尖閣と竹島
2012年11月13日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?7
前回の続きのそれは違うんじゃないは
領土問題は国際法にのっとり解決すべきである
法律に則して解決して何が悪いのかと思われるかもしれない。キーワードは「国際法」である。実は国際法というのは普段の生活で馴染みがある法律とはずいぶん性格が違うのである。
大きな違いは2つある。
まず国際法というのは条約と慣習法で構成される。このうち条約というのはわかりやすい。いろいろなことを取り決めて合意するもの。普通にイメージする法律あるいは契約と近い。ややこしいのが慣習法。
一般に馴染みがある法律というのは「何々しなくてはいけない、何々してはいけない」と書かれている条文で構成されている。こういう明確に規定のある法律を成文法という。日本なら国会で議決して成立する。これに対して慣習法は、昔からの慣習の積み重ねを法とするものである。不文法ともいわれ具体的な条文・規定はない。慣習だから、どこかで正式に決めたものでもない。
えっ? さっぱりわからないって。ウン、実は私も慣習法にあまり詳しくないからサラッと説明するのは難しい(^^ゞ 要はアーダコーダと吟味しながら判断するのが慣習法である。赤信号で渡ったら違反と単純にシロクロつくようにはできていない。
よく「国際法に照らし合わせても尖閣諸島は明確に我が国の領土である」としたり顔でコメントしている人がいる。「国際法の何を論拠にそう主張できるのか?」と尋ねたら、その手の類のコメンテーターはたぶん答えられない。国際法は領有権の主張の論拠となるものではあるが、あまり知ったかぶりはしない方がいい。
次に国際法には強制力がない点である。法律とは無理矢理従わせる力を持ってこそ法律である。何か犯罪を犯せば、捕まる〜牢屋に入れられる〜場合によっては死刑になるーーーこういう仕組みがあるから法律は機能する。強制力がない取り決めだから、国際法は法律というよりは善意と常識を当てにした紳士協定に近い。というか「国際法」という名の議論程度の機能しかない。どこかで紛争が始まると、国連とかで国際法違反だというような演説があるけれど、それで収まった試しはないでしょ。
ついでにいうと日本が竹島について提訴するとしている国際司法裁判所。ここは国際法で裁定する例外的な機関である。もっとも裁判には両国の同意が必要で韓国は裁判に同意していない。しかし仮に同意して、仮に日本が勝訴しても、韓国が居座れば国際司法裁判所の判決に強制力はない。強制力がないというより、国際法は強制する実力部隊を持っていないというべきか。
もっとも韓国がそんなことをしたら「国際社会」から非難の嵐になる。ルール無視の罰として各国協調の経済制裁くらいは実施されるかもしれない。しかし問題の重要さレベルから考えて、湾岸戦争のように国連・多国籍軍が出動して駐留韓国軍を排除するようなことにはならないだろう。結局日本が自分でなんとかするハメになる。普通の事件の普通の法律による普通の裁判と違って、国際法は勝てばメデタク解決というわけにはいかない。
というわけで国際社会と同じように、現実的な力を持っていない国際法も、そんなに頼りにできるものではないのだ。錦の御旗のようなイメージを抱いているとすればそれは幻想である。
領土問題は国際法にのっとり解決すべきである
法律に則して解決して何が悪いのかと思われるかもしれない。キーワードは「国際法」である。実は国際法というのは普段の生活で馴染みがある法律とはずいぶん性格が違うのである。
大きな違いは2つある。
まず国際法というのは条約と慣習法で構成される。このうち条約というのはわかりやすい。いろいろなことを取り決めて合意するもの。普通にイメージする法律あるいは契約と近い。ややこしいのが慣習法。
一般に馴染みがある法律というのは「何々しなくてはいけない、何々してはいけない」と書かれている条文で構成されている。こういう明確に規定のある法律を成文法という。日本なら国会で議決して成立する。これに対して慣習法は、昔からの慣習の積み重ねを法とするものである。不文法ともいわれ具体的な条文・規定はない。慣習だから、どこかで正式に決めたものでもない。
えっ? さっぱりわからないって。ウン、実は私も慣習法にあまり詳しくないからサラッと説明するのは難しい(^^ゞ 要はアーダコーダと吟味しながら判断するのが慣習法である。赤信号で渡ったら違反と単純にシロクロつくようにはできていない。
よく「国際法に照らし合わせても尖閣諸島は明確に我が国の領土である」としたり顔でコメントしている人がいる。「国際法の何を論拠にそう主張できるのか?」と尋ねたら、その手の類のコメンテーターはたぶん答えられない。国際法は領有権の主張の論拠となるものではあるが、あまり知ったかぶりはしない方がいい。
次に国際法には強制力がない点である。法律とは無理矢理従わせる力を持ってこそ法律である。何か犯罪を犯せば、捕まる〜牢屋に入れられる〜場合によっては死刑になるーーーこういう仕組みがあるから法律は機能する。強制力がない取り決めだから、国際法は法律というよりは善意と常識を当てにした紳士協定に近い。というか「国際法」という名の議論程度の機能しかない。どこかで紛争が始まると、国連とかで国際法違反だというような演説があるけれど、それで収まった試しはないでしょ。
ついでにいうと日本が竹島について提訴するとしている国際司法裁判所。ここは国際法で裁定する例外的な機関である。もっとも裁判には両国の同意が必要で韓国は裁判に同意していない。しかし仮に同意して、仮に日本が勝訴しても、韓国が居座れば国際司法裁判所の判決に強制力はない。強制力がないというより、国際法は強制する実力部隊を持っていないというべきか。
もっとも韓国がそんなことをしたら「国際社会」から非難の嵐になる。ルール無視の罰として各国協調の経済制裁くらいは実施されるかもしれない。しかし問題の重要さレベルから考えて、湾岸戦争のように国連・多国籍軍が出動して駐留韓国軍を排除するようなことにはならないだろう。結局日本が自分でなんとかするハメになる。普通の事件の普通の法律による普通の裁判と違って、国際法は勝てばメデタク解決というわけにはいかない。
というわけで国際社会と同じように、現実的な力を持っていない国際法も、そんなに頼りにできるものではないのだ。錦の御旗のようなイメージを抱いているとすればそれは幻想である。
wassho at 00:16|Permalink│Comments(0)│
2012年11月07日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?6
中国はほぼ毎日熱心に尖閣諸島に船を繰り出してはいるものの、特に新しい動きもなく、このネタにも少し飽きてきたという気持ちがなきにしもあらず。
突き詰めれば領土問題というのは、腕力で片を付けるか先送りするしかない。それで日中双方とも武力衝突するほどの価値があの小島にあるわけでもなし。だったら、だらだらと適当に事態を長引かせて、頭に上った血が引いたところで、先送りのための外交芝居を演じ合うというのも悪くはない選択。
尖閣諸島も竹島も昔からある問題だが、今起きている騒動は辞めた石原都知事と李明博大統領のパフォーマンスから始まっている。それらを「なかったことと」と考えられるようになれば、今の大騒ぎがおかしく思える時もくるだろう。彼らのパフォーマンスの前後で領土・地面としての実質が何か変化したわけじゃないのだから。
韓国大統領の任期は来年2月だし、何を思ったか石原都知事は辞職して今以上の影響力を持つ可能性はほとんどない。現場で働く皆さんはあと数ヶ月のご辛抱かな? もっとも歴史を振り返れば、時の政権や権力者が望んでいなくても、何かのハズミやボタンの掛け違いで起きてしまうのが武力衝突や戦争。誰が尖閣諸島を東京都が購入すると言い出すと予想した? だから何が起きるかは起きてからでなきゃわからないけれど。
さて今回のそれは違うんじゃないは
国際社会に日本の立場を訴え理解を広めていく
領土問題は国際法にのっとり解決すべきである
よく聞くフレーズ。そして、たぶん日本人には受け入れられやすいロジック。
しかし一見して正論っぽいんだが落とし穴だらけである。
まず国際社会。
だいたい何それ?
