狩野山雪
2019年06月06日
奇想の系譜展 その3
狩野山雪 (1590〜1651年)
狩野と名前がついているのでもちろん狩野派の絵師である。狩野派といえば室町時代から江戸時代までの400年間にわたり、日本画の中心であった本流中の本流。つまり奇想とは真逆の存在。しかし狩野山雪が奇想の画家として取り上げられているということは、狩野派の中にも跳ね上がりの絵師がいたのか?
ーーーという期待をしたが、作品を見る限りごくオーソドックスで「狩野派 正統日本画展」という展覧会に展示されていたとしても違和感のないものが並ぶ。どうしてこれが奇想なのか。見る目のある人なら狩野派としては斬新なところがあるのだろうか。私の感性と教養では何もわからず。
「梅花遊禽図襖 ばいか・ゆうきん・ず・ふすま」 1631年
不自然に曲がった梅の幹がアバンギャルドな表現といえなくもないが、全体的には威風堂々とした正統派。
「龍虎図屏風」
龍と虎はよくある組み合わせ。どちらも強さの象徴。それにしてはこの屏風絵は変わっている。まったく覇気がない。龍は悩んでいるあるいは困ったような顔つき。虎は龍を見上げてはいるが睨んではいないし、前脚を揃えて従順なポーズ。それが面白いとか、そのような表現に何か美術史的な価値があるとは思わないが、珍しい作品であることは確か。
「武家相撲絵巻」
全12巻の絵巻。日によって場面を入れ替えての展示。もう記憶が曖昧で貼り付けた画像が私が見たものかどうかの自信はないが、どれも似たような絵なので差し支えないかと。
描かれているのは平安や鎌倉の時代の相撲らしい。相撲を取っていない人の服装から1〜2枚目が平安時代で、3枚目が鎌倉時代かな。逆にいえば、その程度しか違いがない。
それにしても2枚目は投げ飛ばしすぎやろ(^^ゞ
白隠彗鶴 (はくいん・えかく 1685〜1768)
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。禅宗には「言葉に頼るな」という教えがあるらしく、それで絵を仏教の教えを伝える手段として用いたとされている。そういう点ではこの展覧会の他の絵師とは絵に対するスタンスが異なる。
「達磨図」 1727年頃 静岡・永明寺蔵
「達磨図」 1768年頃 大分・万寿寺蔵
いつ何で知ったのかは忘れたが、この2つの達磨図を最初に見たときのインパクトは強烈だった。永明寺の達磨図を見たのは中学か高校の頃だったような気がする。ダルマといえば縁起物の置物だと思っていたのに、それが人間で僧侶で、こんな険しい顔をしているることにビックリした。万寿寺のほうは大人になってからだと思うが、まるでポップアートのような作風が印象的だった。これらが同一人物の作品だと知ったというか認識したのはずっと後になってから。それを2つ一緒に眺められる日が来るとは。
ちなみに達磨はインド人の僧侶で禅宗の開祖。白隠彗鶴は禅宗である臨済宗の僧侶だから、開祖である達磨の絵を多く描いたというわけ。白隠彗鶴の絵は現存するだけで1万点以上あるとされ、そのうち達磨図は200点ほどらしい。
「蛤蜊観音図 はまぐり・かんのん・ず」
「布袋図 ほてい・ず」
「鍾馗鬼味噌図 しょうき・おにみそ・ず」
どれもユーモラスな作風。この絵を見せながら楽しく説法をしたのかも知れない。それぞれに書かれている文章をまったく読めないのが残念。
蛤蜊観音図は中国の皇帝がハマグリを食べようとしたら、中から観音様が現れたという言い伝えがベース。
ボッティチェリのこの絵と結びつけるのは、もちろん無理がある(^^ゞ
布袋図の文章が書かれている紙はメビウスの輪のように捻れているとのことだが、解説されないと気がつかないかな。
鍾馗(しょうき)とは中国の道教の神様。彼がすり鉢に入れた鬼をすりつぶして味噌にしている様子らしい。それがどういうメッセージなのかはよくわからないが、少なくともそんなんに恐ろしいシーンには見えない。
全般的には漫画に近い画風の白隠彗鶴。面白おかしい感じこそすれ奇想という印象は受けない。なぜか奇想というカテゴリー分けに文句ばかり言っている。
ーーー続く
狩野と名前がついているのでもちろん狩野派の絵師である。狩野派といえば室町時代から江戸時代までの400年間にわたり、日本画の中心であった本流中の本流。つまり奇想とは真逆の存在。しかし狩野山雪が奇想の画家として取り上げられているということは、狩野派の中にも跳ね上がりの絵師がいたのか?
