入院
2019年07月03日
初めての入院 その14 大腸がん検診を受けることに
前回から2週間たった昨日、退院してから4回目の通院。
課題だった血液検査は無事クリア\(^o^)/
ただしまだ終了とはならず、FZ医師の強い勧めもあって大腸がん検診を受けることになった。大腸がんが今回の症状を引き起こした疑いもなくはないというのと、年齢的に受けておくべきというのが主な理由。
何歳から大腸を検診すべきなのかよく知らないが、そういえば私の友人にも年に1回の定期検診を受けているという人は何名かいる。がんが見つかったら見つかったで困るが、ここは覚悟を決めてというところ。
大腸がん検診というのは肛門から内視鏡を挿入して行う(>_<) それは知っていたのだが、ビックリしたのは検査前に飲む下剤の量。考えてみれば当たり前で、ウンチがあったら大腸の様子を見られない。
まず検査前日の寝る前にヒマシ油というものを30ml飲む。なかなか強い下剤らしく寝ている間に数回催す可能性があるとのこと。
そして当日は自宅を出る前の4時間前から2時間前の2時間をかけて、ニフレックスという最強の下剤をなんと2リットルも飲む。これで腸の中のウンチを全部出し切るということ。最後は黄色い液体にならなければいけないらしい。自宅を出る2時間前までに服用を終了するのは下痢ピッピの状態では外出できないから(^^ゞ
私の検査は午前11時からで自宅を出るのは午前10時。ということは午前6時からニフレックスを飲み始める。前の晩にヒマシ油も飲むから、夜から朝までずっと下痢ピッピということになる。耐えられるかなあ。
課題だった血液検査は無事クリア\(^o^)/
ただしまだ終了とはならず、FZ医師の強い勧めもあって大腸がん検診を受けることになった。大腸がんが今回の症状を引き起こした疑いもなくはないというのと、年齢的に受けておくべきというのが主な理由。
何歳から大腸を検診すべきなのかよく知らないが、そういえば私の友人にも年に1回の定期検診を受けているという人は何名かいる。がんが見つかったら見つかったで困るが、ここは覚悟を決めてというところ。
大腸がん検診というのは肛門から内視鏡を挿入して行う(>_<) それは知っていたのだが、ビックリしたのは検査前に飲む下剤の量。考えてみれば当たり前で、ウンチがあったら大腸の様子を見られない。
まず検査前日の寝る前にヒマシ油というものを30ml飲む。なかなか強い下剤らしく寝ている間に数回催す可能性があるとのこと。
そして当日は自宅を出る前の4時間前から2時間前の2時間をかけて、ニフレックスという最強の下剤をなんと2リットルも飲む。これで腸の中のウンチを全部出し切るということ。最後は黄色い液体にならなければいけないらしい。自宅を出る2時間前までに服用を終了するのは下痢ピッピの状態では外出できないから(^^ゞ
私の検査は午前11時からで自宅を出るのは午前10時。ということは午前6時からニフレックスを飲み始める。前の晩にヒマシ油も飲むから、夜から朝までずっと下痢ピッピということになる。耐えられるかなあ。
wassho at 19:15|Permalink│Comments(0)│
2019年06月18日
初めての入院 その13
退院してから3回目の通院。
前回は血液検査の結果が思わしくなかった。今回も少し改善した程度で無罪放免とはならず。体調的にはまったくノーマルなのに、どこが悪いのだろう。
とりあえず抗生剤はやめて2週間様子を見ることになった。薬を飲まないのだから、そんなに心配することはないだろうと自分に言い聞かせる。
その抗生剤。抗生物質という名前の方がなじみがあるが、抗生物質を薬にしたものを抗生剤というみたいだ。抗生物質は「微生物が産生し、ほかの微生物の発育を阻害する物質」という定義。だから平たくいうと細菌を壊したり増えるのを抑える薬が抗生剤である。ちなみに世界で最初に開発されたのはペニシリン。名前だけはよく知っていたが、調べてみると肺炎、梅毒、喉頭炎、中耳炎などに効く薬だった。それぞれの病気につながりはなさそうに思えるが。
私が処方されていた抗生剤をネットで調べると、細菌のDNA複製を阻害し、殺菌作用があると書かれていた。適応する疾患は
肺炎、慢性呼吸器病変の二次感染、急性気管支炎、乳腺炎、肛門周囲膿瘍、
咽頭・喉頭炎、扁桃炎(扁桃周囲炎、扁桃周囲膿瘍を含む)、腎盂腎炎、
前立腺炎(急性症、慢性症)、精巣上体炎(副睾丸炎)、尿道炎、感染性腸炎、
腸チフス、パラチフス、コレラ、涙嚢炎、麦粒腫、瞼板腺炎、外耳炎、中耳炎、
副鼻腔炎、化膿性唾液腺炎、歯周組織炎、歯冠周囲炎、顎炎、炭疽、ブルセラ症、
ペスト、野兎病、Q熱、結核、膀胱炎、表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、
リンパ管・リンパ節炎、慢性膿皮症、痤瘡(化膿性炎症を伴うもの)、
外傷・熱傷および手術創等の二次感染、胆管炎、胆のう炎、バルトリン腺炎、
子宮内感染及び付属器炎、子宮頸管炎
と、これまた幅広い。
どうでもいいけれど「ブルセラ症」なんて名前の病気があるんだ。
この抗生剤の効果はすぐわかる。飲むとウンチがクッチャくなるから。抗生剤は細菌に作用するものの、都合よく悪い細菌だけをやっつけてはくれない。腸内には善玉菌と悪玉菌がいる。FZ医師によるとこの抗生剤は両方の細菌をやっつけてしまうとのこと。善玉菌がいなくなるとウンチがクッチャくなるのだ(^^ゞ
ということは今、私の腸には善玉菌はいないけれど悪玉菌もいない。だから「善玉菌を増やす」とうたっているヨーグルトやサプリメントを摂れば善玉菌だらけになるのかな?
今回の検査で無罪放免にはならなかったが、普通の生活、食事をしていいし、飲み過ぎなければアルコールもOKという許可も出た。まあ仮釈放といったところかな。
というわけで病院から自宅に戻ってきた昼過ぎに祝杯(^^ゞ
まだ先はあるだろうが、ここまでの道のりも長かったゼ。
ーーー続く
前回は血液検査の結果が思わしくなかった。今回も少し改善した程度で無罪放免とはならず。体調的にはまったくノーマルなのに、どこが悪いのだろう。
とりあえず抗生剤はやめて2週間様子を見ることになった。薬を飲まないのだから、そんなに心配することはないだろうと自分に言い聞かせる。
その抗生剤。抗生物質という名前の方がなじみがあるが、抗生物質を薬にしたものを抗生剤というみたいだ。抗生物質は「微生物が産生し、ほかの微生物の発育を阻害する物質」という定義。だから平たくいうと細菌を壊したり増えるのを抑える薬が抗生剤である。ちなみに世界で最初に開発されたのはペニシリン。名前だけはよく知っていたが、調べてみると肺炎、梅毒、喉頭炎、中耳炎などに効く薬だった。それぞれの病気につながりはなさそうに思えるが。
私が処方されていた抗生剤をネットで調べると、細菌のDNA複製を阻害し、殺菌作用があると書かれていた。適応する疾患は
肺炎、慢性呼吸器病変の二次感染、急性気管支炎、乳腺炎、肛門周囲膿瘍、
咽頭・喉頭炎、扁桃炎(扁桃周囲炎、扁桃周囲膿瘍を含む)、腎盂腎炎、
前立腺炎(急性症、慢性症)、精巣上体炎(副睾丸炎)、尿道炎、感染性腸炎、
腸チフス、パラチフス、コレラ、涙嚢炎、麦粒腫、瞼板腺炎、外耳炎、中耳炎、
副鼻腔炎、化膿性唾液腺炎、歯周組織炎、歯冠周囲炎、顎炎、炭疽、ブルセラ症、
ペスト、野兎病、Q熱、結核、膀胱炎、表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、
リンパ管・リンパ節炎、慢性膿皮症、痤瘡(化膿性炎症を伴うもの)、
外傷・熱傷および手術創等の二次感染、胆管炎、胆のう炎、バルトリン腺炎、
子宮内感染及び付属器炎、子宮頸管炎
と、これまた幅広い。
どうでもいいけれど「ブルセラ症」なんて名前の病気があるんだ。
この抗生剤の効果はすぐわかる。飲むとウンチがクッチャくなるから。抗生剤は細菌に作用するものの、都合よく悪い細菌だけをやっつけてはくれない。腸内には善玉菌と悪玉菌がいる。FZ医師によるとこの抗生剤は両方の細菌をやっつけてしまうとのこと。善玉菌がいなくなるとウンチがクッチャくなるのだ(^^ゞ
ということは今、私の腸には善玉菌はいないけれど悪玉菌もいない。だから「善玉菌を増やす」とうたっているヨーグルトやサプリメントを摂れば善玉菌だらけになるのかな?
