皇居

2018年05月12日

皇居外苑(皇居前広場)へ

巽櫓のところからは宮内庁が見える。左にあるのが坂下門。
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常に門は閉じられていて(もっとも平日に見たことはない)警官がいる。宮内庁を訪れる時は、あるいは宮内庁の職員はここを通るのかと前からちょっと興味があった。でも近くまで行ってお巡りさんに尋ねるのもーーー。
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そう思いながら坂下門から少し離れた時、自転車に乗った男性がやってきて、門の手前のバリケードを警官に開いてもらい入っていった。休日出勤の宮内庁職員だろうか? やっぱりあそこから入るんだろうな。残念ながら坂下門の正面からは離れた位置にいたので、門が開く様子は見られなかったが。
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広大な皇居前広場。この砂利広場だけでもたいした広さだが、周りの松林の芝生広場の面積はこれの10倍くらいある。これだけの開放感を味わえる場所は郊外でもめったにない。もしストレスが溜まったらここに来るのがお勧め。でも場所が場所だけに「バカヤローッ」と大声で叫ぶのはやめたほうがいいかもしれない(^^ゞ
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南に進んで見えてくるのが二重橋(奥の黒い橋)。正式名称は正門鉄橋。
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そして2年前まで、これが二重橋だと信じて疑っていなかった正門石橋。愛称がめがね橋。
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正門鉄橋は以前に上下2階建てだったので二重橋と呼ばれるようになった。しかし今はそういう構造ではないので、鉄橋と石橋が並んでいることを二重橋と総称するという使い方もあると環境省は述べている。



そろそろ丸の内へ戻ることに。夕日に照らされ黄金色に輝くビル。
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と思ったら、こんな脇道があったので道草。
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少し進むと見えてきた銅像は楠木正成。名前はよく知っているが、歴史的ポジションがイマイチよくわからない人物。
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彫刻を制作したのは高村光雲。さすがの迫力。上野の西郷像も彼の作品。
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ところでこういう銅像の馬は大きく目を剥いていることが多い。でも馬術なんかで馬が立つ時はこんな目をしていないと思う。あまり馬には詳しくないが。


ついでにお尻も(^^ゞ
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広い場所に出て、
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お店があったが、ゴールデンウィークなのに閉まっていた。楠公は「なんこう」と読むらしい。それはいいとして正成をマサシゲとは読みにくい。
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お堀を渡るのはこれで最後。
ここから見えるのは日比谷濠。その先の道路を渡れば日比谷公園。
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白鳥が近寄ってきたので大きく撮れた。
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東京国際フォーラムにに戻ってきたのは午後6時半頃。3キロちょっとのお散歩。
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俺のフレンチの屋台は大人気で、行列が二重三重に取り巻いている。
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夜の帳(とばり)がおり始めたラ・フォル・ジュルネの風景。
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ソフトクリームの後にビールというおかしな組み合わせで、
ひと息ついて次の公演に備える。
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ーーー続く

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2018年05月11日

東京駅へ

三菱一号館美術館を出て向かったのは500メートルほど先の東京駅。当初は駅にある東京ステーションギャラリーで開催されている建築家の隈研吾(くま けんご)展でも見ようかと考えていた。しかし天候はまた曇り始めたが、それでも何となく屋外にいたい気分になり方針変更。


とりあえず東京駅を眺める。
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東京駅は2012年の10月に復元工事が完了した(どこが変わったのかさっぱりわからないけど)。その後に何度か通りがかっているが、駅前広場がずっと工事中で、こんなふうにズバッと駅舎を見渡せたのは今回が初めて。

改めて見てみるとなかなか格好いい。もっとも西洋コンプレックス丸出しの明治建築で、首都である東京の玄関が、日本の「ニの字」もないようなデザインってどうよという気もするが。でもそんな西洋コンプレックスのDNAを引き継いで生まれてきたから、やっぱり格好いいと思ってしまう(^^ゞ


