ルノワール
2021年10月11日
ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント その3
展覧会の構成は
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
・ヘレーネ関連
・ゴッホ以外の作品
(以下はすべてゴッホで)
・オランダ時代の素描
・オランダ時代の油絵
・パリ時代
・アルル時代
・サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ時代
となっている。これらはクレラー・ミュラー美術館のコレクションである。それ以外にオランダ国立ゴッホ美術館からのゴッホ作品4点が、特別出品ということで別途コーナを設けて展示されていた。このブログではそれらも上記の年代順構成の中で紹介したい。
ヘレーネ関連については前回にそこそこ書いたので割愛。次のゴッホ以外のコーナには「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」というタイトルが付けられていた。展覧会のメニュー的には前菜のようなもので、時に期待もしていなかったのであるが、これがなかなかの粒ぞろい。
「それは遠くからやって来る」
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル 1887年
この長い名前はオランダ人の画家。これはヘレーネが最初に買った絵の1つらしい。寒々とした色調だし周りには何もない。そして走っているのは蒸気機関車だから、とても寂寥(せきりょう)とした印象を受ける。しかし、それにしてはタイトルが詩的だ。
考えてみればこの時代は(1887年は明治20年)少し郊外に出ればこんな風景が当たり前だったろう。それに蒸気機関車が登場してしばらく経ってはいるが、現在のように路線が張り巡らされているわけではないから、それを目にすることはまだ新鮮だった気もする。今ならリニアモーターカーが走っているみたいなもので、ひょっとしたら「すごい時代になりましたなあ」というメッセージが込められているのかも知れない。
ところで色々な展覧会を見てきて不満に思っていることがある。あまり新しい画家の展覧会に行かないせいもあるのだが「現代的なもの」が、絵画にはあまり描かれていないのだ。
印象派でたまに蒸気機関車が登場するものの、それ以降のものはほとんど見た記憶がない。クルマ、飛行機、電車、都会の風景、電化製品その他あれこれ。いわゆるモダンアートではなくて、どちらかといえばオーソドックスな画風で「スマホを眺める女」みたいな作品を描いている画家はいないのかな。
「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」
アンリ・ファンタン = ラトゥール 1866年
こういうタイプの静物画はあまり好みじゃない。子供の頃は教科書でこんな絵を見て「他にいくらでも面白いものあるのに、何でわざわざ果物なの?」と思ったものだ。三つ子の魂百までじゃないが、そんな感覚を未だに引きずっているような気もする。
でもこの絵はとても気に入った。そういう首尾一貫しないフレキシブルなところは私の長所に違いない(^^ゞ 何がよかったかを表現するのは難しいが、あえていえばまさに静物で静まりかえっているところかな。
ところでこの絵はクレラー・ミュラー美術館からの借り入れで、2010年のゴッホ展でも展示されていた。前回に書いた理由で、ゴッホ展を開催すれば同館か国立ゴッホ美術館から借りる作品が多くを占めることになる。だとしても今回は過去に見た作品との重複がかなり多かったのが残念なところ。その話はまた後ほど。
「カフェにて」 ルノワール 1877年
見間違える心配のないイッカにもルノワールの作風。私の好きな「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部を切り取ったような雰囲気がある。でもタイトルが「カフェにて」で、ムーラン・ド・ラ・ギャレットはダンスホールやキャバレーに属する店だから違う場所だろうな。ちなみにこの頃のカフェは居酒屋のことを指す。
ところで左端のシルクハットの男性。
私の若い頃にこっそり似ている(^^ゞ
次の3つは点描の作品。ピサロのは半点描というべきか。点描って画家が考えているほど効果的な手法だと思わないのだけれど、たまに見ると面白いかな。
「2月、日の出、バザンクール」 ピサロ 1893年
「ポール =アン = ベッサンの日曜日」 スーラ 1888年
「ポルトリューの灯台、作品183」 シニャック 1888年
「花嫁」 ヨハン・トルン・プリッケル 1892〜1893年 ※一般的にはプリッカー
アール・ヌーヴォー的な雰囲気の絵。花嫁の後ろ姿と十字架のキリストが象徴的に描かれている。よく眺めるとかなり神秘的でもある。ヨハン・トルン・プリッケルは知らない画家だったが、画像検索するとステンドグラス作品が多くヒットする。色使いは別として、この作品にもそれに通ずるところがある感じ。
「キュクロプス」 ルドン 1914年
私はルドンを「グラン・ブーケ」という美しい絵で初めて知ったので、彼がそれとは正反対の薄気味悪い絵をたくさん描いていることが、未だに心の中で整理できていない。キュクロプスとはギリシャ神話に出てくる野蛮で人を食う単眼の巨人。
いかにも恐ろしい光景であるが、この絵を見た瞬間に子供の頃のトラウマ?がよみがえってきた。それは初代ウルトラマンの「まぼろしの雪山」に登場した伝説怪獣「ウー」。
今見ると笑える映像だが、私もまだ子供だったし、それにこの作品はいつものウルトラマンと違って悲しい物語で、それがより恐怖心を書き立てた。主人公の女の子が叫ぶ「ウ〜、ウ〜よ〜」という悲痛な声は未だに耳に残っている。これを見た数年後にスキーに連れて行ってもらって、生まれて初めての雪山を見た時、ウーが出てきそうな気がして半分マジでビビってしまったことは内緒である(^^ゞ
さてキュクロプスの目玉に視線を奪われしまうが、よく見ると山肌に裸体の女性が横たわっている。彼女はニンフ(妖精とか精霊とか、それが擬人化された女神みたいなもの)で、キュクロプスは彼女に恋をして眺めているらしい。そのストーリーを知った上で絵を眺めると、キュクロプスはけっこう愛嬌のある顔をしているし表情も優しい
よかった、これでウーの夢を見てうなされずに済む(^^ゞ
中高年限定の話題でゴメン。
次の3つはキュビスムの作品。
苦手なジャンルではあるが、あまり過激な作品じゃないので私でもついて行けた。
ちなみにサイフォン瓶とはコーヒーを淹れるサイフォンではなく、炭酸飲料などを入れておく容器のようだ。検索すると地ビールが多くヒットする。
「トランプ札とサイフォン瓶」 フアン・グリス 1916年
「菱形の中の静物」 ジョルジュ・ブラック 1917年
「ギターのある静物」 ジーノ・セヴェリーニ 1919年
このモンドリアンの作品はブログに貼り付けた画像では、どこが面白いの?という印象だと思う。だいたいモンドリアンといえば原色をイメージするし。でもこの色合いに微妙にソソられるものがあって、それがモンドリアンというのがまた意外で、けっこう長く眺めていた。もっともこんな絵だからパッと見から印象は変化しないのだが。
「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」
モンドリアン 1919年
ここに紹介したのは12点、会場には全部で20展が展示されていた。ヘレーネのコレクションが素晴らしいのか、あるいはこれらの作品を選んだキュレーター(学芸員)のセンスが私の好みとマッチしていたのか、とにかく「捨て絵」はほとんどなく、最初に書いたように前菜ではなくメインディッシュの一部として見応えがあった。全部持ち帰って家に飾りたいくらい。そんなに広くてたくさんの壁面はないのが残念(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 21:38|Permalink│Comments(0)│
2016年09月16日
女性を描く クールベ、ルノワールからマティスまで
前回のエントリーでも少し書いた、ツーリングで立ち寄った横須賀美術館で開催されている展覧会。どんな内容かを美術館のホームページの言葉をコピペすると、
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
産業化と機械化の発展により、1850年から約1世紀の間に、フランスでは社会が大きく変化します。 また、この時代のフランスでは重要な芸術運動、すなわち、レアリスム(写実主義)、印象派、ポスト印象派、象徴主義、フォーヴィスム、キュビスムが生まれ、豊かに実っていきます。
この時代のフランス絵画においては、社会の様々な場面での女性が描かれ、また内面を掘り下げた作品が多様に表現されていきます。
本展では、こうした時代の証言者である女性像に焦点をあて、「女性の肖像」「画家とモデル」「家庭の女性」「働く女性」「余暇(レジャー)」「夢の女性」という6つのテーマを設け、 47作家による約60点で多彩な作品群をご紹介いたします。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(クルーベという画家はよく知らないのだが)副題にルノワールからマティスまでと添えられているのは、特に目玉となる作品もないので、知名度の高い画家の名前で訴求力を高めたかったのだろう。もっともルノワールやマティスにしても、彼らの代表作が展示されているわけではない。
いってみればかなり地味目の展覧会で、47名の画家のうち私が知っていたのは
ルノワール
ローランサン
ボナール
マティス
キスリング
の5名くらい。残り42名には「聞いたことがあったかな」という画家もいたが、ほとんど知らない人ばかり。でもこの42名がよかったのである。絵がどうこうというより、肩の力を抜いていろんな画家の絵を眺められたのが楽しかった。先ほどの美術館の説明にはいろいろと難しいことが書いてあるが、そんなことを抜きにして、古き良きパリのバラエティに富んだ女性の肖像画や人物画の展覧会という解釈でいいと思う。それに前回のエントリーで紹介した通り、この美術館のレストランは順番待ちで並ばなければいけないが、展示室はガラガラでノンビリと鑑賞できる。
