片岡球子
2015年06月01日
片岡球子展 その2
富士山の絵もインパクトがあったが、それ以上に球子ワールド全開なのは人物を描いた作品。歴史上の人物をテーマにしたものが多く、彼女の想像力を目一杯膨らませた作品になっている。
「海(鳴門) 1962年・昭和37年
平家滅亡の有名なシーン。入水する幼い安徳天皇と母の建礼門院(清盛の次女)。
「渇仰」 1960年・昭和35年
渇仰なんて言葉は初めて知った。「かつごう」と読み、深く仏を信じることや、心から憧れ慕うという意味。それでこの作品は能の演目をテーマにしているらしい。能も歌舞伎も馴染みがないが、とりあえずお面(能面)をかぶっていたら能だと思うようにしている。
「幻想」 1961年・昭和36年
こちらは雅楽に合わせて舞う舞楽がテーマ。雅楽や舞楽なんてさらに知らない。日本人に生まれたのだから一度くらいは見ておきたいという気持ちはあるけど。
前回のエントリーにも書いたが、人物の絵は衣装の描き込みが尋常じゃない。本物の衣装はもっと地味だったんじゃない?と突っ込んでみたくなるくらい。
片岡球子には面構(つらがまえ)と名付けられたシリーズがある。
「面構 足利尊氏」 1966年・昭和41年
「面構 葛飾北斎」 1966年・昭和41年
面構=肖像画ではなく、複数の人物がいてシーンを描いているものも多い。
「面構 国貞改め三代豊国」 1976年・昭和51年
「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」 1982年・昭和57年
「面構 狂言作者河竹黙阿弥・浮世絵師三代豊国」 1983年・昭和58年
「面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」 1988年・昭和63年
最後の絵に登場する鈴木重三先生というのは片岡球子に浮世絵のことを教えたり資料を提供していた国文学者。その人物を江戸時代の浮世絵師である歌川国芳と並べて作品にしてしまうのだから、まさに時空を超えた自由な発想である。ついでに書いておくと「国貞改め三代豊国」で豊国の前にいるのも、豊国が浮世絵の中で描いている女性である(たぶん)。
でも何となく顔の描き方がマンガっぽいというか挿絵的なのが気になったのも事実。浮世絵をテーマにしたものは浮世絵がそんな感じだからともいえるが、それにしてもちょっと物足りない。そして何となくお手軽アートに感じられてしまうのが惜しい気がする。
展覧会の最後は裸婦のシリーズ。
それぞれポーズというタイトルで作品番号が振られている。ポーズ1は1983年作だから78歳からスタートした新シリーズということになる。
「ポーズ2」 1984年・昭和59年
「ポーズ4」 1986年・昭和61年
これらの作品にビックリワールドはない。自由奔放な画風の作品を発表する一方で、絵画の基礎のキである裸婦による様々なポーズを描くことに、晩年から改めて取り組み始めたことが興味深かった。それぞれに作品に画風の共通性もないから、作品ごとに初心に返るを実践していたのかも知れない。展覧会の最後にあった「ポーズ21」は2003年制作なので98歳の時の作品。いくつになっても衰えない好奇心・探求心が103歳までの長生きの秘訣かも。
とにかく片岡球子の「私は描きたいよう絵を描く!」という気合いやエネルギーを作品から浴び続けたような展覧会だった。日本が誇るべき画家だと思う。でもあまり知名度はないのかな。会場はガラガラだったし、会期が1ヶ月ちょっとと短いのも集客力のなさが影響しているのかも知れない。東京はもう終わってしまったが、次は愛知県美術館で6月12日から始まる。行ける人は是非!