日本人は世間という概念に重きをおいている。世間をお騒がせしましてーーーという謝罪の言葉が通用するのはおそらくこの国だけだろう。ところで、あなたは世間の一員ですか? それはさておき、それで国際社会というときにイメージされるのは、この世間の海外版だろうか? だとしたら実体はないに等しいし、理解を広めるために訴えるのは困難を極める。
国際社会に実体がないといってしまえば話が進まないので、
仮に国際社会を各国の世間、つまり世界各国の国民の皆さんだとする。
それで例えばインドとパキスタンは、毛織物のカシミヤやカレーで有名なカシミール地方について長年領有権を争っている。そんなことにふだん関心ある? たまに武力衝突が起きて、その規模によってはかなり報道されるけれど、その時にインドとパキスタンとどっちの領土にすべきかと考えたりする? 面積22万平方キロ(日本は38万平方キロ)人口1000万人以上のエリアですら、外国の関心なんてそんなものである。ましてや尖閣諸島や竹島は人も住んでいないちっぽけな絶海の孤島。そんなことにかまっているほど、世界各国の皆さんはヒマじゃない。
※ちなみにカシミール地方は中国にも国境を接しており、例によって中国は
カシミールの一部も中国領土だと主張している(^^ゞ
仮に国際社会を各国の政府をになっている政治家や官僚の人々だとする。
こっちのほうが世間というような曖昧なものよりも具体的だし、彼らには国際政治の舞台に立つ機会もある。
ただし正義を尊ぶ気持ちがあったとしても、基本的に彼らは自国の利益を考えて行動するのが仕事である。もし尖閣諸島の問題に首を突っ込む機会があるとすれば、その時の判断基準は領有権について日本と中国の主張のどちらに正当性・合理性があるかではなく、ぶっちゃけていえば、日本と中国のどちらの味方についたほうが自国にプラスになるかだろう。
もし私がどこかにあるwassho国の大統領ならそう考える。尖閣諸島がどちらの国のものになろうと国際情勢的には些細なことで、wassho国にも何の影響もない。香港を取り合っているわけでないのだ。
そして問題は、だから、ここでいう国際社会へのアピール合戦では中国に対して日本は不利だということ。国としての勢いは明らかに中国が優る。
まあ国際社会とやらを、あまり当てにしないことである。
ケンカの基本はタイマン。タイマンで強い奴の周りには仲間が集まってくる。その逆はない。尖閣諸島に関しては、下手にこの問題を国際化するとヤブヘビになりそうな気がして危惧している。
長くなったので国際法の話は次回で。
ーーー続く。
突き詰めれば領土問題というのは、腕力で片を付けるか先送りするしかない。それで日中双方とも武力衝突するほどの価値があの小島にあるわけでもなし。だったら、だらだらと適当に事態を長引かせて、頭に上った血が引いたところで、先送りのための外交芝居を演じ合うというのも悪くはない選択。
尖閣諸島も竹島も昔からある問題だが、今起きている騒動は辞めた石原都知事と李明博大統領のパフォーマンスから始まっている。それらを「なかったことと」と考えられるようになれば、今の大騒ぎがおかしく思える時もくるだろう。彼らのパフォーマンスの前後で領土・地面としての実質が何か変化したわけじゃないのだから。
韓国大統領の任期は来年2月だし、何を思ったか石原都知事は辞職して今以上の影響力を持つ可能性はほとんどない。現場で働く皆さんはあと数ヶ月のご辛抱かな? もっとも歴史を振り返れば、時の政権や権力者が望んでいなくても、何かのハズミやボタンの掛け違いで起きてしまうのが武力衝突や戦争。誰が尖閣諸島を東京都が購入すると言い出すと予想した? だから何が起きるかは起きてからでなきゃわからないけれど。
さて今回のそれは違うんじゃないは
国際社会に日本の立場を訴え理解を広めていく
領土問題は国際法にのっとり解決すべきである
よく聞くフレーズ。そして、たぶん日本人には受け入れられやすいロジック。
しかし一見して正論っぽいんだが落とし穴だらけである。
まず国際社会。
だいたい何それ?
日本人は世間という概念に重きをおいている。世間をお騒がせしましてーーーという謝罪の言葉が通用するのはおそらくこの国だけだろう。ところで、あなたは世間の一員ですか? それはさておき、それで国際社会というときにイメージされるのは、この世間の海外版だろうか? だとしたら実体はないに等しいし、理解を広めるために訴えるのは困難を極める。
国際社会に実体がないといってしまえば話が進まないので、
仮に国際社会を各国の世間、つまり世界各国の国民の皆さんだとする。
それで例えばインドとパキスタンは、毛織物のカシミヤやカレーで有名なカシミール地方について長年領有権を争っている。そんなことにふだん関心ある? たまに武力衝突が起きて、その規模によってはかなり報道されるけれど、その時にインドとパキスタンとどっちの領土にすべきかと考えたりする? 面積22万平方キロ(日本は38万平方キロ)人口1000万人以上のエリアですら、外国の関心なんてそんなものである。ましてや尖閣諸島や竹島は人も住んでいないちっぽけな絶海の孤島。そんなことにかまっているほど、世界各国の皆さんはヒマじゃない。
※ちなみにカシミール地方は中国にも国境を接しており、例によって中国は
カシミールの一部も中国領土だと主張している(^^ゞ
仮に国際社会を各国の政府をになっている政治家や官僚の人々だとする。
こっちのほうが世間というような曖昧なものよりも具体的だし、彼らには国際政治の舞台に立つ機会もある。
ただし正義を尊ぶ気持ちがあったとしても、基本的に彼らは自国の利益を考えて行動するのが仕事である。もし尖閣諸島の問題に首を突っ込む機会があるとすれば、その時の判断基準は領有権について日本と中国の主張のどちらに正当性・合理性があるかではなく、ぶっちゃけていえば、日本と中国のどちらの味方についたほうが自国にプラスになるかだろう。
もし私がどこかにあるwassho国の大統領ならそう考える。尖閣諸島がどちらの国のものになろうと国際情勢的には些細なことで、wassho国にも何の影響もない。香港を取り合っているわけでないのだ。
そして問題は、だから、ここでいう国際社会へのアピール合戦では中国に対して日本は不利だということ。国としての勢いは明らかに中国が優る。
まあ国際社会とやらを、あまり当てにしないことである。
ケンカの基本はタイマン。タイマンで強い奴の周りには仲間が集まってくる。その逆はない。尖閣諸島に関しては、下手にこの問題を国際化するとヤブヘビになりそうな気がして危惧している。
長くなったので国際法の話は次回で。
ーーー続く。
wassho at 11:11|Permalink│Comments(0)│
2012年10月18日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?5
中国政府が9月18日に反日デモを100都市以上でけしかけたり、結局ハッタリだったが1000隻ほどの漁船を尖閣諸島に向かわせたり、税関で日本からの輸入品に嫌がらせの徴税をしたり、日本で開かれたIMFの総会に閣僚を派遣しなかったりと、反日的な対抗策を連発していることについて、ニュース解説などでは次のように言われている。
胡錦濤国家主席がウラジオストックで開かれたAPEC首脳会議で、野田首相に“立ち話”という形で「国有化は受け入れられない。大局的な観点での行動を」と伝えた。それなのに、その二日後に日本が尖閣諸島の国有化を決定したので“メンツをつぶされた”と怒り心頭に発して強硬になっていると。
立ち話外交の2日後に政府が国有化を決定したのは事実である。でもそのあとの「メンツをつぶされたから」という解説が気に入らない。中国人はメンツにこだわると何となく日本人は思い込んでいる。だから「二日後の国有化でメンツをつぶされ」というストーリーにはやたら説得力があるからだ。
中国人は本当に他国の人々と較べて、やたらメンツを重視するのか?
