運慶

2017年11月25日

運慶 その3

チケット

この展覧会のクライマックスは無著菩薩と世親菩薩の2体を、四天王像の4体が取り囲むように配置された一画。彫刻の素晴らしさはもちろん、その演出がまさに運慶が生み出した異空間のように思える。たっぷりと酔えた。



「無著菩薩立像」1201年 (国宝)  ※右
「世親菩薩立像」1201年 (国宝)  ※左


菩薩と名前がついているから仏像なわけだが、一般にイメージする菩薩像とは違って写実的な人物彫刻である。それも超一級の。
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しかしである。
無著(むじゃく)と世親(せしん)は5世紀頃のインド北西部(現在のパキスタン)に実在した兄弟の僧侶。唯識(ゆいしき)という仏教の重要なコンセプトを確立した人物とされる。彼らが菩薩となっているということはキリスト教でいえば聖人、神道なら亡くなった実力者を神君として祀るみたいなものか。仏教にそんなシステムがあったっけ?

それはさておき。
問題は無著と世親が「インド人」なこと! この彫刻はどう見て日本人あるいは中国など東アジア人じゃないか。日本とインドの交流は仏教伝来の頃から始まっている。東大寺の大仏開眼供養の導師を務めたのは736年にインドから来日した僧侶である。しかしその後は16世紀頃までたいした交流はなかったようだから、平安〜鎌倉時代の日本人はインド人がどういう人種なのかを知らない、人類はすべて自分たちと同じような姿をしていると考えていたのだろう。だから運慶も迷うことなく無著と世親を自分たちと同じような顔、そして東アジア的な服装で製作したのかもしれない。


運慶がなぜ生身の人間そのものの無著と世親の「菩薩像」を製作したのかは知らない。しかし仏像にはいろんな決まり事がある。如来や菩薩と較べて製作の自由度が高そうな明王や天にしても、まったく好き勝手というわけにはいかない。おそらく写実を極めたい、それによって表現を高めたいという彫刻家・芸術家としての本能を、この時に押さえきれなかったのじゃないかと思う。だからあの筋骨隆々な東大寺の仁王像より、この無著と世親のほうに運慶が作品に込めたエネルギーをより感じる気がする。ちょっとモーソーしすぎかな?


ところで無著と世親の彫刻のどちらがよかったかといえば断然に無著である。またポスターやチケットに使われているのも無著。しかしそれは彫刻のできばえではなく、保存状態による印象の違いの差が大きいように思える。無著は顔面の塗装がほぼ残っていい感じに古ぼけているのに対して、世親はかなりはげ落ちてい醜い顔になっているのが残念なところ。前回のエントリーで木造彫刻の風化について古代ローマ彫刻まで例に挙げて書いたが、やはりそれがどこまでもついて回る。
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ところで無著と世親の履き物がちょっと洒落てる!




「四天王立像」製作年不明 (国宝)

この4体も文句なく素晴らしかった。無著と世親が静ならばこちらは動。まるで今にも動き出しそうであり、また彼らの息づかいが聞こえてくるかのようである。木で掘られた彫刻なのに私は気合い負けしてしまったくらい。

左:広目天
右:増長天
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左:持国天
右:多聞天
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四天王というのは須弥山(しゅみせん)という、仏教世界の中心にあるとされる山にいる守護神みたいな存在。それぞれが東西南北を分担して守っており、いわゆる四方を固めるという布陣。守っているのは仏教(仏法と表現したほうがしっくりくるかも)そのものなのだけれど、直接的には須弥山の頂上にいる帝釈天。天と名前がつくのは元々が守護神・警備役なわけだから、帝釈天が隊長で四天王が隊員といったようなものなのかな。


例によってこの四天王もかなり風化している。それがアンティークなものが持つ独特の味わいになるわけだが、特に四天王の場合は守護神としての「凄み」にもつながっているように思える。前回のエントリーで紹介した、東大寺の執金剛神像を作られた当時に再現したCGのように四天王がカラフルだったら印象はずいぶん違ってくるはず。それはそれでとても見てみたい気持ちもある
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さて本題はここから。現在、無著と世親の像は奈良の興福寺の北円堂、四天王像は同じく南円堂という建物にそれぞれ収められている。しかし元々この合計6体は北円堂にあったという説があり、この展覧会ではそれに乗った企画として6体を同じ場所に展示している。

