鳥居清倍
2014年01月04日
大浮世絵展 本編
まとまった数の浮世絵を見るのは今回が2回目。前回はボストン美術館収蔵作品の展示会だった。普段あまり浮世絵と接することもないが、今回も基本的な印象はその時とあまり変わらない。
1)
見慣れた西洋絵画とはまったく違う色彩が新鮮で魅力的。それに繊細で華奢な感覚は浮世絵独特の世界。
2)
ただし画風が作者を問わずワンパターンなので、たくさん見ているうちに飽きてくる。
3)
浮世絵は版画。同じ浮世絵師が描いた日本画を肉筆画と呼ぶ。版画と肉筆画を較べると、やはり圧倒的に情報量が違う。しょせん版画はプリントかと感じてしまう。
ーーーといったところ。
なんか浮世絵をけなしているようだが、もともと浮世絵は挿絵やポスターなどに相当するカジュアルなアート。たくさん並べて、じっくり鑑賞する方が間違っている。ヤルーとかウヒョーとかいって楽しめばいいのだ。だいたい江戸時代に浮世絵はそんなに大事なものでもなかった。価格は今の貨幣価値で100円から2000円くらいだったらしい。印象派の画家達は浮世絵から大きな影響を受けたとされているが、海外で浮世絵が知られるきっかけとなったのは、明治時代になって日本の輸出品だった陶器の包み紙として古くなった浮世絵を再利用していたから。つまり古新聞扱い。
とはいうものの今回あらためて感じたこともあった。それは追々書いていくことにする。
展示会では年代順に6つのコーナーに別けられていた。浮世絵は今でももちろん作られているが、だいたい17世紀半ばの江戸時代が始まってしばらくの頃から明治時代までのもの。全盛期はもちろん江戸時代。
鳥居清倍(きよます) 「出陣髪すき」
勝川春章(しゅんしょう) 「中村富十郎の饅頭売日向屋実は日向姥ケ嶽の雌狐と9代目市村羽左衛門の酒売り伊勢屋実は源九郎狐」
一般的にイメージする浮世絵は錦絵といっていわゆる多色刷り。時代が下るにつれてよりカラフルになってくる。上の鳥居清倍は浮世絵初期の頃の制作で丹絵と呼ばれる技法。丹絵(たんえ)とは丹色(にいろ=朱色)をメインに数色で構成される。勝川春章のは錦絵らしいが使っている色数が少ないから丹絵とあまり変わらない印象。
これは、どちらも歌舞伎芝居のポスターである。勝川春章の作品名は芝居のタイトルだと思われる。それにしても長すぎ!
だんだんと一般的にイメージする浮世絵に近くなってくる。
鳥居清長 「風俗東之錦 萩の庭」
鳥居清長 「美南見十二候 六月」
鳥居清長 「大川端夕涼」
鳥居清長 「吾妻橋下の涼船」
鳥居清長は美人画中心の作品で、後に六大浮世絵師に数えられる。他のメンバーは鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重。この6名の中では鳥居さんと鈴木さんの知名度が低いかな。歌川広重は安藤広重と呼ばれていた時代もあったので、安藤の名前のほうが馴染みがあるかもしれない。
鳥居清長の作品名にある美南見(みなみ)というのは品川のことで、当時はそこに遊郭があった。同じく遊郭のある吉原が江戸城の北側だったので品川を美南見と呼んだらしい。だから描かれているのはムフフなお姐様方。顔が同じでわかりづらいが黒い羽織を着ているのがメンズ。浮世絵には遊女をモデルにしたものがとても多い。遊女を今の言葉に置き換えれば売春婦となるが、それだとどうもイメージがつながらない。江戸時代の日本で遊女というのがどのような社会的なポジションやイメージだったのかはなかなか興味深い。
喜多川歌麿 「四季遊花之色香 上下」
喜多川歌麿 「当時三美人 富本豊ひな、難波屋きた、高しまひさ」
喜多川歌麿 「北国五色墨 てっぽう」
喜多川歌麿 「錦織歌麿形新模様 白打掛」
喜多川歌麿 「青楼十二時 続 子の刻」
喜多川歌麿は美人画の大家で海外でも有名。全身ではなくバストアップ(胸から上)で美人画を描いたのは彼が最初といわれる。まあそれにしても皆同じ顔に見える。しかし「当時三美人」では端正な顔、気の強うそうな顔、うぶな娘風と3人が描き別けられているらしい。誰がどの顔かわかる?
