塩谷亮

2026年02月21日

塩谷亮 刻を描くリアリズム その4

展示室は3〜5階で、
5階に作品はほとんどなくこんなセットが設けられていた。
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これはよくあるアトリエ風景の再現ではなくライブペインティングと銘打って、上の写真の椅子に座らせた女性をここで描いていたようだ。つまり塩谷亮による写実絵画の製作実演。なんともサービス精神にあふれた画家。
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実演を見られなかった来場者のために、それを録画したビデオまで用意されている。
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今回は時間がなくビデオはあまり見なかった。どうしたらあんなに本物ソックリに描けるのか、そのテクニックを見たいような、手品の種明かしと同じで知ってしまえばなーんだと興味をなくしそうで見たくないようなーーー

こんな解説パネルもあった。
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こういうデッサンはまあ当然として、
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ここまでするのかと驚く。
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3階・4階とはまったく違う画風のこれは、2009年に彼がヴェロッキオの「キリストの洗礼」を模写した作品。オリジナルは1475年頃に描かれている。
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左側に小さく写っているのが作品全体で模写したのはその一部。(模写右側の天使の鼻のあたりがめくれているように見えるのは照明の反射)

ルネサンス期の画家であるヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリの師匠でもあった。ルネサンス期の絵画制作は師匠と弟子による工房制作方式で、この作品ではキリストと洗礼者ヨハネをヴェロッキオが描き、天使部分をダ・ヴィンチが受け持ったとされる。だからこれはヴェロッキオではなくダ・ヴィンチの模写と表現するのが正確。

なおダ・ヴィンチによる天使があまりに素晴らしかったために、これ以降ヴェロッキオは絵を描かなくなったとの逸話があるが、それは後世に盛られたストーリーみたい。

おそらくこの模写も写実絵画として「本物以上に本物っぽく」描かれているのだろうけれど、展示されていた作品の全体写真が小さくてよくわからなかったのが残念。じっくり見較べてして間違い探しをしたかった(^^ゞ



こちらにある中央の絵は何かの模写でテンペラで描かれている。
その周りに画材や道具が並べてある。
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テンペラ画とわかったのは卵の殻があったから。
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絵の具の色の元になっているのは、顔料と呼ばれる鉱物やその他の原料を砕いた色付きの粉末。サラサラの粉末では塗れないので、そこに接着剤の役割を果たす粘度のある材料を加える。それをメディウムや展色材などと呼ぶ。

メディウムとして乾性油(空気に触れると固まる植物油)を加えて顔料を練ったのが油絵の具。広く使われ出したのは1400年代中頃以降でルネサンス期の中期。それ以前は卵、膠(にかわ)、蜜蝋などがメディウムとして用いられており、ラテン語で混ぜ合わせるを意味するテンペラで総称される。

ヨーロッパでポピュラーだったのが卵テンペラ。日本画は岩絵の具=顔料を膠(にかわ)で溶いて塗るので膠テンペラではあるものの、あまりそういう表現はしない。また油絵の具で描けば油絵で、テンペラ絵の具だとテンペラ画になるのも美術用語の不思議なところ。

テンペラ画の前は漆喰(しっくい)が生乾きのうちに水で溶いた顔料で描くフレスコ画。漆喰がメディウムの役割を果たす。フレスコはイタリア語でフレッシュ。漆喰が塗り立ての生乾きのうちに描くのがネーミングの由来。でもフレスコ画は古い時代の技法なので、もし翻訳がフレッシュ画だったらヘンな感じになる。なお英語でもfrescoあるいはfresco paintingとイタリア語をそのまま使う。またイタリア語ではフレースコに近い短く伸ばす発音。

フレスコ画の前は色のある鉱物などを粉末の顔料ではなく、細かな破片にした状態で生乾きの漆喰に埋め込んだモザイク画。フレスコ画もモザイク画も建材に描く壁画であり、建物と絵が分離したのはテンペラ画からになる。