おしまい
「海(鳴門) 1962年・昭和37年
平家滅亡の有名なシーン。入水する幼い安徳天皇と母の建礼門院(清盛の次女)。
「渇仰」 1960年・昭和35年
渇仰なんて言葉は初めて知った。「かつごう」と読み、深く仏を信じることや、心から憧れ慕うという意味。それでこの作品は能の演目をテーマにしているらしい。能も歌舞伎も馴染みがないが、とりあえずお面(能面)をかぶっていたら能だと思うようにしている。
「幻想」 1961年・昭和36年
こちらは雅楽に合わせて舞う舞楽がテーマ。雅楽や舞楽なんてさらに知らない。日本人に生まれたのだから一度くらいは見ておきたいという気持ちはあるけど。
前回のエントリーにも書いたが、人物の絵は衣装の描き込みが尋常じゃない。本物の衣装はもっと地味だったんじゃない?と突っ込んでみたくなるくらい。
片岡球子には面構(つらがまえ)と名付けられたシリーズがある。
「面構 足利尊氏」 1966年・昭和41年
「面構 葛飾北斎」 1966年・昭和41年
面構=肖像画ではなく、複数の人物がいてシーンを描いているものも多い。
「面構 国貞改め三代豊国」 1976年・昭和51年
「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」 1982年・昭和57年
「面構 狂言作者河竹黙阿弥・浮世絵師三代豊国」 1983年・昭和58年
「面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」 1988年・昭和63年
最後の絵に登場する鈴木重三先生というのは片岡球子に浮世絵のことを教えたり資料を提供していた国文学者。その人物を江戸時代の浮世絵師である歌川国芳と並べて作品にしてしまうのだから、まさに時空を超えた自由な発想である。ついでに書いておくと「国貞改め三代豊国」で豊国の前にいるのも、豊国が浮世絵の中で描いている女性である(たぶん)。
でも何となく顔の描き方がマンガっぽいというか挿絵的なのが気になったのも事実。浮世絵をテーマにしたものは浮世絵がそんな感じだからともいえるが、それにしてもちょっと物足りない。そして何となくお手軽アートに感じられてしまうのが惜しい気がする。
展覧会の最後は裸婦のシリーズ。
それぞれポーズというタイトルで作品番号が振られている。ポーズ1は1983年作だから78歳からスタートした新シリーズということになる。
「ポーズ2」 1984年・昭和59年
「ポーズ4」 1986年・昭和61年
これらの作品にビックリワールドはない。自由奔放な画風の作品を発表する一方で、絵画の基礎のキである裸婦による様々なポーズを描くことに、晩年から改めて取り組み始めたことが興味深かった。それぞれに作品に画風の共通性もないから、作品ごとに初心に返るを実践していたのかも知れない。展覧会の最後にあった「ポーズ21」は2003年制作なので98歳の時の作品。いくつになっても衰えない好奇心・探求心が103歳までの長生きの秘訣かも。
とにかく片岡球子の「私は描きたいよう絵を描く!」という気合いやエネルギーを作品から浴び続けたような展覧会だった。日本が誇るべき画家だと思う。でもあまり知名度はないのかな。会場はガラガラだったし、会期が1ヶ月ちょっとと短いのも集客力のなさが影響しているのかも知れない。東京はもう終わってしまったが、次は愛知県美術館で6月12日から始まる。行ける人は是非!
おしまい
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2015年05月30日
片岡球子展
いつ頃かは記憶が定かではないが、かなり昔に雑誌で片岡球子がよく取り上げられていたことがあって(雑誌を見ていたんだからネットがメインじゃない時代だ)、いつか本物を見たいなあと思っていた。念願かなって、今年は生誕110年ということでの大規模な展覧会。
場所は皇居北の丸公園の一画にある東京国立近代美術館。
東京での展覧会は5月17日に終了している。訪れたのはゴールデンウイーク明けだから、そろそろ一ヶ月近く前になる。5月2日と4日にラ・フォル・ジュルネでクラシック音楽を聴き、2日は公演のあいまに皇居の外苑と東御苑を散歩したことはブログにも書いた。4日は夕方からの公演だけだったので、この展覧会を見て、そして北の丸公園も散策して、つまり皇居に3つある公園をコンプリートしてから、ラ・フォル・ジュルネに行くのが今年のゴールデンウィーク・プラン。でも予定はあくまで予定で、4日はラ・フォル・ジュルネにしか出かけなかった。会期は4月7日から5月17日と短いので、見逃さないようにと連休明けすぐに出かけた次第。
美術館の休憩コーナーから見おろした皇居の風景。三枚目の写真の左側にある門は東御苑への入り口で、先日見た江戸城天守台跡の裏手に出る。
国立近代美術館は北の丸公園の南側に建っている。
片岡球子は明治38年(1905年)生まれ。大正15年(1926年)に美大を卒業してから、2008年(平成20年)に103歳で亡くなるまで現役だったというから驚く。この写真は文化勲章を受けた85歳前後の頃かと思われる。まだまだ精気がみなぎっている感じ。