まずは有名どころから紹介。
オーギュスト・ルノワール 「肖像画の習作」
制作年は不明でも、絵の雰囲気から後期の作品なのは一目瞭然。まあどこから見てもルノワールな画風。ルノワールは先月に大規模な展覧会で代表作をたくさん見たばかりなので、それと較べてしまうせいか、あまり展示作品に興味が持てなかった。
マリー・ローランサン 「ギターを持つ若い女性」1940年
ローランサンも一目見て彼女だとわかる画風を確立した画家。少し軽めのイラスト風で、昔はお洒落な絵画の代名詞だったこともある。ただし日本では人気があるもののフランスではそれほどでもないという話もよく聞く。少女的な愛らしさを追求した画家であり、カワイイ文化の日本人とは相性がいいのかもしれない。
ピエール・ボナール 「服を脱ぐモデル」
名前はあまり聞かないものの、わりとあちこちで見かけるボナール。まあ展覧会にはそんな脇役の画家も必要かも。「絵画は、ひとつの充足する小さな世界でなければならない」と語り、アンティミスト(親密派・内景派)と呼ばれるボナール。また浮世絵などから多大の影響うけ「日本かぶれ」とも揶揄されていたらしい。まるで屏風や掛け軸のような作品も残している。でもそれらを除けば印象派の画家とは違い、知る限り、いかにも浮世絵からインスピレーションを得たような構図や、アクセントとして日本の風物を置いたような絵は描いていない。私にはコッテリとした、とてもパリ的に感じられる画家である。
アンリ・マティス 「窓辺の婦人」1919年
だいたいがヘタウマ絵のマティスであるが、これはちょっとーーー小学生が描いたお母さんの絵にしか見えなかった(/o\)
モイーズ・キスリング 「赤い洋服のモンパルナスのキキ」1933年
キスリングを見る機会はそれほど多くない。しかし、かなり個性的なので一度見たら忘れることはない画家である。彼の人物画は割と平面的でコントラストのはっきりした画風。アニメ的といってもいいかもしれないが、その表情にはどこか憂いを漂わせているものが多い。パッと見は単純だけれど、じっくり見ると結構ハマるタイプの作品が多い。
モンパルナスのキキは、キスリングだけでなくユトリロ、藤田嗣治、モディリアーニなど当時の多くの画家に描かれた伝説のモデル。また有名な写真家であるマン・レイの愛人でもあった彼女のブロマイドは30万枚以上売れたという。
この写真は展示作品ではない。またこの写真が30万売れたということではないが、皆がキキの虜になったことはこの1枚でもわかる気がする。
本名はアリス・プラン。キスリングが100枚以上彼女の絵を描いたので、キスリングの愛称のキキが彼女の呼び名にもなったらしい。
ーーー続く
wassho at 08:13|Permalink│Comments(0)│
2016年08月11日
ルノワール展 その4
ルノワールが1880年代に印象派的技法を離れ、輪郭がシャープに変容していくことは前回までのエントリーで書いた。彼の1880年代は「硬い時代」とも呼ばれている。1890年代にはまた柔らかいタッチに戻り「真珠色の時代」となる。ただし以前のように光が溢れるような描き方をしていないのは残念なところ。まあ画家も同じような絵をばかりじゃ飽きてくるんだろう。
「ジュリー・マネ」あるいは「猫を抱く子供」1887年
「硬い時代」と「真珠色の時代」の過渡期の作品なのかな。顔の輪郭は割とシャープだけれど服は柔らかに描かれている。その顔を見ると、なぜか大昔の少女マンガ、あるいは挿絵のようなものを思い起こす。ちなみに彼女はマネの姪っ子。
ところで気持ちよさそうにしている猫がたまらない愛くるしさ。
そこに目をつけて、こんなものも売られていた。
「ガブリエルとジャン」1895年。
ピザをつかんでチーズが延びているようにしか見えず、どうして皿はないのかとか思ってしまう。でもこれは食事シーンではなく遊んでいるところとのこと。女性が持っているのは牛の人形で、それで赤ちゃんをあやしているらしい。いわれてみれば牛の角のようなものは見える。では赤ちゃんは何を持っているのだ? もっとはっきり描いていくれルノワール!
赤ちゃんがジャンでルノワールの次男。ガブリエルは奥さんの従姉妹で、子守としてルノワール一家と暮らしていたようだ。彼女はルノワールの作品にモデルとして多く登場する。
「ジュヌヴィエーヴ・ベルネーム・ド・ヴィレール」1910年
手にしているティーポットはかなり小さいので西洋風ままごと遊びなのかな。後期ルノワール・ワールド全開の作品。いつも思うのは、名を残した画家というのはテクニックや表現力が抜群に優れていたのではなく、画風・芸風を確立した人たちだということ。絵を3年も習えば技術的にこの程度は描けると思うが、この絵に負けないくらいのオリジナリティを作り出せるかは別問題。
愛くるしさに溢れた絵だが、よく眺めると腕や手が異様に太い。ルノワールはふくよかな女性が好みなのは知っていても、子供の絵にもその趣味を反映させるなんて、ちょっとヘンタイが過ぎる気もする。ちなみにタイトルはこの子のフルネーム。ガストン・ベルネームというルノワール作品を多く扱っていた画商の娘をモデルにした作品である。
「ガストン・ベルネーム・ド・ヴィレール夫人」1901年
こちらはそのお母さんの肖像画。ジュヌヴィエーヴと似ているところがあるかもしれない。ただしルノワールは目の描き方がけっこうワンパターンなので、どの肖像画も少し似通った印象を受けるものが多い。
晩年のルノワールは裸婦を多く描いている。展覧会にあったのはどれもほぼ等身大の大作で見応えのあるものばかりだった。しかし、いまいちノレなかったのは彼と私の「オンナの趣味」が違うからかな。ルノワールが好んだのはふくよかな女性。さらに胸が小さくて尻がでかいという条件があったらしい。そこまでなら何とかついていけても、今にも揺れそうな三段腹までは(^^ゞ
「横たわる裸婦(ガブリエル)」1906年
「大きな裸婦」あるいは「クッションにもたれる裸婦」1907年
「浴女たち」1919年
「浴女たち」がルノワールの絶筆。まるで天国のようにも思えるが、タイトルは浴女だから、この光景は空想だとしても、あっちの世界を描いた絵ではない。そしてタプタプのウエスト。三段腹ヌードを生身で見たいとは思わなくても、この絵を眺めていると、のどかで幸せそうだな、こんな世界もいいなあという気になってくるから不思議。まさにルノワール・マジック!
ルノワールは作品数の多い画家で(4000点は下らないといわれている)、今までもたくさん見てきた。でも回顧展スタイルは初めてのような気もする。「硬い時代」の絵はいわれなければルノワールと気付かないかもしれないが、スタイルは違っても根底には同じルノワールの「血」が流れていると感じられたのが大きな発見。そしてムーラン・ド・ラ・ギャレットを見ることができ、印刷や画像とは少し違った見え方だったので、本物と対面した満足感は大きかった。今後はさらに人生修行を重ねて、三段腹を受け止められるようになったら、もっとルノワールが好きになるかも(^^ゞ
おしまい
「ジュリー・マネ」あるいは「猫を抱く子供」1887年
「硬い時代」と「真珠色の時代」の過渡期の作品なのかな。顔の輪郭は割とシャープだけれど服は柔らかに描かれている。その顔を見ると、なぜか大昔の少女マンガ、あるいは挿絵のようなものを思い起こす。ちなみに彼女はマネの姪っ子。
ところで気持ちよさそうにしている猫がたまらない愛くるしさ。
そこに目をつけて、こんなものも売られていた。
「ガブリエルとジャン」1895年。
ピザをつかんでチーズが延びているようにしか見えず、どうして皿はないのかとか思ってしまう。でもこれは食事シーンではなく遊んでいるところとのこと。女性が持っているのは牛の人形で、それで赤ちゃんをあやしているらしい。いわれてみれば牛の角のようなものは見える。では赤ちゃんは何を持っているのだ? もっとはっきり描いていくれルノワール!
赤ちゃんがジャンでルノワールの次男。ガブリエルは奥さんの従姉妹で、子守としてルノワール一家と暮らしていたようだ。彼女はルノワールの作品にモデルとして多く登場する。
「ジュヌヴィエーヴ・ベルネーム・ド・ヴィレール」1910年
手にしているティーポットはかなり小さいので西洋風ままごと遊びなのかな。後期ルノワール・ワールド全開の作品。いつも思うのは、名を残した画家というのはテクニックや表現力が抜群に優れていたのではなく、画風・芸風を確立した人たちだということ。絵を3年も習えば技術的にこの程度は描けると思うが、この絵に負けないくらいのオリジナリティを作り出せるかは別問題。
愛くるしさに溢れた絵だが、よく眺めると腕や手が異様に太い。ルノワールはふくよかな女性が好みなのは知っていても、子供の絵にもその趣味を反映させるなんて、ちょっとヘンタイが過ぎる気もする。ちなみにタイトルはこの子のフルネーム。ガストン・ベルネームというルノワール作品を多く扱っていた画商の娘をモデルにした作品である。
「ガストン・ベルネーム・ド・ヴィレール夫人」1901年
こちらはそのお母さんの肖像画。ジュヌヴィエーヴと似ているところがあるかもしれない。ただしルノワールは目の描き方がけっこうワンパターンなので、どの肖像画も少し似通った印象を受けるものが多い。
晩年のルノワールは裸婦を多く描いている。展覧会にあったのはどれもほぼ等身大の大作で見応えのあるものばかりだった。しかし、いまいちノレなかったのは彼と私の「オンナの趣味」が違うからかな。ルノワールが好んだのはふくよかな女性。さらに胸が小さくて尻がでかいという条件があったらしい。そこまでなら何とかついていけても、今にも揺れそうな三段腹までは(^^ゞ
「横たわる裸婦(ガブリエル)」1906年
「大きな裸婦」あるいは「クッションにもたれる裸婦」1907年
「浴女たち」1919年
「浴女たち」がルノワールの絶筆。まるで天国のようにも思えるが、タイトルは浴女だから、この光景は空想だとしても、あっちの世界を描いた絵ではない。そしてタプタプのウエスト。三段腹ヌードを生身で見たいとは思わなくても、この絵を眺めていると、のどかで幸せそうだな、こんな世界もいいなあという気になってくるから不思議。まさにルノワール・マジック!