ここまででひとつ抜けているのが水彩絵の具。これはアカシアの樹液を固めた樹脂であるアラビアガム(ゴムともいう)を水で溶いたメディウムを使っている。アラビア糊(のり)も以前はアラビアガムを原料にしていてその名前がついた。

これが発明されたのは油絵の具よりはるかに古く、紀元前450年頃のギリシャで既に顔料とアラビアゴムの組み合わせが使われている(古代ギリシャ時代は紀元前3000年〜紀元前146年)。ただし絵画というより植物や動物の姿を記録する「図解」用途が多かったようで、絵画に使われるのは油絵の具と同じくルネサンスの頃。

ちなみに原始人が洞窟に描いた壁画は赤土や木炭を顔料とし、メディウムは獣脂・血・樹液など。そして洞窟土壌より炭酸カルシウムが浸みだして天然のフレスコ画となった。またピラミッドの内部や高松塚古墳の壁画も漆喰に描かれたフレスコ画の一種。

ついでに水墨画や書道は墨を水でするだけでも、墨は植物油や木を燃やした煤(すす)を膠(にかわ)で固めて作るので、墨にメディウムが含まれている仕組み。



絵の具に話が脱線してしまったが、ここに置かれていたテンペラ画も有名な作品の模写なのだろうか。説明を読まなかったのでわからずじまい。

ところで画家が名作の模写をしても、それが展覧会に出ることはあまりない。やはり模写は基本的に練習や訓練で人に見せる作品ではないのが理由だと思う。ゴッホの浮世絵やドラクロアの模写なら見たものの、あれは模写というよりモチーフを借りてきたゴッホのオリジナル作品。

でも考えてみれば写実絵画とは対象を本物ソックリに写し取る技法あるいは流儀。それが他人の描いた絵か、画家が選んだ人物や風景かの違いだけで本質は変わらないのかも知れない。言い換えれば写実絵画にとってすべてが模写。

さらに考えると写実絵画は「まるで写真のような絵画」ともいわれる。じゃ写真を模写したらどうなるのだーーー頭が混乱するね(^^ゞ


何はともあれ久しぶりの写実絵画、おまけにルネサンス期の模写まで見られて満足度の高い展覧会だった。本当は写実絵画の聖地であるホキ美術館も行きたいと思いつつ、電車とバスで片道2時間以上掛かるのでいつも腰が上がらない。



さてブログの最初の回に受け付け(チケット購入)は2階だと書いた。また1階エントランスから2階へ上がるときにエレベーターがなかなか来ずにイライラしたことも。

それで3・4・5階の展示室へは外階段(非常階段)で移動した。
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2階の受付でチケットを買って3階の展示室に入るとき、当然チケットを見せるのだと思っていたのにそれはなし。他の階でも同じく。

ということはーーー

帰り際に撮った1階エントランスの写真。
右側に外階段が写っている。
非常階段を兼ねているので出入り自由。
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あまり大きな声では言えないけれど、
外階段を使えばチケットがなくても展示室に入れてしまう。

それより心配なのはセキュリティ。展示室内では監視役の学芸員も見かけなかった。防犯カメラはついているとしても、ガードマンの制服でも着て「ちょっとすみませんねえ」とか言いつつ、作品を外して外階段を使って逃走するのはそう難しくないように思える。

とりあえず古今東西の名品を集めた、
私のコレクション展を佐藤美術館で開くのはやめておこう(^^ゞ



美術館を出て青山に向かう。
しばらく歩いていると見えてくるのは国立競技場。
現在は三菱UFJフィナンシャル・グループが命名権を取得してMUFGスタジアム。
ここまで佐藤美術館から6〜7分。
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2019年に完成してもう7年も経つのにまだ中に入ったことがない(/o\)
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2枚目の写真にある茶色い壁は神宮球場のスコアボード裏側。国立競技場と神宮球場に挟まれたこのエリアは新秩父宮ラグビー場を建設中で、以前は第二球場(野球場&ゴルフ練習場)があった。ここを何百回と通っているのにもう第二球場の姿を思い出せない。人間の記憶なんてそんな程度。
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そういえば神宮外苑再開発・樹木伐採の反対運動の声を最近は聞かない。
もう押し切られたのかな?
2023年に少し調べたときのブログはこちら↓
https://wassho.livedoor.blog/archives/53467493.html


