堀文子
2018年04月20日
白寿記念 堀文子展 その2
バイクでツーリングしながら美術館を訪れることが好きなのは、何度かブログでも書いてきた。ガァーっと走ってシーンと鑑賞するコントラストが楽しくてまた心地よい。ところで普段は当然ながら「見てみたい」という選択基準で展覧会を選ぶ。一方でツーリング目的地に美術館を組み込む場合は「よほど興味のないもの以外なら」とハードルが下がる。そう都合よくツーリングに併せて好みの展覧会が開かれているわけではないから。
しかし今回の堀文子展は見に行きたいと思った展覧会だった。それは彼女がブルーポピーを描いている画家だから。そのことはずっと以前にテレビ番組か何かで知ったように思う。また前回のエントリーで書いた彼女の略歴に「82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破」とあるが、その高原植物こそがブルーポピーである。
一般には「青いケシ」と呼ばれることが多いこの植物は、私がぜひ見たいと思い続けている花でもある。原産地はヒマラヤとかチベットあたり。東京の近くでは箱根の湿生花園で5月から6月にかけて花を咲かせる。この箱根湿生花園には過去に何度も訪れようとしたのだが、スケジュールが合わなかったり天候が悪かったりと果たせず。昨年ようやくツーリングできそうになったら「苗を分けてもらう北海道の天候不順により育成不良となったので、本年は植えていない」というまさかの告知がホームページに(>_<)
全国的にもっとも有名なのは長野県の大鹿村にある中村農園。ではそこまで行ってやるかと意気込んだものの、ちょっとバイクで行くには遠いなあと躊躇しているうちにシーズンが終わってしまい(/o\)
というわけで私にとって青いケシは、未だ目にしたことのない幻の花。だから絵でもいいからその花を見たかったというと大げさだが。
ヒマラヤの青き罌粟 2000年 ※罌粟は「けし」
幻の花 ブルーポピー 2001年
写真で見たことがある青いケシよりズングリした印象。日本で栽培されているのとヒマラヤとでは姿が違うのかな。ところで青い色の花は数少ないし、ポピーのツボミは気味の悪い変わった形をしている。だから予備知識なしでこの絵を見たら架空の植物と思うんじゃないかな。それにしても長野が遠いと断念した私に対して、この花を見るために82歳でヒマラヤまで出かけるなんて。完敗!
それはさておき、
よく見るとこの2つの作品は咲いている花の形と向きがそっくりである。おそらく同じスケッチから絵を書き起こしたものと思われる。ブログのためにネットで色々と調べているときに気がついたのだが、堀文子にはこういう微妙なバリエーション違いの作品が多い。
いいか悪いかは別として現代の画家は、リトグラフなどとネーミングをされた数量限定の高級印刷ポスターを制作するために、バリエーション違いの作品がいくつも必要になるんだろうな。えーっと「いいか悪いかは別として」と前置きするときは、心の底にネガティブな気持ちがあるよね(^^ゞ
春 1969年
花霞 1973年
春を描いたウメとサクラの絵。この2つはどちらもよかったが、もうすぐサクラが満開になろうかという時に展覧会を訪れたので、「花霞」を見るとワクワクする感覚を覚えた。霞の奥にスーッと引き込まれそうな魅力もある。堀文子のファンタジーてんこ盛りに少し飽きてきて、それが控えめなのがよかったのかもしれない。
そんな私の気持ちを察したのか? 彼女のファンタジーはだんだんと枯れていい味になり、また新たな世界を見せてくれた。特に「冬野の詩」は日本画とファンタジーの究極の集大成だと思う。
初秋 1979年
群雀 1975年
華やぐ終焉 2004年
秋炎 1970年

霧氷 1982年
冬野の詩 1988年
しかしそれだけで収まらないのが堀文子大先生。なんと顕微鏡をのぞき込みながら絵を描き始めた! ここまで来ると「私の創造性についてこれる?」と挑発されているような気にもなるし、また同時に「描いて、見て、楽しければそれが絵画」と教えられているようにも思えた。それにしても、まさか絵の展覧会でミジンコを見るとは思わなかったわ。
極微の宇宙に生きるものたち II 2002年
妖精(クリオネ)と遊ぶ 2003年
光る海 2008年

海が太陽に照らされて輝いている時、それはカメラ的には逆光ということ。だから写真を撮っても、目の前の海とは似ても似つかぬ暗い風景が撮れるだけ。カメラをいじったことがある人なら、それで残念な気持ちになったことがあるだろう。そしてこの絵を見て思うはず。お見事!
