島村信之

2020年07月02日

超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その4

いわゆる静物画は昔から超写実的なものが多くある。私が認識している範囲では、17世紀のオランダ絵画(フェルメールと同時代)や、その少し前のフランドル絵画と呼ばれていた頃からそういう手法はあったと思う。はじめてグラスが透明に描かれている絵を見た時はビックリしたものである。

それで青木敏郎の絵を見た時、そのオランダ絵画を思い出し、超写実絵画には油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれることに気がついた。

ところで超写実絵画には

   写真をキャンバスに投影して写し取る←→写真は参考にするが投影はしない
   エアブラシで描く←→筆や鉛筆などで描く

などに手法が分かれるらしい。写真を投影して、それをなぞってエアブラシで描くのをスーパーリアリズム、そうでないのを写実絵画あるいは超写実絵画と区別するようでもあるが、あまり詳しく調べていない。何となく曖昧なところもあるし、だいたい同じ意味を日本語と英語で使い分けているだけだからネーミングとしても成立していない。

それはさておき、この展覧会の作品は鉛筆画を除きすべて筆で描かれたもの。それなにの「油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれる」のは技法として何が違うのだろう。それと17世紀から人物画でも精細に描いたものはあるが、静物画と異なり、今日の超写実絵画の人物画とはリアリティのレベルが違う。当時とは何が違う? 道具や材料はそう変わらないと思うが、そのあたりがナゾ。


「レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼き物」 青木敏郎 2013年

この展覧会の中にあっては古典絵画かと思えるくらいであって、本物そっくりで頭がクラッとくることはない。でもこれはこれで実に味わいがあるというか酔えるというか。そういう意味で「絵って何?」といろいろと考えさせられた作品でもある。

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なおコンフィチュールとはジャムみたいなもの。ただし、ここで描かれているのはあまり煮込まないで形を残した砂糖菓子のようである。ただこれが、やたらギラギラとしていて色も悪く、今はもう見なくなった「汚い食堂の店先にある、クオリティが低くて安っぽい食品サンプル(ロウでできたヤツね)」のように見えて仕方なかった。この絵の時代設定は不明だが、昔のコンフィチュールはそうだったの? とりあえずマズそう(^^ゞ


「あかいはな」 五味文彦 2010年

リアリティでなら断然こちらのほうが優れている。しかしテクニックには感嘆しても、絵としての味わいは皆無。人物画だと6月26日に紹介した「綾〇〇〇的な」や「信じてる」のようにリアリティがある一線を越えると「特別な何か」を感じるのに、静物画では写真にしか見えないのが不思議。

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続いて紹介するのはクリエイティブ賞。
展覧会とは関係なく私が勝手に選定したもの。


「飛行計画 ー詩は聞こえたか−」 五味文彦 2012年

コラージュは雑誌のグラビアページやポスターなどを材料にして作る。つまり写真の貼り合わせ。それをまるで写真のような超写実技法で、写真なしで再現するという試みが面白い。シャレがわかっているで賞でもいいかな。

よく見ればコラージュでは不可能な表現もあったりして芸が細かい。ただしタイトルの意味はさっぱりわからないが。

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「夢の箱」 島村信之 2017年

見た瞬間に「ヤラレタ!」と思った作品。クワガタの標本を絵にするという発想が素晴らしい。また横幅2メートルちょっとある大きな作品で、大きなクワガタだと体長50センチほどのサイズで描かれていて迫力も充分。そんなクワガタにもし出くわしたら、死んだふりするかも(^^ゞ

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似たようなものだけれどアイデア賞を3点。


「UTSUSEMI」 五味文彦 2014年

動物の柔らかい毛並み、鳥の羽の滑らかさ、食器の硬質な感じーーー超写実絵画のテクニック見本として面白いかと。画家のドヤ顔が目に浮かぶようだが。

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「聖なるもの THE-IV」 野田弘志 2013年

写真は構図やテクニックよりも被写体が9割大事というのが、ここ数年カメラを持って出かけることが多くなった私の感想。絵もそうなんだと思う。

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「いにしえの王は語る」 五味文彦 2018年

どんな木なの想像が膨らむが、この部分を切り取ったのが画家の感性。写真も漠然と撮っていてはダメだな。それと写真にもタイトルを付けたら作品ぽくなるかな(^^ゞ

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次は残念だ賞。この絵が残念なことはまったくなくて、残念なのは鉛筆画がこの作品しか展示されていなかったこと。鉛筆の超写実絵画は一種独特の浮遊感が感じられるものが多くて好きなのに。

