ルーベンス
2013年04月22日
ルーベンス:栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展2
会場には版画が多く展示されていた。解説によると昔は絵を描いたら、その版画も後から作ることが多かったそうである。当時の絵は王侯貴族の所有物で限られた人しか見られないから、版画はもっと多くの人に見てもらうために作られたようである。
版画といっても浮世絵のような木版画ではなくエッチング。つまり彫刻刀で彫るんじゃなくって鉄のペンで描く版画。だから極めて精細な版画となる。エッチングは中学の授業でやった記憶がある。薬剤の化学反応を利用するし、こんな昔からある手法だとは思わなかった。
浮世絵の場合は絵師、彫り師、刷り師の三分業体制。どんな浮世絵にするかを創作するのは絵師で、喜多川歌麿とか葛飾北斎とかは絵師の名前である。エッチングの場合は調べてもよくわからなかったが、オリジナルの絵を模写して下絵を作り、それを鉄ペンで銅版に刻む作業は同一人物のような気がする。モノクロだと刷る技術もいらないから、刷るところまでも担当したのかもしれない。ここに貼り付けたのはすべてオリジナルがルーベンスの絵で、記した名前は、作業分担は不明なもののそれを版画にした人のものである。
「聖家族のエジプトからの帰還」リュカス・フォルステルマン
「キリスト降架」リュカス・フォルステルマン
「聖母マリアの被昇天」パウルス・ポンティウス
「キリストの磔刑(槍の一突き)」
ボエティウス・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「ライオン狩り」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「ヘロデの饗宴」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「マリアの教育」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
こういう版画をじっくり見たのは初めてだと思う。何がよかったのが自分でもよくわからないのだがかなり気に入った。それとその精細さに驚いた。なんてったって江戸時代初期なんだから。もっとも鉄ペンでガリガリやりながらこんな緻密な版画を作るのは大変な作業らしく、2作品を紹介した弟子のリュカス・フォルステルマンなどは、ルーベンスのリクエストがあまりに厳しかったので頭にきて彼の暗殺を企てたという話が残っている(>_<)
版画のうち、「聖母マリアの被昇天」は去年に原画(の下書き)をマウリッツハイス美術館展でみた。見較べてみると、そっくり模写しているわけでもないのね。絵なんて完成してからも、あれこれ手を入れたくなるもの。そう考えると、ひょっとしたら版画のほうが図柄としては完成度が高いのかもしれない。(でも版画のマリアは顔がちょっとコワイ)
ところでルーベンスといえばどうしてもフランダースの犬が切り離せないが、ネロが最後にアントワープ大聖堂で見ながら死んでいった絵の版画が上に貼り付けた「キリスト降架」である。版画だから縦60センチ横40センチくらいとサイズは大きくないが、やっぱり圧倒するような迫力がある。それによくこんなヤヤコシイ構図を考えたなと感心させられる。
その原画がこれ。(これは展示作品ではない)
「キリスト昇架」
「キリスト降架」
元々は別々に制作されたものらしくタッチが異なるが、磔(はりつけ)の刑の上げ下げセットになっている。どちらも素晴らしい。もちろん今でもアントワープ大聖堂にある。でも、この絵が日本に来ることはないだろうなあ。
おしまい
版画といっても浮世絵のような木版画ではなくエッチング。つまり彫刻刀で彫るんじゃなくって鉄のペンで描く版画。だから極めて精細な版画となる。エッチングは中学の授業でやった記憶がある。薬剤の化学反応を利用するし、こんな昔からある手法だとは思わなかった。
浮世絵の場合は絵師、彫り師、刷り師の三分業体制。どんな浮世絵にするかを創作するのは絵師で、喜多川歌麿とか葛飾北斎とかは絵師の名前である。エッチングの場合は調べてもよくわからなかったが、オリジナルの絵を模写して下絵を作り、それを鉄ペンで銅版に刻む作業は同一人物のような気がする。モノクロだと刷る技術もいらないから、刷るところまでも担当したのかもしれない。ここに貼り付けたのはすべてオリジナルがルーベンスの絵で、記した名前は、作業分担は不明なもののそれを版画にした人のものである。
「聖家族のエジプトからの帰還」リュカス・フォルステルマン
「キリスト降架」リュカス・フォルステルマン
「聖母マリアの被昇天」パウルス・ポンティウス
「キリストの磔刑(槍の一突き)」
ボエティウス・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「ライオン狩り」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「ヘロデの饗宴」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
「マリアの教育」
スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト
こういう版画をじっくり見たのは初めてだと思う。何がよかったのが自分でもよくわからないのだがかなり気に入った。それとその精細さに驚いた。なんてったって江戸時代初期なんだから。もっとも鉄ペンでガリガリやりながらこんな緻密な版画を作るのは大変な作業らしく、2作品を紹介した弟子のリュカス・フォルステルマンなどは、ルーベンスのリクエストがあまりに厳しかったので頭にきて彼の暗殺を企てたという話が残っている(>_<)
版画のうち、「聖母マリアの被昇天」は去年に原画(の下書き)をマウリッツハイス美術館展でみた。見較べてみると、そっくり模写しているわけでもないのね。絵なんて完成してからも、あれこれ手を入れたくなるもの。そう考えると、ひょっとしたら版画のほうが図柄としては完成度が高いのかもしれない。(でも版画のマリアは顔がちょっとコワイ)
ところでルーベンスといえばどうしてもフランダースの犬が切り離せないが、ネロが最後にアントワープ大聖堂で見ながら死んでいった絵の版画が上に貼り付けた「キリスト降架」である。版画だから縦60センチ横40センチくらいとサイズは大きくないが、やっぱり圧倒するような迫力がある。それによくこんなヤヤコシイ構図を考えたなと感心させられる。
その原画がこれ。(これは展示作品ではない)
「キリスト昇架」
「キリスト降架」
