三浦半島
2018年03月19日
バイクで美術館をハシゴ 燈明崎〜神奈川県立近代美術館・葉山館編
横須賀美術館を後にして向かったのは、私が東京から一番近い楽園と呼んでいる燈明崎。横須賀市の浦賀にある小さな岬だが、その海岸がとても美しい。何度か来てもう見慣れた感もあるが、最初に訪れた時は「こんなところにこんな場所が」と本当に驚いた。
海を背景に取れる場所にバイクを駐めて。
看板のない場所にすべきだった。
水や砂浜のきれいさがわかるかな?
ここは燈明堂という日本で最初の和式灯台が、江戸時代に設置された場所でもある。
岬の入口。岬を境に左右に砂浜がある。楽園は左側。
50メートルほどの小さな砂浜だが、砂は真っ白。
クラゲが打ち上げられていた。触ってみるとだいたい想像通りのプニョプニョ感。
血管のような筋模様があるクラゲも。
なぜかこのピンク色の海藻が好き。
砂浜と岩肌の両方があるのも燈明崎のいいところ。
右側の海岸は上から眺めるだけのつもりだったが、
大きな流木があったので。流木は大好物なのだ。
ちなみにGoogleで燈明崎と検索すると、本日現在で上から15番目くらいに私のブログが表示される。また同じく燈明崎での画像検索だと2番目がそのブログに載せた写真である。燈明崎の親善大使でもしようかな(^^ゞ
葉山に向けて出発。ペリー公園のある久里浜手前の開門橋を右折し県道212号線。しばらく進むと道路は県道27号線になりJR横須賀線の衣笠駅の前を通る。衣笠は横浜横須賀道路のインターチェンジがあるからよく目にする地名。しかし街中を走ったのは初めて。道路沿いにかなり長い商店街になっている。でも土曜日なのにシャッターが降りているお店も多かったかな。
そのまま進んで葉山町に入る。海岸線に降りてきたところが御用邸。その北隣が葉山しおさい公園で、そのまた隣が神奈川県立近代美術館の葉山館。その神奈川県立近代美術館は本館である1951年に開設された鎌倉館、鎌倉別館、葉山館の3館体制だったが、鎌倉館は建物老朽化で一昨年に閉鎖された。鎌倉別館も現在工事のために休館中。
葉山館は2003年開設だからモダンな建物。磨りガラス多し。
バイク駐車場完備。
エントランスはあっさりした雰囲気。
開催されていたのは堀文子展。
まとまって作品を観るのは初めて。しかし数年前にテレビの美術番組かドキュメンタリー番組で彼女の特集を見たような気がする。展覧会の感想はまた別の機会に。
展覧会を見終わって中庭のオブジェ。
もちろん海も眺められる。
沖合にヨットがいたが遠すぎて縦の線にしか写らない(^^ゞ
ちょっとした散策路があるのでブラブラ。
変わった枝振りの松と松ぼっくり。
やけに丸い石だと思ったら、これも作品らしい。
私のモダンアート嫌いは何度かこのブログでも書いてきたが、これはその中でも最低の部類。こんなものをアートだと思って作っている、思われて展示されていること自体に腹が立ってくる。激オコ(^^ゞ
このあたりは一色海岸という。壁が白い帯になっているのが御用邸。
ベンチでコーヒータイム。
出かける時は美術館を2軒ハシゴして、ここが最終目的地の予定だったが、もう少し先まで足を伸ばすことにした。
ーーー続く
海を背景に取れる場所にバイクを駐めて。
看板のない場所にすべきだった。
水や砂浜のきれいさがわかるかな?
ここは燈明堂という日本で最初の和式灯台が、江戸時代に設置された場所でもある。
岬の入口。岬を境に左右に砂浜がある。楽園は左側。
50メートルほどの小さな砂浜だが、砂は真っ白。
クラゲが打ち上げられていた。触ってみるとだいたい想像通りのプニョプニョ感。
血管のような筋模様があるクラゲも。
なぜかこのピンク色の海藻が好き。
砂浜と岩肌の両方があるのも燈明崎のいいところ。
右側の海岸は上から眺めるだけのつもりだったが、
大きな流木があったので。流木は大好物なのだ。
ちなみにGoogleで燈明崎と検索すると、本日現在で上から15番目くらいに私のブログが表示される。また同じく燈明崎での画像検索だと2番目がそのブログに載せた写真である。燈明崎の親善大使でもしようかな(^^ゞ
葉山に向けて出発。ペリー公園のある久里浜手前の開門橋を右折し県道212号線。しばらく進むと道路は県道27号線になりJR横須賀線の衣笠駅の前を通る。衣笠は横浜横須賀道路のインターチェンジがあるからよく目にする地名。しかし街中を走ったのは初めて。道路沿いにかなり長い商店街になっている。でも土曜日なのにシャッターが降りているお店も多かったかな。
そのまま進んで葉山町に入る。海岸線に降りてきたところが御用邸。その北隣が葉山しおさい公園で、そのまた隣が神奈川県立近代美術館の葉山館。その神奈川県立近代美術館は本館である1951年に開設された鎌倉館、鎌倉別館、葉山館の3館体制だったが、鎌倉館は建物老朽化で一昨年に閉鎖された。鎌倉別館も現在工事のために休館中。
葉山館は2003年開設だからモダンな建物。磨りガラス多し。
バイク駐車場完備。
エントランスはあっさりした雰囲気。
開催されていたのは堀文子展。
まとまって作品を観るのは初めて。しかし数年前にテレビの美術番組かドキュメンタリー番組で彼女の特集を見たような気がする。展覧会の感想はまた別の機会に。
展覧会を見終わって中庭のオブジェ。
もちろん海も眺められる。
沖合にヨットがいたが遠すぎて縦の線にしか写らない(^^ゞ
ちょっとした散策路があるのでブラブラ。
変わった枝振りの松と松ぼっくり。
やけに丸い石だと思ったら、これも作品らしい。
私のモダンアート嫌いは何度かこのブログでも書いてきたが、これはその中でも最低の部類。こんなものをアートだと思って作っている、思われて展示されていること自体に腹が立ってくる。激オコ(^^ゞ
このあたりは一色海岸という。壁が白い帯になっているのが御用邸。
ベンチでコーヒータイム。
出かける時は美術館を2軒ハシゴして、ここが最終目的地の予定だったが、もう少し先まで足を伸ばすことにした。
ーーー続く
wassho at 20:53|Permalink│Comments(0)│
2018年03月17日
バイクで美術館をハシゴ 破崎緑地〜横須賀美術館編
もうすぐバイクを降りることになりそうだが、買う前に想定していなかった使い方が地方の美術館巡り。バイクでガーッと走ってシーンとした美術館で絵を観る。騒と静のコントラスト、身体と頭の両方が刺激されてツーリングが2倍楽しめる。
今回は観音崎にある横須賀美術館と神奈川県立近代美術館の葉山館で、そこそこ面白そうな展覧会が開かれていたのでハシゴしてきた。その途中にある破崎緑地、燈明崎を挟み、最後は稲村ヶ崎。稲村ヶ崎を除けば馴染みの場所ばかりでツーリング的には新鮮味に欠ける。でもバイクに乗るのは正月に近所を初乗りして以来なのでちょうどいい距離かと。
ルートは第三京浜から横浜新道そして横浜横須賀道路の終点まで。このあたりに来ると三浦海岸まで足を伸ばすのがいつものパターン。でも今回は美術館を2つ回るので浦賀にある燈明崎の後はダイレクトに葉山へ。

出発は午前10時半。日差しはたっぷりなものの気温は8度とかなり低い。真冬用ジャケットではなく革ジャンにしたのを高速道路でちょっと後悔。
横浜横須賀道路を降りて馬堀海岸を過ぎると坂道になる。高台に防衛大学の校舎が見える少し先にあるのが破崎(やぶれざき)緑地と名付けられた展望場所。
ここは東京湾越しに富士山が見える景色で有名。もっとも富士山が見えるのは空気の澄んでいる冬だけ。しかし寒くてバイクでは辛いので冬に来たことはない。もう3月半ばではあるが本日は気温も低いからギリギリ見えるかなと期待。
見えました\(^o^)/ (写真中央)
ズームとトリミングで拡大。
季節的に少し霞んではいるものの、写真より肉眼ではもっとはっきり見えている。
けっこう感激した。
ところで最初の地図を参照すれば分かるように、位置的に考えると三浦半島の東海岸から、西にある富士山を東京湾をまたいでは見えないはず。それが見えるのは、このあたりが東西に延びた地形で、また破崎緑地が海側に少し突き出ているから。
矢印が富士山の方向。先ほどの写真にある高層ビルが横須賀の中心部。
航空写真だとわずかに海をかすめているだけのイメージにしかならないが、現地では充分に東京湾越しという雰囲気で眺められる。しかし三浦半島の東海岸に立っている、だから眺めているのは北方向の先入観があるから、海の向こうに富士山が見えるとビックリする。霞んでいる富士山でも感動したのはそういったことも含めて。とにかくここへの最後のツーリングで富士山を見られてラッキー。
なお、ここはバイクなら路肩に停められる。ただし駐車場はないのでクルマではかなり離れたところから坂道を登ってこなければならない。
横須賀美術館は観音崎手前の海沿いに建っている。
バイク駐車場も完備。
東京では本日に桜の開花が観測されたが、美術館の庭ではまだツボミ固く。
一番ピンクが鮮やかだったのがこれ。
今年は2月にバイクに乗る機会がなく梅を見に行けなかったのが残念。
そういえば花の写真をブログに載せるのも超久し振りな気がする。
開催されていたのは青山義雄展。
展覧会の感想はまた別の機会に。
展覧会を見終わって美術館の屋上へ。
天気がよいので気持ちも晴れ晴れ。
エレベータの乗降口のある塔屋。
その中にあったのがこれ。
恋人の聖地を名乗っただけで、たくさん人が集まるほど世の中は甘くないよ(^^ゞ
ーーー続く
今回は観音崎にある横須賀美術館と神奈川県立近代美術館の葉山館で、そこそこ面白そうな展覧会が開かれていたのでハシゴしてきた。その途中にある破崎緑地、燈明崎を挟み、最後は稲村ヶ崎。稲村ヶ崎を除けば馴染みの場所ばかりでツーリング的には新鮮味に欠ける。でもバイクに乗るのは正月に近所を初乗りして以来なのでちょうどいい距離かと。
ルートは第三京浜から横浜新道そして横浜横須賀道路の終点まで。このあたりに来ると三浦海岸まで足を伸ばすのがいつものパターン。でも今回は美術館を2つ回るので浦賀にある燈明崎の後はダイレクトに葉山へ。

出発は午前10時半。日差しはたっぷりなものの気温は8度とかなり低い。真冬用ジャケットではなく革ジャンにしたのを高速道路でちょっと後悔。
横浜横須賀道路を降りて馬堀海岸を過ぎると坂道になる。高台に防衛大学の校舎が見える少し先にあるのが破崎(やぶれざき)緑地と名付けられた展望場所。
ここは東京湾越しに富士山が見える景色で有名。もっとも富士山が見えるのは空気の澄んでいる冬だけ。しかし寒くてバイクでは辛いので冬に来たことはない。もう3月半ばではあるが本日は気温も低いからギリギリ見えるかなと期待。
見えました\(^o^)/ (写真中央)
ズームとトリミングで拡大。
季節的に少し霞んではいるものの、写真より肉眼ではもっとはっきり見えている。
けっこう感激した。
ところで最初の地図を参照すれば分かるように、位置的に考えると三浦半島の東海岸から、西にある富士山を東京湾をまたいでは見えないはず。それが見えるのは、このあたりが東西に延びた地形で、また破崎緑地が海側に少し突き出ているから。
矢印が富士山の方向。先ほどの写真にある高層ビルが横須賀の中心部。
航空写真だとわずかに海をかすめているだけのイメージにしかならないが、現地では充分に東京湾越しという雰囲気で眺められる。しかし三浦半島の東海岸に立っている、だから眺めているのは北方向の先入観があるから、海の向こうに富士山が見えるとビックリする。霞んでいる富士山でも感動したのはそういったことも含めて。とにかくここへの最後のツーリングで富士山を見られてラッキー。
なお、ここはバイクなら路肩に停められる。ただし駐車場はないのでクルマではかなり離れたところから坂道を登ってこなければならない。
横須賀美術館は観音崎手前の海沿いに建っている。
バイク駐車場も完備。
東京では本日に桜の開花が観測されたが、美術館の庭ではまだツボミ固く。
一番ピンクが鮮やかだったのがこれ。
今年は2月にバイクに乗る機会がなく梅を見に行けなかったのが残念。
そういえば花の写真をブログに載せるのも超久し振りな気がする。
開催されていたのは青山義雄展。
展覧会の感想はまた別の機会に。
展覧会を見終わって美術館の屋上へ。
天気がよいので気持ちも晴れ晴れ。
エレベータの乗降口のある塔屋。
その中にあったのがこれ。
恋人の聖地を名乗っただけで、たくさん人が集まるほど世の中は甘くないよ(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 19:51|Permalink│Comments(0)│
2017年01月31日
城ヶ島でスイセン その2
城ヶ島のことを少し調べてみると、
弥生時代の遺跡もあって古くから人が住んでいた。
昔は砂浜の広がる風光明媚なところで、鎌倉時代には源頼朝もこの地を好んでよく
遊びに来ていた。当時は尉ヶ嶋という名前だったのを城ヶ島に改めたのも彼である。
それ以降もいわば関東のリゾートだったが、大正12年(1923年)の関東大震災で
地中の岩盤が隆起して砂浜がなくなったらしい。
また幕末からは東京湾防衛の砲台などが整備され、徐々に観光地から軍事エリアに
なっていく。
第2次大戦後に観光地として復活し、1970年頃には年間200万人が訪れる人気となる。
しかし1973年のオイルショックで観光客が急減し、また近隣の観光スポットとの競争も
激しくなる。現在、三浦半島には年間約1500万人の観光客が訪れているが、城ヶ島まで
足を伸ばすのは93万人といわれている。ちなみに湘南エリアは年間5300万人。
フ〜ン、なるほど。砂浜がなくなったのは痛手かも。数字はわからないが、今は対岸の三崎漁港にマグロを食べに来る人のほうが圧倒的に多いと思われる。とりあえず橋と駐車場が無料なら私はもっと頻繁に来るけど。
昨日のエントリーで展望台から眺めたこの芝生エリアはピクニック広場という名前。写真中央右寄りの電灯の立っている所から海岸に降りていく。
ピクニック広場の下、城ヶ島の東端にあるのが安房埼(あわざき)灯台。反対の西端にも城ヶ島灯台があるが今回は訪れず。
けっこう下っていく。往きはよいよい帰りは怖い(^^ゞ
階段を下りきったところからの風景。
なぜ房総半島の地名である安房という名前がついているかの説明。
岩の景色を楽しみながらブラブラ。城ヶ島というとこういうゴツゴツした岩のイメージがまず浮かび、関東大震災までは砂浜が広がっているとは思いもよらなかった。
ところどころ貝殻浜になっている。ピンク色の貝殻が多くなかなかキレイ。
水の透明度も高し。
安房埼灯台。巨大なローソクのようにも見える。もう1つの城ヶ島灯台は明治時代に日本で5番目に設置されたものだが、こちらは1962年にできた比較的新しいもの。高さ11.5メートルと小型。中は開放されておらず登ることはできなかった。
灯台の扉の反対側に回り込む。ここが正真正銘の城ヶ島東端。
漁師さんが通りかかる。
穏やかな天候だったが灯台周辺は波が荒い。
灯台から少し離れたところでコーヒーブレーク。
iPhoneのマップに表示された気温は12度。
バイクジャケットは駐車場で脱いだが、革パンの下はタイツをはいてきたので歩き回っているとかなり暑かった。アイスコーヒーのほうがよかったかも。冬でも夏でもバイクの場合は服装に苦労する。
駐車場に引き返す。
この枯れたところが白くなっていることも含めて、地味にカラフルな花がところどころに咲いていた。
帰りは公園中央の松&スイセンの歩道で。
広場を挟んで最初に登った展望台。
ところどころで密集しているスイセンを楽しみながら。城ヶ島のスイセンは八重咲きなのでちょっとゴージャス。
公園入口近くの松はワラで「こも巻き」されていた。
暖かいワラに害虫を集めて、害虫が松皮の中に入り込むのを防ぎ、春先にワラごと害虫を燃やしてしまうという仕掛け。別に松が寒さをしのいでいるわけじゃないよ。昔からある冬の風物詩だけれど、最近はこの「こも巻き」には害虫対策の効果がないと廃止するところも多いと聞く。上の写真の歩道の松には巻かれていないから比較実験をしているのかな?
だからこんなツーショットはしばらくしたら見られなくなるかもしれない。
島の西側にもバイクで回るつもりだったが、道を間違えたというか駐車場を出て橋まで一本道で曲がるところがなかったので、そのまま渡ってしまった。城ヶ島を出た後のプランもいくつか頭にあったが、充分楽しめたので往きとまったく同じルートでそのままブォーンと。午後5時45分帰宅で走行140キロ。
実はもっと広〜いスイセン畑を想像していた。歩道沿いにもずっとスイセンが植えられているから総数ではすごいのかも知れないが、見た目の規模インパクトではちょっと肩すかし。でも城ヶ島のスイセンは八重咲きで見応えがあるし、香りも濃厚なので訪れてよかったと思っている。
おしまい
弥生時代の遺跡もあって古くから人が住んでいた。
昔は砂浜の広がる風光明媚なところで、鎌倉時代には源頼朝もこの地を好んでよく
遊びに来ていた。当時は尉ヶ嶋という名前だったのを城ヶ島に改めたのも彼である。
それ以降もいわば関東のリゾートだったが、大正12年(1923年)の関東大震災で
地中の岩盤が隆起して砂浜がなくなったらしい。
また幕末からは東京湾防衛の砲台などが整備され、徐々に観光地から軍事エリアに
なっていく。
第2次大戦後に観光地として復活し、1970年頃には年間200万人が訪れる人気となる。
しかし1973年のオイルショックで観光客が急減し、また近隣の観光スポットとの競争も
激しくなる。現在、三浦半島には年間約1500万人の観光客が訪れているが、城ヶ島まで
足を伸ばすのは93万人といわれている。ちなみに湘南エリアは年間5300万人。
フ〜ン、なるほど。砂浜がなくなったのは痛手かも。数字はわからないが、今は対岸の三崎漁港にマグロを食べに来る人のほうが圧倒的に多いと思われる。とりあえず橋と駐車場が無料なら私はもっと頻繁に来るけど。
昨日のエントリーで展望台から眺めたこの芝生エリアはピクニック広場という名前。写真中央右寄りの電灯の立っている所から海岸に降りていく。
ピクニック広場の下、城ヶ島の東端にあるのが安房埼(あわざき)灯台。反対の西端にも城ヶ島灯台があるが今回は訪れず。
けっこう下っていく。往きはよいよい帰りは怖い(^^ゞ
階段を下りきったところからの風景。
なぜ房総半島の地名である安房という名前がついているかの説明。
岩の景色を楽しみながらブラブラ。城ヶ島というとこういうゴツゴツした岩のイメージがまず浮かび、関東大震災までは砂浜が広がっているとは思いもよらなかった。
ところどころ貝殻浜になっている。ピンク色の貝殻が多くなかなかキレイ。
水の透明度も高し。
安房埼灯台。巨大なローソクのようにも見える。もう1つの城ヶ島灯台は明治時代に日本で5番目に設置されたものだが、こちらは1962年にできた比較的新しいもの。高さ11.5メートルと小型。中は開放されておらず登ることはできなかった。
灯台の扉の反対側に回り込む。ここが正真正銘の城ヶ島東端。
漁師さんが通りかかる。
穏やかな天候だったが灯台周辺は波が荒い。
灯台から少し離れたところでコーヒーブレーク。
iPhoneのマップに表示された気温は12度。
バイクジャケットは駐車場で脱いだが、革パンの下はタイツをはいてきたので歩き回っているとかなり暑かった。アイスコーヒーのほうがよかったかも。冬でも夏でもバイクの場合は服装に苦労する。
駐車場に引き返す。
この枯れたところが白くなっていることも含めて、地味にカラフルな花がところどころに咲いていた。
帰りは公園中央の松&スイセンの歩道で。
広場を挟んで最初に登った展望台。
ところどころで密集しているスイセンを楽しみながら。城ヶ島のスイセンは八重咲きなのでちょっとゴージャス。
公園入口近くの松はワラで「こも巻き」されていた。
暖かいワラに害虫を集めて、害虫が松皮の中に入り込むのを防ぎ、春先にワラごと害虫を燃やしてしまうという仕掛け。別に松が寒さをしのいでいるわけじゃないよ。昔からある冬の風物詩だけれど、最近はこの「こも巻き」には害虫対策の効果がないと廃止するところも多いと聞く。上の写真の歩道の松には巻かれていないから比較実験をしているのかな?
だからこんなツーショットはしばらくしたら見られなくなるかもしれない。
島の西側にもバイクで回るつもりだったが、道を間違えたというか駐車場を出て橋まで一本道で曲がるところがなかったので、そのまま渡ってしまった。城ヶ島を出た後のプランもいくつか頭にあったが、充分楽しめたので往きとまったく同じルートでそのままブォーンと。午後5時45分帰宅で走行140キロ。
実はもっと広〜いスイセン畑を想像していた。歩道沿いにもずっとスイセンが植えられているから総数ではすごいのかも知れないが、見た目の規模インパクトではちょっと肩すかし。でも城ヶ島のスイセンは八重咲きで見応えがあるし、香りも濃厚なので訪れてよかったと思っている。
おしまい
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2017年01月29日
城ヶ島でスイセン
既に1月も末だから初乗りというには気が引けるものの、ようやく今年最初のツーリングに出かけてきた。城ヶ島は三浦半島の先端にあるマグロで有名な三崎港の沖合に浮かぶ小さな島。三浦半島にはバイクに乗り始める前から何度も出かけているが、なぜかこの城ヶ島は訪れたことがなかった。
しかし何年か前にここがスイセンの名所だということを知る。それで毎年チャンスをうかがっていたのだが、咲き始めた頃に強風が吹いてすべて倒れたとか、突然の大雪でダメになったというシーズンが続いて訪れられずじまい。幸いにも今年は私の休みと天候(あまり寒いとバイクに乗る気がしない)そして開花時期が揃ったというしだい。
ルートは第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路とほぼ8割が高速道路のツーリング。衣笠インターで降りて城ヶ島を目指す。

縮小地図じゃよく見えないので城ヶ島の航空写真。島といっても沖合数百メートルに位置しているし橋で結ばれているので三浦半島の一部みたいなものである。ちなみに橋は有料でバイクは50円。ETCがないので特にバイクだと支払いが面倒。

暖かくなるのを待って正午に出発。この日の東京の最高気温予想は13〜14度と1月にしては暖かく、革ジャンでも大丈夫かとも思ったが、ほとんどが高速道路だし帰りが遅くなる可能性もあるので冬用のバイクジャケットを着用。結果は正解で東京から横浜を走っている区間は10度くらいの気温だった。
午後2時前に城ヶ島公園に到着。高速道路はスムーズだったものの、降りてから三崎に着くまでにところどころ渋滞。まあ三崎はいつものこと。
城ヶ島で一番密集して水仙が植えられているのがこの駐車場の奥。ちょっとロケーション的にありがた味が薄い気もするが。
こんな斜面になっている。
斜面を上がったところ。
スイセンと松。似合っているような変わった組み合わせのようなーーー。
数日前の公式フェイスブックでは7分咲きという情報だったが、当日は満開といっていいレベルだった。甘い香りが広がっていい雰囲気。
駐車場の先にあるゲートの向こうが城ヶ島公園。入場は無料。
ただ駐車場はバイクで100円取られる。
ゲートをくぐると遊歩道の両脇にスイセンが咲いていていい感じ。
でも推奨コースはいったん海近くまで回っていくようなので、
それに従って歩いて行く。こちらもスイセンが途切れることはない。
海に突き出した崖の上のような地形。
途中に展望スペース。
♪海は広いなあ大きいなあ〜
俳句の句碑。それにしても「芋の露」という情景が思い浮かばないし、文字にしてみると字面として何かヘンな感じ。
展望台があった。
当然、登る。
それほど高さのある展望台ではないので、先ほど見た景色とあまり変わらず。
しかし今まで歩いてきた歩道はよく見えた。
さらにこの先にも展望台があることも発見。
視界がよければ伊豆半島や富士山も眺められるらしいが、この日は半曇りな天候なので何も見えずに残念。
展望台を降り、右方向の磯場に向かってみる。
歩道から少し降りたところにある踊り場的なスペース。
磯場にはここからかなりの下り坂。帰りは登り坂なわけで、磯場に特におもしろそうなものもなさそうなのでスルーした。
地層とか、とことん剪定された木などを眺めながら歩く。整備された歩道で雰囲気は自然を満喫というわけではないけれど、それでも街中とは違うマッタリ感に徐々に浸ると、心の中から緊張感が抜けていく心地よさにトローンとした気分になってくる。
歩道の終わり近くに先ほどの展望台から見えた、もう1つの展望台があらわれた。
展望台から見えているのは東西に延びた城ヶ島の東端の岬。一番先に小さな灯台が見える。
反対側を振り返ると城ヶ島と三崎を結ぶ城ヶ島大橋。
ーーー続く
しかし何年か前にここがスイセンの名所だということを知る。それで毎年チャンスをうかがっていたのだが、咲き始めた頃に強風が吹いてすべて倒れたとか、突然の大雪でダメになったというシーズンが続いて訪れられずじまい。幸いにも今年は私の休みと天候(あまり寒いとバイクに乗る気がしない)そして開花時期が揃ったというしだい。
ルートは第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路とほぼ8割が高速道路のツーリング。衣笠インターで降りて城ヶ島を目指す。

縮小地図じゃよく見えないので城ヶ島の航空写真。島といっても沖合数百メートルに位置しているし橋で結ばれているので三浦半島の一部みたいなものである。ちなみに橋は有料でバイクは50円。ETCがないので特にバイクだと支払いが面倒。

暖かくなるのを待って正午に出発。この日の東京の最高気温予想は13〜14度と1月にしては暖かく、革ジャンでも大丈夫かとも思ったが、ほとんどが高速道路だし帰りが遅くなる可能性もあるので冬用のバイクジャケットを着用。結果は正解で東京から横浜を走っている区間は10度くらいの気温だった。
午後2時前に城ヶ島公園に到着。高速道路はスムーズだったものの、降りてから三崎に着くまでにところどころ渋滞。まあ三崎はいつものこと。
城ヶ島で一番密集して水仙が植えられているのがこの駐車場の奥。ちょっとロケーション的にありがた味が薄い気もするが。
こんな斜面になっている。
斜面を上がったところ。
スイセンと松。似合っているような変わった組み合わせのようなーーー。
数日前の公式フェイスブックでは7分咲きという情報だったが、当日は満開といっていいレベルだった。甘い香りが広がっていい雰囲気。
駐車場の先にあるゲートの向こうが城ヶ島公園。入場は無料。
ただ駐車場はバイクで100円取られる。
ゲートをくぐると遊歩道の両脇にスイセンが咲いていていい感じ。
でも推奨コースはいったん海近くまで回っていくようなので、
それに従って歩いて行く。こちらもスイセンが途切れることはない。
海に突き出した崖の上のような地形。
途中に展望スペース。
♪海は広いなあ大きいなあ〜
俳句の句碑。それにしても「芋の露」という情景が思い浮かばないし、文字にしてみると字面として何かヘンな感じ。
展望台があった。
当然、登る。
それほど高さのある展望台ではないので、先ほど見た景色とあまり変わらず。
しかし今まで歩いてきた歩道はよく見えた。
さらにこの先にも展望台があることも発見。
視界がよければ伊豆半島や富士山も眺められるらしいが、この日は半曇りな天候なので何も見えずに残念。
展望台を降り、右方向の磯場に向かってみる。
歩道から少し降りたところにある踊り場的なスペース。
磯場にはここからかなりの下り坂。帰りは登り坂なわけで、磯場に特におもしろそうなものもなさそうなのでスルーした。
地層とか、とことん剪定された木などを眺めながら歩く。整備された歩道で雰囲気は自然を満喫というわけではないけれど、それでも街中とは違うマッタリ感に徐々に浸ると、心の中から緊張感が抜けていく心地よさにトローンとした気分になってくる。
歩道の終わり近くに先ほどの展望台から見えた、もう1つの展望台があらわれた。
展望台から見えているのは東西に延びた城ヶ島の東端の岬。一番先に小さな灯台が見える。
反対側を振り返ると城ヶ島と三崎を結ぶ城ヶ島大橋。
ーーー続く
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2016年09月10日
横須賀美術館〜燈明崎
久し振りの晴れとなった週末。
というわけで7月2日の軽井沢以来となるバイクツーリング。
まあ2ヶ月ほど乗っていなかったことになるものの、その間に禁断症状は皆無(^^ゞ
5年ほど前に35年振りにバイクに乗り始めたわけだが、日帰りでいけるところはだいたい出かけたし、泊まりでツーリングに行く気もあまりないし、走ること自体を楽しむタイプでもないので、最近はモチベーション低下気味。年間でバイクに乗る回数を考えたら、レンタルバイクのほうが圧倒的に合理的。しかし、それだと今日は晴れたからーーーといった思いつきの行動が取れないのが難点。まあしばらくはズルズルとしたバイクライフを送るのかな。乗れば毎回、必ず楽しいのが困る(^^ゞ
特に出かけたいところもなかったので、とりあえず海でも見てくるかと考える。房総半島を回ってくるほどの気合いはこの日はなし。すると三浦半島か湘南か、あるいはその先辺りということになる。9月になったけれど、雨の多かった8月の後の久し振りの晴天だし、海に来る人多いだろうなあ、渋滞しているだろうなあと思うと気分が萎えてきた。そんなこんなでグズグズしてネットを見ていると、横須賀美術館でちょっとよさそうな展覧会が始まっているのを発見。というわけでそれを見て、その近くにあるお気に入りスポットの燈明崎に行く、その後は気分次第というプランに決定。
毎度おなじみの場所なので地図にするほどでもないが。往きは左側のルートで第3京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路を終点まで。結局、燈明崎以外のビーチには行かず、帰りは右側のルート。横須賀の市内を抜けて幸浦から首都高湾岸線に乗り、ベイブリッジ経由で戻ってきた。

なんやかんやで出発は12時半頃。気温30.5度。高速道路上で33.5度。もう真夏のような日差しではないのでメッシュの革ジャン・革パンで充分に涼しい。インナーは普通のTシャツ。今年は気化熱で体温を下げるクールベストや、同じく気化熱効果のあるピチピチの超速乾ウエアは着ずじまいで終わったことになる。
横浜横須賀道路の最後で眼下に海が見えてくると、もう何度もそこを通っているのに「ヤッター、海だ!」とテンションが上がって「コドモか?」といつも自分に突っ込みを入れている(^^ゞ 高速道路を降りて数分、観音崎の手前にある横須賀美術館に着いたのは午後2時前。
このブログで何度か紹介したが、海沿いに建つ美術館である。
海を眺めながら食事のできるレストランのテラス席。横須賀美術館は展覧会より、レストランにやってくる人のほうが多い気がする。
見てきたのはこの展覧会。バイクに乗る言い訳で訪れたようなものだったが、なかなか楽しめた。感想はまた別のエントリーで。
美術館から観音崎は歩いて行ける距離。海だけじゃなく密林的な自然のあるいい場所なのだが、この日はスルー。浦賀の市街地を抜けて燈明崎に向かう。浦賀はこの日お祭りだったようで、何台かの山車(だし)が引かれているのを見かけた。そういえばお祭りというものには長いこと出かけていない。
燈明崎(とうみょうざき)到着。
この時期、駐車場はまだ有料。でもバイクは入口の広場に乗り入れることができる。
初めて来た時はあまりの美しさに絶句した北側の海岸。
たった50メートルほどの短い海岸。この日は誰もいなくてプライベートビーチ気分を味わうことができた。いつもより打ち上げられている海藻が多いのは何度も接近した台風の影響かな。
三浦海岸も湘南も砂が黒いのに、なぜか燈明崎は白い砂。
水もきれいで、
周りに団地は建っていても、それすらも絵になる光景。
東京湾越しに対岸の房総半島が見えて、ドッカーンと開放感のある海ではないけれど、自宅から1時間の場所にこんな景色があることに何度来ても感激する。私は燈明崎を東京から一番近い楽園と勝手に名付けている。
ちなみに燈明崎は北向きの短い海岸と、東向きの海岸に挟まれている。
こちらが東向き海岸。夏を惜しんで海水浴をする人がチラホラ。
この石垣を背もたれにしてマッタリとくつろぐ。
日陰になっているし浜風も吹いているので暑さはまったくなし。
波が打ち寄せる音を聞いて、行き交う船を眺めて、
だんだんと脳みそが溶けていく心地よさを味わう。
空には夏の雲と秋の雲。
1時間近くボケーッとしていたかな。最初は三浦半島を横切って葉山あたりで夕日でも見て帰ろうかと思っていたが、ここ燈明崎で充分満足したので、そのまま帰ることに。走行150キロで午後6時半頃に帰宅。もう真っ暗。この時期って、こんなに日が落ちるのが早かったけと思う。バイクにしばらく乗っていないと季節を感じる勘も鈍るみたいだ。秋はできるだけツーリングしたいが、今年は台風の当たり年のようでーーー
追伸
燈明崎は燈明堂という日本で最初の灯台が建てられたので、その地名になった。
興味があったら以前のエントリーで。
というわけで7月2日の軽井沢以来となるバイクツーリング。
まあ2ヶ月ほど乗っていなかったことになるものの、その間に禁断症状は皆無(^^ゞ
5年ほど前に35年振りにバイクに乗り始めたわけだが、日帰りでいけるところはだいたい出かけたし、泊まりでツーリングに行く気もあまりないし、走ること自体を楽しむタイプでもないので、最近はモチベーション低下気味。年間でバイクに乗る回数を考えたら、レンタルバイクのほうが圧倒的に合理的。しかし、それだと今日は晴れたからーーーといった思いつきの行動が取れないのが難点。まあしばらくはズルズルとしたバイクライフを送るのかな。乗れば毎回、必ず楽しいのが困る(^^ゞ
特に出かけたいところもなかったので、とりあえず海でも見てくるかと考える。房総半島を回ってくるほどの気合いはこの日はなし。すると三浦半島か湘南か、あるいはその先辺りということになる。9月になったけれど、雨の多かった8月の後の久し振りの晴天だし、海に来る人多いだろうなあ、渋滞しているだろうなあと思うと気分が萎えてきた。そんなこんなでグズグズしてネットを見ていると、横須賀美術館でちょっとよさそうな展覧会が始まっているのを発見。というわけでそれを見て、その近くにあるお気に入りスポットの燈明崎に行く、その後は気分次第というプランに決定。
毎度おなじみの場所なので地図にするほどでもないが。往きは左側のルートで第3京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路を終点まで。結局、燈明崎以外のビーチには行かず、帰りは右側のルート。横須賀の市内を抜けて幸浦から首都高湾岸線に乗り、ベイブリッジ経由で戻ってきた。

