モミジ
2026年05月17日
ボタン空振り日記 豪徳寺編
4月の中旬過ぎに「しばらくボタンの花とはご無沙汰だな」と気付く。すると無性に見たくなるのが人間の性(さが)というもの。ただし時すでに遅しの感は否めない。都内だと20年前はゴールデンウィーク頃だったボタンの見頃時期は年々早くなり、現在は4月中頃がピーク。さらに今年はサクラの開花が昨年より5日早かったからボタンも似た傾向のはず。
4月18〜19日の土日に出かけられれば間に合っただろうが、なかなかそうもいかず。その後の平日も都合がつかなかった。そこで第1候補だった新宿区の薬王院を諦め、散歩距離内にある世田谷区の豪徳寺を4月25日に訪れた。今まで知らなかったがここはボタンの隠れた名所らしい。しかし当然ながら、そこで見事な空振りに終わり、なのに見られないとますます見たくなるのも人間の性で、よせばいいのに4月28日に薬王院まで出かけて、再び三振をしてきたのが今回からのお話。
つまり実にショボい内容。しかしこのブログは「いつかやって来るかも知れない」昔のことを思い出せないときに備えて書いている意味合いもあるので、私としては大切な記録なのだ。それでよかったら読んでちょうだい。
豪徳寺は世田谷区役所近くにあり室町幕府中頃に創建された古刹。
2020年に紅葉を見に訪れている。
豪徳寺で紅葉と招き猫
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373803.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373908.html
参道入り口に到着。
100mちょっと続く松並木の参道。
根がむき出しになっているマツも多かった。
山門をくぐると、
静謐な雰囲気がよし。
この三重塔は2006年の落慶。
2020年に見たときは、まだすごく新しい感じがしたが、今回はごく普通に寺の景色に馴染んでいた。でも当時の写真と見較べると↓ほとんど変わっていない。人間の感覚なんてそんなもの。
それでも20年が経って木材部分はそれなりにヴィンテージ感が出ている。
ボタンはどこかと歩いていると墓地エリアに入り込んでしまった。
上の写真は井伊家の墓所。
幕末に桜田門外の変で水戸や薩摩のテロリストに惨殺された井伊直弼(なおすけ)の墓もここにある。直弼は彦根藩の16代藩主で、3代藩主の直孝(なおたか)がこの地にあった寺を井伊家の菩提寺とし、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」を引用し豪徳寺に改名したのがこの寺の歴史。
墓地の中にボタンはないと思われるので、
本堂などが建っているエリアに出る。
そこでまず目についた紫の花。
これはアヤメ。
似たような形をしていて、花びらの根元に
網の目がある→アミノメ→アヤメ
黄色い筋がある→ハナショウブ
白い筋がある→カキツバタ
である。ただし栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多くてアヤメを見られる機会は貴重。アヤメ園の名前なのにハナショウブしかないところもあるくらい。なおハナショウブとカキツバタは湿地に育つがアヤメは普通の土壌。
思いがけずにアヤメを見られたのはラッキーとはいえ、
ボタンはどこだ?
見つけた!
見つけたけれど咲いていたのはこれだけ(/o\)
それに花もあまり大きくなくて、
花びらの枚数も少なくイメージしていたボタンとはずいぶんと違う。
手前にツボミがたくさん。これから咲くのか?
でも葉の形が少し違うので別の花のような気もする。
他にボタンはないのかとさらにウロウロ、キョロキョロ。
また見つけたと思ったものの、これはシャクヤク(たぶん)。
そしてこのシャクヤクも花びらが少ない。
豪徳寺はシンプル好みなのか?
