奈良美智
2024年11月25日
高橋龍太郎コレクション展 その4
天明屋尚 「ネオ千手観音」 2003年 画像中央
「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう) 2003年 画像左
「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし) 2003年 画像右
遠くから見ていると普通の仏画に見えたが、近づくと千手観音と両サイドの仁王像が持っているのは銃器や刃物。作者の天明屋尚(てんみょうや・ひさし)はこのような日本画形式と現代のモチーフや風俗をミックスさせた「ネオ日本画」の考案者。
面白いしクォリティも高いのだけれど、あと一歩パロディの域から出ていない印象。
池田学 「興亡史」 2006年
これは2メーター四方くらいの大きさ。そこに細かく細かく描き込まれている。基本的には城が何層も積み重なっているような構図で、そのあちこちで小さなシロアリみたいなサムライが戦ったりしている。なぜかたこあげや電車もある。制作に相当な時間がかかっただはずで、何となく作者が楽しみながら描き込んでいるようにも思える。
ここでこんなことをしている、あっ、こっちではーーーと細部を発見するのはなかなか面白い。しかし全部をクリアするには絵の前にカブリツキで1時間以上は掛かりそう。それもちょっと困るんだよなあ。
舟越桂 「言葉を聞く山」 1997年
今年の3月に亡くなった舟越桂(ふなこし・かつら)。いくつかのテレビ番組で特集が組まれた。その中で彼の彫刻と対峙して目が合わないのは「斜視に彫られている」のが原因と知る。今まで作品は何度か見ていても眼球の向きまでは意識していなかった。
初めて「見つめて」みる。本当だ、どの方向からも目が合わない、この作品では右目が少し外を向いている。舟越桂の作品がどれも遠くを見ているように感じるのは、表情があっさりしているせいと思っていたのに、そういうテクニックがあったのか。それに気付かない私の目は斜視ではなく節穴(^^ゞ
奈良美智 「Untitled」 1999年
奈良美智 「Green Mountain」 2003年
あちこちで見かける奈良美智(なら・よしとも)の少女画。20年くらい前に彼の作品がよく紹介され出したとき、何となく安直な感じがして、好きになれないどころか少し腹立たしかった。でもさすがに見慣れたせいか、こういうのもありかと思えるようになり、またカワイイと感じたりもする。私の感性が広がったのか精神が鈍ったのか?
何と書いたらいいのかわからないものが壁際にあり、
布で作られた作品を眺めて、
手のひらを赤く塗られたロリータっぽいパネルを過ぎたら、
ちょっとエロくて幻想的で、そしてカッコイイおネエちゃんに足を止められる。
ハスキーな声で呼びかけられたような気がした。
山中雪乃 「stretch」 2022
そして部屋の奥にまた巨大なものが見えてきた!
森靖(もりおさむ) 「Jamboree – EP」 2014
高さ 385 × 幅 406 × 奥行き 365cm
モデルがエルビス・プレスリーなのはすぐにわかった。でもずいぶんと太っていて安岡力也がプレスリーのコスプレをしているみたいだ。
なぜかオッパイが飛び出し、
左手はオチンチンを押さえている。マイケル・ジャクソンは押さえながらホォゥー!と叫んでいたけれど、プレスリーもそんなポーズをしていたかな?
これはウンチ?
