の具を盛り付けているという表現のほうが正しい。
今までそのような手法のものを見ても「それがどうした?何がしたい?」的にしか思わなかったが、彼の作品には少し違った雰囲気がある。以前にウィレム・デ・クーニングについて書いたとき「芸術とは悟性によって秩序づけられた感性の戯れ」というカントの言葉を引用した。その類いの秩序のようなものがこの抽象表現からは感じられるのだ。
ブログを書いていて自分でもミケル・バルセロにかなり引き込まれているのを自覚する。
でも次の2つはありきたりだった。
「マンダラ」 2008年
「緑の地の老人のための風景 II」 1989年
「雉(きじ)のいるテーブル」 1991年
この絵は展覧会のポスターやチケットにも採用されているから、ミケル・バルセロの代表作なのだと思う。しかしどこがそんなに評価されているのか分からないというのが正直なところ。
テーブルの上には動物や魚など食材が載っている。頭蓋骨の右側と、その斜め右下にあるのが鳥っぽいからおそらく雉なんだろう。タイトルは「雉のいる」じゃなくて「雉もいる」にして欲しかったかな。
またここでも伊勢エビ登場! 日本じゃないからロブスターと呼ぶべきか。他の食材がほとんど黒く死骸のように描かれているのに対して、伊勢エビだけは鮮やかな赤。ということはもう茹でてある? きっとミケル・バルセロの好物なのに違いない(^^ゞ
つぎの3つは闘牛をモチーフにしたもの。
スペイン人だから馴染みがあるのだろうと考えるのは短絡的であるが。
「とどめの一突き」 1990年
最初は何が描かれているのか分からなかった。タイトルを読んで板をヤリで突き刺したのかなと考えたり。実は丸く描かれているのは上から俯瞰した闘牛場で、地面に闘牛士と牛がいる。それが分かるとタイトルにも納得がいくのだが、描き進めるにつれて闘牛場をどんどん抽象化していったような気がする。
まあこのデコボコ盛りに気を取られて、闘牛士と牛にすぐ気づかなかったせいもある。
「イン・メディア・レス」 2019年
この作品なら闘牛であることを見間違えることはない。イン・メディア・レス(In media res)とはラテン語で、物語を最初から語るのではなく途中から語りだす文学・芸術技法のことらしい。つまり「これは闘牛の途中の様子を描いています」ということなのだろうか?
ミケル・バルセロの作品は「亜鉛の白、弾丸の白」「マンダラ」「緑の地の老人のための風景 II」そして「イン・メディア・レス」のようにタイトルにちょっと無理がある作品はデキもいまいちなような気がする。
円形の闘牛場に合わせて、絵の具の表面をグルグルと削り取ったような手法。
それもちょっと当たり前すぎる
「銛(モリ)の刺さった雄牛」 2016年
そしてこちらはイン・メディア・レスではなく、闘牛の最後の場面が描かれている。この作品は強烈な存在感を放っており、ガツンと迫ってくるものがあった。もちろん、どこに?という説明は不可能。また乱雑なタッチで描かれているのに、なぜか美しさも感じたのが不思議。もしパソコンで見ているなら、是非クリックで拡大して見て欲しい。
ただタイトルを読むまでは、
牛の胴体から草がボーボーと生えていると勘違いしていたのは内緒(^^ゞ
ーーー続く
赤い棒はスーパーリアリズムで描かれているのではなく、実際に画面に突き刺さっている。前回に載せた展示風景の写真なら、横から撮っているのでわかりやすいと思う。この絵は幅が3.2メートルあるので、この赤い棒もかなりの大きさ。棒というより細めの丸太といったところ。
サイズが大きいこともあって、ものすごくインパクトはあるけれど「こういうことやりがちよね」とモダンアート・アンチの私は思ってしまう(^^ゞ
「ファラニチのジョルジョーネ」 1984年
ファラニチはマヨルカ島にある地名でミケル・バルセロはそこで生まれた。ジョルジョーネさんが誰だか分からないが、なぜか下半身はギリシャ神話のケンタウロスのように馬になっている。絵を描いている姿だから、ひょっとしたら自画像的な作品かも知れない。
キャンバスの上にはなぜかメロン。
それはいいとしてどうして伊勢エビが跳ねている?しかもこれだけ線画で。
もちろん画家が思いつきで描いていることだから、読みときは不可能だし理解する必要もない。そういうところがモダンアート嫌いの一因でもある。しかしそういうことを超えてミケル・バルセロの絵にはどこか惹かれるものがある。上手く表現できないが、私の中の何かと波長が合うというか、得(え)も言われぬ趣きというか。
「細長い図書室」 1984年
「ルーヴル」 1985年
ルーヴルとはもちろんルーヴル美術館のこと。ご存じクラシック絵画の殿堂である。その展示室とそこにある作品を黒く塗りつぶしたように描くのは挑戦?それとも皮肉? 正解はミケル・バルセロに尋ねないと分からないが、どこかユーモアが溢れているようにも思える。
ついでに書くと、この作品が発表された1985年はミケル・バルセロがまだ駆け出しの頃。そして名声を得た後の2004年には、彼はちゃっかりルーヴルで展覧会を開いている。
「亜鉛の白、弾丸の白」 1992年
キリストの磔(はりつけ)をミケル・バルセロが描くとこうなるみたい。でも磔ではなく逆さ吊りだし、ぶら下がっているのは動物だし(ヤギかな?かなり細いけど)。股間に白く描かれているのはタコらしい。タイトルも意味不明。深く考えちゃいけない作品。