なんやかんやで出発は12時半頃。気温30.5度。高速道路上で33.5度。もう真夏のような日差しではないのでメッシュの革ジャン・革パンで充分に涼しい。インナーは普通のTシャツ。今年は気化熱で体温を下げるクールベストや、同じく気化熱効果のあるピチピチの超速乾ウエアは着ずじまいで終わったことになる。
横浜横須賀道路の最後で眼下に海が見えてくると、もう何度もそこを通っているのに「ヤッター、海だ!」とテンションが上がって「コドモか?」といつも自分に突っ込みを入れている(^^ゞ 高速道路を降りて数分、観音崎の手前にある横須賀美術館に着いたのは午後2時前。
このブログで何度か紹介したが、海沿いに建つ美術館である。
海を眺めながら食事のできるレストランのテラス席。横須賀美術館は展覧会より、レストランにやってくる人のほうが多い気がする。
見てきたのはこの展覧会。バイクに乗る言い訳で訪れたようなものだったが、なかなか楽しめた。感想はまた別のエントリーで。
美術館から観音崎は歩いて行ける距離。海だけじゃなく密林的な自然のあるいい場所なのだが、この日はスルー。浦賀の市街地を抜けて燈明崎に向かう。浦賀はこの日お祭りだったようで、何台かの山車(だし)が引かれているのを見かけた。そういえばお祭りというものには長いこと出かけていない。
燈明崎(とうみょうざき)到着。
この時期、駐車場はまだ有料。でもバイクは入口の広場に乗り入れることができる。
初めて来た時はあまりの美しさに絶句した北側の海岸。
たった50メートルほどの短い海岸。この日は誰もいなくてプライベートビーチ気分を味わうことができた。いつもより打ち上げられている海藻が多いのは何度も接近した台風の影響かな。
三浦海岸も湘南も砂が黒いのに、なぜか燈明崎は白い砂。
水もきれいで、
周りに団地は建っていても、それすらも絵になる光景。
東京湾越しに対岸の房総半島が見えて、ドッカーンと開放感のある海ではないけれど、自宅から1時間の場所にこんな景色があることに何度来ても感激する。私は燈明崎を東京から一番近い楽園と勝手に名付けている。
ちなみに燈明崎は北向きの短い海岸と、東向きの海岸に挟まれている。
こちらが東向き海岸。夏を惜しんで海水浴をする人がチラホラ。
この石垣を背もたれにしてマッタリとくつろぐ。
日陰になっているし浜風も吹いているので暑さはまったくなし。
波が打ち寄せる音を聞いて、行き交う船を眺めて、
だんだんと脳みそが溶けていく心地よさを味わう。
空には夏の雲と秋の雲。
1時間近くボケーッとしていたかな。最初は三浦半島を横切って葉山あたりで夕日でも見て帰ろうかと思っていたが、ここ燈明崎で充分満足したので、そのまま帰ることに。走行150キロで午後6時半頃に帰宅。もう真っ暗。この時期って、こんなに日が落ちるのが早かったけと思う。バイクにしばらく乗っていないと季節を感じる勘も鈍るみたいだ。秋はできるだけツーリングしたいが、今年は台風の当たり年のようでーーー
追伸
燈明崎は燈明堂という日本で最初の灯台が建てられたので、その地名になった。
興味があったら以前のエントリーで。
wassho at 22:00|Permalink│Comments(0)│
2015年09月25日
油壺 胴網浜から横堀海岸
9月20日のツーリングの4エントリー目。
奥に見える胴網浜東端にある岩場を回り込めば、
隣の横堀海岸に行けることになっている。
写真で見るイメージ以上に足を運べるスペースは小さい。壁に手をつけば大丈夫なんだけれど、カメラを手に持っていてはそれもやりづらい。大型のウエストポーチを背中に斜めがけしているのだが、いちいちカメラを入れたり出したりも面倒。ということで海岸沿いを通って行くのは断念。まあ荒井浜〜胴網浜の探検で充分満足したのも理由のひとつ。
海岸から道路へ出る道を登っていく。
脇道に墓のようなものが見えた。
「陸奥守(むつのかみ)道寸義同公の墓」と書いてある。
供えられている花はまだ生き生きしていた。
隣にあるお墓の説明看板。
三浦義同(よしあつ)の墓である。陸奥守は彼の官職名。陸奥というのは太平洋側の東北地方のこと。守(かみ)というのは、4つあった国司の階級で最も高い位。その次が介(すけ)。なんとかの守、なんとかの介という呼び方は聞いたことがあると思う。国司とは朝廷=中央政府から地方に派遣される行政官。守(かみ)なら長官で県知事みたいなもの。
もっとも国司が任務地に「赴任」していたのは律令制が始まった頃だけ。平安時代になると守や介は都に残って下級の国司しか現地に行かなくなる。平安の終わりから鎌倉時代になると国司が地方を治めるという制度は実質的に崩壊。ただし国司という官職だけは一種の箔付けとして残った。信長は上総介(かずさ・のすけ=千葉)、秀吉は筑前守(ちくぜん・のかみ=福岡)と領地とは無関係に「官位として」任ぜられている。
ちなみに信長が介なのは低く見られていたわけではなく、上総の守は親王(皇位継承権のある皇族)がなるしきたりで、介が実質的なトップという位置づけだったから。そんな建前が、国司という制度が単に名目上のことになった後も続いていたのが面白い。忠臣蔵で敵役の吉良上野介(きら・こうずのすけ)も上野介は役職名で彼の本当の名前は義央(よしひさ)。上野とは今の群馬県あたり。名前を使わずに部長とか社長と役職名で呼ぶことがあるが、そんな風習はけっこう歴史が古いのかも知れない。
さて三浦義同は1451年生まれ1516年没。応仁の乱が1467年なので戦国時代初期の人物。当然、陸奥守というのも名目的な官位。道寸(どうすん)というのは出家してしてからの名前。出家したのは仏門に目覚めたからではなく、養子に入った家で実子が生まれ、養父に疎まれて暗殺されそうになったから。坊主なら暗殺のハードルが高くなるという理屈。
三浦一族は平安時代から相模=神奈川を支配していた豪族。やがて武士となりイイクニツクロウの源頼朝の挙兵に参加。鎌倉幕府の有力メンバーとなるが、執権である北条氏と対立して1247年に滅ぼされる。しかし親戚筋がお家再興して1331〜1333年に足利尊氏が鎌倉幕府を倒した戦いに参加。室町時代に再び200年ほど相模を治め繁栄するが、戦国時代になり北条早雲に滅ぼされる。ちなみに鎌倉時代の執権家の北条氏と、北条早雲から始まり小田原城を築いた北条氏は遠い親戚らしいが歴史的には別の系統に分類される。
三浦義同(よしあつ)はその北条早雲に滅ぼされた三浦家最後の当主。今は油壺マリンパークとなっている場所にあった新井城に4年近く籠城したが最後は落城。これは戦国時代最長の籠城記録とのこと。
看板に書かれている三浦義同(よしあつ)辞世の句
討つものも討たるるものも かわらけよ
砕けて後は もとの土くれ
「かわらけ」といいうのは土器・陶器のこと。ここではたぶん素焼きの杯を差していると思う。達観しているようでもあり自虐的なようでもある。
というわけで1516年に北条早雲に滅ぼされ「土くれ」となった三浦一族であったが、義同の次男は安房(千葉)に落ち延びる。その孫が養珠院お万の方。家康の側室となり家康の十男、十一男を産み、それぞれ紀州徳川家、水戸徳川家の初代藩主となっている。黄門様の水戸光圀は彼女の孫、暴れん坊将軍の紀州徳川吉宗はひ孫。2回も滅ぼされたのに徳川家にその血筋を残しているんだから三浦一族はしぶとい。
※リンクしたページの下のほうにお万の方の銅像を訪れたときのエントリーがある。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2011-09-19.html
いつものことながら話がそれた(^^ゞ
さて
胴網浜から坂を登り切ると油壺マリンパークの駐車場に出た。
マリンパークの入り口。
壮絶な戦場だった新井城も今は親子連れが集う平和な行楽地。
道路に出て市営駐車場のほうに戻っていく。
荒井浜に降りる分岐を通り過ぎると、
横堀海岸に降りる坂道がある。
ところで坂道の向こうに海が見えるとワクワクしてくるのは私だけかな?
別荘?やリゾートマンションに囲まれた道を下る。
横堀海岸到着。
サイズは胴網浜より少し小さいかな。全景は撮り忘れた(>_<)
他の2つの浜と違って海の家は休業中。
東隣はシーボニアというマリーナがあって(そっちに顔を向けていると)リッチな雰囲気。
ここにも海に延びるパイプがあった。もちろん荒井浜と違って水族館などはない。
海水を取り込んでいるのか、下水を流していのか。ナゾ
東側にはさらに小さな浜があった。足を濡らさずには渡れなかったので見ただけ。
かつては桟橋を支えていたと思われる朽ちた構造物。
西側の風景。つまり胴網浜方向。
アップで。
胴網浜から歩いてくるのはやはり無理だったみたい。
もう少し潮が引いていれば濡れずに歩けるのかも知れないが。
遠くに見えている岬の先端は荒崎だと思う。
ボケーッと海を眺めていたらスタンドアップボードの集団が通り過ぎた。
なぜかこのスポーツだけはやりたいと思ったことがない。
降りてきた坂道を登って三浦半島のマイナースポット巡りPart2は終了。あまり馴染みのなかった油壺を探索できて楽しかった。
高速道路に乗るまでの134号線はいつものように大渋滞。かなり強引なスリヌケをする4台位のバイク集団がいたので最後尾について便乗。できるだけ自重しているんだが、ついついーーー。走行150キロで午後6時前に帰宅。次の週末は交通安全週間中なのでバイクでは出かけない予定。
おしまい
奥に見える胴網浜東端にある岩場を回り込めば、
隣の横堀海岸に行けることになっている。
写真で見るイメージ以上に足を運べるスペースは小さい。壁に手をつけば大丈夫なんだけれど、カメラを手に持っていてはそれもやりづらい。大型のウエストポーチを背中に斜めがけしているのだが、いちいちカメラを入れたり出したりも面倒。ということで海岸沿いを通って行くのは断念。まあ荒井浜〜胴網浜の探検で充分満足したのも理由のひとつ。
海岸から道路へ出る道を登っていく。
脇道に墓のようなものが見えた。
「陸奥守(むつのかみ)道寸義同公の墓」と書いてある。
供えられている花はまだ生き生きしていた。
隣にあるお墓の説明看板。
三浦義同(よしあつ)の墓である。陸奥守は彼の官職名。陸奥というのは太平洋側の東北地方のこと。守(かみ)というのは、4つあった国司の階級で最も高い位。その次が介(すけ)。なんとかの守、なんとかの介という呼び方は聞いたことがあると思う。国司とは朝廷=中央政府から地方に派遣される行政官。守(かみ)なら長官で県知事みたいなもの。
もっとも国司が任務地に「赴任」していたのは律令制が始まった頃だけ。平安時代になると守や介は都に残って下級の国司しか現地に行かなくなる。平安の終わりから鎌倉時代になると国司が地方を治めるという制度は実質的に崩壊。ただし国司という官職だけは一種の箔付けとして残った。信長は上総介(かずさ・のすけ=千葉)、秀吉は筑前守(ちくぜん・のかみ=福岡)と領地とは無関係に「官位として」任ぜられている。
ちなみに信長が介なのは低く見られていたわけではなく、上総の守は親王(皇位継承権のある皇族)がなるしきたりで、介が実質的なトップという位置づけだったから。そんな建前が、国司という制度が単に名目上のことになった後も続いていたのが面白い。忠臣蔵で敵役の吉良上野介(きら・こうずのすけ)も上野介は役職名で彼の本当の名前は義央(よしひさ)。上野とは今の群馬県あたり。名前を使わずに部長とか社長と役職名で呼ぶことがあるが、そんな風習はけっこう歴史が古いのかも知れない。
さて三浦義同は1451年生まれ1516年没。応仁の乱が1467年なので戦国時代初期の人物。当然、陸奥守というのも名目的な官位。道寸(どうすん)というのは出家してしてからの名前。出家したのは仏門に目覚めたからではなく、養子に入った家で実子が生まれ、養父に疎まれて暗殺されそうになったから。坊主なら暗殺のハードルが高くなるという理屈。
三浦一族は平安時代から相模=神奈川を支配していた豪族。やがて武士となりイイクニツクロウの源頼朝の挙兵に参加。鎌倉幕府の有力メンバーとなるが、執権である北条氏と対立して1247年に滅ぼされる。しかし親戚筋がお家再興して1331〜1333年に足利尊氏が鎌倉幕府を倒した戦いに参加。室町時代に再び200年ほど相模を治め繁栄するが、戦国時代になり北条早雲に滅ぼされる。ちなみに鎌倉時代の執権家の北条氏と、北条早雲から始まり小田原城を築いた北条氏は遠い親戚らしいが歴史的には別の系統に分類される。
三浦義同(よしあつ)はその北条早雲に滅ぼされた三浦家最後の当主。今は油壺マリンパークとなっている場所にあった新井城に4年近く籠城したが最後は落城。これは戦国時代最長の籠城記録とのこと。
看板に書かれている三浦義同(よしあつ)辞世の句
討つものも討たるるものも かわらけよ
砕けて後は もとの土くれ
「かわらけ」といいうのは土器・陶器のこと。ここではたぶん素焼きの杯を差していると思う。達観しているようでもあり自虐的なようでもある。
というわけで1516年に北条早雲に滅ぼされ「土くれ」となった三浦一族であったが、義同の次男は安房(千葉)に落ち延びる。その孫が養珠院お万の方。家康の側室となり家康の十男、十一男を産み、それぞれ紀州徳川家、水戸徳川家の初代藩主となっている。黄門様の水戸光圀は彼女の孫、暴れん坊将軍の紀州徳川吉宗はひ孫。2回も滅ぼされたのに徳川家にその血筋を残しているんだから三浦一族はしぶとい。
※リンクしたページの下のほうにお万の方の銅像を訪れたときのエントリーがある。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2011-09-19.html
いつものことながら話がそれた(^^ゞ
さて
胴網浜から坂を登り切ると油壺マリンパークの駐車場に出た。
マリンパークの入り口。
壮絶な戦場だった新井城も今は親子連れが集う平和な行楽地。
道路に出て市営駐車場のほうに戻っていく。
荒井浜に降りる分岐を通り過ぎると、
横堀海岸に降りる坂道がある。
ところで坂道の向こうに海が見えるとワクワクしてくるのは私だけかな?
別荘?やリゾートマンションに囲まれた道を下る。
横堀海岸到着。
サイズは胴網浜より少し小さいかな。全景は撮り忘れた(>_<)
他の2つの浜と違って海の家は休業中。
東隣はシーボニアというマリーナがあって(そっちに顔を向けていると)リッチな雰囲気。
ここにも海に延びるパイプがあった。もちろん荒井浜と違って水族館などはない。
海水を取り込んでいるのか、下水を流していのか。ナゾ
東側にはさらに小さな浜があった。足を濡らさずには渡れなかったので見ただけ。
かつては桟橋を支えていたと思われる朽ちた構造物。
西側の風景。つまり胴網浜方向。
アップで。
胴網浜から歩いてくるのはやはり無理だったみたい。
もう少し潮が引いていれば濡れずに歩けるのかも知れないが。
遠くに見えている岬の先端は荒崎だと思う。
ボケーッと海を眺めていたらスタンドアップボードの集団が通り過ぎた。
なぜかこのスポーツだけはやりたいと思ったことがない。
降りてきた坂道を登って三浦半島のマイナースポット巡りPart2は終了。あまり馴染みのなかった油壺を探索できて楽しかった。
高速道路に乗るまでの134号線はいつものように大渋滞。かなり強引なスリヌケをする4台位のバイク集団がいたので最後尾について便乗。できるだけ自重しているんだが、ついついーーー。走行150キロで午後6時前に帰宅。次の週末は交通安全週間中なのでバイクでは出かけない予定。
おしまい
wassho at 07:49|Permalink│Comments(0)│
2015年09月23日
油壺 荒井浜から胴網浜
油壺の航空写真。
諸磯湾と油壺湾はひとつの入り江の手前と奥の関係。そして油壺の岬には荒井浜、胴網浜、横堀海岸がある。探検というのはこの3つのビーチを岬沿いにグルーっと岩場を歩いて巡るということ。もちろん観光コースとして紹介されているわけだから、険しいルートではないはず。でもちょっと楽しそう。

この崖沿いを時計回りに歩いていくことになる。
崖はかなり切り立っている。海沿い特有の木の生え方が荒々しい。もう秋なのでウロコ雲が見える。今年の夏は猛暑日の連続記録を更新したりで厳しかったけれど、それもお盆までと短い夏だった。
荒井浜の一番南側からの風景。
テクテクと歩いて行く。
だんだんと荒井浜が小さくなる。
謎のパイプ発見。
パイプが陸地に伸びている方向には油壺マリンパークの建物。マリンパークは水族館テーマパークのようなところだから、水槽に入れる海水をここから引いているのかも知れない。
ところどころで咲いていたオレンジ色の花。
たぶんハマカンゾウ(浜萓草)だと思う。見ての通りユリの仲間。
さらに進む。
もう荒井浜は見えない。
足跡はたくさんあるが、ここまで来るともう誰もいなくなった。
打ち寄せる波もちょっと荒い。
割と広めの砂場があって、ところどころ崖がせり出してきて岩場を歩いての繰り返し。
恐竜の背骨の化石発見(^^ゞ
次の崖場には階段があった。
満潮の時に渡れなくなる場所には階段があると調べたときに読んだようなーーーツーリングの下調べはいつも大雑把なのでウロ覚え。
階段の下の少し高くなった岩場で海を見おろしながら休憩。なかなかいい景色。心がスーッと軽くなるのを感じる。もっとも特に何も溜め込んでいないんだけど(^^ゞ
コーヒータイム。魔法瓶ボトルに入れてあるのはカフェ・アメリカーノのアイスコーヒー版。かなり濃いめに作ってきな粉を入れてある。暑い時期のツーリングにはいつもこれで、真夏ならボトル2本を持っていく。濃いめ=シャキッとする〜きな粉=多少は栄養補給、熱中病対策にもなるかと思って。
関係ないけれど、こんな岩の隙間で育っている草の生命力って凄い!
階段ではなく岩場つたいに行くことに挑戦。
無理!
足場がまったくない。満潮の時にはーーーというのは私の勘違いで、ここは階段を使って進む場所のようだ。
階段を上る。
細っ!
カヌーの一団が目の前を通り過ぎた。
カヌーも一度試してみたい。
階段を降りた先は、結構厳しそうな岩場になっている。もっとも厳しいといっても歩くことは難しくないが、問題は足を濡らさずに進めるかどうか。
何とか大丈夫。
胴網浜が見えてきた。
浜が見えてからが意外と長い。
海に落ちて「助けてくれー」と叫んだら声が届く場所までたどり着く。
無事に胴網浜到着。
ビーチの幅は100メートルあるかないかくらい。ここは北向きなので、もう後ろの山の影が差している。時刻は3時過ぎ。
これはスタンドアップボードとかパドルボードとか呼ばれるもの(略称はSUP)。
サーフボードに似た形でも立ってオールで漕ぐ。サーフィンするところでやっている人も多いが、このボードは厚みがかなりある。だからこれは波に乗るSUPじゃなくてカヌーのようにクルージングを楽しむタイプなのかなと思う。最近のマリンスポーツについては浦島太郎状態なのが淋しい。
とりあえずお約束のローアングル。砂にピントが合ってしまった。
ーーー続く
諸磯湾と油壺湾はひとつの入り江の手前と奥の関係。そして油壺の岬には荒井浜、胴網浜、横堀海岸がある。探検というのはこの3つのビーチを岬沿いにグルーっと岩場を歩いて巡るということ。もちろん観光コースとして紹介されているわけだから、険しいルートではないはず。でもちょっと楽しそう。

この崖沿いを時計回りに歩いていくことになる。
崖はかなり切り立っている。海沿い特有の木の生え方が荒々しい。もう秋なのでウロコ雲が見える。今年の夏は猛暑日の連続記録を更新したりで厳しかったけれど、それもお盆までと短い夏だった。
荒井浜の一番南側からの風景。
テクテクと歩いて行く。
だんだんと荒井浜が小さくなる。
謎のパイプ発見。
パイプが陸地に伸びている方向には油壺マリンパークの建物。マリンパークは水族館テーマパークのようなところだから、水槽に入れる海水をここから引いているのかも知れない。
ところどころで咲いていたオレンジ色の花。
たぶんハマカンゾウ(浜萓草)だと思う。見ての通りユリの仲間。
さらに進む。
もう荒井浜は見えない。
足跡はたくさんあるが、ここまで来るともう誰もいなくなった。
打ち寄せる波もちょっと荒い。
割と広めの砂場があって、ところどころ崖がせり出してきて岩場を歩いての繰り返し。
恐竜の背骨の化石発見(^^ゞ
次の崖場には階段があった。
満潮の時に渡れなくなる場所には階段があると調べたときに読んだようなーーーツーリングの下調べはいつも大雑把なのでウロ覚え。
階段の下の少し高くなった岩場で海を見おろしながら休憩。なかなかいい景色。心がスーッと軽くなるのを感じる。もっとも特に何も溜め込んでいないんだけど(^^ゞ
コーヒータイム。魔法瓶ボトルに入れてあるのはカフェ・アメリカーノのアイスコーヒー版。かなり濃いめに作ってきな粉を入れてある。暑い時期のツーリングにはいつもこれで、真夏ならボトル2本を持っていく。濃いめ=シャキッとする〜きな粉=多少は栄養補給、熱中病対策にもなるかと思って。
関係ないけれど、こんな岩の隙間で育っている草の生命力って凄い!
階段ではなく岩場つたいに行くことに挑戦。
無理!
足場がまったくない。満潮の時にはーーーというのは私の勘違いで、ここは階段を使って進む場所のようだ。
階段を上る。
細っ!
カヌーの一団が目の前を通り過ぎた。
カヌーも一度試してみたい。
階段を降りた先は、結構厳しそうな岩場になっている。もっとも厳しいといっても歩くことは難しくないが、問題は足を濡らさずに進めるかどうか。
何とか大丈夫。
胴網浜が見えてきた。
浜が見えてからが意外と長い。
海に落ちて「助けてくれー」と叫んだら声が届く場所までたどり着く。
無事に胴網浜到着。
ビーチの幅は100メートルあるかないかくらい。ここは北向きなので、もう後ろの山の影が差している。時刻は3時過ぎ。
これはスタンドアップボードとかパドルボードとか呼ばれるもの(略称はSUP)。
サーフボードに似た形でも立ってオールで漕ぐ。サーフィンするところでやっている人も多いが、このボードは厚みがかなりある。だからこれは波に乗るSUPじゃなくてカヌーのようにクルージングを楽しむタイプなのかなと思う。最近のマリンスポーツについては浦島太郎状態なのが淋しい。
とりあえずお約束のローアングル。砂にピントが合ってしまった。
ーーー続く
wassho at 22:51|Permalink│Comments(0)│
2015年09月22日
油壺 荒井浜
諸磯から油壺に移動。
マリンパークと市営の駐車場があるが、今回は市営駐車場に止める。バイクは210円。ちなみに油壺は神奈川県三浦市三崎町小網代で、油壺の名前は住所として使われていない。
駐車場から岬の先に向かって歩く。
ここが荒井浜に降りる入り口。派手に看板が立っているから見落とすことはない。
彼岸花が咲いていた。
後ろに咲いている名前はわからないが、色の組み合わせはイマイチ。
ゴツゴツした木立の間を抜けていく。
左側は崖で木の間から海が見えているのだが、写真に撮ると露出の関係か写っていない。
途中にあった建物は東京大学地震研究所の油壺地殻変動観測所。
人気(ひとけ)は感じられなかった。
木が途切れたところからのぞけた油壺湾
きちんと整列して停泊していた諸磯湾と違ってバラバラに停まっている感じ。
ところで油壺は入り組んだ湾なので、壺に入れられた油のように波が立たないから油壺と呼ぶとどこかで聞いた気がする。でもここにはまったく違う残酷な光景が名前の由来と書いてある。
分かれ道。
標識はないが、右側に下っているほうは荒井浜がもう見えている。
でも何となく左側が気になって
しばらく進んで下りになると建物があって、その先に海が見えてきた。
(先ほどと同じ理由で写真に海は写っていない)
立ち入り禁止のこの建物は東京大学の三崎臨海実験所。地震研究所とは学部が違うからか、こちらの名前は油壺ではなく三崎。実験所と書いてあるがホームページを見ると海洋生物の研究をしている施設のようだ。それにしても東大は油壺が好きなのかな。
東京大学のモンドコロが目に入らぬか!
東大実験所の建物の前を抜けると海岸の入り口。坂になっているのは先ほどの分かれ道で右側に下っていた道。つまり東大の敷地分を遠回りして同じところに着いたということ。
荒井浜は西向きに南北へ延びた海岸。
北側には「カメハメハ大王の渚」という海の家があった。
北側の端からビーチの全景。長さは150〜200メートルといったところ。カメハメハの向こう側にも海の家があって、ビーチの広さの割に店の占める面積が大きい。水はきれいだった。
さらに北側は岩場になっている。写真の奥に諸磯漁港にあったオレンジ屋根の家が見える。(クリックすると写真は大きくなる)
このエリアは磯遊び場。
「月に雁」ならぬ「月にトンビ」。
三日月が昼間に見えるのは珍しい気がする。
北側の岩場からビーチを眺める。
ところでキケンと書かれているととても興味を引かれるのだが、
入り口にはフェンスがあるし、
フェンスを乗り越えたとしてもつながっていない!
水と戯れる人。
泳ぐ人。
ヨガをする人。
ずっとこの姿勢だったのでヨガだと気付くまで少々時間が掛かった。
カメハメハはバーベキューレストランのようだ。
ビーチの南側にはこんなお店があった。でも何かを展示しているのではなさそう。美しい海を眺めながら飲食して過ごすという意味なのかも。
初日のエントリーに書いたように油壺には3つのビーチがある。今回はそこをただ訪れるだけじゃなく、ちょっとした探検をすることを目的としてやって来たのだ。
ーーー続く。
マリンパークと市営の駐車場があるが、今回は市営駐車場に止める。バイクは210円。ちなみに油壺は神奈川県三浦市三崎町小網代で、油壺の名前は住所として使われていない。
駐車場から岬の先に向かって歩く。
ここが荒井浜に降りる入り口。派手に看板が立っているから見落とすことはない。
彼岸花が咲いていた。
後ろに咲いている名前はわからないが、色の組み合わせはイマイチ。
ゴツゴツした木立の間を抜けていく。
左側は崖で木の間から海が見えているのだが、写真に撮ると露出の関係か写っていない。
途中にあった建物は東京大学地震研究所の油壺地殻変動観測所。
人気(ひとけ)は感じられなかった。
木が途切れたところからのぞけた油壺湾
きちんと整列して停泊していた諸磯湾と違ってバラバラに停まっている感じ。
ところで油壺は入り組んだ湾なので、壺に入れられた油のように波が立たないから油壺と呼ぶとどこかで聞いた気がする。でもここにはまったく違う残酷な光景が名前の由来と書いてある。
分かれ道。
標識はないが、右側に下っているほうは荒井浜がもう見えている。
でも何となく左側が気になって
しばらく進んで下りになると建物があって、その先に海が見えてきた。
(先ほどと同じ理由で写真に海は写っていない)
立ち入り禁止のこの建物は東京大学の三崎臨海実験所。地震研究所とは学部が違うからか、こちらの名前は油壺ではなく三崎。実験所と書いてあるがホームページを見ると海洋生物の研究をしている施設のようだ。それにしても東大は油壺が好きなのかな。
東京大学のモンドコロが目に入らぬか!
東大実験所の建物の前を抜けると海岸の入り口。坂になっているのは先ほどの分かれ道で右側に下っていた道。つまり東大の敷地分を遠回りして同じところに着いたということ。
荒井浜は西向きに南北へ延びた海岸。
北側には「カメハメハ大王の渚」という海の家があった。
北側の端からビーチの全景。長さは150〜200メートルといったところ。カメハメハの向こう側にも海の家があって、ビーチの広さの割に店の占める面積が大きい。水はきれいだった。
さらに北側は岩場になっている。写真の奥に諸磯漁港にあったオレンジ屋根の家が見える。(クリックすると写真は大きくなる)
このエリアは磯遊び場。
「月に雁」ならぬ「月にトンビ」。
三日月が昼間に見えるのは珍しい気がする。
北側の岩場からビーチを眺める。
ところでキケンと書かれているととても興味を引かれるのだが、
入り口にはフェンスがあるし、
フェンスを乗り越えたとしてもつながっていない!
水と戯れる人。
泳ぐ人。
ヨガをする人。
ずっとこの姿勢だったのでヨガだと気付くまで少々時間が掛かった。
カメハメハはバーベキューレストランのようだ。
ビーチの南側にはこんなお店があった。でも何かを展示しているのではなさそう。美しい海を眺めながら飲食して過ごすという意味なのかも。
初日のエントリーに書いたように油壺には3つのビーチがある。今回はそこをただ訪れるだけじゃなく、ちょっとした探検をすることを目的としてやって来たのだ。
ーーー続く。
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2015年09月20日
三浦半島のマイナースポット巡りPart2
去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをした。主な訪問地は破崎緑地、ついでに立ち寄ったメジャースポットの観音崎、今では私のもっとも好きな場所のひとつとなった燈明崎、そして大浦海岸と三戸海岸などである。今回はそのPart2となるツーリング。
海方面に出かけるのは3ヶ月ぶり。それで広い海岸を見たくてまずは三浦海岸沿いを走ることに。もちろんここはメジャースポット。今回のメインは三浦半島南端に近い油壺(あぶらつぼ)である。油壺自体は有名な場所だが、そこにある3つの浜や隣の諸磯はまあマイナースポットと呼んでも差し支えないと思う。

二日続けてツーリングするのは初めてかなあ。まあ今年の夏は天候不順であまりバイクに乗れなかったから、この秋は積極的に乗ろう。午前11時に出発。気温27度。昨日は暑さでバテそうになったから本日はメッシュ革ジャン着用。寒いときのためにウインドストッパーという、メッシュジャケットの下に着込む風よけ用極薄ジャンパーも持参。というかずっとバイクに積みっぱなしになっているけれど。
昨日と違ってルートのほとんどを高速道路が占めるツーリング。高速道路上では30度くらいだったが、メッシュ革ジャンではちょっと寒かった。でもウインドストッパーを着るほどではなし。バイクは気温によって着るものを選ばなければいけないのがやっかいなところ。走っている時だけでなく現地に着いてからのことも考える必要があるからなおさら。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と三浦半島に向かう高速道路は一部で渋滞はあったものの、それなりに順調に走れた。
佐原というインターチェンジで降りて県道27号線で南下して、海岸沿いを走っている国道134号線にでる。134号はさすがに連休渋滞といったところ。渋滞につきあってのんびり海岸を眺めたり、ときどきバイクの機動性を生かしたりしながら進む。
134号線は途中で内陸側に進路を変え、その先の海岸通りは県道215号線になる。そこまで来るともうクルマの数は少ない。ただし215号に入ってすぐのところは時々ネズミ取りをしているので要注意。
久々に海とツーショットのBMW F800R。
ビーチはそこそこの賑わい。
広い砂浜。三浦半島東側の三浦海岸は、西側の湘南エリアの海岸と較べて砂の色が明るいのがよい。遠くの岬に煙突が立っているのは久里浜の火力発電所。
北側方面。岬の先端は雨崎。遠くに霞んでいるのは対岸の房総半島。雨崎は(表現がおかしいが)三浦半島を代表するマイナースポットらしい。今回は訪れないがいずれそのうち。
三浦海岸は東京湾すなわち内海なのでサーフィンできるような波は立たない。でもウインドサーフィンは盛ん。写真のウインドサーフィンは、私が持っていたものと較べてずいぶんと短くで幅広い。サーフィンはロングボードが人気だがウインドサーフィンはまた違うトレンドなのかな。去年は30年振りにサーフィンをした。ウインドサーフィンをする機会もまたあって欲しい。ちなみにサーフィンほど熱心ではなかったけれど、カリブ海でウインドサーフィンをしたことがあるのが私のこっそり自慢。
残念ながら水質はあまりよくなかった。
ちなみにこのあたりを広く三浦海岸と一般に呼ぶが、厳密には北側は津久井浜で県道215号沿いは菊名海岸という。津久井浜から三浦海岸つまり国道134号線にある駐車場はすべて有料。でも菊名海岸=県道215号は無料の駐車場がいくつか設置されている。今回バイクを停めたのは菊名海岸。

菊名海岸を後にして215号線を進む。途中から内陸部に折れて標高のある丘の上を走る。丘の上はキャベツ&大根の畑が一面に広がっている。まだ小さい葉っぱしかなかったから、今は大根を植え始めたばかりなのだろう。このあたりは緩やかなカーブが続くいい道であるが、農作業のトラックが落とす土が道路に散らばっている箇所が多い。
丘を下ると三浦半島の南に面したエリアを走ることになる。最初に現れるのは松輪漁港。松輪の漁港を過ぎるとまた丘を登って降りて毘沙門の漁港、そしてまた丘を登って降りて宮川の漁港と続く。どれも海岸沿いならどこにでもある小さな漁港。しかしこのあたりで採れるサバは10年ほど前から松輪サバというブランドとして売り出されている。サバのブランドといえば大分県の関サバが有名で松輪サバはあまり耳にしない。しかし関係者の間では「西の関サバ、東の松輪サバ」と拮抗する評価らしい。どちらも食べたことがないけれど(涙)。
さらに進むとマグロで有名な三崎に入る。さすがに連休なのでメインストリートにあるお店はどこも「2〜3時間待ちじゃない?」というような行列ができていた。今回はスルーして、そのまま油壺まで走る。
さていよいよ三浦半島のマイナースポット探訪。最初に訪れたのは油壺の岬と平行して海に突き出している諸磯(もろいそ)の岬にある諸磯漁港。
広めの桟橋が延びている。
諸磯湾と油壺湾の入り口。のんびりとした海でいい感じ。
どちらも湾というよりは入り江というべき規模。
諸磯漁港の西隅に小さな浜があった。オレンジ屋根の家にしてみればまさにプライベートビーチ。もっとも日本では海岸の私有はできずプライベートビーチというのは法律的に存在しない。海岸に通じるエリアを買い占めて実質的にプライベートビーチに仕立てているところはあるが。
桟橋の先端から振り返った光景。
漁港から海岸沿いの道路に戻り諸磯湾とBMW F800Rのツーショット。
冬ならこの正面に富士山が見える。
油壺湾には油壺ヨットハーバーがある。この係留施設は諸磯湾にあるのに油壺京急マリーナという名前。つまり油壺という地名はそれだけブランド価値が高いということ。
ーーー続く
海方面に出かけるのは3ヶ月ぶり。それで広い海岸を見たくてまずは三浦海岸沿いを走ることに。もちろんここはメジャースポット。今回のメインは三浦半島南端に近い油壺(あぶらつぼ)である。油壺自体は有名な場所だが、そこにある3つの浜や隣の諸磯はまあマイナースポットと呼んでも差し支えないと思う。

二日続けてツーリングするのは初めてかなあ。まあ今年の夏は天候不順であまりバイクに乗れなかったから、この秋は積極的に乗ろう。午前11時に出発。気温27度。昨日は暑さでバテそうになったから本日はメッシュ革ジャン着用。寒いときのためにウインドストッパーという、メッシュジャケットの下に着込む風よけ用極薄ジャンパーも持参。というかずっとバイクに積みっぱなしになっているけれど。
昨日と違ってルートのほとんどを高速道路が占めるツーリング。高速道路上では30度くらいだったが、メッシュ革ジャンではちょっと寒かった。でもウインドストッパーを着るほどではなし。バイクは気温によって着るものを選ばなければいけないのがやっかいなところ。走っている時だけでなく現地に着いてからのことも考える必要があるからなおさら。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と三浦半島に向かう高速道路は一部で渋滞はあったものの、それなりに順調に走れた。
佐原というインターチェンジで降りて県道27号線で南下して、海岸沿いを走っている国道134号線にでる。134号はさすがに連休渋滞といったところ。渋滞につきあってのんびり海岸を眺めたり、ときどきバイクの機動性を生かしたりしながら進む。
134号線は途中で内陸側に進路を変え、その先の海岸通りは県道215号線になる。そこまで来るともうクルマの数は少ない。ただし215号に入ってすぐのところは時々ネズミ取りをしているので要注意。
久々に海とツーショットのBMW F800R。
ビーチはそこそこの賑わい。
広い砂浜。三浦半島東側の三浦海岸は、西側の湘南エリアの海岸と較べて砂の色が明るいのがよい。遠くの岬に煙突が立っているのは久里浜の火力発電所。
北側方面。岬の先端は雨崎。遠くに霞んでいるのは対岸の房総半島。雨崎は(表現がおかしいが)三浦半島を代表するマイナースポットらしい。今回は訪れないがいずれそのうち。
三浦海岸は東京湾すなわち内海なのでサーフィンできるような波は立たない。でもウインドサーフィンは盛ん。写真のウインドサーフィンは、私が持っていたものと較べてずいぶんと短くで幅広い。サーフィンはロングボードが人気だがウインドサーフィンはまた違うトレンドなのかな。去年は30年振りにサーフィンをした。ウインドサーフィンをする機会もまたあって欲しい。ちなみにサーフィンほど熱心ではなかったけれど、カリブ海でウインドサーフィンをしたことがあるのが私のこっそり自慢。
残念ながら水質はあまりよくなかった。
ちなみにこのあたりを広く三浦海岸と一般に呼ぶが、厳密には北側は津久井浜で県道215号沿いは菊名海岸という。津久井浜から三浦海岸つまり国道134号線にある駐車場はすべて有料。でも菊名海岸=県道215号は無料の駐車場がいくつか設置されている。今回バイクを停めたのは菊名海岸。