観光客が多くて人を避けて撮るのは不可能だし、駅舎が幅広すぎて私の持っているレンズじゃ全体を収めきれない。

ちょっと離れてみたけど、
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思いっきり離れてみたけれど、やっぱり無理。でもこの駅前広場の広さは伝えられたかな。ここはかなり気持ちのいい空間。
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あきらめて芝生越しの姿を。
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近づいたり、下からあおったり。
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東京駅から皇居へ延びる道路は行幸通り。長さ約1キロ。
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この広い真ん中の歩道は天皇が東京駅を利用する時と、信任状捧呈式に皇居へ向かう外国大使が通る時は通行止めになる。信任状捧呈式(ほうていしき)は大雑把にいうと、新しく着任した外国大使が、日本の元首である天皇に挨拶に行くこと。多くは東京駅から宮内庁が用意する馬車で移動する。Googleで画像検索するとこんな光景。一度見てみたい。でも日本風にやるならコッチかな(^^ゞ


この行幸通りを挟んで東京駅の前に立っているのが丸ビル(左)と新丸ビル(右)。丸の内の顔ともいうべき建物でそれぞれ2002年と2007年に建て替えられた。
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さて次の公演までどうやって時間をつぶそうかと思いながら、行幸通りを皇居方面へ歩く。
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皇居で開放されている3つのエリアは過去のラ・フォル・ジュルネの時に散策したから、今回は訪れる気はなかった。でも、こんな石垣やお堀を見るとつい引き寄せられて。
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お堀の奥に見える橋が渡れるみたいだったので、そちらへ行ってみることにした。橋の後ろ左側にある扇形の建物はパレスホテル。4〜5年前に建て替えられて高級化し、今では帝国ホテルやホテルオークラより高い宿泊料らしい。名前がよく似ているが、金大中事件があったのは同じ系列のホテルグランドパレスで九段下にある。


橋のたもとに和田倉噴水公園の案内。
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石垣の向こうに公園があるみたい。橋の名前は和田倉橋。
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お堀の風景は橋の上から眺めても似たようなもの。
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お堀の向こうの丸の内ビル群。
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橋を渡って中に入っていくと、
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かなり広い公園。
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電球型蛍光灯みたいな噴水。
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あまりカメラばかり見ていると足元がアブナイ。
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大好きなシャッタースピード早くしてのシブキ撮り。
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ピント合ってなかった(/o\)
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こちらの噴水はお休み中みたい。
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和田倉噴水公園を抜ける。
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ここまで来たら皇居外苑(皇居前広場)を通ってから、東京国際フォーラムへ戻ることにした。目の前の道路は内堀通り。
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先ほど渡ったのが和田倉濠(わだくら ぼり)で、こちらは桔梗濠(ききょう ぼり)。皇居のお堀は複雑に入り組んで配置されている。
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ところでそのお堀が全部でいくつあるのかがよくわからない。管轄が宮内庁と環境省に分かれているのがその理由で、環境省が管理しているのは12本だが、宮内庁の「お堀一覧」みたいな資料が見つからない。地図を拡大して数えればわかるだろうが、ザッと見て合計20本以上あるかな。

建っているのは巽櫓(たつみ やぐら)。二重櫓、桜田巽櫓、桜田二重櫓などいろいろな名前でも呼ばれる。桜田というのはこの左先にある桔梗門が内桜田門の別名を持つから。警視庁の前にある桜田門は正式には外桜田門という。

お堀に浮かんでいる白鳥は野生ではなく、国民公園協会という財団法人によって飼育されている。国民公園はあまり耳にしないが、環境省所管で皇居外苑、新宿御苑、京都御苑(京都御所)の3つ。あと千鳥ケ淵戦没者墓苑ともうひとつの慰霊碑苑が「国民公園等」というややこしい位置づけになっている。