今回の検査で無罪放免にはならなかったが、普通の生活、食事をしていいし、飲み過ぎなければアルコールもOKという許可も出た。まあ仮釈放といったところかな。
というわけで病院から自宅に戻ってきた昼過ぎに祝杯(^^ゞ
まだ先はあるだろうが、ここまでの道のりも長かったゼ。
ーーー続く
wassho at 20:50|Permalink│Comments(0)│
2019年06月11日
初めての入院 その12
本日は退院してから2回目の通院日だった。
病院に着くとまず採血、そしてCT撮影。
CTはレントゲンの一種だけれど、コンピューター断層撮影(computed tomography)の名の通り身体を断層=輪切りにして撮影できる。
一般のレントゲンはX線照射装置→身体→画像センサー(昔ならフィルム)の順に並んで撮る。デジカメに置き換えるなら太陽光線→被写体→画像センサー。つまり撮影は一方向からのみ。
一方でCTは円周上全域に画像センサーが配置され、身体を円の中に置いて、X線照射装置が円周上をグルグル回って360度全方向から撮影する。またベッドがスライドして身体の広い範囲を撮影する。それで得られた画像データをコンピューターで合成して、広範囲の輪切り画像を得られるという仕組み。
説明がよくわからない?
じゃ習うより慣れろというから、病気になってCTの検査を受けてみて(^^ゞ
その2つを終えてから診察室に入る。もう体感的にはまったく異常はないので「よかったですね、すっかりよくなりました」という言葉を期待していたのだがーーー
CT撮影はお腹の中にまき散らした膿の状態を確認するためのもの。FZ医師によれば当初の5%位になっているとのことでひと安心。輪切り画像を見ながら説明してもらったが「これが内蔵です、これが膿です」と表示されるわけではなく、また内蔵も膿も同じグレーの影みたいなもので、その微妙な形を読み取って判断している。ほとんど職人技。
ところで今回の入院は、最初に診察を受けたMG病院のUZ医師が盲腸ではないと判断し、その後に上がってきたCTの詳細レポートなるものに「盲腸の疑いあり」と記載されていたことで対応が遅れた。医療関係の友人にそのことを尋ねると「CT画像を読み取るのが得意な先生と、そうじゃない先生がいる」とのこと。そうじゃない先生は専門の技師かなんかにレポートを依頼するらしい。なんとなく内科医より、手術で身体の中を直接見ている外科医の方が信頼できそうな気がする。
それはさておき問題は血液検査の結果。ある項目が入院時より悪化しているらしい。原因はいろいろ考えられるのだが、悪いケースの想定は、説明を聞くのもブログに書くのもビビる内容だから書かないでおく。
それで今回は、前回の通院までで投与を終了していた抗生剤をまた飲むことになった。5%残っている膿が影響しているという判断なのだろうか。そのあたりはあまり詳しく尋ねなかった。
ーーーというわけで不本意ながら、まだ続く。
とりあえずは元気なんだけどなあ。
病院に着くとまず採血、そしてCT撮影。
CTはレントゲンの一種だけれど、コンピューター断層撮影(computed tomography)の名の通り身体を断層=輪切りにして撮影できる。
一般のレントゲンはX線照射装置→身体→画像センサー(昔ならフィルム)の順に並んで撮る。デジカメに置き換えるなら太陽光線→被写体→画像センサー。つまり撮影は一方向からのみ。
一方でCTは円周上全域に画像センサーが配置され、身体を円の中に置いて、X線照射装置が円周上をグルグル回って360度全方向から撮影する。またベッドがスライドして身体の広い範囲を撮影する。それで得られた画像データをコンピューターで合成して、広範囲の輪切り画像を得られるという仕組み。
説明がよくわからない?
じゃ習うより慣れろというから、病気になってCTの検査を受けてみて(^^ゞ
その2つを終えてから診察室に入る。もう体感的にはまったく異常はないので「よかったですね、すっかりよくなりました」という言葉を期待していたのだがーーー
CT撮影はお腹の中にまき散らした膿の状態を確認するためのもの。FZ医師によれば当初の5%位になっているとのことでひと安心。輪切り画像を見ながら説明してもらったが「これが内蔵です、これが膿です」と表示されるわけではなく、また内蔵も膿も同じグレーの影みたいなもので、その微妙な形を読み取って判断している。ほとんど職人技。
ところで今回の入院は、最初に診察を受けたMG病院のUZ医師が盲腸ではないと判断し、その後に上がってきたCTの詳細レポートなるものに「盲腸の疑いあり」と記載されていたことで対応が遅れた。医療関係の友人にそのことを尋ねると「CT画像を読み取るのが得意な先生と、そうじゃない先生がいる」とのこと。そうじゃない先生は専門の技師かなんかにレポートを依頼するらしい。なんとなく内科医より、手術で身体の中を直接見ている外科医の方が信頼できそうな気がする。
それはさておき問題は血液検査の結果。ある項目が入院時より悪化しているらしい。原因はいろいろ考えられるのだが、悪いケースの想定は、説明を聞くのもブログに書くのもビビる内容だから書かないでおく。
それで今回は、前回の通院までで投与を終了していた抗生剤をまた飲むことになった。5%残っている膿が影響しているという判断なのだろうか。そのあたりはあまり詳しく尋ねなかった。
ーーーというわけで不本意ながら、まだ続く。
とりあえずは元気なんだけどなあ。
wassho at 18:26|Permalink│Comments(0)│
2019年06月10日
お粥についての誤解
先日、入院していた時のこと。
最初の1週間は食事がなく点滴での栄養補給のみ。これは腸を安静にする=働かせないための措置。
病院食が始まったのは8日目から。最初は中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥とはお粥(かゆ)と重湯(おもゆ)が半々程度のお粥。
<これが五分粥の病院食 米粒はほとんど重湯に隠れている>
やがて中粥食から軟菜食メニューに変更になった。おかずも1皿増えたが、いちばんの違いは五分粥が全粥に変わったこと。全粥とは重湯のスープがない普通のお粥である。
<これが全粥の病院食 米粒が見えている>
そしてそのお粥。入院中にも書いたが味がなくて、五分粥はスープみたいなものだからなんとか我慢できても、全粥はとても食べにくかった。それで病院内の売店で振り掛けを買って使っていた。
それにしてもお粥とは水の量を多くして柔らかく炊いた米であって、基本的にはご飯と同じもののはず。ご飯は味付けなしでも不満はないのに、お粥だとなぜまったくおいしくないのか不思議だった。
さて退院して2週間近くたつのに、現在もお粥を食べている。たまにパンの時もあるし、おかずだけの場合もあるけれど、主食は基本的にお粥である。退院するときに医師から食事についての注意は特になかった。でもまあ消化に良いものは常識だろうと思って選んだお粥が、なぜかいまだに続いている。体が欲しているのか、あるいは気持ち的にビビっているのかはわからない。とにかく今のところ普通のご飯を食べる気にはならないでいる。
もちろんお粥はレトルトである。
写真はスーパーの棚。写真には入っていないが、もう2〜3種類ある。
病院での経験を踏まえて具入りの味付きのお粥を買っていた。でも、もうそれぞれ何回も食べたし、そういえば病院で買った振り掛けも残っているのを思い出し、写真の右から二番目の、特別栽培の魚沼産コシヒカリ100%だという「魚沼白がゆ」を先日買ってみた。これは具が何も入っていない、味付けのないプレーンなお粥である。
食べた。
美味しかった!
つまりお粥はご飯と同じ程度おいしいものであって、病院のお粥に味がなくてマズいと感じたのは、味がなかったからではなくて、単に病院のお粥のレベルが低かっただけだとわかった。普段はお粥なんて食べないので、そのことに気づかなかったというか、そう判断をする情報を持っていなかった。
やはり何事も経験は大事。
そしてお粥の名誉回復のためにこんなブログを書いた(^^ゞ
最初の1週間は食事がなく点滴での栄養補給のみ。これは腸を安静にする=働かせないための措置。
病院食が始まったのは8日目から。最初は中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥とはお粥(かゆ)と重湯(おもゆ)が半々程度のお粥。
<これが五分粥の病院食 米粒はほとんど重湯に隠れている>
やがて中粥食から軟菜食メニューに変更になった。おかずも1皿増えたが、いちばんの違いは五分粥が全粥に変わったこと。全粥とは重湯のスープがない普通のお粥である。
<これが全粥の病院食 米粒が見えている>
そしてそのお粥。入院中にも書いたが味がなくて、五分粥はスープみたいなものだからなんとか我慢できても、全粥はとても食べにくかった。それで病院内の売店で振り掛けを買って使っていた。
それにしてもお粥とは水の量を多くして柔らかく炊いた米であって、基本的にはご飯と同じもののはず。ご飯は味付けなしでも不満はないのに、お粥だとなぜまったくおいしくないのか不思議だった。
さて退院して2週間近くたつのに、現在もお粥を食べている。たまにパンの時もあるし、おかずだけの場合もあるけれど、主食は基本的にお粥である。退院するときに医師から食事についての注意は特になかった。でもまあ消化に良いものは常識だろうと思って選んだお粥が、なぜかいまだに続いている。体が欲しているのか、あるいは気持ち的にビビっているのかはわからない。とにかく今のところ普通のご飯を食べる気にはならないでいる。
もちろんお粥はレトルトである。
写真はスーパーの棚。写真には入っていないが、もう2〜3種類ある。
病院での経験を踏まえて具入りの味付きのお粥を買っていた。でも、もうそれぞれ何回も食べたし、そういえば病院で買った振り掛けも残っているのを思い出し、写真の右から二番目の、特別栽培の魚沼産コシヒカリ100%だという「魚沼白がゆ」を先日買ってみた。これは具が何も入っていない、味付けのないプレーンなお粥である。
食べた。
美味しかった!