菊名海岸を後にして215号線を進む。途中から内陸部に折れて標高のある丘の上を走る。丘の上はキャベツ&大根の畑が一面に広がっている。まだ小さい葉っぱしかなかったから、今は大根を植え始めたばかりなのだろう。このあたりは緩やかなカーブが続くいい道であるが、農作業のトラックが落とす土が道路に散らばっている箇所が多い。
丘を下ると三浦半島の南に面したエリアを走ることになる。最初に現れるのは松輪漁港。松輪の漁港を過ぎるとまた丘を登って降りて毘沙門の漁港、そしてまた丘を登って降りて宮川の漁港と続く。どれも海岸沿いならどこにでもある小さな漁港。しかしこのあたりで採れるサバは10年ほど前から松輪サバというブランドとして売り出されている。サバのブランドといえば大分県の関サバが有名で松輪サバはあまり耳にしない。しかし関係者の間では「西の関サバ、東の松輪サバ」と拮抗する評価らしい。どちらも食べたことがないけれど(涙)。
さらに進むとマグロで有名な三崎に入る。さすがに連休なのでメインストリートにあるお店はどこも「2〜3時間待ちじゃない?」というような行列ができていた。今回はスルーして、そのまま油壺まで走る。
さていよいよ三浦半島のマイナースポット探訪。最初に訪れたのは油壺の岬と平行して海に突き出している諸磯(もろいそ)の岬にある諸磯漁港。
広めの桟橋が延びている。
諸磯湾と油壺湾の入り口。のんびりとした海でいい感じ。
どちらも湾というよりは入り江というべき規模。
諸磯漁港の西隅に小さな浜があった。オレンジ屋根の家にしてみればまさにプライベートビーチ。もっとも日本では海岸の私有はできずプライベートビーチというのは法律的に存在しない。海岸に通じるエリアを買い占めて実質的にプライベートビーチに仕立てているところはあるが。
桟橋の先端から振り返った光景。
漁港から海岸沿いの道路に戻り諸磯湾とBMW F800Rのツーショット。
冬ならこの正面に富士山が見える。
油壺湾には油壺ヨットハーバーがある。この係留施設は諸磯湾にあるのに油壺京急マリーナという名前。つまり油壺という地名はそれだけブランド価値が高いということ。
ーーー続く
wassho at 20:57|Permalink│Comments(0)│
2015年06月25日
横須賀しょうぶ園でアジサイ
花の咲く時期が重なるので、たいていのショウブ園にはアジサイも植えられている。しょうぶの見頃が終わる頃にアジサイが満開になる。今回訪れたのもそんなタイミングかな。
横須賀しょうぶ園はもちろんショウブがメインで、他にも藤の花とシャクナゲのエリアがある。アジサイは特定のエリアがあるのではなく、園内のそこらかしこに植えられていた。
街中でいちばんよく見るのが白や水色のアジサイ。なぜか赤いアジサイはあまり見かけないので、こういうところで咲いているとうれしい。
アジサイで花びらに見えているのは、ガクといって、普通なら「花びら」を支えているヘタの部分が変形したもの。いわば「ガクビラ」を留めるように真ん中に小さくついているのが、アジサイの本当の花。ポチッと粒状のはまだツボミ。
こちらはガクアジサイ。ガクビラにも花はあるが、それとは別に中心部に花が密集しているタイプ。周りを取り囲んだガクビラが「額縁(がくぶち)」のようだからガクアジサイという。ガクと額が同じ発音だからややこしい。
ところでアジサイは咲いている途中で色が変わっていく場合がある。本当の花びらではなくガクだから、つまり葉っぱに近い組成だから紅葉のようなメカニズムで色が変わるらしい。
こういうのがよくあるパターン。
これは少し黄色がかったのが、だんだん純白になっていくのかな。
これも成長過程バージョン。
末期にはシミがでるように色が変わっていくものもある。写真に撮ってみるとあまりキレイではないが、間近で見るとちょっとアンティークな雰囲気がある。痛みかけの花に味わいがあるというのが面白い。
これなんかドライフラワーみたいだ。でもガクビラの真ん中で開いている本物の花はみずみずしいから、アジサイ的には今が盛りなんだろう。
ところでアジサイ園のようなところに行くと色が変わるアジサイが見られるが、通勤途中に見るアジサイは色が変わったりせず普通に萎れていく。何か違いがあるのか、そのうち調べてみよう。
アジサイは1株というか1本の木がそこそこ大きいので、同じ種類の花がまとまって咲く。だからこんなふうに違う色のアジサイが並んでいるのは珍しい。
日陰にあるアジサイに木漏れ日的に光が射していると、とても幻想的に見える。
なかなか見えた通りには写ってくれないのだが。
園内アレコレ。
今は葉っぱだけの藤棚。
藤やシャクナゲの季節にまた来てもいいかもしれない。
赤やピンクの花はタチアオイ。葵という名前がついてると日本的だが、ショウブやアジサイの中にあると、とても洋風なイメージに見える。
なお黄色い花の名前は不明。ここはショウブの名札は充実しているが、アジサイも含めて他の花には表示がなかった。
少し高いところから園内の風景。
ここが園内で一番高い場所。
入り口近くまで戻ってきたところにあったヘメロカリスという花。
その後ろに咲いていたのがキツネノカミソリという変わった名前の花。こちらはポツンポツンと咲いていただけ。どちらもユリの仲間。園内のほとんどはショウブとアジサイなので違う花を見るととても新鮮に感じる。
ショウブとアジサイとヘメロカリスの3ショットを狙うも、
ショウブの花がまばらで企画倒れ(^^ゞ
最後にショウブとアジサイの2ショット。ジメットした季節にグリーン&パープルの涼しげな色合いの景色があらわれるのは自然の粋な計らいか。
まあショウブを見るには10日ほど遅かったかも知れない。でもこのシーズンは雨が多くて土日に出かけられない場合が多いから仕方ない。でもアジサイを楽しめたし、仮にアジサイがなかったとしても310円の入場料の元は充分に取れた。横須賀しょうぶ園はなかなかお勧めの場所である。
ーーー続く
横須賀しょうぶ園はもちろんショウブがメインで、他にも藤の花とシャクナゲのエリアがある。アジサイは特定のエリアがあるのではなく、園内のそこらかしこに植えられていた。
街中でいちばんよく見るのが白や水色のアジサイ。なぜか赤いアジサイはあまり見かけないので、こういうところで咲いているとうれしい。
アジサイで花びらに見えているのは、ガクといって、普通なら「花びら」を支えているヘタの部分が変形したもの。いわば「ガクビラ」を留めるように真ん中に小さくついているのが、アジサイの本当の花。ポチッと粒状のはまだツボミ。
こちらはガクアジサイ。ガクビラにも花はあるが、それとは別に中心部に花が密集しているタイプ。周りを取り囲んだガクビラが「額縁(がくぶち)」のようだからガクアジサイという。ガクと額が同じ発音だからややこしい。
ところでアジサイは咲いている途中で色が変わっていく場合がある。本当の花びらではなくガクだから、つまり葉っぱに近い組成だから紅葉のようなメカニズムで色が変わるらしい。
こういうのがよくあるパターン。
これは少し黄色がかったのが、だんだん純白になっていくのかな。
これも成長過程バージョン。
末期にはシミがでるように色が変わっていくものもある。写真に撮ってみるとあまりキレイではないが、間近で見るとちょっとアンティークな雰囲気がある。痛みかけの花に味わいがあるというのが面白い。
これなんかドライフラワーみたいだ。でもガクビラの真ん中で開いている本物の花はみずみずしいから、アジサイ的には今が盛りなんだろう。
ところでアジサイ園のようなところに行くと色が変わるアジサイが見られるが、通勤途中に見るアジサイは色が変わったりせず普通に萎れていく。何か違いがあるのか、そのうち調べてみよう。
アジサイは1株というか1本の木がそこそこ大きいので、同じ種類の花がまとまって咲く。だからこんなふうに違う色のアジサイが並んでいるのは珍しい。
日陰にあるアジサイに木漏れ日的に光が射していると、とても幻想的に見える。
なかなか見えた通りには写ってくれないのだが。
園内アレコレ。
今は葉っぱだけの藤棚。
藤やシャクナゲの季節にまた来てもいいかもしれない。
赤やピンクの花はタチアオイ。葵という名前がついてると日本的だが、ショウブやアジサイの中にあると、とても洋風なイメージに見える。
なお黄色い花の名前は不明。ここはショウブの名札は充実しているが、アジサイも含めて他の花には表示がなかった。
少し高いところから園内の風景。
ここが園内で一番高い場所。
入り口近くまで戻ってきたところにあったヘメロカリスという花。
その後ろに咲いていたのがキツネノカミソリという変わった名前の花。こちらはポツンポツンと咲いていただけ。どちらもユリの仲間。園内のほとんどはショウブとアジサイなので違う花を見るととても新鮮に感じる。
ショウブとアジサイとヘメロカリスの3ショットを狙うも、
ショウブの花がまばらで企画倒れ(^^ゞ
最後にショウブとアジサイの2ショット。ジメットした季節にグリーン&パープルの涼しげな色合いの景色があらわれるのは自然の粋な計らいか。
まあショウブを見るには10日ほど遅かったかも知れない。でもこのシーズンは雨が多くて土日に出かけられない場合が多いから仕方ない。でもアジサイを楽しめたし、仮にアジサイがなかったとしても310円の入場料の元は充分に取れた。横須賀しょうぶ園はなかなかお勧めの場所である。
ーーー続く
wassho at 08:28|Permalink│Comments(0)│
2015年06月20日
横須賀しょうぶ園
週末の天候に恵まれなかったので約1ヶ月ぶりのバイクツーリング。金曜日は雨で、その時点での予報によると、この土曜が曇り時々晴れ、日曜が曇りのち雨。つまり土曜日に雨マークはないけれど雨の金曜・日曜に挟まれているから何となく不安。という訳であまり遠くないところを選んで横須賀しょうぶ園で花見をしてきた。
もっとも天気予報は完全に外れて、この日は快晴、気温はそこそこで湿度は低めとこの上ないツーリング日和になる。
幸いにもグーグルマップの旧版はまだ使える。
ただし前回に紹介したhttps://www.google.co.jp/maphpにはもうアクセスできず、https://www.google.co.jp/maps/mmsが今のところの裏技アドレス。こちらは長く使えますように。

横須賀しょうぶ園は横浜横須賀道路の横須賀インターを降りてしばらくのところにある。だからルートとしては前回のヴェルニー公園とほとんど同じ。多少は変化をつけようと、今回は横須賀しょうぶ園を見た後に湘南海岸側を走ってきた。
出発は午前9時過ぎ。1時間半ほどで横須賀しょうぶ園到着。
手前にあった大きな駐車場はクルマ専用で、バイクは隣の駐車場の自転車と共用の駐輪場に駐める。自転車が10台分くらいのスペースだからかなり狭い。でも無料だからラッキー。クルマの場合は1時間310円で以降30分ごとに150円。駐車場の係員は親切でいい感じだった。
駐車場から2〜3分歩いて行く。目の前にいるのは外人の団体さん。ボランティアっぽい日本人のガイドがいた。横須賀だから米軍家族との親交を深める市民活動かな。それでこのガイドさんの英語が思いっきり中学生レベルなのに、それでもガイドを買って出る積極性に感服。私も英語の読み書きは多少できるようになったものの、会話は苦手で電話や会議は逃げまくっている。少しは見習わないとと休日のしょっぱなに反省させられる。
入園料は310円。
入り口を入ったところは売店のテントが並ぶ。
写真は撮らなかったが、入り口付近にはレストランや売店が入った建物がある。そこに足を踏み入れたとたん「旅館の匂い」がした。何となく懐かしい匂い。あれって消毒液か何かの匂いだろうか。
最初にあったしょうぶ畑。水を張ってあるからしょうぶ田と呼ぶべきか。
それで見ての通り花はまばら。もうシーズン終わっちゃったか?と不安になる。
しかし奥に進むにつれて花数が増えていき、
一番奥の区画では満開のしょうぶを見ることができた。
しょうぶは1列ごとに違う品種が植えられていて、そのすべてに名札が表示されている。ここは3.8ヘクタールの敷地に412品種14万株が植えられているらしい。
色ぐらいしか違いがわからないが、とりあえずいろんな種類のしょうぶを見てきた。
何カ所かでは、こんなコスプレをしたお姉様がしょうぶ畑の手入れをしていた。
横須賀しょうぶ園に植えられているのはハナショウブ。以前にも書いたが似たような種類があってややこしい。なぜか漢字まで同じだからなおさら。
しょうぶ(菖蒲)
はなしょうぶ(花菖蒲)
あやめ(菖蒲)
かきつばた(杜若)
アイリス
端午の節句にお風呂に入れる「しょうぶ」は、サトイモの仲間でこの中で全くの別物。花も黄色い穂先のような形で、他の4種類とは似ても似つかない。
「しょうぶ」以外はアヤメ科に属する。
そして「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」は同じ花の形をしていて、
はなしょうぶ:花びらの付け根に黄色い筋がある
かきつばた:花びらの付け根に白い筋がある
つまりこの2つは筋が黄色か白の違い。
あやめ :花びらの付け根に、虎のような黄色と黒の網目模様がある
網目〜あやめと発音が変化したとの説も
という訳で、この3つは花びらの付け根を見れば見分けられる。
アイリスは「あやめ」の英語で、外国産の園芸種を日本ではアイリスと呼んで区別している。ベースとなっているのが「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」のいずれの系統なのかは知らないし、花びらの付け根に筋がないものもあるので、先ほど書いた見分け方も通用しない。日本のアヤメ3兄弟と違って1本の茎に複数の花をつけるものもあるようである。
花瓶に活けられたアイリスは見たことがあっても、地面から生えているアイリスは見たことがない。「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」の名所は全国にあるのにアイリスを植えているのは北海道の数カ所と長野の安曇野くらい。ちょっと遠いのが残念。
そういえば「菖蒲湯」にも入った経験がないなあ。ひょっとしたら赤ちゃんや幼児の頃に入れてもらったのかも知れないが記憶はなし。5月になったらスーパーでも売っているから、来年は菖蒲湯に浸かってみようかな。
それはともかく、アップで撮った花びらの付け根に黄色い筋があるハナショウブ。
ーーー続く
もっとも天気予報は完全に外れて、この日は快晴、気温はそこそこで湿度は低めとこの上ないツーリング日和になる。
幸いにもグーグルマップの旧版はまだ使える。
ただし前回に紹介したhttps://www.google.co.jp/maphpにはもうアクセスできず、https://www.google.co.jp/maps/mmsが今のところの裏技アドレス。こちらは長く使えますように。

横須賀しょうぶ園は横浜横須賀道路の横須賀インターを降りてしばらくのところにある。だからルートとしては前回のヴェルニー公園とほとんど同じ。多少は変化をつけようと、今回は横須賀しょうぶ園を見た後に湘南海岸側を走ってきた。
出発は午前9時過ぎ。1時間半ほどで横須賀しょうぶ園到着。
手前にあった大きな駐車場はクルマ専用で、バイクは隣の駐車場の自転車と共用の駐輪場に駐める。自転車が10台分くらいのスペースだからかなり狭い。でも無料だからラッキー。クルマの場合は1時間310円で以降30分ごとに150円。駐車場の係員は親切でいい感じだった。
駐車場から2〜3分歩いて行く。目の前にいるのは外人の団体さん。ボランティアっぽい日本人のガイドがいた。横須賀だから米軍家族との親交を深める市民活動かな。それでこのガイドさんの英語が思いっきり中学生レベルなのに、それでもガイドを買って出る積極性に感服。私も英語の読み書きは多少できるようになったものの、会話は苦手で電話や会議は逃げまくっている。少しは見習わないとと休日のしょっぱなに反省させられる。
入園料は310円。
入り口を入ったところは売店のテントが並ぶ。
写真は撮らなかったが、入り口付近にはレストランや売店が入った建物がある。そこに足を踏み入れたとたん「旅館の匂い」がした。何となく懐かしい匂い。あれって消毒液か何かの匂いだろうか。
最初にあったしょうぶ畑。水を張ってあるからしょうぶ田と呼ぶべきか。
それで見ての通り花はまばら。もうシーズン終わっちゃったか?と不安になる。
しかし奥に進むにつれて花数が増えていき、
一番奥の区画では満開のしょうぶを見ることができた。
しょうぶは1列ごとに違う品種が植えられていて、そのすべてに名札が表示されている。ここは3.8ヘクタールの敷地に412品種14万株が植えられているらしい。
色ぐらいしか違いがわからないが、とりあえずいろんな種類のしょうぶを見てきた。
何カ所かでは、こんなコスプレをしたお姉様がしょうぶ畑の手入れをしていた。
横須賀しょうぶ園に植えられているのはハナショウブ。以前にも書いたが似たような種類があってややこしい。なぜか漢字まで同じだからなおさら。
しょうぶ(菖蒲)
はなしょうぶ(花菖蒲)
あやめ(菖蒲)
かきつばた(杜若)
アイリス
端午の節句にお風呂に入れる「しょうぶ」は、サトイモの仲間でこの中で全くの別物。花も黄色い穂先のような形で、他の4種類とは似ても似つかない。
「しょうぶ」以外はアヤメ科に属する。
そして「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」は同じ花の形をしていて、
はなしょうぶ:花びらの付け根に黄色い筋がある
かきつばた:花びらの付け根に白い筋がある
つまりこの2つは筋が黄色か白の違い。
あやめ :花びらの付け根に、虎のような黄色と黒の網目模様がある
網目〜あやめと発音が変化したとの説も
という訳で、この3つは花びらの付け根を見れば見分けられる。
アイリスは「あやめ」の英語で、外国産の園芸種を日本ではアイリスと呼んで区別している。ベースとなっているのが「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」のいずれの系統なのかは知らないし、花びらの付け根に筋がないものもあるので、先ほど書いた見分け方も通用しない。日本のアヤメ3兄弟と違って1本の茎に複数の花をつけるものもあるようである。
花瓶に活けられたアイリスは見たことがあっても、地面から生えているアイリスは見たことがない。「はなしょうぶ」「あやめ」「かきつばた」の名所は全国にあるのにアイリスを植えているのは北海道の数カ所と長野の安曇野くらい。ちょっと遠いのが残念。
そういえば「菖蒲湯」にも入った経験がないなあ。ひょっとしたら赤ちゃんや幼児の頃に入れてもらったのかも知れないが記憶はなし。5月になったらスーパーでも売っているから、来年は菖蒲湯に浸かってみようかな。
それはともかく、アップで撮った花びらの付け根に黄色い筋があるハナショウブ。
ーーー続く
wassho at 23:11|Permalink│Comments(0)│
2015年05月28日
東京から一番近い楽園
5月23日にヴェルニー公園でバラと軍艦を見たエントリーの続き。
ヴェルニー公園は港に面した公園だが、海を見た感には乏しいのでもう少し足を伸ばすことにした。三浦海岸や湘南あたりを回るにはもう少し遅かった。そうなると行くべきところは1つしかない。去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをして、その風景の美しさに感動し、それ以来、東京から一番近い楽園と勝手に呼んでいる燈明崎である。
5月23日にも使った、おそらくこれが最後の旧グーグルマップを再び貼っておく。

馬堀海岸、観音崎、浦賀と走り慣れた道路を通って燈明崎到着。
バイクを駐めたのは公園の入り口。
この日は駐車場が有料だった。
岬の南側の海岸もいいけれど、
なんといっても燈明崎は北側の対岸も含めた風景が気に入っている。
水はきれいし、
砂も白い。
燈明堂(日本で最初の和式灯台のレプリカ)を北側の海岸から見上げる。
迫力ある地層。
日が少し傾いて海面がキラキラ光って幻想的だった。
写真に撮ってみると、あまりそういう風には写っていないが(/o\)
でもローアングルなら撮り慣れたもの(^^ゞ
春になるとよく見かける(ような気がする)ピンク色の海藻。
打ち上げられた海藻もピンクが混ざっているときれい。
燈明崎はとても小さなエリア。岬を挟んで南北に延びた海岸をチャッチャと見るだけなら10分あれば充分。東京から一番近いけれど、かなりミニチュアな楽園でもある。
それでも変わったものを見つけたり、
岩を眺めたり
海の広さを感じてのんびり過ごせた。
入り口に戻ってみるとBMW F800Rの影で猫がお昼寝中。
帰りは久里浜を通って衣笠インターから横浜横須賀道路。往きと同じじゃつまらないので釜利谷(かまりや)ジャンクションから首都高湾岸線に抜けて、久しぶりにベイブリッジ経由で帰ってきた。走行145キロ。ほとんど高速道路しか走っていないが、このルートは往きも帰りも割と変化があるコースだから「バイクに乗った」気がする。
おしまい
ヴェルニー公園は港に面した公園だが、海を見た感には乏しいのでもう少し足を伸ばすことにした。三浦海岸や湘南あたりを回るにはもう少し遅かった。そうなると行くべきところは1つしかない。去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをして、その風景の美しさに感動し、それ以来、東京から一番近い楽園と勝手に呼んでいる燈明崎である。
5月23日にも使った、おそらくこれが最後の旧グーグルマップを再び貼っておく。

馬堀海岸、観音崎、浦賀と走り慣れた道路を通って燈明崎到着。
バイクを駐めたのは公園の入り口。
この日は駐車場が有料だった。
岬の南側の海岸もいいけれど、
なんといっても燈明崎は北側の対岸も含めた風景が気に入っている。
水はきれいし、
砂も白い。
燈明堂(日本で最初の和式灯台のレプリカ)を北側の海岸から見上げる。
迫力ある地層。
日が少し傾いて海面がキラキラ光って幻想的だった。
写真に撮ってみると、あまりそういう風には写っていないが(/o\)
でもローアングルなら撮り慣れたもの(^^ゞ
春になるとよく見かける(ような気がする)ピンク色の海藻。
打ち上げられた海藻もピンクが混ざっているときれい。
燈明崎はとても小さなエリア。岬を挟んで南北に延びた海岸をチャッチャと見るだけなら10分あれば充分。東京から一番近いけれど、かなりミニチュアな楽園でもある。
それでも変わったものを見つけたり、
岩を眺めたり
海の広さを感じてのんびり過ごせた。
入り口に戻ってみるとBMW F800Rの影で猫がお昼寝中。
帰りは久里浜を通って衣笠インターから横浜横須賀道路。往きと同じじゃつまらないので釜利谷(かまりや)ジャンクションから首都高湾岸線に抜けて、久しぶりにベイブリッジ経由で帰ってきた。走行145キロ。ほとんど高速道路しか走っていないが、このルートは往きも帰りも割と変化があるコースだから「バイクに乗った」気がする。
おしまい
wassho at 23:22|Permalink│Comments(0)│
2015年05月27日
ヴェルニー公園でバラと軍艦 その3
ダイエーの側からヴェルニー公園に入ると、護衛艦は一番奥(のまだ先)に停泊している。大きな船なので公園の入り口から姿は見えているけれど、グレーの地味な色彩だから、あまりその存在は感じない。
でも近づけば、それなりにミリタリーな雰囲気に。遠くから見ている時は、左側の護衛艦の後ろに潜水艦がいるとは気付かなかった。
正面の護衛艦は艦首に116と書いてあるので調べてみると「てるづき」という船名。全長150.5メートル全幅18.3メートルで基準排水量5000トン。2013年就役だからまだ新しい。
話は変わるが船の大きさはトン数で表すことになっていて、何トンの船が遭難したとか沈没したなどとニュースでよく聞く。でもそれで船の大きさがわかるのは船舶・港湾関係者だけだと思う。視聴者の目線で全長何メートルとか、もう少し理解しやすい報道を心掛けて欲しいね。
護衛艦というのもわかりにくいネーミング。自衛隊は軍隊ではないという建前からスタートしたから、軍事用語を独自の自衛隊用語に置き換えていることが多い。戦車のことを以前は特車と呼んでいたし、大佐・中佐・少佐などの階級は一佐・二佐・三佐と数字で表す。でも戦闘機という呼称は昔から使っているから、どういう基準で置き換えているのかはよくわからない。もちろん自衛隊という言葉自体が置き換えでもある。
それで護衛艦は軍艦の置き換えだけれど、戦艦・巡洋艦・駆逐艦などと大きさと用途によって分かれていたネーミングをまとめて護衛艦に置き換えたものだから、護衛艦は海上自衛隊の船舶ということがわかるだけで、どんな種類かはわからない用語になっている。「てるづき」は自衛隊では中規模の船のようだが、これも護衛艦だし、4月に就役して話題になった全長248メートルのヘリコプター空母「いずも」も護衛艦である。もしアメリカの原子力空母クラスの船を持ったとしても、やはり護衛艦と呼ばれることになる。
ベルニー公園から護衛艦が見えるとはいっても、当たり前だがすぐそばまで近寄ることはできない。画質は悪くなるがカメラのデジタルズームを最大倍率にして撮ってみる。
「てるづき」の艦首。
これは口径5インチの砲で大砲というイメージじゃない。口径というのは砲身の内径=砲弾の直径。5インチ=2.54cm x 5 つまり直径12.7cmの砲弾を飛ばす。砲身の長さは約8メートル。射程距離は40km弱らしい。ちなみに戦艦大和の主砲は口径46cm、砲身21.13メートルと桁違いに大きい。射程距離は42kmとそれほど変わらない。ついでに大和の大きさは全長263メートル全幅38.9メートルで基準排水量6万4000トン。
ブリッジ(艦橋)部分。
窓がほとんどなくて景色を楽しめないね(^^ゞ
後ろのヘリコプター格納庫部分。
右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?(写真をクリックして拡大するとカラフルなことがわかる)
後ろ姿の護衛艦は「あすか」という名前だった。全長151メートルと「てるづき」と同じ大きさ。これは実戦配備されている護衛艦ではなく試験艦という実験船。そんなものがあるとは知らなかった。どうせなら黄色く塗れば人気がでるのに(^^ゞ
格納庫の内部。
けっこうフツー。
潜水艦は名前の手がかりとなるものが見当たらなかった。
少し違う角度から。
この部分をなんと呼ぶか知らないが、側面部にシワが寄っているのが気になる。それと上の方にガラス窓のようなものがある。潜水艦って潜望鏡だけだと思っていた。
本物の潜水艦を見るのは初めて。
最初は興奮したが、ほとんどの部分が水に沈んでいるので意外とつまらない。
以上で軍事偵察任務終了!
軍港巡りの遊覧船ならもっと近くに寄れるのだと思う。
ヴェルニー公園と2隻の護衛艦・潜水艦の位置関係はこんな感じ。海に突き出した右側の半島と真ん中の島は米軍施設。米軍の軍艦は半島中程に停泊しているので(航空写真では空母が写っている)ヴェルニー公園からは見えない。海上自衛隊もメインはもっと左側なので軍港巡りの遊覧船が出ているという訳。
軍艦を見た後は、またバラと芝生の平和なヴェルニー公園を駐車場まで戻る。
ーーー続く
でも近づけば、それなりにミリタリーな雰囲気に。遠くから見ている時は、左側の護衛艦の後ろに潜水艦がいるとは気付かなかった。
正面の護衛艦は艦首に116と書いてあるので調べてみると「てるづき」という船名。全長150.5メートル全幅18.3メートルで基準排水量5000トン。2013年就役だからまだ新しい。
話は変わるが船の大きさはトン数で表すことになっていて、何トンの船が遭難したとか沈没したなどとニュースでよく聞く。でもそれで船の大きさがわかるのは船舶・港湾関係者だけだと思う。視聴者の目線で全長何メートルとか、もう少し理解しやすい報道を心掛けて欲しいね。
護衛艦というのもわかりにくいネーミング。自衛隊は軍隊ではないという建前からスタートしたから、軍事用語を独自の自衛隊用語に置き換えていることが多い。戦車のことを以前は特車と呼んでいたし、大佐・中佐・少佐などの階級は一佐・二佐・三佐と数字で表す。でも戦闘機という呼称は昔から使っているから、どういう基準で置き換えているのかはよくわからない。もちろん自衛隊という言葉自体が置き換えでもある。
それで護衛艦は軍艦の置き換えだけれど、戦艦・巡洋艦・駆逐艦などと大きさと用途によって分かれていたネーミングをまとめて護衛艦に置き換えたものだから、護衛艦は海上自衛隊の船舶ということがわかるだけで、どんな種類かはわからない用語になっている。「てるづき」は自衛隊では中規模の船のようだが、これも護衛艦だし、4月に就役して話題になった全長248メートルのヘリコプター空母「いずも」も護衛艦である。もしアメリカの原子力空母クラスの船を持ったとしても、やはり護衛艦と呼ばれることになる。
ベルニー公園から護衛艦が見えるとはいっても、当たり前だがすぐそばまで近寄ることはできない。画質は悪くなるがカメラのデジタルズームを最大倍率にして撮ってみる。
「てるづき」の艦首。
これは口径5インチの砲で大砲というイメージじゃない。口径というのは砲身の内径=砲弾の直径。5インチ=2.54cm x 5 つまり直径12.7cmの砲弾を飛ばす。砲身の長さは約8メートル。射程距離は40km弱らしい。ちなみに戦艦大和の主砲は口径46cm、砲身21.13メートルと桁違いに大きい。射程距離は42kmとそれほど変わらない。ついでに大和の大きさは全長263メートル全幅38.9メートルで基準排水量6万4000トン。
ブリッジ(艦橋)部分。
窓がほとんどなくて景色を楽しめないね(^^ゞ
後ろのヘリコプター格納庫部分。
右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?(写真をクリックして拡大するとカラフルなことがわかる)
後ろ姿の護衛艦は「あすか」という名前だった。全長151メートルと「てるづき」と同じ大きさ。これは実戦配備されている護衛艦ではなく試験艦という実験船。そんなものがあるとは知らなかった。どうせなら黄色く塗れば人気がでるのに(^^ゞ
格納庫の内部。
けっこうフツー。
潜水艦は名前の手がかりとなるものが見当たらなかった。
少し違う角度から。
この部分をなんと呼ぶか知らないが、側面部にシワが寄っているのが気になる。それと上の方にガラス窓のようなものがある。潜水艦って潜望鏡だけだと思っていた。
本物の潜水艦を見るのは初めて。
最初は興奮したが、ほとんどの部分が水に沈んでいるので意外とつまらない。
以上で軍事偵察任務終了!
軍港巡りの遊覧船ならもっと近くに寄れるのだと思う。
ヴェルニー公園と2隻の護衛艦・潜水艦の位置関係はこんな感じ。海に突き出した右側の半島と真ん中の島は米軍施設。米軍の軍艦は半島中程に停泊しているので(航空写真では空母が写っている)ヴェルニー公園からは見えない。海上自衛隊もメインはもっと左側なので軍港巡りの遊覧船が出ているという訳。
軍艦を見た後は、またバラと芝生の平和なヴェルニー公園を駐車場まで戻る。
ーーー続く
wassho at 23:52|Permalink│Comments(0)│
2015年05月26日
ヴェルニー公園でバラと軍艦 その2
公園の一番西にあるのがヴェルニー記念館。
無料なので入ってみた。
前回のエントリーにアップした銅像とはあまり似ていない。
というかこっちは写真だから、銅像が似ていないというべきか。
この記念館のメイン展示は旧横須賀製鉄所で使用されていたというスチームハンマー。
手前左が0.5トン型で奥が3トン型。
3トン型が手前の方向から。
スチームハンマーといわれてもよくわからないが、
鍛冶屋が鉄を叩くトンカチの大型版のような機械みたいだ。
3トン型は重要文化財らしい。
このプレートによると2台のスチームハンマーは1865年製造で、江戸幕府によって翌年に輸入されたとある。ちなみに明治維新が1868年。そして驚くなかれ3トン型は1997年(平成9年)まで使用されていたとのこと。1866年から数えて131年! シンプルな構造だとは思うが、ずいぶん長持ちするものだ。
これは1/10の模型。
奥のタンクのようなものが蒸気を発生させるボイラーなんだろう。
話はバラに戻って。
今年の春バラは早くて、もう終盤なので全体的な花数はやや少なめだったが、このピンクのバラは遅咲きなのかたくさんの花をつけていた。
やっぱり花は密集して咲いていないと。
こちらは赤とピンクを混ぜて花束にしたようだが、こういうミックスで咲くバラみたい。
実はこのバラとても小さい。大きさの比較のためにペットボトルでも置いて撮影すればよかったが、何となく小さいのがわかるかな。花の直径は2センチくらい。
壁際にあるバラはたくさん咲いているものが多かった。
微妙な色違い。花びらの巻き方も少し違う。
あまりバラっぽくないバラ。
やっぱりバラはこういうノーマルなバラがいいかな。
ヴェルニー公園は公園であってバラ園ではないので、敷地面積に占めるバラの割合はそれほど多くなくて芝生の方が広い。でも公園はその芝生がきれいだったし、港を眺めながらのバラ散歩はなかなかいい気分。その反面、海沿いなのでこの日は強くはなかったがそれでも常に風があり、バラの香りが漂うという感じではないのはいたしかたないところ。ここはJR横須賀駅からは徒歩1〜2分であり、横須賀市民が何となくうらやましい。
ーーー続く
無料なので入ってみた。
前回のエントリーにアップした銅像とはあまり似ていない。
というかこっちは写真だから、銅像が似ていないというべきか。
この記念館のメイン展示は旧横須賀製鉄所で使用されていたというスチームハンマー。
手前左が0.5トン型で奥が3トン型。
3トン型が手前の方向から。
スチームハンマーといわれてもよくわからないが、
鍛冶屋が鉄を叩くトンカチの大型版のような機械みたいだ。
3トン型は重要文化財らしい。
このプレートによると2台のスチームハンマーは1865年製造で、江戸幕府によって翌年に輸入されたとある。ちなみに明治維新が1868年。そして驚くなかれ3トン型は1997年(平成9年)まで使用されていたとのこと。1866年から数えて131年! シンプルな構造だとは思うが、ずいぶん長持ちするものだ。
これは1/10の模型。
奥のタンクのようなものが蒸気を発生させるボイラーなんだろう。
話はバラに戻って。
今年の春バラは早くて、もう終盤なので全体的な花数はやや少なめだったが、このピンクのバラは遅咲きなのかたくさんの花をつけていた。
やっぱり花は密集して咲いていないと。
こちらは赤とピンクを混ぜて花束にしたようだが、こういうミックスで咲くバラみたい。
実はこのバラとても小さい。大きさの比較のためにペットボトルでも置いて撮影すればよかったが、何となく小さいのがわかるかな。花の直径は2センチくらい。
壁際にあるバラはたくさん咲いているものが多かった。
微妙な色違い。花びらの巻き方も少し違う。
あまりバラっぽくないバラ。
やっぱりバラはこういうノーマルなバラがいいかな。
ヴェルニー公園は公園であってバラ園ではないので、敷地面積に占めるバラの割合はそれほど多くなくて芝生の方が広い。でも公園はその芝生がきれいだったし、港を眺めながらのバラ散歩はなかなかいい気分。その反面、海沿いなのでこの日は強くはなかったがそれでも常に風があり、バラの香りが漂うという感じではないのはいたしかたないところ。ここはJR横須賀駅からは徒歩1〜2分であり、横須賀市民が何となくうらやましい。
ーーー続く
wassho at 22:23|Permalink│Comments(0)│
2015年05月23日
ヴェルニー公園でバラと軍艦
春バラは5月の中頃から6月にかけて咲くものだが、今年はゴールデンウイークが暑かったものだから、例年より半月ほど早かったらしい。つまりもうピークを過ぎた終盤。以前にも書いたが、だんだんと春と秋が短くなってきて、日本は四季のある国ではなく、そのうち夏と冬だけの二季になるのではないかと心配である。
去年の秋バラは、たまたま立ち寄った小田原フラワーガーデンで二分咲き程度のものを見ただけで、本格的なバラ花見は行きそびれた。今年の春バラも時機を逸した感はあるが、2シーズン見に行かないのも寂しいので、比較的近くの横須賀にあるヴェルニー公園にバラを見に行ってきた。ここは自衛隊や米軍の横須賀基地に隣接しており、軍艦が見られる公園としても有名である。
ところで4月の中頃くらいに新仕様となったグーグルマップ。何かと使いにくいしバグも多い。そろそろ改良されてくるかと期待しているが、今のところその気配なし。ヤフーのマップはさらに使いにくいので困っている。
ところでグーグルのページでは以前のバージョンは使えませんと書いてあるが、
https://www.google.co.jp/maphp
と後ろにmaphpをつけてアクセスすると以前のマップが使用できることを発見。
ただし、この裏技が使えるのも5月いっぱいらしい。
というわけで、たぶんこれが最後の旧グーグルマップによるルート案内。今のところ新仕様ではルートを引けない地形地図を使用。

横須賀まではほとんど高速道路。往きは地図の左側のルート。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と乗り継いでいく。途中の横須賀インターで降りたら、本町山中有料道路というのが横須賀駅前まで延びている。しかし、それほど距離もないしETCも使えず小銭を出すのが面倒だったので下道で向かうことに。まったく渋滞もなくあっさり横須賀駅前に出られた。ちなみに本町山中有料道路はクルマもバイクも等しく210円という理不尽な料金体系。
ヴェルニー公園には駐車場がなく、隣のダイエーの駐車場を利用するーーーということは事前に調べておいたが、あまり細かな情報収集までには至らず。それで横須賀インターから山を下ってきて国道16号線にでたら、そこはもうダイエーの前だったので、とりあえず最初にあった駐車場入り口に向かう。
すると有料駐車場入り口の手前にスクーターなどがたくさん駐まっている場所があった。進入口がとても狭いのでダイエーの従業員用かなと思い、有料駐車場の誘導をしていた係員に「ここに駐めていいのか」と尋ねると「空いていればね」という答え。
さいわい1台分だけ空いていた。
写真で見ると何気なく駐めたように見えるが、BMW F800Rはサイドスタンドを出すと、かなり傾くのでハンドルが左にあるスクーターのハンドルに当たってしまう。ハンドルを右に切って収まりのいい位置を見つけるのに3〜4回出し入れを繰り返す。スクーターとはタイヤの傾き方がまったく違うのがわかるかな。
こんな感じの混雑した駐車場で写真左から入って奥をぐるーっと回ってきたのだが、大型バイクにはちょっと狭い。後で公園を出た時、ダイエーの東側(東京と反対側)にもっと広いバイク・自転車用の駐輪場を見かけたので、そちらを利用するほうがいいかもしれない。
ダイエーの横を抜けてヴェルニー公園に向かう。
横須賀軍港めぐりの観光船が出ている。自衛隊や米軍の艦船のすぐそばまで接近するらしい。そのうち乗ってみたいと以前から思っているのだが今回はパス。
この広場の先がヴェルニー公園。
軍港めぐり観光船の発着場。
かなり人が並んでいて人気があるみたい。
ヴェルニー公園到着。
公園は海沿いに細長く伸びたレイアウト。
海縁にはウッドデッキもあっていい感じ。
敷地はいくつかのブロックに区切られており、その中は芝生になっている。今だけ芝生解放中というようなことが書いてあったから、バラのシーズン以外は芝生の中に入れないのかもしれない。
でも公園の芝生というのは見て楽しむのではなく、やっぱりその上で楽しむものだと思う。
芝生と赤いバラとのコントラストがキレイだった。
芝生の隅っこから。
バラの手入れをしている人はあまり多くなかった。
できるだけ痛んでいない花を選んで撮ったつもり。
公園内のあれこれ。
4つ並んだ石碑。
遠くから眺めただけで近づかず。
ハンドルを少し回して日付を水平にして撮ればよかったかも。
西洋人とチョンマゲの日本人の銅像が並んでいる。
西洋人はこの公園の名前にもなっているヴェルニー。
この地に文明開化をもたらしてくれたフランス人。
こちらは小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)。
小栗上野介といえば幕府の金銀財宝をどこかに埋めたとかで、糸井重里が昔、赤城山周辺を掘り起こしていた時によく聞いた名前。夢枕に立って埋めた場所を教えておくれ(^^ゞ
噴水。
水が出るところはバラの形をしていた。
公園の中にあるにしては洒落た建物のカフェ。
これはトイレじゃなくて、
昔ここが軍港だった頃の衛兵詰め所。
中には特に何もなし。
詰め所跡からダイエーのほうを眺める。
ビル群と公園の組み合わせがいい感じ。
ーーー続く
去年の秋バラは、たまたま立ち寄った小田原フラワーガーデンで二分咲き程度のものを見ただけで、本格的なバラ花見は行きそびれた。今年の春バラも時機を逸した感はあるが、2シーズン見に行かないのも寂しいので、比較的近くの横須賀にあるヴェルニー公園にバラを見に行ってきた。ここは自衛隊や米軍の横須賀基地に隣接しており、軍艦が見られる公園としても有名である。
ところで4月の中頃くらいに新仕様となったグーグルマップ。何かと使いにくいしバグも多い。そろそろ改良されてくるかと期待しているが、今のところその気配なし。ヤフーのマップはさらに使いにくいので困っている。
ところでグーグルのページでは以前のバージョンは使えませんと書いてあるが、
https://www.google.co.jp/maphp
と後ろにmaphpをつけてアクセスすると以前のマップが使用できることを発見。
ただし、この裏技が使えるのも5月いっぱいらしい。
というわけで、たぶんこれが最後の旧グーグルマップによるルート案内。今のところ新仕様ではルートを引けない地形地図を使用。

横須賀まではほとんど高速道路。往きは地図の左側のルート。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と乗り継いでいく。途中の横須賀インターで降りたら、本町山中有料道路というのが横須賀駅前まで延びている。しかし、それほど距離もないしETCも使えず小銭を出すのが面倒だったので下道で向かうことに。まったく渋滞もなくあっさり横須賀駅前に出られた。ちなみに本町山中有料道路はクルマもバイクも等しく210円という理不尽な料金体系。
ヴェルニー公園には駐車場がなく、隣のダイエーの駐車場を利用するーーーということは事前に調べておいたが、あまり細かな情報収集までには至らず。それで横須賀インターから山を下ってきて国道16号線にでたら、そこはもうダイエーの前だったので、とりあえず最初にあった駐車場入り口に向かう。
すると有料駐車場入り口の手前にスクーターなどがたくさん駐まっている場所があった。進入口がとても狭いのでダイエーの従業員用かなと思い、有料駐車場の誘導をしていた係員に「ここに駐めていいのか」と尋ねると「空いていればね」という答え。
さいわい1台分だけ空いていた。
写真で見ると何気なく駐めたように見えるが、BMW F800Rはサイドスタンドを出すと、かなり傾くのでハンドルが左にあるスクーターのハンドルに当たってしまう。ハンドルを右に切って収まりのいい位置を見つけるのに3〜4回出し入れを繰り返す。スクーターとはタイヤの傾き方がまったく違うのがわかるかな。
こんな感じの混雑した駐車場で写真左から入って奥をぐるーっと回ってきたのだが、大型バイクにはちょっと狭い。後で公園を出た時、ダイエーの東側(東京と反対側)にもっと広いバイク・自転車用の駐輪場を見かけたので、そちらを利用するほうがいいかもしれない。
ダイエーの横を抜けてヴェルニー公園に向かう。
横須賀軍港めぐりの観光船が出ている。自衛隊や米軍の艦船のすぐそばまで接近するらしい。そのうち乗ってみたいと以前から思っているのだが今回はパス。
この広場の先がヴェルニー公園。
軍港めぐり観光船の発着場。
かなり人が並んでいて人気があるみたい。
ヴェルニー公園到着。
公園は海沿いに細長く伸びたレイアウト。
海縁にはウッドデッキもあっていい感じ。
敷地はいくつかのブロックに区切られており、その中は芝生になっている。今だけ芝生解放中というようなことが書いてあったから、バラのシーズン以外は芝生の中に入れないのかもしれない。
でも公園の芝生というのは見て楽しむのではなく、やっぱりその上で楽しむものだと思う。
芝生と赤いバラとのコントラストがキレイだった。
芝生の隅っこから。
バラの手入れをしている人はあまり多くなかった。
できるだけ痛んでいない花を選んで撮ったつもり。
公園内のあれこれ。
4つ並んだ石碑。
遠くから眺めただけで近づかず。
ハンドルを少し回して日付を水平にして撮ればよかったかも。
西洋人とチョンマゲの日本人の銅像が並んでいる。
西洋人はこの公園の名前にもなっているヴェルニー。
この地に文明開化をもたらしてくれたフランス人。
こちらは小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)。
小栗上野介といえば幕府の金銀財宝をどこかに埋めたとかで、糸井重里が昔、赤城山周辺を掘り起こしていた時によく聞いた名前。夢枕に立って埋めた場所を教えておくれ(^^ゞ
噴水。
水が出るところはバラの形をしていた。
公園の中にあるにしては洒落た建物のカフェ。
これはトイレじゃなくて、
昔ここが軍港だった頃の衛兵詰め所。
中には特に何もなし。
詰め所跡からダイエーのほうを眺める。
ビル群と公園の組み合わせがいい感じ。
ーーー続く
wassho at 22:08|Permalink│Comments(0)│
2014年10月24日
三戸海岸
毎回タイトルを変えているが、10月19日に出かけた三浦半島のマイナースポット巡りの4エントリー目。いつも地図には訪れたところは赤文字、訪れていなくても何か書いたところは青文字で地名を記すことにしている。