ルノワールは作品数の多い画家で(4000点は下らないといわれている)、今までもたくさん見てきた。でも回顧展スタイルは初めてのような気もする。「硬い時代」の絵はいわれなければルノワールと気付かないかもしれないが、スタイルは違っても根底には同じルノワールの「血」が流れていると感じられたのが大きな発見。そしてムーラン・ド・ラ・ギャレットを見ることができ、印刷や画像とは少し違った見え方だったので、本物と対面した満足感は大きかった。今後はさらに人生修行を重ねて、三段腹を受け止められるようになったら、もっとルノワールが好きになるかも(^^ゞ
おしまい
wassho at 21:14|Permalink│Comments(0)│
2016年08月10日
ルノワール展 その3
この展覧会の目玉作品は間違いなくムーラン・ド・ラ・ギャレット。その次は好みにもよるが「田舎のダンス」「都会のダンス」の2作品だろう。この両者が日本で揃うのは45年振りらしい。ルノワールにはもうひとつ「ブージヴァルのダンス」という作品もあって、それを併せて「ダンス3部作」という呼び方をする。そしてなんと「ブージヴァルのダンス」も来日中で名古屋ボストン美術館で展覧会が開かれている。
無理を承知で言えば、企画を融通・調整して3部作を一緒に見られる機会を設けて欲しかったなあ。日本に来ないならオルセー美術館まで出かけて見るつもりだったムーラン・ド・ラ・ギャレットと違って、ブージヴァルのダンスにそこまでの思い入れはなく名古屋までは遠いので。
「田舎のダンス」
「都会のダンス」
ダンス3部作はすべて1883年に描かれている(ちなみに明治16年)。これまでのエントリーで紹介してきた、1876年の作品である「陽光のなかの裸婦」や「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の7年後となる。そして1876年の頃とは描き方が違う。まず絵の中に光は溢れていない。そして写実的とまではいえないないが、人物はより細かなところまで描き込まれている。
美術史ではこのダンス3部作の頃からルノワールは、狭義の印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと説明される。アカデミックなことにあまり興味はないが、たとえ画風を少々変えたとしても、これから先のほとんどの作品で、一目見てルノワールとわかるアイデンティティは揺るがない。それは前回のエントリーで書いた彼のポリシーに変化がないからだろう。
モデルの男性は2枚とも共通。都会のダンスの女性は、印象派の作品によく登場するモデルのシュザンヌ・ヴァラドン。日本風に表現するならスザンヌ。彼女は後に画家にもなり、またユトリロの母親でもある。田舎のダンスの女性は、シャンパーニュ地方出身のお針子であるアリーヌ・シャリゴ。ルノワールは後に彼女と結婚している。「ブージヴァルのダンス」のモデルもシュザンヌ・ヴァラドンであり、「田舎のダンス」も、つまり3枚とも彼女の予定だったが、アリーヌ・シャリゴが嫉妬して自分を描かせたらしい(^^ゞ
二人の表情は、楽しそうなアリーヌ・シャリゴ(田舎のダンス)と、悲しそうにも見えるシュザンヌ・ヴァラドン(都会のダンス)で対照的。もちろんルノワールはどちらとも「おつきあい」があった。シュザンヌ・ヴァラドンは、この作品が発表された年に、父親非公表の私生児としてユトリロを出産する。ルノワールは父親と推定される候補の一人。また先ほどの嫉妬のエピソードなどもあり、その表情の違いについていろんな解説がある。そんなゴシップも絵の楽しみのひとつ。
参考までに、こちらが名古屋の展覧会に出品されている「ブージヴァルのダンス」。男性は3部作とも同じ人物。「田舎のダンス」のアリーヌ・シャリゴがふくよかなのでルノワールらしさを一番感じるが、ダンスの動きが感じられるという点ではこちらのほうが好き。
「母性」あるいは「乳飲み子」(ルノワール夫人と息子ピエール)1885年
「田舎のダンス」のモデルのアリーヌ・シャリゴは1885年にルノワールの子供を産む。当時ルノワール44歳、アリーヌ26歳と約20歳違いのカップル。5年後の1890年に結婚する。
何を描いても幸せそうな雰囲気になるルノワールが、母親が赤ちゃんにオッパイをあげるという幸せなシーンを描くのだから、この絵は幸せに満ちあふれている。ところでダンスの絵で、ルノワールは印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと書いたが、そのことはこの絵ではっきりと見て取れる。顔にしろ服にしろ輪郭がとてもシャープにはっきりと描かれている。イタリアに旅行してラファエロの絵を見て影響を受けたといわれている。ルノワールによれば「印象派は光の効果にかまけて、ものの形を描くことをおろそかにしてきた」ということらしい。
「ルノワール夫人」1916年 リシャール・ギノとの競作
アリーヌ・シャリゴはいわゆる良妻賢母タイプ。シュザンヌ・ヴァラドンと天秤にかけた時期もあったらしいが、夫婦仲はよくルノワールは彼女の絵を何枚も残している。しかし彼女は1915年に56歳で亡くなる。とはいってもルノワールが亡くなったのはその4年後の1919年だから、彼女の死は早かったとはいえ、そこそこ添い遂げた結婚生活ともいえるのだが。
これはアリーヌのお墓に供えるために作られたもの。実際に彫刻製作をしたのはリシャール・ギノでルノワールが監修役。二人がコラボレーションした彫刻は他にも展示されていた。「田舎のダンス」でもかなりふくよかに描かれているが、この彫刻でもその体格のよさが偲ばれる。ルノワールはきっと彼女のことを「カアちゃん」と呼んでいたに違いない(^^ゞ
ーーー続く
無理を承知で言えば、企画を融通・調整して3部作を一緒に見られる機会を設けて欲しかったなあ。日本に来ないならオルセー美術館まで出かけて見るつもりだったムーラン・ド・ラ・ギャレットと違って、ブージヴァルのダンスにそこまでの思い入れはなく名古屋までは遠いので。
「田舎のダンス」
「都会のダンス」
ダンス3部作はすべて1883年に描かれている(ちなみに明治16年)。これまでのエントリーで紹介してきた、1876年の作品である「陽光のなかの裸婦」や「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の7年後となる。そして1876年の頃とは描き方が違う。まず絵の中に光は溢れていない。そして写実的とまではいえないないが、人物はより細かなところまで描き込まれている。
美術史ではこのダンス3部作の頃からルノワールは、狭義の印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと説明される。アカデミックなことにあまり興味はないが、たとえ画風を少々変えたとしても、これから先のほとんどの作品で、一目見てルノワールとわかるアイデンティティは揺るがない。それは前回のエントリーで書いた彼のポリシーに変化がないからだろう。
モデルの男性は2枚とも共通。都会のダンスの女性は、印象派の作品によく登場するモデルのシュザンヌ・ヴァラドン。日本風に表現するならスザンヌ。彼女は後に画家にもなり、またユトリロの母親でもある。田舎のダンスの女性は、シャンパーニュ地方出身のお針子であるアリーヌ・シャリゴ。ルノワールは後に彼女と結婚している。「ブージヴァルのダンス」のモデルもシュザンヌ・ヴァラドンであり、「田舎のダンス」も、つまり3枚とも彼女の予定だったが、アリーヌ・シャリゴが嫉妬して自分を描かせたらしい(^^ゞ
二人の表情は、楽しそうなアリーヌ・シャリゴ(田舎のダンス)と、悲しそうにも見えるシュザンヌ・ヴァラドン(都会のダンス)で対照的。もちろんルノワールはどちらとも「おつきあい」があった。シュザンヌ・ヴァラドンは、この作品が発表された年に、父親非公表の私生児としてユトリロを出産する。ルノワールは父親と推定される候補の一人。また先ほどの嫉妬のエピソードなどもあり、その表情の違いについていろんな解説がある。そんなゴシップも絵の楽しみのひとつ。
参考までに、こちらが名古屋の展覧会に出品されている「ブージヴァルのダンス」。男性は3部作とも同じ人物。「田舎のダンス」のアリーヌ・シャリゴがふくよかなのでルノワールらしさを一番感じるが、ダンスの動きが感じられるという点ではこちらのほうが好き。
「母性」あるいは「乳飲み子」(ルノワール夫人と息子ピエール)1885年
「田舎のダンス」のモデルのアリーヌ・シャリゴは1885年にルノワールの子供を産む。当時ルノワール44歳、アリーヌ26歳と約20歳違いのカップル。5年後の1890年に結婚する。
何を描いても幸せそうな雰囲気になるルノワールが、母親が赤ちゃんにオッパイをあげるという幸せなシーンを描くのだから、この絵は幸せに満ちあふれている。ところでダンスの絵で、ルノワールは印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと書いたが、そのことはこの絵ではっきりと見て取れる。顔にしろ服にしろ輪郭がとてもシャープにはっきりと描かれている。イタリアに旅行してラファエロの絵を見て影響を受けたといわれている。ルノワールによれば「印象派は光の効果にかまけて、ものの形を描くことをおろそかにしてきた」ということらしい。
「ルノワール夫人」1916年 リシャール・ギノとの競作
アリーヌ・シャリゴはいわゆる良妻賢母タイプ。シュザンヌ・ヴァラドンと天秤にかけた時期もあったらしいが、夫婦仲はよくルノワールは彼女の絵を何枚も残している。しかし彼女は1915年に56歳で亡くなる。とはいってもルノワールが亡くなったのはその4年後の1919年だから、彼女の死は早かったとはいえ、そこそこ添い遂げた結婚生活ともいえるのだが。
これはアリーヌのお墓に供えるために作られたもの。実際に彫刻製作をしたのはリシャール・ギノでルノワールが監修役。二人がコラボレーションした彫刻は他にも展示されていた。「田舎のダンス」でもかなりふくよかに描かれているが、この彫刻でもその体格のよさが偲ばれる。ルノワールはきっと彼女のことを「カアちゃん」と呼んでいたに違いない(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 08:24|Permalink│Comments(0)│
2016年08月06日
ルノワール展 その2
「ブランコ」1876年
どうしても人物に目が行くし、現在の我々がイメージするブランコがある場所とはまったく違うので、タイトルを見なければブランコが描かれた絵とは気付かなかったかも知れない。それにしても小さな女の子がいるのに、どうして大人がブランコを独占しているのだ?
