レンブラント

2012年11月01日

リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝展 その2

美術館というのは広い展示室に大きな壁があって絵が展示されている。掛けられている絵が違っても、どの展覧会どこの美術館も基本的なスタイルは同じ。でも、このリヒテンシュタイン展は違った。

天井にドーンと絵がある。
キンキラキンな鏡台や蝋燭台なども多数。
写真じゃわかりにくいが、壁際の床は石を敷き詰めたようになっている
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これはバロックサロンと名付けられた展示室。
バロックとは17〜18世紀頃の美術様式。一言で言えば絢爛豪華。受験勉強的に覚えるならばゴシック→ルネサンス→バロックと続く。

リヒテンシュタイン侯爵家のお屋敷に較べれば、張りぼてのセットでしかないとしても、こんな風な展示は見たことがないからテンションが上がる。まさか美術館で天井を眺めて絵を見るとは!

それとやっぱり絵というのは生活空間の中で眺めるものだなと改めて思う。いわゆる名画は現実的には美術館で見るしかない。しかし壁しかない空間で絵を見るというのは、ガランとした音響視聴室で聴く音楽みたいなもの。音質がよくても音楽として楽しくないのと同じで、どこかこの目で見ているのに実感がわかないときがある。あ〜それにしても、これくらいの玄関ホールのある家に住みたい。

正直に言うと、この展示室にあった絵は、あまりたいしたことなかった。天井画はまあまあだったが、不思議なもので天井にあると絵というより「装飾」に見えてくる。こんな空間に慣れていない庶民だからかな。


※サロンの写真はインターネットミュージアムから引用。


バロックサロンの後は通常の展示室に。
最初はルネサンス期の絵が展示されていた。

「男の肖像」
   ラファエロ
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彼のごく初期の作品。モデルが誰かわからないので、後世に「男の肖像」と名付けられたらしい。人物はいい味を出しているのに、背景がチャッチイところが気に入らないと生意気をいってみる。



「古代ローマの廃墟のある風景」
  ヘルマン・ボステュムス
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実際の風景ではなく、いろんなローマ遺跡を空想で組み合わせた風景とのこと。古代ローマ版「ツワモノどもが夢の後」なイメージで印象深い。ただ中央一番下に描かれている女性がアメリカンコミックの登場人物のように見えて(服や髪の配色のせいか?)、いったんそれに目がいくと強烈な違和感を感じてしまう。



「井戸端のキリストとサマリアの女」
  チーロ・フェッリ
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のんびり世間話をしている男女だと思っていたら、男性はキリストだった。うまく表現できないが、丁寧に描き込んだ絵だと思う。



「ベツレヘムの人口調査」
  ピーテル・ブリューゲル
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画家は何でも作品の素材に仕立て上げるものだなと感心。少し幼稚なイラストっぽいのだが、こんな絵がリビングにあれば楽しいと思う。

それと、たぶんこの絵の構図は写真では撮れない。かなり遠近感的にデフォルメされているはず。新しいデジカメを買って多少は考えて写真を撮るようになってから、風景画の中に込められたトリックというか技法というか、画家の意図するところが少し感じられるようになってきたように思う。たぶん勘違いなんだろうけど。




この展示会はバロックサロンあり、後で書くがいろいろな工芸品ありと見所の多い内容。でも一番の目玉はルーベンス。リヒテンシュタイン侯爵家はルーベンスを30点ほどコレクションしており、そのうちの10点が来日。ルーベンスだけの展示室が設けられている。


「キリスト哀悼」
  ルーベンス
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圧巻だったのがこの作品。
キリストの顔は血の気がなくグレーで描かれている。まあ死んでいるのだからそれもあり。キリストの顔を触っているのはマリアで、なんと彼女の顔もグレーである。死ぬほど悲しいということなんだろうと解釈した。ブログの写真では見えないが、集まっている人の涙にはうっすら血が混じっている。キリストの鼻の穴は鼻血が固まったように描かれている。