胡錦濤はメンツのために対日政策を取り仕切っているのか?
仮に前者がイエスであったとしても、後者は単なる推測のひとつに過ぎない。そんな単細胞なら中国13億人のトップにまでなれないと考える方が常識的。でももう真実のように語られている。さもありそうな「上手に作られたストーリー」は思考停止に誘い込むから要注意である。特にマスコミの諸君には注意して欲しいんだけれど。
逆にいえば1つの事実があれば、残りは嘘でもストーリーいかんですべてを真実と思い込ませることも可能。詐欺師はよくこの手を使う。マーケティングでもたまにある。消費者を騙そうというより、そのマーケティングに関わっている人々自身が、そのストーリーを真実だと思い込んでいる場合のほうが多い。
日本人は相手のメンツをつぶしたとしたら「それは申し訳ないことをした」と反省する素直な民族、次は少し譲らなければと思う謙虚な民族だから、ひょっとしたらそれが中国の作戦かも!
↑
よくできたストーリーでしょ(^^ゞ
胡錦濤国家主席がウラジオストックで開かれたAPEC首脳会議で、野田首相に“立ち話”という形で「国有化は受け入れられない。大局的な観点での行動を」と伝えた。それなのに、その二日後に日本が尖閣諸島の国有化を決定したので“メンツをつぶされた”と怒り心頭に発して強硬になっていると。
立ち話外交の2日後に政府が国有化を決定したのは事実である。でもそのあとの「メンツをつぶされたから」という解説が気に入らない。中国人はメンツにこだわると何となく日本人は思い込んでいる。だから「二日後の国有化でメンツをつぶされ」というストーリーにはやたら説得力があるからだ。
中国人は本当に他国の人々と較べて、やたらメンツを重視するのか?
胡錦濤はメンツのために対日政策を取り仕切っているのか?
仮に前者がイエスであったとしても、後者は単なる推測のひとつに過ぎない。そんな単細胞なら中国13億人のトップにまでなれないと考える方が常識的。でももう真実のように語られている。さもありそうな「上手に作られたストーリー」は思考停止に誘い込むから要注意である。特にマスコミの諸君には注意して欲しいんだけれど。
逆にいえば1つの事実があれば、残りは嘘でもストーリーいかんですべてを真実と思い込ませることも可能。詐欺師はよくこの手を使う。マーケティングでもたまにある。消費者を騙そうというより、そのマーケティングに関わっている人々自身が、そのストーリーを真実だと思い込んでいる場合のほうが多い。
日本人は相手のメンツをつぶしたとしたら「それは申し訳ないことをした」と反省する素直な民族、次は少し譲らなければと思う謙虚な民族だから、ひょっとしたらそれが中国の作戦かも!
↑
よくできたストーリーでしょ(^^ゞ
wassho at 22:45|Permalink│Comments(0)│
2012年10月11日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?4
<それは違うんじゃない その4>
政府は竹島について国際司法裁判所に提訴するらしい。よく報道されているように、この裁判所は当事者両国が裁判に合意しなければ裁判は開かれない。韓国は裁判に応じないと明言しているから、当然裁判はなし。
政府は提訴することによって竹島問題を国際社会にアピールできるとしているが、これはきわめて疑わしい。
「国際司法裁判所の領土問題に関する最近の判決」
2005年 ベナン・ ニジェール - 国境の河川の複数の島の領有権に
ついて、河川左側の島をニジェール領、右側の島をベナン領とした。
2007年 ニカラグア・ ホンジュラス - カリブ海の4島について領有権を
ホンジュラスに認めた。
2008年 マレーシア・ シンガポール - シンガポール海峡の2島と1つの
低潮高地について、領有権をシンガポールに認めた。
一方的な提訴だけじゃなくて、裁判が開かれて判決の出た事案である。
知ってたあ〜?
国際司法裁判所って言葉の響きはすごいけれど、ここで何か起きたって関係国以外が注目するようなパワーがあるわけではない。まして判決ができるわけでもない一方的な提訴だし。
それと国際社会に向けてアピールーーーというのはよく使われる・好まれるフレーズだが、アピールして領土問題が解決するか?という根本的な問題がある。提訴がパフォーマンスに過ぎないことは政府も認めているというか国民的な合意もある。
しかしそのパフォーマンスに意味がないことは認識されていないように思う。裁判に訴えるという対応に溜飲を下げる人もいるだろうが、実体は政府として一生懸命やっていますよという内政向けの目くらまし。アレッ?どこかで聞いたようなフレーズ(^^ゞ
政府は竹島について国際司法裁判所に提訴するらしい。よく報道されているように、この裁判所は当事者両国が裁判に合意しなければ裁判は開かれない。韓国は裁判に応じないと明言しているから、当然裁判はなし。
政府は提訴することによって竹島問題を国際社会にアピールできるとしているが、これはきわめて疑わしい。
「国際司法裁判所の領土問題に関する最近の判決」
2005年 ベナン・ ニジェール - 国境の河川の複数の島の領有権に
ついて、河川左側の島をニジェール領、右側の島をベナン領とした。
2007年 ニカラグア・ ホンジュラス - カリブ海の4島について領有権を
ホンジュラスに認めた。
2008年 マレーシア・ シンガポール - シンガポール海峡の2島と1つの
低潮高地について、領有権をシンガポールに認めた。
一方的な提訴だけじゃなくて、裁判が開かれて判決の出た事案である。
知ってたあ〜?