「枇杷」(びわ) 1930年・昭和5年
「炬燵」(こたつ) 1935年・昭和10年
初期の作品はいたってノーマル。
ただし片岡球子はとても細かなところまで描き込む画家で、洋服の柄の表現など「本物の生地はこんな細かくないやろ」と思うこともあるが、そういった傾向は早くも現れている。
ところで昭和初期のコタツって天板がなかったのかなあ。最初はコタツとは気付かず、大きく広がる古風なスカートだと思った。でも、それでは娘やマンガ本の描写がおかしいので、タイトルを読んで初めてどういうシーンかを理解。コタツを知らない外国人なら??だろうね。
やがて昭和20年代後半からは、独特の画風に変貌する。
「カンナ」 1953年・昭和28年
「火山(浅間山)」 1965年・昭和40年
そして一度見たら忘れられないような富士山の絵をたくさん描いている。
なお絵の中央に縦線があるものは屏風絵だから。
「山(富士山)」 1964年・昭和39年
「富士」 1980年・昭和55年
「春の富士(梅)」 1988年・昭和63年
「富士に献花」 1990年・平成2年
大胆にして繊細ーーーなんて表現はよくあるが、それが成功している事例は少ない。でも片岡球子の絵はまさにそんな感じ。強烈なエネルギーを感じるし、とても細かなところも描かれている。もちろん細部を描けば繊細になるというものではないだろう。こんな表現はおかしいかも知れないが、片岡球子の作品はアイデアとインスピレーションに満ちあふれていて、いろんな表現の詰まったサービス精神満載の絵である。
またどの絵も大きくて、それらがズラーッと並んだ展覧会会場では圧倒されるような迫力。ちなみに「富士に献花」は縦160センチ・横246.5センチのビッグサイズ。こんな大きな絵を描くにはそれなりに体力も必要かと思う。それで片岡球子が「富士に献花」を描いたのは85歳の時なのだから、まさにスーパーバアチャン。
ーーー続く
場所は皇居北の丸公園の一画にある東京国立近代美術館。
東京での展覧会は5月17日に終了している。訪れたのはゴールデンウイーク明けだから、そろそろ一ヶ月近く前になる。5月2日と4日にラ・フォル・ジュルネでクラシック音楽を聴き、2日は公演のあいまに皇居の外苑と東御苑を散歩したことはブログにも書いた。4日は夕方からの公演だけだったので、この展覧会を見て、そして北の丸公園も散策して、つまり皇居に3つある公園をコンプリートしてから、ラ・フォル・ジュルネに行くのが今年のゴールデンウィーク・プラン。でも予定はあくまで予定で、4日はラ・フォル・ジュルネにしか出かけなかった。会期は4月7日から5月17日と短いので、見逃さないようにと連休明けすぐに出かけた次第。
美術館の休憩コーナーから見おろした皇居の風景。三枚目の写真の左側にある門は東御苑への入り口で、先日見た江戸城天守台跡の裏手に出る。
国立近代美術館は北の丸公園の南側に建っている。
片岡球子は明治38年(1905年)生まれ。大正15年(1926年)に美大を卒業してから、2008年(平成20年)に103歳で亡くなるまで現役だったというから驚く。この写真は文化勲章を受けた85歳前後の頃かと思われる。まだまだ精気がみなぎっている感じ。

「枇杷」(びわ) 1930年・昭和5年
「炬燵」(こたつ) 1935年・昭和10年
初期の作品はいたってノーマル。
ただし片岡球子はとても細かなところまで描き込む画家で、洋服の柄の表現など「本物の生地はこんな細かくないやろ」と思うこともあるが、そういった傾向は早くも現れている。
ところで昭和初期のコタツって天板がなかったのかなあ。最初はコタツとは気付かず、大きく広がる古風なスカートだと思った。でも、それでは娘やマンガ本の描写がおかしいので、タイトルを読んで初めてどういうシーンかを理解。コタツを知らない外国人なら??だろうね。
やがて昭和20年代後半からは、独特の画風に変貌する。
「カンナ」 1953年・昭和28年
「火山(浅間山)」 1965年・昭和40年
そして一度見たら忘れられないような富士山の絵をたくさん描いている。
なお絵の中央に縦線があるものは屏風絵だから。
「山(富士山)」 1964年・昭和39年
「富士」 1980年・昭和55年
「春の富士(梅)」 1988年・昭和63年
「富士に献花」 1990年・平成2年
大胆にして繊細ーーーなんて表現はよくあるが、それが成功している事例は少ない。でも片岡球子の絵はまさにそんな感じ。強烈なエネルギーを感じるし、とても細かなところも描かれている。もちろん細部を描けば繊細になるというものではないだろう。こんな表現はおかしいかも知れないが、片岡球子の作品はアイデアとインスピレーションに満ちあふれていて、いろんな表現の詰まったサービス精神満載の絵である。
またどの絵も大きくて、それらがズラーッと並んだ展覧会会場では圧倒されるような迫力。ちなみに「富士に献花」は縦160センチ・横246.5センチのビッグサイズ。こんな大きな絵を描くにはそれなりに体力も必要かと思う。それで片岡球子が「富士に献花」を描いたのは85歳の時なのだから、まさにスーパーバアチャン。
ーーー続く
wassho at 21:30|Permalink│Comments(0)│