たまたまだが、照明がその鼻血に反射して妙にリアルだった。血を流すキリスト像とか奇蹟のたぐいの話を聞いたことがあるが、何かそんなものを見た感じになった。



「占いの結果を問うデキウス・ムス」
   ルーベンス
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ルーベンスといえば宗教画。だが、この展示会で宗教画は「キリスト哀悼」だけで、ほかは古代ローマ帝国をモチーフにしたものが多かった。宗教画以外を見る機会はそうないだろうから、考えようによっては貴重な経験。この絵は堂々たる構図。そしてサイズも堂々たる幅4メーター超。お腹いっぱいになった。


「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」
   ルーベンス
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ギリシャかローマの神話がテーマだと思う。
巨匠ルーベンスも、たまにはこんなお茶目な絵を描くということで(^^ゞ




絵だけではなく、いろいろな工芸品も展示されている。先ほどのバロックサロンのほかに、クンストカンマーという展示室が設けられている。クンストカンマーとは王侯貴族の館でお宝を展示する部屋のことらしい。初めて聞いた言葉なので、調べてみるとドイツ語で「ビックリする部屋」というような意味。つまりゲストにお宝を見せつけて自慢しようということ。日本人はお宝を蔵にしまうけれど、西洋人は装飾に使ったり展示したりする。メンタリティの違いかな。

展示されていたのものは、こんな感じのあれこれ。
いかにも高価そうな匂いがプンプン。
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クンストカンマーの後は、また絵の展示となる。


「マリア・デ・タシスの肖像」
   アンソニー・ヴァン・ダイク
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何となく見入ってしまったのは絵が素晴らしいからか、モデルが魅力的だからか?
よく見るタイプの肖像画だが、とても生き生きした絵だと感じた。



「キューピッドとシャボン玉」
   レンブラント
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レンブラントのイメージとは違うラブリーな絵。愛くるしい姿に目がいくが、よくみれば矢も弓もしっかりと書かれている。この有名な愛の神様はCupidでキュービッドなのだが、なぜかキューピットと「ド」ではなく「ト」が一般的。末尾の「ド」は日本語的に発音しづらいからだろうか。



「復習の誓い」
   フランチェスコ・アイエツ
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タイトルを読まなくても、何か悪巧みを考えているのは一目瞭然。
こんな女性に恨まれたら逃げ切れない!



「夢に浸って」
   フリードリヒ・フォン・アメリング
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この儚げな女性も、怒ると上の絵のような顔になるのかと想像してみたり(^^ゞ タイトルから考えて、小説でも読んで物思いにふけっていると思われるが、どんなストーリーだったら、彼女にこんな表情をさせるのだろう。



バロックサロンの天井画に驚かされ、ルーベンスの巨大な絵に囲まれ、その他の絵も趣味がよく大変気に入った展示会だった。超一級の作品はないから「あの〇〇〇を、この目で見てきた」というミーハー的なうれしさはないとしても、それで不満は全くない。確固としたテーマがある=同じような絵をたくさん見せられる展示会より、こういったバラエティに富んだ作品を見られる展示会のほうが私は好き。

東京は12月23日まで。その後は高知と京都でも開催される。
見て損は絶対しないとお薦めしておく。


おしまい

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2012年08月18日

マウリッツハイス美術館展

マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝訪れたのは8月2日。
ブログに書くまでずいぶん日がたってしまった。


フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がやってくるから、この展覧会だけは外すわけにはいかない。気温34度の猛暑の中、仕事の合間に上野公園の東京都立美術館まで行ってきた。









暑すぎて上野公園には誰もいない!
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というのはもちろん偶然のシャッターチャンス(^^ゞ
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東京都立美術館は2年ほど改修工事で閉館していた。リニューアルオープンのこけら落としとなるのが、このマウリッツハイス美術館展。場所は上野動物園の隣にある。


動物園。
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その手前のミニ遊園地。
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東京都立美術館はレンガ張りの建物。
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真珠の耳飾りの少女が窓から見つめている。
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エントランスは地下にある。
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この程度の混雑だった。10分ほど並ぶ。
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●「真珠の耳飾りの少女」フェルメール
1真珠の耳飾りの少女