有名な神宮外苑前イチョウ並木の現在の姿。
葉を落とした姿なんてあまり見る機会はないでしょ。
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おしまい

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2026年02月19日

塩谷亮 刻を描くリアリズム その3

風景画と静物画。

「午後の陽」 2000年

169-1-26午後の陽
  
描かれている黄色い花はセイタカアワダチソウ(背高泡立草)に見える。幼い頃は家の周りにいくつもあった空き地でたくさん生えていた。その黄色い花よりも印象に残っているのは、まず茎を折ると茎の中身が白いスポンジ状だったこと。スポンジがつまっている茎なんてセイタカアワダチソウしか知らない。もっともある程度の年齢になればむやみに草の茎を折ったりしないから他にもたくさんあるのかも知れない。

それとコイツは冬になると綿毛に包まれた種を付ける。それがセーターに大量にくっつく。家に帰ると「あそこの空き地で遊んではいけなと言ったでしょ」とすぐにバレて叱られたものだ。
169-2セイタカアワダチソウ

もっとも当時は子供たちも親たちも、これをキリンソウの名前で呼んでいた。黄色い花が咲いて背丈が高い草だからキリンとあだ名のように。それがセイタカアワダチソウだと知った頃には家の周りの空き地も少なくなり、また空き地で遊ぶ年齢も過ぎていた。へえ〜、あれはセイタカアワダチソウだったんだ、長い名前だなあと思ったのを覚えている。

そしてこの作品を見てセイタカアワダチソウが懐かしくなり、
ちょっと調べてみたら大発見!
それはセイタカアワダチソウの名前の由来。

まず昔から日本で自生しているキリンソウ(麒麟草)という植物がある。
分類的にはベンケイソウ科キリンソウ属に属する。
170-1キリンソウ


さらにキリンソウとは系統が異なるキク科アキノキリンソウ属なのに、キリンソウに花の形がよく似ていて秋に咲くのでアキノキリンソウ(秋の麒麟草)と呼ばれる植物もある。
170-2アキノキリンソウ


このアキノキリンソウの別名がアワダチソウ(泡立草)。
セイタカアワダチソウは北米原産のアワダチソウで日本のものより大きい(花の形も違うが)。それで区別するためにセイタカアワダチソウ(背高泡立草)の名前がついた。つまり言い換えればセイタカ・アキノキリンソウでもあるわけで、子供の頃にキリンソウと呼んでいたのもあながち間違ってはいなかったのだ。

ちなみにアワダチの名前は先ほどの綿毛に包まれた種が、まるで泡立っているよう見えるとの説が有力。ついでにセイタカアワダチソウの新芽は天ぷらやおひたしとして食べられ、ツボミはハーブティーや入浴剤になるらしい。あの空き地に生えていた雑草がね〜とビックリ。



展覧会とは話がそれてしまった。
これはそんなブログなのでご容赦をm(_ _)m


「晩春近江」 2016年

173-12晩春近江


「一の滝」 2017年

174-35一の滝


「奥会津霧景」 2025年

175-13奥会津霧景

「一の滝」と「奥会津霧景」は長辺2m以上、「晩春近江」も1.5mの大きさで見応えがあった。
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人物画とは距離感が違うからハッとするようなリアルさはないものの、もちろん普通の風景画と較べれば驚くほど細密。「奥会津霧景」は特に遠景だし、さらに靄(もや)まで掛かっているのに、船頭がいかにも写実絵画的に描かれていたのにニンマリ。


それでこの作品を眺めていてなぜか東山魁夷を思い出した。
もちろん絵が似ているわけではない。

彼の風景画には東山ブルーと呼ばれる独特の色彩で描いた作品が多くある。ブルーとはいえ日本は緑の信号を青信号というように緑がかった色調も含まれる。これは東山魁夷の「夕涼」。
177東山魁夷 夕涼