バラエティに富んだ作品でたいへん楽しめた展覧会だった。ファンタジーと観察眼。今振り返って思えば、これが堀文子作品のベースにある要素かな。さらに遡ればそれは好奇心と行動力に支えられているような気もするけれど、堀文子研究者じゃないので「サクラ、キレイ〜」とか「わーっ、ミジンコやあ」とか思いながらニコニコと時間を過ごせただけで充分な幸せ。
ところでこの展覧会は彼女の白寿を記念してのもの。喜寿、米寿、白寿は11年ごとにやってくる。でも99歳の白寿の次は、翌年100歳で紀寿あるいは百寿というお祝いになるらしい。また展覧会を開いてくれたら見に行くよ。
おしまい
しかし今回の堀文子展は見に行きたいと思った展覧会だった。それは彼女がブルーポピーを描いている画家だから。そのことはずっと以前にテレビ番組か何かで知ったように思う。また前回のエントリーで書いた彼女の略歴に「82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破」とあるが、その高原植物こそがブルーポピーである。
一般には「青いケシ」と呼ばれることが多いこの植物は、私がぜひ見たいと思い続けている花でもある。原産地はヒマラヤとかチベットあたり。東京の近くでは箱根の湿生花園で5月から6月にかけて花を咲かせる。この箱根湿生花園には過去に何度も訪れようとしたのだが、スケジュールが合わなかったり天候が悪かったりと果たせず。昨年ようやくツーリングできそうになったら「苗を分けてもらう北海道の天候不順により育成不良となったので、本年は植えていない」というまさかの告知がホームページに(>_<)
全国的にもっとも有名なのは長野県の大鹿村にある中村農園。ではそこまで行ってやるかと意気込んだものの、ちょっとバイクで行くには遠いなあと躊躇しているうちにシーズンが終わってしまい(/o\)
というわけで私にとって青いケシは、未だ目にしたことのない幻の花。だから絵でもいいからその花を見たかったというと大げさだが。
ヒマラヤの青き罌粟 2000年 ※罌粟は「けし」
幻の花 ブルーポピー 2001年
写真で見たことがある青いケシよりズングリした印象。日本で栽培されているのとヒマラヤとでは姿が違うのかな。ところで青い色の花は数少ないし、ポピーのツボミは気味の悪い変わった形をしている。だから予備知識なしでこの絵を見たら架空の植物と思うんじゃないかな。それにしても長野が遠いと断念した私に対して、この花を見るために82歳でヒマラヤまで出かけるなんて。完敗!
それはさておき、
よく見るとこの2つの作品は咲いている花の形と向きがそっくりである。おそらく同じスケッチから絵を書き起こしたものと思われる。ブログのためにネットで色々と調べているときに気がついたのだが、堀文子にはこういう微妙なバリエーション違いの作品が多い。
いいか悪いかは別として現代の画家は、リトグラフなどとネーミングをされた数量限定の高級印刷ポスターを制作するために、バリエーション違いの作品がいくつも必要になるんだろうな。えーっと「いいか悪いかは別として」と前置きするときは、心の底にネガティブな気持ちがあるよね(^^ゞ
春 1969年
花霞 1973年
春を描いたウメとサクラの絵。この2つはどちらもよかったが、もうすぐサクラが満開になろうかという時に展覧会を訪れたので、「花霞」を見るとワクワクする感覚を覚えた。霞の奥にスーッと引き込まれそうな魅力もある。堀文子のファンタジーてんこ盛りに少し飽きてきて、それが控えめなのがよかったのかもしれない。
そんな私の気持ちを察したのか? 彼女のファンタジーはだんだんと枯れていい味になり、また新たな世界を見せてくれた。特に「冬野の詩」は日本画とファンタジーの究極の集大成だと思う。
初秋 1979年
群雀 1975年
華やぐ終焉 2004年
秋炎 1970年

霧氷 1982年
冬野の詩 1988年
しかしそれだけで収まらないのが堀文子大先生。なんと顕微鏡をのぞき込みながら絵を描き始めた! ここまで来ると「私の創造性についてこれる?」と挑発されているような気にもなるし、また同時に「描いて、見て、楽しければそれが絵画」と教えられているようにも思えた。それにしても、まさか絵の展覧会でミジンコを見るとは思わなかったわ。
極微の宇宙に生きるものたち II 2002年
妖精(クリオネ)と遊ぶ 2003年
光る海 2008年

海が太陽に照らされて輝いている時、それはカメラ的には逆光ということ。だから写真を撮っても、目の前の海とは似ても似つかぬ暗い風景が撮れるだけ。カメラをいじったことがある人なら、それで残念な気持ちになったことがあるだろう。そしてこの絵を見て思うはず。お見事!
