新緑
2024年06月13日
山手イタリア山庭園で春バラ その2
(5月10日の横浜バラツアーその7)
山手イタリア山庭園のほぼ中央にある通路。
背が高く茂っている木はメタセコイヤ。
和名ではアケボノスギ。以前は化石でしか見つからず絶滅種と考えられていたが、1946年(昭和21年)に中国・四川省で現存種が発見される。それで「生きた化石」と呼ばれることも。今は各地に多く植えられている。オレンジ色の紅葉が特徴。
外交官の家を横目に見て、
山手イタリア山庭園の奥にあるのが、
本日の山手西洋館巡りで7軒目のブラフ18番館。
「5月10日の横浜バラツアーその2」で書いたようブラフとは山手を意味している。
1993年(平成5年)にここに移築され公開。
外交官の家の移築は1997年(平成9年)。
なお山手イタリア山庭園の開園は1998年(平成10年)と移築より後。山手イタリア山庭園に移築したというより、移築した先を山手イタリア山庭園として整備したとの順番。ここは山手地区の大きな公園の中では最も新しい公園になる。面積は1.3ヘクタール。
このあたりが山手イタリア山庭園となる前は未利用の国有地だったようだ。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、山手イタリア山庭園と名付けられたが、庭園を造る以前からイタリア山と呼ばれていたのかは知らない。港の見える丘公園のイギリス山とフランス山は昔からそう呼ばれているものの、アメリカ山は2009年(平成21年)に元町・中華街駅ビルの屋上を立体都市公園とした際に、無理矢理こじつけたネーミングなので何となくここもそんな気がする。
ついでに横浜市が所有している山手にある7つの西洋館の一般公開時期をまとめると
ブラフ18番館 移築1991年 公開1993
外交官の家 移築・公開1997年
(山手イタリア山庭園開園 1998年)
山手111番館 公開1999年
山手234番館 公開1999年
エリスマン邸 移築1990年 公開1999年
横浜市イギリス館 公開2002年(ホールや集会室の利用は1970年)
べーリック・ホール 公開2002年
ほとんどが2000年(平成12年)前後と意外に最近。神戸北野の異人館がブームになったのは1970年代の中頃だからずいぶんと差がある。てっきり同じ頃から観光スポットになっているものだと思っていた。公開年代的にはここイタリア山庭園が山手西洋館巡りの発祥ともいえる。
ブラフ18番館は中に入らず外から眺めただけ。
延べ床面積264平米。
北東角にある展望コーナー。
山手が高い位置にあるとわかる景色。
この地点の標高は34m(山手地区全体では10〜40m)
ベイブリッジ中央までの距離は3.3km
さてブラフ18番館から離れて、
外交官の家の裏側にやってくると、
そこにあるのは整形花壇と呼ばれる幾何学的に剪定されたゾーン。
公式ホームページによれば「イタリアで多く見られる庭園様式を模し」とある。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているガーデンベアというゆるキャラ。熊なのに緑なのは体が苔に覆われているとの設定。
キンギョソウに囲まれてガーデンベアも楽しそう。
ところでヨーロッパの庭園造りにはイギリス式、フランス式、イタリア式がある。もっと他の国の様式もあるだろうが日本ではあまり有名じゃない。イギリス式は自然の形や姿を生かす作庭。フランス式は正反対に幾何学的に人の手を入れた美しさを追求する。よって全体の構成としてイギリス式は左右非対称、フランス式は左右対称である。
フランス式とイタリア式は整形・幾何学的な所は同じで、フランスの庭園は平面な土地に、イタリアの庭園は傾斜地や階段状の土地に作るのが違いらしい。
上の写真でわかるようにここはキレイに刈り込まれた生け垣で、幾何学的な造園がなされているけれど、平面だけだからフランス式じゃないのかな。逆に山手は起伏の多い地形で、実際ここでもブラフ18番館は外交官の家より低い位置にあるのに、どうしてそれを利用したイタリア式庭園にしなかったのか。あくまで「イタリアでござい」と謳いたければだけど。
アメリカ山公園、ブラフ99ガーデンに続いて、
本日3本目のベニバナトチノキ。
新緑の3色違い。
そして整形花壇一番のバエポイントはこの水路。
実は水路の両サイドにある低い木も高い木もバラ。咲いていればこんな感じだけれど、この日はまだ未開花。ツボミもごく小さかったからかなり遅咲きの品種。咲いていないのは事前にSNS情報で確認済みだったものの、やはり見たかったな。
おそらくこの水路のバラが咲く頃には前庭のバラは見頃を過ぎていると思う。
いつかこれだけを見に来ましょう。
ちなみに水路のバラが満開になったのは5月の後半に入ってからみたい。
整形花壇の端にあった水盤。
水があれば高速シャッターで水しぶきの時間を止めるのがお約束。
水路も噴水が吹き出してきた。
でも水量がちょっとショボい(^^ゞ
それでもこれでバラが咲いていれば最高なのに。
八角形の塔屋があって、外交官の家はこちらから見たほうが面白い。
前回に紹介した八角形のサンルームはこの塔の1階部分。
外交官の家の横を通り抜けて、
バラアーチのあった前庭に戻る。
バラのバラエティとボリュームをもう一度楽しんで、
山手イタリア山庭園を後にする。
ーーーまだ続く
山手イタリア山庭園のほぼ中央にある通路。
背が高く茂っている木はメタセコイヤ。
和名ではアケボノスギ。以前は化石でしか見つからず絶滅種と考えられていたが、1946年(昭和21年)に中国・四川省で現存種が発見される。それで「生きた化石」と呼ばれることも。今は各地に多く植えられている。オレンジ色の紅葉が特徴。
外交官の家を横目に見て、
山手イタリア山庭園の奥にあるのが、
本日の山手西洋館巡りで7軒目のブラフ18番館。
「5月10日の横浜バラツアーその2」で書いたようブラフとは山手を意味している。
1993年(平成5年)にここに移築され公開。
外交官の家の移築は1997年(平成9年)。
なお山手イタリア山庭園の開園は1998年(平成10年)と移築より後。山手イタリア山庭園に移築したというより、移築した先を山手イタリア山庭園として整備したとの順番。ここは山手地区の大きな公園の中では最も新しい公園になる。面積は1.3ヘクタール。
このあたりが山手イタリア山庭園となる前は未利用の国有地だったようだ。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、山手イタリア山庭園と名付けられたが、庭園を造る以前からイタリア山と呼ばれていたのかは知らない。港の見える丘公園のイギリス山とフランス山は昔からそう呼ばれているものの、アメリカ山は2009年(平成21年)に元町・中華街駅ビルの屋上を立体都市公園とした際に、無理矢理こじつけたネーミングなので何となくここもそんな気がする。
ついでに横浜市が所有している山手にある7つの西洋館の一般公開時期をまとめると
ブラフ18番館 移築1991年 公開1993
外交官の家 移築・公開1997年
(山手イタリア山庭園開園 1998年)
山手111番館 公開1999年
山手234番館 公開1999年
エリスマン邸 移築1990年 公開1999年
横浜市イギリス館 公開2002年(ホールや集会室の利用は1970年)
べーリック・ホール 公開2002年
ほとんどが2000年(平成12年)前後と意外に最近。神戸北野の異人館がブームになったのは1970年代の中頃だからずいぶんと差がある。てっきり同じ頃から観光スポットになっているものだと思っていた。公開年代的にはここイタリア山庭園が山手西洋館巡りの発祥ともいえる。
ブラフ18番館は中に入らず外から眺めただけ。
延べ床面積264平米。
北東角にある展望コーナー。
山手が高い位置にあるとわかる景色。
この地点の標高は34m(山手地区全体では10〜40m)
ベイブリッジ中央までの距離は3.3km
さてブラフ18番館から離れて、
外交官の家の裏側にやってくると、
そこにあるのは整形花壇と呼ばれる幾何学的に剪定されたゾーン。
公式ホームページによれば「イタリアで多く見られる庭園様式を模し」とある。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているガーデンベアというゆるキャラ。熊なのに緑なのは体が苔に覆われているとの設定。
キンギョソウに囲まれてガーデンベアも楽しそう。
ところでヨーロッパの庭園造りにはイギリス式、フランス式、イタリア式がある。もっと他の国の様式もあるだろうが日本ではあまり有名じゃない。イギリス式は自然の形や姿を生かす作庭。フランス式は正反対に幾何学的に人の手を入れた美しさを追求する。よって全体の構成としてイギリス式は左右非対称、フランス式は左右対称である。
フランス式とイタリア式は整形・幾何学的な所は同じで、フランスの庭園は平面な土地に、イタリアの庭園は傾斜地や階段状の土地に作るのが違いらしい。
上の写真でわかるようにここはキレイに刈り込まれた生け垣で、幾何学的な造園がなされているけれど、平面だけだからフランス式じゃないのかな。逆に山手は起伏の多い地形で、実際ここでもブラフ18番館は外交官の家より低い位置にあるのに、どうしてそれを利用したイタリア式庭園にしなかったのか。あくまで「イタリアでござい」と謳いたければだけど。
アメリカ山公園、ブラフ99ガーデンに続いて、
本日3本目のベニバナトチノキ。
新緑の3色違い。
そして整形花壇一番のバエポイントはこの水路。
実は水路の両サイドにある低い木も高い木もバラ。咲いていればこんな感じだけれど、この日はまだ未開花。ツボミもごく小さかったからかなり遅咲きの品種。咲いていないのは事前にSNS情報で確認済みだったものの、やはり見たかったな。
おそらくこの水路のバラが咲く頃には前庭のバラは見頃を過ぎていると思う。
いつかこれだけを見に来ましょう。
ちなみに水路のバラが満開になったのは5月の後半に入ってからみたい。
整形花壇の端にあった水盤。
水があれば高速シャッターで水しぶきの時間を止めるのがお約束。
水路も噴水が吹き出してきた。
でも水量がちょっとショボい(^^ゞ
それでもこれでバラが咲いていれば最高なのに。
八角形の塔屋があって、外交官の家はこちらから見たほうが面白い。
前回に紹介した八角形のサンルームはこの塔の1階部分。
外交官の家の横を通り抜けて、
バラアーチのあった前庭に戻る。
バラのバラエティとボリュームをもう一度楽しんで、
山手イタリア山庭園を後にする。
ーーーまだ続く
wassho at 22:07|Permalink│Comments(0)│
2024年05月27日
再訪:和田堀公園
5月5日に大田黒公園でミドリのもみじ狩りをして〜その後に善福寺川緑地を歩き〜杉並児童交通公園を見た続き。
交通公園を出たあたりでここはまだ善福寺緑地。
この付近はカワセミが飛んで来ることもある。
写っているのはカワセミ待ちの皆さん。
たぶんこの日この時にカワセミは姿を現していない。飛んでいたらもっと緊張感がある、あるいはザワザワしている。この公園も3回目なので何となく空気を読めるようになってきた。
川にいたのはアオサギとカモ。
どちらもお食事中。アオサギは口に魚をくわえている。
こんなオブジェも見られた(^^ゞ
ところでアオサギは青い部分はまったくなく灰色をしているのに、なぜかアオサギと呼ばれる。学術名はラテン語で Ardea cinerea 。Ardea はサギ、cinerea が灰色を意味する。英語でも Grey heron とグレーが使われグローバル的には灰色が標準。
それがなぜ日本ではアオサギなのかその理由を調べてみるとーーー
古代(だいたい古墳時代から奈良時代頃:上代ともいう)の日本語で、色を示す言葉あるいは概念は赤・黒・白・青しかなく、赤と黒で明るさと暗さを、白と青でハッキリとボンヤリを表していたとされる。極論すると赤・黒・白以外はすべて青! だからアオサギのようなボンヤリしたグレーも青になる。それで奈良時代にはこの鳥に名前が付いていたのでアオサギになったと。
話がそれるけれど、青信号・青リンゴ・青汁など緑色をしたものを青と呼ぶのも、この青と緑の区別がなかったことが今でも影響していると言われる。
理屈としてはわかる。
言葉や名前なんて区別の必要があって生まれるもの。例えば日本ではすべての魚に名前がある。しかしどこか砂漠の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。サンマもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に名前はいらないのだ。逆に昔は遊牧民だったどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬だけで用が足りても彼らには不足なんだろう。
色に話を戻すと今はあらゆる色を作り出せるから、サーモンピンクとローズピンクは名前を変えて区別する必要がある。同じ黄色でもパステルカラーの黄色とビビッドな黄色とは別の色扱い。
だとしてもである。
紫のように自然界にあまりない色ならともかく、空や海の青と植物の緑、この2大天然色を古代の日本人は同じ色として扱っていたとは信じがたい。頭が混乱しなかったのかな。まあ緑のランプを見て青信号と思うから慣れの問題なのか。それでもグレーまで青とはちょっとその認識状況が想像できない。青春も暗く憂鬱な日々になってしまうゾ。
ついでに余談。
アオサギの体はグレーでも卵の色は青い!画像はhttp://www.omnh.net/aquapia/2013/03/post_727.htmlから引用
さて白山前橋を渡ると和田堀公園に入る。
食堂&釣り堀の武蔵園、和田堀、大きなゴリラのぬいぐるみのあるお店を、この日は素通り。
そして川縁(かわべり)で見つけたのがこの鳥。
ハッキリとした羽の縁取りと大きな水かき。
これはカワウだと思う。ちなみに鮎を捕まえる鵜飼いに使うのはウミウ。
野球場を過ぎ、公園より立派なサクラがある民家の横を通って、ワンパク広場に出る。
この先には初めて来た1月27日に満開だったウメの木があり、
それがサクラ花見で訪れた4月7日には小さな実をつけていた。
約1ヶ月経って、それがどうなっているか楽しみにしていたのに、
ない、ない、ウメの実がまったくない!
なぜならこのオッサンがウメの実を棒ですべてたたき落としていたから。
私が着いたとき「もうこれで全部落ちたな」なんて言っていた。
大量のウメの実。
手に握っている棒はこの辺に落ちていたものだろうが、
用意周到に袋まで準備して白昼堂々の計画的犯行。
この場合、ここは都立公園でウメの木や実は東京都の財産なので、刑法235条の窃盗罪が成立する。10年以下の懲役又は50万円以下の罰金。落ちている実を拾っても他人の財産には変わりなく遺失物横領罪。またこの棒でウメの木にダメージを与えていたら器物損壊罪。他にも軽犯罪法や条例での処罰規定がある。
とりあえず公園になっている実を採れば犯罪である。どんぐりや松ぼっくりを拾って問題にならないのは、それらが財産的価値を持っていないとの社会的通念があるから。ウメの実やギンナンはそうじゃない。レジ袋一杯に詰められたウメの実は、スーパーで買えば1万円以上する。
もっともこの場に警官が通りかかったとしても、注意くらいはするかも知れないが現行犯として逮捕されることはない。私がこのウメの実泥棒の証拠写真と共に警察に告発してもおそらく受理されない。理由は微罪過ぎるから。
というわけでウメの実泥棒をしてもコイツらには何のお咎めもなし。
これでいいのか日本の社会正義!
ウメの実がなっているところを見たかったのに。
どうかウメの実のバチが当たって、この家族に不幸が訪れますように。
気を取り直してお散歩続行。
いいねやっぱり新緑は。
奈良時代の人はこれも新青といっていた?
済美(せいび)橋で和田堀公園は終了。
そして橋の袂(たもと)にあるのは済美公園。
公園のメインは上の広場で、段々畑のようなのは親水公園的なしつらえ。
水に頭を突っ込んでお食事中。
カモは二羽が一緒にいるケースが多いからカップルで行動しているのかな。
これはコサギ。頭の後ろのは冠羽(かんう)と呼ばれる。2本あるはずだが水に濡れてひっついているように思える。これを振って他のコサギと合図を交わすらしい。
あっ、魚を捕まえた!
こんなのも泳いでいるんだ。
すぐに上を向いて丸呑みしたのでその姿の撮影は間に合わず。
ならば連続写真で狙おうとシャッターの設定を変えてカメラを向けると、
もう満腹になったのか飛び去ってしまった(/o\)
先ほどアオサギの話をしたので、ついでにシラサギも。実はシラサギという鳥はいない。これは白いサギの総称。だからコサギもシラサギ。日本にいるのは主にダイサギ・チュウサギ・コサギつまり大中小の白いサギ。ほかにはカラシラサギなど。
ちなみに鳥ではなく犯罪の世界では
白詐欺:個人を騙す詐欺師
赤詐欺:結婚詐欺、ロマンス詐欺
青詐欺:企業を騙す詐欺師
黒詐欺:詐欺師を騙す詐欺師
と分類されている(^^ゞ 元々は警察の隠語とされるものの、黒詐欺が映画やドラマ以外で実際に存在しているかは知らない。
済美橋から2つ下流にある熊野橋。
その先の紅葉橋との間に鯉のぼりがかけられている。
善福寺公園(善福寺川緑地とは別の公園ね)で鯉のぼりを見たときに書いた、武者幟(絵のぼり)も手すりに吊されている。向きが横になっているのは仕方ないか。
5月3日の善福寺公園のときと違って、この日は風もそこそこあって、気持ちよさそうに鯉のぼりが舞っていた。
紅葉橋の下にミニサイズの鯉のぼりも。
ただし大きい方もそうなのだが、ちょっと色があせているのが残念。特に黒鯉の退色が目立つ。子供が成長して、もう用済みになった鯉のぼりを持っている人がいれば寄付してあげて。
この後は駅まで歩いて5月5日のお散歩は終了。
こどもの日の当日にもまた鯉のぼりを見られて、子供じゃなくてもうれしい。
おしまい
交通公園を出たあたりでここはまだ善福寺緑地。
この付近はカワセミが飛んで来ることもある。
写っているのはカワセミ待ちの皆さん。
たぶんこの日この時にカワセミは姿を現していない。飛んでいたらもっと緊張感がある、あるいはザワザワしている。この公園も3回目なので何となく空気を読めるようになってきた。
川にいたのはアオサギとカモ。
どちらもお食事中。アオサギは口に魚をくわえている。
こんなオブジェも見られた(^^ゞ
ところでアオサギは青い部分はまったくなく灰色をしているのに、なぜかアオサギと呼ばれる。学術名はラテン語で Ardea cinerea 。Ardea はサギ、cinerea が灰色を意味する。英語でも Grey heron とグレーが使われグローバル的には灰色が標準。
それがなぜ日本ではアオサギなのかその理由を調べてみるとーーー
古代(だいたい古墳時代から奈良時代頃:上代ともいう)の日本語で、色を示す言葉あるいは概念は赤・黒・白・青しかなく、赤と黒で明るさと暗さを、白と青でハッキリとボンヤリを表していたとされる。極論すると赤・黒・白以外はすべて青! だからアオサギのようなボンヤリしたグレーも青になる。それで奈良時代にはこの鳥に名前が付いていたのでアオサギになったと。
話がそれるけれど、青信号・青リンゴ・青汁など緑色をしたものを青と呼ぶのも、この青と緑の区別がなかったことが今でも影響していると言われる。
理屈としてはわかる。
言葉や名前なんて区別の必要があって生まれるもの。例えば日本ではすべての魚に名前がある。しかしどこか砂漠の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。サンマもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に名前はいらないのだ。逆に昔は遊牧民だったどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬だけで用が足りても彼らには不足なんだろう。
色に話を戻すと今はあらゆる色を作り出せるから、サーモンピンクとローズピンクは名前を変えて区別する必要がある。同じ黄色でもパステルカラーの黄色とビビッドな黄色とは別の色扱い。
だとしてもである。
紫のように自然界にあまりない色ならともかく、空や海の青と植物の緑、この2大天然色を古代の日本人は同じ色として扱っていたとは信じがたい。頭が混乱しなかったのかな。まあ緑のランプを見て青信号と思うから慣れの問題なのか。それでもグレーまで青とはちょっとその認識状況が想像できない。青春も暗く憂鬱な日々になってしまうゾ。
ついでに余談。
アオサギの体はグレーでも卵の色は青い!画像はhttp://www.omnh.net/aquapia/2013/03/post_727.htmlから引用
さて白山前橋を渡ると和田堀公園に入る。
食堂&釣り堀の武蔵園、和田堀、大きなゴリラのぬいぐるみのあるお店を、この日は素通り。
そして川縁(かわべり)で見つけたのがこの鳥。
ハッキリとした羽の縁取りと大きな水かき。
これはカワウだと思う。ちなみに鮎を捕まえる鵜飼いに使うのはウミウ。
野球場を過ぎ、公園より立派なサクラがある民家の横を通って、ワンパク広場に出る。
この先には初めて来た1月27日に満開だったウメの木があり、
それがサクラ花見で訪れた4月7日には小さな実をつけていた。
約1ヶ月経って、それがどうなっているか楽しみにしていたのに、
ない、ない、ウメの実がまったくない!
なぜならこのオッサンがウメの実を棒ですべてたたき落としていたから。
私が着いたとき「もうこれで全部落ちたな」なんて言っていた。
大量のウメの実。
手に握っている棒はこの辺に落ちていたものだろうが、
用意周到に袋まで準備して白昼堂々の計画的犯行。
この場合、ここは都立公園でウメの木や実は東京都の財産なので、刑法235条の窃盗罪が成立する。10年以下の懲役又は50万円以下の罰金。落ちている実を拾っても他人の財産には変わりなく遺失物横領罪。またこの棒でウメの木にダメージを与えていたら器物損壊罪。他にも軽犯罪法や条例での処罰規定がある。
とりあえず公園になっている実を採れば犯罪である。どんぐりや松ぼっくりを拾って問題にならないのは、それらが財産的価値を持っていないとの社会的通念があるから。ウメの実やギンナンはそうじゃない。レジ袋一杯に詰められたウメの実は、スーパーで買えば1万円以上する。
もっともこの場に警官が通りかかったとしても、注意くらいはするかも知れないが現行犯として逮捕されることはない。私がこのウメの実泥棒の証拠写真と共に警察に告発してもおそらく受理されない。理由は微罪過ぎるから。
というわけでウメの実泥棒をしてもコイツらには何のお咎めもなし。
これでいいのか日本の社会正義!
ウメの実がなっているところを見たかったのに。
どうかウメの実のバチが当たって、この家族に不幸が訪れますように。
気を取り直してお散歩続行。
いいねやっぱり新緑は。
奈良時代の人はこれも新青といっていた?
済美(せいび)橋で和田堀公園は終了。
そして橋の袂(たもと)にあるのは済美公園。
公園のメインは上の広場で、段々畑のようなのは親水公園的なしつらえ。
水に頭を突っ込んでお食事中。
カモは二羽が一緒にいるケースが多いからカップルで行動しているのかな。
これはコサギ。頭の後ろのは冠羽(かんう)と呼ばれる。2本あるはずだが水に濡れてひっついているように思える。これを振って他のコサギと合図を交わすらしい。
あっ、魚を捕まえた!
こんなのも泳いでいるんだ。
すぐに上を向いて丸呑みしたのでその姿の撮影は間に合わず。
ならば連続写真で狙おうとシャッターの設定を変えてカメラを向けると、
もう満腹になったのか飛び去ってしまった(/o\)
先ほどアオサギの話をしたので、ついでにシラサギも。実はシラサギという鳥はいない。これは白いサギの総称。だからコサギもシラサギ。日本にいるのは主にダイサギ・チュウサギ・コサギつまり大中小の白いサギ。ほかにはカラシラサギなど。
ちなみに鳥ではなく犯罪の世界では
白詐欺:個人を騙す詐欺師
赤詐欺:結婚詐欺、ロマンス詐欺
青詐欺:企業を騙す詐欺師
黒詐欺:詐欺師を騙す詐欺師
と分類されている(^^ゞ 元々は警察の隠語とされるものの、黒詐欺が映画やドラマ以外で実際に存在しているかは知らない。
済美橋から2つ下流にある熊野橋。
その先の紅葉橋との間に鯉のぼりがかけられている。
善福寺公園(善福寺川緑地とは別の公園ね)で鯉のぼりを見たときに書いた、武者幟(絵のぼり)も手すりに吊されている。向きが横になっているのは仕方ないか。
5月3日の善福寺公園のときと違って、この日は風もそこそこあって、気持ちよさそうに鯉のぼりが舞っていた。
紅葉橋の下にミニサイズの鯉のぼりも。
ただし大きい方もそうなのだが、ちょっと色があせているのが残念。特に黒鯉の退色が目立つ。子供が成長して、もう用済みになった鯉のぼりを持っている人がいれば寄付してあげて。
この後は駅まで歩いて5月5日のお散歩は終了。
こどもの日の当日にもまた鯉のぼりを見られて、子供じゃなくてもうれしい。
おしまい
wassho at 21:53|Permalink│Comments(0)│
2024年05月22日
ミドリのもみじ狩り その2
池や東屋の手前にある芝生広場。
奥に見えているのは茶室+休憩所+管理事務所を兼ねた建物。
芝生に竹で作られた見慣れないものがーーー
このような配置で立ち入り禁止のプレートも一緒にあったので、この竹細工もその意味なのだろう。しかしどうして通路に面した位置ではなく芝生の中央部に置いてあるのかが不明。
見上げるともみじの新緑。
でもちょっと木の雰囲気が違う。
名札を見ると右はサワラで左がカエデ。サワラは真っ直ぐに伸び、カエデは横に枝を張るので、パッと見にはもみじばかりに見えたのが違和感の正体。
ところでもみじ関連は言葉がややこしい。
まず植物分類的にモミジとカエデは同じ。どちらもムクロジ科カエデ属。英語では Maple(メイプル)。なおメイプルシロップはメープルシロップとの表記も多い。
モミジは古語の「もみづ」が由来。意味は草木の葉が秋に色づくのを表した動詞。その名詞形が「もみぢ」。それで色づく葉の中で特にに赤くなる品種をモミジと呼ぶようになったとされる。
また学術的ではないものの葉の切れ込みが深いのをモミジ、浅いのをカエデと呼ぶ分類もある。カエデの語源は葉の形が「蛙(カエル)の手」に似ているから。画像はhttps://www.shinrin-ringyou.com/topics/kaede.phpから引用
ついでにイロハモミジ(最も多く見る品種)は葉が7つに切れ込んでいるものが多く、それを七文字であるイロハニホヘトになぞらえてのネーミング。
別の観点でややこしいのが紅葉を「もみじ」とも「こうよう」とも読むこと。さらに黄色く色づくのは黄葉といい、これも「こうよう」と発音するから混乱する。もっとも黄葉はあまり使われず「イチョウが紅葉してきた」なんて表現も多い。私はレッドオータム、イエローオータムと使い分けている。そんな英語は辞書には載っていないが、外人にもたいてい理解してもらえる。
さて黒い屋根瓦があってもどこか洋風なこの建物は、音楽評論家だった大田黒元雄の記念館。ここは彼の死後に自宅が寄付され、周辺の土地と合わせて公園となったところ。ドビュッシーを日本に紹介したともいわれる大田黒元雄(1893年・明治26年〜1979年・昭和54年)については前回訪れたときのブログに書いたから、興味があればご参照を。
ところで大田黒は苗字ぽくないので大田黒公園の名前には人物を感じない。でももし彼が鈴木や佐藤の苗字だったら鈴木公園とかになっていたのかな?
見学自由。
靴を脱がなければいけないので前回はパスしたが今回は入った。
入り口に年譜。
公開されているのは一部屋だけ。ここは自宅の母屋ではなく離れに当たる建物で大田黒の仕事部屋。(母屋は残っていない)
淡いパステルのタイル張りの壁は珍しい。
でもこの部屋にすごく馴染んでいる。
現在の感覚では華奢(きゃしゃ)に見えるピアノは、
スタンウェイ製。1900年に独のハンブルグ工場で製造されたと解説にあった。スタンウェイというとアメリカのピアノのイメージがあるが、創業間もない頃からアメリカとドイツの2本社体制。
ちなみにカエデの木は固いのでピアノにも多く使われている。それがこの公園にカエデが多いのと関係あるかどうかは知らない。
室内にはピアノ演奏が流れていた。しかしその音源はこのショボいラジカセ(/o\) CDとラジオだからCDラジオか。とにかくもう少しいい音でお願いしたい。
30歳前後の頃だろうか。
奥さんは声楽家の広田ちづえ。彼女の情報はネットにはなかった。
彼は100冊近い著作を残している。
ファイルに入っていたのは表紙や目次ばかりで中身を読めなかったのが残念。
蓄音機は蓋を開けておいてくれないと単なる家具(^^ゞ
部屋を別角度から。
この赤い椅子は何のため? 座ってピアノを眺めるの?
記念館を出て再び芝生広場。
記念館方向は逆光で木々が陰になっている。
反対側を向くと目に眩しいもみじの新緑!
それを見上げて眺めていると、
まるで墜落したような飛行機雲があった(^^ゞ
紅葉を見に出かけてミドリのもみじがあるように、
新緑の季節に紅葉しているもみじもある。
新緑もみじとの対比が美しい。
もっともこの紅葉は逆光で光を透かしているからキレイなのであって、
順光で撮ると汚く濁った色(/o\)
そんな種明かしはしないで光あふれる景色を楽しみましょう。
これは本日の魅力が全部詰まった1枚。日差しとそれに照らされてキミドリが色鮮やかなもみじの新緑、オレンジ色に輝いている紅葉、そして青空。
下の方に順光で写っている紅葉もある。同じ方向で撮っているのに順光と逆光が一緒なのが不思議。幹で光が反射しているのか?
新緑なので順光でもミドリもみじはキレイ。
陰になっている部分の柔らかい色合いも魅力的。
そして真逆光だと妖艶ですらある。
紅葉が好きで新緑はもっと大好きな私には、
実に楽しめたミドリのもみじ狩りだった。
もし新緑が好きならもみじを見に行きましょう。
おしまい
奥に見えているのは茶室+休憩所+管理事務所を兼ねた建物。
芝生に竹で作られた見慣れないものがーーー
このような配置で立ち入り禁止のプレートも一緒にあったので、この竹細工もその意味なのだろう。しかしどうして通路に面した位置ではなく芝生の中央部に置いてあるのかが不明。
見上げるともみじの新緑。
でもちょっと木の雰囲気が違う。
名札を見ると右はサワラで左がカエデ。サワラは真っ直ぐに伸び、カエデは横に枝を張るので、パッと見にはもみじばかりに見えたのが違和感の正体。
ところでもみじ関連は言葉がややこしい。
まず植物分類的にモミジとカエデは同じ。どちらもムクロジ科カエデ属。英語では Maple(メイプル)。なおメイプルシロップはメープルシロップとの表記も多い。
モミジは古語の「もみづ」が由来。意味は草木の葉が秋に色づくのを表した動詞。その名詞形が「もみぢ」。それで色づく葉の中で特にに赤くなる品種をモミジと呼ぶようになったとされる。
また学術的ではないものの葉の切れ込みが深いのをモミジ、浅いのをカエデと呼ぶ分類もある。カエデの語源は葉の形が「蛙(カエル)の手」に似ているから。画像はhttps://www.shinrin-ringyou.com/topics/kaede.phpから引用
ついでにイロハモミジ(最も多く見る品種)は葉が7つに切れ込んでいるものが多く、それを七文字であるイロハニホヘトになぞらえてのネーミング。
別の観点でややこしいのが紅葉を「もみじ」とも「こうよう」とも読むこと。さらに黄色く色づくのは黄葉といい、これも「こうよう」と発音するから混乱する。もっとも黄葉はあまり使われず「イチョウが紅葉してきた」なんて表現も多い。私はレッドオータム、イエローオータムと使い分けている。そんな英語は辞書には載っていないが、外人にもたいてい理解してもらえる。
さて黒い屋根瓦があってもどこか洋風なこの建物は、音楽評論家だった大田黒元雄の記念館。ここは彼の死後に自宅が寄付され、周辺の土地と合わせて公園となったところ。ドビュッシーを日本に紹介したともいわれる大田黒元雄(1893年・明治26年〜1979年・昭和54年)については前回訪れたときのブログに書いたから、興味があればご参照を。
ところで大田黒は苗字ぽくないので大田黒公園の名前には人物を感じない。でももし彼が鈴木や佐藤の苗字だったら鈴木公園とかになっていたのかな?
見学自由。
靴を脱がなければいけないので前回はパスしたが今回は入った。
入り口に年譜。
公開されているのは一部屋だけ。ここは自宅の母屋ではなく離れに当たる建物で大田黒の仕事部屋。(母屋は残っていない)
淡いパステルのタイル張りの壁は珍しい。
でもこの部屋にすごく馴染んでいる。
現在の感覚では華奢(きゃしゃ)に見えるピアノは、
スタンウェイ製。1900年に独のハンブルグ工場で製造されたと解説にあった。スタンウェイというとアメリカのピアノのイメージがあるが、創業間もない頃からアメリカとドイツの2本社体制。
ちなみにカエデの木は固いのでピアノにも多く使われている。それがこの公園にカエデが多いのと関係あるかどうかは知らない。
室内にはピアノ演奏が流れていた。しかしその音源はこのショボいラジカセ(/o\) CDとラジオだからCDラジオか。とにかくもう少しいい音でお願いしたい。
30歳前後の頃だろうか。
奥さんは声楽家の広田ちづえ。彼女の情報はネットにはなかった。
彼は100冊近い著作を残している。
ファイルに入っていたのは表紙や目次ばかりで中身を読めなかったのが残念。
蓄音機は蓋を開けておいてくれないと単なる家具(^^ゞ
部屋を別角度から。
この赤い椅子は何のため? 座ってピアノを眺めるの?
記念館を出て再び芝生広場。
記念館方向は逆光で木々が陰になっている。
反対側を向くと目に眩しいもみじの新緑!
それを見上げて眺めていると、
まるで墜落したような飛行機雲があった(^^ゞ
紅葉を見に出かけてミドリのもみじがあるように、
新緑の季節に紅葉しているもみじもある。
新緑もみじとの対比が美しい。
もっともこの紅葉は逆光で光を透かしているからキレイなのであって、
順光で撮ると汚く濁った色(/o\)
そんな種明かしはしないで光あふれる景色を楽しみましょう。
これは本日の魅力が全部詰まった1枚。日差しとそれに照らされてキミドリが色鮮やかなもみじの新緑、オレンジ色に輝いている紅葉、そして青空。
下の方に順光で写っている紅葉もある。同じ方向で撮っているのに順光と逆光が一緒なのが不思議。幹で光が反射しているのか?