というわけで結局、
お目当てのボタンはショボい花2輪が本日の成果。でもまあここに来なければ今年はボタンが見られなかったわけで、ゼロと2の違いは大きいと自分に言い聞かせる(^^ゞ それに同じくショボかったとはいえシャクヤクと、久しぶりにアヤメも見られたし。
ボタンを探していたときに見つけたこの木は、
葉に水色の砂糖菓子のようなものが付いている。
時間が経つと色が濃くなるようだ。
画像検索してみるとこれはコノテガシワ(児の手柏)。砂糖菓子のようなものは球果と呼ばれる裸子植物の実のようなもの(マツの球果が松ぼっくり)。
こちらの赤くてプロペラのようなのはモミジの種。
よく見るとプロペラの付け根の部分に小さな種が2つ見える。種がもっと大きく成長したら葉から離れて、プロペラ部分で風に流されてより遠くに種を落とそうとする。街中でモミジが勝手に生えてきたなんて話は聞かないものの、山の中などではそれなりに機能する生存戦略なのだろう。
さて豪徳寺といえば招き猫である。
(そのいきさつは2020年のブログに書いた)
今やすっかり世界的にも有名となって、
この写真でも半数以上が外国人。
ところでインバウンドとは「外から内に入ってくる」こと。外国人観光客が日本を訪れるのも含まれるとして、最近たまに聞く「インバウンドの観光客」を省略し、彼らを指して「銀座はインバウンドだらけだ」などの表現にはちょっと違和感を覚える。
それはさておき、
見渡す限りの招き猫である。
これらの招き猫は寺務所で販売している。
2020年は300円〜5000円だったので1.6倍〜1.4倍の大幅値上げ。
画像は豪徳寺のホームページから引用
本来は持ち帰り、福を招いてくれたらお寺に奉納するのだが、小さいサイズは絵馬のような感覚でそのまま置いて帰るのだろう。
中には自分の飼い猫の写真を飾ったり、
意味不明のメッセージや、
人形ではないものも。
ただしこれも豪徳寺が販売している交通安全祈願のキーホルダー。
座布団を敷いてもらっている招き猫もいた。
他に変わったものはないかと眺めていると、
こんな風に並べられている招き猫を見つけた。
2020年に撮った写真を見直すと当時は見当たらず、それ以降に誰かが置かれている招き猫を並べ替える遊びを発見したようだ。グッドジョブである。
何か相談している?
もっとヒソヒソと。
老若男女が集まって集会。
最も大規模だったのがこちら。
円の中心には豪徳寺のものではないネコまで置かれている。
別にネコ好きではないのだけれど、これらを見ているうちに顔が緩んでくる。思わず「かわいいニャー」とつぶやいてみたり(^^ゞ
ボタンは空振りでも招き猫に心癒やされた1日でした。
4月18〜19日の土日に出かけられれば間に合っただろうが、なかなかそうもいかず。その後の平日も都合がつかなかった。そこで第1候補だった新宿区の薬王院を諦め、散歩距離内にある世田谷区の豪徳寺を4月25日に訪れた。今まで知らなかったがここはボタンの隠れた名所らしい。しかし当然ながら、そこで見事な空振りに終わり、なのに見られないとますます見たくなるのも人間の性で、よせばいいのに4月28日に薬王院まで出かけて、再び三振をしてきたのが今回からのお話。
つまり実にショボい内容。しかしこのブログは「いつかやって来るかも知れない」昔のことを思い出せないときに備えて書いている意味合いもあるので、私としては大切な記録なのだ。それでよかったら読んでちょうだい。
豪徳寺は世田谷区役所近くにあり室町幕府中頃に創建された古刹。
2020年に紅葉を見に訪れている。
豪徳寺で紅葉と招き猫
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373803.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373908.html
参道入り口に到着。
100mちょっと続く松並木の参道。
根がむき出しになっているマツも多かった。
山門をくぐると、
静謐な雰囲気がよし。
この三重塔は2006年の落慶。
2020年に見たときは、まだすごく新しい感じがしたが、今回はごく普通に寺の景色に馴染んでいた。でも当時の写真と見較べると↓ほとんど変わっていない。人間の感覚なんてそんなもの。
それでも20年が経って木材部分はそれなりにヴィンテージ感が出ている。
ボタンはどこかと歩いていると墓地エリアに入り込んでしまった。
上の写真は井伊家の墓所。
幕末に桜田門外の変で水戸や薩摩のテロリストに惨殺された井伊直弼(なおすけ)の墓もここにある。直弼は彦根藩の16代藩主で、3代藩主の直孝(なおたか)がこの地にあった寺を井伊家の菩提寺とし、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」を引用し豪徳寺に改名したのがこの寺の歴史。
墓地の中にボタンはないと思われるので、
本堂などが建っているエリアに出る。
そこでまず目についた紫の花。
これはアヤメ。
似たような形をしていて、花びらの根元に
網の目がある→アミノメ→アヤメ
黄色い筋がある→ハナショウブ
白い筋がある→カキツバタ
である。ただし栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多くてアヤメを見られる機会は貴重。アヤメ園の名前なのにハナショウブしかないところもあるくらい。なおハナショウブとカキツバタは湿地に育つがアヤメは普通の土壌。
思いがけずにアヤメを見られたのはラッキーとはいえ、
ボタンはどこだ?