「横たわる男」 磯江 毅 200-2002年

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展示されていたのは70点弱で、ややこぢんまりしたスケール。ただこの手の作品は見ていると息が詰まるというと大げさだが、少し緊張感が強いられるので、これくらいの作品数が適切かも知れない。写真以上に写実的な描写に何の意味があるのかについては意見は分かれるかも知れない。しかし100メートルを9秒台で走ったって、冷静に考えれば「だからどうした」ともいえるわけで、私は単純にワーッ、すげえ!と楽しみたい。


おしまい

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2020年06月26日

超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その2

以前にも書いたように私が超写実的絵画が好きなのは、それを眺めると

  本物以上に本物そっくりなのに、
  本物じゃないと知っていることから来る混乱で
  頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える

からである。もっとも写真やCGで頭がクラッとはしないから、人が手で描いたものなのにという感嘆が心の底にあるのだと思う。


それはさておき、
今回の展覧会で頭がクラッときたベスト2をまず発表。

第2位

「綾〇〇〇的な」 石黒賢一郎 2014年

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これ絵でっせ、絵。あ・ぶ・ら・え!
筆に絵の具つけて塗ってまんねん。
ビックリしすぎて関西弁になる(^^ゞ  

クラッとするの意味がわかってもらえたかな?
タイトルの綾〇〇〇は、もちろんエヴァンゲリオンの綾波レイを示している。この猫耳はエヴァグッズでよく見かける。綾波レイを伏せ字にするのは著作権とかの関係だろうか?



第1位

「信じてる」 三重野 慶 2016年

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ひょっとしたらこの作品は、今から一生忘れないかも知れない。
まるで息づかいまで聞こえてきそうなほどリアル。
クラッとを通り越して気絶寸前。



ベスト2と中途半端な選出になったのは、リアルさの点でこの2つが群を抜いていたから。こういう絵を見てクラッとする快感を求めてやって来たのである。だから目的を果たせてよかったのであるが、ここで少々問題が。

人物画は他にもたくさん展示されている。それらは

   リアルさではベスト2の作品より劣る
   しかし絵全体の佇まいや雰囲気では勝るものもある

ということ。
それらをいい絵だなあと思っても、超写実絵画の展覧会だとの意識があるから、どこか物足りなさも同時に感じてしまう。もちろん通常の観点でいえば、これらも超写実的なことに変わりないのであるが。



「5:55」 生島 浩 2007-2010年

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「未来」 森本草介 2011年

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「籐寝椅子」 島村信之 2007年

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「レッスン」 島村信之 2008年

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「存在の在処」 石黒賢一郎 2001-2011年

この人物のリアルさは1位2位に次ぐ出来映え。背景にいろいろ描き込まれていて情報量が多いので、リアルさの総量でいえば1位2位をしのいでいる。しかしクラッと度合いはそれらと較べてかなり低い。オッサンがリアルでそれがどうしたという感じ。

どうやら自分もオッサンのくせに、オッサンにあまり価値を認めていないようだ。というわけで人物より壁の汚れとか、黒板に書かれたチョークも文字などにやたら目を奪われた作品。

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お口直しに(^^ゞ

「聖なるもの THE-I」 野田弘志 2009年

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この絵の超写実的な描写は相当に優秀なのだけれど、黒いドレスが油絵の具でテカテカ光っていて「本物らしさ」が損なわれて残念だった作品。照明の当て方が悪かったのだろうか?


「夏至を待つ日」 大矢英雄 2013年

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リアリティはそれほど追求していないと思う。しかし何となく雰囲気よし。



技術点と芸術点をどう分配するかと、まるでフィギュアスケートの審査員になったような気持ちでの作品鑑賞となった。


ーーー続く

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