1665頃の作品とされる。1665年といえばニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した年。日本は家光の後の4代将軍家綱の時代。

オランダのモナリザともいわれるこの作品。意外と小さかった。変形のA3サイズくらい。この作品は肖像画ではなくトローニーと呼ばれるジャンルに属する。肖像画にはモデルがいて、そのモデルを絵画として表現する。トローニーはモデルがいてもいなくても、表現するのはそのモデルとなった人物そのものではなく、画家の想いとか主張とか。人物を描くことが目的の肖像画と、それが手段のトローニーというような区分。

それでフェルメールは、この少女を通じて何を表現したかったのかというとーーーよくわからない(^^ゞ そういう解釈は専門家に任せておいて、直感で気に入るか気に入らないかが判断基準でいいと想う。


じっくりと眺めて気付いたことが3つ。

  その1)
  年齢的定義にもよるが、少女には見えないなあ。
  アラ・ハタチくらいかな。

  その2)
  耳飾りも真珠には見えなかった。
  だいたい、あんな大きな真珠ってあるの?

  その3)
  右目と左目で捉えているものが違うように見える。
  ひょっとしてガチャ目?

    (※ガチャ目=ひんがら目=ロンパリ=斜視)


背景は黒だけだし、振り向いて何かを言いかけた瞬間を切り抜いたような、きわめてシンプルな作品。それゆえ色々と連想してしまうのが、この絵の魅力かもしれない。私としては頭に巻いたターバンをほどいた姿を見てみたい(^^ゞ


なお、この真珠の耳飾りの少女だけ展示は特別扱い。
まるまるワンコーナーを与えられ、並び方も2通りを選択できる。
スライド1

私は順番に並ばないコースを選択。
結果的には正解。順番に並ぶと確かに絵の前まで行けるが、絵の前まで歩いて、ちょっと立ち止まって眺める程度の時間しか与えられない。赤丸印のコースだと好きなだけ眺めていることが可能。それに赤丸印の最前列に行けば、前には青丸印の人が一人いるだけで、作品との距離はさほど変わらない。青丸印の人はどんどん流れていくから、よほど身長が低くない限り赤丸印最前列で充分に鑑賞できる。さすが日本の展示会で、ほとんどの人が青丸印コースに並ぶ。だから赤丸印最前列に進むのは容易。もしこの展示会を訪れたら、会場の動きをよく読んで判断されたし。



●「ディアナとニンフたち」フェルメール
2

これもフェルメールの作品だが、初期の作品で宗教画。フェルメール=室内画のイメージとはかなり違う。ありきたりな絵にも見えるが、じっくり眺めているといい絵に見えてくる?

ちなみにディアナ(英語だとダイアナ)はローマ神話の女神。ニンフというのは精霊あるいは神の侍女みたいな存在。この絵では足を洗ってもらっているのがディアナ。



●「四季の精から贈り物を受け取るセレスと、それを取り巻く果実の花輪」
  ヤン・ブリューゲルとヘンドリック・ファン・バーレン
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天使がいるし、一番下の二人の女性は多分ニンフだろうから(女神ならこんな作業はしない)宗教画なことは間違いない。宗教的なテーマは知識がなくてわからないけれど、なんとなく豊穣への感謝みたいなところかな。絵全体が、いかにもヨーロッパな感じがしてとても印象に残った作品である。



●「シメオンの賛歌」レンブラント
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光の魔術師と呼ばれるレンブラント。教科書か何かで初めて「夜警」を見たときの「ワッ、スゲー」と思った感覚は今でも覚えている。

でも、この作品のように周りをやたら暗くしてスポットライトを当てたような描き方は、これ見よがしに光のテクニックを誇示しているようであまり好きになれない。スポットライトはもちろんなく照明といえばローソクだった時代の人々は、こういう絵を見て「チョー、スゲー」と喜んだろうからウケを狙ったのかもしれないが。