さいわいなことに大浦海岸の駐車場では誰からも咎められることなく、気持ちよく立ち去ることができた(^^ゞ
再び畑の中の道を通って三浦半島を東に向かう。適度なクネクネとアップダウンがあっていい道。でも路面に土がのっているところも多く、またカーブを曲がりきったところに農作業の軽トラが駐まっていたりするので油断できない。もっとも前回のエントリーに載せたような、おおらかな畑の風景だから飛ばしたいという気持ちも起こらない。
畑道路を過ぎると県道26号から国道134号に入る。この道は三崎のマグロ観光客でいつも混んでいる。片側1車線の地方道路に大型観光バスも多いからすり抜けも中断しがち。三戸海岸には京急の三崎口駅を過ぎてから海側に降りていく。134号線を外れるとまた畑の光景である。
三戸海岸もナビで検索できるが最後はこれくらい細い道になる。
駐車場は見あたらなかった。大浦海岸に較べれば海岸は広いから、もう少し探せばあったかも知れない。この先はもう浜なのでクルマが通ることはないだろうと、こんなところににバイクを駐める。
ここを抜けて海岸に降りる。
これが三戸海岸。三戸浜海岸とも言う。
西向きの海岸で午後3時くらいなので、真正面は逆光で写真が撮りにくい。
南側の風景。
少し霞んでいる奥の岬は油壺。
北側。突き出している岬の先端は以前に訪れた「黒崎の鼻」。
こじゃれた建物はビーチバムというレストラン&マリンスポーツ基地。そんな施設があって何がマイナースポットだと指摘されそうな気もするが、ここのホームページにも「何もない三戸浜」と書いてある(^^ゞ
南国ムード演出。
営業妨害をする気はないが浜全体は漁村ムードが漂う(^^ゞ
ビーチをブラブラしていたらウインドサーファーが戻ってきた。
そんな光景を眺めていると、突然ビーチにショベルカーが出現!
何やら岸に向かってまっすぐ進んでくるボート。
釣り人が乗ったボートを青い服を着たオッサンが引き寄せて、
台座に固定する。浮力があるとはいえかなりの怪力。
作業を終えるとショベルカーがバックで砂浜を上がり、
あっという間にビーチからボートを撤収。
こういう風にやるんだと感心して眺めていた。
ボートが揚げられたところは格納庫になってる。
三戸海岸の一番北側近く。
小さなベンチがあったので再びコーヒーブレーク。
三浦半島の東側と西側で違うのは、東側は対岸の房総半島が見えること。やっぱり海は広い水平線だけのほうがいい。
目の前を横切る小型のヨット。このクラスは操縦したことがある。小学5年か6年生の頃のYMCAサマーキャンプでの話だから何年前か数えるのも怖い。手軽な体験講習会のようなものがあれば、また乗ってみたいな。
ボケーっとして充分に脳みそを溶かして三戸海岸を後にする。ここはプライベートビーチ感覚というより、他人のプライベートビーチに紛れ込んだような気分。ビーチバムの利用客以外は漁師をのぞくと私しかいなかった。しかし、ほとんど人のいない海もいいけれど、ヨットやボートを眺めているのもまた楽しかった。
ビーチバムの横を通り抜けていく。
プールもあってリッチな雰囲気。
玄関側。
駐まっているクルマを見ると、あまりリッチじゃないかも(^^ゞ
衣笠インターから横浜横須賀道路に乗って、そこからは往きと同じルート。午後5時半頃帰宅。走行170キロ。今回の最大の収穫はいうまでもなく燈明崎。先ほど対岸の見えない水平線がいいと書いたのと矛盾するが、燈明崎の場合はきれいな砂浜と浦賀湾越しに見える建物との対比が美しかった。スイカに塩じゃないが人工物があることで自然が引き立つのだろう。
今後もボチボチとマイナースポット巡りを続けていこうと思う。
おしまい

さいわいなことに大浦海岸の駐車場では誰からも咎められることなく、気持ちよく立ち去ることができた(^^ゞ
再び畑の中の道を通って三浦半島を東に向かう。適度なクネクネとアップダウンがあっていい道。でも路面に土がのっているところも多く、またカーブを曲がりきったところに農作業の軽トラが駐まっていたりするので油断できない。もっとも前回のエントリーに載せたような、おおらかな畑の風景だから飛ばしたいという気持ちも起こらない。
畑道路を過ぎると県道26号から国道134号に入る。この道は三崎のマグロ観光客でいつも混んでいる。片側1車線の地方道路に大型観光バスも多いからすり抜けも中断しがち。三戸海岸には京急の三崎口駅を過ぎてから海側に降りていく。134号線を外れるとまた畑の光景である。
三戸海岸もナビで検索できるが最後はこれくらい細い道になる。
駐車場は見あたらなかった。大浦海岸に較べれば海岸は広いから、もう少し探せばあったかも知れない。この先はもう浜なのでクルマが通ることはないだろうと、こんなところににバイクを駐める。
ここを抜けて海岸に降りる。
これが三戸海岸。三戸浜海岸とも言う。
西向きの海岸で午後3時くらいなので、真正面は逆光で写真が撮りにくい。
南側の風景。
少し霞んでいる奥の岬は油壺。
北側。突き出している岬の先端は以前に訪れた「黒崎の鼻」。
こじゃれた建物はビーチバムというレストラン&マリンスポーツ基地。そんな施設があって何がマイナースポットだと指摘されそうな気もするが、ここのホームページにも「何もない三戸浜」と書いてある(^^ゞ
南国ムード演出。
営業妨害をする気はないが浜全体は漁村ムードが漂う(^^ゞ
ビーチをブラブラしていたらウインドサーファーが戻ってきた。
そんな光景を眺めていると、突然ビーチにショベルカーが出現!
何やら岸に向かってまっすぐ進んでくるボート。
釣り人が乗ったボートを青い服を着たオッサンが引き寄せて、
台座に固定する。浮力があるとはいえかなりの怪力。
作業を終えるとショベルカーがバックで砂浜を上がり、
あっという間にビーチからボートを撤収。
こういう風にやるんだと感心して眺めていた。
ボートが揚げられたところは格納庫になってる。
三戸海岸の一番北側近く。
小さなベンチがあったので再びコーヒーブレーク。
三浦半島の東側と西側で違うのは、東側は対岸の房総半島が見えること。やっぱり海は広い水平線だけのほうがいい。
目の前を横切る小型のヨット。このクラスは操縦したことがある。小学5年か6年生の頃のYMCAサマーキャンプでの話だから何年前か数えるのも怖い。手軽な体験講習会のようなものがあれば、また乗ってみたいな。
ボケーっとして充分に脳みそを溶かして三戸海岸を後にする。ここはプライベートビーチ感覚というより、他人のプライベートビーチに紛れ込んだような気分。ビーチバムの利用客以外は漁師をのぞくと私しかいなかった。しかし、ほとんど人のいない海もいいけれど、ヨットやボートを眺めているのもまた楽しかった。
ビーチバムの横を通り抜けていく。
プールもあってリッチな雰囲気。
玄関側。
駐まっているクルマを見ると、あまりリッチじゃないかも(^^ゞ
衣笠インターから横浜横須賀道路に乗って、そこからは往きと同じルート。午後5時半頃帰宅。走行170キロ。今回の最大の収穫はいうまでもなく燈明崎。先ほど対岸の見えない水平線がいいと書いたのと矛盾するが、燈明崎の場合はきれいな砂浜と浦賀湾越しに見える建物との対比が美しかった。スイカに塩じゃないが人工物があることで自然が引き立つのだろう。
今後もボチボチとマイナースポット巡りを続けていこうと思う。
おしまい
wassho at 08:39|Permalink│Comments(0)│
2014年10月23日
大浦海岸
おそらくこれから何度も来ることになるであろう燈明崎を後にして、マイナースポット第2弾に向かう。
ずっと海岸沿いに走った方が早いように思うのだが、ナビは久里浜の海岸の途中で内陸側に曲がるように指示し、久里浜の街の中心部から野比(のび:地名です)を経由させられる。野比にある京急の駅はYRP野比という変わった名前。これは近くに横須賀リサーチパークというNTTを中心としてIT関連の研究所が集まっているエリアがあるから。YRPは横須賀リサーチパークの略語。元々は野比駅だったがリサーチパークができた時にYRPが駅名に付け足された。JRと私鉄の駅がほぼ同じ場所にある時、例えばJR難波駅(何もつかない難波駅は南海電鉄の駅)のようにJRが駅名につく場合はあるけれど、YRP野比駅のようなアルファベット名は珍しいんじゃないかな。「次は〜ワイアールピ〜のび〜」の車内アナウンスを1度聞いてみたい。
内陸部を走っていた国道134号線もやがて三浦海岸に出る。三浦海岸は約10キロほどの長い海岸。海水浴場的には津久井浜、三浦海岸、菊名浜の3つに分かれる。サーフィンができる波は入らないがウインドサーフィンは盛ん。この日は津久井浜にたくさんのボードが出ていた。しかしほとんどのセール(帆)が同じデザイン。皆がレンタルボードのはずがないし不思議な光景だった。イベントでもやっていたのかな。バイクで通り過ぎただけなので細かなことはわからず。
三浦海岸沿いの134号線はほとんどフラットな直線道路。その先の海岸沿いを走る県道は215号線は多少のコーナーやアップダウンもあって少しだけ楽しい。しばらくすると道路は海岸からそれて内陸の丘の上に登る。第2スポットの大浦海岸は途中で215号を離れて畑の中の道を走っていく。
畑の向こうに海が見える景色抜群の畑。
これは第2スポットから第3スポットへ向かう途中に撮ったもの。三浦半島の丘の上の畑はだいたいこんな感じ。海のイメージが強い三浦半島だが、海岸から少し離れると畑だらけである。
春夏はキャベツ、これからの季節は大根が植えられる。太くて大きい三浦大根というのが有名であるが、実際に作っている大根のほとんどは普通の大根らしい。
大浦海岸は海水浴場だからナビに載っている。しかし、とても細い道を通り抜けていく。最後に海岸に出る道は一段と細くて、道案内の看板が出ていても本当にここを曲がるのかというようなところ。
バイクを駐められるようなスペースは、この奥にある有料駐車場以外にない。この季節も金を取っているのかどうかわからないが、とりあえず入り口に駐めて海岸に降りることにする。金がいると言われれば素直に払うか、駐車場の中には駐めていなとゴネるかは、言われた時に考えよう。
この細い路地を歩いて、
こんな坂を下って
大浦海岸に出た。南北に延びる東向きの海岸である。
北の端は岩場になっている。
落石注意の看板。
少しだけ先に進んでみる。
写真をクリックして拡大すると,遠くに釣り人が写っている。
彼はたぶん隣の浜から岩場にでたと思う。この大浦海岸の北隣の浜から雨崎というところまでいくつかビーチがあって、かなりディープなエリアらしい。マイナースポット巡りを卒業したら探検してみよう。
落石注意ではあるが、とりあえず真下から気をつけながら撮ってみる。
浜を横切って一番南側から。
こんな景色を眺めながら、
岩に腰を下ろしてコーヒーブレイク。
カモメが飛んできた。
沖のほう(海面近く)にはたくさんカモメがいるのに、こちらにはあまり来てくれない。
トンビも飛んできた。ピーヒョロロと鳴き声が大きい。
燈明崎ほど砂は白くない。三浦海岸など三浦半島東側の平均的なところ。それでも半島西側の湘南エリアに較べれば白い。
私以外には釣りをしている3人の家族連れがいただけ。ここでもプライベートビーチ気分を味わうことができて満足。
ーーーマイナースポット第3弾へ続く
ずっと海岸沿いに走った方が早いように思うのだが、ナビは久里浜の海岸の途中で内陸側に曲がるように指示し、久里浜の街の中心部から野比(のび:地名です)を経由させられる。野比にある京急の駅はYRP野比という変わった名前。これは近くに横須賀リサーチパークというNTTを中心としてIT関連の研究所が集まっているエリアがあるから。YRPは横須賀リサーチパークの略語。元々は野比駅だったがリサーチパークができた時にYRPが駅名に付け足された。JRと私鉄の駅がほぼ同じ場所にある時、例えばJR難波駅(何もつかない難波駅は南海電鉄の駅)のようにJRが駅名につく場合はあるけれど、YRP野比駅のようなアルファベット名は珍しいんじゃないかな。「次は〜ワイアールピ〜のび〜」の車内アナウンスを1度聞いてみたい。
内陸部を走っていた国道134号線もやがて三浦海岸に出る。三浦海岸は約10キロほどの長い海岸。海水浴場的には津久井浜、三浦海岸、菊名浜の3つに分かれる。サーフィンができる波は入らないがウインドサーフィンは盛ん。この日は津久井浜にたくさんのボードが出ていた。しかしほとんどのセール(帆)が同じデザイン。皆がレンタルボードのはずがないし不思議な光景だった。イベントでもやっていたのかな。バイクで通り過ぎただけなので細かなことはわからず。
三浦海岸沿いの134号線はほとんどフラットな直線道路。その先の海岸沿いを走る県道は215号線は多少のコーナーやアップダウンもあって少しだけ楽しい。しばらくすると道路は海岸からそれて内陸の丘の上に登る。第2スポットの大浦海岸は途中で215号を離れて畑の中の道を走っていく。
畑の向こうに海が見える景色抜群の畑。
これは第2スポットから第3スポットへ向かう途中に撮ったもの。三浦半島の丘の上の畑はだいたいこんな感じ。海のイメージが強い三浦半島だが、海岸から少し離れると畑だらけである。
春夏はキャベツ、これからの季節は大根が植えられる。太くて大きい三浦大根というのが有名であるが、実際に作っている大根のほとんどは普通の大根らしい。
大浦海岸は海水浴場だからナビに載っている。しかし、とても細い道を通り抜けていく。最後に海岸に出る道は一段と細くて、道案内の看板が出ていても本当にここを曲がるのかというようなところ。
バイクを駐められるようなスペースは、この奥にある有料駐車場以外にない。この季節も金を取っているのかどうかわからないが、とりあえず入り口に駐めて海岸に降りることにする。金がいると言われれば素直に払うか、駐車場の中には駐めていなとゴネるかは、言われた時に考えよう。
この細い路地を歩いて、
こんな坂を下って
大浦海岸に出た。南北に延びる東向きの海岸である。
北の端は岩場になっている。
落石注意の看板。
少しだけ先に進んでみる。
写真をクリックして拡大すると,遠くに釣り人が写っている。
彼はたぶん隣の浜から岩場にでたと思う。この大浦海岸の北隣の浜から雨崎というところまでいくつかビーチがあって、かなりディープなエリアらしい。マイナースポット巡りを卒業したら探検してみよう。
落石注意ではあるが、とりあえず真下から気をつけながら撮ってみる。
浜を横切って一番南側から。
こんな景色を眺めながら、
岩に腰を下ろしてコーヒーブレイク。
カモメが飛んできた。
沖のほう(海面近く)にはたくさんカモメがいるのに、こちらにはあまり来てくれない。
トンビも飛んできた。ピーヒョロロと鳴き声が大きい。
燈明崎ほど砂は白くない。三浦海岸など三浦半島東側の平均的なところ。それでも半島西側の湘南エリアに較べれば白い。
私以外には釣りをしている3人の家族連れがいただけ。ここでもプライベートビーチ気分を味わうことができて満足。
ーーーマイナースポット第3弾へ続く
wassho at 08:14|Permalink│Comments(0)│
2014年10月22日
燈明崎
前回のエントリーで書いたように、燈明崎に来たのは燈明堂の和式灯台を見るためではなく、その海岸がとても素晴らしいと聞いたから。
スペインあたりのリゾートに行ってきたといってもバレないかも知れない。
海は旅行のパンフレットに使えそうなくらいキレイ。
砂浜も白い。
お約束のローアングルも撮り甲斐があるというもの。
ヨットも絵になる。
改めて書いておくが、ここはどこか南国の風光明媚な名所ではなく神奈川県横須賀市西浦賀6丁目。自宅からバイクで1時間ほどの場所に、こんな光景があったとは信じがたい。
あまりに感激したので、同じようなテーマの写真をもう1回。
燈明崎は東へ突き出した小さな岬。
今までの写真は岬に沿った、この北側の海岸から撮ったもの。海岸の長さは50メートルくらいと短い。何組かの家族連れがいたが、まさにプライベートビーチ感覚。
岬の先端、つまり東側の風景。
こちらは半島の付け根から南側に延びる海岸。
東対岸の房総半島に面しているから景色は普通だけれど、
砂自体がキレイしゴミもほとんど落ちていない。
こちらの砂浜は200メートルくらいある。
写真中央に燈明堂が写っている。
その海岸の一番南側は隆起した岩肌。
崖下は平らだったので奥まで歩いてみる。
岩場の向こう側に砂浜がもうひとつあった。
広さは手前の砂浜の半分程度。後で調べたら奥にある岬は千代ヶ崎という名前。岬の内陸側には明治時代に造られた砲台の跡地があって、横須賀市はそこを文化遺産として保存する=観光名所にするらしい。砲台は自衛隊の施設内にあって今は見られないが、その施設が廃止か移転になるとのこと。悪い話じゃないと思うが、そうなるとこのあたりにも人がたくさん来るようになるのかな。できたらマイナースポットのままであって欲しい気もする。
千代ヶ崎側の砂浜へ行くには、この獣道を通り抜ければいいようである。
手前の海岸とそう変わらないから今回は行かなかった。
まあとにかくいい海岸だった。
燈明堂は三浦半島八景に選ばれている。なんとか八景はというのはよく聞くが、中国由来の考え方で八つの景色のテーマが決められているとは知らなかった。
クルマがが20台くらい駐められる駐車場。ゴールデンウイークと海水浴シーズンと一部期間の土日祝日は1000円。バイクの料金の表示はなかった。
看板には有料期間は民間の会社で、無料期間は横須賀市の生涯学習課が管理者だと表示してある。役所が面倒見るのはいいとして、なにゆえ生涯学習課?
今は無料期間だが、海を背景に写真を撮りたくて路上駐車。
リゾートっぽい北側海岸を背景に写せなくて残念。
ススキと海の取り合わせというのが珍しい気がしてもう1枚。
ーーーマイナースポット巡りはまだ続く。
スペインあたりのリゾートに行ってきたといってもバレないかも知れない。
海は旅行のパンフレットに使えそうなくらいキレイ。
砂浜も白い。
お約束のローアングルも撮り甲斐があるというもの。
ヨットも絵になる。
改めて書いておくが、ここはどこか南国の風光明媚な名所ではなく神奈川県横須賀市西浦賀6丁目。自宅からバイクで1時間ほどの場所に、こんな光景があったとは信じがたい。
あまりに感激したので、同じようなテーマの写真をもう1回。
燈明崎は東へ突き出した小さな岬。
今までの写真は岬に沿った、この北側の海岸から撮ったもの。海岸の長さは50メートルくらいと短い。何組かの家族連れがいたが、まさにプライベートビーチ感覚。
岬の先端、つまり東側の風景。
こちらは半島の付け根から南側に延びる海岸。
東対岸の房総半島に面しているから景色は普通だけれど、
砂自体がキレイしゴミもほとんど落ちていない。
こちらの砂浜は200メートルくらいある。
写真中央に燈明堂が写っている。
その海岸の一番南側は隆起した岩肌。
崖下は平らだったので奥まで歩いてみる。
岩場の向こう側に砂浜がもうひとつあった。
広さは手前の砂浜の半分程度。後で調べたら奥にある岬は千代ヶ崎という名前。岬の内陸側には明治時代に造られた砲台の跡地があって、横須賀市はそこを文化遺産として保存する=観光名所にするらしい。砲台は自衛隊の施設内にあって今は見られないが、その施設が廃止か移転になるとのこと。悪い話じゃないと思うが、そうなるとこのあたりにも人がたくさん来るようになるのかな。できたらマイナースポットのままであって欲しい気もする。
千代ヶ崎側の砂浜へ行くには、この獣道を通り抜ければいいようである。
手前の海岸とそう変わらないから今回は行かなかった。
まあとにかくいい海岸だった。
燈明堂は三浦半島八景に選ばれている。なんとか八景はというのはよく聞くが、中国由来の考え方で八つの景色のテーマが決められているとは知らなかった。
クルマがが20台くらい駐められる駐車場。ゴールデンウイークと海水浴シーズンと一部期間の土日祝日は1000円。バイクの料金の表示はなかった。
看板には有料期間は民間の会社で、無料期間は横須賀市の生涯学習課が管理者だと表示してある。役所が面倒見るのはいいとして、なにゆえ生涯学習課?
今は無料期間だが、海を背景に写真を撮りたくて路上駐車。
リゾートっぽい北側海岸を背景に写せなくて残念。
ススキと海の取り合わせというのが珍しい気がしてもう1枚。
ーーーマイナースポット巡りはまだ続く。
wassho at 07:23|Permalink│Comments(0)│
2014年10月19日
三浦半島のマイナースポット巡り
きっかけは富士山初冠雪のニュース。雪化粧を始めた富士山を見にツーリングするのも悪くない。富士五湖まで行けばよいのだが、この日は何となく遠出をする気になれず。そこで以前に訪れた、三浦半島の東側なのに東京湾越しに富士山が見えるという不思議な場所である破崎(やぶれざき)に行くことにした。
でもまあ、もっと冬にならないと破崎から富士山が見える確率は高くない。他の目的地も考えておかないと、破崎到着の1分後に帰路につくハメになりかねない。すぐそばには横須賀美術館と観音崎がある。残念ながら今やっている展覧会は私の好みじゃなかった。また観音崎はお気に入りの場所のひとつとはいえ、そこだけで帰るとほとんど高速道路しか走らないツーリングになってしまう。
実は三浦半島にはあまり知られていないマイナーなスポットがたくさんある。それで今回はマイナースポット巡りに決定。本当のディープなマイナースポットは内陸側にあるらしいが、マイナースポット初心者としてはプライベートビーチのような海岸といわれているところをいくつか回ることにした。破崎もマイナースポットに入れてもいいと思う。

午前10時前出発。気温は18度からたまに20度を示している。高速道路だと少しヒンヤリする。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路の終点の馬堀までと走り慣れたルート。ところで横浜横須賀道路を走っている時に大きな虫がヘルメットのシールド(顔の前を覆っている透明な部分)を直撃。一瞬、顔が45度ほど横を向くほどの衝撃だった。シールドのないヘルメットなら怪我をしたんじゃないかと思う。シールドには虫の残骸はなかったが茶色い体液みたいなものが直径3センチくらいに広がる。途中のパーキングエリアでシールドを洗ったが、ネバネバしていてなかなか落とせなかった(>_<)
破崎到着。
前に来た時は気付かなかったが、ここは破崎緑地という名前。
富士山頂に夕日が沈むことをダイヤモンド冨士というらしい。
ダイヤモンドのように美しいという意味かな。
このウッドデッキから馬堀(まほり)海岸方向を眺めると、
はい、きれいな海だけが見えました(^^ゞ
写真中央のやや左側にかすかに白くて三角形なものが写っているが、あれは雲。ここからの富士山は写真の右側に見える。
富士山の代わりにススキでも撮ってみる。
確率は1割以下だと考えていたので、落胆することなく観音崎へ向かう。
ここからは2〜3分の距離。
いつもの光景。
毎回写真を撮る謎の構造物には「危険 立ち入り禁止」の文字が書かれていた。
バーベキューを楽しむ人。
何かを採ろうとしている人。サザエでもいるのか。
奥へ進む。
観音崎は整備された公園ではあるが、海岸線は手つかずの自然が残っている。
前回のツーリングで「右カーブ曲がれない病」を発症中と書いたが、何と今回は「ボケ」を発症してしまった(/o\)
公園を少し奥まで進んで戻ってくるつもりの途中で「何度も観音崎に来ているが、まだ灯台に登っていなかったから今日は灯台に行こう」と思いつく。破崎のリンク先である3月16日のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、その日に灯台に登っているのだが、そんな記憶はまったくなかった(>_<)
灯台の道案内。
3月16日にも同じ写真を撮ってブログに載せていたのが情けない。
前にも同じ階段を上ったのにまったく気付かず。
このチェーンはとても太いので見覚えがあった。しかし観音崎の坂の手すりは、どこもこんなチェーンを使っているんだろうと気にも留めず。
観音崎灯台。
灯台に着いて初めて「あれ?来たことあるかも」と思う。灯台の形を覚えていたというより、灯台とその横にある建物の配置と建物の屋根の色が記憶を呼び起こしたみたい。しかし人間の心理は不思議なもので、脳の記憶は確かにこの場所に来たと告げているのに「灯台に来たことがないから今日は登ってきたわけで、だから過去に来たはずがない」という自己正当化の気持ちが葛藤する。自分可愛さに何となく記憶違いだっだような気もしてくる。
真実を知る方法は1つしかない。
灯台の真下でiPhoneを使って「晴れ時々マーケティング 観音崎灯台」と検索して自分のブログを確かめた!
しかしヤバいなあ〜。
本当に灯台に登っていたことを100%忘れていた。
トボトボと登ってきた道を下る。
ボケ始めたのかという恐怖を海の景色が癒やしてくれる(^^ゞ
きれいな花を見たら凹んだ気持ちも和らぐゼ。
まっ、ボケではなく、突発性の記憶喪失ということにしておこう。
さていよいよマイナースポット巡り。
第1弾は観音崎から15分ほど走ったところにある燈明崎(とうみょうざき)。
燈明堂という日本で最初の和式灯台が、江戸幕府によって設置されていたから燈明崎という地名。建設されたのは1648年と366年も昔。ちなみに江戸幕府が始まったのが1603年。明治5年(1872年)に廃止されるまで224年も東京湾を照らしていたことになる。廃止されたのは日本最初の洋式灯台である観音崎灯台が完成したから。
同時にここは浦賀奉行所の処刑場=首切り場でもあったとされ、供養塔のようなものが建てられている。ただし浦賀奉行所は死刑執行の権限があるレベルの奉行所ではなく、海で遭難した人を供養していたのが、いつのまにか首切り場と呼ばれるようになったという説もある。
石柱の表には「南無妙法蓮華経」。
少し離れてお地蔵さん。
裏は「衆罪如霜露 惠日能消除」。
これは「多くの罪は霜や露のようなものであり、あたかも太陽の光が万物を均等に照らし、霜や露を消し去るように(仏の知恵は すべてにわたって、広く一切の生物の上に行きわたり、その生物 が犯した全ての罪を消滅する)」という意味らしい。ヨカッタと思ってしまうのはナゼ?
小さな岬の先に歩いて行く。
これが燈明堂。
1989年(平成元年)に復元されたもの。もちろん244年間の間に何度も建て替えられているが、オリジナル最後の燈明堂は明治28年頃に壊れてなくなったとのこと。ただし台座の石垣のほとんどは江戸時代に造られたもののままらしい。石垣の技術があったのに、火を使う施設も日本はやはり木造だったのね。
燈明とはお皿に油を入れて、そこに浸した芯に火をつけるもの。それの巨大なものが燈明堂内部に設置されていた。ちなみに液体の油だとこぼれたりするので、固形に改良したのがロウソク。
燈明堂はそれほど大きくない。4.5メートル四方で高さは7メートルくらい。つまり10畳ほどの広さの2階建ての建造物。その規模で菜種油を燃やした燈明の光で、つまりはタイマツ程度の明るさで灯台の役目を果たせたのかという疑問が湧く。しかし当時は照明というものがない時代。つまり夜は真っ暗。燈明堂の光りは対岸の房総半島からも見えたらしいから驚く。
この燈明堂は昔の灯台の姿を知るには興味深い。
しかしここには、これを目的に来たわけではないのである。
ーーー続く
でもまあ、もっと冬にならないと破崎から富士山が見える確率は高くない。他の目的地も考えておかないと、破崎到着の1分後に帰路につくハメになりかねない。すぐそばには横須賀美術館と観音崎がある。残念ながら今やっている展覧会は私の好みじゃなかった。また観音崎はお気に入りの場所のひとつとはいえ、そこだけで帰るとほとんど高速道路しか走らないツーリングになってしまう。
実は三浦半島にはあまり知られていないマイナーなスポットがたくさんある。それで今回はマイナースポット巡りに決定。本当のディープなマイナースポットは内陸側にあるらしいが、マイナースポット初心者としてはプライベートビーチのような海岸といわれているところをいくつか回ることにした。破崎もマイナースポットに入れてもいいと思う。

午前10時前出発。気温は18度からたまに20度を示している。高速道路だと少しヒンヤリする。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路の終点の馬堀までと走り慣れたルート。ところで横浜横須賀道路を走っている時に大きな虫がヘルメットのシールド(顔の前を覆っている透明な部分)を直撃。一瞬、顔が45度ほど横を向くほどの衝撃だった。シールドのないヘルメットなら怪我をしたんじゃないかと思う。シールドには虫の残骸はなかったが茶色い体液みたいなものが直径3センチくらいに広がる。途中のパーキングエリアでシールドを洗ったが、ネバネバしていてなかなか落とせなかった(>_<)
破崎到着。
前に来た時は気付かなかったが、ここは破崎緑地という名前。
富士山頂に夕日が沈むことをダイヤモンド冨士というらしい。
ダイヤモンドのように美しいという意味かな。
このウッドデッキから馬堀(まほり)海岸方向を眺めると、
はい、きれいな海だけが見えました(^^ゞ
写真中央のやや左側にかすかに白くて三角形なものが写っているが、あれは雲。ここからの富士山は写真の右側に見える。
富士山の代わりにススキでも撮ってみる。
確率は1割以下だと考えていたので、落胆することなく観音崎へ向かう。
ここからは2〜3分の距離。
いつもの光景。
毎回写真を撮る謎の構造物には「危険 立ち入り禁止」の文字が書かれていた。
バーベキューを楽しむ人。
何かを採ろうとしている人。サザエでもいるのか。
奥へ進む。
観音崎は整備された公園ではあるが、海岸線は手つかずの自然が残っている。
前回のツーリングで「右カーブ曲がれない病」を発症中と書いたが、何と今回は「ボケ」を発症してしまった(/o\)
公園を少し奥まで進んで戻ってくるつもりの途中で「何度も観音崎に来ているが、まだ灯台に登っていなかったから今日は灯台に行こう」と思いつく。破崎のリンク先である3月16日のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、その日に灯台に登っているのだが、そんな記憶はまったくなかった(>_<)
灯台の道案内。
3月16日にも同じ写真を撮ってブログに載せていたのが情けない。
前にも同じ階段を上ったのにまったく気付かず。
このチェーンはとても太いので見覚えがあった。しかし観音崎の坂の手すりは、どこもこんなチェーンを使っているんだろうと気にも留めず。
観音崎灯台。
灯台に着いて初めて「あれ?来たことあるかも」と思う。灯台の形を覚えていたというより、灯台とその横にある建物の配置と建物の屋根の色が記憶を呼び起こしたみたい。しかし人間の心理は不思議なもので、脳の記憶は確かにこの場所に来たと告げているのに「灯台に来たことがないから今日は登ってきたわけで、だから過去に来たはずがない」という自己正当化の気持ちが葛藤する。自分可愛さに何となく記憶違いだっだような気もしてくる。
真実を知る方法は1つしかない。
灯台の真下でiPhoneを使って「晴れ時々マーケティング 観音崎灯台」と検索して自分のブログを確かめた!
しかしヤバいなあ〜。
本当に灯台に登っていたことを100%忘れていた。
トボトボと登ってきた道を下る。
ボケ始めたのかという恐怖を海の景色が癒やしてくれる(^^ゞ
きれいな花を見たら凹んだ気持ちも和らぐゼ。
まっ、ボケではなく、突発性の記憶喪失ということにしておこう。
さていよいよマイナースポット巡り。
第1弾は観音崎から15分ほど走ったところにある燈明崎(とうみょうざき)。
燈明堂という日本で最初の和式灯台が、江戸幕府によって設置されていたから燈明崎という地名。建設されたのは1648年と366年も昔。ちなみに江戸幕府が始まったのが1603年。明治5年(1872年)に廃止されるまで224年も東京湾を照らしていたことになる。廃止されたのは日本最初の洋式灯台である観音崎灯台が完成したから。
同時にここは浦賀奉行所の処刑場=首切り場でもあったとされ、供養塔のようなものが建てられている。ただし浦賀奉行所は死刑執行の権限があるレベルの奉行所ではなく、海で遭難した人を供養していたのが、いつのまにか首切り場と呼ばれるようになったという説もある。
石柱の表には「南無妙法蓮華経」。
少し離れてお地蔵さん。
裏は「衆罪如霜露 惠日能消除」。
これは「多くの罪は霜や露のようなものであり、あたかも太陽の光が万物を均等に照らし、霜や露を消し去るように(仏の知恵は すべてにわたって、広く一切の生物の上に行きわたり、その生物 が犯した全ての罪を消滅する)」という意味らしい。ヨカッタと思ってしまうのはナゼ?
小さな岬の先に歩いて行く。
これが燈明堂。
1989年(平成元年)に復元されたもの。もちろん244年間の間に何度も建て替えられているが、オリジナル最後の燈明堂は明治28年頃に壊れてなくなったとのこと。ただし台座の石垣のほとんどは江戸時代に造られたもののままらしい。石垣の技術があったのに、火を使う施設も日本はやはり木造だったのね。
燈明とはお皿に油を入れて、そこに浸した芯に火をつけるもの。それの巨大なものが燈明堂内部に設置されていた。ちなみに液体の油だとこぼれたりするので、固形に改良したのがロウソク。
燈明堂はそれほど大きくない。4.5メートル四方で高さは7メートルくらい。つまり10畳ほどの広さの2階建ての建造物。その規模で菜種油を燃やした燈明の光で、つまりはタイマツ程度の明るさで灯台の役目を果たせたのかという疑問が湧く。しかし当時は照明というものがない時代。つまり夜は真っ暗。燈明堂の光りは対岸の房総半島からも見えたらしいから驚く。
この燈明堂は昔の灯台の姿を知るには興味深い。
しかしここには、これを目的に来たわけではないのである。
ーーー続く
wassho at 23:29|Permalink│Comments(0)│
2014年03月20日
観音崎灯台 その3
灯台から降りて下から眺めるの図。
昔の設備がいろいろと展示されている。
日時計を置いていたという台。
日時計って実用的に使われていたんだ。でも灯台が活躍するのは夜だから、日時計はあまり役立たない気もするが。
灯ろう(とうろう)。
灯台の電球部分を「灯ろう」と呼ぶとは知らなかった。灯ろうというと何となく日本庭園にあるイメージ。ここに展示されている灯ろうは平成2年11月まで八丈島の神湊灯台で使われていたものらしい。その神湊灯台はなぜかネットで検索してもほとんど情報がない。
霧信号吹鳴器。
吹鳴は「すいめい」と読む。霧の時に警笛を一定間隔で鳴らして、船舶は警笛の聞こえてくる方向から自分の位置を確かめるという仕組み。霧笛(むてき)ともいう。これが設置されているところを霧信号所と呼び、だいたい灯台に併設されていたらしいが、霧信号は2010年までに廃止されたとのこと。
霧笛というと低く重い音を連想する。でも、これを見ても音の想像をするのは難しい。どんな音だったんだろう。1回くらい聞いてみたかったな。残念。
灯台は見るのも好きだし、灯台の上にのぼって眺める海も好き。しかしレーダーやGPSとかがある時代に、光で場所を教えるという原始的な仕組みがまだ役立っているのかな。そのあたりはちょっと疑問。
最後に思い切りあおって撮って観音崎灯台とさよなら。
登ってきた道を下る。
やたら太い鎖は手すりというより落石を食い止める役割のようだ。写真の奥にある柵も落石対策。
遊歩道に戻って岬の先のほうに進む。
デジカメで撮ると見た目より海は青く写りがちだが、この日は本当に青々とした海の色だった。天気もよくて海もきれいで幸せな気分になる。
砂浜の面積はわずか。このあたりは下に降りることはできない。
これも前から気になっている謎の構造物。旧海軍が建てた潮位測量施設とも、潜水艦の音を捉えて探知するための施設だったとも言われている。
その謎の構造物がある陸地側は広場のようになっている。しかし防衛省の敷地になっていて立ち入り禁止。遊歩道からは見えないが、この敷地には海上自衛隊の観音崎警備所というものがある。たぶん警備業務はしていないだろうが、ここは外国の軍艦が来た時に礼砲を打つ場所として有名。というか日本で海上に礼砲を打てるのはここしかないらしい。
広場の先に見えるのは潜水艦と釣り船が衝突した「なだしお事件」の慰霊碑。
話は変わるが、もう病気で亡くなられた昔よく仕事をしたUさんという人がいた。彼は大の釣り好きで、潜水艦に衝突されて沈没した釣り船の第一富士丸はよく利用していたと言っていた。ふとそんな話を思い出し、なだしお事件とはぜんぜん関係ないが、Uさんを偲んで遠くから慰霊碑に手を合わせておいた。
遊歩道をさらに進むと素彫りのトンネルがある。相変わらず迫力満点。このトンネルを渡ると公園の外に出てしまうので、ここで引き返す。
波が岩に打ち寄せる写真を撮ろうとしたら、
船が視界に入ったので岩とのツーショット。
それと波打ち際に降りてローアングルも撮らないと気が済まない(^^ゞ
散歩して灯台に登って観音崎にいたのは二時間くらい。猛烈にリフレッシュできた気がする。海は偉大なり。この日は欲張らずに、そのまま引き返す。また往きと同じく高速道路ばかりじゃ芸がないので三浦半島の東海岸沿いを北上。