手のひらには穴が空き、
指で正体不明のものを挟んでいる。タバコにしては太すぎる。
背中はけっこう丸かった。
解説には「スケールやポーズから示唆される大仏の要素や、雌雄同体の姿は、エルビスをモニュメントのはらむ男性性から解き放ち、さまざまな記号性に捉われる私たちの潜在意識に問いを投げかける」(原文のまま)とあった。
うそ〜、クスッと笑ってもらうための一発芸じゃないの?(^^ゞ
エスカレーターで地下の展示室へ移動。
広がっていたのはコンサートが開けそうな大空間。
小谷元彦(おだに・もとひこ)
「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」 2022年
高さ 560 × 幅 423 × 奥行き 376cm
反対側から。
電灯でできている頭の部分がiPhoneだとどうしてもにじんでしまう。
しっかりと見たい人はこちらでプロが撮った写真をどうぞ。
タイトルの「仮設のモニュメント」は、東日本大震災復興のイベントにこの作品を出展したのと関係がありそうだ。モチーフになっているのはギリシャ彫刻の傑作とされるサモトラケのニケ(紀元前200–前190年ごろ)で、上半身の服装はそっくり。サモトラケは発見された地名で、ニケは勝利の女神の名前。
そして両腕を広げたポーズは、この有名なシーンからのインスピレーションらしい。頭部は神聖幾何学というオカルトの世界でマカバと呼ばれる多角形の形。
タイタニックとマカラはともかく、サモトラケのニケに馴染みのあるヨーロッパの人がこの作品を見たらすぐにそうだとわかるのに違いない。日本人なら観音像をモチーフしていたら気付くように。
サモトラケのニケとタイタニックとマカラの組み合わせで何を意図しているのかはつかめなかったし、だったら何?との気持ちがないといえば嘘になる。それでも前回の「Crash セイラ・マス」で書いたように美術において大きさは正義。下から仰ぎ見ましょう。
サーフボードに載っているのはやはり津波つながりかも。
恒例の?バックショット。
ーーー続く
「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう) 2003年 画像左
「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし) 2003年 画像右
遠くから見ていると普通の仏画に見えたが、近づくと千手観音と両サイドの仁王像が持っているのは銃器や刃物。作者の天明屋尚(てんみょうや・ひさし)はこのような日本画形式と現代のモチーフや風俗をミックスさせた「ネオ日本画」の考案者。
面白いしクォリティも高いのだけれど、あと一歩パロディの域から出ていない印象。
池田学 「興亡史」 2006年
これは2メーター四方くらいの大きさ。そこに細かく細かく描き込まれている。基本的には城が何層も積み重なっているような構図で、そのあちこちで小さなシロアリみたいなサムライが戦ったりしている。なぜかたこあげや電車もある。制作に相当な時間がかかっただはずで、何となく作者が楽しみながら描き込んでいるようにも思える。
ここでこんなことをしている、あっ、こっちではーーーと細部を発見するのはなかなか面白い。しかし全部をクリアするには絵の前にカブリツキで1時間以上は掛かりそう。それもちょっと困るんだよなあ。
舟越桂 「言葉を聞く山」 1997年
今年の3月に亡くなった舟越桂(ふなこし・かつら)。いくつかのテレビ番組で特集が組まれた。その中で彼の彫刻と対峙して目が合わないのは「斜視に彫られている」のが原因と知る。今まで作品は何度か見ていても眼球の向きまでは意識していなかった。
初めて「見つめて」みる。本当だ、どの方向からも目が合わない、この作品では右目が少し外を向いている。舟越桂の作品がどれも遠くを見ているように感じるのは、表情があっさりしているせいと思っていたのに、そういうテクニックがあったのか。それに気付かない私の目は斜視ではなく節穴(^^ゞ
奈良美智 「Untitled」 1999年
奈良美智 「Green Mountain」 2003年
あちこちで見かける奈良美智(なら・よしとも)の少女画。20年くらい前に彼の作品がよく紹介され出したとき、何となく安直な感じがして、好きになれないどころか少し腹立たしかった。でもさすがに見慣れたせいか、こういうのもありかと思えるようになり、またカワイイと感じたりもする。私の感性が広がったのか精神が鈍ったのか?
何と書いたらいいのかわからないものが壁際にあり、
布で作られた作品を眺めて、
手のひらを赤く塗られたロリータっぽいパネルを過ぎたら、
ちょっとエロくて幻想的で、そしてカッコイイおネエちゃんに足を止められる。
ハスキーな声で呼びかけられたような気がした。
山中雪乃 「stretch」 2022
そして部屋の奥にまた巨大なものが見えてきた!