新緑なので順光でもミドリもみじはキレイ。
陰になっている部分の柔らかい色合いも魅力的。
そして真逆光だと妖艶ですらある。
紅葉が好きで新緑はもっと大好きな私には、
実に楽しめたミドリのもみじ狩りだった。
もし新緑が好きならもみじを見に行きましょう。
おしまい
wassho at 21:25|Permalink│Comments(0)│
2024年05月20日
ミドリのもみじ狩り
もうあまり使われなくなった言葉だが、もみじ狩りといえば赤く色づいたもみじを見に行く行楽。温暖化の影響で東京では12月になってからなので、秋の風物詩とはいえなくなったものの、毎シーズンどこかに出かけて楽しんでいる。
それでへそ曲がりの私は、
紅葉に中にあるミドリのもみじを愛でるのも趣味(^^ゞ
今までにこんなこともブログに書いてきた。
だったら新緑の最も美しい季節に、ミドリのもみじを見に行ったらどうだと思いつく。どこかで新緑のもみじを見た人はたくさんいるとしても、わざわざミドリのもみじ狩りに出かけるなんて日本人の1%の1%もいないだろう。我ながら面白い企画ではとほくそ笑む。
ではどこへ見に行くか。自由が丘の九品仏や芝公園のもみじ谷は紅葉スポットとして気に入ってはいても、日常生活圏と被っていてゴールデンウィーク的にはつまらない。でもあまり遠くへも行きたくない。そこで選んだのが2021年に紅葉を見て、その庭園的な造りが印象的だった杉並区にある大田黒公園。訪れたのは5月5日。
地下鉄丸ノ内線の荻窪駅で下車。
右側に見える線路はJRの中央線。
この商店街に入って1本目を、
左に曲がる。
何となく道順は覚えていた。
しばらく進むと道案内看板。
大田黒公園なんて昔からあるのに何を書き換えたんだろう。
住宅地を進み、
この道路に突き当たったら、
もう写真中央に入り口が見えている。
大田黒公園に到着。
駅からは7〜8分の距離。
正門をくぐると70メートルほどある樹齢100年を超えるイチョウ並木。
前回に来たときは見事なイエローオータムだった。
イチョウ並木を過ぎると檜皮葺(ひわだぶき)の中門。
そしてこんな風景が広がっている。
公園と名前が付いていても雰囲気は庭園。日本語的に公園はそこで遊んだりスポーツしたり、また休憩も含めて活動が目的。対して庭園は人が造りあげた庭を鑑賞するところ。いわば「する」と「見る」の違い。国立公園などはまた話が違ってくるが長くなるので割愛。なお公園 > 庭園(正確には数学記号の ⊃ )とされているので公園と名乗っても間違いじゃない。
水路の先は池になっていて東屋(あずまや)がある。
ちなみに庭園などによくある東屋とは屋根と柱だけの建物。平安時代?は都(京都)より東の地域を東(あずま)=田舎と呼んでバカにしていた。和歌に出てくる東人(あずまびと)は田舎者や野蛮人の扱い。なので東屋とは「田舎風の粗末な家」が元来の意味。東国でも家に壁はあったと思うけれど。それにしても差別用語だったものが、いつの間にか風流を感じるようになるから言葉は面白い。最近は逆の場合も多いが。
ところで大田黒公園は杉並区立の公園なのに、区のホームページに案合図などがないのがちょっとケシカラン。とりあえず航空写真で。
池には大きな錦鯉が多数。
黄金色のもいた。
さてミドリのもみじはここまでの写真にも写っているけれど、
改めてご紹介。
もみじの新緑は実に美しい。
一部が光に照らされていたり、
浮かんでいるように見えるのも素敵。
日が当たっているのと陰になっているもみじのミックス。
そしてお約束の逆光写真。
ウ〜ンたまりません。
とりあえずミドリのもみじ狩り企画は大当たり。
ーーー続く
それでへそ曲がりの私は、
紅葉に中にあるミドリのもみじを愛でるのも趣味(^^ゞ
今までにこんなこともブログに書いてきた。
だったら新緑の最も美しい季節に、ミドリのもみじを見に行ったらどうだと思いつく。どこかで新緑のもみじを見た人はたくさんいるとしても、わざわざミドリのもみじ狩りに出かけるなんて日本人の1%の1%もいないだろう。我ながら面白い企画ではとほくそ笑む。
ではどこへ見に行くか。自由が丘の九品仏や芝公園のもみじ谷は紅葉スポットとして気に入ってはいても、日常生活圏と被っていてゴールデンウィーク的にはつまらない。でもあまり遠くへも行きたくない。そこで選んだのが2021年に紅葉を見て、その庭園的な造りが印象的だった杉並区にある大田黒公園。訪れたのは5月5日。
地下鉄丸ノ内線の荻窪駅で下車。
右側に見える線路はJRの中央線。
この商店街に入って1本目を、
左に曲がる。
何となく道順は覚えていた。
しばらく進むと道案内看板。
大田黒公園なんて昔からあるのに何を書き換えたんだろう。
住宅地を進み、
この道路に突き当たったら、
もう写真中央に入り口が見えている。
大田黒公園に到着。
駅からは7〜8分の距離。
正門をくぐると70メートルほどある樹齢100年を超えるイチョウ並木。
前回に来たときは見事なイエローオータムだった。
イチョウ並木を過ぎると檜皮葺(ひわだぶき)の中門。
そしてこんな風景が広がっている。
公園と名前が付いていても雰囲気は庭園。日本語的に公園はそこで遊んだりスポーツしたり、また休憩も含めて活動が目的。対して庭園は人が造りあげた庭を鑑賞するところ。いわば「する」と「見る」の違い。国立公園などはまた話が違ってくるが長くなるので割愛。なお公園 > 庭園(正確には数学記号の ⊃ )とされているので公園と名乗っても間違いじゃない。
水路の先は池になっていて東屋(あずまや)がある。
ちなみに庭園などによくある東屋とは屋根と柱だけの建物。平安時代?は都(京都)より東の地域を東(あずま)=田舎と呼んでバカにしていた。和歌に出てくる東人(あずまびと)は田舎者や野蛮人の扱い。なので東屋とは「田舎風の粗末な家」が元来の意味。東国でも家に壁はあったと思うけれど。それにしても差別用語だったものが、いつの間にか風流を感じるようになるから言葉は面白い。最近は逆の場合も多いが。
ところで大田黒公園は杉並区立の公園なのに、区のホームページに案合図などがないのがちょっとケシカラン。とりあえず航空写真で。
池には大きな錦鯉が多数。
黄金色のもいた。
さてミドリのもみじはここまでの写真にも写っているけれど、
改めてご紹介。
もみじの新緑は実に美しい。
一部が光に照らされていたり、
浮かんでいるように見えるのも素敵。
日が当たっているのと陰になっているもみじのミックス。
そしてお約束の逆光写真。
ウ〜ンたまりません。
とりあえずミドリのもみじ狩り企画は大当たり。
ーーー続く
wassho at 23:33|Permalink│Comments(0)│
2024年05月18日
井の頭公園を通り抜け
練馬駅前の平成つつじ公園から善福寺公園を経て、5月3日の「ゴールデンウィークちょっと長めのお散歩コース」の最終目的地は井の頭公園。
ここは東京以外でも全国的に知名度が高く、多くの人が名前くらいは聞いた記憶のある公園ではないかと思う。名前が印象的なのとサクラの名所としてよくニュースでも報じられるからだろう。
面積は開園面積として約42.8ヘクタールとある。ただし、この開園面積の定義が調べてもはっきりしない。東京都建設局の資料によると井の頭公園とは
井の頭公園:40.13ヘクタール
井の頭第二公園:1.60ヘクタール
玉川上水緑地:9.5ヘクタール
の総称。
この合計は51.23ヘクタールとなる。しかし同じ資料に開園面積として約42.8ヘクタールと記載されている。51.23 − 42.8 = 8.43ヘクタールはどこへ行った? 語感から常識的な判断をすると総敷地面積に対し公園として整備開園済みの面積になるけれど、資料には「計画区域外を含む場合がある」などと書かれていて意味がよくわからない。求む用語集。
細かなことはさておいて、42.8ヘクタールのうち動物園が11.5ヘクタールで27%を占める。これは上野公園が全体で53.8ヘクタール、動物園は14ヘクタールで26%だから比率としては同じようなもの。ただしパンダで全国的に有名な上野動物園と違って、井の頭の動物園は東京でもあまり存在感がない。ライオン、トラ、キリン、象、カバなど子供に人気の動物はおらず地味な動物園である。
また井の頭公園といえば半分くらいは池の印象があるものの、池の面積は4.2ヘクタールで1割ほどに過ぎない。もっとも上の航空写真で公園の形を「少し傾いた大の字」だとすれば、右に払っている部分が公園のメインエリア。そこだけ見れば「半分くらいは池」ではある。
ところで井の頭公園は「がしら」ではなく「いのかしら」と「か」が濁らない。これは公園だけではなく、このあたりの井の頭と付く名前はすべて「いのかしら」。でも「いのがしら」と発音する人のほうが圧倒的に多い。ここの近く、あるいは渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線沿線に住んでいる人を除けばほとんどがそうじゃないかな。シロガネーゼの白金が実は「しろかね」だと知っている人が少ないのと同じ。
ふたつの語が結びついて、後ろのカ行、サ行、タ行、ハ行で始まる音が濁るのを連濁という。いちおう「和語なら連濁する」「漢語や外来語なら連濁しない」との法則があるとはいえ、例外だらけなので結局は個別に調べるしかない。日本語は難しすぎるね。
さて吉祥寺通りからそれる脇道を進むと、
井の頭公園に到着。吉祥寺駅からだと多くの人がここを利用するのに、公園の規模と較べてずいぶんと小さな出入り口である。
とりあえず池に沿って右方向に進む。
井の頭公園に来るのはウン十年ぶり。
この橋の右下にあるのが、
お茶の水と呼ばれる湧き水。
この看板では家康のエピソードが記されているが、さらに3代将軍家光が「ここが井戸では一番素晴らしい」として「井之頭」と名付けたとする説もある。1970年代までは水が湧き出ていたそうだ。なお千代田区神田のお茶の水はその付近の寺の湧き水を、2代将軍秀忠の茶の湯用に献上したのが地名の由来。なにかと徳川家つながりなお茶の水という言葉。
ちなみに文京区大塚にある国立のお茶の水女子大学は、創立が(神田の)お茶の水で1932年(昭和7年)に移転。また鉄腕アトムのお茶の水博士はお茶の水駅からのネーミング。ただしその理由はわからなかった。アトムを描いていた頃に手塚治虫が住んでいたのは豊島区のトキワ荘。でもお茶の水から神田にかけては出版社が多いので馴染みがあったのかな。またアトムもお茶の水小学校に通っていた。アトム連載当時は架空の小学校だったのに、少子化のため1993年(平成5年)に3つの小学校を統廃合して、新たにお茶の水小学校ができたとちょっと寂しい歴史の流れ。
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
木々を抜けて明るい通路に出る。
ジブリ美術館コッチの看板。
でも750メートル先だからけっこう遠い。
そして見えてくるのが弁財天。
創建は天慶年間(938年〜947年)に源経基(つねもと)によると伝えられ、1197年に源頼朝が宮社を建立、鎌倉末期に焼失、3代将軍家光が再興したなどとされる。現在のお堂は関東大震災(1923年 大正12年)で損壊してから1928年(昭和3年)に再建されたもの。
弁財天の近くに噴水。
噴水といえばお約束の高速シャッタースピード。でも距離が離れているのでいつものように水しぶきが止まっているようにはならなかった。写真を拡大すれば多少の違いはわかる。
<オート設定 シャッタースピード1/200秒>
<マニュアル設定 シャッタースピード1/2000秒>
池を回り込んで弁天堂を正面から。
弁天橋と名付けられた橋で池を渡り歩ける。
それにしても新緑の美しさよ。
池の右岸(下流に向かって右)を進んで、
狛江橋で池に突き出した半島のような所に来ると、
自然文化園のチケット売り場がある。
自然文化園とは聞き慣れないが、写真の英語表記を見てわかるように動物園のこと。開園は1942年(昭和17年)。上野動物園に匹敵する動物園が構想されたものの、戦時中で予算と物資が不足して大型動物を集められず、そこで「自然生態観察園」とのコンセプトになったのがネーミングの由来。
こちらの半島部分は水生物園、吉祥寺通りの向こう側に(普通の)動物園と区画が分けられている。水生物とは魚類、両生類、昆虫、植物など淡水の水辺の生き物。また水鳥も展示されているので甲高い鳴き声があたりに響いていた。
水生物園の向かいはボート乗り場。
昔から井の頭公園でデートをしてボートに乗ると、そのカップルは別れるとのジンクスがまことしやかにささやかれている。私の経験に照らし合わせるとそれは事実である(^^ゞ
新緑を満喫しながら歩く。
池の左岸に渡ってしばらく進むと、
キッチンカーが出ているエリアに。
さらに先には手作りアクセサリーなどを販売している露店。
昔から井の頭公園は露店と、大道芸やストリートミュージックなどのパフォーマンスが盛んだった。しかし何かと混乱してきたので2007年から出展者・出演者と行政が取り決めを結んだ「井の頭公園アートマーケッツ」として運営されている。
井の頭公園アートマーケッツは「手作りアート作品」と「パフォーマンス」のマーケットと定義されていて物販は手作りの作品限定。だから古着や中古品・アンティークなど単なる販売は禁止。ちょっとやり過ぎでフリーマーケットのようなわくわく感に欠ける。集まっている人の年齢層も高め。パフォーマンスは公園内の何カ所かで場所が指定されている。今回は上演しているときに通りかからなかった。
この日に訪れた平成つつじ公園と善福寺公園と違って、井の頭公園は特に目的もなく久しく訪れていなかったから寄り道しただけ。本日の園内散策コースはこんな感じ。今までも池の周りしか来たことがないから、そのうち園内をくまなく歩いてみたい。
ここはもう井の頭公園駅の手前。
青いのは井の頭線の線路。
なぜかこの光景にものすごく心惹かれる。
吸い込まれるように線路の下をくぐってみたけれど、
特に何もなかった(^^ゞ
左下にチラッと写っている水面は井の頭池から流れ出た水。つまりここが神田川の最上流部にあたるわけで、善福寺川に続いて本日2つ目の源流ゲット!
さあ井の頭線に乗って帰りましょう。
ホームに降りると無情にも電車が発車した後。
ちょっとローカル線ぽい雰囲気もあるホームで次の電車を待つ。
「いのかしら」ですよ。
自宅に戻ってみると2万歩越え。
歩数はスマホのセンサーによる計測だが、距離はどう判断しているのか不明で信頼できない。とうやらGPSでは測っていないようだし歩幅もスマホに登録していない。
2022年の1月から日常生活以外に週に3回、合計で3万歩の散歩ノルマを課している。大体1回に1万3000歩前後を歩くことが多い。その甲斐あって現在は至って健脚。でも2万歩を超えるとちょっと疲れる。
とりあえずお疲れ様自分だった5月3日。
よく歩きいろいろ見て楽しいゴールデンウィークでした。
おしまい
ここは東京以外でも全国的に知名度が高く、多くの人が名前くらいは聞いた記憶のある公園ではないかと思う。名前が印象的なのとサクラの名所としてよくニュースでも報じられるからだろう。
面積は開園面積として約42.8ヘクタールとある。ただし、この開園面積の定義が調べてもはっきりしない。東京都建設局の資料によると井の頭公園とは
井の頭公園:40.13ヘクタール
井の頭第二公園:1.60ヘクタール
玉川上水緑地:9.5ヘクタール
の総称。
この合計は51.23ヘクタールとなる。しかし同じ資料に開園面積として約42.8ヘクタールと記載されている。51.23 − 42.8 = 8.43ヘクタールはどこへ行った? 語感から常識的な判断をすると総敷地面積に対し公園として整備開園済みの面積になるけれど、資料には「計画区域外を含む場合がある」などと書かれていて意味がよくわからない。求む用語集。
細かなことはさておいて、42.8ヘクタールのうち動物園が11.5ヘクタールで27%を占める。これは上野公園が全体で53.8ヘクタール、動物園は14ヘクタールで26%だから比率としては同じようなもの。ただしパンダで全国的に有名な上野動物園と違って、井の頭の動物園は東京でもあまり存在感がない。ライオン、トラ、キリン、象、カバなど子供に人気の動物はおらず地味な動物園である。
また井の頭公園といえば半分くらいは池の印象があるものの、池の面積は4.2ヘクタールで1割ほどに過ぎない。もっとも上の航空写真で公園の形を「少し傾いた大の字」だとすれば、右に払っている部分が公園のメインエリア。そこだけ見れば「半分くらいは池」ではある。
ところで井の頭公園は「がしら」ではなく「いのかしら」と「か」が濁らない。これは公園だけではなく、このあたりの井の頭と付く名前はすべて「いのかしら」。でも「いのがしら」と発音する人のほうが圧倒的に多い。ここの近く、あるいは渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線沿線に住んでいる人を除けばほとんどがそうじゃないかな。シロガネーゼの白金が実は「しろかね」だと知っている人が少ないのと同じ。
ふたつの語が結びついて、後ろのカ行、サ行、タ行、ハ行で始まる音が濁るのを連濁という。いちおう「和語なら連濁する」「漢語や外来語なら連濁しない」との法則があるとはいえ、例外だらけなので結局は個別に調べるしかない。日本語は難しすぎるね。
さて吉祥寺通りからそれる脇道を進むと、
井の頭公園に到着。吉祥寺駅からだと多くの人がここを利用するのに、公園の規模と較べてずいぶんと小さな出入り口である。
とりあえず池に沿って右方向に進む。
井の頭公園に来るのはウン十年ぶり。
この橋の右下にあるのが、
お茶の水と呼ばれる湧き水。
この看板では家康のエピソードが記されているが、さらに3代将軍家光が「ここが井戸では一番素晴らしい」として「井之頭」と名付けたとする説もある。1970年代までは水が湧き出ていたそうだ。なお千代田区神田のお茶の水はその付近の寺の湧き水を、2代将軍秀忠の茶の湯用に献上したのが地名の由来。なにかと徳川家つながりなお茶の水という言葉。
ちなみに文京区大塚にある国立のお茶の水女子大学は、創立が(神田の)お茶の水で1932年(昭和7年)に移転。また鉄腕アトムのお茶の水博士はお茶の水駅からのネーミング。ただしその理由はわからなかった。アトムを描いていた頃に手塚治虫が住んでいたのは豊島区のトキワ荘。でもお茶の水から神田にかけては出版社が多いので馴染みがあったのかな。またアトムもお茶の水小学校に通っていた。アトム連載当時は架空の小学校だったのに、少子化のため1993年(平成5年)に3つの小学校を統廃合して、新たにお茶の水小学校ができたとちょっと寂しい歴史の流れ。
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
木々を抜けて明るい通路に出る。
ジブリ美術館コッチの看板。
でも750メートル先だからけっこう遠い。
そして見えてくるのが弁財天。
創建は天慶年間(938年〜947年)に源経基(つねもと)によると伝えられ、1197年に源頼朝が宮社を建立、鎌倉末期に焼失、3代将軍家光が再興したなどとされる。現在のお堂は関東大震災(1923年 大正12年)で損壊してから1928年(昭和3年)に再建されたもの。
弁財天の近くに噴水。
噴水といえばお約束の高速シャッタースピード。でも距離が離れているのでいつものように水しぶきが止まっているようにはならなかった。写真を拡大すれば多少の違いはわかる。
<オート設定 シャッタースピード1/200秒>
<マニュアル設定 シャッタースピード1/2000秒>
池を回り込んで弁天堂を正面から。
弁天橋と名付けられた橋で池を渡り歩ける。
それにしても新緑の美しさよ。
池の右岸(下流に向かって右)を進んで、
狛江橋で池に突き出した半島のような所に来ると、
自然文化園のチケット売り場がある。
自然文化園とは聞き慣れないが、写真の英語表記を見てわかるように動物園のこと。開園は1942年(昭和17年)。上野動物園に匹敵する動物園が構想されたものの、戦時中で予算と物資が不足して大型動物を集められず、そこで「自然生態観察園」とのコンセプトになったのがネーミングの由来。
こちらの半島部分は水生物園、吉祥寺通りの向こう側に(普通の)動物園と区画が分けられている。水生物とは魚類、両生類、昆虫、植物など淡水の水辺の生き物。また水鳥も展示されているので甲高い鳴き声があたりに響いていた。
水生物園の向かいはボート乗り場。
昔から井の頭公園でデートをしてボートに乗ると、そのカップルは別れるとのジンクスがまことしやかにささやかれている。私の経験に照らし合わせるとそれは事実である(^^ゞ
新緑を満喫しながら歩く。
池の左岸に渡ってしばらく進むと、
キッチンカーが出ているエリアに。
さらに先には手作りアクセサリーなどを販売している露店。
昔から井の頭公園は露店と、大道芸やストリートミュージックなどのパフォーマンスが盛んだった。しかし何かと混乱してきたので2007年から出展者・出演者と行政が取り決めを結んだ「井の頭公園アートマーケッツ」として運営されている。
井の頭公園アートマーケッツは「手作りアート作品」と「パフォーマンス」のマーケットと定義されていて物販は手作りの作品限定。だから古着や中古品・アンティークなど単なる販売は禁止。ちょっとやり過ぎでフリーマーケットのようなわくわく感に欠ける。集まっている人の年齢層も高め。パフォーマンスは公園内の何カ所かで場所が指定されている。今回は上演しているときに通りかからなかった。
この日に訪れた平成つつじ公園と善福寺公園と違って、井の頭公園は特に目的もなく久しく訪れていなかったから寄り道しただけ。本日の園内散策コースはこんな感じ。今までも池の周りしか来たことがないから、そのうち園内をくまなく歩いてみたい。
ここはもう井の頭公園駅の手前。
青いのは井の頭線の線路。
なぜかこの光景にものすごく心惹かれる。
吸い込まれるように線路の下をくぐってみたけれど、
特に何もなかった(^^ゞ
左下にチラッと写っている水面は井の頭池から流れ出た水。つまりここが神田川の最上流部にあたるわけで、善福寺川に続いて本日2つ目の源流ゲット!
さあ井の頭線に乗って帰りましょう。
ホームに降りると無情にも電車が発車した後。
ちょっとローカル線ぽい雰囲気もあるホームで次の電車を待つ。
「いのかしら」ですよ。
自宅に戻ってみると2万歩越え。
歩数はスマホのセンサーによる計測だが、距離はどう判断しているのか不明で信頼できない。とうやらGPSでは測っていないようだし歩幅もスマホに登録していない。
2022年の1月から日常生活以外に週に3回、合計で3万歩の散歩ノルマを課している。大体1回に1万3000歩前後を歩くことが多い。その甲斐あって現在は至って健脚。でも2万歩を超えるとちょっと疲れる。
とりあえずお疲れ様自分だった5月3日。
よく歩きいろいろ見て楽しいゴールデンウィークでした。
おしまい
wassho at 20:40|Permalink│Comments(0)│
2024年05月16日
善福寺公園でスイレン
善福寺公園は上の池エリアと下の池エリアが道路で隔てられている。
上の池で鯉のぼりを楽しんだ後は信号を渡って下の池へ。
小学4年生の屋外アートが展示されていた。
こんな雰囲気でまあまあ面白かった。
それぞれの板は塗り絵レベルで特に価値や意味があるわけじゃない。しかしそのカラフルな人を模した形が、森のようになっている空間にあるのがこの作品のキモ。だから何だ?と考え出すと人生を楽しめないよ(^^ゞ 小学4年生でこんな体験をしたなんてうらやましい。
木々をを抜けて遊具のある広場へ。この公園には近所の人しか来ていないようで、ゴールデンウィークど真ん中の5月3日なのに閑散とした印象。
新緑で目を喜ばせながら下の池の左岸を歩く。
下の池でのお目当てはこれ。
スイレン!
カメラだとズームしているけれど、
肉眼では花までの距離がちょっと遠い。
場所を移動してスイレンに近づく。
スイレンをたくさん見るのは久しぶり。
ハスの名所はたくさんあってもスイレンは少ない。
スイレンの花は文句なく美しくまた気品もある。
ただしアップで撮ると水面が何かと汚いのが写真的には困りもの。
なおこの日はこの色のスイレンしか咲いていなかった。
最初に眺めていた方角を向いて。
スイレンのエリアはそこそこの広さ。今はまだ咲き始めでもうすぐ花数が増えてくるだろう。スイレンとアジサイはだいたい同じ頃に見頃を迎える。そしてアジサイと違ってスイレンは9月頃までと開花時期が長い。もうしばらくしてからまた見に来ましょう。
スイレンが咲いているのは下の池の一番下流。池なのに下流とはおかしな表現だが、スイレンに面したこの堰から水が流れ出て善福寺川がスタート。言い換えれば善福寺川の最も上流地点がここ。
さらに新緑を眺めながら池の右岸をブラブラ。
下の池を一周して、遊具のある所まで戻ってきた。
少し引き返して善福寺公園を出る。
まだまだ歩けたので予定通り井の頭公園までお散歩続行。
バイクで走ると気持ちそさそうなカーブ。
この変わった建物は、
東京女子大学。
ゴールデンウィークなので学生の人影がなく残念(^^ゞ
杉並区から武蔵野市に。
住宅地の路地を抜けると、
吉祥寺駅の北側に出る。
駅から延びている吉祥寺大通り。
奥の信号で人が渡っているのが、吉祥寺大通りと平行するサンロード商店街。
駅が見えてきた。
ここまで善福寺公園を出てから25分ほど。
駅南側の飲食店街。
すごく人が多く見えるものの、これは手前からズームレンズの望遠側で撮った写真。いわゆる望遠レンズによる圧縮効果。
こちらはほぼ同じ場所を普通に撮ったもので、実際はこれくらいの混雑。
写真ってけっこう嘘をつくのよ。
この看板を探せば上の2枚がほぼ同じ場所だとわかるはず。
井の頭通りに出て吉祥寺通りとの交差点。
公園を示す標識の矢印がヘンな方向を指しているが、
井の頭公園へは吉祥寺通りに沿って左折する。
だいたいこの矢印の方向に道路はないからナゾの標識。
交差点から100mほど歩くと井の頭公園の入り口に通ずる坂道が現れる。
ーーー続く
wassho at 21:06|Permalink│Comments(0)│
2024年05月14日
善福寺公園で鯉のぼり
5月3日にツツジがまったく終了していた練馬の平成つつじ公園を10分ほど見て回ってから、次にやってきたのは善福寺公園。開園は1961年(昭和36年)。同じく善福寺川沿いにある善福寺川緑地や和田堀公園が1964年だから少し早い。
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
wassho at 21:18|Permalink│Comments(0)│
2024年05月08日
玉敷公園のフジ その3&よさこい
最初に見た藤棚と、隣にあるステージと芝生広場。
ここでヨサコイをやるとアナウンスがあった。
そのメンバーたちが準備中。
芝生広場の反対側の藤棚を眺める。
ここのフジは最初に見た藤棚や大藤と較べてかなり短い。
ヨサコイが始まった。
最初に「まず2曲踊ります、その後、踊り子さんがしばらく休憩します」とアナウンスが流れる。踊り子さんーーーと「さん」をつけると何かヘンな感じ(^^ゞ
小さな女の子が一生懸命に旗を振っていて可愛い。
しかし人数が少なかったのと、ヨサコイはド派手な衣装と思っていたから、ちょっとイメージと違った。いわゆる創作ダンスを見たような印象。画像はグーグルの検索画面
ところでヨサコイとはよく耳にするのに、
イマイチ意味を理解していなかったので調べてみた。
大きくはヨサコイとYOSAKOIソーランに分かれる。
まずはよさこい。平仮名だと文章の中で読みにくいので、片仮名でヨサコイと書いてきたが「よさこい」が正しい表記。
これは高知の「よさこい祭り」が発祥。
1954年(昭和29年)に徳島の阿波踊りに対抗する商工会議所の企画として始まった。
鳴子(なるこ)と呼ばれる、
振るとカチャカチャと音の出る道具を使うのが特徴だが、
当初は盆踊り的だった模様。鳴子のことを知らなければファッション的にも阿波踊りと見分けが付かない。写真は1959年(昭和34年)の撮影。画像はhttps://story.nakagawa-masashichi.jp/103441から引用
1971年(昭和46年)にニース(フランス)のカーニバルに参加招待さる。この時に同じく招待されていた新潟の「佐渡おけさ」、山形の「花笠踊り」などと差別化するためにサンバ調のリズムに変更された。
その作戦が功を奏し現地では大受け。
国内でもニュースになる。
それをきっかけにロックその他の音楽を取り入れたり、
ダンスとしての振り付けが行われるようになる。
そして平成になって大きな転機。
北海道の大学生が高知でよさこい祭りを見て感動。この光景を北海道でもと企画立案し、1992年(平成4年)に高知の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」を10チーム・1000名で開催する。
その学生とは飛行機内でのCAへの横柄な態度を吉幾三に暴露され、それがきっかけで札幌市職員に対するパワハラも発覚して絶賛炎上した長谷川岳参議院議員だったというからビックリ。ヨサコイの第二の生みの親だったのに、いつから天狗になったんや長谷川ちゃん(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
北海道でのYOSAKOIソーラン祭り成功をきっかけにヨサコイは全国に広まり、1999年(平成11年)には高知で「よさこい全国大会」が開催されるまでに。現在は全国で800以上のよさこいイベントが開催されているともいわれる。
高知・北海道・それ以外を区別するために
高知:よさこい
北海道:ソーラン
それ以外:よさこいソーラン
と呼び分けたりもする。
この日のイベントでも「よさこいソーラン」と紹介されていた。
でも一般的には単に「よさこい」と呼んでいるような気がするな。
ヨサコイの基本ルールはシンプル。発祥の高知ではまず鳴子を持って踊ること。また曲のどこかに「よさこい鳴子踊り」の一部を取り入れるの2つだけ。「よさこい鳴子踊り」は民謡「よさこい節」をベースに初期のよさこい祭りのために作られた曲。
それが北海道では「ソーラン節」に変えられ、それに倣って各地ではそれぞれの地元民謡などを取り入れている。なお北海道でも鳴子は持つが鳴らさないことも多い。この日のメンバーは鳴子を持っていなかった。
大きな違いは高知では踊りながらのパレードなのに対して、北海道ではステージでのダンス披露が基本となる。これは雪の降る北海道では冬の練習が屋内だからそうなったらしい。
ちなみに「よさこい」とは「夜さり来い→夜さ来い=夜にいらっしゃい」の古語が変化した言葉。ただしどうして「夜にいらっしゃい」というのかは解説が見つからなかった。
いろいろ調べていたら見たくなってきちゃった(^^ゞ
東京でも夏に原宿や池袋であるみたいなので出かけてみようか。
さてミニよさこいを見た後は公園内をまたひと回り。
フジの新緑もなかなかキレイ。
フジの花は小さいし風で揺れるのでアップでは撮りにくい。
なおかつその形はたいして美しくもない(^^ゞ
やはりフジは香ってナンボの世界。
もう10日経つのに、
まだ鼻の奥に甘い香りの記憶が残っている。
玉敷公園は想像していた以上にいい藤棚だった。
藤棚は旧河野邸を含め大小合わせて6つ。
そしてこの規模が無料なのも初めてだし素晴らしい。
都内からだと遠いけれど、フジ好きなら訪れる価値があるのは保証するよ。
おしまい
<補足>
この日は4月なのに30度超えの真夏日!
ここでヨサコイをやるとアナウンスがあった。
そのメンバーたちが準備中。
芝生広場の反対側の藤棚を眺める。
ここのフジは最初に見た藤棚や大藤と較べてかなり短い。
ヨサコイが始まった。
最初に「まず2曲踊ります、その後、踊り子さんがしばらく休憩します」とアナウンスが流れる。踊り子さんーーーと「さん」をつけると何かヘンな感じ(^^ゞ
小さな女の子が一生懸命に旗を振っていて可愛い。
しかし人数が少なかったのと、ヨサコイはド派手な衣装と思っていたから、ちょっとイメージと違った。いわゆる創作ダンスを見たような印象。画像はグーグルの検索画面
ところでヨサコイとはよく耳にするのに、
イマイチ意味を理解していなかったので調べてみた。
大きくはヨサコイとYOSAKOIソーランに分かれる。
まずはよさこい。平仮名だと文章の中で読みにくいので、片仮名でヨサコイと書いてきたが「よさこい」が正しい表記。
これは高知の「よさこい祭り」が発祥。
1954年(昭和29年)に徳島の阿波踊りに対抗する商工会議所の企画として始まった。
鳴子(なるこ)と呼ばれる、
振るとカチャカチャと音の出る道具を使うのが特徴だが、
当初は盆踊り的だった模様。鳴子のことを知らなければファッション的にも阿波踊りと見分けが付かない。写真は1959年(昭和34年)の撮影。画像はhttps://story.nakagawa-masashichi.jp/103441から引用
1971年(昭和46年)にニース(フランス)のカーニバルに参加招待さる。この時に同じく招待されていた新潟の「佐渡おけさ」、山形の「花笠踊り」などと差別化するためにサンバ調のリズムに変更された。
その作戦が功を奏し現地では大受け。
国内でもニュースになる。
それをきっかけにロックその他の音楽を取り入れたり、
ダンスとしての振り付けが行われるようになる。
そして平成になって大きな転機。
北海道の大学生が高知でよさこい祭りを見て感動。この光景を北海道でもと企画立案し、1992年(平成4年)に高知の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」を10チーム・1000名で開催する。
その学生とは飛行機内でのCAへの横柄な態度を吉幾三に暴露され、それがきっかけで札幌市職員に対するパワハラも発覚して絶賛炎上した長谷川岳参議院議員だったというからビックリ。ヨサコイの第二の生みの親だったのに、いつから天狗になったんや長谷川ちゃん(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
北海道でのYOSAKOIソーラン祭り成功をきっかけにヨサコイは全国に広まり、1999年(平成11年)には高知で「よさこい全国大会」が開催されるまでに。現在は全国で800以上のよさこいイベントが開催されているともいわれる。
高知・北海道・それ以外を区別するために
高知:よさこい
北海道:ソーラン
それ以外:よさこいソーラン
と呼び分けたりもする。
この日のイベントでも「よさこいソーラン」と紹介されていた。
でも一般的には単に「よさこい」と呼んでいるような気がするな。
ヨサコイの基本ルールはシンプル。発祥の高知ではまず鳴子を持って踊ること。また曲のどこかに「よさこい鳴子踊り」の一部を取り入れるの2つだけ。「よさこい鳴子踊り」は民謡「よさこい節」をベースに初期のよさこい祭りのために作られた曲。
それが北海道では「ソーラン節」に変えられ、それに倣って各地ではそれぞれの地元民謡などを取り入れている。なお北海道でも鳴子は持つが鳴らさないことも多い。この日のメンバーは鳴子を持っていなかった。
大きな違いは高知では踊りながらのパレードなのに対して、北海道ではステージでのダンス披露が基本となる。これは雪の降る北海道では冬の練習が屋内だからそうなったらしい。
ちなみに「よさこい」とは「夜さり来い→夜さ来い=夜にいらっしゃい」の古語が変化した言葉。ただしどうして「夜にいらっしゃい」というのかは解説が見つからなかった。
いろいろ調べていたら見たくなってきちゃった(^^ゞ
東京でも夏に原宿や池袋であるみたいなので出かけてみようか。
さてミニよさこいを見た後は公園内をまたひと回り。
フジの新緑もなかなかキレイ。
フジの花は小さいし風で揺れるのでアップでは撮りにくい。
なおかつその形はたいして美しくもない(^^ゞ
やはりフジは香ってナンボの世界。
もう10日経つのに、
まだ鼻の奥に甘い香りの記憶が残っている。
玉敷公園は想像していた以上にいい藤棚だった。
藤棚は旧河野邸を含め大小合わせて6つ。
そしてこの規模が無料なのも初めてだし素晴らしい。
都内からだと遠いけれど、フジ好きなら訪れる価値があるのは保証するよ。
おしまい
<補足>
この日は4月なのに30度超えの真夏日!
wassho at 23:10|Permalink│Comments(1)│
2024年05月06日
玉敷公園のフジ
久しぶりに大規模な藤棚で存分にクンクンしたいと思い立ち、
4月28日に埼玉県は加須市の玉敷公園まで出かけてきた。
加須市は読み方もわからなかったが「かぞ」市で、地図を見ると群馬・茨城・栃木に接する埼玉県北東部のディープなエリア。
乗り換え案内アプリによると東横線で渋谷→JR湘南新宿ラインで大宮→JR宇都宮線で久喜(くき)→東武伊勢崎線で加須までと提示された。「宇都宮線」なんて名前だけでも遠くに出かけるイメージ。
当日は10時9分発の湘南新宿ライン特別快速に乗るはずが、10時3分発の埼京線に乗ってしまった。同じホームで大宮行きと表示されていて快速だったし、先に発車するこちらの方が早いのかなと思って。しかし最初はよかったもののだんだんと停まる駅が多くなり、特に最後のほうは各駅停車状態。後で数えてみると湘南新宿ライン特別快速が渋谷から大宮間で4駅停まるだけに対して、埼京線快速は11駅も停まっていた。
結果、湘南新宿ライン特別快速なら10時44分に着いたはずが、埼京線快速では10時50分と6分遅れ。これだけならたいした違いではないけれど、その後も1本ずつ遅れて次の電車が来るまでの間隔も長いから、トータルでは30分ほどのロス。乗り換え案内アプリはいろいろ計算してくれているので素直に信じましょう(^^ゞ
ところで埼玉に行くのに「湘南新宿ライン」なんて妙な感じだが、これは山手線〜赤羽線〜東北本線をまたいで運行する列車の通称。埼京線も同じネーミング手法で正式な線路名称ではない。このあたりの仕組みは複雑であまり理解していない。乗り換え案内アプリが普及したから、これからも理解することはないと思う。
さて大宮から宇都宮線に乗り換えてしばらくすると、いかにも地方都市の郊外な雰囲気になってくる。車窓から見えるのは駅の前後を除けば戸建て住宅のみ。つまりビルやマンションなどの高い建物は皆無。緑も多く空がやたら広い。それを眺めていると身体から緊張感が抜けてリラックスし、時間もゆっくり流れている感覚になる。いや別に毎日緊張を感じながら生活している意識はまったくないのに、都会に住むのはそれだけでプレッシャーが掛かっているものなのかな。
とにかくもうフジなど見に行かないで、このまま宇都宮線に乗っていようかという心地よい気分だった(^^ゞ ストレスが溜まっている人には、とりあえず地方まで電車に乗りに行くミニミニ旅行をお勧めしたい。
久喜から伊勢崎線に乗り換えて加須に到着。
所要時間はドア to 改札で2時間半ほどだった。
改札や駅舎出入り口に鯉のぼりがあしらわれているのは、もうすぐ5月5日の端午の節句だからじゃない。戦前は生産量日本一となるなど、ここはかつて鯉のぼり作りが盛んだったから。ただし現在の状況は調べてもわからなかった。昭和の初めには40社以上あった製造・販売業者が現在は3社しか残っていないらしいので、駅のディスプレイに使うほどの生産規模なのかな。ちなみに現在の生産量日本一は岡山県。
それでも長さ100メートルの鯉のぼりを揚げるイベントは有名で、
ニュースで取り上げられることも多い。
それを見た記憶はあっても、加須市とまでは覚えていなかったm(_ _)m 画像はhttps://www.qualitysaitama.com/newspost/44730とhttps://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/shougyou_kankou/event/5650.htmlから引用
駅前のロータリー。
鯉のぼりがいくつか見える。
それにしてもガラーンとした風景。
さてまだ駅に着いただけである。
ここからバスに乗って玉敷公園まで行く。
藤まつり期間は無料送迎バスが提供されている。
1時間に2本だけだけれど、ちょうどいいタイミングで駅に着いた。
それは間違って埼京線に乗ったおかげ。日頃の行いがいいとこうなる(^^ゞ
無料送迎バスは乗り合いバスと同じ車両だし、「ここが乗り場」と目立つ看板なども出ておらず、案内のオッチャンが立っているだけなのでわかりにくい。
ロータリーを離れて数分すると車窓からの光景はこんな感じ。
航空写真で見ると見事に農地だらけ。
到着したのは工場の空き地のような場所。
乗車時間は約15分。
ところどころに置かれた案内に沿って歩いて行く。
公園に隣接する玉敷神社に着いた。
平安時代初期からあると書かれている。
現在の場所に移ってきたのは1627年。
なお玉敷公園は、玉敷神社の神苑(神社付属の庭園)だった場所。
鳥居が3つもある長い参道。
距離約200メートル。
本殿到着。
左側に神楽殿。
屋根は茅葺き。
拝殿と本殿は一体タイプ。
大きくはないが端正なデザインでいい雰囲気。本殿が1816年、拝殿が1898年(明治31年)の建築とされるから、それほど古くはない。
神社のすぐ近くに醸造所がある加須市の地酒。
新緑がキレイだった。
参道の脇にあったこの門をくぐると、
藤棚を発見。
ただし普通の公園サイズ。
地下で水音が鳴る水琴窟(すいきんくつ)があったので、イラストにあるように竹筒を当てて聴いてみる。でも水の量が少なすぎて、何か聞こえたか聞こえなかったか程度(/o\)
ツツジ。
紫で花びらが細いのはモチツツジで(たぶん)、
黄色の花は八重咲きのヤマブキ(たぶん)。
ここは玉敷公園の旧河野邸と呼ばれるエリア。
案内図を見ると植物ではアジサイがメインみたい。
河野家は玉敷神社に仕える神官の家系。
そこから出た河野省三(1882年・明治15年〜1963年・昭和38年)が神道と国学の学者として有名らしい。国学院大学の学長にも就任している。
この旧河野邸は玉敷公園の飛び地みたいな存在。
メインのエリアには神社参道の途中を右折して入っていく。
ーーー続く
4月28日に埼玉県は加須市の玉敷公園まで出かけてきた。
加須市は読み方もわからなかったが「かぞ」市で、地図を見ると群馬・茨城・栃木に接する埼玉県北東部のディープなエリア。
乗り換え案内アプリによると東横線で渋谷→JR湘南新宿ラインで大宮→JR宇都宮線で久喜(くき)→東武伊勢崎線で加須までと提示された。「宇都宮線」なんて名前だけでも遠くに出かけるイメージ。
当日は10時9分発の湘南新宿ライン特別快速に乗るはずが、10時3分発の埼京線に乗ってしまった。同じホームで大宮行きと表示されていて快速だったし、先に発車するこちらの方が早いのかなと思って。しかし最初はよかったもののだんだんと停まる駅が多くなり、特に最後のほうは各駅停車状態。後で数えてみると湘南新宿ライン特別快速が渋谷から大宮間で4駅停まるだけに対して、埼京線快速は11駅も停まっていた。
結果、湘南新宿ライン特別快速なら10時44分に着いたはずが、埼京線快速では10時50分と6分遅れ。これだけならたいした違いではないけれど、その後も1本ずつ遅れて次の電車が来るまでの間隔も長いから、トータルでは30分ほどのロス。乗り換え案内アプリはいろいろ計算してくれているので素直に信じましょう(^^ゞ
ところで埼玉に行くのに「湘南新宿ライン」なんて妙な感じだが、これは山手線〜赤羽線〜東北本線をまたいで運行する列車の通称。埼京線も同じネーミング手法で正式な線路名称ではない。このあたりの仕組みは複雑であまり理解していない。乗り換え案内アプリが普及したから、これからも理解することはないと思う。
さて大宮から宇都宮線に乗り換えてしばらくすると、いかにも地方都市の郊外な雰囲気になってくる。車窓から見えるのは駅の前後を除けば戸建て住宅のみ。つまりビルやマンションなどの高い建物は皆無。緑も多く空がやたら広い。それを眺めていると身体から緊張感が抜けてリラックスし、時間もゆっくり流れている感覚になる。いや別に毎日緊張を感じながら生活している意識はまったくないのに、都会に住むのはそれだけでプレッシャーが掛かっているものなのかな。
とにかくもうフジなど見に行かないで、このまま宇都宮線に乗っていようかという心地よい気分だった(^^ゞ ストレスが溜まっている人には、とりあえず地方まで電車に乗りに行くミニミニ旅行をお勧めしたい。
久喜から伊勢崎線に乗り換えて加須に到着。
所要時間はドア to 改札で2時間半ほどだった。
改札や駅舎出入り口に鯉のぼりがあしらわれているのは、もうすぐ5月5日の端午の節句だからじゃない。戦前は生産量日本一となるなど、ここはかつて鯉のぼり作りが盛んだったから。ただし現在の状況は調べてもわからなかった。昭和の初めには40社以上あった製造・販売業者が現在は3社しか残っていないらしいので、駅のディスプレイに使うほどの生産規模なのかな。ちなみに現在の生産量日本一は岡山県。
それでも長さ100メートルの鯉のぼりを揚げるイベントは有名で、
ニュースで取り上げられることも多い。
それを見た記憶はあっても、加須市とまでは覚えていなかったm(_ _)m 画像はhttps://www.qualitysaitama.com/newspost/44730とhttps://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/shougyou_kankou/event/5650.htmlから引用
駅前のロータリー。
鯉のぼりがいくつか見える。
それにしてもガラーンとした風景。
さてまだ駅に着いただけである。
ここからバスに乗って玉敷公園まで行く。
藤まつり期間は無料送迎バスが提供されている。
1時間に2本だけだけれど、ちょうどいいタイミングで駅に着いた。
それは間違って埼京線に乗ったおかげ。日頃の行いがいいとこうなる(^^ゞ
無料送迎バスは乗り合いバスと同じ車両だし、「ここが乗り場」と目立つ看板なども出ておらず、案内のオッチャンが立っているだけなのでわかりにくい。
ロータリーを離れて数分すると車窓からの光景はこんな感じ。
航空写真で見ると見事に農地だらけ。
到着したのは工場の空き地のような場所。
乗車時間は約15分。
ところどころに置かれた案内に沿って歩いて行く。
公園に隣接する玉敷神社に着いた。
平安時代初期からあると書かれている。
現在の場所に移ってきたのは1627年。
なお玉敷公園は、玉敷神社の神苑(神社付属の庭園)だった場所。
鳥居が3つもある長い参道。
距離約200メートル。
本殿到着。
左側に神楽殿。
屋根は茅葺き。
拝殿と本殿は一体タイプ。
大きくはないが端正なデザインでいい雰囲気。本殿が1816年、拝殿が1898年(明治31年)の建築とされるから、それほど古くはない。
神社のすぐ近くに醸造所がある加須市の地酒。
新緑がキレイだった。
参道の脇にあったこの門をくぐると、
藤棚を発見。
ただし普通の公園サイズ。
地下で水音が鳴る水琴窟(すいきんくつ)があったので、イラストにあるように竹筒を当てて聴いてみる。でも水の量が少なすぎて、何か聞こえたか聞こえなかったか程度(/o\)
ツツジ。
紫で花びらが細いのはモチツツジで(たぶん)、
黄色の花は八重咲きのヤマブキ(たぶん)。
ここは玉敷公園の旧河野邸と呼ばれるエリア。
案内図を見ると植物ではアジサイがメインみたい。
河野家は玉敷神社に仕える神官の家系。
そこから出た河野省三(1882年・明治15年〜1963年・昭和38年)が神道と国学の学者として有名らしい。国学院大学の学長にも就任している。
この旧河野邸は玉敷公園の飛び地みたいな存在。
メインのエリアには神社参道の途中を右折して入っていく。
ーーー続く
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2024年04月15日
板橋と練馬の南蔵院でしだれ桜のハシゴ 板橋編
気象庁によるサクラ満開宣言が4月4日。しかし3月31日こそ最高気温28.1度を記録するバカ陽気になったものの、東京の4月前半は天候に恵まれず。画像はhttps://kishojin.weathermap.jp/diary.php?ame=より引用
それでも晴れた日を狙って4月2日に妙見堂のしだれ桜&池上本門寺、4月7日には善福寺川緑地&和田堀公園を見てきた。そしてそろそろ葉桜になり始める4月10日に出かけてきたのは板橋区と練馬区にある南蔵院というお寺。
3月31日にはかむろ坂と目黒川の桜祭りを回って「花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度!」のブログを書いた。4月2日と4月7日も場所としてはつながっているとはいえ2箇所を回っている。だから「ハシゴ」は今年の花見の隠れテーマ。
それにしてもどうしてハシゴなのだろう。語源としては梯子酒で、これは「飲み屋を次々と変えて飲み歩くのを」「梯子を一段一段と上がる様子になぞらえた」と解説される。でもいい気分でフラフラとお店を回るのと、慎重に足元を確認しながら上がっていく梯子とではイメージがずいぶん違う。深く考えると違和感あり。
そろそろ葉桜に−−−と書いたが、板橋の南蔵院のしだれ桜はSNSで情報を探すと、4月1日の時点ではまだほとんど咲いていなかった。4月6日に公式ホームページのお知らせで「しだれ桜もようやく咲き始め、見頃を迎えつつあります」と載る。咲き始めと見頃では文章が矛盾しているが、いずれにせよまだ満開でないと判断。それで4月7日は善福寺川緑地&和田堀公園にした。
しだれ桜といっても品種は様々で、ソメイヨシノより先に咲いてそれが満開の頃には散ってしまうものもあれば、ソメイヨシノと同時期あるいは遅く咲くしだれ桜もある。ソメイヨシノと違ってしだれ桜の開花情報はマスコミで流れないから、調べるのがけっこう面倒。
4月6日以降の開花情報はSNSや公式ホームページで得られなかった。それでも7日と8日は20度を超える気温となったので、もうそろそろ大丈夫かと天気予報とスケジュールの都合を睨んで4月10日に訪れることにした。ここはモモもキレイで、それが3月末には咲いていたので傷まないうちにとの気持ちもあった。
話は変わるがこの板橋の南蔵院は東京のしだれ桜を特集していたネットのページで見つけた。しかし南蔵院というと、こんな大きな涅槃(ねはん)像のある福岡のお寺が有名。
だから「南蔵院」だけでネット検索すると福岡の情報の方が多くなるので「東京 南蔵院 サクラ」などの工夫が必要。それでたまたま見つけたのが練馬にある同じく南蔵院。こちらはネットでもあまり情報がなかったものの、板橋まで行けば帰り道かと思い、今年の隠れテーマのハシゴに合わせて訪れたしだい。実はまったく帰り道じゃなかったけれど、その話は後ほど。
さてまずは板橋の南蔵院から。
2月に赤塚梅まつりで、上の地図にも記した赤塚公園と赤塚溜池公園を訪れたとき「東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない」と書いた。なのに2ヶ月後にまさかの板橋区再訪。もっとも同じようなことが連続して起きるのは人生あるあるな話。
都営地下鉄三田線の本蓮沼(もとはすぬま)駅で下車。
目の前は国道17号である中山道。
ところでこの中山道(なかせんどう)。東海道が江戸から京都までを主に太平洋沿岸ルートで結ぶのに対して、こちらは長野や岐阜など内陸部を通る街道。しかし子供の頃に社会科で習ったのは中仙道だったのに、いつのまにか中山の表記が一般的になっている。どうしてなの? 中山を「なかせん」とは読みづらいやろ。
中山道に突き当たっているのがこの蓮沼アスリート通り。
この道路沿いにオリンピック強化指定選手などが(だけが)利用できるナショナルトレーニングセンターがあって、このしゃれた名前が付いている。ただし何の変哲もないごく普通の道路。
中山道沿いに歩いて行く。
寺に着いたかと思ったら石材屋だった(^^ゞ
その数軒隣に南蔵院。
外から眺めるだけでやたらキレイなお寺。
寳勝山(ほうしょうざん)と書かれている。
寳は宝の旧字。
境内はまるで箱庭のように整った光景。
板橋十景に選ばれている。
板橋十景のうち「赤塚溜池公園周辺」「高島平団地とけやき並木」「東京大仏(乗蓮寺)」は赤塚梅まつりの際に訪れている。板橋2度目で早くも4つをゲット!