国際司法裁判所って言葉の響きはすごいけれど、ここで何か起きたって関係国以外が注目するようなパワーがあるわけではない。まして判決ができるわけでもない一方的な提訴だし。
それと国際社会に向けてアピールーーーというのはよく使われる・好まれるフレーズだが、アピールして領土問題が解決するか?という根本的な問題がある。提訴がパフォーマンスに過ぎないことは政府も認めているというか国民的な合意もある。
しかしそのパフォーマンスに意味がないことは認識されていないように思う。裁判に訴えるという対応に溜飲を下げる人もいるだろうが、実体は政府として一生懸命やっていますよという内政向けの目くらまし。アレッ?どこかで聞いたようなフレーズ(^^ゞ
wassho at 23:13|Permalink│Comments(0)│
2012年10月10日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?3
領土問題とは直接関係ないが、中国では日本・日本人を罵るときに小日本という蔑称を使う。発音はシャオリーペン。小とは日本の国土が狭いということではなく子供という意味らしい。翻訳?するならクソガキ日本という意味かな?
ついでに英語で日本人の蔑称はジャップ(JAP)である。しかし言葉は生き物なので、終戦直後の日本人は進駐軍にジャップといわれてむかついたのかもしれないが、今ジャップといわれても特に気にも掛からずスルーしてしまいそう。JAPが単にJAPANを短縮しただけでヒネリがないのも影響している。
JAPANの英語短縮形は、JAPが先に使われていたからかJPNとするのが一般的。でも海外のクライアントと仕事をしていると、けっこうな頻度でJAPと短縮されている。もちろん喧嘩を売られているのではなく、先方は単純にJAPANの頭3文字で短縮しただけ。ちなみにフランス(France)はFRA、イタリア(Italy)はITAと頭3文字の短縮のほうがグローバルスタンダード。
話を戻すと中国では反日デモの際「小日本」と叫ぶのであるが、仮に反中デモを行う場合、それに対抗する言葉がないのは淋しい(^^ゞ 外交は対等が原則、知恵を絞って素敵な罵り言葉を考えましょう!
それは冗談として、今後国際社会に向けて中国の行動への非難を訴えるのなら、枕詞となる形容詞は統一した方がいい。このブログでは何度かネーミングの重要さを紹介してきたが、いわゆるレッテル張りもそれと似た効果を持つ。例えば中国を非難するときは常に「強欲な中国」という枕言葉を使い続ける。これは常に使う、統一して使うということが大切で「強欲」とか「傍若無人」とか「無法者」とか、その時々によってバラバラではレッテル張りの効果が出ない。
また英語にしたとき簡潔で語呂のいい言葉を選ぶのも重要。ブッシュはイラクなどを「ならず者国家」と非難したが、英語のRougeが「ならず者」と訳された時点で日本語的にはピンとこないレッテルになってしまった。逆もまた真なり。
要は枕詞を使い続けることによるネガティブなブランドイメージの形成が狙い。尖閣諸島問題は日中にとっては懸案事項でも国際的には些細な話。そんなに真剣に取り合ってもらえるわけではないから、イメージ戦略が大事になる。外交には表も裏もあるというのは常識だとして、加えていろんな分野の手法も動員すべき。外交官や政治家にネーミングやレッテルといったマーケティングの知識はないだろうから、ギャラが折り合えばいつでも外務省の顧問になってあげるよ(^^ゞ
ついでに英語で日本人の蔑称はジャップ(JAP)である。しかし言葉は生き物なので、終戦直後の日本人は進駐軍にジャップといわれてむかついたのかもしれないが、今ジャップといわれても特に気にも掛からずスルーしてしまいそう。JAPが単にJAPANを短縮しただけでヒネリがないのも影響している。
JAPANの英語短縮形は、JAPが先に使われていたからかJPNとするのが一般的。でも海外のクライアントと仕事をしていると、けっこうな頻度でJAPと短縮されている。もちろん喧嘩を売られているのではなく、先方は単純にJAPANの頭3文字で短縮しただけ。ちなみにフランス(France)はFRA、イタリア(Italy)はITAと頭3文字の短縮のほうがグローバルスタンダード。
話を戻すと中国では反日デモの際「小日本」と叫ぶのであるが、仮に反中デモを行う場合、それに対抗する言葉がないのは淋しい(^^ゞ 外交は対等が原則、知恵を絞って素敵な罵り言葉を考えましょう!
それは冗談として、今後国際社会に向けて中国の行動への非難を訴えるのなら、枕詞となる形容詞は統一した方がいい。このブログでは何度かネーミングの重要さを紹介してきたが、いわゆるレッテル張りもそれと似た効果を持つ。例えば中国を非難するときは常に「強欲な中国」という枕言葉を使い続ける。これは常に使う、統一して使うということが大切で「強欲」とか「傍若無人」とか「無法者」とか、その時々によってバラバラではレッテル張りの効果が出ない。
また英語にしたとき簡潔で語呂のいい言葉を選ぶのも重要。ブッシュはイラクなどを「ならず者国家」と非難したが、英語のRougeが「ならず者」と訳された時点で日本語的にはピンとこないレッテルになってしまった。逆もまた真なり。
要は枕詞を使い続けることによるネガティブなブランドイメージの形成が狙い。尖閣諸島問題は日中にとっては懸案事項でも国際的には些細な話。そんなに真剣に取り合ってもらえるわけではないから、イメージ戦略が大事になる。外交には表も裏もあるというのは常識だとして、加えていろんな分野の手法も動員すべき。外交官や政治家にネーミングやレッテルといったマーケティングの知識はないだろうから、ギャラが折り合えばいつでも外務省の顧問になってあげるよ(^^ゞ
wassho at 10:12|Permalink│Comments(0)│
2012年10月07日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?2
前回に書いた領土問題=相手国政府の内政向けの目くらましでなく相当に深刻でやっかいな問題だけれど、それはそれで別にいいんじゃないと思っている理由。それは隣に国があったら、つきあっていく上でもめることもあるだろうし、時には領土でももめるでしょうという単純な認識である。
ウィキペディアに掲載されている世界各地の領土問題を数えてみると、未解決が47、解決済みが32あった。合計79地域。領土問題でいざこざがあるなんていうのは、さほど特殊なことでもないのだ。もちろん、のんびりと平和に暮らせるに越したことはないが、世の中の半分以上はやっかい事でできている。仮に今、尖閣諸島の問題がここまで顕在化していなくても、いつかは起きる問題だった。今回の騒動がどういう決着を付けるかはわからない。しかし領土なんてものは、どちらかにしか帰属しようがないから円満な解決なんてものもあり得ない。だから今回の決着がついても、またしばらくすれば同じ問題が繰り返される。
大事なのはあまりエキサイトしてこの問題を捉えないことである。頭に血が上れば勝てる試合も勝てなくなる。領土問題なんてよくある話、未曾有の国難に瀕しているわけでもないという冷静さが必要と思う。もちろんこれは弱腰とか穏便主義などとは別の話。取ったら取られる、取られたら取り返すの繰り返し、ただそれだけのこと。