森靖(もりおさむ) 「Jamboree – EP」 2014
高さ 385 × 幅 406 × 奥行き 365cm
モデルがエルビス・プレスリーなのはすぐにわかった。でもずいぶんと太っていて安岡力也がプレスリーのコスプレをしているみたいだ。
なぜかオッパイが飛び出し、
左手はオチンチンを押さえている。マイケル・ジャクソンは押さえながらホォゥー!と叫んでいたけれど、プレスリーもそんなポーズをしていたかな?
これはウンチ?
手のひらには穴が空き、
指で正体不明のものを挟んでいる。タバコにしては太すぎる。
背中はけっこう丸かった。
解説には「スケールやポーズから示唆される大仏の要素や、雌雄同体の姿は、エルビスをモニュメントのはらむ男性性から解き放ち、さまざまな記号性に捉われる私たちの潜在意識に問いを投げかける」(原文のまま)とあった。
うそ〜、クスッと笑ってもらうための一発芸じゃないの?(^^ゞ
エスカレーターで地下の展示室へ移動。
広がっていたのはコンサートが開けそうな大空間。
小谷元彦(おだに・もとひこ)
「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」 2022年
高さ 560 × 幅 423 × 奥行き 376cm
反対側から。
電灯でできている頭の部分がiPhoneだとどうしてもにじんでしまう。
しっかりと見たい人はこちらでプロが撮った写真をどうぞ。
タイトルの「仮設のモニュメント」は、東日本大震災復興のイベントにこの作品を出展したのと関係がありそうだ。モチーフになっているのはギリシャ彫刻の傑作とされるサモトラケのニケ(紀元前200–前190年ごろ)で、上半身の服装はそっくり。サモトラケは発見された地名で、ニケは勝利の女神の名前。
そして両腕を広げたポーズは、この有名なシーンからのインスピレーションらしい。頭部は神聖幾何学というオカルトの世界でマカバと呼ばれる多角形の形。
タイタニックとマカラはともかく、サモトラケのニケに馴染みのあるヨーロッパの人がこの作品を見たらすぐにそうだとわかるのに違いない。日本人なら観音像をモチーフしていたら気付くように。
サモトラケのニケとタイタニックとマカラの組み合わせで何を意図しているのかはつかめなかったし、だったら何?との気持ちがないといえば嘘になる。それでも前回の「Crash セイラ・マス」で書いたように美術において大きさは正義。下から仰ぎ見ましょう。
サーフボードに載っているのはやはり津波つながりかも。
恒例の?バックショット。
ーーー続く
wassho at 22:59|Permalink│Comments(0)│
2015年01月22日
横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期
ホイッスラー展のエントリーの最後に常設展について「続く」と書いちゃったが、ブリヂストン美術館のように常設展に世界の名画が並んでいるわけではない。全体的にはあまりテンションは上がらないものの、いくつかの作品は見応えのあるものだった。
なおタイトルが2014年度になっているのは書き間違いではない。一般に常設展というのはその美術館のコレクションを常に展示している展示室のこと。もちろん展示内容は時々入れ替わるが、美術館が開いていれば必ず見ることができる。常設展の反対語が企画展で、テーマに合わせて集めた(よそから借りてきた)作品を中心に期間を定めて展示する。
横浜美術館の場合は変則的で、常設展ではなく自前のコレクションの中から企画を立てて期間限定で展示する方式のようである。だから名前もコレクション展。年に2〜3回のペースで開かれており、私が見てきたのは昨年の12月から今年の3月までの期間で2014年度ということになる。
過去の記録を見ると2014年度の場合(3月から始まっているものもあるが)
3月1日〜5月25日:企画展
3月1日〜5月21日:コレクション展
8月1日〜11月3日:企画展
12月6日〜2015年3月1日:コレクション展(今回の展示)
という構成。6月と7月は休館していたのかな? どうしてそのような運営になっているのかは知らないが、この美術館に勤めたら休暇はたっぷり取れるかも?