ルノワール独特の光の表現が、かなりコントラストを高めに描かれている。写真をクリックして拡大し、画面から少し目を離して眺めると、そのことがよくわかるはず。前回のエントリーで書いた、昔、私が惹かれたルノワールの絵の幸せ感がこの絵にも溢れていると思う。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876年
前回のエントリーで書いたように、死ぬまでには絶対に見たいと思っていた絵。どうしてそこまで気に入っているかというと、実は特に理由はない。何となく好きなだけ。絵なんてのはそんなものじゃないかな。念願かなって見られたわけだけれど、それで人生が変わったりもしない。それでも、もし日本で見られないなら、この絵が収蔵されているフランスのオルセー美術館に行ってでも見てやると思わせるのが絵の魔力かもしれない。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットというのはパリのモンマルトルにあったダンスホール。描かれているのは屋外だから、これは中庭みたいな所なんだろうか。ルノワール独特の光の表現が見て取れる。一番手前の男性の背中にいくつか丸があって、それで木漏れ日みたいなものを表現しているが、何となく不自然とというかちょっとやり過ぎという印象をずっと持っていた。でも本物を見るとサイズがタテ131.5センチ×ヨコ176.5センチと大きいせいもあって、そういう細かなところは気にならない。とにかく柔らかい光に包まれていることが実感できる絵なのである。大げさではなく最初は絵にスポットライトが当たっているのかと思ったくらいである。(もちろん絵に照明は当てられているが、それが反射して光るということはない)。
ところで美術史に残るほとんどの有名な絵は本や雑誌やネットで見ることができる。以前にも書いた気がするが、その本物を見てもビックリするくらい新たに感動したり、まったく違う印象を受けるものではない。精神的な満足感をのぞいて何が違うかというと、
その1:生々しさ
これは絵にもよるのだが、何百年前の作品でも昨日に描き終えたんじゃないかと感じるものがある。何となく画家の息づかいが感じられるというか。私が展覧会に通う理由のひとつがそれである。
本やネットで見る絵は写真に撮られたものである。そして写真に撮る・印刷する、あるいはディスプレーに表示する段階で絵が持つ情報が欠落するのだと思う。現在のテクノロジーでもすべてを再現できているわけでは決してない。浮世絵を見るといつも思うのだが、いい浮世絵だなあと思っていても、同じ作者の描いた肉筆画が一緒に展示されていると、それを見た後は浮世絵がつまらない。浮世絵=版画=印刷で、しかも原始的な印刷だから情報量は少ない。浮世絵と肉筆画を較べるのは極端かもしれないが、まあ同じような理屈で本やネットでは生々しさに欠けるのだと思っている。
その2:迫力
これは単純にサイズの問題。本やネットで見た絵から受ける感動の質は、本物を見た時とそう変わらないかも知れないが、感動の量はやっぱりサイズに比例する気がする。
主にこの2点が今までの持論だったが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを見て、光の表現も本やネットでは感じ取れていなかったと気付いた。生々しさと同じく情報量の欠落が原因だろう。光の表現といっても、レンブラントやカラヴァッジョのようなコントラストのはっきりしたものは本物との差はない。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは柔らかい光の表現だからそう感じるのかもしれない。このブログに貼った写真も、展覧会で見た印象とはやはり違う。
そういうわけで本物のムーラン・ド・ラ・ギャレットには光が満ちており、その光が絵からこぼれ落ちているように感じられて、それがとても気に入ったのだが意外な落とし穴が。当たり前だけど絵の中に光があるわけじゃない。そう錯覚するようにテクニックを駆使して描かれている。だからしばらく見ていると目が慣れて、絵からこぼれていた光を感じなくなってしまうのである(/o\)
絵に描かれているのは、ちょっとお洒落してやって来たパリの市民という感じで、これまたルノワールらしい幸せそうな絵である。でも実際のムーラン・ド・ラ・ギャレットはもっと場末的というか退廃感が漂うダンスホールだったらしい。モンマルトルも当時は低所得者層が住むエリアだった。「人生は辛いものだから、絵とは楽しく、きれいなものでなければならない」というのがルノワールのポリシー。だから我々が目にしているのはこぼれる陽光も含めてルノワール・マジックといえるのかもしれない。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは当時のいろんな画家が描いている。画風ではなく、画家の視点というか描きたかったものが、それぞれ違っていておもしろい。※これらの作品は展覧会とは無関係。
ゴッホのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1886年
ロートレックのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1891年
ピカソのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1900年
ユトリロのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1931年
ちなみにムーランは風車、ギャレットは日本ではガレットとも呼ぶ焼き菓子の一種。敷地に風車があって焼き菓子が名物だからムーラン・ド・ラ・ギャレットと呼ばれていたらしい。ムーラン・ルージュというキャバレーの名前もよく耳にするが、ルージュ=赤(転じて口紅)の意味で、そこに赤い風車があったから店名になった。ところで風車というとオランダを思い浮かべる。でも19世紀のパリには粉挽き用の風車がたくさんあったとのこと。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、ダンスホールからレストランになって今でもパリにある。何でもすぐリニューアル=ぶっ壊してしまう日本と違って、歴史ある建物がたくさん残っているパリがうらやましい。
ーーー続く
どうしても人物に目が行くし、現在の我々がイメージするブランコがある場所とはまったく違うので、タイトルを見なければブランコが描かれた絵とは気付かなかったかも知れない。それにしても小さな女の子がいるのに、どうして大人がブランコを独占しているのだ?
ルノワール独特の光の表現が、かなりコントラストを高めに描かれている。写真をクリックして拡大し、画面から少し目を離して眺めると、そのことがよくわかるはず。前回のエントリーで書いた、昔、私が惹かれたルノワールの絵の幸せ感がこの絵にも溢れていると思う。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876年
前回のエントリーで書いたように、死ぬまでには絶対に見たいと思っていた絵。どうしてそこまで気に入っているかというと、実は特に理由はない。何となく好きなだけ。絵なんてのはそんなものじゃないかな。念願かなって見られたわけだけれど、それで人生が変わったりもしない。それでも、もし日本で見られないなら、この絵が収蔵されているフランスのオルセー美術館に行ってでも見てやると思わせるのが絵の魔力かもしれない。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットというのはパリのモンマルトルにあったダンスホール。描かれているのは屋外だから、これは中庭みたいな所なんだろうか。ルノワール独特の光の表現が見て取れる。一番手前の男性の背中にいくつか丸があって、それで木漏れ日みたいなものを表現しているが、何となく不自然とというかちょっとやり過ぎという印象をずっと持っていた。でも本物を見るとサイズがタテ131.5センチ×ヨコ176.5センチと大きいせいもあって、そういう細かなところは気にならない。とにかく柔らかい光に包まれていることが実感できる絵なのである。大げさではなく最初は絵にスポットライトが当たっているのかと思ったくらいである。(もちろん絵に照明は当てられているが、それが反射して光るということはない)。
ところで美術史に残るほとんどの有名な絵は本や雑誌やネットで見ることができる。以前にも書いた気がするが、その本物を見てもビックリするくらい新たに感動したり、まったく違う印象を受けるものではない。精神的な満足感をのぞいて何が違うかというと、
その1:生々しさ
これは絵にもよるのだが、何百年前の作品でも昨日に描き終えたんじゃないかと感じるものがある。何となく画家の息づかいが感じられるというか。私が展覧会に通う理由のひとつがそれである。
本やネットで見る絵は写真に撮られたものである。そして写真に撮る・印刷する、あるいはディスプレーに表示する段階で絵が持つ情報が欠落するのだと思う。現在のテクノロジーでもすべてを再現できているわけでは決してない。浮世絵を見るといつも思うのだが、いい浮世絵だなあと思っていても、同じ作者の描いた肉筆画が一緒に展示されていると、それを見た後は浮世絵がつまらない。浮世絵=版画=印刷で、しかも原始的な印刷だから情報量は少ない。浮世絵と肉筆画を較べるのは極端かもしれないが、まあ同じような理屈で本やネットでは生々しさに欠けるのだと思っている。
その2:迫力
これは単純にサイズの問題。本やネットで見た絵から受ける感動の質は、本物を見た時とそう変わらないかも知れないが、感動の量はやっぱりサイズに比例する気がする。