横須賀の中心街を通った時のこと。このあたりは何度も通っているが、信号待ちでふと横を見ると商店街の看板に英語が多いのに気付く。ここが「どぶ板通り」だったんだと知る。「どぶ板通り」の暗い響きから、もっと寂れたところにあるものと思っていた。まわりを見渡すと外人も多かった。観音崎のある横須賀は基地の街でもある事を実感。横須賀の駅から米海軍基地までは1キロちょっとくらいの距離。
その後はしばらく16号線をノンビリ走って、幸浦(さちうら)という縁起のいい名前のインターチェンジから首都高湾岸線に乗り、ベイブリッジを渡ってヴウォーンと帰る。帰りはバイクの温度計が20度になることもあった。
走行130キロ。まだ日も高い午後4時頃に帰宅。
バイクの乗り方を忘れてなくてよかった。
おしまい
昔の設備がいろいろと展示されている。
日時計を置いていたという台。
日時計って実用的に使われていたんだ。でも灯台が活躍するのは夜だから、日時計はあまり役立たない気もするが。
灯ろう(とうろう)。
灯台の電球部分を「灯ろう」と呼ぶとは知らなかった。灯ろうというと何となく日本庭園にあるイメージ。ここに展示されている灯ろうは平成2年11月まで八丈島の神湊灯台で使われていたものらしい。その神湊灯台はなぜかネットで検索してもほとんど情報がない。
霧信号吹鳴器。
吹鳴は「すいめい」と読む。霧の時に警笛を一定間隔で鳴らして、船舶は警笛の聞こえてくる方向から自分の位置を確かめるという仕組み。霧笛(むてき)ともいう。これが設置されているところを霧信号所と呼び、だいたい灯台に併設されていたらしいが、霧信号は2010年までに廃止されたとのこと。
霧笛というと低く重い音を連想する。でも、これを見ても音の想像をするのは難しい。どんな音だったんだろう。1回くらい聞いてみたかったな。残念。
灯台は見るのも好きだし、灯台の上にのぼって眺める海も好き。しかしレーダーやGPSとかがある時代に、光で場所を教えるという原始的な仕組みがまだ役立っているのかな。そのあたりはちょっと疑問。
最後に思い切りあおって撮って観音崎灯台とさよなら。
登ってきた道を下る。
やたら太い鎖は手すりというより落石を食い止める役割のようだ。写真の奥にある柵も落石対策。
遊歩道に戻って岬の先のほうに進む。
デジカメで撮ると見た目より海は青く写りがちだが、この日は本当に青々とした海の色だった。天気もよくて海もきれいで幸せな気分になる。
砂浜の面積はわずか。このあたりは下に降りることはできない。
これも前から気になっている謎の構造物。旧海軍が建てた潮位測量施設とも、潜水艦の音を捉えて探知するための施設だったとも言われている。
その謎の構造物がある陸地側は広場のようになっている。しかし防衛省の敷地になっていて立ち入り禁止。遊歩道からは見えないが、この敷地には海上自衛隊の観音崎警備所というものがある。たぶん警備業務はしていないだろうが、ここは外国の軍艦が来た時に礼砲を打つ場所として有名。というか日本で海上に礼砲を打てるのはここしかないらしい。
広場の先に見えるのは潜水艦と釣り船が衝突した「なだしお事件」の慰霊碑。
話は変わるが、もう病気で亡くなられた昔よく仕事をしたUさんという人がいた。彼は大の釣り好きで、潜水艦に衝突されて沈没した釣り船の第一富士丸はよく利用していたと言っていた。ふとそんな話を思い出し、なだしお事件とはぜんぜん関係ないが、Uさんを偲んで遠くから慰霊碑に手を合わせておいた。
遊歩道をさらに進むと素彫りのトンネルがある。相変わらず迫力満点。このトンネルを渡ると公園の外に出てしまうので、ここで引き返す。
波が岩に打ち寄せる写真を撮ろうとしたら、
船が視界に入ったので岩とのツーショット。
それと波打ち際に降りてローアングルも撮らないと気が済まない(^^ゞ
散歩して灯台に登って観音崎にいたのは二時間くらい。猛烈にリフレッシュできた気がする。海は偉大なり。この日は欲張らずに、そのまま引き返す。また往きと同じく高速道路ばかりじゃ芸がないので三浦半島の東海岸沿いを北上。

横須賀の中心街を通った時のこと。このあたりは何度も通っているが、信号待ちでふと横を見ると商店街の看板に英語が多いのに気付く。ここが「どぶ板通り」だったんだと知る。「どぶ板通り」の暗い響きから、もっと寂れたところにあるものと思っていた。まわりを見渡すと外人も多かった。観音崎のある横須賀は基地の街でもある事を実感。横須賀の駅から米海軍基地までは1キロちょっとくらいの距離。
その後はしばらく16号線をノンビリ走って、幸浦(さちうら)という縁起のいい名前のインターチェンジから首都高湾岸線に乗り、ベイブリッジを渡ってヴウォーンと帰る。帰りはバイクの温度計が20度になることもあった。
走行130キロ。まだ日も高い午後4時頃に帰宅。
バイクの乗り方を忘れてなくてよかった。
おしまい
wassho at 00:05|Permalink│Comments(0)│
2014年03月18日
観音崎灯台 その2
灯台の横にあるのは民家みたいな作りだが、事務所と資料展示室が入っている。
基準金額として200円の寄付を要求される仕組み。管轄は社団法人で住所が港区虎ノ門。典型的な天下りの受け皿かな。ちなみに社団法人への寄付なら所得から控除される。でも200円の領収書をもらうのを忘れた。まっ、入場券売り、もとい寄付金受取係のオバチャン達は愛想がよかったからいいか。
間近で見上げる観音崎灯台。
1869年(明治2年)に日本で最初に完成した西洋式灯台である。
高さ19メートル。海面からの高さは56メートル。
灯台の歴史
もう少し調べてみると
1868年(明治元年)9月17日着工、同年12月29日完成と、たった3ヶ月で
建てたのがこの初代観音崎灯台。年を越えて1869年(明治2年)1月1日にめ
でたく初点灯。当時は電球ではなく菜種油や落花生の油、パラフィン、石
油などを用いていたとある。灯台と言うよりタイマツだね。
1922年(大正11年)4月26日の地震により亀裂ができたので取り壊し。
1923年(大正12年)3月15日に二代目灯台完成。着工〜竣工の記録は見あ
たらなかったが、この時も仕事が早い。なお、この二代目からから電球と
なる。
しかし同年9月1日の関東大震災により倒壊。わずか半年の活躍に終わる。
1925年(大正14年)6月1日三代目が完成し現在に至る。
したがって、この観音崎灯台は御年88歳。
ところで上の看板には高浜虚子の俳句とともに、大久保武雄という初代海上保安庁長官の俳句も書かれている。そんな粋な官僚が昔はいたのかと調べてみると、なかなかおもしろい人物。興味があったら検索してみてちょうだい。
海の反対側から灯台の敷地に入って、灯台に上る階段は海に面した側にあるので灯台の下をグルッと回ることになる。観音崎ってマムシいるの〜(/o\)
水仙が咲いていた。
子供の頃大好きだった有料双眼鏡。
ここから灯台の階段を上る。
入り口に歴史を感じさせるプレート。
螺旋階段。
壁には各地の灯台の写真。
展望台という呼び方はふさわしくないが、とにかく外に出る。
寄付金係のオバチャンが「風が強くなってきたから気をつけてください」と言っていて、別に気にしていなかったけれど、灯台の上部は手すりがなければ吹き飛ばされるくらい風が強かった。
下を眺める。
灯台の下ではそんなに風は吹いていなかった。写真では小さいが人の髪は乱れていないし帽子も吹き飛ばされていない。高さ19メートル(立っている位置は15メータくらいか)でずいぶんと違うものだ。
このハシゴに登ってはいけないと書かれていなかったが、凄まじい強風にそんな気持ちは起こらず。
電球部分。
ところで写真をクリックして拡大するとわかるが右下に人の指が写っている。ギャーッ!
たぶん私の指だと思うけど、でもやたら指が長いからやっぱり心霊写真?
灯台の影を撮ってみた。
灯台の上から見る海は広くて気持ちがいい。
ーーー続く
基準金額として200円の寄付を要求される仕組み。管轄は社団法人で住所が港区虎ノ門。典型的な天下りの受け皿かな。ちなみに社団法人への寄付なら所得から控除される。でも200円の領収書をもらうのを忘れた。まっ、入場券売り、もとい寄付金受取係のオバチャン達は愛想がよかったからいいか。
間近で見上げる観音崎灯台。
1869年(明治2年)に日本で最初に完成した西洋式灯台である。
高さ19メートル。海面からの高さは56メートル。
灯台の歴史
もう少し調べてみると
1868年(明治元年)9月17日着工、同年12月29日完成と、たった3ヶ月で
建てたのがこの初代観音崎灯台。年を越えて1869年(明治2年)1月1日にめ
でたく初点灯。当時は電球ではなく菜種油や落花生の油、パラフィン、石
油などを用いていたとある。灯台と言うよりタイマツだね。
1922年(大正11年)4月26日の地震により亀裂ができたので取り壊し。
1923年(大正12年)3月15日に二代目灯台完成。着工〜竣工の記録は見あ
たらなかったが、この時も仕事が早い。なお、この二代目からから電球と
なる。
しかし同年9月1日の関東大震災により倒壊。わずか半年の活躍に終わる。
1925年(大正14年)6月1日三代目が完成し現在に至る。
したがって、この観音崎灯台は御年88歳。
ところで上の看板には高浜虚子の俳句とともに、大久保武雄という初代海上保安庁長官の俳句も書かれている。そんな粋な官僚が昔はいたのかと調べてみると、なかなかおもしろい人物。興味があったら検索してみてちょうだい。
海の反対側から灯台の敷地に入って、灯台に上る階段は海に面した側にあるので灯台の下をグルッと回ることになる。観音崎ってマムシいるの〜(/o\)
水仙が咲いていた。
子供の頃大好きだった有料双眼鏡。
ここから灯台の階段を上る。
入り口に歴史を感じさせるプレート。
螺旋階段。
壁には各地の灯台の写真。
展望台という呼び方はふさわしくないが、とにかく外に出る。
寄付金係のオバチャンが「風が強くなってきたから気をつけてください」と言っていて、別に気にしていなかったけれど、灯台の上部は手すりがなければ吹き飛ばされるくらい風が強かった。
下を眺める。
灯台の下ではそんなに風は吹いていなかった。写真では小さいが人の髪は乱れていないし帽子も吹き飛ばされていない。高さ19メートル(立っている位置は15メータくらいか)でずいぶんと違うものだ。
このハシゴに登ってはいけないと書かれていなかったが、凄まじい強風にそんな気持ちは起こらず。
電球部分。
ところで写真をクリックして拡大するとわかるが右下に人の指が写っている。ギャーッ!
たぶん私の指だと思うけど、でもやたら指が長いからやっぱり心霊写真?
灯台の影を撮ってみた。
灯台の上から見る海は広くて気持ちがいい。
ーーー続く
wassho at 20:36|Permalink│Comments(0)│
2014年03月16日
観音崎灯台
大晦日に走り納めをして元旦に走り始めをした以来だから、約2ヶ月半ぶりに久々のバイク。ようやく暖かくなってきた。
40年に1回レベルの雪が2度も降る(表現としておかしいかも)など今年の冬は寒かった。もっとも去年の夏も10月に30度越えと、遅い真夏日の記録を98年ぶりに更新する記録破りの酷暑。何となく経験則で夏が暑ければ冬が寒いと思っている。それで今年の冬はその通りになったのだが、先日どこかで冬が寒ければ夏が暑いと書いてあった。両方の仮説が正しいとすれば永遠に猛暑と厳冬が続くことになる(>_<) ほどよい四季の移り変わりでありますように。
本日の最高気温は18度と高いものの、朝は5度くらいと冷え込むとの予想。それと久々のバイクなので、距離的にも欲張らないで慣らしツーリング程度がよかろうと目的地は観音崎に。何度か訪れているが灯台には登ったことがないから、それをメインイベントにすることにした。
地図は上から反時計回りのルート。往きは第三京浜〜横浜自動車道〜横浜横須賀道路と全行程の98%くらいを高速道路が占める。

午前11時過ぎの出発でバイクの気温計は12.5度。早いものでBMW F800Rは丸3年になる。真冬に約2ヶ月半の放置でバッテリーが心配だったが、セル1秒で問題なくエンジン始動。まだしばらくバッテリー交換しなくていいかな。
第三京浜を走っているうちに気温は15.5度に上昇。日差しもたっぷりでバイク日和。ちなみに本日は冬用のバイクジャケットではなく革ジャン着用。その下に極薄ダウン〜普通のハイネックシャツ〜ヒートテックの下着というしつらえ。革パンツの下はタイツなし。寒くもなく暑くもなく快適だったが、風がきつかった。横浜横須賀道路ではところどころ突風でビビる。
終点の馬堀(まほり)インターで降りれば観音崎までは10分もかからない。
でもちょっと道草。
バイクを道路の隅っこに駐める。
振り返った丘の上には防衛大学の建物。防衛大学が観音崎にあることはあまり知られていない気がする。
それで道路沿いになぜかウッドデッキ。
そこから見おろす馬堀海岸。
それがどうしたって? ご疑念はごもっとも。
実はこの展望台は富士見の名所。この日は霞んでいて見えなかったが、気象条件がよければこんな感じだとよそのブログに。
三浦半島の東側にいて、海越しに西側にある富士山が見えるとは理屈に合わない。しかし馬堀海岸あたりは東西に伸びているので、この展望台のようにちょっと海に突き出しているところなら東京湾越しの富士山が見えるというわけ。(上の地図を参照されたし)
でもまあ空気の澄んでいる冬しか見られないんだろうな。冬にここまでやってくるのは寒いから、私がここで富士山を見るのはいつになることやら。なおここは破崎(やぶれざき)という場所。
破崎から観音崎まではほんの数分。
ブログでも何度か紹介した光景。
白い塔は灯台ではなく海上保安庁の東京湾海上交通センター。平たく言うと東京湾内の船舶の交通整理をしている指揮所。
沖合数メートルのところにある、毎度おなじみの謎の構造物。
春の海、ひねもすのたりのたりかな。
透明度よし。
海岸沿いに進んでいく。
地層のよくわかる岩がゴツゴツ。
入り口のほうを振り返る。
海草がみっちりはえている岩。ほんのわずかしか離れていないのに、海草がある岩と無い岩の違いはなにゆえ?
陸地に上がって道を進む。
広場になっているところでは座って海を眺められるようになっている。
現在位置。
入ってきたのは観音崎園地と書いてあるあたり。
灯台方向に進む。
灯台への道の手前にあった西脇順三郎の詩碑。
ノーベル賞に4回もノミネートされた詩人らしいが、よほど詩が好きな人以外は知らないだろう。ということはほとんどの人は知らない。私もさっき調べて初めて知った。日本には俳句や短歌があるから詩はあまり人気がない気がする。
それでこの詩。1回読むと「それがどうした」という感じなのだが、繰り返し読んでみると、段々といい感じになってくるからおもしろい。
けっこう急な坂である。
春の息吹。
西脇順三郎がいろいろ思索しながら歩いた道をヒイコラ登る。
灯台到着。
ーーー続く。
40年に1回レベルの雪が2度も降る(表現としておかしいかも)など今年の冬は寒かった。もっとも去年の夏も10月に30度越えと、遅い真夏日の記録を98年ぶりに更新する記録破りの酷暑。何となく経験則で夏が暑ければ冬が寒いと思っている。それで今年の冬はその通りになったのだが、先日どこかで冬が寒ければ夏が暑いと書いてあった。両方の仮説が正しいとすれば永遠に猛暑と厳冬が続くことになる(>_<) ほどよい四季の移り変わりでありますように。
本日の最高気温は18度と高いものの、朝は5度くらいと冷え込むとの予想。それと久々のバイクなので、距離的にも欲張らないで慣らしツーリング程度がよかろうと目的地は観音崎に。何度か訪れているが灯台には登ったことがないから、それをメインイベントにすることにした。
地図は上から反時計回りのルート。往きは第三京浜〜横浜自動車道〜横浜横須賀道路と全行程の98%くらいを高速道路が占める。

午前11時過ぎの出発でバイクの気温計は12.5度。早いものでBMW F800Rは丸3年になる。真冬に約2ヶ月半の放置でバッテリーが心配だったが、セル1秒で問題なくエンジン始動。まだしばらくバッテリー交換しなくていいかな。
第三京浜を走っているうちに気温は15.5度に上昇。日差しもたっぷりでバイク日和。ちなみに本日は冬用のバイクジャケットではなく革ジャン着用。その下に極薄ダウン〜普通のハイネックシャツ〜ヒートテックの下着というしつらえ。革パンツの下はタイツなし。寒くもなく暑くもなく快適だったが、風がきつかった。横浜横須賀道路ではところどころ突風でビビる。
終点の馬堀(まほり)インターで降りれば観音崎までは10分もかからない。
でもちょっと道草。
バイクを道路の隅っこに駐める。
振り返った丘の上には防衛大学の建物。防衛大学が観音崎にあることはあまり知られていない気がする。
それで道路沿いになぜかウッドデッキ。
そこから見おろす馬堀海岸。
それがどうしたって? ご疑念はごもっとも。
実はこの展望台は富士見の名所。この日は霞んでいて見えなかったが、気象条件がよければこんな感じだとよそのブログに。
三浦半島の東側にいて、海越しに西側にある富士山が見えるとは理屈に合わない。しかし馬堀海岸あたりは東西に伸びているので、この展望台のようにちょっと海に突き出しているところなら東京湾越しの富士山が見えるというわけ。(上の地図を参照されたし)
でもまあ空気の澄んでいる冬しか見られないんだろうな。冬にここまでやってくるのは寒いから、私がここで富士山を見るのはいつになることやら。なおここは破崎(やぶれざき)という場所。
破崎から観音崎まではほんの数分。
ブログでも何度か紹介した光景。
白い塔は灯台ではなく海上保安庁の東京湾海上交通センター。平たく言うと東京湾内の船舶の交通整理をしている指揮所。
沖合数メートルのところにある、毎度おなじみの謎の構造物。
春の海、ひねもすのたりのたりかな。
透明度よし。
海岸沿いに進んでいく。
地層のよくわかる岩がゴツゴツ。
入り口のほうを振り返る。
海草がみっちりはえている岩。ほんのわずかしか離れていないのに、海草がある岩と無い岩の違いはなにゆえ?
陸地に上がって道を進む。
広場になっているところでは座って海を眺められるようになっている。
現在位置。
入ってきたのは観音崎園地と書いてあるあたり。
灯台方向に進む。
灯台への道の手前にあった西脇順三郎の詩碑。
ノーベル賞に4回もノミネートされた詩人らしいが、よほど詩が好きな人以外は知らないだろう。ということはほとんどの人は知らない。私もさっき調べて初めて知った。日本には俳句や短歌があるから詩はあまり人気がない気がする。
それでこの詩。1回読むと「それがどうした」という感じなのだが、繰り返し読んでみると、段々といい感じになってくるからおもしろい。
けっこう急な坂である。
春の息吹。
西脇順三郎がいろいろ思索しながら歩いた道をヒイコラ登る。
灯台到着。
ーーー続く。
wassho at 22:50|Permalink│Comments(0)│
2013年09月22日
バイクで美術館巡り
何となく、あまり遠くまでツーリングする気持ちが起きず、かといって近所をブラブラを走ってもつまらない。さてどうする?と考えて、三浦半島と湘南にある2つの美術館にバイクで出かけてきた。箱根のポーラ美術館以来久しぶりの美術館ツーリングである。
三浦半島・湘南方面に行く時は第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路がいつものルート。でも今回は首都高の湾岸線から横浜横須賀道路に入った。このルートは横浜の中心部をパスできるので渋滞が少ない。ただし首都高湾岸線は私の住んでいるエリアに下り方向の入口がなく、第三京浜に乗るのと較べて3倍くらい遠いアクアラインと共通の入り口まで走らなければならない。

ベイブリッジを渡り、横浜の港を眺めながら首都高湾岸線を快走。ただし現在は白バイやパトカーを「1匹見かけたら30匹いると思え!」の秋の交通安全週間。いつも以上に慎重に周りの状況を伺いながら走る。
横浜横須賀道路を終点で降りれば馬堀海岸。少し走れば観音崎で、岬のすぐ手前に最初の目的地である横須賀美術館がある。
手前に芝生が広がるおしゃれな建物。建物がすべてガラスで覆われているのが特徴。海沿いに建っているので塩害を防ぐためと説明されているが、そんなことをいったら海沿いの建物はすべてそうなっていなくてはならない。まあこういうデザインにしたかったんだろう。ちなみに2007年に開館した新しい美術館である。
観音崎の岬は目と鼻の先。
建物の位置から海側を眺めたところ。なかなかの景色。しかしこのコンクリートのスロープはレンガやタイルにできなかったのか。
入り口を入ってすぐは売店なので、こんな説明がでている。
入り口の奥から外側を眺めたところ。
横須賀美術館で現在開催中の企画展は「たいけん、ぼうけん、びじゅつかん!」。文字変換を忘れたわけじゃない。サブタイトルが「親子で楽しむ現在アート」となっている。つまり子供向けの企画(/o\) しかも私の嫌いなモダンアート(/o\) でも常設展もあるし、モダンアートは食わず嫌いなところもあるから、子供向けから挑戦してみるのもいいかと。
最初の展示室は石ころがいろいろテーブルにおいてあった。
それを触るとテーブルの上に設置されているプロジェクターから、こんな影絵が出てきたりーーーその他いろいろ。(写真はネットから)

次の展示室では、こんな黄色のトンネルの中を歩かされたりーーー
このトンネルは展示室の中に収まりきらないので、館内を歩いていると、あちこちで見ることになる。
かと思えば、こんな巨大なサッカーゲームーーー
選手は黒船来港の時のアメリカ人と幕府の役人かな。
おもしろかったよ、石ころもトンネルも。サッカーゲームは私は参加しなかったけれど子供達は大はしゃぎしていた。でも、これがアートかというと「ハア?」という感想になってしまう。子供向けでも、やっぱりモダンアートは私の趣味に合わないみたい。酔えるかどうかがアートに対する私の価値基準。
常設展(美術館のコレクションの展示)はそこそこよかった。ほとんどが日本人の洋画家の作品。考えてみたら普段見に行くのは海外からやってくる企画展がほとんどだから、日本人の描いた絵を見ることは少ない。唸ったり欲しいという衝動に駆られる絵はなかったが、たまには醤油風味もいいもの。人も少ないのでのんびり鑑賞できた。
入り口を入ってすぐのところが橋のようになっていて、
その上から見えた常設展の一部。
こちらに写っているのは常設のモダンアート。いわゆるインスタレーション(設置芸術)。同じ置物でも彫刻などは彫刻そのものに価値があるが、インスタレーションは作品を置いた空間自体が作品でありアートだという考え方。モノが置かれるだけでなく映像が上映されるインスタレーションもある。最近やたら多いが、置かれているモノにも空間にも興味を引かれたことは一度もない。やっぱりモダンアートは苦手である。頭かたいのかな。
横須賀美術館には谷内六郎の特別コレクションがあって常設されている。谷内六郎とは週刊新潮の表紙を描いていた人。
週刊新潮を買ったこともなければ、待合室かどこかで最後に読んだのがいつだったかの記憶もハッキリしないが、この画風は何となく見覚えがあった。モチーフは戦前戦中あたりかな(谷内六郎は大正10年1921年生まれ)。私の世代だとリアルな懐かしさは感じないが、こういう風景があったんだろうなあということは想像がつく。見ているうちに心がなごんでくる絵である。
谷内六郎のコレクションは常設展とは別の展示室にある。そしてそこには外に出る扉が。扉のところにいる係員に「向こうは出口はありませんから、こちらに戻ってきてください」とヘンなことを言われ外に出ると中庭のようになっている。
中庭を見るための出入り口だったのかと思っていたら、反対側の物置のようなものに展示室の文字が。何これ?と近づくと自動ドアになっている扉が開いてビックリ。扉の向こうに谷内六郎の展示室がもうひとつあった。雨の日はどうするのかね。(どこの美術館でも作品保護のために傘は持って入れないようになっている)
扉が開いた時にはビックリしたが、
ワケのわからないインスタレーションよりはよっぽどおもしろい。
建物の横に裏山方向に伸びている小径があった。
少し登ると美術館の屋上に着き、その隣が芝生広場になっていた。
ガラスで覆われた屋根越しに眺める海。
展望室。
外を歩かずとも下からここまでエレベーターで上がってこられる。
美術館の裏山。
ローアングルで撮ったらおもしろい写真になったが、
海が写らない。
屋上の広場の横にさらに上に続く小径が。
気温はたぶん30度以上あって暑かったのだが、
ついフラフラと。
道は整備されているが木の生え方は密林ぽい。
5分ほど登ったところにあった煉瓦造りの建物。
周りは立ち入り禁止になっていて、目にできたのはここだけ。
この周りには砲台跡がたくさんあるので、司令所か弾薬庫だったのかな。
戦争映画で、こんな弾よけの道を見たことがある。
明治27年は1894年。2013年から引けば119年前。1894年は日清戦争が始まった年。その頃から東京湾防衛のために砲台や要塞が作られ始めたらしい。
砲台跡といっても何も残っていない。
砲台やツワモノどもが夢の跡(盗作)
どの砲台跡も同じようなつくり。
砲台の壁は人の背より高く海も見えない。
レンガの建物、砲台跡と同じ並びにあった三軒家園地。
家などなかったはずだが三軒家という地名。園地とは公園というような意味。
ベンチなどがある広場。
ここは見晴らしがよい。
三軒家園地の入り口から見た登ってきた道。
この道沿いに砲台跡がいくつかあって、一番奥にレンガの建物がある。
道はここで90度曲がって続いている。
探検の続きはまた次の機会に。
このあたり一帯はかなり広い公園になっている。
ついでにいうと、この公園の西隣が防衛大学。防衛大学は知っていても場所は知らない人のほうが多いと思う。
駐車場は地下にあってバイク専用の区画もある。
展覧会の入場料を払えば無料になる。駐車場には「入場料を払えば1時間無料」と張り紙がしてあるが、入場料を払う時に押されるスタンプは日付だけなので1日無料になるみたい。
海の眺めはいいし、絵を見たついでに散歩もできるし横須賀美術館はいいところである。へんぴな場所のイメージがあるが、京急の馬堀海岸駅からタクシーで10分くらいだからクルマやバイクがなくても大丈夫。
ーーー続く。
三浦半島・湘南方面に行く時は第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路がいつものルート。でも今回は首都高の湾岸線から横浜横須賀道路に入った。このルートは横浜の中心部をパスできるので渋滞が少ない。ただし首都高湾岸線は私の住んでいるエリアに下り方向の入口がなく、第三京浜に乗るのと較べて3倍くらい遠いアクアラインと共通の入り口まで走らなければならない。

ベイブリッジを渡り、横浜の港を眺めながら首都高湾岸線を快走。ただし現在は白バイやパトカーを「1匹見かけたら30匹いると思え!」の秋の交通安全週間。いつも以上に慎重に周りの状況を伺いながら走る。
横浜横須賀道路を終点で降りれば馬堀海岸。少し走れば観音崎で、岬のすぐ手前に最初の目的地である横須賀美術館がある。
手前に芝生が広がるおしゃれな建物。建物がすべてガラスで覆われているのが特徴。海沿いに建っているので塩害を防ぐためと説明されているが、そんなことをいったら海沿いの建物はすべてそうなっていなくてはならない。まあこういうデザインにしたかったんだろう。ちなみに2007年に開館した新しい美術館である。
観音崎の岬は目と鼻の先。
建物の位置から海側を眺めたところ。なかなかの景色。しかしこのコンクリートのスロープはレンガやタイルにできなかったのか。
入り口を入ってすぐは売店なので、こんな説明がでている。
入り口の奥から外側を眺めたところ。
横須賀美術館で現在開催中の企画展は「たいけん、ぼうけん、びじゅつかん!」。文字変換を忘れたわけじゃない。サブタイトルが「親子で楽しむ現在アート」となっている。つまり子供向けの企画(/o\) しかも私の嫌いなモダンアート(/o\) でも常設展もあるし、モダンアートは食わず嫌いなところもあるから、子供向けから挑戦してみるのもいいかと。
最初の展示室は石ころがいろいろテーブルにおいてあった。
それを触るとテーブルの上に設置されているプロジェクターから、こんな影絵が出てきたりーーーその他いろいろ。(写真はネットから)

次の展示室では、こんな黄色のトンネルの中を歩かされたりーーー
このトンネルは展示室の中に収まりきらないので、館内を歩いていると、あちこちで見ることになる。
かと思えば、こんな巨大なサッカーゲームーーー
選手は黒船来港の時のアメリカ人と幕府の役人かな。
おもしろかったよ、石ころもトンネルも。サッカーゲームは私は参加しなかったけれど子供達は大はしゃぎしていた。でも、これがアートかというと「ハア?」という感想になってしまう。子供向けでも、やっぱりモダンアートは私の趣味に合わないみたい。酔えるかどうかがアートに対する私の価値基準。
常設展(美術館のコレクションの展示)はそこそこよかった。ほとんどが日本人の洋画家の作品。考えてみたら普段見に行くのは海外からやってくる企画展がほとんどだから、日本人の描いた絵を見ることは少ない。唸ったり欲しいという衝動に駆られる絵はなかったが、たまには醤油風味もいいもの。人も少ないのでのんびり鑑賞できた。
入り口を入ってすぐのところが橋のようになっていて、
その上から見えた常設展の一部。
こちらに写っているのは常設のモダンアート。いわゆるインスタレーション(設置芸術)。同じ置物でも彫刻などは彫刻そのものに価値があるが、インスタレーションは作品を置いた空間自体が作品でありアートだという考え方。モノが置かれるだけでなく映像が上映されるインスタレーションもある。最近やたら多いが、置かれているモノにも空間にも興味を引かれたことは一度もない。やっぱりモダンアートは苦手である。頭かたいのかな。
横須賀美術館には谷内六郎の特別コレクションがあって常設されている。谷内六郎とは週刊新潮の表紙を描いていた人。
週刊新潮を買ったこともなければ、待合室かどこかで最後に読んだのがいつだったかの記憶もハッキリしないが、この画風は何となく見覚えがあった。モチーフは戦前戦中あたりかな(谷内六郎は大正10年1921年生まれ)。私の世代だとリアルな懐かしさは感じないが、こういう風景があったんだろうなあということは想像がつく。見ているうちに心がなごんでくる絵である。
谷内六郎のコレクションは常設展とは別の展示室にある。そしてそこには外に出る扉が。扉のところにいる係員に「向こうは出口はありませんから、こちらに戻ってきてください」とヘンなことを言われ外に出ると中庭のようになっている。
中庭を見るための出入り口だったのかと思っていたら、反対側の物置のようなものに展示室の文字が。何これ?と近づくと自動ドアになっている扉が開いてビックリ。扉の向こうに谷内六郎の展示室がもうひとつあった。雨の日はどうするのかね。(どこの美術館でも作品保護のために傘は持って入れないようになっている)
扉が開いた時にはビックリしたが、
ワケのわからないインスタレーションよりはよっぽどおもしろい。
建物の横に裏山方向に伸びている小径があった。
少し登ると美術館の屋上に着き、その隣が芝生広場になっていた。
ガラスで覆われた屋根越しに眺める海。
展望室。
外を歩かずとも下からここまでエレベーターで上がってこられる。
美術館の裏山。
ローアングルで撮ったらおもしろい写真になったが、
海が写らない。
屋上の広場の横にさらに上に続く小径が。
気温はたぶん30度以上あって暑かったのだが、
ついフラフラと。
道は整備されているが木の生え方は密林ぽい。
5分ほど登ったところにあった煉瓦造りの建物。
周りは立ち入り禁止になっていて、目にできたのはここだけ。
この周りには砲台跡がたくさんあるので、司令所か弾薬庫だったのかな。
戦争映画で、こんな弾よけの道を見たことがある。
明治27年は1894年。2013年から引けば119年前。1894年は日清戦争が始まった年。その頃から東京湾防衛のために砲台や要塞が作られ始めたらしい。
砲台跡といっても何も残っていない。
砲台やツワモノどもが夢の跡(盗作)
どの砲台跡も同じようなつくり。
砲台の壁は人の背より高く海も見えない。
レンガの建物、砲台跡と同じ並びにあった三軒家園地。
家などなかったはずだが三軒家という地名。園地とは公園というような意味。
ベンチなどがある広場。
ここは見晴らしがよい。
三軒家園地の入り口から見た登ってきた道。
この道沿いに砲台跡がいくつかあって、一番奥にレンガの建物がある。
道はここで90度曲がって続いている。
探検の続きはまた次の機会に。
このあたり一帯はかなり広い公園になっている。
ついでにいうと、この公園の西隣が防衛大学。防衛大学は知っていても場所は知らない人のほうが多いと思う。
駐車場は地下にあってバイク専用の区画もある。
展覧会の入場料を払えば無料になる。駐車場には「入場料を払えば1時間無料」と張り紙がしてあるが、入場料を払う時に押されるスタンプは日付だけなので1日無料になるみたい。
海の眺めはいいし、絵を見たついでに散歩もできるし横須賀美術館はいいところである。へんぴな場所のイメージがあるが、京急の馬堀海岸駅からタクシーで10分くらいだからクルマやバイクがなくても大丈夫。
ーーー続く。
wassho at 23:52|Permalink│Comments(0)│
2013年03月25日
三浦海岸の河津桜 その3
河津桜ツーリングの最終章。
といっても、サクラの話は前回でおしまい。
ところで東京のソメイヨシノは史上2番目の早さでの開花だそうで、先週の木曜日くらいからほぼ満開になった。もっとも本日は最高気温10度ちょっとでコート着用。冷たい雨も降っている。
ソメイヨシノは全国的に一番多い品種だとと思う。特に東京の場合ちょっとしたサクラ並木なら、自宅の周りでも住宅地の中、商店街、緑道と呼ばれる遊歩道などそこらじゅうにあって数え切れないくらい。もちろん街角の公園でもサクラを植えてあるところは多い。だからだろうか、毎日どこかで見かけるから、あまりサクラの花見に出かけようというモチベーションが起こらないんだなあ。かつては1日に3件の花見をハシゴしたこともあったのに。
さて線路沿いの河津桜を満喫した後は、三浦半島を軽く走ってきた。三浦海岸駅からはバイクで1〜2分で三浦海岸の南端にでる。そこから海沿いをのんびりツーリング。久しぶりに潮の匂いを嗅ぐ。このあたりは海を見ながら少しだけクネクネ走れる場所もあって、わりと好きなエリア。葉山や逗子のいわゆる湘南の海岸沿いは、海はよく見えても道路的には単調でそれほど楽しくはない。

どこか適当なところで食事をしたかったが、適当なところが見つからずフラフラと三崎まで来てしまった。
三崎はマグロで有名。もっとも三崎の海でマグロが捕れるわけではなく、マグロ漁船の水揚げ港というだけなんだが。とうぜん三崎のマグロは遠洋漁業の冷凍物。冷静に考えれば三崎でマグロを食べる必然性はあまりない。もちろん三崎は普通の漁港としても機能しているから、マグロ以外に相模湾の近海物もある。
ところで三崎はなぜマグロの水揚げ港として栄えているのだろう。最大の消費地である東京までは微妙に遠いような気がする。ちなみに三崎は神奈川県三浦市三崎。でも三崎がマグロで有名で、三浦市がいまいちマイナーなものだから、三崎市と勘違いしている人が意外と多い。
クネクネと走っているうちに三崎の中心部分にでる。
左の大きな建物は「うらり」という、いわゆる海産物販売センター。このあたりは観光客向け価格の店が多いからスルーするつもりだったが、なんとなく立ち止まってしまった。
駐車場ではないが、バイクがたくさん駐まっていたのでBMW F800Rも便乗。
とりあえず「うらり」の中に入ってみる。
なかなか賑やかだった。
魚の切り身を買ったことがないので、安いのかどうかは見当がつかず。
ドッカーンとマグロの頭。
ちょっと写真がわかりづらいが、マグロの切り身のコーナー。
「うらり」を海側から見たところ。この写真はホームページから借用。
「うらり」の上階部分は市民ホールなどが入っている。
ここはゲストバースと呼ばれるレンタル船着き場。
1回2500円との看板があった。写真の船が二重パーキングしているのは1隻分の2500円で済まそうとしているからか?
こっちは、ちょっとよさげなクルーザー。
そういえばバブルの頃は、こういうクルーザーを借りてよく合コンをした(^^ゞ
アベノミクスで景気がよくなったら、またやりますか!
たぶんマグロ漁船だと思う。
埠頭の先のほうまで行ってみる。
釣り人は常にどこにでもいる。何度か引用したお気に入りの記事。
埠頭の先端にも大型の漁船が泊まっていた。
タラップのようなものがでていて乗り込めそうだったが、船員の人影が見えたのでやめてた。
ところで昔は借金を返せなくなった人を、貸し主がマグロ漁船に乗り込ませたなんて話を聞いた。つまり、それだけマグロ漁船の給料は破格だったということ。今はどうなんだろうか? それとも単なる都市伝説、いや漁港伝説だったのかな。
そろそろ三時近かったのに「うらり」の周りのマグロ料理のお店は行列ができているところが多かった。丼物なら、そんなに違いはなかろうと行列のない暇そうなお店に入る。
最初に出てきた突き出し。
右奥のピントの合っていないのはマグロの胃袋。その手前はマグロの塩から。左側のやたらピントがクッキリあっているのは、何と説明してくれたかよく覚えていないが、まあ角煮みたいなもの。写真の腕が悪くておいしそうに撮れていないが、写真程度の味だった。
中トロ丼2500円。
かなり柔らかいマグロで口の中でとろけそうな食感。こういうマグロはあまり食べた記憶がない。味はあっさりめだったが値段なりの満足感はあった。行列のある店が近くにあるのに行列のない店に入るのはちょっと躊躇したけれど、板さんも仲居さんもまともな店でよかった。観光地であまり警戒しすぎると何もできなくなってしまう。
ところで
3月15日に水戸の偕楽園へ行ったときの気温が13〜14度。けっこう寒くて高速を走っていると身体が冷えた。二日後のこの日3月17日は15〜16度。どちらもバイクの気温計での表示。たった1〜2度しか違わず、日差しは同じようなものだったのに、この違いがやたら大きくてこの日はとても暑く感じた。
革ジャンの下に着てきた薄いダウンは、三浦海岸駅についたときに脱いで河津桜見物をして、その後にバイクに乗るときも着用せず。それでも暑くて途中で革ジャンのジッパーを下げて走る。特にまだ冬用のグローブをしていたので、手だけコタツの中のようで困った。真冬の指先にその温かさが欲しい(^^ゞ
湘南のほうまで足を伸ばすと、帰りに渋滞しそうだったので三浦半島の内陸部を適当に走ってから高速に乗る。内陸部は視界の開けた丘陵にキャベツ畑が広がっている。普段はなかなか見られない風景なので楽しい。写真は撮らずでゴメン。
走行145キロ。明るいうちに帰ってこられた。
この後も春は花見物中心でツーリングする予定。
電車のほうが早くて楽という説もあるんだがーーー。
おしまい
といっても、サクラの話は前回でおしまい。
ところで東京のソメイヨシノは史上2番目の早さでの開花だそうで、先週の木曜日くらいからほぼ満開になった。もっとも本日は最高気温10度ちょっとでコート着用。冷たい雨も降っている。
ソメイヨシノは全国的に一番多い品種だとと思う。特に東京の場合ちょっとしたサクラ並木なら、自宅の周りでも住宅地の中、商店街、緑道と呼ばれる遊歩道などそこらじゅうにあって数え切れないくらい。もちろん街角の公園でもサクラを植えてあるところは多い。だからだろうか、毎日どこかで見かけるから、あまりサクラの花見に出かけようというモチベーションが起こらないんだなあ。かつては1日に3件の花見をハシゴしたこともあったのに。
さて線路沿いの河津桜を満喫した後は、三浦半島を軽く走ってきた。三浦海岸駅からはバイクで1〜2分で三浦海岸の南端にでる。そこから海沿いをのんびりツーリング。久しぶりに潮の匂いを嗅ぐ。このあたりは海を見ながら少しだけクネクネ走れる場所もあって、わりと好きなエリア。葉山や逗子のいわゆる湘南の海岸沿いは、海はよく見えても道路的には単調でそれほど楽しくはない。