開催されていたコレクション展は3部構成。
最初のコーナーは抽象画だった。そこそこかなと思う作品もあったが、こんなもの買うなんて税金の無駄遣いとしか思えない作品もあった。まあ芸術なんてものは、あまたある作品のほんの一握りだけが価値を持つ。そして芸術は、あまたの無駄なものも一緒に育てないと、その一握りが生まれないというやっかいな性質を持っている。芸術を楽しむとは基本的に道楽で成り立っている行為。無駄遣いした税金が、やがて素晴らしい作品を生むことを期待しましょう。
展示されている抽象画は大きなサイズのものが多かった。中には横幅が数メートルを超えるものも。私は絵は大きければ大きいほどよし、サイズは質の一部だと捉えているところがある。そういう意味では見応えがあった。これで小さければただの落書きだと思う作品もあったが、悪口はこれくらいにしておこう(^^ゞ
次の展示室は光と影がテーマ。
それとは関係ないような作品も多くて、結構強引なテーマ設定だったかな。
「隅田川夜」 小林清親
1881年(明治14年)の作品。去年の正月に浮世絵をたくさん見た。浮世絵の魅力のひとつが日本的な色彩の豊かさだが、こういうモノトーンに挿し色程度のものもなかなか味わい深いと感じる。
「春少女」 奈良美智
奈良美智(よしとも)は、この少女の顔ばかりを描いている人だったと思う。その顔作品は時々見かける。しかし怒っていたり、意地悪そうな表情をしている作品が多く、こういう無表情なものは初めて見た気がする。私には漫画にしか思えずまったく興味が湧かないけれど、彼の作品は美術オークションで1億円以上の価格になるというから、ありがたく拝んでおいた。
ちなみに、このページによると先日に訪れたデ・クーニングの作品が、世界で高価な絵ランキング第3位:159億円となっていてビックリ!
「夢想植物園」 北久美子
調べてみると、こういうタイプの絵を専門に描いている画家のよう。先に訪れたホイッスラーが唯美主義なら彼女は唯爽快主義かな。絵を見て爽快な気分になったのは初めてで、貴重な体験をした。
「幻想的風景」 ダリ
ここに貼り付けた写真じゃこの絵のよさはわからない。
なんてったて3枚合わせて横幅が7メートル以上ある大作。
当日は知らなかったが、このコレクション展は自由に作品を撮影していいみたい。というわけで作品の大きさがわかるページを探してみた。なおリンク先は今回のコレクション展での展示とは限らない。
リンク1:http://www.nminoru.jp/image/nminoru/2010/0612/PIC074053.JPG
リンク2:http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/28/05/35/src_28053536.jpg
リンク3:http://hoshino.asablo.jp/blog/img/2013/01/28/266675.jpg
※それぞれのURLのimgより左側が引用した写真のメインページになる。
もっとも絵の大きさがわかったところで、この絵を実感することは難しいかも知れない。しかし、このヘンテコリンな絵をその大きなサイズで眺めていると、何となく異空間がそこに存在しているような不思議な気分になってくるのである。さいわい展示室はガラガラだったし、ダリの絵の前に椅子があったので、しばらくの間じっくりと眺めることができた。
多くの人がダリの顔と、こんな作品は見たことがあると思う。その印象が強烈なせいか、なんとなくゲテモノ芸術家のイメージがつきまとう。私もそうだったし、今まで展覧会でダリの絵を見る機会もあまりなかった。芸術の価値は酔えるかどうかが持論である。ダリの絵はその持論とは違う意味で、大げさに表現すなら幻覚的に酔えた。ダリってなかなかいいじゃん!
ところで展示室の椅子はダリの大きな絵が見渡せるように、作品からかなり離れた位置に置かれている。そこに座って眺めていたわけだが、たまに入ってくる人が皆、なぜか私に遠慮して作品の前に立たないことに途中から気がついた。よほど恍惚の表情をしたアブナイ人に見えたのかなあ?