見つけた!
見つけたけれど咲いていたのはこれだけ(/o\)
それに花もあまり大きくなくて、
花びらの枚数も少なくイメージしていたボタンとはずいぶんと違う。
手前にツボミがたくさん。これから咲くのか?
でも葉の形が少し違うので別の花のような気もする。
他にボタンはないのかとさらにウロウロ、キョロキョロ。
また見つけたと思ったものの、これはシャクヤク(たぶん)。
そしてこのシャクヤクも花びらが少ない。
豪徳寺はシンプル好みなのか?
というわけで結局、
お目当てのボタンはショボい花2輪が本日の成果。でもまあここに来なければ今年はボタンが見られなかったわけで、ゼロと2の違いは大きいと自分に言い聞かせる(^^ゞ それに同じくショボかったとはいえシャクヤクと、久しぶりにアヤメも見られたし。
ボタンを探していたときに見つけたこの木は、
葉に水色の砂糖菓子のようなものが付いている。
時間が経つと色が濃くなるようだ。
画像検索してみるとこれはコノテガシワ(児の手柏)。砂糖菓子のようなものは球果と呼ばれる裸子植物の実のようなもの(マツの球果が松ぼっくり)。
こちらの赤くてプロペラのようなのはモミジの種。
よく見るとプロペラの付け根の部分に小さな種が2つ見える。種がもっと大きく成長したら葉から離れて、プロペラ部分で風に流されてより遠くに種を落とそうとする。街中でモミジが勝手に生えてきたなんて話は聞かないものの、山の中などではそれなりに機能する生存戦略なのだろう。
さて豪徳寺といえば招き猫である。
(そのいきさつは2020年のブログに書いた)
今やすっかり世界的にも有名となって、
この写真でも半数以上が外国人。
ところでインバウンドとは「外から内に入ってくる」こと。外国人観光客が日本を訪れるのも含まれるとして、最近たまに聞く「インバウンドの観光客」を省略し、彼らを指して「銀座はインバウンドだらけだ」などの表現にはちょっと違和感を覚える。
それはさておき、
見渡す限りの招き猫である。
これらの招き猫は寺務所で販売している。
2020年は300円〜5000円だったので1.6倍〜1.4倍の大幅値上げ。
画像は豪徳寺のホームページから引用
本来は持ち帰り、福を招いてくれたらお寺に奉納するのだが、小さいサイズは絵馬のような感覚でそのまま置いて帰るのだろう。
中には自分の飼い猫の写真を飾ったり、
意味不明のメッセージや、
人形ではないものも。
ただしこれも豪徳寺が販売している交通安全祈願のキーホルダー。
座布団を敷いてもらっている招き猫もいた。
他に変わったものはないかと眺めていると、
こんな風に並べられている招き猫を見つけた。
2020年に撮った写真を見直すと当時は見当たらず、それ以降に誰かが置かれている招き猫を並べ替える遊びを発見したようだ。グッドジョブである。
何か相談している?