<それは違うんじゃない その2>
よく聞く「領土問題は存在しない」というフレーズ。外交的・政治的な言い回しなのは理解できるが、何となく詭弁な響きがあることは否めない。「そういうことはなかったことにしたい」という逃避的心理の反映と感じてしまうのは私だけかな? それと、これだけ尖閣諸島のことが問題になっているのに「領土問題は存在しない」と二言目には発言する政治家のセンスというかボキャブラリーのなさにも情けなくなってくる。
<それは違うんじゃない その3>
これまたよく聞く「実効支配」。これはわかりにくい概念。竹島には韓国軍が駐留している。北方領土にはロシア人が生活している。対して尖閣諸島は無人島である(太陽電池で動く小さな照明設備レベルの灯台はあるらしいが)。
だから実効支配といっても尖閣諸島についてその最大の実体は、日本の領土だと主張し、外国の船などがやってきた場合に追い返すこととなる。それでこれが実にあやうい状況な気がする。
日本でニュースを見ると中国や台湾の船が尖閣諸島の了解に侵入し、しばらくしたら出て行ったということになっている。しかし最近は「ここは日本の領海だ」という巡視艇の警告に対して「ここは中国(あるいは台湾)の領海だから出て行け」と反論していると聞く。そして領海侵犯はもう日常茶飯事になってしまった。
海上保安庁の巡視艇だって燃料補給や乗組員交代で尖閣諸島を離れる必要がある。だから視点を変えて眺めると、中国の「出て行け」という警告に対して巡視艇が出て行ったという構図も成立する。今の「出て行け」合戦がさらに頻繁化・長期化すれば、第三国から見てどちらが実効支配しているのかわからなくなるだろう。
それと実効支配という言葉は支配の上に実効という形容詞をわざわざ付けた言葉である。日本は本州を実効支配しているなんて表現はしない。別に言葉の揚げ足取りをする気はないが実効支配と先にあげた「領土問題は存在しない」がセットになると、自ら「微妙なところもある」と表明しているような気がしなくもない。
そして「実効支配しているのだから日本の領土だ」という主張。これは論理的ではない。ある国の実効支配というのは、対立国にとって不法占拠だからである。実効支配と正当性は別の問題。けっこう頭のいい人が、このロジックを使っていてビックリすることも多い。やっぱり領土問題だと頭に血が上りやすいのかと思ったり。
アメリカは尖閣諸島が日本に実効支配されており、日米安全保障条約の適用の範囲という立場である。実際に何か起こったとき、その言葉を鵜呑みにできるかどうかは別として、そのアメリカの姿勢が中国に対する牽制になっていることに間違いない。
しかしその日米安保適用の前提となる実効支配が「出て行け」合戦なのである。「出て行け」合戦で実効支配が決まるなら軍事的な小競り合いも上陸作もは必要ない。より多くの船を出した方が勝ちである。質で中国を引き離しても、量の勝負となるとーーー。そのあたりが気がかり。
ーーー続く
ウィキペディアに掲載されている世界各地の領土問題を数えてみると、未解決が47、解決済みが32あった。合計79地域。領土問題でいざこざがあるなんていうのは、さほど特殊なことでもないのだ。もちろん、のんびりと平和に暮らせるに越したことはないが、世の中の半分以上はやっかい事でできている。仮に今、尖閣諸島の問題がここまで顕在化していなくても、いつかは起きる問題だった。今回の騒動がどういう決着を付けるかはわからない。しかし領土なんてものは、どちらかにしか帰属しようがないから円満な解決なんてものもあり得ない。だから今回の決着がついても、またしばらくすれば同じ問題が繰り返される。
大事なのはあまりエキサイトしてこの問題を捉えないことである。頭に血が上れば勝てる試合も勝てなくなる。領土問題なんてよくある話、未曾有の国難に瀕しているわけでもないという冷静さが必要と思う。もちろんこれは弱腰とか穏便主義などとは別の話。取ったら取られる、取られたら取り返すの繰り返し、ただそれだけのこと。
<それは違うんじゃない その2>
よく聞く「領土問題は存在しない」というフレーズ。外交的・政治的な言い回しなのは理解できるが、何となく詭弁な響きがあることは否めない。「そういうことはなかったことにしたい」という逃避的心理の反映と感じてしまうのは私だけかな? それと、これだけ尖閣諸島のことが問題になっているのに「領土問題は存在しない」と二言目には発言する政治家のセンスというかボキャブラリーのなさにも情けなくなってくる。
<それは違うんじゃない その3>
これまたよく聞く「実効支配」。これはわかりにくい概念。竹島には韓国軍が駐留している。北方領土にはロシア人が生活している。対して尖閣諸島は無人島である(太陽電池で動く小さな照明設備レベルの灯台はあるらしいが)。
だから実効支配といっても尖閣諸島についてその最大の実体は、日本の領土だと主張し、外国の船などがやってきた場合に追い返すこととなる。それでこれが実にあやうい状況な気がする。
日本でニュースを見ると中国や台湾の船が尖閣諸島の了解に侵入し、しばらくしたら出て行ったということになっている。しかし最近は「ここは日本の領海だ」という巡視艇の警告に対して「ここは中国(あるいは台湾)の領海だから出て行け」と反論していると聞く。そして領海侵犯はもう日常茶飯事になってしまった。
海上保安庁の巡視艇だって燃料補給や乗組員交代で尖閣諸島を離れる必要がある。だから視点を変えて眺めると、中国の「出て行け」という警告に対して巡視艇が出て行ったという構図も成立する。今の「出て行け」合戦がさらに頻繁化・長期化すれば、第三国から見てどちらが実効支配しているのかわからなくなるだろう。
それと実効支配という言葉は支配の上に実効という形容詞をわざわざ付けた言葉である。日本は本州を実効支配しているなんて表現はしない。別に言葉の揚げ足取りをする気はないが実効支配と先にあげた「領土問題は存在しない」がセットになると、自ら「微妙なところもある」と表明しているような気がしなくもない。
そして「実効支配しているのだから日本の領土だ」という主張。これは論理的ではない。ある国の実効支配というのは、対立国にとって不法占拠だからである。実効支配と正当性は別の問題。けっこう頭のいい人が、このロジックを使っていてビックリすることも多い。やっぱり領土問題だと頭に血が上りやすいのかと思ったり。
アメリカは尖閣諸島が日本に実効支配されており、日米安全保障条約の適用の範囲という立場である。実際に何か起こったとき、その言葉を鵜呑みにできるかどうかは別として、そのアメリカの姿勢が中国に対する牽制になっていることに間違いない。
しかしその日米安保適用の前提となる実効支配が「出て行け」合戦なのである。「出て行け」合戦で実効支配が決まるなら軍事的な小競り合いも上陸作もは必要ない。より多くの船を出した方が勝ちである。質で中国を引き離しても、量の勝負となるとーーー。そのあたりが気がかり。
ーーー続く
wassho at 23:48|Permalink│Comments(0)│
2012年10月03日
尖閣と竹島:それは違うんじゃない?
