モネ
2024年01月27日
キュビスム展 美の革命 その2
印象派がその名前で呼ばれるようになったのは、ある評論家がモネの「印象・日の出」という作品を、そのタイトルをもじって「印象しか描いていない」と酷評したのがきっかけ。印象しか描いていないとは、構図がおおざっぱだとか、絵が描き込まれていないとか、内面的な深いテーマがないとか、そういう意味だと思う。
それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにいきなりロックを持ち込んだのが印象派。いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶されるもの。もっとも世間は印象派の絵と印象派とのレッテルも好意的に受け止めて、そのネーミングが広まっていったのだから面白い。
これがそのモネの「印象・日の出」(この展覧会とは無関係)
制作は1872年で展覧会で酷評されたのが1874年(明治7年)。
さてキュビスム Cubisme とはフランス語で、英語にすれば Cubism。これは CUBE(キューブ:立方体)と ISM(イズム:主義)が組み合わさった言葉。ほとんど使われないものの和訳として立体主義や立体派が当てられる。ただし正確に訳すなら立体ではなく立方体。ずっと昔は「キュビズム」と英語読みが一般的だったような気がするが、いつのまにかキュビスムとフランス語読みするようになった。パリで始まった絵画様式だからオリジナルが尊重されたのか。
そして実はキュビスムのネーミングも印象派と似たような成り立ちを持っている。
きっかけとなったのはこの作品。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年
遠くから見ればセザンヌの絵が掛かっているのかと思うほど。それもそのはずブラックはセザンヌLOVEな人で、セザンヌが1870〜80年代に掛けてしばらく住んでいたレスタックに、1906年〜1910年頃に合計で何ヶ月か滞在している。レスタックは南仏マルセイユ近郊で、またセザンヌの生まれ故郷の近く。いわゆるアニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
参考までにセザンヌの描いた「レスタックの赤屋根の家」も載せておく(この展覧会とは無関係)。同じ地域の風景なので色合いが似ているとしても、これだけ色数の少ない景色なんてあり得ないから、やはりブラックはセザンヌに相当寄せている。全体的に平板なところや、筆を一定方向に動かす描き方にも影響がありあり。
前回のブログでセザンヌが用いたの多角度の視点について書いた。加えて彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」との言葉も残している。もっともセザンヌ作品を見て円筒、球、円錐が目立っているわけではないし、残念ながら勉強不足でその意味をよく理解していない。しかし文字を追えば丸いものばかりで三角形や四角形は含まれていないのは明確。
しか〜し、
ブラックの「レスタックの高架橋」は見事なまでに三角形と四角形が山盛り。遠近法も完全無視。お前、セザンヌ先生の話を聞いていたのかと突っ込みたくなるレベル(^^ゞ まあ建物は四角いから仕方ないのだけれど。
そして案の定、この絵が発表されたときに「ブラックは形態を軽んじており、景色も人物も家も、全てが幾何学的形状やキューブ(立方体)に還元している」と批判を受ける。そしてこれがキュビスムのネーミングへとつながっていく。モネが「印象しか描いていない」と評されてから34年後の1908年(明治41年)に歴史は繰り返したわけだ。
ただしキュビスムの特徴を因数分解すれば
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
となる。そしてキュビスム=立方体主義が言い表しているのは後者だけ。どちらかといえば私は多角度の視点のほうがより革新的で重要な要素だと思うので、このキュビスムとしたネーミングには少し不満を持っている。
ところでキュビスムは印象派が終わる頃から始まるわけだけれど、年表で見ると1850年から1950年くらいまでの約100年間は、他にも象徴主義、写実主義、フォーヴィスム、ナビ派など次々と新し絵画のムーブメントが生まれている。この頃に生まれていたら楽しかっただろなと思ったり。図はhttps://tabiparislax.com/western-art/から引用加筆
なかなか展覧会作品に話が進まないが(^^ゞ
ーーー続く
それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにいきなりロックを持ち込んだのが印象派。いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶されるもの。もっとも世間は印象派の絵と印象派とのレッテルも好意的に受け止めて、そのネーミングが広まっていったのだから面白い。
これがそのモネの「印象・日の出」(この展覧会とは無関係)
制作は1872年で展覧会で酷評されたのが1874年(明治7年)。
さてキュビスム Cubisme とはフランス語で、英語にすれば Cubism。これは CUBE(キューブ:立方体)と ISM(イズム:主義)が組み合わさった言葉。ほとんど使われないものの和訳として立体主義や立体派が当てられる。ただし正確に訳すなら立体ではなく立方体。ずっと昔は「キュビズム」と英語読みが一般的だったような気がするが、いつのまにかキュビスムとフランス語読みするようになった。パリで始まった絵画様式だからオリジナルが尊重されたのか。
そして実はキュビスムのネーミングも印象派と似たような成り立ちを持っている。
きっかけとなったのはこの作品。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年
遠くから見ればセザンヌの絵が掛かっているのかと思うほど。それもそのはずブラックはセザンヌLOVEな人で、セザンヌが1870〜80年代に掛けてしばらく住んでいたレスタックに、1906年〜1910年頃に合計で何ヶ月か滞在している。レスタックは南仏マルセイユ近郊で、またセザンヌの生まれ故郷の近く。いわゆるアニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
参考までにセザンヌの描いた「レスタックの赤屋根の家」も載せておく(この展覧会とは無関係)。同じ地域の風景なので色合いが似ているとしても、これだけ色数の少ない景色なんてあり得ないから、やはりブラックはセザンヌに相当寄せている。全体的に平板なところや、筆を一定方向に動かす描き方にも影響がありあり。
前回のブログでセザンヌが用いたの多角度の視点について書いた。加えて彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」との言葉も残している。もっともセザンヌ作品を見て円筒、球、円錐が目立っているわけではないし、残念ながら勉強不足でその意味をよく理解していない。しかし文字を追えば丸いものばかりで三角形や四角形は含まれていないのは明確。
しか〜し、
ブラックの「レスタックの高架橋」は見事なまでに三角形と四角形が山盛り。遠近法も完全無視。お前、セザンヌ先生の話を聞いていたのかと突っ込みたくなるレベル(^^ゞ まあ建物は四角いから仕方ないのだけれど。
そして案の定、この絵が発表されたときに「ブラックは形態を軽んじており、景色も人物も家も、全てが幾何学的形状やキューブ(立方体)に還元している」と批判を受ける。そしてこれがキュビスムのネーミングへとつながっていく。モネが「印象しか描いていない」と評されてから34年後の1908年(明治41年)に歴史は繰り返したわけだ。
ただしキュビスムの特徴を因数分解すれば
多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える
となる。そしてキュビスム=立方体主義が言い表しているのは後者だけ。どちらかといえば私は多角度の視点のほうがより革新的で重要な要素だと思うので、このキュビスムとしたネーミングには少し不満を持っている。
ところでキュビスムは印象派が終わる頃から始まるわけだけれど、年表で見ると1850年から1950年くらいまでの約100年間は、他にも象徴主義、写実主義、フォーヴィスム、ナビ派など次々と新し絵画のムーブメントが生まれている。この頃に生まれていたら楽しかっただろなと思ったり。図はhttps://tabiparislax.com/western-art/から引用加筆