主にこの2点が今までの持論だったが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを見て、光の表現も本やネットでは感じ取れていなかったと気付いた。生々しさと同じく情報量の欠落が原因だろう。光の表現といっても、レンブラントやカラヴァッジョのようなコントラストのはっきりしたものは本物との差はない。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは柔らかい光の表現だからそう感じるのかもしれない。このブログに貼った写真も、展覧会で見た印象とはやはり違う。
そういうわけで本物のムーラン・ド・ラ・ギャレットには光が満ちており、その光が絵からこぼれ落ちているように感じられて、それがとても気に入ったのだが意外な落とし穴が。当たり前だけど絵の中に光があるわけじゃない。そう錯覚するようにテクニックを駆使して描かれている。だからしばらく見ていると目が慣れて、絵からこぼれていた光を感じなくなってしまうのである(/o\)
絵に描かれているのは、ちょっとお洒落してやって来たパリの市民という感じで、これまたルノワールらしい幸せそうな絵である。でも実際のムーラン・ド・ラ・ギャレットはもっと場末的というか退廃感が漂うダンスホールだったらしい。モンマルトルも当時は低所得者層が住むエリアだった。「人生は辛いものだから、絵とは楽しく、きれいなものでなければならない」というのがルノワールのポリシー。だから我々が目にしているのはこぼれる陽光も含めてルノワール・マジックといえるのかもしれない。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは当時のいろんな画家が描いている。画風ではなく、画家の視点というか描きたかったものが、それぞれ違っていておもしろい。※これらの作品は展覧会とは無関係。
ゴッホのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1886年
ロートレックのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1891年
ピカソのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1900年
ユトリロのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1931年
ちなみにムーランは風車、ギャレットは日本ではガレットとも呼ぶ焼き菓子の一種。敷地に風車があって焼き菓子が名物だからムーラン・ド・ラ・ギャレットと呼ばれていたらしい。ムーラン・ルージュというキャバレーの名前もよく耳にするが、ルージュ=赤(転じて口紅)の意味で、そこに赤い風車があったから店名になった。ところで風車というとオランダを思い浮かべる。でも19世紀のパリには粉挽き用の風車がたくさんあったとのこと。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、ダンスホールからレストランになって今でもパリにある。何でもすぐリニューアル=ぶっ壊してしまう日本と違って、歴史ある建物がたくさん残っているパリがうらやましい。
ーーー続く
wassho at 22:49|Permalink│Comments(0)│
2016年08月05日
ルノワール展
私が絵を好きになったきっかけはルノワールである。子供の頃から学校の授業でもいろいろ習うから、絵のことは社会常識としてそれなりに知っていても、自分とは縁遠い世界のこととずっと思っていた。それがある時、何かで見たルノワールの絵を「いいな」と思ったのが始まり。それが大学生だったか社会人になっていたか、いつのことかは忘れてしまった。どんな絵を見たのかも覚えていない。ただ、その時にたまたま見たルノワールを「幸せそうな絵だな」と感じたことははっきり覚えている。
美術館によく行くようになったのは、それからずっと後になるが、ルノワールがスタートだから最初は印象派が興味の中心だった。幸い日本では印象派の人気が高いので展覧会はしょっちゅう開かれている。ずいぶんたくさん見てきた。しかし今は印象派にはあまり関心がない。あんなに好きだったセザンヌを見ても退屈に感じてしまう。理由はいろいろあるのだが、感覚的なことで説明は難しい。というか別に確たる絵画哲学を持っているのではなく、単に趣味嗜好が循環しているだけ。
絵の場合は循環サイクルが5年から10年単位だが、音楽の場合はもっと短サイクル。例えば、ある時期はバッハを天上から降ってくる音楽と感激し、モーツアルトをまさに天才にしか作曲できない旋律と心酔するが、しばらく経つとあんな抹香臭い音楽(キリスト教だけど)、あんなワンパターンの音楽とほとんど聴かなくなる。そしてしばらく経つとまたーーー。
そういうわけで今は印象派というだけではあまり惹かれない.しかし、この展覧会には何があっても出かけるつもりだった。それはムーラン・ド・ラ・ギャレットという作品が出展されているから。日本に来たのは今回が初めて。なぜか昔からその絵が好きで(フランスの美術館に出かけても)死ぬまでに絶対に見ると決めていた絵だからである。そういう絵はたくさんあるので、がんばって長生きしなければ(^^ゞ
いつもは空いている平日に美術館を訪れる。土曜日になってしまったのは前々回のエントリーで述べた事情による。日比谷公園を出て六本木の国立新美術館に着いたのは午前10時半頃。チケット売り場に並んでいる人はまったくいなくてラッキーと思っていたのに、展示室内に入るとそれなりの混雑。よそでチケットを買ってくる人が多いのかな?
「陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)」1876年
見ての通りざっくりしたタッチの絵。今ではそういう描き方に何の違和感がなくても、印象派以前は丁寧に描き込むのが「常識」であるから、当時としては革命的だったらしい。現在は巨匠扱いされている印象派の画家達も、その運動を始めた頃は絵画界で反体制派のパンク野郎の集まり。もっともルノワールには少し遠慮もあったようでタイトルにエチュード(練習曲)とつけているのがおもしろい。ちなみにトルソとは胴体の意味。
この作品は光と影を表現するために裸体に青や緑の色も使われている。それで「腐敗した死体」のようだという批判もあったらしい。私はこの絵が好きだったが「そういわれれば死んでいるとまではいわないが、肘や胸元辺りに青あざがあるようにも見える」とも思っていた。
しかし本物を目の前にすると、青や緑の色は確かに塗られていても、それがまったく気にならず、フワーッとしたまさに「陽光の中」という雰囲気が絵の中から、不思議なことに絵の周りからも漂っているように感じられる。印刷や画像で見るのとはかなり印象が違うのに驚いた。まさに光が溢れ出ている作品である。ちなみに絵が好きになったきっかけの絵はこれではないが、似たような雰囲気だったような気がする。
次のコーナーは肖像画。肖像画は注文主に渡す絵だからあまり自由には描けない。それでも普通の肖像画と較べればややカジュアルな雰囲気があって、その控えめなルノワールらしさが味わい深い作風につながっていると感じる。
「ダラス夫人」1868年
「ポール・ベラール夫人の肖像」1879年
「クロード・モネ」1875年
ルノワールに風景画のイメージはあまりないように思う。でもなかなかいい絵が多いのである。ただし、ここに貼った3つの風景画のうち2つは以前の展覧会でも見たことがある。いい絵は何度も見たいような、出展作品数には限りがあるのだから、やっぱり今まで見たことのない絵を持ってきて欲しかったような複雑な気分。
「イギリス種の梨の木」1873年
イギリスのでも、イギリス産でもなく、なぜかイギリス種のというタイトル。ところどころ、まるでクレヨンで描いて上から擦ってボカしたようなタッチになっている。それがルノワール独自のテクニックなのかどうかは知らないが、他の画家で見た記憶はない。
「草原の坂道」1875年
風景画ではあるが、間違いなく人物が絵の重要な構成要素になっている。人物の部分を指で隠せば案外つまらない景色。
「シャンロゼーのセーヌ川」1876年
人物画のほとんどはパッと見て彼の絵とわかるくらいオリジナリティが確立されているルノワール。しかし風景画はいろんなタイプの絵を描いている。「あのルノワール・ワールド」で描かれた風景というのはあるのかな。存在するなら是非とも見たい。
ーーー続く
美術館によく行くようになったのは、それからずっと後になるが、ルノワールがスタートだから最初は印象派が興味の中心だった。幸い日本では印象派の人気が高いので展覧会はしょっちゅう開かれている。ずいぶんたくさん見てきた。しかし今は印象派にはあまり関心がない。あんなに好きだったセザンヌを見ても退屈に感じてしまう。理由はいろいろあるのだが、感覚的なことで説明は難しい。というか別に確たる絵画哲学を持っているのではなく、単に趣味嗜好が循環しているだけ。
絵の場合は循環サイクルが5年から10年単位だが、音楽の場合はもっと短サイクル。例えば、ある時期はバッハを天上から降ってくる音楽と感激し、モーツアルトをまさに天才にしか作曲できない旋律と心酔するが、しばらく経つとあんな抹香臭い音楽(キリスト教だけど)、あんなワンパターンの音楽とほとんど聴かなくなる。そしてしばらく経つとまたーーー。
そういうわけで今は印象派というだけではあまり惹かれない.しかし、この展覧会には何があっても出かけるつもりだった。それはムーラン・ド・ラ・ギャレットという作品が出展されているから。日本に来たのは今回が初めて。なぜか昔からその絵が好きで(フランスの美術館に出かけても)死ぬまでに絶対に見ると決めていた絵だからである。そういう絵はたくさんあるので、がんばって長生きしなければ(^^ゞ
いつもは空いている平日に美術館を訪れる。土曜日になってしまったのは前々回のエントリーで述べた事情による。日比谷公園を出て六本木の国立新美術館に着いたのは午前10時半頃。チケット売り場に並んでいる人はまったくいなくてラッキーと思っていたのに、展示室内に入るとそれなりの混雑。よそでチケットを買ってくる人が多いのかな?
「陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)」1876年
見ての通りざっくりしたタッチの絵。今ではそういう描き方に何の違和感がなくても、印象派以前は丁寧に描き込むのが「常識」であるから、当時としては革命的だったらしい。現在は巨匠扱いされている印象派の画家達も、その運動を始めた頃は絵画界で反体制派のパンク野郎の集まり。もっともルノワールには少し遠慮もあったようでタイトルにエチュード(練習曲)とつけているのがおもしろい。ちなみにトルソとは胴体の意味。
この作品は光と影を表現するために裸体に青や緑の色も使われている。それで「腐敗した死体」のようだという批判もあったらしい。私はこの絵が好きだったが「そういわれれば死んでいるとまではいわないが、肘や胸元辺りに青あざがあるようにも見える」とも思っていた。
しかし本物を目の前にすると、青や緑の色は確かに塗られていても、それがまったく気にならず、フワーッとしたまさに「陽光の中」という雰囲気が絵の中から、不思議なことに絵の周りからも漂っているように感じられる。印刷や画像で見るのとはかなり印象が違うのに驚いた。まさに光が溢れ出ている作品である。ちなみに絵が好きになったきっかけの絵はこれではないが、似たような雰囲気だったような気がする。
次のコーナーは肖像画。肖像画は注文主に渡す絵だからあまり自由には描けない。それでも普通の肖像画と較べればややカジュアルな雰囲気があって、その控えめなルノワールらしさが味わい深い作風につながっていると感じる。
「ダラス夫人」1868年
「ポール・ベラール夫人の肖像」1879年
「クロード・モネ」1875年
ルノワールに風景画のイメージはあまりないように思う。でもなかなかいい絵が多いのである。ただし、ここに貼った3つの風景画のうち2つは以前の展覧会でも見たことがある。いい絵は何度も見たいような、出展作品数には限りがあるのだから、やっぱり今まで見たことのない絵を持ってきて欲しかったような複雑な気分。
「イギリス種の梨の木」1873年
イギリスのでも、イギリス産でもなく、なぜかイギリス種のというタイトル。ところどころ、まるでクレヨンで描いて上から擦ってボカしたようなタッチになっている。それがルノワール独自のテクニックなのかどうかは知らないが、他の画家で見た記憶はない。
「草原の坂道」1875年
風景画ではあるが、間違いなく人物が絵の重要な構成要素になっている。人物の部分を指で隠せば案外つまらない景色。
「シャンロゼーのセーヌ川」1876年
人物画のほとんどはパッと見て彼の絵とわかるくらいオリジナリティが確立されているルノワール。しかし風景画はいろんなタイプの絵を描いている。「あのルノワール・ワールド」で描かれた風景というのはあるのかな。存在するなら是非とも見たい。
ーーー続く
wassho at 08:57|Permalink│Comments(0)│
2015年11月12日
モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで
上野の東京都美術館で開催されているモネ展。去年も一昨年もモネの絵はたくさん見ているので実はスルーしていたが、中国人友人のT君がタダ券を手に入れたと誘ってくれたのでラッキーと出かける。彼は普段あまり絵は見に行かないとのことだが、先日パリ旅行でオランジュリー美術館を訪れたらしい。オランジュリーはモネの大きな睡蓮の作品があることで有名。しかし団体旅行でスケジュールに余裕がなかったのか、あまりゆっくり鑑賞できなかったので東京での展覧会に期待しているとのこと。
彼がモネにどんなイメージを抱いていたのかはわからないが、結論から言うとこの展覧会はモネのいかにもモネらしい「ベタ」な作品はあまり多くない。もちろん睡蓮も展示されているが、全体構成の中でそれほどメインじゃない感じ。
この展示会はパリにあるマルモッタン・モネ美術館所蔵の作品だけで構成されている。モネのコレクション数では世界最大級とのこと.しかし、あちこちで選んで作品を借りてくる通常の展覧会と較べれば、単館のコレクションだけではやはり「網羅的」とはならないのかも知れない。しかしおかげであまり見たことのないタイプのモネの絵を見られたし、おそらくマルモッタンに行かないと見ることのできないボリュームで一風変わったモネの晩年のシリーズを見るという体験も貴重だった。
訪れたのは11月1日の日曜日。凄く混雑していて入場制限が実施されているとの噂を聞いていたけれど、この日はそういうことはなかった。でも入場はスムーズでも展示室内はかなりの人数。
本来、この展示会の目玉はサブタイトルにもなっている「印象、日の出」である。最初に貼ったポスターは、その絵が下敷きになっている。「印象、日の出」は印象派の名前の由来となった作品。もっともこの作品が発表された当時は「内面のない、まさに印象だけの絵だね」という否定的な意味だったのだが。
残念ながら東京での「印象、日の出」展示は10月18日まで。サブタイトルに使うほどのメイン作品が期間の途中でなくなってしまうなんて納得がいかないが、なぜかそういう運営がされている。正直にいうと「印象、日の出」がそれほど素晴らしい作品だとはあまり思っていない。しかし印象派の名前の由来となったという「縁起物」として、一度は見ておきたかったのだ。
ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅 1877年
「印象、日の出」と入れ替わって展示されていたのがこの作品。昨年のオルセー美術館展で、これとは別のサン=ラザール駅を描いた作品を見たが印象はかなり異なる。こちらのほうが構図のバランスがよくてダイナミックな感じ。でもモネの微妙な色彩やホワーッとした感じが好きなので、貰えるならオルセーのほうがいいな。
ジャン・モネの肖像 1880年
ポンポン付き帽子を被ったミシェル・モネの肖像 1880年
クロード・モネの長男ジャンと次男ミシェルの肖像画。モネは基本的に風景画家なので肖像画は珍しいらしい。そういえば今まで見た記憶はない。でも絵としては普通で、あまり印象には残らなかった。
ルノワール
新聞を読むクロード・モネ 1873年
これはルノワールがモネを描いた作品。いわれてみればルノワールらしい肉付きの絵だが、それほどルノワール・オーラはでていないので、作品紹介のプレートがなければモネの絵だと思ったかも。ところで解説によるとこれは自宅でパイプを吹かしながらリラックスして新聞を読んでいるモネらしい。自宅で帽子被ってコート着る?
ドラクロワ
エトルタの断崖、馬の脚 1837年
モネ以外の作品はルノワールの他にもいくつかあった。モネ自身が集めていた他の画家の作品らしい。あっさりした絵が多くて、あまり興味を持てなかったが、逆にあっさりさで目を引いたのがこのドラクロワの作品。ドラクロワはこってり濃密なイメージを持っているから意外だった。タイトルの馬の脚とは、崖の右側がそういう風に見える景色だから。
トルーヴィルの海辺にて 1870年
ポーラ美術館のモネ展でウジューヌ・ブーダン(画家の名前)の「トルーヴィルの浜」を見て以来、なぜか私はトルーヴィルを描いた作品はすぐに見分けられるようになった。このモネの絵を見るのは初めてだが、遠くから眺めてトルーヴィルに違いないと確信を持って絵に近づき、作品名を見てヤッパリと美術館で小さくガッツポーズ。前世はトルーヴィルに住んでいたのかもしれない(^^ゞ
雪の効果、日没 1875年
ポーラ美術館で見た「雪のアルジャントゥイユ」とタッチは違うが景色に共通するところがあるから、これもアルジャントゥイユ(地名)かなと思う。制作年も同じ1875年。
モネには雪の絵が多いらしい。オルセー美術館展で見た「かささぎ」は雪景色の、つまりは白い世界なのに光が描き分けられていてグッときた。それとくらべればアルジャントゥイユでの雪作品はまあ普通。
霧のヴェトゥイユ 1879年
ヴェトゥイユも地名。アルジャントゥイユがパリの北西約10キロで、ヴェトゥイユが約60キロ。パリ生まれのモネは31歳でアルジャントゥイユ、38歳でヴェトゥイユへ移り住んでいる。距離10キロのアルジャントゥイユはパリの隣だが、60キロ離れたヴェトゥイユは東京駅から直線で大磯くらいの距離。
パソコンで見るとはっきりしない絵に見えるが実物も同じである(^^ゞ でも実物は柔らかな色彩がふわーっと舞っているような印象があって何ともいえない味わいがある。
ヨット、夕暮れの効果
はっきり言ってたいしたことない絵だと思った。ひょっとしたら空をこんな色彩で描き分けるのは当時は誰もやっていなかったのかも知れなが、今の時点で評価すれば、ちょっと絵心があれば誰でも描けるというか描きがちな絵。私が「これは絵になる」と思って撮る写真みたいなもの。撮っている時はいい気分でも後でパソコンで見ると素人丸出しの写真が写っている。展示会で凄い作品ばかりだと息苦しくなる時があるが、巨匠でもこんな普通の絵を描くんだあと思うと少しホッとする。
オランダのチューリップ畑 1886年
花のところは絵の具を水平に荒く塗ってあるだけなのに、風車との組み合わせでそれがチューリップ以外に決して見えないのは、わたしがチューリップ好きでそれなりに知識もあるからである。普通の人はこれをパッと見て何の花をイメージするのかな。
オランダは風車が名物なくらいだから風が強いのだろうか。何となくチューリップが風に押し流されている感じがする。不思議なのは雲なのか単に空の描写かわからないが、それが縦の線で描かれている。だから風が吹き上がっているようなイメージ。
ーーー続く
wassho at 09:04|Permalink│Comments(0)│
2012年12月29日
メトロポリタン美術館展
もっと早く見に行くつもりだったが、12月になると何かと忙しく、年明けは1月4日までしか開催していないし。ということで年末休みに入った本日に上野まで。私と同じようにグズグズしていた人が多いのか、あるいは年末は暇な人が多いのか美術館はかなりの混雑。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン
遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
地下鉄の出口を間違えて、いつもの上野公園正面入り口ではなく御徒町(御徒町)寄りに出てしまった。それで上野名所のひとつアメ横。