絵とは別に写真の展示室があった。横浜は日本の商業写真発祥の地ということで、この美術館も写真展示に力を入れているらしい。商業写真というのは広告やパンフレットで使う写真のことかと普通は思う。でも商業写真発祥の地というのは、日本で写真館が最初にできたのが横浜だったということを意味しているようである。
写真は8割以上が被写体の価値だと私は思っている。だから素晴らしい写真を見たとしても、それは広い意味での情報として素晴らしいのであって、絵を見て素晴らしいと思う時のような気持ちにはならない。だからあまり写真作品には興味がなく、写真展というものも今までに3回くらいしか行ったことがない。
というわけでザッと見ただけ。
ある作品は、横浜のあちこちの商店街の雑然とした風景ばかりを集めてきたような20枚ほどの白黒写真。撮っている時は楽しいだろうが、それを見せられてもねえという印象。私がツーリング先で撮ってブログに載せている写真と同じかな(^^ゞ
別の写真家は阪神大震災をテーマにした写真だった。といっても震災直後の生々しい写真ではなく、10年くらい前に撮られた写真。それが「この川岸は仮設住宅の跡地だ」とか「建て替えられた住宅が並んでいるが、まだ更地のところもある」とか報告書に載せるのならともかく、それで写真展する?というようなものばかりで、なんともその意図が理解不能。
もっとも美術館を訪れたのは1月17日。つまり阪神大震災が起きた日で、ご存じのように今年は震災から20年目。この日に唯美主義のホイッスラーを楽しもうとヘラヘラ訪れた美術館で、阪神大震災をテーマにした写真が偶然にせよ展示されていたことは、ちょっと引っかかるものを感じた。もっとまじめに生きよという啓示か、あるいはそのうちやってくるらしい首都圏地震に備えよという戒めか。
おしまい
なおタイトルが2014年度になっているのは書き間違いではない。一般に常設展というのはその美術館のコレクションを常に展示している展示室のこと。もちろん展示内容は時々入れ替わるが、美術館が開いていれば必ず見ることができる。常設展の反対語が企画展で、テーマに合わせて集めた(よそから借りてきた)作品を中心に期間を定めて展示する。
横浜美術館の場合は変則的で、常設展ではなく自前のコレクションの中から企画を立てて期間限定で展示する方式のようである。だから名前もコレクション展。年に2〜3回のペースで開かれており、私が見てきたのは昨年の12月から今年の3月までの期間で2014年度ということになる。
過去の記録を見ると2014年度の場合(3月から始まっているものもあるが)
3月1日〜5月25日:企画展
3月1日〜5月21日:コレクション展
8月1日〜11月3日:企画展
12月6日〜2015年3月1日:コレクション展(今回の展示)
という構成。6月と7月は休館していたのかな? どうしてそのような運営になっているのかは知らないが、この美術館に勤めたら休暇はたっぷり取れるかも?
開催されていたコレクション展は3部構成。
最初のコーナーは抽象画だった。そこそこかなと思う作品もあったが、こんなもの買うなんて税金の無駄遣いとしか思えない作品もあった。まあ芸術なんてものは、あまたある作品のほんの一握りだけが価値を持つ。そして芸術は、あまたの無駄なものも一緒に育てないと、その一握りが生まれないというやっかいな性質を持っている。芸術を楽しむとは基本的に道楽で成り立っている行為。無駄遣いした税金が、やがて素晴らしい作品を生むことを期待しましょう。
展示されている抽象画は大きなサイズのものが多かった。中には横幅が数メートルを超えるものも。私は絵は大きければ大きいほどよし、サイズは質の一部だと捉えているところがある。そういう意味では見応えがあった。これで小さければただの落書きだと思う作品もあったが、悪口はこれくらいにしておこう(^^ゞ
次の展示室は光と影がテーマ。
それとは関係ないような作品も多くて、結構強引なテーマ設定だったかな。
「隅田川夜」 小林清親
1881年(明治14年)の作品。去年の正月に浮世絵をたくさん見た。浮世絵の魅力のひとつが日本的な色彩の豊かさだが、こういうモノトーンに挿し色程度のものもなかなか味わい深いと感じる。
「春少女」 奈良美智
奈良美智(よしとも)は、この少女の顔ばかりを描いている人だったと思う。その顔作品は時々見かける。しかし怒っていたり、意地悪そうな表情をしている作品が多く、こういう無表情なものは初めて見た気がする。私には漫画にしか思えずまったく興味が湧かないけれど、彼の作品は美術オークションで1億円以上の価格になるというから、ありがたく拝んでおいた。
ちなみに、このページによると先日に訪れたデ・クーニングの作品が、世界で高価な絵ランキング第3位:159億円となっていてビックリ!