なかなか展覧会作品に話が進まないが(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 09:56|Permalink│Comments(0)│
2015年11月13日
モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで その2
前回のエントリーでモネの2回の引っ越しのことを書いた。その後、彼は43歳の時にパリから西に80キロほど離れたジヴェルニーに移り住む。ここには86歳で亡くなるまで住んだのでモネに関連する地名ではジヴェルニーが一番有名。その自宅に庭や池を造り、絵を描いている時以外は庭仕事に精を出していたらしい。だから有名な睡蓮(すいれん)のシリーズも自宅で描いたもの。モネが亡くなって90年ほど経つが、モネ邸は今も残っており観光名所となっている。敷地面積は2ヘクタール(6050坪)とのことでかなりの広さである。
小舟 1887年
ポーラ美術館で見た「バラ色のボート」に似た描き方。懐かしいなあと思って眺めているとT君に「赤いのは何ですか?」と尋ねられる。そういわれても困るが、もっともな疑問である。少し茶色っぽい水草を赤く描いたのかなあ。ちなみにT君は色彩に敏感で作品ごとに「これは色がキレイ」「これはそうでもない」というようなことを口にしていた。
睡蓮 1903年
睡蓮 1916年〜1919年
モネは睡蓮を200点以上描いている。本物と複製も含めていろんな睡蓮を見てきたけれど、何度見ても毎回いいなあと思う。特に1903年の睡蓮は水面に映り込んだ木々との対比が美しい。
睡蓮、柳の反映 1916年〜1919年
あまり柳が反映しているようには見えない。
今まで見た睡蓮とは違って、かなりラフというか幼稚なタッチの睡蓮。
キスゲの花 1914年〜17年
これ描くのに3年掛かる? それはともかく私が抱いていたモネとは少しイメージが違う作風。でもそれは、これから続く衝撃の体験の始まりに過ぎなかった(ちょっと大げさ)。
睡蓮 1917年〜1919年
ナンジャコレ!というのが一目見た時の感想。もし周りに人がいなければ大きな声で叫びたかった。モネがこんな画風の絵を描いていたとはまったく想定外。光や空気感や微妙な色彩の変化という捉えどころのないものを追い求めてきたモネ。それは簡単なことではない。その溜まりに溜まったフラストレーションが一気に爆発したのかな。私にはこの絵は評価不能。横幅3メーターとかなり大きな作品。
東京都立美術館のメイン展示室は3階建てになっている。モネの睡蓮は2階の展示室にあった。最後の睡蓮にはビックリしたけれど、3階に行くとさらに腰を抜かすことになる。
ジヴェルニーの庭 1922年〜1926年
もはや別人である。
すべてこの画風の作品が展示されている。
このフロアに私の知っているモネはいなかった(^^ゞ
しだれ柳 1918年〜1919年
しだれ柳 1918年〜1919年
モネは連作の多いが画家だが、この2つは間違い探しレベルに似通っている。それはともかくタッチは荒いとはいえ、しだれ柳に見えるかどうかは別として、それでも木を描いていることはわかる。
しだれ柳 1921年〜1922年
しかし、ここまで来るとーーー。この絵のタイトルは何だと思いますかというクイズをやったら、いろいろな答えが出て面白そうである。
日本の橋 1918年〜1924年
日本の橋 1918年〜1919年
印象派の画家達は浮世絵を気に入って日本びいきの人が多かった。モネもその最右翼で自宅の池に浮世絵で知ったと思われる太鼓橋を架け、それを日本の橋と呼んでいたようである。でもこのフロアの絵は、タイトルがなければ橋が描かれていると想像するのは難しい。ちなみにモネがモネらしい絵で描いた太鼓橋はこんな作品。
日本の橋 1918年〜1924年
これなどはタイトルが間違っているのではという疑問すら湧く(^^ゞ
睡蓮の池 1918年〜1919年
地獄にある血の池かと思った!
バラの小道 1920年〜1922年
わかりやすい遠近法で、このフロアで唯一立体感を感じた絵。そろそろこの画風にも慣れてきて、この絵にはムンクのあの顔を置いたら似合いそうとか想像したりして。
3階のフロアにあったのは1918年〜1924年と最晩年の作品。(亡くなったのは1926年・昭和元年)モネは1912年に白内障と診断され、この頃はかなり視力が衰えていた。派手な色使いやラフなタッチになってくるのは、その影響だと一般にいわれている。
モネは1923年に白内障の手術を受け少し視力が回復する。おもしろいのは、よく見えるようになった眼でモネは改めてこの時期に描いた自分の作品をチェックして、そのいくつかを捨てたらしい。ひょっとしたら「ヤッテモウタ」と後悔したのかも(^^ゞ
これらの最晩年の作品群は売られることなく遺族に相続される。その遺族が亡くなった1966年に、今回の展覧会の出品元であるマルモッタン・モネ美術館にすべて寄贈される。だから今回のような展覧会があるかマルモッタンに行くかしないとモネの最晩年には出会えない。これからもモネの展覧会は数多く開催されるだろうが、これらの作品をまとめてみる機会はそうないと思う。最初のエントリーで書いたように、だからとってもビックリしたけれど貴重な体験だったというわけである。
東京では12月までやっているし、その後は福岡、京都、新潟にも巡回する。展示数は90作品ほどでやや少なく、モネの優美な世界にどっぷり浸りたいと思って出かけると肩すかしを食らう。しかしモネ最晩年の絵に対する執念を感じてみたいヘンタイな絵画ファンなら見に行く価値はあると思うよ。
おしまい
小舟 1887年
ポーラ美術館で見た「バラ色のボート」に似た描き方。懐かしいなあと思って眺めているとT君に「赤いのは何ですか?」と尋ねられる。そういわれても困るが、もっともな疑問である。少し茶色っぽい水草を赤く描いたのかなあ。ちなみにT君は色彩に敏感で作品ごとに「これは色がキレイ」「これはそうでもない」というようなことを口にしていた。
睡蓮 1903年
睡蓮 1916年〜1919年
モネは睡蓮を200点以上描いている。本物と複製も含めていろんな睡蓮を見てきたけれど、何度見ても毎回いいなあと思う。特に1903年の睡蓮は水面に映り込んだ木々との対比が美しい。
睡蓮、柳の反映 1916年〜1919年
あまり柳が反映しているようには見えない。
今まで見た睡蓮とは違って、かなりラフというか幼稚なタッチの睡蓮。
キスゲの花 1914年〜17年
これ描くのに3年掛かる? それはともかく私が抱いていたモネとは少しイメージが違う作風。でもそれは、これから続く衝撃の体験の始まりに過ぎなかった(ちょっと大げさ)。
睡蓮 1917年〜1919年
ナンジャコレ!というのが一目見た時の感想。もし周りに人がいなければ大きな声で叫びたかった。モネがこんな画風の絵を描いていたとはまったく想定外。光や空気感や微妙な色彩の変化という捉えどころのないものを追い求めてきたモネ。それは簡単なことではない。その溜まりに溜まったフラストレーションが一気に爆発したのかな。私にはこの絵は評価不能。横幅3メーターとかなり大きな作品。
東京都立美術館のメイン展示室は3階建てになっている。モネの睡蓮は2階の展示室にあった。最後の睡蓮にはビックリしたけれど、3階に行くとさらに腰を抜かすことになる。
ジヴェルニーの庭 1922年〜1926年
もはや別人である。
すべてこの画風の作品が展示されている。
このフロアに私の知っているモネはいなかった(^^ゞ
しだれ柳 1918年〜1919年
しだれ柳 1918年〜1919年
モネは連作の多いが画家だが、この2つは間違い探しレベルに似通っている。それはともかくタッチは荒いとはいえ、しだれ柳に見えるかどうかは別として、それでも木を描いていることはわかる。
しだれ柳 1921年〜1922年
しかし、ここまで来るとーーー。この絵のタイトルは何だと思いますかというクイズをやったら、いろいろな答えが出て面白そうである。
日本の橋 1918年〜1924年
日本の橋 1918年〜1919年
印象派の画家達は浮世絵を気に入って日本びいきの人が多かった。モネもその最右翼で自宅の池に浮世絵で知ったと思われる太鼓橋を架け、それを日本の橋と呼んでいたようである。でもこのフロアの絵は、タイトルがなければ橋が描かれていると想像するのは難しい。ちなみにモネがモネらしい絵で描いた太鼓橋はこんな作品。
日本の橋 1918年〜1924年
これなどはタイトルが間違っているのではという疑問すら湧く(^^ゞ
睡蓮の池 1918年〜1919年
地獄にある血の池かと思った!