ところでこの白鳥は安全のため?という理由で羽根を切られており飛ぶことができないらしい。皇居のお堀の風景を引き立てるために飼われているともいえて、ちょっと可哀想な気もする。もっとも、お堀は充分すぎるくらい広いし、食べ物にも困らないから本当の気持ちは白鳥に訊いてみないとわからない。


ーーー続く

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2016年05月08日

皇居 東御苑

北の丸公園を抜けて東御苑へ。

北桔橋門(きたはねばしもん)の先の受付で、例によって入園票を受け取ると、目の前に現れる石垣。これは昨年も見た天守台=天守閣が建っていた土台部分。
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巨大な天守台の横を抜けて、
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芝生広場に。このあたりは大奥があったところ。去年も書いたが、ここに家康や家光がいたのかと思うと歴史と今とのつながりを感じる。
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今年歩いたのはマップに赤く塗ったエリア。マップの7の芝生広場から15へ抜ける道は現地の案内看板には書いてなかった?ので、いったん入口のほうに戻る。
東御苑


このモダンな建物は、
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宮内庁書陵部。
書陵部というのは皇室関連の文書と陵墓(天皇の墓)を管理してて、両方の漢字をくっつけた造語。それにしても言葉の響きと建物のイメージが合わない。
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書陵部の先の坂道には、
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梅が植えられている。
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梅の実がたくさんなっていた。
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坂を下りると石垣。本丸を守るためのものと思う。
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上の写真の左側、東方向に降りていくと二の丸エリア。
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本丸や二の丸というのは城の中のエリアの呼び名。城は曲輪(くるわ)または郭(くるわ)と呼ばれるいくつかのブロックで構成される。その中で重要なブロックには「丸」の名前がつく。

最も重要な曲輪が本丸。基本的には大名の執務・居住エリア。その次に重要なのが二の丸で三の丸がそれに続く。なぜか本丸を一の丸とは呼ばないし、数字を使うのは三の丸までが習わしで四の丸や五の丸というのはない。三の丸以降の重要ブロックは北の丸や西の丸といった東西南北、あるいはその他固有の名前がつけられる。

ちなみに今年のNHK大河ドラマは真田丸。それは真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた陣地の名前で、丸がつくのはそこが重要ブロックだから(と思う)。ついでに船名に丸をつけるのが城の丸に由来しているのかどうかはわかっていない。

今の二の丸エリアは雑木林になっている。
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土地に何も手を入れないと雑木林になる。公園部分もそうだが皇居本体もできるだけ雑木林を残すように造園されているらしい。皇居がなかったら都心のヒートアイランド現象はもっと激しいかも。


都道府県の木が植えられている一画があった。
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この宮崎県産のフェニックスは反則かなあ。目立ちすぎる(^^ゞ
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諏訪の茶屋。
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数奇屋風の書院茶室様式らしい。茶室とは四畳半ほどの大きさだし、虚飾を廃したシンプルな造り。書院造りは基本的に格式ばったもの。この2つがどうして合体するのか建築には詳しくないのでよくわからない。


二の丸庭園。
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松は立派で形もいいのだが、背景が雑木林だから眺めとしては映えない。庭園美と自然との共生は意外と難しいのかも。
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雑木林の中の遊歩道を歩く。
東京駅から歩いてこられる場所で森林浴ができるのは素晴らしい。
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大手門のほうへ降りていく。見覚えのある100人番屋。江戸時代を背景に高層ビル群が見える光景がシュール(超現実的)。
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大手門を出た橋の上から。ここを境に北側にあるお堀が大手濠で、南側が桔梗濠(ききょう)と呼ばれる。
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皇居のお堀は20程のエリア別にそれぞれ名前がついているが、そのほとんどが濠(ごう)で淵がつくのは千鳥ヶ淵と牛ヶ渕だけ。江戸城の場合、濠というのは基本的に掘って造ったか窪地に水を溜めたもの。淵は小さな川をダムでせき止めて水面を広げたものという違いらしい。