バラエティに富んだ作品でたいへん楽しめた展覧会だった。ファンタジーと観察眼。今振り返って思えば、これが堀文子作品のベースにある要素かな。さらに遡ればそれは好奇心と行動力に支えられているような気もするけれど、堀文子研究者じゃないので「サクラ、キレイ〜」とか「わーっ、ミジンコやあ」とか思いながらニコニコと時間を過ごせただけで充分な幸せ。
ところでこの展覧会は彼女の白寿を記念してのもの。喜寿、米寿、白寿は11年ごとにやってくる。でも99歳の白寿の次は、翌年100歳で紀寿あるいは百寿というお祝いになるらしい。また展覧会を開いてくれたら見に行くよ。
おしまい
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2018年04月19日
白寿記念 堀文子展
1つ前のエントリーと同じく、こちらも3月17日に美術館をバイクでハシゴしてきた展覧会。この堀文子雄展は神奈川県立近代美術館・葉山館での開催。
堀文子の作品は何度か目にしたことはあるが、これだけまとまった数では初めて。少しモダンな日本画を描く女性の画家程度の印象しか持っていなかったが、展覧会を見終えてその認識は180度変わった。一言でいうとーーーと書きたいが、一言ではなかなかカバーできない守備範囲の広い人。画家の画風が変わっていくのはよくあること。しかし堀文子の場合は、次から次へと描きたいテーマが現れて、それにつれて絵も変わるようだ。だから展覧会では彼女の絵しか展示されていないのに、何人かの画家の絵を見たような気分になる。
サブタイトルになっている白寿は、喜寿や米寿ほど耳にすることはないが99歳という意味。漢字の百から一を取ると白になるという理由らしい。喜寿も米寿も漢字の読みがその由来だが、白寿はちょっとトンチが効いておもしろい。
ということで1918年(大正7年)生まれの御年99歳で、この7月には100歳になられる。18歳の時、自宅近くで二・二六事件を目撃したというから年代を感じる。前回の東京オリンピックをテレビで見たくらいじゃ、まだまだ子供(^^ゞ
略歴を見ると43歳から46歳まで3年をかけてエジプト、ギリシャ、イタリア、フランス、アメリカ、メキシコを放浪し〜69歳でイタリアにもアトリエを構えて〜77歳でアマゾン、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチに出かけ〜82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破とある。好奇心も旺盛なのだろうが、この行動力は素晴らしい。
まずは初期の作品から。次の2点は1949年に八丈島を訪れて描いたもの。
八丈島風景B 1949年
八丈島 1950年
どちらもカゴを頭で支えて何かを運んでいる女性がモチーフ。南方的な雰囲気が色濃く出ている。でもいくら1949年(昭和24年)の八丈島が今とは違うとしても、こんなゴーギャンのタヒチみたいな光景が八丈島にあったの?
月と猫 1950年
これも背景の描き方から八丈島かな。何ともユーモラスな作品。いわゆる猫好きには堪らないというやつか。もちろんこんなポーズも身体の模様もあり得ないから、八丈島シリーズは堀文子のファンタージーがかなり盛られていると気付く。
そして、そのファンタジーにドンドン引き込まれることに。それにしても次の2つは同じようなテーマを描いているのに、まったく違う世界になっている。
高原 1952年
山の思い出 1955年
43歳からの世界放浪の時にメキシコでインスピレーションを得て描かれた作品。もちろんファンタジーだから、メキシコに行ってもこんな恐ろしい目に会うことはないだろう(^^ゞ
チアパスの夜 1966年
仮面と老婆 1966年
メキシコを描いたものは他にも数点が展示されていたが、他の国の作品はなかった。描かなかったのか、たまたま今回は選定されなかったのだろうか。エジプトやギリシャに堀文子がどんなファンタジーをいだいたのか、またアメリカが彼女の目にどう映ったかはとても興味がある。
堀文子がイタリアにアトリエを構えたのはトスカーナ地方。イタリア中西部でフィレンツェがあるところ。こんな景色が広がっているかは別として、一度は訪れて見たいルネサンスの発祥地。
トスカーナの花野 1990年
さて、そろそろ文章を1つの流れとしてはまとめきれないほどいろんなタイプの作品が続く。何人かの画家の絵を見たような気分になると、最初に書いた意味がわかってもらえると思う。
終り 1992年
ベランダでチューリップを育てるのが私の趣味。そしてチューリップが盛りを過ぎて花びらが変形していく様を見るのも楽しみにしているのだが、堀文子にも同じ趣味があった? と思ったらもっと深遠なものをこのヒマワリから感じていたみたい。彼女のエッセイから引用すると
ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ
ひまわり畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった。ひまわりは頭に
黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北で
はなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を
宿し充実していた。死が生涯の華々しい時だという事を、ひまわりから学んだ
あの日を忘れない。
彼女と私の精神レベルの違いを思い知る(^^ゞ 「死が生涯の華々しい時」とは含蓄のある言葉。なお堀文子はエッセイや画文集を何冊か出している。