つまりお粥はご飯と同じ程度おいしいものであって、病院のお粥に味がなくてマズいと感じたのは、味がなかったからではなくて、単に病院のお粥のレベルが低かっただけだとわかった。普段はお粥なんて食べないので、そのことに気づかなかったというか、そう判断をする情報を持っていなかった。
やはり何事も経験は大事。
そしてお粥の名誉回復のためにこんなブログを書いた(^^ゞ
wassho at 08:56|Permalink│Comments(0)│
2019年06月04日
初めての入院 その11
退院して6日経った本日、診察のために通院。
採血の後、レントゲン室でFZ医師の診察を受ける。膿を抜いた後の空洞は無くなっていたので、お腹に挿していた管を抜けることに。
いつものように「麻酔たっぷりでお願いします」というと(^^ゞ 抜くときは麻酔はしないという返事でビビる。いつ抜くのだろうと身構えていると「はい、抜けました」と言われて拍子抜け。痛みどころかまったく何も感じなかった。
管を見せてもらうと5センチくらいしかない。もっと長いものが挿さっているいる感覚だったのに。何度か管の位置を調整したから(短くしたとは言われていないが)最初はもっと長かったのかもしれない。
何はともあれ身体からチューブが伸びているサイボーグ生活から卒業。
来週にまたCT検査をして直腸付近に溜まっていた膿がどうなっているかを確認する。抗生剤で退治できていればいいのだが。もしそうでなければ虫垂付近に管を挿して膿を抜くのとはレベルの違う手術というか施術が必要となる。チョー不安
しかし処方されている抗生剤は明日でなくなるが、それ以降は飲む必要はないとのことなので、FZ医師の見立ては楽観的なのかもしれない。いずれにしても1週間後が運命の分かれ道。
診察が終わって支払いの手続きをしている時、このブログを読んでくれたS女史から見舞いのメールが届く。ずいぶんご無沙汰しているが忘れられていなくてよかった(^^ゞ
TO病院から駅まではモネにでも描かせたいような遊歩道になっている。
病人としてはけっこう救われた気分になる。
ーーー続く
採血の後、レントゲン室でFZ医師の診察を受ける。膿を抜いた後の空洞は無くなっていたので、お腹に挿していた管を抜けることに。
いつものように「麻酔たっぷりでお願いします」というと(^^ゞ 抜くときは麻酔はしないという返事でビビる。いつ抜くのだろうと身構えていると「はい、抜けました」と言われて拍子抜け。痛みどころかまったく何も感じなかった。
管を見せてもらうと5センチくらいしかない。もっと長いものが挿さっているいる感覚だったのに。何度か管の位置を調整したから(短くしたとは言われていないが)最初はもっと長かったのかもしれない。
何はともあれ身体からチューブが伸びているサイボーグ生活から卒業。
来週にまたCT検査をして直腸付近に溜まっていた膿がどうなっているかを確認する。抗生剤で退治できていればいいのだが。もしそうでなければ虫垂付近に管を挿して膿を抜くのとはレベルの違う手術というか施術が必要となる。チョー不安
しかし処方されている抗生剤は明日でなくなるが、それ以降は飲む必要はないとのことなので、FZ医師の見立ては楽観的なのかもしれない。いずれにしても1週間後が運命の分かれ道。
診察が終わって支払いの手続きをしている時、このブログを読んでくれたS女史から見舞いのメールが届く。ずいぶんご無沙汰しているが忘れられていなくてよかった(^^ゞ
TO病院から駅まではモネにでも描かせたいような遊歩道になっている。
病人としてはけっこう救われた気分になる。
ーーー続く
wassho at 18:31|Permalink│Comments(0)│
2019年05月30日
初めての入院 その10
昨日にめでたく退院。
数えてみるとMG病院で2日、TO病院で15日と合計17日間の入院生活。
長かったような短かったような。
入院中は検査の時以外はボーッとして過ごすしかない変化や刺激のない生活。
そうすると時間の感覚が麻痺してくる。だから17日間もという実感はまったくない。
友人たちからは色々と励ましのLINEやメールをもらった。感謝の気持ち以外ない。看護師をナンパしてくるというリクエストは果たせなかったが(^^ゞ またブログを読んでコメントを寄せてくれた人もいた。見ず知らずの人に心配してもらえるなんて思ってもみなかったこと。ありがとうございました。
昨日は帰宅してから、ほとんど何もしなかった。
本日午前中のミッションはシャワーを浴びること。入院中も3日に1回くらいの頻度で看護師さんがシャンプーしてくれたり、また暖かいウェットペーパータオルで体を拭いてくれたので、それほど不潔な状態にはなっていない。でもやはりサッパリしたいもの。
ただし問題は前回のエントリーで書いたように、お腹には管が挿さったまま。管が出ている周りは防水性のあるシートで覆われている。シャワーを浴びるには、その防水性をさらに高める必要がある。
手順としては、まず指やガーゼをカットするハサミを消毒用のアルコール綿で拭き拭き。
次に管はコネクターを介してビニールチューブに接続され体液入れの容器とつながっているのだが、その接続を切り離す。そして、それぞれの接続面を消毒。
お腹から伸びている管を、オリジナルの防水シートの上に這わせて絆創膏で留める。
そしてオリジナルの防水シートを覆うようにガーゼを被せる。その理由は、さらにその上から新たな防水シートを貼るのだが、オリジナルのシートの上に直接新しいシートを貼ると、それを剥がすときにオリジナルのシートも一緒に剥がれる可能性があるから。
ガーゼを絆創膏で留める。
そしてガーゼを覆うように新しい防水シートを貼る。防水シートは幅の広いセロテープのようなもの。ただしとても薄くて柔らか人工皮膚みたい。その粘着力自体は絆創膏より少し強い程度だが、密着力がかなり強い。
手順としてはその程度であるが、立ったまま下を見ながらのの作業だし、ガーゼも防水シートも複数枚使うのでなかなか思うように配置できない。結局15分以上はかかった。そしてシャワーは立って浴びるつもりだったが、シャンプーなどを取るために屈んだりすると防水シートが剥がれそうになったり。だからかなり気を使ってのシャワータイム。結局サッパリしたのか疲れたのかよくわからず。
シャワーが終わったら全てを剥がして元の状態に戻す。オリジナルの防水シートに少し湿り気を感じたが、これくらいなら大丈夫だろう。
まあ何かあれば、また救急車に乗ってやるぜ(^^ゞ
シャワー作業資材の1回分は病院から貰ってきた。それで午後は駅前のドラッグストアまで次回以降の資材の買い出し。
しかし、そういう感覚は全くなかったのだが、TO病院で15日間もほぼ寝たきりの生活を続けていたせいで、思った以上にに体力が落ちていた。歩くスピードも普段の2/3くらいだし、熱もないのに時々ふらつく(>_<) もし今、暴走老人の車が突っ込んできたり、頭のおかしな奴が包丁を振りかざしてきても避ける自信はない。ちょっとショック。
ドラッグストアで売っていた防水シートは小さなサイズのものしかなかったので、結局それだけはアマゾンに発注。よく考えれば一式揃わないとシャワーは浴びれないのだから、全部アマゾンでもよかったか。
しばらくは自宅で療養生活。
ーーー続く
数えてみるとMG病院で2日、TO病院で15日と合計17日間の入院生活。
長かったような短かったような。
入院中は検査の時以外はボーッとして過ごすしかない変化や刺激のない生活。
そうすると時間の感覚が麻痺してくる。だから17日間もという実感はまったくない。
友人たちからは色々と励ましのLINEやメールをもらった。感謝の気持ち以外ない。看護師をナンパしてくるというリクエストは果たせなかったが(^^ゞ またブログを読んでコメントを寄せてくれた人もいた。見ず知らずの人に心配してもらえるなんて思ってもみなかったこと。ありがとうございました。
昨日は帰宅してから、ほとんど何もしなかった。
本日午前中のミッションはシャワーを浴びること。入院中も3日に1回くらいの頻度で看護師さんがシャンプーしてくれたり、また暖かいウェットペーパータオルで体を拭いてくれたので、それほど不潔な状態にはなっていない。でもやはりサッパリしたいもの。
ただし問題は前回のエントリーで書いたように、お腹には管が挿さったまま。管が出ている周りは防水性のあるシートで覆われている。シャワーを浴びるには、その防水性をさらに高める必要がある。
手順としては、まず指やガーゼをカットするハサミを消毒用のアルコール綿で拭き拭き。
次に管はコネクターを介してビニールチューブに接続され体液入れの容器とつながっているのだが、その接続を切り離す。そして、それぞれの接続面を消毒。
お腹から伸びている管を、オリジナルの防水シートの上に這わせて絆創膏で留める。
そしてオリジナルの防水シートを覆うようにガーゼを被せる。その理由は、さらにその上から新たな防水シートを貼るのだが、オリジナルのシートの上に直接新しいシートを貼ると、それを剥がすときにオリジナルのシートも一緒に剥がれる可能性があるから。
ガーゼを絆創膏で留める。
そしてガーゼを覆うように新しい防水シートを貼る。防水シートは幅の広いセロテープのようなもの。ただしとても薄くて柔らか人工皮膚みたい。その粘着力自体は絆創膏より少し強い程度だが、密着力がかなり強い。
手順としてはその程度であるが、立ったまま下を見ながらのの作業だし、ガーゼも防水シートも複数枚使うのでなかなか思うように配置できない。結局15分以上はかかった。そしてシャワーは立って浴びるつもりだったが、シャンプーなどを取るために屈んだりすると防水シートが剥がれそうになったり。だからかなり気を使ってのシャワータイム。結局サッパリしたのか疲れたのかよくわからず。
シャワーが終わったら全てを剥がして元の状態に戻す。オリジナルの防水シートに少し湿り気を感じたが、これくらいなら大丈夫だろう。
まあ何かあれば、また救急車に乗ってやるぜ(^^ゞ
シャワー作業資材の1回分は病院から貰ってきた。それで午後は駅前のドラッグストアまで次回以降の資材の買い出し。
しかし、そういう感覚は全くなかったのだが、TO病院で15日間もほぼ寝たきりの生活を続けていたせいで、思った以上にに体力が落ちていた。歩くスピードも普段の2/3くらいだし、熱もないのに時々ふらつく(>_<) もし今、暴走老人の車が突っ込んできたり、頭のおかしな奴が包丁を振りかざしてきても避ける自信はない。ちょっとショック。