お堀には明治の中頃まで玉川上水(多摩川の上流で取水して江戸市中に水を供給していた水道)が流れ込んでいたが、玉川上水廃止後は新宿にあった浄水場の余った水だけを使うようになり、それも1965年頃に廃止されて(その跡地が都庁などがある新宿副都心)、現在は雨水と地下水だけがお堀の水源。大雨が降れば下水の水も流れ込む。浄化設備による取り組みはいろいろ行われているようだが、今のところ皇居のお堀といえばグリーンという印象なのが残念。


中央分離帯のところで信号が赤になってしまったついでに内堀通りを撮影。
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東御苑を出たのが午後4時。この日のラ・フォル・ジュルネは4時45分スタートのプログラムから。歩いて東京フォーラムに向かっても間に合う時刻であるが、屋台村でビールを飲んで休憩したかったのでタクシーで移動。
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2016年05月07日

皇居 北の丸公園

昨年はラ・フォル・ジュルネのプログラムの空き時間に会場を抜け出し、皇居の外苑東御苑を見て回ってなかなか楽しめた。それで今年は3つある皇居の公園の残り1つである北の丸公園を訪れることに。それと北の丸公園に隣接する東御苑で昨年は見なかった場所にも足を運んできた。
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5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。


都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
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公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
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公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
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灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。


高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
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大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。


銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景あんな風景が見られる。


いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
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敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。


この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
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田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。



田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
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運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
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現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
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いい感じの芝生広場。
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芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
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新緑と青空。まさに初夏。
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芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
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芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
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これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
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公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
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旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
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また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
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軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。



田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。

北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
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北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。

北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
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調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。

乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。


乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
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また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。


北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
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この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
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これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.


ーーー続く

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2015年05月14日

皇居見物 続き 東御苑

5月2日にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの公演に間に出かけた皇居見物の続き。
(前回のエントリーは3つ前)


大手門から皇居東御苑に入る。
大手門とは城の正門を指す。
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門をくぐってすぐ右に曲がり、工事中の櫓(やぐら)の下を通る。
門からまっすぐ中に向かえないのは敵の侵入を遅らせるためらしい。
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その後、こんな入園票を手渡されて公園の中に入る。
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この入園票は帰る時に返す。公園は無料なのになぜこんなシステムがあるのか不思議。手渡した入園票と戻ってきた入園票の数を数えれば、公園が閉まる時刻に中に残っている人の数が分かる理屈にはなる。しかし受け渡し方はけっこうアバウトだから、こんなことで正確な人数を把握できるとは思えない。また観光バスから大勢の人がこの公園に入ってきたら、この場所がボトルネックになって混雑する。役所というのは意味のないことに無駄な人件費を使うことが好きだ。


江戸城だった頃の建物がいくつか残っている。

同心番所。
いってみれば警官詰め所。
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百人番所。
かなり大きな建物。機能としては同心番所と同じだが、こちらには武装した同心や与力(同心の上級職)が警護に当たっていたようである。
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百人番所の前には石垣があった。写真ではわかりにくいが、奥の石垣と石垣の間を直角に曲がって城の中へ進むようになっている。これも敵に攻められた時、一気に侵攻されるのを防ぐ工夫かもしれない。
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大番所。
ここには少し位の高い与力や同心がいたらしい。
とにかく江戸城の最初は検問所だらけである。
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石垣の間を抜けて中へ進んでいく。少し上り坂。
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場所によって石垣の積み方というか工作精度が違う。
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そして芝生の広場に出る。
かつてはここに江戸城の主要な建物が並んでいた。
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一番奥にある天守台。
天守閣が建っていたところの土台部分。
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一般に城と聞くと思い浮かべるのは天守閣の姿。でも天守閣は城の建物の一部であって、殿様が住んでいたり執務を行う場所ではない。高い位置から地上を見渡せるので監視塔としての役割と、城のステイタスをアピールするためのもの。

