草間彌生

2024年11月21日

高橋龍太郎コレクション展 その2

この日は渋谷にいたので半蔵門線で清澄白河(きよすみしらかわ)駅へ。他にも大江戸線、東西線、新宿線と4つの地下鉄路線が利用できる。ということはつまり、東京都現代美術館はどの駅からも遠い(^^ゞ
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地上に出たところは清洲橋通り。
左後方には昨年に紅葉を見に来た清澄庭園がある。
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美術館は右方向。
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平日の昼過ぎに道路はガラガラ。
いつもこうなのかな。この近辺はあまり馴染みがない。
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深川の地名を見るとなぜか「江戸」って気分になる。
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三ツ目通りへと右折。
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しばらく歩くと、
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東京都現代美術館に到着。
地下鉄出入り口からここまで10分弱だった。
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前回に書いたように略称はMOT。
でもロゴマークはMO+(プラス)にしか見えない。
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美術館広場と呼ばれる場所。
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このオブジェのタイトルは「カタツムリのように」。私の知っているカタツムリとはまったく違う品種みたい。でも「ように」だから何か別の意味があるのかも知れない。
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これも屋外展示の作品なのか、
建築デザインの一部なのかはわからず。
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入場。
この美術館に来るのは初めて。
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デカい!
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Wikipediaによると延べ床面積は3万3515平米で日本最大の美術館建築とあった。
いや、そんなはずはないと調べてみると

  東京国立博物館  7万8471平米
  国立新美術館   4万9834平米
  東京都美術館   3万7489平米
  東京都現代美術館 3万3515平米
  国立西洋美術館  1万7369平米

東京国立博物館は建物がいくつもあるから同列には扱えないとしても、国立新美術館(六本木)と東京都美術館(上野)のほうが広いじゃないか。以前に書いたようにWikipediaを鵜呑みにしてはいけないと再確認。

まあそれでも東京都現代美術館が広いのに変わりない。
ちなみにルーブル美術館は7万3000平米。

なお当然ながら展示室の面積は延べ床面積より狭い。肝心なのはそちらの面積だが調べていない。だいたい延べ床面積に比例していると思うが、国立新美術館は自前のコレクションを持たず収蔵庫がないので展示面積は広いかも知れない。ただし国立新美術館と東京都美術館は企画展と公募展で展示室が分かれている。誰か種目別の美術館面積ランキングを作って欲しい。


展示室への入り口は上の写真の廊下中程にあったが、
初めて来た美術館なので奥のほうまで見て歩いた。

するとサテライト展示なるものを発見。
ここは展覧会のチケットなしで無料で見られる。
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パーテーションに書いてあるように展覧会の正式名称は「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。私観とは聞き慣れない単語で国語辞典には載っていない。主観や私感の連想から何となく意味はわかるけれど、どうして私観の言葉を使ったのだろう。


中には展示品がふたつ。
ライオンをガラス球で作った作品と、奥は蜷川実花の写真。画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
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さて展示室に入ると最初は草間彌生のコーナー。
彼女については2017年に国立新美術館で開かれた展覧会で多少は詳しくなった。

若い頃の草間先生のお写真。タイトルは『「ドレッシング・テーブル」と 「チェアー」』。彼女は1957年から1973年の17年間はアメリカを拠点にしている。渡米当時は28歳で、この写真撮影は1964年。
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彼女の周りに多数あるのは、布でくるんだ「ソフト・スカルプチュア(スカルプチュアは彫刻)」というジャンルの作品。今回は解説がなかったものの、前回の展覧会でこのウンチみたいなのはオチンチンとされていた。なぜか先の尖ったオチンチン(^^ゞ


「マカロニ・スーツケース」 1965年
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カバンにマカロニも貼り付けてあるけれど、車輪のようなものが圧倒的に目立つ。これもパスタの一種なのかな。求む解説。


「マカロニガール」 1999年
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これは日本に帰国後の制作。こちらは車輪のようなものしかない。それでもタイトルはマカロニガール。やはり車輪型のマカロニなのか?


「太平洋」 1959年
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彼女は1949年(昭和24年)に京都の美術高校を卒業し、1957年にアメリカに渡るまで実家のある松本で活動していて、それを草間彌生の松本時代と呼ぶ。その期間の作品は結構好き。そしてこの「太平洋」は松本時代の作風に似ている。アメリカでは一気に前衛へと作風を変えたと思っていた。


「森の中に立つ女」 1978年
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そしておなじみの「かぼちゃ」 1990年
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かぼちゃはもうすっかり彼女のトレードマークで、こんな商品まで売られている。これはスーツケースではなくて、伸縮素材で作られたスーツケースカバー。ちょっと欲しいかも。
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ーーー続く