まずは境内に入ってすぐ右側にある真っ赤なキクモモ。
菊の花びらに形が似ているからその品種名。別名はゲンジグルマ(源氏車)。
あまり菊には見えないけれどいい形。
赤とピンクのキクモモに囲まれて極楽にいるような仏様。
この三体は奥から
羽黒山供養塔:聖観音菩薩
湯殿山供養塔:大日如来
月山供養塔:阿弥陀如来
で、まとめて出羽三山供養塔と呼ばれる。ただしここ南蔵院では湯殿山供養塔を単独で出羽三山供養塔と称していて、三体全部でも出羽三山供養塔とする変則的な構成。
なお出羽三山とは、山形県の中央にそびえる月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1500m)の総称。3つの独立した山ではなく月山を主峰とした峰続きの3つの山。
古くから信仰の対象となっている山である。ただし出羽三山供養塔は供養と名前が付いていても、その山で遭難などした人の冥福を祈るのでなく、普通にご利益を願って拝む。だからちょっと変わったネーミング。
出羽三山供養塔の隣は地蔵堂。
ここの地蔵は「はいた地蔵」と呼ばれ歯痛に効くらしい。
地蔵堂にはピンクのキクモモ。
新緑とのコントラストが美しい。
地蔵堂の斜め向かいにある不動明王を祀る不動堂。
その左右に2本のモモ。
左側はモフモフしたモモ。
品種名はわからず。
ところで桃の花をハナモモと呼ぶ場合があるが私はそれがどうも気に入らない。果実栽培ではなく花の観賞用に改良した園芸品種がハナモモらしいが、その理屈だと桜も梅もハナサクラやハナウメじゃないと整合性がとれない。それにハナモモだって実がなって食べられる。
またハナモモは品種名ではなく園芸品種の総称なのに、「南蔵院のハナモモとキクモモがきれいでした」と書かれているものもたくさん見かける。アホチャウカ?
おっと、仏の前ではしたない言葉は慎んで(^^ゞ
ところでこのモモは花から葉が飛び出ている。
そんな咲き方ってある?と思ってよく見ると、
枝から延びた葉が花の間をすり抜けているとわかった。
モモはサクラと違って枝から延びる花柄(かへい)が短く、つまり花と葉の出所がほぼ同じ位置。だから見方によって花から葉が生えているように見える。
とても素晴らしかったので全体像をもう一度。
ウメやサクラと違ってモモを見られるところは少ないので貴重。
そして不動堂の右側は、
先ほどの地蔵堂と同じピンクのキクモモ。
キクモモの隣にも別のお地蔵さん。
さて本堂右手前のしだれ桜。
なかなか立派な姿ではあるとはいえ、ちょっと花数が少ない。ツボミがたくさん残っているでもなく、またネットで見かける写真ではもっと豪華な咲きっぷりなので、今年は不作なのかも知れない。
それでもまさに桜色の淡いピンクが降ってくる姿は楽しめた。
南無阿弥陀仏、お釈迦様ありがとう。
こちらは本堂より手前のしだれ桜。
周りの新緑と混じり合いがキレイ。
少し葉桜になっているのは品種が違うのか?
でもその葉の色もいい。
先ほどのお地蔵さんをアップで。
横顔まで撮るのがこのブログのいいところ。
そのお地蔵さんの横、
本堂の左側にもしだれ桜がある。
右にあるのよりかなり小さく、
植えられてそれほど年数が経っていない印象。
こちらの方が花付き「率」は高く、
また花により元気がある印象。
ーーー続く
それでも晴れた日を狙って4月2日に妙見堂のしだれ桜&池上本門寺、4月7日には善福寺川緑地&和田堀公園を見てきた。そしてそろそろ葉桜になり始める4月10日に出かけてきたのは板橋区と練馬区にある南蔵院というお寺。
3月31日にはかむろ坂と目黒川の桜祭りを回って「花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度!」のブログを書いた。4月2日と4月7日も場所としてはつながっているとはいえ2箇所を回っている。だから「ハシゴ」は今年の花見の隠れテーマ。
それにしてもどうしてハシゴなのだろう。語源としては梯子酒で、これは「飲み屋を次々と変えて飲み歩くのを」「梯子を一段一段と上がる様子になぞらえた」と解説される。でもいい気分でフラフラとお店を回るのと、慎重に足元を確認しながら上がっていく梯子とではイメージがずいぶん違う。深く考えると違和感あり。
そろそろ葉桜に−−−と書いたが、板橋の南蔵院のしだれ桜はSNSで情報を探すと、4月1日の時点ではまだほとんど咲いていなかった。4月6日に公式ホームページのお知らせで「しだれ桜もようやく咲き始め、見頃を迎えつつあります」と載る。咲き始めと見頃では文章が矛盾しているが、いずれにせよまだ満開でないと判断。それで4月7日は善福寺川緑地&和田堀公園にした。
しだれ桜といっても品種は様々で、ソメイヨシノより先に咲いてそれが満開の頃には散ってしまうものもあれば、ソメイヨシノと同時期あるいは遅く咲くしだれ桜もある。ソメイヨシノと違ってしだれ桜の開花情報はマスコミで流れないから、調べるのがけっこう面倒。
4月6日以降の開花情報はSNSや公式ホームページで得られなかった。それでも7日と8日は20度を超える気温となったので、もうそろそろ大丈夫かと天気予報とスケジュールの都合を睨んで4月10日に訪れることにした。ここはモモもキレイで、それが3月末には咲いていたので傷まないうちにとの気持ちもあった。
話は変わるがこの板橋の南蔵院は東京のしだれ桜を特集していたネットのページで見つけた。しかし南蔵院というと、こんな大きな涅槃(ねはん)像のある福岡のお寺が有名。
だから「南蔵院」だけでネット検索すると福岡の情報の方が多くなるので「東京 南蔵院 サクラ」などの工夫が必要。それでたまたま見つけたのが練馬にある同じく南蔵院。こちらはネットでもあまり情報がなかったものの、板橋まで行けば帰り道かと思い、今年の隠れテーマのハシゴに合わせて訪れたしだい。実はまったく帰り道じゃなかったけれど、その話は後ほど。
さてまずは板橋の南蔵院から。
2月に赤塚梅まつりで、上の地図にも記した赤塚公園と赤塚溜池公園を訪れたとき「東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない」と書いた。なのに2ヶ月後にまさかの板橋区再訪。もっとも同じようなことが連続して起きるのは人生あるあるな話。
都営地下鉄三田線の本蓮沼(もとはすぬま)駅で下車。
目の前は国道17号である中山道。
ところでこの中山道(なかせんどう)。東海道が江戸から京都までを主に太平洋沿岸ルートで結ぶのに対して、こちらは長野や岐阜など内陸部を通る街道。しかし子供の頃に社会科で習ったのは中仙道だったのに、いつのまにか中山の表記が一般的になっている。どうしてなの? 中山を「なかせん」とは読みづらいやろ。
中山道に突き当たっているのがこの蓮沼アスリート通り。
この道路沿いにオリンピック強化指定選手などが(だけが)利用できるナショナルトレーニングセンターがあって、このしゃれた名前が付いている。ただし何の変哲もないごく普通の道路。
中山道沿いに歩いて行く。
寺に着いたかと思ったら石材屋だった(^^ゞ
その数軒隣に南蔵院。
外から眺めるだけでやたらキレイなお寺。
寳勝山(ほうしょうざん)と書かれている。
寳は宝の旧字。
境内はまるで箱庭のように整った光景。
板橋十景に選ばれている。
板橋十景のうち「赤塚溜池公園周辺」「高島平団地とけやき並木」「東京大仏(乗蓮寺)」は赤塚梅まつりの際に訪れている。板橋2度目で早くも4つをゲット!
まずは境内に入ってすぐ右側にある真っ赤なキクモモ。
菊の花びらに形が似ているからその品種名。別名はゲンジグルマ(源氏車)。
あまり菊には見えないけれどいい形。
赤とピンクのキクモモに囲まれて極楽にいるような仏様。
この三体は奥から
羽黒山供養塔:聖観音菩薩
湯殿山供養塔:大日如来
月山供養塔:阿弥陀如来
で、まとめて出羽三山供養塔と呼ばれる。ただしここ南蔵院では湯殿山供養塔を単独で出羽三山供養塔と称していて、三体全部でも出羽三山供養塔とする変則的な構成。
なお出羽三山とは、山形県の中央にそびえる月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1500m)の総称。3つの独立した山ではなく月山を主峰とした峰続きの3つの山。
古くから信仰の対象となっている山である。ただし出羽三山供養塔は供養と名前が付いていても、その山で遭難などした人の冥福を祈るのでなく、普通にご利益を願って拝む。だからちょっと変わったネーミング。
出羽三山供養塔の隣は地蔵堂。
ここの地蔵は「はいた地蔵」と呼ばれ歯痛に効くらしい。
地蔵堂にはピンクのキクモモ。
新緑とのコントラストが美しい。
地蔵堂の斜め向かいにある不動明王を祀る不動堂。
その左右に2本のモモ。
左側はモフモフしたモモ。
品種名はわからず。
ところで桃の花をハナモモと呼ぶ場合があるが私はそれがどうも気に入らない。果実栽培ではなく花の観賞用に改良した園芸品種がハナモモらしいが、その理屈だと桜も梅もハナサクラやハナウメじゃないと整合性がとれない。それにハナモモだって実がなって食べられる。
またハナモモは品種名ではなく園芸品種の総称なのに、「南蔵院のハナモモとキクモモがきれいでした」と書かれているものもたくさん見かける。アホチャウカ?
おっと、仏の前ではしたない言葉は慎んで(^^ゞ
ところでこのモモは花から葉が飛び出ている。
そんな咲き方ってある?と思ってよく見ると、
枝から延びた葉が花の間をすり抜けているとわかった。
モモはサクラと違って枝から延びる花柄(かへい)が短く、つまり花と葉の出所がほぼ同じ位置。だから見方によって花から葉が生えているように見える。
とても素晴らしかったので全体像をもう一度。
ウメやサクラと違ってモモを見られるところは少ないので貴重。
そして不動堂の右側は、
先ほどの地蔵堂と同じピンクのキクモモ。
キクモモの隣にも別のお地蔵さん。
さて本堂右手前のしだれ桜。
なかなか立派な姿ではあるとはいえ、ちょっと花数が少ない。ツボミがたくさん残っているでもなく、またネットで見かける写真ではもっと豪華な咲きっぷりなので、今年は不作なのかも知れない。
それでもまさに桜色の淡いピンクが降ってくる姿は楽しめた。
南無阿弥陀仏、お釈迦様ありがとう。
こちらは本堂より手前のしだれ桜。
周りの新緑と混じり合いがキレイ。
少し葉桜になっているのは品種が違うのか?
でもその葉の色もいい。
先ほどのお地蔵さんをアップで。
横顔まで撮るのがこのブログのいいところ。
そのお地蔵さんの横、
本堂の左側にもしだれ桜がある。
右にあるのよりかなり小さく、
植えられてそれほど年数が経っていない印象。
こちらの方が花付き「率」は高く、
また花により元気がある印象。
ーーー続く
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2024年04月11日
善福寺川緑地で満開のサクラ
気象庁が東京での満開宣言を出したのが4月4日。4月になってからは冴えない天気が続いたものの、7日の日曜日は久しぶりの快晴、最高気温も22.6度まで上がった。このチャンスを逃すまいと出かけてきたのが、2つ設定した今年の花見メインイベントのひとつである善福寺川緑地と和田堀公園。
この2つは杉並区を流れる善福寺川の川岸にある。地図では境界線に赤い破線が引かれているけれど、現地では特に標識もなくまったくのシームレス。どちらも都立公園で開園時期も同じなのに、なぜ別々の公園とされているのかが不思議。緑地と公園と名前も違うが造りや雰囲気としても大きな違いはない。
ここは善福寺川緑地が18ヘクタール、和田堀公園は26ヘクタール。合計した44ヘクタールは83カ所ある都立公園でもトップ10相当の広さで、井の頭公園や駒沢公園より広い。前から訪れてみたいと思いながら機会がなかったが、今年の1月27日に梅里中央公園へロウバイを見に行った帰りに初めて立ち寄った。
そのとき川岸にたくさんのサクラが植えられているのを知り、
これはさぞ美しい桜並木に違いないと花見の候補地となる。
また「梅」里の次にサクラなのも面白いかとコッソリ気に入って(^^ゞ
梅里中央公園のときに降りた地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅から
一駅先の南阿佐ヶ谷駅で下車。
このケヤキ並木はJRの阿佐ヶ谷駅に通じている。
丸ノ内線と並行して走っているのは青梅街道。
少しだけ西に進んで路地へ左折。
すぐに住宅地に入り道なりに歩いて、
この突き当たりで左を向くと、
目的地の地名が現れた。
大規模なマンション沿いに直進すると、
善福寺川に架かる橋に到着。
これは天王橋で、
下のマップで最も北側に描かれている場所。
とりあえず上流(西側)に向かって歩き出す。
このフェンスは見覚えがあるぞ。
こちらの黄色いテープが貼られた突き出している枝も。
お帰りなさいといわれているような気分でちょっとうれしい。
その先にあったサクラは山桜のように開花初期から葉を出していた。山桜の茶色い葉と違ってグリーンなのは、先日に池上本門寺で見た笹部桜と同じで花の形も似ている。しかし品種を示すプレートはなし。オオシマザクラかも知れないが、あの特有の香りはなかった。
右岸(上流から下流を見て右側)にあるセンター広場。
桜が咲き出せば、そろそろ新緑の季節の始まりでもある。
対岸のサクラを眺める。
どうよ、このウエーブと満開の咲きっぷり。
前回、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁が現れた。
工事中なので、右岸を歩けるのはこの西田橋まで。
さらに上流に3つの橋があるが、
西田橋から見る限りサクラはここまでみたい。
下流側を向いて。
ここからは左岸を歩く。
サクラの下を歩くのも、
枝の伸びている満開のサクラを眺めるのも、
あるいは新緑との対比を楽しむのもすべてよし。
来てよかった!
先ほどのグリーンの葉を出していたサクラを対岸に眺める。
離れて見るとソメイヨシノとの違いが一目瞭然。
レジャーシートを広げる人々。
まだほとんど咲いていないものの、
ピンクの色をしたサクラが現れた。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。
品種名が書いてあるかと思ったら、
ただの番号だった(^^ゞ
ピンクのサクラを見た後に、改めてソメイヨシノを眺めると異様なくらい白い。この白さにちょっと幽霊的な怖さを感じるときもある。だから私はアンチ・ソメイヨシノ派。大規模に咲いていたり、風景としておもしろいところ以外にはあまり見に行かない。
チューリップとサクラ。
黄色いヤマブキとサクラ。
カラフルなチューリップやヤマブキと一緒だと、
より一層ソメイヨシノの白さが目立つ。
白いソメイヨシノの向こうにまたピンクのサクラが見えてきた。
紅華という品種。
お台場シンボルプロムナード公園で一度だけ見たことがある。
先ほどのピンクと違って、こちらは八重咲き。
つぼみの数は多くのないので、
満開になってもソメイヨシノのようなボリュームは出ないと思われる。
でも、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(2回目)
ほら真っ白いソメイヨシノは味気ないでしょと、
アンチ・ソメイヨシノ派の拡大に努めるワタシ(^^ゞ
次に現れたピンクは近所のかむろ坂でおなじみの陽光。
わりと知名度のある河津桜によく似た品種である。
陽光はソメイヨシノの少し前から咲くので、もう散りかけ。
しかし陽光は萼がとても赤いので、散りかけも可愛い。
(萼:がく:花びらを支えている部分)
そして、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(3回目)
まっ、文句ばかり言っていても楽しくないので、
本日はこの圧倒的なボリュームを楽しみましょう。
最初の天王橋に戻ってきた。
善福寺川緑地についてここまで約1時間。
ここから先は両岸に連続してサクラが咲いている。
しかし川の向きが変わって少し日当たりが悪い。
左岸右岸とも人出が多い。
人とぶつからないよう注意してサクラを見上げながら歩く。
次の相生橋を越えた先が一番見応えのあるゾーン。
これだけの桜並木なのに、善福寺川緑地は認知度が低いというか人気がないというか、ほとんどのサクラの名所ランキングに入っていない。調べた中では唯一都内108カ所のランキングを発表しているウォーカープラスで何と50位(/o\)
尾崎橋に到着。
今まで歩いてきた上流方向を眺める。
これでランキング50位なんて信じられないでしょ。
逆に考えれば穴場で、ランキング上位のところのように激混みしていない。
善福寺川は尾崎橋で、
旧五日市街道・現都道7号の大きな道路と交差する。
そして下流側。
えっ、サクラはここで終わり?
ーーー続く
この2つは杉並区を流れる善福寺川の川岸にある。地図では境界線に赤い破線が引かれているけれど、現地では特に標識もなくまったくのシームレス。どちらも都立公園で開園時期も同じなのに、なぜ別々の公園とされているのかが不思議。緑地と公園と名前も違うが造りや雰囲気としても大きな違いはない。
ここは善福寺川緑地が18ヘクタール、和田堀公園は26ヘクタール。合計した44ヘクタールは83カ所ある都立公園でもトップ10相当の広さで、井の頭公園や駒沢公園より広い。前から訪れてみたいと思いながら機会がなかったが、今年の1月27日に梅里中央公園へロウバイを見に行った帰りに初めて立ち寄った。
そのとき川岸にたくさんのサクラが植えられているのを知り、
これはさぞ美しい桜並木に違いないと花見の候補地となる。
また「梅」里の次にサクラなのも面白いかとコッソリ気に入って(^^ゞ
梅里中央公園のときに降りた地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅から
一駅先の南阿佐ヶ谷駅で下車。
このケヤキ並木はJRの阿佐ヶ谷駅に通じている。
丸ノ内線と並行して走っているのは青梅街道。
少しだけ西に進んで路地へ左折。
すぐに住宅地に入り道なりに歩いて、
この突き当たりで左を向くと、
目的地の地名が現れた。
大規模なマンション沿いに直進すると、
善福寺川に架かる橋に到着。
これは天王橋で、
下のマップで最も北側に描かれている場所。
とりあえず上流(西側)に向かって歩き出す。
このフェンスは見覚えがあるぞ。
こちらの黄色いテープが貼られた突き出している枝も。
お帰りなさいといわれているような気分でちょっとうれしい。
その先にあったサクラは山桜のように開花初期から葉を出していた。山桜の茶色い葉と違ってグリーンなのは、先日に池上本門寺で見た笹部桜と同じで花の形も似ている。しかし品種を示すプレートはなし。オオシマザクラかも知れないが、あの特有の香りはなかった。
右岸(上流から下流を見て右側)にあるセンター広場。
桜が咲き出せば、そろそろ新緑の季節の始まりでもある。
対岸のサクラを眺める。
どうよ、このウエーブと満開の咲きっぷり。
前回、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁が現れた。
工事中なので、右岸を歩けるのはこの西田橋まで。
さらに上流に3つの橋があるが、
西田橋から見る限りサクラはここまでみたい。
下流側を向いて。
ここからは左岸を歩く。
サクラの下を歩くのも、
枝の伸びている満開のサクラを眺めるのも、
あるいは新緑との対比を楽しむのもすべてよし。
来てよかった!
先ほどのグリーンの葉を出していたサクラを対岸に眺める。
離れて見るとソメイヨシノとの違いが一目瞭然。
レジャーシートを広げる人々。
まだほとんど咲いていないものの、
ピンクの色をしたサクラが現れた。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。
品種名が書いてあるかと思ったら、
ただの番号だった(^^ゞ
ピンクのサクラを見た後に、改めてソメイヨシノを眺めると異様なくらい白い。この白さにちょっと幽霊的な怖さを感じるときもある。だから私はアンチ・ソメイヨシノ派。大規模に咲いていたり、風景としておもしろいところ以外にはあまり見に行かない。
チューリップとサクラ。
黄色いヤマブキとサクラ。
カラフルなチューリップやヤマブキと一緒だと、
より一層ソメイヨシノの白さが目立つ。
白いソメイヨシノの向こうにまたピンクのサクラが見えてきた。
紅華という品種。
お台場シンボルプロムナード公園で一度だけ見たことがある。
先ほどのピンクと違って、こちらは八重咲き。
つぼみの数は多くのないので、
満開になってもソメイヨシノのようなボリュームは出ないと思われる。
でも、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(2回目)
ほら真っ白いソメイヨシノは味気ないでしょと、
アンチ・ソメイヨシノ派の拡大に努めるワタシ(^^ゞ
次に現れたピンクは近所のかむろ坂でおなじみの陽光。
わりと知名度のある河津桜によく似た品種である。
陽光はソメイヨシノの少し前から咲くので、もう散りかけ。
しかし陽光は萼がとても赤いので、散りかけも可愛い。
(萼:がく:花びらを支えている部分)
そして、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(3回目)
まっ、文句ばかり言っていても楽しくないので、
本日はこの圧倒的なボリュームを楽しみましょう。
最初の天王橋に戻ってきた。
善福寺川緑地についてここまで約1時間。
ここから先は両岸に連続してサクラが咲いている。
しかし川の向きが変わって少し日当たりが悪い。
左岸右岸とも人出が多い。
人とぶつからないよう注意してサクラを見上げながら歩く。
次の相生橋を越えた先が一番見応えのあるゾーン。
これだけの桜並木なのに、善福寺川緑地は認知度が低いというか人気がないというか、ほとんどのサクラの名所ランキングに入っていない。調べた中では唯一都内108カ所のランキングを発表しているウォーカープラスで何と50位(/o\)
尾崎橋に到着。
今まで歩いてきた上流方向を眺める。
これでランキング50位なんて信じられないでしょ。
逆に考えれば穴場で、ランキング上位のところのように激混みしていない。
善福寺川は尾崎橋で、
旧五日市街道・現都道7号の大きな道路と交差する。
そして下流側。
えっ、サクラはここで終わり?
ーーー続く
wassho at 22:49|Permalink│Comments(0)│
2023年10月27日
渋谷はるのおがわプレーパーク
前2回に引き続き、
10月21日にキンモクセイを思い切りクンクンしたかった話の中盤編。
代々木公園でちょっとショボかった秋バラ→不思議な人々→噴水→日本航空發始之地の石碑と見て、ブルーシートテント村のそばを通った後は西門から退出。この日は原宿門から入って園内を半周ほどした計算。
代々木公園の西隣には代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークと呼ばれる小さな公園がある。参考までに面積は
代々木公園:54ヘクタール
代々木深町小公園:隣接のグランドを含めて0.52ヘクタール
単独だとその半分の0.25ヘクタールくらいと思う。
渋谷はるのおがわプレーパーク:隣接のグランドを含めて0.49ヘクタール。
単独だとその半分の0.25ヘクタールくらいと思う。
どうして広大な代々木公園から道路を隔てただけの隣に、2つを足してもその1/100に満たない面積の公園が必要なのかよく分からないが、
代々木公園は東京都立で、2つの公園は渋谷区立。
代々木公園は広すぎて日常的な利用には不便。
(出入り口から芝生広場までだけで、それぞれの公園を端から端まで
歩く以上の距離がある)
代々木公園は児童公園でないのでブランコなど子供向けの遊具がない。
などが理由だろうか。
なお代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークの前身となる旧代々木小公園の開園は1977年(昭和52年)と同じ。これは1967年(昭和42年)開園の代々木公園の10年後である。ところで、代々木小公園は代々木公園と区別するために「小」が必要だったとして、代々木深町にも「小公園」と名付けたのは代々木公園の広さに引け目を感じたから?
ついでに書くと代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークは50mほどしか離れていない。代々木公園の存在は抜きにしても、どうして区立公園を同じ場所に2つ作るのかも不思議。渋谷区のホームページを見ると、どうやらその50mの間に境界線があるようで、同じ渋谷区でも代々木深町小公園は「上原地区」、渋谷はるのおがわプレーパークは「初台地区」に分類されている。何となく役所の論理が匂ってくるようなーーー
まっ、それはともかく西門を出て道路を渡って公園を目指す。右が代々木公園、左前方の木々が渋谷はるのおがわプレーパーク。
イチョウがまるで新緑のようなキミドリ色できれい。
あっという間に到着。
西門から渋谷はるのおがわプレーパーク入口まで100メートルほど。
この日(10月21日)は
たくさんのキンモクセイをクンクンしたい。
でも既に微妙な時期。
10月19日に日比谷公園でキンモクセイが見頃との情報!
今年の9月は暑かったから、まだ大丈夫なのかと考える。
日比谷公園ではなく、以前に聞いていた渋谷はるのおがわプレーパークと、
玉川上水緑道の初台あたりのキンモクセイを嗅ぎに行くことにする。
渋谷はるのおがわプレーパークは代々木公園の隣だから、代々木公園をまず散策。
広い公園だからキンモクセイもあるはず(咲いているとの意味)。
しかし代々木公園ではキンモクセイを見つけられず←今ココ!
後で調べたら代々木公園では10月10日頃に終わっていたと知る。
という流れ。実は代々木公園でキンモクセイが咲いていなかった時点で、すぐ隣の渋谷はるのおがわプレーパークについても諦めていた。ほとんど地理的・気象的な条件は一緒だから。
案の定、渋谷はるのおがわプレーパークに
キンモクセイのキの字もなし(/o\)
いや、本日のメインはこの後に訪れる玉川上水緑道だからと自分を励ます(^^ゞ
さて園内に入り、一番南から北を眺めたところ。
ここに写っている範囲でほぼ全体。
土曜の午後だからか子供より大人のほうが多かった。
管理小屋のようなもの。
プレーパークはこういう手作り風なものが多い。
なおプレーパークって何?については後日別途に書く予定。
注意書き。
ハチはともかくタケノホソクロバなる毛虫は、ここにいるなら代々木公園にもいるだろう。こんな注意書きはなかったけれど。
園内の一番北から南を。
プレーパークはドロンコ遊びができるようにしてあるところが多い。
ここの水源は水道みたい(^^ゞ
こういうのを子供と一緒に作ったりするのもプレーパークの特徴。
意味もなく木を見上げる。
視線を地面に落としたらドングリがあった。
色づき始めた葉っぱがキレイだなと眺めていたら、
ピンクの花が咲いているのを見つける。
場所とタイトルを変えてーーー続く
10月21日にキンモクセイを思い切りクンクンしたかった話の中盤編。
代々木公園でちょっとショボかった秋バラ→不思議な人々→噴水→日本航空發始之地の石碑と見て、ブルーシートテント村のそばを通った後は西門から退出。この日は原宿門から入って園内を半周ほどした計算。
代々木公園の西隣には代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークと呼ばれる小さな公園がある。参考までに面積は
代々木公園:54ヘクタール
代々木深町小公園:隣接のグランドを含めて0.52ヘクタール
単独だとその半分の0.25ヘクタールくらいと思う。
渋谷はるのおがわプレーパーク:隣接のグランドを含めて0.49ヘクタール。
単独だとその半分の0.25ヘクタールくらいと思う。
どうして広大な代々木公園から道路を隔てただけの隣に、2つを足してもその1/100に満たない面積の公園が必要なのかよく分からないが、
代々木公園は東京都立で、2つの公園は渋谷区立。
代々木公園は広すぎて日常的な利用には不便。
(出入り口から芝生広場までだけで、それぞれの公園を端から端まで
歩く以上の距離がある)
代々木公園は児童公園でないのでブランコなど子供向けの遊具がない。
などが理由だろうか。
なお代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークの前身となる旧代々木小公園の開園は1977年(昭和52年)と同じ。これは1967年(昭和42年)開園の代々木公園の10年後である。ところで、代々木小公園は代々木公園と区別するために「小」が必要だったとして、代々木深町にも「小公園」と名付けたのは代々木公園の広さに引け目を感じたから?
ついでに書くと代々木深町小公園と、渋谷はるのおがわプレーパークは50mほどしか離れていない。代々木公園の存在は抜きにしても、どうして区立公園を同じ場所に2つ作るのかも不思議。渋谷区のホームページを見ると、どうやらその50mの間に境界線があるようで、同じ渋谷区でも代々木深町小公園は「上原地区」、渋谷はるのおがわプレーパークは「初台地区」に分類されている。何となく役所の論理が匂ってくるようなーーー
まっ、それはともかく西門を出て道路を渡って公園を目指す。右が代々木公園、左前方の木々が渋谷はるのおがわプレーパーク。
イチョウがまるで新緑のようなキミドリ色できれい。
あっという間に到着。
西門から渋谷はるのおがわプレーパーク入口まで100メートルほど。
この日(10月21日)は
たくさんのキンモクセイをクンクンしたい。
でも既に微妙な時期。
10月19日に日比谷公園でキンモクセイが見頃との情報!
今年の9月は暑かったから、まだ大丈夫なのかと考える。
日比谷公園ではなく、以前に聞いていた渋谷はるのおがわプレーパークと、
玉川上水緑道の初台あたりのキンモクセイを嗅ぎに行くことにする。
渋谷はるのおがわプレーパークは代々木公園の隣だから、代々木公園をまず散策。
広い公園だからキンモクセイもあるはず(咲いているとの意味)。
しかし代々木公園ではキンモクセイを見つけられず←今ココ!
後で調べたら代々木公園では10月10日頃に終わっていたと知る。
という流れ。実は代々木公園でキンモクセイが咲いていなかった時点で、すぐ隣の渋谷はるのおがわプレーパークについても諦めていた。ほとんど地理的・気象的な条件は一緒だから。
案の定、渋谷はるのおがわプレーパークに
キンモクセイのキの字もなし(/o\)
いや、本日のメインはこの後に訪れる玉川上水緑道だからと自分を励ます(^^ゞ
さて園内に入り、一番南から北を眺めたところ。
ここに写っている範囲でほぼ全体。
土曜の午後だからか子供より大人のほうが多かった。
管理小屋のようなもの。
プレーパークはこういう手作り風なものが多い。
なおプレーパークって何?については後日別途に書く予定。
注意書き。
ハチはともかくタケノホソクロバなる毛虫は、ここにいるなら代々木公園にもいるだろう。こんな注意書きはなかったけれど。
園内の一番北から南を。
プレーパークはドロンコ遊びができるようにしてあるところが多い。
ここの水源は水道みたい(^^ゞ
こういうのを子供と一緒に作ったりするのもプレーパークの特徴。
意味もなく木を見上げる。
視線を地面に落としたらドングリがあった。
色づき始めた葉っぱがキレイだなと眺めていたら、
ピンクの花が咲いているのを見つける。
場所とタイトルを変えてーーー続く
wassho at 19:39|Permalink│Comments(0)│
2023年08月27日
夏緑に目覚めた?
高校の同級生Y君が東京に来ていて「25日の昼から時間が空いているので付き合ってくれ」と誘いを受ける。どこに行きたいかを尋ねると明治神宮との返事。午後7時から目黒で会合があるらしいので、明治神宮の後は竹下通り〜裏原(裏原宿)〜渋谷とオノボリさん向け観光コース(^^ゞ を組み立てて案内してきた。
原宿駅で落ち合って南参道から明治神宮に入る。原宿駅前の喧噪から3分で神宮の森に包まれるワープ感にY君は感激した様子。何度来ても別世界と思う場所なのだから、初めてならまさに異空間に感じられるはず。ただし参道はJRの線路沿いなので電車の音が聞こえるけれど。(これは今年の5月に撮った写真)
原宿駅からだと2番目の鳥居となる大鳥居。デジカメは持っていったが、今回はY君を撮るカメラマンに徹したのでブログで紹介できるものは少ない。
実は私は新緑が大好き。どれくらい好きかというと、春になって新緑が芽吹くと首を伸ばしてムシャムシャ食べたい衝動に駆られるくらい。たぶん前世はキリンだったに違いないと思っている(^^ゞ 新緑が黄緑色に美しいのはゴールデンウィーク頃。偶然だが今年は新緑を愛でに明治神宮に来ていた。
新緑が好きということは、新緑の季節を過ぎて緑が濃くなるとあまり魅力を感じなくなることでもある。緑の多い光景はいつだって好きだとしても、論理的に順位を付ければそうなってしまう。
しかし明治神宮の本殿エリアに入り、有名な大きなクスノキが目に入るとちょっと考えが変わった。真夏の緑もとても素敵じゃないか。もしパソコンで読んでいるならクリックで拡大して見て欲しい。
こちらは今年の新緑の頃に同じ場所で撮ったもの。
↑上の写真は太陽に雲が薄くかかった状態なので、
右側の木にたっぷりと日が当たっているときの写真がこちら。
この黄緑色の若々しさがタマラン!のだけれど、
同じ木を25日に眺めて新緑と甲乙付けがたい印象をいだいた。
おそらく光がたっぷりと当たっている、夏の濃い青空とのクッキリしたコントラスト、葉の枚数が増えてボリューム感がある、それにこのクスノキが名木であるのも影響していると思う。そんな理屈はともかくとして、とにかくただただ感動的に美しかった。これから夏の楽しみがひとつ増えてちょっとウレシイ。
本殿を参拝した後は、ほとんどの人が訪れない境内北側の芝生広場を案内し、次にやって来たのが明治神宮御苑(ぎょえん)。明治神宮の敷地は元大名屋敷。その大名屋敷の庭園だった部分が明治神宮御苑となっている。
明治になって大名屋敷を買い上げ皇室御料地となる
↓
大名屋敷の庭だった部分を整備して明治天皇が別宅とする
当時は代々木御苑との名前
↓
明治天皇が亡くなった後、
大正9年(1920年)に御料地を境内として明治神宮が創建される
だいたいそんなような関係。
なので明治天皇にゆかりがあったのはこの御苑。
ただし元は大名屋敷の庭とはいえ、現在の明治神宮御苑は日本庭園として特に美しく整備されているわけではない。多少は庭の雰囲気がある程度。
池にはスイレンが咲いていたがあまり見応えなし。
ここのハナショウブは有名。
もちろん現在はオフシーズンで茎だけの状態。
かやぶき屋根越しに「日本の夏」的な風景を楽しむ。
ハナショウブ畑の先にあるのが、
戦国武将の加藤清正が堀ったと伝えられる「清正井(きよまさのいど)」。
先ほど大名屋敷と書いたが、熊本藩加藤家は江戸上屋敷を国会議事堂の近く、下屋敷をこの地に構えていた。ただし加藤家は清正の息子の代で断絶するので、その後はどちらの屋敷も彦根藩井伊家が引き継いでいる。
もっと水がコンコンと湧いていると思っていたのに、まったく静かな井戸だった。もちろんこんな地表近くに水面があるのだから湧き水には違いない。手を入れると少し冷たかった。
訳がわからないのが井戸のそばにあった看板。水質が飲料に適さず飲用禁止なら理解できるが「都合により」って何だ? いったいどんな都合?