どこか適当なところで食事をしたかったが、適当なところが見つからずフラフラと三崎まで来てしまった。
三崎はマグロで有名。もっとも三崎の海でマグロが捕れるわけではなく、マグロ漁船の水揚げ港というだけなんだが。とうぜん三崎のマグロは遠洋漁業の冷凍物。冷静に考えれば三崎でマグロを食べる必然性はあまりない。もちろん三崎は普通の漁港としても機能しているから、マグロ以外に相模湾の近海物もある。
ところで三崎はなぜマグロの水揚げ港として栄えているのだろう。最大の消費地である東京までは微妙に遠いような気がする。ちなみに三崎は神奈川県三浦市三崎。でも三崎がマグロで有名で、三浦市がいまいちマイナーなものだから、三崎市と勘違いしている人が意外と多い。
クネクネと走っているうちに三崎の中心部分にでる。
左の大きな建物は「うらり」という、いわゆる海産物販売センター。このあたりは観光客向け価格の店が多いからスルーするつもりだったが、なんとなく立ち止まってしまった。
駐車場ではないが、バイクがたくさん駐まっていたのでBMW F800Rも便乗。
とりあえず「うらり」の中に入ってみる。
なかなか賑やかだった。
魚の切り身を買ったことがないので、安いのかどうかは見当がつかず。
ドッカーンとマグロの頭。
ちょっと写真がわかりづらいが、マグロの切り身のコーナー。
「うらり」を海側から見たところ。この写真はホームページから借用。
「うらり」の上階部分は市民ホールなどが入っている。
ここはゲストバースと呼ばれるレンタル船着き場。
1回2500円との看板があった。写真の船が二重パーキングしているのは1隻分の2500円で済まそうとしているからか?
こっちは、ちょっとよさげなクルーザー。
そういえばバブルの頃は、こういうクルーザーを借りてよく合コンをした(^^ゞ
アベノミクスで景気がよくなったら、またやりますか!
たぶんマグロ漁船だと思う。
埠頭の先のほうまで行ってみる。
釣り人は常にどこにでもいる。何度か引用したお気に入りの記事。
埠頭の先端にも大型の漁船が泊まっていた。
タラップのようなものがでていて乗り込めそうだったが、船員の人影が見えたのでやめてた。
ところで昔は借金を返せなくなった人を、貸し主がマグロ漁船に乗り込ませたなんて話を聞いた。つまり、それだけマグロ漁船の給料は破格だったということ。今はどうなんだろうか? それとも単なる都市伝説、いや漁港伝説だったのかな。
そろそろ三時近かったのに「うらり」の周りのマグロ料理のお店は行列ができているところが多かった。丼物なら、そんなに違いはなかろうと行列のない暇そうなお店に入る。
最初に出てきた突き出し。
右奥のピントの合っていないのはマグロの胃袋。その手前はマグロの塩から。左側のやたらピントがクッキリあっているのは、何と説明してくれたかよく覚えていないが、まあ角煮みたいなもの。写真の腕が悪くておいしそうに撮れていないが、写真程度の味だった。
中トロ丼2500円。
かなり柔らかいマグロで口の中でとろけそうな食感。こういうマグロはあまり食べた記憶がない。味はあっさりめだったが値段なりの満足感はあった。行列のある店が近くにあるのに行列のない店に入るのはちょっと躊躇したけれど、板さんも仲居さんもまともな店でよかった。観光地であまり警戒しすぎると何もできなくなってしまう。
ところで
3月15日に水戸の偕楽園へ行ったときの気温が13〜14度。けっこう寒くて高速を走っていると身体が冷えた。二日後のこの日3月17日は15〜16度。どちらもバイクの気温計での表示。たった1〜2度しか違わず、日差しは同じようなものだったのに、この違いがやたら大きくてこの日はとても暑く感じた。
革ジャンの下に着てきた薄いダウンは、三浦海岸駅についたときに脱いで河津桜見物をして、その後にバイクに乗るときも着用せず。それでも暑くて途中で革ジャンのジッパーを下げて走る。特にまだ冬用のグローブをしていたので、手だけコタツの中のようで困った。真冬の指先にその温かさが欲しい(^^ゞ
湘南のほうまで足を伸ばすと、帰りに渋滞しそうだったので三浦半島の内陸部を適当に走ってから高速に乗る。内陸部は視界の開けた丘陵にキャベツ畑が広がっている。普段はなかなか見られない風景なので楽しい。写真は撮らずでゴメン。
走行145キロ。明るいうちに帰ってこられた。
この後も春は花見物中心でツーリングする予定。
電車のほうが早くて楽という説もあるんだがーーー。
おしまい
wassho at 22:49|Permalink│Comments(0)│
2013年03月23日
三浦海岸の河津桜 その2
先週の日曜日17日に見に行った三浦海岸の河津桜の続編。
京急の三浦海岸駅から少し三崎口駅の方に歩いたあたりに河津桜並木がある。地図でピンクのラインを引いたあたり。ラインを線路の北側に引いてしまったが、実際には南側に桜並木が続いている。

河津桜並木の全体風景。
海水浴客が来る海岸からは少し離れているし、河津桜のシーズン以外は地元の人しか通ることのない道路だと思われる。並木の長さは500〜600メーターくらいかな。長すぎず短すぎずといったところ。この写真だとすごく葉桜のように見えるが、サクラのすぐ横を歩いているから満開感は充分。
線路沿いなのでときどき電車が通る。
淡いピンクで可愛いサクラ。
ソメイヨシノは全体的に眺めているとキレイなんだが、近づくとほとんど白色なので何となく物足りない気がしている。
わりと葉桜の部分。
私は少し葉が出てきたくらいのサクラがわりと好き。
サクラは一直線に並んでいるのに、つまり日当たりの条件は変わらないのに、たくさん葉がでているサクラとそうでないサクラがあった。
サクラは線路沿いの歩道に植えられている。車道の反対側には歩道はなし。つまりサクラの真横を歩くわけで、サクラの木の全体を撮影したした写真はあまり撮れなかった。1番上の全体風景は無理やり車道に出て撮ったもの。
菜の花。
これって食べる菜の花と同じものなのかな?
サクラと菜の花のツーショットをたくさん撮りたかったのだが、先に書いたような理由で両方を収めるだけの引き(被写体までの距離)がとれず、構図的にワンパターンになってしまう。
ピンクと黄色のコントラストがキレイ。
しかし花が下を向いているのがなんともーーー。
歩道と反対側の風景。
三浦半島名物のキャベツ畑。
桜並木のすぐ近くにも駐車場はあった。値段とバイクが駐められるかは確認していない。でも三浦海岸駅のテント村を冷やかして、ここまでブラブラ歩いてきたほうが楽しいと思う。
ところどころの車道を横切る場所には誘導係のオッチャン。
ちょっとアップで。
というのはウソで適当に撮った写真のピントが合っているところを切り抜いてアップにしたもの。黙ってりゃわからないって(^^ゞ
撮りたいものにピントを合わせる。実際にはピントはそこから1ミリでも動いたらダメというわけではなく、被写体の前後にピントの合うゾーンができる。それで普通のデジカメ〜私の使っているミラーレス〜大型一眼レフと、だいたいカメラが大きくなるにつれてフィルムに相当するセンサーのサイズも大きくなって、センサーが大きいほどそのゾーン、つまりピントの合う範囲が狭くなる。
カメラ用語ではピントの合う範囲が狭いことを被写界深度が浅い、広いことを被写界深度が深いなどとヤヤコシイ言葉を使う。センサーの大きさと被写界深度の関係の理屈までは今のところ把握していない。
ミラーレスカメラはかなり大きなサイズのセンサーだから、普通のデジカメとかiPhoneなどと較べてかなり被写界深度が浅い。だからサクラのように小さな花がいっぱい咲いている場合は、どこかの花にピントを合わせれば、その前後の花にはピントが合わないことになる。
いわゆるピンぼけと違って、被写界深度外でピントが合っていないのは「ボケ」といって写真表現のテクニックのひとつ。でも一輪の花を撮って、その後ろの風景がボケていたらそれなりに様になるが、サクラのように密集して咲いている場合、ピントの合っている花、いわゆるピンぼけ状態の花、背景としてボケた花が入り交じるわけで、私のように深く考えないで撮ると、どこにピントがあっているのか、あっていないのかわからないボンヤリした写真になってしまう。
できるだけボケないように撮るやり方もあって一応その方法も知っている。でも、そんなことを考えながら写真を撮るほどのマニアでもない。というわけで、適当に撮って、キレイに撮れている部分を切り抜くというのがいちばん手っ取り早い。なあに黙ってりゃわからないって(^^ゞ
緩やかな上り坂の河津桜並木を登り切ると、線路の右側に小松ヶ池という池があり線路・道路を挟んで左側に公園がある。
河津桜の看板。
飲めや歌えやではなく静かにお花見を楽しむ場所。
公園の中を少し登っていくと京急の線路をまたぐ橋があった。
線路の周りにキャベツ畑が多いことがわかる。ところで、この位置から眺めるとほとんど散ってしまったような葉桜に見える。
このような場合、まず隣のサクラを脳裏に刻んで、線路沿いのサクラもこんな感じで上から眺めたら、さぞキレイだろうなあと想像して眺めるのが正しい。何事もイマジネーションが大切。
せっかくなので、しばらく待ってサクラと電車を撮影。
生まれて初めての「撮り鉄」体験!
道路を挟んで反対側にある池に降りる通路。
夜桜もキレイだろうな。
階段を降りて下から。
同じ場所なのに階段の上と下からではずいぶん印象が違う。このあたりが写真のおもしろいところでもあり怖いところでもある。こういう特性を生かして、報道写真などでは、情報としての写真ではなく、伝えたい意見の演出としての写真を撮る。だから「わっ!」というような内容の写真は、全体のごく一部の強調な場合が多い。あまり真に受けないようにしている。
水仙が咲いていた。
遠くから見るとネギやニラが植えられているみたいにも見える。
池に続く道。
桜並木から見えた池は別に普通の池だったし、通路が狭くて混雑していたので池まで行かずにここでUターン。
ーーー続く
京急の三浦海岸駅から少し三崎口駅の方に歩いたあたりに河津桜並木がある。地図でピンクのラインを引いたあたり。ラインを線路の北側に引いてしまったが、実際には南側に桜並木が続いている。

河津桜並木の全体風景。
海水浴客が来る海岸からは少し離れているし、河津桜のシーズン以外は地元の人しか通ることのない道路だと思われる。並木の長さは500〜600メーターくらいかな。長すぎず短すぎずといったところ。この写真だとすごく葉桜のように見えるが、サクラのすぐ横を歩いているから満開感は充分。
線路沿いなのでときどき電車が通る。
淡いピンクで可愛いサクラ。
ソメイヨシノは全体的に眺めているとキレイなんだが、近づくとほとんど白色なので何となく物足りない気がしている。
わりと葉桜の部分。
私は少し葉が出てきたくらいのサクラがわりと好き。
サクラは一直線に並んでいるのに、つまり日当たりの条件は変わらないのに、たくさん葉がでているサクラとそうでないサクラがあった。
サクラは線路沿いの歩道に植えられている。車道の反対側には歩道はなし。つまりサクラの真横を歩くわけで、サクラの木の全体を撮影したした写真はあまり撮れなかった。1番上の全体風景は無理やり車道に出て撮ったもの。
菜の花。
これって食べる菜の花と同じものなのかな?
サクラと菜の花のツーショットをたくさん撮りたかったのだが、先に書いたような理由で両方を収めるだけの引き(被写体までの距離)がとれず、構図的にワンパターンになってしまう。
ピンクと黄色のコントラストがキレイ。
しかし花が下を向いているのがなんともーーー。
歩道と反対側の風景。
三浦半島名物のキャベツ畑。
桜並木のすぐ近くにも駐車場はあった。値段とバイクが駐められるかは確認していない。でも三浦海岸駅のテント村を冷やかして、ここまでブラブラ歩いてきたほうが楽しいと思う。
ところどころの車道を横切る場所には誘導係のオッチャン。
ちょっとアップで。
というのはウソで適当に撮った写真のピントが合っているところを切り抜いてアップにしたもの。黙ってりゃわからないって(^^ゞ
撮りたいものにピントを合わせる。実際にはピントはそこから1ミリでも動いたらダメというわけではなく、被写体の前後にピントの合うゾーンができる。それで普通のデジカメ〜私の使っているミラーレス〜大型一眼レフと、だいたいカメラが大きくなるにつれてフィルムに相当するセンサーのサイズも大きくなって、センサーが大きいほどそのゾーン、つまりピントの合う範囲が狭くなる。
カメラ用語ではピントの合う範囲が狭いことを被写界深度が浅い、広いことを被写界深度が深いなどとヤヤコシイ言葉を使う。センサーの大きさと被写界深度の関係の理屈までは今のところ把握していない。
ミラーレスカメラはかなり大きなサイズのセンサーだから、普通のデジカメとかiPhoneなどと較べてかなり被写界深度が浅い。だからサクラのように小さな花がいっぱい咲いている場合は、どこかの花にピントを合わせれば、その前後の花にはピントが合わないことになる。
いわゆるピンぼけと違って、被写界深度外でピントが合っていないのは「ボケ」といって写真表現のテクニックのひとつ。でも一輪の花を撮って、その後ろの風景がボケていたらそれなりに様になるが、サクラのように密集して咲いている場合、ピントの合っている花、いわゆるピンぼけ状態の花、背景としてボケた花が入り交じるわけで、私のように深く考えないで撮ると、どこにピントがあっているのか、あっていないのかわからないボンヤリした写真になってしまう。
できるだけボケないように撮るやり方もあって一応その方法も知っている。でも、そんなことを考えながら写真を撮るほどのマニアでもない。というわけで、適当に撮って、キレイに撮れている部分を切り抜くというのがいちばん手っ取り早い。なあに黙ってりゃわからないって(^^ゞ
緩やかな上り坂の河津桜並木を登り切ると、線路の右側に小松ヶ池という池があり線路・道路を挟んで左側に公園がある。
河津桜の看板。
飲めや歌えやではなく静かにお花見を楽しむ場所。
公園の中を少し登っていくと京急の線路をまたぐ橋があった。
線路の周りにキャベツ畑が多いことがわかる。ところで、この位置から眺めるとほとんど散ってしまったような葉桜に見える。
このような場合、まず隣のサクラを脳裏に刻んで、線路沿いのサクラもこんな感じで上から眺めたら、さぞキレイだろうなあと想像して眺めるのが正しい。何事もイマジネーションが大切。
せっかくなので、しばらく待ってサクラと電車を撮影。
生まれて初めての「撮り鉄」体験!
道路を挟んで反対側にある池に降りる通路。
夜桜もキレイだろうな。
階段を降りて下から。
同じ場所なのに階段の上と下からではずいぶん印象が違う。このあたりが写真のおもしろいところでもあり怖いところでもある。こういう特性を生かして、報道写真などでは、情報としての写真ではなく、伝えたい意見の演出としての写真を撮る。だから「わっ!」というような内容の写真は、全体のごく一部の強調な場合が多い。あまり真に受けないようにしている。
水仙が咲いていた。
遠くから見るとネギやニラが植えられているみたいにも見える。
池に続く道。
桜並木から見えた池は別に普通の池だったし、通路が狭くて混雑していたので池まで行かずにここでUターン。
ーーー続く
wassho at 13:50|Permalink│Comments(0)│
2013年03月17日
三浦海岸の河津桜
私設三連休の最終日は河津桜を見に行ってきた。
偕楽園の梅の話をまだ書き終えていないし、そういえばエル・グレコ展も未完。でもイベント絡みのエントリー初回は原則的に、後々の参考になるよう出かけた日の日付で書くことにしている。というわけで梅は後回しで今回は桜の話。
東京でも土曜日にソメイヨシノの開花が発表されたが、河津桜は2月頃から開花する早咲きの桜。原産は南伊豆東海岸の河津町。色は濃いめのピンク。ピンクといえば八重桜だが、河津桜はモッコリの八重桜と違って、あっさりした花の形である。
都内でもあちこちに植えられているが、多くて20本程度。本場河津町の桜並木は8000本といわれている。一度は見に行きたいとバイクに乗り出す以前から思っていた。しかし寒い盛りなのでちょっと気乗りせずに。バイクならなおさら。それに河津桜は訪れた観光客でゲキ混みすることでも有名。
ところが新聞記事か何かで三浦海岸にも河津桜の並木があることを知った。その数1000本余りとかなりの規模。三浦海岸はバイクやクルマで何回も走っているのに、そんな場所あったっけと調べたら、少し内陸側に入った京急(京浜急行電鉄)の線路沿いにあるとのこと。
それで今年は2月が異常に寒かったので、まだ咲いているらしい。地元では2月9日から3月10日までの予定だった桜祭りも3月24日まで延長中。かなり葉桜になっているらしいが、こりゃ行くしかないでしょ。
地図の下側真ん中に突きだしているのが三浦半島。右側が東京湾で左側が相模湾、いわゆる湘南の海。桜並木は三浦海岸駅近くの線路沿いにある。偕楽園の時と同じくルートは自宅からは第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路(通称:横横)とほとんど高速道路ばかり。でも常磐自動車道と違って横浜新道や横横はそれなりにコーナーも多いから走っていて退屈しない。

三浦海岸駅には12時半頃到着。桜祭りの臨時駐車場があるはずなので、どこだろうと駅の周りを探していると、線路の高架下に(常設の)バイク駐車場を見つけたので、そこに駐めることにした。
こんな感じで10台くらい駐められる。
チェーンがあって、それをバイクに通して、チェーンの一方を鉄枠にある金具に差し込むとロックされる。
精算機で駐車場番号を入力し、お金を入れるとロックが解除される仕組み。
こういうバイク専用のコインパーキングは初めて利用した。
ところで、その駐車料金。
何と24時間で130円! 一生ここに駐めておきたい(^^ゞ
京急の三浦海岸駅。
三浦海岸沿いの134号線を走っていると三浦海岸駅コッチの標識がある。青春時代にユーミンを聴いた世代としては、その標識を見るたびに「なんてロマンチックな駅名」といつも思っていた。
でも、まあ、普通の駅ね。
ノボリと提灯が桜祭りをアピール。
別に改札口を撮ることもないのだが、
普通の駅だということのダメ押しで。
ところでよく考えるとロマンチックな駅名って、私はどんな駅を想像していたんだろう?
河津桜の下でくつろぐ皆さん。
海産物の出店。
こっちは桜祭り特設のテント村。
ひときわ行列の長い店。
三崎で有名な「くろば亭」だった。
マグロの串焼きみたいなものを売っていた。くろば亭には一度行ったことがある。その時は有名店とは知らずに、たまたま駐車場が空いていたから入った。
桜祭りの看板。
テント村でパンフレットをもらう。
ここから三崎口駅のほうに歩いて行く。
ちなみに京急は品川の隣の泉岳寺から、東京湾に沿うように川崎〜横浜〜三浦半島を結んでいる。三崎口はその終点である。別途に品川や蒲田から羽田空港に向かう路線もある。
線路沿いをテクテク歩いて行く。
こんな看板もあるが桜見物客が多いし、基本的に一本道なので迷うことはない。
桜並木はまだ先だが、ぽつんぽつんと河津桜が植えられている。
それなりの上り坂である。
よく見たら河津桜並木に向かうこの道は、ソメイヨシノ並木でもある。
このあたりに住んでいる人は2つの桜を楽しめていいね。
菜の花。
咲く時期が同じだからか、河津桜は菜の花とセットで植えるものらしい。伊豆の河津桜も桜並木の下は菜の花になっている写真をよく見る。
上の写真で人が道路を横断しているところから先が河津桜並木。
ーーー続く。
ただし梅の後に。
偕楽園の梅の話をまだ書き終えていないし、そういえばエル・グレコ展も未完。でもイベント絡みのエントリー初回は原則的に、後々の参考になるよう出かけた日の日付で書くことにしている。というわけで梅は後回しで今回は桜の話。
東京でも土曜日にソメイヨシノの開花が発表されたが、河津桜は2月頃から開花する早咲きの桜。原産は南伊豆東海岸の河津町。色は濃いめのピンク。ピンクといえば八重桜だが、河津桜はモッコリの八重桜と違って、あっさりした花の形である。
都内でもあちこちに植えられているが、多くて20本程度。本場河津町の桜並木は8000本といわれている。一度は見に行きたいとバイクに乗り出す以前から思っていた。しかし寒い盛りなのでちょっと気乗りせずに。バイクならなおさら。それに河津桜は訪れた観光客でゲキ混みすることでも有名。
ところが新聞記事か何かで三浦海岸にも河津桜の並木があることを知った。その数1000本余りとかなりの規模。三浦海岸はバイクやクルマで何回も走っているのに、そんな場所あったっけと調べたら、少し内陸側に入った京急(京浜急行電鉄)の線路沿いにあるとのこと。
それで今年は2月が異常に寒かったので、まだ咲いているらしい。地元では2月9日から3月10日までの予定だった桜祭りも3月24日まで延長中。かなり葉桜になっているらしいが、こりゃ行くしかないでしょ。
地図の下側真ん中に突きだしているのが三浦半島。右側が東京湾で左側が相模湾、いわゆる湘南の海。桜並木は三浦海岸駅近くの線路沿いにある。偕楽園の時と同じくルートは自宅からは第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路(通称:横横)とほとんど高速道路ばかり。でも常磐自動車道と違って横浜新道や横横はそれなりにコーナーも多いから走っていて退屈しない。

三浦海岸駅には12時半頃到着。桜祭りの臨時駐車場があるはずなので、どこだろうと駅の周りを探していると、線路の高架下に(常設の)バイク駐車場を見つけたので、そこに駐めることにした。
こんな感じで10台くらい駐められる。
チェーンがあって、それをバイクに通して、チェーンの一方を鉄枠にある金具に差し込むとロックされる。
精算機で駐車場番号を入力し、お金を入れるとロックが解除される仕組み。
こういうバイク専用のコインパーキングは初めて利用した。
ところで、その駐車料金。
何と24時間で130円! 一生ここに駐めておきたい(^^ゞ
京急の三浦海岸駅。
三浦海岸沿いの134号線を走っていると三浦海岸駅コッチの標識がある。青春時代にユーミンを聴いた世代としては、その標識を見るたびに「なんてロマンチックな駅名」といつも思っていた。
でも、まあ、普通の駅ね。
ノボリと提灯が桜祭りをアピール。
別に改札口を撮ることもないのだが、
普通の駅だということのダメ押しで。
ところでよく考えるとロマンチックな駅名って、私はどんな駅を想像していたんだろう?
河津桜の下でくつろぐ皆さん。
海産物の出店。
こっちは桜祭り特設のテント村。
ひときわ行列の長い店。
三崎で有名な「くろば亭」だった。
マグロの串焼きみたいなものを売っていた。くろば亭には一度行ったことがある。その時は有名店とは知らずに、たまたま駐車場が空いていたから入った。
桜祭りの看板。
テント村でパンフレットをもらう。
ここから三崎口駅のほうに歩いて行く。
ちなみに京急は品川の隣の泉岳寺から、東京湾に沿うように川崎〜横浜〜三浦半島を結んでいる。三崎口はその終点である。別途に品川や蒲田から羽田空港に向かう路線もある。
線路沿いをテクテク歩いて行く。
こんな看板もあるが桜見物客が多いし、基本的に一本道なので迷うことはない。
桜並木はまだ先だが、ぽつんぽつんと河津桜が植えられている。
それなりの上り坂である。
よく見たら河津桜並木に向かうこの道は、ソメイヨシノ並木でもある。
このあたりに住んでいる人は2つの桜を楽しめていいね。
菜の花。
咲く時期が同じだからか、河津桜は菜の花とセットで植えるものらしい。伊豆の河津桜も桜並木の下は菜の花になっている写真をよく見る。
上の写真で人が道路を横断しているところから先が河津桜並木。
ーーー続く。
ただし梅の後に。
wassho at 23:43|Permalink│Comments(0)│
2012年09月29日
馬堀海岸〜観音崎〜佐島
始まりはそれほど暑くなく、お盆過ぎから猛暑っぽくなり、その残暑がずっと続いていた東京の夏。でも十日ほど前から突然秋になって涼しい日々。しかし予報によると、この29日だけ暑さが盛り返して最高32度の予想。
今年の夏は暑さ対策で海ツーリングを封印してきた。でも標高の高い場所は遠いし、やっぱり夏=海だし、せっかく夏が1日だけ戻ってきたのだから海でも眺めに行こうかと。真夏と違って湿度は高くなく、夕方になれば気温も早く下がるはず。というわけで三浦半島から湘南方面をグルッと回ってきた。
ルート案内するほどの場所でもないので、地図はバイクを停めた地点のみ。まずは第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と高速を乗り継いで終点の馬堀海岸まで。

馬堀(まほり)海岸は2キロくらいの長さだと思うが、その前後の横須賀や観音崎と違って思いっきり南国風である。横須賀方面から走ってくると突然、宮崎にでもワープしたような錯覚に陥る。だだし道路を走っていて海は見えない。駐車場もないので、今まで海沿いのの壁の向こう側は見たことがなかった。
ここは駐車場がない。
バイクを適当なスペースに駐めて馬堀海岸探検。
南国風に感じるのはフェニックスがあるから。真冬の関東地方でも育つのだからかなり寒さに強いともいえるが、やはりこれがあると南国ムード漂うね。
壁を渡ると遊歩道があって、さらに一段低いところにも遊歩道があった。ナンのため? そして真ん中にある大きな石の下は海水が流れている。堤防になっているのは高い位置の遊歩道部分だけのようである。何か目的があるのだろうけれど、よく理解できない構造。
堤防への疑問(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ボケーッと海を眺める。
横須賀方向。
馬堀海岸は北向きなので、正面は千葉ではなく横浜か川崎だと思う。
観音崎方向。
3.11以降、この注意書きには敏感である(>_<)
これはふざけたり酔っぱらって落ちた人用かな?
釣りは禁止らしいが、
潜って捕ってはダメとは書いていなかった。何が捕れるのか興味があったが、泳いで向こうの方にいってしまったので成果は確認できず。
馬堀海岸から観音崎へは2キロほど。
バイクでここに来たのは今日で5回目くらいか。高速が渋滞していなければ自宅から1時間で来られる。自然の海岸線を眺められる一番近い場所だから気に入っている。
おなじみの海岸。山の上の白い塔は灯台ではなく、東京湾海上交通センターのレーダー。ここから東京湾を航行する船舶を管制している。
おなじみの謎の構造物。
どこでも必ずいるおなじみの釣り人。
いつも思うのだが、観音崎や三浦海岸当たりは潮の香りが強い。海岸によって強さが違う理由は何かあるのだろうか?
こっちが観音崎灯台。
公園の遊歩道を歩いていたら、思った以上に暑かったので登らなかった。
大きな船をNEX-5Nのデジタルズームで拡大して。空荷なのか、押したら倒れそうなくらい船が浮かび上がっている。ちなみに灯台もデジタルズーム。3倍程度までだったら、まあまあキレイに撮れる。
地面すれすれのローアングルで。調子に乗って波打ち際ギリギリまで近づいたら、カメラに波飛沫(しぶき)が掛かってしまった。
以前も通った洞窟トンネル。
このトンネルを抜けると公園の外に出る。
展望園地に行ってみることにする。
観音崎公園は70ヘクタール以上ある広大な敷地。今までは観音崎園地と呼ばれるエリアの海沿いしか歩いたことがない。
こんな坂を下っていく。
左手に大砲のようなものが見えた。
そんなに広いスペースじゃない。
観音崎園地から300メートルほど離れただけだから、見える海の景色も同じ。
先ほどの大砲。
黒船来港当時ではなく、明治時代の東京湾防衛用?で観音崎にはいくつもの砲台があったらしい。
28サンチ? センチなのかインチなのかどっち?
正解はセンチ。センチのフランス語読みがサンチらしい。
砲身のところにスリットが入っているので冷却用の二重構造の砲身かーーーと勝手に想像する。しかし、よく見るとこの大砲はオール木製! スリットではなく細長い板で丸い砲身を作るためだったのね(^^ゞ 地元のボランティアが製作したと解説版にあった。
暑かったので屋根付きのベンチで休憩。
代わり映えしないが海の写真。
展望園地からは海沿いの遊歩道ではなく、
公園の中を走っている車道を歩いて帰ってきた。
途中のトンネル。
心霊写真でも撮れるかと思ってシャッターを押してみたら、やたら明るく写ってしまった。実際のトンネルの中はもっと薄暗い。NEX-5Nはカメラマニアから高感度番長と呼ばれている。たぶんフラッシュを使わなくても暗い場所で撮れるという意味。フラッシュを使うのは好きじゃないから、それは私にとって好都合。でも暗いところは暗い感じで、つまり見た目どおりに写って欲しい。逆に明るい場所で暗く写ることがよくあるのも困りもの。
とりあえず本日の教訓:NEX-5Nは心霊スポット探検には向かない(^^ゞ
このかわいらしい灯台は
ガードレール代わり。なかなか洒落てる。
せっかくなので三浦半島を横切って湘南の海も見て帰ることにする。
何となくやってきたのが佐島という場所。
ここには佐島マリーナがある。逗子や葉山のマリーナに較べれば全国的な知名度は今ひとつな存在。湘南海岸を走るのは国道134号線だが、佐島のあたりでは少し山側に位置しており国道から佐島は見えない。
佐島マリーナの隣にはオモチャ・コレクターの北原照久氏の自宅がある。旧皇族の別邸で、家の中にボートを引き込める施設のある、たぶん日本で唯一の存在。彼が手放すときは私が買おうと思っている(^^ゞ
どんな家かは「北原 自宅」とかで検索すればいっぱい紹介されている。とりあえず概略はここで。佐島マリーナに行くにはその家の前を通る。当日はガーデンパーティーみたいなことをやっていた。門は開きっぱなしだったので、バイクに乗る格好じゃなければ潜り込めたかも。
写真を整理していて初めて気付いた。
ここから先は立ち入り禁止だったらしい(^^ゞ
佐島マリーナ。
ヨット。
クルーザー。
エアコンの室外機がついていた。そういえば長らく松方弘樹がマグロを釣っている番組を見ていない。以前はよく放送していて、けっこう好きだったのに。
マリーナの隣は漁港。
漁船はそれほど大きくないのに、漁港においてある網は巨大だった。絡まったら大変だろうなといらぬ心配をする。
やっぱり、どこにでも釣り人はいる。
佐島では漁港の堤防に遮られて海がよく見えなかったので、そのまま湘南海岸を江ノ島方向に走る。
写真は由比ヶ浜(ゆいがはま)。浜の奥の方は材木座海岸。遠くに見えるマンション群は逗子マリーナ。西武が開発したが、今はブライダル産業のリビエラグループの所有でリビエラ・逗子マリーナと呼ばれる。
台風17号接近で波が入っていると期待していたが、まだ遠すぎたみたい。
江ノ島を眺めて、その後は辻堂あたりで湘南海岸を離れて東京に戻ってきた。走行距離不明。ガレージでメーターを見てくるのを忘れた。まあ徘徊だから(^^ゞ 台風が過ぎ去ったら一気に気温が下がるのかな。というわけでもうすぐ10月だけれどサヨナラ2012年の夏なツーリングでした。
今年の夏は暑さ対策で海ツーリングを封印してきた。でも標高の高い場所は遠いし、やっぱり夏=海だし、せっかく夏が1日だけ戻ってきたのだから海でも眺めに行こうかと。真夏と違って湿度は高くなく、夕方になれば気温も早く下がるはず。というわけで三浦半島から湘南方面をグルッと回ってきた。
ルート案内するほどの場所でもないので、地図はバイクを停めた地点のみ。まずは第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と高速を乗り継いで終点の馬堀海岸まで。

馬堀(まほり)海岸は2キロくらいの長さだと思うが、その前後の横須賀や観音崎と違って思いっきり南国風である。横須賀方面から走ってくると突然、宮崎にでもワープしたような錯覚に陥る。だだし道路を走っていて海は見えない。駐車場もないので、今まで海沿いのの壁の向こう側は見たことがなかった。
ここは駐車場がない。
バイクを適当なスペースに駐めて馬堀海岸探検。
南国風に感じるのはフェニックスがあるから。真冬の関東地方でも育つのだからかなり寒さに強いともいえるが、やはりこれがあると南国ムード漂うね。
壁を渡ると遊歩道があって、さらに一段低いところにも遊歩道があった。ナンのため? そして真ん中にある大きな石の下は海水が流れている。堤防になっているのは高い位置の遊歩道部分だけのようである。何か目的があるのだろうけれど、よく理解できない構造。
堤防への疑問(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ボケーッと海を眺める。
横須賀方向。
馬堀海岸は北向きなので、正面は千葉ではなく横浜か川崎だと思う。
観音崎方向。
3.11以降、この注意書きには敏感である(>_<)
これはふざけたり酔っぱらって落ちた人用かな?
釣りは禁止らしいが、
潜って捕ってはダメとは書いていなかった。何が捕れるのか興味があったが、泳いで向こうの方にいってしまったので成果は確認できず。
馬堀海岸から観音崎へは2キロほど。
バイクでここに来たのは今日で5回目くらいか。高速が渋滞していなければ自宅から1時間で来られる。自然の海岸線を眺められる一番近い場所だから気に入っている。
おなじみの海岸。山の上の白い塔は灯台ではなく、東京湾海上交通センターのレーダー。ここから東京湾を航行する船舶を管制している。
おなじみの謎の構造物。
どこでも必ずいるおなじみの釣り人。
いつも思うのだが、観音崎や三浦海岸当たりは潮の香りが強い。海岸によって強さが違う理由は何かあるのだろうか?
こっちが観音崎灯台。
公園の遊歩道を歩いていたら、思った以上に暑かったので登らなかった。
大きな船をNEX-5Nのデジタルズームで拡大して。空荷なのか、押したら倒れそうなくらい船が浮かび上がっている。ちなみに灯台もデジタルズーム。3倍程度までだったら、まあまあキレイに撮れる。
地面すれすれのローアングルで。調子に乗って波打ち際ギリギリまで近づいたら、カメラに波飛沫(しぶき)が掛かってしまった。
以前も通った洞窟トンネル。
このトンネルを抜けると公園の外に出る。
展望園地に行ってみることにする。
観音崎公園は70ヘクタール以上ある広大な敷地。今までは観音崎園地と呼ばれるエリアの海沿いしか歩いたことがない。
こんな坂を下っていく。
左手に大砲のようなものが見えた。
そんなに広いスペースじゃない。
観音崎園地から300メートルほど離れただけだから、見える海の景色も同じ。
先ほどの大砲。
黒船来港当時ではなく、明治時代の東京湾防衛用?で観音崎にはいくつもの砲台があったらしい。
28サンチ? センチなのかインチなのかどっち?
正解はセンチ。センチのフランス語読みがサンチらしい。
砲身のところにスリットが入っているので冷却用の二重構造の砲身かーーーと勝手に想像する。しかし、よく見るとこの大砲はオール木製! スリットではなく細長い板で丸い砲身を作るためだったのね(^^ゞ 地元のボランティアが製作したと解説版にあった。
暑かったので屋根付きのベンチで休憩。
代わり映えしないが海の写真。
展望園地からは海沿いの遊歩道ではなく、
公園の中を走っている車道を歩いて帰ってきた。
途中のトンネル。
心霊写真でも撮れるかと思ってシャッターを押してみたら、やたら明るく写ってしまった。実際のトンネルの中はもっと薄暗い。NEX-5Nはカメラマニアから高感度番長と呼ばれている。たぶんフラッシュを使わなくても暗い場所で撮れるという意味。フラッシュを使うのは好きじゃないから、それは私にとって好都合。でも暗いところは暗い感じで、つまり見た目どおりに写って欲しい。逆に明るい場所で暗く写ることがよくあるのも困りもの。
とりあえず本日の教訓:NEX-5Nは心霊スポット探検には向かない(^^ゞ
このかわいらしい灯台は
ガードレール代わり。なかなか洒落てる。
せっかくなので三浦半島を横切って湘南の海も見て帰ることにする。
何となくやってきたのが佐島という場所。
ここには佐島マリーナがある。逗子や葉山のマリーナに較べれば全国的な知名度は今ひとつな存在。湘南海岸を走るのは国道134号線だが、佐島のあたりでは少し山側に位置しており国道から佐島は見えない。
佐島マリーナの隣にはオモチャ・コレクターの北原照久氏の自宅がある。旧皇族の別邸で、家の中にボートを引き込める施設のある、たぶん日本で唯一の存在。彼が手放すときは私が買おうと思っている(^^ゞ
どんな家かは「北原 自宅」とかで検索すればいっぱい紹介されている。とりあえず概略はここで。佐島マリーナに行くにはその家の前を通る。当日はガーデンパーティーみたいなことをやっていた。門は開きっぱなしだったので、バイクに乗る格好じゃなければ潜り込めたかも。
写真を整理していて初めて気付いた。
ここから先は立ち入り禁止だったらしい(^^ゞ
佐島マリーナ。
ヨット。
クルーザー。
エアコンの室外機がついていた。そういえば長らく松方弘樹がマグロを釣っている番組を見ていない。以前はよく放送していて、けっこう好きだったのに。
マリーナの隣は漁港。
漁船はそれほど大きくないのに、漁港においてある網は巨大だった。絡まったら大変だろうなといらぬ心配をする。
やっぱり、どこにでも釣り人はいる。
佐島では漁港の堤防に遮られて海がよく見えなかったので、そのまま湘南海岸を江ノ島方向に走る。
写真は由比ヶ浜(ゆいがはま)。浜の奥の方は材木座海岸。遠くに見えるマンション群は逗子マリーナ。西武が開発したが、今はブライダル産業のリビエラグループの所有でリビエラ・逗子マリーナと呼ばれる。
台風17号接近で波が入っていると期待していたが、まだ遠すぎたみたい。
江ノ島を眺めて、その後は辻堂あたりで湘南海岸を離れて東京に戻ってきた。走行距離不明。ガレージでメーターを見てくるのを忘れた。まあ徘徊だから(^^ゞ 台風が過ぎ去ったら一気に気温が下がるのかな。というわけでもうすぐ10月だけれどサヨナラ2012年の夏なツーリングでした。
wassho at 17:04|Permalink│Comments(0)│
2012年05月02日
三浦半島:荒崎公園と黒崎の鼻 2
1つ前のブログに「横浜新道から横横への分岐は私にとって鬼門で、クルマでも今までにたぶん10回以上ミスっている」と書いたことについて、知り合いたちからアホちゃうかとか、やっぱりボケ始めたかーーーなどというメールをもらった。あの文章を読めばそういう印象を受けるかも知れないが、言い訳すると10回以上ミスったのは「この25年の間に」である。つまり、普段はあまり通らないから。もちろん、それでも学習能力がないことに変わらないが。でもブログに書いたので、つまり文章にして脳にしっかりと認識させたので、これからはミスらないような気がする。
さて荒崎公園で地質学的な景勝?を堪能した後、黒崎の鼻に向かう。黒崎の鼻というのは鼻となぜ呼ばれるようになったのかはわからないが、三浦半島にはいくらでもある小さな岬のひとつである。ただ、ちょっと辺鄙(へんぴ)なところにあるせいか、人の手が一切入っていない自然のままの姿が残されているのが特徴。
それは当然首都圏において希少なエリアとなるわけで、その自然風景を求めてドラマやコマーシャルの撮影がよくおこなわれる。大河ドラマの龍馬伝もここで撮影したシーンが多いらしい。ドラマを見ていないから「ここ知ってる〜」という発見は私にはなかったけれど。
荒崎公園と黒崎の鼻周辺をグーグルマップで拡大してみた。