江戸城の場合、早い時期に天守閣を焼失している。しかし世の中が平和になって軍事的に不要になったのと財政難の両方の理由から再建されていない。

天守に関連する江戸城の歴史は

  1590年:徳川家康が江戸城を居城とする。
  1607年:天守閣完成。
  1615年:大阪夏の陣で豊臣家敗れる。
  1622年:天守閣リニューアル。
  1638年:天守閣リニューアル。
  1657年:火事により天守閣を焼失。その後の再建はなし。

というわけで江戸幕府250年の歴史のうち、江戸城に天守閣が建っていたのは50年ほどに過ぎない。なお天守閣ではなく天守が正しく、天守閣というのは俗称らしい。


天守台から下を見下ろす。
天守があれば、その一番上からは江戸時代なら海まで見えたはず。
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江戸城の本丸(一番メインの建物群)と天守台の位置関係。
現在位置のところが天守台。
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ということで1つ前の写真に写っている芝生は大奥あたり。家康や家光が暮らしていた本丸を、その跡地とはいえ歩けたのは何となく感慨深い。


天守台の上。
意外と狭い。歩測してみたら30歩と22歩だった。歩幅75センチで計算すると22.5メートル×16.5メートル=371平方メートル。マンション4〜5部屋分といったところ。
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      ※2022年追記
       歩測したのは天守台の一部でした。全体の様子はこちらの投稿から。




皇居東御苑はツツジの名所とも聞いていたのに、いくつか生け垣的にあっただけ。
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後で調べると、この日は御苑内の主に西半分を回ったのだが、いろんな花が咲いているのは東側のエリアらしい。もっと下調べしてから行けばよかったと反省。


芝生広場の横を歩いていると、バラのいい匂いがしてきた。
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黄色いのがキモッコウバラで、
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白いのがモッコウバラ。
黄色と白で咲き方が少し違う。
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その先を歩いて行くと、
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忠臣蔵で有名な松の廊下跡。
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でも、小さな石碑がぽつんとあるだけ。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
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入ってきたのと同じ大手門へ向かう。他にも2つ出入り口がある。
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入園票を無くしたといったらどんな対応をするか興味あったが、
騒ぎは起こさずおとなしく公園を後にする。
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ドローンは禁止らしい。
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閉園は午後5時。まだ少し前だったが大手門の扉は半分閉まっていた。
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江戸城に思いをはせながら東御苑を散策した後は、メトロポリスTOKYOにカムバック。
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日比谷通りを超え、丸の内に入ったら東京駅はすぐ。
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東京駅の北側。
2012年10月に復元工事が完成したが、どこが変わったのかよく知らない。
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東京駅の前に2本そびえ立っているのは右側が「新丸ビル」で左側が「丸ビル」。大阪梅田にある丸ビルは丸い形のビルだからだが、東京の丸ビルは丸の内ビルディングの意味。丸ビルは2002年、新丸ビルは2007年に建て替えられた。
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東京駅正面は工事中の壁があって写真撮影的にはイマイチ。
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と思ったらビルの屋上に人影発見。
東京駅はあそこから眺めるものらしい。
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屋上に人がいたのは東京中央郵便局。ちょっとクラシックな建物に見えるが、これは郵便局を高層ビルに建て替える際に、旧局舎外壁の一部だけを残したもの。
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東京駅の北側。
ちょっとヨーロッパぽくも見える。
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スカイバス(2階建ての屋根のない観光バス)の乗り場。
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銀座でも走っているのをよく見かける。都内観光といえば黄色い「はとバス」が有名であるが、こちらは日の丸自動車興業という会社が運行している。はとバスもオープントップのバスを運行していて、そちらは O Sola mio(オー・ソラ・ミオ)とイタリア人観光客を乗せるには恥ずかしい名前となっている。ちなみにイタリア・カンツォーネの「オー・ソレ・ミヨ」は「私の太陽」という意味。