ドラッグストアで売っていた防水シートは小さなサイズのものしかなかったので、結局それだけはアマゾンに発注。よく考えれば一式揃わないとシャワーは浴びれないのだから、全部アマゾンでもよかったか。
しばらくは自宅で療養生活。
ーーー続く
wassho at 23:07|Permalink│Comments(0)│
2019年05月28日
初めての入院 その9
本日はお腹に挿した管の3回目の調整。
入れた時と同じくレントゲンを撮りながらの状況確認。前回は問題がなければ抜くといわれたが「まだスペースが残っている」とのことで持ち越しとなった。膿が溜まっていた部分へ管を挿して吸い取ったから、もう膿はほとんど残っていない。しかし膿があったスペースが潰れていなかったという意味。そのスペースが残っていると何が不都合なのかの説明も受けた。でも詳しい内容は忘れてしまった。
今回も同じくスペースが残っているとの診断。このペースだと、管が受けるようになるまであと2週間くらい必要みたい。
全体的には経過は順調。腹膜内にまき散らされた膿の量は虫垂付近を100とすると直腸周りが65。現在、虫垂付近はほぼなくなり、直腸周りも抗生剤が効いて半減ということらしい。つまりトータルで165→33だから20%にまで減少したということ。また総合的には8割くらいは治ったという診断だった。
というわけで先ほど、明日に退院できることが決定\(^o^)/\(^o^)/
しかし問題はお腹に挿したままの管。管(実際にはどんなものか見ていない)の先にはビニールチューブがつながれ、自然排出された体液が流れるようになっている。当初はA4サイズより一回り小さなビニール製の袋が用いられ、点滴のスタンドの一番下にくくりつけられていた。
そして前回の調整の時にビニール製の袋から、握り拳くらいの容器に変わった。それを首からぶら下げたポシェットのようなものに入れている。
このスタイルをあと2週間ほど続けなければならないのだ。外出時にはどうしたらいいのか今から悩んでいる。
また管がとれるまでお風呂には入れない。管が肌に露出しているところをラップでグルグル巻きにすればシャワーは浴びられるらしい。明日、看護師がそのやり方を説明してくれることになっている。
本日でTO病院に入院して丸2週間。
とりあえずひと安心。
ーーー続く
入れた時と同じくレントゲンを撮りながらの状況確認。前回は問題がなければ抜くといわれたが「まだスペースが残っている」とのことで持ち越しとなった。膿が溜まっていた部分へ管を挿して吸い取ったから、もう膿はほとんど残っていない。しかし膿があったスペースが潰れていなかったという意味。そのスペースが残っていると何が不都合なのかの説明も受けた。でも詳しい内容は忘れてしまった。
今回も同じくスペースが残っているとの診断。このペースだと、管が受けるようになるまであと2週間くらい必要みたい。
全体的には経過は順調。腹膜内にまき散らされた膿の量は虫垂付近を100とすると直腸周りが65。現在、虫垂付近はほぼなくなり、直腸周りも抗生剤が効いて半減ということらしい。つまりトータルで165→33だから20%にまで減少したということ。また総合的には8割くらいは治ったという診断だった。
というわけで先ほど、明日に退院できることが決定\(^o^)/\(^o^)/
しかし問題はお腹に挿したままの管。管(実際にはどんなものか見ていない)の先にはビニールチューブがつながれ、自然排出された体液が流れるようになっている。当初はA4サイズより一回り小さなビニール製の袋が用いられ、点滴のスタンドの一番下にくくりつけられていた。
そして前回の調整の時にビニール製の袋から、握り拳くらいの容器に変わった。それを首からぶら下げたポシェットのようなものに入れている。
このスタイルをあと2週間ほど続けなければならないのだ。外出時にはどうしたらいいのか今から悩んでいる。
また管がとれるまでお風呂には入れない。管が肌に露出しているところをラップでグルグル巻きにすればシャワーは浴びられるらしい。明日、看護師がそのやり方を説明してくれることになっている。
本日でTO病院に入院して丸2週間。
とりあえずひと安心。
ーーー続く
wassho at 18:07|Permalink│Comments(0)│
2019年05月27日
初めての入院 その8
高熱と蕁麻疹で止められていた食事が、5月24日(金)の昼から再開された。また25日(土)の昼より中粥食から軟菜食というメニューに変更になった。違いは五分粥が全粥に変わったこと。全粥とは重湯のスープがない普通のお粥である。
お粥というものを普段ほとんど食べない。鍋の締めの雑炊かホテルの朝食バイキングの中華粥くらい。それらは味付きのお粥。しかし病院のお粥は味付けなしでとても食べづらい。考えてみればご飯と同じ事なのだけど、なぜかお粥で味がないとまったくおいしくないから不思議。
ところで、このメニューでは、お粥の上にあるお皿は親子丼の具のようなものが入っている。それをお粥と混ぜるとおいしく食べられた。
それで閃いたのが振り掛け。病院内のセブンイレブンで売っていた。
これでお粥の味気なさに困ることはなくなった。
中粥食は朝食も五分粥だったが、軟菜食ではパンが出てくる。
配膳時刻は朝食が午前8時、昼食が正午、夕食が午後6時である。運動量はほとんどゼロなので、朝食の4時間後に昼食というのはけっこうキツイ。
病棟のあちこちの窓から見える風景。
方角によって変化に富んでいる。
ーーー続く
お粥というものを普段ほとんど食べない。鍋の締めの雑炊かホテルの朝食バイキングの中華粥くらい。それらは味付きのお粥。しかし病院のお粥は味付けなしでとても食べづらい。考えてみればご飯と同じ事なのだけど、なぜかお粥で味がないとまったくおいしくないから不思議。
ところで、このメニューでは、お粥の上にあるお皿は親子丼の具のようなものが入っている。それをお粥と混ぜるとおいしく食べられた。
それで閃いたのが振り掛け。病院内のセブンイレブンで売っていた。
これでお粥の味気なさに困ることはなくなった。
中粥食は朝食も五分粥だったが、軟菜食ではパンが出てくる。
配膳時刻は朝食が午前8時、昼食が正午、夕食が午後6時である。運動量はほとんどゼロなので、朝食の4時間後に昼食というのはけっこうキツイ。
病棟のあちこちの窓から見える風景。
方角によって変化に富んでいる。
ーーー続く
wassho at 14:33|Permalink│Comments(0)│
2019年05月26日
初めての入院 その7
HCU(準集中治療室)で一晩を過ごし、次の日には一般病棟に移った。TO病院に入院して2日目となる5月16日(木)から本日に至るまで、特にドラマティックなことは起きていない。
前日、お腹に管を通して膿を吸い出した後は、お腹の張りが少し減ったが、1日経って元に戻ったみたいだ。しかし入院時の腹痛と張りは、このあと1週間ほどで消滅した。
食事は当面禁止で点滴での栄養補給。ただし水やお茶、アクエリアスなどは飲んでいい。ジュースやカルピスはダメだといわれた。
考えてみるとまともに食事をしたのは5月10日(金)の昼が最後。MG病院から退院していた10日から15日の期間も、後半の2日ほどにヨーグルトやウイダーインゼリーを食べた程度。しかしまったく空腹感は感じないし食欲もゼロ。腸が自ら安静を求めて食欲をコントロールしているのだろうか。
5月18日(土)にFZ医師に頼み込んで3時間の外出許可を得る。目的は帰宅して、あれこれ必要なものを持ってくること。なんたって財布とiPhoneしか持っていない。
もっともそれだけでも入院生活を送ることは可能。病院内にセブンイレブンがあって、下着、タオル、歯磨きセットなど必要なものはすべて揃う。パジャマは1日300円でレンタルしているがセブンイレブンで買うこともできる。またiPhoneの充電器&ケーブルも手に入った。
それでも帰りたかったのはパソコンやタブレットを持ち込みたかったから。また2週間も入院するのだから家の中の生ゴミも出しておきたかった。
友人のSG君にクルマで迎えに来てもらい帰宅。
帰宅して最初にしたのは 〜―γ( ̄ο ̄)oΟ◯パフーッ…
胃なら影響ありそうだけれど腸だから大丈夫でしょうというナゾの理屈。
病院に持ってきたものはノートパソコン、タブレット、iPhoneとタブレットを同時に充電できるUSB充電器、それと充分な長さのケーブル。情報機器以外ではかなりの数の下着パンツ、Tシャツを2枚ほど。ハンドタオル数本とバスタオル1枚。レンタルパジャマは継続することに決めていた。上着は浴衣に近い和風な構造で、下は普通のパジャマと同じズボン式。毎日交換されるし、この病院風のパジャマを着ていると入院ムードになるところが気に入っている(^^ゞ
頭を洗い、シンクに残っていた洗い物をし、ベランダの草花に水をやり、最後にゴミ出しをして病院に戻る。SG君にはとても世話になった。やはりイザという時に頼りになるのは遠くの身内より近くの友人である。
入院8日目の5月22日(水)の昼から食事が出るようになった。中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥はお粥と重湯が半々程度のお粥。まったく味がついていないので食べづらい。他のおかずはまあまあおいしかった。
しかし夕方になって40度近い発熱と、胸のあたりに蕁麻疹(じんましん)が出た。痒みは感じない。蕁麻疹=アレルギー=食事が原因と連想するが理由はよくわからない。今まで食べ物でアレルギーが出たことはないし、昼ご飯に出されたもので、初めて食べたものはもちろんない。
翌日も高熱。ただしずっと熱が出ているのではなく、ジェットコースターのように上下する。体温39.9度なんてビックリするが、そんなに辛くもなかった。
大学病院のいいところはいろんな診療科が揃っていること。蕁麻疹が体中に広がり、かなり赤みを帯びてきたので皮膚科に回された。診察は症状を目視しただけで、とくに細かな説明もなかったが、アレルギー止めの薬を処方された。
ーーー続く
前日、お腹に管を通して膿を吸い出した後は、お腹の張りが少し減ったが、1日経って元に戻ったみたいだ。しかし入院時の腹痛と張りは、このあと1週間ほどで消滅した。