バラの小道 1920年〜1922年
わかりやすい遠近法で、このフロアで唯一立体感を感じた絵。そろそろこの画風にも慣れてきて、この絵にはムンクのあの顔を置いたら似合いそうとか想像したりして。
3階のフロアにあったのは1918年〜1924年と最晩年の作品。(亡くなったのは1926年・昭和元年)モネは1912年に白内障と診断され、この頃はかなり視力が衰えていた。派手な色使いやラフなタッチになってくるのは、その影響だと一般にいわれている。
モネは1923年に白内障の手術を受け少し視力が回復する。おもしろいのは、よく見えるようになった眼でモネは改めてこの時期に描いた自分の作品をチェックして、そのいくつかを捨てたらしい。ひょっとしたら「ヤッテモウタ」と後悔したのかも(^^ゞ
これらの最晩年の作品群は売られることなく遺族に相続される。その遺族が亡くなった1966年に、今回の展覧会の出品元であるマルモッタン・モネ美術館にすべて寄贈される。だから今回のような展覧会があるかマルモッタンに行くかしないとモネの最晩年には出会えない。これからもモネの展覧会は数多く開催されるだろうが、これらの作品をまとめてみる機会はそうないと思う。最初のエントリーで書いたように、だからとってもビックリしたけれど貴重な体験だったというわけである。
東京では12月までやっているし、その後は福岡、京都、新潟にも巡回する。展示数は90作品ほどでやや少なく、モネの優美な世界にどっぷり浸りたいと思って出かけると肩すかしを食らう。しかしモネ最晩年の絵に対する執念を感じてみたいヘンタイな絵画ファンなら見に行く価値はあると思うよ。
おしまい
wassho at 23:16|Permalink│Comments(0)│
2015年11月12日
モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで

上野の東京都美術館で開催されているモネ展。去年も一昨年もモネの絵はたくさん見ているので実はスルーしていたが、中国人友人のT君がタダ券を手に入れたと誘ってくれたのでラッキーと出かける。彼は普段あまり絵は見に行かないとのことだが、先日パリ旅行でオランジュリー美術館を訪れたらしい。オランジュリーはモネの大きな睡蓮の作品があることで有名。しかし団体旅行でスケジュールに余裕がなかったのか、あまりゆっくり鑑賞できなかったので東京での展覧会に期待しているとのこと。
彼がモネにどんなイメージを抱いていたのかはわからないが、結論から言うとこの展覧会はモネのいかにもモネらしい「ベタ」な作品はあまり多くない。もちろん睡蓮も展示されているが、全体構成の中でそれほどメインじゃない感じ。
この展示会はパリにあるマルモッタン・モネ美術館所蔵の作品だけで構成されている。モネのコレクション数では世界最大級とのこと.しかし、あちこちで選んで作品を借りてくる通常の展覧会と較べれば、単館のコレクションだけではやはり「網羅的」とはならないのかも知れない。しかしおかげであまり見たことのないタイプのモネの絵を見られたし、おそらくマルモッタンに行かないと見ることのできないボリュームで一風変わったモネの晩年のシリーズを見るという体験も貴重だった。
訪れたのは11月1日の日曜日。凄く混雑していて入場制限が実施されているとの噂を聞いていたけれど、この日はそういうことはなかった。でも入場はスムーズでも展示室内はかなりの人数。
本来、この展示会の目玉はサブタイトルにもなっている「印象、日の出」である。最初に貼ったポスターは、その絵が下敷きになっている。「印象、日の出」は印象派の名前の由来となった作品。もっともこの作品が発表された当時は「内面のない、まさに印象だけの絵だね」という否定的な意味だったのだが。
残念ながら東京での「印象、日の出」展示は10月18日まで。サブタイトルに使うほどのメイン作品が期間の途中でなくなってしまうなんて納得がいかないが、なぜかそういう運営がされている。正直にいうと「印象、日の出」がそれほど素晴らしい作品だとはあまり思っていない。しかし印象派の名前の由来となったという「縁起物」として、一度は見ておきたかったのだ。
ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅 1877年
「印象、日の出」と入れ替わって展示されていたのがこの作品。昨年のオルセー美術館展で、これとは別のサン=ラザール駅を描いた作品を見たが印象はかなり異なる。こちらのほうが構図のバランスがよくてダイナミックな感じ。でもモネの微妙な色彩やホワーッとした感じが好きなので、貰えるならオルセーのほうがいいな。
ジャン・モネの肖像 1880年
ポンポン付き帽子を被ったミシェル・モネの肖像 1880年
クロード・モネの長男ジャンと次男ミシェルの肖像画。モネは基本的に風景画家なので肖像画は珍しいらしい。そういえば今まで見た記憶はない。でも絵としては普通で、あまり印象には残らなかった。
ルノワール
新聞を読むクロード・モネ 1873年
これはルノワールがモネを描いた作品。いわれてみればルノワールらしい肉付きの絵だが、それほどルノワール・オーラはでていないので、作品紹介のプレートがなければモネの絵だと思ったかも。ところで解説によるとこれは自宅でパイプを吹かしながらリラックスして新聞を読んでいるモネらしい。自宅で帽子被ってコート着る?