元々は別々に制作されたものらしくタッチが異なるが、磔(はりつけ)の刑の上げ下げセットになっている。どちらも素晴らしい。もちろん今でもアントワープ大聖堂にある。でも、この絵が日本に来ることはないだろうなあ。
おしまい
wassho at 23:36|Permalink│Comments(0)│
2013年04月20日
ルーベンス:栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展
おお〜寒っ!な本日。
お昼過ぎの東京の気温は何と10度。もうすぐゴールデンウィークだというのに、上着にダウンジャケットを着てのお出かけ。
向かったのはルーベンス展。混むから基本的に土日には展示会には行かない方針だが、ちょっと時間繰りがうまくいかずズルズルと。気がつけば会期は明日の日曜日まで。昨年のリヒテンシュタイン展(ここと、ここで)でルーベンスは見たから今回はパスするかという気持ちと、たまたま連続しているけれど、まとまってルーベンスを見られる機会は少ないから見ておこうという気持ちが葛藤する。まっ10秒ほどで見に行こうという結論になったけど。
自宅からは東急東横線で行く。東急の渋谷駅は3月16日に場所を移転して、こちらではかなり大きなニュースになった。全国的にはどんな扱いだったのかな? 新しい東急渋谷駅を利用するのは今回が初めてである。
新しい東急渋谷駅は東横線を地下鉄の副都心線と接続させるために、今まで高架駅だったのを地下5階に移した。副都心線で池袋まで行って、その先の東武電鉄や西武電鉄で埼玉まで直通。つまり横浜と埼玉が1本で結ばれた。
しかし私はその方面に行く機会がほとんどないので、旧東急渋谷駅と同じく高架部分にホームがある山手線や地下鉄銀座線(地下鉄なのに始発駅の渋谷は高架駅になっている)などとの乗り換えが不便になってあまりメリットがない。とにかく今までの3倍くらい歩かなければいけない印象である。
展覧会をやっているのは駅から少し離れたところにある東急Bunkamura。写真はiPhoneで撮ったチケット売り場の順番待ち。並んだのは2〜3分でたいしたことはなかった。寒し少し雨も降っているし、ルーベンスは知名度こそフランダースの犬のおかげで高いが超人気のある画家でもないしーーーと会場内が混んでいないことを願いながらチケットを買う。
会場に入ってみたら、けっこう混んでた(/o\)
「自画像」
ふ〜ん、こんな顔してたんだ。
ルーベンスはドイツ生まれで当時はスペイン領、現在はベルギーのアントワープで主に活躍。1577年生まれで1640年没。時代的にはだいたい徳川2代将軍の秀忠と同じ位。だから彼は江戸時代初期の人である。
ちなみにこの時代はなのか、ルーベンスはなのか勉強不足で知らないが、ルーベンスの絵は基本的に工房制作方式。ルーベンスが描いた下絵に何名かいた弟子が色を塗り、仕上げをまたルーベンスがおこなうという大量生産?方式。その絵にルーベンスがどれだけ直接タッチしていたかで絵の値段も決められていたらしい。
「ロムルスとレムスの発見」
古代ローマ帝国を建国したとされている神話上の双子兄弟。母親は人間だが父親は神サマ。ちなみに古代ローマは日本と同じく八百万(やおよろず)の神々がいる。日本とちょっと違うのは、その神サマがすぐ人間の女性をナンパして、しかも子供を作ること。
ちなみにこの兄弟は王家の血筋。しかし、いろいろ政略的な事情で捨てられてオオカミに育てられたことになっている。ルーベンスの絵でも赤ちゃんの1人がオオカミの乳を飲んでいるのは、そのあたりのストーリーの表現。
絵ではわかりづらいが一応手前に魚が泳いでいて、ここは川の畔(ほとり)。左側にいるのは裸の男性は日本風にいえば川の守り神で女性が川の精霊。つまり捨てられはしたが神のご加護厚くすくすく建国の兄弟は育ちましたというめでたい物語。なぜ父親の神サマが自分で助けに来ないとツッコミたいが。右側でのぞき込んでいるのは羊飼いの男で、この後育ての親となる。後にこの兄弟同士は戦い、勝ったロムルスがローマを建国する。ロムルスとローマーーー何となく響きが似ているでしょ。
ほぼ2メーター四方の大きな作品。
やっぱりサイズが大きいと迫力やや存在感が違う。ルーベンスの絵は大きなものが多いから好き。何か精神的に訴えてくるようなタイプの絵ではないが、どっしりとした安定感があって完成度の高いルーベンスらしい作品。
「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」
聖母子とはキリストと母親のマリアのこと。画面左の2人。エリサベツは英語風に表すならエリザベス。マリアの従姉妹で洗礼者ヨハネの母親。右側の2人。従姉妹同士が赤ちゃんと一緒にいるほほえましい絵であるが、考えてみると描かれているのは大物揃い。
ヨハネはキリスト教でよく聞く名前。でも実は二人いる。たぶんメジャーなのは使徒(キリストの弟子)ヨハネ。こっちの洗礼者ヨハネは絵で見てわかるようにキリストより年長で、後にキリストに洗礼を施すのが彼。いってみればキリスト教の先駆けのような存在。
だからこれは赤ちゃんのキリストとヨハネが仲良くしているメデタイ光景を描いた絵。描き込みも丁寧で美しい作品。ただエリザベツが老婆のように描かれているのが不自然でやたら気になった。
「三美神」
愛と美の女神はご存じヴィーナス。三美神とはその取り巻きの女神らしい。そんな西洋神話あるいは西洋美術での位置づけはさておき、三美神というくらいだから美しい女神=美しい女性像ということなんだろう。でも美の基準とは時代によって変わるんだなあと改めて感じたのがこの作品。
貧乳だし寸胴だしケツ垂れてるし脚短いしーーー(/o\)
顔もブサイクじゃないけれど別に美人でもない。
江戸時代初期の西洋人は、この三美神をみて「ハァハァ」したのかなあ? ナゾ もっとも源氏物語絵巻に描かれている平安美人よりはましだが(^^ゞ
「ヘクトルを打ち倒すアキレス」
ヘクトルはトロイの木馬で有名なトロイの王子。アキレスはアキレス腱の由来ともなったギリシャ神話の英雄。この二人の戦いを描いた作品。空中に浮かんでいるのはアキレスに加勢している軍神ミネルバ(女神)。相撲の行司のような役割に見えてしまうが。
門のようなフレームがあって左右に神か英雄かの彫刻があって、その上では天使が戦いを眺めている。何かと飾りの多い絵である。考えてみるとフレームの奥に絵があるというのは紙芝居と同じ構成。この時代、こういう絵というのは、人々が映画を見るような感覚で楽しんでいたんだろうなと想像する。
ーーー続く
お昼過ぎの東京の気温は何と10度。もうすぐゴールデンウィークだというのに、上着にダウンジャケットを着てのお出かけ。