もっとヒソヒソと。
老若男女が集まって集会。
最も大規模だったのがこちら。
円の中心には豪徳寺のものではないネコまで置かれている。
別にネコ好きではないのだけれど、これらを見ているうちに顔が緩んでくる。思わず「かわいいニャー」とつぶやいてみたり(^^ゞ
ボタンは空振りでも招き猫に心癒やされた1日でした。
wassho at 23:55|Permalink│Comments(0)│
2020年05月04日
洗足池公園を経由して3区巡りの散歩 その2
頼朝の愛馬「池月」の銅像があるのは、池の西側中程にある千束八幡神社の境内。千束と書いて「せんぞく」であり、こちらのほうが平安時代からある地名。後に日蓮(鎌倉時代)がこの池で足を洗ったという言い伝えができて「洗足」の漢字も使われるようになった。現在は大田区と目黒区に「せんぞく」の地名があるが、大田区は北千束と南千束であり目黒区は洗足。でも大田区にあるこの池が洗足池だからややこしい。
千束八幡は平安時代初期の860年の創建とされる。でもひっそり・こぢんまりとした神社である。逆光が強くて本殿をiPhoneでは正面から撮影できなかった。
それにしても区立公園の敷地に神社があるのは政教分離的にどうなんだろう? 神社が先にあったのは確かだけれど。少し調べてみたがよく分からなかった。
池月橋の名前を付けられている太鼓橋。
橋の上から弁財天に向かって。弁財天のある出島はツツジが水面近くで咲いていてイイ感じである。ただし出島の中から、それは見えないのだが。
池の神様?
写真ではわからないが、すごく大きくて黄金色に輝いていた。
池月橋を渡ったところにシャクナゲが咲いていた。
色や形はツツジと同じでも大きくて派手。
少し進んだところにジャーマン・アイリス。残念ながら盛り過ぎ。
もう一面あったがなぜかこの色の品種だけ。
公園の南側まで来て、いったん外に出る。
道路は中原街道。バイクで千葉からアクアラインを通って帰ってくる時は、環八から中原街道に入り、洗足池をチラッと眺めるのがツーリングの締めくくりみたいなものだった。
やむを得ぬ事情でバイクを降りて約2年。また乗れる日は来るのかな。ところでフルフェイスのヘルメットならコロナウイルスに対して最強だよね(^^ゞ
公園正面から。
この浮世絵は歌川広重が晩年に制作した名所江戸百景にある洗足池。
タイトルは「千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ・けさがけのまつ)」。日蓮がここで足を洗った時に、袈裟(けさ:僧侶の服)を松に掛けたという伝承がある。今でも袈裟懸けの松と呼ばれるものはあるのだが、それは日蓮の時から数えて3代目だという。それって関係ない別の木やろ(^^ゞ
名所江戸百景は1856〜1858年の制作。
黒船来航が1853年、明治維新が1868年だから江戸の最後期。
位置的には上の写真と同じだと思うが、当然ながら160年前はずいぶんと雰囲気が違う。もっとも広重は見下ろすような視点で描いており、この付近にそんな小高い場所はないから、全体的にあれこれ創作が入っているのだろうが。
洗足池の由緒をいろいろと解説した看板。今年の3月に建てられたばかりのピカピカなので、自分の姿が映り込まないように斜めから撮影。