ドラクロワ
エトルタの断崖、馬の脚 1837年
モネ以外の作品はルノワールの他にもいくつかあった。モネ自身が集めていた他の画家の作品らしい。あっさりした絵が多くて、あまり興味を持てなかったが、逆にあっさりさで目を引いたのがこのドラクロワの作品。ドラクロワはこってり濃密なイメージを持っているから意外だった。タイトルの馬の脚とは、崖の右側がそういう風に見える景色だから。
トルーヴィルの海辺にて 1870年
ポーラ美術館のモネ展でウジューヌ・ブーダン(画家の名前)の「トルーヴィルの浜」を見て以来、なぜか私はトルーヴィルを描いた作品はすぐに見分けられるようになった。このモネの絵を見るのは初めてだが、遠くから眺めてトルーヴィルに違いないと確信を持って絵に近づき、作品名を見てヤッパリと美術館で小さくガッツポーズ。前世はトルーヴィルに住んでいたのかもしれない(^^ゞ
雪の効果、日没 1875年
ポーラ美術館で見た「雪のアルジャントゥイユ」とタッチは違うが景色に共通するところがあるから、これもアルジャントゥイユ(地名)かなと思う。制作年も同じ1875年。
モネには雪の絵が多いらしい。オルセー美術館展で見た「かささぎ」は雪景色の、つまりは白い世界なのに光が描き分けられていてグッときた。それとくらべればアルジャントゥイユでの雪作品はまあ普通。
霧のヴェトゥイユ 1879年
ヴェトゥイユも地名。アルジャントゥイユがパリの北西約10キロで、ヴェトゥイユが約60キロ。パリ生まれのモネは31歳でアルジャントゥイユ、38歳でヴェトゥイユへ移り住んでいる。距離10キロのアルジャントゥイユはパリの隣だが、60キロ離れたヴェトゥイユは東京駅から直線で大磯くらいの距離。
パソコンで見るとはっきりしない絵に見えるが実物も同じである(^^ゞ でも実物は柔らかな色彩がふわーっと舞っているような印象があって何ともいえない味わいがある。
ヨット、夕暮れの効果
はっきり言ってたいしたことない絵だと思った。ひょっとしたら空をこんな色彩で描き分けるのは当時は誰もやっていなかったのかも知れなが、今の時点で評価すれば、ちょっと絵心があれば誰でも描けるというか描きがちな絵。私が「これは絵になる」と思って撮る写真みたいなもの。撮っている時はいい気分でも後でパソコンで見ると素人丸出しの写真が写っている。展示会で凄い作品ばかりだと息苦しくなる時があるが、巨匠でもこんな普通の絵を描くんだあと思うと少しホッとする。
オランダのチューリップ畑 1886年
花のところは絵の具を水平に荒く塗ってあるだけなのに、風車との組み合わせでそれがチューリップ以外に決して見えないのは、わたしがチューリップ好きでそれなりに知識もあるからである。普通の人はこれをパッと見て何の花をイメージするのかな。
オランダは風車が名物なくらいだから風が強いのだろうか。何となくチューリップが風に押し流されている感じがする。不思議なのは雲なのか単に空の描写かわからないが、それが縦の線で描かれている。だから風が吹き上がっているようなイメージ。
ーーー続く
wassho at 09:04|Permalink│Comments(0)│
2014年10月29日
オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由 その2
展示会の構成は
1:マネ、新しい絵画
2:レアリスムの諸相
3:歴史画
4:裸体
5:印象派の風景
6:静物
7:肖像
8:近代生活
9:円熟期のマネ
と細かく分かれている。マネで前後を挟んで印象派、アカデミスム、レアリスムと当時の流派の作品をまんべんなく見せる企画。印象派の作品が登場するのは第5コーナーから。
「かささぎ」 モネ
雪景色を描いた絵だから画面はほとんど白で埋められている。こういうのはパソコンの画面で見るのと、実際に目にする違いは大きい。この絵は光りに満ちあふれていた。大雪が降った後やスキー場などでピーカン晴れの時、冬でもまるで夏のように明るい日差しの時があるが、それと同じような雰囲気を感じる。
これは1868〜69年に描かれたモネがメジャーデビューした頃の作品。印象派が始まったとされる第1回印象派展が1874年。後に光りの画家と呼ばれるモネは、そのキャリアの早い時期から光りの描き分けにセンスがあったことがわかる。ちなみに明治維新が1868年ね。
タイトルの「かささぎ」とは鳥の名前。左側の橋に黒い鳥が留まっている。
「トルーヴィルの海岸」 ウジューヌ・ブーダン
どこか見覚えのある絵だと思ったら、ポーラ美術館のモネ展で見たのと同じ画家の同じテーマの絵だった。タッチはこちらの方がラフで印象派的。
改めて調べてみると、ウジューヌ・ブーダンは海の絵を多く描いている。海の風景を描いたものを海景画というらしい。彼は海景画のスペシャリストといってもいいと思うが、海よりも空が画面の多くを占めているのが特徴。その空の描き方にファンが多く「空の王者」とも呼ばれているらしい。海と空の二冠達成?
「アルジャントゥイユのレガッタ」 モネ
水面に映り混んでいる帆や家が途切れ途切れに描かれているのが、この絵のハイライト。現実の姿を観察的に写し取るのではなく、自分が感じた印象をキャンバスに再構成するのが印象派の印象派たるゆえん。感じたままに描くということだからデフォルメや強調あるいは省略が不可欠のテクニックとなる。この絵はたぶん、水面に映っている帆や家が水面で「揺れている」ということを表現したかったんじゃないかな。そのための途切れ途切れな描写だと思う。
レガッタというのはオールで漕ぐボートのことだと思っていたから、ついでに調べてみた。通常は漕ぐボートを指すが帆船やヨットも含まれるとのこと。また原動機なしの船が原則だが、そうでない場合もレガッタと呼ばれる場合もあるらしい。ナンデモエエンカイ! しかしレガッタはそれらの船を使った競技のことである。この絵を見て競技のスピード感を感じることは難しい。どう見たってのどかな風景だしヨットは停泊中に見える。モネに「はい、描き直し」といってみたいなあ。
「家族の集い」 フレデリック・バジール
「テーブルの片隅」 アンリ・ファンタン=ラトゥール
どちらも大勢の人物が描かれた集合写真のような肖像画。両方の絵で合計19名が描かれているが、そろいも揃って全員無表情である。この頃はそういう流儀だったのかな。少しぐらい微笑んでもよさそうなものなのに。絵というか場面としてどこか不気味である。
1人だけが描かれている普通の肖像画なら無表情でもまったく気にならない。集合肖像画だと不気味に感じるのは、やはり人間関係には笑顔が必要ということなのかも。皆さん、笑顔を心掛けましょう。口角(口の端っこ)を上げるようにすると感じのいい微笑みになるといわれている。しかし口角を上げると鼻の穴が膨らむんだよなあ(^^ゞ
「手袋の婦人」 カロリュス=デュラン
右手の手袋が床に落ちているのをのぞけば、時に凝ったところもないごくごく普通の肖像画。もっとも印象派的なデフォルメをするなら別だが、写実的な肖像画ならあまり変わったことはできない。それでもいいなと思える肖像画と、そうでない肖像画に好みが分かれるのが絵のおもしろいところ。この絵は心軽やかでで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
印象派が誕生した19世紀中頃、フランスでは肖像画の需要がものすごく高かったらしい。サロン(国が開く大規模なコンクール)に出品される作品の1/4位が肖像画で占められていた。台頭してきたブルジョア階級がその発注主とされる。このブルジョアというのも知っているようでよく理解していない言葉。今風にいうなら富裕層とかセレブというような意味かな。フランスの場合、18世紀後半にフランス革命によって貴族から市民が主役になった。それからいろいろあったけれど、50〜60年経って市民に金持ち層が増えてきたということだろう。産業革命もほぼ同時期に進行した出来事である。
「死の床のカミーユ」 モネ
これが肖像画に分類されるのかどうかはわからない。モネの妻であり、しばしば絵のモデルとしても描かれていたカミーユの亡骸。いわゆる産後の肥立ちの悪さが原因で次男を生んだ半年後に他界。享年32才。
妻の遺体をモデルにするなんて反則技とも思うが、モネは彼女の死を看取った後、反射的に筆をとり絵を描き始めたと後に述懐している。愛する人の最後の姿を絵に残しておきたいというのは画家としての本能というか画家バカというか。しかも普段とは違う顔色の変化(死んでいるからね)を懸命に追っていたともいっているからなおさらである。
カミーユを失った哀しみがあらわれているのか、あるいはモネの筆が確かなのか、ラフなタッチで描かれているのにこの絵は結構リアルである。死んだ人の顔を見た経験があるなら、タイトルを読まなくても何が描かれているかは瞬時にわかる。心に何かが突き刺さるような感覚を覚える、ある意味、絵というものの凄さを教えてくれる作品でもある。
「草上の昼食」 モネ
おかしな形になっているのは傷んだ部分が切り落とされているから。これを描き上げた当時、モネは家賃が払えなくて絵を大家さんに差し出したか差し押さえられたかした。20年近く経って買い戻したが、保管状態がかなり悪かったらしい。切り落としたのは仕方ないとして2分割しなくてもよかったとも思うが。オリジナルのサイズは縦4メートル横6メートルと巨大な作品。
この絵は1つ前のエントリーで紹介したマネの「笛を吹く少年」とともに、この展示会の目玉作品ツートップである。ほとんどフランス国外に貸し出されたことがなく、またモネにとっても記念碑的な作品らしい。
でも私の目はおかしいのかなあ?