アメ横は上野駅から御徒町駅の山手線の高架下に延びている商店街。「アメリカ横町」ではなく「飴屋」が名前の由来と知ったのはかなり最近。年末は正月用の買い物をする客で混雑することで有名。多少興味はあったが別に買うものもないし、普通に歩けないくらい混雑していたので今回はパス。
一歩上野公園に入ると駅前の喧噪が嘘のよう。
重要文化財の清水観音堂。
上野公園にはお寺関連の建物も多い。というか元々は徳川家菩提寺である寛永寺の敷地だったところ。明治維新で戦場になり、その後に公園になった。
公園中央に近づくに連れて道幅も広くなる。
東京都美術館に到着。
iPhoneで写真を撮っている私が写っています。
入場はスムーズだったが、展示室は人がいっぱいだった。
「糸杉」 ゴッホ
この展示会の目玉。私もこれを目当てにやってきた。
絵として良い・悪い、あるいは好き・嫌いという前にゴッホのエネルギーがビシバシ伝わってくるし、それを味わうべき作品。見ているだけで熱気が感じられるという絵はそうザラにはない。
「歩き始め ミレーに依る」 ゴッホ
これもゴッホ。ここに貼り付けた写真より本物は絵の具の立体感などゴッホらしさ満開。でも人の顔がグレーで描かれているのが気に入らない。特に子供の顔がグレーなのが不気味。ついでにいうと、両親の服の色が同じなのも芸がない。彼が生きているのなら描き直しを命じたい(^^ゞ。
「ミレーに依る」という題名は、これがゴッホによるミレー作品の模写だから。ゴッホはミレーを尊敬していたらしい。この絵はゴッホが精神病院に入院していたときに描かれている。顔がグレーなのは「病んでいる」感じもするが、糸杉も同時代の作品なので何ともいえない。でも、これだけの絵が描けて、どこが病気だという気もするが。
これがミレーの「歩き始め」
(この展示会の出品作ではない)
「麦穂の山:秋」 ミレー
これはこの展示会にあったミレー。いかにもミレーな感じ。でもミレーといえば農民がいないと。羊だけじゃチョット物足りない。
ところで、この展示会はサブタイトルが「大地、海、空ーーー4000年の美の旅」と名付けられている。これだけじゃ何のことかサッパリだが、
理想化された自然
自然のなかの人々
大地と空
水の世界
など「自然」を切り口に合計7つのテーマを設けて作品を展示している。絵だけじゃなく工芸品や発掘品なども多数。しかし考え方としてはアリだけれど、作品を見ていてそのテーマを意識することはなかった。つまり企画倒れ。テーマが漠然としすぎている。
「タコのあぶみ壺」 古代ギリシャ 紀元前1200年〜1100年頃
「あぶみ壺」の意味はわからないが、とりあえずタコの絵が描かれた壺。タコというより火星人みたい。そんなことよりも紀元前1200年で、壺に絵付けをしようなどという文化度の高さに感心する。
「馬の小像」 古代ギリシャ 紀元前8世紀
頭の部分を見る限り、馬というより既に絶滅した動物じゃないか?(^^ゞ 同じく紀元前8世紀にこれだけのデフォルメをする造形感覚。工業デザインやインテリアデザインで日本のものがノッペリしているのは、やっぱりDNAレベルで差があるのかなあ。
「嵐の最中に眠るキリスト」 ドラクロワ
キリストがいることはタイトルを読んでからわかった。バンザイしている人が目に飛び込んできた作品。ところでドラクロワって何となく名前は知っていても、どんな絵を描いた人だっけ?ーーーという人はここをクリック。
「水浴するタヒチの女たち」 ゴーギャン
どう見てもゴーギャン。
「浜辺の人物」 ルノワール
どう見てもルノワール(^^ゞ
この展示会には7つのテーマがあると書いたが、このルノワールとゴーギャンとドラクロワは「自然のなかの人々」という同じ分類になっている。やっぱりこの展示会のテーマ設定には無理がある。
「マヌポルト(エトルタ)」 モネ
どう見てもモネとはいわないが、そういわれてみればモネな作品。エトルタというのはノルマンディー海岸にある断崖絶壁が連なるエリアとのこと。マヌポルトはその中でも名前がついている有名な断崖。この場所を書いたモネの作品はいくつかあるらしい。波が砕け散っているのに静かな感じがするのは、やはりモネだからか。印象派と呼ばれるけが「心象」を描いているといったほうがしっくりくる。
「骨盤 II」 ジョージア・オキーフ
99歳まで生きたアメリカの女性画家。没年は1986年。
絵の題材としては反則という気がしなくもないが、なかなか見飽きないおもしろい絵だった。
「夏」 バルテュス
没年2001年のフランスの画家。
ところで、この絵のどこが素晴らしいのか誰か教えて!
「中国の花瓶に活けられたブーケ」 ルドン
それでは今回の展示会ベスト3。
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」
ターナー
ターナーはイギリスの風景画家。この絵のどこが気に入ったかを答えるのは難しい。しいていえば「この風景をこの目で見たい」と強く思ったことか。分析的に考えれば、透明感があってとても水々しいタッチ。それと変に小細工していない真っ当な絵なことを好感したのだと思う。
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
「桃の花ーーヴィリエ=ル=ベル」 チャイルド・ハッサム
チャイルド・ハッサムはフランスで印象派の技法を学んだアメリカの画家。ヴィリエ=ル=ベルはパリ郊外の地名。この絵が描かれた1889年にはかなり田舎だったと思われる。
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
やっぱりモネに似ているかな。印象派にも色々ある。あまり崩しすぎたりデフォルメしすぎない、これくらいのタッチが私は好き。それとこれはハッサムの創作かもしれないが、日本では桃や桜の木はこんな風に草地に中には生えていないので「いい景色」と思ったのもポイントが高かった。
「トゥー・ライツの灯台」 ホッパー
ホッパーはアメリカの画家。トゥー・ライツとは2ライト、つまり2灯という意味だが絵を見る限り灯台の電球は1つ。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
ホッパーの絵はイラストっぽいタッチのものが多いのであまり好きじゃない。でもこの絵は本日で一番気に入った。でも、どこが気に入ったかを説明するのはターナーの絵よりさらに難しい。描き方は幼稚だし、構図は私がバイク・ツーリング先のあちこちで撮る写真みたいに芸がない。ひょっとしたら、そこに親近感を覚えた?
それはともかく眺めていると、のどかで幸せな気持ちになる絵である。どことなくひなびた感じもいい。ツーリングに出かけるのも都会から離れてリラックスしたいという気持ちがあるから、やっぱりそこに共通点があるのかな。
アレコレいろんなジャンルの作品があってチョット頭が混乱したが、それぞれの作品はなかなか見応えがあった。古代の発掘品が展示されていたのも良かった。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館は2度訪れたことがある。ずいぶん昔なので記憶も曖昧だが、古代エジプトのミイラなどが多数展示されており、興味深く見て回ったことを思い出した。
美術館を出て上野駅に戻る途中、不忍池(しのばずのいけ)を見て帰る。
上野公園は少し高台になっていて、不忍池は一段低い場所にある。正面に見えるのは弁天堂。弁天様=弁財天は元々仏教の存在だが、神道でも七福神のメンバーになっている。
不忍池は蓮(はす)池、鵜(う)の池、ボート池の3つに別れている。公園のために作ったようにも思えるが自然にできた池である。周囲約2キロ。
蓮池は蓮が枯れていて、この季節はあまり美しくない。鵜の池も似た感じ。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
鴨がいっぱい。でも動きが速くてカメラではなかなか追いかけられない。
こっちはボート池。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
池を堤で3つに区切って、その上が遊歩道になっている。
ボートは休業中。
ところで上野公園といえば西郷隆盛。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
何度も来ているのに一度も見たことがなかった。
というわけで、ごタイメ〜ン。
遠くから見ると、もっと頭がでっかくてズングリムックリだった。チョット笑ってしまう体型。でもそれは近くに立って見上げたときに正しいプロポーションに見えるように上半身を大きく作ってあるらしい。なかなか芸が細かい。だから(近くから見上げている)この写真ではそんなに極端な短足には見えない。ところでこの明治維新の偉人は、今の日本の政治を見てどう思っているかな?「オイドンの時代に較べたら平和で豊かで、うらやましいでゴワス」だろうな。悲観論はよくないね。
wassho at 20:38|Permalink│Comments(0)│
2010年07月17日
「印象派はお好きですか?」展
先日、久し振りに絵を見に行って、それが思いのほか楽しかったので、ブリジストン美術館でおこなわれている「印象派はお好きですか?」展へ数日前に行ってきた。写真はこの展示会のポスターにもなっているルノワールの「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」。
今年が印象派イヤーと呼ばれているのは、印象派の殿堂であるフランスのオルセー美術館が現在改装休館中で、それで普段ならよそに貸し出されない名画が貸し出されて、世界各地で印象派の展覧会が行われているから。だから印象派自体とは何の関係もなく、美術館の都合によるマーケティングである。
もっとも今回のブリジストン美術館の展示はそれとは関係なく、持っている印象派の絵をセレクトしてちょっと並べ替えた、言ってみれば印象派イヤー便乗商法。でもオフィスから歩いて10分ほどだし、入場料も800円だし、ランチのついでに寄ってきた。
もともとブリジストン美術館は印象派のコレクションが充実していることで有名。セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴーギャンといった誰でも知っている画家の絵を数点ずつ見ることができる。昔、教科書で見た記憶があるセザンヌの自画像が展示されていたのにはビックリ。「あら?セーさん、ここにいたの?」な感じ。今までも何回か来たことがあるのに、その時は見落としていたのかな。