食事は当面禁止で点滴での栄養補給。ただし水やお茶、アクエリアスなどは飲んでいい。ジュースやカルピスはダメだといわれた。
考えてみるとまともに食事をしたのは5月10日(金)の昼が最後。MG病院から退院していた10日から15日の期間も、後半の2日ほどにヨーグルトやウイダーインゼリーを食べた程度。しかしまったく空腹感は感じないし食欲もゼロ。腸が自ら安静を求めて食欲をコントロールしているのだろうか。
5月18日(土)にFZ医師に頼み込んで3時間の外出許可を得る。目的は帰宅して、あれこれ必要なものを持ってくること。なんたって財布とiPhoneしか持っていない。
もっともそれだけでも入院生活を送ることは可能。病院内にセブンイレブンがあって、下着、タオル、歯磨きセットなど必要なものはすべて揃う。パジャマは1日300円でレンタルしているがセブンイレブンで買うこともできる。またiPhoneの充電器&ケーブルも手に入った。
それでも帰りたかったのはパソコンやタブレットを持ち込みたかったから。また2週間も入院するのだから家の中の生ゴミも出しておきたかった。
友人のSG君にクルマで迎えに来てもらい帰宅。
帰宅して最初にしたのは 〜―γ( ̄ο ̄)oΟ◯パフーッ…
胃なら影響ありそうだけれど腸だから大丈夫でしょうというナゾの理屈。
病院に持ってきたものはノートパソコン、タブレット、iPhoneとタブレットを同時に充電できるUSB充電器、それと充分な長さのケーブル。情報機器以外ではかなりの数の下着パンツ、Tシャツを2枚ほど。ハンドタオル数本とバスタオル1枚。レンタルパジャマは継続することに決めていた。上着は浴衣に近い和風な構造で、下は普通のパジャマと同じズボン式。毎日交換されるし、この病院風のパジャマを着ていると入院ムードになるところが気に入っている(^^ゞ
頭を洗い、シンクに残っていた洗い物をし、ベランダの草花に水をやり、最後にゴミ出しをして病院に戻る。SG君にはとても世話になった。やはりイザという時に頼りになるのは遠くの身内より近くの友人である。
入院8日目の5月22日(水)の昼から食事が出るようになった。中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥はお粥と重湯が半々程度のお粥。まったく味がついていないので食べづらい。他のおかずはまあまあおいしかった。
しかし夕方になって40度近い発熱と、胸のあたりに蕁麻疹(じんましん)が出た。痒みは感じない。蕁麻疹=アレルギー=食事が原因と連想するが理由はよくわからない。今まで食べ物でアレルギーが出たことはないし、昼ご飯に出されたもので、初めて食べたものはもちろんない。
翌日も高熱。ただしずっと熱が出ているのではなく、ジェットコースターのように上下する。体温39.9度なんてビックリするが、そんなに辛くもなかった。
大学病院のいいところはいろんな診療科が揃っていること。蕁麻疹が体中に広がり、かなり赤みを帯びてきたので皮膚科に回された。診察は症状を目視しただけで、とくに細かな説明もなかったが、アレルギー止めの薬を処方された。
ーーー続く
wassho at 17:54|Permalink│Comments(0)│
2019年05月25日
初めての入院 その6
病名や症状については具体的に書かないつもりだったが、気がつけば何も隠していない文章になっている(^^ゞ まあ別にいいか。だいたいこのブログは、いつかやってくるかもしれない「過去の記憶が薄れる日」に備えて書いているようなものだから具体的でないと。
お腹の中に管(くだ)を通して膿を吸い出す手術はレントゲン室で行われる。少しずつ管を通し、その位置をレントゲン撮影して確かめるため。なお管の太さはボールペンの芯くらいらしい。
「では始めます」とFZ医師。次の言葉が「痛み止め入ります」。痛み止め? 麻酔じゃないの? かなりビビッたけれど、管を入れても痛くなかったから言葉の問題なんだろう。
しかし痛くなかったのは最初だけ。管を内部に進めるにつれて今まで体験したことにない、拷問レベルの激痛が走る。「中のほうは痛み止めが効きにくい場合もある」とFZ医師。激痛は10回くらい。あと2〜3回あったら泣いてたかも(^^ゞ
最後にゴリッとしたような感覚があった。それを伝えると「今、いい感じに固定されました」との答え。
何かが吸い出されている感覚はなかったし、吸い出されたものも見なかったが、私の膿は思っていた以上にきれいな膿だったとのこと。とにかくこれで第1ステップ終了。管は今もお腹の中にあって、そこから延長されたチューブによって小さなビニール袋とつながり、残りの膿が自然排出されている。それほどの量はでない。今日までの10日間で300cc位かな。また今までに2回、管の位置の微調整を行った。
ところでレントゲン室での作業になるのでFZ医師を始め、その他のスタッフは鉛入りのベストを着用している。FZ医師は35歳くらいだし、他のスタッフはもっと若いので、それが何となくサッカーのビブスのように見えて、医者ではなくサッカー選手に囲まれているような気分だった。
車椅子に乗せられ看護師に押されて向かったのはHCU。集中治療室という言葉は聞いたことがあると思うが、あれはICU=Intensive Care Unit。Intensiveが集中という意味ね。対してHCUはHigh Care Unit。いってみれば集中治療室と一般病棟の間にある準集中治療室みたいな存在。
とりあえずHCUで最低一泊して様子を見るらしい。何か大げさな気がしたが、一般病棟に空きがなかったからHCUに押し込まれたのかもしれない。
HCUはICUと同じく手術室のあるフロアに設けられている。一般病棟は病室とナースステーションが別れているが、HCUは大きなナースステーションの中にベッドが置かれているようなレイアウトである。だから看護師たちの会話もうるさいし、ずっと呻き声を上げている患者などもいて、あまり居心地のいい場所ではない。またトイレも必ずナースコールをして付き添ってもらわなければいけない。まあ重病人扱いなんだから当然か。
この5月15日(水)夜の時点では、管を入れて膿を排出したのでお腹の張りが少し減った程度で、基本的には症状の改善はほとんどない。何となく先行き不安な再入院1日目のスタート。
ーーー続く
お腹の中に管(くだ)を通して膿を吸い出す手術はレントゲン室で行われる。少しずつ管を通し、その位置をレントゲン撮影して確かめるため。なお管の太さはボールペンの芯くらいらしい。
「では始めます」とFZ医師。次の言葉が「痛み止め入ります」。痛み止め? 麻酔じゃないの? かなりビビッたけれど、管を入れても痛くなかったから言葉の問題なんだろう。
しかし痛くなかったのは最初だけ。管を内部に進めるにつれて今まで体験したことにない、拷問レベルの激痛が走る。「中のほうは痛み止めが効きにくい場合もある」とFZ医師。激痛は10回くらい。あと2〜3回あったら泣いてたかも(^^ゞ
最後にゴリッとしたような感覚があった。それを伝えると「今、いい感じに固定されました」との答え。
何かが吸い出されている感覚はなかったし、吸い出されたものも見なかったが、私の膿は思っていた以上にきれいな膿だったとのこと。とにかくこれで第1ステップ終了。管は今もお腹の中にあって、そこから延長されたチューブによって小さなビニール袋とつながり、残りの膿が自然排出されている。それほどの量はでない。今日までの10日間で300cc位かな。また今までに2回、管の位置の微調整を行った。
ところでレントゲン室での作業になるのでFZ医師を始め、その他のスタッフは鉛入りのベストを着用している。FZ医師は35歳くらいだし、他のスタッフはもっと若いので、それが何となくサッカーのビブスのように見えて、医者ではなくサッカー選手に囲まれているような気分だった。
車椅子に乗せられ看護師に押されて向かったのはHCU。集中治療室という言葉は聞いたことがあると思うが、あれはICU=Intensive Care Unit。Intensiveが集中という意味ね。対してHCUはHigh Care Unit。いってみれば集中治療室と一般病棟の間にある準集中治療室みたいな存在。
とりあえずHCUで最低一泊して様子を見るらしい。何か大げさな気がしたが、一般病棟に空きがなかったからHCUに押し込まれたのかもしれない。
HCUはICUと同じく手術室のあるフロアに設けられている。一般病棟は病室とナースステーションが別れているが、HCUは大きなナースステーションの中にベッドが置かれているようなレイアウトである。だから看護師たちの会話もうるさいし、ずっと呻き声を上げている患者などもいて、あまり居心地のいい場所ではない。またトイレも必ずナースコールをして付き添ってもらわなければいけない。まあ重病人扱いなんだから当然か。
この5月15日(水)夜の時点では、管を入れて膿を排出したのでお腹の張りが少し減った程度で、基本的には症状の改善はほとんどない。何となく先行き不安な再入院1日目のスタート。
ーーー続く
wassho at 17:47|Permalink│Comments(0)│
2019年05月24日
初めての入院 その5
TO病院に着く。ロービーに何でも案内係みたいな人がいたので事情を伝える。担当窓口を教えられ、そこでMG病院からの紹介状とCTなどのデーターの入ったDVDなどを渡す。そして診察券と診察票が作成された。診察票にはバーコードが印刷されていて、それを受け付け機にスキャンさせると受付完了で、後は呼び出しを待つことになる。あまり大病院のシステムに慣れていないけれど迷うことはなかった。ただとても広い病院なので、最初の総合受付から外科の受付まで歩く距離が長くて辛かった。
45分くらいで診察室に入れたかな。担当となるのはFZ医師。35歳くらいか。私と話をしながらMG病院のCTデータをパソコン画面で見る、つまりあまり顔を合わさないで話す形になるので少し感じ悪く思えた。
腸炎ですか盲腸ですかと尋ねてみる。盲腸ですとの答え。先ほどMG病院で採血した値もかなり悪いと言われる。
そしてとりあえずの結論として言われたことは、
今からこの病院でCTその他を再検査する。
そして、もし盲腸の手術が必要だと確定しても、病院のベッドはほとんど埋まっ
ているので、空きが出るまでMG病院に入院して薬で抑えるか、あるいは他の
手術できる病院に転院してもらうかもしれない。
エッ、たらい回し?