「笛を吹く少年」もそうだったが、いい絵と思わなかったのは趣味の問題として、この絵のどこがそんなにすごいのかさっぱりわからなかった。日差しが明るくて気持ちよさそうと思った程度。人物も風景も描き方が中途半端。写実的でもなく印象派的な省略形でもなく、漫画っぽいというか挿絵みたいというか。まっ、世間と意見が合わないのは珍しいことじゃないけど。
「サン=ラザール駅」 モネ
タイトル通り駅の風景を描いた絵。サン=ラザール駅はパリの主要駅のひとつ。ヨーロッパの昔の駅は線路より高くなったプラットフォームがないところが多い。この駅は1837年開業。モネやマネ、セザンヌ、ルノワールといった印象派の画家達と同世代。駅や列車が絵に描かれていると、それほど遠い昔の絵じゃないとわかる。
蒸気機関車の煙突から出る煙や、車輪のあたりから吹き出される蒸気が駅舎の中に漂っていて、それがモヤーッと視界を遮っていい雰囲気。まさに絵になる光景。パッと見ではモネらしい光りの描き分けは感じないが、よく見れば煙や蒸気に反射させたりしている。もう普通に光りを描くだけじゃ飽き足らなくなったのかも。後にモネはモヤばかりで何を描いているのかわからないような絵を描き出す時期がある。それらは名作とされているが例によって私には理解不能。モネはシリーズものの多い画家でこの駅をテーマに12作品を描いている。サン=ラザール駅が最初のシリーズものらしいが、12枚もモヤモヤを描いているうちにモヤに取り憑かれたのかもしれない。
「婦人と団扇」 マネ
寝そべって頬杖をすると顔がちょっと歪む。そこはそんなに写実的に描かなくてもいいのにとか、後頭部を支えるようにポーズをさせればいいのにとか思うが、目のあたりが少しムギュとなってしまったところがこの絵のアイキャッチでもある。
後ろの壁に見えるのは屏風(びょうぶ)で鶴が描かれている。その屏風には貼り付けられた団扇(うちわ)が何枚か。笠をかぶった江戸時代っぽい女性が描かれた団扇もある。どこかの女性大臣の辞任の原因となったウチワとはずいぶん違う(^^ゞ
日本風のインテリアなのは、当時のフランスではジャポニスムが流行っていたから。直訳すれば日本主義とか日本趣味というような意味。あるいは日本かぶれ。ペリーの黒船来港が1853年。その頃から徐々に日本の美術品、工芸品はては着物や日用品までがヨーロッパにも知られるようになった。フランスでは印象派の画家達が台頭してきた時代で、特に浮世絵は彼らの画風に影響を与えたといわれている。もっともアカデミスムやレアリスムの画家達は浮世絵を気に入ったとしても、西洋画とはまったく違う様式の絵だから、自分たちの絵に取り入れることはできなかっただろうけど。
ジャポニスムが美術界だけの現象だったのが、もう少し世間一般にも広まっていたのかはよく知らない。浮世絵が印象派に影響を与えたとはよくいわれるが、単に物珍しかった、東洋的なものにエキゾチズムを感じただけかも知れない。文明開化の日本人が「ハイカラ」なものを好んだのと同じ。浮世絵が印象派に影響を与えた=日本は優れていたと、ことさらに自慢する論法を私は好まない。でも印象派の巨匠達の多くの作品に日本的なものが描かれていたり、浮世絵に似たような部分を見つけるのは素直にうれしいものである。
モデルになっているのはサロンを主催していた女性。ここでいうサロンはコンクールの展示会ではなく、画家や詩人などの文化人の交流の場のこと。彼女の家に集まって議論したりバカ騒ぎしていたんだろう。彼女はくたびれた感じはするが、人がよさそうである。もっと昔、サロンは貴族や上流階級の社交界を意味した。こんなオバチャンがサロンの女主人というのも時代が近代になったということである。
最初のエントリーに書いたように今の私は印象派敬遠期。セザンヌやルノワールもたくさん展示されていたが、あまり気が乗らず。特にセザンヌがいけない。風景画や肖像画は手抜きのやっつけ仕事にしか見えなかった。ただし彼の静物画はやはりおもしろい。1周回って、またそのうちファンになるだろう。マネをまとめてみたのはたぶん初めて。まあ普通かな。展示会ではどうしてもガツンとくる絵に目がいってしまう。マネは毎日眺めている分には意外といいかもしれない。買えないけど(^^ゞ
国立新美術館内部の様子。
ガラスの壁を内側から撮ると夜みたいになってしまった。
おしまい。
1:マネ、新しい絵画
2:レアリスムの諸相
3:歴史画
4:裸体
5:印象派の風景
6:静物
7:肖像
8:近代生活
9:円熟期のマネ
と細かく分かれている。マネで前後を挟んで印象派、アカデミスム、レアリスムと当時の流派の作品をまんべんなく見せる企画。印象派の作品が登場するのは第5コーナーから。
「かささぎ」 モネ
雪景色を描いた絵だから画面はほとんど白で埋められている。こういうのはパソコンの画面で見るのと、実際に目にする違いは大きい。この絵は光りに満ちあふれていた。大雪が降った後やスキー場などでピーカン晴れの時、冬でもまるで夏のように明るい日差しの時があるが、それと同じような雰囲気を感じる。
これは1868〜69年に描かれたモネがメジャーデビューした頃の作品。印象派が始まったとされる第1回印象派展が1874年。後に光りの画家と呼ばれるモネは、そのキャリアの早い時期から光りの描き分けにセンスがあったことがわかる。ちなみに明治維新が1868年ね。
タイトルの「かささぎ」とは鳥の名前。左側の橋に黒い鳥が留まっている。
「トルーヴィルの海岸」 ウジューヌ・ブーダン
どこか見覚えのある絵だと思ったら、ポーラ美術館のモネ展で見たのと同じ画家の同じテーマの絵だった。タッチはこちらの方がラフで印象派的。
改めて調べてみると、ウジューヌ・ブーダンは海の絵を多く描いている。海の風景を描いたものを海景画というらしい。彼は海景画のスペシャリストといってもいいと思うが、海よりも空が画面の多くを占めているのが特徴。その空の描き方にファンが多く「空の王者」とも呼ばれているらしい。海と空の二冠達成?