向かったのはルーベンス展。混むから基本的に土日には展示会には行かない方針だが、ちょっと時間繰りがうまくいかずズルズルと。気がつけば会期は明日の日曜日まで。昨年のリヒテンシュタイン展(ここと、ここで)でルーベンスは見たから今回はパスするかという気持ちと、たまたま連続しているけれど、まとまってルーベンスを見られる機会は少ないから見ておこうという気持ちが葛藤する。まっ10秒ほどで見に行こうという結論になったけど。
自宅からは東急東横線で行く。東急の渋谷駅は3月16日に場所を移転して、こちらではかなり大きなニュースになった。全国的にはどんな扱いだったのかな? 新しい東急渋谷駅を利用するのは今回が初めてである。
新しい東急渋谷駅は東横線を地下鉄の副都心線と接続させるために、今まで高架駅だったのを地下5階に移した。副都心線で池袋まで行って、その先の東武電鉄や西武電鉄で埼玉まで直通。つまり横浜と埼玉が1本で結ばれた。
しかし私はその方面に行く機会がほとんどないので、旧東急渋谷駅と同じく高架部分にホームがある山手線や地下鉄銀座線(地下鉄なのに始発駅の渋谷は高架駅になっている)などとの乗り換えが不便になってあまりメリットがない。とにかく今までの3倍くらい歩かなければいけない印象である。
展覧会をやっているのは駅から少し離れたところにある東急Bunkamura。写真はiPhoneで撮ったチケット売り場の順番待ち。並んだのは2〜3分でたいしたことはなかった。寒し少し雨も降っているし、ルーベンスは知名度こそフランダースの犬のおかげで高いが超人気のある画家でもないしーーーと会場内が混んでいないことを願いながらチケットを買う。
会場に入ってみたら、けっこう混んでた(/o\)
「自画像」
ふ〜ん、こんな顔してたんだ。
ルーベンスはドイツ生まれで当時はスペイン領、現在はベルギーのアントワープで主に活躍。1577年生まれで1640年没。時代的にはだいたい徳川2代将軍の秀忠と同じ位。だから彼は江戸時代初期の人である。
ちなみにこの時代はなのか、ルーベンスはなのか勉強不足で知らないが、ルーベンスの絵は基本的に工房制作方式。ルーベンスが描いた下絵に何名かいた弟子が色を塗り、仕上げをまたルーベンスがおこなうという大量生産?方式。その絵にルーベンスがどれだけ直接タッチしていたかで絵の値段も決められていたらしい。
「ロムルスとレムスの発見」
古代ローマ帝国を建国したとされている神話上の双子兄弟。母親は人間だが父親は神サマ。ちなみに古代ローマは日本と同じく八百万(やおよろず)の神々がいる。日本とちょっと違うのは、その神サマがすぐ人間の女性をナンパして、しかも子供を作ること。
ちなみにこの兄弟は王家の血筋。しかし、いろいろ政略的な事情で捨てられてオオカミに育てられたことになっている。ルーベンスの絵でも赤ちゃんの1人がオオカミの乳を飲んでいるのは、そのあたりのストーリーの表現。
絵ではわかりづらいが一応手前に魚が泳いでいて、ここは川の畔(ほとり)。左側にいるのは裸の男性は日本風にいえば川の守り神で女性が川の精霊。つまり捨てられはしたが神のご加護厚くすくすく建国の兄弟は育ちましたというめでたい物語。なぜ父親の神サマが自分で助けに来ないとツッコミたいが。右側でのぞき込んでいるのは羊飼いの男で、この後育ての親となる。後にこの兄弟同士は戦い、勝ったロムルスがローマを建国する。ロムルスとローマーーー何となく響きが似ているでしょ。
ほぼ2メーター四方の大きな作品。
やっぱりサイズが大きいと迫力やや存在感が違う。ルーベンスの絵は大きなものが多いから好き。何か精神的に訴えてくるようなタイプの絵ではないが、どっしりとした安定感があって完成度の高いルーベンスらしい作品。
「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」
聖母子とはキリストと母親のマリアのこと。画面左の2人。エリサベツは英語風に表すならエリザベス。マリアの従姉妹で洗礼者ヨハネの母親。右側の2人。従姉妹同士が赤ちゃんと一緒にいるほほえましい絵であるが、考えてみると描かれているのは大物揃い。
ヨハネはキリスト教でよく聞く名前。でも実は二人いる。たぶんメジャーなのは使徒(キリストの弟子)ヨハネ。こっちの洗礼者ヨハネは絵で見てわかるようにキリストより年長で、後にキリストに洗礼を施すのが彼。いってみればキリスト教の先駆けのような存在。
だからこれは赤ちゃんのキリストとヨハネが仲良くしているメデタイ光景を描いた絵。描き込みも丁寧で美しい作品。ただエリザベツが老婆のように描かれているのが不自然でやたら気になった。
「三美神」
愛と美の女神はご存じヴィーナス。三美神とはその取り巻きの女神らしい。そんな西洋神話あるいは西洋美術での位置づけはさておき、三美神というくらいだから美しい女神=美しい女性像ということなんだろう。でも美の基準とは時代によって変わるんだなあと改めて感じたのがこの作品。
貧乳だし寸胴だしケツ垂れてるし脚短いしーーー(/o\)
顔もブサイクじゃないけれど別に美人でもない。
江戸時代初期の西洋人は、この三美神をみて「ハァハァ」したのかなあ? ナゾ もっとも源氏物語絵巻に描かれている平安美人よりはましだが(^^ゞ
「ヘクトルを打ち倒すアキレス」
ヘクトルはトロイの木馬で有名なトロイの王子。アキレスはアキレス腱の由来ともなったギリシャ神話の英雄。この二人の戦いを描いた作品。空中に浮かんでいるのはアキレスに加勢している軍神ミネルバ(女神)。相撲の行司のような役割に見えてしまうが。
門のようなフレームがあって左右に神か英雄かの彫刻があって、その上では天使が戦いを眺めている。何かと飾りの多い絵である。考えてみるとフレームの奥に絵があるというのは紙芝居と同じ構成。この時代、こういう絵というのは、人々が映画を見るような感覚で楽しんでいたんだろうなと想像する。
ーーー続く
wassho at 15:22|Permalink│Comments(0)│
2012年11月01日
リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝展 その2
美術館というのは広い展示室に大きな壁があって絵が展示されている。掛けられている絵が違っても、どの展覧会どこの美術館も基本的なスタイルは同じ。でも、このリヒテンシュタイン展は違った。
天井にドーンと絵がある。
キンキラキンな鏡台や蝋燭台なども多数。
写真じゃわかりにくいが、壁際の床は石を敷き詰めたようになっている
これはバロックサロンと名付けられた展示室。
バロックとは17〜18世紀頃の美術様式。一言で言えば絢爛豪華。受験勉強的に覚えるならばゴシック→ルネサンス→バロックと続く。
リヒテンシュタイン侯爵家のお屋敷に較べれば、張りぼてのセットでしかないとしても、こんな風な展示は見たことがないからテンションが上がる。まさか美術館で天井を眺めて絵を見るとは!