ところでモダンアートの中でも、キャンパス全体を同じように塗ったものは私がもっとも苦手にするというか、この程度のものなら高校の美術部の連中でも描いていたわと思ってしまう作品。ミケル・バルセロの絵がそういうジャンルのものばかりじゃなくてよかった。
「小波のうねり」 2002年
彼の作品は厚塗りのものが多い。厚塗りというより、それを通り越して3次元的に絵の具を盛り付けているという表現のほうが正しい。
今までそのような手法のものを見ても「それがどうした?何がしたい?」的にしか思わなかったが、彼の作品には少し違った雰囲気がある。以前にウィレム・デ・クーニングについて書いたとき「芸術とは悟性によって秩序づけられた感性の戯れ」というカントの言葉を引用した。その類いの秩序のようなものがこの抽象表現からは感じられるのだ。
ブログを書いていて自分でもミケル・バルセロにかなり引き込まれているのを自覚する。
でも次の2つはありきたりだった。
「マンダラ」 2008年
「緑の地の老人のための風景 II」 1989年
「雉(きじ)のいるテーブル」 1991年
この絵は展覧会のポスターやチケットにも採用されているから、ミケル・バルセロの代表作なのだと思う。しかしどこがそんなに評価されているのか分からないというのが正直なところ。
テーブルの上には動物や魚など食材が載っている。頭蓋骨の右側と、その斜め右下にあるのが鳥っぽいからおそらく雉なんだろう。タイトルは「雉のいる」じゃなくて「雉もいる」にして欲しかったかな。
またここでも伊勢エビ登場! 日本じゃないからロブスターと呼ぶべきか。他の食材がほとんど黒く死骸のように描かれているのに対して、伊勢エビだけは鮮やかな赤。ということはもう茹でてある? きっとミケル・バルセロの好物なのに違いない(^^ゞ
つぎの3つは闘牛をモチーフにしたもの。
スペイン人だから馴染みがあるのだろうと考えるのは短絡的であるが。
「とどめの一突き」 1990年
最初は何が描かれているのか分からなかった。タイトルを読んで板をヤリで突き刺したのかなと考えたり。実は丸く描かれているのは上から俯瞰した闘牛場で、地面に闘牛士と牛がいる。それが分かるとタイトルにも納得がいくのだが、描き進めるにつれて闘牛場をどんどん抽象化していったような気がする。
まあこのデコボコ盛りに気を取られて、闘牛士と牛にすぐ気づかなかったせいもある。
「イン・メディア・レス」 2019年
この作品なら闘牛であることを見間違えることはない。イン・メディア・レス(In media res)とはラテン語で、物語を最初から語るのではなく途中から語りだす文学・芸術技法のことらしい。つまり「これは闘牛の途中の様子を描いています」ということなのだろうか?
ミケル・バルセロの作品は「亜鉛の白、弾丸の白」「マンダラ」「緑の地の老人のための風景 II」そして「イン・メディア・レス」のようにタイトルにちょっと無理がある作品はデキもいまいちなような気がする。
円形の闘牛場に合わせて、絵の具の表面をグルグルと削り取ったような手法。
それもちょっと当たり前すぎる
「銛(モリ)の刺さった雄牛」 2016年
そしてこちらはイン・メディア・レスではなく、闘牛の最後の場面が描かれている。この作品は強烈な存在感を放っており、ガツンと迫ってくるものがあった。もちろん、どこに?という説明は不可能。また乱雑なタッチで描かれているのに、なぜか美しさも感じたのが不思議。もしパソコンで見ているなら、是非クリックで拡大して見て欲しい。
ただタイトルを読むまでは、
牛の胴体から草がボーボーと生えていると勘違いしていたのは内緒(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 22:39|Permalink│Comments(0)│
2022年01月28日
ミケル・バルセロ展
昨年末に篁牛人(たかむら ぎゅうじん)の展覧会を見て「あまり有名じゃないけれど凄い画家がいるものだなあ〜これからもそういう人の作品をたくさん観られますように」と思っていたら、年明け早々にSNSで気になる展覧会情報が流れてきた。
ミケル・バルセロ Miquel Barcelo
これまた牛人同様に今まで一度も耳にしたことのない名前。
展覧会公式ページの文章を一部引用すると
1957年、スペイン・マジョルカ島生まれ。
1976年、前衛芸術家のグループに参加。
1982年の「ドクメンタ7」(ドイツ・カッセル)で国際的にデビュー。
以降はマジョルカ島、パリ、アフリカなど各地にアトリエを構えて精力的に制作。
その制作は絵画を中心に、彫刻、陶芸、パフォーマンスなど領域を越えて広がり、
近年ではマジョルカ島のパルマ大聖堂の内部装飾、スイス・ジュネーブの国連欧州
本部・人権理事会大会議場の天井画など、壮大な建築的プロジェクトにも
結実しています。
などと紹介されている。また「長らく日本でほとんど未紹介であった」「本展は日本国内で初めて彼の仕事の全貌を紹介するものである」とも書かれていた。ヨーロッパじゃよく知られていても、なぜか日本では紹介もされず注目を得なかったということか。どうして?