再び三菱一号美術館の横を通って、
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東京国際フォーラム北側に戻ってきた。
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予定通り3時間ほどのお散歩。
バッハやモーツアルトも江戸時代の人だから、ラ・フォル・ジュルネに来て皇居の江戸城跡を見て回るというのは時間軸的に正しい過ごし方ともいえる。


屋台でトルコ料理のドネルケバブを買って、次の公演までに腹ごしらえ。
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ーーー続く

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2015年05月09日

皇居見物 そして、ああ勘違い

5月2日にラ・フォル・ジュルネの会場を抜け出して行ってきたのは皇居。演奏会は朝から晩までやっているので、1日どっぷりと音楽に浸るのもよいが、音楽半分その他半分くらいがバランスがいいかなと考えて。それに皇居は3時間ほど散歩するには東京国際フォーラムからちょうどよい位置にある。

皇居に面している道路はよく通っても、今までじっくり訪れたことはない。中には入れないんだから特に興味もなかったのが正直なところ。しかし来日した仕事相手の外国人が「東京では皇居を見に行く」ということが何度かあったので、一度行っておくかと。そう考えてからもう5年以上経ってしまったけれど。


皇居には下の地図にあるように3つの一般開放エリアがある。
改めて眺めてみると開放されている部分が全体の半分以上ある。
皇居地図2


南の皇居外苑は、東京駅から歩いて5分くらいのところから広がる、松が植えられた芝生が美しい、いわゆる皇居前広場。写真で映像でよく目にする二重橋はここにある。北の丸公園は日本武道館があるところ。サクラで有名な千鳥ヶ淵もこの公園に面しているお堀。

この2つは有名だが真ん中の皇居東御苑はあまり知られていないかもしれない。私も外苑と北の丸公園のほかにもう一箇所あると知っていた程度の認識。でも江戸城はこのエリアに建っていたから皇居の中では一番歴史のあるところ。


お散歩コースは時計回り。まず東京フォーラムの北側から東に進んで皇居外苑へ。それからお堀沿いに北上して大手門から東御苑に入る。東御苑を出た後はまっすぐ進んで東京駅の前を通って会場に戻る。だいたい7キロくらいの行程。時間的に北の丸公園までは足を伸ばせなかった。
皇居地図

皇居外苑に行く途中のルートが道路の左右を横断しているのは、なぜかまっすぐ線を引けなかっただけで意味はない。新しくなったグーグルマップはまだ使いにくいので、今回はヤフーのマップ。




東京フォーラムを出て三菱1号美術館を過ぎると、
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次の角は丸の内のメインストリートである丸の内仲通り。
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昔は単なるオフィス街の道路で休日は人通りのないエリアだった。しかし2002年に丸ビルが建て替えられたあたりから、いろいろ改装されてお洒落なストリートに変身。今はショップやレストランが並び、クリスマスにはイルミネーションも施される。


クラシックな明治生命のビルを抜けると、
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日比谷通りに出て皇居外苑が見えてくる。
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交差点を渡ると、その先はお堀になっていて皇居に来たという感じを受ける。
写真は北向きに撮っていて右手が日比谷通り。
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日比谷通りとその先の内堀通りに挟まれたエリアが外苑のいわば前庭部分。
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クリックして写真を拡大すると芝生の中でくつろいでいる人が見える。
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内堀通りの向こう側が外苑のメイン。
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これはなんと呼ぶのだろう。
この石でできた大きな障害物?が外苑にはたくさんあった。
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内堀通りより奥の芝生は立ち入り禁止になっていて人がいない。
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北方向を望む。
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南は霞ヶ関。
右端のタワーのある建物は警視庁。警視庁の前にあるのが桜田門。
ちなみに皇居には11の門がある。
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東側。東京駅方向。
とにかく東京のど真ん中に巨大な広場である。
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ところで皇居の総面積って調べてもはっきりしない。宮内庁には皇室用財産として115ヘクタールとある。外苑と北の丸地区は環境省の管轄らしく両エリアで同じく115ヘクタールと書いてある。東御苑は宮内庁の管轄だが115ヘクタールに含まれているかどうか不明。千代田区観光協会のホームページによると東御苑は21ヘクタールである。また皇居前広場の面積は46.5ヘクタールとするものもあった。とにかく全部でナンボなの?
皇居写真