ところで明治神宮はとても広い。つまり参拝したり境内を巡るには長い距離を歩く必要がある。当然ながらこの季節には熱中症に気をつけなければいけない。ちなみにこの日の最高気温は34.4度だった。
しかしここは森の中に神社があるようなもの。だから本殿エリアや芝生広場を除けば、参道とそれ以外の通路も木陰だらけで直射日光を浴びることもなくとても涼しく感じられた。また森の地面のおかげで、ヒートアイランド現象も抑えられていて気温自体も周りより少し低いと思う。
とりあえず真夏の昼間でも明治神宮なら、歩き回って大丈夫という東京観光の豆知識をお伝えしておきましょう。ただし境内に飲料の自販機はないので水は持参すべき。
さて夏の緑の美しさに目覚めたので、もっと各地でそれを楽しみたいものの、明治神宮ほどうっそうとして木陰だらけの場所はそうザラにないのが難点ーーー
原宿駅で落ち合って南参道から明治神宮に入る。原宿駅前の喧噪から3分で神宮の森に包まれるワープ感にY君は感激した様子。何度来ても別世界と思う場所なのだから、初めてならまさに異空間に感じられるはず。ただし参道はJRの線路沿いなので電車の音が聞こえるけれど。(これは今年の5月に撮った写真)
原宿駅からだと2番目の鳥居となる大鳥居。デジカメは持っていったが、今回はY君を撮るカメラマンに徹したのでブログで紹介できるものは少ない。
実は私は新緑が大好き。どれくらい好きかというと、春になって新緑が芽吹くと首を伸ばしてムシャムシャ食べたい衝動に駆られるくらい。たぶん前世はキリンだったに違いないと思っている(^^ゞ 新緑が黄緑色に美しいのはゴールデンウィーク頃。偶然だが今年は新緑を愛でに明治神宮に来ていた。
新緑が好きということは、新緑の季節を過ぎて緑が濃くなるとあまり魅力を感じなくなることでもある。緑の多い光景はいつだって好きだとしても、論理的に順位を付ければそうなってしまう。
しかし明治神宮の本殿エリアに入り、有名な大きなクスノキが目に入るとちょっと考えが変わった。真夏の緑もとても素敵じゃないか。もしパソコンで読んでいるならクリックで拡大して見て欲しい。
こちらは今年の新緑の頃に同じ場所で撮ったもの。
↑上の写真は太陽に雲が薄くかかった状態なので、
右側の木にたっぷりと日が当たっているときの写真がこちら。
この黄緑色の若々しさがタマラン!のだけれど、
同じ木を25日に眺めて新緑と甲乙付けがたい印象をいだいた。
おそらく光がたっぷりと当たっている、夏の濃い青空とのクッキリしたコントラスト、葉の枚数が増えてボリューム感がある、それにこのクスノキが名木であるのも影響していると思う。そんな理屈はともかくとして、とにかくただただ感動的に美しかった。これから夏の楽しみがひとつ増えてちょっとウレシイ。
本殿を参拝した後は、ほとんどの人が訪れない境内北側の芝生広場を案内し、次にやって来たのが明治神宮御苑(ぎょえん)。明治神宮の敷地は元大名屋敷。その大名屋敷の庭園だった部分が明治神宮御苑となっている。
明治になって大名屋敷を買い上げ皇室御料地となる
↓
大名屋敷の庭だった部分を整備して明治天皇が別宅とする
当時は代々木御苑との名前
↓
明治天皇が亡くなった後、
大正9年(1920年)に御料地を境内として明治神宮が創建される
だいたいそんなような関係。
なので明治天皇にゆかりがあったのはこの御苑。
ただし元は大名屋敷の庭とはいえ、現在の明治神宮御苑は日本庭園として特に美しく整備されているわけではない。多少は庭の雰囲気がある程度。
池にはスイレンが咲いていたがあまり見応えなし。
ここのハナショウブは有名。
もちろん現在はオフシーズンで茎だけの状態。
かやぶき屋根越しに「日本の夏」的な風景を楽しむ。
ハナショウブ畑の先にあるのが、
戦国武将の加藤清正が堀ったと伝えられる「清正井(きよまさのいど)」。
先ほど大名屋敷と書いたが、熊本藩加藤家は江戸上屋敷を国会議事堂の近く、下屋敷をこの地に構えていた。ただし加藤家は清正の息子の代で断絶するので、その後はどちらの屋敷も彦根藩井伊家が引き継いでいる。
もっと水がコンコンと湧いていると思っていたのに、まったく静かな井戸だった。もちろんこんな地表近くに水面があるのだから湧き水には違いない。手を入れると少し冷たかった。
訳がわからないのが井戸のそばにあった看板。水質が飲料に適さず飲用禁止なら理解できるが「都合により」って何だ? いったいどんな都合?
ところで明治神宮はとても広い。つまり参拝したり境内を巡るには長い距離を歩く必要がある。当然ながらこの季節には熱中症に気をつけなければいけない。ちなみにこの日の最高気温は34.4度だった。
しかしここは森の中に神社があるようなもの。だから本殿エリアや芝生広場を除けば、参道とそれ以外の通路も木陰だらけで直射日光を浴びることもなくとても涼しく感じられた。また森の地面のおかげで、ヒートアイランド現象も抑えられていて気温自体も周りより少し低いと思う。
とりあえず真夏の昼間でも明治神宮なら、歩き回って大丈夫という東京観光の豆知識をお伝えしておきましょう。ただし境内に飲料の自販機はないので水は持参すべき。
さて夏の緑の美しさに目覚めたので、もっと各地でそれを楽しみたいものの、明治神宮ほどうっそうとして木陰だらけの場所はそうザラにないのが難点ーーー
wassho at 22:29|Permalink│Comments(0)│
2023年05月18日
明治神宮で新緑 その3
この拝殿エリア東側を抜けて次に向かうのは、
明治神宮でもディープなところ。
北参道を北に進む。
明治神宮は敷地東側に南北を結ぶほぼ直線の参道がある。
大鳥居より南側が南参道、北側が北参道と区別される。
南参道と較べると北参道を歩いている人はかなり少ない。
人が少ない分、参道脇の森もいっそう深く思える。
ちなみに南参道から境内を出て青山通りまで続く道路が表参道だが、北参道の延長は裏参道と呼ばれている。明治神宮と神宮外苑を結ぶルートで国立競技場あたりに出る。ただし誰でも知っている表参道と違って知名度はとても低いが。
目的地に向かうのに北参道を通る必要はないけれど、
今まで歩いたことがなかったので。
参考までにこれが当日の散策ルート。
ところで森のあちこちにこんな仕掛けを見かけた。
樹液でも採取しているのかと思うも、上は垂れた樹液が入る構造になっていないし、下は樹液を貯めるには小さすぎる。
後で調べたらこれはナラ枯れ対策の害虫捕獲装置。画像はhttps://greensnap.jp/greenBlog/9755830より引用。
ナラ・シイ・カシなどのブナ科樹木(どんぐりの木)内部にカシノナガ・キクイムシが入り込むと、ラファエレア菌(通称ナラ菌)が繁殖して、水の吸い上げを阻害する。それで枯れるのがナラ枯れと呼ばれるもの。正式名称はブナ科樹木萎凋病。
ネットで調べるとたくさんの情報がヒットするものの、全体としてどの程度深刻な状況なのかはよく分からず。画像はhttps://www.pref.tochigi.lg.jp/d08/rinya_hogo/narakare.htmlより引用。
北参道を折れて本来のルートへ戻る。
誰も歩いていないので、何か出てこないかとちょっとビビる(^^ゞ
本来のルートに入った。
クルマが通るのか?
ここを左に曲がると、
目的地が見えてくる。
これは北池。
神宮御苑にある南池は「なんち」と読むが、この池の読み方は不明。
宝物殿の入口。
公開は不定期・期間限定のようだ。
この日は春の大祭にあわせた公開日だったが、既に公開時間を過ぎていた。
しかし別に宝物殿を見に来たわけじゃない。
お目当てはその前の広大な芝生広場。
1枚の写真ではとても収まりきらない広さ。こんな素敵な場所にもかかわらず、ここを知っている人は少ない。ゴールデンウィークなのにガラ空き! この日、都内で最も人口密度の低い広場だったんじゃないか?
変わった形の雲。
レンズ雲あるいは吊るし雲と言うらしく珍しい現象なので、この日のニュースになっていた。明治神宮でこの雲を目撃できたのは、きっと吉兆に違いない(^^ゞ
新宿御苑でも、ここでも景観のジャマをするDoCoMoのエンパイヤステートもどきビル。
ローアングルにして隠しましょう。
しばし芝生でくつろいだ後、南門に向かって移動。
芝生ゾーンの端から振り返って。
忘れないように書いておくと、ここは原宿駅から徒歩10分ほどの地点である。
境内と言うより森林公園を歩いている雰囲気。
お手入れご苦労様。
ずいぶんうっそうとしてきて暗くなった。
前方から光が差し込んでいる。
南門、第一鳥居の横に抜けて明治神宮散策は終了。
そのまま帰るのはもったいないので、表参道を下っていく。
下界に戻った気分。
日本初の億ションといわれるコープオリンピア。竣工は1965年(昭和40年)。オリンピアのネーミングは1964年の東京オリンピックにちなんで。
その隣にあるレンガ色の建物がマンション31。1974年(昭和49年)に竣工。名前はマンションでも、今はほとんどが賃貸オフィスになっている。
この2つの共通点は、どちらもかつてジャニーズの合宿所(寮)があったこと。ただいま話題沸騰中のジャニー喜多川氏が若き頃は夜な夜なここで(^^ゞ
明治通りと表参道が交わる神宮前交差点。
北西側にある東急プラザ表参道原宿。もはや伝説の原宿セントラルアパート(1958〜1990年頃)からティーズ原宿(1999〜2010年)という商業施設を経て2012年に開業。
その向かいにあるビルは原宿セントラルアパートと同世代のはず。学生時代にこのビル2階のお店に何かを買いに来た。ここを通る度にその記憶がよみがえるのに、それが何の店だったか未だに思い出せない(/o\)
ラフォーレ原宿には30年以上は行っていないなあ。
表参道を少し下って歩道橋へ。
それはこの表参道の新緑を眺めるため。
まるで都市開発のイメージスケッチのような美しい光景である。
左側は表参道ヒルズ。
その開発のためにこの同潤会アパートが取り壊されたのは残念。
そのせいでこの街の個性がずいぶんと失われた。
これは保存ではなく1棟だけモニュメント的にに再現されたもの。
オリジナルよりもヨーロッパ調に仕上げられている。
明治神宮で都心から森へのワープ感覚を味わい、新緑を満喫して、また森林浴もたっぷりと。突然思いついたにしては充実したゴールデンウィークの1日。人混みは嫌いだけれど、表参道ならその喧噪も何となく受け入れられるから不思議。
おしまい
明治神宮でもディープなところ。
北参道を北に進む。
明治神宮は敷地東側に南北を結ぶほぼ直線の参道がある。
大鳥居より南側が南参道、北側が北参道と区別される。
南参道と較べると北参道を歩いている人はかなり少ない。
人が少ない分、参道脇の森もいっそう深く思える。
ちなみに南参道から境内を出て青山通りまで続く道路が表参道だが、北参道の延長は裏参道と呼ばれている。明治神宮と神宮外苑を結ぶルートで国立競技場あたりに出る。ただし誰でも知っている表参道と違って知名度はとても低いが。
目的地に向かうのに北参道を通る必要はないけれど、
今まで歩いたことがなかったので。
参考までにこれが当日の散策ルート。
ところで森のあちこちにこんな仕掛けを見かけた。
樹液でも採取しているのかと思うも、上は垂れた樹液が入る構造になっていないし、下は樹液を貯めるには小さすぎる。
後で調べたらこれはナラ枯れ対策の害虫捕獲装置。画像はhttps://greensnap.jp/greenBlog/9755830より引用。
ナラ・シイ・カシなどのブナ科樹木(どんぐりの木)内部にカシノナガ・キクイムシが入り込むと、ラファエレア菌(通称ナラ菌)が繁殖して、水の吸い上げを阻害する。それで枯れるのがナラ枯れと呼ばれるもの。正式名称はブナ科樹木萎凋病。
ネットで調べるとたくさんの情報がヒットするものの、全体としてどの程度深刻な状況なのかはよく分からず。画像はhttps://www.pref.tochigi.lg.jp/d08/rinya_hogo/narakare.htmlより引用。
北参道を折れて本来のルートへ戻る。
誰も歩いていないので、何か出てこないかとちょっとビビる(^^ゞ
本来のルートに入った。
クルマが通るのか?
ここを左に曲がると、
目的地が見えてくる。
これは北池。
神宮御苑にある南池は「なんち」と読むが、この池の読み方は不明。
宝物殿の入口。
公開は不定期・期間限定のようだ。
この日は春の大祭にあわせた公開日だったが、既に公開時間を過ぎていた。
しかし別に宝物殿を見に来たわけじゃない。
お目当てはその前の広大な芝生広場。
1枚の写真ではとても収まりきらない広さ。こんな素敵な場所にもかかわらず、ここを知っている人は少ない。ゴールデンウィークなのにガラ空き! この日、都内で最も人口密度の低い広場だったんじゃないか?
変わった形の雲。
レンズ雲あるいは吊るし雲と言うらしく珍しい現象なので、この日のニュースになっていた。明治神宮でこの雲を目撃できたのは、きっと吉兆に違いない(^^ゞ
新宿御苑でも、ここでも景観のジャマをするDoCoMoのエンパイヤステートもどきビル。
ローアングルにして隠しましょう。
しばし芝生でくつろいだ後、南門に向かって移動。
芝生ゾーンの端から振り返って。
忘れないように書いておくと、ここは原宿駅から徒歩10分ほどの地点である。
境内と言うより森林公園を歩いている雰囲気。
お手入れご苦労様。
ずいぶんうっそうとしてきて暗くなった。
前方から光が差し込んでいる。
南門、第一鳥居の横に抜けて明治神宮散策は終了。
そのまま帰るのはもったいないので、表参道を下っていく。
下界に戻った気分。
日本初の億ションといわれるコープオリンピア。竣工は1965年(昭和40年)。オリンピアのネーミングは1964年の東京オリンピックにちなんで。
その隣にあるレンガ色の建物がマンション31。1974年(昭和49年)に竣工。名前はマンションでも、今はほとんどが賃貸オフィスになっている。
この2つの共通点は、どちらもかつてジャニーズの合宿所(寮)があったこと。ただいま話題沸騰中のジャニー喜多川氏が若き頃は夜な夜なここで(^^ゞ
明治通りと表参道が交わる神宮前交差点。
北西側にある東急プラザ表参道原宿。もはや伝説の原宿セントラルアパート(1958〜1990年頃)からティーズ原宿(1999〜2010年)という商業施設を経て2012年に開業。
その向かいにあるビルは原宿セントラルアパートと同世代のはず。学生時代にこのビル2階のお店に何かを買いに来た。ここを通る度にその記憶がよみがえるのに、それが何の店だったか未だに思い出せない(/o\)
ラフォーレ原宿には30年以上は行っていないなあ。
表参道を少し下って歩道橋へ。
それはこの表参道の新緑を眺めるため。
まるで都市開発のイメージスケッチのような美しい光景である。
左側は表参道ヒルズ。
その開発のためにこの同潤会アパートが取り壊されたのは残念。
そのせいでこの街の個性がずいぶんと失われた。
これは保存ではなく1棟だけモニュメント的にに再現されたもの。
オリジナルよりもヨーロッパ調に仕上げられている。
明治神宮で都心から森へのワープ感覚を味わい、新緑を満喫して、また森林浴もたっぷりと。突然思いついたにしては充実したゴールデンウィークの1日。人混みは嫌いだけれど、表参道ならその喧噪も何となく受け入れられるから不思議。
おしまい
wassho at 22:27|Permalink│Comments(0)│
2023年05月16日
明治神宮で新緑 その2
「木造の明神鳥居としては3番目の大きさ」であると判明してしまった大鳥居(前回参照)。それをくぐった先に明治神宮御苑の出入り口がある。御苑はいわば神社内の日本庭園のようなところ。今回はパスしたがハナショウブの頃に来てみようかと思っている。
少し進んだ場所から第二鳥居の大鳥居を振り返る。
その次にあるのが第三鳥居の南玉垣鳥居。
両者の位置関係。
大鳥居から南玉垣鳥居までの通路は正参道と呼ばれている。
ところで正参道はご覧のように途中で折れ曲がっているわけだが、実はこの角度が90度ではなく88度になっている。八は末広がりで縁起を担いでの設計らしい。ただ現地で2度の違いを感じるのは難しいかな。企画倒れ感あり(/o\)
南玉垣鳥居に到着。
新緑を背景にすがすがしい光景。
この鳥居は2016年に立て替えられている。以前に来たのは2019年だからまだ3年目で白木の雰囲気があった↓ 7年経った現在と見較べてみるのも面白い。
さて社殿に入る。
拝殿の左右に巨大なクスノキ。樹高約17m。
実は左側のクスノキは2本の木が1つに見えるように剪定されたもの。
その根元の写真。
これは夫婦楠(めおとくす)と呼ばれて夫婦円満や家内安全の象徴として人気。
このクスノキに手を合わせている人もいたし、チャッカリ木の前に賽銭箱もある(^^ゞ
右側のクスノキの下は絵馬掛け所になっている。
所はショではなくドコロね。
外人さん絵馬記入中。
外国語の絵馬はかなり多い。
何語で書かれたのか分からない絵馬も。
拝殿の左右には、
日本酒、お茶、ビール、お餅、漬物と奉納されたものがたくさん。
拝殿から振り返った南神門。
明治神宮で新緑と青空を眺めたら何かいいこと起こりそう。
ちょっと雲が多くなり太陽が遮られがちなものの、
新緑が照らし出された瞬間は逃さない!
拝殿エリアを東側の門から出たところ。
左は神楽殿で、右は社務所。
巫女さんを撮っていないで(^^ゞ
「春は新緑」を目に焼き付けましょう。
ーーー続く
少し進んだ場所から第二鳥居の大鳥居を振り返る。
その次にあるのが第三鳥居の南玉垣鳥居。
両者の位置関係。
大鳥居から南玉垣鳥居までの通路は正参道と呼ばれている。
ところで正参道はご覧のように途中で折れ曲がっているわけだが、実はこの角度が90度ではなく88度になっている。八は末広がりで縁起を担いでの設計らしい。ただ現地で2度の違いを感じるのは難しいかな。企画倒れ感あり(/o\)
南玉垣鳥居に到着。
新緑を背景にすがすがしい光景。
この鳥居は2016年に立て替えられている。以前に来たのは2019年だからまだ3年目で白木の雰囲気があった↓ 7年経った現在と見較べてみるのも面白い。
さて社殿に入る。
拝殿の左右に巨大なクスノキ。樹高約17m。
実は左側のクスノキは2本の木が1つに見えるように剪定されたもの。
その根元の写真。
これは夫婦楠(めおとくす)と呼ばれて夫婦円満や家内安全の象徴として人気。
このクスノキに手を合わせている人もいたし、チャッカリ木の前に賽銭箱もある(^^ゞ
右側のクスノキの下は絵馬掛け所になっている。
所はショではなくドコロね。
外人さん絵馬記入中。
外国語の絵馬はかなり多い。
何語で書かれたのか分からない絵馬も。
拝殿の左右には、
日本酒、お茶、ビール、お餅、漬物と奉納されたものがたくさん。
拝殿から振り返った南神門。
明治神宮で新緑と青空を眺めたら何かいいこと起こりそう。
ちょっと雲が多くなり太陽が遮られがちなものの、
新緑が照らし出された瞬間は逃さない!
拝殿エリアを東側の門から出たところ。
左は神楽殿で、右は社務所。
巫女さんを撮っていないで(^^ゞ
「春は新緑」を目に焼き付けましょう。
ーーー続く
wassho at 20:01|Permalink│Comments(0)│
2023年05月15日
明治神宮で新緑 &鳥居のナゾ
「春はあけぼの」ならぬ「春は新緑」だの話は何回か前に書いた。5月6日は曇りのち雨のさえない予報だったはずが、いい天気になったので新緑を楽しみに出かけようかと。しかしそんなつもりはなく遅くまで寝ていたから、あまり郊外までは足を伸ばせない。ならば緑が深くて自宅から近いところといえば明治神宮である。
2020年に新しくなった原宿駅。
地下鉄で来たのでこの駅で降りたわけじゃない。地下鉄の明治神宮前駅とはつながってはいるものの、実はJRの新しい駅舎にはまだ入ったことがない。
原宿駅前の交差点。
真っ直ぐ進めば(明治神宮のというより地名としての)表参道。
180度向きを変えて神宮橋。
橋の下は山手線その他JRの線路。
それを渡れば明治神宮の南門。
この鳥居は第一鳥居と呼ばれる。
あれ? 以前に来たときと雰囲気が違う。
こちらの写真は2019年1月の撮影。
調べてみると、以前の鳥居は明治神宮が創建された1920年(大正9年)からのもの。老朽化や腐食が進んだとの理由で、昨年の1月から7月にかけて建て替えたそうだ。古くなっているイメージなかったけどなあ。それにしてもシンプルな構造物なのに工事期間はけっこう長いね。写真では新しい鳥居が小さく見えるが、それは構図のせいで高さ11m、最上部の幅15.6mは先代と同じ。
新緑が映える新鳥居。
境内に入る。
原宿駅前から3分でこの光景に変化するワープ感覚が明治神宮の魅力。
うっそうとしているので新緑は木々の間から。
写真に撮ると光の当たっているところしか新緑のように見えないものの、
実際は新緑のトンネルに包まれている感がある。
ところどころ視界が開けた場所では巨大な新緑。
参道はまだまだ続く。
南門の第一鳥居をくぐり、次の鳥居である大鳥居まで約450mある。
大鳥居で社殿方向に曲がらずに、北門までまっすぐ行くと約1km。
明治神宮に来ると何か特別な感覚を覚えるという人は多い。パワースポットだからなんて説明されたりもする。もちろんそんな都合のいいエネルギーなんて存在しないから
深い森に囲まれた
先が見えないほどの長い直線道路
がその正体だと思う。山に行けばもっとたくさんの木が生えているし、高速道路を始め長い直線道路もあちこちにある。しかしこの2つが同時に存在している場所はそう多くはない。だから不思議な気持ちになる。さらに森はカオス的存在だし、直線道路は秩序そのもの。その極端でスケールの大きな対比が知覚に普段とは違う刺激を与えるのだろう。もちろん神様がいるからと信じたい人の気持ちは尊重するよ(^^ゞ
奉納された日本酒。
どこの神社にもあるが明治神宮のはスケールが桁違い。数えてみると5段目までは1列に38樽が並んでいる。最上段は27樽で合計217樽。ただし2樽奉納しているお酒が多いので銘柄数はその半分ほど。ちなみにこの樽にはお酒は入っていない。
その向かいにはワインの樽。
明治天皇がワイン好きだった縁でフランスのブルゴーニュから贈られたもの。
ロマネコンティの樽もあるらしい。
そして現れるのが大鳥居と呼ばれる第二鳥居。
こちらは1975年(昭和50年)に立て替えられている。ところで明治神宮のホームページによると、この鳥居は「高さ12m、笠木(最上部)の長さ17m」で「木造の明神鳥居としては日本一」と書かれており、ネットでもそのコピペ情報がほとんど。
そこをスルーしないのがこのブログのいいところでありメンドくさいところ(^^ゞ
まず明神鳥居とは何だ。
鳥居には主なものだけで30種類ほどのバリエーションがあるらしく、大別すると明神(みょうじん)鳥居系と神明(しんめい)鳥居系に分けられる。明神と神明ーーーどうして漢字を入れ替えただけの紛らわしい名前にした?
その最も大きな違いは、明神が上部が反って装飾性を持たせているのに対して、神明は丸太を組み合わせただけのシンプルなデザイン。
それで「木造」の注釈はコンクリート製あるいは鉄製ならさらに大きな鳥居があるのは当然として、「木造の明神鳥居として」と言うからには、木造の神明鳥居に明治神宮のより大きなものがあるように読み取れる。
調べてみると工法を問わず、日本で最大の鳥居は和歌山県にある熊野本宮大社のもの。
鋼板製で高さ33.9m、幅42m。
この鳥居は日本一なのでときどき紹介される。
それにしても巨大。無駄にデカいとの気もするが(^^ゞ
しかもこの鳥居は神社からかなり離れた場所にあって(鳥居の背後の森は神社ではない)、神社の参道に建っているわけでもない。建設地はかつて神社があった場所らしいが、境内にこんなサイズでは建てられないからそこが選ばれたのだろう。まあ巨大なものを造りたいとは人間の本能。建立は2000年。施工は川崎製鉄と日本鋼管が前身のJFEエンジニアリング。
それはさておき「神社の鳥居、高さランキング」を記したホームページを見ていておかしなことに気づいた。1位から19位は鋼板製やコンクリート製の鳥居が並ぶ。工法不明のものもあるが木造ではないだろう。
木造の鳥居が登場するのは20位の山梨県の北口本宮冨士浅間神社から。
冨士山大鳥居と呼ばれ高さ18m、幅11m。
それがこの写真。
あれ? 上部が反っているから明治神宮と同じ明神鳥居じゃないか。
でもこれは脚が3本あるから明神系の両部鳥居としてカウントしているのかも知れない。
木造2位は広島県の厳島神社で高さ16.6m。
これも明神系の両部鳥居。
問題は木造3位である埼玉の川越氷川神社。
高さ15mで明治神宮のより3m高い。
そしてこれは純粋な明神型の鳥居じゃないか。
面白いのは木造4位の同じく埼玉にある武蔵一宮・氷川神社。
この神社の鳥居は明治神宮が大鳥居を1975年に建て変えたときに譲り受けたもの。その時に鳥居下部を1m継ぎ足して高さ13mにしている。もちろん明治神宮のお下がりだから正真正銘の明神鳥居。
それ以上は調べていないが、明治神宮が「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているなら「木造の神明鳥居」でもっと大きなものがあるかと思いきや、明治神宮と同じ「木造の明神鳥居」でより大きなものが存在した。
もっとも明治神宮のホームページは「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているだけで、日本で一番大きいとも高いとも書いていない。でもナンダカなあ〜と思わざるを得ない。ましてや明治神宮の元鳥居を改造して現鳥居より大きくしたものまで存在するのである。
えっ、そんなアラ探しをしたらバチが当たるって?
いや、バチが当たるのはウソをつく奴だよ。
鳥居の話で長くなってしまったm(_ _)m
ーーー続く
画像の引用元ページ
引用1:https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/7261/
引用2:https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstk/Dskmy/147552/252217/
引用3:https://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/kumano-sanzan/hongu.html
引用4:https://www.jtb.co.jp/myjtb/card/travel_life/column/article310.asp
引用5:https://j-town.net/2019/06/27290669.html?p=all
引用6:https://thegate12.com/jp/article/456
2020年に新しくなった原宿駅。
地下鉄で来たのでこの駅で降りたわけじゃない。地下鉄の明治神宮前駅とはつながってはいるものの、実はJRの新しい駅舎にはまだ入ったことがない。
原宿駅前の交差点。
真っ直ぐ進めば(明治神宮のというより地名としての)表参道。
180度向きを変えて神宮橋。
橋の下は山手線その他JRの線路。
それを渡れば明治神宮の南門。
この鳥居は第一鳥居と呼ばれる。
あれ? 以前に来たときと雰囲気が違う。
こちらの写真は2019年1月の撮影。
調べてみると、以前の鳥居は明治神宮が創建された1920年(大正9年)からのもの。老朽化や腐食が進んだとの理由で、昨年の1月から7月にかけて建て替えたそうだ。古くなっているイメージなかったけどなあ。それにしてもシンプルな構造物なのに工事期間はけっこう長いね。写真では新しい鳥居が小さく見えるが、それは構図のせいで高さ11m、最上部の幅15.6mは先代と同じ。
新緑が映える新鳥居。
境内に入る。
原宿駅前から3分でこの光景に変化するワープ感覚が明治神宮の魅力。
うっそうとしているので新緑は木々の間から。
写真に撮ると光の当たっているところしか新緑のように見えないものの、
実際は新緑のトンネルに包まれている感がある。
ところどころ視界が開けた場所では巨大な新緑。
参道はまだまだ続く。
南門の第一鳥居をくぐり、次の鳥居である大鳥居まで約450mある。
大鳥居で社殿方向に曲がらずに、北門までまっすぐ行くと約1km。
明治神宮に来ると何か特別な感覚を覚えるという人は多い。パワースポットだからなんて説明されたりもする。もちろんそんな都合のいいエネルギーなんて存在しないから
深い森に囲まれた
先が見えないほどの長い直線道路
がその正体だと思う。山に行けばもっとたくさんの木が生えているし、高速道路を始め長い直線道路もあちこちにある。しかしこの2つが同時に存在している場所はそう多くはない。だから不思議な気持ちになる。さらに森はカオス的存在だし、直線道路は秩序そのもの。その極端でスケールの大きな対比が知覚に普段とは違う刺激を与えるのだろう。もちろん神様がいるからと信じたい人の気持ちは尊重するよ(^^ゞ
奉納された日本酒。
どこの神社にもあるが明治神宮のはスケールが桁違い。数えてみると5段目までは1列に38樽が並んでいる。最上段は27樽で合計217樽。ただし2樽奉納しているお酒が多いので銘柄数はその半分ほど。ちなみにこの樽にはお酒は入っていない。
その向かいにはワインの樽。
明治天皇がワイン好きだった縁でフランスのブルゴーニュから贈られたもの。
ロマネコンティの樽もあるらしい。
そして現れるのが大鳥居と呼ばれる第二鳥居。
こちらは1975年(昭和50年)に立て替えられている。ところで明治神宮のホームページによると、この鳥居は「高さ12m、笠木(最上部)の長さ17m」で「木造の明神鳥居としては日本一」と書かれており、ネットでもそのコピペ情報がほとんど。
そこをスルーしないのがこのブログのいいところでありメンドくさいところ(^^ゞ
まず明神鳥居とは何だ。
鳥居には主なものだけで30種類ほどのバリエーションがあるらしく、大別すると明神(みょうじん)鳥居系と神明(しんめい)鳥居系に分けられる。明神と神明ーーーどうして漢字を入れ替えただけの紛らわしい名前にした?
その最も大きな違いは、明神が上部が反って装飾性を持たせているのに対して、神明は丸太を組み合わせただけのシンプルなデザイン。
画像引用1
それで「木造」の注釈はコンクリート製あるいは鉄製ならさらに大きな鳥居があるのは当然として、「木造の明神鳥居として」と言うからには、木造の神明鳥居に明治神宮のより大きなものがあるように読み取れる。
調べてみると工法を問わず、日本で最大の鳥居は和歌山県にある熊野本宮大社のもの。
鋼板製で高さ33.9m、幅42m。
画像引用2&3
この鳥居は日本一なのでときどき紹介される。
それにしても巨大。無駄にデカいとの気もするが(^^ゞ
しかもこの鳥居は神社からかなり離れた場所にあって(鳥居の背後の森は神社ではない)、神社の参道に建っているわけでもない。建設地はかつて神社があった場所らしいが、境内にこんなサイズでは建てられないからそこが選ばれたのだろう。まあ巨大なものを造りたいとは人間の本能。建立は2000年。施工は川崎製鉄と日本鋼管が前身のJFEエンジニアリング。
それはさておき「神社の鳥居、高さランキング」を記したホームページを見ていておかしなことに気づいた。1位から19位は鋼板製やコンクリート製の鳥居が並ぶ。工法不明のものもあるが木造ではないだろう。
木造の鳥居が登場するのは20位の山梨県の北口本宮冨士浅間神社から。
冨士山大鳥居と呼ばれ高さ18m、幅11m。
それがこの写真。
画像引用4
あれ? 上部が反っているから明治神宮と同じ明神鳥居じゃないか。
でもこれは脚が3本あるから明神系の両部鳥居としてカウントしているのかも知れない。
木造2位は広島県の厳島神社で高さ16.6m。
これも明神系の両部鳥居。
画像引用5
問題は木造3位である埼玉の川越氷川神社。
高さ15mで明治神宮のより3m高い。
そしてこれは純粋な明神型の鳥居じゃないか。
画像引用6
面白いのは木造4位の同じく埼玉にある武蔵一宮・氷川神社。
この神社の鳥居は明治神宮が大鳥居を1975年に建て変えたときに譲り受けたもの。その時に鳥居下部を1m継ぎ足して高さ13mにしている。もちろん明治神宮のお下がりだから正真正銘の明神鳥居。
それ以上は調べていないが、明治神宮が「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているなら「木造の神明鳥居」でもっと大きなものがあるかと思いきや、明治神宮と同じ「木造の明神鳥居」でより大きなものが存在した。
もっとも明治神宮のホームページは「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているだけで、日本で一番大きいとも高いとも書いていない。でもナンダカなあ〜と思わざるを得ない。ましてや明治神宮の元鳥居を改造して現鳥居より大きくしたものまで存在するのである。
えっ、そんなアラ探しをしたらバチが当たるって?
いや、バチが当たるのはウソをつく奴だよ。
鳥居の話で長くなってしまったm(_ _)m
ーーー続く
画像の引用元ページ
引用1:https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/7261/
引用2:https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstk/Dskmy/147552/252217/
引用3:https://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/kumano-sanzan/hongu.html
引用4:https://www.jtb.co.jp/myjtb/card/travel_life/column/article310.asp
引用5:https://j-town.net/2019/06/27290669.html?p=all
引用6:https://thegate12.com/jp/article/456
wassho at 22:40|Permalink│Comments(0)│
2023年05月08日
港の見える丘公園で春バラ
アメリカ山公園から港の見える丘公園へ行くには2通りのルートがある。
前回に写真を載せた門柱のある出入り口から進んで外国人墓地の横を通り、
港の見える丘公園のイギリス山から入る。
1階に降りて海側に移動し、港の見える丘公園のフランス山から入る。
イギリス山ルートだと平坦なのだが、何となく港の見える丘公園はフランス山の階段を上る習慣があるので後者を選んだ。
アメリカ山を下るのはエレベーターで。
元町・中華街駅の地上出口。
港の見える丘公園が350mで山下公園が400mの標識。2つの公園がそんなに近いのかと思われるかも知れないが、山下公園の400mは一番近い西側の入口までの距離。山下公園の敷地はそこから約800mの長さがある。
それとこの標識の数字は少しおかしくて、港の見える丘公園の入口までは100mもない。
ベージュ色のアーチが入口。
これがフランス橋で、ここはフランス山地区。
階段を登る。
ちょっと長い。
公園は4つのエリアに分かれている。
急坂があるのはフランス山に上がる最初だけ。
平坦な庭園広場に出ると、
アメリカ山公園と同じく巨大なシャクナゲがお出迎え。
この風車はフランス領事官邸の井戸を汲み上げていたもの。
今は飾りとして回っているだけ。
フランス山の歴史は教科書にも載っていた生麦事件から始まる。
林間広場までやって来た。
新緑が眩しく美しい!
ごく普通の彫刻に思えるが、
題材はかなり重い。
米軍の問題は沖縄ばかりのイメージで、1977年にファントム戦闘機が横浜の住宅地に墜落した事故はあまり知られていない。もちろん当時は大騒ぎだったものの50年近くたって風化したというか、それ以降に生まれた人ならほとんど知らないだろう。でも忘れちゃいけない日本の黒歴史。興味があれば「愛の母子像」「パパママバイバイ」などでお調べを。
木立の間から展望台が見えてきた。
港の見える丘公園に来たことがなくても、この展望台を何かで見た人は多いはず。
とりあえず眺めるのがお約束。
しかし正面にベイブリッジはあるものの、
それ以外は単なる港湾施設が見えるだけでパッとしないのがこの展望台の難点(>_<)
90度左を向けば山下公園に係留されている氷川丸の「煙突」と、
その奥に大さん橋をかろうじて眺められる。
実はこの屋根がカッコイイのだけれど、写真に撮っている人はいなかった(/o\)
展望台隣の花壇にいたガーデンベア。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているゆるキャラ。緑色がだからまったくベア(クマ)に見えないのがご愛敬。子熊かと思いきやなぜか推定年齢200歳の設定。ナンデ?
そしていよいよバラ園に入る。
まずはマップで沈床花壇と書かれているゾーンへ。
ここはアーチに沿わせたバラがメイン。
開花率は65%くらいかな。
最初に書いたように来週は雨の予報なので、タイミング的に1週間早いのは承知の上。
ゴールデンウィークだし、人が写り込まずに撮るのは不可能。
それならば「上を向いて歩こうホトトギス」。
横から撮るのもアリ。
中央に噴水がある。
そこでやることはひとつの高速シャッター撮影。
アップでいろいろ。
開花率は今ひとつだったとはいえバラ花壇の規模が大きい、すなわち花数の絶対数が多いので物足りなさは感じずにすんだ。それと開花率が低い=早くから咲いて既に痛んでいる花が少ないので、適当にシャッターを切っても状態のいい花が多かった。満開状態だと見栄えの悪い花が混じるもの。バラに限らず開花率をとるか、状態のよさを優先するかはいつも悩むところ。
この沈床花壇はバラの品種は多くない。
でもピンクのバラが一番好きだし、それがキレイに咲いていたから満足。
ーーー続く
前回に写真を載せた門柱のある出入り口から進んで外国人墓地の横を通り、
港の見える丘公園のイギリス山から入る。
1階に降りて海側に移動し、港の見える丘公園のフランス山から入る。
イギリス山ルートだと平坦なのだが、何となく港の見える丘公園はフランス山の階段を上る習慣があるので後者を選んだ。
アメリカ山を下るのはエレベーターで。
元町・中華街駅の地上出口。
港の見える丘公園が350mで山下公園が400mの標識。2つの公園がそんなに近いのかと思われるかも知れないが、山下公園の400mは一番近い西側の入口までの距離。山下公園の敷地はそこから約800mの長さがある。
それとこの標識の数字は少しおかしくて、港の見える丘公園の入口までは100mもない。
ベージュ色のアーチが入口。
これがフランス橋で、ここはフランス山地区。
階段を登る。
ちょっと長い。
公園は4つのエリアに分かれている。
急坂があるのはフランス山に上がる最初だけ。
平坦な庭園広場に出ると、
アメリカ山公園と同じく巨大なシャクナゲがお出迎え。
この風車はフランス領事官邸の井戸を汲み上げていたもの。
今は飾りとして回っているだけ。
フランス山の歴史は教科書にも載っていた生麦事件から始まる。
林間広場までやって来た。
新緑が眩しく美しい!
ごく普通の彫刻に思えるが、
題材はかなり重い。
米軍の問題は沖縄ばかりのイメージで、1977年にファントム戦闘機が横浜の住宅地に墜落した事故はあまり知られていない。もちろん当時は大騒ぎだったものの50年近くたって風化したというか、それ以降に生まれた人ならほとんど知らないだろう。でも忘れちゃいけない日本の黒歴史。興味があれば「愛の母子像」「パパママバイバイ」などでお調べを。
木立の間から展望台が見えてきた。
港の見える丘公園に来たことがなくても、この展望台を何かで見た人は多いはず。
とりあえず眺めるのがお約束。
しかし正面にベイブリッジはあるものの、
それ以外は単なる港湾施設が見えるだけでパッとしないのがこの展望台の難点(>_<)
90度左を向けば山下公園に係留されている氷川丸の「煙突」と、
その奥に大さん橋をかろうじて眺められる。
実はこの屋根がカッコイイのだけれど、写真に撮っている人はいなかった(/o\)
展望台隣の花壇にいたガーデンベア。
これは横浜市の緑化事業関連で使われているゆるキャラ。緑色がだからまったくベア(クマ)に見えないのがご愛敬。子熊かと思いきやなぜか推定年齢200歳の設定。ナンデ?