ところでタイトルにある北国(ほっこく)とは吉原の遊郭の別名。また青楼(せいろう)も遊郭のこと。そんなこんなで歌麿の作品の3割は遊女がテーマだといわれている。よほどお好きだったようで。
「青楼十二時」という作品名は今風に書き換えるなら「密着!遊女の生活24時間」といったところ。当時は十二時辰(じしん)といって1日を12の時間帯に別けていた。それに「ネ、ウシ、トラーーー」と十二支を当てはめる。したがって1時間帯は2時間。それを30分単位で4つにも別ける。怪談話でよくでてくる「うしみつどき」とは午前3時のこと。
子(ね)が午前0時から午前2時まで(正確に言うなら1時59分)
丑(うし)が午前2時から午前4時
午前2時が丑1つ
午前2時半が丑2つ
午前3時が丑3つ
午前3時半が丑4つ
ちょっと話がそれたが「青楼十二時」という作品は2時間毎の遊女の生活を描いたシリーズ作品。上に貼った「子の刻」では正装の着物である打ち掛けを脱いで、夜用の着物に着替えているところ。着物を畳んでいるのは遊女のアシスタント。つまりこの後のベッドインの準備中♡ これに続く「丑の刻」版はベッドインの最中ではなく、それが終わってトイレに行くシーンとなっている。2時間後ならそうなるか(^^ゞ とにかく歌麿は遊女の姿形だけじゃなくて、生活までとことん描きたかったみたいである。
東洲斎写楽 「4代目岩井半四郎の乳人重の井」
東洲斎写楽 「市川鰕蔵の竹村定之進」
浮世絵には描かれているものによって「美人画」「役者絵」「名所画」「花鳥画」などのジャンルがある。写楽はもちろん役者絵のスーパースター。もっとも写楽は浮世絵界に突如として現れ、10ヶ月ほど後に姿を消した謎の浮世絵師でもある。その正体はいろいろ学説があるものの、いまだにハッキリとわかっていない。ブログに貼ったバストアップ構図(浮世絵では大首絵という)の役者絵が有名だが、それは最初の28作品で、これはデビュー時に同時一斉に売り出された。その後は同じ役者絵ながらいろんな構図やタイプの浮世絵を作るがあまり売れず。というわけで10ヶ月後に引退というか活動中止。写楽は元祖一発屋かな。
ところで私の子供の頃には記念切手を集めるのがブームになったことがある。「市川鰕蔵の竹村定之進」は切手になっていて、通称「写楽」として人気があった。だから写楽というのは、ここに描かれている人物のことだと当時は思っていた。あれから半世紀近く経つけれど、本物の「写楽」を見ることができてうれしい。さて当時人気のあった記念切手は、この写楽の他に
ビードロ(喜多川歌麿)
月に雁(歌川広重)
見返り美人(菱川師宣)
の3つ。それでこの3作品も、この大浮世絵展に出展されているはずなのに、当日は見ることができなかったのである。それがとってもムカツク。その話は後ほど。
ーーー続く
1)
見慣れた西洋絵画とはまったく違う色彩が新鮮で魅力的。それに繊細で華奢な感覚は浮世絵独特の世界。
2)
ただし画風が作者を問わずワンパターンなので、たくさん見ているうちに飽きてくる。
3)
浮世絵は版画。同じ浮世絵師が描いた日本画を肉筆画と呼ぶ。版画と肉筆画を較べると、やはり圧倒的に情報量が違う。しょせん版画はプリントかと感じてしまう。
ーーーといったところ。
なんか浮世絵をけなしているようだが、もともと浮世絵は挿絵やポスターなどに相当するカジュアルなアート。たくさん並べて、じっくり鑑賞する方が間違っている。ヤルーとかウヒョーとかいって楽しめばいいのだ。だいたい江戸時代に浮世絵はそんなに大事なものでもなかった。価格は今の貨幣価値で100円から2000円くらいだったらしい。印象派の画家達は浮世絵から大きな影響を受けたとされているが、海外で浮世絵が知られるきっかけとなったのは、明治時代になって日本の輸出品だった陶器の包み紙として古くなった浮世絵を再利用していたから。つまり古新聞扱い。
とはいうものの今回あらためて感じたこともあった。それは追々書いていくことにする。
展示会では年代順に6つのコーナーに別けられていた。浮世絵は今でももちろん作られているが、だいたい17世紀半ばの江戸時代が始まってしばらくの頃から明治時代までのもの。全盛期はもちろん江戸時代。
鳥居清倍(きよます) 「出陣髪すき」
勝川春章(しゅんしょう) 「中村富十郎の饅頭売日向屋実は日向姥ケ嶽の雌狐と9代目市村羽左衛門の酒売り伊勢屋実は源九郎狐」
一般的にイメージする浮世絵は錦絵といっていわゆる多色刷り。時代が下るにつれてよりカラフルになってくる。上の鳥居清倍は浮世絵初期の頃の制作で丹絵と呼ばれる技法。丹絵(たんえ)とは丹色(にいろ=朱色)をメインに数色で構成される。勝川春章のは錦絵らしいが使っている色数が少ないから丹絵とあまり変わらない印象。
これは、どちらも歌舞伎芝居のポスターである。勝川春章の作品名は芝居のタイトルだと思われる。それにしても長すぎ!