それが功を奏して静と動のコントラストが見事にはまっている。まるでその空間自体に意味がある、生命を持っているかのように感じた。せっかくなのでネットで見つけた写真で会場の様子を紹介。

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  ※https://www.leon.jp/events/6544からの引用
  ※奥に写っているのは北円堂の写真パネル

またこれは展覧会ならではであるが、広く暗い空間の上からスポットライトが当たって彫刻が陰影を伴って浮かび上がり、それが幻想的な雰囲気を醸し出している。またスポットライト自体はかなり明るく、おかげで細部まではっきり観察することもできた。


ちなみにこちらが北円堂とその内部の写真。実際にこの目で見ないと何ともいえないが、これだとこの展覧会で得たような感動を無著と世親の像からは得られないかもしれない。見せ方や演出は美術品の価値を大きく左右すると改めて感じた。
北円堂

北円堂内部



もう少し展覧会の様子を。
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  ※http://www.asahi.com/ajw/articles/photo/AS20170926003945.html
   からの引用
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  ※http://home.ueno.kokosil.net/ja/archives/18552からの引用

無著と世親、四天王とも彫刻の身長は約2メートル。しかも1メートルほどの展示台に載せられているから実際はそれより大きな彫刻に感じる。まさに神々しいものを見上げるている気分。あるいは仏の世界に迷い込んだようにも思えた。まあとにかく運慶のあの作品をまた見たいというより、あの空間にもう一度身を置きたいというのがいつわらざる気持ちである。それくらい素晴らしい体験だった。

さて小学校の遠足で東大寺南門の金剛力士像を初めて見た時の感動や驚きを、また味わえるかもとやってきたこの展覧会。それ以上のものがあった。しかしよく考えると金剛力士像と運慶の名前を知っていても、私と同じように金剛力士像以外は見たことがない人のほうが圧倒的に多いに違いない。それに浮世絵に較べたら海外で運慶の知名度はゼロに等しいだろう。実にもったいない。今後もこのような展覧会が開催されることを期待する。できればこの6体セットをぜひ海外でも。もちろんタイトルは

 「ミケランジェロの300年前に活躍した日本の天才彫刻家、運慶」である!


おしまい

wassho at 17:51|PermalinkComments(0)

2017年11月24日

運慶 その2

展示されていたのは37作品。ただし複数の仏像をまとめて1つの作品と数えているものも多いので全部で80体くらい。また仏像以外に書状のようなものも何点かあった。おもしろいのは会場で配られている出品目録に国宝は●印、重要文化財は○印が記されているのだが、印がない作品はたった1つだけだったこと。つまり超豪華な展示内容。ちなみに国宝は12点。一度にこれだけの国宝を見たのは初めてかもしれない。


運慶についておさらいをしておくと、まず生まれたのは1150年頃とされる。イイクニツクロウ鎌倉幕府が1192年だから、平安時代末期から鎌倉時代にかけて世の中の仕組みが大きく変わった激動の時代に生きたことになる。平家と源氏の争いのとばっちりで、あちこちの寺社も被害を受け仏像が焼けたり破損。それにより新規の仏像の発注が多く、仏師(仏像製作者。造仏師の略ともいわれる)が大いに活躍した時代でもあったらしい。

当時の仏像業界は円派、院派、奈良仏師という3つの派閥が幅を利かしており、運慶の父である康慶が奈良仏師から分派。そのグループが名前に「慶」のつく仏師が多いので慶派と呼ばれる。前回のエントリーで触れた東大寺の金剛力士像の作者は運慶・快慶と習ったが、快慶も康慶の弟子の1人。それにしても日本にはたくさんの有名な仏像があるけれど、仏師で世間一般に名前が知られているのは運慶・快慶くらいじゃないかと思う。