尖閣、竹島と何かと騒がしい領土問題。これについて深い考察や、解決に向けてのアイデアを持っているわけではない。たぶんほとんどの人と同じように「面倒なことになったなあ〜」「いつまで続くんだろうねえ〜」といったところ。最近すっかり旅日記と化しているこのブログだが、たまには硬派なネタも書いておかないと頭もなまる?ので、いろいろ感想というかニュースを見ていて「それは違うんじゃない?」と感じたことを少し書いてみることにした。
<それは違うんじゃない その1>
こういう論調がある。
韓国大統領は政権末期でいろいろ問題を抱えており、国内での人気取り政策として竹島に上陸したり天皇に謝罪しろとか発言している。あるいは、中国政府は民主化や格差拡大に対する国民の不満から目をそらすために、領土問題や反日デモを利用あるい仕掛けている。
李明博大統領や中国政府首脳と話し合ったことはないから(^^ゞ、本当のところは知らない。そういう要素がゼロだと否定するつもりはないが、どの程度のウエイトをもっているかはまったく憶測の積み重ねである。
国民の内政への不満を外交で目をそらさせるというロジックは大昔から聞く。でも、そんなことが可能かは大いに疑問。その外交が日々の生活に直結している問題か、あるいは湾岸戦争を仕掛けて勝つというような大規模な外交でもない限り、成功例はほとんどないように思う。マスコミも含めて政治業界の人々だけが信じている幻想。
明日、中国が「野田首相のおっしゃるとおり尖閣諸島は日本の領土でしたゴメンナサイ」といってきたとして、野田首相の支持率が上がる? 日本の報道だけ見ているとスルーしてしまうが、韓国で「野田首相は弱体化している民主党に危機感を持ち、歴代首相と較べて竹島問題で強硬な姿勢を取っている」というような報道をされているのを見ると、そのおかしさに気付く。
この尖閣諸島や竹島に対する中国・韓国の行動を相手国の内政事情によるものと考えるロジックには問題が2つある。
1つは、これから尖閣諸島や竹島についての国家戦略を考えていく際、私の仮説が正しいとしての話だが、相手国の姿勢はその内政事情によるものだという間違った前提を含めて戦略を考えれば、必然的にその戦略は間違ってしまうということ。
2つめも似たようなことだが、たとえば中国での反日デモのニュースを見て深刻な気分になったところで、これは中国人の中国政府への不満の表れだなんて解説を聞くと、「ナンだ、日本に怒っているんじゃないのか」とホッとするというか安心してしまう。人間誰しも嫌われていると思いたくないからね。
でも、それでは冷静な状況認識にならない。尖閣諸島の問題で反日デモが起きたというより、日頃からの反日感情が尖閣諸島のことで火がついたと見るほうがおそらく正しいだろう。多くの中国人が日頃の憂さ晴らしや、単なるお祭り騒ぎ感覚でデモに参加していたとしても、反日というのが「ノリやすいテーマ」だからこそ、あれだけの規模に拡大したと見るべきである。仮に尖閣諸島が韓国やその他の国のものだったら、ああいうデモにはならないはず。
話はそれるが、戦前の帝国主義時代に起因する中国や韓国の心の底にある反日感情というのは、そう簡単には解決しない。というか、たぶん時間によってしか解決できない。すでに戦後70年ほどたつけれど「そういうこともあったなあ」というレベルになるにはあと150年くらいは必要かな。16世紀後半の秀吉による朝鮮侵攻を根に持っている韓国人はさすがにいないと思う。
ついでにもう一つ話をそらすと、日本はアメリカと戦争をしたのに親米感情の強い国である。戦後のきわめて早い段階から反米感情はなかったと思う。もっともアメリカに対してはこっちから仕掛けて負けた戦争だから、日本と中国・韓国の関係とはいきさつがまったく違う。でも戦後の対米感情変遷の研究をすれば中国・韓国とのつきあい方に何か役立つかもしれない。
話を戻すと、いずれにせよ尖閣諸島・竹島の問題は相手国政府の内政向けの目くらましが本質ではなく、純然たる領土問題=相当に深刻でやっかいな問題だと考えるべきだろう。
でも、それはそれで別にいいんじゃないかと私は思っている。
ーーー続く
wassho at 22:52|Permalink│Comments(0)│
2010年09月26日
尖閣諸島でのチキンレース
アメリカ人はチキンが大好物なくせに、なぜかチキンを臆病者の代名詞に使う。おまえはチキンだとか、チキンハートだといわれたら「腰抜け野郎」という意味である。
チキンレースというのは、そびえ立つ壁に向かってヨーイドンで2台の車で突進し、どちらが先に、より壁の近くで止まるかを競うゲームである。つまり先にブレーキを踏んだ方が負けであるが、ブレーキを踏み遅れれば壁に激突するという「根性試し」のゲームでもある。映画や漫画で見たことはあるが、本当にやった人っているのかな? それと昔から疑問に思っているのは、猛スピードで突進して壁の少し手前で止まった車と、スピードは少し遅くても壁のぎりぎりで止まった車となら、どちらが勝つのだろう。
さて、尖閣諸島問題を巡るチキンレースに日本は負けてしまった。正確に言うならチキンレースに参加する前にビビッてゲームから降りてしまったというべきか。拘束中の船長を釈放したのが金曜日だから、土日を挟んで明日から「弱腰外交」の大合唱が起こるだろう。こういう問題ではにわか愛国心を刺激されるから、多くの人が釈然としない思いを抱き、またプライドが傷ついたかもしれない。私もその一人だ。
しかし船長の釈放について私は、そのことを「単独して」取り上げれば、それは正しい決断であったと考えている。理由は単純で、この勝負、最初からボロ負けである。このままズルズル負け続けるよりは、恥を忍んで降参し、次の機会に奮起する方が理にかなっている。
ボロ負けになった理由は、準備や心構えができていなかったからだろうと考えている。
尖閣諸島周辺に漁船や抗議船が侵入してくることは日常的にある。その警備は海上保安庁が担当していて、ほとんど抜かりはない。何年か前に中国か台湾の抗議船を阻止する模様をニュースで見て、巡視艇の操船技術の巧みさにびっくりしたことがある。
今までは侵入を阻止し、つまり追っ払うことで対処してきた。今回は漁船と巡視艇が衝突したこともあって逮捕・拘留した。それは自動的に日本国内の裁判で裁くということを意味する。追っ払うのとは違う次元に突入する。
捕まえる必要があったのか、今まで通りに追っ払うだけでよかったのではないかという議論がある。その辺の外交的損得勘定は私にはわからないので述べない。とにかく日本政府は捕まえる決断をした。
日本の立場で考えれば捕まえて裁判に掛けることは理にかなっているが、それを中国が黙ってみていないことも、それどころか猛烈な抗議をしてくることも事前に分かりきったことである。つまり、中国の起こす行動を予測し、そういう事態に対してどう対処するのか、表・裏ルートのそれぞれでどういう交渉をし、どういう落としどころで決着させるのか事前に考えておく必要がある。ことは安全保障にも関わる問題なのだから。1から100までのシナリオを準備する必要はないとしても、50くらいまではシナリオを作り、残り50を臨機応変に対応できる人材を配置しておかなければならない。(1から100は比喩的な表現です)
全く準備していなかったとは思っていない。しかし不足だったのは明らかだ。中国の矢継ぎ早の対抗策に、政府は目をつむり耳を覆うことしかできなかった印象がある。政治家にも外務省にも司令塔がいた気配がない。