しかしゴネてどうなるものでもなし、何となく考えるのも疲れてきたので素直に検査を受けることに。そして、この時点で私はもちろんFZ医師も事の深刻さを認識していなかった。
採血、レントゲン、CT等また同じような検査を繰り返して、再び診察を待つ。
呼ばれる。
診察室に入る。
前回と明らかに空気が違う。FZ医師の顔つきがキリッとしている。
盲腸(の病気)というのは、大腸の一番最初である盲腸の下にある虫垂という突起が、何らかの原因で化膿して炎症を起こすもの。放っておくと虫垂が破れたり穴が空いたりして中にある膿を内臓の中にまき散らしてしまう。その場合は腹膜炎を発症して命に関わる場合もある。
再検査で判明したのは私がそういう状態だということ(>_<)(>_<)(>_<)
ということは5月11日(土)の検査から、この日の5月15日(水)までの5日間のどこかで虫垂の炎症が限度を超えたことになる。
虫垂が破れたりすることは知っていた。それは内臓に穴が空くわけだから、強烈な痛みを伴うものだと思っていた。実際そうらしい。しかし痛みとしては5月10日に救急車を呼んだ時がピークで、それ以来少しずつではあるが減少している。いつの時点でそうなったのかがまったくわからない。それが最大のナゾ
でもとにかく腹膜内に膿が出てしまっている最悪の事態である。
FZ医師によると膿は何箇所かに散らばっているが、もっとも量が多いのが虫垂付近で、次が直腸周り。そして虫垂付近の膿は今から管を挿入して吸い出す。直腸周りは場所的にその手法は難しいので2週間入院して抗生剤を投与し無害化を図るというのが基本方針。
エッ?2週間の入院。財布とiPhoneしか持っていないのに。着替え等を取りに帰りたいというと、入院や手術の手続き等を済ませて午後5時までに始めなければならないから無理と明確に却下された。この時点で午後3時半くらいだったかな。
ということで観念。
先ほど病院のベッドはほとんど埋まっているなどと断られかけていたのに、
めでたく最優先で即日入院の重篤患者と認められたというわけ(^^ゞ
ーーー続く
45分くらいで診察室に入れたかな。担当となるのはFZ医師。35歳くらいか。私と話をしながらMG病院のCTデータをパソコン画面で見る、つまりあまり顔を合わさないで話す形になるので少し感じ悪く思えた。
腸炎ですか盲腸ですかと尋ねてみる。盲腸ですとの答え。先ほどMG病院で採血した値もかなり悪いと言われる。
そしてとりあえずの結論として言われたことは、
今からこの病院でCTその他を再検査する。
そして、もし盲腸の手術が必要だと確定しても、病院のベッドはほとんど埋まっ
ているので、空きが出るまでMG病院に入院して薬で抑えるか、あるいは他の
手術できる病院に転院してもらうかもしれない。
エッ、たらい回し?
しかしゴネてどうなるものでもなし、何となく考えるのも疲れてきたので素直に検査を受けることに。そして、この時点で私はもちろんFZ医師も事の深刻さを認識していなかった。
採血、レントゲン、CT等また同じような検査を繰り返して、再び診察を待つ。
呼ばれる。
診察室に入る。
前回と明らかに空気が違う。FZ医師の顔つきがキリッとしている。
盲腸(の病気)というのは、大腸の一番最初である盲腸の下にある虫垂という突起が、何らかの原因で化膿して炎症を起こすもの。放っておくと虫垂が破れたり穴が空いたりして中にある膿を内臓の中にまき散らしてしまう。その場合は腹膜炎を発症して命に関わる場合もある。
再検査で判明したのは私がそういう状態だということ(>_<)(>_<)(>_<)
ということは5月11日(土)の検査から、この日の5月15日(水)までの5日間のどこかで虫垂の炎症が限度を超えたことになる。
虫垂が破れたりすることは知っていた。それは内臓に穴が空くわけだから、強烈な痛みを伴うものだと思っていた。実際そうらしい。しかし痛みとしては5月10日に救急車を呼んだ時がピークで、それ以来少しずつではあるが減少している。いつの時点でそうなったのかがまったくわからない。それが最大のナゾ
でもとにかく腹膜内に膿が出てしまっている最悪の事態である。
FZ医師によると膿は何箇所かに散らばっているが、もっとも量が多いのが虫垂付近で、次が直腸周り。そして虫垂付近の膿は今から管を挿入して吸い出す。直腸周りは場所的にその手法は難しいので2週間入院して抗生剤を投与し無害化を図るというのが基本方針。
エッ?2週間の入院。財布とiPhoneしか持っていないのに。着替え等を取りに帰りたいというと、入院や手術の手続き等を済ませて午後5時までに始めなければならないから無理と明確に却下された。この時点で午後3時半くらいだったかな。
ということで観念。
先ほど病院のベッドはほとんど埋まっているなどと断られかけていたのに、
めでたく最優先で即日入院の重篤患者と認められたというわけ(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 22:12|Permalink│Comments(0)│
2019年05月23日
初めての入院 その4
退院の時に受けた注意事項は
脱水症状にならないよう水やアクエリアスをよく飲むこと。コーヒーはもちろん
お茶も利尿作用があるのでNG。
1日〜2日は何も食べないこと。これは腸を安静にするためらしい。
その後は食欲に応じてヨーグルトやゼリーなど消化のよいものから。
整腸剤(ビオフェルミンだった)は1週間分を出されたが、調子がよくなったら
飲む必要はないとのこと。
というわけで1週間ほど養生していれば治るんだと、その時点では思っていた。断続的な痛みには襲われていたが、気持ちはずいぶんと楽になった。
ところが5月11日(土)に退院して次の月曜日の5月13日に、MG病院のUZ医師から電話がかかってきた。土曜日に撮ったCTの「詳細レポート」が今朝上がってきて、それによると盲腸の疑いありと記されている。盲腸だった場合、MG病院では手術が出来ないので、大学病院等を紹介することになる。ついては今から来てくれないかーーーという内容だった。
土曜日に盲腸の可能性はナイいうたやないけ
詳細レポートが上がってきたって、自分でCT画像見とらんのか
盲腸の手術も出来ない手術室って何のタメにあるねん
などといった感情はおくびにも出さず(^^ゞ、本日今から行くのは少しツライので明日ではどうかと答えた。UZ医師はあちこちの病院で勤務している掛け持ち医のようで、次の勤務日は水曜日の5月15日だった。ではその時にということになった。
今から考えると、これが最大の判断ミス
15日の水曜にUZ医師の元を訪れる。CTの詳細レポートを見せながら説明してくれたが医学的なことはよくわからず。とにかく、もしこれが盲腸だった場合、既に危険な状態だから即刻に手術が必要ということで違う病院に転院というスキームだった。そうでなかった場合はMG病院に戻されるというようなことも言っていた。
入院した時の右下腹部の痛みは消えていたし、またこの日は腹部全体の痛みもあまりなかった。だから、その可能性は低いのではと尋ねると、そうかもしれないが悪い方も考えておくのが医者の仕事とのこと。またこの日も採血をしたが、退院した11日よりも数値は悪くなっていたらしい。
そして紹介状を書いてくれたのがTO病院。
じゃ明日にでもというと、診察の段取りを頼んでおいたので、今からすぐ行って欲しいと言われる。財布とiPhoneしか持っていないし、即刻入院なんてことになったら困るな。でもそれはないかなと思いつつタクシーでTO病院に向かった。
ーーー続く
脱水症状にならないよう水やアクエリアスをよく飲むこと。コーヒーはもちろん
お茶も利尿作用があるのでNG。
1日〜2日は何も食べないこと。これは腸を安静にするためらしい。
その後は食欲に応じてヨーグルトやゼリーなど消化のよいものから。
整腸剤(ビオフェルミンだった)は1週間分を出されたが、調子がよくなったら
飲む必要はないとのこと。
というわけで1週間ほど養生していれば治るんだと、その時点では思っていた。断続的な痛みには襲われていたが、気持ちはずいぶんと楽になった。
ところが5月11日(土)に退院して次の月曜日の5月13日に、MG病院のUZ医師から電話がかかってきた。土曜日に撮ったCTの「詳細レポート」が今朝上がってきて、それによると盲腸の疑いありと記されている。盲腸だった場合、MG病院では手術が出来ないので、大学病院等を紹介することになる。ついては今から来てくれないかーーーという内容だった。
土曜日に盲腸の可能性はナイいうたやないけ
詳細レポートが上がってきたって、自分でCT画像見とらんのか
盲腸の手術も出来ない手術室って何のタメにあるねん
などといった感情はおくびにも出さず(^^ゞ、本日今から行くのは少しツライので明日ではどうかと答えた。UZ医師はあちこちの病院で勤務している掛け持ち医のようで、次の勤務日は水曜日の5月15日だった。ではその時にということになった。