それとやっぱり絵というのは生活空間の中で眺めるものだなと改めて思う。いわゆる名画は現実的には美術館で見るしかない。しかし壁しかない空間で絵を見るというのは、ガランとした音響視聴室で聴く音楽みたいなもの。音質がよくても音楽として楽しくないのと同じで、どこかこの目で見ているのに実感がわかないときがある。あ〜それにしても、これくらいの玄関ホールのある家に住みたい。
正直に言うと、この展示室にあった絵は、あまりたいしたことなかった。天井画はまあまあだったが、不思議なもので天井にあると絵というより「装飾」に見えてくる。こんな空間に慣れていない庶民だからかな。
※サロンの写真はインターネットミュージアムから引用。
バロックサロンの後は通常の展示室に。
最初はルネサンス期の絵が展示されていた。
「男の肖像」
ラファエロ
彼のごく初期の作品。モデルが誰かわからないので、後世に「男の肖像」と名付けられたらしい。人物はいい味を出しているのに、背景がチャッチイところが気に入らないと生意気をいってみる。
「古代ローマの廃墟のある風景」
ヘルマン・ボステュムス
実際の風景ではなく、いろんなローマ遺跡を空想で組み合わせた風景とのこと。古代ローマ版「ツワモノどもが夢の後」なイメージで印象深い。ただ中央一番下に描かれている女性がアメリカンコミックの登場人物のように見えて(服や髪の配色のせいか?)、いったんそれに目がいくと強烈な違和感を感じてしまう。
「井戸端のキリストとサマリアの女」
チーロ・フェッリ
のんびり世間話をしている男女だと思っていたら、男性はキリストだった。うまく表現できないが、丁寧に描き込んだ絵だと思う。
「ベツレヘムの人口調査」
ピーテル・ブリューゲル
画家は何でも作品の素材に仕立て上げるものだなと感心。少し幼稚なイラストっぽいのだが、こんな絵がリビングにあれば楽しいと思う。
それと、たぶんこの絵の構図は写真では撮れない。かなり遠近感的にデフォルメされているはず。新しいデジカメを買って多少は考えて写真を撮るようになってから、風景画の中に込められたトリックというか技法というか、画家の意図するところが少し感じられるようになってきたように思う。たぶん勘違いなんだろうけど。
この展示会はバロックサロンあり、後で書くがいろいろな工芸品ありと見所の多い内容。でも一番の目玉はルーベンス。リヒテンシュタイン侯爵家はルーベンスを30点ほどコレクションしており、そのうちの10点が来日。ルーベンスだけの展示室が設けられている。
「キリスト哀悼」
ルーベンス
圧巻だったのがこの作品。
キリストの顔は血の気がなくグレーで描かれている。まあ死んでいるのだからそれもあり。キリストの顔を触っているのはマリアで、なんと彼女の顔もグレーである。死ぬほど悲しいということなんだろうと解釈した。ブログの写真では見えないが、集まっている人の涙にはうっすら血が混じっている。キリストの鼻の穴は鼻血が固まったように描かれている。
たまたまだが、照明がその鼻血に反射して妙にリアルだった。血を流すキリスト像とか奇蹟のたぐいの話を聞いたことがあるが、何かそんなものを見た感じになった。
「占いの結果を問うデキウス・ムス」
ルーベンス
ルーベンスといえば宗教画。だが、この展示会で宗教画は「キリスト哀悼」だけで、ほかは古代ローマ帝国をモチーフにしたものが多かった。宗教画以外を見る機会はそうないだろうから、考えようによっては貴重な経験。この絵は堂々たる構図。そしてサイズも堂々たる幅4メーター超。お腹いっぱいになった。
「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」
ルーベンス
ギリシャかローマの神話がテーマだと思う。
巨匠ルーベンスも、たまにはこんなお茶目な絵を描くということで(^^ゞ
絵だけではなく、いろいろな工芸品も展示されている。先ほどのバロックサロンのほかに、クンストカンマーという展示室が設けられている。クンストカンマーとは王侯貴族の館でお宝を展示する部屋のことらしい。初めて聞いた言葉なので、調べてみるとドイツ語で「ビックリする部屋」というような意味。つまりゲストにお宝を見せつけて自慢しようということ。日本人はお宝を蔵にしまうけれど、西洋人は装飾に使ったり展示したりする。メンタリティの違いかな。
展示されていたのものは、こんな感じのあれこれ。
いかにも高価そうな匂いがプンプン。
クンストカンマーの後は、また絵の展示となる。
「マリア・デ・タシスの肖像」
アンソニー・ヴァン・ダイク
何となく見入ってしまったのは絵が素晴らしいからか、モデルが魅力的だからか?
よく見るタイプの肖像画だが、とても生き生きした絵だと感じた。
「キューピッドとシャボン玉」
レンブラント
レンブラントのイメージとは違うラブリーな絵。愛くるしい姿に目がいくが、よくみれば矢も弓もしっかりと書かれている。この有名な愛の神様はCupidでキュービッドなのだが、なぜかキューピットと「ド」ではなく「ト」が一般的。末尾の「ド」は日本語的に発音しづらいからだろうか。
「復習の誓い」
フランチェスコ・アイエツ
タイトルを読まなくても、何か悪巧みを考えているのは一目瞭然。
こんな女性に恨まれたら逃げ切れない!
「夢に浸って」
フリードリヒ・フォン・アメリング
この儚げな女性も、怒ると上の絵のような顔になるのかと想像してみたり(^^ゞ タイトルから考えて、小説でも読んで物思いにふけっていると思われるが、どんなストーリーだったら、彼女にこんな表情をさせるのだろう。
バロックサロンの天井画に驚かされ、ルーベンスの巨大な絵に囲まれ、その他の絵も趣味がよく大変気に入った展示会だった。超一級の作品はないから「あの〇〇〇を、この目で見てきた」というミーハー的なうれしさはないとしても、それで不満は全くない。確固としたテーマがある=同じような絵をたくさん見せられる展示会より、こういったバラエティに富んだ作品を見られる展示会のほうが私は好き。
東京は12月23日まで。その後は高知と京都でも開催される。
見て損は絶対しないとお薦めしておく。
おしまい
天井にドーンと絵がある。
キンキラキンな鏡台や蝋燭台なども多数。
写真じゃわかりにくいが、壁際の床は石を敷き詰めたようになっている
これはバロックサロンと名付けられた展示室。
バロックとは17〜18世紀頃の美術様式。一言で言えば絢爛豪華。受験勉強的に覚えるならばゴシック→ルネサンス→バロックと続く。
リヒテンシュタイン侯爵家のお屋敷に較べれば、張りぼてのセットでしかないとしても、こんな風な展示は見たことがないからテンションが上がる。まさか美術館で天井を眺めて絵を見るとは!