これで勝海舟の墓があることを知り、それを見に行くことに。場所は最初に訪れた桜広場のあたり。逆戻りすることになるが、散歩=歩くことが目的なんだからまあいいかと。
途中で横にそれる道があったので入ってみる。
特に何もなかったがモミジの種が見られた。
ピンクのプロペラみたいなのが種。
もう少し朽ちてきたら、これが切り離されて風に乗って遠くまで種を運ぶという仕掛け。この種は何度か見たことがあるが、花はまだない。
お約束のモミジ日の光透け。
池を2/3周ほど戻って勝海舟の墓所へ。彼が盟友となった西郷隆盛の死を悼んで建てた記念碑などが同じ区画にあった。
西郷隆盛留魂詩碑(りゅうこんしひ)。西郷の詠んだ漢詩が刻まれているとのことだが、字は読み取れなかった。
勝海舟夫妻のお墓。右が勝海舟で左が民子夫人。
これを見ると仲睦まじい夫婦だったように思える。しかし民子夫人は勝海舟と同じ墓に入るのはイヤだと遺言していたらしい。理由は勝海舟が妾4人と妾腹の子供5人を自宅に同居させるなどのトンデモ亭主だったから。当時は妾がいるのは珍しくないとしても、正妻と同居するのは常軌を逸している。明治維新の立役者も、今はこの墓の中で奥さんにシバかれているのかも(^^ゞ
墓所のあたりから公園の外に出て、中原街道に向かって歩いていると勝海舟記念館というのがあった。もっとも今はコロナウイルス自粛で閉館中だったが。次に洗足池まで散歩する時には見学できますように。
このあたりに勝海舟関連のものが多いのは、彼が洗足池の景観を気に入って別宅を建てたから。晩年は本宅になっていたようである。墓をこの場所にするのも彼の遺言による。西郷隆盛も勝海舟の家によく遊びに来ていたようで、二人で池の周りを散策したのかな。
ちなみに勝海舟が洗足池を見たのは、戊辰戦争で江戸に攻め上がってきた西郷隆盛と池上本門寺(ここから約3キロ)で、いわゆる江戸城無血開城の交渉に向かう道中だったと言われている。ということは1868年。歌川広重の浮世絵はその10年ほど前に描かれているから、彼が見た洗足池はあんな景色だったのだろう。
中原街道を少し歩いて品川区に入り、立会道路という変わった名前の道を北上。ここは桜の木が多くて、後で調べたら2kmほど桜並木が続いているとのこと。来年は花見に来よう。西小山の駅前に出て隣の武蔵小山駅まで歩く。駅ビルに入っている無印良品で買いたいものがあったから寄り道したのだけれど、コロナウイルスで駅ビルの店舗はほとんど休業中(>_<) 諦めて自宅に向かう。武蔵小山の先からは目黒区。
3時間半ほどの散歩だったかな。iPhoneのヘルスケアアプリで確認すると、1万5326歩で9.2kmという記録だった。公園で写真を撮っていたりしたので、時間の割に距離が少なかった。でも心地よく疲れたし、源頼朝や勝海舟、西郷隆盛など歴史上の人物とシンクロした気分になれていい散歩だった。
おしまい
千束八幡は平安時代初期の860年の創建とされる。でもひっそり・こぢんまりとした神社である。逆光が強くて本殿をiPhoneでは正面から撮影できなかった。
それにしても区立公園の敷地に神社があるのは政教分離的にどうなんだろう? 神社が先にあったのは確かだけれど。少し調べてみたがよく分からなかった。
池月橋の名前を付けられている太鼓橋。
橋の上から弁財天に向かって。弁財天のある出島はツツジが水面近くで咲いていてイイ感じである。ただし出島の中から、それは見えないのだが。
池の神様?