●「自画像」レンブラント
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レンブラントは「立派な絵」を描く。だからなんとなく「いかつい」人物を想像する。でも普通の優しそうな人だったのね。



●「聖母被昇天(下絵)」ルーベンス
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真珠の耳飾りの少女のことしか頭になかったからルーベンスも展示されていてラッキー。タイトルにあるように、これは下絵。ただし未完成・下書きという意味ではない。今の画家は自由に作品を描いてそれをマーケットで売る。中世の頃は王侯貴族や有力者から注文を受けて制作するというビジネスモデルだった。それで聖母被昇天の注文を受けたルーベンスが、発注者に「こんな感じでよろしいですか」と見せたのがこの絵。

つまり下絵というより構想見本。だからサイズも小さい。この下絵を元に描かれた本作は5メーター×3メーターのサイズだが、この下絵は90センチ×60センチ。大きなサイズの本作はいわゆる工房システムで、ルーベンスの監修の元に弟子たちが絵を描く。しかし下絵はルーベンスの直筆。オリジナリティに重きを置くなら下絵の方に価値がある。


聖母被昇天というのはイエス・キリストの母親マリアが、死後に天に召されたというストーリーで宗教画にはよく出てくる。ところで同じく天に行くにもイエスの場合は昇天なのだが、マリアの場合は被昇天と呼ばれる。イエスは死んで復活して天に昇る段階ではもう人間ではなく神で、マリアはあくまで人間で連れていってもらった立場だからかな? 

ところで被昇天は聖書には書かれてていない内容。また英語ではassumption。これは思い込みとか仮定の話などの意味。昇天は普通にgo upとかriseなので、被昇天は「マリア様も天に召されたということにしておこう」という、キリスト「教会」側の都合が反映されているように思えるけど間違っているかな。

宗教的なメッセージはともかく絵はキレイだった。。絵の右下で何かをのぞき込んでいる人がいるが、これはマリアが墓にいない(天に昇ったから)ことを知ってビックリしているらしい。ちなみにこの下絵の本作はアントワープ大聖堂にある。つまりフランダースの犬のネロが母親の面影を求めて毎日見に来ていた絵である。


●「ミハエル・オフォヴィウスの肖像」ルーベンス
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ルーベンス=宗教画のイメージが強いが、これは肖像画。でもモデルは神父さん。本人がそうなのかルーベンスの力量なのか、とても高潔な人格者に見える。



●「牡蠣を食べる娘 」ヤン・ステーン
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解説によると当時、牡蠣は精力剤や媚薬として扱われていて、可愛い顔をしたこの少女が、実はエロいというのがこの作品の魅力だそうだ。そんなことよりも解説によると、彼女は牡蠣に塩を振りかけているらしい。牡蠣に塩をかけたらどんな味がするんだろう、しょっぱすぎないんだろうかーーーということがやたら気になった作品。牡蠣のシーズンになったら試してみよう。



私は展覧会で、まずザーッとだいたいを見て、その後に気に入った作品をじっくり見る。でもこの美術館は3層構造で、最初から見直す場合は一番下の階まで降りなければならないのがちょっと不便。

途中の通路にあった展示。
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コスチュームは正確に再現してあるんだろうけれど、マネキンがスリムすぎて絵とはずいぶん印象が違うのが残念。

これはこの展示会のイメージガールの武井咲のコスプレ? 
本物に会えるならフェルメールの描いたモデルより、彼女の方がいいかな(^^ゞ
武井咲



美術館の横の脇道。
上野公園は探検すると色々おもしろそう。
涼しいときにゆっくり歩いてみようと思う。
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同じく上野公園にある、国立西洋美術館で開催している「ベルリン国立美術館展」の看板。
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こちらもフェルメールの作品が目玉。とりあえず今はフェルメールを持ってくれば展示会は成功する。同じアホなら踊らにゃソンソン、これもできたら訪れたい。どちらも展示会も9月17日まで。

wassho at 18:18|PermalinkComments(0)