ウィキペディアでミケル・バルセロを調べてビックリ。
本日現在、情報はたったこれだけしか記載されてない。
名前、生年月日、出身地、画家であることくらいしかわからない。
最後に「現代のピカソと呼ばれている」と補足されているが、この情報量でそんなことを言われてもウソくさいゾ(^^ゞ
日本ではまだ知られていないのだから仕方ないかと思い、英語版のウィキペディアを見ても、経歴が多少は文章で説明されている程度だった。A4サイズでプリント設定するとわずかに3ページしかない。ならばとスペイン語版のウィキペディアまで調べたが、こちらも4ページでほとんど変わらず。ちなみに日本語版のウィキペディアでルノワールだと34ページ、ゴッホに至っては65ページもの解説が載っている。
というわけでミケル・バルセロの海外での評価もよくわからず。でも心配はご無用、この展覧会は文句なく素晴らしかった。モダンアートは嫌いで、どちらかというと馬鹿にしている私が言うのだから間違いなし! 単によかったというのではなく、ちょっと魂を揺さぶられるような快感を味わえた。そんな展覧会は久しぶりかな。
この写真は2年ほど前に撮られたもの。
ミケル・バルセロは歌手のスティングを丸くしたような顔をしている。
ついでにマジョルカ島はここね。面積は沖縄本島の約3倍とのこと。
なお最近はマヨルカ島と呼ぶことのほうが多い。
展覧会が開催されているのは東京オペラシティのアートギャラリー。オペラシティとは新宿から京王線で1駅目の初台という場所にあり、大きくは超高層のビジネスビルと新国立劇場から成り立っている複合施設。
その新国立劇場にオペラ&バレエ専用のホールがあるので全体の名称がオペラシティ。アートギャラリーはビジネスビル低層の張り出した部分にある。
東京オペラシティは初台の駅と直結している。
地下から上がってきて最初に目にする光景。
巨人の彫刻は空を見上げてるのかと思ったら、
タイトルはSinging manで唄う男だった。
でも見上げているマンにしか見えない(^^ゞ
この写真の3層目にアートギャラリーが入っている。
上からの眺め。
この広場はサンクンガーデン(Sunken Garden)と呼ばれている。Sunkenは沈むという動詞sinkの形容詞形。だから地下に掘り下げた庭園というような意味の建築用語。このサンクンガーデンの床面は地下1階に当たる。
3階にあるアートギャラリへ。
ここへ来るのは始めてで、オペラシティにこんな施設があるのも実は知らなかった。
この展覧会には他と違う点がいくつかあって、
1)
写真撮影可。
いくつか展示風景を撮ってきた。おそらくはSNSでの拡散&集客を狙ってのものだろうが、他の展覧会でも見習ってほしいもの。ただし3〜4点ほど撮影が不可の作品があり、その区別がナゾ
2)
鑑賞順路が定められていない。
どこが最初の展示室か分からず係員に尋ねたら、出品リストの番号に沿って展示しているわけでもないので、お好きな場所からどうぞと言われた。企画展で(常設展でないという意味)そんな経験は初めてかも。
3)
順路がないことは徹底していて、今回は水戸部七絵という画家の展覧会も同時開催なのだが、ミケル・バルセロ展との区別はなく、通路を曲がったらいきなり水戸部七絵展のコーナーになっていてビックリした。
ミケル・バルセロの作品は大きなものが多い。
この左側の絵は縦3メートル、幅2メートル。
一般家屋じゃ吹き抜けの部屋がないと飾れないね。
ーーー続く
wassho at 23:44|Permalink│Comments(0)│