「アルジャントゥイユのレガッタ」 モネ
水面に映り混んでいる帆や家が途切れ途切れに描かれているのが、この絵のハイライト。現実の姿を観察的に写し取るのではなく、自分が感じた印象をキャンバスに再構成するのが印象派の印象派たるゆえん。感じたままに描くということだからデフォルメや強調あるいは省略が不可欠のテクニックとなる。この絵はたぶん、水面に映っている帆や家が水面で「揺れている」ということを表現したかったんじゃないかな。そのための途切れ途切れな描写だと思う。
レガッタというのはオールで漕ぐボートのことだと思っていたから、ついでに調べてみた。通常は漕ぐボートを指すが帆船やヨットも含まれるとのこと。また原動機なしの船が原則だが、そうでない場合もレガッタと呼ばれる場合もあるらしい。ナンデモエエンカイ! しかしレガッタはそれらの船を使った競技のことである。この絵を見て競技のスピード感を感じることは難しい。どう見たってのどかな風景だしヨットは停泊中に見える。モネに「はい、描き直し」といってみたいなあ。
「家族の集い」 フレデリック・バジール
「テーブルの片隅」 アンリ・ファンタン=ラトゥール
どちらも大勢の人物が描かれた集合写真のような肖像画。両方の絵で合計19名が描かれているが、そろいも揃って全員無表情である。この頃はそういう流儀だったのかな。少しぐらい微笑んでもよさそうなものなのに。絵というか場面としてどこか不気味である。
1人だけが描かれている普通の肖像画なら無表情でもまったく気にならない。集合肖像画だと不気味に感じるのは、やはり人間関係には笑顔が必要ということなのかも。皆さん、笑顔を心掛けましょう。口角(口の端っこ)を上げるようにすると感じのいい微笑みになるといわれている。しかし口角を上げると鼻の穴が膨らむんだよなあ(^^ゞ
「手袋の婦人」 カロリュス=デュラン
右手の手袋が床に落ちているのをのぞけば、時に凝ったところもないごくごく普通の肖像画。もっとも印象派的なデフォルメをするなら別だが、写実的な肖像画ならあまり変わったことはできない。それでもいいなと思える肖像画と、そうでない肖像画に好みが分かれるのが絵のおもしろいところ。この絵は心軽やかでで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
印象派が誕生した19世紀中頃、フランスでは肖像画の需要がものすごく高かったらしい。サロン(国が開く大規模なコンクール)に出品される作品の1/4位が肖像画で占められていた。台頭してきたブルジョア階級がその発注主とされる。このブルジョアというのも知っているようでよく理解していない言葉。今風にいうなら富裕層とかセレブというような意味かな。フランスの場合、18世紀後半にフランス革命によって貴族から市民が主役になった。それからいろいろあったけれど、50〜60年経って市民に金持ち層が増えてきたということだろう。産業革命もほぼ同時期に進行した出来事である。
「死の床のカミーユ」 モネ
これが肖像画に分類されるのかどうかはわからない。モネの妻であり、しばしば絵のモデルとしても描かれていたカミーユの亡骸。いわゆる産後の肥立ちの悪さが原因で次男を生んだ半年後に他界。享年32才。
妻の遺体をモデルにするなんて反則技とも思うが、モネは彼女の死を看取った後、反射的に筆をとり絵を描き始めたと後に述懐している。愛する人の最後の姿を絵に残しておきたいというのは画家としての本能というか画家バカというか。しかも普段とは違う顔色の変化(死んでいるからね)を懸命に追っていたともいっているからなおさらである。
カミーユを失った哀しみがあらわれているのか、あるいはモネの筆が確かなのか、ラフなタッチで描かれているのにこの絵は結構リアルである。死んだ人の顔を見た経験があるなら、タイトルを読まなくても何が描かれているかは瞬時にわかる。心に何かが突き刺さるような感覚を覚える、ある意味、絵というものの凄さを教えてくれる作品でもある。
「草上の昼食」 モネ
おかしな形になっているのは傷んだ部分が切り落とされているから。これを描き上げた当時、モネは家賃が払えなくて絵を大家さんに差し出したか差し押さえられたかした。20年近く経って買い戻したが、保管状態がかなり悪かったらしい。切り落としたのは仕方ないとして2分割しなくてもよかったとも思うが。オリジナルのサイズは縦4メートル横6メートルと巨大な作品。
この絵は1つ前のエントリーで紹介したマネの「笛を吹く少年」とともに、この展示会の目玉作品ツートップである。ほとんどフランス国外に貸し出されたことがなく、またモネにとっても記念碑的な作品らしい。
でも私の目はおかしいのかなあ?
「笛を吹く少年」もそうだったが、いい絵と思わなかったのは趣味の問題として、この絵のどこがそんなにすごいのかさっぱりわからなかった。日差しが明るくて気持ちよさそうと思った程度。人物も風景も描き方が中途半端。写実的でもなく印象派的な省略形でもなく、漫画っぽいというか挿絵みたいというか。まっ、世間と意見が合わないのは珍しいことじゃないけど。
「サン=ラザール駅」 モネ
タイトル通り駅の風景を描いた絵。サン=ラザール駅はパリの主要駅のひとつ。ヨーロッパの昔の駅は線路より高くなったプラットフォームがないところが多い。この駅は1837年開業。モネやマネ、セザンヌ、ルノワールといった印象派の画家達と同世代。駅や列車が絵に描かれていると、それほど遠い昔の絵じゃないとわかる。
蒸気機関車の煙突から出る煙や、車輪のあたりから吹き出される蒸気が駅舎の中に漂っていて、それがモヤーッと視界を遮っていい雰囲気。まさに絵になる光景。パッと見ではモネらしい光りの描き分けは感じないが、よく見れば煙や蒸気に反射させたりしている。もう普通に光りを描くだけじゃ飽き足らなくなったのかも。後にモネはモヤばかりで何を描いているのかわからないような絵を描き出す時期がある。それらは名作とされているが例によって私には理解不能。モネはシリーズものの多い画家でこの駅をテーマに12作品を描いている。サン=ラザール駅が最初のシリーズものらしいが、12枚もモヤモヤを描いているうちにモヤに取り憑かれたのかもしれない。
「婦人と団扇」 マネ
寝そべって頬杖をすると顔がちょっと歪む。そこはそんなに写実的に描かなくてもいいのにとか、後頭部を支えるようにポーズをさせればいいのにとか思うが、目のあたりが少しムギュとなってしまったところがこの絵のアイキャッチでもある。
後ろの壁に見えるのは屏風(びょうぶ)で鶴が描かれている。その屏風には貼り付けられた団扇(うちわ)が何枚か。笠をかぶった江戸時代っぽい女性が描かれた団扇もある。どこかの女性大臣の辞任の原因となったウチワとはずいぶん違う(^^ゞ