今から考えると、これが最大の判断ミス
15日の水曜にUZ医師の元を訪れる。CTの詳細レポートを見せながら説明してくれたが医学的なことはよくわからず。とにかく、もしこれが盲腸だった場合、既に危険な状態だから即刻に手術が必要ということで違う病院に転院というスキームだった。そうでなかった場合はMG病院に戻されるというようなことも言っていた。
入院した時の右下腹部の痛みは消えていたし、またこの日は腹部全体の痛みもあまりなかった。だから、その可能性は低いのではと尋ねると、そうかもしれないが悪い方も考えておくのが医者の仕事とのこと。またこの日も採血をしたが、退院した11日よりも数値は悪くなっていたらしい。
そして紹介状を書いてくれたのがTO病院。
じゃ明日にでもというと、診察の段取りを頼んでおいたので、今からすぐ行って欲しいと言われる。財布とiPhoneしか持っていないし、即刻入院なんてことになったら困るな。でもそれはないかなと思いつつタクシーでTO病院に向かった。
ーーー続く
wassho at 21:28|Permalink│Comments(0)│
2019年05月21日
初めての入院 その3
5月10日(金)の続き
救急車で担ぎ込まれたからといって特別な処置をされることもなく、まずはあれこれ検査である。採血、検尿、CT、レントゲン、超音波エコーなど。担当してくれたのはいかにもアルバイトの当直医風情の先生で頼りないことこの上なし(/o\) 病名を尋ねたが、よくわからないとの答え。
点滴をされ、それに痛み止めも入っていたのか少し楽になってきた。
すると当直医の口から信じられない言葉が。
「帰りますか?」
無理をすれば帰れたけれど、どうせ次の日も診察にこないといけないから入院の手続きを取った。
5月11日(土)
朝になって担当医となるUZ医師が病室にやってきた。あといくつか検査をするみたいだ。痛みはかなり引いている。
行ったのは胸部のレントゲンと造影剤を入れてのCT。
ところで昨夜「帰りますか?」といわれたくらいだから、この日には帰れると思い看護師に尋ねると「いったん入院の手続きをしたら1週間くらいはーーー」との答え。一体どうなってる、この病院の入退院基準。
昼過ぎに再びUZ医師がやって来て「腸炎ですね」と告げられた。右下腹部が痛かったので「盲腸の可能性は?」と尋ねると、それはないとのこと。
腸炎は整腸剤などは使うが、基本的に自己免疫で治すしかないらしい。だから病院にいても特にすることはないので退院してもいいという許可も出た。
本来なら、これで1泊2日の入院体験記になるはずだったが、
しかしそうはならなかったのである(>_<)
ーーー続く
救急車で担ぎ込まれたからといって特別な処置をされることもなく、まずはあれこれ検査である。採血、検尿、CT、レントゲン、超音波エコーなど。担当してくれたのはいかにもアルバイトの当直医風情の先生で頼りないことこの上なし(/o\) 病名を尋ねたが、よくわからないとの答え。
点滴をされ、それに痛み止めも入っていたのか少し楽になってきた。
すると当直医の口から信じられない言葉が。
「帰りますか?」
無理をすれば帰れたけれど、どうせ次の日も診察にこないといけないから入院の手続きを取った。
5月11日(土)
朝になって担当医となるUZ医師が病室にやってきた。あといくつか検査をするみたいだ。痛みはかなり引いている。
行ったのは胸部のレントゲンと造影剤を入れてのCT。
ところで昨夜「帰りますか?」といわれたくらいだから、この日には帰れると思い看護師に尋ねると「いったん入院の手続きをしたら1週間くらいはーーー」との答え。一体どうなってる、この病院の入退院基準。
昼過ぎに再びUZ医師がやって来て「腸炎ですね」と告げられた。右下腹部が痛かったので「盲腸の可能性は?」と尋ねると、それはないとのこと。
腸炎は整腸剤などは使うが、基本的に自己免疫で治すしかないらしい。だから病院にいても特にすることはないので退院してもいいという許可も出た。
本来なら、これで1泊2日の入院体験記になるはずだったが、
しかしそうはならなかったのである(>_<)
ーーー続く
wassho at 16:12|Permalink│Comments(0)│
2019年05月20日
初めての入院 その2
5月10日(金)の続き
119番に電話したのは初めて。最初に「火事ですか?救急ですか?」とオペレーターに尋ねられる。救急と答え、症状を説明し病院に搬送して欲しい旨を伝える。最近は救急車をタクシー代わりに使う輩が増え、そのため電話での確認事項がキビシイと聞いたことがある。しかし今回はそういうことはなく、救急車を向かわせるので保険証や薬手帳などを準備しておくようにいわれて通話は終わった。救急車がいつ到着するかの言及はなし。iPhoneに記録された通話時間は58秒。
5分後に救急隊員から電話がかかってきた。070から始まる番号が表示されていた。以前はPHSの番号だったが、今は携帯電話でも使われている。救急隊員からだと確信して電話に出たが、迷惑電話対策で電話帳に載せている番号以外は通話できない設定の人はどうするのだろう。
通話内容は氏名、住所、症状の確認。先ほど119番で話したことを繰り返した。ダブルチェックのため?あるいは情報が伝わっていない? どちらかは不明だが、身体的に切羽詰まっているので少しイラつく。
救急隊員にはもうすぐ到着するといわれた。遠くでサイレンが鳴っているのが窓から聞こえた。iPhoneに記録された通話時間は1分。
チャイムが鳴ってオートロックを解除。彼らが上がってくるまでに自宅玄関を出て廊下で待っていた。痛みは119番をした時より少し収まっている。
担架は要らないと思っていたのだが、彼らがエレベーターで運んできたのは車椅子の構造を持つ大きな椅子だった。それに坐らされ、すぐ下に降りるのかと思えば、脈拍や血圧を測り始めた。いわゆるバイタルのチェックというやつか?目にライトを当てて瞳孔の反応も調べられた。なお救急隊員は運転手も含め3名体勢だった。
それが済んでエレベータで1階に降りるとマンションの出入り口に担架が横たわっていた。断るのも面倒なので、それに寝かされ救急車の中に入る。まっすぐ仰向けに寝ると腹部に伸びのテンションがかかって痛かった。それを伝えると、少し身体を斜めにされ、また毛布をどう折りたたんだのか見えなかったが、それを膝にあたりに挟んでくれた。すると痛みはぴたりと消えた。さすがプロフェッショナルと感心。
しかし、そこからが少し不思議。車内で再びバイタルチェックのようなことを繰り返し、またどのように痛いのかについての問答が始まった。触診もされた。
これは想像だが、患者を病院に運ぶ前に、あるいは患者の受け入れを病院に要請する前に、救急隊員は基本的な症状情報を整理する義務があるのかもしれない。とにかく救急車に乗り込んでから出発するまで10分近くかかったように思う。
救急隊員に掛かり付けの病院はあるかと尋ねられた。そこでちょっと躊躇する。
前回のエントリーで書いたように昨年末に似たような腹痛(ただし症状はもっと軽い)があり、自宅近くのMG病院で診察を受けている。しかしたくさん検査をしたにもかかわらず、しっかりした診察が出来たとは言えなかった。大丈夫かあの病院? だからあまり乗り気ではなかったが手始めに「MG病院は救急病院?」と尋ねると「そうです」という答え。というわけで仕方なくというか成り行きでMG病院に決まった。
病院まで向かう途中「万が一の場合の連絡先」を尋ねられた。エッ!そんなに悪いのか!と心配になって、救急隊員に尋ねると「形式的なものです」との答え。誰にしようか考えているうちに病院に到着。救急隊員は病院スタッフに引き継ぎ事項の報告。また私を救急車の担架から診察室のベッドに移すなど慌ただしかった。だから結局、万が一の連絡先は答えずじまい。
ーーー続く
119番に電話したのは初めて。最初に「火事ですか?救急ですか?」とオペレーターに尋ねられる。救急と答え、症状を説明し病院に搬送して欲しい旨を伝える。最近は救急車をタクシー代わりに使う輩が増え、そのため電話での確認事項がキビシイと聞いたことがある。しかし今回はそういうことはなく、救急車を向かわせるので保険証や薬手帳などを準備しておくようにいわれて通話は終わった。救急車がいつ到着するかの言及はなし。iPhoneに記録された通話時間は58秒。
5分後に救急隊員から電話がかかってきた。070から始まる番号が表示されていた。以前はPHSの番号だったが、今は携帯電話でも使われている。救急隊員からだと確信して電話に出たが、迷惑電話対策で電話帳に載せている番号以外は通話できない設定の人はどうするのだろう。