それと言葉の揚げ足取りに近いけれど、政府は中国の抗議に対し「(船長の処分は)国内法にのっとり粛々と対応する」と連発した。「粛々と」と表現した時点でいかに弱気になっていたかがわかるし、それを中国にも悟られた気がする。法律を犯したものには断固たる態度で臨み、裁判所で厳正に審理されるというべきであった。
まあ済んでしまったことは仕方がない。今後の教訓にすることだ。自由と平和はタダでは入らないことがよくわかったといえばオーバーであるが、国際関係は友好、友好と唱えているだけではダメなのである。ニコニコ握手しながらテーブルについても、テーブルの下で蹴り合っているーーーそんな刺激のある生き方のほうが私は好きだけれど(^^ゞ
船長の釈放は「単独しては正しい決断」と書いた。もちろん今後に様々な影響を与えるから、単独としては考えられない。どんな影響があるのか、一番多い論調が「日本は押しに弱いという印象を世界に与えた」というもの。そういう印象を与えただろうし、実際押しには弱い国である(^^ゞ。だからといって世界各国が明日から押しまくってくるかというと、そんなことはないだろうから、それほど心配しなくていい。
尖閣諸島の侵入事件はまた起こるし、中国とは海底資源の領有についてももめているから、問題は次のチキンレースの対応である。今回のような中途半端な対応をすると、次は引けなくなる。引けないという制限のある状況でチキンレースを始めれば、取るべき選択肢の幅が狭まる。外交でもビジネスでも人生でも、選択肢が多いほど有利なのはいうまでもない。
当然、中国はそこを突いて、さらに激しいチキンレースを仕掛けてくるだろう。あるいは逆に切羽詰まった日本の状況を察知して、途中で譲歩してくるかもしれない。これは高等戦術で相手に恩を売るやり方である。もちろん、それは後々に高くつくハメになる。
あ〜腹減った。夜食にチキンラーメンでも食べようっと。
チキンレースというのは、そびえ立つ壁に向かってヨーイドンで2台の車で突進し、どちらが先に、より壁の近くで止まるかを競うゲームである。つまり先にブレーキを踏んだ方が負けであるが、ブレーキを踏み遅れれば壁に激突するという「根性試し」のゲームでもある。映画や漫画で見たことはあるが、本当にやった人っているのかな? それと昔から疑問に思っているのは、猛スピードで突進して壁の少し手前で止まった車と、スピードは少し遅くても壁のぎりぎりで止まった車となら、どちらが勝つのだろう。
さて、尖閣諸島問題を巡るチキンレースに日本は負けてしまった。正確に言うならチキンレースに参加する前にビビッてゲームから降りてしまったというべきか。拘束中の船長を釈放したのが金曜日だから、土日を挟んで明日から「弱腰外交」の大合唱が起こるだろう。こういう問題ではにわか愛国心を刺激されるから、多くの人が釈然としない思いを抱き、またプライドが傷ついたかもしれない。私もその一人だ。
しかし船長の釈放について私は、そのことを「単独して」取り上げれば、それは正しい決断であったと考えている。理由は単純で、この勝負、最初からボロ負けである。このままズルズル負け続けるよりは、恥を忍んで降参し、次の機会に奮起する方が理にかなっている。
ボロ負けになった理由は、準備や心構えができていなかったからだろうと考えている。
尖閣諸島周辺に漁船や抗議船が侵入してくることは日常的にある。その警備は海上保安庁が担当していて、ほとんど抜かりはない。何年か前に中国か台湾の抗議船を阻止する模様をニュースで見て、巡視艇の操船技術の巧みさにびっくりしたことがある。
今までは侵入を阻止し、つまり追っ払うことで対処してきた。今回は漁船と巡視艇が衝突したこともあって逮捕・拘留した。それは自動的に日本国内の裁判で裁くということを意味する。追っ払うのとは違う次元に突入する。
捕まえる必要があったのか、今まで通りに追っ払うだけでよかったのではないかという議論がある。その辺の外交的損得勘定は私にはわからないので述べない。とにかく日本政府は捕まえる決断をした。
日本の立場で考えれば捕まえて裁判に掛けることは理にかなっているが、それを中国が黙ってみていないことも、それどころか猛烈な抗議をしてくることも事前に分かりきったことである。つまり、中国の起こす行動を予測し、そういう事態に対してどう対処するのか、表・裏ルートのそれぞれでどういう交渉をし、どういう落としどころで決着させるのか事前に考えておく必要がある。ことは安全保障にも関わる問題なのだから。1から100までのシナリオを準備する必要はないとしても、50くらいまではシナリオを作り、残り50を臨機応変に対応できる人材を配置しておかなければならない。(1から100は比喩的な表現です)
全く準備していなかったとは思っていない。しかし不足だったのは明らかだ。中国の矢継ぎ早の対抗策に、政府は目をつむり耳を覆うことしかできなかった印象がある。政治家にも外務省にも司令塔がいた気配がない。
それと言葉の揚げ足取りに近いけれど、政府は中国の抗議に対し「(船長の処分は)国内法にのっとり粛々と対応する」と連発した。「粛々と」と表現した時点でいかに弱気になっていたかがわかるし、それを中国にも悟られた気がする。法律を犯したものには断固たる態度で臨み、裁判所で厳正に審理されるというべきであった。
まあ済んでしまったことは仕方がない。今後の教訓にすることだ。自由と平和はタダでは入らないことがよくわかったといえばオーバーであるが、国際関係は友好、友好と唱えているだけではダメなのである。ニコニコ握手しながらテーブルについても、テーブルの下で蹴り合っているーーーそんな刺激のある生き方のほうが私は好きだけれど(^^ゞ
船長の釈放は「単独しては正しい決断」と書いた。もちろん今後に様々な影響を与えるから、単独としては考えられない。どんな影響があるのか、一番多い論調が「日本は押しに弱いという印象を世界に与えた」というもの。そういう印象を与えただろうし、実際押しには弱い国である(^^ゞ。だからといって世界各国が明日から押しまくってくるかというと、そんなことはないだろうから、それほど心配しなくていい。
尖閣諸島の侵入事件はまた起こるし、中国とは海底資源の領有についてももめているから、問題は次のチキンレースの対応である。今回のような中途半端な対応をすると、次は引けなくなる。引けないという制限のある状況でチキンレースを始めれば、取るべき選択肢の幅が狭まる。外交でもビジネスでも人生でも、選択肢が多いほど有利なのはいうまでもない。
当然、中国はそこを突いて、さらに激しいチキンレースを仕掛けてくるだろう。あるいは逆に切羽詰まった日本の状況を察知して、途中で譲歩してくるかもしれない。これは高等戦術で相手に恩を売るやり方である。もちろん、それは後々に高くつくハメになる。
あ〜腹減った。夜食にチキンラーメンでも食べようっと。
wassho at 23:50|Permalink│Comments(0)│
2010年09月21日
尖閣諸島問題
毎日報道されているので、ことの経過は説明不要かと。
中国大使の深夜呼び出し、閣僚交流停止、上海万博の日本訪問団1000名受け入れ延期、前からもめている東シナ海の油田の交渉中断とドリルの搬入(疑惑)、一番新しいニュースでは中国は日本に対して「多方面での報復」を検討とある。トバッチリを受けてスマップの上海公演も中止の可能性があるらとか。