そしていよいよバラ園に入る。
まずはマップで沈床花壇と書かれているゾーンへ。
ここはアーチに沿わせたバラがメイン。
開花率は65%くらいかな。
最初に書いたように来週は雨の予報なので、タイミング的に1週間早いのは承知の上。
ゴールデンウィークだし、人が写り込まずに撮るのは不可能。
それならば「上を向いて歩こうホトトギス」。
横から撮るのもアリ。
中央に噴水がある。
そこでやることはひとつの高速シャッター撮影。
アップでいろいろ。
開花率は今ひとつだったとはいえバラ花壇の規模が大きい、すなわち花数の絶対数が多いので物足りなさは感じずにすんだ。それと開花率が低い=早くから咲いて既に痛んでいる花が少ないので、適当にシャッターを切っても状態のいい花が多かった。満開状態だと見栄えの悪い花が混じるもの。バラに限らず開花率をとるか、状態のよさを優先するかはいつも悩むところ。
この沈床花壇はバラの品種は多くない。
でもピンクのバラが一番好きだし、それがキレイに咲いていたから満足。
ーーー続く
wassho at 22:17|Permalink│Comments(0)│
2023年05月07日
春バラはアメリカ山公園から その2
バラはこの広場の反対側、
すなわちカメラを構えている背後に主に植えられている。
ベイブリッジやマリンタワーと一緒に。
壁やアーチやフェンスなどいろいろな背景のバラを楽しめる。
フェンスの上にいたカラス。
カラスをじっくり眺めたことはあまりないが、日光を浴びていると意外とキレイ。
あれこれアップで。
バラ以外もたくさんの花が咲いていた。
写真を撮ったのはごく一部。
ラベンダーもあった。通常は7月頃に咲く花なので、これは早咲きの品種なのだろう。そっと握りしめて手のひらをクンクン(^^ゞ バラとラベンダーの香りを同時に楽しめるなんてシアワセ。
メインの芝生広場とは別の小さな芝生。
ここは何となく建物の屋上感がある。
やはりこちらのほうが圧倒的に素晴らしい。
新緑もキレイ。
こんな寄せ植えの後ろにあったのは、
人の頭ほどもある大きなシャクナゲ。
写真じゃサイズ感は伝わらないけれど。
ひときわ目立っていたのがベニバナトチノキ。
これは初めて見た。普通のトチノキは白い花がニョキニョキ伸びるように咲いて、ちょっと気持ち悪いのだけれど、色が違うだけでこうも印象が変わるのかと驚く。
花自体も美しい。
芝生広場の中段から。
アメリカ山の由来。
幕末はアメリカ公使館の予定地だったり、戦後は米軍住宅が建ったりしてアメリカに縁が深かったから、公園を整備したときにアメリカ山と名付けたみたい。横浜にはフランス山、イギリス山、イタリア山が昔からあるので、新たにアメリカ山ができても違和感はない。
駅から上がってくるエスカレーターとは反対側の出入り口から。
門柱のフォントがおしゃれ。
港の見える丘公園に行く前に、軽く前菜のつもりで訪れたアメリカ山公園。
思いのほかボリュームのある前菜で満足感高し。
ーーー続く
wassho at 22:24|Permalink│Comments(0)│
2023年05月03日
新緑を求めて等々力渓谷 その2
ガッカリ名所だった横穴墓群から水辺に戻って、
渓谷散策の再スタート。
少し横道にそれたところにお堂があった。
子供? 女の子?
お堂の横を抜けて水辺に戻る途中に稚児大師様像とあった。大師は空海(弘法大師)だから、その幼少期の姿か。真言宗は仏ではなく空海を信仰対象とするイメージが強い。
対岸にもお堂。
のぼりには稲荷大明神と書かれている。
そのお堂の手前にあった石仏。
このあたりは神仏一体の世界線。(初めてこの言葉を使った)
右は観音菩薩、左はお地蔵さんのように見えるが弘法大師像とのこと。それを石仏とは言わないかも知れないが、これはもう完全に仏の姿になぞらえている。
近くにカフェのようなお店もあった。
階段の上に不思議な建築物を発見。
ナンジャコレ?
階段を上りきると等々力不動尊という寺だった。
不動尊は不動明王を本尊とする寺で、ほとんどの場合は真言宗か天台宗。この2つの宗派はライバル関係なのに(だったのに)、どうしたそうなったのか興味深い。あちこちに弘法大師像があるから、この等々力不動尊の宗派は真言宗。
階段の下から見たナゾの建築物は儀式か何かに使うのかな?
写真の左側にも建物は延びている。
そこから見下ろした境内の様子。
一番左側は展望台になっている。
とはいっても木々しか見渡せず。
なぜか太陽から一筋の光が延びて、しかも下のほうで少し曲がっている。
これは不動明王からのお告げ光線に違いない(^^ゞ
ナゾの建築物の高い部分には上がれなかった。
ナゾの建築物のナゾの穴。
水抜きのためかと思ったが、板と板の間は隙間だらけだしーーー
展望台でしばし新緑を眺める。
境内から延びている通路を進む。
渓谷内と違って高台なので日当たりがよく新緑を満喫できる。
これは赤い布があるからお地蔵さんだろう。ちなみに仏のヒエラルキーは如来→菩薩→明王→天部。お地蔵さんは何となく庶民的なイメージがあるものの、地蔵菩薩だからけっこうセレブな仏様。
また新緑を眺めて、
あちこちにあるお堂に目をやる。
これは弁財天で、他にもいろいろあった。
そしてまた新緑を眺める。
新緑を求めてやって来たのだから。
iPhoneの超広角レンズは広い範囲を撮れる。しかし画面の中央以外はブレているというか流れたような画像になるのが不満。
先ほどのカフェに降りる道しるべがあった。
客を案内するような道ではないと思うゾ(^^ゞ
正面は等々力不動尊に上がる前に見た稲荷大明神。
お堂には不動明王も置かれている。
写真右手前が観音菩薩と弘法大師像。
お堂と2体の石仏を結ぶライン上にチョロチョロ水が落ちていて、不動の滝と大げさな名前がついている。かつてはここで滝行をしたり、そもそも等々力の地名は不動の滝の音が周囲に「とどろく」に由来したともいわれるくらい水量の豊富な滝だったらしい。
稲荷堂を離れて下流に進むと、日本庭園の案内があった。
案内看板から少し階段を上がると入口。
期待はしていなかったとはいえ、たいした庭園じゃない。だいたい日本庭園は自然を箱庭的に再現したもの。ジャンブルのような等々力渓谷を歩いてきたのだから、その有り難みも薄れるというもの。
でも新緑がキレイだからヨシ。
ところどころ行き止まりになっていたが、こんな通路を進み、
竹林の間を上がっていくと和風の建物がある。
ここでは書院と呼ばれている。
中は無料の休憩室。
その書院の先にあるのがドカーンと広がる芝生。
久しぶりに頭上に木がない空間に出られて開放感バツグン。
もちろん新緑も眺め放題!
こちらは書院前の新緑。
紅葉も好きだが新緑モミジも大好き。
日本庭園を下っていくと「かぶき門」と呼ばれる出入り口がある。
こちらが正門だろうか。名前の由来は不明。
渓谷散策の再スタート。
少し横道にそれたところにお堂があった。
子供? 女の子?
お堂の横を抜けて水辺に戻る途中に稚児大師様像とあった。大師は空海(弘法大師)だから、その幼少期の姿か。真言宗は仏ではなく空海を信仰対象とするイメージが強い。
対岸にもお堂。
のぼりには稲荷大明神と書かれている。
そのお堂の手前にあった石仏。
このあたりは神仏一体の世界線。(初めてこの言葉を使った)
右は観音菩薩、左はお地蔵さんのように見えるが弘法大師像とのこと。それを石仏とは言わないかも知れないが、これはもう完全に仏の姿になぞらえている。
近くにカフェのようなお店もあった。
階段の上に不思議な建築物を発見。
ナンジャコレ?
階段を上りきると等々力不動尊という寺だった。
不動尊は不動明王を本尊とする寺で、ほとんどの場合は真言宗か天台宗。この2つの宗派はライバル関係なのに(だったのに)、どうしたそうなったのか興味深い。あちこちに弘法大師像があるから、この等々力不動尊の宗派は真言宗。
階段の下から見たナゾの建築物は儀式か何かに使うのかな?
写真の左側にも建物は延びている。
そこから見下ろした境内の様子。
一番左側は展望台になっている。
とはいっても木々しか見渡せず。
なぜか太陽から一筋の光が延びて、しかも下のほうで少し曲がっている。
これは不動明王からのお告げ光線に違いない(^^ゞ
ナゾの建築物の高い部分には上がれなかった。
ナゾの建築物のナゾの穴。
水抜きのためかと思ったが、板と板の間は隙間だらけだしーーー
展望台でしばし新緑を眺める。
境内から延びている通路を進む。
渓谷内と違って高台なので日当たりがよく新緑を満喫できる。
これは赤い布があるからお地蔵さんだろう。ちなみに仏のヒエラルキーは如来→菩薩→明王→天部。お地蔵さんは何となく庶民的なイメージがあるものの、地蔵菩薩だからけっこうセレブな仏様。
また新緑を眺めて、
あちこちにあるお堂に目をやる。
これは弁財天で、他にもいろいろあった。
そしてまた新緑を眺める。
新緑を求めてやって来たのだから。
iPhoneの超広角レンズは広い範囲を撮れる。しかし画面の中央以外はブレているというか流れたような画像になるのが不満。
先ほどのカフェに降りる道しるべがあった。
客を案内するような道ではないと思うゾ(^^ゞ
正面は等々力不動尊に上がる前に見た稲荷大明神。
お堂には不動明王も置かれている。
写真右手前が観音菩薩と弘法大師像。
お堂と2体の石仏を結ぶライン上にチョロチョロ水が落ちていて、不動の滝と大げさな名前がついている。かつてはここで滝行をしたり、そもそも等々力の地名は不動の滝の音が周囲に「とどろく」に由来したともいわれるくらい水量の豊富な滝だったらしい。
稲荷堂を離れて下流に進むと、日本庭園の案内があった。
案内看板から少し階段を上がると入口。
期待はしていなかったとはいえ、たいした庭園じゃない。だいたい日本庭園は自然を箱庭的に再現したもの。ジャンブルのような等々力渓谷を歩いてきたのだから、その有り難みも薄れるというもの。
でも新緑がキレイだからヨシ。
ところどころ行き止まりになっていたが、こんな通路を進み、
竹林の間を上がっていくと和風の建物がある。
ここでは書院と呼ばれている。
中は無料の休憩室。
その書院の先にあるのがドカーンと広がる芝生。
久しぶりに頭上に木がない空間に出られて開放感バツグン。
もちろん新緑も眺め放題!
こちらは書院前の新緑。
紅葉も好きだが新緑モミジも大好き。
日本庭園を下っていくと「かぶき門」と呼ばれる出入り口がある。
こちらが正門だろうか。名前の由来は不明。
かぶき門をでて上流方向。右側フェンスの下は渓谷を流れていた谷沢川(やざわがわ)で、このあたりで等々力渓谷は終了。
下流方向はもう住宅街。
この角を左に曲がって、
坂の先に「止まれ」の赤い道路標識が見えているところが目黒通り。
駅からも幹線道路からも近いのが等々力渓谷。
渓谷の非日常感と「春は新緑」を存分に楽しめたゴールデンウィークの1日でした。
おしまい
wassho at 09:25|Permalink│Comments(0)│
2023年05月02日
新緑を求めて等々力渓谷
「春はあけぼの」と書いたのは清少納言。その一節のある枕草子の書き出しを現代語訳すると「春の推しは夜明け。山の稜線が少しずつほのかに白く明るくなって、紫がかった雲が細くたなびく様子がエモい!」というような内容。
電気のない平安時代に人々は早く寝て夜明けとともに起きていたのかも知れないし、彼女が暮らしていた京都なら山が近いから、そんな光景を目にしていたのだろう。でも枕草子ファン、あるいは古典ファンまたは研究者で、枕草子に書かれた春のあけぼのを体験した人はいないといっていい程度のパーセンテージだと思うゾ。授業で意味も分からず暗記させられたけど。
枕草子の冒頭は春夏秋冬ごとにどの時間帯が素晴らしいかを述べたもの。だから趣旨は違うけれど一般的には「春は桜」かな。しかし「春は桜、秋は紅葉」の季節感を日本人に植え付けたのは古今和歌集との説をどこかで耳にした。侮りがたし古典文学。カロカツクイイケレマルの呪文だけは今でも覚えている(^^ゞ
花を見るのは好きなので、春になったらウメやサクラを眺めに出かける。それでも私にとって一番の推しは「春は新緑」。どういうわけかあの明るい若葉色というか黄緑色がやたら好き。それを目にするとエネルギーが身体に充填される気がする。サクラが終わった頃から5月いっぱいあたりが見頃。春からわずかに初夏の風物詩。
それで新緑を見に行こうとなぜか思いついたのが等々力渓谷。普段の意識にまったく存在しない場所なのに、どうしてそれが出てきたのか自分でも不思議。自然豊かで緑が多いと無意識のうちにタグ付けしていたのだろうか。
等々力渓谷は世田谷区の東南に位置する長さ約1kmほどの渓谷。23区内で唯一の渓谷でもある。渓谷と聞けば山と山に挟まれた谷に流れる川をイメージするはず。もちろん世田谷区に山なんてない。ここは平地(正確には台地)が川によってV字型に浸食され、つまり削られ掘られてできたもの。住宅地の中にそこだけほぼ手つかずの自然が残っており、めずらしい場所として東京ではちょこっと有名。
踏切を電車が通過しているのが見える。
少し右に進むと等々力駅で極めて駅近のロケーション。
踏切から100mほどの歩道に埋め込まれた案内板。
そこを曲がってすぐの所にある橋はゴルフ橋と呼ばれ、ここが等々力渓谷への入口。
橋の名前は昭和の初め頃、このあたりがゴルフ場だったのに由来している。
橋の上から下流方向。
東京の世田谷にある駅から100mちょっとで、この光景なのがビックリするね。
ゴルフ場橋にあった案内看板。
等々力渓谷は1933年(昭和8年)に風致地区に指定され、1936年(昭和11年)に遊歩道が造られ、その後も徐々に整備されて1974年(昭和49年)に世田谷区立の公園となった。
いざ渓谷へ。
真夏だと渓谷内は5度ほどヒンヤリしているらしい。
この日はまだほとんど温度差を感じなかった。
上流へは行けないみたい。
ゴルフ場橋を下から。
なぜかド派手にカラーリング。
ジャングル探検気分で下流に進んでいく。
水はきれい。
処理された下水も流れているが、渓谷内に30箇所以上の湧水があるとのこと。等々力渓谷の湧水は東京都による「東京の名湧水57選」に選ばれている。もっとも名湧水は名水とは違って飲める水ではないようだ。
木漏れ日がすごく幻想的に水面に落ちていたのに、
写真に撮るとほとんど再現されていなかった(/o\)
なお今回の撮影はすべてiPhone。
さらに進む。
もう一度書くけれど、ここはダッシュすれば5分以内に電車に乗れる場所。
この橋から先は右岸に遊歩道。
右岸を進んで、
次に現れる橋は環八の道路。渓谷は地表より低い場所にあるので、つまり道路としては水平なので、環八をクルマで走ってもこの橋を意識することはない。
等々力渓谷を流れているのは谷沢川(やざわ がわ)。
水源は同じく世田ヶ谷の桜ヶ丘で多摩川に接続するまで3.7kmの短い川。でも一級河川。一級河川というと大きな川をイメージすると思うが、行政上の区分はちょっと違う。
川には本流、支流といくつもの流れがある。それらをまとめて「水系」と呼ぶ。水系のうち重要なものは「一級水系」に指定され全国に109水系ある。それで「一級水系」に関連する河川のうち、国が管理している区間が「一級河川」と呼ばれる。谷沢川は一級水系である多摩川に属して国が管理している一級河川。3.7kmでも一級河川だから、川の規模はあまり関係ないようだ。ちなみに日本には3万ほどの川がある。そのうち一級河川が1万4000ほどもあって、実は半数近くが一級河川。
一級水系以外は二級水系と単独水系に分かれ、二級水系のうち都道府県が管理する区間が二級河川。数的には二級水系が2711水系で二級河川が約7000程度。また河川としては他に準用河川と普通河川があり、また一級河川の中でも国ではなく都道府県が管理する指定区間もある。
視点を変えれば河川の区分は管理者の区分といえる。
一級河川大臣管理区間:管理者は国土交通大臣
一級河川指定区間:管理者は都道府県知事
二級河川:管理者は都道府県知事
準用河川:管理者は市町村長
普通河川:管理者は地方公共団体
図はhttps://www.qsr.mlit.go.jp/oita/naruhodokasen/kasen_kanri_chishiki/index.htmlから引用
さて、
水際近くに降りられるところがあって、
カモが何か食べていた。
渓谷内は木に太陽を遮られて少し薄暗い。
新緑を見に来たのに(/o\)
でも上を見上げれば、ところどころ日に照らされて「春は新緑」を楽しめる。
右岸に遊歩道が続いているが左岸に渡る橋があった。
橋の上から歩いてきた方向を振り返る。
左岸に横穴墓群なるものがあったので行ってみる。
古墳時代後期(7世紀)のものとされている。
こちらのようだ。
渓谷の斜面を登っていく。
最初にあるのは3号横穴(おうけつ)。
入口小っさ!
まったく中をのぞき込めない。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
1号と2号は標識だけで遺跡らしきものは何もない。「横穴跡」があるのではなく、かつてここに横穴があったとの意味のようだ。埋めてしまったのか?
横穴の先はもう環八に面した出入り口だから、この場所は地表近く。川の増水を考慮して、渓谷の底ではなく高い位置に墓を造ったのは理にかなっている。単に古墳時代には渓谷自体がもっと浅かったのかも知れないが。
ーーー続く
電気のない平安時代に人々は早く寝て夜明けとともに起きていたのかも知れないし、彼女が暮らしていた京都なら山が近いから、そんな光景を目にしていたのだろう。でも枕草子ファン、あるいは古典ファンまたは研究者で、枕草子に書かれた春のあけぼのを体験した人はいないといっていい程度のパーセンテージだと思うゾ。授業で意味も分からず暗記させられたけど。
枕草子の冒頭は春夏秋冬ごとにどの時間帯が素晴らしいかを述べたもの。だから趣旨は違うけれど一般的には「春は桜」かな。しかし「春は桜、秋は紅葉」の季節感を日本人に植え付けたのは古今和歌集との説をどこかで耳にした。侮りがたし古典文学。カロカツクイイケレマルの呪文だけは今でも覚えている(^^ゞ
花を見るのは好きなので、春になったらウメやサクラを眺めに出かける。それでも私にとって一番の推しは「春は新緑」。どういうわけかあの明るい若葉色というか黄緑色がやたら好き。それを目にするとエネルギーが身体に充填される気がする。サクラが終わった頃から5月いっぱいあたりが見頃。春からわずかに初夏の風物詩。
それで新緑を見に行こうとなぜか思いついたのが等々力渓谷。普段の意識にまったく存在しない場所なのに、どうしてそれが出てきたのか自分でも不思議。自然豊かで緑が多いと無意識のうちにタグ付けしていたのだろうか。
等々力渓谷は世田谷区の東南に位置する長さ約1kmほどの渓谷。23区内で唯一の渓谷でもある。渓谷と聞けば山と山に挟まれた谷に流れる川をイメージするはず。もちろん世田谷区に山なんてない。ここは平地(正確には台地)が川によってV字型に浸食され、つまり削られ掘られてできたもの。住宅地の中にそこだけほぼ手つかずの自然が残っており、めずらしい場所として東京ではちょこっと有名。
踏切を電車が通過しているのが見える。
少し右に進むと等々力駅で極めて駅近のロケーション。
踏切から100mほどの歩道に埋め込まれた案内板。
そこを曲がってすぐの所にある橋はゴルフ橋と呼ばれ、ここが等々力渓谷への入口。
橋の名前は昭和の初め頃、このあたりがゴルフ場だったのに由来している。
橋の上から下流方向。
東京の世田谷にある駅から100mちょっとで、この光景なのがビックリするね。
ゴルフ場橋にあった案内看板。
等々力渓谷は1933年(昭和8年)に風致地区に指定され、1936年(昭和11年)に遊歩道が造られ、その後も徐々に整備されて1974年(昭和49年)に世田谷区立の公園となった。
いざ渓谷へ。
真夏だと渓谷内は5度ほどヒンヤリしているらしい。
この日はまだほとんど温度差を感じなかった。
上流へは行けないみたい。
ゴルフ場橋を下から。
なぜかド派手にカラーリング。
ジャングル探検気分で下流に進んでいく。
水はきれい。
処理された下水も流れているが、渓谷内に30箇所以上の湧水があるとのこと。等々力渓谷の湧水は東京都による「東京の名湧水57選」に選ばれている。もっとも名湧水は名水とは違って飲める水ではないようだ。
木漏れ日がすごく幻想的に水面に落ちていたのに、
写真に撮るとほとんど再現されていなかった(/o\)
なお今回の撮影はすべてiPhone。
さらに進む。
もう一度書くけれど、ここはダッシュすれば5分以内に電車に乗れる場所。
この橋から先は右岸に遊歩道。
右岸を進んで、
次に現れる橋は環八の道路。渓谷は地表より低い場所にあるので、つまり道路としては水平なので、環八をクルマで走ってもこの橋を意識することはない。
等々力渓谷を流れているのは谷沢川(やざわ がわ)。
水源は同じく世田ヶ谷の桜ヶ丘で多摩川に接続するまで3.7kmの短い川。でも一級河川。一級河川というと大きな川をイメージすると思うが、行政上の区分はちょっと違う。
川には本流、支流といくつもの流れがある。それらをまとめて「水系」と呼ぶ。水系のうち重要なものは「一級水系」に指定され全国に109水系ある。それで「一級水系」に関連する河川のうち、国が管理している区間が「一級河川」と呼ばれる。谷沢川は一級水系である多摩川に属して国が管理している一級河川。3.7kmでも一級河川だから、川の規模はあまり関係ないようだ。ちなみに日本には3万ほどの川がある。そのうち一級河川が1万4000ほどもあって、実は半数近くが一級河川。
一級水系以外は二級水系と単独水系に分かれ、二級水系のうち都道府県が管理する区間が二級河川。数的には二級水系が2711水系で二級河川が約7000程度。また河川としては他に準用河川と普通河川があり、また一級河川の中でも国ではなく都道府県が管理する指定区間もある。
視点を変えれば河川の区分は管理者の区分といえる。
一級河川大臣管理区間:管理者は国土交通大臣
一級河川指定区間:管理者は都道府県知事
二級河川:管理者は都道府県知事
準用河川:管理者は市町村長
普通河川:管理者は地方公共団体
図はhttps://www.qsr.mlit.go.jp/oita/naruhodokasen/kasen_kanri_chishiki/index.htmlから引用
さて、
水際近くに降りられるところがあって、
カモが何か食べていた。
渓谷内は木に太陽を遮られて少し薄暗い。
新緑を見に来たのに(/o\)
でも上を見上げれば、ところどころ日に照らされて「春は新緑」を楽しめる。
右岸に遊歩道が続いているが左岸に渡る橋があった。
橋の上から歩いてきた方向を振り返る。
左岸に横穴墓群なるものがあったので行ってみる。
古墳時代後期(7世紀)のものとされている。
こちらのようだ。
渓谷の斜面を登っていく。
最初にあるのは3号横穴(おうけつ)。
入口小っさ!
まったく中をのぞき込めない。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
1号と2号は標識だけで遺跡らしきものは何もない。「横穴跡」があるのではなく、かつてここに横穴があったとの意味のようだ。埋めてしまったのか?
横穴の先はもう環八に面した出入り口だから、この場所は地表近く。川の増水を考慮して、渓谷の底ではなく高い位置に墓を造ったのは理にかなっている。単に古墳時代には渓谷自体がもっと浅かったのかも知れないが。
ーーー続く
wassho at 23:13|Permalink│Comments(0)│
2023年04月30日
ご近所のツツジやフジ
今年の春は早くから暖かな日が多かったせいか、いろいろな花も早く咲き始めた。それも善し悪しで、その開花ペースについて行けずツツジ、フジ、ボタンなどの名所を訪れそびれてしまった。
とはいうもののツツジなら街路樹や公園などそこら中で咲いている。風景として当たり前すぎて、ほとんど見向きもされないが意外とキレイなものである。私は「白いツツジは、あらゆる白い花の中で最も純白に近い」説を唱えていて、春になって道路沿いでそんな白ツツジを見かけると、やたらニコニコしてアブない人になっている(^^ゞ
フジもまあまああるかな。
残念ながらボタンは近所に咲いているところはないようだ。
たまたま見かけてiPhoneで撮った写真を。
どれも4月中旬の撮影。
駒沢公園のツツジ。
ついでに鮮やかな新緑も。
祐天寺のフジ。
こちらは洗足池。
名所といわれるところのフジは長く下に延びてくるのに、そうでない場所で見かけるフジは短いのがいつも不思議。それとそんなフジがあまり香らないのは、下に延びず花と鼻の距離が遠いからだろうか。
目黒川緑道にあったビックリするくらい真っ赤なツツジ。薩摩ナントカと品種名が書いてあったように思うがもう忘れてしまった。とにかくじっと見ていると目がおかしくなるくらいに赤い。
来年はしっかり予定を立てて名所めぐりをしたいもの。
まあ毎年そう思っていていることだけれど(^^ゞ
とはいうもののツツジなら街路樹や公園などそこら中で咲いている。風景として当たり前すぎて、ほとんど見向きもされないが意外とキレイなものである。私は「白いツツジは、あらゆる白い花の中で最も純白に近い」説を唱えていて、春になって道路沿いでそんな白ツツジを見かけると、やたらニコニコしてアブない人になっている(^^ゞ
フジもまあまああるかな。
残念ながらボタンは近所に咲いているところはないようだ。
たまたま見かけてiPhoneで撮った写真を。
どれも4月中旬の撮影。
駒沢公園のツツジ。
ついでに鮮やかな新緑も。
祐天寺のフジ。
こちらは洗足池。
名所といわれるところのフジは長く下に延びてくるのに、そうでない場所で見かけるフジは短いのがいつも不思議。それとそんなフジがあまり香らないのは、下に延びず花と鼻の距離が遠いからだろうか。
目黒川緑道にあったビックリするくらい真っ赤なツツジ。薩摩ナントカと品種名が書いてあったように思うがもう忘れてしまった。とにかくじっと見ていると目がおかしくなるくらいに赤い。
来年はしっかり予定を立てて名所めぐりをしたいもの。
まあ毎年そう思っていていることだけれど(^^ゞ
wassho at 18:39|Permalink│Comments(0)│
2022年06月11日
代々木公園で春バラ その3
噴水の横を代々木公園の中央に進んでいく。
残念ながら噴水は稼働していなかった。
中央広場の手前に大きな池がある。
ここが噴水池と呼ばれる。先ほどの噴水装置があったところは噴水ベンチ通りという名前。噴水池の噴水も出ていなかったので、どこに噴水があるか分からなかったが、ネットで写真を探すとかなりの高さの噴水のようだ。
噴水池を回り込んで広場の真ん中へ。
けっこうな面積が芝生の養生のために囲われていた。
広場を突っ切って公園を周回している道路に出る。
そこをブラブラ歩いているとバラが咲いているエリアがあるじゃないか!?
近づいてみたら、
少し規模は小さいとはいえ、そこそこ飾り付けも施された立派なバラ園。
公園案内図の2ヶ所に赤線を引いた。ここは上のフラワーランドと名付けられたエリア。下に位置するのが前回まで紹介してきたバラの園。
バラはもちろん「フラワー」に違いはないとしても、公式ホームページにフラワーランドでもバラが咲いているとの案内はなし。かなり不親切。だから訪れている人もまばらでごく僅か。公園側に見に来て欲しいという気持ちはないのか。バラの園に「向こうでも咲いています」と看板でも立てとけばいいのに。
もちろん私もフラワーランドのバラのことは知らなかったが、
偶然に見つけたのはやはり日頃の行いがいいからだろうな(^^ゞ
バラの種類はバラの園より少なかったものの、
こちらのほうが状態のいい花が多かった。
ツボミと青空も見逃さず。
バラの周りに咲いていた花々。
これはスイートピー。
ヒナゲシ。
名前は分からないが彩りのきれいなお花たち。
フラワーランドを離れて再び周回道路。
木漏れ日、立派な松の木、新緑などを眺めながら散歩を楽しむ。
第2のバラ園も見られて得した気分の一日。代々木公園はあまり馴染みがなかったけれど、ちょくちょく来てみようか。明治神宮とセットで散歩するのもいいかもしれない。
おしまい
残念ながら噴水は稼働していなかった。
中央広場の手前に大きな池がある。
ここが噴水池と呼ばれる。先ほどの噴水装置があったところは噴水ベンチ通りという名前。噴水池の噴水も出ていなかったので、どこに噴水があるか分からなかったが、ネットで写真を探すとかなりの高さの噴水のようだ。
噴水池を回り込んで広場の真ん中へ。
けっこうな面積が芝生の養生のために囲われていた。
広場を突っ切って公園を周回している道路に出る。
そこをブラブラ歩いているとバラが咲いているエリアがあるじゃないか!?
近づいてみたら、
少し規模は小さいとはいえ、そこそこ飾り付けも施された立派なバラ園。
公園案内図の2ヶ所に赤線を引いた。ここは上のフラワーランドと名付けられたエリア。下に位置するのが前回まで紹介してきたバラの園。
バラはもちろん「フラワー」に違いはないとしても、公式ホームページにフラワーランドでもバラが咲いているとの案内はなし。かなり不親切。だから訪れている人もまばらでごく僅か。公園側に見に来て欲しいという気持ちはないのか。バラの園に「向こうでも咲いています」と看板でも立てとけばいいのに。
もちろん私もフラワーランドのバラのことは知らなかったが、
偶然に見つけたのはやはり日頃の行いがいいからだろうな(^^ゞ
バラの種類はバラの園より少なかったものの、
こちらのほうが状態のいい花が多かった。
ツボミと青空も見逃さず。
バラの周りに咲いていた花々。
これはスイートピー。
ヒナゲシ。
名前は分からないが彩りのきれいなお花たち。
フラワーランドを離れて再び周回道路。
木漏れ日、立派な松の木、新緑などを眺めながら散歩を楽しむ。
第2のバラ園も見られて得した気分の一日。代々木公園はあまり馴染みがなかったけれど、ちょくちょく来てみようか。明治神宮とセットで散歩するのもいいかもしれない。
おしまい
wassho at 22:47|Permalink│Comments(0)│
2022年06月10日
代々木公園で春バラ その2
日差しが強い日に、赤いバラを撮ると色が飽和している感じになる。同じようなことはツツジでも起こるが、ツツジの場合は赤に限らず濃いめの色すべてで飽和する。ただしツツジは肉眼でも見ても飽和している感じがあるのに対して、バラは肉眼で普通に見えるのがナゾ。
これくらい濃い赤だと飽和せずにきれいに写る。
バラという単語と最も多く一緒に使われる色を示す単語は、日本語だと「赤いバラ」だろう。しかし英語だと「ローズピンク」。それがどうしたとか言わないでね(^^ゞ
様々な色のバラを楽しむ。
お気に入りのツボミ姿も忘れずに。
密集感があるのは前回に紹介した、傷んだ花も混じった花壇以外はあまりなかった。それでもなんとか狭い範囲を狙って。少しバラの花が小さいのには目をつむろう。
ところでバラの花に青はない。バラは青い色素自体を持たないため品種改良しても青いバラは生まれず、英語でBlue Roseは不可能という意味を持つくらいである。15年ほど前にサントリーが遺伝子組み換えで青いバラを開発して話題になったが、どう見ても薄紫で青と呼ぶには無理がある。よって未だ不可能は継続中。
それなのにこんな鮮やかな青いバラや、
なんならド派手なレインボーカラーのバラを買うことができる。
これらは白いバラに染料を吸わせて着色したもの。青いのはともかく、レインボーカラーに花びらを染め分けるのはどうするのだろう。
園芸的には邪道な気もしなくないが、キレイだし楽しそうだから一度見てみたい。染料は切り花にして吸わせるらしいが、花瓶の置き方を工夫してこれらを一部に並べるバラ園があってもいいのにと思う。絶対に集客力は上がるし、またこれらのバラの宣伝にもなるから染料バラを作っているメーカーとタイアップして是非に。
さてバラ園のそばに歩道橋のようなものがあったので上がってみる。
もちろん上からバラ園の全景を写真に収めようとの魂胆である。
階段の上に新緑と青空。
新緑のアーチがいい雰囲気。
新緑はよかったのだが、
歩道橋とバラ園の位置関係が悪く、全景は撮れずに企画倒れに終わってしまった(/o\)
バラ園の隣から噴水池が延び、その奥に大きな芝生広場がある。
バラ園の後はそちらを散策してきた。
そうしたら思いがけない発見が。
ーーー続く
これくらい濃い赤だと飽和せずにきれいに写る。
バラという単語と最も多く一緒に使われる色を示す単語は、日本語だと「赤いバラ」だろう。しかし英語だと「ローズピンク」。それがどうしたとか言わないでね(^^ゞ
様々な色のバラを楽しむ。
お気に入りのツボミ姿も忘れずに。
密集感があるのは前回に紹介した、傷んだ花も混じった花壇以外はあまりなかった。それでもなんとか狭い範囲を狙って。少しバラの花が小さいのには目をつむろう。
ところでバラの花に青はない。バラは青い色素自体を持たないため品種改良しても青いバラは生まれず、英語でBlue Roseは不可能という意味を持つくらいである。15年ほど前にサントリーが遺伝子組み換えで青いバラを開発して話題になったが、どう見ても薄紫で青と呼ぶには無理がある。よって未だ不可能は継続中。
それなのにこんな鮮やかな青いバラや、
なんならド派手なレインボーカラーのバラを買うことができる。
これらは白いバラに染料を吸わせて着色したもの。青いのはともかく、レインボーカラーに花びらを染め分けるのはどうするのだろう。
園芸的には邪道な気もしなくないが、キレイだし楽しそうだから一度見てみたい。染料は切り花にして吸わせるらしいが、花瓶の置き方を工夫してこれらを一部に並べるバラ園があってもいいのにと思う。絶対に集客力は上がるし、またこれらのバラの宣伝にもなるから染料バラを作っているメーカーとタイアップして是非に。
さてバラ園のそばに歩道橋のようなものがあったので上がってみる。
もちろん上からバラ園の全景を写真に収めようとの魂胆である。
階段の上に新緑と青空。
新緑のアーチがいい雰囲気。
新緑はよかったのだが、
歩道橋とバラ園の位置関係が悪く、全景は撮れずに企画倒れに終わってしまった(/o\)
バラ園の隣から噴水池が延び、その奥に大きな芝生広場がある。
バラ園の後はそちらを散策してきた。
そうしたら思いがけない発見が。
ーーー続く
wassho at 23:28|Permalink│Comments(0)│
2022年06月09日
代々木公園で春バラ
5月19日に練馬区にある四季の香ローズガーデンを訪れて、天気がイマイチだったのが少し残念だった。それで2日後の19日は朝から晴れていたので、リベンジとばかりに代々木公園の「バラの園」へ出かけてきた。
2020年に建て替えられた原宿の新駅舎。
それなりにデザインされているが、どこにでもあるような現代建築。1924年(大正13年)に建てられて原宿のアイコンとなっていた旧駅舎はこの奥にあった。解体してレプリカをまた建てるらしい。そのまま保存しておけばいいのに。
駅舎が少し南に移動したので表参道も近くなった。
表参道から続く神宮橋を渡る。
こちらは明治神宮方向から歩いてくる人。
この付近に馴染みのない人のために記しておくと、
明治神宮と代々木公園は隣接していて敷地を分け合っているような位置関係。
元々は大名屋敷があった場所で、明治以降に
皇室御料地である代々木御苑→明治神宮
陸軍の代々木練兵場→駐留米軍の宿舎敷地→代々木公園
になったというのがだいたいのヒストリー。
面積は明治神宮が約70ヘクタール(境内のみで外苑含まず)、代々木公園は約54ヘクタールで23区内では5番目に広い公園。日本で最初の飛行機が1910年(明治43年)にここから飛び立ったのはあまり知られていない話。ライト兄弟の初飛行が1903年だから意外と日本が飛んだのも早かった。もっとも国産機じゃないけど。
ちなみに明治神宮は明治天皇を祀るために建てられたから、当然ながら神社の中では歴史が浅い。代々木公園も米軍から返還されたのが1964年(昭和39年)で、同年の東京オリンピックで選手村として使用され公園の開園は1967年(昭和42年)。だから明治時代からある上野公園や日比谷公園と較べれば割りと新しい公園といえる。
ヒョンデ(韓国のクルマメーカー)の看板。
2010年に日本から撤退した後、ヒュンダイ改めヒョンデとして今年から再参入したが、英語のスペルはHyundaiと以前と同じ。韓国語ではこれでヒョンデと読むんだ。
代々木公園の向かいにある国立代々木競技場。地名のつかない「国立競技場」とは別の施設ね。この日はアイドルのコンサートがあるみたいで混雑していた。
駅から数分で代々木公園の原宿門に到着。
ゲートインして現在地。
バラ園に向かう。
青空を背景に新緑が美しい。
しかし写真なら微妙だが肉眼では、ゴールデンウィークの頃と較べると鮮やかさがわずかに失われているように感じる。新緑愛好家なので何かとウルサイ。
通路を進むとバラ園が見えてきた。
正式名称は「バラの園」だから「バラのソノ」と読むのだろう。でも「バラのソノ」だと古い歌謡曲のような響きに感じる。
バラのアーチがお出迎え。
天気よし!
アーチの大きさの割りにバラが育っていないけれど、
まあ写真は撮りようで。
それほど広くはないが、この芝生の周りにバラが植えられている。
バラを縦に巻き付けたものをオベリスク仕立てという。しかしオベリスクは方尖塔(ほうせんとう)で先端が尖っているものだから、これは素直にタワーと呼べばいいかな。
天気がいいと無駄に空に向けて撮りがち(^^ゞ
見事な密集感にヤッターと言いたくなる一画であるが、
よく見ると傷んだものも多い。
しかし日差しがたっぷりだと意外と気にならない。やはり太陽は偉大!
ーーー続く
2020年に建て替えられた原宿の新駅舎。
それなりにデザインされているが、どこにでもあるような現代建築。1924年(大正13年)に建てられて原宿のアイコンとなっていた旧駅舎はこの奥にあった。解体してレプリカをまた建てるらしい。そのまま保存しておけばいいのに。
駅舎が少し南に移動したので表参道も近くなった。
表参道から続く神宮橋を渡る。
こちらは明治神宮方向から歩いてくる人。
この付近に馴染みのない人のために記しておくと、
明治神宮と代々木公園は隣接していて敷地を分け合っているような位置関係。
元々は大名屋敷があった場所で、明治以降に
皇室御料地である代々木御苑→明治神宮
陸軍の代々木練兵場→駐留米軍の宿舎敷地→代々木公園
になったというのがだいたいのヒストリー。
面積は明治神宮が約70ヘクタール(境内のみで外苑含まず)、代々木公園は約54ヘクタールで23区内では5番目に広い公園。日本で最初の飛行機が1910年(明治43年)にここから飛び立ったのはあまり知られていない話。ライト兄弟の初飛行が1903年だから意外と日本が飛んだのも早かった。もっとも国産機じゃないけど。
ちなみに明治神宮は明治天皇を祀るために建てられたから、当然ながら神社の中では歴史が浅い。代々木公園も米軍から返還されたのが1964年(昭和39年)で、同年の東京オリンピックで選手村として使用され公園の開園は1967年(昭和42年)。だから明治時代からある上野公園や日比谷公園と較べれば割りと新しい公園といえる。
ヒョンデ(韓国のクルマメーカー)の看板。
2010年に日本から撤退した後、ヒュンダイ改めヒョンデとして今年から再参入したが、英語のスペルはHyundaiと以前と同じ。韓国語ではこれでヒョンデと読むんだ。
代々木公園の向かいにある国立代々木競技場。地名のつかない「国立競技場」とは別の施設ね。この日はアイドルのコンサートがあるみたいで混雑していた。
駅から数分で代々木公園の原宿門に到着。
ゲートインして現在地。
バラ園に向かう。
青空を背景に新緑が美しい。
しかし写真なら微妙だが肉眼では、ゴールデンウィークの頃と較べると鮮やかさがわずかに失われているように感じる。新緑愛好家なので何かとウルサイ。
通路を進むとバラ園が見えてきた。
正式名称は「バラの園」だから「バラのソノ」と読むのだろう。でも「バラのソノ」だと古い歌謡曲のような響きに感じる。
バラのアーチがお出迎え。
天気よし!