細部までを本物ソックリに正確に描くのが写実絵画。そこは譲れないとしても、色彩はもっと遊んでもいのになあと思ったのが東山魁夷が頭に浮かんだ理由。東山ブルーは彼には自然の景色がそう感じられた=印象派的な色彩の再構成。そんな感性でもいいし、まったくあり得ない色で木々を緻密に描いても面白い。後者ならスーパーレアリスムかつシュルレアリスム。

もちろん単なる思いつきに過ぎない。写実絵画の画家の皆さん、色を変えて描いたらまったく売れなかったとの苦情はご遠慮ください(^^ゞ



「碧音」 2015年

180-7碧音


「地の脈動」 2022年

181-4地の脈動


「蒼」 2004年

182-27蒼


「独活図」 2004年  ※独活は「うど」

183-28独活図

以前にも書いたように人物の写実絵画はそのリアリティを超えた「特別な何か」を感じるのに、風景画ではそれが減り静物画になるとまったく感じなくなる。何が違うのか自分でもはっきりしないが冷めた目でテクニックだけを鑑賞している気分。

でも次の作品だけは別格だった。
花があって斜め上から光が差している定番の構図。しかしその光線が本当にそこにあるかのように思えた。これは会場のライト?と上を見て確認したくらい。

「花韻」 2025年

185-20花韻

前回に書いた

  本物以上に本物そっくりなのに、
  本物じゃないと知っていることから来る混乱で
  頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える

がまさにこれ。
写実絵画の静物画でその感覚を味わえたのは初めて。

が、しか〜し
画像だとまったくそれが感じらず、
ありきたりな光の描き分けにしか見えない(/o\)

残念である。
またどこかの展覧会でこの絵が出展されたら見てきてちょうだい。

その代わりに画家のテクニックのすごさがわかる画像を見つけたので紹介。まるで神が筆を握っているとしか思えないね。画像はhttps://ryoshio.exblog.jp/32047414/から引用
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再び人物画で似たような構図の2枚。

「晩夏」 2000年

190-29晩夏


「朝の情景」 2001年

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実はこの2枚には気になる共通点があって、どちらも右手の指先が土いじりをして爪の隙間が黒くなってしまったように汚く見えた。特に「晩夏」のほう。しかし絵の内容やタイトルからその必然性はない。

でもそう見えたのだから仕方がないし、
それが気になって気になって。

撮ってしまいました接写で。
隣にいた人にこいつは指フェチ?と思われたかも(^^ゞ
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もちろん爪の隙間が黒く汚れていたりはしていない。指のところが少し影になっているのでそう見えてしまったのかな。あるいはリアルな写実絵画ゆえに目が敏感になっていた気もする。

ところでこの作品が描かれたのはどちらも約25年前。当時の少女の爪はこんなに切りそろえられていたのか、若いほうの女性は今ならネイルしているよねと、これまたどうでもいい思いが頭に浮かぶ。



またよく似た構図の2枚。

「相韻」 2018年

195-40相韻


「Daria」 2022年

196-6Daria

先ほどの2枚は白い布で、こちらは赤い布。その色の違いのせいかずいぶんと妖しく見える。そして人物の存在感、画面から受ける「圧」が強かった。ただ「Daria」の顔はちょっと怖い。ついでに正直に書くと「朝の情景」の女性は顔に表情がなく、飛び降り自殺の現場のようにも思え少し気味悪かった。タイトルは爽やかなのに。


さて、こういう俯瞰した2次元的な絵でよくやる遊びがこれ。「Daria」はこちらのほうが私にはしっくりくる。また目の錯覚で左上から右下に向けて赤い布幅を絞っていったように見えるが面白い。こんなことをして画家に見つかったらシバかれる?
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198-6Dariaのコピー