2011年05月20日

フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展その2

4地理学者

これがフェルメールの「地理学者」。1669年の作品だからモデルはリチャード・ギアではないはず^^ゞ

フェルメールの先品はよくいえば独自の世界観がある、悪くいえばけっこうワンパターン。絵にそんなに詳しくなくても、パッとみてフェルメール調だというのはすぐわかる。

この時代は光の陰影を描き分けることに画家が心血を注いだ時代。レンブラントの夜警なんかがその代表。フェルメールも光を駆使した作風だけれど、彼の絵にはそれに加えて何となく空気感がある。そしてなぜか絵が静か。実はフェルメールの本物をみるのは初めて。空気感と静かさが感じられるかどうかを、今回は確認しに行ったようなもの。


  空気感ーーーありました\(^o^)/ 

  静かさーーー会場に人が多くてザワザワしてたので、
        よくわからなかった(>_<)


それと下のレンブラントと較べると、もちろん題材も違うが、レンブラントの絵がたいてい神々しいのに対して、フェルメールの絵は日常的で普通の庶民の絵が多いのも私好み。
レンブラントの絵を毎日見ていたら胃もたれしそうだから、買うんならフェルメールにしよう(^^ゞ



5サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ

ではそのレンブラント。タイトルは「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ」。王とついていないが題材はルーベンスが描いた人物と同じ。その若い頃の姿。ダヴィデは竪琴の名手ということに伝説ではなっている。あっ、中央に座っているのはサウル王で、隅っこにいるのがダヴィデだからね。ダヴィデはサウルの後を継いで古代イスラエルの王になる人物。ダヴィデという名前には重々しい響きがあるが、英語で読めばデイビッドと親しみやすくなる?


さてレンブラントといえば「光と影の魔術師」。この絵もまるでスポットライトが当たっているかのようである。しかし彼が生きたのは日本でいうなら江戸時代初期。つまりロウソクやランプのボーッとした明かりの時代。ライティングなんてものは存在しない。想像力でスポットライトを発明したのかなあ?

先ほどフェルメールの絵には空気感があると書いた。レンブラントと見較べると、フェルメールは光を描き分けても、暗と明の対比はあまりしない。簡単に言えば明るい場所の絵が多い。だから空気感を感じるのかもしれない。光を描き分けられる腕前のある人は、明るい場所と暗い場所の絵を描いて確かめてください。




6庭に置かれた野菜と果物

コルネリス・デ・ヘームの「庭に置かれた野菜と果物」。
写真と見間違えたとまではいわないが、細部まで描き込んだ絵。静物画はいろんなものがあったが、作家が違っても、どれも画風が驚くほど似ていた。ややダークなバックに、対象物を濃いめに細密に描き、それにライティングを当てたような感じ。同じ時代の同じ地域の画家の展示会だから、結果的に似てくるのか、あるいはそういう絵が流行っていたのか? それぞれ立派な絵であるが、正直にいうと同じような絵が多くてちょっと飽きた。





7石の花瓶に生けた花と果物

ヤーコブ・ファン・ワルスカッペレの「石の花瓶に生けた花と果物」。
これもこの時代の静物画の文法(←もう決めつけた)に沿った、ゴージャスできれいな絵だった。でも蝶々じゃなくて蛾(が)が飛んでいるのは、割ときれいな蛾だからいいとして、何で花瓶の下にトカゲがいるのかな。やっぱり画家というのは、ちょっとひねくれたヤツが多いと勝手に納得する。



この展示会の絵は光の陰影や細部の描写をじっくり堪能すべきなのだが、会場はかなり混雑していたし、時間もあまりなくて駆け足の鑑賞になってしまったのが残念。もっとも時間を掛けても、私に見極められる眼があるかどうかは別の話。



ところでいいことを思いついた。
日本には美術館・博物館が1200館ほどあるらしい。
つまり山ほどある。
バイクで地方の美術館巡りをしようっと。

あまりバイクで長旅をするつもりはない。しかし日帰り圏内の関東だけでも、おそらくかなりの数に上るはず。山道・海道もいいけれど、バイクで文化活動も楽しそうだ。


おしまい

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