黒崎の鼻は、荒崎公園から直線距離で1.5キロ程南東に位置する。それで地図をクリックして拡大して欲しい。K地点の黒崎の鼻の手前で道路がなくなっていることに気づくはず。細い線で表示されている道路も、これは高倍率で拡大できるグーグルマップだからこそ描かれているもので、普通の紙の地図なら何も載っていないエリアだと思う。
さてグーグルマップの細い線は畑の中にある農道である。三浦半島というと海のイメージが強いが、ちょっと内陸に入るとキャベツ畑が一面に広がっている。大根も名産だから秋冬には大根畑になるのかも知れない。
もう一度グーグルマップを拡大して欲しい。地図の右下の三崎口駅の北西側に農業技術センターがあって、そのあたりから西やや北側に併行して2本の直線道路が延びているのがわかる。上の写真はそのうちの1本の終わりのほうだが、実はこの道路は戦時中の滑走路。長井飛行場とか横須賀第2飛行場とか呼ばれていた。メインの滑走路は地図でソレイユの丘と書かれている公園のあたりにあって、ここは予備の滑走路だったみたい。
特攻隊の基地の予定だったが、完成が終戦間際でほとんど使われなかったらしい。まあキャベツを見ながら戦争に思いをはせるのは難しいが。ちなみに横須賀第1飛行場は野島公園から見えた、今は日産のテストコースになっている場所にあった。
元滑走路、今は農道の終点がここ。
柵やチェーンがあるが、微妙に人が通れる程度に開いている。
ここが黒崎の鼻の入り口だということは、もちろん出発前にネットで調べてわかっていた。もしネット、特に親切に解説してくれているブログがなければ、たぶん入り口がどこかわからず引き返してきたように思う。便利な世の中になった。私のブログのバイク日記も誰かの役に立っているかな?
ここから先はバイクでは入れないから滑走路の隅っこにバイクを停めていく。路肩は畑でスタンドがめり込みそうなので逆向き駐車。
革ジャンを着て歩くには暑かったので、
こんな鍵つきロープを袖に通してバイクに留めておく。
こんな場所で盗難に遭うとは思っていないが、
バイクを畑にポツンと置き去りにするのもヘンな気分である。
柵を越えたら、こんな道を歩いて行く。
すぐに海が見えてきて、あっけなかった。
ここから左に行けば海岸に降りる。写真の右下に見えているケモノミチを進むと、写真の中央にある馬の背のようなところに登ることになる。
せっかくなので馬の背登山にチャレンジ。
ほとんど足の踏み場くらいの幅しかない。
ドンドン狭くなってくる(>_<)
夏にもっと草が伸びたら歩けない気がする。
結局、馬の背の頂上部分は左右の草で何も見えず登った意味がなかった。
ここは馬の背をほとんど降りてきたところ。
さらに前方へ。
ここだけ写真で切り取ると草原のよう。
今まで歩いてきた方向を振り返って撮影。
草がなく影になっているところが道あるいはケモノミチ。
馬の背部分が「鼻」の由来なのかなあ?私にはそんな風に見えない。
同じ位置から海岸部分。
確かにここは手つかずの自然。でも狭いエリアだし、この岬は手つかずでも隣の浜や岬の建物は目に入るわけで(写真を拡大すればわかる)、「大自然」にひたれるような場所ではない。期待していただけにちょっとガッカリ。毎度ネーミングのことを書くが、誰が考えたか黒崎の鼻というインパクトのある名前が効いていると思う。私もそれに引っかかった1人かも。
参考までにグーグルで検索すると今現在のヒット数は黒崎の鼻で36万1000件。1.5キロしか離れていない荒崎公園は7万8200件。黒崎に「鼻」がついていなければどうなっていたかを考えると論理力が鍛えられるかもよ。ちなみに湘南でもメジャーな由比ヶ浜(ゆいがはま)は89万6000件、湘南だと5880万件。ついでに三浦半島は298万件で湘南に較べればぐっとマイナーな存在。
しかし、そんな理屈っぽいことを忘れてのんびりするにはいいところ。
ゴールデンウイークなのにここを訪れているのは私以外に家族連れが4組と、岩場の先のほうに釣り人が7〜8名のみ。私は釣りをしないが、あちこちの海岸をバイクでツーリングしてわかったのは釣り人はどこにでも必ずいるということ。この記事のように。
ところでのんびりするにはいいところといっても、ここは手つかずの自然の場所。トイレやベンチもちろん自販機もない。だから長居するつもりで来るならその心構えで。平日なら誰もいないこともあるだろうし、ここで波の音でも聴きながら読書なんて最高だが、平らな場所もないからアウトドア用の椅子でも持ってこないと苦労するよ。
この岩のところだけにあった色鮮やかな海草。
潮だまり。
カニとかはいなかった。
ビーチは極小。
でもこうやって撮影すると広いイメージに。
観光地の写真なんて信じちゃダメだよ。
荒崎公園で見た岩礁は白と黒のツートンだったが、ここのは黒っぽい。だから黒崎という地名なんだろう。たった1.5キロしか離れていないのにずいぶんと違うもんだと妙な疑問が頭に浮かぶ。
海岸から戻る道には階段のような窪みが掘ってあった。
あれっ、手つかずの自然は?
キャベツにさよならをして帰路につく。
走行150キロ。多少の渋滞があったのは仕方ないとして、ゴールデンウイークでも人のあまりいないところに行くという目的が達せられて満足。
おしまい
さて荒崎公園で地質学的な景勝?を堪能した後、黒崎の鼻に向かう。黒崎の鼻というのは鼻となぜ呼ばれるようになったのかはわからないが、三浦半島にはいくらでもある小さな岬のひとつである。ただ、ちょっと辺鄙(へんぴ)なところにあるせいか、人の手が一切入っていない自然のままの姿が残されているのが特徴。
それは当然首都圏において希少なエリアとなるわけで、その自然風景を求めてドラマやコマーシャルの撮影がよくおこなわれる。大河ドラマの龍馬伝もここで撮影したシーンが多いらしい。ドラマを見ていないから「ここ知ってる〜」という発見は私にはなかったけれど。
荒崎公園と黒崎の鼻周辺をグーグルマップで拡大してみた。

黒崎の鼻は、荒崎公園から直線距離で1.5キロ程南東に位置する。それで地図をクリックして拡大して欲しい。K地点の黒崎の鼻の手前で道路がなくなっていることに気づくはず。細い線で表示されている道路も、これは高倍率で拡大できるグーグルマップだからこそ描かれているもので、普通の紙の地図なら何も載っていないエリアだと思う。
さてグーグルマップの細い線は畑の中にある農道である。三浦半島というと海のイメージが強いが、ちょっと内陸に入るとキャベツ畑が一面に広がっている。大根も名産だから秋冬には大根畑になるのかも知れない。
もう一度グーグルマップを拡大して欲しい。地図の右下の三崎口駅の北西側に農業技術センターがあって、そのあたりから西やや北側に併行して2本の直線道路が延びているのがわかる。上の写真はそのうちの1本の終わりのほうだが、実はこの道路は戦時中の滑走路。長井飛行場とか横須賀第2飛行場とか呼ばれていた。メインの滑走路は地図でソレイユの丘と書かれている公園のあたりにあって、ここは予備の滑走路だったみたい。
特攻隊の基地の予定だったが、完成が終戦間際でほとんど使われなかったらしい。まあキャベツを見ながら戦争に思いをはせるのは難しいが。ちなみに横須賀第1飛行場は野島公園から見えた、今は日産のテストコースになっている場所にあった。
元滑走路、今は農道の終点がここ。
柵やチェーンがあるが、微妙に人が通れる程度に開いている。
ここが黒崎の鼻の入り口だということは、もちろん出発前にネットで調べてわかっていた。もしネット、特に親切に解説してくれているブログがなければ、たぶん入り口がどこかわからず引き返してきたように思う。便利な世の中になった。私のブログのバイク日記も誰かの役に立っているかな?
ここから先はバイクでは入れないから滑走路の隅っこにバイクを停めていく。路肩は畑でスタンドがめり込みそうなので逆向き駐車。
革ジャンを着て歩くには暑かったので、
こんな鍵つきロープを袖に通してバイクに留めておく。
こんな場所で盗難に遭うとは思っていないが、
バイクを畑にポツンと置き去りにするのもヘンな気分である。
柵を越えたら、こんな道を歩いて行く。
すぐに海が見えてきて、あっけなかった。
ここから左に行けば海岸に降りる。写真の右下に見えているケモノミチを進むと、写真の中央にある馬の背のようなところに登ることになる。
せっかくなので馬の背登山にチャレンジ。
ほとんど足の踏み場くらいの幅しかない。
ドンドン狭くなってくる(>_<)
夏にもっと草が伸びたら歩けない気がする。
結局、馬の背の頂上部分は左右の草で何も見えず登った意味がなかった。
ここは馬の背をほとんど降りてきたところ。
さらに前方へ。
ここだけ写真で切り取ると草原のよう。
今まで歩いてきた方向を振り返って撮影。
草がなく影になっているところが道あるいはケモノミチ。
馬の背部分が「鼻」の由来なのかなあ?私にはそんな風に見えない。
同じ位置から海岸部分。
確かにここは手つかずの自然。でも狭いエリアだし、この岬は手つかずでも隣の浜や岬の建物は目に入るわけで(写真を拡大すればわかる)、「大自然」にひたれるような場所ではない。期待していただけにちょっとガッカリ。毎度ネーミングのことを書くが、誰が考えたか黒崎の鼻というインパクトのある名前が効いていると思う。私もそれに引っかかった1人かも。
参考までにグーグルで検索すると今現在のヒット数は黒崎の鼻で36万1000件。1.5キロしか離れていない荒崎公園は7万8200件。黒崎に「鼻」がついていなければどうなっていたかを考えると論理力が鍛えられるかもよ。ちなみに湘南でもメジャーな由比ヶ浜(ゆいがはま)は89万6000件、湘南だと5880万件。ついでに三浦半島は298万件で湘南に較べればぐっとマイナーな存在。
しかし、そんな理屈っぽいことを忘れてのんびりするにはいいところ。
ゴールデンウイークなのにここを訪れているのは私以外に家族連れが4組と、岩場の先のほうに釣り人が7〜8名のみ。私は釣りをしないが、あちこちの海岸をバイクでツーリングしてわかったのは釣り人はどこにでも必ずいるということ。この記事のように。
ところでのんびりするにはいいところといっても、ここは手つかずの自然の場所。トイレやベンチもちろん自販機もない。だから長居するつもりで来るならその心構えで。平日なら誰もいないこともあるだろうし、ここで波の音でも聴きながら読書なんて最高だが、平らな場所もないからアウトドア用の椅子でも持ってこないと苦労するよ。
この岩のところだけにあった色鮮やかな海草。
潮だまり。
カニとかはいなかった。
ビーチは極小。
でもこうやって撮影すると広いイメージに。
観光地の写真なんて信じちゃダメだよ。
荒崎公園で見た岩礁は白と黒のツートンだったが、ここのは黒っぽい。だから黒崎という地名なんだろう。たった1.5キロしか離れていないのにずいぶんと違うもんだと妙な疑問が頭に浮かぶ。
海岸から戻る道には階段のような窪みが掘ってあった。
あれっ、手つかずの自然は?
キャベツにさよならをして帰路につく。
走行150キロ。多少の渋滞があったのは仕方ないとして、ゴールデンウイークでも人のあまりいないところに行くという目的が達せられて満足。
おしまい
wassho at 08:57|Permalink│Comments(0)│
2012年04月30日
三浦半島:荒崎公園と黒崎の鼻
このゴールデンウイークはバイクではなく自分の足で走ると決めていた。
きっかけは4月21日に登った鋸山(のこぎりやま)。あんなにバテるとは思わなかった。体力・持久力には自身があったのに(涙)。
もっとも、その体力・持久力の源で一時は毎週末に10キロは走っていたジョギングも、この数年はさっぱり。去年は1メーターも走っていない。一昨年のことはあまり記憶にない。その数年前も走ったのはせいぜい年に5日だ。それじゃ走ったうちに入らない。要は5〜6年前からほとんど走っていない。
これには理由(言い訳?)があって、ちょうどその頃に引っ越したから。前の自宅はジョギングコースのある大きな公園まで歩いて10分ほど。引っ越すときに、その公園まで徒歩で行ける、少なくとも自転車で通えることを条件として物件を探したが、残念ながら後者の条件になってしまった。
それで自転車で行くのって結構面倒なのである。正確に言うと自転車は玄関に置いてあって、それを出してエレベーターに乗るのが面倒というかーーーくじけやすい性格。それとジョギングなんてどこでも走れそうなものだが、私はほとんどジョギングコースしか走ったことがないから一般道が苦手。赤信号で走り続ける意欲が失せてしまう。つくづく、くじけやすい性格なのである(^^ゞ
いきなり走るのも身体によくないと思い、ゴールデンウイーク初日はジョギングコースのある公園まで往復6キロと、ちょこちょこ寄り道3キロの合計9キロほどを散歩してきた。2日目は出かける用事があったので早朝に自宅の周りを5キロほど。歩くのと走るのじゃ身体の負担は全然違うけれど、徐々に身体を慣らして、ゴールデンウイークの最後に3キロ程度は走れるようにしたいと思う。
だいたいゴールデンウイークに遠出をするのが昔から苦手である。どこへ行くのにも道路は渋滞しているし、でかけた先も混んでいる。だからバイクに乗るにしても、連休中は近くの海浜公園にでも出かけて、そこでのんびり読書でもする程度しか考えていなかった。ところが2日間のウオーキングのおかげで熟睡したせいか、本日は目覚ましも鳴らないのに6時半にお目々パッチリ起床。天気は曇りでさえなかったが、もう一度寝るのもモッタイナイ気がしてバイクでお出かけすることに。
ゴールデンウイークだから、あまり遠くなくて、しかも人がたくさん来ないマイナーな目的地がいいと考え、前から気になっていた三浦半島の「黒崎の鼻」というヘンな名前の名所へ行くことに。ついでその近くの荒崎公園も候補地に入れる。
地図はいつものグーグルマップ。
結果的には上から反時計回りに走ってきた。
でも実は道を間違えたのである(>_<)

第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路(通称:横横)と高速道路を乗り継げば(渋滞がなければ)目的地近くまで1時間ほど。地図の上側:下向きの矢印は横浜新道。その下の上向きの矢印が横横で、横浜新道の途中で左側に別れているのだが、その入り口を見逃してしまう。横浜新道から横横への分岐は私にとって鬼門で、クルマでも今までにたぶん10回以上ミスっている。デカデカと標識もあるのにナンデカナア?
横浜新道は分岐からしばらくで終わり国道1号線に接続する。1号線から左折して横横のどこかのインターに向かってもよかったのだが、道路も空いていたし、ついでだから湘南のメインの海岸道路も走っておくかと直進。さすがに江ノ島周辺は混んでいる気がして、鎌倉経由で海岸道路にでる。D地点は鎌倉大仏。ちょっとレトロな観光地の雰囲気があって、通りすがりに一瞬の小旅行気分を味わえる。ゴールデンウイークだから観光客で一杯だった。
由比ヶ浜、材木座を眺めながら走る。渋滞もなく海岸の人出もあまり多くなかった。天気が曇りだったからかな?
G地点は葉山の御用邸。葉山を過ぎてしばらくすると横須賀市(三浦半島の東海岸から西海岸にまたがっている。半島の先の部分は三浦市。ちなみに葉山は神奈川県三浦郡葉山町だからややこしい)に入るが、そこでかなりの渋滞。何とかスリ抜けて荒崎公園のある岬部分に入る。A地点。ちなみに黒崎の鼻は、その南隣の岬でK地点である。
駐車場からしばらく歩くと、
いきなりこんな入り江が現れてテンションが上がる。
こんもりとした小山を登っていく。
鋸山に較べれば、この程度の坂道は「へ」でもないゼ(^^ゞ
展望広場のようなところに出る。
天気が曇りで海の色がハッキリしないのが残念。
海岸に下っていく。
荒崎の特徴である波打った岩が見える。
不思議な形と配色の岩。
堆積していたものがグニャッと横向きになって地表に現れたんだろうな。
水は抜群にキレイ。
見れば見るほどヘンな形で見飽きない。
でも、そろそろイイかな(^^ゞ
展望公園に戻ってコーヒータイム。
この象印の魔法瓶は保温力抜群なのだが、横に倒すと結構中身が漏れるのが気に入らない。いつもレジ袋に入れてクリップで留めてカバンにしまっている。
展望公園を降りてしばらく歩くと、別の展望台があった。
なかなかの迫力。
これは一番最初に見た入り江を海側から見たもの。
ここらの岩は数千万年前のものらしい。
公園を奥に進むと、こんなのどかな芝生部分もある。
別の海岸に降りていく道。
途中に洞窟のようなものがいくつかある。
でも、あまり探検心はそそられない単純な洞窟だった。
海岸線はさっきと似たような光景。
もっと向こうへも行けるようだったが、
本日はチャレンジせず。
バーベキューを楽しむ人々。
ゴールデンウイークでこの程度だから、普段は静かな公園なのだと思う。
そこそこ広い公園で、半分位まわったかな?
ピクニックの丘というところに続く道。
なかなかそそられる雰囲気だが次の楽しみにとっておこう。
100台くらいの駐車場。
土日・祝日と海水浴シーズンが有料。つまり夏以外の平日は無料。
ただしバイクは常に無料。10台分くらいのスペースがあった。
黒崎の鼻は次回にーーーー。
きっかけは4月21日に登った鋸山(のこぎりやま)。あんなにバテるとは思わなかった。体力・持久力には自身があったのに(涙)。
もっとも、その体力・持久力の源で一時は毎週末に10キロは走っていたジョギングも、この数年はさっぱり。去年は1メーターも走っていない。一昨年のことはあまり記憶にない。その数年前も走ったのはせいぜい年に5日だ。それじゃ走ったうちに入らない。要は5〜6年前からほとんど走っていない。
これには理由(言い訳?)があって、ちょうどその頃に引っ越したから。前の自宅はジョギングコースのある大きな公園まで歩いて10分ほど。引っ越すときに、その公園まで徒歩で行ける、少なくとも自転車で通えることを条件として物件を探したが、残念ながら後者の条件になってしまった。
それで自転車で行くのって結構面倒なのである。正確に言うと自転車は玄関に置いてあって、それを出してエレベーターに乗るのが面倒というかーーーくじけやすい性格。それとジョギングなんてどこでも走れそうなものだが、私はほとんどジョギングコースしか走ったことがないから一般道が苦手。赤信号で走り続ける意欲が失せてしまう。つくづく、くじけやすい性格なのである(^^ゞ
いきなり走るのも身体によくないと思い、ゴールデンウイーク初日はジョギングコースのある公園まで往復6キロと、ちょこちょこ寄り道3キロの合計9キロほどを散歩してきた。2日目は出かける用事があったので早朝に自宅の周りを5キロほど。歩くのと走るのじゃ身体の負担は全然違うけれど、徐々に身体を慣らして、ゴールデンウイークの最後に3キロ程度は走れるようにしたいと思う。
だいたいゴールデンウイークに遠出をするのが昔から苦手である。どこへ行くのにも道路は渋滞しているし、でかけた先も混んでいる。だからバイクに乗るにしても、連休中は近くの海浜公園にでも出かけて、そこでのんびり読書でもする程度しか考えていなかった。ところが2日間のウオーキングのおかげで熟睡したせいか、本日は目覚ましも鳴らないのに6時半にお目々パッチリ起床。天気は曇りでさえなかったが、もう一度寝るのもモッタイナイ気がしてバイクでお出かけすることに。
ゴールデンウイークだから、あまり遠くなくて、しかも人がたくさん来ないマイナーな目的地がいいと考え、前から気になっていた三浦半島の「黒崎の鼻」というヘンな名前の名所へ行くことに。ついでその近くの荒崎公園も候補地に入れる。
地図はいつものグーグルマップ。
結果的には上から反時計回りに走ってきた。
でも実は道を間違えたのである(>_<)

第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路(通称:横横)と高速道路を乗り継げば(渋滞がなければ)目的地近くまで1時間ほど。地図の上側:下向きの矢印は横浜新道。その下の上向きの矢印が横横で、横浜新道の途中で左側に別れているのだが、その入り口を見逃してしまう。横浜新道から横横への分岐は私にとって鬼門で、クルマでも今までにたぶん10回以上ミスっている。デカデカと標識もあるのにナンデカナア?
横浜新道は分岐からしばらくで終わり国道1号線に接続する。1号線から左折して横横のどこかのインターに向かってもよかったのだが、道路も空いていたし、ついでだから湘南のメインの海岸道路も走っておくかと直進。さすがに江ノ島周辺は混んでいる気がして、鎌倉経由で海岸道路にでる。D地点は鎌倉大仏。ちょっとレトロな観光地の雰囲気があって、通りすがりに一瞬の小旅行気分を味わえる。ゴールデンウイークだから観光客で一杯だった。
由比ヶ浜、材木座を眺めながら走る。渋滞もなく海岸の人出もあまり多くなかった。天気が曇りだったからかな?
G地点は葉山の御用邸。葉山を過ぎてしばらくすると横須賀市(三浦半島の東海岸から西海岸にまたがっている。半島の先の部分は三浦市。ちなみに葉山は神奈川県三浦郡葉山町だからややこしい)に入るが、そこでかなりの渋滞。何とかスリ抜けて荒崎公園のある岬部分に入る。A地点。ちなみに黒崎の鼻は、その南隣の岬でK地点である。
駐車場からしばらく歩くと、
いきなりこんな入り江が現れてテンションが上がる。
こんもりとした小山を登っていく。
鋸山に較べれば、この程度の坂道は「へ」でもないゼ(^^ゞ
展望広場のようなところに出る。
天気が曇りで海の色がハッキリしないのが残念。
海岸に下っていく。
荒崎の特徴である波打った岩が見える。
不思議な形と配色の岩。
堆積していたものがグニャッと横向きになって地表に現れたんだろうな。
水は抜群にキレイ。
見れば見るほどヘンな形で見飽きない。
でも、そろそろイイかな(^^ゞ
展望公園に戻ってコーヒータイム。
この象印の魔法瓶は保温力抜群なのだが、横に倒すと結構中身が漏れるのが気に入らない。いつもレジ袋に入れてクリップで留めてカバンにしまっている。
展望公園を降りてしばらく歩くと、別の展望台があった。
なかなかの迫力。
これは一番最初に見た入り江を海側から見たもの。
ここらの岩は数千万年前のものらしい。
公園を奥に進むと、こんなのどかな芝生部分もある。
別の海岸に降りていく道。
途中に洞窟のようなものがいくつかある。
でも、あまり探検心はそそられない単純な洞窟だった。
海岸線はさっきと似たような光景。
もっと向こうへも行けるようだったが、
本日はチャレンジせず。
バーベキューを楽しむ人々。
ゴールデンウイークでこの程度だから、普段は静かな公園なのだと思う。
そこそこ広い公園で、半分位まわったかな?
ピクニックの丘というところに続く道。
なかなかそそられる雰囲気だが次の楽しみにとっておこう。
100台くらいの駐車場。
土日・祝日と海水浴シーズンが有料。つまり夏以外の平日は無料。
ただしバイクは常に無料。10台分くらいのスペースがあった。
黒崎の鼻は次回にーーーー。
wassho at 23:02|Permalink│Comments(0)│
2012年04月17日
まずは東京湾フェリー2
フェリーなんて何十年も乗っていないと思っていたが、中国に行ったときに上海で渡し船のようなフェリーに乗ったことを思いだした。それでも7年前。月日のたつのは早いものだと改めて実感。中国の出張日記は2005年の2月と3月。画面をスクロールすれば左側に年月別のリンクがあるから、よかったらそこから辿ってください。
3分で対岸に着いた上海のミニフェリーほどではないとしても、東京湾フェリーも横須賀の久里浜と房総の金谷の11.5キロを結ぶ短い航路。所要時間は40分。時速に直せば17.5km。ちなみに金谷から久里浜に向かうときは潮流が違うのか35分で着く。
久里浜を出発するときから対岸の金谷の山並みは見えているから、大海原を航海している感じはまったくしない。それでも船旅気分は味わえる。出港の際にはボボーッと汽笛も低く鳴る。まあ乗り降りの時間も含めて1時間ちょっとくらいの船旅だから日帰りツーリングや旅行に組み込みやすい。船に乗るのはとっても非日常的だから最高の気分転換。毎日が平凡と感じている人はフェリーに乗りましょう。
バイクの運賃はライダー1名分込みで1960円。ちなみに同じく東京湾を渡るアクアラインは本来2400円のところ、料金割引社会実験とやらで現在はETC割引なら640円。較べれば高いが2000円くらいの価値は充分ある。なおフェリーに人だけで乗る場合は700円。
久里浜港の船上より。
奥の方に見える砂浜がペリー公園の前の久里浜。
「甲板に出る」と呼ぶほうの甲板。
英語でならオープンデッキ。デッキとは甲板のこと。
ビールが飲みたくなるね。
100円必要な双眼鏡。
一度は乗ってみたい気もする?救難ボート。
ここは接岸の時の微調整をする場所のよう。
ナゾの大きなパイプ棚は
ゴルフバッグを置く場所でした。
客室の後ろ半分はゆったりしたラウンジ風。
前のほうの座席も、それなりに広く作られている。
40分の航海には充分なスペース。
これは前方の甲板。
ここに出ることはできない。客室から窓越しに撮影。
沖合に出るとヨットとか釣り船とか。
東京湾の真ん中あたり。iPhoneのグーグルマップで現在位置を確認。
なおドコモはずっとアンテナ3本たっていたが、iPhoneはよく切れた。
だらしないぞソフトバンク!
金谷港に到着。
右側に見えるオレンジのゲートに接岸するのは久里浜の時と同じ。
写真をよく見て欲しい。とても幅の狭い入り江のようなところである。(写真をクリックして大きくした方が狭さがよくわかる)
このまま右側に寄って進んでいくのかと思っていたら、何とフェリーはここでUターンを始めた。よく考えたら久里浜では船首からクルマを乗せているから、クルマが前進で降りるためには船尾から着岸する必要がある。しばらくクルマでフェリーに乗っていなかったからすっかり忘れていた。でもこんなに岸から近い狭いところで、その場でスピンターンするように向きを変えたのでちょっとビックリ。
金谷到着がちょうど12時。
フェリー乗り場から10分ほど北上したところにある「漁師料理かなや」というところでランチタイム。
かなり大きな食堂。
隣は温泉施設。
店内はこの写真に写っている範囲の6倍くらいの広さがある。
以前に行った、この近くにある「ばんや」という食堂と似たような感じ。ネットで調べた限り「ばんや」のほうが人気があるみたいだけれど、この店もまったく悪くはなかった。
巨大なエビ天丼を頼む。
2830円。おいしかった。
Sさんと一緒に頼んだ貝焼きセット。
1人前で1890円。おいしいし楽しい。
ときどき貝の汁がピューッと飛んでくる。
ここに乗っているのは人気メニュー30選。
全部のメニューはたぶん200くらいある。
このお店は海岸に突き出した小さな岬のような地形に建っていて
窓際の席なら海を見ながら食事ができる。
ちょっと海を眺めながら食後の休憩。
腹ごしらえも終わって、いよいよ今回のメインイベントへ向け出発。
ーーー続く。
3分で対岸に着いた上海のミニフェリーほどではないとしても、東京湾フェリーも横須賀の久里浜と房総の金谷の11.5キロを結ぶ短い航路。所要時間は40分。時速に直せば17.5km。ちなみに金谷から久里浜に向かうときは潮流が違うのか35分で着く。
久里浜を出発するときから対岸の金谷の山並みは見えているから、大海原を航海している感じはまったくしない。それでも船旅気分は味わえる。出港の際にはボボーッと汽笛も低く鳴る。まあ乗り降りの時間も含めて1時間ちょっとくらいの船旅だから日帰りツーリングや旅行に組み込みやすい。船に乗るのはとっても非日常的だから最高の気分転換。毎日が平凡と感じている人はフェリーに乗りましょう。
バイクの運賃はライダー1名分込みで1960円。ちなみに同じく東京湾を渡るアクアラインは本来2400円のところ、料金割引社会実験とやらで現在はETC割引なら640円。較べれば高いが2000円くらいの価値は充分ある。なおフェリーに人だけで乗る場合は700円。
久里浜港の船上より。
奥の方に見える砂浜がペリー公園の前の久里浜。
「甲板に出る」と呼ぶほうの甲板。
英語でならオープンデッキ。デッキとは甲板のこと。
ビールが飲みたくなるね。
100円必要な双眼鏡。
一度は乗ってみたい気もする?救難ボート。
ここは接岸の時の微調整をする場所のよう。
ナゾの大きなパイプ棚は
ゴルフバッグを置く場所でした。
客室の後ろ半分はゆったりしたラウンジ風。
前のほうの座席も、それなりに広く作られている。
40分の航海には充分なスペース。
これは前方の甲板。
ここに出ることはできない。客室から窓越しに撮影。
沖合に出るとヨットとか釣り船とか。
東京湾の真ん中あたり。iPhoneのグーグルマップで現在位置を確認。
なおドコモはずっとアンテナ3本たっていたが、iPhoneはよく切れた。
だらしないぞソフトバンク!
金谷港に到着。
右側に見えるオレンジのゲートに接岸するのは久里浜の時と同じ。
写真をよく見て欲しい。とても幅の狭い入り江のようなところである。(写真をクリックして大きくした方が狭さがよくわかる)
このまま右側に寄って進んでいくのかと思っていたら、何とフェリーはここでUターンを始めた。よく考えたら久里浜では船首からクルマを乗せているから、クルマが前進で降りるためには船尾から着岸する必要がある。しばらくクルマでフェリーに乗っていなかったからすっかり忘れていた。でもこんなに岸から近い狭いところで、その場でスピンターンするように向きを変えたのでちょっとビックリ。
金谷到着がちょうど12時。
フェリー乗り場から10分ほど北上したところにある「漁師料理かなや」というところでランチタイム。
かなり大きな食堂。
隣は温泉施設。
店内はこの写真に写っている範囲の6倍くらいの広さがある。
以前に行った、この近くにある「ばんや」という食堂と似たような感じ。ネットで調べた限り「ばんや」のほうが人気があるみたいだけれど、この店もまったく悪くはなかった。
巨大なエビ天丼を頼む。
2830円。おいしかった。
Sさんと一緒に頼んだ貝焼きセット。
1人前で1890円。おいしいし楽しい。
ときどき貝の汁がピューッと飛んでくる。
ここに乗っているのは人気メニュー30選。
全部のメニューはたぶん200くらいある。
このお店は海岸に突き出した小さな岬のような地形に建っていて
窓際の席なら海を見ながら食事ができる。
ちょっと海を眺めながら食後の休憩。
腹ごしらえも終わって、いよいよ今回のメインイベントへ向け出発。
ーーー続く。
wassho at 23:41|Permalink│Comments(0)│
2012年04月16日
まずは東京湾フェリー
毎度毎度バイクでヴォーンと走り回るだけじゃ芸がない。ということで4月15日の日曜日は、ちょっと趣向を凝らしたプランで出かけた。仕込んだビッグイベントは2つ。最初は東京湾をフェリーで渡る船旅。
何度か一緒に走っているSさんと。
彼のバイクは原付だから高速道路は走れず機動力が劣るので、今回はバイクで走ることををサブにしたという理由もある。原付と一緒にツーリングというのは無謀に思えるが、プランを工夫すれば楽しく遊べることもよくわかった。もっともこれは私がバイクで走りたい派ではなく、バイクで出かけたい派だから成り立つともいえるけれど。

集合場所は観音崎(KNZ地点)。東京から約60キロと、ペースの違う2台で一緒に走るには長い距離。というわけで午前10時に現地集合。フェリーの後にメインイベントが控えているので、観音崎はブラブラすることもなくフェリー乗り場のある久里浜へ(KU地点)。観音崎からは30分程度。
フェリー乗り場の近くには黒船来航のペリー公園がある。本当はフェリー乗り場に着いてから、出港までの時間的余裕があれば立ち寄るつもりだった。しかしフェリー乗り場から歩いて行くには、ちょっと遠いことがわかったので先に寄り道。
ペリー上陸記念碑。
漢字でゴチャゴチャ書いてあって、形もアレで位牌みたい(^^ゞ
水師提督は海軍提督のことか?伯理をペリーと読むのだろう。
文字は伊藤博文によるものだとわかる。その時代はアメリカ合衆国ではなく北米合衆国と呼んでいたというのは初めて知った。
裏面は英語。こちらではユナイテッド・ステーツ・オブ・ノースアメリカではなくアメリカとなっている。
公園の雰囲気。
そんな広い公園じゃない。
配置図を見れば記念碑を建てるために作られた公園だとわかる。
ペリーが最初に日本に上陸したのが久里浜といわれる(現在、久里浜周辺は浦賀という地名ではないが)。公園の前に道路を挟んで砂浜があるが、それを見てくるのを忘れた。もっとも、そこが上陸地点かどうかはハッキリしないのだが。
公園の片隅にあるペリー記念館。
入場は無料。
どちらかといえばガッカリ記念館。
黒船のジオラマ(風景、情景を表した模型)とかペリーの写真とか銅像とか、パネル解説とかがあるだけで、いわゆる「当時の物」は何もない。もうちょっと博物館的な物を期待していた。
ちなみにペリーというか、幕末のきっかけとなった黒船来航に、私はちょっと興味がある。引退後(できるのか?)の自由研究テーマ候補の1つ。以前に「黒船来航の謎」というタイトルで3つ書いている。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-10.html
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-11.html
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-17.html
さてフェリー乗り場へ
全体の風景は撮り忘れた。
バイクを並べておくところ。
ちなみにバイクはフェリーの隅っこに乗せるので、最初にフェリーに乗り込まなくてはならない。
フェリーが接岸する施設。
横から見たら、こんな感じ。
1時間に1本の運行である。
フェリーがやってきた。
こんな大きなものをよくピッタリ接岸できるなあと感心する。このテクニックなら縦列駐車も楽勝とか冗談を言っていたら、下船の時にもう一度ビックリすることに。
車両甲板(かんぱん)。
クルマは100台ほど積み込める。バイクは18台まで。
ちなみ船に乗って客室の外、つまり天井のない場所に行くことを「甲板に出る」というが、本来の甲板とは船の床面の全部を指す。例えばこの上の階は客室甲板で、それが客室部分と客室でない青空部分に分かれている。
バイクの台数制限があるのは、倒れないように壁から伸びたロープで固定する必要があり、その場所が壁際に18台しか確保できないからだと思う。自転車も同じように固定している。
固定ロープのアップ。
右側はこれで面倒を見るが、もし船が左側に傾いたらバイクのサイドスタンド(左側にある)でガンバッテくれということで、そんなにガチガチに固定されるわけでもない。
いよいよ出港。
目的地は対岸の金谷(かなや)というところ。KNY地点
ーーー続く
来週はツーリングしないのでノンビリ書きます。
何度か一緒に走っているSさんと。
彼のバイクは原付だから高速道路は走れず機動力が劣るので、今回はバイクで走ることををサブにしたという理由もある。原付と一緒にツーリングというのは無謀に思えるが、プランを工夫すれば楽しく遊べることもよくわかった。もっともこれは私がバイクで走りたい派ではなく、バイクで出かけたい派だから成り立つともいえるけれど。