「Lineage」 2024年

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タイトルはLINE世代ではなく Lineage とは血統、系統、家柄などの意味(英語)。カタカナではリネージと表記するが、ネイティブの発音はリニエッジに近い。この男性はドイツ人と中国人のハーフだそうでそれにちなんだタイトル。後ろの壁がボロボロなのは何かを表しているのだろうか。

この絵は凄く印象に残ったというか目についた。それはまたまた絵そのものとは関係なくてモデルがはいているスカート。男性がスカートをはいているのはたまに見かけても、今までサマになっている姿を見たことがない。スタイリング云々より「僕はこんなファッションも着こなせます」オーラが出過ぎていて痛い人が多い。しかしこのモデルのスカート姿はとてもナチュラル。風呂上がりに腰に巻いたバスタオルくらいに違和感がない。

これだったら私でもありかな、やっぱり指さして笑われる?ーーーと空想しながら絵を眺めていた。たぶんそれは画家の意図した狙いとはまったく違うのだろうけれど、絵の楽しみ方は自由でいいはずだよね。




ーーー続く

wassho at 22:04|PermalinkComments(0)

2026年02月16日

塩谷亮 刻を描くリアリズム その2

まるで写真のように精細に描かれた絵画は写実絵画あるいは超写実絵画、スーパーリアリズムなどのジャンル名がある。この展覧会では写実絵画と呼んでいるのでそれに倣う。その手の展覧会を見るのはこれで3回目。写実絵画のあれこれについてはそのときのブログに書いたので、よろしければ下記のリンクからどうぞ。

2020年
  超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵
  超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その2
  超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その3
  超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その4

2017年
  リアル(写実)のゆくえ その3

私が美術作品を評価する一番の基準は「酔える」かどうか。酔えるって何?を書き出すと超絶に長くなりそうなので割愛するが、要はほろ酔い気分のように気持ちよくさせてくれるのが大事。考察が必要だったり共感を強いられるような現代アートが好みじゃないのは今まで何度も書いてきた。

実は写実絵画の作品のほとんどは絵としては酔えない。
じゃあなぜそんな展覧会を見に行くのかといえば、それは

  本物以上に本物そっくりなのに、
  本物じゃないと知っていることから来る混乱で
  頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える

から。

クラッとするのもある種の酔えている状態。絵そのものには酔えなくても、これは人が「絵の具」を「筆」につけて「塗って」描き上げたという感嘆に酔えるのである。ちょっとヘンタイな楽しみ方かも知れない。

さて作者の塩谷亮(しおたに りょう)。Wikipediaには載っておらず展覧会公式ホームページの文章を引用すると、

  1975年、東京都生まれ。1998 年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
  2008 〜 2009年には文化庁新進芸術家海外派遣研修員としてイタリアに留学し、
  古典絵画の模写や技法研究に取り組む。これまでに九州産業大学客員教授をはじめ、
  武蔵野美術大学、日本大学、長岡造形大学、広島市立大学で講師を歴任。

とあった。
アカデミズム肌の画家なのかな。


前書きはこのくらいにして作品の紹介。
まずは展示の最初のほうにあった作品。

「ウクライナの少女」 2023年

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ウクライナといえばロシアとの戦争である。現時点でほとんどの日本人にとって、それ以外にウクライナについて思い浮かぶものはない。でもこの少女からは悲しみや憤りなど戦争の「せ」の字も感じられない。まるでたまたまモデルがウクライナ人なだけで戦争とは関係ない作品のようである。「赤いノースリーブを着た少女」がタイトルでも違和感はない。(参考までにロシアの侵略は2022年)

それでもタイトルにウクライナと書いてあれば現在も進行中の戦争を想起せざるを得ないわけで、それなのにそれとは無関係な、あえて言えば人畜無害な絵があってーーー最初から悪酔いした(^^ゞ