「夢想植物園」 北久美子
調べてみると、こういうタイプの絵を専門に描いている画家のよう。先に訪れたホイッスラーが唯美主義なら彼女は唯爽快主義かな。絵を見て爽快な気分になったのは初めてで、貴重な体験をした。
「幻想的風景」 ダリ
ここに貼り付けた写真じゃこの絵のよさはわからない。
なんてったて3枚合わせて横幅が7メートル以上ある大作。
当日は知らなかったが、このコレクション展は自由に作品を撮影していいみたい。というわけで作品の大きさがわかるページを探してみた。なおリンク先は今回のコレクション展での展示とは限らない。
リンク1:http://www.nminoru.jp/image/nminoru/2010/0612/PIC074053.JPG
リンク2:http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/28/05/35/src_28053536.jpg
リンク3:http://hoshino.asablo.jp/blog/img/2013/01/28/266675.jpg
※それぞれのURLのimgより左側が引用した写真のメインページになる。
もっとも絵の大きさがわかったところで、この絵を実感することは難しいかも知れない。しかし、このヘンテコリンな絵をその大きなサイズで眺めていると、何となく異空間がそこに存在しているような不思議な気分になってくるのである。さいわい展示室はガラガラだったし、ダリの絵の前に椅子があったので、しばらくの間じっくりと眺めることができた。
多くの人がダリの顔と、こんな作品は見たことがあると思う。その印象が強烈なせいか、なんとなくゲテモノ芸術家のイメージがつきまとう。私もそうだったし、今まで展覧会でダリの絵を見る機会もあまりなかった。芸術の価値は酔えるかどうかが持論である。ダリの絵はその持論とは違う意味で、大げさに表現すなら幻覚的に酔えた。ダリってなかなかいいじゃん!
ところで展示室の椅子はダリの大きな絵が見渡せるように、作品からかなり離れた位置に置かれている。そこに座って眺めていたわけだが、たまに入ってくる人が皆、なぜか私に遠慮して作品の前に立たないことに途中から気がついた。よほど恍惚の表情をしたアブナイ人に見えたのかなあ?
絵とは別に写真の展示室があった。横浜は日本の商業写真発祥の地ということで、この美術館も写真展示に力を入れているらしい。商業写真というのは広告やパンフレットで使う写真のことかと普通は思う。でも商業写真発祥の地というのは、日本で写真館が最初にできたのが横浜だったということを意味しているようである。
写真は8割以上が被写体の価値だと私は思っている。だから素晴らしい写真を見たとしても、それは広い意味での情報として素晴らしいのであって、絵を見て素晴らしいと思う時のような気持ちにはならない。だからあまり写真作品には興味がなく、写真展というものも今までに3回くらいしか行ったことがない。
というわけでザッと見ただけ。
ある作品は、横浜のあちこちの商店街の雑然とした風景ばかりを集めてきたような20枚ほどの白黒写真。撮っている時は楽しいだろうが、それを見せられてもねえという印象。私がツーリング先で撮ってブログに載せている写真と同じかな(^^ゞ
別の写真家は阪神大震災をテーマにした写真だった。といっても震災直後の生々しい写真ではなく、10年くらい前に撮られた写真。それが「この川岸は仮設住宅の跡地だ」とか「建て替えられた住宅が並んでいるが、まだ更地のところもある」とか報告書に載せるのならともかく、それで写真展する?というようなものばかりで、なんともその意図が理解不能。
もっとも美術館を訪れたのは1月17日。つまり阪神大震災が起きた日で、ご存じのように今年は震災から20年目。この日に唯美主義のホイッスラーを楽しもうとヘラヘラ訪れた美術館で、阪神大震災をテーマにした写真が偶然にせよ展示されていたことは、ちょっと引っかかるものを感じた。もっとまじめに生きよという啓示か、あるいはそのうちやってくるらしい首都圏地震に備えよという戒めか。
おしまい
wassho at 08:21|Permalink│Comments(0)│