だんだんと一般的にイメージする浮世絵に近くなってくる。
鳥居清長 「風俗東之錦 萩の庭」
鳥居清長 「美南見十二候 六月」
鳥居清長 「大川端夕涼」
鳥居清長 「吾妻橋下の涼船」
鳥居清長は美人画中心の作品で、後に六大浮世絵師に数えられる。他のメンバーは鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重。この6名の中では鳥居さんと鈴木さんの知名度が低いかな。歌川広重は安藤広重と呼ばれていた時代もあったので、安藤の名前のほうが馴染みがあるかもしれない。
鳥居清長の作品名にある美南見(みなみ)というのは品川のことで、当時はそこに遊郭があった。同じく遊郭のある吉原が江戸城の北側だったので品川を美南見と呼んだらしい。だから描かれているのはムフフなお姐様方。顔が同じでわかりづらいが黒い羽織を着ているのがメンズ。浮世絵には遊女をモデルにしたものがとても多い。遊女を今の言葉に置き換えれば売春婦となるが、それだとどうもイメージがつながらない。江戸時代の日本で遊女というのがどのような社会的なポジションやイメージだったのかはなかなか興味深い。
喜多川歌麿 「四季遊花之色香 上下」
喜多川歌麿 「当時三美人 富本豊ひな、難波屋きた、高しまひさ」
喜多川歌麿 「北国五色墨 てっぽう」
喜多川歌麿 「錦織歌麿形新模様 白打掛」
喜多川歌麿 「青楼十二時 続 子の刻」
喜多川歌麿は美人画の大家で海外でも有名。全身ではなくバストアップ(胸から上)で美人画を描いたのは彼が最初といわれる。まあそれにしても皆同じ顔に見える。しかし「当時三美人」では端正な顔、気の強うそうな顔、うぶな娘風と3人が描き別けられているらしい。誰がどの顔かわかる?
ところでタイトルにある北国(ほっこく)とは吉原の遊郭の別名。また青楼(せいろう)も遊郭のこと。そんなこんなで歌麿の作品の3割は遊女がテーマだといわれている。よほどお好きだったようで。
「青楼十二時」という作品名は今風に書き換えるなら「密着!遊女の生活24時間」といったところ。当時は十二時辰(じしん)といって1日を12の時間帯に別けていた。それに「ネ、ウシ、トラーーー」と十二支を当てはめる。したがって1時間帯は2時間。それを30分単位で4つにも別ける。怪談話でよくでてくる「うしみつどき」とは午前3時のこと。
子(ね)が午前0時から午前2時まで(正確に言うなら1時59分)
丑(うし)が午前2時から午前4時
午前2時が丑1つ
午前2時半が丑2つ
午前3時が丑3つ
午前3時半が丑4つ
ちょっと話がそれたが「青楼十二時」という作品は2時間毎の遊女の生活を描いたシリーズ作品。上に貼った「子の刻」では正装の着物である打ち掛けを脱いで、夜用の着物に着替えているところ。着物を畳んでいるのは遊女のアシスタント。つまりこの後のベッドインの準備中♡ これに続く「丑の刻」版はベッドインの最中ではなく、それが終わってトイレに行くシーンとなっている。2時間後ならそうなるか(^^ゞ とにかく歌麿は遊女の姿形だけじゃなくて、生活までとことん描きたかったみたいである。
東洲斎写楽 「4代目岩井半四郎の乳人重の井」
東洲斎写楽 「市川鰕蔵の竹村定之進」
浮世絵には描かれているものによって「美人画」「役者絵」「名所画」「花鳥画」などのジャンルがある。写楽はもちろん役者絵のスーパースター。もっとも写楽は浮世絵界に突如として現れ、10ヶ月ほど後に姿を消した謎の浮世絵師でもある。その正体はいろいろ学説があるものの、いまだにハッキリとわかっていない。ブログに貼ったバストアップ構図(浮世絵では大首絵という)の役者絵が有名だが、それは最初の28作品で、これはデビュー時に同時一斉に売り出された。その後は同じ役者絵ながらいろんな構図やタイプの浮世絵を作るがあまり売れず。というわけで10ヶ月後に引退というか活動中止。写楽は元祖一発屋かな。
ところで私の子供の頃には記念切手を集めるのがブームになったことがある。「市川鰕蔵の竹村定之進」は切手になっていて、通称「写楽」として人気があった。だから写楽というのは、ここに描かれている人物のことだと当時は思っていた。あれから半世紀近く経つけれど、本物の「写楽」を見ることができてうれしい。さて当時人気のあった記念切手は、この写楽の他に
ビードロ(喜多川歌麿)
月に雁(歌川広重)
見返り美人(菱川師宣)
の3つ。それでこの3作品も、この大浮世絵展に出展されているはずなのに、当日は見ることができなかったのである。それがとってもムカツク。その話は後ほど。
ーーー続く
wassho at 23:16|Permalink│Comments(0)│