通話内容は氏名、住所、症状の確認。先ほど119番で話したことを繰り返した。ダブルチェックのため?あるいは情報が伝わっていない? どちらかは不明だが、身体的に切羽詰まっているので少しイラつく。
救急隊員にはもうすぐ到着するといわれた。遠くでサイレンが鳴っているのが窓から聞こえた。iPhoneに記録された通話時間は1分。
チャイムが鳴ってオートロックを解除。彼らが上がってくるまでに自宅玄関を出て廊下で待っていた。痛みは119番をした時より少し収まっている。
担架は要らないと思っていたのだが、彼らがエレベーターで運んできたのは車椅子の構造を持つ大きな椅子だった。それに坐らされ、すぐ下に降りるのかと思えば、脈拍や血圧を測り始めた。いわゆるバイタルのチェックというやつか?目にライトを当てて瞳孔の反応も調べられた。なお救急隊員は運転手も含め3名体勢だった。
それが済んでエレベータで1階に降りるとマンションの出入り口に担架が横たわっていた。断るのも面倒なので、それに寝かされ救急車の中に入る。まっすぐ仰向けに寝ると腹部に伸びのテンションがかかって痛かった。それを伝えると、少し身体を斜めにされ、また毛布をどう折りたたんだのか見えなかったが、それを膝にあたりに挟んでくれた。すると痛みはぴたりと消えた。さすがプロフェッショナルと感心。
しかし、そこからが少し不思議。車内で再びバイタルチェックのようなことを繰り返し、またどのように痛いのかについての問答が始まった。触診もされた。
これは想像だが、患者を病院に運ぶ前に、あるいは患者の受け入れを病院に要請する前に、救急隊員は基本的な症状情報を整理する義務があるのかもしれない。とにかく救急車に乗り込んでから出発するまで10分近くかかったように思う。
救急隊員に掛かり付けの病院はあるかと尋ねられた。そこでちょっと躊躇する。
前回のエントリーで書いたように昨年末に似たような腹痛(ただし症状はもっと軽い)があり、自宅近くのMG病院で診察を受けている。しかしたくさん検査をしたにもかかわらず、しっかりした診察が出来たとは言えなかった。大丈夫かあの病院? だからあまり乗り気ではなかったが手始めに「MG病院は救急病院?」と尋ねると「そうです」という答え。というわけで仕方なくというか成り行きでMG病院に決まった。
病院まで向かう途中「万が一の場合の連絡先」を尋ねられた。エッ!そんなに悪いのか!と心配になって、救急隊員に尋ねると「形式的なものです」との答え。誰にしようか考えているうちに病院に到着。救急隊員は病院スタッフに引き継ぎ事項の報告。また私を救急車の担架から診察室のベッドに移すなど慌ただしかった。だから結局、万が一の連絡先は答えずじまい。
ーーー続く
wassho at 16:58|Permalink│Comments(0)│
2019年05月19日
初めての入院
なんと信じられないことに、
元気で健康なだけが取り柄のこの私が現在入院中である。
命に関わるようなことはないはずだが、
診察後に即刻入院を命じられたのだから、
それなりに一大事である(>_<)
病名や症状についての詳細はブログに書かない。
病気の話ではなく、あくまで入院体験記。
5月9日(木)
午後9時か10時頃に突然「キュッと」お腹が痛くなった。トイレに行くと下痢だった。そんなふうにお腹を下すことは特別のことではないので(私がよくお腹を下すという意味ではない)あまり気にすることもなかった。
5月10日(金)
朝から何となくお腹が痛いというか調子が悪い。下痢も続いている。仕事を早めに切り上げ、午後2時頃から安静にするというか昼寝した。
午後5時頃に目がさめた。症状が悪化しているという自覚がある。熱も少しあるみたいだ。ただし自宅に体温計はないので自己感覚。
ところで私は滅多に病院に行かない。30歳以降で病院に行ったのは5〜6回程度。どこか具合が悪くなった時の私の判断基準は「これが1週間続いたら病院に行こう」である。幸いにも今まで健康で、上記の5〜6回の例外を除けば、1週間もあれば自然治癒する程度の病気にしかかからなかった。
しかし昼寝から目覚めた時の判断は「今日はもう病院の診察時間は終わってしまったから、このまま安静にして、明日になったら病院に行こう」というものだった。つまりかなりの緊急事態であることを自覚していた。
それには理由がある。先ほどの5〜6回の例外の1回が昨年末であり、当時と似たような腹痛だったからである。その時は「これが1週間続いたら〜」の判断基準を2回くらい延長して、でもいっこうに治る気配がないので諦めて病院に行った。検尿、採血、レントゲン、CTと一通りの検査をした。でも医者には原因や病名がよくわからないとのことだった。それでしばらく様子を見るという判断先送りになり、痛み止め、整腸剤、お腹の張りを押さえるという対処療法のクスリが数日分処方された。
ただし、そのクスリを半分も飲まないうちに症状は治まった。もう1週間さらに病院に行くのを遅らせればとよかったと思ったくらい。
その治ったと考えていたものが、実は再潜伏みたいな状態でパワーを蓄積しており、そして今まさ暴れ出しているのではないのかと、この時は考えたのである。それが出来るだけ早く病院に行こうとした根拠。もちろん再潜伏なんて医学的あるいは論理的な判断とは言えない。要は不安になったということ(^^ゞ
午後6時半頃から痛みはだんだんと激しくなり、いわゆる刺すような痛みに変わった。ずっと痛いのではなく断続的な波状攻撃。痛いとか、ウ〜ンといった声を漏らすことはないものの、だんだんと痛みに耐えるのが難しくなってきた。
そのうち腹部全体を圧迫するような痛みも始まった。こちらは痛いというより苦しいと表現した方が正確か。強烈なのが来ると息まで止まりそうだった。既にまっすぐ立つのも難しい状況になっていた。
観念して午後7時過ぎに救急車を呼んだ。
ーーー続く
元気で健康なだけが取り柄のこの私が現在入院中である。
命に関わるようなことはないはずだが、
診察後に即刻入院を命じられたのだから、
それなりに一大事である(>_<)
病名や症状についての詳細はブログに書かない。
病気の話ではなく、あくまで入院体験記。
5月9日(木)
午後9時か10時頃に突然「キュッと」お腹が痛くなった。トイレに行くと下痢だった。そんなふうにお腹を下すことは特別のことではないので(私がよくお腹を下すという意味ではない)あまり気にすることもなかった。
5月10日(金)
朝から何となくお腹が痛いというか調子が悪い。下痢も続いている。仕事を早めに切り上げ、午後2時頃から安静にするというか昼寝した。
午後5時頃に目がさめた。症状が悪化しているという自覚がある。熱も少しあるみたいだ。ただし自宅に体温計はないので自己感覚。
ところで私は滅多に病院に行かない。30歳以降で病院に行ったのは5〜6回程度。どこか具合が悪くなった時の私の判断基準は「これが1週間続いたら病院に行こう」である。幸いにも今まで健康で、上記の5〜6回の例外を除けば、1週間もあれば自然治癒する程度の病気にしかかからなかった。
しかし昼寝から目覚めた時の判断は「今日はもう病院の診察時間は終わってしまったから、このまま安静にして、明日になったら病院に行こう」というものだった。つまりかなりの緊急事態であることを自覚していた。
それには理由がある。先ほどの5〜6回の例外の1回が昨年末であり、当時と似たような腹痛だったからである。その時は「これが1週間続いたら〜」の判断基準を2回くらい延長して、でもいっこうに治る気配がないので諦めて病院に行った。検尿、採血、レントゲン、CTと一通りの検査をした。でも医者には原因や病名がよくわからないとのことだった。それでしばらく様子を見るという判断先送りになり、痛み止め、整腸剤、お腹の張りを押さえるという対処療法のクスリが数日分処方された。
ただし、そのクスリを半分も飲まないうちに症状は治まった。もう1週間さらに病院に行くのを遅らせればとよかったと思ったくらい。
その治ったと考えていたものが、実は再潜伏みたいな状態でパワーを蓄積しており、そして今まさ暴れ出しているのではないのかと、この時は考えたのである。それが出来るだけ早く病院に行こうとした根拠。もちろん再潜伏なんて医学的あるいは論理的な判断とは言えない。要は不安になったということ(^^ゞ
午後6時半頃から痛みはだんだんと激しくなり、いわゆる刺すような痛みに変わった。ずっと痛いのではなく断続的な波状攻撃。痛いとか、ウ〜ンといった声を漏らすことはないものの、だんだんと痛みに耐えるのが難しくなってきた。
そのうち腹部全体を圧迫するような痛みも始まった。こちらは痛いというより苦しいと表現した方が正確か。強烈なのが来ると息まで止まりそうだった。既にまっすぐ立つのも難しい状況になっていた。
観念して午後7時過ぎに救急車を呼んだ。
ーーー続く
wassho at 18:26|Permalink│Comments(2)│