それとやっぱり絵というのは生活空間の中で眺めるものだなと改めて思う。いわゆる名画は現実的には美術館で見るしかない。しかし壁しかない空間で絵を見るというのは、ガランとした音響視聴室で聴く音楽みたいなもの。音質がよくても音楽として楽しくないのと同じで、どこかこの目で見ているのに実感がわかないときがある。あ〜それにしても、これくらいの玄関ホールのある家に住みたい。
正直に言うと、この展示室にあった絵は、あまりたいしたことなかった。天井画はまあまあだったが、不思議なもので天井にあると絵というより「装飾」に見えてくる。こんな空間に慣れていない庶民だからかな。
※サロンの写真はインターネットミュージアムから引用。
バロックサロンの後は通常の展示室に。
最初はルネサンス期の絵が展示されていた。
「男の肖像」
ラファエロ
彼のごく初期の作品。モデルが誰かわからないので、後世に「男の肖像」と名付けられたらしい。人物はいい味を出しているのに、背景がチャッチイところが気に入らないと生意気をいってみる。
「古代ローマの廃墟のある風景」
ヘルマン・ボステュムス
実際の風景ではなく、いろんなローマ遺跡を空想で組み合わせた風景とのこと。古代ローマ版「ツワモノどもが夢の後」なイメージで印象深い。ただ中央一番下に描かれている女性がアメリカンコミックの登場人物のように見えて(服や髪の配色のせいか?)、いったんそれに目がいくと強烈な違和感を感じてしまう。
「井戸端のキリストとサマリアの女」
チーロ・フェッリ
のんびり世間話をしている男女だと思っていたら、男性はキリストだった。うまく表現できないが、丁寧に描き込んだ絵だと思う。
「ベツレヘムの人口調査」
ピーテル・ブリューゲル
画家は何でも作品の素材に仕立て上げるものだなと感心。少し幼稚なイラストっぽいのだが、こんな絵がリビングにあれば楽しいと思う。
それと、たぶんこの絵の構図は写真では撮れない。かなり遠近感的にデフォルメされているはず。新しいデジカメを買って多少は考えて写真を撮るようになってから、風景画の中に込められたトリックというか技法というか、画家の意図するところが少し感じられるようになってきたように思う。たぶん勘違いなんだろうけど。
この展示会はバロックサロンあり、後で書くがいろいろな工芸品ありと見所の多い内容。でも一番の目玉はルーベンス。リヒテンシュタイン侯爵家はルーベンスを30点ほどコレクションしており、そのうちの10点が来日。ルーベンスだけの展示室が設けられている。
「キリスト哀悼」
ルーベンス
圧巻だったのがこの作品。
キリストの顔は血の気がなくグレーで描かれている。まあ死んでいるのだからそれもあり。キリストの顔を触っているのはマリアで、なんと彼女の顔もグレーである。死ぬほど悲しいということなんだろうと解釈した。ブログの写真では見えないが、集まっている人の涙にはうっすら血が混じっている。キリストの鼻の穴は鼻血が固まったように描かれている。
たまたまだが、照明がその鼻血に反射して妙にリアルだった。血を流すキリスト像とか奇蹟のたぐいの話を聞いたことがあるが、何かそんなものを見た感じになった。
「占いの結果を問うデキウス・ムス」
ルーベンス
ルーベンスといえば宗教画。だが、この展示会で宗教画は「キリスト哀悼」だけで、ほかは古代ローマ帝国をモチーフにしたものが多かった。宗教画以外を見る機会はそうないだろうから、考えようによっては貴重な経験。この絵は堂々たる構図。そしてサイズも堂々たる幅4メーター超。お腹いっぱいになった。
「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」
ルーベンス
ギリシャかローマの神話がテーマだと思う。
巨匠ルーベンスも、たまにはこんなお茶目な絵を描くということで(^^ゞ
絵だけではなく、いろいろな工芸品も展示されている。先ほどのバロックサロンのほかに、クンストカンマーという展示室が設けられている。クンストカンマーとは王侯貴族の館でお宝を展示する部屋のことらしい。初めて聞いた言葉なので、調べてみるとドイツ語で「ビックリする部屋」というような意味。つまりゲストにお宝を見せつけて自慢しようということ。日本人はお宝を蔵にしまうけれど、西洋人は装飾に使ったり展示したりする。メンタリティの違いかな。
展示されていたのものは、こんな感じのあれこれ。
いかにも高価そうな匂いがプンプン。
クンストカンマーの後は、また絵の展示となる。
「マリア・デ・タシスの肖像」
アンソニー・ヴァン・ダイク
何となく見入ってしまったのは絵が素晴らしいからか、モデルが魅力的だからか?
よく見るタイプの肖像画だが、とても生き生きした絵だと感じた。
「キューピッドとシャボン玉」
レンブラント
レンブラントのイメージとは違うラブリーな絵。愛くるしい姿に目がいくが、よくみれば矢も弓もしっかりと書かれている。この有名な愛の神様はCupidでキュービッドなのだが、なぜかキューピットと「ド」ではなく「ト」が一般的。末尾の「ド」は日本語的に発音しづらいからだろうか。
「復習の誓い」
フランチェスコ・アイエツ
タイトルを読まなくても、何か悪巧みを考えているのは一目瞭然。
こんな女性に恨まれたら逃げ切れない!
「夢に浸って」
フリードリヒ・フォン・アメリング
この儚げな女性も、怒ると上の絵のような顔になるのかと想像してみたり(^^ゞ タイトルから考えて、小説でも読んで物思いにふけっていると思われるが、どんなストーリーだったら、彼女にこんな表情をさせるのだろう。
バロックサロンの天井画に驚かされ、ルーベンスの巨大な絵に囲まれ、その他の絵も趣味がよく大変気に入った展示会だった。超一級の作品はないから「あの〇〇〇を、この目で見てきた」というミーハー的なうれしさはないとしても、それで不満は全くない。確固としたテーマがある=同じような絵をたくさん見せられる展示会より、こういったバラエティに富んだ作品を見られる展示会のほうが私は好き。
東京は12月23日まで。その後は高知と京都でも開催される。
見て損は絶対しないとお薦めしておく。
おしまい
wassho at 07:07|Permalink│Comments(0)│
2012年08月18日
マウリッツハイス美術館展
訪れたのは8月2日。
ブログに書くまでずいぶん日がたってしまった。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がやってくるから、この展覧会だけは外すわけにはいかない。気温34度の猛暑の中、仕事の合間に上野公園の東京都立美術館まで行ってきた。
暑すぎて上野公園には誰もいない!
というのはもちろん偶然のシャッターチャンス(^^ゞ
東京都立美術館は2年ほど改修工事で閉館していた。リニューアルオープンのこけら落としとなるのが、このマウリッツハイス美術館展。場所は上野動物園の隣にある。
動物園。
その手前のミニ遊園地。
東京都立美術館はレンガ張りの建物。
真珠の耳飾りの少女が窓から見つめている。
エントランスは地下にある。
この程度の混雑だった。10分ほど並ぶ。
●「真珠の耳飾りの少女」フェルメール
1665頃の作品とされる。1665年といえばニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した年。日本は家光の後の4代将軍家綱の時代。
オランダのモナリザともいわれるこの作品。意外と小さかった。変形のA3サイズくらい。この作品は肖像画ではなくトローニーと呼ばれるジャンルに属する。肖像画にはモデルがいて、そのモデルを絵画として表現する。トローニーはモデルがいてもいなくても、表現するのはそのモデルとなった人物そのものではなく、画家の想いとか主張とか。人物を描くことが目的の肖像画と、それが手段のトローニーというような区分。
それでフェルメールは、この少女を通じて何を表現したかったのかというとーーーよくわからない(^^ゞ そういう解釈は専門家に任せておいて、直感で気に入るか気に入らないかが判断基準でいいと想う。
じっくりと眺めて気付いたことが3つ。
その1)
年齢的定義にもよるが、少女には見えないなあ。
アラ・ハタチくらいかな。
その2)
耳飾りも真珠には見えなかった。
だいたい、あんな大きな真珠ってあるの?
その3)
右目と左目で捉えているものが違うように見える。
ひょっとしてガチャ目?