この美術館はブリヂストン本社に併設されている。もちろん入り口は別になって館内は美術館の造りではあるが、基本ふつうのオフィスビル。だから天井が低い(というか普通のビルの高さ)のが残念。なんとなく美術館の非日常空間ぽさにかける。
しかし一民間企業の私設美術館が、これだけのコレクションを持っていて、それを800円で開放していることは素晴らしい。タイヤはアドバンの時代から横浜ゴムが好きだが、次からはブリヂストンにしようか(^^ゞ ついでにいうとブリヂストン美術館はミュージアムショップ(売店ですな)も安い。ポストカードは50円!と太っ腹。Tシャツも2800円くらいとボストン美術館展を見に行った森アーツセンターより1000円ほど安い。ただ太っ腹の私にあうサイズが売り切れていたのが残念。
絵に話を戻すと、この展示会は印象派だけじゃなくて、マティスやピカソ(変な顔をかく前の時代ね)も10点ほど展示されている。元は高名なピアニストが所有していたことで知られるピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」の前には椅子があったので、同じポーズで座ってしばらく眺める。
また話は変わるが、クラシック音楽は昔から好きだったけれど、よく聴くようになったのはマーケティングの仕事をするようになってから。この業界やっぱり頭が疲れる。ある時クラシックの音楽というより音の世界に浸ると、何となく頭の凝りがほぐれるような気がすることに気が付いた。あれから四半世紀、もうクラシック音楽は私にとっては当たり前になりすぎて、凝りをほぐす効果はなくなってしまった(残念)。
しかし前回に気づいたのは絵を眺めていると頭の凝りがほぐれるということ。それと見ているから使っているはずなのに、眼の疲れも取れる。錯覚かも知れないが、いい気分になれるんだから別に構わない。ただ問題は絵は音楽のCDと違ってたくさん買い込むのが不可能なことである。画集じゃこの感覚は得られそうにない。やっぱりたまに見に来るしかないのかも。
美術館の中はいくつかの部屋に別れており、順路の矢印の立て札に沿って見学するようになっている。最後のほうに矢印のない部屋があったので入ってみるとビックリ、てんこ盛りに絵が掛けられている。いっとき好きだったマリー・ローランサンやモディリアーニの絵も何点か。藤田嗣治(つぐはる)もあった。これらは印象派とは関係ない画家たちなのに、やっぱりブリヂストン美術館は太っ腹である。それとも倉庫が手狭だったりして(^^ゞ
なお最近収蔵されたというロートレックの絵が誇らしげに、特別コーナーを設置して展示されていた。しかし白黒の絵だったのであまりピンとこなかった。油絵で白黒って珍しいような、あまり意味がないような。
さて
「「印象派はお好きですか?」はこの展示会のタイトル。そう問われてみると「別に」がその答え。ただ一時は印象派に熱中していた時期があったから、印象派ならどんな画家が活躍してどんな絵があるか大体わかっている。他の時代になると教科書程度の知識程度しかすぐに思い出せない。
一般に日本人は印象派が好きな国民ということになっている。それはたぶん、印象派は取っつきやすいからだ。服でいえばカジュアルファッションで、ドレスとかタキシードの世界じゃない。印象派の絵は実物を見てもらえばわかるが、タッチもあっさりしているというかラフというか、こんなことを言うと美術界から袋叩きにされそうだが、けっこうチャッチイ絵が多い。大きなサイズの絵もあまりない。
例えばセザンヌあたりだと、それほど個性派でもないから、私には無理でも多少絵心のある人なら、あの程度は描けそうな気がする。ルノワールだって画風はオリジナリティがあり、あんな画風はそれまで誰も描かなかったから画期的なことは充分に理解しているが、たぶん制作的には難しくない。全体として構想力やテクニックに欠けるし、迫力ある感動は薄い。もっとも印象派というのはそういう価値観を否定した画家の集団だったけれど。
かといって決して嫌いじゃない。B級グルメにはB級グルメの楽しみがあると書けばまた袋叩きにされそうだが。せっかくの印象派イヤーだし、日本でこれだけまとまってみられる機会はそうないから、あちこちの展示会に出かけてみようと思う。
今年が印象派イヤーと呼ばれているのは、印象派の殿堂であるフランスのオルセー美術館が現在改装休館中で、それで普段ならよそに貸し出されない名画が貸し出されて、世界各地で印象派の展覧会が行われているから。だから印象派自体とは何の関係もなく、美術館の都合によるマーケティングである。
もっとも今回のブリジストン美術館の展示はそれとは関係なく、持っている印象派の絵をセレクトしてちょっと並べ替えた、言ってみれば印象派イヤー便乗商法。でもオフィスから歩いて10分ほどだし、入場料も800円だし、ランチのついでに寄ってきた。
もともとブリジストン美術館は印象派のコレクションが充実していることで有名。セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴーギャンといった誰でも知っている画家の絵を数点ずつ見ることができる。昔、教科書で見た記憶があるセザンヌの自画像が展示されていたのにはビックリ。「あら?セーさん、ここにいたの?」な感じ。今までも何回か来たことがあるのに、その時は見落としていたのかな。
この美術館はブリヂストン本社に併設されている。もちろん入り口は別になって館内は美術館の造りではあるが、基本ふつうのオフィスビル。だから天井が低い(というか普通のビルの高さ)のが残念。なんとなく美術館の非日常空間ぽさにかける。
しかし一民間企業の私設美術館が、これだけのコレクションを持っていて、それを800円で開放していることは素晴らしい。タイヤはアドバンの時代から横浜ゴムが好きだが、次からはブリヂストンにしようか(^^ゞ ついでにいうとブリヂストン美術館はミュージアムショップ(売店ですな)も安い。ポストカードは50円!と太っ腹。Tシャツも2800円くらいとボストン美術館展を見に行った森アーツセンターより1000円ほど安い。ただ太っ腹の私にあうサイズが売り切れていたのが残念。
絵に話を戻すと、この展示会は印象派だけじゃなくて、マティスやピカソ(変な顔をかく前の時代ね)も10点ほど展示されている。元は高名なピアニストが所有していたことで知られるピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」の前には椅子があったので、同じポーズで座ってしばらく眺める。
また話は変わるが、クラシック音楽は昔から好きだったけれど、よく聴くようになったのはマーケティングの仕事をするようになってから。この業界やっぱり頭が疲れる。ある時クラシックの音楽というより音の世界に浸ると、何となく頭の凝りがほぐれるような気がすることに気が付いた。あれから四半世紀、もうクラシック音楽は私にとっては当たり前になりすぎて、凝りをほぐす効果はなくなってしまった(残念)。
しかし前回に気づいたのは絵を眺めていると頭の凝りがほぐれるということ。それと見ているから使っているはずなのに、眼の疲れも取れる。錯覚かも知れないが、いい気分になれるんだから別に構わない。ただ問題は絵は音楽のCDと違ってたくさん買い込むのが不可能なことである。画集じゃこの感覚は得られそうにない。やっぱりたまに見に来るしかないのかも。
美術館の中はいくつかの部屋に別れており、順路の矢印の立て札に沿って見学するようになっている。最後のほうに矢印のない部屋があったので入ってみるとビックリ、てんこ盛りに絵が掛けられている。いっとき好きだったマリー・ローランサンやモディリアーニの絵も何点か。藤田嗣治(つぐはる)もあった。これらは印象派とは関係ない画家たちなのに、やっぱりブリヂストン美術館は太っ腹である。それとも倉庫が手狭だったりして(^^ゞ
なお最近収蔵されたというロートレックの絵が誇らしげに、特別コーナーを設置して展示されていた。しかし白黒の絵だったのであまりピンとこなかった。油絵で白黒って珍しいような、あまり意味がないような。
さて
「「印象派はお好きですか?」はこの展示会のタイトル。そう問われてみると「別に」がその答え。ただ一時は印象派に熱中していた時期があったから、印象派ならどんな画家が活躍してどんな絵があるか大体わかっている。他の時代になると教科書程度の知識程度しかすぐに思い出せない。
一般に日本人は印象派が好きな国民ということになっている。それはたぶん、印象派は取っつきやすいからだ。服でいえばカジュアルファッションで、ドレスとかタキシードの世界じゃない。印象派の絵は実物を見てもらえばわかるが、タッチもあっさりしているというかラフというか、こんなことを言うと美術界から袋叩きにされそうだが、けっこうチャッチイ絵が多い。大きなサイズの絵もあまりない。
例えばセザンヌあたりだと、それほど個性派でもないから、私には無理でも多少絵心のある人なら、あの程度は描けそうな気がする。ルノワールだって画風はオリジナリティがあり、あんな画風はそれまで誰も描かなかったから画期的なことは充分に理解しているが、たぶん制作的には難しくない。全体として構想力やテクニックに欠けるし、迫力ある感動は薄い。もっとも印象派というのはそういう価値観を否定した画家の集団だったけれど。
かといって決して嫌いじゃない。B級グルメにはB級グルメの楽しみがあると書けばまた袋叩きにされそうだが。せっかくの印象派イヤーだし、日本でこれだけまとまってみられる機会はそうないから、あちこちの展示会に出かけてみようと思う。
wassho at 14:45|Permalink│Comments(0)│
最新記事
リンク
プロフィール
wassho(今のところ匿名)
マーケティング戦略や商品開発、リサーチなどを中心業務としている、キャリアだけは四半世紀以上と長いコンサルタントです。
開設当初は『マーケティングを中心に社会や生活のことを。そのうち仕事に使えそうなネタを下書きにするblogです』というコンセプトでしたが、2011年頃から雑記帖的なblogになっています。
匿名は心苦しいので
関係各位にわからぬよう
今とは似ても似つかぬ
大学生時代の写真を(^^ゞ
wassho.maqueen[あっと]gmail.com
注)[あっと]を@に変更してください。(迷惑メール対策です)
なお過去の投稿内で設定しているリンクには、リンク先ページが無くなっていたり内容が変更されている場合があります。
カテゴリ別アーカイブ
記事検索
Archives