次の2作品は一目見れば何を表現しているのか理解できる。「いや〜あの頃は大変でしたよね」と隣にいる人に声をかけたくなる気分。でも100年後の鑑賞者は風邪か花粉症としか思わないはず。そう考えると「ウクライナの少女」も戦争が終わった後を見越してのタイトル? そんなわけで絵のタイトルや小道具についてボンヤリと考えながらの鑑賞スタート。

「KAON -15 years old」 2022年

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「2020春日」 2021年

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ところで写実絵画は写真のように精緻に描く。なのでまるでエアブラシで吹いたように筆跡なんてないと思ってしまうが(エアブラシを使う画家もいる)、意外とそれなりに筆跡は残っている。それは画像を拡大してもなかなかわからず実物を見るまで気付かない。

はい、撮っておきましたマクロ撮影で。
この画像なら拡大すれば筆跡も見られるはず。
それに意味があるかどうかは別として。

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ここから先は展示順とは無関係に作品を並べている。
まずは女性をモデルにした作品。

「明日」 2008年

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鏡に映っている姿を描いているのかと思いきや鏡の中に風景がある。背景が鏡に映り込んでいるとも考えられるが状況的に少しヘン。この絵には背景が必要と考えたからこう描いたのだろう。先ほどのマスクの絵もそうだが塩谷亮の人物画は背景に外の景色を描いている作品が多い。これは写実絵画では珍しいと思う。ただでさえ手間の掛かる写実絵画なのに背景も細かく描くのは大変そう。


「漂」 2007年

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「凪」 2024年

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「煌」 2012年

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塩谷亮はタイトルの付け方が凝っているというか癖が強いね。それが「ウクライナの少女」とも関連している気もするが、彼については画家である以外はほとんど知らないのでよくわからない。

2020年の展覧会で見た石黒賢一郎や三重野慶がカリカリにピントを合わせたような描写だったのと較べると、塩谷亮はソフトフォーカスとはいわないまでも普通のフォーカス。ゾクッとするようなリアルさには欠ける。でも特にそれに不満は感じなかった。テクニックを誇示せずに芸で上手くまとめている印象。


ボーイズも紹介しておきましょう。
これも人物&外の風景の組み合わせ。タイトルにあるようにいかにもトスカーナ的な風景が広がっている。でもトスカーナ地方の風景って絵でしか知らないんだよな(^^ゞ

「Toscana」 2009年

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写実絵画でヌードを見たのは初めてかも知れない。意外にも生々しさはまったく感じない。やはり写実絵画ならリアルを超えたリアルさでエロスを表現したものも見てみたい。

「颯」 2015年

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「月華」 2014年

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男性のヌードは見慣れていないせいで妙に落ち着かない。モデルは「Toscana」で描いた少年の5年後のような気がする。

「17歳のシモーネ」 2014年

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これは何と塩谷画伯が5歳の幼少のみぎりでの作品。

「海」 1980年

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回顧展は画家の作品を年代を追って展示する構成とはいえ、
5歳のお絵かきが出てくるのは珍しい。

ところで「昔、神童、今はただの人」な私である。小学校の頃は授業で描かされた・書かされた絵や作文や詩を先生がどこかの展覧会に(勝手に)応募するシステムがあり、いろいろ表彰された。絵では文部大臣賞をもらったりもした。また小学1年の時に図工の授業で「ザルにのせた三匹の大きな海老」を皆で描いた。描き終えた絵がしばらく教室の後ろに貼られるのは今もある光景。あるとき父兄懇親会のような会合があって、父兄の中に美大の教授がいて教室で私の絵を指して「この子は天才だ!」といったらしく、母親が有頂天になって帰ってきたのを覚えている。

  母上、ただの人になってしまい申し訳ございませんm(_ _)m

5歳といえば幼稚園児。大学1年のとき、実家の建て替えでしばらく引っ越すことになり、部屋を整理していたら幼稚園で使っていたスケッチブックが出てきた。半分は鉄人28号が描かれていて(^^ゞ それが我ながら実に上手な絵でビックリした。そのスケッチブックは永久保存するつもりだったのに引っ越しのどさくさでなくしてしまったのが残念。