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2017年04月03日

草間彌生展 我が永遠の魂 その3

草間彌生は1973年(昭和48年)頃に活動の場をアメリカから日本に戻す。アメリカで10年以上連れ添ったパートナーが亡くなったり、体調や精神面を崩したりとかいろいろあったみたい。そこから2000年あたりまでの約25年間が(展覧会の分類では)松本時代〜アメリカ時代に続く第3期の活動となる。


松本時代とアメリカ時代の作品は似ても似つかないが、この第3期もまったく別人のような路線。ついでにいうとこの第3期と、最初のエントリーで紹介した2000年以降から現在に至る第4期もまったく違うので、草間彌生はかなりドラスティックに作風が変化するタイプの人である。


それでこの第3期はなかなかよかったというか私のツボにはまった。ジャンルわけするならシュルレアリスムに近い。しかし、ありがちな摩訶不思議をひけらかしたようなところはなく、落ち着いた雰囲気で絵の中に引き込まれるような魅力がある。頭で考えてインパクトを狙ったのではなく、心で素直に描いたんだというと安直な解釈になってしまうけれど。


「花と自画像」 1973年
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「蟲をとる男」 1972年  ※蟲は虫の旧字。ついでに男は写真の中にいる。
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「我が巣立ち」 1975年
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「夜の目」 1975年
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「水に映った蔭」 1977年
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「自殺した私」 1977年
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この写真の撮影は1982年だから、第3期の中頃にかかる53歳頃の草間彌生。風格が出てきたというかオーラを感じるというか。前2回のエントリーで載せた松本時代とアメリカ時代、そして現在の写真と見較べて変化を追ってみるのもおもしろい。
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カボチャは草間彌生が好んで使うモチーフ。瀬戸内海の直島に置かれた大きなオブジェが有名。世間一般に彼女が知られるきっかけとなった作品だと思う。その制作が1994年で下の絵は1999年。展覧会では第3期で展示されていたが内容的には第4期かな。第4期を「21世紀の草間彌生」とネーミングしたから外されてしまったんだろう。

「かぼちゃ」 1999年
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最初のエントリーで書いたように第3期の展示を見終わると出口ではなく、第4期つまり現在の作品の展示室に出る。過去の作品を見てから改めて現在の作品に接すると、最初に眺めた時と少し違った印象も受ける。初めは明るくてパワフルで楽しいという風にしか思えなかったものが、もう少し草間彌生の内面的なものを込めたもののように感じられる。作風は何度か大きく変化しているが、伝えたかったことの根底は昔からそう変わっていないのかも知れない。それを読み解くほどのマニアックさは持ち合わせていないけれどーーー。


ただし「今、なぜこの作風?」という興味も湧いてくる。こればかりは本人に尋ねてみないとわからないが、草間彌生なりの時代ニーズの取り込みなのではないかと思っている。アメリカ時代の作品はいかにも前衛的だが、あの時代はああいうものが求められていたんだろう。それで現在において受け入れられるものとして選んだのがこの作風じゃないかと。芸術家にもいろいろなタイプがいるが、彼女は間違いなく自分の作品を広く知ってもらいたい、メッセージを届けたいと考えているはずだ。

「海底の物語」 2014年
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ついでにマーケティング的に考えると草間彌生の人気の高さは、現在のヘアスタイルやファッションも相当貢献している。作品との一体感があるし、なにより88歳にしてあのスタイルというインパクトは絶大。あるいは88歳だからこそというべきか。認知し記憶してもらうことはマーケティングの第一歩。彼女はセルフプロデュースにも長けた人物だと思う。
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展示室を出るとグッズ販売スペース。ここでも水玉模様で草間ワールドを演出している。ご覧の通りの大混雑。
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なんとレジ待ちは売り場を出て会場の外まではみ出している。最低30分は並ぶんじゃないかな。人気の展覧会でグッズ売り場が混雑していることはよくあっても、こんなに行列しているのは初めて見た。
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来た時にはそれほど並んでいなかったチケット売り場も帰りにはこの通り。チケットは別のところで買っておくことをお勧めする。
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おしまい

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2017年03月31日

草間彌生展 我が永遠の魂 その2

「我が永遠の魂」と「明日咲く花」や「真夜中に咲く花」が展示されているフロアの次は、草間彌生の初期作品の展示。

彼女は1929年(昭和4年)長野県の松本市生まれ。少女時代に統合失調症(以前は精神分裂と呼ばれていた病気)になり、それによる幻聴や幻覚から逃れるために絵を描き始めたとされる。16歳で長野県の展覧会に入選するなど、その才能は早くから認められていたようだ。地元の高校を卒業後、京都の美術高校に編入して日本画を1年間学んで松本に戻り、本格的に画家活動を始める。その後にアメリカに渡るが、それまでが草間彌生の松本時代と呼ばれる期間である。