アーチの大きさの割りにバラが育っていないけれど、
まあ写真は撮りようで。
それほど広くはないが、この芝生の周りにバラが植えられている。
バラを縦に巻き付けたものをオベリスク仕立てという。しかしオベリスクは方尖塔(ほうせんとう)で先端が尖っているものだから、これは素直にタワーと呼べばいいかな。
天気がいいと無駄に空に向けて撮りがち(^^ゞ
見事な密集感にヤッターと言いたくなる一画であるが、
よく見ると傷んだものも多い。
しかし日差しがたっぷりだと意外と気にならない。やはり太陽は偉大!
ーーー続く
wassho at 21:41|Permalink│Comments(0)│
2022年05月11日
東京タワーと東京ミッドタウンで鯉のぼり
こどもの日の風物詩程度にしか思っていなかった鯉のぼり。その楽しさに目覚めた?のは、2014年にネモフィラと芝桜を同時に見られると、バイクツーリングで訪れた群馬県太田市の「おおた芝桜まつり」でのこと。たくさんの鯉のぼりが風に揺られて泳いでいる様子を眺めていると、自分の身体も宙に浮いているような気分になった。
翌2015年には神奈川県相模原市の「泳げ鯉のぼり相模川」にも出かけた。太田市の鯉のぼりが150匹なのに対して、こちらは1200匹と大規模で豪快だった。残念ながら資金難と担い手不足などの理由により2019年が最後の開催になったようだが。
それからしばらく鯉のぼりにはご無沙汰だったものの、4月23日にボタンを見に行った西新井大師の境内に大きな鯉のぼりが。それに触発されて、今年のゴールデンウィークは鯉のぼりを見に出かけると決めた。
しかしバイクも降りてしまったし、手近なところでと選んだのが東京タワーと六本木の東京ミッドタウン。それぞれ2009年と2016年から始まったイベント。ちなみにスカイツリーも2017年から同じようなことをやっている。訪れたのは5月5日。
東京タワーまでは自宅からバス1本で行けるので便利。
バス停の前は何度か紅葉を見に来ている芝公園19号地「もみじ谷」。
もちろん現在は紅葉ではなくカエデも新緑。
新緑と東京タワー。
このもみじ谷の先に東京タワーが建っている。
何本かのカエデは季節に関係なく紅葉しているようだ。
色が変わらないのも紅葉というのかな?
新緑と紅葉が一緒なんて変な組み合わせ。
もみじ谷を回り込んで東京タワーの前に出る。
こちらは東京タワーの東側面。
けっこうな賑わい。
さすがはこどもの日。
掲げられている鯉のぼりは、
東京タワーの全高333メートルにちなんで333匹。
どこかに1匹だけ鯉ではなくサンマがいるらしいのだが見つけられず。
カラフルな鯉のぼり。柄はオーセンティックな鯉のぼり模様。
サイズは家庭用のものと同じだと思う。
久しぶりにたくさんの鯉のぼりを眺められて楽しかった。
ただ333匹は充分な数とはいえ、東京タワーが巨大すぎるので少し離れて眺めると意外とションボイ。それと東京タワーを背景に鯉のぼりが泳ぐ姿を想像していたのに、一緒に見られるのはタワーの脚部分だけだったのもちょっと残念。
シンプルに3匹でいいから100メートルくらいのジャンボ鯉のぼりを、
東京タワーのてっぺんから掲げて欲しいなあ。
想像図(^^ゞ
さて次は六本木にある東京ミッドタウン。1月から始めた週に3回で合計3万歩以上の散歩ノルマは絶賛実行中なので徒歩で向かう。普通は六本木まで歩こうなんて考えないもの。しかし六本木から東京タワーは見えるし、Googleマップによれば距離は1.8キロしかない。そしてなんとこの日はその後に自宅まで歩いて帰った。1万8000歩でちょっと疲れたが。
東京タワーを出発。
正面のビルに逆さ富士ならぬ東京タワーが写り込んでいた。
飯倉の交差点に昔からある変わったビル。
外苑東通りを進んでこれはロシア大使館。
今はウクライナのこともあるけれど、ここはいつも警戒厳重。
お巡りさんが10人くらい1列に並んで歩いている。その先に何があるかというと、ジイさんが3人ほどで「ウクライナ侵攻やめろ」みたいなことを書いた画用紙のような紙を持って歩いている。つまりそれでもデモ行進で、これはその警戒にあたっている図。道幅が狭いのでおかしな光景になっている。
この看板を見て「わあ懐かしい」と思ったり「♪♪森トンカツ、泉ニンニク〜」なんて口すさんだ人はジジ・ババ確定ね(^^ゞ
しかし看板にはコーポレーション(corporation:会社)ではなくコーオペレーション(cooperation:提携)と書かれている。ジャッキーさんは一昨年に亡くなっているのになあ。
こちらは1960〜70年代に六本木のオシャレな人々が集まることで、一世を風靡したキャンティというイタリアンレストラン。私は80年代にオノボリさん気分で一度だけ行ったかな。
飯倉片町の交差点を越えると六本木のメインエリア。
実は昼間に六本木を通ることは多い。でも最後に六本木で飲んだのはいつかも追い出せないくらいに、夜の六本木は縁遠くなってしまった。写真で高速道路が見えているところが六本木の交差点。
交差点から下っていく芋洗い坂。
待ち合わせ場所として有名だったアマンドも、
ビルが建て替えられて様子はすっかり変わってしまったがまだ健在。
六本木の交差点を渡り、
200メートルほどすると東京ミッドタウン。
防衛庁の敷地跡を再開発した大規模複合施設群。
実は5年ほど前まで六本木ミッドタウンだと名前を勘違いしていた。日比谷にもミッドタウンができたが、そちらは東京ミッドタウン日比谷。最初のネーミングのときに2つめのミッドタウンを造ることを考えてなかったヤロ。
国立新美術館の標識を超えた先が、イベント会場であるミッドタウンガーデンの入口。
着きました!
ーーー続く
翌2015年には神奈川県相模原市の「泳げ鯉のぼり相模川」にも出かけた。太田市の鯉のぼりが150匹なのに対して、こちらは1200匹と大規模で豪快だった。残念ながら資金難と担い手不足などの理由により2019年が最後の開催になったようだが。
それからしばらく鯉のぼりにはご無沙汰だったものの、4月23日にボタンを見に行った西新井大師の境内に大きな鯉のぼりが。それに触発されて、今年のゴールデンウィークは鯉のぼりを見に出かけると決めた。
しかしバイクも降りてしまったし、手近なところでと選んだのが東京タワーと六本木の東京ミッドタウン。それぞれ2009年と2016年から始まったイベント。ちなみにスカイツリーも2017年から同じようなことをやっている。訪れたのは5月5日。
東京タワーまでは自宅からバス1本で行けるので便利。
バス停の前は何度か紅葉を見に来ている芝公園19号地「もみじ谷」。
もちろん現在は紅葉ではなくカエデも新緑。
新緑と東京タワー。
このもみじ谷の先に東京タワーが建っている。
何本かのカエデは季節に関係なく紅葉しているようだ。
色が変わらないのも紅葉というのかな?
新緑と紅葉が一緒なんて変な組み合わせ。
もみじ谷を回り込んで東京タワーの前に出る。
こちらは東京タワーの東側面。
けっこうな賑わい。
さすがはこどもの日。
掲げられている鯉のぼりは、
東京タワーの全高333メートルにちなんで333匹。
どこかに1匹だけ鯉ではなくサンマがいるらしいのだが見つけられず。
カラフルな鯉のぼり。柄はオーセンティックな鯉のぼり模様。
サイズは家庭用のものと同じだと思う。
久しぶりにたくさんの鯉のぼりを眺められて楽しかった。
ただ333匹は充分な数とはいえ、東京タワーが巨大すぎるので少し離れて眺めると意外とションボイ。それと東京タワーを背景に鯉のぼりが泳ぐ姿を想像していたのに、一緒に見られるのはタワーの脚部分だけだったのもちょっと残念。
シンプルに3匹でいいから100メートルくらいのジャンボ鯉のぼりを、
東京タワーのてっぺんから掲げて欲しいなあ。
想像図(^^ゞ
さて次は六本木にある東京ミッドタウン。1月から始めた週に3回で合計3万歩以上の散歩ノルマは絶賛実行中なので徒歩で向かう。普通は六本木まで歩こうなんて考えないもの。しかし六本木から東京タワーは見えるし、Googleマップによれば距離は1.8キロしかない。そしてなんとこの日はその後に自宅まで歩いて帰った。1万8000歩でちょっと疲れたが。
東京タワーを出発。
正面のビルに逆さ富士ならぬ東京タワーが写り込んでいた。
飯倉の交差点に昔からある変わったビル。
外苑東通りを進んでこれはロシア大使館。
今はウクライナのこともあるけれど、ここはいつも警戒厳重。
お巡りさんが10人くらい1列に並んで歩いている。その先に何があるかというと、ジイさんが3人ほどで「ウクライナ侵攻やめろ」みたいなことを書いた画用紙のような紙を持って歩いている。つまりそれでもデモ行進で、これはその警戒にあたっている図。道幅が狭いのでおかしな光景になっている。
この看板を見て「わあ懐かしい」と思ったり「♪♪森トンカツ、泉ニンニク〜」なんて口すさんだ人はジジ・ババ確定ね(^^ゞ
しかし看板にはコーポレーション(corporation:会社)ではなくコーオペレーション(cooperation:提携)と書かれている。ジャッキーさんは一昨年に亡くなっているのになあ。
こちらは1960〜70年代に六本木のオシャレな人々が集まることで、一世を風靡したキャンティというイタリアンレストラン。私は80年代にオノボリさん気分で一度だけ行ったかな。
飯倉片町の交差点を越えると六本木のメインエリア。
実は昼間に六本木を通ることは多い。でも最後に六本木で飲んだのはいつかも追い出せないくらいに、夜の六本木は縁遠くなってしまった。写真で高速道路が見えているところが六本木の交差点。
交差点から下っていく芋洗い坂。
待ち合わせ場所として有名だったアマンドも、
ビルが建て替えられて様子はすっかり変わってしまったがまだ健在。
六本木の交差点を渡り、
200メートルほどすると東京ミッドタウン。
防衛庁の敷地跡を再開発した大規模複合施設群。
実は5年ほど前まで六本木ミッドタウンだと名前を勘違いしていた。日比谷にもミッドタウンができたが、そちらは東京ミッドタウン日比谷。最初のネーミングのときに2つめのミッドタウンを造ることを考えてなかったヤロ。
国立新美術館の標識を超えた先が、イベント会場であるミッドタウンガーデンの入口。
着きました!
ーーー続く
wassho at 22:35|Permalink│Comments(0)│
2022年05月03日
皇居東御苑〜皇居外苑〜国会前庭
本日は東京国立近代美術館で日本画の巨匠である鏑木清方(かぶらき・きよかた)の展覧会を見てきた。その話はいずれまた。
ところで今年もクラシックの音楽祭であるラ・フォル・ジュルネはコロナの影響を受けて中止。これで3年連続となる。来年こそはと期待したい。そのラ・フォル・ジュルネはゴールデンウィークに丸の内にある東京国際フォーラムで開催される。公演の合間によく皇居あたりをブラブラしていたので、まるでパブロフの犬のように、なぜかこの頃になると皇居に行きたくなる(^^ゞ
だからといってこの展覧会を選んだわけではないのだが、
東京国立近代美術館は都合のいいことにこんな立地。
堀に囲まれたエリア全体を一般に皇居と呼ぶが、天皇や宮内庁が使っている狭義の皇居敷地はその半分くらい。残りの半分は一般に開放された公園や広場になっている。それで本日のプランは皇居東御苑と皇居外苑をまず散策。ゴールデンウィークになると皇居東御苑に花はほとんど咲いていないし、皇居外苑はもともと松と芝生の広場が広がっているだけである。だからその後に皇居南側にある日比谷公園に向かうつもりだった。しかし桜田門から皇居を出たときに、そういえば国会の前庭というまだ行ったことのない公園があるのを思いだし、そちらに寄ることに。
東京国立近代美術館を出て右に進むと国立公文書館。
その少し先に北の丸公園の入口がある。
北の丸公園は日本武道館のあるところね。
そこを過ぎたところにある歩道橋を渡る。
歩道橋の上から。まさに五月晴れ。
写真中央わずかに左寄りに赤いものが見えるのが東京国立近代美術館。
皇居東御苑の出入り口である北桔橋門(きた・はねばし・もん)が見える。
皇居東御苑はだいたいこんなルートで歩いた。
ピンクのラインはパソコン上で描いたものだけれど、看板にスプレーで落書きしたようになってしまった(^^ゞ なおこの地図は上が西になっている。
北桔橋門に向かって進む。
平川壕という堀越しに東京国立近代美術館。
ここでは警官による荷物チェックがある。
これが実にヤッテル感をアピールするためだけのお役所仕事。警備の業務は2人一組が鉄則なのに警官は1人で雑にチェックするだけ。だいたい3つある出入り口のうち荷物チェックがあるのは一番人の少ないこの北桔橋門のみ。それでは意味ないヤロ。だからテロリストの皆さんはフリーパスで通れる他の出入り口からどうぞ(^^ゞ
門をくぐると、
新緑が眩しい!!
これを期待してやって来たようなもの。
門の正面にあるのは天守(天守閣のこと)の土台部分。
土台部分を回り込む。
この南北方向で石垣は約45メートル、高さは約11メートル。
左側にあったこの変わった形の建物は桃華楽堂(とうか・がくどう)。200名収容の音楽ホールらしい。ただし一般人向けの施設ではないようだ。
石垣をもう一度回り込んで、こちらが正面。
江戸城の天守は、まず家康が建て(1607年)、なぜか2代将軍秀忠がそれを壊して新しいのを建て(1623年)、3代将軍家光も2代目天守を壊して3代目を建てている(1638年)。無駄遣いにもほどがあるが、父親を超えたところをアピールしたかったのかな。
その3代目天守も明暦の大火(1657年)で焼け落ちる。天守台はすぐに再建されたが、天守そのものは江戸市街の復興を優先との理由で再建されなかった。そしてその後も再建の機会は巡ってこず。だから徳川260年の歴史のうち江戸城に天守が存在したのは最初のたったの50年だけ。もし再建されて現在も残っていたら東京の景色は少し違ったかも。
それにしても江戸城は広い堀で隔てられているのに、城の外から飛んできた火の粉で天守も御殿も全焼するのだから江戸の火事ってスゴイよね。
天守台の上。
巨大な天守の土台としては意外と狭く感じるが、それはこの広場が天守台の一部だから。
Googleマップで計測すると、
赤で囲ったエリアが約1500平米、水色が約400平米。
天守台から芝生広場を眺める。
そこは江戸城の本丸御殿があったところ。
城=天守のイメージがあるが、天守とはシンボルタワーのようなもので、将軍を始め人々が仕事や生活をしていた建物が御殿。
これは江戸東京博物館にある天守と御殿の復元模型。※同館ホームページから引用
天守を背にして、この芝生広場に建物が建ち並んでいた様子がよく分かる。
芝生広場に入る。
ここは女性達が権謀術数を繰り広げた大奥のあったエリア。
少し進んでここは中奥あたりか。このように地面ではないにしろ家康も確実にここを歩いていたと思うと何となく感慨深い。
それにしてもこの開放感と新緑の美しさよ。
本丸芝生広場を離れ二の丸庭園へ向かう。
途中に堀がある。
つまり堀に囲まれた城の中にある堀。
本丸がそれだけ重要エリアだったことの表れかと思う。
こんな雑木林を歩くと、
庭園に出る。
隣にある諏訪の茶屋という建物。
ここに来るとどうしても江戸城、江戸時代の意識を持ってしまう。
それでこれは明治に建てられたものだし、中にも入れないから、
茶屋よりも新緑かな(^^ゞ
庭園に戻って。
この庭園は悪くはないけれど「皇居」「二の丸」などの格式高いキーワードに引きづられると少し肩すかしを食らう。雑木林的にゴチャゴチャしていて、庭園らしい研ぎ澄まされた造園美はあまり味わえない。
水面に咲いている黄色い花はヒメコウホネ。スイレンの仲間で絶滅危惧種。
やたらヒレが長くて神々しい感じの錦鯉。
ヒレナガ・ニシキゴイという品種。
少し小高くなっている場所があったので上がってみる。
ここから水が落ちているということはだーーー
下に降りると小さな滝になっていた。
こういうのを見るとシャッタースピードを速めて、
シブキを止めずにはいられない(^^ゞ
泡まで止めたけど意味なかった(>_<)
滝から池に水が泡となって流れるところに、ヒレナガ・ニシキゴイが集まって順番に泡を浴びている。泡風呂的に気持ちがいいのか、あるいは泡に酸素が豊富なのだろうか。
白いフジを久しぶりに見られてラッキー。
フジはピンク→紫→白→黄色の順番に咲く。
二の丸庭園を後にする。
これはハナショウブとのこと。
森林浴と竹林浴をして、
広場に出てこれは百人番所という江戸城時代の建物。
番所とは警備員詰め所みたいなもの。
皇居外苑広場に近い大手門の出入り口に向かう。
ここから眺める江戸時代から現代にタイムスリップしそうな雰囲気が好き。
ーーー続く
ところで今年もクラシックの音楽祭であるラ・フォル・ジュルネはコロナの影響を受けて中止。これで3年連続となる。来年こそはと期待したい。そのラ・フォル・ジュルネはゴールデンウィークに丸の内にある東京国際フォーラムで開催される。公演の合間によく皇居あたりをブラブラしていたので、まるでパブロフの犬のように、なぜかこの頃になると皇居に行きたくなる(^^ゞ
だからといってこの展覧会を選んだわけではないのだが、
東京国立近代美術館は都合のいいことにこんな立地。
堀に囲まれたエリア全体を一般に皇居と呼ぶが、天皇や宮内庁が使っている狭義の皇居敷地はその半分くらい。残りの半分は一般に開放された公園や広場になっている。それで本日のプランは皇居東御苑と皇居外苑をまず散策。ゴールデンウィークになると皇居東御苑に花はほとんど咲いていないし、皇居外苑はもともと松と芝生の広場が広がっているだけである。だからその後に皇居南側にある日比谷公園に向かうつもりだった。しかし桜田門から皇居を出たときに、そういえば国会の前庭というまだ行ったことのない公園があるのを思いだし、そちらに寄ることに。
東京国立近代美術館を出て右に進むと国立公文書館。
その少し先に北の丸公園の入口がある。
北の丸公園は日本武道館のあるところね。
そこを過ぎたところにある歩道橋を渡る。
歩道橋の上から。まさに五月晴れ。
写真中央わずかに左寄りに赤いものが見えるのが東京国立近代美術館。
皇居東御苑の出入り口である北桔橋門(きた・はねばし・もん)が見える。
皇居東御苑はだいたいこんなルートで歩いた。
ピンクのラインはパソコン上で描いたものだけれど、看板にスプレーで落書きしたようになってしまった(^^ゞ なおこの地図は上が西になっている。
北桔橋門に向かって進む。
平川壕という堀越しに東京国立近代美術館。
ここでは警官による荷物チェックがある。
これが実にヤッテル感をアピールするためだけのお役所仕事。警備の業務は2人一組が鉄則なのに警官は1人で雑にチェックするだけ。だいたい3つある出入り口のうち荷物チェックがあるのは一番人の少ないこの北桔橋門のみ。それでは意味ないヤロ。だからテロリストの皆さんはフリーパスで通れる他の出入り口からどうぞ(^^ゞ
門をくぐると、
新緑が眩しい!!
これを期待してやって来たようなもの。
門の正面にあるのは天守(天守閣のこと)の土台部分。
土台部分を回り込む。
この南北方向で石垣は約45メートル、高さは約11メートル。
左側にあったこの変わった形の建物は桃華楽堂(とうか・がくどう)。200名収容の音楽ホールらしい。ただし一般人向けの施設ではないようだ。
石垣をもう一度回り込んで、こちらが正面。
江戸城の天守は、まず家康が建て(1607年)、なぜか2代将軍秀忠がそれを壊して新しいのを建て(1623年)、3代将軍家光も2代目天守を壊して3代目を建てている(1638年)。無駄遣いにもほどがあるが、父親を超えたところをアピールしたかったのかな。
その3代目天守も明暦の大火(1657年)で焼け落ちる。天守台はすぐに再建されたが、天守そのものは江戸市街の復興を優先との理由で再建されなかった。そしてその後も再建の機会は巡ってこず。だから徳川260年の歴史のうち江戸城に天守が存在したのは最初のたったの50年だけ。もし再建されて現在も残っていたら東京の景色は少し違ったかも。
それにしても江戸城は広い堀で隔てられているのに、城の外から飛んできた火の粉で天守も御殿も全焼するのだから江戸の火事ってスゴイよね。
天守台の上。
巨大な天守の土台としては意外と狭く感じるが、それはこの広場が天守台の一部だから。
Googleマップで計測すると、
赤で囲ったエリアが約1500平米、水色が約400平米。
天守台から芝生広場を眺める。
そこは江戸城の本丸御殿があったところ。
城=天守のイメージがあるが、天守とはシンボルタワーのようなもので、将軍を始め人々が仕事や生活をしていた建物が御殿。
これは江戸東京博物館にある天守と御殿の復元模型。※同館ホームページから引用
天守を背にして、この芝生広場に建物が建ち並んでいた様子がよく分かる。
芝生広場に入る。
ここは女性達が権謀術数を繰り広げた大奥のあったエリア。
少し進んでここは中奥あたりか。このように地面ではないにしろ家康も確実にここを歩いていたと思うと何となく感慨深い。
それにしてもこの開放感と新緑の美しさよ。
本丸芝生広場を離れ二の丸庭園へ向かう。
途中に堀がある。
つまり堀に囲まれた城の中にある堀。
本丸がそれだけ重要エリアだったことの表れかと思う。
こんな雑木林を歩くと、
庭園に出る。
隣にある諏訪の茶屋という建物。
ここに来るとどうしても江戸城、江戸時代の意識を持ってしまう。
それでこれは明治に建てられたものだし、中にも入れないから、
茶屋よりも新緑かな(^^ゞ
庭園に戻って。
この庭園は悪くはないけれど「皇居」「二の丸」などの格式高いキーワードに引きづられると少し肩すかしを食らう。雑木林的にゴチャゴチャしていて、庭園らしい研ぎ澄まされた造園美はあまり味わえない。
水面に咲いている黄色い花はヒメコウホネ。スイレンの仲間で絶滅危惧種。
やたらヒレが長くて神々しい感じの錦鯉。
ヒレナガ・ニシキゴイという品種。
少し小高くなっている場所があったので上がってみる。
ここから水が落ちているということはだーーー
下に降りると小さな滝になっていた。
こういうのを見るとシャッタースピードを速めて、
シブキを止めずにはいられない(^^ゞ
泡まで止めたけど意味なかった(>_<)
滝から池に水が泡となって流れるところに、ヒレナガ・ニシキゴイが集まって順番に泡を浴びている。泡風呂的に気持ちがいいのか、あるいは泡に酸素が豊富なのだろうか。
白いフジを久しぶりに見られてラッキー。
フジはピンク→紫→白→黄色の順番に咲く。
二の丸庭園を後にする。
これはハナショウブとのこと。
森林浴と竹林浴をして、
広場に出てこれは百人番所という江戸城時代の建物。
番所とは警備員詰め所みたいなもの。
皇居外苑広場に近い大手門の出入り口に向かう。
ここから眺める江戸時代から現代にタイムスリップしそうな雰囲気が好き。
ーーー続く
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2022年04月23日
新宿御苑で八重桜ざんまい その4
風景式庭園のあちこちで八重桜を見て回るうちに、雲がだいぶ取れてきた。
やはり青空こそ最高の写真テクニック(^^ゞ
大きな八重桜が左右に植えられている。写真では分からないが、
右側の八重桜の存在感がこの位置からでも半端なかった。
少し接近。
さらに接近。
花デカッ!
実は花そのものは普通のサイズ。それが密集してボール状になっているので大きく見える。またピンク、薄いピンク、白の色が混じってグラデーションをなしていて、それも花が大きく見える要因。それにしても見事な眺め。
まさにKing of モフモフ。
園内案内図と照らし合わせると、これはフクロクジュという品種。
ちなみにフクロクジュは漢字なら福禄寿。つまり先日ダルマのことを書いた七福神の神様の1人。どうしてこの名前なのかは少し調べたが分からなかった。
遠くから眺めても、近くに寄っても美しい。
胴咲きまで華やか。
お約束の内側から外を眺めるアングルで。
苑内にはたくさんの品種の八重桜が咲いているが、このフクロクジュが群を抜いて素晴らしかった。八重桜の概念が変わるくらい。ただしネットでフクロクジュを検索しても、ここまで巨木で、またきれいににボール状に咲いているものは見つからなかった。だから、この1本を見るためだけに新宿御苑に来る価値はある。
さてフクロクジュが咲いている場所から、芝生広場と反対側に目をやるとこんな景色が広がっている。これが前回少し説明したフランス流の整形式庭園。
異様な姿のプラタナス。
私のプラタナス好きは以前にここに来たときから始まった。
プラタナス並木を整形式庭園の特徴である左右対称に配置して、
その内側には2つの庭がある。なお中には入れない。
それぞれの外周にはバラが植えられている。
ここのバラは名所扱いされることもあるが、数も少ないし、生け垣的に植えられているだけなので造園デザイン的にも平凡。だから見に来たことはない。
それよりも納得がいかないのが、この2つの庭のつまらなさ。整形式庭園のキモである幾何学的模様のキの字もないじゃないか。プラタナスがあるから何とかサマになってはいるものの手抜きとしか思えない。
さてその整形式庭園モドキから風景式庭園の芝生広場を振り返ると、
芝生が貼られていない不自然な場所がある。
新宿御苑は
1. 江戸時代は大名屋敷
2. 明治になって農業試験場
3. 庭園に大改造されて明治39年(1906年)に皇室専用の新宿御苑に
4. 戦後の一時期は農業試験場的に使われていたが
5. 昭和24年(1949年)に国民公園としての新宿御苑になる
と変遷してきた歴史を持つ。
そして明治39年(1906年)に農業試験場から庭園へ大改造される際に、赤坂離宮にある迎賓館のようなベルサイユ風の宮殿が建築されるはずだった。しかし明治37年から38年におきた日露戦争で資金難となり建設は中止に。
これは当時作成された完成予想図のようなもの。
矢印の所に宮殿が描かれている。
つまりこの芝生が貼られていない不自然な場所は宮殿建設予定地だったところ。しかしである。宮殿を建てられなかったのは仕方ないとして、どうして100年以上が経った現在も砂利を敷いただけの更地状態なのだ? 芝生を貼るなり石畳にするなりすればいいのに。ナゾ
話は戻って、それにしてもプラタナスってカッコイイね。もっともこれは冬から春限定で、これから葉がたくさん茂ると、この姿は眺められなくなるけれど。
それでは全国のプラタナスかつ八重桜ファン待望のツーショット写真(^^ゞ
写っている八重桜は先ほどのフクロクジュ。
さらに苑内をブラブラ。
これはスターバックスの行列に並んでいる皆さん。
池を眺めたり新緑の緑を楽しんでいると、
ツツジが目に飛び込んできた。
そちらに向かう。
まだシーズンはじめだから赤いツツジがほとんど。でも私が好きなコンモリと丸い剪定。あちこちにツツジを見に出かけているが、この形に整えてあるところは少ない。手間が掛かるからだろうか。
八重桜とのツーショット。
ツツジではよくやる光を反射させ色を飽和させたような撮影。
これだけ咲いているとは思っていなかったから得した気分。
さて世田谷区の桜新町で八重桜を久しぶりに見て、それに触発されてもっと八重桜を見たいと新宿御苑にやって来たわけだが、その思いは充分に満たされた。というかゲップが出るくらいにたくさんの八重桜を眺めた(^^ゞ
しかし20品種ほどあるといわれている八重桜のうち、どれだけ見たのかはよくわからない。先に書いたように品種の表示を充実さるべきだし、どこに何が植えられているかもっと詳細な案内図が必要。ついでにいうなら、とても広い苑内なので「20品種コンプリートしたければ、こういう順路で巡ると効率的」とか「珍しい品種だから、これだけは必ず見て帰れ」などのガイダンスも欲しいもの。
とはいっても八重桜だけでなく新緑も満喫できて目が癒やされた。それと周りのビルが目に入るとはいえ、都心のど真ん中でこの圧倒的なスケールと開放感は超貴重。広い空のおかげで、頭がスッキリし身体まで軽くなったような気分。次は紅葉でも見に来ようかな。
最後に八重桜と新緑と青空のスリーショットを。
おしまい
やはり青空こそ最高の写真テクニック(^^ゞ
大きな八重桜が左右に植えられている。写真では分からないが、
右側の八重桜の存在感がこの位置からでも半端なかった。
少し接近。
さらに接近。
花デカッ!
実は花そのものは普通のサイズ。それが密集してボール状になっているので大きく見える。またピンク、薄いピンク、白の色が混じってグラデーションをなしていて、それも花が大きく見える要因。それにしても見事な眺め。
まさにKing of モフモフ。
園内案内図と照らし合わせると、これはフクロクジュという品種。
ちなみにフクロクジュは漢字なら福禄寿。つまり先日ダルマのことを書いた七福神の神様の1人。どうしてこの名前なのかは少し調べたが分からなかった。
遠くから眺めても、近くに寄っても美しい。
胴咲きまで華やか。
お約束の内側から外を眺めるアングルで。
苑内にはたくさんの品種の八重桜が咲いているが、このフクロクジュが群を抜いて素晴らしかった。八重桜の概念が変わるくらい。ただしネットでフクロクジュを検索しても、ここまで巨木で、またきれいににボール状に咲いているものは見つからなかった。だから、この1本を見るためだけに新宿御苑に来る価値はある。
さてフクロクジュが咲いている場所から、芝生広場と反対側に目をやるとこんな景色が広がっている。これが前回少し説明したフランス流の整形式庭園。
異様な姿のプラタナス。
私のプラタナス好きは以前にここに来たときから始まった。
プラタナス並木を整形式庭園の特徴である左右対称に配置して、
その内側には2つの庭がある。なお中には入れない。
それぞれの外周にはバラが植えられている。
ここのバラは名所扱いされることもあるが、数も少ないし、生け垣的に植えられているだけなので造園デザイン的にも平凡。だから見に来たことはない。
それよりも納得がいかないのが、この2つの庭のつまらなさ。整形式庭園のキモである幾何学的模様のキの字もないじゃないか。プラタナスがあるから何とかサマになってはいるものの手抜きとしか思えない。
さてその整形式庭園モドキから風景式庭園の芝生広場を振り返ると、
芝生が貼られていない不自然な場所がある。
新宿御苑は
1. 江戸時代は大名屋敷
2. 明治になって農業試験場
3. 庭園に大改造されて明治39年(1906年)に皇室専用の新宿御苑に
4. 戦後の一時期は農業試験場的に使われていたが
5. 昭和24年(1949年)に国民公園としての新宿御苑になる
と変遷してきた歴史を持つ。
そして明治39年(1906年)に農業試験場から庭園へ大改造される際に、赤坂離宮にある迎賓館のようなベルサイユ風の宮殿が建築されるはずだった。しかし明治37年から38年におきた日露戦争で資金難となり建設は中止に。
これは当時作成された完成予想図のようなもの。
矢印の所に宮殿が描かれている。
つまりこの芝生が貼られていない不自然な場所は宮殿建設予定地だったところ。しかしである。宮殿を建てられなかったのは仕方ないとして、どうして100年以上が経った現在も砂利を敷いただけの更地状態なのだ? 芝生を貼るなり石畳にするなりすればいいのに。ナゾ
話は戻って、それにしてもプラタナスってカッコイイね。もっともこれは冬から春限定で、これから葉がたくさん茂ると、この姿は眺められなくなるけれど。
それでは全国のプラタナスかつ八重桜ファン待望のツーショット写真(^^ゞ
写っている八重桜は先ほどのフクロクジュ。
さらに苑内をブラブラ。
これはスターバックスの行列に並んでいる皆さん。
池を眺めたり新緑の緑を楽しんでいると、
ツツジが目に飛び込んできた。
そちらに向かう。
まだシーズンはじめだから赤いツツジがほとんど。でも私が好きなコンモリと丸い剪定。あちこちにツツジを見に出かけているが、この形に整えてあるところは少ない。手間が掛かるからだろうか。
八重桜とのツーショット。
ツツジではよくやる光を反射させ色を飽和させたような撮影。
これだけ咲いているとは思っていなかったから得した気分。
さて世田谷区の桜新町で八重桜を久しぶりに見て、それに触発されてもっと八重桜を見たいと新宿御苑にやって来たわけだが、その思いは充分に満たされた。というかゲップが出るくらいにたくさんの八重桜を眺めた(^^ゞ
しかし20品種ほどあるといわれている八重桜のうち、どれだけ見たのかはよくわからない。先に書いたように品種の表示を充実さるべきだし、どこに何が植えられているかもっと詳細な案内図が必要。ついでにいうなら、とても広い苑内なので「20品種コンプリートしたければ、こういう順路で巡ると効率的」とか「珍しい品種だから、これだけは必ず見て帰れ」などのガイダンスも欲しいもの。
とはいっても八重桜だけでなく新緑も満喫できて目が癒やされた。それと周りのビルが目に入るとはいえ、都心のど真ん中でこの圧倒的なスケールと開放感は超貴重。広い空のおかげで、頭がスッキリし身体まで軽くなったような気分。次は紅葉でも見に来ようかな。
最後に八重桜と新緑と青空のスリーショットを。
おしまい
wassho at 22:44|Permalink│Comments(0)│
2022年04月20日
新宿御苑で八重桜ざんまい その2
相変わらず雲は多いものの、青空もよく顔を出すようになってきた。ただし数分おきに状況が変化するので写真ごとに空の様子が違い、別の日に撮ったもののようになっている。
それにしても新緑ほど目にいいものはないね。私はこの季節、キリンにでもなって新緑の若くて柔らかい葉をモグモグ食べたい妄想に駆られる(^^ゞ
松の形も変わっているが、自然石を使ったような灯籠は珍しいのでは。
穴の開いている部分も、もっと石の形を残せばよかったのに。
藤棚があったのだが、なぜか柵があって近づけず。
望遠ズームで写真は撮れるが、これではクンクンできないじゃないか (`´)
本日の8本目となる大きな八重桜が見えてきた。
新緑のキミドリとピンクの競演。
やはりこれも青空が背景だとよりきれいに見える。
大きさをイメージしてもらえるかな。
下からのぞいた光景がこれまた素晴らしい。
いわゆる普通のしだれ桜と違って、垂(しだ)れている枝がかなり太い。
そして、その枝がまるで絡まっているかのよう。
ところで新宿御苑では品種を示す表示がない。
サクラだけで65品種も植えているのだから、それは対応して欲しいところ。
入場料を2.5倍にも値上げしたんだからサと、まだ腹が立っている(^^ゞ
それでこの八重桜はたぶん関山(かんざん)だと思う。
関山は八重桜の代表的品種のひとつ。
このビッグ関山の周りは芝生が広がっている。
新宿御苑を見下ろしている巨大な建物はNTTドコモの代々木ビル。通称はドコモタワー。階段状になっている部分は内部にアンテナが設置されており、そのための必然的なデザインらしいが、どう見てもエンパイヤステートビルのパクリ(^^ゞ
芝生の上にある売店横にも八重桜。
この9本目も同じ品種のようだ。
八重桜の花びらが開ききっていない姿はバラのようにも見える。
実はサクラはバラ科の植物。
ソメイヨシノなど一重咲きのサクラだと想像しづらいが。
隣にあった10本目。
売店の奥にあった11本目は工事中で近づけず。
少し先の木が密集しているところに12本目を発見。
この木はかなり背が高く、ここからでは花の形はよく見えなかったが、
幹に生えた苔が印象的だった。
芝生側に幹が伸びている木があったので、そちらに回ってみる。
花は中央が白で周りがピンクの2色咲き。
とても美しいのだが、この品種はおいしいのか虫がびっしり(>_<)
こんなに虫がたかっている八重桜は他になかった。
この虫は花の上だけでなく、この周囲にたくさん飛んでいた。そして花の蜜を盗られると思ったのか、けっこう攻撃的に接近してくる。
たまらず芝生広場に退避。
ここにある夏目漱石が小説の中でも書いた「ローマの松」の小型版のような松は、樹形だけじゃなくて幹の表面も独特。
広場から池に降りたところにある旧御凉亭(きゅう・ごりょうてい)。台湾や中国南部の昔の建築様式で建てられたもの。前回に訪れたので今回はスルー。
また藤棚を発見。
こちらは柵もなく近づけたが花が咲いていなかった(/o\)
日本庭園ゾーンの終わりにあった本日の13本目は股裂きみたいな姿をしていた。犬神家の一族で、池から両脚を突き出しているシーンは衝撃的だったなんていうと歳がバレる(^^ゞ
樹形はグロテスクでも花は可憐である。
あまり八重桜らしくないが、
サクラの場合は花びらが6枚以上で八重咲きだから、これも八重桜。
次は風景式庭園という一番広い芝生ゾーンに移る。
ーーー続く
それにしても新緑ほど目にいいものはないね。私はこの季節、キリンにでもなって新緑の若くて柔らかい葉をモグモグ食べたい妄想に駆られる(^^ゞ
松の形も変わっているが、自然石を使ったような灯籠は珍しいのでは。
穴の開いている部分も、もっと石の形を残せばよかったのに。
藤棚があったのだが、なぜか柵があって近づけず。
望遠ズームで写真は撮れるが、これではクンクンできないじゃないか (`´)
本日の8本目となる大きな八重桜が見えてきた。
新緑のキミドリとピンクの競演。
やはりこれも青空が背景だとよりきれいに見える。
大きさをイメージしてもらえるかな。
下からのぞいた光景がこれまた素晴らしい。
いわゆる普通のしだれ桜と違って、垂(しだ)れている枝がかなり太い。
そして、その枝がまるで絡まっているかのよう。
ところで新宿御苑では品種を示す表示がない。
サクラだけで65品種も植えているのだから、それは対応して欲しいところ。
入場料を2.5倍にも値上げしたんだからサと、まだ腹が立っている(^^ゞ
それでこの八重桜はたぶん関山(かんざん)だと思う。
関山は八重桜の代表的品種のひとつ。
このビッグ関山の周りは芝生が広がっている。
新宿御苑を見下ろしている巨大な建物はNTTドコモの代々木ビル。通称はドコモタワー。階段状になっている部分は内部にアンテナが設置されており、そのための必然的なデザインらしいが、どう見てもエンパイヤステートビルのパクリ(^^ゞ
芝生の上にある売店横にも八重桜。
この9本目も同じ品種のようだ。
八重桜の花びらが開ききっていない姿はバラのようにも見える。
実はサクラはバラ科の植物。
ソメイヨシノなど一重咲きのサクラだと想像しづらいが。
隣にあった10本目。
売店の奥にあった11本目は工事中で近づけず。
少し先の木が密集しているところに12本目を発見。
この木はかなり背が高く、ここからでは花の形はよく見えなかったが、
幹に生えた苔が印象的だった。
芝生側に幹が伸びている木があったので、そちらに回ってみる。
花は中央が白で周りがピンクの2色咲き。
とても美しいのだが、この品種はおいしいのか虫がびっしり(>_<)
こんなに虫がたかっている八重桜は他になかった。
この虫は花の上だけでなく、この周囲にたくさん飛んでいた。そして花の蜜を盗られると思ったのか、けっこう攻撃的に接近してくる。
たまらず芝生広場に退避。
ここにある夏目漱石が小説の中でも書いた「ローマの松」の小型版のような松は、樹形だけじゃなくて幹の表面も独特。
広場から池に降りたところにある旧御凉亭(きゅう・ごりょうてい)。台湾や中国南部の昔の建築様式で建てられたもの。前回に訪れたので今回はスルー。
また藤棚を発見。
こちらは柵もなく近づけたが花が咲いていなかった(/o\)
日本庭園ゾーンの終わりにあった本日の13本目は股裂きみたいな姿をしていた。犬神家の一族で、池から両脚を突き出しているシーンは衝撃的だったなんていうと歳がバレる(^^ゞ
樹形はグロテスクでも花は可憐である。
あまり八重桜らしくないが、
サクラの場合は花びらが6枚以上で八重咲きだから、これも八重桜。
次は風景式庭園という一番広い芝生ゾーンに移る。
ーーー続く
wassho at 23:17|Permalink│Comments(0)│
2022年04月19日
新宿御苑で八重桜ざんまい
4月12日に世田谷区の桜新町駅前商店街の八重桜並木を見てきた。
それでどうも八重桜スイッチが入ってしまったようでーーー。
世間ではサクラといえばソメイヨシノだが、幼い頃は庭に八重桜が植えられていたので、私にとってサクラといえば八重桜だった時期がある。印象的だったのは小学校の入学式。校門を入ってすぐに満開の大きなソメイヨシノがあり、母親がキレイなサクラねえと見とれていた。しかし私は庭にあるサクラと較べてずいぶんと小さい花なのに、これもサクラなのかと思ったことを覚えている。
ところで昔はサクラといえば入学式とセットで語られたものであるが、今では歌詞などでもすっかり卒業式に置き換わっている。花見の場所取りに新入社員が駆り出されたのも4月だからできたわけで。温暖化の影響で開花時期が早くなると季節の風物詩も変わってくるね。
さて桜新町のときにも書いたように、八重桜はあまり人気がないので大規模に植えられているところはとても少ない。その中で別格の規模を誇るのが新宿御苑。いわゆるサクラ=ソメイヨシノの名所としても名高いが、苑内にある約65種1000本のサクラのうち、約20品種300本が八重桜だといわれている。
もちろん花見客が最も多いのはソメイヨシノのシーズンであるが、新宿御苑の「推し」は八重桜で、イチヨウという八重桜の品種を同苑のシンボルとしている。ちなみに安倍元首相がミソをつけた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」は新宿御苑で八重桜の時期に開かれていた。
訪れたのは4月17日。
地下鉄の新宿三丁目駅から5分くらいで新宿御苑に着く。JR新宿駅から歩いても10分ほどのはず。ここは新宿門で他に2つの出入り口がある。
新宿御苑は2019年1月にロウバイを見に来て以来だから3年ぶり。あの時はロウバイはショボかったし、デジカメはご臨終するしで散々だった(>_<)
入場料は500円。
2019年には200円だったのに2.5倍もの大幅値上げ!