さて皇居に向かって外苑の左の方にあるのが、写真やテレビで何度も見たことがあるこの橋。後ろに見えるお城っぽいのは伏見櫓(やぐら)と呼ばれる建物。実に絵になる光景。
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しかし、このエントリーのタイトルに書いた「ああ勘違い」とはこの橋なのだ。

     これは二重橋ではない!

いや〜、ビックリ。今日の今日までずっとこの橋が二重橋だと思っていた。「皇居」&「二重橋」という言葉とこの画像なり映像はセットになっている場合が多いと思うし、この橋はアーチが2つあるから二重橋だと。何となくショック(^^ゞ

二重橋とは、この橋の奥にある橋。それでこの手前の橋は「石橋」と何の変哲もない名前。でもこっちを二重橋と思っている人の方が多いんじゃないかな。



お堀は水そのものはきれい。でも藻が一杯でちょっと気持ち悪かった。
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石橋の橋の上
橋の向こうの工事中なのが皇居正門。
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そしてこれが二重橋。
まあ普通の橋。やっぱり石橋のほうが皇居のアイコンとしてはふさわしい気がする。
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先ほどの石橋を渡って正門をくぐり、右に曲がってさらに二重橋を渡る、つまり堀を渡ってまた戻って、皇居の宮殿ゾーンに入る道順になっている。二重橋の正式名称は正門鉄橋で、石橋は正門石橋。正門鉄橋は以前に橋がまだ木製だった頃、二階建ての橋だったので二重橋と呼ばれていた。その名残が今も続いているらしい。



芝生の松を眺めながら北向きに歩いて行く。
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坂下門。
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坂下門をくぐって右側にあるのが宮内庁。
宮内庁に行く時はこの門を使うことになる。飛び込み営業は無理そう(^^ゞ
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次にあるのが桔梗門(ききょうもん)。
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堀を渡ったところに門がある。
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たまたま出入りの業者のような人が通りかかった。
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観光客ににこやかに接している警察官のように見えるが、実際は警官同士でペチャクチャおしゃべりをしているだけ。この桔梗門だけでなく正門手前や坂下門でも警官は同じような感じで緊張感なし。それなりの覚悟があればゲート突破は難しくなさそうである。もっとも突破したところで皇居内部はとても広いし、また退路は完全に断たれてしまうが。なお桔梗門を突破しても、その先は皇宮警察本部だからお気をつけください(^^ゞ
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外苑の北の端から南側を眺める。とにかく広い。ただし松と芝生で緑も豊かであるものの、内堀通りの交通量は多いので、それなりに自動車が走っている音は聞こえてくる。
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手前が巽櫓、奥が桔梗門。写真左隅にかすかに写っているのが富士見櫓。江戸時代にタイムスリップしたような気分ーーーと書きたいところ。しかし実際には回りには外人観光客がたくさんいて江戸時代情緒はゼロ(^^ゞ
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普通、櫓(やぐら)とはタワーのように木材を高く組み上げた建物。私が幼い頃には消防署に火の見櫓というものがあったのを覚えている。城にある櫓は、城外周の要所要所に建てられた監視塔あるいは防御拠点。でも平和になってくると月見櫓とか富士見櫓といったお楽しみ用の櫓もあらわれる。


さらに北に歩いて大手町にあるのが大手門。というか大手門があるから大手町。
この門から皇居東御苑に入る。
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ーーー続く

wassho at 15:38|PermalinkComments(2)