前回のエントリーに載せた彼女の風貌・ファッションはとてもエキセントリックだが、松本時代の彼女はごく普通のお嬢さんといった感じ。これは松本時代の最終年、1957年に撮影された28歳頃のもの。
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これが16歳で全信州美術展覧会で入選した作品。京都で日本画を学ぶ前だけれど、何となく日本画テイストが感じられる。なお草間彌生が日本画に進まなかったのは、古くさい日本画画壇の体質に馴染めなかったからといわれている。

「稔り」 1945年
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「残夢」 1949年
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「残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)」 1950年
    ※アキュミレイションは蓄積物というような意味。
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「集積の大地」 1950年
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この3枚は悪くないけど、駆け出し画家のありがちな絵という印象も拭えない。しかし次の3枚からは一皮むけた腕前を感じる。もっともこれは評価というより私の好みの問題かも。


「発芽」 1952年
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「誘惑される太陽」 1954年
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「風神」 1955年
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この路線で進んでもおもしろかったとは思うが、それでは今のように圧倒的存在感を持つモダンアートの女王としてのポジションは得られなかったとも思う。それはともかく1957年の終わりに彼女はアメリカに渡る。

草間彌生のアメリカ時代は1957年から1973年の17年間。最初はシアトルだったが、1年ほどで活動の舞台をニューヨークに移す。この写真は1961年、彼女が32歳頃に撮られたもの。背景に摩天楼(もう死語かな)が写っている。松本時代の写真と較べると、なにか肝の据わった人物の印象になっている。
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アメリカ時代の草間彌生は、だんだんといい感じになってきた松本時代とはガラッと路線を変える。前回のエントリーで書いた私が酔えないモダンアートの世界に突入。次の2枚のうち前者は縦2.1メーター横4.15メーターの巨大なカンバスを白いドットですべて塗りつぶしたもの。後者はVIA AIR MAILのシールを無数に貼り付けたコラージュ。美術史の流れの中で何かエポックメイキングな価値を持っている作品なのかもしれないが、それは美術界内側の話であって、ごく一般人の私には何の興味も持てない作品。


「No. AB」 1959年
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「Airmail Accumulation」 1961年
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この作品は布でくるんだものを脚立に組み付けた立体作品。こういうものは彫刻の概念を拡張した「ソフト・スカルプチュア(スカルプチュアは彫刻という意味)」というジャンルらしい。それで草間彌生はこのソフト・スカルプチュアに最も早く取り組んだ1人とのこと。ところでこのソフト・スカルプチュア。会場ではウンコだと思っていたのだが、後で調べてみるとオチンチンだということがわかった。それにしては先っちょが尖りすぎだと思うけど(^^ゞ

「トラヴェリング・ライフ」 1964年
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「マカロニ・コート」 1963年
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ニューヨーク時代の草間彌生はヌードも披露。ところで元アイドルが熟女になって脱げば興味を引いても、お婆ちゃんの若い頃のヌードには「ヌードとして」関心が持てないのはなぜなんだろう(^^ゞ

「自己消滅(網強迫シリーズ) 1966年
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「自己消滅」 1967年
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草間彌生は当時「ハプニング」と呼ばれた過激なパフォーマンスでも有名だった。次の写真は男女が屋外で裸になって、身体に水玉を描くというパフォーマンス。
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何となく昔懐かしいヒッピーな雰囲気。もうヒッピーという言葉を知らない世代も増えてきたが。なおこの2枚の写真は展覧会の展示物ではない。
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残念ながらニューヨーク時代の草間彌生は私の趣味じゃない。でも1957年(昭和32年)当時に単身でアメリカに渡りアートシーンの先頭を切り開いた、現在は御年88歳の日本人女性がいたことは素直にすごいと思うし、また誇らしい気持ちになる。


ーーー続く

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2017年03月29日

草間彌生展 我が永遠の魂

先日、六本木の国立新美術館で開催されている草間彌生(やよい)展を見てきた。彼女は日本のみならず国際的にもモダンアートの女王的な存在。2016年には米国タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、また日本では文化勲章も受章している。作品の価格は数千万円クラスだという。

しかしこのブログで何回か書いたと思うが、私はモダンアートが苦手というか趣味に合わないというか。はっきり言って好きじゃないし、モダンアートあるいはモダンアート美術界(業界?)を少し見下しているところもある。でもまあ、たまには毛色の変わったものを眺めて肥やしにしようかと考えたしだい。



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草間彌生大先生は御年88歳。もちろんいまだ現役。そして見て通りの奇抜なファッション。こんな人を街中で見かけたら目をそらす(^^ゞ それとマスコミで紹介される時は、だいたいこういう風に目を見開いて睨みつけている写真が使われることが多い。だから、よっぽどブッ飛んだバア様かと思っていたが昨年の文化勲章受章のニュースで