(※ガチャ目=ひんがら目=ロンパリ=斜視)
背景は黒だけだし、振り向いて何かを言いかけた瞬間を切り抜いたような、きわめてシンプルな作品。それゆえ色々と連想してしまうのが、この絵の魅力かもしれない。私としては頭に巻いたターバンをほどいた姿を見てみたい(^^ゞ
なお、この真珠の耳飾りの少女だけ展示は特別扱い。
まるまるワンコーナーを与えられ、並び方も2通りを選択できる。
私は順番に並ばないコースを選択。
結果的には正解。順番に並ぶと確かに絵の前まで行けるが、絵の前まで歩いて、ちょっと立ち止まって眺める程度の時間しか与えられない。赤丸印のコースだと好きなだけ眺めていることが可能。それに赤丸印の最前列に行けば、前には青丸印の人が一人いるだけで、作品との距離はさほど変わらない。青丸印の人はどんどん流れていくから、よほど身長が低くない限り赤丸印最前列で充分に鑑賞できる。さすが日本の展示会で、ほとんどの人が青丸印コースに並ぶ。だから赤丸印最前列に進むのは容易。もしこの展示会を訪れたら、会場の動きをよく読んで判断されたし。
●「ディアナとニンフたち」フェルメール
これもフェルメールの作品だが、初期の作品で宗教画。フェルメール=室内画のイメージとはかなり違う。ありきたりな絵にも見えるが、じっくり眺めているといい絵に見えてくる?
ちなみにディアナ(英語だとダイアナ)はローマ神話の女神。ニンフというのは精霊あるいは神の侍女みたいな存在。この絵では足を洗ってもらっているのがディアナ。
●「四季の精から贈り物を受け取るセレスと、それを取り巻く果実の花輪」
ヤン・ブリューゲルとヘンドリック・ファン・バーレン
天使がいるし、一番下の二人の女性は多分ニンフだろうから(女神ならこんな作業はしない)宗教画なことは間違いない。宗教的なテーマは知識がなくてわからないけれど、なんとなく豊穣への感謝みたいなところかな。絵全体が、いかにもヨーロッパな感じがしてとても印象に残った作品である。
●「シメオンの賛歌」レンブラント
光の魔術師と呼ばれるレンブラント。教科書か何かで初めて「夜警」を見たときの「ワッ、スゲー」と思った感覚は今でも覚えている。
でも、この作品のように周りをやたら暗くしてスポットライトを当てたような描き方は、これ見よがしに光のテクニックを誇示しているようであまり好きになれない。スポットライトはもちろんなく照明といえばローソクだった時代の人々は、こういう絵を見て「チョー、スゲー」と喜んだろうからウケを狙ったのかもしれないが。
●「自画像」レンブラント
レンブラントは「立派な絵」を描く。だからなんとなく「いかつい」人物を想像する。でも普通の優しそうな人だったのね。
●「聖母被昇天(下絵)」ルーベンス
真珠の耳飾りの少女のことしか頭になかったからルーベンスも展示されていてラッキー。タイトルにあるように、これは下絵。ただし未完成・下書きという意味ではない。今の画家は自由に作品を描いてそれをマーケットで売る。中世の頃は王侯貴族や有力者から注文を受けて制作するというビジネスモデルだった。それで聖母被昇天の注文を受けたルーベンスが、発注者に「こんな感じでよろしいですか」と見せたのがこの絵。
つまり下絵というより構想見本。だからサイズも小さい。この下絵を元に描かれた本作は5メーター×3メーターのサイズだが、この下絵は90センチ×60センチ。大きなサイズの本作はいわゆる工房システムで、ルーベンスの監修の元に弟子たちが絵を描く。しかし下絵はルーベンスの直筆。オリジナリティに重きを置くなら下絵の方に価値がある。
聖母被昇天というのはイエス・キリストの母親マリアが、死後に天に召されたというストーリーで宗教画にはよく出てくる。ところで同じく天に行くにもイエスの場合は昇天なのだが、マリアの場合は被昇天と呼ばれる。イエスは死んで復活して天に昇る段階ではもう人間ではなく神で、マリアはあくまで人間で連れていってもらった立場だからかな?
ところで被昇天は聖書には書かれてていない内容。また英語ではassumption。これは思い込みとか仮定の話などの意味。昇天は普通にgo upとかriseなので、被昇天は「マリア様も天に召されたということにしておこう」という、キリスト「教会」側の都合が反映されているように思えるけど間違っているかな。
宗教的なメッセージはともかく絵はキレイだった。。絵の右下で何かをのぞき込んでいる人がいるが、これはマリアが墓にいない(天に昇ったから)ことを知ってビックリしているらしい。ちなみにこの下絵の本作はアントワープ大聖堂にある。つまりフランダースの犬のネロが母親の面影を求めて毎日見に来ていた絵である。
●「ミハエル・オフォヴィウスの肖像」ルーベンス
ルーベンス=宗教画のイメージが強いが、これは肖像画。でもモデルは神父さん。本人がそうなのかルーベンスの力量なのか、とても高潔な人格者に見える。
●「牡蠣を食べる娘 」ヤン・ステーン
解説によると当時、牡蠣は精力剤や媚薬として扱われていて、可愛い顔をしたこの少女が、実はエロいというのがこの作品の魅力だそうだ。そんなことよりも解説によると、彼女は牡蠣に塩を振りかけているらしい。牡蠣に塩をかけたらどんな味がするんだろう、しょっぱすぎないんだろうかーーーということがやたら気になった作品。牡蠣のシーズンになったら試してみよう。
私は展覧会で、まずザーッとだいたいを見て、その後に気に入った作品をじっくり見る。でもこの美術館は3層構造で、最初から見直す場合は一番下の階まで降りなければならないのがちょっと不便。
途中の通路にあった展示。
コスチュームは正確に再現してあるんだろうけれど、マネキンがスリムすぎて絵とはずいぶん印象が違うのが残念。
これはこの展示会のイメージガールの武井咲のコスプレ?
本物に会えるならフェルメールの描いたモデルより、彼女の方がいいかな(^^ゞ
美術館の横の脇道。
上野公園は探検すると色々おもしろそう。
涼しいときにゆっくり歩いてみようと思う。
同じく上野公園にある、国立西洋美術館で開催している「ベルリン国立美術館展」の看板。
こちらもフェルメールの作品が目玉。とりあえず今はフェルメールを持ってくれば展示会は成功する。同じアホなら踊らにゃソンソン、これもできたら訪れたい。どちらも展示会も9月17日まで。
ブログに書くまでずいぶん日がたってしまった。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がやってくるから、この展覧会だけは外すわけにはいかない。気温34度の猛暑の中、仕事の合間に上野公園の東京都立美術館まで行ってきた。
暑すぎて上野公園には誰もいない!
というのはもちろん偶然のシャッターチャンス(^^ゞ
東京都立美術館は2年ほど改修工事で閉館していた。リニューアルオープンのこけら落としとなるのが、このマウリッツハイス美術館展。場所は上野動物園の隣にある。
動物園。
その手前のミニ遊園地。
東京都立美術館はレンガ張りの建物。
真珠の耳飾りの少女が窓から見つめている。
エントランスは地下にある。
この程度の混雑だった。10分ほど並ぶ。
●「真珠の耳飾りの少女」フェルメール
1665頃の作品とされる。1665年といえばニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した年。日本は家光の後の4代将軍家綱の時代。
オランダのモナリザともいわれるこの作品。意外と小さかった。変形のA3サイズくらい。この作品は肖像画ではなくトローニーと呼ばれるジャンルに属する。肖像画にはモデルがいて、そのモデルを絵画として表現する。トローニーはモデルがいてもいなくても、表現するのはそのモデルとなった人物そのものではなく、画家の想いとか主張とか。人物を描くことが目的の肖像画と、それが手段のトローニーというような区分。
それでフェルメールは、この少女を通じて何を表現したかったのかというとーーーよくわからない(^^ゞ そういう解釈は専門家に任せておいて、直感で気に入るか気に入らないかが判断基準でいいと想う。
じっくりと眺めて気付いたことが3つ。
その1)
年齢的定義にもよるが、少女には見えないなあ。
アラ・ハタチくらいかな。
その2)
耳飾りも真珠には見えなかった。
だいたい、あんな大きな真珠ってあるの?