でもそのスケッチブックの記憶をたどれば、幼稚園児だからクレヨンだけれど、鉄人以外は塩谷亮が5歳で描いた作品といい勝負していたと思う。


彼が11歳のときに描いた「屋上風景」 1987年

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ちょっと引き離された気がする。
でもまだまだ射程範囲。
私は図工の時間しか絵を描いていないのだから練習量の違いさ。


17歳のときの「静物習作」 1992年

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あっ、100万光年先に行かれた!(>_<)

17歳なら高校2年。美術の授業は2年までで最後はちょっと大きなサイズの油を描く。私は当時の国際社会で話題になっていた問題をテーマに選んだ。そのアイデアはよかったものの、まったく頭の中のイメージ通りに描けず最後に全部塗りつぶして、新幹線を背景に「修学旅行楽しもうぜ」みたいな当たり障りのない絵に描き変えた。それは軽い挫折。その頃は既に「ただの人」だったから仕方がないけど。考えてみればそれ以来絵筆を握ったことがないな。


まさか展覧会に来て、
幼稚園から高校生までをあれこれと思い出すと考えてもみなかったゼ。




ーーー続く

wassho at 21:46|PermalinkComments(0)

2026年02月14日

塩谷亮 刻を描くリアリズム

NHKの「アートシーン」という展覧会情報番組でこの個展を知った。

いきなり話が脱線して恐縮だが、NHKは放送で企業名や商品名を使わないのが原則。公共放送として特定の企業や商品の宣伝にならないようするのがその理由。

子供の頃にNHKのドラマでビール瓶が出てくるシーンでは、ブランドがわからないようラベル部分が黒い紙で覆われていたのを覚えている。かぐや姫が1973年に200万枚を売り上げたヒット曲「神田川」には「♪24色のクレパス買って」との歌詞があり、NHKがクレパスは商品名だからクレヨンに変更を求めたところ、かぐや姫がそれを拒否して紅白の出演を辞退するなんて騒動もあった。

なお1978年の山口百恵の代表曲「プレイバックPart2」には「♪緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ」という歌詞があり、それを紅白では「真紅なクルマ」と歌わされたーーーとよく言われるがそれは間違い。NHKの他の番組で「真紅なクルマ」に置き換えられた事実はあるものの、紅白ではポルシェと歌っている。それは当時の一番人気であったピンクレディがその年の紅白を辞退して裏番組に出演する状況となり、山口百恵にまでヘソを曲げられたら(しかも紅組のトリ)ーーーなんて大人の事情があったみたい。

私感を述べれば「真紅なポルシェ」と「真紅なクルマ」では歌詞の持つ意味や世界観が変わるけれど、「クレパス」と「クレヨン」はどちらでも同じに思える。クレパスが商品名との意識もほとんどない。あの頃は紅白に出場する流行歌歌手と、それ以外のフォークシンガーなどの区別があって、後者は紅白に出るなんてダサいなんて風潮もあったから、出場依頼を断る理由にクレパスを利用したのかも知れない。

ビールはその後に架空の商品のラベルが貼られるようになったし、商品名の扱いも緩やかになった。クレパス問題から19年後の1992年紅白に南こうせつはソロで出場し、神田川をクレパスのオリジナル歌詞で歌っている。2020年の紅白では「ドルチェ&ガッバーナのその香水のせい」と、そのものズバリな商品名の歌詞もOKとなっている。

それでも根底にあるのは次のルール。

放送法第83条
1 協会(NHKを意味する)は、他人の営業に関する広告の放送をしてはならない。
2 前項の規定は、放送番組編集上必要であつて、かつ、他人の営業に関する広告のためにするものでないと認められる場合において、著作者又は営業者の氏名又は名称等を放送することを妨げるものではない。

日本放送協会番組基準(国内)第12項
1 営業広告または売名的宣伝を目的とする放送は、いっさい行わない。
2 放送中に、特定の団体名または個人名あるいは職業、商号および商品名が含まれる場合は、それが、その放送の本質的要素であるかどうか、または演出上やむをえないものかどうかを公正に判断して、その取り扱いを決定する。