尖閣諸島を巡ってのいざこざは今までもずっとあった。しかし今回、中国はやたらヒートアップしているというか、不必要に強気な印象がある。中国外務次官の、船長を釈放しないなら「強烈な報復措置を執る」という公的な発言も。その中国の意図や行動の背景についていろいろ解説があるが、いずれも憶測でしかない。その憶測に私の憶測を重ねてもあまり意味がないので書かない。
ただ言えることは、前にも書いた話に似ていて、敵は一致団結した一枚岩だと思いがちだけれど、そんなことはまずない。それに中国は日本より官僚国家である。つまり、それぞれが国益より省益、部門益を優先して動く組織である。私には中国の今回の大げさな発言は、中国内部の混乱も反映しているように思える。ついでに「報復」と聞くと、何となく武力行使をイメージだが、特にそういう意味でもないようである。そのあたりは外交の知識がないからよくわからないが。
日本の関係者は「面倒なことになってきたなあ」と思っているだろう。いくら日本が本音と建て前を使い分ける国であったとしても、領土に絡む問題は建前しか判断基準はない。願わくばお願いしたいのは次の点。
日本・日本人には強気で交渉すれば折れると思われている。交渉の基本的なテクニックに、100の現状に対して120の要求をしたいときに、200〜300と要求して、最後は120で妥結し相手に譲歩したように見せかけるというものがある。まさかそんな単純な手口にーーーと思われるかもしれないが、プレッシャーのかかる交渉であればあるほど、このテクニックは効果を発揮する。どうも今回の中国の言動にはそんなフシが伺える。担当者の皆さんは気をつけてね。ついでに「自分が苦しいときは相手も苦しい」ということを覚えておくと気が楽になるよ。
ちなみに私は海外のクライアントや取引先にタフネゴシエーターだと思われているらしい。単に英語がよくわからないから何回も聞き直しているだけなんだけれど(^^ゞ
やっかいな問題を中国にふっかけられているーーーというのが現状のコンセンサスかな。でもまあいい機会かもしれないとも考えている。
1)
日米安保がある限り、現状で中国の武力行使や尖閣諸島の占領行動はあり得ない。つまり決定的な事態にはならない。
2)
だから今回の問題は外交や安全保障の(表現はおかしいが)シミュレーションの実地訓練みたいなものである。決定的なリスクなしで自分たちの能力を試せるし検証できる。もちろん中国の反応も今後の参考になる。
3)
国際社会でこんな事件は別に珍しくもない。できればずっと平和ボケしていたいものだが、そろそろ目覚めなきゃいけない時期かもしれない。
4)
30年後か50年後かまでに、中国は世界で最もパワーのある国家になっているだろう。地理的にも近い日本は、中国とどうつきあうかが決定的に重要な要素となる。そして中国は日本みたいにお人好しな国ではない。(ヨソのほとんどの国がそうだけれど)
向こう10年あるいは20年は、日本は中国とのつきあい方を探る時期だと思う。GDPを中国に抜かれた今年、こんな事件が起きたことはある種の啓示のような気もする。
5)
ついでに書いておくと、GDP1位はアメリカで約15兆ドル。日本と中国のGDPは約5兆ドルである。中国の経済発展は誰でも知っているだろうが、中国とのつきあい方を探るというのは、中国のGDPが日本の2倍、3倍になったときどうなっているのか、どうすべきかということである。中国について論じるものはたくさんあっても現状分析ばかりで、その視点が抜けているものがほとんどなのがちょっと気にかかる。
日中友好
熱烈歓迎!
中国大使の深夜呼び出し、閣僚交流停止、上海万博の日本訪問団1000名受け入れ延期、前からもめている東シナ海の油田の交渉中断とドリルの搬入(疑惑)、一番新しいニュースでは中国は日本に対して「多方面での報復」を検討とある。トバッチリを受けてスマップの上海公演も中止の可能性があるらとか。
尖閣諸島を巡ってのいざこざは今までもずっとあった。しかし今回、中国はやたらヒートアップしているというか、不必要に強気な印象がある。中国外務次官の、船長を釈放しないなら「強烈な報復措置を執る」という公的な発言も。その中国の意図や行動の背景についていろいろ解説があるが、いずれも憶測でしかない。その憶測に私の憶測を重ねてもあまり意味がないので書かない。
ただ言えることは、前にも書いた話に似ていて、敵は一致団結した一枚岩だと思いがちだけれど、そんなことはまずない。それに中国は日本より官僚国家である。つまり、それぞれが国益より省益、部門益を優先して動く組織である。私には中国の今回の大げさな発言は、中国内部の混乱も反映しているように思える。ついでに「報復」と聞くと、何となく武力行使をイメージだが、特にそういう意味でもないようである。そのあたりは外交の知識がないからよくわからないが。
日本の関係者は「面倒なことになってきたなあ」と思っているだろう。いくら日本が本音と建て前を使い分ける国であったとしても、領土に絡む問題は建前しか判断基準はない。願わくばお願いしたいのは次の点。
日本・日本人には強気で交渉すれば折れると思われている。交渉の基本的なテクニックに、100の現状に対して120の要求をしたいときに、200〜300と要求して、最後は120で妥結し相手に譲歩したように見せかけるというものがある。まさかそんな単純な手口にーーーと思われるかもしれないが、プレッシャーのかかる交渉であればあるほど、このテクニックは効果を発揮する。どうも今回の中国の言動にはそんなフシが伺える。担当者の皆さんは気をつけてね。ついでに「自分が苦しいときは相手も苦しい」ということを覚えておくと気が楽になるよ。
ちなみに私は海外のクライアントや取引先にタフネゴシエーターだと思われているらしい。単に英語がよくわからないから何回も聞き直しているだけなんだけれど(^^ゞ
やっかいな問題を中国にふっかけられているーーーというのが現状のコンセンサスかな。でもまあいい機会かもしれないとも考えている。
1)
日米安保がある限り、現状で中国の武力行使や尖閣諸島の占領行動はあり得ない。つまり決定的な事態にはならない。
2)
だから今回の問題は外交や安全保障の(表現はおかしいが)シミュレーションの実地訓練みたいなものである。決定的なリスクなしで自分たちの能力を試せるし検証できる。もちろん中国の反応も今後の参考になる。
3)
国際社会でこんな事件は別に珍しくもない。できればずっと平和ボケしていたいものだが、そろそろ目覚めなきゃいけない時期かもしれない。
4)
30年後か50年後かまでに、中国は世界で最もパワーのある国家になっているだろう。地理的にも近い日本は、中国とどうつきあうかが決定的に重要な要素となる。そして中国は日本みたいにお人好しな国ではない。(ヨソのほとんどの国がそうだけれど)
向こう10年あるいは20年は、日本は中国とのつきあい方を探る時期だと思う。GDPを中国に抜かれた今年、こんな事件が起きたことはある種の啓示のような気もする。
5)
ついでに書いておくと、GDP1位はアメリカで約15兆ドル。日本と中国のGDPは約5兆ドルである。中国の経済発展は誰でも知っているだろうが、中国とのつきあい方を探るというのは、中国のGDPが日本の2倍、3倍になったときどうなっているのか、どうすべきかということである。中国について論じるものはたくさんあっても現状分析ばかりで、その視点が抜けているものがほとんどなのがちょっと気にかかる。
日中友好
熱烈歓迎!
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