ひまわりのような精神性溢れる絵を描いたと思えば、手のひらを返したように次のような作品が展示されているのが堀弘子の面白いところ。彼女の絵を何点か見せられた後に「この画家が描いたその他の作品を、この会場の中から選びなさい」というクイズを出されたら正解する自信はないなあ。
ユートピア 2001年
鳥達の唄 2002年
ーーー続く
堀文子の作品は何度か目にしたことはあるが、これだけまとまった数では初めて。少しモダンな日本画を描く女性の画家程度の印象しか持っていなかったが、展覧会を見終えてその認識は180度変わった。一言でいうとーーーと書きたいが、一言ではなかなかカバーできない守備範囲の広い人。画家の画風が変わっていくのはよくあること。しかし堀文子の場合は、次から次へと描きたいテーマが現れて、それにつれて絵も変わるようだ。だから展覧会では彼女の絵しか展示されていないのに、何人かの画家の絵を見たような気分になる。
サブタイトルになっている白寿は、喜寿や米寿ほど耳にすることはないが99歳という意味。漢字の百から一を取ると白になるという理由らしい。喜寿も米寿も漢字の読みがその由来だが、白寿はちょっとトンチが効いておもしろい。
ということで1918年(大正7年)生まれの御年99歳で、この7月には100歳になられる。18歳の時、自宅近くで二・二六事件を目撃したというから年代を感じる。前回の東京オリンピックをテレビで見たくらいじゃ、まだまだ子供(^^ゞ
略歴を見ると43歳から46歳まで3年をかけてエジプト、ギリシャ、イタリア、フランス、アメリカ、メキシコを放浪し〜69歳でイタリアにもアトリエを構えて〜77歳でアマゾン、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチに出かけ〜82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破とある。好奇心も旺盛なのだろうが、この行動力は素晴らしい。
まずは初期の作品から。次の2点は1949年に八丈島を訪れて描いたもの。
八丈島風景B 1949年
八丈島 1950年
どちらもカゴを頭で支えて何かを運んでいる女性がモチーフ。南方的な雰囲気が色濃く出ている。でもいくら1949年(昭和24年)の八丈島が今とは違うとしても、こんなゴーギャンのタヒチみたいな光景が八丈島にあったの?
月と猫 1950年
これも背景の描き方から八丈島かな。何ともユーモラスな作品。いわゆる猫好きには堪らないというやつか。もちろんこんなポーズも身体の模様もあり得ないから、八丈島シリーズは堀文子のファンタージーがかなり盛られていると気付く。
そして、そのファンタジーにドンドン引き込まれることに。それにしても次の2つは同じようなテーマを描いているのに、まったく違う世界になっている。
高原 1952年
山の思い出 1955年
43歳からの世界放浪の時にメキシコでインスピレーションを得て描かれた作品。もちろんファンタジーだから、メキシコに行ってもこんな恐ろしい目に会うことはないだろう(^^ゞ
チアパスの夜 1966年
仮面と老婆 1966年
メキシコを描いたものは他にも数点が展示されていたが、他の国の作品はなかった。描かなかったのか、たまたま今回は選定されなかったのだろうか。エジプトやギリシャに堀文子がどんなファンタジーをいだいたのか、またアメリカが彼女の目にどう映ったかはとても興味がある。
堀文子がイタリアにアトリエを構えたのはトスカーナ地方。イタリア中西部でフィレンツェがあるところ。こんな景色が広がっているかは別として、一度は訪れて見たいルネサンスの発祥地。
トスカーナの花野 1990年
さて、そろそろ文章を1つの流れとしてはまとめきれないほどいろんなタイプの作品が続く。何人かの画家の絵を見たような気分になると、最初に書いた意味がわかってもらえると思う。
終り 1992年
ベランダでチューリップを育てるのが私の趣味。そしてチューリップが盛りを過ぎて花びらが変形していく様を見るのも楽しみにしているのだが、堀文子にも同じ趣味があった? と思ったらもっと深遠なものをこのヒマワリから感じていたみたい。彼女のエッセイから引用すると
ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ
ひまわり畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった。ひまわりは頭に
黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北で
はなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を
宿し充実していた。死が生涯の華々しい時だという事を、ひまわりから学んだ
あの日を忘れない。
彼女と私の精神レベルの違いを思い知る(^^ゞ 「死が生涯の華々しい時」とは含蓄のある言葉。なお堀文子はエッセイや画文集を何冊か出している。
ひまわりのような精神性溢れる絵を描いたと思えば、手のひらを返したように次のような作品が展示されているのが堀弘子の面白いところ。彼女の絵を何点か見せられた後に「この画家が描いたその他の作品を、この会場の中から選びなさい」というクイズを出されたら正解する自信はないなあ。
ユートピア 2001年
鳥達の唄 2002年
ーーー続く
wassho at 08:51|Permalink│Comments(0)│