日本風のインテリアなのは、当時のフランスではジャポニスムが流行っていたから。直訳すれば日本主義とか日本趣味というような意味。あるいは日本かぶれ。ペリーの黒船来港が1853年。その頃から徐々に日本の美術品、工芸品はては着物や日用品までがヨーロッパにも知られるようになった。フランスでは印象派の画家達が台頭してきた時代で、特に浮世絵は彼らの画風に影響を与えたといわれている。もっともアカデミスムやレアリスムの画家達は浮世絵を気に入ったとしても、西洋画とはまったく違う様式の絵だから、自分たちの絵に取り入れることはできなかっただろうけど。
ジャポニスムが美術界だけの現象だったのが、もう少し世間一般にも広まっていたのかはよく知らない。浮世絵が印象派に影響を与えたとはよくいわれるが、単に物珍しかった、東洋的なものにエキゾチズムを感じただけかも知れない。文明開化の日本人が「ハイカラ」なものを好んだのと同じ。浮世絵が印象派に影響を与えた=日本は優れていたと、ことさらに自慢する論法を私は好まない。でも印象派の巨匠達の多くの作品に日本的なものが描かれていたり、浮世絵に似たような部分を見つけるのは素直にうれしいものである。
モデルになっているのはサロンを主催していた女性。ここでいうサロンはコンクールの展示会ではなく、画家や詩人などの文化人の交流の場のこと。彼女の家に集まって議論したりバカ騒ぎしていたんだろう。彼女はくたびれた感じはするが、人がよさそうである。もっと昔、サロンは貴族や上流階級の社交界を意味した。こんなオバチャンがサロンの女主人というのも時代が近代になったということである。
最初のエントリーに書いたように今の私は印象派敬遠期。セザンヌやルノワールもたくさん展示されていたが、あまり気が乗らず。特にセザンヌがいけない。風景画や肖像画は手抜きのやっつけ仕事にしか見えなかった。ただし彼の静物画はやはりおもしろい。1周回って、またそのうちファンになるだろう。マネをまとめてみたのはたぶん初めて。まあ普通かな。展示会ではどうしてもガツンとくる絵に目がいってしまう。マネは毎日眺めている分には意外といいかもしれない。買えないけど(^^ゞ
国立新美術館内部の様子。
ガラスの壁を内側から撮ると夜みたいになってしまった。
おしまい。
wassho at 23:19|Permalink│Comments(0)│
2013年11月02日
モネ 風景を見る眼 19世紀フランス風景画の革新
前2回で書いた箱根ツーリングの目的はススキと、
このクロード・モネ展である。
この展覧会は企画の成り立ちが変わっている。モネを19作品と日本で一番コレクションしているポーラ美術館と、ほぼ同規模の17作品を持っている上野の国立西洋美術館が、お互いの作品を貸し出し合って、つまり19+16(なぜか国立西洋美術館は出展が1作品少ない)=35作品のモネを集めた規模にして展覧会を実施。ポーラ美術館は11月24日まで。その後、国立西洋美術館で12月7日から来年3月9日まで開催される。
ちなみに入場料は国立西洋美術館の1200円に対して、ポーラ美術館は1800円と観光地価格。でもポーラ美術館はガラガラと言っていいほど空いている。5つのコーナーに分かれているが、私が訪れた日曜の昼過ぎで、各コーナーにいたのは10名くらい。こんなことは国立西洋美術館ではあり得ない。どれだけじっくり鑑賞できたかの価値を国立西洋美術館の1200円を基準に考えると、最低でも10万円くらいになるかな。
といいつつ、前回訪れた時にもらったスタンプカードを提示して、ちゃっかり200円引きの1600円で入場(^^ゞ なお初めて行く人もホームページのインターネット割引券を使えば100円引きの1700円になる。
第1展示室の入り口。
グローバルスタンダードでは美術館で写真を撮ることは自由だが、ここ日本では禁止なのが残念。どうしてこんな風習になったのだろう。
入り口を入ってすぐ、いきなりドカーンと現れるのがこの2作品。どちらもポスターやチケットに使われている、いってみれば今回の目玉作品。そういう作品は、たいてい展示構成の中頃過ぎにあることが多いのでサプライズ感あり。
「舟遊び」 モネ
「バラ色のボート」 モネ
舟遊びは(タテヨコ)145.5センチ×133.5センチ、バラ色のボートは135.3×176.5センチとどちらも大きな作品。いきなり145.5センチといわれてもピンとこないかもしれないが、人の身長を基準に思い浮かべると絵の大きさをイメージしやすいかも。
モネといえば睡蓮で水辺を連想するが、そういう意味では、どちらもモネ・ワールド全開。「舟遊び」のほうがなんとなく見慣れたモネの色使い。
「雪のアルジャントゥイユ」 モネ
アルジャントゥイユとは地名。パリから北に15キロ程離れたところ。
雪景色の感じがよくでているなあと思って眺める。たぶん空を白っぽく塗ったのが、そのトリックかもしれない。感じたままに表現するのが印象派である。
「ジヴェルニーの積みわら」 モネ
ジヴェルニーも地名である。
積みわらを見るとミレーを思い出す。絵のタッチは少しゴッホにも似ている。それでいてモネらしさはもちろんある。つまり一粒で三回おいしいお得な作品。
「花咲く堤、アルジャントゥイユ」 モネ
いい絵である。間違いなく。でも煙突から出ている煙の描き方は手を抜きすぎやろと、モネに突っ込んでみる(^^ゞ
「波立つプールヴィルの海」 モネ
こっちはもっと突っ込みどころ満載。まずどんなに海が荒れても海面は、こんな沖まで真っ白にはならない。百歩譲って真っ白な状態になるほどの大嵐だとしたら、描かれているほど波打ち際に近づけば確実に波にさらわれる。あれこれ突っ込みを入れて画家とコミュニケーションしながら絵を見るのも楽しいよ。
モネ=睡蓮。そんな意識があるからか、この絵を見た時は「あ、出た出た」と思ってしまったが、これはゴッホの描いたバラだった(>_<)
「ばら」 ゴッホ
花のところは確かにバラなんだけれど、バラの茎があって地面から伸びて生えているようには見えないんだけどなあ。
「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」 ゴッホ
これもゴッホ。運河の左側にたぶん洗濯をしている女性が3人並んでいる。少しわかりづらいが一番手前の人物の上半身と一番奥の人物の下半身は、赤い輪郭線が描かれているだけである。つまり川面や土手の地面が透けているというか何も描かれていない。表現手法?それともオチャメ?