その3)
右目と左目で捉えているものが違うように見える。
ひょっとしてガチャ目?
(※ガチャ目=ひんがら目=ロンパリ=斜視)
背景は黒だけだし、振り向いて何かを言いかけた瞬間を切り抜いたような、きわめてシンプルな作品。それゆえ色々と連想してしまうのが、この絵の魅力かもしれない。私としては頭に巻いたターバンをほどいた姿を見てみたい(^^ゞ
なお、この真珠の耳飾りの少女だけ展示は特別扱い。
まるまるワンコーナーを与えられ、並び方も2通りを選択できる。
私は順番に並ばないコースを選択。
結果的には正解。順番に並ぶと確かに絵の前まで行けるが、絵の前まで歩いて、ちょっと立ち止まって眺める程度の時間しか与えられない。赤丸印のコースだと好きなだけ眺めていることが可能。それに赤丸印の最前列に行けば、前には青丸印の人が一人いるだけで、作品との距離はさほど変わらない。青丸印の人はどんどん流れていくから、よほど身長が低くない限り赤丸印最前列で充分に鑑賞できる。さすが日本の展示会で、ほとんどの人が青丸印コースに並ぶ。だから赤丸印最前列に進むのは容易。もしこの展示会を訪れたら、会場の動きをよく読んで判断されたし。
●「ディアナとニンフたち」フェルメール
これもフェルメールの作品だが、初期の作品で宗教画。フェルメール=室内画のイメージとはかなり違う。ありきたりな絵にも見えるが、じっくり眺めているといい絵に見えてくる?
ちなみにディアナ(英語だとダイアナ)はローマ神話の女神。ニンフというのは精霊あるいは神の侍女みたいな存在。この絵では足を洗ってもらっているのがディアナ。
●「四季の精から贈り物を受け取るセレスと、それを取り巻く果実の花輪」
ヤン・ブリューゲルとヘンドリック・ファン・バーレン
天使がいるし、一番下の二人の女性は多分ニンフだろうから(女神ならこんな作業はしない)宗教画なことは間違いない。宗教的なテーマは知識がなくてわからないけれど、なんとなく豊穣への感謝みたいなところかな。絵全体が、いかにもヨーロッパな感じがしてとても印象に残った作品である。
●「シメオンの賛歌」レンブラント
光の魔術師と呼ばれるレンブラント。教科書か何かで初めて「夜警」を見たときの「ワッ、スゲー」と思った感覚は今でも覚えている。
でも、この作品のように周りをやたら暗くしてスポットライトを当てたような描き方は、これ見よがしに光のテクニックを誇示しているようであまり好きになれない。スポットライトはもちろんなく照明といえばローソクだった時代の人々は、こういう絵を見て「チョー、スゲー」と喜んだろうからウケを狙ったのかもしれないが。
●「自画像」レンブラント
レンブラントは「立派な絵」を描く。だからなんとなく「いかつい」人物を想像する。でも普通の優しそうな人だったのね。
●「聖母被昇天(下絵)」ルーベンス
真珠の耳飾りの少女のことしか頭になかったからルーベンスも展示されていてラッキー。タイトルにあるように、これは下絵。ただし未完成・下書きという意味ではない。今の画家は自由に作品を描いてそれをマーケットで売る。中世の頃は王侯貴族や有力者から注文を受けて制作するというビジネスモデルだった。それで聖母被昇天の注文を受けたルーベンスが、発注者に「こんな感じでよろしいですか」と見せたのがこの絵。
つまり下絵というより構想見本。だからサイズも小さい。この下絵を元に描かれた本作は5メーター×3メーターのサイズだが、この下絵は90センチ×60センチ。大きなサイズの本作はいわゆる工房システムで、ルーベンスの監修の元に弟子たちが絵を描く。しかし下絵はルーベンスの直筆。オリジナリティに重きを置くなら下絵の方に価値がある。
聖母被昇天というのはイエス・キリストの母親マリアが、死後に天に召されたというストーリーで宗教画にはよく出てくる。ところで同じく天に行くにもイエスの場合は昇天なのだが、マリアの場合は被昇天と呼ばれる。イエスは死んで復活して天に昇る段階ではもう人間ではなく神で、マリアはあくまで人間で連れていってもらった立場だからかな?
ところで被昇天は聖書には書かれてていない内容。また英語ではassumption。これは思い込みとか仮定の話などの意味。昇天は普通にgo upとかriseなので、被昇天は「マリア様も天に召されたということにしておこう」という、キリスト「教会」側の都合が反映されているように思えるけど間違っているかな。
宗教的なメッセージはともかく絵はキレイだった。。絵の右下で何かをのぞき込んでいる人がいるが、これはマリアが墓にいない(天に昇ったから)ことを知ってビックリしているらしい。ちなみにこの下絵の本作はアントワープ大聖堂にある。つまりフランダースの犬のネロが母親の面影を求めて毎日見に来ていた絵である。
●「ミハエル・オフォヴィウスの肖像」ルーベンス
ルーベンス=宗教画のイメージが強いが、これは肖像画。でもモデルは神父さん。本人がそうなのかルーベンスの力量なのか、とても高潔な人格者に見える。
●「牡蠣を食べる娘 」ヤン・ステーン
解説によると当時、牡蠣は精力剤や媚薬として扱われていて、可愛い顔をしたこの少女が、実はエロいというのがこの作品の魅力だそうだ。そんなことよりも解説によると、彼女は牡蠣に塩を振りかけているらしい。牡蠣に塩をかけたらどんな味がするんだろう、しょっぱすぎないんだろうかーーーということがやたら気になった作品。牡蠣のシーズンになったら試してみよう。
私は展覧会で、まずザーッとだいたいを見て、その後に気に入った作品をじっくり見る。でもこの美術館は3層構造で、最初から見直す場合は一番下の階まで降りなければならないのがちょっと不便。
途中の通路にあった展示。
コスチュームは正確に再現してあるんだろうけれど、マネキンがスリムすぎて絵とはずいぶん印象が違うのが残念。
これはこの展示会のイメージガールの武井咲のコスプレ?
