中野嘉之
2018年10月29日
RIMPA TO NIHONGA―現代日本画に見る琳派の様相 その2
ドアを開けて美術館に入ると受付があり、すぐその先からが展示室になっている。3フロアに分かれた展示室は1階を見てからエレベーターで3階に上がり、階段で2階に下りる順路になっている。1階と3階がRIMPA TO NIHONGAの企画展、2階が桜百景と名付けられた桜をテーマとした作品の展示がある。すべて併せて35作品の展示だからこぢんまりした規模の美術館である。
しかし展示室に足を踏み入れたとたんモダンな琳派ワールド全開で圧倒される。特に1階は展示されている10作品のほとんどが500号越えのビッグサイズなのでなおさら。
現代日本画のカテゴリーにはまったく詳しくないので、画家に関してビッグネームの加山又造以外は数名を見たことがあったかなあ、名前を聞いたような気もするなあというレベルだった。そういうわけでマイナーな画家が多くネットで作品の画像収集もはかどらず。何点かとても面白いと感じた作品を紹介できないのが残念。
那波多目(なばため)功一 「昇陽菊図」 1999年
平松礼二 「路・野菊讃」 1996年
画像は2隻の屏風のうちの右隻。縦は168センチ、2つ合わせて幅は711センチの巨大作品。これだけ大きいとブログの画像ではまったく別物に見えてしまう。この作品を何と表現したらいいのかわからないけれど、けっこう息を詰めて見つめてしまった。ただしタイトルを見るまで菊ではなく紅葉を描いた絵だと思っていたのは内緒(^^ゞ
加山又造 「淡月(たんげつ)」 1996年
私の頭の中で加山又造は画家というよりクリエーターの分類に入っている。もう亡くなって15年くらいだろうか。この人は本人も美術界も「現代の琳派」を意識していた画家。それでもってこの淡月は尾形光琳にも見せたいくらいの出来映え。そしてメインのしだれ桜ではなく、背景に置いた月を絵のタイトルにするセンスにもヤラレタ!の快感。
加山又造 「洋猫」 1970年
これは15号と普通サイズであるが、他が500号越えだからやたら小さく感じる。そして見れば見るほどスタイリッシュな作品。ただ目は青く塗りつぶされていて実物サイズで見ると穴が空いているようにも見える。それって狙いなのかな。そうだとしたら何を狙っているのだろう?
林潤一 「四季花卉図」 2000年
※花卉(かき)とは観賞用の花をつける植物の総称。
実際にはこんな光景を見ることはできない。左から冬〜春〜夏〜秋と、それぞれのシーズンに咲く花を無理やり並べた作品。あまり琳派的なイメージも感じず。しかしお花畑好きの私にとっては天国のような世界。
ここからが3階の展示室で13作品並んでいた。1階と違い500号越えは1つだけで50号から80号のサイズが中心。それでも充分に大型サイズであるが。
中野嘉之(よしゆき) 「秋映譜」 1991年
下田義寛 「疎林」 1986年
千住博 楽園の幕間」 1992年
中島千波 「白麗花」 1993年
2階は桜に関連する作品。
企画展に併せたのか琳派ぽいイメージの作品が多かった。
染谷香理 「誰が袖ー春」 2016年
木下めいこ 「桜鏡」 2014年
鈴木紀和子 「誘い」 2013年
中島千波 「春夜三春の瀧櫻」 1998年
思っていた以上に楽しめた展覧会だった。それぞれの作品から感じたのは「研ぎ澄まされた美意識の高さ」のようなもの。目に突き刺さるようにビシバシ伝わってきた。それが琳派と通ずるところなのかなとも思う。
そういう感覚は西洋絵画にはあまり見られないし、また岩絵の具を使う日本画ならではの繊細さによるところも大きい。欲を言えば、その美意識でもっとモダンというか日本的なものから離れたなテーマで描いて欲しい。例えば花なら桜や菊じゃなくてバラとか。もちろん日本的な感性は残してである。
とりあえず現代日本画に少し興味が湧いてきた。
おしまい
しかし展示室に足を踏み入れたとたんモダンな琳派ワールド全開で圧倒される。特に1階は展示されている10作品のほとんどが500号越えのビッグサイズなのでなおさら。
現代日本画のカテゴリーにはまったく詳しくないので、画家に関してビッグネームの加山又造以外は数名を見たことがあったかなあ、名前を聞いたような気もするなあというレベルだった。そういうわけでマイナーな画家が多くネットで作品の画像収集もはかどらず。何点かとても面白いと感じた作品を紹介できないのが残念。
那波多目(なばため)功一 「昇陽菊図」 1999年
平松礼二 「路・野菊讃」 1996年
画像は2隻の屏風のうちの右隻。縦は168センチ、2つ合わせて幅は711センチの巨大作品。これだけ大きいとブログの画像ではまったく別物に見えてしまう。この作品を何と表現したらいいのかわからないけれど、けっこう息を詰めて見つめてしまった。ただしタイトルを見るまで菊ではなく紅葉を描いた絵だと思っていたのは内緒(^^ゞ
加山又造 「淡月(たんげつ)」 1996年
私の頭の中で加山又造は画家というよりクリエーターの分類に入っている。もう亡くなって15年くらいだろうか。この人は本人も美術界も「現代の琳派」を意識していた画家。それでもってこの淡月は尾形光琳にも見せたいくらいの出来映え。そしてメインのしだれ桜ではなく、背景に置いた月を絵のタイトルにするセンスにもヤラレタ!の快感。
加山又造 「洋猫」 1970年
これは15号と普通サイズであるが、他が500号越えだからやたら小さく感じる。そして見れば見るほどスタイリッシュな作品。ただ目は青く塗りつぶされていて実物サイズで見ると穴が空いているようにも見える。それって狙いなのかな。そうだとしたら何を狙っているのだろう?
林潤一 「四季花卉図」 2000年
※花卉(かき)とは観賞用の花をつける植物の総称。
実際にはこんな光景を見ることはできない。左から冬〜春〜夏〜秋と、それぞれのシーズンに咲く花を無理やり並べた作品。あまり琳派的なイメージも感じず。しかしお花畑好きの私にとっては天国のような世界。
ここからが3階の展示室で13作品並んでいた。1階と違い500号越えは1つだけで50号から80号のサイズが中心。それでも充分に大型サイズであるが。
中野嘉之(よしゆき) 「秋映譜」 1991年
下田義寛 「疎林」 1986年
千住博 楽園の幕間」 1992年
中島千波 「白麗花」 1993年
2階は桜に関連する作品。
企画展に併せたのか琳派ぽいイメージの作品が多かった。
染谷香理 「誰が袖ー春」 2016年
木下めいこ 「桜鏡」 2014年
鈴木紀和子 「誘い」 2013年
中島千波 「春夜三春の瀧櫻」 1998年
思っていた以上に楽しめた展覧会だった。それぞれの作品から感じたのは「研ぎ澄まされた美意識の高さ」のようなもの。目に突き刺さるようにビシバシ伝わってきた。それが琳派と通ずるところなのかなとも思う。
そういう感覚は西洋絵画にはあまり見られないし、また岩絵の具を使う日本画ならではの繊細さによるところも大きい。欲を言えば、その美意識でもっとモダンというか日本的なものから離れたなテーマで描いて欲しい。例えば花なら桜や菊じゃなくてバラとか。もちろん日本的な感性は残してである。
とりあえず現代日本画に少し興味が湧いてきた。
おしまい
wassho at 20:39|Permalink│Comments(0)│