現存する運慶の仏像は31体とされ、また運慶作ではないかと思われているものも10体ほどある。仏像というのは工房での集団作業による製作だから、何をもって運慶の作品というのかはいろいろ議論もあるらしい。いずれにしても運慶の作品を22体も集めたこの展覧会は見応えがあった。



「大日如来坐像」1176年 (国宝)

運慶の処女作と目されている。それがいきなり国宝なんだから恐れ入る。この写真より実物はもっと金箔がきれいだった。それでもかなり剥げ落ちた状態であることに変わりないがーーー。木造彫刻である仏像は風化が避けられない。その年月にも思いをはせて鑑賞すべきなのか、あるいはオリジナルに近づけて修復すべきなのか。それが会場にいる間ずっと頭から離れなかったテーマ。
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ところで国宝なんだから素晴らしい仏像のはずだが、こういう仏像らしい仏像には興味がない。私にはごく普通の仏像にしか見えないが、見る人が見れば運慶らしさを感じるのだろうか。

ちなみに仏教では如来(にょらい)〜菩薩(ぼさつ)〜明王(みょうおう)〜天というヒエラルキーになっている。よく見る観音菩薩は菩薩に属しているが、菩薩の下に観音というクラスを設ける考え方もあって、そのあたりはまだ詳しく理解していない。もっともそれらは仏教の本質とは関係なくて、空想が生み出したファンタジーの世界である。





「仏頭」1186年 (重要文化財)

高さは1メートルほど。焼失してしまった仏像の残骸ということであるが、大きな頭だけを眺めるというのは何となく妙な気分。
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パンチパーマのような髪型は螺髪(らほつ)という名前で、それもかなり失われている。また螺髪は頭部に彫り込まれたのではなく、別の部品として作ってピンのようなもので結合させていることがわかる。




「毘沙門天立像」1186年 (国宝)

そろそろ運慶のイメージに近づいてきた感じ。
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毘沙門天(びしゃもんてん)はソロで活動する時は毘沙門天で、持国天などと四天王としてユニットを組む時は多聞天と呼ばれる仏。また天の階層に属する仏は古代インドの神々を仏教に取り入れたもので、如来や菩薩の警護役的な存在とされることが多い。





「地蔵菩薩坐像」製作年不明 (重要文化財)
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「大日如来坐像」製作年不明 (重要文化財)
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「八大童子立像」1197年  (国宝)

如来や菩薩の仏像には伝統に沿ったというか縛られた「型」というものがある。おそらくはクライアントもオーソドックスなものを望んでいただろうから、運慶といえどもオリジナリティにあふれた作品にはならない。だから運慶の神髄は如来や菩薩より下位の仏像に宿る。

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八大童子は不動明王の配下の者といった位置づけ。不動明王自体が鬼みたいな形相で描かれることが多いから、この童子達も決してカワイイ顔はしていない。サイズは120〜130センチといったところ。ところで八大童子なのに6体しかないのは、それらだけが運慶の作品で国宝だから。残り2体は後の時代の製作ということで今回は出展されていない。おそらく運慶は八大童子すべてを製作したが2体が失われたのだろう。

ところで漫画では登場人物の顔が似通っていることが多い。漫画家も人物すべてを描き分けるのは大変だから、いくつかのパターンを当てはめて制作している。いってみれば「持ち顔」。それの多い漫画家とそうでない漫画家がいるが、少ない場合は作品が違っても脇役などがどれも同じ顔ということになる。八大童子をアップで見てみると運慶の「持ち顔」はそれほど多くなかったみたい。
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「聖観音菩薩立像」1201年 (重要文化財)

修復されているのか特別に保存状態がよかったのかは知らないが、きれいな色彩を保っている仏像。でもカラフルな仏像なんて見慣れていないから、どこか違和感があるのも正直なところ。
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そういえば何年か前に、白い大理石の古代ギリシャやローマの彫刻が、実は作られた当時は彩色されていたことが話題となった。一部の関係者では知られていたことらしいが、古代彫刻イコール白いというイメージが浸透しているし、その白さが純粋とか普遍的といった芸術的価値にも結びついている。それで大英博物館などで、遺跡で発見した彫刻を洗浄して色を落としていたということも暴露された。