本物に会えるならフェルメールの描いたモデルより、彼女の方がいいかな(^^ゞ
美術館の横の脇道。
上野公園は探検すると色々おもしろそう。
涼しいときにゆっくり歩いてみようと思う。
同じく上野公園にある、国立西洋美術館で開催している「ベルリン国立美術館展」の看板。
こちらもフェルメールの作品が目玉。とりあえず今はフェルメールを持ってくれば展示会は成功する。同じアホなら踊らにゃソンソン、これもできたら訪れたい。どちらも展示会も9月17日まで。
wassho at 18:18|Permalink│Comments(0)│
2011年05月19日
フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展
東京で暮らしていれば、常に興味を引く美術展がどこかで開催されている。しかし地震や放射能のせいで世界各国の美術館は、日本への貸し出しを敬遠する傾向にあるらしい。原子炉で放射能が漏れたとか水が漏れたとか水位が下がったとかのニュースは、もう慣れっこになっていちいち気にもしなくなった。政府や東電は、まさか嘘はついていないだろうけれど、正確・真正直にも言っていないーーー世間の平均的な印象はこんなところか。そんなあやふやな国に大事なお宝を貸してくれなくなるのも仕方がないか。
そんなことを思いつつ珍しく渋谷で待ち合わせをしたので、そのついでに渋谷の東急文化村(東急百貨店本店の隣にある美術館・映画館・コンサートホールなどが入っている複合ビル)に行ってきた。
展示会のタイトルがややこしいかもしれない。
フェルメールは画家の名前。
地理学者は、フェルメールの作品の名前。
オランダはそのまま。
フランドルというのは、現在のベルギーを挟んでオランダの西側とフランスの東側辺り一帯をフランドル地方と言っていた。フランダースの犬のフランダースは、フランドルの英語読み。
要は17世紀頃の、ベルギーやオランダあたりの画家の展示会である。フランダースの犬で有名なルーベンスやレンブラントも、その時代のその地域の画家。もちろんフェルメールも。
フェルメールは一般的にはゴッホやピカソほどの知名度はないが、美術好きではファンが多い。「真珠の耳飾りの少女」と「牛乳を注ぐ女」は何かで眼にした人も少なくないと思う。
この展示会にはルーベンスやレンブラントの作品も展示されているのに、冠(かんむり:展示会のタイトル)がフェルメールなのは、彼の人気が高く集客力があるのと、彼の作品は30数点しか残っていないので、なかなかお目にかかれないからである。タイトルをパッと読んだだけではフェルメール展のように錯覚するが、彼の作品は1点しか展示されていない
いっかにもヨーロッパの絵画な感じ。
「竪琴を弾くダヴィデ王」というこの作品は、頭の部分をあのルーベンスが描き、弟子?のブックホルストという画家が後に胴体を描き加えたらしい。そういわれてみると頭と胴体の部分の立体感が違う。しかし解説がなければたぶん気づかない。
なおルーベンスは単に老人の頭を習作で描いただけなのに、ブックホルストは胴体を足し、なおかつそれを絵画として価値の高い=高く売れるダヴィデ王に仕立てた(デッチあげた?)らしいから、なかなかやり手である。フランドル・マーケティングの始祖と呼んであげよう。
この絵に似た絵か、あるいはこのモデルに似た登場人物が出ている映画を絶対に見たはずなのに、それが何だったか思い出せなくてイライラした作品。私の場合、思い出せないということは、そんなに昔の出来事じゃないはず(意味がわかるかな?)
ディルク・ファン・バーブレンの「歌う若い男」という作品。タイトルを読むまで歌っているとは思わなかった。イライラしたけどいい絵だった。でもどこかイタリアっぽいと思うのはなぜだろう?
何となく惹かれた作品。ピーテル・ヤンセンス・エーリンハの「画家と読みものをする女性、掃除をする召使のいる室内」。画家の名前も作品のタイトルも長すぎ!
絵としてもよかったけれど、違う国の違う時代の、つまりは実際には体験できない人々の暮らしをみるのが私は好きなのかもしれない。映画でも室内シーンになるとよく目を凝らしている。
絵に話を戻すと、召使いが主人公になっているのがおもしろい。絵とは関係ないが、やはり天井というのはこれくらい高くないとね。日本人はコツコツまじめで優秀でも、発想や行動がこぢんまりとしてつまらないのは、天井が低いからだと常々思っている。
ーーー続く
そんなことを思いつつ珍しく渋谷で待ち合わせをしたので、そのついでに渋谷の東急文化村(東急百貨店本店の隣にある美術館・映画館・コンサートホールなどが入っている複合ビル)に行ってきた。
展示会のタイトルがややこしいかもしれない。
フェルメールは画家の名前。
地理学者は、フェルメールの作品の名前。
オランダはそのまま。
フランドルというのは、現在のベルギーを挟んでオランダの西側とフランスの東側辺り一帯をフランドル地方と言っていた。フランダースの犬のフランダースは、フランドルの英語読み。
要は17世紀頃の、ベルギーやオランダあたりの画家の展示会である。フランダースの犬で有名なルーベンスやレンブラントも、その時代のその地域の画家。もちろんフェルメールも。
フェルメールは一般的にはゴッホやピカソほどの知名度はないが、美術好きではファンが多い。「真珠の耳飾りの少女」と「牛乳を注ぐ女」は何かで眼にした人も少なくないと思う。
この展示会にはルーベンスやレンブラントの作品も展示されているのに、冠(かんむり:展示会のタイトル)がフェルメールなのは、彼の人気が高く集客力があるのと、彼の作品は30数点しか残っていないので、なかなかお目にかかれないからである。タイトルをパッと読んだだけではフェルメール展のように錯覚するが、彼の作品は1点しか展示されていない
いっかにもヨーロッパの絵画な感じ。
「竪琴を弾くダヴィデ王」というこの作品は、頭の部分をあのルーベンスが描き、弟子?のブックホルストという画家が後に胴体を描き加えたらしい。そういわれてみると頭と胴体の部分の立体感が違う。しかし解説がなければたぶん気づかない。
なおルーベンスは単に老人の頭を習作で描いただけなのに、ブックホルストは胴体を足し、なおかつそれを絵画として価値の高い=高く売れるダヴィデ王に仕立てた(デッチあげた?)らしいから、なかなかやり手である。フランドル・マーケティングの始祖と呼んであげよう。
この絵に似た絵か、あるいはこのモデルに似た登場人物が出ている映画を絶対に見たはずなのに、それが何だったか思い出せなくてイライラした作品。私の場合、思い出せないということは、そんなに昔の出来事じゃないはず(意味がわかるかな?)
ディルク・ファン・バーブレンの「歌う若い男」という作品。タイトルを読むまで歌っているとは思わなかった。イライラしたけどいい絵だった。でもどこかイタリアっぽいと思うのはなぜだろう?
何となく惹かれた作品。ピーテル・ヤンセンス・エーリンハの「画家と読みものをする女性、掃除をする召使のいる室内」。画家の名前も作品のタイトルも長すぎ!
絵としてもよかったけれど、違う国の違う時代の、つまりは実際には体験できない人々の暮らしをみるのが私は好きなのかもしれない。映画でも室内シーンになるとよく目を凝らしている。
絵に話を戻すと、召使いが主人公になっているのがおもしろい。絵とは関係ないが、やはり天井というのはこれくらい高くないとね。日本人はコツコツまじめで優秀でも、発想や行動がこぢんまりとしてつまらないのは、天井が低いからだと常々思っている。
ーーー続く
wassho at 01:36|Permalink│Comments(0)│