ーーーという期待をしたが、作品を見る限りごくオーソドックスで「狩野派 正統日本画展」という展覧会に展示されていたとしても違和感のないものが並ぶ。どうしてこれが奇想なのか。見る目のある人なら狩野派としては斬新なところがあるのだろうか。私の感性と教養では何もわからず。
「梅花遊禽図襖 ばいか・ゆうきん・ず・ふすま」 1631年
不自然に曲がった梅の幹がアバンギャルドな表現といえなくもないが、全体的には威風堂々とした正統派。
「龍虎図屏風」
龍と虎はよくある組み合わせ。どちらも強さの象徴。それにしてはこの屏風絵は変わっている。まったく覇気がない。龍は悩んでいるあるいは困ったような顔つき。虎は龍を見上げてはいるが睨んではいないし、前脚を揃えて従順なポーズ。それが面白いとか、そのような表現に何か美術史的な価値があるとは思わないが、珍しい作品であることは確か。
「武家相撲絵巻」
全12巻の絵巻。日によって場面を入れ替えての展示。もう記憶が曖昧で貼り付けた画像が私が見たものかどうかの自信はないが、どれも似たような絵なので差し支えないかと。
描かれているのは平安や鎌倉の時代の相撲らしい。相撲を取っていない人の服装から1〜2枚目が平安時代で、3枚目が鎌倉時代かな。逆にいえば、その程度しか違いがない。
それにしても2枚目は投げ飛ばしすぎやろ(^^ゞ
白隠彗鶴 (はくいん・えかく 1685〜1768)
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。禅宗には「言葉に頼るな」という教えがあるらしく、それで絵を仏教の教えを伝える手段として用いたとされている。そういう点ではこの展覧会の他の絵師とは絵に対するスタンスが異なる。
「達磨図」 1727年頃 静岡・永明寺蔵
「達磨図」 1768年頃 大分・万寿寺蔵
いつ何で知ったのかは忘れたが、この2つの達磨図を最初に見たときのインパクトは強烈だった。永明寺の達磨図を見たのは中学か高校の頃だったような気がする。ダルマといえば縁起物の置物だと思っていたのに、それが人間で僧侶で、こんな険しい顔をしているることにビックリした。万寿寺のほうは大人になってからだと思うが、まるでポップアートのような作風が印象的だった。これらが同一人物の作品だと知ったというか認識したのはずっと後になってから。それを2つ一緒に眺められる日が来るとは。
ちなみに達磨はインド人の僧侶で禅宗の開祖。白隠彗鶴は禅宗である臨済宗の僧侶だから、開祖である達磨の絵を多く描いたというわけ。白隠彗鶴の絵は現存するだけで1万点以上あるとされ、そのうち達磨図は200点ほどらしい。
「蛤蜊観音図 はまぐり・かんのん・ず」
「布袋図 ほてい・ず」
「鍾馗鬼味噌図 しょうき・おにみそ・ず」
どれもユーモラスな作風。この絵を見せながら楽しく説法をしたのかも知れない。それぞれに書かれている文章をまったく読めないのが残念。
蛤蜊観音図は中国の皇帝がハマグリを食べようとしたら、中から観音様が現れたという言い伝えがベース。
ボッティチェリのこの絵と結びつけるのは、もちろん無理がある(^^ゞ
布袋図の文章が書かれている紙はメビウスの輪のように捻れているとのことだが、解説されないと気がつかないかな。
鍾馗(しょうき)とは中国の道教の神様。彼がすり鉢に入れた鬼をすりつぶして味噌にしている様子らしい。それがどういうメッセージなのかはよくわからないが、少なくともそんなんに恐ろしいシーンには見えない。
全般的には漫画に近い画風の白隠彗鶴。面白おかしい感じこそすれ奇想という印象は受けない。なぜか奇想というカテゴリー分けに文句ばかり言っている。
ーーー続く
wassho at 23:08|Permalink│Comments(0)│