ネットで見つけたローマ彫刻の色彩復元。
ギリシャ

東大寺の執金剛神像の再現画像も載っていた。
思い出とは少々色あせていたほうがいいのかも(^^ゞ
東大寺






「重源上人坐像」製作年不明 (国宝)

運慶の写実性がよく表れた作品。
遠くから眺めたらミイラに見えなくもない(^^ゞ
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さて運慶展のクライマックスは次回のエントリーで。


ーーー続く

wassho at 07:46|PermalinkComments(0)

2017年11月21日

運慶

少し前のことになるが上野の国立博物館で開かれている運慶展を見てきた。展覧会の正式名称は興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」。奈良の興福寺リニューアル工事を記念して全国から運慶の作品22体を集めたという企画。ちなみに興福寺には有名なあの阿修羅像もある。


運慶はたくさんの作品を残しているが、一番有名なのはたぶん東大寺の南門にある金剛力士像だろう。私も小学校の遠足か何かで初めて金剛力士像を見て、その筋骨隆々とした迫力に圧倒された。そんな彫刻を今まで見たことがなかったからか、その時の感覚というか気分は強烈で今でもよく覚えている。また運慶という名前も同時に記憶に刷り込まれた気がする。

実はもうひとつ覚えていることがあって、それは金剛力士像にけっこうホコリが溜まっていたこと。「きれいに拭けばいいのにモッタイナイ」と思ったものだ。門の中にあるとはいえ半屋外展示みたいなものだから仕方ないのかな。その後、何回か東大寺を訪れたがいつも同じだった。あれから何十年も経っているが今はどうなんだろう。
金剛力士像

(金剛力士像は今回の展覧会とは無関係)

ところで東大寺というのは大仏を見に行くところである。言ってみれば金剛力士像はその前菜に過ぎない。しかし大仏は大きさには感心はしたけれど、それ以外に特に印象に残るとことはなかった。いわばそういう趣味の傾向は今も同じで、如来像や菩薩像といった高位の本堂に安置されるような仏像にはほとんど興味がないしどれも同じに見える。彫刻は好きでも信心はないからかな。

しかし運慶は仏教的にはヒエラルキーの低い明王や天部と呼ばれる仏像を多く残している。それらは如来像や菩薩像と違って表情が豊かで身体の動きもある。そういった彼の「彫刻作品」を、これだけまとまってみられる機会はそう滅多にないと楽しみにしていた展覧会だったのである。



いつものようにiPhoneで写真を撮りながら公園の入口で。
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国立西洋美術館で開催されている北斎とジャポニスム。
できたらこれも見に来たい。
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数寄フェスという横断幕があったが、
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中央の広場に出るとまだ開催準備中みたい。
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これは数寄屋風建築のモニュメントなのかな?
イマイチよくわからず。
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こちらは上野公園に隣接している東京芸術大学の文化祭で使われた神輿。芸大の文化祭は面白そうなので、一度は行ってみたいと思いだしてから20年ほどたっている(^^ゞ
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中央の広場を抜け信号を渡った先が東京国立博物館。略してトーハク。
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チケット売り場は数分並ぶ程度の混雑だったのだが、
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なんと50分待ちの表示!
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ちなみに訪れたのは平日の昼間。ただしこれは事前にわかっていたし、数日前に来た知人によると、その時も50分待ちの案内だったが実際は30分ちょっとだったとのこと。とにかくこの日は小学生の遠足以来の感動を味わうために並ぶのを覚悟でやってきた。


運慶展は敷地奥の平成館での開催。建物を人垣が取り囲んでいる。
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列の最後尾につく。
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意外と列の進み方は早いのだが、距離があるものだから入口にはなかなかたどり着かない。それでも同じ場所にじっと立っているよりはマシ。このために持参した雑誌を読んだりスマホをいじったりして過ごす。

紅葉やスカイツリーが見える位置に来ると気が紛れる。
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入口まで40分ほどだった。
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いよいよ入館。
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ーーー続く

wassho at 08:47|PermalinkComments(1)