ちなみに放送法は196条あって、そのうち15条〜87条までの73条分が、つまり条の数でいえば 73 ÷ 196 = 全体の1/3 以上がNHKに対する規定。それだけNHKは法律でがんじがらめに縛れているともいえる。


まあとにかくNHKでは広告宣伝をしないのが基本。

でも「アートシーン」は展覧会の宣伝以外の何物でもない。開催されている美術館名はもちろん、ご丁寧にもその期間まで教えてくれる。これが例えばアイドルやJ-POPのライブの紹介ならNHKはそんな番組は作らないはず。どこが違うのかな?どういう基準なんだろう?

「アートシーン」は展覧会内容の簡単なレポート番組で、それが宣伝目的の放送ではないとの根拠なのかも知れない。ただしそれらのレポートがすべて終わって、エンドの番組タイトルも出した後に、さらに別の展覧会の告知を挿入する放送日もある。これはレポートもなく告知のみで宣伝そのもの。以前に気になってそれらの展覧会をチェックしたらNHKが協賛している展覧会がほとんどだった。放送法が禁じているのは「他人の営業に関する広告の放送」だからこれは許されるのか。でも展覧会の主催者=展覧会の収益を得るのは「他人」な訳で何となく腑に落ちない。

もちろんアートシーンの番組をケシカランといっているわけではない。あの番組で展覧会を知って訪れたことは今まで多くある。今回の展覧会も番組で紹介されなければ見逃していたはず。そんな宣伝効果抜群(^^ゞ の番組がこれからも続きますように。できれば現在15分の枠を拡大して、もっとマイナーな展覧会も紹介して欲しいくらい。



さて今回の展覧会。場所は新宿区大京町の佐藤美術館。今までここで展覧会を見た経験はなく名前を聞くのも初めて。バブルの頃に飛ぶ鳥を落とす勢いで、ニューヨークのティファニー本社ビルを買収して有名になった第一不動産の創業者が1990年に設立した美術館。第一不動は2007年に倒産したとはいえ、こういう遺産を残せてよかったね。

最寄り駅は徒歩5分のJRの千駄ヶ谷駅か地下鉄大江戸線の国立競技場駅。でも乗り換えるのが面倒だったので地下鉄副都心線の北参道駅で下車。そこからでも15分ほどの距離。
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千駄ヶ谷駅の先で高架をくぐってしばらく線路と平行に。
電車と国立競技場のツーショットが撮れた。
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左側の木々は新宿御苑。
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この道路に出て、
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信号を渡りFOR RENTと書かれている左側の路地に入る。
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児童公園で行き止まりかと一瞬あせったが、
奥の階段で公園を出ると、
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この道路に出る。
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このちょっと趣のある建物は四谷第六小学校と幼稚園。
公立で幼少一貫校は珍しいのでは。
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その四谷第六のほぼ向かいに佐藤美術館のビル。
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例によって思いつくままに書いているので、展覧会の内容にまでなかなか話が進まないが、今回は超写実絵画やスーパーリアリズムと呼ばれるジャンルの展覧会。
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このエレベータのサイズでわかるように小さなビル。
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エレベーターホールの脇に胡蝶蘭。胡蝶蘭は好きなんだけれど、お祝いにはとりあえず白い胡蝶蘭を送っておけな風潮が嫌い。ましてや美術関係者ならもうちょっと気を利かして欲しい。
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受付は2階。
でもこの表示はわかりにくい。
そしてこのエレベーターがなかなか来ずにイライラ。
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2階が受付とミュージアムショップ。
3〜5階が展示会場でその雰囲気を。
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狭いのは仕方ないとして天井が低いのが美術館としては残念。
ここは美術館として建てられたのではなく普通の小規模なオフィスビル。
なお会場では一部の作品を除いて写真撮影可。




ーーー続く

wassho at 19:02|PermalinkComments(0)