 「文化勲章にもまさるもっともっと素晴らしい人間愛と、世界の平和のために
  私たちは芸術をやっていくことができればこれにまさる光栄はないと思っております」

 「大変感激しております。今後とも草間彌生の生き様を見ていただきたい。私は多くの
  人々が私の芸術を見てもらうことに全てを賭けています。どうぞ草間彌生をよろしく
  お願いします」

 「今後もなお一層、自分の芸術を高めるために努力を惜しむことなく闘ってまいります」

などときわめて真っ当なコメントを述べていたことが意外であり印象的だった。いろんなメディアで草間彌生のことはよく紹介されるけれど、それまではあまり関心を持たず読むこともほとんどなかった。でもこの時から彼女に少し興味を持ちだしていた気もする。


水玉は草間彌生の作品でよく使われるモチーフであり、国立新美術館の木々も水玉でラッピング。私もネクタイは水玉が好きだから実は趣味があったりして。
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訪れたのは平日の午後2時頃。チケットを買うのに5分くらいの行列。
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展示室に入って最初は小さなコーナーで、この富士山の絵だけが置かれている。背景の水色部分に小さな白いドットが無数に描かれているが、草間彌生はその技法をよく使う。

「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がっていく時」 2014年
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その小さなコーナーを抜けると、いきなり草間彌生ワールド全開。
ちょっと度肝を抜かれた感じ。
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このフロアは写真撮影が認められている。なぜかケータイのみ可能でデジカメは禁止。
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巨大な空間とそれに負けていない作品のパワーが伝わるかな。
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壁にある絵は草間彌生が2009年から描き続けている「我が永遠の魂」と名付けられた連作。現在作品数は500点を超えているそうで、この展覧会には132点が展示されている。500点を8年で割ると62.5だから、80歳から1週間に1枚の割合で描いていることになる。しかも写真を見てわかるように、これらはかなり大きなサイズの作品。信じられないくらいのバイタリティーである。



フロアに置かれているオブジェは「明日咲く花」または「真夜中に咲く花」という題名がつけられている。これをどう評価していいのかはわからないけれど、理屈抜きに楽しくてエネルギーに満ちあふれているのは確か。私がもう50ウン歳ほど若かったら作品の周りでスキップしながらはしゃいだだろう(^^ゞ
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材質は見たところ(触れられないので)FRPのようだ。こういうのはどうやって作るのだろう。着色も筆で塗ったような感じではなかった。製作過程をどこかで紹介して欲しい。これのミニチュア版がグッズとしてあったら買いたかったのだが、残念ながら売っていなかった。洗面所やトイレにでも飾れば運気が向上しそうである。

草間彌生のサイン。全部で7作品あって2010年から2016年にかけての制作。
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細かなドットが無数に描かれていたり、近づいて眺めるととても手の込んだ絵だということがわかる。でもそれを別にすれば小さな子供が描くような絵である。この絵を1枚だけ見せられたら「なんじゃこりゃ」で終わっていたと思うが、これだけの数を並べられると、まさに圧巻としかいいようがないのも事実。広いフロアが異空間のように感じられる。

ここにある絵がすべてラファエロだったら、ゴッホだったらーーーそれはそれで壮観だろうが異空間という感じはしないと思う。芸術はその作品に酔えるかどうかが私の判断基準。モダンアートは理解できたり価値を認めたりできても酔えないから関心の対象外だった。でもこの日は草間彌生のファンタジーに酔うことができた。望外の収穫。
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「我が永遠の魂」というのが連作としてのネーミングで、それぞれに個別の名前もついている。例えばこの4枚は左上から時計回りに「うれいのごとく くれないの赤きくちびる おしあてて あつきなみだを ながせども あゝ 春はゆく 春はゆく」「私に愛を与えて」「我が悲しみのきわみ」「夕焼けの花壇」といった具合。左上のなんて絵のタイトルというより詩みたい。タイトルを確認してから絵を眺めれば、もっといろいろなことを感じたような気もするが、作品があまりに多すぎてそこまでできなかった。
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この展覧会は(作家の生涯にわたる作品を展示する)回顧展だが、展示の仕方が少し変わっていて、現在の草間彌生の作品からスタートする(普通の回顧展は年代順の構成)。この後、彼女の初期の作品から順に見ていくわけだが、それを見終えると出口ではなく、またこのフロアに戻ってくるという順路になっている。

それでこのフロアに立つと、また一から見直したくなるのである。初期や中後期の作品も大変よかったので、結局展覧会を3周も見て回ってしまった。モダンアートなんてとバカにしていたのは誰だ!(^^ゞ
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ーーー続く

wassho at 23:42|PermalinkComments(0)