ナットクデキン(怒)
チケットにはQRコードが印刷されていて、それをゲートにかざす。しかしこのQRコードでできることは他になく、どうしてそんな仕組みなのかよくわからない。
ゲートをくぐったところに本日1本目の八重桜。
よく見るとかなり無理な体勢をしている(^^ゞ
この道の左右に芝生が広がっていて、
右側もかなりの広さであるが、
左側は先が見えないくらい。
ここから約600メートル先まで芝生広場が続いている。
多くの人は芝生広場に進むが、まずは日本庭園ゾーンに向かう。
新宿から10分の場所にあれだけの芝生が広がっているのもビックリするけれど、
こんな密林の雰囲気を味わえるのもスゴイ。
大きな池が現れた。
柳の両側に八重桜が植えられているのが見える。
こういう風情は街路樹のサクラじゃ味わえない。
この時点での天候は基本的に曇り。
それでもときどき雲が切れて日が射すことがあり、すると新緑のキミドリが輝きだす。
池を横切る橋を渡る。
途中に築島があって、その前後で橋のタイプが変えられている。
橋の上から対岸の風景。
柳&八重桜も別アングルで。
そして本日2本目の八重桜にたどり着く。
隣の3本目。
ついでに柳の姿も。
近くにあった4本目。
こちらはかなり葉が出ていたが葉桜は嫌いじゃない。
雲が切れる頻度が高くなってきてウレシイ。
5本目。
6本目の八重桜は全体的に淡く緑がかった印象。
7本目は葉の色が茶色いから山桜系の八重桜かなーーー
と思って近づいてみたら八重桜じゃなかった。
多くの桜は満開を過ぎてから葉をだす。それに対して山桜は満開のときから葉をだす。そしてその葉が茶色。だからあまりキレイに感じられず葉桜は好きだけれど山桜はちょっと苦手。
それでも新緑を背景にすると茶色との対比で面白い。
本日の散策ルートはこんな感じ。
新宿門がマップの左上。
ーーー続く
それでどうも八重桜スイッチが入ってしまったようでーーー。
世間ではサクラといえばソメイヨシノだが、幼い頃は庭に八重桜が植えられていたので、私にとってサクラといえば八重桜だった時期がある。印象的だったのは小学校の入学式。校門を入ってすぐに満開の大きなソメイヨシノがあり、母親がキレイなサクラねえと見とれていた。しかし私は庭にあるサクラと較べてずいぶんと小さい花なのに、これもサクラなのかと思ったことを覚えている。
ところで昔はサクラといえば入学式とセットで語られたものであるが、今では歌詞などでもすっかり卒業式に置き換わっている。花見の場所取りに新入社員が駆り出されたのも4月だからできたわけで。温暖化の影響で開花時期が早くなると季節の風物詩も変わってくるね。
さて桜新町のときにも書いたように、八重桜はあまり人気がないので大規模に植えられているところはとても少ない。その中で別格の規模を誇るのが新宿御苑。いわゆるサクラ=ソメイヨシノの名所としても名高いが、苑内にある約65種1000本のサクラのうち、約20品種300本が八重桜だといわれている。
もちろん花見客が最も多いのはソメイヨシノのシーズンであるが、新宿御苑の「推し」は八重桜で、イチヨウという八重桜の品種を同苑のシンボルとしている。ちなみに安倍元首相がミソをつけた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」は新宿御苑で八重桜の時期に開かれていた。
訪れたのは4月17日。
地下鉄の新宿三丁目駅から5分くらいで新宿御苑に着く。JR新宿駅から歩いても10分ほどのはず。ここは新宿門で他に2つの出入り口がある。
新宿御苑は2019年1月にロウバイを見に来て以来だから3年ぶり。あの時はロウバイはショボかったし、デジカメはご臨終するしで散々だった(>_<)
入場料は500円。
2019年には200円だったのに2.5倍もの大幅値上げ!
ナットクデキン(怒)
チケットにはQRコードが印刷されていて、それをゲートにかざす。しかしこのQRコードでできることは他になく、どうしてそんな仕組みなのかよくわからない。
ゲートをくぐったところに本日1本目の八重桜。
よく見るとかなり無理な体勢をしている(^^ゞ
この道の左右に芝生が広がっていて、
右側もかなりの広さであるが、
左側は先が見えないくらい。
ここから約600メートル先まで芝生広場が続いている。
多くの人は芝生広場に進むが、まずは日本庭園ゾーンに向かう。
新宿から10分の場所にあれだけの芝生が広がっているのもビックリするけれど、
こんな密林の雰囲気を味わえるのもスゴイ。
大きな池が現れた。
柳の両側に八重桜が植えられているのが見える。
こういう風情は街路樹のサクラじゃ味わえない。
この時点での天候は基本的に曇り。
それでもときどき雲が切れて日が射すことがあり、すると新緑のキミドリが輝きだす。
池を横切る橋を渡る。
途中に築島があって、その前後で橋のタイプが変えられている。
橋の上から対岸の風景。
柳&八重桜も別アングルで。
そして本日2本目の八重桜にたどり着く。
隣の3本目。
ついでに柳の姿も。
近くにあった4本目。
こちらはかなり葉が出ていたが葉桜は嫌いじゃない。
雲が切れる頻度が高くなってきてウレシイ。
5本目。
6本目の八重桜は全体的に淡く緑がかった印象。
7本目は葉の色が茶色いから山桜系の八重桜かなーーー
と思って近づいてみたら八重桜じゃなかった。
多くの桜は満開を過ぎてから葉をだす。それに対して山桜は満開のときから葉をだす。そしてその葉が茶色。だからあまりキレイに感じられず葉桜は好きだけれど山桜はちょっと苦手。
それでも新緑を背景にすると茶色との対比で面白い。
本日の散策ルートはこんな感じ。
新宿門がマップの左上。
ーーー続く
wassho at 22:19|Permalink│Comments(0)│
2021年04月26日
富士公園 〜 フラワーガーデン(総合レクリエーション公園)
なぎさ公園でツツジとポニーを楽しんだ後は、
来た時とは逆方向に富士見橋を渡って隣の富士公園に移る。
富士公園に入ると、こんな階段がある。
さて、どうして橋は富士見橋なのに、
公園は富士「見」公園ではなく富士公園なのか?
それはこの階段で上る小さな盛り上がりこそが富士山だから!
標高11メートルで名付けて江戸川富士。富士見橋はこの江戸川富士を見るためのものという設定のネーミング。ついでにいうとなぎさ公園でツツジが植えられていた場所を「芝生の小山」と書いたが「展望の丘」というのが正式名称。そちらは標高13.5メートル。ということで江戸川富士は丘より低い(^^ゞ
その江戸川富士の階段を上って頂上まで行っても、こんな彫像以外は、特に何もなく見晴らしのいい景色が広がっているだけ。まあ気持ちのいい場所なことは確か。
富士山を下って公園の奥に進む。
動物が集まってミーティングしている。
自分も仲間だと思っているらしい(^^ゞ
次の橋を渡ると富士公園を抜けてフラワーガーデンに入る。
バラを感じさせる通路が続く。
もちろんまだ咲いていない。(この日は4月15日)
そしてなぜかチューリップが1本だけ。
意外性を狙った? なにかの手違い? どちらだろう。
ところでデイジーとマーガレットとの違いがいつもわからない。ツバキとサザンカのように他にも似ている花はいろいろあるが、それなりに区別のポイントというものがある(それを覚えられるかどうかは別として)。
しかしデイジーとマーガレットについては、明確なポイントがなさそうなのである。それで名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットというのが私のナゾ基準。日が当たっているかどうかで印象が決まってしまうという気もするが。
そういうわけでこれはデイジー。
フラワーガーデンというのはバラ園のことらしい。
これがその入り口。
その脇にキミドリの新緑と、白&ピンクのツツジが配色よく並んでいる。
展望の丘の左側にもこの系統のツツジがあったが、こちらのほうが状態がよかった。
紅白が混じる源平咲きはよくある咲き方以外に、
ラインが1本入る珍しいパターンも。
バラ園を見下ろす位置に藤棚。ここ以外にも藤棚はいくつかあった。藤は美しいし背景の新緑と青空にも目を奪われるね。
藤棚の位置からバラ園を見下ろす。
いずれバラの季節も見に来ましょう。
ところで写真に高圧線が写っている。他の写真にも電線が写り込んでいるものが多いことに気がついたかも知れない。
実はこの総合レクリエーション公園は、高圧線沿いに造られた東西3キロに渡る公園や広場やグランドの集合体。総面積は24ヘクタール。高圧線の下は建築が禁止や制限される=使い道があまりないので、東京電力が江戸川区にその土地を提供して公園ができたようだ。
フラワーガーデンには噴水がたくさんあった。それで噴水といえばシャッタースピードを早くして水しぶきを止めた写真。これが私の水遊びみたいなもの。
これはメインの噴水が出ていなかったので水がこぼれ落ちるところを。
この水流ではなく細かな水滴が出るタイプは手強かった。
いろいろなところを狙ってみたが思ったような結果は得られず。
でも虹が写ったのでヨシとしよう。
これが最後の噴水。
もうアップは飽きたので全体写真だけ。
道路を渡ったバス停から。
この後ろ側にも公園は続いているがこの日はここで終了。ツツジと藤とポニーと噴水が見られて楽しいお散歩でした。さて次は5月11日までの予定となっている緊急事態宣言を睨みながら、バラをどこに見に行くか思案中。
おしまい
来た時とは逆方向に富士見橋を渡って隣の富士公園に移る。
富士公園に入ると、こんな階段がある。
さて、どうして橋は富士見橋なのに、
公園は富士「見」公園ではなく富士公園なのか?
それはこの階段で上る小さな盛り上がりこそが富士山だから!
標高11メートルで名付けて江戸川富士。富士見橋はこの江戸川富士を見るためのものという設定のネーミング。ついでにいうとなぎさ公園でツツジが植えられていた場所を「芝生の小山」と書いたが「展望の丘」というのが正式名称。そちらは標高13.5メートル。ということで江戸川富士は丘より低い(^^ゞ
その江戸川富士の階段を上って頂上まで行っても、こんな彫像以外は、特に何もなく見晴らしのいい景色が広がっているだけ。まあ気持ちのいい場所なことは確か。
富士山を下って公園の奥に進む。
動物が集まってミーティングしている。
自分も仲間だと思っているらしい(^^ゞ
次の橋を渡ると富士公園を抜けてフラワーガーデンに入る。
バラを感じさせる通路が続く。
もちろんまだ咲いていない。(この日は4月15日)
そしてなぜかチューリップが1本だけ。
意外性を狙った? なにかの手違い? どちらだろう。
ところでデイジーとマーガレットとの違いがいつもわからない。ツバキとサザンカのように他にも似ている花はいろいろあるが、それなりに区別のポイントというものがある(それを覚えられるかどうかは別として)。
しかしデイジーとマーガレットについては、明確なポイントがなさそうなのである。それで名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットというのが私のナゾ基準。日が当たっているかどうかで印象が決まってしまうという気もするが。
そういうわけでこれはデイジー。
フラワーガーデンというのはバラ園のことらしい。
これがその入り口。
その脇にキミドリの新緑と、白&ピンクのツツジが配色よく並んでいる。
展望の丘の左側にもこの系統のツツジがあったが、こちらのほうが状態がよかった。
紅白が混じる源平咲きはよくある咲き方以外に、
ラインが1本入る珍しいパターンも。
バラ園を見下ろす位置に藤棚。ここ以外にも藤棚はいくつかあった。藤は美しいし背景の新緑と青空にも目を奪われるね。
藤棚の位置からバラ園を見下ろす。
いずれバラの季節も見に来ましょう。
ところで写真に高圧線が写っている。他の写真にも電線が写り込んでいるものが多いことに気がついたかも知れない。
実はこの総合レクリエーション公園は、高圧線沿いに造られた東西3キロに渡る公園や広場やグランドの集合体。総面積は24ヘクタール。高圧線の下は建築が禁止や制限される=使い道があまりないので、東京電力が江戸川区にその土地を提供して公園ができたようだ。
フラワーガーデンには噴水がたくさんあった。それで噴水といえばシャッタースピードを早くして水しぶきを止めた写真。これが私の水遊びみたいなもの。
これはメインの噴水が出ていなかったので水がこぼれ落ちるところを。
この水流ではなく細かな水滴が出るタイプは手強かった。
いろいろなところを狙ってみたが思ったような結果は得られず。
でも虹が写ったのでヨシとしよう。
これが最後の噴水。
もうアップは飽きたので全体写真だけ。
道路を渡ったバス停から。
この後ろ側にも公園は続いているがこの日はここで終了。ツツジと藤とポニーと噴水が見られて楽しいお散歩でした。さて次は5月11日までの予定となっている緊急事態宣言を睨みながら、バラをどこに見に行くか思案中。
おしまい
wassho at 22:16|Permalink│Comments(0)│
2021年04月24日
なぎさ公園(江戸川区)でツツジ
東京でツツジの見頃はゴールデンウイーク頃というのが相場。しかし今年はサクラが平年より12日も早く咲き出した気候に引っ張られたのか、ツツジも4月の半ばに最盛期を迎えた模様。例えば2019年には4月28日に訪れた根津神社。今年はもう花が痛んできたという理由で、ツツジ苑がなんと4月25日で閉鎖となる。
脱炭素という降って湧いたような社会・政策トレンドには少し懐疑的なのだが、それを別としても温暖化は確実に進行している。私の半生という時間タームで見れば、50年前にサクラというのは入学式に咲くものだったのが、今は卒業式の風物詩になっている。それと子供の頃に明日は35度というような天気予報はあり得なかった。
そんなこんなで今回は4月15日にツツジ花見。なぜか最近は墨田区・江東区・江戸川区といった東京の東南エリアに出かけることが多い。この江戸川区のなぎさ公園は河津桜もそこそこの規模で植えられており、実は2月に河津桜を見られる場所を探している時に旧中川と一緒に見つけた。河津桜は旧中川のほうがよさそうだったので、こちらはツツジにしたといういきさつ。
Googleの3Dマップだと東京東側の河川に囲まれた地形がよくわかる。なぎさ公園は旧江戸川の河口近くにあり、葛西臨海公園やディズニーランドもすぐそば。ちなみに江戸川あるいは旧江戸川より右側が千葉県になる。
東横線、日比谷線、東西線と乗り継ぎ葛西駅に到着。
ここまで自宅から1時間ほど。
東西線は東京の中野から大手町や日本橋といった都心を通って、千葉の西船橋までを結ぶ路線。東京メトロが運営する地下鉄なのであるが、実は路線の東側半分近くが地上を走っているという変わり種。この葛西駅も高架駅である。
バスターミナル。ここから都バスに乗る。
運行は1時間に3本だからちょっと不便。
終点のなぎさニュータウンで降りる。乗車時間は10分ほどだった。
なぎさ公園は江戸川区が総合レクリエーション公園として、このエリアに設けている公園のひとつ。ここでは富士公園、フラワーガーデンとつながっている。その先にもまだまだ公園は続いていて、葛西臨海公園(都立)もあるし、このあたりは公園が多くてうらやましい。
左側が富士公園で、道路を渡って右側がなぎさ公園なのだが、勘違いして左側に入ってしまう。だからこの橋を渡ってなぎさ公園に。
下から見ると歩道橋みたいだったが、かなり立派な橋だった。
橋の後ろに建っているのがなぎさニュータウン。なぎさニュータウンって名前はシャレているけれどただの団地だった(^^ゞ だいたいここは川沿いであって海じゃないから「なぎさ」というのは誇大ネーミング。まあ千葉にあっても東京ディズニーランドみたいなものか。
ニュータウンというのは1950年代から80年代までに開発されたものが多く、建物が老朽化したり住民も高齢化して「ニュータウンとはオールドタウン」となっているのが日本の住環境の皮肉。
このなぎさニュータウンの竣工は1977年から1980年だから、ニュータウンとしては新しい部類である(言葉の使い方がややこしいが)。葛西臨海公園などとセットで開発されたらしい。ただし5.8ヘクタールの敷地に全7棟で総戸数は1362というから規模的には小さくて、住宅開発分類としてのニュータウンに該当するかは微妙。該当しないとすれば「なぎさ」も「ニュータウン」も全部デタラメとなってしまうーーー
橋を渡ってなぎさ公園に降りる。新緑の黄緑が気持ちいい。
早くもツツジのお出迎え。
グランドが2つあったが、
コロナのせいでこんな表示が(涙)
ところで非常事態宣言が再度出されることが昨日に決まったが、なんと東京では禁酒法の時代になり夜間の灯火管制まで実施されるという噂。それでいてオリンピックの聖火リレーは絶賛開催中。オッチャンはもう知らん!!
経年変化で塗装がひび割れて趣の出た案内看板。またパノラマシャトルの文字は、割れ落ちた部分がフォントのデザインを崩していい味になっている。私もこういう風に朽ちていきたいものである(^^ゞ
とりあえず奥に進み、
外周通路のようなところに出た。ただしツツジの気配はなし。
そこで、ここから内側に入ってみると、
きれいな芝生の小山になっていた。
左側に赤いツツジがたくさん見えたので、
近寄ってみたところ、かなりの低木剪定でイマイチつまらない。
また照明のところで道も途切れていた。
仕方なく再び外周通路に降りて、
しばらく進むとようやくツツジ園ぽい雰囲気になってきた。
外周通路から斜面を見上げる。
これは先ほどの行き止まりになっていた低木剪定のところ。
小山のほうに上がる。
ツツジ越しに旧江戸川を眺められるポジション。
今度はツツジを見下ろして楽しむ。
ーーー続く
脱炭素という降って湧いたような社会・政策トレンドには少し懐疑的なのだが、それを別としても温暖化は確実に進行している。私の半生という時間タームで見れば、50年前にサクラというのは入学式に咲くものだったのが、今は卒業式の風物詩になっている。それと子供の頃に明日は35度というような天気予報はあり得なかった。
そんなこんなで今回は4月15日にツツジ花見。なぜか最近は墨田区・江東区・江戸川区といった東京の東南エリアに出かけることが多い。この江戸川区のなぎさ公園は河津桜もそこそこの規模で植えられており、実は2月に河津桜を見られる場所を探している時に旧中川と一緒に見つけた。河津桜は旧中川のほうがよさそうだったので、こちらはツツジにしたといういきさつ。
Googleの3Dマップだと東京東側の河川に囲まれた地形がよくわかる。なぎさ公園は旧江戸川の河口近くにあり、葛西臨海公園やディズニーランドもすぐそば。ちなみに江戸川あるいは旧江戸川より右側が千葉県になる。
東横線、日比谷線、東西線と乗り継ぎ葛西駅に到着。
ここまで自宅から1時間ほど。
東西線は東京の中野から大手町や日本橋といった都心を通って、千葉の西船橋までを結ぶ路線。東京メトロが運営する地下鉄なのであるが、実は路線の東側半分近くが地上を走っているという変わり種。この葛西駅も高架駅である。
バスターミナル。ここから都バスに乗る。
運行は1時間に3本だからちょっと不便。
終点のなぎさニュータウンで降りる。乗車時間は10分ほどだった。
なぎさ公園は江戸川区が総合レクリエーション公園として、このエリアに設けている公園のひとつ。ここでは富士公園、フラワーガーデンとつながっている。その先にもまだまだ公園は続いていて、葛西臨海公園(都立)もあるし、このあたりは公園が多くてうらやましい。
左側が富士公園で、道路を渡って右側がなぎさ公園なのだが、勘違いして左側に入ってしまう。だからこの橋を渡ってなぎさ公園に。
下から見ると歩道橋みたいだったが、かなり立派な橋だった。
橋の後ろに建っているのがなぎさニュータウン。なぎさニュータウンって名前はシャレているけれどただの団地だった(^^ゞ だいたいここは川沿いであって海じゃないから「なぎさ」というのは誇大ネーミング。まあ千葉にあっても東京ディズニーランドみたいなものか。
ニュータウンというのは1950年代から80年代までに開発されたものが多く、建物が老朽化したり住民も高齢化して「ニュータウンとはオールドタウン」となっているのが日本の住環境の皮肉。
このなぎさニュータウンの竣工は1977年から1980年だから、ニュータウンとしては新しい部類である(言葉の使い方がややこしいが)。葛西臨海公園などとセットで開発されたらしい。ただし5.8ヘクタールの敷地に全7棟で総戸数は1362というから規模的には小さくて、住宅開発分類としてのニュータウンに該当するかは微妙。該当しないとすれば「なぎさ」も「ニュータウン」も全部デタラメとなってしまうーーー
橋を渡ってなぎさ公園に降りる。新緑の黄緑が気持ちいい。
早くもツツジのお出迎え。
グランドが2つあったが、
コロナのせいでこんな表示が(涙)
ところで非常事態宣言が再度出されることが昨日に決まったが、なんと東京では禁酒法の時代になり夜間の灯火管制まで実施されるという噂。それでいてオリンピックの聖火リレーは絶賛開催中。オッチャンはもう知らん!!
経年変化で塗装がひび割れて趣の出た案内看板。またパノラマシャトルの文字は、割れ落ちた部分がフォントのデザインを崩していい味になっている。私もこういう風に朽ちていきたいものである(^^ゞ
とりあえず奥に進み、
外周通路のようなところに出た。ただしツツジの気配はなし。
そこで、ここから内側に入ってみると、
きれいな芝生の小山になっていた。
左側に赤いツツジがたくさん見えたので、
近寄ってみたところ、かなりの低木剪定でイマイチつまらない。
また照明のところで道も途切れていた。
仕方なく再び外周通路に降りて、
しばらく進むとようやくツツジ園ぽい雰囲気になってきた。
外周通路から斜面を見上げる。
これは先ほどの行き止まりになっていた低木剪定のところ。
小山のほうに上がる。
ツツジ越しに旧江戸川を眺められるポジション。
今度はツツジを見下ろして楽しむ。
ーーー続く
wassho at 18:18|Permalink│Comments(0)│
2020年04月27日
近所でツツジ・ハンティング
サクラは小石川後楽園と砧公園に眺めに出かけたが、その後はコロナウイルスによる外出自粛を受けてどこにも行けず。例年この時期ならチューリップ、そしてツツジと名所巡が続くのだが。
ところで自粛という単語が広く使われるようになったのは昭和天皇崩御の前後からである。その頃は「自粛の要請」なんて日本語として矛盾しているという議論もあったが、今回はまったくそういう声もなく。もともと聞き分けのよさでは天下一品の民族であるが、あれから30数年経って草食化もますます進んだようで。
一方で営業している店に対する苦情を役所や保健所に告げたり、あるいはダイレクトに張り紙や電凸で嫌がらせをするヤカラも後を絶たないみたいだ。厄介なことに村八分、非国民、欲しがりません勝つまではのDNAはしっかり引き継いでいる。
そのコロナウイルスに関してはどうしても理解できないことがある。現在の死亡者数は約350人。検査漏れもあるらしいから、3倍の約1000人と仮定してもいい。それに対してインフルエンザを直接または間接的な原因として亡くなるのは毎シーズン約1万人とされる。
それでインフルエンザにはどれだけの対策をしている? 例を挙げると予防接種をするのだって保険適用外である。それなのに脅威としては1/10のコロナに対しては経済をぶっ壊してまでの対応。そんな行動はとうてい合理的に説明できない。
ではどうしてそんな非合理的な行動をするのか。社会学的にいろいろ考察中ではあるが「コロナウイルスは人間をアホにする」というのが現在の仮説(^^ゞ
さて本題に。昨日の日曜日、行楽地に外出するのは控えるとして、さいわいツツジならあちこちに咲いている。近所の散歩くらいは「密」でもないしいいだろうとカメラ片手にブラブラと。
最初に訪れたのはAマンション。
ここの少し淡いピンクのツツジは毎年キレイで眺めるのを楽しみにしている。道路から柵越しにカメラを構えるのは盗撮しているみたいで気が引けたが。
続いてBマンション。
白いツツジは花の中で一番純白に近い白だと思う。
オレンジは少し傷みかけていたものの、日が当たるとツツジ独特の反射というか色の飽和現象でそこそこキレイに見える。
バックに白ツツジのツーショット。
清水池公園。
大きな池があり目黒区で唯一釣りのできる公園。奥に児童公園的なスペースもある。写真でも分かるようにこの日はいい天気だった。気温も24度超えで初夏の雰囲気。こんな季節に外出自粛なんて(/o\)
本日4色目のツツジ。この周りではこの色が一番多いかな。
ハナミズキもキレイだった。
次はCマンション。
このマンションの前にはいろいろと植えられているのは知っていたが、じっくりと眺めたことはなかった。
ビックリしたのはアヤメが咲いていたこと。
自宅の周りでアヤメが見られるなんて思ってもいなかった。ラッキー!
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはよく似ているけれど、花に虎のような模様があるのがアヤメね。その模様が網の目にも見えるから網の目→アヤメ。
だからアヤメは覚えやすい。しかしカキツバタは白いラインで、ハナショウブは黄色いラインだからややこしい。私はカキツバタは「キ」がつくのに黄色じゃないと、けっこう無理な覚え方をしている。
名前は分からないけどいろいろ。
これはアップリケで作ったボタンみたいだった。
えっ、レンゲ?と自分自身にビックリした。
なぜかというと幼い頃はまだ実家の周りに田んぼがあり、春になるとレンゲの花が咲いていた(当時はすき込んで肥料にするために植えられていた)。そしてその田んぼでよく遊んだものだ。それから半世紀以上もたって、おそらくそれ以来レンゲなんて見ていないのに、見た瞬間にレンゲだと分かったから。三つ子の魂百までとは、まさにこういうことか。
この花は毎度デイジーかマーガレットかで迷う。私の判断基準は元気そうな感じがしたらデイジーで、優しい雰囲気ならマーガレット。単に語感での区別だけど(^^ゞ
このチューリップは柔らかい白色で美しかった。こんな色はベランダで植えたことがない。来シーズンはこの球根を探そう。
肝心のツツジ。肉眼でははっきり見分けられたが、この写真では微妙な違いにしか写っていない。左端の少し色の薄いのが清水池公園と同じ4色目のツツジ。その右側がもう少し色の鮮やかな本日5色目。
ツツジは光の反射率が高いのか、強く光が当たると肉眼でも写真でも色が飽和しているというか光り輝いて見える。そしてそれが魅力。だからツツジ花見は必ず晴天でがポリシー。
通りかかりにあった児童公園で。
ハナミズキの白と、わずかにピンク掛かった白。
これは4色目と同じ。
そして本日6色目のツツジ。
ついでに林試の森公園まで足を延ばす。
元は林業試験場だった面積12ヘクタールの都立公園。
こんな看板が数カ所にあった。
人はそこそこいたが、普段の日曜日と較べると少ない気がする。またグランドで遊ぶ若者より小さな子供連れのファミリーのほうが多い。保育園・幼稚園くらいの子供を家の中でじっと自粛させるのは難しいのかも。いずれにせよこの公園は広いからまったく「密」ではなかった。
ただし遊具は封鎖されている。
いわゆる「都会の中にあるとは思えない」空間が徒歩圏内にあって重宝する公園なのだが、もともと林業試験場だったからか、花はあまり育てられていない公園でもある。
でも新緑を眺めるのは好き。
よく撮る緑のモミジ日の光透け。
春なのに紅葉している紅葉があった。
何という品種かとプレートを見ると単に「モミジ」と(^^ゞ こいつは年中赤いのか? そういえば昔実家の庭にあったモミジもずっと赤かった。
12ヘクタールもあるのに、まとまって花が植えられているのはここだけ。
ツツジも数株あったが、残念ながら4色目と同じ品種。
池でカメやシラサギを眺める。
もっともシラサギという鳥はなく白いサギの総称がシラサギ。図鑑で見るとこれはコサギという鳥かな。それにしても下を見る時は長い首をS字に折り曲げるんだ。
2時間ほどで散歩終了。ツツジはそこら中で咲いているから、そこそこ楽しめたけれど、バラはどうしてくれるんだコロナよ。
ところで自粛という単語が広く使われるようになったのは昭和天皇崩御の前後からである。その頃は「自粛の要請」なんて日本語として矛盾しているという議論もあったが、今回はまったくそういう声もなく。もともと聞き分けのよさでは天下一品の民族であるが、あれから30数年経って草食化もますます進んだようで。
一方で営業している店に対する苦情を役所や保健所に告げたり、あるいはダイレクトに張り紙や電凸で嫌がらせをするヤカラも後を絶たないみたいだ。厄介なことに村八分、非国民、欲しがりません勝つまではのDNAはしっかり引き継いでいる。
そのコロナウイルスに関してはどうしても理解できないことがある。現在の死亡者数は約350人。検査漏れもあるらしいから、3倍の約1000人と仮定してもいい。それに対してインフルエンザを直接または間接的な原因として亡くなるのは毎シーズン約1万人とされる。
それでインフルエンザにはどれだけの対策をしている? 例を挙げると予防接種をするのだって保険適用外である。それなのに脅威としては1/10のコロナに対しては経済をぶっ壊してまでの対応。そんな行動はとうてい合理的に説明できない。
ではどうしてそんな非合理的な行動をするのか。社会学的にいろいろ考察中ではあるが「コロナウイルスは人間をアホにする」というのが現在の仮説(^^ゞ
さて本題に。昨日の日曜日、行楽地に外出するのは控えるとして、さいわいツツジならあちこちに咲いている。近所の散歩くらいは「密」でもないしいいだろうとカメラ片手にブラブラと。
最初に訪れたのはAマンション。
ここの少し淡いピンクのツツジは毎年キレイで眺めるのを楽しみにしている。道路から柵越しにカメラを構えるのは盗撮しているみたいで気が引けたが。
続いてBマンション。
白いツツジは花の中で一番純白に近い白だと思う。
オレンジは少し傷みかけていたものの、日が当たるとツツジ独特の反射というか色の飽和現象でそこそこキレイに見える。
バックに白ツツジのツーショット。
清水池公園。
大きな池があり目黒区で唯一釣りのできる公園。奥に児童公園的なスペースもある。写真でも分かるようにこの日はいい天気だった。気温も24度超えで初夏の雰囲気。こんな季節に外出自粛なんて(/o\)
本日4色目のツツジ。この周りではこの色が一番多いかな。
ハナミズキもキレイだった。
次はCマンション。
このマンションの前にはいろいろと植えられているのは知っていたが、じっくりと眺めたことはなかった。
ビックリしたのはアヤメが咲いていたこと。
自宅の周りでアヤメが見られるなんて思ってもいなかった。ラッキー!
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはよく似ているけれど、花に虎のような模様があるのがアヤメね。その模様が網の目にも見えるから網の目→アヤメ。
だからアヤメは覚えやすい。しかしカキツバタは白いラインで、ハナショウブは黄色いラインだからややこしい。私はカキツバタは「キ」がつくのに黄色じゃないと、けっこう無理な覚え方をしている。
名前は分からないけどいろいろ。
これはアップリケで作ったボタンみたいだった。
えっ、レンゲ?と自分自身にビックリした。
なぜかというと幼い頃はまだ実家の周りに田んぼがあり、春になるとレンゲの花が咲いていた(当時はすき込んで肥料にするために植えられていた)。そしてその田んぼでよく遊んだものだ。それから半世紀以上もたって、おそらくそれ以来レンゲなんて見ていないのに、見た瞬間にレンゲだと分かったから。三つ子の魂百までとは、まさにこういうことか。
この花は毎度デイジーかマーガレットかで迷う。私の判断基準は元気そうな感じがしたらデイジーで、優しい雰囲気ならマーガレット。単に語感での区別だけど(^^ゞ
このチューリップは柔らかい白色で美しかった。こんな色はベランダで植えたことがない。来シーズンはこの球根を探そう。
肝心のツツジ。肉眼でははっきり見分けられたが、この写真では微妙な違いにしか写っていない。左端の少し色の薄いのが清水池公園と同じ4色目のツツジ。その右側がもう少し色の鮮やかな本日5色目。
ツツジは光の反射率が高いのか、強く光が当たると肉眼でも写真でも色が飽和しているというか光り輝いて見える。そしてそれが魅力。だからツツジ花見は必ず晴天でがポリシー。
通りかかりにあった児童公園で。
ハナミズキの白と、わずかにピンク掛かった白。
これは4色目と同じ。
そして本日6色目のツツジ。
ついでに林試の森公園まで足を延ばす。
元は林業試験場だった面積12ヘクタールの都立公園。
こんな看板が数カ所にあった。
人はそこそこいたが、普段の日曜日と較べると少ない気がする。またグランドで遊ぶ若者より小さな子供連れのファミリーのほうが多い。保育園・幼稚園くらいの子供を家の中でじっと自粛させるのは難しいのかも。いずれにせよこの公園は広いからまったく「密」ではなかった。
ただし遊具は封鎖されている。
いわゆる「都会の中にあるとは思えない」空間が徒歩圏内にあって重宝する公園なのだが、もともと林業試験場だったからか、花はあまり育てられていない公園でもある。
でも新緑を眺めるのは好き。
よく撮る緑のモミジ日の光透け。
春なのに紅葉している紅葉があった。
何という品種かとプレートを見ると単に「モミジ」と(^^ゞ こいつは年中赤いのか? そういえば昔実家の庭にあったモミジもずっと赤かった。
12ヘクタールもあるのに、まとまって花が植えられているのはここだけ。
ツツジも数株あったが、残念ながら4色目と同じ品種。
池でカメやシラサギを眺める。
もっともシラサギという鳥はなく白いサギの総称がシラサギ。図鑑で見るとこれはコサギという鳥かな。それにしても下を見る時は長い首をS字に折り曲げるんだ。
2時間ほどで散歩終了。ツツジはそこら中で咲いているから、そこそこ楽しめたけれど、バラはどうしてくれるんだコロナよ。
wassho at 12:56|Permalink│Comments(0)│
2019年04月28日
根津神社でツツジ
ツツジなんてそこらじゅうに咲いていて景色のひとつ程度にしか思っていなかった。しかし何年か前にあしかがフラワーパークでツツジの美しさに圧倒され、今ではその季節が来るのが楽しみに。今回のツツジお花見は文京区にある根津神社。
実は文京区ってあまり馴染みがない。東京ドーム、椿山荘、東大、仕事ではトヨタの東京本社や講談社に何度か行ったくらい。位置的には千代田区の北側。ついでに首都圏以外の人のために書いてくと、豊島区は池袋、台東区は上野や浅草のあるところ。
地下鉄千代田線の根津駅で下車。自宅からは乗り換え1回でアクセスは便利。ところで文京区の東側から台東区の西側にある谷中(やなか)、根津、千駄木の各エリアは近年、3つ併せて谷根千(やねせん)と呼ばれる観光スポットになっている。戦争での空襲の被害をあまり受けておらず、昔の街並みや下町風情が残っているところが人気らしい。その谷根千に足を踏み入れるのも今回が初めて。
駅を降りると「つつじまつり」のノボリ。鉄柱には「文豪の街」のプレート。文京区には森鴎外や夏目漱石ほか、明治から昭和にかけて多くの作家が住んでいた。
根津駅から根津神社までの道路沿いに、こんな昭和レトロモダンな雰囲気の建物が。
道端の所々に出店が。これはおそらく「つつじまつり」の人出を見込んで。
300メートルほど歩くと根津神社入口。写真は神社とは反対方向だが、高い建物もなくのどかな雰囲気。ちなみに根津駅から神社とは逆の方向に同じくらい進むと上野公園に着く。
根津神社の参道に向かう通路はあまり広くない。
こういうのが谷根千の雰囲気なのかな。
路地にまで行列が延びていたうどんのお店。
飴屋さんはちゃっかり令和ブームに便乗(^^ゞ ちなみに本日は平成最後の日曜日。
根津神社に到着。鳥居の向こうにツツジが見えてテンションが高まってくる。
境内はかなりの混雑。
本殿にお参りする人の行列。
ツツジ苑を下から眺める。
丸く刈り込まれた姿を遠くから見るとモフモフした感じでカワイイ。
ツツジ苑の入り口に向かうと人の流れが左右に分かれていた。とりあえず赤い鳥居が連なっている右側に向かう。
千本鳥居といえば京都の伏見稲荷が有名。根津神社のは小さいサイズのものが多く、身長が170センチ以上なら屈んで歩かなければならない。
それだからか?奉納料金は控えめ。ちなみにこちらが伏見稲荷の価格表で21万円から160万円以上となっている。坊主ならぬ神主ボロ儲け?
この千本鳥居を渡ってツツジ苑に一番北側から入れると思っていたのだが、ツツジ苑の横を通り抜けただけだった。まあ鳥居をくぐれたからヨシとする。
鳥居から眺めるツツジもきれいだったし。
いったん本殿の方に降りてツツジ苑の入り口まで戻る。
屋台が出て賑やかな雰囲気だけれど、ちょっと狭い。
ツツジも売られていた。小さな苗木は750〜850円。
これくらいのサイズになると8000円くらい。
千本鳥居を下から眺める。
本殿に横の入り口から。
けっこう派手な建物だった。
改めてツツジ苑の入り口。
入園料は200円。
ツツジの満開と密集感を楽しむ。
ツツジ苑を北側から眺めた光景。
写真の左下に先ほどの千本鳥居が写っている。
ツツジの魅力はやはり色の鮮やかさかな。
こんな取り合わせも堪りません!