写真ではわからないが、すごく大きくて黄金色に輝いていた。
池月橋を渡ったところにシャクナゲが咲いていた。
色や形はツツジと同じでも大きくて派手。
少し進んだところにジャーマン・アイリス。残念ながら盛り過ぎ。
もう一面あったがなぜかこの色の品種だけ。
公園の南側まで来て、いったん外に出る。
道路は中原街道。バイクで千葉からアクアラインを通って帰ってくる時は、環八から中原街道に入り、洗足池をチラッと眺めるのがツーリングの締めくくりみたいなものだった。
やむを得ぬ事情でバイクを降りて約2年。また乗れる日は来るのかな。ところでフルフェイスのヘルメットならコロナウイルスに対して最強だよね(^^ゞ
公園正面から。
この浮世絵は歌川広重が晩年に制作した名所江戸百景にある洗足池。
タイトルは「千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ・けさがけのまつ)」。日蓮がここで足を洗った時に、袈裟(けさ:僧侶の服)を松に掛けたという伝承がある。今でも袈裟懸けの松と呼ばれるものはあるのだが、それは日蓮の時から数えて3代目だという。それって関係ない別の木やろ(^^ゞ
名所江戸百景は1856〜1858年の制作。
黒船来航が1853年、明治維新が1868年だから江戸の最後期。
位置的には上の写真と同じだと思うが、当然ながら160年前はずいぶんと雰囲気が違う。もっとも広重は見下ろすような視点で描いており、この付近にそんな小高い場所はないから、全体的にあれこれ創作が入っているのだろうが。
洗足池の由緒をいろいろと解説した看板。今年の3月に建てられたばかりのピカピカなので、自分の姿が映り込まないように斜めから撮影。
これで勝海舟の墓があることを知り、それを見に行くことに。場所は最初に訪れた桜広場のあたり。逆戻りすることになるが、散歩=歩くことが目的なんだからまあいいかと。
途中で横にそれる道があったので入ってみる。
特に何もなかったがモミジの種が見られた。
ピンクのプロペラみたいなのが種。
もう少し朽ちてきたら、これが切り離されて風に乗って遠くまで種を運ぶという仕掛け。この種は何度か見たことがあるが、花はまだない。
お約束のモミジ日の光透け。
池を2/3周ほど戻って勝海舟の墓所へ。彼が盟友となった西郷隆盛の死を悼んで建てた記念碑などが同じ区画にあった。
西郷隆盛留魂詩碑(りゅうこんしひ)。西郷の詠んだ漢詩が刻まれているとのことだが、字は読み取れなかった。
勝海舟夫妻のお墓。右が勝海舟で左が民子夫人。
これを見ると仲睦まじい夫婦だったように思える。しかし民子夫人は勝海舟と同じ墓に入るのはイヤだと遺言していたらしい。理由は勝海舟が妾4人と妾腹の子供5人を自宅に同居させるなどのトンデモ亭主だったから。当時は妾がいるのは珍しくないとしても、正妻と同居するのは常軌を逸している。明治維新の立役者も、今はこの墓の中で奥さんにシバかれているのかも(^^ゞ
墓所のあたりから公園の外に出て、中原街道に向かって歩いていると勝海舟記念館というのがあった。もっとも今はコロナウイルス自粛で閉館中だったが。次に洗足池まで散歩する時には見学できますように。
このあたりに勝海舟関連のものが多いのは、彼が洗足池の景観を気に入って別宅を建てたから。晩年は本宅になっていたようである。墓をこの場所にするのも彼の遺言による。西郷隆盛も勝海舟の家によく遊びに来ていたようで、二人で池の周りを散策したのかな。
ちなみに勝海舟が洗足池を見たのは、戊辰戦争で江戸に攻め上がってきた西郷隆盛と池上本門寺(ここから約3キロ)で、いわゆる江戸城無血開城の交渉に向かう道中だったと言われている。ということは1868年。歌川広重の浮世絵はその10年ほど前に描かれているから、彼が見た洗足池はあんな景色だったのだろう。
中原街道を少し歩いて品川区に入り、立会道路という変わった名前の道を北上。ここは桜の木が多くて、後で調べたら2kmほど桜並木が続いているとのこと。来年は花見に来よう。西小山の駅前に出て隣の武蔵小山駅まで歩く。駅ビルに入っている無印良品で買いたいものがあったから寄り道したのだけれど、コロナウイルスで駅ビルの店舗はほとんど休業中(>_<) 諦めて自宅に向かう。武蔵小山の先からは目黒区。
3時間半ほどの散歩だったかな。iPhoneのヘルスケアアプリで確認すると、1万5326歩で9.2kmという記録だった。公園で写真を撮っていたりしたので、時間の割に距離が少なかった。でも心地よく疲れたし、源頼朝や勝海舟、西郷隆盛など歴史上の人物とシンクロした気分になれていい散歩だった。
おしまい
wassho at 20:51|Permalink│Comments(0)│


























