集合場所は観音崎(KNZ地点)。東京から約60キロと、ペースの違う2台で一緒に走るには長い距離。というわけで午前10時に現地集合。フェリーの後にメインイベントが控えているので、観音崎はブラブラすることもなくフェリー乗り場のある久里浜へ(KU地点)。観音崎からは30分程度。
フェリー乗り場の近くには黒船来航のペリー公園がある。本当はフェリー乗り場に着いてから、出港までの時間的余裕があれば立ち寄るつもりだった。しかしフェリー乗り場から歩いて行くには、ちょっと遠いことがわかったので先に寄り道。
ペリー上陸記念碑。
漢字でゴチャゴチャ書いてあって、形もアレで位牌みたい(^^ゞ
水師提督は海軍提督のことか?伯理をペリーと読むのだろう。
文字は伊藤博文によるものだとわかる。その時代はアメリカ合衆国ではなく北米合衆国と呼んでいたというのは初めて知った。
裏面は英語。こちらではユナイテッド・ステーツ・オブ・ノースアメリカではなくアメリカとなっている。
公園の雰囲気。
そんな広い公園じゃない。
配置図を見れば記念碑を建てるために作られた公園だとわかる。
ペリーが最初に日本に上陸したのが久里浜といわれる(現在、久里浜周辺は浦賀という地名ではないが)。公園の前に道路を挟んで砂浜があるが、それを見てくるのを忘れた。もっとも、そこが上陸地点かどうかはハッキリしないのだが。
公園の片隅にあるペリー記念館。
入場は無料。
どちらかといえばガッカリ記念館。
黒船のジオラマ(風景、情景を表した模型)とかペリーの写真とか銅像とか、パネル解説とかがあるだけで、いわゆる「当時の物」は何もない。もうちょっと博物館的な物を期待していた。
ちなみにペリーというか、幕末のきっかけとなった黒船来航に、私はちょっと興味がある。引退後(できるのか?)の自由研究テーマ候補の1つ。以前に「黒船来航の謎」というタイトルで3つ書いている。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-10.html
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-11.html
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2010-01-17.html
さてフェリー乗り場へ
全体の風景は撮り忘れた。
バイクを並べておくところ。
ちなみにバイクはフェリーの隅っこに乗せるので、最初にフェリーに乗り込まなくてはならない。
フェリーが接岸する施設。
横から見たら、こんな感じ。
1時間に1本の運行である。
フェリーがやってきた。
こんな大きなものをよくピッタリ接岸できるなあと感心する。このテクニックなら縦列駐車も楽勝とか冗談を言っていたら、下船の時にもう一度ビックリすることに。
車両甲板(かんぱん)。
クルマは100台ほど積み込める。バイクは18台まで。
ちなみ船に乗って客室の外、つまり天井のない場所に行くことを「甲板に出る」というが、本来の甲板とは船の床面の全部を指す。例えばこの上の階は客室甲板で、それが客室部分と客室でない青空部分に分かれている。
バイクの台数制限があるのは、倒れないように壁から伸びたロープで固定する必要があり、その場所が壁際に18台しか確保できないからだと思う。自転車も同じように固定している。
固定ロープのアップ。
右側はこれで面倒を見るが、もし船が左側に傾いたらバイクのサイドスタンド(左側にある)でガンバッテくれということで、そんなにガチガチに固定されるわけでもない。
いよいよ出港。
目的地は対岸の金谷(かなや)というところ。KNY地点
ーーー続く
来週はツーリングしないのでノンビリ書きます。
wassho at 23:10|Permalink│Comments(0)│
2011年09月25日
ブラブラと横浜・横須賀〜三崎
いつもバイクばかり乗っていて、
不良になったと思われても困るが(^^ゞ
友人が鎌倉に引っ越したので、連休真ん中の土曜日はツーリングではなく「移動手段として」バイクで新居挨拶に出かけるつもりが、事情があってキャンセルに。でも朝起きたら、あまりに天気がいいので、久しぶりに横浜でも行くかと結局ブォ〜ンと。

地図はいつものグーグルマップ。
横浜のどこに行くという当てもなかったものの、とりあえず第三京浜、横浜新道と乗り継ぎ、(B、C、D地点が地図上で被って見にくいが)B地点の赤レンガ倉庫へ。ここは10年ほど前に改装されて商業施設になってから来る機会がなかった。中をブラブラしてもよかったが、ちょうど昼過ぎでまだ暑かったので、前を通っただけでパス。写真も撮らなかったからここで。
C地点は山下公園。赤レンガからはバイクなら数分の距離。
何度も来たことがあるので今更ではある。しかしここはバイクなら歩道に停めておいてもあまり問題にならないので、お散歩タイムに突入。
見ての通り横浜の港に面した公園。
遠くに見えるのはみなとみらい地区。右の方の三角形のビルがインターコンチネンタルホテル。真ん中の一番背の高いのが横浜ランドマークタワー。写真に写っている大きな鎖は↓
氷川丸。
戦前から活躍した客船兼貨物船。係留されているだけで動かない。以前はレストランなどが中にあったが、今は船の博物館になっているらしい。この日は乗船(入館?)せず。
山下公園は、そんなに大きな公園じゃない。
海沿いの細長い敷地で端から端まで歩いても15分程度。
先日の台風の影響か、折れている木があった。
こちらは現役の船たち。
手前は水上バスで赤レンガ倉庫や横浜駅の近くまで行くことができる。後ろの大きな船は、シャトルという紛らわしい名前がついている遊覧船。本来シャトルとは往復便の意味である。この船はランチクルーズやディナークルーズを売り物にしている。
山下公園に面しているホテルニューグランド。これは旧館でクラシックな雰囲気を残している。奥の方に見える無機質な建物が新館。私はたいてい新しいものが好きなのに、現代建築と呼ばれるものは好きになれない。
多数のバイクと一緒に歩道のBMW F800R。
ついでにD地点にある「港の見える丘公園」に行く。
2枚目の写真はレインボーブリッジができてから、すっかり影の薄いベイブリッジ。この公園はその名の通り、小高い場所にあって港が見える。でも写真を見ればわかるようにごちゃごちゃした風景が見えるだけである。ベイブリッジができるまではガッカリポイントだった。ただし夜景になると、汚い景色が見えないので多少はイケる。
山下公園が広場公園なのに対して、
港の見える丘公園は少し欧風庭園公園的。
これは公園内にあるイギリス館という名前の、いわゆる異人館。
外から眺めるとそうでもないが、中に入ると広い。もっとも公園内にポツンとあるから大きさを感じないだけで、住宅地にあれば豪邸サイズなのかもしれない。見学は無料。
数部屋が公開されているとはいえ、まともなしつらえになっているのは、この部屋だけ。でも窓がアルミサッシにリフォームされているのは興醒め。
話は変わるが、このベッドの足元にある家具。
こんな木製のものは初めて見たが、ちょっと高級なホテルだと、ベッドの足元にオットマン(ソファーで脚を投げ出すときに使う小型ソファ)のようなものが置いてある。アレ(名前もはっきりわからない)が何のためにあるのか、ずっと不思議に思っている。
最初はスーツケースを置く台かと思っていた。でもスーツケースをベッドの足元に置く必要はないし、アレがあるクラスのホテルならスーツケースを置く台は別に用意されている。外国なら靴を脱がないから、ベッドをソファ代わりにするときに、靴の部分だけをベッドの外に出すためのオットマンのようなものかとも推理したものの、アレはベッドと同じ高さのものもあれば、一段低い場合もあるからオットマンにはならない。だいたい、例えばベッドで本でも読もうとするときはヘッドボードを背もたれ代わりにするから、アレまで足が届かない。
写真だけ見ると木製なら、メイドが朝ご飯を運んできて、まずお盆をここに置くのにちょうどいいような気もする。ただしその用途なら現在のアレのように小型ソファに変化した説明がつかない。とりあえず、ナゾ
写真はローズガーデン。
ただし今は季節外れ。
なぜか有名人の名前のついた品種のプレートが多くあった。
ところで海の見える丘公園は山下公園と違って、入り口のところに自転車は2〜3台あったものの、バイクは停まっていなかった。
まあいいかと思って停めておいたんだけれど、公園の中から戻ってくるとビックリ! 目の前に交番があった。まあ、お咎めはなかったが。
オノボリさんついでに、ユーミンの唄で有名なドルフィンの前を通る。
場所は根岸公園沿いと知っていたので、あっさり見つかる。というか来てわかったのは、気にしていなかっただけでこの店の前は以前に何度も通っている。ドルフィンはかなり以前に建て替えられているし、オーナーも変わっている。その昔は夕方にオープンして明け方までイタリアンが食べられるカフェレストランで、オシャレな遊び人のたまり場だったと聞いたことがある。同じく昔の飯倉のキャンティみたいなものか?
でもユーミンは「晴れた午後にソーダ水の中から貨物船を見ていた」のだから、それはいつ頃の話なのだろう。ちなみにドルフィンが登場するユーミンの「海を見ていた午後」は1974年の曲。現在は青春時代にユーミンに熱中したオバサマ達の聖地となっているらしい。
ところであまり有名じゃないけど、ここ根岸公園の隣は米軍の住宅があり、アメリカ人がチラホラ歩いている。そういえば「フェンスの向こうのアメリカ」がオシャレなイメージな時代もあった。ところで唄では「山手のドルフィン」となってはいても、ここは山手ではなく隣の根岸という場所。まあ千葉にあるディズニーランドを東京ディズニーランドとネーミングしたようなもの。
この後、横浜をブラブラ走って帰るつもりが、あまりに天気もいいので、ツイ魔が差して横須賀方面に。
三笠公園。F地点。
写真は日露戦争で活躍した戦艦三笠。
パンフレットによれば全長122メートル。
大きな大砲は復元模型っぽいが、小さな大砲は船内でハンドルを回したりできる
甲板の様子。
沖合に見えるのは猿島。
なお、この船は係留ではなく、陸に揚げられて固定されている。
上の写真で、一番高いところに人が集まっているところが戦闘指揮所。東郷平八郎もここでバルチック艦隊との海戦を指揮したはず。屋根も囲いもないから危ない気がするけど、今とは感覚が違うのかもしれない。下につながるパイプを使って「ヨーソロー」とかいっていたのかな。ヨーソローとは「よろしゅうそうろう」の意味。
真下のブリッジ(操船室)
ハンドルが英語なのは、この戦艦がメイドイン英国だから。
竣工は1902年・明治35年。
艦内は展示室に改装されていて、当時の面影を偲べるものは多くない。
入館料は500円だった。
ついでに三笠公園から10分ほどの「うみかぜ公園」。G地点。
家族連れの釣り人多数。
5分ほどこの場所をブラついて、しなる釣り竿は見られず(^^ゞ
バーベキュー広場。
でも、バーベキューするのになぜテントが必要?
さて、こんどこそ帰ろうと思ったのに、
バイクが勝手に東京と反対側に走っていく(^^ゞ
H地点の津久井浜。
この続きが三浦海岸になる。
ウインドサーフィンが数艇。
対岸に見えるのは房総半島。
泳いでわたれそうな距離に見える。
砂浜をバックにドアップのBMW F800R。
もう、ここまで来たら三崎でマグロでも食べて帰ろうと。
I地点が三浦市の三崎漁港。
ところで三崎はマグロで名物で有名。しかし別に相模湾でマグロが採れるわけでもなく、遠洋漁業のマグロがここに水揚げされるだけ。ちょっとズルいと思うのは私だけ?
出かけに遅めの朝ご飯をたくさん食べて、昼ご飯は食べていなかった。というわけで早めの晩ご飯。どうせなら変わったマグロ料理が食べたかったが、そういう料理は2〜3人前からとなっている。結局、ヅケ&マグロの天ぷら丼と迷ったあげく、一番芸のないマグロ&地魚の刺身定食を頼むことに。
オーダーしてから、地魚といっても三連休中で市場も休み(たぶん)だと気がつく。でもおいしかった。どの魚も身に歯ごたえがすごくあったから新鮮なのかと思う。マグロはもちろん冷凍だが。
入ったのは「くろば亭」という店。
港の周りをグルグル回ってたとき、店の駐車場があったのでたまたま入ったが、帰ってから調べたら相当な有名店らしい。午後5時と中途半端な時間なのに店内はほぼ満席。ちなみにマグロ&地魚定食は2100円。少しだけ観光地価格かな。まあ観光地だけれど。
帰りはJ地点の三浦縦貫道路(有料道路)に乗るまでに、渋滞で時間がかかり連休気分を味わえた? その後は、スムースに横浜横須賀道路、往きと同じく横浜新道から第三京浜で自宅に戻る。昼間28度くらい合った気温は18度ほどに下がっている。高速道路をTシャツにメッシュ革ジャンでは寒かった。先週のツーリングでは帰りでも30度近くあったのに。
帰宅は午後8時。フラッと出かけた割には、今までで一番遅い帰宅になってしまった。走行距離165キロ。いつものように無事故無違反を交通安全の神様に感謝。行き当たりばったりで走るのも楽しいものだと実感。
不良になったと思われても困るが(^^ゞ
友人が鎌倉に引っ越したので、連休真ん中の土曜日はツーリングではなく「移動手段として」バイクで新居挨拶に出かけるつもりが、事情があってキャンセルに。でも朝起きたら、あまりに天気がいいので、久しぶりに横浜でも行くかと結局ブォ〜ンと。

地図はいつものグーグルマップ。
横浜のどこに行くという当てもなかったものの、とりあえず第三京浜、横浜新道と乗り継ぎ、(B、C、D地点が地図上で被って見にくいが)B地点の赤レンガ倉庫へ。ここは10年ほど前に改装されて商業施設になってから来る機会がなかった。中をブラブラしてもよかったが、ちょうど昼過ぎでまだ暑かったので、前を通っただけでパス。写真も撮らなかったからここで。
C地点は山下公園。赤レンガからはバイクなら数分の距離。
何度も来たことがあるので今更ではある。しかしここはバイクなら歩道に停めておいてもあまり問題にならないので、お散歩タイムに突入。
見ての通り横浜の港に面した公園。
遠くに見えるのはみなとみらい地区。右の方の三角形のビルがインターコンチネンタルホテル。真ん中の一番背の高いのが横浜ランドマークタワー。写真に写っている大きな鎖は↓
氷川丸。
戦前から活躍した客船兼貨物船。係留されているだけで動かない。以前はレストランなどが中にあったが、今は船の博物館になっているらしい。この日は乗船(入館?)せず。
山下公園は、そんなに大きな公園じゃない。
海沿いの細長い敷地で端から端まで歩いても15分程度。
先日の台風の影響か、折れている木があった。
こちらは現役の船たち。
手前は水上バスで赤レンガ倉庫や横浜駅の近くまで行くことができる。後ろの大きな船は、シャトルという紛らわしい名前がついている遊覧船。本来シャトルとは往復便の意味である。この船はランチクルーズやディナークルーズを売り物にしている。
山下公園に面しているホテルニューグランド。これは旧館でクラシックな雰囲気を残している。奥の方に見える無機質な建物が新館。私はたいてい新しいものが好きなのに、現代建築と呼ばれるものは好きになれない。
多数のバイクと一緒に歩道のBMW F800R。
ついでにD地点にある「港の見える丘公園」に行く。
2枚目の写真はレインボーブリッジができてから、すっかり影の薄いベイブリッジ。この公園はその名の通り、小高い場所にあって港が見える。でも写真を見ればわかるようにごちゃごちゃした風景が見えるだけである。ベイブリッジができるまではガッカリポイントだった。ただし夜景になると、汚い景色が見えないので多少はイケる。
山下公園が広場公園なのに対して、
港の見える丘公園は少し欧風庭園公園的。
これは公園内にあるイギリス館という名前の、いわゆる異人館。
外から眺めるとそうでもないが、中に入ると広い。もっとも公園内にポツンとあるから大きさを感じないだけで、住宅地にあれば豪邸サイズなのかもしれない。見学は無料。
数部屋が公開されているとはいえ、まともなしつらえになっているのは、この部屋だけ。でも窓がアルミサッシにリフォームされているのは興醒め。
話は変わるが、このベッドの足元にある家具。
こんな木製のものは初めて見たが、ちょっと高級なホテルだと、ベッドの足元にオットマン(ソファーで脚を投げ出すときに使う小型ソファ)のようなものが置いてある。アレ(名前もはっきりわからない)が何のためにあるのか、ずっと不思議に思っている。
最初はスーツケースを置く台かと思っていた。でもスーツケースをベッドの足元に置く必要はないし、アレがあるクラスのホテルならスーツケースを置く台は別に用意されている。外国なら靴を脱がないから、ベッドをソファ代わりにするときに、靴の部分だけをベッドの外に出すためのオットマンのようなものかとも推理したものの、アレはベッドと同じ高さのものもあれば、一段低い場合もあるからオットマンにはならない。だいたい、例えばベッドで本でも読もうとするときはヘッドボードを背もたれ代わりにするから、アレまで足が届かない。
写真だけ見ると木製なら、メイドが朝ご飯を運んできて、まずお盆をここに置くのにちょうどいいような気もする。ただしその用途なら現在のアレのように小型ソファに変化した説明がつかない。とりあえず、ナゾ
写真はローズガーデン。
ただし今は季節外れ。
なぜか有名人の名前のついた品種のプレートが多くあった。
ところで海の見える丘公園は山下公園と違って、入り口のところに自転車は2〜3台あったものの、バイクは停まっていなかった。
まあいいかと思って停めておいたんだけれど、公園の中から戻ってくるとビックリ! 目の前に交番があった。まあ、お咎めはなかったが。
オノボリさんついでに、ユーミンの唄で有名なドルフィンの前を通る。
場所は根岸公園沿いと知っていたので、あっさり見つかる。というか来てわかったのは、気にしていなかっただけでこの店の前は以前に何度も通っている。ドルフィンはかなり以前に建て替えられているし、オーナーも変わっている。その昔は夕方にオープンして明け方までイタリアンが食べられるカフェレストランで、オシャレな遊び人のたまり場だったと聞いたことがある。同じく昔の飯倉のキャンティみたいなものか?
でもユーミンは「晴れた午後にソーダ水の中から貨物船を見ていた」のだから、それはいつ頃の話なのだろう。ちなみにドルフィンが登場するユーミンの「海を見ていた午後」は1974年の曲。現在は青春時代にユーミンに熱中したオバサマ達の聖地となっているらしい。
ところであまり有名じゃないけど、ここ根岸公園の隣は米軍の住宅があり、アメリカ人がチラホラ歩いている。そういえば「フェンスの向こうのアメリカ」がオシャレなイメージな時代もあった。ところで唄では「山手のドルフィン」となってはいても、ここは山手ではなく隣の根岸という場所。まあ千葉にあるディズニーランドを東京ディズニーランドとネーミングしたようなもの。
この後、横浜をブラブラ走って帰るつもりが、あまりに天気もいいので、ツイ魔が差して横須賀方面に。
三笠公園。F地点。
写真は日露戦争で活躍した戦艦三笠。
パンフレットによれば全長122メートル。
大きな大砲は復元模型っぽいが、小さな大砲は船内でハンドルを回したりできる
甲板の様子。
沖合に見えるのは猿島。
なお、この船は係留ではなく、陸に揚げられて固定されている。
上の写真で、一番高いところに人が集まっているところが戦闘指揮所。東郷平八郎もここでバルチック艦隊との海戦を指揮したはず。屋根も囲いもないから危ない気がするけど、今とは感覚が違うのかもしれない。下につながるパイプを使って「ヨーソロー」とかいっていたのかな。ヨーソローとは「よろしゅうそうろう」の意味。
真下のブリッジ(操船室)
ハンドルが英語なのは、この戦艦がメイドイン英国だから。
竣工は1902年・明治35年。
艦内は展示室に改装されていて、当時の面影を偲べるものは多くない。
入館料は500円だった。
ついでに三笠公園から10分ほどの「うみかぜ公園」。G地点。
家族連れの釣り人多数。
5分ほどこの場所をブラついて、しなる釣り竿は見られず(^^ゞ
バーベキュー広場。
でも、バーベキューするのになぜテントが必要?
さて、こんどこそ帰ろうと思ったのに、
バイクが勝手に東京と反対側に走っていく(^^ゞ
H地点の津久井浜。
この続きが三浦海岸になる。
ウインドサーフィンが数艇。
対岸に見えるのは房総半島。
泳いでわたれそうな距離に見える。
砂浜をバックにドアップのBMW F800R。
もう、ここまで来たら三崎でマグロでも食べて帰ろうと。
I地点が三浦市の三崎漁港。
ところで三崎はマグロで名物で有名。しかし別に相模湾でマグロが採れるわけでもなく、遠洋漁業のマグロがここに水揚げされるだけ。ちょっとズルいと思うのは私だけ?
出かけに遅めの朝ご飯をたくさん食べて、昼ご飯は食べていなかった。というわけで早めの晩ご飯。どうせなら変わったマグロ料理が食べたかったが、そういう料理は2〜3人前からとなっている。結局、ヅケ&マグロの天ぷら丼と迷ったあげく、一番芸のないマグロ&地魚の刺身定食を頼むことに。
オーダーしてから、地魚といっても三連休中で市場も休み(たぶん)だと気がつく。でもおいしかった。どの魚も身に歯ごたえがすごくあったから新鮮なのかと思う。マグロはもちろん冷凍だが。
入ったのは「くろば亭」という店。
港の周りをグルグル回ってたとき、店の駐車場があったのでたまたま入ったが、帰ってから調べたら相当な有名店らしい。午後5時と中途半端な時間なのに店内はほぼ満席。ちなみにマグロ&地魚定食は2100円。少しだけ観光地価格かな。まあ観光地だけれど。
帰りはJ地点の三浦縦貫道路(有料道路)に乗るまでに、渋滞で時間がかかり連休気分を味わえた? その後は、スムースに横浜横須賀道路、往きと同じく横浜新道から第三京浜で自宅に戻る。昼間28度くらい合った気温は18度ほどに下がっている。高速道路をTシャツにメッシュ革ジャンでは寒かった。先週のツーリングでは帰りでも30度近くあったのに。
帰宅は午後8時。フラッと出かけた割には、今までで一番遅い帰宅になってしまった。走行距離165キロ。いつものように無事故無違反を交通安全の神様に感謝。行き当たりばったりで走るのも楽しいものだと実感。
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2011年04月03日
三浦半島を回って湘南へ
土曜日はまたまたバイクで海沿いを走ってきた。
前回、観音崎に行ったときガソリンスタンドは長蛇の列だったものの、その次の週にはガソリン不足は解消。今のところ東京で不足しているのはミネラルウォーターくらい。タマゴも牛乳もワカメももう大丈夫。
(地図はグーグルマップからの引用:クリックすると大きくなります)

地図の上、真ん中の「1」の第三京浜という高速道路(緑色)で三浦半島を目指す。第三京浜というのは東京と横浜を結んでいる高速道路。自宅から東京側の入り口までは10分くらい。
バイクでETCを使うのは初めて。きちんとゲートが開いてくれるか少し緊張する。20キロくらいでソロソロと近づきあっけなくクリア。ETCはクルマでももちろん便利だけれど、ポケットから財布を出し入れしなければいけないバイクには欠かせない。
バイクで高速道路というと、とても危険だと思っている人も多い。しかし対向車は来ないし交差点もないのだから、バカみたいに飛ばさなければ一般道よりは安全である。
ところでバイクにはいろいろなタイプがある。ボディがむき出しになっているか、カウルで覆われているかも大きなポイント。写真の青いバイクは、私のバイクと兄弟車種のBMW F800STでカウルのついたタイプ。白いバイクは私の買ったF800Rでカウルはなし。カウルのないロードバイクはネイキッドと呼ばれることもある。ネイキッド=nakedとは裸のとか、むき出しのという意味の英語である。(ロードバイクとは何かを説明すると長くなるので省略。単にバイクと読み替えてもらっても大丈夫)


カウルはなんのためにあるかというと「風よけ」である。カウルによってライダーに風が当たらないようにし、また空気抵抗も減らす。バイクに乗らない人は、カウルのついているバイクをレースタイプと思っているが、 F800ST(青いバイク)はツーリングタイプ=長距離向けのバイクである。レースタイプのバイクは同じようなカウルがついていても、ハンドルの位置がもっと低くて前傾姿勢で乗るようになっている。そんな姿勢じゃ長距離は走れないので、ツーリングタイプのハンドルは普通の位置にある。
今回、35年ぶりにバイクを買うとき、私はネイキッドのバイクを買うことに最初から決めていた。理由は単純で、カウルタイプは風が当たらないので高速では楽だけれど、それはスピードを出しすぎることにつながるから。自分の性格はよくわかっているのである(^^ゞ
というわけで風に苦労しながら、それとバイクにはまだまだ慣れていないので、周りのクルマの迷惑にならない程度に走行車線をチンタラ走って第三京浜から横浜新道を経由して、横浜横須賀道路に入り終点の馬堀海岸(2と書いてあるところ)まで約1時間。前回の一般道の時は約2時間だったから半分の時間に短縮できたことになる。そこから10分ほどで前回の目的地だった観音崎に(3)。
公園の入り口
前回と同じくのどかな風景
この建造物は何なんだろう?
観音崎は前回来たばかりなので、タバコ&オシッコ休憩のみ。本日の目的は、ここから三浦半島をできるだけ海沿いに走り、湘南まで行くことである。細い道路を選びながら沿岸沿いから離れないように走る。ときどき行き止まりになっているのでUターンすることも多数。こういうドライブはクルマでは大変だから、やはりバイクならではの楽しみ方。バイクでのUターンはけっこう難しいのだが、この日一日でいい練習になった。
たぶん(4)のあたりのはずだが、かなり長い海岸線に出る。ごらんのように砂浜である。前回も観音崎で久しぶりの潮の香りに満足したが、磯と砂浜では潮の香りが微妙に違う。ここは元サーファーの私にとっては懐かしい香り。さっさとバイクに飽きて、やっぱりサーフィンを始めようかと思ってみたりする。


(4)から海沿いに走っていくと、いくつかの海水浴場がある。まだ人も少なくのどかな風景。いい撮影ポイントではあるが、いちいちバイクを停めるのも面倒なので素通り。
できるだけ海岸沿いを走りながらも、ときどき丘を上がったり下がったりしながら走る。いかにも半島らしいのんびりとした畑の風景が続く。写真撮ってないけど(^^ゞ
(5)の三浦市。三浦市というより「まぐろの三崎」といったほうが有名。三崎に来たならマグロ丼でもと思うが、どの店も人が並んでいたし、あまりお腹もすいていなかったので、そのまま湘南に向けて北上する。
できるだけ海岸沿いを走っているので、小さな漁港もいくつか通り過ぎた。漁船とか網とか見ていると、何かすごく遠くまで旅行しているようなイメージがあって得した気分。航空写真で「三浦半島」と書いてあるところの上のコブのようなところまで海岸沿いを選んでクネクネと走る。そこから先は134号線でいわゆる湘南エリアを普通に走った。このあたりは今まで数え切れないくらい来ている。逗子市の下、134号線の標識が書かれているあたりが葉山。夏ほどじゃないけれど道路も混んでくる。
昔は江ノ島を境にして東側がウインドサーフィン、西側がサーフィンという区別もあったが、今はどのビーチでもウインドサーフィンとサーフィンは一緒にやっている感じ。なんていう名前か知らないけれど、長いボードに立ってオールで漕いでいるようなことをやっている人も多く見かけた。あんなの、おもしろいのかな?
地図を見ると134号線はずっと海岸線に沿っているように見える。しかし湘南は江ノ島を超えると、道路と海の間に防風林があって海は見えない。ただの直線の道がずっと続く。
(6)あたりでクルマが一杯止まっている空き地のようなところがあったので、海岸まで出る。釣り船の発着場らしい。空き地はところどころ砂地。バイクで砂の上を走るのは初めてだったが、それほど難しくもなかった。

ドッカーンと広い砂浜。
♪海は広いな〜大きいな〜と、
人がいたので心の中で唄う
(^^ゞ

波は膝から腰くらいの高さ。
ヘタクソばっかりだった。
私もここなら、
大きな顔してサーフィンが
できそうである。
あまり人が入らないように写真は撮っている。実際にはサーファー以外に、家族連れやカップルなどけっこう人はいる。いかにもベテランっぽいサーファーが休憩していたので声を掛ける。ここは西浜というところらしい。ほんの数分だったけれど、久しぶりにサーフィン談義ができて楽しかった。
バイクに戻ってさらに西に進み、相模川を越えて129号線を北上し、(7)のところにある厚木インターチェンジから東名高速に乗って帰宅。トータル200キロほどのバイクツーリング。楽しい1日でした。海の写真しかなくてゴメン
前回、観音崎に行ったときガソリンスタンドは長蛇の列だったものの、その次の週にはガソリン不足は解消。今のところ東京で不足しているのはミネラルウォーターくらい。タマゴも牛乳もワカメももう大丈夫。
(地図はグーグルマップからの引用:クリックすると大きくなります)

地図の上、真ん中の「1」の第三京浜という高速道路(緑色)で三浦半島を目指す。第三京浜というのは東京と横浜を結んでいる高速道路。自宅から東京側の入り口までは10分くらい。
バイクでETCを使うのは初めて。きちんとゲートが開いてくれるか少し緊張する。20キロくらいでソロソロと近づきあっけなくクリア。ETCはクルマでももちろん便利だけれど、ポケットから財布を出し入れしなければいけないバイクには欠かせない。
バイクで高速道路というと、とても危険だと思っている人も多い。しかし対向車は来ないし交差点もないのだから、バカみたいに飛ばさなければ一般道よりは安全である。
ところでバイクにはいろいろなタイプがある。ボディがむき出しになっているか、カウルで覆われているかも大きなポイント。写真の青いバイクは、私のバイクと兄弟車種のBMW F800STでカウルのついたタイプ。白いバイクは私の買ったF800Rでカウルはなし。カウルのないロードバイクはネイキッドと呼ばれることもある。ネイキッド=nakedとは裸のとか、むき出しのという意味の英語である。(ロードバイクとは何かを説明すると長くなるので省略。単にバイクと読み替えてもらっても大丈夫)


カウルはなんのためにあるかというと「風よけ」である。カウルによってライダーに風が当たらないようにし、また空気抵抗も減らす。バイクに乗らない人は、カウルのついているバイクをレースタイプと思っているが、 F800ST(青いバイク)はツーリングタイプ=長距離向けのバイクである。レースタイプのバイクは同じようなカウルがついていても、ハンドルの位置がもっと低くて前傾姿勢で乗るようになっている。そんな姿勢じゃ長距離は走れないので、ツーリングタイプのハンドルは普通の位置にある。
今回、35年ぶりにバイクを買うとき、私はネイキッドのバイクを買うことに最初から決めていた。理由は単純で、カウルタイプは風が当たらないので高速では楽だけれど、それはスピードを出しすぎることにつながるから。自分の性格はよくわかっているのである(^^ゞ
というわけで風に苦労しながら、それとバイクにはまだまだ慣れていないので、周りのクルマの迷惑にならない程度に走行車線をチンタラ走って第三京浜から横浜新道を経由して、横浜横須賀道路に入り終点の馬堀海岸(2と書いてあるところ)まで約1時間。前回の一般道の時は約2時間だったから半分の時間に短縮できたことになる。そこから10分ほどで前回の目的地だった観音崎に(3)。



観音崎は前回来たばかりなので、タバコ&オシッコ休憩のみ。本日の目的は、ここから三浦半島をできるだけ海沿いに走り、湘南まで行くことである。細い道路を選びながら沿岸沿いから離れないように走る。ときどき行き止まりになっているのでUターンすることも多数。こういうドライブはクルマでは大変だから、やはりバイクならではの楽しみ方。バイクでのUターンはけっこう難しいのだが、この日一日でいい練習になった。
たぶん(4)のあたりのはずだが、かなり長い海岸線に出る。ごらんのように砂浜である。前回も観音崎で久しぶりの潮の香りに満足したが、磯と砂浜では潮の香りが微妙に違う。ここは元サーファーの私にとっては懐かしい香り。さっさとバイクに飽きて、やっぱりサーフィンを始めようかと思ってみたりする。


(4)から海沿いに走っていくと、いくつかの海水浴場がある。まだ人も少なくのどかな風景。いい撮影ポイントではあるが、いちいちバイクを停めるのも面倒なので素通り。
できるだけ海岸沿いを走りながらも、ときどき丘を上がったり下がったりしながら走る。いかにも半島らしいのんびりとした畑の風景が続く。写真撮ってないけど(^^ゞ
(5)の三浦市。三浦市というより「まぐろの三崎」といったほうが有名。三崎に来たならマグロ丼でもと思うが、どの店も人が並んでいたし、あまりお腹もすいていなかったので、そのまま湘南に向けて北上する。
できるだけ海岸沿いを走っているので、小さな漁港もいくつか通り過ぎた。漁船とか網とか見ていると、何かすごく遠くまで旅行しているようなイメージがあって得した気分。航空写真で「三浦半島」と書いてあるところの上のコブのようなところまで海岸沿いを選んでクネクネと走る。そこから先は134号線でいわゆる湘南エリアを普通に走った。このあたりは今まで数え切れないくらい来ている。逗子市の下、134号線の標識が書かれているあたりが葉山。夏ほどじゃないけれど道路も混んでくる。
昔は江ノ島を境にして東側がウインドサーフィン、西側がサーフィンという区別もあったが、今はどのビーチでもウインドサーフィンとサーフィンは一緒にやっている感じ。なんていう名前か知らないけれど、長いボードに立ってオールで漕いでいるようなことをやっている人も多く見かけた。あんなの、おもしろいのかな?
地図を見ると134号線はずっと海岸線に沿っているように見える。しかし湘南は江ノ島を超えると、道路と海の間に防風林があって海は見えない。ただの直線の道がずっと続く。
(6)あたりでクルマが一杯止まっている空き地のようなところがあったので、海岸まで出る。釣り船の発着場らしい。空き地はところどころ砂地。バイクで砂の上を走るのは初めてだったが、それほど難しくもなかった。

ドッカーンと広い砂浜。
♪海は広いな〜大きいな〜と、
人がいたので心の中で唄う
(^^ゞ

波は膝から腰くらいの高さ。
ヘタクソばっかりだった。
私もここなら、
大きな顔してサーフィンが
できそうである。
あまり人が入らないように写真は撮っている。実際にはサーファー以外に、家族連れやカップルなどけっこう人はいる。いかにもベテランっぽいサーファーが休憩していたので声を掛ける。ここは西浜というところらしい。ほんの数分だったけれど、久しぶりにサーフィン談義ができて楽しかった。
バイクに戻ってさらに西に進み、相模川を越えて129号線を北上し、(7)のところにある厚木インターチェンジから東名高速に乗って帰宅。トータル200キロほどのバイクツーリング。楽しい1日でした。海の写真しかなくてゴメン
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2011年03月21日
観音崎へ

日曜日にバイクで三浦半島にある観音崎まで行ってきた。
ちなみにバイクの世界では、バイクに乗って出かけることをツーリングというらしい。クルマならドライブだけど、ドライブってもう死語かなあ?
(下の航空写真地図はグーグルマップからの引用)
ピンクでAのピンが刺さっているようになっているところが観音崎。(クリックしたら大きくなります) 東京〜横浜〜横須賀と東京湾の都市部沿岸はすべて埋め立て地になっている。観音崎は東京から一番近い、自然の海岸線が見られる観光地である。
自宅からの道路距離は約60キロ。国道1号線で横浜まで行き、16号線で観音崎まで。一応ナビもセットしておいたが、道路標識だけでも迷わずたどり着ける。地震、ガソリン不足の影響で道路は空いていたので2時間程度で着いた。

数えてみるとバイクを買って、本日を含めて乗るのはまだ5回目。3回目に港北ニュータウンに行った途中で給油して、それから4回目の土曜日までで80キロ走っていた。だいたいこのバイクのタンクは何リットル入って、燃費がどれくらいなのかも知らない。
ディーラーに電話すると、タンクは16リッターで、250〜270キロくらいで燃料警告灯がつくとのこと。270キロ÷16リッターなら燃費はリッター16.8キロという計算になる。観音崎往復を余裕を見て150キロとして、すでに走った80キロを足して230キロ。ガソリンは大丈夫なはずと思って出発。
途中で見かけたガソリンスタンドは、昨日と変わらずどこも長蛇の列。1/5位のお店は休業中。何となく燃費を気にしつつ走る。
横須賀を過ぎて観音崎までの途中に馬堀(まほり)海岸というところがあり、突然南国リゾート風の景色が広がる。写真は撮らなかったので、このページでどうぞ。この後、距離は短いけれど海岸線に沿った高低差のあるクネクネした道路がある。バイクにもずいぶんと慣れてきので楽しめた。こういう道路より、発進してすぐ曲がらなければならない交差点のほうが苦手だ。

でも久しぶりの海の光景と潮の香りに満足。
波はきわめて穏やか。

カメラをズームにしたが、上手く写っていなかった。

写真に写っている灯台まで上っていくことができる。
でもブーツが重すぎるからやめた(>_<)
やっぱり早く買い換えないと。

地震で崩れたようなところはなかった。


岩をくりぬいて作ってある。落石の形跡はなし。しかし、ここを歩いているときに先日の揺れが来たら、生きた心地がしないだろうなあと思う。
岬をぐるっと一周する遊歩道だと思っていたのに、このトンネルを抜けると普通の道路に出る。次のスポットまでは、その道路を歩いて行くらしい。変な観光地である。ということで15分ほど歩いてきた遊歩道を戻る。この遊歩道でジョギングしている人が5〜6名いた。

しばしベンチで休息。
海を眺めればいつでも心が安まるものだが、今回は特に落ち着くというか、気持ちがスーッと軽くなるのを感じた。地震そのものの被害はほとんどなかったけれど揺れに恐怖を感じたし、その後の被災地の惨状、原発への不安、電車や停電、それに仕事も地震の影響で何かとアタフタしている。気がつかないうちに精神的な負担が溜まっていたのかもしれない。来てよかったとしみじみ思った。
被害に遭わなかった者の努めは、自分の生活をよりいっそうがんばることだと思っている。テレビで震災報道にかじりついて被災地がよくなるわけでもない。被災地を気に掛けつつも、どこかで切り替えなければいけない。表現が大げさかも知れないが、観音崎に来て私は立ち直った気がする。津波の被害にあった人たちは、今は海など見たくもないだろうが、早期の復興を願うばかりである。
もっとボーッとしていたかったけれど、明るいうちに自宅に帰りたかったので1時間ほど過ごして帰路につく。先ほどの馬堀海岸から横浜横須賀新道(通称ヨコヨコ)にのって、横浜で接続している第三京浜を使えば自宅近くまでずっと高速道路で移動できる。でも観音崎に着いたあたりから風が強くなってきたので往きと同じ道で帰ることにした。バイクで強風にあおられると結構こわい。実際にはびっくりするだけで、倒れたり進路が流されることもないのだが(たぶん)。残念ながら高速道路デビューはオアズケ。
帰りの道路も空いていた。
国道1号線の横浜と東京の中間あたりは長い直線になっている。
そこで、こっそりエンジンパワーのテスト(^^ゞ
2速フル加速だとバイクから振り落とされそうになる。3速は当たり前として、4速でもかなり早かったのに満足。
ところで横浜市内あたりから、クラッチを握る左手がかなり辛くなってきた。というわけで、もうガソリン残量は大丈夫と確信した東京に入る手前からは、1速で発進〜2速を飛ばして3速に入れ、そのままオートマ状態で走る。実は今日もまだ左手は少し痛い。たかだか往復120キロほどなのに、渋滞もゼロだったのに情けないぞ!私の左手(^^ゞ。
往きと同じく2時間ほどで無事帰宅。
交通安全に感謝。
wassho at 18:56|Permalink│Comments(2)│