上からもじっくり眺めて、
社殿エリアに降りてツツジ見物は終了。
ツツジもよかったが新緑もきれいだった。
青空も最高。
ーーー続く
実は文京区ってあまり馴染みがない。東京ドーム、椿山荘、東大、仕事ではトヨタの東京本社や講談社に何度か行ったくらい。位置的には千代田区の北側。ついでに首都圏以外の人のために書いてくと、豊島区は池袋、台東区は上野や浅草のあるところ。
地下鉄千代田線の根津駅で下車。自宅からは乗り換え1回でアクセスは便利。ところで文京区の東側から台東区の西側にある谷中(やなか)、根津、千駄木の各エリアは近年、3つ併せて谷根千(やねせん)と呼ばれる観光スポットになっている。戦争での空襲の被害をあまり受けておらず、昔の街並みや下町風情が残っているところが人気らしい。その谷根千に足を踏み入れるのも今回が初めて。
駅を降りると「つつじまつり」のノボリ。鉄柱には「文豪の街」のプレート。文京区には森鴎外や夏目漱石ほか、明治から昭和にかけて多くの作家が住んでいた。
根津駅から根津神社までの道路沿いに、こんな昭和レトロモダンな雰囲気の建物が。
道端の所々に出店が。これはおそらく「つつじまつり」の人出を見込んで。
300メートルほど歩くと根津神社入口。写真は神社とは反対方向だが、高い建物もなくのどかな雰囲気。ちなみに根津駅から神社とは逆の方向に同じくらい進むと上野公園に着く。
根津神社の参道に向かう通路はあまり広くない。
こういうのが谷根千の雰囲気なのかな。
路地にまで行列が延びていたうどんのお店。
飴屋さんはちゃっかり令和ブームに便乗(^^ゞ ちなみに本日は平成最後の日曜日。
根津神社に到着。鳥居の向こうにツツジが見えてテンションが高まってくる。
境内はかなりの混雑。
本殿にお参りする人の行列。
ツツジ苑を下から眺める。
丸く刈り込まれた姿を遠くから見るとモフモフした感じでカワイイ。
ツツジ苑の入り口に向かうと人の流れが左右に分かれていた。とりあえず赤い鳥居が連なっている右側に向かう。
千本鳥居といえば京都の伏見稲荷が有名。根津神社のは小さいサイズのものが多く、身長が170センチ以上なら屈んで歩かなければならない。
それだからか?奉納料金は控えめ。ちなみにこちらが伏見稲荷の価格表で21万円から160万円以上となっている。坊主ならぬ神主ボロ儲け?
この千本鳥居を渡ってツツジ苑に一番北側から入れると思っていたのだが、ツツジ苑の横を通り抜けただけだった。まあ鳥居をくぐれたからヨシとする。
鳥居から眺めるツツジもきれいだったし。
いったん本殿の方に降りてツツジ苑の入り口まで戻る。
屋台が出て賑やかな雰囲気だけれど、ちょっと狭い。
ツツジも売られていた。小さな苗木は750〜850円。
これくらいのサイズになると8000円くらい。
千本鳥居を下から眺める。
本殿に横の入り口から。
けっこう派手な建物だった。
改めてツツジ苑の入り口。
入園料は200円。
ツツジの満開と密集感を楽しむ。
ツツジ苑を北側から眺めた光景。
写真の左下に先ほどの千本鳥居が写っている。
ツツジの魅力はやはり色の鮮やかさかな。
こんな取り合わせも堪りません!
上からもじっくり眺めて、
社殿エリアに降りてツツジ見物は終了。
ツツジもよかったが新緑もきれいだった。
青空も最高。
ーーー続く
wassho at 23:31|Permalink│Comments(0)│
2017年05月30日
熱海 アカオ・ハーブ&ローズガーデン(2)
イングリッシュローズガーデンに続いて向かいのコレクションガーデンへ。バスの運転手がコレクションガーデンと案内していて、一体何のことだろうと思っていたが、こういうことだった。上田善弘は有名なバラの研究者らしい。
バラの回廊を楽しむ。
このコレクションガーデンからは眼下に海が見える。
ツルバラは下向きに咲くものが多いような気がする。植物的に何か理由があるのだろうが、花を見やすくて人間にも好都合。
バラといろいろな植物が混栽されていい雰囲気。
コップタワシみたいな花も。
前回のエントリーでバラの6分類について書いた。それは一番基本的な枠組みたいなもので、それとは別に花の姿形で区別した系統というものがある。だいたい30〜40種類ほど。この園芸会社のホームページには代表的な系統が写真で紹介されている。バラを見て「これはノアゼットローズ系だね」とか言えれば箔がつくが、まあおそらく一生無理だろう(^^ゞ
これは最初に紹介したバラ回廊に咲いていたバラ。バラと聞いて連想する形とかけ離れているのが、たいていは原種バラかそれに近い園芸種だと(勝手に)認識している。単純に花としてみればきれいなのだが、バラのイメージとはかけ離れているから原種バラはあまり好きになれない。
バラと聞いて連想する形とかけ離れているのが原種バラという私の理論からすると、先ほどのツルバラなんかは本当に原種バラ?という気もするけれど。ちなみにアカオ・ハーブ&ローズガーデンでは品種名の表示はない。
まあ細かなことは気にせずにバラのモコモコを楽しむ。
こちらは超ミニチュアサイズのバラ。それにしてもバイクの鍵の溝に何かこびりついているのに今初めて気がついた(>_<)
コレクションガーデンを見終わって坂道を下っていく。
石垣の模様が浮き出た苔。
ここは「夜の女王の庭」と名付けられた一画。
階段を上った先は小人でも出てきそうなメルヘンな風景。
その奥に見えるのは、まぶしいばかりの新緑!
夜の女王はいずこに? ナゾ
次にあらわれるのがバラの谷への入口。
しばらく歩くとドッカーンと視界が広がる。
この斜面部分がバラの谷。
つづら折りになっている道を降りながらバラを眺めるという趣向。
いろんな植物。
こいつは紫の部分が耳で、白が目で、黄色が鼻に見えてしかたがなかった。
ちょっと怒っている表情なのが花にしては珍しい。
これはジキタリス。園内のあちこちで咲いていた。
ツリガネソウ(釣鐘草)。
アカオ・ハーブ&ローズガーデンの案内マップ。
6番が夜の女王の庭で、7番がバラの谷。ところでこのマップを入口でもらうのを忘れ、でも順番に降りていくだけだから別にいいだろうと思っていた。この後7番〜9番〜10番〜11番〜12番と、つまりバラの谷から一直線に進んだのだが、少し離れたところに8番もあることを自宅に戻ってから発見(/o\)
8番はクライミングローズガーデン。クライミングローズとは前回のエントリーで書いた形態の2分類でツルバラのこと。まあツルバラはどのガーデンにもあったし、またここに来る理由ができたからいいかと。
ーーーまだまだ続く
バラの回廊を楽しむ。
このコレクションガーデンからは眼下に海が見える。
ツルバラは下向きに咲くものが多いような気がする。植物的に何か理由があるのだろうが、花を見やすくて人間にも好都合。
バラといろいろな植物が混栽されていい雰囲気。
コップタワシみたいな花も。
前回のエントリーでバラの6分類について書いた。それは一番基本的な枠組みたいなもので、それとは別に花の姿形で区別した系統というものがある。だいたい30〜40種類ほど。この園芸会社のホームページには代表的な系統が写真で紹介されている。バラを見て「これはノアゼットローズ系だね」とか言えれば箔がつくが、まあおそらく一生無理だろう(^^ゞ
これは最初に紹介したバラ回廊に咲いていたバラ。バラと聞いて連想する形とかけ離れているのが、たいていは原種バラかそれに近い園芸種だと(勝手に)認識している。単純に花としてみればきれいなのだが、バラのイメージとはかけ離れているから原種バラはあまり好きになれない。
バラと聞いて連想する形とかけ離れているのが原種バラという私の理論からすると、先ほどのツルバラなんかは本当に原種バラ?という気もするけれど。ちなみにアカオ・ハーブ&ローズガーデンでは品種名の表示はない。
まあ細かなことは気にせずにバラのモコモコを楽しむ。
こちらは超ミニチュアサイズのバラ。それにしてもバイクの鍵の溝に何かこびりついているのに今初めて気がついた(>_<)
コレクションガーデンを見終わって坂道を下っていく。
石垣の模様が浮き出た苔。
ここは「夜の女王の庭」と名付けられた一画。
階段を上った先は小人でも出てきそうなメルヘンな風景。
その奥に見えるのは、まぶしいばかりの新緑!
夜の女王はいずこに? ナゾ
次にあらわれるのがバラの谷への入口。
しばらく歩くとドッカーンと視界が広がる。
この斜面部分がバラの谷。
つづら折りになっている道を降りながらバラを眺めるという趣向。
いろんな植物。
こいつは紫の部分が耳で、白が目で、黄色が鼻に見えてしかたがなかった。
ちょっと怒っている表情なのが花にしては珍しい。
これはジキタリス。園内のあちこちで咲いていた。
ツリガネソウ(釣鐘草)。
アカオ・ハーブ&ローズガーデンの案内マップ。
6番が夜の女王の庭で、7番がバラの谷。ところでこのマップを入口でもらうのを忘れ、でも順番に降りていくだけだから別にいいだろうと思っていた。この後7番〜9番〜10番〜11番〜12番と、つまりバラの谷から一直線に進んだのだが、少し離れたところに8番もあることを自宅に戻ってから発見(/o\)
8番はクライミングローズガーデン。クライミングローズとは前回のエントリーで書いた形態の2分類でツルバラのこと。まあツルバラはどのガーデンにもあったし、またここに来る理由ができたからいいかと。
ーーーまだまだ続く
wassho at 21:58|Permalink│Comments(0)│
2017年05月03日
武蔵丘陵森林公園でアイスランドポピーと少しだけリナリア
4月30日の東松山ぼたん園と武蔵丘陵森林公園を見てきたツーリングの続き。
アイスランドポピーとリナリアが咲いている運動広場に向けて歩き出す。何度も書くが本当にこの日は森の中の道を歩くのが気持ちよかった。森林浴効果で身体の細胞も活性化している実感がある。
初回のエントリーで書いたように、上半身はスポーツ用ピチピチ速乾アンダーウエア(半袖)にTシャツの重ね着が功を奏し、汗はかいているんだろうけれどそれをまったく感じない。しかし問題は下半身。バイクウエアで革パン着用なので当然暑い。それに重たい。膝には転倒した時のためのプロテクターが入っているので歩きにくいの三重苦(/o\)
そしてそれ以上に問題なのがバイク用のブーツ。すったもんだして購入したアルパインスターのこのブーツ、デザインは未だにこれ以上に気に入ったものを見つけていない。ただし、なぜかソール(靴底)がやたらに硬いのである。不思議なのはショックの吸収性は悪くないのに、歩く時にしなって曲がらないということ。もう6年使っているから(といっても履くのはツーリングの時だけだが)多少はマシになってきたが、最初の2年くらいは下駄を履いているみたいだった。私の足がこのブーツに慣れてしまっているとはいえ、やはりこれで何キロも歩くのは辛い。もう一足の安全靴を履いてくるんだったと後悔。バイク用に買った安全靴はデザインも履き心地もいいのだが、さすがに2980円だったので(^^ゞかなりくたびれてしまったのが難点。たまにネットで探しても、これほどのデザインの安全靴ってないんだよなあ。
話がそれた。
痛む足を我慢しながら歩いているとこんな看板が。つまりネモフィラからアイスランドポピーまでは1.6キロということ。普段ならどうってことはない距離なのだが。
疎林とは初めて目にする言葉。調べてみると、読んで字のごとく木が疎ら(まばら)に生えているという意味。でも英語表記のWoodedには「まばら」というニュアンスはないし、Wooded Areaとエリアを修飾して使えば、木が多いエリアという意味になると思うのだが違うのかな。
とにかく歩いて歩いて、ところどころは登り坂で、
ようやく木々の切れ目にポピー畑が見えてきた。
前回エントリーで書いたように、見たかったのはアイスランドポピーではなくリナリア。
それはどこにあるのかと見回すとーーー小っさ!
しかも常に風が吹いていて、リナリアは軽い花なので揺れまくり。ピントはまったく合わず、適当に連写してまぐれ当たりを狙うといういつもの作戦も通用しない。これが一番まともな写真でアップに撮ったものは全滅(>_<)
ちなみにネットでは、リナリアはヒメキンギョソウ(姫金魚草)の和名と説明しているものと、両者は別物とするものがあった。もう少し大きなキンギョソウは形は似ていても品種的に違う系統のようだ。金魚という名前の由来は普通のサカナの形の金魚じゃなくって、リュウキンやデメ金のようにヒラヒラのついている金魚のほうね。
リナリアは期待はずれだったが、気を取り直してアイスランドポピーを楽しむ。かなり広い畑で緩やかな傾斜になっている。どうせなら下から全体を見上げようと思って丘を下る。
途中にあった正体不明の柵。
ポピー畑の隣が運動広場で、白いのが「ぽんぽこマウンテン」と呼ばれるもの。写真では動きがわからないが、巨大な空気トランポリンで子供が飛び跳ねて遊んでいる。どうせ大人は遊べないので離れた場所から写真を撮っただけ。
ここがポピー畑の一番下。
あまりに広すぎて全景を収めることはできなかった。縦に構えた方が広さが伝わるかな。
咲いていたのは黄色7割、オレンジ3割弱、白がごく僅かといった比率。ポピーの花びらは薄く、少しの風でも揺れるからピントはなかなか合わない。
ところでポピー=ヒナゲシであり虞美人草(ぐびじんそう)ともいう。アイスランドポピーとポピーは別物のはずだが、アイスランドポピーのことを単にポピーと呼ぶ場合も多いようだ。
上に向かって登っていく。
下を振り返ったところ。この方向だと逆光なのに普段と違い写真が白っぽくならず、逆に花の色が濃く撮れた。このあたりのカメラの仕組みは未だによく理解していない。
このポピー畑に最初に到着するのは傾斜している敷地の中腹部分。そのすぐ下にリナリアがあって少しガッカリだったのは先ほど書いた通り。実は一番高い部分にもリナリアが咲いていて、それは最後の楽しみにとっておいた。この写真の上の方、ポピーの花が終わった先が少し紫色になっているのがわかるかな?
ーーーと期待して登ってみると、そこに咲いていたはルピナスだった(/o\)
もちろん嫌いじゃないんだけれどーーー。しかし2つ前のエントリーで紹介したように、ルピナスが植えられている公園・庭園樹園というエリアは充分広いのだから、ここはリナリア植えようよ!
せっかくだからルピナスとアイスランドポピーのツーショット。でも距離が離れすぎてポピーは黄色の帯にしか映らず。
さて西口からここまでも遠かったが、ここから中央口まで戻るのも遠い。中央口まで5000円と白タクでも来たらきっと乗っていたな。
ようやく中央口近くのレストランまでたどり着く。ソフトクリームはなかったのでアイスクリームを買う。食券を買って、それを係員に渡してショーケースからカップ入りアイスクリームを選ぶ。なんかヘンな仕組み。
アイスクリームで元気回復。
もう中央口まではあと少しなので、ツツジを撮るなど余裕をカマス。
とうとう中央口の広場が見えてきた。
突然の水鉄砲攻撃!
ーーーではなくて、お約束の噴水ハイスピード撮影。
中央口でベンチに腰掛け、iPhoneのヘルスケア・アプリで確かめてみると7キロ1万2666歩。よく重たい革パンとカチカチブーツでこれだけ歩けたものだ。
走行145キロで午後4時半に帰宅。天気は最高で、渋滞にもほとんど巻き込まれず、足が少し痛くなったものの、花と新緑を楽しめた気持ちのいいGWツーリングだった。
おしまい
アイスランドポピーとリナリアが咲いている運動広場に向けて歩き出す。何度も書くが本当にこの日は森の中の道を歩くのが気持ちよかった。森林浴効果で身体の細胞も活性化している実感がある。
初回のエントリーで書いたように、上半身はスポーツ用ピチピチ速乾アンダーウエア(半袖)にTシャツの重ね着が功を奏し、汗はかいているんだろうけれどそれをまったく感じない。しかし問題は下半身。バイクウエアで革パン着用なので当然暑い。それに重たい。膝には転倒した時のためのプロテクターが入っているので歩きにくいの三重苦(/o\)
そしてそれ以上に問題なのがバイク用のブーツ。すったもんだして購入したアルパインスターのこのブーツ、デザインは未だにこれ以上に気に入ったものを見つけていない。ただし、なぜかソール(靴底)がやたらに硬いのである。不思議なのはショックの吸収性は悪くないのに、歩く時にしなって曲がらないということ。もう6年使っているから(といっても履くのはツーリングの時だけだが)多少はマシになってきたが、最初の2年くらいは下駄を履いているみたいだった。私の足がこのブーツに慣れてしまっているとはいえ、やはりこれで何キロも歩くのは辛い。もう一足の安全靴を履いてくるんだったと後悔。バイク用に買った安全靴はデザインも履き心地もいいのだが、さすがに2980円だったので(^^ゞかなりくたびれてしまったのが難点。たまにネットで探しても、これほどのデザインの安全靴ってないんだよなあ。
話がそれた。
痛む足を我慢しながら歩いているとこんな看板が。つまりネモフィラからアイスランドポピーまでは1.6キロということ。普段ならどうってことはない距離なのだが。
疎林とは初めて目にする言葉。調べてみると、読んで字のごとく木が疎ら(まばら)に生えているという意味。でも英語表記のWoodedには「まばら」というニュアンスはないし、Wooded Areaとエリアを修飾して使えば、木が多いエリアという意味になると思うのだが違うのかな。
とにかく歩いて歩いて、ところどころは登り坂で、
ようやく木々の切れ目にポピー畑が見えてきた。
前回エントリーで書いたように、見たかったのはアイスランドポピーではなくリナリア。
それはどこにあるのかと見回すとーーー小っさ!
しかも常に風が吹いていて、リナリアは軽い花なので揺れまくり。ピントはまったく合わず、適当に連写してまぐれ当たりを狙うといういつもの作戦も通用しない。これが一番まともな写真でアップに撮ったものは全滅(>_<)
ちなみにネットでは、リナリアはヒメキンギョソウ(姫金魚草)の和名と説明しているものと、両者は別物とするものがあった。もう少し大きなキンギョソウは形は似ていても品種的に違う系統のようだ。金魚という名前の由来は普通のサカナの形の金魚じゃなくって、リュウキンやデメ金のようにヒラヒラのついている金魚のほうね。
リナリアは期待はずれだったが、気を取り直してアイスランドポピーを楽しむ。かなり広い畑で緩やかな傾斜になっている。どうせなら下から全体を見上げようと思って丘を下る。
途中にあった正体不明の柵。
ポピー畑の隣が運動広場で、白いのが「ぽんぽこマウンテン」と呼ばれるもの。写真では動きがわからないが、巨大な空気トランポリンで子供が飛び跳ねて遊んでいる。どうせ大人は遊べないので離れた場所から写真を撮っただけ。
ここがポピー畑の一番下。
あまりに広すぎて全景を収めることはできなかった。縦に構えた方が広さが伝わるかな。
咲いていたのは黄色7割、オレンジ3割弱、白がごく僅かといった比率。ポピーの花びらは薄く、少しの風でも揺れるからピントはなかなか合わない。
ところでポピー=ヒナゲシであり虞美人草(ぐびじんそう)ともいう。アイスランドポピーとポピーは別物のはずだが、アイスランドポピーのことを単にポピーと呼ぶ場合も多いようだ。
上に向かって登っていく。
下を振り返ったところ。この方向だと逆光なのに普段と違い写真が白っぽくならず、逆に花の色が濃く撮れた。このあたりのカメラの仕組みは未だによく理解していない。
このポピー畑に最初に到着するのは傾斜している敷地の中腹部分。そのすぐ下にリナリアがあって少しガッカリだったのは先ほど書いた通り。実は一番高い部分にもリナリアが咲いていて、それは最後の楽しみにとっておいた。この写真の上の方、ポピーの花が終わった先が少し紫色になっているのがわかるかな?
ーーーと期待して登ってみると、そこに咲いていたはルピナスだった(/o\)
もちろん嫌いじゃないんだけれどーーー。しかし2つ前のエントリーで紹介したように、ルピナスが植えられている公園・庭園樹園というエリアは充分広いのだから、ここはリナリア植えようよ!
せっかくだからルピナスとアイスランドポピーのツーショット。でも距離が離れすぎてポピーは黄色の帯にしか映らず。
さて西口からここまでも遠かったが、ここから中央口まで戻るのも遠い。中央口まで5000円と白タクでも来たらきっと乗っていたな。
ようやく中央口近くのレストランまでたどり着く。ソフトクリームはなかったのでアイスクリームを買う。食券を買って、それを係員に渡してショーケースからカップ入りアイスクリームを選ぶ。なんかヘンな仕組み。
アイスクリームで元気回復。
もう中央口まではあと少しなので、ツツジを撮るなど余裕をカマス。
とうとう中央口の広場が見えてきた。
突然の水鉄砲攻撃!
ーーーではなくて、お約束の噴水ハイスピード撮影。
中央口でベンチに腰掛け、iPhoneのヘルスケア・アプリで確かめてみると7キロ1万2666歩。よく重たい革パンとカチカチブーツでこれだけ歩けたものだ。
走行145キロで午後4時半に帰宅。天気は最高で、渋滞にもほとんど巻き込まれず、足が少し痛くなったものの、花と新緑を楽しめた気持ちのいいGWツーリングだった。
おしまい
wassho at 22:20|Permalink│Comments(0)│
2017年05月01日
武蔵丘陵森林公園でルピナス
4月30日のツーリングの続き。
東松山ぼたん園を午前11時過ぎに出て武蔵丘陵森林公園へ向かう。距離は3〜4キロ、ゆっくり走っても15分はかからない。
ここは中央口。他に3箇所の入口がある。中央口にクルマの駐車場は261台分あるがバイクは5台分だけ。隣りに余っているスペースもあるので、もう5台くらいは何とかなると思うが。ちなみに4箇所の入口全部で駐車場はクルマ1643台、バイク36台。まあそんなものかな。また入口近くには観光地によく見られる空き地駐車場もあって客引きをしている。
バイクの駐車料金は260円で入園料は410円。以前に訪れた時より、それぞれ10円のアップは2014年4月の消費税改訂の影響。ところでこの公園は4月29日、5月4日と5日は無料開園日となっている。それを知っていて、この日にしたのは有料日のほうが空いていると考えてのこと。
こんな看板に迎えられて、
ゲートをくぐる。
花壇の向こうに噴水。ちょっとゴージャス。
その脇からルピナスの植えられている公園・庭園樹園というエリアを目指す。最初は前回に紅葉を見に来た時と同じルートをたどる。
ハナミズキ。かなりの大木。
彫刻広場の彫刻を横目で見ながら、
美しい新緑の中を歩いて行く。気分爽快。
2013年に紅葉を見たカエデ見本園に到着。
今回はここに用はないのだが、どんな雰囲気になっているかと思い入ってみる。
ヤマツツジがきれいに咲いて、いいアクセントに。
木漏れ日が美しい。
モミジから透けて見える陽の光がなぜか好き。紅葉している時は幻想的だが、緑の葉の場合は生命力を感じる
カエデ見本園を抜けてしばらく歩くと植物園展示棟というところに着く。
さくらそう展をやっていた。サクラソウは何となく知ってはいても、種類も多く具体的なイメージがなかなか記憶に残らない。ナデシコと同じで覚えにくい花。
可憐な花姿。ただし、あまり桜に似ているとは思えないが。
植物園展示棟に近づくにつれて昭和なメロディーが聞こえてくる。その正体は森の音楽会。スイートピーという大正琴のバンド。しかし何ゆえスイートピー?
大正琴って、このアングルで写真を撮るとデスクワークをしているみたい(^^ゞ
植物園展示棟の隣はハーブガーデン。
確かに金色に見えなくはない。
ハーブがメインなので花は脇役。
ハーブガーデンの中に入ったのは、この小さな神様があるのを思いだしたから。ところで守り神を「設置する」という文章には前から違和感を感じている。
さて植物園展示棟から西に進むとルピナスのエリア。
木立の下にルピナスがニョキニョキと!
ルピナスを知らなければ地球の光景と思わないかも。
昨年に訪れた津久井湖城山公園よりかなり大規模。公表されている株数は城山公園の1万2000株に対して森林蔵公園は4万株。とにかくこの辺りすべてがルピナス。
ルピナスをアップでいくつか。
あちこちに置かれているこの人形は公園のキャラクターみたい。
ルピナスの斜面の上ではメンバーが勢揃いしていた。
ルピナスは木々の間に植えられている。だから地面には光と影があって肉眼ではそれがいい感じなのだが、写真に撮るとコントラストがつきすぎる場合もある。この写真をクリックして拡大すれば闇に埋もれたルピナスがゾンビのように見えるかも。
画像ソフトで暗部だけを明るくするとこうなる。
ルピナスがたくさん植えられているところはあまりない。
今年も見ることができて満足。
ーーー続く
東松山ぼたん園を午前11時過ぎに出て武蔵丘陵森林公園へ向かう。距離は3〜4キロ、ゆっくり走っても15分はかからない。
ここは中央口。他に3箇所の入口がある。中央口にクルマの駐車場は261台分あるがバイクは5台分だけ。隣りに余っているスペースもあるので、もう5台くらいは何とかなると思うが。ちなみに4箇所の入口全部で駐車場はクルマ1643台、バイク36台。まあそんなものかな。また入口近くには観光地によく見られる空き地駐車場もあって客引きをしている。
バイクの駐車料金は260円で入園料は410円。以前に訪れた時より、それぞれ10円のアップは2014年4月の消費税改訂の影響。ところでこの公園は4月29日、5月4日と5日は無料開園日となっている。それを知っていて、この日にしたのは有料日のほうが空いていると考えてのこと。
こんな看板に迎えられて、
ゲートをくぐる。
花壇の向こうに噴水。ちょっとゴージャス。
その脇からルピナスの植えられている公園・庭園樹園というエリアを目指す。最初は前回に紅葉を見に来た時と同じルートをたどる。
ハナミズキ。かなりの大木。
彫刻広場の彫刻を横目で見ながら、
美しい新緑の中を歩いて行く。気分爽快。
2013年に紅葉を見たカエデ見本園に到着。
今回はここに用はないのだが、どんな雰囲気になっているかと思い入ってみる。
ヤマツツジがきれいに咲いて、いいアクセントに。
木漏れ日が美しい。
モミジから透けて見える陽の光がなぜか好き。紅葉している時は幻想的だが、緑の葉の場合は生命力を感じる
カエデ見本園を抜けてしばらく歩くと植物園展示棟というところに着く。
さくらそう展をやっていた。サクラソウは何となく知ってはいても、種類も多く具体的なイメージがなかなか記憶に残らない。ナデシコと同じで覚えにくい花。
可憐な花姿。ただし、あまり桜に似ているとは思えないが。
植物園展示棟に近づくにつれて昭和なメロディーが聞こえてくる。その正体は森の音楽会。スイートピーという大正琴のバンド。しかし何ゆえスイートピー?
大正琴って、このアングルで写真を撮るとデスクワークをしているみたい(^^ゞ
植物園展示棟の隣はハーブガーデン。
確かに金色に見えなくはない。
ハーブがメインなので花は脇役。
ハーブガーデンの中に入ったのは、この小さな神様があるのを思いだしたから。ところで守り神を「設置する」という文章には前から違和感を感じている。
さて植物園展示棟から西に進むとルピナスのエリア。
木立の下にルピナスがニョキニョキと!
ルピナスを知らなければ地球の光景と思わないかも。
昨年に訪れた津久井湖城山公園よりかなり大規模。公表されている株数は城山公園の1万2000株に対して森林蔵公園は4万株。とにかくこの辺りすべてがルピナス。
ルピナスをアップでいくつか。
あちこちに置かれているこの人形は公園のキャラクターみたい。
ルピナスの斜面の上ではメンバーが勢揃いしていた。
ルピナスは木々の間に植えられている。だから地面には光と影があって肉眼ではそれがいい感じなのだが、写真に撮るとコントラストがつきすぎる場合もある。この写真をクリックして拡大すれば闇に埋もれたルピナスがゾンビのように見えるかも。
画像ソフトで暗部だけを明るくするとこうなる。
ルピナスがたくさん植えられているところはあまりない。
今年も見ることができて満足。
ーーー続く
wassho at 10:59|Permalink│Comments(0)│
2016年05月07日
皇居 北の丸公園
昨年はラ・フォル・ジュルネのプログラムの空き時間に会場を抜け出し、皇居の外苑と東御苑を見て回ってなかなか楽しめた。それで今年は3つある皇居の公園の残り1つである北の丸公園を訪れることに。それと北の丸公園に隣接する東御苑で昨年は見なかった場所にも足を運んできた。
5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。
都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。
高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。
銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景やあんな風景が見られる。
いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。
この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。
田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
いい感じの芝生広場。
芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
新緑と青空。まさに初夏。
芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。
田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。
北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。
北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。
乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。
乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。
北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.
ーーー続く
5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。
都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。
高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。
銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景やあんな風景が見られる。
いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。
この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。
田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
いい感じの芝生広場。
芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
新緑と青空。まさに初夏。
芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。
田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。
北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。
北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。
乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。
乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。
北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.
ーーー続く
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2014年04月19日
駒沢公園まで散歩
久しぶりに駒沢公園まで行ってきた。以前は毎週末にここで10キロほどジョギングしていたのに、最後に走ったのが何年前か思い出せない始末。一番の理由は公園まで徒歩10分ほどのところから引っ越して3倍以上の距離になったから。ウエストも限界を超えて随分になるのでそろそろ考えないと。でも天気のいい日はバイクに乗りたいしなあ。
とりあえず今年はゴールデンウイークに距離は関係なく1回は走るつもり。いきなり走るのはキツイから、その前に2回は長距離な散歩をしようと考えて本日はその1回目。歩いているだけじゃ退屈だからデジカメも持って出かけた。
正式名称は駒沢オリンピック公園。
元々は徳川家の所領だったという説もあるがあまり詳しくはわからない。
1913年(大正2年)に東京ゴルフ倶楽部という日本で3番目に古いゴルフ場ができたのが駒沢公園の前身。ちなみに東京ゴルフ倶楽部は1932年(昭和7年)に埼玉県に移転しているのに、現在も名称は「東京」ゴルフ倶楽部を名乗っている。
戦後プロ野球の球場だった時期もあって、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にオリンピック第2会場としてほぼ現在の姿になる。東洋の魔女といわれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取ったのは駒沢公園の体育館である。
ツツジがビューティフル。
1週が2140メートルのジョギングコース。
この付近は両側がサクラで花見の名所でもある。
八重桜は満開だが数は多くない。
ユーフォルビアウルフェニーという黄色い花。ユーフォルビアだけだと和名は灯台草らしい。花の形も変わっているけれど葉っぱも特徴的。
この濃いピンクの花はベニハナトキワマンサク。漢字で書くと紅花常磐万作で常磐万作のレッドバージョン。常磐万作という人が見つけたということではないみたい。
花を咲かせながら一部の葉っぱが紅葉している。
駒沢公園は25年以上通っているから、隅から隅までとは言わないがだいたいのところはわかっている。ソメイヨシノを除けば、あまり花の多い公園じゃない。
本日見たかったのはこんな光景。
新緑のみずみずしい雰囲気、写真で伝わるかなあ〜。
これはハナミズキ、漢字なら花水木。
♪君とすきな人が百年続きますように〜 一青窈(ひとと・よう)の歌で有名。
明治45年に日米友好の印として東京市長がアメリカの首都ワシントンにサクラを送ったのは有名な話。そして3年後にその返礼として送られてきたのがハナミズキ。だから原産はアメリカの木である。
白とピンクの花ーーーに見えるが、
実はこれは花びらじゃない。
花びらに見えるのは苞(ほう)と呼ばれるツボミを包んでいた葉っぱが変形したもの。真ん中にプツプツとあるのが花。アジサイの場合は萼(ガク)という本来なら花を支えるヘタみたいなものが花のように変形してるが、それに似たようなもの。素直に花びらを作らずに、いろんなものを変形させて花びらのように見せる植物があるのが不思議。
もともとツボミを包んでいる部分だから、大きく開く前はこんな形になっている。
ハナミズキの花(苞)はわりと高いところに咲くので
写真は下からで後ろ姿になってしまう。
駒沢公園の中央広場。
右側に見えているのは陸上競技場。
駒沢公園の隣は都立大学の跡地だった。
写真左寄り奥に見えるのはそこに建ったマンション。全部で13棟あるから広い跡地だったことがわかる。
中央広場の片隅で縄跳びをやっている連中。
縄跳びで遊ぶ年齢とは思えないが、
ダブルダッチというらしい。(写真をクリックして拡大すればテントに書いてある)
縄跳びしながらヒップホップ系のダンスをしている人も。
ここにいたのはまだ初心者のようだが、
ダブルダッチは縄跳びを使ったダンスパフォーマンスみたい。
これは体育館。東京オリンピック・メモリアルギャラリーというのが併設されていて当時の映像などを見ることもできる。なぜに去年の看板が残っている?
一時は3人バスケットボールの聖地のようだったところ。
今はミニサッカーをしている人のほうが多いのかも。
駒沢通りを都心部方向を向いて。
屋外で50メーターという貴重な存在だった駒沢公園のプール。
残念ながら数年前に老朽化で閉鎖となった。前に見た時は単なる放置だったけれど、いよいよ取り壊し準備に入ったみたい。しかしこのプール閉鎖には東京都納税者として納得できない。無駄な事業は一杯あるのだから税金はプール改修に使うべきである。都民の健康をなんと心得ている。私がデブったのは長年通った愛すべき「駒プー」が閉鎖されたからだゾ! 誰か舛添さんと知り合いなら私のところへ来るように伝えといて。ところで彼は知事になってからニュースで見たことがないな。
ジョギングコースの右側に見える壁。
その向こうは東京都立のアイソトープ研究所だった。アイソトープは同位元素すべてのことだが、一般的には放射性同位元素を意味する。だから研究所(公園の隣の敷地)には放射能マークがあって「公園の隣になぜこんなものが」といつも思っていた。
それが駐車場になっていた!
ここに屋外屋内両方で50メートルプールを建設せよ!
テニスコート。
高齢化が著しいと言われるテニス。観察してみるとオッサン・オバハン・ジイチャン・バアチャンがほとんど。一番若い人でも40代中頃くらいだった。なんでそうなっちゃったのかね。
グランドでは小学生がサッカーの試合をやっていたーーー
が、金網にピントがあってほとんど写っていなかった。
ジョギングコース1週プラスうろうろして久しぶりの駒沢公園を後にする。
午後2時に自宅を出て5時に戻ってきたから3時間の散歩。人が歩くスピードはだいたい時速4キロだから12キロ歩いたことになる。脚は平気だったが足の裏が少し痛い。やっぱり身体を鍛え直さないと。
とりあえず今年はゴールデンウイークに距離は関係なく1回は走るつもり。いきなり走るのはキツイから、その前に2回は長距離な散歩をしようと考えて本日はその1回目。歩いているだけじゃ退屈だからデジカメも持って出かけた。
正式名称は駒沢オリンピック公園。
元々は徳川家の所領だったという説もあるがあまり詳しくはわからない。
1913年(大正2年)に東京ゴルフ倶楽部という日本で3番目に古いゴルフ場ができたのが駒沢公園の前身。ちなみに東京ゴルフ倶楽部は1932年(昭和7年)に埼玉県に移転しているのに、現在も名称は「東京」ゴルフ倶楽部を名乗っている。
戦後プロ野球の球場だった時期もあって、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にオリンピック第2会場としてほぼ現在の姿になる。東洋の魔女といわれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取ったのは駒沢公園の体育館である。
ツツジがビューティフル。
1週が2140メートルのジョギングコース。
この付近は両側がサクラで花見の名所でもある。
八重桜は満開だが数は多くない。
ユーフォルビアウルフェニーという黄色い花。ユーフォルビアだけだと和名は灯台草らしい。花の形も変わっているけれど葉っぱも特徴的。
この濃いピンクの花はベニハナトキワマンサク。漢字で書くと紅花常磐万作で常磐万作のレッドバージョン。常磐万作という人が見つけたということではないみたい。
花を咲かせながら一部の葉っぱが紅葉している。
駒沢公園は25年以上通っているから、隅から隅までとは言わないがだいたいのところはわかっている。ソメイヨシノを除けば、あまり花の多い公園じゃない。
本日見たかったのはこんな光景。
新緑のみずみずしい雰囲気、写真で伝わるかなあ〜。
これはハナミズキ、漢字なら花水木。
♪君とすきな人が百年続きますように〜 一青窈(ひとと・よう)の歌で有名。
明治45年に日米友好の印として東京市長がアメリカの首都ワシントンにサクラを送ったのは有名な話。そして3年後にその返礼として送られてきたのがハナミズキ。だから原産はアメリカの木である。
白とピンクの花ーーーに見えるが、
実はこれは花びらじゃない。
花びらに見えるのは苞(ほう)と呼ばれるツボミを包んでいた葉っぱが変形したもの。真ん中にプツプツとあるのが花。アジサイの場合は萼(ガク)という本来なら花を支えるヘタみたいなものが花のように変形してるが、それに似たようなもの。素直に花びらを作らずに、いろんなものを変形させて花びらのように見せる植物があるのが不思議。
もともとツボミを包んでいる部分だから、大きく開く前はこんな形になっている。
ハナミズキの花(苞)はわりと高いところに咲くので
写真は下からで後ろ姿になってしまう。
駒沢公園の中央広場。
右側に見えているのは陸上競技場。
駒沢公園の隣は都立大学の跡地だった。
写真左寄り奥に見えるのはそこに建ったマンション。全部で13棟あるから広い跡地だったことがわかる。
中央広場の片隅で縄跳びをやっている連中。
縄跳びで遊ぶ年齢とは思えないが、
ダブルダッチというらしい。(写真をクリックして拡大すればテントに書いてある)
縄跳びしながらヒップホップ系のダンスをしている人も。
ここにいたのはまだ初心者のようだが、
ダブルダッチは縄跳びを使ったダンスパフォーマンスみたい。
これは体育館。東京オリンピック・メモリアルギャラリーというのが併設されていて当時の映像などを見ることもできる。なぜに去年の看板が残っている?
一時は3人バスケットボールの聖地のようだったところ。
今はミニサッカーをしている人のほうが多いのかも。
駒沢通りを都心部方向を向いて。
屋外で50メーターという貴重な存在だった駒沢公園のプール。
残念ながら数年前に老朽化で閉鎖となった。前に見た時は単なる放置だったけれど、いよいよ取り壊し準備に入ったみたい。しかしこのプール閉鎖には東京都納税者として納得できない。無駄な事業は一杯あるのだから税金はプール改修に使うべきである。都民の健康をなんと心得ている。私がデブったのは長年通った愛すべき「駒プー」が閉鎖されたからだゾ! 誰か舛添さんと知り合いなら私のところへ来るように伝えといて。ところで彼は知事になってからニュースで見たことがないな。
ジョギングコースの右側に見える壁。
その向こうは東京都立のアイソトープ研究所だった。アイソトープは同位元素すべてのことだが、一般的には放射性同位元素を意味する。だから研究所(公園の隣の敷地)には放射能マークがあって「公園の隣になぜこんなものが」といつも思っていた。
それが駐車場になっていた!
ここに屋外屋内両方で50メートルプールを建設せよ!
テニスコート。
高齢化が著しいと言われるテニス。観察してみるとオッサン・オバハン・ジイチャン・バアチャンがほとんど。一番若い人でも40代中頃くらいだった。なんでそうなっちゃったのかね。
グランドでは小学生がサッカーの試合をやっていたーーー
が、金網にピントがあってほとんど写っていなかった。
ジョギングコース1週プラスうろうろして久しぶりの駒沢公園を後にする。
午後2時に自宅を出て5時に戻ってきたから3時間の散歩。人が歩くスピードはだいたい時速4キロだから12キロ歩いたことになる。脚は平気だったが足の裏が少し痛い。やっぱり身体を鍛え直さないと。
wassho at 22:29|Permalink│Comments(0)│