「トルーヴィルの浜」 ウジューヌ・ブーダン
すごく印象に残った作品。
それは絵そのものとはほとんど関係なくて、着飾った男女というか紳士淑女がビーチにいるから。スーツやドレスを着て砂浜に行ったことってないでしょ? この絵が描かれた1867年(明治元年が1868年)頃のヨーロッパは砂浜も社交の場だったのかな。それにしてもたくさん集まって何をしているんだろう。飲んだり食べたりはしていないみたいだし。
「グランカンの干潮」 ジョルジュ・スーラ
のどかなのどかな作品。
こんな光景を眺めながら夏休みを過ごしたい。
「睡蓮」 モネ
「睡蓮の池」 モネ
絵にある池はモネの自宅の庭にあり、彼は睡蓮(すいれん)の絵を200点以上も制作している。だから今まであちこちでモネの睡蓮は目にしてきた。でも見慣れているとはいえやっぱりモネは睡蓮である。モネの展示会で睡蓮の絵がなかったらガッカリする。サザンのライブを聴きに行って「勝手にシンドバッド」が演奏されないようなものである。そして最初にも触れたようにポーラ美術館は都内の美術館のように混雑していない。近づいたり離れたり、真正面でも斜め横からでも好きなように見ることができる。たっぷり堪能できて「絵を見たぞ〜モネを見たぞ〜」と満腹気分を味わえた。
ーーー続く
このクロード・モネ展である。
この展覧会は企画の成り立ちが変わっている。モネを19作品と日本で一番コレクションしているポーラ美術館と、ほぼ同規模の17作品を持っている上野の国立西洋美術館が、お互いの作品を貸し出し合って、つまり19+16(なぜか国立西洋美術館は出展が1作品少ない)=35作品のモネを集めた規模にして展覧会を実施。ポーラ美術館は11月24日まで。その後、国立西洋美術館で12月7日から来年3月9日まで開催される。
ちなみに入場料は国立西洋美術館の1200円に対して、ポーラ美術館は1800円と観光地価格。でもポーラ美術館はガラガラと言っていいほど空いている。5つのコーナーに分かれているが、私が訪れた日曜の昼過ぎで、各コーナーにいたのは10名くらい。こんなことは国立西洋美術館ではあり得ない。どれだけじっくり鑑賞できたかの価値を国立西洋美術館の1200円を基準に考えると、最低でも10万円くらいになるかな。
といいつつ、前回訪れた時にもらったスタンプカードを提示して、ちゃっかり200円引きの1600円で入場(^^ゞ なお初めて行く人もホームページのインターネット割引券を使えば100円引きの1700円になる。
第1展示室の入り口。
グローバルスタンダードでは美術館で写真を撮ることは自由だが、ここ日本では禁止なのが残念。どうしてこんな風習になったのだろう。
入り口を入ってすぐ、いきなりドカーンと現れるのがこの2作品。どちらもポスターやチケットに使われている、いってみれば今回の目玉作品。そういう作品は、たいてい展示構成の中頃過ぎにあることが多いのでサプライズ感あり。
「舟遊び」 モネ
「バラ色のボート」 モネ
舟遊びは(タテヨコ)145.5センチ×133.5センチ、バラ色のボートは135.3×176.5センチとどちらも大きな作品。いきなり145.5センチといわれてもピンとこないかもしれないが、人の身長を基準に思い浮かべると絵の大きさをイメージしやすいかも。
モネといえば睡蓮で水辺を連想するが、そういう意味では、どちらもモネ・ワールド全開。「舟遊び」のほうがなんとなく見慣れたモネの色使い。
「雪のアルジャントゥイユ」 モネ
アルジャントゥイユとは地名。パリから北に15キロ程離れたところ。
雪景色の感じがよくでているなあと思って眺める。たぶん空を白っぽく塗ったのが、そのトリックかもしれない。感じたままに表現するのが印象派である。
「ジヴェルニーの積みわら」 モネ
ジヴェルニーも地名である。
積みわらを見るとミレーを思い出す。絵のタッチは少しゴッホにも似ている。それでいてモネらしさはもちろんある。つまり一粒で三回おいしいお得な作品。
「花咲く堤、アルジャントゥイユ」 モネ
いい絵である。間違いなく。でも煙突から出ている煙の描き方は手を抜きすぎやろと、モネに突っ込んでみる(^^ゞ
「波立つプールヴィルの海」 モネ
こっちはもっと突っ込みどころ満載。まずどんなに海が荒れても海面は、こんな沖まで真っ白にはならない。百歩譲って真っ白な状態になるほどの大嵐だとしたら、描かれているほど波打ち際に近づけば確実に波にさらわれる。あれこれ突っ込みを入れて画家とコミュニケーションしながら絵を見るのも楽しいよ。
モネ=睡蓮。そんな意識があるからか、この絵を見た時は「あ、出た出た」と思ってしまったが、これはゴッホの描いたバラだった(>_<)
「ばら」 ゴッホ
花のところは確かにバラなんだけれど、バラの茎があって地面から伸びて生えているようには見えないんだけどなあ。
「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」 ゴッホ
これもゴッホ。運河の左側にたぶん洗濯をしている女性が3人並んでいる。少しわかりづらいが一番手前の人物の上半身と一番奥の人物の下半身は、赤い輪郭線が描かれているだけである。つまり川面や土手の地面が透けているというか何も描かれていない。表現手法?それともオチャメ?
「トルーヴィルの浜」 ウジューヌ・ブーダン
すごく印象に残った作品。
それは絵そのものとはほとんど関係なくて、着飾った男女というか紳士淑女がビーチにいるから。スーツやドレスを着て砂浜に行ったことってないでしょ? この絵が描かれた1867年(明治元年が1868年)頃のヨーロッパは砂浜も社交の場だったのかな。それにしてもたくさん集まって何をしているんだろう。飲んだり食べたりはしていないみたいだし。
「グランカンの干潮」 ジョルジュ・スーラ
のどかなのどかな作品。
こんな光景を眺めながら夏休みを過ごしたい。
「睡蓮」 モネ
「睡蓮の池」 モネ
絵にある池はモネの自宅の庭にあり、彼は睡蓮(すいれん)の絵を200点以上も制作している。だから今まであちこちでモネの睡蓮は目にしてきた。でも見慣れているとはいえやっぱりモネは睡蓮である。モネの展示会で睡蓮の絵がなかったらガッカリする。サザンのライブを聴きに行って「勝手にシンドバッド」が演奏されないようなものである。そして最初にも触れたようにポーラ美術館は都内の美術館のように混雑していない。近づいたり離れたり、真正面でも斜め横からでも好きなように見ることができる。たっぷり堪能できて「絵を見たぞ〜モネを見たぞ〜」と満腹気分を味わえた。
ーーー続く
wassho at 15:43|Permalink│Comments(0)│
2012年12月29日
メトロポリタン美術館展
もっと早く見に行くつもりだったが、12月になると何かと忙しく、年明けは1月4日までしか開催していないし。ということで年末休みに入った本日に上野まで。私と同じようにグズグズしていた人が多いのか、あるいは年末は暇な人が多いのか美術館はかなりの混雑。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン

遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン

それでは今回の展示会ベスト3。
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
ターナーはイギリスの風景画家。この絵のどこが気に入ったかを答えるのは難しい。しいていえば「この風景をこの目で見たい」と強く思ったことか。分析的に考えれば、透明感があってとても水々しいタッチ。それと変に小細工していない真っ当な絵なことを好感したのだと思う。
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
チャイルド・ハッサムはフランスで印象派の技法を学んだアメリカの画家。ヴィリエ=ル=ベルはパリ郊外の地名。この絵が描かれた1889年にはかなり田舎だったと思われる。
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
ホッパーはアメリカの画家。トゥー・ライツとは2ライト、つまり2灯という意味だが絵を見る限り灯台の電球は1つ。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
不忍池は蓮(はす)池、鵜(う)の池、ボート池の3つに別れている。公園のために作ったようにも思えるが自然にできた池である。周囲約2キロ。
蓮池は蓮が枯れていて、この季節はあまり美しくない。鵜の池も似た感じ。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
こっちはボート池。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
ボートは休業中。
ところで上野公園といえば西郷隆盛。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
wassho at 20:38|Permalink│Comments(0)│
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wassho(今のところ匿名)
マーケティング戦略や商品開発、リサーチなどを中心業務としている、キャリアだけは四半世紀以上と長いコンサルタントです。
開設当初は『マーケティングを中心に社会や生活のことを。そのうち仕事に使えそうなネタを下書きにするblogです』というコンセプトでしたが、2011年頃から雑記帖的なblogになっています。
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